2022年02月25日

医者に殺されない47の心得【必携版】



近藤誠(こんどう・まこと)医師の著書は、以前に「何度でも言う がんとは決して闘うな」を読んでいます。「がんもどき」という考え方は、とても面白いなぁと感じました。

他にも現代医療や栄養学に疑問を呈する本をいくつか読んでみて、私も疑問を持つようになりました。そういう本をネットで買うせいか、オススメにこの本も出てきたので買ってみた次第です。
内容は想像通りでしたが、改めて大事な視点があるなぁと感じました。そして、滅多なことでは薬を飲まない、医療にかからないという私の生き方について、「これでよい」と再認識しました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

日本人は世界一の医者好き国民です。
 年間ひとり平均14回前後、先進国平均の2倍以上も、病院に行っています。
 健診やがん検診も、国からの強い症例もあるので、せっせと受けています。

 とりあえず病院に行けば、医者が何とかしてくれる。病気の専門家なんだから、病気の防ぎかたも治しかたも、よく知っているはず……。
 あまり深く考えずに、たいていの人がそう信じているから、ワクチンで死にかけてもまた医者にかかっているのでしょう。
」(p.6)

皮肉っぽく書かれていますが、たしかにそういう現実がありますね。


多くの子どもが、ワクチンや解熱剤の副作用で脳に障害を受け、一夜にして痴呆状態になったり亡くなったりしている。おまけに病気を予防したり治す力はない……。今まで何と危ないことをしていたのかと背筋が凍りました。
 そして「何とかして、医療からプラス面だけを得て、危険を避ける方法を見つけたい。ムダに苦しむだけの治療や、悲惨な医療死を、ひとつでも減らしたい」という想いが、僕の悲願になりました。
」(p.14)

近藤医師は異端とされていますが、そうまでして医療界に楯突くのは、こういう強い思いがあったからですね。


大学病院、日赤、国立がん研究センターなど、世間で「いい病院」と言われる設備のととのった大病院は、「いい実験を受けられる病院」だと思ってください。
 がんで苦しみ抜いて死ななければならないのは、がんのせいではなく、「がんの治療のせい」です。医者は必ず「がんのせい」にしますから、騙されないように。
 自覚症状がなくてごはんもおいしいなら、医者にあちこち悪いと言われたり、がんが見つかっても、忘れるのがいちばんです。治療をあせると、寿命を縮めます。
」(p.18)

大学病院ではモルモットにされるという話を、昔、聞いたことがありました。そういうことはあるでしょう。最新の医療機器が揃っていて、新しい医療方法の確立を目指しているわけですから。
しかし、自分の健康を保つことや、寿命をまっとうすることを優先するなら、あえてそういう実験に参加する必要はない、ということですね。


僕は医者ですが、ここ数十年、骨折と勘違いしたとき以外は病院で検査や診察を受けたことがなく、薬も歯の痛み止め以外、飲んだことがありません。
 うちには血圧計がないので、自分の血圧も知りません。
 なぜなら、今の日本で大人がかかる病気はたいてい「老化現象」で、医者にかかったり、薬を飲んだりして治せるものではないからです。
」(p.32)

老化現象と病気は別であって、老化現象に効果のある医療はない、ということですね。たしかに、医療によって不老不死は得られていませんから。

多少の痛みや不自由は「自然の摂理だ、仕方ない。がまん」ととらえて、仲よくつきあっていく。これがいちばん理にかなっています。
 むしろ高血圧、高コレステロールなど、年とともに出てくる症状には意味があり、老いに立ち向かうために必要な変化。不用意に薬で抑えてはいけません。
」(p.34)

老化現象は抑えられませんが、私たちの身体は、老化現象があってもなるべく全体の健康を保とうとして、高血圧や高コレステロールなどになるのだと言います。
たしかに、老化現象で固くなった血管でも、圧力を高めれば血を隅々まで行き渡らせることができます。逆に圧力が低ければ、末端に血が届かなくなって、身体全体としては不健康な状態になるのです。

そこで、体は年をとるほど血圧を上げようとします。脳や手足のすみずみまで血液を送り続けるために。それを下げたら、ボケたりふらついたりしてしまいます。」(p.42)

フィンランドの調査では、最高血圧が180以上の人が生存率が最も高く、140未満の人はガクンと生存率が下がる、という結果も出ているそうです。

いまだにワルモノ扱いのコレステロールも、実は「長寿のもと」です。1980年代に福井市の約3万7千人を5年間追跡したら、男女とも、コレステロール値の最も低いグループの総死亡率がいちばん高く、男性は、血中コレステロール値が高いほど、総死亡率が低いという結果がはっきり出ています。」(p.43)

コレステロールは細胞の修復材料でもあるのですから、加齢とともに多くを必要とするようになる。そう考えれば、コレステロール値が高いことも、身体が健康を保とうとしていると見ることができますね。


このアンケートの結果を4ランクに分けたら、満足度がいちばん高いグループは、いちばん低いグループよりも入院日数が9%多く、医療や薬に使うお金も9%多かった。医療に満足している人は「転ばぬ先の杖タイプ」で、体に何かあると医者に診てもらい、よく薬を飲み、早めに入院。ところが、4〜5年追跡したら、満足度がいちばん高いグループは、いちばん低いグループに比べて死亡率が26%も高かったんです。」(p.37−38)

医療に満足している人ほど早く死ぬ。そういう結果が、アンケート調査に表れていたのだとか。


本物のがんは人の命を奪います。がんが治る病気になったのなら、以前国民の死因のトップだった脳卒中がいま4位になっているように、がん死は年々、みるみる減っているはずです。しかし、まったく減っていません。
 1960年代から50年、人口に占める全がん死亡率は下がらず、がんは日本人の死因のトップにい続けています。
 なぜなのか。検診が、何の役にも立っていないからです。
」(p.57)

欧米では肺がん、大腸がん、乳がんのくじ引き試験が多数行われ、「検診をしてもしなくても、死亡率は同じ」と実証されています。」(p.58)

たしかに、医療によって癌が治る病気になってきたのであれば、死亡率は下がらなければおかしいのです。しかし、そういう証拠はどこにもない。
早期発見早期治療が功を奏しているなら、がん死が減らなければおかしいですよね。


日本のCT装置の台数はダンゼン世界一で、全世界の設置台数の3分の1以上。1993年に8千台、2003年には1万4千台に増えています。放射線検査による国民被ばく線量も、検査によって起きる発がん死亡率も、世界ワーストです。
 イギリスの研究によると「日本人のがん死亡の3.2%は医療被ばくが原因」「世界15か国で、日本が最もCT検査回数が多い」「発がんへの影響は英国の5倍」という医療被ばく大国ぶりです(04、医学誌『ランセット』)。
」(p.65)

原発事故で多くの人が被ばくを恐れましたが、それ以前に多くの人が医療被ばくを受けているのに、そっちはまったく気にしていないようでした。論理的に考えられない人が多いのでしょうね。


僕はすべての患者さんに「一度に3種類以上の薬を出す医者を信用しないように。5種類以上を一度に飲むような行為は極めて危険」と伝えています。」(p.74)

高齢者にたくさんの薬を処方する医師は、残念ながら多数います。薬が毒であることを知っていれば、そんなことはできないと思うのですが、医師の多くにも薬信仰があるのでしょうね。

風邪をひくと、体はセキや鼻水によってウィルスやその死骸を追い出し、体温を上げて、外敵と闘う白血球を活発に働かせようとします。せっかくのセキや熱を薬でおさえたら、病気との闘いに水をさすことになります。ウィルスは体にいすわり、なかなか治りません。
 インフルエンザをワクチンで防げるとか、タミフル、リレンザなどの治療薬で治せるという実証もなく、薬害による脳症や死亡事件は数えきれないほど起きています。
」(p.79)

薬によって病気が治るのではなく、身体の免疫力など自然治癒力によって病気が治るのです。だから、薬によって症状を軽減させることは、病気を治すことにはならないのです。

熱が40度まで上がったとしても、熱で脳をやられる心配はありません。解熱剤の副作用による脳症や死のリスクを考えると、解熱剤は避けたほうが賢明です。
 熱が上がっていく段階では、温かい飲みものをたっぷり飲んで、ふとんを多めにかけて、どんどん汗をかかせる昔ながらのやりかたが、理にかなっています。
 高熱が出てつらい場合は、水枕、冷たいおしぼりで体をふくなど、物理的に冷やすことをおすすめします。アメリカでは高熱が出ると、水風呂に入る人も多いんです。
」(p.81)

最近は日本でも、身体を冷やすようになっていると聞いたことがあります。要は、身体が気持ちよくなるようにすればいいのではないかと思います。


僕は30年間、「どうしたら、がん患者さんが最も苦しまず、最も長生きできるか」という観点から、無理や矛盾のない診療方針を考え抜きました。
 そして「がん放置療法」に到達しました。「がんもどき」なら転移の心配はなく、「本物のがん」なら治療をしてもしなくても死亡率に差がなく、延命期間も同じ。ならば、そのがんによる痛みや機能障害が出たときに初めて、痛み止めや放射線治療、場合によっては外科手術をすればいい。
「これは世界で最も新しい治療法であり、考えかたであるとともに、最善の対処法である」と確信しています。
」(p.99-100)

本物のがんであれば、今の療法では延命の役にも立たない。そういう見極めによって、がん放置療法が成り立つのですね。

マンモグラフィ(レントゲン撮影による乳がん検査)の大規模なくじ引き試験でも、やはり検診と死亡率は無関係です。カナダの5万人調査ではむしろ、「総死亡率は検診群のほうが少し多い」という結果でした。」(p.113)

このような事実から、検診や治療は効果がないと言われているのです。


魔法のような「手当て」の記憶をお持ちの方は多いと思います。愛情をこめて、手を当てる。最もシンプルで、医療がどれだけ進歩しても、何ものにも代えがたい、癒しの原点です。
 痛みも苦しみも、「愛情に満たされる」「不安がやわらぐ」ことで、驚くほど軽くなったり、症状が消えたりします。
」(p.189)

北欧のタクティールケアの話もされていますが、日本でも伝統的に「手当て療法」というものがあり、レイキもまたその1つです。


風邪、インフルエンザを「治せない」のを手始めに、がん、腎臓病、肝炎も、治らないものは治らない。薬を使うと副作用がひどく、逆に寿命を縮めることも多い。高血圧、糖尿病、リウマチは数値を下げたり痛みを抑えるだけ……。
 特に高齢になるほど、医療行為は体の負担になります。薬はできるだけ飲まないほうがいいし、手術をすると後遺症、合併症で命が縮むことが、とても多くなります。
」(p.204−205)

老いるこは止めようがなく、老いれば心身の機能が低下するのはどうしようもないことなのです。その諦観(諦め)というものも、大切なのではないでしょうか。

「病気の80%は医者にかかる必要がない。かかったほうがいいのが10%強、かかったために悪い結果になったのが10%弱」という言葉がありますが、まさに至言。
 基本的に少々の痛みや不自由は「ほっときゃ治る」と放置して、どうしても日常生活にさしつかえる症状があったときだけ、病院に行く。本当に手術や入院が必要なのか、あらゆる情報を調べてから踏み切る。

 そう心がけると、人生終盤を有意義に過ごせます。
」(p.207)

どんな病気でも、いつでも治るのが当然という見方をやめることですね。治る時は治るし、治らない時は治らない。そう考えて、不安(恐れ)から不必要な治療をすることの愚は避けたいものです。


医療界の異端児とされる近藤医師ですが、非常に純粋な思いから、苦しんでいる人々のために何とかしてあげたいという動機で行動されていることがわかります。
そして、言われていることの多くが、非常に理に適っているとも思います。なので私は、近藤医師などの考えを参考に、なるべく薬は飲まないし、医療も受けないようにしようと思っているのです。

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タグ:近藤誠
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2022年02月20日

89歳、ひとり暮らし。



Twitterを見ていて、89歳でやってる元気なおばあちゃんがおられたので、興味深く感じてフォローしました。
すると、本を出版することになったとおっしゃるので、それならと予約して購入したものです。
著者は大崎博子(おおさき・ひろこ)さん。現在は都営住宅で一人暮らしをされていて、娘さんはロンドンで結婚して暮らされているそうです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

苦労もしましたし、病気もいろいろ患いました。悩みごとをたくさん抱え、悶々としたまま長いトンネルから抜け出せなかった時期もあります。
 でも今はこんなに幸せです。
 特別なことは何一つしていません。ただただ流れに身を任せ、前向きに生きてきただけです。その結果、財産がたくさんあるわけではないけれど、愛する家族は元気でいてくれて、私の体は健康です。
 子どもの頃からは想像もできないほどの便利なものにあふれた世の中にいられることに、感謝せずにはいられません。
」(p.7)

戦争を体験された方ですから、今がどれだけありがたいか、身にしみて感じておられるのでしょう。


それでも今は毎日夕飯どきにLINE(ライン)」電話が来ます。たいがい私が晩酌している時。ロンドンは朝の10時くらいでしょうか。たわいもない話をするだけですが、私にとってはかけがいのない時間です。

 ときどき思うんです。このぐらい距離が離れているからこそ、親子関係がうまくいくのかもしれないと。近ければいいわけじゃない。
」(p.30)

今は海外とも無料でTV電話ができる時代。私が子どもの頃、やっとダイヤル式の黒電話が家に設置された時代からすると、本当に夢のような世界です。

そして、適度な距離があるということは、本当に大切なことだと思います。私も一人暮らしを始めてから、そう思うようになりました。そして今は、タイの妻とLINE通話をする関係ですから、大崎さんがおっしゃることがよーくわかります。(笑)


今、私は自分でも驚いてしまうくらい元気です。痛いところはどこもないし、毎日楽しいし、お酒も美味しい。
 だからといってずっと健康でいたわけではありません。50代で子宮筋腫を患い、70代は胃がんで胃の3分の2を切除しました。さらに右ひざに水が溜まってしまい、治療のために注射をどれだけ打ったかわかりません。そんな状態でしたが、無理をしない程度に歩くことを続けていたら、いつの間にか痛みもなくなり、溜まっていた水もなくなり、全部解消してしまいました。
」(p.54)

実際に私は大金とは無縁ですが、毎日これ以上ないほど楽しく過ごしています。でもそれは、今のところは幸いにも健康だからというのもあります。病気はお金がかかりますし、気分も落ち込んでしまいますから。なので、歳をとったらお金よりも健康こそが、何よりの財産なのかもしれないなとよく思います。」(p.114−115)

大崎さんは、1日に8000歩あるくことを自分に課しているそうです。その散歩と太極拳の運動で、健康になれたと言われています。
たしかに、歩くことは基本ですからね。私も今は仕事によって適当な運動ができていますが、この健康を維持するには、仕事を辞めても歩く習慣を持たなければと思っています。


急な出費の時は、貯金の出番です。必要経費は仕方ないので、えいっと下ろして使います。そのための貯金ですものね。とにかくストレスがたまらない生活を心がけていて、それはお金に関しても同じことなのです。贅沢はしませんが、無理もしません。これは私の人生において、一貫して言えることかもしれません。」(p.120)

いくら貯金をしていても、使わざるを得ない事態になると、うじうじと出し渋ってしまうことがあります。将来の不安など、恐れがあるからですね。
大崎さんは、その恐れ(不安)を捨て去って、しょうがないと割り切るようにされています。それがストレスをなくして楽しく生きることにつながるのだと。


BTSだって、最初は名前と顔が一致するまで1週間かかりました。カタカナがなかなか覚えられないんです。でも、こういう時は「脳トレにもなるな」と思えばいいんですよね。頭なんてボーッとしていたら衰えるばかりですから。なんでも前向きに楽しんでみる。面倒がらずに娘や孫の言うことを聞いてみて、気がついたら自分もファンになっていて、元気をもらえているなんて、いいことづくめじゃないですか。」(p.134)

最初は娘や孫に好かれたいからだったかもしれませんが、面倒がらずに頭を使うことが元気の秘訣だと大崎さんは言われます。
その際、見方を変えるのもポイントですね。ものごとの良い面を見れば、それを楽しむこともできますから。


前にも書きましたが、とにかく手を動かすことが大好きで、だから、お水を替えたり、花瓶に生けたりといったことがまったく苦になりません。むしろ、そのお世話している時間は心のリハビリとでも言いましょうか。日の当たるお部屋で、無心になってお花に触れていると、ちょこっとイヤなことがあっても浄化されます。気持ちが整理され、スッキリするのです。」(p.146)

手作業も脳を活性化させ、ボケ防止になると言いますからね。そして、何かに没頭する時間というものが必要なのだろうと思います。
私も趣味でトイレ掃除や新聞折り(仕事の排泄介助で使用するもの)をするのですが、あれこれ考えずに作業に没頭できるので、大崎さんと同じようにスッキリすることができます。


コロナ禍は制限も多くて本当に大変でしたが、唯一、これをきっかけに人間関係を整理することができたということだけは、良かったのかもしれません。自然と人と距離ができたので、改めて、自分にとっての快適な距離感を保てるようになった気がするのです。

 自分の気持ちに誠実に。これは年令に関係なく、とても大切なことだと思っています。
」(p.167)

嫌いな人からは離れる。大事なことですね。
無理してそばにいるから、ストレスを感じたり、嫌な自分になったりするのです。
斎藤一人さんも、たとえ親子兄弟でも、会うとぶつかることが多いなら離れたらよい、と言われています。


歳をとってミスが増えても、大丈夫なようにケアはしつつ、あとはどーんと構えている、もうこれに尽きるのではないでしょうか。」(p.174)

