昨日は、終戦記念日でした。
第二次世界大戦で、日本が敗戦を認めた日です。
戦後生まれの私たちは、この日に、「二度と戦争をしません」という不戦の誓いをして、平和な世界を築く決意をしてきました。
幸いなことに日本は、それから戦禍に巻き込まれることがありませんでした。
しかし世界的に見ると、平和な期間などまったくありません。
規模の大小はあったとしても、世界のどこかで戦争や紛争が起きていたのです。
それを考えると、これまで日本が平和だったことが奇跡であり、それが継続する保証など、どこにもないことがわかります。
なぜなら日本においても、諸外国との紛争がなくならないからです。
紛争がある限り、必ず戦争の火種が残るのです。
日本の平和主義は、諸外国との間の紛争解決手段として、軍隊による戦闘を行わないということです。
けれども、自衛のための戦闘は放棄していないことになっています。
つまり、こちらから先制攻撃はしないけれど、他から攻撃されたなら、防御を目的として攻撃することはあるとしているのです。
その防衛を目的として、というところが曖昧です。
たとえば、日本に打ち込もうとミサイルの発射準備をしていたら、発射される前のミサイルを叩くのが簡単で効果が大きいです。
これも防衛と言えば防衛ですが、先制攻撃と言われれば先制攻撃にもなります。
みなさんは、これが平和主義と呼べるものだとお考えでしょうか?
ご存知のように第二次世界大戦終結までは、列強諸国によるぶん取り合戦が盛んに行われてきました。
日本も植民地化の脅威にさらされ、明治政府は富国強兵を推し進めました。
日本の国民や国土を守るため、強大な清国と戦い、強敵のロシアと戦い、列強の仲間入りを目指しました。
しかし、それまで弱小だった日本が台頭することは、他国にとっては脅威が増すことになります。
日本が強くなることを恐れた他国は、日本を締め付けようと不当な介入をしてきます。
もし日本がそれに甘んじれば、弱小国のまま、常に他国の脅威にさらされることになります。
日本は大陸に防衛ラインを築き、東南アジアにエネルギー資源を求めることで、その窮地から脱することを選択したのです。
それが大東亜戦争の目的です。
つまり日本にとっては自衛のための戦争。
列強諸国がぶん取り合戦などしていなければ、やらなくても済んだ戦争です。
それが第二次世界大戦へと発展し、最終的に日本は負けました。
負けた結果、一方的に悪者にされました。つまり、勝者側の価値観を押し付けられたのです。
もちろん上記は、日本の言い分です。
他国には他国の言い分があります。
だからこのように、互いに自衛を名目として、戦争を行なってきたのでしょう。
このことから言えるのは、紛争というものがある限り、必ず自衛の必要性が生じ、自衛の必要性がある限り、軍事力による戦闘の必要性が消えないということです。
だから日本は、いざという必要性のために、今でも軍事力を保持しています。
それを良いと考えるか悪いと考えるかは、人それぞれだと思います。それぞれの価値観があるでしょうから。
ただ言えることは、紛争がある限り戦争はなくならないということです。
そもそも、紛争とは何でしょうか?
それは価値観が違う者同士が、互いに自分の価値観が正しいとして譲らないことです。
自分の価値観を、どうしても相手に押し付けなければ気が済まない状態です。
これって、私たちが日常的にしていることだと思いませんか?
電車が遅れたと言って文句を言うサラリーマン、子どもが言うことを聞かないと言ってヒスを起こすお母さん、嫁が自分をないがしろにすると腹を立てるお姑さん、政府が無策だから就職ができないと叫ぶ若者。
みんな自分の価値観が正しく、相手が悪いと主張しています。
それはまさに、個人的なレベルでの紛争と言えるでしょう。
そういう考え方が、世の中に紛争を生み出し、最終的には国同士の戦争につながっていると思うのです。
もし、「引き寄せの法則」が正しいとするなら、まさにその通りになっていると言えなくもありません。
私たちの心に平安がないから、この世に平和が訪れないのです。
誰もがいきなり総理大臣になって、軍隊を操れるわけではありません。
けれども私たちは、自分の心を操ることはできます。
まず、自分自身の心を平和にしましょう。自分の心を天国にしましょう。
そうすれば、私たちの周りに平和がやってきます。
2012年08月16日
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おそらく私が書いた「みなさんは、これが平和主義と呼べるものだとお考えでしょうか?」に反応されたのだと思います。
私の問いかけは、文字通りに「平和主義」かどうかという考え方を問うたものであって、そういう行為があることが「平和」かどうかを問うたものではないことは、全文を読んでいただければ理解できると思います。
「平和主義」と言いながら、「先制攻撃」の余地がある。
過去の戦争の多くが防衛のための戦争であったことと照らしあわせて考えていただくと、私の主張もご理解いただけるかと思います。
なお、他でも何度も言っていますように、「私の考え方が正しくて、他の人の考えが間違っている」などとは、私はまったく言っていませんし、そう主張するつもりもありません。
考え方は人それぞれであるし、その人の立場においては、その人の考えは正しいのだと思っています。
そのことも合わせて、ご理解いただけると幸いです。