取れる対策は取っておけばいい。それ以上のことは心配してもどうしようもないのですから、あれこれ考えない。そうなったらそうなった時と鷹揚に構えておくことですね。

これは私の根本にずっとある部分なんだと思います。昔から何に対しても「ケ・セラ・セラ」、なるようになると思って生きてきたところがあるのです。いいか悪いかは別として、だからストレスが溜まらず、長生きできているのかもしれません。」(p.176)

大崎さんは、生まれつきの楽天家のようですね。それこそが天賦の才能で、多くの人が得たいと思ってもなかなか得られないもののようにも思います。


そしてもう一つ、老婆心ながら申し上げますと、「全部ひっくるめて楽しむ」、これに尽きると思うのです。

 私は89歳でひとり暮らしです。ひとり娘は遠く離れたロンドンにいます。この状況に対して、「さみしくないかしら」と心配される方がほとんどでしょう。でも、強がりいっさいなしで、私はこの暮らしを心から楽しんでいます。
 ”楽しむ”ことにお金はかかりません。人に迷惑もかけません。ただ自分の心の持ちようです。なんてお手軽なんでしょう!
「ウォーキングしなくちゃ」と嫌々家を出て、猫背でとぼとぼ歩くのと、「今日はどんな花が咲いているかしら」と浮き浮きした気分で歩くのと、1年後にはどれほどの差が出ていると思いますか?
 この”楽しむ”の積み重ねこそが、若さと元気をキープする秘訣だと思うのです。
」(p.185)

義務感ではなく楽しんで前向きになってやること。大崎さんは、いつもそう考えていらしたのでしょうね。


何も大崎さんのやり方だけが正しいとは思いませんし、参考になる部分を参考にすればそれでいいと思います。
けれども、楽しんで生きるということは、すべてにおいて核心的なことではないかと思います。
私も大崎さんのように、楽しんではつらつと生きる老人になりたいと思いました。

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タグ:大崎博子
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2022年02月18日

世界が注目する日本の介護



昨年の3月から介護職に就き、介護というものを学びながら働いています。そんな中で興味を抱いて買ったのがこの本です。
ずいぶんと「積ん読」状態だったのですが、やっと読むことができました。

読んでみて、様々な思いが駆け巡りました。「すごいなぁ」「でも、ムリだよ、うちでは」「こういう利用者様ばかりならできるだろうけど」「いや、最初から決めつけるべきじゃないよ」・・・
実際に介護職として働いているだけに、どうしても今の仕事内容と比較して考えてしまうのです。

たしかに、すぐにはできないことも多々あります。でも、諦めたら終わりでしょ。実際にこうやって、素晴らしい介護を実現しているところがあるのですから。
今の私にも何かできることがあるはず。そのためのヒントを得よう。そういう思いで、読み進めました。

著者は、あおいけあ社長の加藤忠相(かとう・ただすけ)さん。この本もマンガを取り入れていて、とても読みやすくなっています。そのマンガを描いたのは、ひらまつおさむさんです。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

認知症の「原因病」のほとんどは、医師でも治せません。一方、「行動」に目を向けると「カギをかけて出られなくする」「薬でおとなしくしてもらう」といった、よくない発想に陥ってしまいます。
 だから、「症状」に目を向ける必要があります。より具体的には、症状に影響して行動を引き起こす「環境」「心理状態」にアプローチします。つまり、
・お年寄りが症状で困らない「環境」を、先手を打って整えておく
・お年寄りが困っていても、コミュニケーションをとって「心理状態」を安定させる
 こうした配慮で、症状が出ない(もしくは、出ても目立たない)ようにすれば、困らないので行動も起こらなくなるはずです。
」(p.33)

まず、認知症そのものは治せないし、それによる問題行動を直すという発想だと上手くいかないということですね。
そうではなく、現れた症状に影響している環境を整えることや、心理状態を安定させるためのコミュニケーションを考えて接することが大事だと。


わざわざこう書くと、何か特別なことをしたように見えるかもしれません。確かに建物は、若い頃からログハウスに思い入れのあった私の理想が反映されています。でも、その他に特別なことはしていません。普通の台所、普通の風呂場です。にもかかわらずお年寄りが動き、料理までしてくれるのは、困らない環境で心理状態が安定しているからです。
 困ってさえいなければ、認知症があっても「普通のお年寄り」です。普通のお年寄りとして、自分のことは自分でできるように支援する、それが本当の「自立支援」ではないでしょうか。だからこそ、何よりもまず「困らないですむ環境」が大事なのです。
」(p.36)

認知症によって記憶に障害が現れても、手続き記憶と呼ばれる身体で覚えたようなことは忘れにくいと言われています。たとえば、毎日料理を作っていた人なら、何も考えなくても手が勝手に動いて料理ができるようなものです。
そういう手続き記憶を活かすことによって、認知症のままでも普通に暮らしていける。それを支援することが本当のケアだと言うのです。


なぜケイコさんは、スタッフの誘いに応じたのか? それは、人間関係ができたからに他なりません。ケイコさんに自分たちを認識してもらい、<この人はいい人だな>という「いい感情」を積み重ねてもらって信頼関係ができたから、なのです。
 認知症の人は、脳の「海馬」という記憶を司る部位が萎縮して、忘れっぽくなっています。しかし、感情を司る「扁桃体」の機能は強く残ると言われています。つまり、記憶が傷害される代わりに感情面では鋭敏になるので、その「感情」に上手にアプローチする必要があるわけです。
」(p.64)

まず人間関係を築かなければ介護ができない。これは私も実感しています。
しかし、一度人間関係を築いたからと言って、それだけですべてが上手くいくわけでもありません。利用者様の期待に添えないこともあり、それをいくら説明してもわかってもらえないこともあり、怒らせてしまうこともあるのです。

それは私がまだ下手だから。そうかもしれません。けれども、ムリなことはあるよ、と自分を擁護したくもなるのです。


誰かが自分に関心を持ってくれる−−これって、人間にとって最高に幸せなことですよね。認知症があっても、自分に関心を持ってくれる人に対しては、確実に「いい感情」が芽生えるものです。」(p.95)

日々の作業に追われていて、利用者様を大切な友人であるかのように考えている暇がない。そう思っている情けない自分があります。
つい、相手の欠点に目を向けてしまい、問題老人という見方をしてしまう。それでは、好かれることはありませんね。


要するに私は、ばあちゃんの「できない」が「できる」になるまで付き合ったわけです。それが「ケア」だと思っています。
 一方的に「してあげる」のではなく、お年寄りと関わり、できるまで付き合います。すると使える道具が揃い、同時に人間関係ができてきて、「環境」が整います。となれば、じいちゃん・ばあちゃんも大人ですから、自ら動くのはあたりまえではないでしょうか?
」(p.160)

「お茶を入れる」ということも、お年寄りにやってもらいますが、最新の電気ポットが使えないお年寄りもいます。そんな時は、一緒にお店へ行って、そのお年寄りが使える道具を買い揃える。そして、「私のためにお茶を入れてもらえませんか?」と誘いかける。
そこまでやることで、やっとお年寄りが自ら動こうという気になると言うのですね。


介護する側がさせたいこと」ではなく、「お年寄りがやりたいこと」に合わせていくのが大切なのです。
 声のかけ方も大事です。ただ頼むといっても、「○○してください」なんて言ってしまうと、その瞬間に「やらせる/やらされる」という関係性ができてしまいます。
「豚汁のこんにゃくって、包丁で切るんだっけ? 手でちぎるんだっけ?」
「これからサラダを小鉢に盛り付けるんですが、これでいいんでしたっけ?」
 というオープンな感じで始めると、お年寄りが「どれどれ……」と主体的に関わる機会ができます。声のかけ方ひとつで、大きな違いが生まれるわけですね。
」(p.225)

人が楽しくなるのは、自発的に動くからです。そして、そうすることが誰かの役に立つことが嬉しいものです。
そうであれば、このようなアプローチが大事だろうと思います。

たとえば私たちは、お年寄りと梅干しを手づくりしていますが、余ったシソをジュースにし、近くの公園に体操をしに集まる人たちに振る舞ったことがあります。
 また、古いシャツやタオルを集めて、ばあちゃんたちと雑巾づくりをしたこともあります。事業所内で使うだけでなく、お年寄りが小学校に寄付しに行っていました。
 単なる家庭菜園や雑巾づくりが、外に出るだけで立派な「地域共生ケア」になりました。
」(p.226)

自分の楽しみだけではなく、それが他の人に役立つように考える。そうすれば、自分の喜びも増えるし、他の人も喜ばすことができる。そういう取り組みが、地域全体にとっても良い結果になるのですね。

外出し、人と会い、おしゃべりし、お腹が空いたら自分でご飯を用意して美味しく食べる−−そんな何気ない日常の行為こそが、お年寄りの健康を支えているのです。その「日常」を支えるのが、介護の仕事ではないでしょうか?」(p.228)

外出すれば、いろいろなリスクもあるでしょう。けれども、そのリスクを恐れて閉じ込めてしまえば、不健康になってしまう。
どう生きることが本当の意味で幸せなのか? それをもっと真剣に考えてみる必要があるように思います。


であれば、私たちがすべきは、その希望を奪ってまで医療につなぐことではないはずです。じいちゃん・ばあちゃんの「○○したい」という気持ちを支えること。それが「CARE(ケア)」であり、介護にあたる人間が目指すものだと思います。」(p.260)

若い人なら、まずは病気を治してから、というのが最善かもしれません。しかしお年寄りは、ずっと病気と付き合って行かなければならない、ということもあるし、いずれ近いうちに来るであろう「死」を受け入れて、それでもやりたいことを優先するという生き方が最善かもしれません。
その判断は簡単なものではないし、他から責められる可能性もあります。けれども、これも正面から向き合わなければならない問題だと思います。


暴れるから縛る・眠らないから薬を一服盛る−−高齢者の尊厳を傷つける行為でしょう。それを”介護”と呼び、胸を張って”自分の仕事”と言えますか? あなたなら、縛られたり薬を盛られて「しかたない……」と我慢しますか?
 いいところや強みを活かす。「困っている人」が困らない環境とアプローチを整える。私たちがやっているのは、一言でまとめるとそれだけですが、お年寄りは元気になってくれます。
」(p.294)

うちの施設では、さすがにそこまでのことはやりませんが、けれども考え方はそれに近いものがあります。いかにお年寄りを扱いやすくするか、という発想です。
これには、仕方がない面もあります。そうしないと、他に手が回らないから。

何が問題なのでしょう? 人手が足りないのでしょうか? だったら、給料をもっと高くすればいいのです。でもそうすると、会社経営が続けられない。ならば施設の利用料を高くするとか? そうすると利用者が減って、やはり会社経営が成り立たない。
また、介護保険制度というものによって、施設側が受け取れる金額もある程度制限されてしまっているようです。したがって、それ以上のサービスを求めるなら、介護保険を使わずに、自費で介護を受けなければならず、それでは高額になってしまいます。介護保険という目安があるだけに、それは利用者としても受けがたい。

こういう問題があると私は思うのですが、この本では、そこまでは語られていません。それでもこの「あおいけあ」では上手くやっている。それが事実なのでしょう。


実際のところ、一介護士という立場で、すぐにどうこうできないことは多々あります。
著者の加藤さんも、最初は特養で働かれたそうですが、老人を押さえつけるだけの介護に幻滅して辞め、自分の理想を実現するために「あおいけあ」を作ったそうです。
事業者がこういう想いを持っていなければ、介護が変わることはないのかもしれませんね。

けれども、それだけではないと思います。施設に預ける家族の認識が変わらなければ、やはり責任問題はつきまといます。
もちろん、施設側がしっかりと家族に説明し、受け入れてもらえないなら入所させない、という覚悟があればいいのでしょうけれど。

また、介護職の認識も変わる必要があるでしょう。ただ決められた作業をこなすことが仕事ではなく、利用者様に喜んでもらい、元気になってもらうことが仕事なのだと。
そういう意味では、「あおいけあ」のようにマニュアルがないとか、作業指示書のようなやるべきことがない、という仕組みづくりも大切かもしれませんね。

いずれにせよ、一介護士がすぐにできることではありません。そういう考え方を施設内に広めるために、機会を見つけてそういう話をすることはできるでしょうけど。
でも、諦めたくはない、という気がしています。何ができるかはわかりませんが、今、できる範囲で、自分にできることをやりたい。そんな気持ちになっています。

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2022年02月13日

嫌われた監督



吉江勝さんメルマガで紹介されていた本を読みました。吉江さんがそこまで勧めるなら、読まない手はないでしょう。
しかし、注文した本が届いて、少し後悔しました。だって500ページ近くある分厚い本だったのですから。ただでさえ積ん読状態の本がたくさんあるのに、これを読み終えるのにどれだけ時間がかかることか…。
しかし、その心配は杞憂でした。ぐいぐいと引き込まれるノンフィクション小説のような書き方で、アッと言う間に読み終えてしまいました。(ただし、この紹介記事を書くのに相当に手間取りましたが。(汗))

そして吉江さんと同様、読みながら感動し、時に涙しました。人生というのは、本当にドラマだなぁと思いました。
著者は日刊スポーツ新聞社の記者として落合監督を8年間見てきた鈴木忠平(すずき・ただひら)氏です。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
なおこの本は、全12章になっており、それぞれのその章の中心人物が設定されています。つまり、その人の視点を中心に話が展開する中で、監督・落合博満がどういう人間なのか描き出そうとしているのです。

現役時代の落合には、球団との契約交渉の席で年俸を不服とするなど金銭闘争のイメージがあったからだろうか。それとも七年の在籍後、導入されたばかりのフリーエージェントの権利(FA権)を行使して、よりによってライバルである巨人へ移籍したからなのか。
 厄介者や裏切り者を見るような視線はあっても、なぜか球団からもこの街からも、かつての四番バッターへの郷愁はほとんど感じられなかった。
」(p.23)

低迷していた中日を立て直す監督として、落合博満氏が選ばれた時、街にもチームにも記者団にも歓迎ムードがなかったのだそうです。それはかつて一斉を風靡した星野仙一監督と比較すると、雲泥の差があったのだと。


落合が出た。前置きはなかった。
「二〇〇四年の開幕投手は川崎、お前でいくから−−」
 落合はさも当たり前のことを話すような、平坦な口調で言った。
 川崎は何を言われているのか、すぐには理解できなかった。思考をグルっとめぐらせてようやく「開幕」とは四月二日、広島カープとの一軍のオープニングゲームのことなのだと受け止めた。ただ、言葉の意味としては理解したものの、頭はまだ、疑問符で埋め尽くされていた。
 四十人ほどの投手がチームにいる中で、なぜ一軍で三年間も投げていない自分が開幕投手なのか? なぜ、なぜ……。
 落合の意図は読めなかった。
」(p.27)

就任した年、落合監督は誰も首を切らないと言って、現有勢力だけで1年を戦いました。それは、チームのメンバーを大切にしたかったからと言うより、どういう人材なのかを探ろうした感じでした。その証拠に、シーズンオフになると、二軍も含めて多くのメンバーに戦力外を通告したのでした。

ともかく意図がわからない。他人からすると、落合監督が何を考えているかわからない。そういう得体の知れないものを、落合監督は持っていたのです。

ある時は不良債権と呼ばれていた元沢村賞投手に死に場所を用意し、優しい嘘を口にする。しかし、ある時には、チームスタッフすら信用せず、隠密裡にリトマス紙にかけ、疑いのある者を容赦なく切り捨てる。
 一体、どれが本当の落合さんなんだろう……。
」(p.57)

落合監督は、その真意を説明するということをほとんどしませんでした。あえて隠していたと言えるかもしれません。


落合は私の動揺など気にもしていないかのように言った。
「ここから毎日バッターを見ててみな。同じ場所から、同じ人間を見るんだ。それを毎日続けてはじめて、昨日と今日、そのバッターがどう違うのか、わかるはずだ。そうしたら、俺に話なんか訊かなくても記事が書けるじゃねえか」
 落合はにやりと笑うと、顔を打撃ケージへと向けた。
」(p.74)

落合監督には、選手の本質を見抜く力があったと思います。何ができていて何ができていないのか。どうすればもっと良くなるのか。他の人が見えないことを、しっかりと見抜いていたと思うのです。
そのコツが定点観測にあったようです。実際、落合監督は、ベンチでも同じ場所から動かずにゲームを見ていました。練習でも、毎回毎回同じ位置から見ることで、変化を見つけていたようです。

私は落合という人間がわからなくなっていた。
 ともに戦う男たちにさえ冷たく一線を引いたかと思えば、突然ひとりの選手を捕まえて、血を注ぎ込むかのようなノックを打つ。
 情報を閉ざし、メディアを遠ざけたかと思えば、不意に末席の記者の隣にやってきて、ヒントめいた言葉を残していく。
」(p.81−82)

おそらく誰にも、落合監督の真意などは理解できないのでしょう。けれどもそれは、彼の気まぐれが原因ではなく、目的が理解できていないからのように思います。
森野にノックをしてサードに起用したのは、立浪の衰えを見て取ってのことでした。ただそれは、立浪を切り捨てたのではなく、競わせたのかもしれません。森野にも期待をし、チャンスを与えたのかもしれません。どこまでわかっていて、何を狙っていたのか、それは落合監督にしかわからないのです。

「なぜ、自分の考えを世間に説明しようとしないのですか?」
 落合は少し質問の意味を考えるような表情をして、やがて小さく笑った。
「俺が何か言ったら、叩かれるんだ。まあ言わなくても同じだけどな。どっちにしても叩かれるなら、何も言わない方がいいだろ?」
 落合は理解されることへの諦めを漂わせていた。
」(p.96)

説明しても、必ずしも同じくらいに理解してくれるわけではない。人は誤解するものだし、都合よく解釈するものだから。
落合監督は、そういうこともよくわかっていたのでしょう。

あの立浪さんが泣いている……。
 不思議な気持ちだった。何事にも貪欲になれなかった自分も、すべてを手にしたような立浪も、今、目の前にあるひとつのポジションを巡って激情を露わにしている。涙するほどに心底を滾(たぎ)らせている。
 そうさせたのは、落合が無表情で振るったひとつのタクトだ。
 プロ野球で生きるというのは、こういうことか……。
 森野は少しだけわかったような気がした。
」(p.112)

結果的に立浪からサードのポジションを奪った森野。しかし立浪は諦めたわけではなく、死にものぐるいで代打の切札というポジションを勝ち取った。
それを落合監督が最初から狙って采配したのかどうかはわかりません。しかし、それぞれがそれぞれの思いの中で、プロとしての意地を見せることで、こういう結果に収まって行ったのです。


席上で、落合は二つの要請を受けた。
 ひとつは、この球団が五十年以上も手にしていない日本シリーズの勝利であった。この時点で中日は十二球団のうち、もっとも長く日本一から遠ざかっていた。
」(p.158)

落合監督になってリーグ優勝したり、優勝に絡むようになってきた中日。しかし、日本一にはなれなかった。
球団は、落合監督の契約を更新し、日本一になることを求めたのです。そして、ナゴヤドームのスタンドを満員にすることも。

落合は勝つことで全てを解決しようとしていた。矛盾するような二つの命題を抱えて、新しい二〇〇七年シーズンを迎えようとしていた。
 その裏で、長嶋を含めて五人のコーチがチームを去ることになった。
」(p.159)

2006年にリーグ優勝したのに、そのオフにクビを切られるコーチたち。憤慨した人も多かったようです。
血も涙もないのか? そう思われてしまう落合監督の采配には、この契約内容が影響していたようです。
日本一になるには、もっと強くならなければならない。そのためには、温情をかけていられなかったのでしょう。

「強いチームじゃなく、勝てるチームをつくる」
 落合はこのシーズンを迎える前に、そう言った。
 三年かけて理想のチームができたかに思えたが、日本シリーズで敗れ去った。新たに契約を結び、血を入れ替え、より勝つことに特化したチームをつくろうとしたが、今度は歯車が噛み合わない。一方で周囲からは、勝っても「つまらない」という声が聞こえてくる。プロセスと結果の天秤はいつも釣り合わないのだ。
 落合を取り巻いているのは、勝負における矛盾だった。自らの信じる答えと現実に生まれ出る解との齟齬(そご)である。
 それでも、落合が答案用紙を書き換えることはないはずだ。落合は私に言った。
「もし、それが間違っていたとしても、正解だと思うから書くんだろう?」
」(p.170)

何かを選択するということは、他の選択肢を選ばないということ。どれが正解かなど誰にもわかりません。わかるのはただ、選んだことで望む結果が出るか、それとも出ないか、ということだけ。
2007年は2位となってリーグ優勝を逃しました。しかし、その年から始まったプレーオフによって日本シリーズに進出したのでした。


この決断に味方はいない……。
 それだけは、はっきりとわかった。もし、このイニングに失点するようなことがあれば、もし、この試合に敗れるようなことがあれば、想像を絶するような批判に晒(さら)されるだろう。あるいは永遠に汚名を背負っていくことになるかもしれない。
 落合はそれを覚悟した上で答えを出した。そして、森も運命をともにすると決めたのだ。
 森は球審から受け取った真新しいボールを握ったまま、マウンドで岩瀬を待っていた。
」(p.207)

落合監督のことを語る上で、この2007年の日本シリーズでの試合のことを忘れるわけにはいきません。
3勝1敗で迎えた第5戦。相手投手はエースのダルビッシュ。中日は伏兵の山井。しかし、2回に運良く犠牲フライであげた1点を守って、中日リードが続いていました。しかも、山井は日本ハム打線をパーフェクトに抑えていたのです。
中日には、抑えの守護神、岩瀬がいました。これが最終戦であれば、岩瀬を抑えにという判断も十分に考えられたでしょう。しかし、これまで誰も成し遂げたことのない日本シリーズでのパーフェクトがかかっていて、しかも3勝1敗とリードしているのです。

森繁和コーチは、投手コーチとして落合監督から全面的に任されていました。その森コーチが交代を決断し、落合監督も同意しました。

不安げにストッパーとなった岩瀬は森の想像を遥かに超えていった。セーブを積み重ね、やがて日本記録を塗り替えるような投手になっていくなかで、森が抱いていた危惧は、ある種の畏怖に変わった。
 酒を飲まず、いつも不安を抱えて、一体どうやって精神を保っているのか。常に明日のこと、次のマウンドを考えながら蒼白になっている。そんな日々になぜ耐えられるのか。岩瀬の心は俺には計り知れない……。
 共に闘い、グラウンドの上のすべてを共有しているはずなのに、心の奥に他者と隔絶した領域がある。そういう部分で、岩瀬と落合は通じていた。
」(p.213-214)

休みの日でも野球のことを考え続け、野球から抜け出そうとしない落合監督。それと岩瀬投手の考え方は、似たものがあったようです。

山井を代えたのは落合だった。確信的にそうしたのだ。
 それと同時に、私の前にいる落合は限りなく人間だった。最初から冷徹なマシンのように決断したわけではなかった。血が通っている限り、どうしようもなく引きずってしまうものを断ち切れず、もがいた末にそれを捨て去り、ようやく非情という答えに辿り着いた。
「監督っていうのはな、選手もスタッフもその家族も、全員が乗っている船を目指す港に到着させなきゃならないんだ。誰か一人のために、その船を沈めるわけにはいかないんだ。そう言えば、わかるだろ?」
 落合はそこまで言うと、また力のない笑みに戻った。
」(p.238-239)

これまで日本シリーズで勝てなかったのは、監督である自分の甘さに責任があった。落合監督は、そう考えていたのです。
2004年のシリーズでは、その年に頑張ってきた岡本投手を代えようとしたものの、温情にほだされて代えられず、結果的に負けてしまいました。そのことが、落合監督には悔いとして残っていたのです。


「稲尾さんのいないロッテにいる必要はない……」
 それから落合は球団を渡り歩いた。球界最高年俸を条件にバット一本でさすらう優勝請負人。それが世間のイメージになった。その裏で落合は理解者たる指揮官を求めているようでもあった。星野仙一に請われて中日へ、長嶋茂雄のラブコールで巨人へ。稲尾の幻影を追っているかのようでもあった。
」(p.240)

変わり者とされていた落合監督。その選手時代に、自分を認めて受け入れてくれたのが稲尾監督でした。落合監督は、人情にほだされて、その指揮官のためなら死をも顧みない武士のような人だったのかもしれません。


大勢の人間が唱え、当たり前のように跋扈(ばっこ)する正義とは本当に正しいのだろうか? そもそも、万人のための正義などあるのだろうか?
 ここのところそんなことを考えるようになっていた。そして、それは落合と接しているためではないだろうか、と感じていた。
 なぜなら落合はいつも、正義と決められていることと、悪と見なされていることの狭間に石を投げ込み、波紋を広げるからだ。おそらく意識してのことではないのだろうが、その賛否の渦に日々触れていると、正しいとか正しくないとか、そんなことはどうでもいいような気がしてくるのだ。
」(p.246)

悪人には悪人の正義がある。落合監督は、世間の「正しさ」を鵜呑みにせず、それを疑った上で、自分の「正しさ」を模索していたのでしょう。

「俺はいつも人がいる場所で、下を向いて歩くだろう? なんでだかわかるか?」
 唐突なその問いに私は返答できなかった。ただ、思い浮かべてみれば確かにそうだった。落合は球場であれホテルのロビーであれ、世の中の目に晒されるときは、あえて視線を落として歩いているようだった。多くの人々を見渡して、手を振ったりすることはほとんどなかった。プロ野球のスターとして生きてきた人間としては随分と不思議な行動だった。
「俺が歩いてるとな、大勢の人が俺に声をかけたり、挨拶したりしてくるんだ。中にはどこかの社長とか、偉い人もいる。でも俺はその人を知らない。それなのに後で『落合は挨拶もしなかった。無礼な奴だ』と言われるんだ。最初から下を向いていれば、そう言われることもないだろうと思ってな」
 落合はさも可笑しそうに言った。
」(p.262−263)

落合には、自分が他人の望むように振る舞ったとき、その先に自分の望むものはないということがわかっているようだった。それは、あらゆる集団の中のマイノリティーとして生きてきた男の性(さが)のようでもあった。」(p.263−264)

他人の期待に応えるということは、自分の期待に応えることに反する。自分に正直に生きようとするなら、他人の期待を裏切る必要がある。落合監督は、そういうことがわかっていたのかもしれません。


雇用の保障されたサラリーマンならいざ知らず、球団と契約したプロ選手を縛るものは契約書のみであるはずだ。契約を全うするためにどんな手段を選ぶかは個人の責任であるはずだと、落合は言った。
 それなのになぜ、当たり前のことを言った自分がこうも非難されるのか。
 落合はグラスを手にそう語った。目に涙が浮かんでいた。
」(p.371−372)

星野監督に見初められて中日に入った落合選手でしたが、星野監督との考え方の違いからぶつかるようになったのです。
公然と監督批判をした。そうマスコミに書かれて、最後は罰金と謝罪に追い込まれた。けれども、それによって星野監督から離れた環境で調整してシーズンを迎える自由を得たとも言えるのです。

こういう出来事も、監督になってからの言動に影響していると言えそうですね。


落合は遠くを見たまま、ふっと笑った。
「別に明日死ぬと言われても騒ぐことないじゃないか。交通事故で死ぬにしても、病気で死ぬにしても、それが寿命なんだ」
 何かを暗示しているような言葉だった。
」(p.382)

球団のオーナーが代わって、監督を続けられないかもしれない。そう思われていたころ、落合監督はすでにそれを覚悟していたかのようでした。


荒木にも他のどの選手に対しても、落合は「頑張れ」とも「期待している」とも言わなかった。怒鳴ることも手を上げることもなかった。怪我をした選手に「大丈夫か?」とも言わなかった。技術的に認めた者をグランドに送り出し、認めていない者のユニフォームを脱がせる。それだけだった。」(p.426)

おそらく人一倍人情家だった落合監督は、その人情を自分の弱点と考えて封印し、非情に徹したのだろうと思います。ただ「勝つ」ために。それが契約であり、自分に課せられたことだったから。


おそらく、嫌われたのだ−−。
 結果がすべてのプロの世界で、結果を出し続けている指揮官が追われる理由はそれしかないように思えた。
 落合は自らの言動の裏にある真意を説明しなかった。そもそも理解されることを求めていなかった。だから落合の内面に迫ろうとしない者にとっては、落合の価値観も決断も常識外れで不気味なものに映る。人は自分が理解できない物事を怖れ、遠ざけるものだ。
 落合は勝ち過ぎたのだ。勝者と敗者、プロフェッショナルとそうでないもの、真実と欺瞞、あらゆるものの輪郭を鮮明にし過ぎたのだ。
」(p.427)

いよいよ落合監督が辞めることが明らかになった時、その理由はみんなから嫌われたから、と言うのがもっとも核心をついていると思われたのです。
契約では勝つことを求められ、それを十分に達成したけれども嫌われる。もちろん、嫌われたからと言って契約を破棄する理由にはなりませんが、継続しない理由にはなるのです。


中日は、落合が去ると決まった九月二十二日から勝ち続けていた。優勝を決定づけたこの夜まで十五勝三敗二分−−ドラフトという共通の入口によって戦力が振り分けられるようになった現代プロ野球では、ほとんど目にすることのない数字だった。
 その間、淡々と戦うことを矜持(きょうじ)としていたはずのチームは異様な熱を発し続け、最大で十ゲーム差をつけられていたヤクルトに追いつき、抜き去り、突き放してしまった。
」(p.444)

チームが敗れたにもかかわらず球団社長がガッツポーズをした−−もし、それが本当ならば、そこから透けて見えるのは、優勝が絶望的になったことを理由に落合との契約を打ち切るという反落合派のシナリオである。
 落合はその行為に対する反骨心が、現実離れした戦いの動力源になったというのだ。
「あんた、嫌われたんだろうねえ」
 室内の沈黙を破るように、隣にいた夫人が笑った。
」(p.447)

そして私を震えさせたのは、これまで落合のものだけだったその性が集団に伝播していることだった。
 いつしか選手たちも孤立することや嫌われることを動力に変えるようになっていた。あの退任発表から突如、彼らの内側に芽生えたものは、おそらくそれだ。
」(p.447-448)

「俺がここの監督になったとき、あいつらに何て言ったか知ってるか?」
 私は無言で次の言葉を待った。
「球団のため、監督のため、そんなことのために野球をやるな。自分のために野球をやれって、そう言ったんだ。勝敗の責任は俺が取る。お前らは自分の仕事の責任を取れってな」
 それは落合がこの球団にきてから、少しずつ浸透させていったものだった。かつて血の結束と闘争心と全体主義を打ち出して戦っていた地方球団が、次第に個を確立した者たちの集まりに変わっていった。
」(p.449)

いつしか選手たちは、落合監督の影響を受けていたのですね。そしてプロの選手として立派に育っていた。
こうして、優勝チームの監督が退任するという解任劇が行われたのです。

しかし、落合監督が蒔いた種は、着実に芽を出して育っていました。ですから、もうこれ以上そこに留まる必要性がなかったのかもしれません。


「ひとつ覚えておけよ」
 そう言って、落合は私を見た。
「お前がこの先行く場所で、俺の話はしない方がいい。するな」
 私はなぜ落合がそんな話をするのか、飲み込めなかった。
 落合はそれを察したように続けた。
「俺の話をすれば、快く思わない人間はたくさんいるだろう。それにな、俺のやり方が正しいとは限らないってことだ。お前はこれから行く場所で見たものを、お前の目で判断すればいい。俺は関係ない。この人間がいなければ記事を書けないというような、そういう記者にはなるなよ」
 言い終わると、落合は再び窓の外に視線を戻し、空を見ていた。
 私は黙って頷いた。
 落合なりの別れの言葉なのだろうと受け止めていた。
」(p.470-471)

他の人に頼って生きるのではなく、自分を頼って生きる。それが落合監督が示してきたことであり、そうやって選手たちを育ててきたのでしょう。


誰からも理解されなかったし、多くの人から嫌われた監督。それでありながら選手たちを育てて独り立ちさせていった監督。チームとしても勝ちを重ね、何度も優勝に導いた監督。それが落合監督でした。
しかし、だからと言って栄光の最後が用意されているわけでもありません。これだけのことをやったのに、解任されるという結果になったのですから。

けれども落合監督は、自分の生き方に誇りを持っていたのでしょう。自分らしく生きたという満足感もあったでしょう。
そして、自分はこういう生き方をしたけれど、それだけが正しいわけではなく、人には人の正しさがあることもわかっていた。だから他人に共感されることも求めなかった。

寂しい人生に見えるかもしれませんが、私は「美しい」と感じます。私も、こういう生き方をしたいなぁと思うのです。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:45 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月24日

私は私



久しぶりに斎藤一人(さいとう・ひとり)さんの本を読みました。一人さんの新刊が出ると知って、予約購入したものです。

最近は「ふわふわ」というキーワードが重要だ、というようなことを話されているようです。本書にも、それについて書かれた部分がありました。
以前は「ツイてる」というキーワードが重要だと言われてましたが、時代が少し変わってきたようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

あなたには、あなたにしか出せない愛がある。
 一人さんには、一人さんなりの愛がある。

 ただ個性を出せばいいわけじゃない。
 個性に愛をのせ、あなただけの豊かな愛の表現をすること。
 それが「私は私」です。
」(p.2)

ある時ふと、「私は私」というメッセージが降りてきたのだそうです。それが本書のタイトルです。
その意味を、一人さんはこのように語っています。

なお、一人さんは自分のことを愛し、敬意を払っておられるので、自分を「一人さん」とさん付けで呼ばれています。これも有名な話ですよね。それに習って私も、「アカさん」と呼んでいますがね。(笑)


この世界は「違う」ことが当たり前で、「違い」しかありません。
 なぜ1つひとつ違うのか答えられる人はいないと思うし、それは一人さんにもわかりません。
 ただ、神様がそういうふうに決めてくれているんだろうね。
 神様のすることに間違いはないから、なにかそうしなきゃいけない理由があるんだろうと思います。
 みんな違っていいし、すべての違いはそれが必要だから存在している。違いが求められ、違いを認めて活かすことで世界は生成発展していく。
 そんなふうに、どんな違いにも重要な意味があるんじゃないかなって。
」(p.13)

その必要性がどんなものかはわからなくても、この世がこうであるにはこうであるべき理由があるのだ、という確信を持たれています。
実際、すべてのものは似てはいても個々違います。それぞれに特徴があります。雪の結晶でさえ、一つひとつ違うと「神との対話」でも言っていますから。

ですから、違っていて当然だし、違っていていいのです。一人さんは、そういう「違い」を大切にしてきたそうです。

どう見たって欠点にしか思えないような要素でも、それは間違いなくあなただけの宝物だし、ぜんぶあなたの素敵な個性です。
 どんな外見だろうが性格だろうが、あなたにしか持てない、この宇宙にたったひとつの宝石なんだ。
 いまはまだそこに磨きが足りていない「原石」なだけで、磨けばびっくりするほど輝きを放つようになる。
 その輝きに、癒されたり救われたりする人がたくさんいるの。
」(p.17)

欠点というのも個性なのですね。だから欠点をなくそうとするのではなく、それを個性だと受けとめ、磨くことが大切なのだと一人さんは言います。
たとえば飽きっぽいというのも、見方を変えればあれこれ関心を示す好奇心旺盛だとも言えるわけです。怒りっぽいも、正義を貫こうとする情熱が強いとも言えます。
だからその個性の良い面を見て、そこを活かすようにしていけばよいのです。


いまの自分でいい、このままでいいっていう安心感がないと、誰かと比べては落ち込み、がんばっても思いどおりになれない自分に絶望するだけなの。
 そういう人はなんでもいいから、まずはひとつ、自分のダメなところをゆるしてごらん。自分を無理に捻(ね)じ曲げようとせず、「それでもいいよね」って自分を認めてあげることだよ。
」(p.25)

もっと自分に優しくしなさいと「神との対話」でも言っています。ありのままの自分を受け入れることは、自分を愛することですから。


そうやって荒削りの個性を磨いたとき、あなたはあなたにしか出せない愛を放つ。
 それが「私は私」っていう言葉のほんとうの意味です。
 世の中では、自分らしさを勘違いしている人も多いけど、自分らしさってたんに個性を丸出しにすればいいわけじゃない。
 あなたにしか出せない愛を出すことなんだ。
」(p.29)

最初にも書かれていた内容ですが、ここでは具体的な個性の磨き方を示した上で、同じようにまとめています。
たとえば、人のアラ探しばかりしてしまう人なら、観察力が高いのですから、その観察力を人の良いところを探す方向で使えばいいのです。その転換をさせてくれるものが「愛」なのですね。

深い慈愛で光り輝く神様がこの体のなかに存在するのだから、愛のない人がいるわけがない。
 いくら愛がないように見える人でも、それは愛を忘れているだけで、愛を思い出せばいつだって愛の光で輝き出すんだよね。
 そのために、個性を磨くの。
 個性を磨くって、曇りかけている愛を磨いて光を取り戻すってことなんです。
」(p.30)

愛のない人はいない。ただ愛を忘れているだけ。一人さんはそう信じて疑わないようです。
「神との対話」でも、私たちの本質は神そのものであり、神であることを忘れているだけと言っています。通じるものがありますね。


それと愛の場合、ベースに「手伝ってあげたら相手が喜ぶかな?」「こんなふうに言ったら嫌な気持ちにならないかな?」っていう、受け取る側に寄り添う気持ちがあるものなんです。
 だから、相手がどう受け取るか考えながら行動するし、もし相手にちょっとでも不快感を与えてしまったと感じたら、すぐに謝って言動を改めるんだよね。
」(p.41)

愛は義務感でもないし、下心もないと一人さんは言います。ただ相手に喜んでもらいたい。だから、自分の思いを否定されたとしても、相手を恨んだり責めたりすることはないのです。
実際、相手がどう感じるかは相手次第ですから、どのやり方が正しいかどうかなんてないのです。強いて言えば、相手が喜ぶやり方が正しい。相手を喜ばせるという目的に適っているという意味で、正しいのです。


だからあなたはただ、愛の押し売りに屈しなければいい。
 愛の押し売りをされたときは、徹底的に拒否しなきゃいけないし、嫌なものは嫌だと言えばいい。
 それが相手への愛だし、もちろん自分への愛でもあるよね。
」(p.53)

いくら動機が良かれと思ってのことであっても、愛は押し売りをしません。ですから、押し売りするならそれは本当の愛ではないのです。
そして、自分を愛するのであれば、自分が要らないと思っている愛の押し売りは拒否すること。それが自分への愛であり、ひいては相手への愛になるのです。

一人さんは、はっきりと「ノー」と言うことを勧めていますが、どうしても角が立つことが気になるなら、馬耳東風で聞き流すのが良いとも言っています。いつかは相手も諦めるでしょうからね。


私たちは、もともと愛と光の存在です。
 いろんな常識や観念にとらわれて愛の出し方を忘れている人でも、愛の出し癖さえつけたら、いくらでも愛は出せるようになるの。
 なにも特別なコツなんていりません。失敗しながらでも出しているうちにどんどんうまくなるし、大きな愛が出せるようになるから。
 という意味で言えば、愛を出すコツがあるとしたら、あきらめないで出し続けることだろうね。
」(p.75)

考え方というのは習慣なのです。その習慣を変えるには、つまり新しい習慣を身につけるには、失敗しながらも繰り返すことです。自転車に乗るのと同じですね。


自分の意見をはっきり言えない人ってけっこういるんだけど、遠慮してると、自分が苦しくなるんです。
 はっきり言うと角が立つとか、相手に嫌われるとか心配するんだけど、一人さんに言わせると、そんなことであなたを嫌うくらいなら、もともとその程度の関係だったんだよね。
」(p.83)

人間関係においては、こういう割り切りが大事だと思います。そうでもしなければ自分に正直になれないし、自分に正直になれないということは自分を愛せないということですから。

我慢に我慢を重ねて完全に相手を嫌いになってしまったら、その気持ちは必ず相手にも伝わるし、お互いに嫌な気持ちになるよ。憎み合うことになる。
 そのほうが、よっぽど角が立つでしょ?
 だからこそ、もっと軽い気持ちで自由に離れたり近づいたりすればいいんだよ。
」(p.85)

友だちだからとか家族だからというような他人の価値観で自分を縛り、自分に正直になれなかったら、自分が苦しくなるし、その我慢に我慢を重ねた上で爆発すれば、相手だっていい迷惑です。爆発する前に、さらっと本音を言った方がいいんですって。


だから、あなたが誰かを変えたいと思ったときは、あなたがいま以上にじゃんじゃん愛を出せばいい。
 そしてその姿を、変えたいと思っている人に見せたらいいの。
 相手があなたのことをかっこいいとか、素敵だと思ってくれたら、あとは勝手にあなたの真似をし始めるからね。
」(p.91)

他人をもっと素晴らしい人に変えたくて、いろいろアドバイスしたって無意味です。その人自身が変わりたいと思わなければ、絶対に変わりませんから。
だから、自分にできることはアドバイスすることじゃなく、見本(手本)を見せることなのです。子育ても同じですね。


経営者って、
「従業員のみんなは楽しく仕事ができているだろうか?」
「取引先のj会社に無理をさせていないだろうか?」
「お客さんは喜んでくれるだろうか?」
 って、隅々まで気配りができるの。
 いつもみんなに喜ばれる方法、みんなに優しい道について考えている。
」(p.110)

私自身も経営者だったことがありますが、どこまでこういう考えを持っていただろうかと思うと耳が痛いですね。上手くいかないと、つい他人のせいにしてしまうことが多々ありました。


意志はいつだって自由に変えていいし、本来そういうものなんです。
 一瞬で形を変える雲みたく、ふわふわで軽やかなのが意志なの。わかるかい?
 この、本来の意味を取り違えているから、意志って聞くだけでみんなガチガチなものを想像しちゃうけど、意志は別に貫き通すようなものじゃないよ。
 その視点で言えば、愛が大きくなるのに比例して、意志はますます軽やかになるだろうね。
 なぜなら、自分にもほかの人にも自由をゆるすのが愛だから。
」(p.117)

意志は強いのが良いとか、固いのが良いと思われがちですが、一人さんはそうではないと言います。それは、過去の自分の決断にさえとらわれないという自由こそが、愛だからなのですね。
「神との対話」でも、愛は自由だと言っています。今ここに生きるなら、その時の意志を尊重することが自由であり、愛なのです。


こういう大事な決断は、自分の気持ち以外のことで判断してはいけないんだよ。
 まわりの目や常識を気にして自分の気持ちを押し殺してしまうと、ことあるごとに「あのとき貸したお金があればなぁ」って悔しさがよみがえってきたりして、結局後悔するの。
 つまり、あなたからずっと負の波動が出続ける。
」(p.119)

大事な人からお金を貸してと言われた時、常識や世間体など、他人の価値観で判断してはいけないのです。今の自分にできないことなら、「できない」とはっきりと断ることですね。それもまた愛なのです。


愛があるから会社も成功するし、人生もうまくいく。
 そんな背景から考えると、一人さん流のキャリアは「愛のキャリア」ってことになるんだろうね。
 じゃあ愛のキャリアとはなんですかって、簡単に言うと「気づき」だよね。
 魂が成長するような気づきを重ねることで、愛のキャリアも積み上がる。
」(p.123)

経験を重ねることで気づきが得られます。その気づきによって、より愛に近づいていける。これが愛のキャリアであり、愛のキャリアを積めば、すべてが上手くいくようになると一人さんは言うのです。


最近、一人さんは「ふわふわ」という言葉をみんなにお伝えしているんです(※)。
 簡単に説明すると、この言葉を声に出してつぶやいたり、心のなかで唱えたりすると、言霊(言葉に宿るエネルギー)の力で心が軽くなって愛が膨らむよ。神様から応援してもらえるよってことなんだけど。
 なぜ唱えるだけでそんな不思議なことが起きるのかというと、「ふわふわ」という言葉が時代を象徴しているからです。「ふわふわ」はこれからの世の中を表す言葉だし、いまの時代に必要なムードを意味するからこそ、ものすごく大きなエネルギーがのっているんだよね。
 だから実際にやってみてもらえるとわかるけど、ただ「ふわふわ」って言うだけなのに心が軽くなる。いいことがいっぱい起きるんだよね。
」(p.134−135)

物事を深刻に考えたからと言って上手くいくわけではない。むしろ軽く考えて、解決手段を委ねてしまった方が良いアイデアが浮かんだりして上手くいく。そのために「ふわふわ」と唱えるといいよとのことです。

これが本当かどうかは何とも言えません。おそらく一人さんにも説明できないのでしょう。けれども、やってみて損することでもないので、思いついた時は「ふわふわ」と言ってみてはどうですかね。

たとえば、自分や大切な人に深刻な病気が発覚したとするでしょ?
 そのときに、慌てふためいて「どうしよう、どうしよう」ってパニックに陥るのと、「大丈夫、大丈夫。どうせうまくいくから」って明るく考えるのとでは、その後の病状って絶対に違ってくると思うんです。
 心をふわふわに軽くして、うまくいくから大丈夫、なんとかなるって思っていると、不思議だけど、ほんとうに現実もそうなる。
」(p.137)

波動の法則から言えば、暗い波動を出せば暗い現実になるのは自然の流れだし、明るい波動を出せば、いつも明るい現実が引き寄せられる。ごくごく当たり前のことなんだよね。」(p.142)

「引き寄せの法則」的には、まさにそういうことですね。ただ、それでも上手くいかないこともある。そういう結果も受け入れる覚悟が大事だと、私は思っています。
その覚悟がなければ、テクニックとしてこういう「引き寄せの法則」を使おうとするので、動機が不安(恐れ)のままだからです。執着心が残っているので、結果は上手くいったりいかなかったり、ということになるかと思います。


「ふわふわ」という言霊の使い方として、一人さんは面白い使い方を1つ示していました。これ、最幸です!

たとえば、ものすごく腹の立つことがあるとするじゃない。誰かにムカついたり、イラッとしたり、そういうときにはこう言えばいい。
「バカヤロー! ふわふわ〜♪」
「クソジジィ、いい加減にしろ! ふわふわ〜♪」
 こんなふうに、怒りの反射でつい荒っぽい言葉を使っちゃったときなんかは、お尻に「ふわふわ〜♪」って添えるの(笑)。
」(p.144−145)

これは面白いですね。私もさっそく使ってみようと思います。


だから一人さんは、どんなピンチに陥っても笑い飛ばしたし、あらゆる問題を笑ってる間に解決してきたの。大したことないと思っていれば、ほんとうに大したことない状況になるんだよね。」(p.147)

現実を深刻に捉えないだけでなく、その状況を笑い飛ばすことですね。人生は楽しむことです。何があろうとも。


というか、そもそもこの地球上では、いくら自分の過去世を知りたくても、それを知る確実な術(すべ)はないでしょ?
 つまり「地球では、不思議なことを詳細に知る必要はない」というのが神様の意向なんだよね。肉体を持って生きているあいだは、そういうのを知らないほうがいいから、よくわからないようにしてあるんじゃないかな。
 不思議なことは、魂があの世に帰ればぜんぶわかるだろうし、それでいい。私はそう思っています。
」(p.177)

私も同感ですね。スピリチュアルなことを完全に理解しようとする必要はないと思います。だって、わからないように生まれてきているのですから。
今、わかることをわかって、それで生きていけばいい。こういう考え方は、とっても共感しますね。


一人さんの本はどれも、とても読みやすいです。なのでサクサクと読めてしまいます。
それでいて内容が非常に濃い。引用部分もたくさんになりました。

ただ、一人さんの基本的な考え方がわかれば、どれか1冊でもしっかり読み込むことで、多くのものが得られるかと思います。
本書では、「私は私」の意味と「わくわく」という言霊の情報だけでも十分かなと思います。ぜひそのエッセンスを知って、あとは実践していただければと思います。

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タグ:斎藤一人
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 08:35 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月16日

人生最後の日にガッツポーズして死ねるたったひとつの生き方



久しぶりにひすいこたろうさんの本を読みました。本当は、最新の本を予約して買おうと思っていたのですが、オススメに出てきたものを選んで買ってみました。これが大正解! 非常に素晴らしい本でした。

読み終えたあと、「小林正観さんを超えた!」と思いました。ひすいさんは、正観さんの講演を聞いて、見方を変えることの重要性を認識された方ですからね。ある意味で「師を超えた」とも言えるのです。

読みながら、いったい何度、感極まって泣いたことでしょう。話のほとんどは知っている内容です。けれども、ひすいさん独自の切り口で視点を示してくれる内容で、新たな感動があったのです。

もう超絶オススメで、引用したい部分も多々あって、この記事を書くのにどれだけ時間がかかるのだろう、と心配するほどです。でも、それくらい素晴らしいと私が思っていることを、ぜひ知っていただければと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

まず「プロローグ」で、よく使われる話を持ち出しています。壺の中に石をいっぱいに入れて、「これでもう満杯か?」と尋ねるという話です。
ご存知だとは思いますが、「満杯だ」と答えると、そこにさらに砂利を入れていきます。さらに「満杯か?」と尋ね、同様に砂を入れ、最後に水を入れるというもの。つまり、一見すると満杯のように見えても隙間があり、その隙間を埋められるものであれば、後から入れられるのです。
では、この逸話の真意は何なのか?

ひとりの学生が、「どんなに満杯に見えても、努力をすれば、まだまだ詰め込むことができるということですか」と答えると、教授は「そうではない」と。
 さて、教授の真意はなんだったのか……。
「先に大きな石を入れないと、
 それが入る余地は、そのあと二度とないということだ。
 この壺は人生そのものを示している。
 では私たちの人生にとって、大きな石とはなんだろう?
」(p.13−14)

人生にとってもっとも大事なもの、いちばん大切なものを、まっさきに壺の中に入れる、つまりそれに取り組むことが重要だということです。

「一番大事なものに
 一番大事ないのちをかける」
 これは、詩人の相田みつをさんの言葉ですが、
 一番大切なものを、一番大切にしながら生きる。
 それが人生最後の日に、後悔なく死ねる、
 たったひとつの生き方です。
」(p.14−15)

これが本書の結論です。自分にとって一番大事なものは何かを明確にし、そこに自分の命を懸けること。それが「一所懸命」なのですね。

大きな石が決まっている人は、
 やらなければいけないことに追われる人生ではなく、
 やる価値のあることを追いかける人生を送れます。
」(p.16)

命とは時間であり、時間の奴隷として振り回されて忙しく生きるなら、それは命を大切に扱ったことにはならない。そうひすいさんは言います。

つまり、「生きる理由」が明確になっているかどうかが、幸せか否かをわける最重要の要素なのです。」(p.18)

全米心理学会の元会長マチーン・セリグマン氏が説く「幸せ」の3つの要素を紹介し、もっとも重要なのは「生きる意味」、つまり自分の命を懸けられる大事なものだと示します。

では、その「生きる理由」、「自分は何のために生きるのか?」の答えはどうやって見いだせるのか?
ひすいさんは、そのために5つの物語を用意したと言います。それが続く5人の「サムライ」たちの生き様なのです。

その5人とは、吉田松陰、高杉晋作、野村望東尼、ジョン万次郎、坂本龍馬です。
ちょっと違和感を感じませんか? 吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬はわかるとしても、ジョン万次郎は武士ではないし、野村望東尼は女性です。

「サムライ」の語源は「さぶらふ」という動詞です。
「さぶらふ」とは、「大切なものを守る」という意味です。
 自分の命を超えて大切にしたいものを見出し、そこに生きる理由を見出した5人。
 その意味において、この5人を「サムライ」と表現させてもらいました。
」(p.20)

私は、野村望東尼を除いた4人の人生については、他の本などである程度は知っています。なので、野村望東尼には興味を持って、以下の物語を読み進めました。
しかし、知っていると思ったのは、私の思い込みでした。いや、実際は知っていることなのですが、ひすいさんの視点で眺めてみると、「こういう見方があるのか」と驚かされ、その生き様に感動させられたのです。
最初の吉田松陰の話から、もう涙ボロボロです。


まず最初は、吉田松陰の生き様です。

私は、松下村塾のある山口県萩市にほど近い島根県の出身です。松下村塾も何回か観光しました。
そして、縁あって国士舘大学に入学しています。世田谷にある本校の隣には、松陰神社が建っています。日本を護る国士を排出することを目的に創られた国士舘大学。当然、多数の国士を排出した松下村塾にあやかりたいと思ったことでしょう。

私は通学する時、必ず松陰神社に立ち寄って、松陰の墓にお参りしてから大学へ行きました。処刑された松陰が眠る墓。そこで独り静かに松陰と語らいたかったのです。私は遠く及ばないかも知れないけれど、あなたのように生きてみたいと。


松陰は手紙に、このときの自分のことを「飛ぶが如し」と表現し、こう語っています。
「自分の心がそうせよと叫ぶなら、ひるむことなくすぐに従うべきだ」
」(p.34)

黒船に乗り込もうとした松陰の思いです。直感に従う。できるかどうかではなく、やるかどうかだ。
情熱の塊のような松陰の性格がよく表れています。

松陰は、兄にこの日の気持ちを、手紙でこう告げています。
「海外渡航の禁は、徳川一世のことにすぎない。今回のことは、三千年の日本の運命に関係する以上、この禁に、思い患うことなんてできなかった」(『兄梅太郎との往復書簡』)
」(p.37)

規則は守るべきだ、という考え方がありますが、私は必ずしもそうとは思いません。守らないことでより大事なことが為せるなら、守らないという決断もあると思うからです。


けっきょく、海外渡航は失敗に終わります。日本との交渉を進めていたペリーは、幕府の意向を重んじたのです。ただ、松陰たちのアメリカを知りたいという気持ちも理解していたので、減刑を依頼したと言われます。
逮捕された松陰と重之輔は、江戸伝馬町の獄に送られる途中、高輪泉岳寺前で止めてもらい、眠っている赤穂浪士を拝みました。そして松陰は有名な歌を詠んだのです。

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
(こんなことをすれば、僕は捕らわれ、命を落としてしまうことだってあるとわかっている。しかし、この国を守りたいという大和魂は、やむにやまれないのだ)

 自分以上に大切にしたいものがある。
 それが大和魂です。
」(p.45)

松陰たちは極刑を免れ、故郷にある野山獄と岩倉獄にそれぞれ投獄されることになりました。
しかし、過酷な環境の獄生活に耐えられず、金子重之輔は2ヶ月足らずで病死します。享年25歳。最初の弟子を死なせてしまったことで、松陰はひどく嘆き悲しんだそうです。
彼が死に、自分は生き残った。重之輔の死は、松陰に生きる意味を問わせるきっかけとなりました。

どんなに嘆いても過去を変えることはできない。
 しかし、未来なら変えることができる、と。
」(p.48)

悲しみの果てに松陰がたどり着いたのは、その経験を未来に生かすことでした。無駄死にはさせない。その固い決意が、それ以降の松陰を支えていくのです。


とは言え、一生出られないとされている野山獄の中です。そこで生きるしかありません。松陰は腐ることなく読書を始め、他の囚人たちに影響を与えていきます。

たしかに、僕らはもう二度と太陽は見られないかもしれない。
 でも、死のうが死ぬまいが、学ぶしかない。
 知って死ぬのと、知らずに死ぬのは違うんだ!
 そこに人としての喜びがある、と。
」(p.51)

できないことを嘆いて何もやらずにいるとすれば、それは命の無駄遣い。今できることをやる。

牢獄のなかでは、行動は自由にできませんが心は自由です。
 獄なら獄で、できることをすればいい。
 僕らが生きる真の目的は自らの内側(魂)に変容をもたらすことです。
 だから、そこがどこだろうが、何をしていようが、本当は外側の状況は関係ないのです。
」(p.51)

ひすいさんは、いつからスピリチュアリストになったのでしょうか?(笑)
しかし、私もそうだと思います。置かれた環境とか条件がどうかではなく、今、自分がどう生きるかだけが重要なのだと思います。


こうした獄中の態度もあって出獄した松陰は、いよいよ松下村塾を開くことになります。
月謝は無料。身分が低かったり、経済的に苦しい家庭の子どもが通ってきました。
そこで松陰は最初に、「なんのために学ぶのか?」と学ぶ理由を問うたのだそうです。

松陰は「なんのために学ぶのか?」を突きつけて、ひとりひとりに
「立志」(生きる理由)
 ココロザシを立てさせたのです。
「何を目指すのか」よりも、もっと大事なのは、
「なぜ目指すのか」

 なんのためにそれをやるのか?
 なんのために生きるのか?
 つまり、「生きる理由」です。
 それはそのまま、人生を「あきらめない理由」となります。
」(p.54−55)

おそらく松陰は、塾生たちに問うことによって、自分自身にも日々問うていたのだろうと思います。


松下村塾では、先生も生徒もなく対等でした。すべてが学ぶ友。だから互いにさん付けで呼びあったそうです。これは当時、画期的なことでした。

私のことを「僕」、あなたのことを「君」と呼び出したのも、実は吉田松陰が最初です。本来、漢文では僕とは「しもべ」のこと、君とは「主君」のこと。どんな相手だろうが、自分を下において、相手を主君として立てて付き合うために呼び名を開発したのです。」(p.58)

このことはまったく知りませんでした。「僕」「君」という呼び方は、松陰が考え出したものだったのですね。

松陰がこのように上下の区別をなくして対等に扱うという考えに至ったのは、野山獄でのある女性との出会いがきっかけだと言われます。それが高須久子。松陰よりひと回り上の女性です。
久子は、被差別部落民の演奏家を家に呼んでいたことが問題視され、投獄されていました。身分に関係なく平等に接する。それだけで当時は、投獄されるほどの罪だったのです。


わずか2年ほどしか存続しなかった、吉田松陰の田舎の小さな松下村塾から、革命家・久坂玄瑞、高杉晋作を生み出し、伊藤博文、山縣有朋という、ふたりの内閣総理大臣まで排出しています。
 田舎の小さな塾から総理大臣をふたりも出したら、その塾はなんなんだとなりますよね?
 そんな伝説の塾が松下村塾なのです。
」(p.62)

それ以外にも大臣や学長などを多数排出しています。

小さな田舎塾から、目が眩むほどキラ星のごとく偉人を排出しています。
 しかも、塾のリーダー格の人間は明治維新前に、ほとんど戦士しているにもかかわらずです。
」(p.62)

いうなれば、萩市3丁目の皆さまが日本を変えてしまったのです。
 3丁目っていうのはたとえですけどね。
 すべての人に「真骨頂」がある。
 松陰が心からそう信じていたから、3丁目の住人が続々、偉人になっていったのです。
」(p.63)

松下村塾に通ったのは、歩いて通える範囲の身分の低いご近所さんたち。その人たちによって新生日本が創られたということです。


続いては高杉晋作の生き様です。

高杉晋作は、松下村塾の四天王の1人と言われています。残りの3人が次々と死んでいく中、晋作だけが生き残り、松陰の期待がかかります。
しかし、松下村塾としては珍しく名家の息子であり、お家を大事にする責務を感じていた晋作は、容易には松陰のように命を投げ出して生きることができませんでした。

そんな時、晋作は上海へ派遣され、その実情を目の当たりにすることになります。

日本の教養人たちにとって清(中国)は憧れの国でした。漢字や儒教、たくさんの文化の恩恵を受けていたからです。その大国である清が、イギリスはじめ欧米列強に、貿易の主導権を握られて、外国人たちに奴隷のようにこき使われていたのです。」(p.92)

ステッキで殴打されたり、イギリス人しか渡れない橋があるなど、対等に扱われない清の人々。それを晋作は見ることになりました。
当時の日本は、長州藩もそうですが、「攘夷」という外国人を追い出せという考え方がありました。しかし、欧米の実力を知っている勝海舟など、それは無謀だということがわかる人もいました。晋作も、その1人になったのです。

しかし晋作は、中国の惨状を見て、これまで自分を守ってくれた家柄という絶対的な誇りを断ちきり、家を捨て、禄を捨てると決めたのです。
 このときの晋作の気持ちをあらわした一句があります。
「親も妻も 遺して独り 伊勢詣り」
」(p.95)

何か新たなことを始めようとすれば、これまでの何かを捨てる必要がある。晋作は、家族や家を捨てたのです。
しかし、そう簡単には変わらないのが人というもの。これもまた、高杉晋作の愛すべき一面ですね。

何者でもなくなった晋作は、まずは水戸出身の儒学者・加藤桜老のもとを訪ねています。すると、「あなたのような藩に大事にされている人が自分から藩を飛び出すなんて、とんでもない心得違いだ」とたしなめれれ、急に自責の念にかられ反省し、なんと晋作は藩邸にすごすごと引き返しています。」(p.95)

こういう晋作の優柔不断な部分を紹介する本って、滅多にありませんよね。私も知りませんでした。それだけに、晋作の魅力を感じます。
その後、脱藩を決行した晋作でしたが、あっさりと捕まってしまいます。そして投獄されたのが野山獄。そこで奇しくも松陰が過ごした部屋で、晋作は松陰の心と向き合うことになります。

晋作は、松陰の言葉を獄舎の壁に書いて毎日眺めていました。晋作は知らなかったようですが、くしくもそこは野山獄・北局第二舎。10年近い歳月をはさみ、かつては師匠の松陰が同じように読書をしていたまさに同じ牢で、晋作は改めて松陰のココロザシと向き合っていたのです。」(p.99-100)

優柔不断だった晋作が、これ以降は急に精彩を放つようになります。まるで松陰の霊が乗り移ったかのようです。


長州藩は、改革派が粛清されていき、幕府への恭順派が権力を握るようになっていきます。しかしそれでは、日本の未来を潰してしまうことになる。
そこにたった1人で立ち向かうことを決意した男、それが高杉晋作でした。功山寺挙兵。この歴史の転換点とも言える奇跡は、松陰が乗り移った晋作によって始まったのです。

しかし晋作は、もう覚悟が決まっていました。
 幕府軍が15万人いようが、ひとりでもやる!

 もう、これは狂ったとしかいえません。
 しかし、これぞ吉田松陰から受け継いだ狂気の精神です。
 常識では時代は動かない。
 突破すべき一点に向けて狂う。
 いまこそ狂うときだ。
」(p.108−109)

狂うとは、現実を現実と見ないこと。結果を気にしないこと。ただやるべきことにのみ情熱を注ぐこと。
ドン・キホーテ。ラ・マンチャの男の生き方とは、まさにそうではないでしょうか。他人からすれば、常識のないバカ。でも、そのバカが歴史を動かすのです。

やる気のない2千人より、
 たったひとりの心意気が勝ったのです。
 未来は、覚悟ができた、たったひとりの人間が切り拓くのです。
」(p.122)

この功山寺挙兵にまっさきに駆けつけたのは、晋作のパシリだった伊藤俊輔。後の伊藤博文です。
伊藤博文は、自分の人生で唯一誇れるのは、一番に高杉のもとに駆けつけたことだと言っています。明治を創った首相は、高杉晋作によって育てられたとも言えるのです。


しかし、どんなに晋作が有能だったとしても、1人の力でできることはたかが知れています。そこには協力者が必要です。
面白いことに、時代は協力者を用意してくれているのです。その名は坂本龍馬。長州藩の危機を救い、日本をあげての改革を推し進めた男。薩長同盟が徳川幕府に引導を渡したことは、もう誰もが知っていることでしょう。

晋作と龍馬も、出会って意気投合しています。

かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」という師、吉田松陰の歌を詠んだ晋作に対し、龍馬はこう返したと伝わっているそうです。

「「かくすれば かくなるものと 我も知る なおやむべきか 大和魂」
(こんなことをすれば命がいくつあっても足りないことは私にもわかる。しかし、それでも大和魂は貫き通さずにはいられない。)
」(p.130−131)

英雄は英雄を知る。龍馬には、晋作の気持ちが痛いほどわかったし、自分も同じ思いだよと伝えたかったのでしょう。


薩長同盟が成立し、長州征伐の幕府軍を晋作の騎兵隊が蹴散らしました。絶対に刃向かえない相手と信じられていた幕府が、「いや、けっこう倒せるのかも。」と多くの人に思われるようになった瞬間です。
大きく歴史が動き、幕藩体制の崩壊が始まりました。役目を終えた高杉晋作は、結核で亡くなるのです。享年29歳。

看取り士という仕事があります。亡くなっていく方が幸せな最期を迎えられるように寄り添う仕事です。たくさんの死に立ち会ってきた、ある看取り士の方が、一例だけ、家族みんなを幸せにした死を見たというのです。普通、死はまわりの人を悲しませます。しかし、そのおじいちゃんの死はみんなを笑顔にしたというのです。亡くなる直前にガッツポーズして「やりきった」といって亡くなったのだそうです。そうなのです。自分の人生をやりきれば、死でさえもみんなをハッピーにできるのです。」(p.134)

これはおそらく、柴田久美子さんのことでしょう。「この国で死ぬということ」だったか「私は、看取り士。」だったか忘れましたが、そういうエピソードがありましたね。
高杉晋作も、やるだけのことはやった、これで松陰先生に顔向けできると思いながら、亡くなっていったのではないかと思います。


3人目は野村望東尼(のむらぼうとうに)です。女性なのに「サムライ」。
実は私もよく知りませんでした。知っていたのは、逃亡中の高杉晋作をかくまったこととか、亡くなる前の晋作の看病をしていて、晋作の辞世の句の下の句の作者だというようなことだけでした。

望東尼は、尼になる前に結婚して子どもをもうけています。しかし、生まれるとすぐに死んでしまう。そんなことが何度も繰り返されたのです。

生老病死。そもそも生きるって切ないことです。
 生まれた瞬間から、死は運命づけられていて、死へのカウントダウンは始まっています。
 生まれてくること、老いること、病になること、死ぬこと、どれひとつとってみても、自分の思い通りにいくものなどありません。ひとりで生まれ、死ぬときもひとりで死んでいくのが人間です。
 そして、人生最後の日には、得たものをすべて失う。
 それが人生のゴールなんです。
 変わっていくことを恐れていたら、不幸はどこまでもつきまとう。だから、避けることのできない悲しみを、避けようと思わないこと。ありのままを、ありのままに受け止めることから始める。
」(p.148−149)

尼になり、座禅を組む日々の望東尼は、徐々に悟っていきます。

そうか。どんなことが起きたって、心は私次第なんだ。
 状況が心を決めるのではない。
 自分の心は自分が決められるのだ。
」(p.149)

現実に振り回されてきた自分の人生を振り返って、いかに心のありようが大切かがわかったのです。

これからは本心にそって自由に生きよう……。
 これまでは病身のため迷惑をかけないようにと、いつも周囲の目を気にするように生きてきた。女だからと自分を閉じ込めてきた。でも、これからは、心のままに楽しいことをやろう。
」(p.150)

自分を制限していたのは、実は自分だったということにも気づいたのですね。

高杉晋作の辞世の句といわれる
「おもしろき こともなき世を おもしろく……」
 これは、「おもしろくもなんともない世の中を、おもしろく生きていくために、あなたならどう考える?」と晋作から望東尼への問いが上の句になっています。これを受けて、下の句を望東尼はこう結んだのです。
「すみなすものは 心なりけり」
 おもしろく生きられるかどうかは、現実が決めるのではない。心が決めるのだ、と。
」(p.169−170)

幸せ実践塾の幸せの公式として使わせていただいている相田みつをさんの詩も、まさにそのことを言っています。幸せはいつも、自分の心が決めるのです。


4人目はジョン万次郎です。
ひょんなことからアメリカに渡ってしまった万次郎ですが、それが日本のために大いに役立つことになりました。
これはある意味で、望まなかった運命とも言えますが、そうなるにはそうなるだけの理由があったのですね。

漁船が無人島に漂着し、それをアメリカの捕鯨船に発見されたことで九死に一生を得た万次郎たち。しかし、国交がないため、帰国することができませんでした。
他の船員たちはハワイにとどまったのに対し、万次郎はアメリカを見てみたいという好奇心もあり、船長に従ってアメリカへ渡ります。そこで船長の養子となり、教育を受けることになったのです。

自由の国アメリカでしたが、一方で人種差別もありました。白人でない万次郎は、他の人々から差別を受けます。
アメリカではキリスト教の教会が生活の中心にありましたが、そこでの差別を受けたことを機に、船長は万次郎のために、通う教会を変えているのです。

アメリカ人が異国の少年のために教会を変えるなどよほどのこと。船長は万次郎を受け入れてくれる教会を探して、いくつもの教会をまわってくれました。申し訳なく思った万次郎は、その旨を伝えると船長はこういったのです。
「約束したはずだ。ジョンマン、私は君を育てると」
」(p.187−188)

たとえ反対があろうと、思い通りにならなかろうと、育てるという意思は変わらない。なぜなら、自分がそう決めたのだから。
船長は、愛が何かがよくわかっていたのでしょう。愛は無条件です。条件次第で変わるものではなく、自分が愛すると決めたから愛するのです。
愛することが自分らしいから、そういう自分でありたいから愛する。相手がどうかとか、状況がどうかとか、まったく関係がないのです。


革命が起きるとき、そこには”3つの者”が必要になるといわれています。
 それが
 ・若者
 ・馬鹿者
 ・よそ者
 この3者です。

 この3者は、見事に明治維新にも当てはまります。幕末の志士たちは、若者が中心です。また、吉田松陰は馬鹿正直過ぎて命を落としていますし、坂本龍馬だって、先生があきれて塾をクビにするくらいでしたから、文字通り馬鹿者だったといっていいでしょう。では最後のよそ者に当たるのは誰か? それが万次郎でした。
」(p.200)

時代を変えるのは若者だということは、私も感じています。そして、ドン・キホーテのような馬鹿者、命を惜しまない山岡鉄舟のような馬鹿者が、時代を変えるのです。
よそ者というのは、異なる常識を持っている人のこと。つまり、これまでの常識を覆してくれるからですね。


そしていよいよ最後の5人目、坂本龍馬です。

ゆったり、優しく、まあるく、弱い者の立場で考える。
 生涯にわたって、龍馬はそのように考えました。後に、老子からとった『自然堂(じねんどう)』という号を龍馬が名乗っていたことからも、龍馬は老子の考えが好きだったことがわかります。
」(p.212)

対立の火花が散る幕末において、龍馬の行動は異色です。融和させ、どちらもが立つように仕向ける。
大政奉還によって徳川の存続を図りながら、長州を潰させないために薩摩と手を結ばせる。
龍馬の心には、悲しむ人が1人もいてほしくないという強い思いがあったようです。これも、子どもの頃にいじめられっ子だった経験が下地にあるのかもしれません。


幕末から明治期に、500もの会社の立ち上げにかかわった渋沢栄一が掲げた「士魂商才」の先駆けといっていい存在が龍馬だったのです。
 士魂商才とは、「サムライの魂」と「商売のセンス」を併せ持つ者をいいます。
」(p.235)

坂本家は武家でもありますが、商売もやっていました。ですから龍馬にも商人の血が流れていたのでしょう。
薩長同盟が成立したのも、龍馬という商売に長けた存在があったから。外国から薩摩名義で最新鋭の武器を買い付け長州へ配達し、長州では米を買い付けて薩摩へ配達する。それで自分たちも利益を得る。こんなことを考えて実行できたのは、龍馬だったからと言えます。


大政奉還は、絶対に不可能と思われていました。なぜなら、絶大な力を誇る徳川幕府が、幕府を投げ出す必要性がないし、400年続いた幕府を終わらせるなどという決断ができるはずもないからです。
そこで龍馬は、幕府側であった土佐藩から働きかけてもらうことを考えます。それは、土佐藩に功績を立てさせることにもなります。
土佐藩にとっては願ってもない約目でしょう。しかし龍馬には、土佐藩に功績を立てさせることに心のしこりがあったはずです。自分の故郷とは言え、仲間をたくさん殺してきた前藩主、山内容堂を許せないからです。

親友を殺した相手をゆるせるわけがない……。
 大切な幼なじみを殺した相手をゆるせるわけがない……。
 そんなの絶対にゆるせるわけがないんです。

 しかし龍馬は、最も憎悪していた土佐藩、山内容堂を血のにじむ想いでゆるすのです。
 本当の敵は人ではない。
 憎むべきは人ではなく、社会の制度なんだと龍馬はわかっていたからこそ、社会の仕組みそのものを変えることに人生をかけたのです。
」(p.238)

龍馬は、外側に平和を結ぶために、
 内側の自らの積年の恨みを解(ほど)いたのです。
 先に自らの内側のエゴを解かなくては、外側で和(愛)を結ぶことはできないのです。
」(p.239)

自分の愛する人たちを殺した相手を許し、受け入れ、なおかつ活躍の場を与える。これは「愛」ですね。
外の世界に平和を実現したければ、まず自分の心の内に平和を築くこと。龍馬はそれをやったのです。


しかし、そんな平和主義の龍馬は、だんだんと敵を増やしていくことになります。
新選組など幕府側から付け狙われるだけでなく、武力で幕府を倒したい薩長からも敵視されます。また、土佐藩に活躍の場を与えたということで、土佐の仲間たちからも叩かれることになりました。

龍馬は無血革命を目指し、ニッポンの最善・最高の未来からすべてを発想していました。しかし、まわりはみんな自分の都合(過去と現在)からしか世界を見られていないのです。だから龍馬が理解できず、龍馬はもはや、どこから暗殺されてもおかしくない状況に追い込まれました。
 たったひとり、闇のなかをゆく革命家の道。
 ニッポンの未来のためには、まわりを敵にすることもやむなし。
 それがいかに孤独な道か……。
「世の人は 我を何とも 言わば言え 我が成すことは 我のみぞ知る」
 龍馬の詠んだ和歌です。
」(p.240−241)

しかし、大政奉還によって大規模な内乱を防がなければ、いずれ日本は植民地化されてしまう。場合によってはイギリスとフランスで分割統治ということにもなりかねない。日本を護るためには大政奉還しかないという信念を、龍馬は貫き通したのです。


龍馬は、自分の名誉とか利益のために、そういうことをやったわけではありません。
ですから、新政府の役職になろうとは微塵にも思っていませんでした。

「世界の海援隊でもやりますか」

 龍馬の生きる理由、その源泉は遊び心だったのです。
 龍馬は海援隊というカンパニーで、世界の7つの海をまたにかけて黒船で商売をしたかったのです。世界に冒険の旅に出たかったのです。龍馬の動機、それは子どものようなときめいた遊び心だったのです。
 そのために、日本にフリーダムをもたらす必要があった。そのために幕府を終わらせて、日本をひとつにまとめる必要があったのです。
」(p.250-252)

ただ自由に遊びたかったから。人の本質は自由であり、だからこそ自由を求める。龍馬は、余分なものを削ぎ落として、ひたすら自由を追い求めたように思います。


かつてこの国は、職業の選択の自由も、移動の自由もなく、身分制度もガチガチで、差別もあり、好きな人と結婚する自由もゆるされていませんでした。そんな社会をぶち壊し、誰からも差別されずに、自分の才能を活かして、やりたいことができる社会を、龍馬が、松陰が、晋作が、望東尼が、ジョンマンが、僕らにプレゼントしてくれたのです。」(p.255)

事実、いま、この瞬間も、世界のどこかで国と国が戦争、内戦、紛争をしています。
 いま、この瞬間も20カ国以上で争いは続いています。
 それは、心のなかに国境(分離)があるからです。
 しかし、いまの日本では、東京と大阪で戦争するようなことはありません。
 龍馬たちが、この列島を「日本」としてひとつにまとめてくれたからです。
 薩摩人でもなく、長州人でもなく、「日本人」というものを誕生させてくれたからです。
 ひとつであるところに争いはないのです。
 僕らはいまこそ、「地球人」としてひとつになるときです。
」(p.255−256)

龍馬から私たちへのバトン。それは、「ひとつ」への道。私たちはそれを受け取るのでしょうか? そのことが問われているように思います。


幕末は、わずか1年の間に巨大地震が3連発できているのです。

 さらには、異常気象による凶作が続き、その上、猛烈なインフレに襲われ物価が高騰。まさに泣きっ面に蜂。おまけに伝染病のコレラが上陸し猛威をふるい、江戸だけでも死者は数万人に。
」(p.271)

天変地異に経済的な混乱。さらに伝染病。今の日本よりもさらにさらに深刻な非常事態だったと言えるでしょう。
そんな中でも日本は植民地にならずに済んだ。

日本には「サムライ」がいたからです。

 サムライとは、いちばん大切なものに、一番大切な命をかけた者のことをいいます。
」(p.272)

命がけで日本を守ろうとするサムライたちのお陰で、今の日本があるのですね。


「神道は教えがないんです」
 と神主さんはいいました。教えがない。これ、よく考えたら、すごいことです。
 神主さんの質問はまだ続きました。
「教えがないってことは、神道には何がないと思いますか?」
 教えがないということは……
「善悪がないのです」
」(p.272−273)

ある神社で正式参拝した時の話だそうです。他の宗教と比べて、神道には大きな違いがあります。それは教えがないこと。
それは知っていましたが、それが「善悪がない」という意味になるとは、考えてもいませんでした。

「じゃあ、日本は、善悪のかわりに何があると思いますか?」
 なんでしょうか……
「美しいかどうかという判断基準です」

 美しいかどうか。
 江戸時代は、それが「粋か野暮か」になったわけです。
」(p.274)

善かどうか、正しいかどうかではなく、美しいかどうかで判断すること。それは元々、日本人に備わったものだったのですね。

日本人は、お茶を道にして茶道を生み出し、剣は剣道、書は書道、弓は弓道、華は華道、なんでもそれを道にしてきたんです。
 道とは、勝ち負けを競うのではなく、
 美しさの追求です。
 勝つか負けるかじゃない。損か得かでもない。
 美しいかどうか。かっこいいかどうか。
 これは突き詰めれば、みんなで笑い合えるかどうか、
 より多くの人を幸せにするかどうかです。
 みんながうれしいってことが、宇宙がうれしいってことです。
」(p.275)

自分の生き方に、ことあるごとの判断基準に、美しさへの追求があれば、みんなで笑い合える平和で幸せな社会にしていくことができる。そういうことを、幕末のサムライたちは教えてくれているように思います。


何度も何度も感極まって泣きながら読み終えました。
私もよく「美しいかどうか」という判断基準が大切だと言っていますが、私自身がどれだけできているか、改めて問い直したいと思います。
そして、サムライたちから受け渡されたバトンを、しっかりと受け継ぎたいと思うのです。。

そんな気持ちにさせてくれた、この本に感謝です。そしてこの本を、心から皆さんへもお勧めしたいと思います。

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2022年01月08日

大谷翔平86のメッセージ



前回紹介した「道ひらく、海わたる」と同様に、大谷翔平選手のことを知りたくて買った本です。著者は追手門学院大学客員教授の児玉光雄(こだま・みつお)氏です。

後で気づいたのですが、これは三笠書房の知的生き方文庫になります。この文庫は、生き方についてのノウハウを提供するもので、私も若いころはたくさん読みました。安価な値段で有益な情報が得られるので、好んで読んでいたのです。
最近は、こういうハウツーものをあまり読まなくなったこともあり、しばらく読んでいませんでした。久しぶりに読んでみて、なるほど知的生き方文庫らしい作りだなぁと感じましたよ。良い意味でも悪い意味でもね。

この本は、タイトルにもあるように86のメッセージを紐解きつつ紹介する形になっています。1つのメッセージは見開き2ページで完結しており、右側には大谷選手の発言など、関連する言葉が大きく書かれています。
こういうスタイルのため、非常に読みやすいです。しかし、逆に言えば底が浅くなりがちです。そういう部分は、関連する2つ3つのメッセージに分けて連続させることで、深みをもたせようとしているようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

野球を始めた小学3年生のときから、
自信を持って「プロ野球選手になる」と言い続けてきた。
そして、一度として
プロ野球選手になれないんじゃないかと思ったことはなかった。
」(p.10)

「なれたらいいな」じゃなく「なれる」と断定し、そういう自分を信じよう、というのが最初のメッセージです。
たしかにそうかもしれませんが、多くの人はそう簡単には思えません。あとで、アファメーションによって自己洗脳する方法が出てきますが、大谷選手は、そういうことをして自信が持てたのではなく、最初から何もなくても自信があったのです。
それは「できる」という結果への確信ではなく、「やる」という行為への確信です。そのことは、この前紹介した本から読み取れますが、そう言ってしまうと、大谷選手だからできたのだということで終わってしまい、読者へのメッセージにならないということなのでしょう。

私たちの能力の限界を決めているのは、私たち自身。
 私たちの多くが、自分には、特別な才能はないと思い込んでしまっている。しかしそれは、単なる先入観だ。その先入観があなたから夢を遠ざけている。才能があるかないか、できるかできないかは、やってみなければわからない。まず「自分の才能は無限だ!」というメッセージを何度も自分に言い聞かせて、自分の脳のプログラムを書き換えよう。「自分には無理だ」という先入観を徹底的に削除しよう。これこそ最強の成功法則だ。
」(p.39)

たしかに、挑戦することなく諦めてしまっては、できるものもできないでしょう。なので、まずはとことんやってみるという姿勢は大事です。
しかしだからと言って、やれば必ずできるわけではありません。誰もが大谷選手になれるわけではないのです。

実際、大谷選手とて170km/hの球を投げられるとか、200km/hもいけるなどと言ってはいません。投げられないとも言ってはいませんが、投げようとはしていないのです。
ものごとには、今、それに挑戦することが必要か、自分らしいことか、というような観点があります。その上で挑戦したいと思った時は、勝手に限界を作らないことが大事だと思うのです。


大谷は、あるとき自分の性格について「僕はマイナス思考なんです」と語っている。本人は、自分のことをマイナス思考だととらえているが、実は、うまくいかないときも、しっかりと現実を直視して、改善のための行動を起こせる人は、真の楽観主義者だ。大谷のような真の楽観主義者は、「うまくいかないことから目をそらさない」という思考パターンを持ち合わせている。だから逆境耐性が高い。」(p.55)

いくら本人が「自分はマイナス思考だ」と言おうと、それを真に受けてはいけませんね。言葉の定義は人それぞれですから。
いくらマイナス面に目を向けてしまう性格だとしても、そこで萎縮したり諦めたりするのでなければ、その性格は自分を拡大させるのに役立つでしょう。

逆に、虎の威を借る狐のように虚勢を張るだけなのは、本当の意味での楽観主義とは言えないでしょうね。内心は不安でビクビクしているのに、それを見透かされるのが怖くて表面を取り繕っているだけ。わざと楽観主義のふりをしているだけですから。

楽観主義者とは、常に物事の好ましい要素とそうでない要素を、明確に客観視して、それをありのままに受け入れ、冷静に判断したうえで行動できる人のことをいう。
 どんな逆境に見舞われても、楽観主義者は自信を失わず、モチベーションを高めてことに当たれる。だから大谷は実力を発揮できるのだ。
」(p.147)

ネガティブな現実を見て、不安(怖れ)が湧いてくるならマイナス思考なのです。不安(怖れ)ではなく、大丈夫だという安心感をベースに、挑戦できる喜びが湧いてくるならプラス思考なのです。


野球が頭から離れることはないです。
オフに入っても常に練習していますもん。
休みたいとも思いません。
ダルビッシュさんからアドバイスをもらったりしますが、
一人でああだこうだ考えながらトレーニングすることが好きで、
それまでできなかったことができるようになるのが楽しいんです。
」(p.64)

結果を怖れていないし、他人の評価を気にしていないことがわかりますね。ただ自分がやりたいからやる、楽しいからやる、という姿勢です。

ストイックというのは、練習が好きではないというか、
仕方なく自分に課しているイメージ。
そうではなくて、僕は単純に練習が好きなんです。
」(p.66)

論語にある言葉が思い出されます。「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず。」
大谷選手は、意識してこういう考え方、生き方ができるようになったのではなく、生まれながらそうだったのです。そこが大谷選手の素晴らしいところだと思います。
しかし、私たちはこのメッセージを受けて、自分もこういう生き方をしようと望むことはできます。天然の大谷選手のようにはなれないとしても、今の自分より一段高いレベルに進むことはできると思います。


彼の目は、「相手のすごいところ」にいく。相手の最も得意なところをめがけて自分の力がどれだけ通じるか、まっこう勝負を挑むこともある。これを許した栗山英樹という監督に恵まれた大谷は幸せ者である。ベストな状態の相手に勝てれば文句なしの自信が持てるし、自分のレベルが上がるからだ。目先の勝負に勝つためには弱点の研究も必要かもしれないが、非凡な成長を遂げたいなら、長所を伸ばすことに重きを置こう。」(p.77)

大谷選手の関心事は、相手の弱点を突くことではなく、より自分を成長させることでした。つまり、勝負という結果にこだわってはいないのです。
目の前の勝負よりも、そうすることで自分がより高みに上れるかどうか、ということに関心があったのですね。

ただ、ここのメッセージは「弱点を補っても、非凡な成長にはつながらない。」とあって、ややピントがずれているようにも感じます。見開き2ページに収めるという編集の制約もあってか、こういうところに無理くり感を感じてしまいます。


どうしてできないんだろうと考えることはあっても、
これは無理、絶対にできないといった限界を感じたことは
一度もありません。
今は難しくても、そのうち乗り越えられる、
もっともっとよくなるという確信がありました。
そのための練習は楽しかったですよ。
」(p.132)

こういうところにも、生まれ持った大谷選手の素晴らしさが表れています。最初から、限界を感じていないのですから。


特に幕末が好きですね。
日本が近代的に変わっていくための新しい取り組みが多くて、
歴史的に見ても大きく変わる時代。
革命や維新というものに惹かれるんです。
」(p.160)

大谷は高校1年生のときに「目標達成シート」を作成している。
 彼が定めた目標は、「8球団からドラフト1位で指名される」だ。そしてそれを実現するための行動目標として、「メンタル」や「スピード」「キレ」「体づくり」など、8つのテーマを設けているが、そのうちの一つに、大谷は「運」と記している。
 そしてその運を引き寄せる具体策として、「ゴミ拾い」「部屋そうじ」「あいさつ」「審判さんへの態度」「道具を大切に扱う」「プラス思考」「応援される人間になる」「本を読む」といった要素を挙げている。
」(p.177)

大谷選手には、生まれ持った素晴らしい性格や考え方があったと思います。しかしそれだけではなく、自分でも意識してそういう面を高めようとしてきたことが伺えます。
おそらく大谷選手は、子どもの頃から読書に親しんでいたのでしょう。そうでなければ、「運」を高めるのにこういった要素は出てこないでしょうから。

大谷選手が、読書を通じて学んだものはたくさんあると思います。けれどもその前提として、もともと変化を恐れることのない性格があり、より高みに上っていくことにワクワクする性格があったのでしょう。


(二刀流の)取り組みに否定的な人たちの考えを
変えたいとも思わない。
人の考えは変えられないので。
自分が面白ければいいかな。
もちろん、チームために徹するし、優勝も目指すけど、
それも自分のやりたいことの一つです。
誰かに評価してもらうために、というのはありません。
」(p.196)

王貞治氏をはじめ、往年の名選手が二刀流に反対していました。イチロー選手も、ダルビッシュ投手も否定的でした。けれども大谷選手は、そういう評価に耳を貸さず、自らを信じたのです。
他人は他人という割り切りができていること、自分は自分に正直になること、「楽しい」を動機にすることなど、大谷選手の素晴らしさが見えてくる発言です。


途中でも書きましたが、大谷選手の発言などを取り上げてメッセージとして示していますが、無理くり感があると感じることが多々ありました。
ただ、そういう面があることは仕方ないとしても、こういう読みやすい形で自分の生き方に役立つメッセージが得られる、とも言えます。
けっきょくは、読み手がいかに自分に役立てるかですからね。
私は、やはり大谷選手には天然の素晴らしさがあるということと、そういう大谷選手も普段から自分を磨くことをやっている、という2つのことがわかる本だと思いました。

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2022年01月01日

道ひらく、海わたる



私は将棋が好きで、最近は藤井聡太竜王の活躍を応援しています。将棋そのものも面白いのですが、それよりも興味があるのが藤井さんの考え方だったり生き方です。
そんな好奇心から読んだのが、先日紹介した「藤井聡太のいる時代」という本でした。どういう性格なのか、どういう育ち方をしたのかなど、私の好奇心に応えてくれる内容でした。

一方で私は、野球も好きでした。今はTVを見ないのでプロ野球のこととかよくわかりませんが、それでも野球は好きで、大谷翔平選手の活躍は知っていました。
知ってはいましたが、それほど関心を持っていませんでした。ところが、メジャーで活躍している大谷選手の情報の中に、ゴミを拾うとか誠実な態度を崩さないというようなものがあり、少し興味をいだきました。
そんな時にふと気づいたのが、大谷選手と藤井竜王は似ているのでは、ということでした。

それぞれの分野で大活躍している若者というだけではありません。謙虚で誠実という態度も似ているのです。
これは、周りによって作られたイメージではなく、ご本人の生き様が現れたものだと感じました。

それで大谷選手の考え方や育ち方などにも興味が湧いて、そういう本がないかと探しました。
この本は、そういう中で見つけたものです。副題が「素顔の大谷翔平」となっており、その期待に応えてくれる内容だったと感じました。
著者は、大谷選手を追いかけてきたスポーツライターの佐々木亨(ささき・とおる)氏です。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

良くても悪くても、どんどん変えていくっていうのは良いところじゃないかなと思いますね。なんて言うんだろう……現状を守りにいかないという性格ではあるので、まあ、すごくいい状態のときでも、それを維持していこうというよりも、それを超える技術をもう一つ試してみようかなと思う。挑戦してみよかなというマインドがあるのは、得なところだと思います」(p.10)

大谷選手の自己評価です。変化を恐れない、現状に固執しないという考え方が見て取れます。

自分がどこまでできるのか、人間としても、どこまで成長できのか楽しみです。二刀流を叶えたとき、そこには大きな価値があると思う。自分が成功すれば、同じように二刀流に挑戦する選手が続くと思いますし、いろんな可能性が広がるはずです。今はとにかく頑張って、新たな道を作れるような選手になりたいと思っています」(p.13)

プロ入り前の18歳の大谷選手の言葉です。パイオニアとして生きることを楽しんでいるようです。


花巻東高を卒業した大谷選手は、一旦はメジャー入りを決意します。しかし、日本ハムファイターズからドラフト1位指名されて、けっきょく日本のプロ野球入りを決めました。

日本ハムファイターズの栗山監督は、大谷選手と定期的に面談し、彼のメジャーへの意志を確認してきたそうです。

翔平は本当に、お金の話を一回もしたことがなかった。彼にとっての価値観はそういうところにはないんですよね。アイツ(翔平)、やっぱり誰もやったことのないことをやりたいんだと思うんです。結果じゃなくて、それをまずやってみる。翔平は、チャレンジしてみることが嬉しくてしょうがないという価値観を持っているんです。」(p.39)

結果が残せそうだからやるのではなく、結果がどうなるかわからなくても、やることが面白そうだからやるという価値観なのですね。
前後際断ができていて、結果を得ることではなく行為に情熱を燃やす、という考え方で生きていることがわかります。


「野球が好きだから」
 それが大谷の答えだった。そして、いつも彼はまだ見ぬ自分との出会いに胸を躍らせるのだ。
「野球をやっているからには『てっぺん』を目指したいんです。すごいレベルの高いところで野球をやってみたいなと思っていたので、まずはプロ野球選手になりたいと思って、そこに近づいていったら、さらにその上でやってみたいと思う。僕はいろんなことにチャレンジしていきたいんです。
」(p.50−51)

なぜプロ野球選手になりたいのかという問いに、大谷選手はこう答えたそうです。自分の可能性を極めたい、まだ見ぬ素晴らしい自分と出会いたい。こういうところも、藤井竜王と似ているなぁと思います。


大谷翔平という人間も、どこかで「自分はできる」と感じているから言う。160キロを出したいんだ。今、メジャーへ行きたいんだと。」(p.53−54)

一見すると無鉄砲とも思える若者の「内なる声」の中に、根拠はなくても「できる」と感じていることを、日本ハムファイターズのスカウト部長は見抜いていました。
仕事柄、若者の可能性を引き出すこと、最大限の力を発揮させることを考えているので、そういうものを察知する能力にも秀でているのでしょう。

《先入観は可能を不可能にする》

 佐々木監督は言う。
「たとえば160キロの球を投げるというイメージがそもそもなければ、絶対にそこまでたどり着かないものだと思います。できると思うから、そのために頑張る。途中で蓋をしたり、限界を作ってしまっては、自分の可能性を伸ばすことができないと思います。
」(p.109)

夢というものは、可能性がわずかでもあることと、その可能性を信じられる時にしか実現しないのですね。大谷選手は、結果を手放して挑戦することに情熱を燃やしてはいても、結果を捨てたわけではないのです。


子育てに関しては、割りと自由にさせていたようです。

これといった躾みたいなものはありませんでしたよ。ごくごく普通。私たち親が『おはようございます』『お休みなさい』を言う。あるいは、自分が食べたものは自分で片づける。そんなごく当たり前の普通のことを親が率先してやれば、その姿を子供たちは見て自然とやるようになるのかなあとは思っていましたけれど、思い当たるのはそれぐらいですね」(p.71)

大谷選手の育て方として、家庭内での躾に関して父親はこう答えています。口うるさく言うのではなく、自ら率先してやって範を示すというやり方なのですね。

翔平自身にも、怒られた記憶がほとんどない。
「お父さんから怒られたのは、グランドでの野球のときだけですね。家に帰ってからはほぼなかったと思いますよ」
 家族間にある風通しの良さが深く影響したと思うが、翔平にはいわゆる思春期を迎えた中学生の頃によくある『反抗期』はなかったと、加代子さんは言う。
」(p.74)

子ども部屋はあっても籠もることが少なく、みんなで居間で過ごすことが多かったそうです。テレビは1台居間にあるだけにしたのも、そういう家庭を母親が望んだからのようです。

「いろんなことを考えながら子育てをされている方が多いと思いますが、本当に申し訳ないぐらいに、私たちは子育てに関して『こうやって育てよう』とか『絶対にこれだけはしよう』というものが特になかったんです」
 ただ、子供は大好きなんです。そう言って話を続ける。
「子供はそれぞれに育ち、いつかは巣立っていくわけですが、いつになっても実家は実家。親はいくつになっても子供たちのことを大好きなんです。私たち親の『いつまでも見ているよ』『大事にしているよ』ということが伝われば、子供も家族のことを大事に思ってくれると信じてきました。
」(p.95-96)

大谷選手のお母さんは、子育てに関してこう言っています。ありのままの子どもを受け入れ、信頼していることが伺えます。

お父さんは社会人野球までプレイされた方ですが、我々の指導や起用法について何も口を挟むことなく、ただ黙って見守っている。あれだけの息子がいても決して天狗になるようなところがないんです。親の姿勢は子供が見ていますからね。大谷は、高校に入学してくる前の十五年間は親の姿勢を見て、親の言葉を受けて、親の指導を受けて育ってきているわけです。大谷の行動を見ていれば、ご両親のすばらしさがよくわかります。」(p.98)

花巻東高校の佐々木監督は、このように大谷選手の両親のことを評しています。

今でもそうですが、親には本当に自分がやりたいように自由にやらせてもらってきました。父親には、やりたければやればいいし、やりたくなければ自己責任でという感じで接してもらいましたし、母親にも『勉強をやりなさい』と言われたことがなかったですし、たくさん支えてもらいながら、これまで自由にやらせてもらってきたと感じています」(p.99-100)

親が子を信頼し、自由にさせたからこそ、子の自主性や、自分の決断に対する責任感が育ったと言えるでしょう。


大谷選手の性格に関しては、次のような記述がありました。

「無頓着な性格です」
 母はそう言い、「プロに入ってからも、最初は服装や髪型にしても気にしている様子がなかったですよね」と言葉を足す。
 自分が「これだ」と思うことに対しては一心不乱に気持ちを込める。スイッチのオンとオフをうまく使い分けながら。ただ、感性に触れないものに関しては、どことなく他人事。無頓着さが表れてしまう。子供の頃からそうだったという。
」(p.78)

興味があるかどうかでエネルギーの注ぎ方に雲泥の差がある性格のようです。

「知らないところでやるときはワクワクしますね。プロ野球の世界に入るときもそうでした。もっともっと自分よりすごい選手がいるんだろうなと思って、ワクワクしたのを覚えています。経験のないこと、知らない場所というのは、実際にやってみないとわからないものがたくさんありますし、その場所に行ってみないと自分の実力がわからないものだと思います。」(p.101-102)

大谷選手は、失敗を恐れていないと言うか、結果を心配していないことがわかります。やってみることが楽しくて、そこだけを見ているようです。


これまで多くの媒体が紹介して今ではすっかりと馴染み深いものになったかもしれないが、『目標設定シート』とも呼ばれるそれは、選手たちが入学後すぐに書くものだ。正方形の枠を大きく九つに分け、その一マスをさらに九分割した用紙には、目標や、その目標を達成するために必要とされる要素が細かく記されている。それは実際に一般企業が取り入れている人材育成のシステムやビジネス書を参考に佐々木監督が作り出したものだ。」(p.129-130)

大谷選手の目標設定シートの中心には、ドラフト1位で8球団から指名されることが書かれていたそうです。そのために必要な要素には、「キレ」「コントロール」などの野球技術の要素の他に、「人間性」や「運」ということも書かれていたとか。

本人の野球人生においては、あそこで怪我をしたことがその後の未来を変えたと言ってもいいかもしれません。ピッチャーを意識するなかで、二〇一二年のセンバツ大会前のバッティングを見たときは『こんなに打球が飛ぶのか』と思うぐらい、果てしなくボールを飛ばしていた。あの期間の練習というのは『バッター・大谷翔平』の基礎をつくるには大事な期間だったと思います」(p.150)

高校生という成長期は、怪我をしやすい時期でもある。慎重に体作りをやっていた大谷選手でしたが、それでも怪我によって投げられない時期がありました。
しかし、そういうことも不運として捉えるのではなく、幸運として捉えて前向きにやってきたのですね。その結果、二刀流の花が咲くことになったのです。


目指すべき道、すなわち、自分をさらに高めてくれる道。
 大谷にとってのそれは、プロの世界で投手として打者として、ともに技術を高めて互いの最高のパフォーマンスを見せる「二刀流」の道だった。
」(p.198)

そこばかりに固執しているわけではないですけど、他人と違うことをやったときに、どういう結果になるのか、そんな自分自身に対する興味が、あの当時は大きかった。いまでもそうですけど、どうなるのかという不安よりも興味のほうが勝っていたと思います」(p.218)

両方をやることに対して、自分の気持ちがブレることはなかったですね。もともとがあまり周りを気にしない性格というのもあるんですが、どれが正解ということもないですし、たとえ両方をやることが失敗だったとしても、自分にプラスになると思っていました。」(p.219)

高校卒業後、最終的に大谷選手は、ファイターズ入りを決めます。その決め手が、二刀流でやらせてもらえるということだったようです。

メジャーは、日本のプロ野球よりも高レベルな世界かもしれないけれど、二刀流でやらせてもらえる可能性は低い。そうであれば、日本のプロ野球で二刀流の実績を残し、最初から二刀流でメジャーを目指した方が良い。そう考えたのですね。
パイオニアでありたいと願う大谷選手にとって、二刀流でやらせてもらえる日本のプロ野球は、とても魅力的に見えてきたのでしょう。

しかし、テレビの解説者など世間の風は厳しかったようです。無理だとか、プロ野球をバカにするなとか、いろいろ聞こえてきました。
けれども大谷選手は、そういう批判の声さえ立ち向かう原動力に変えて、実績を築いたのです。


大谷はマイペースというか、いい意味で『計算をしていない』ところがあると思います。たとえばゴールが決まっていて、そこにいくために一番効率の良い答えや方法を求めようとしていない感覚みたいなものがある。もちろん野球の技術などはそういう考え方かもしれないですけど、彼の生き方として、計算して物事を判断するのではなくて何か湧き出てくるものに従って行こうという、すごく自然な生き方をしていると思います。何かをしたいと思えば自分の湧き出る思いに従ってするし、したくないと思ったらしない。寝たいと思えば休日は寝ている。自分の本能に従って生きている感じはします。」(p.208−209)

防御率のタイトルが取れるかどうかがかかっていても、そこに固執しないのが大谷選手のようです。見ているところが違うのですね。

こういうところも、将棋の藤井聡太竜王と似ています。おそらく、もっと高い境地を目指しているから、タイトルとかはどうでもいいのでしょう。

その継続の力を持ち合わせていることを前提としながら、大谷は「一種の閃きみたいなものも大事」だと話す。
「休んでいる間でも『こういうふうにやってみようかな』と閃いたりすることがあります。ノートに書くこともありますが、僕はそのままウエイトルーム、室内練習場へ行って、その閃きを試すことが多いですね」
」(p.224)

大谷選手は、直観を大事にするようです。頭で考えるのではなく、思いついたら行動してみる。自分の体で試して、感覚として理解しようとするタイプのようです。

実感できたときは、野球が面白いですしね。トレーニング自体も面白いんです。トレーニングで追い込めているときも、そこで新しいことをやってみることも面白い。知識が増えていくこともそうですし、トレーニングでやったものが成果として実感するときも、やっぱり僕にとっては面白いんです」(p.281)

やらねばならないからやるのではなく、また、できるからやるのでもない。ただ面白いからやる。だから厳しい練習でも楽しめる。それが大谷選手の生き方なのでしょう。


大谷選手は、スポーツ選手としての才能はもちろんですが、生き方に関する才能も持ち合わせているようです。
それは、生まれ持った資質というのもありますが、育ってきた環境、特に親や身近な大人からの影響も大きかった。この本を読んで、そう思いました。

同じことをすれば、誰もが大谷選手のようになれるわけではありません。しかし、彼の生き様を真似ることや、自分の生き方を考える上で参考になることは多々あるように思いました。

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タグ:佐々木亨
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2021年12月26日

藤井聡太のいる時代



将棋界を大きく盛り上げた1人の青年がいます。それが藤井聡太竜王。(2021年に最高峰の竜王タイトルを取られたので、竜王の肩書をつけてお呼びします。)
まだあどけなさも残る20歳にもならない好青年。しかし、いったん将棋盤に向かえば、並み居る強豪の先輩騎士たちに怯むことなく立ち向かい、驚きの指し手で打ち負かす。
「AI超え」。AIが非常に強くなってプロ棋士でさえ負けることが増えたこの時代において、そのAIの読みを超える指し手を繰り出すのが藤井竜王。AIは最初、その指し手を低く評価するものの、読みを深めていくと急に高評価に転じる。AIが追いついていない。AIを超えた。そう驚きを持って「AI超え」と評される藤井竜王の指し手は、将棋をそれほど知らない人をさえ虜にしてきました。

どういう人なんだろう? どんな育ち方をしてきたのだろう? ふだんはどういうことを考え、どういう生活をしているのだろう?
藤井聡太という人間性に魅力を感じると、もっともっと知りたくなる。
そういう思いが高じて、この本を買ってみました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

興味を持ったことは、何でも気が済むまで自由にやらせてみよう。
 これが、夫婦の子育てのモットーだった。「意見は言いますが、『こうしなさい』と強要はしません。嫌なことはずっと続かないと思いますから。
」(p.18)

藤井竜王のお母さんは、教育熱心な親によって幼いころから習い事を強要されたのでしょうね。そのことへの反発もあり、自分の子どもは自由にのびのびと育てようとされたようです。
聡太少年は、好きなことには時間も忘れて一心不乱に熱中する性格だったようで、両親はそれを止めるようなことをせず、思うがままにやらせたのです。


この幼稚園は、イタリアの医師マリア・モンテッソーリが確立した「モンテッソーリ教育」を実践している。「子どもは自ら伸びたいという強い願望を持つ」という信念に基づき、一人ひとりの興味を尊重し、個々の感性や自主性を育むことを重視する教育方法だ。大人は、子どもが1人でできるように手伝う姿勢で見守る。
 園児の成長にあわせて「教具」が用意され、園児にはそれぞれが遊びたい教具を使わせ、気が済むまで繰り返して遊ばせている。年少から年長まで縦割りでクラスを編成し、異なる年齢の園児たちが一緒に過ごすのも特徴である。
 だが、聡太の両親は、入園前からモンテッソーリ教育に関心があったわけではない。母の裕子によれば、モンテッソーリ教育は幼稚園入園後に初めて知ったそうだ。幼稚園が自宅から近く、偶然、事前に見学した際に施設が気に入ったので、入園を決めたという。
」(p.19)

自由に育てる特殊な教育方針の幼稚園に通った聡太少年でしたが、それは偶然なのですね。
しかし、両親の教育方針とも符合しており、導かれたと言うべきかもしれません。

ただ、だからと言って、そういう教育を受けたから今の藤井竜王がある、とは言い切れません。そういう教育を受けた少年少女は、他にもたくさんいるのですから。


当時の園長は、聡太が6歳の誕生日会で将来の希望について聞かれたとき、元気よく「将棋のプロ棋士になりたい」と答えたのを覚えている。誕生日につくったカードには「しょうぎのめいじんになりたい」と書いていた。
 この誕生日会の約1年前、聡太は将棋と出合っていた。
」(p.20-21)

わずか4〜5歳で将棋を始めた聡太少年が、1年後にはプロ棋士になって名人になりたいと希望を述べています。このことは、私自身のことと重ねてみても驚きです。

私が将棋を初めて指したのは、小学校低学年くらいではなかったかと思います。2年生か3年生か。父が相手でしたが、何度指しても負けてしまう。それが悔しくて、約600円の小遣いで2冊の将棋の本(当時はたしか1冊が280円か320円くらいでした。)を買い、勉強したのを覚えています。それが小学4年生くらいだったか。
それくらい熱中はしましたが、プロ棋士になろうとはまったく思いませんでした。自分には無理だと思ったのではなく、そもそもそういう夢を持たなかったのです。
そのことからしても、いきなりプロ棋士になりたいと夢見た聡太少年は、やはりなるべくしてなったのだろうと思うのです。


文本は、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関「奨励会」に入会する直前にあいさつに訪れた小学4年の聡太に対し、「名人をめざすのではなく、名人を超えてみせろ」と伝えた。
 のちに地元ラジオ番組に出演した聡太がこう宣言するのを聞いた。
「名人を超えたい」
」(p.24)

聡太少年が本格的に将棋を習ったのは、5歳のころに通った「ふみもと子供将棋教室」だそうです。日本将棋連盟瀬戸支部長の文本力雄氏が指導する教室に週3回通って、聡太少年はさらに腕に磨きをかけていきます。そして小学4年の時、プロ棋士を目指すべく奨励会に入会しました。

その時、夢は「名人になりたい」から「名人を超えたい」に変わったようです。素直に他人の言葉を受け入れるという性格があるのかもしれませんが、おそらく自分の感覚にぴったりだと感じたのでしょう。
他人との比較による相対的なものではなく、将棋における究極の強さ、絶対的な強さを目指すという方向性は、このころ固まったのかもしれません。


杉本が、聡太の指導で心がけたことがある。自分の将棋の癖をつけさせない方が良いと考え、直接教えることを控え目にしたのだ。代わりに幅広い人脈を生かし、有力棋士たちとの練習将棋という実践を通じて学ばせた。」(p.44-45)

師匠の杉本氏も、聡太少年を自由にさせたそうです。直接指導すれば、どうしても自分の型にはめてしまうことになる。それでは、自分以上に大きくはなれない。自分よりも卓越した才能を聡太少年に感じていた杉本氏は、学ぶ機会を与えることに徹して、才能が開花するままに任せたのです。


聡太はデビュー11連勝の時、「望外の結果」と感想を語った。通算50勝の時は「節目(せつもく)の数字となった」。同じ意味でも「ふしめ」とは読まないところに、非凡さを感じさせた。
「漢字が好きでしたね。小学校低学年の頃、電子辞書の中に入っていた漢字検定の問題を私と一緒に解いていました。気づいたら、大人が読むような本も読んでいました」
 母方の祖母の清水育子は、そう振り返る。幼い頃の聡太は、隣に住む祖父母の家が遊び場だった。
」(p.71)

聡太少年が好んで読んだのは、司馬遼太郎などの歴史小説。沢木耕太郎のノンフィクションや、新田次郎の山岳小説など。小学4年生では新聞も読むのが日課になったとか。

私も本はよく読みましたが、小学校のころは小学生向けのSF小説とか推理小説がメインでした。怪盗ルパンやシャーロック・ホームズなどを読みましたが、子ども向けに書かれた本で、難しい漢字や表現は少なかったと思います。そもそも漢字の書き取りは大の苦手でしたからね。(笑)

そんな私でさえ、読書から多くの表現や漢字の読み方などを知識として得たのですから、聡太少年のように大人向けの本を読んでいたとすれば、その知識量は半端ではないでしょうね。


対局後のインタビューでは、多くの報道陣が藤井と広瀬を取り囲んだ。タイトル挑戦の当時の最年少記録は、現九段の屋敷伸之が1989年に作った17歳10ヶ月。記録更新ができなかったことを問われた藤井は、それには触れず、こう答えた。「最後に間違えてしまったのは残念だが、それが実力かなと思う」。記録にこだわらず、目の前の勝負に全力を尽くす姿勢はいつもと変わらなかった。」(p.190-191)

プロになった直後からの公式戦29連勝は、将棋界で話題になっただけでなく、世間に将棋フィーバーを引き起こし、将棋界全体に活況をもたらすことになりました。その一方で藤井竜王は、なかなかタイトル戦に絡むことができずにいました。
世間の注目は、藤井竜王がいつタイトルを取るか、どんな最年少記録を更新するのかに向けられていました。そういうこともあり、藤井竜王も多少は気にしたのではないかと思うのですが、インタビューではそういう素振りさえ見せませんでした。
藤井竜王の関心は、つねに目の前の勝負にあったのですね。いや、勝負というより、その指し手の完璧さを目指したのかもしれません。

勝負に勝つには、様々な要素が必要です。子どものころから詰将棋で鍛えただけに、終盤力には秀逸なものがありました。しかし、それだけでは勝てません。序盤や中盤で有利になる指し方、的確に形勢判断する力、形勢不利なら相手を惑わしたり、混乱させて間違いを誘うような勝負手の指し方、持ち時間の配分など、様々な要因があります。
そういうものを駆使して一局の勝負が決まっていきます。藤井竜王は、それらを最高の形で展開してどんな勝負にも勝とうとしているのではないかと思いました。

かつてホームラン王と呼ばれた王貞治選手は、投手がどんなボールを投げてこようと関係なく、狙ったすべてのボールをホームランにしようと考えていたそうです。その次元からすれば、4打席連続ホームランを打った時も、まだ自分の実力に満足していなかったのだとか。藤井竜王も、そういう世界を見ているのかもしれません。


藤井聡太竜王がいつも謙虚なのは、相対的な強さを目指しているからではなく、絶対的な強さを目指しているからではないかと思いました。
上には上があるものです。驕れば足元を救われます。それを自然体でできてしまうのは、やはり常に「自分はまだまだだ」という本心からの思いがあると感じるのです。

しかし、だからと言って自己卑下しているわけではありません。自己肯定した上で、より上を目指しているのです。自分はもっともっと上に行けるという自信と、挑戦できる喜びを感じているように思います。

こういうものが、藤井竜王が生まれながら持った資質にあることは間違いないでしょう。それとともに、聡太少年の自由を抑圧せず、型にはめようとせずに育てられた環境も大きいと思います。
それは両親が立派だったということもあるかもしれませんが、私は大いなる導きを感じるのです。たまたま選んだ幼稚園がそうだったり、たまたま選んだ師匠が自由にやらせる方針だったりと、そう導かれたとしか思えないのです。

聡太少年は、竜王になるべくして生まれ、育ってきた。一言で言えば、そうなるのかもしれません。
もちろん、だからと言って私たちの参考にならないと言いたいわけではありませんよ。むしろ逆で、私たちは藤井竜王の考え方とか育った環境について、学ぶべきものがあるように思います。


子育てをしているなら、まずは子どもの自由を阻害しないことです。興味を覚えたものを追求させること。やはりそれが、子ども自身の才能を開花させることにつながると思います。才能に程度の差があったとしても、です。

それから、環境を整えてあげることも大事ですね。聡太少年が読書好きになったのも、周りの重要な大人(家族などの身近な大人)に読書好きの人がいて、その人が読むような本をいつでも読めたからです。大人が子どもに指図してやらせるのではなく、自分が手本になればいいのです。

また、自分がどういう考え方を持つべきかという点では、相対的な優劣という価値基準を持たない、ということも大事だろうと思います。
ある意味では自分との勝負であり、自分との戦いです。自分への挑戦と言ってもよいでしょう。どこまで素晴らしい自分になれるのかという挑戦ですから。

そんなことを考えさせられた本です。これですべてとは言いませんが、「藤井聡太という生き方」が、少し見えてきたように思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 07:14 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月22日

最高の幸せは、不幸の顔をしてやってくる



SNSで何人かの人が紹介していた本です。タイトルからして内容はわかるので、私にはもう十分かなと思い、買わずにおこうと思っていました。
しかし、あまりにこの本の紹介を目にするので、これは私へのメッセージかもしれないと思い、その直観に従って買うことにしました。

結果は、大正解でした!
たしかに、私にとっては既知の内容ですが、著者のしんちゃんの視点からの表現は新鮮で、改めて「そうだよなぁ」と共感することが多々ありました。

それに、多くの人が紹介されているように、この本は最幸です!
私も、この本を多くの人にお勧めしたいと思います。なぜなら、より多くの人に幸せになってほしいから。
内容を紹介する前ですが、これが結論です。読んで損はないばかりか、絶対に得します。騙されたと思って読んでみてください!


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介します。

ただ、「自分を追い込むようなつらいことはしない!」
 そう決めたことから、僕の人生の快進撃が始まりました。
 今ではありがたいことに、年間、ほぼ365連休の気持ちで生きています(笑)。

 そんな僕が、ふたつだけ、心に決めていることがあります。
 それはまず、はじめに自分が幸せになること。
 次に、自分から溢れた分の幸せで、目の前の人を笑顔にすること。
」(p.6)

自分のことを「何もできないヤツ」と言うしんちゃんですが、自分に優しくして、まず自分が幸せになると決めているそうです。
お勧めしている「神との対話」でも、まず最初に「在り方」を決めて、それを原因として行動する、と言っています。しんちゃんの言ってることは、まさにその通りだなぁと感じました。


しんちゃんが目覚めたのは、高校で野球をやっていて、それに挫折したことがきっかけでした。
3年生の大事な大会の直前に、右肘を負傷して投げられなくなった。その後、幼馴染の上重くん(現在は民放のアナ)がPLの松坂投手と投げ合う試合をTVで観たのです。

友達ならやっぱり、「頑張れ!」って思いたいじゃないですか。
 心の底から応援したいじゃないですか。
 でも……僕はそのとき、はずかしいんですけど、そう思えませんでした。
 だって上重君……眩しすぎるんやもん!
 眩しすぎて、テレビ観てるの、辛かったんやもん!

 とはいえ、大事な友達の活躍を素直に喜べない、自分の心の貧しさ……。
 それは、どうしても嫌でした。
 だから、本気で思ったんです。
 「自分を変えたい!」
」(p.42)

本来なら応援すべき友人の活躍を喜べない自分に気づいたのですね。そして、その嫉妬する自分の気持ちに向き合った。
相手や環境を変えるとか、蔑んで溜飲を下げるようなことはせず、素直に自分を変えたいと思った。こういう気付きが、しんちゃんの凡庸ではないところかと思います。

そこでしんちゃんは、対戦相手の松坂投手のようになることを決意します。人々に夢を与えられるプロの投手になろうと。
それまでの最高スピードが108km/hの凡庸な野球選手が、一流の選手に憧れ、プロを目指そうとしました。

そう思ったら、沈んだ気持ちがフワッと浮き立って、急にワクワクしてきたんです。」(p.44)

怪我をして投げられない状態でのことです。当然、今すぐ練習することもできないし、もう高校生活は終わるのです。
そんな状況であってもワクワクが止まらず、できることをやろうとします。それが、松坂投手のビデオを繰り返し徹底的に観て、イメージを完全にコピーすることだったそうです。
そう言葉にすれば簡単なことのように思えますが、実際はそう簡単ではないと思います。それを徹底してやれるのがしんちゃんの非凡なところでしょう。

それから1年後、医師の許可が降りて投げてみたら、なんと145km/hのスピードが出せたとか。イメージトレーニングの成果です。
親は好きな道を進めと言って、大学にも進学せずに野球の練習に打ち込む日々を許してくれたそうです。それから26歳まで、1人で練習を続けてプロを目指したのです。


ここまで読んで、やっぱりしんちゃんは普通の人ではないと思いましたよ。こういう気付き、発想、行動力がすべて、しんちゃんの非凡さを示しています。
ですから、いくらしんちゃんが自分は凡庸な人間であるかのように言っても、そのままは受け取れませんね。(笑)


しかし、そんなしんちゃんも、それで順風満帆の人生を過ごしたわけではありません。
プロ試験を受けようとするたびに、故障や様々な障害があって、合格できずにいました。そして26歳になってプロのスカウトに見てもらった時、その年で経験がないというのは致命的だから、プロを諦めるようにと引導を渡されたのです。

大いなる挫折ですが、そのことも幸せのはじまりだったとしんちゃんは言います。

夢・目標を追わなくても、人はものすごく幸せになれる。
 なぜなら僕は、この後、「夢・目標を追わないスタイル」になったんですが、すると、想像を遥かに超える幸せがどんどん叶うようになったんです。しかも、ありえないくらいのスピードで。
」(p.67)

夢・目標が叶ったところを幸せのゴールに設定したら、夢・目標が叶わなかったら、永久に幸せになれないんですよね。」(p.74)

目標達成型の幸せは、それはそれで素晴らしい面があります。オリンピックの金メダルを目指して苦労を重ね、それが報われた時の幸せは、何ものにも代えられない最高の体験だし、私たちに感動を与えてくれます。
しかし、それを叶えられるのはごくわずかな人だけ。多くの人は夢を叶えられずに挫折感を味わいます。


26歳まで仕事経験がないしんちゃんですが、野球を諦めた以上は、何か働いて食べていかなくてはなりません。
安定して暮らしていくために選んだのは、保険の外交員。そのために、フィナンシャルプランナーの資格「FP技能士2級」の試験を、ほとんど勉強もせずに受けました。

絶対無理やと思ってたのに、一発合格。
 野球はあんなにやってもアカンかったのに……。
 だから、「この方向で行け」ということなのかな、と思ったんですよね。
」(p.91)

こういう直観に素直に従えるというのも、しんちゃんの素晴らしい資質かと思います。

しかし、それで上手くいくわけではないところが、人生の面白いところです。入社した会社がひどかった。お客様そっちのけで、売上ばかりを追う社風の会社だったのです。
人を幸せにすることを考えて選んだ職業だったのに、現実はそうではなかった。そこでしんちゃんは、入社2ヶ月で退職し、独立することを決断します。

もちろん、将来に不安もあったし、プロポーズしてOKをもらったばかりのパートナーに何と言われるかも不安でした。けれども、自分の生き方を貫きたかったのでしょう。

そしたらエリちゃんは笑って、「しんちゃん、大丈夫や」。
「最近、うちの前の空き缶集めに来てくれる浮浪者のおっちゃんらだってメタボやん。だから二人で浮浪者になっても食べていけるよ! ハッハッハー!」と。
」(p.98)

しんちゃんもスゴイけど、パートナーのエリちゃんもすごい! めっちゃアゲマンじゃないですか。「神か!?」ってレベルの反応ですよ。

実は、私にも似たような経験があります。
リストラされた時です。妻にどう伝えるか、妻の反応が怖かった。でも、その心配は杞憂でした。妻は、リストラされたことを伝えた私にこう言ったのです。
「ソムナムナー!(ざまあみろ)!」そう言って笑ってくれました。途端に肩の荷が下りました。嬉しかったなぁ、笑ってくれたことが。それで、「よし、やっていける!」って思ったのです。私の妻もアゲマンですね。まだそんなに儲かってはいませんが。(笑)


独立しても、すぐに上手くいくわけではありませんでした。保険の営業というのは、相手から契約がもらえなければ商売あがったりです。相手の意に反して契約を取ろうとすれば、前の会社と同じこと。しんちゃんは悩みます。

そもそも、なんで今のやり方が楽しくないのか? しんどいのか?
 考えてみたら、相手の気持ちをこっちがコントロールしようとしてるからなんですね。
」(p.117)

思い通りにならない他人を思い通りにしようとすること。それが苦の原因です。

そこでしんちゃんは、結果に執着するのを諦めました。結果がどうであれ、楽しい気持ち、ワクワクする気持ちで仕事をすることを選んだのです。
会う人を笑顔にする。それができたらその日の営業は○。そう考えたら、ワクワクしてきたと言います。

そしてそのために、松坂投手になろうとした経験を思い出して利用することにしました。イメージを使うのですね。
まずは自分が幸せのシャワーをたっぷり浴びて幸せになり、その幸せを出会う人におすそ分けする。

ポイントは、「相手に何を言って喜ばそう?」とか、頭を使って考えないこと。頭を使って考えると、また相手の気持ちをどうこうしようと計算したくなるんですね。
 だから、言葉は使わずに、もう、めっちゃいい笑顔をピカ………っ!
 それだけをイメージするようにしたんです。
」(p.121-122)

方法論を理屈で考え出すとダメなんですね。それは、相手をコントロールしようとすることにつながるから。
そうではなく、ともかくまず自分が幸せになって、その幸せを根拠に、相手を喜ばせたいという思いだけで行動することです。


しんちゃんが始めた保険外交員というのは、新規の契約をもらうことで報酬が得られます。たとえ何年も継続してもらっても、それでは報酬にはならないのです。

だから、常に新規のお客様を探さないといけないわけです。そうなると、「来月はお客様がいない」「再来月はいない」と、常に「ない」状態を見ることになる。だから、いつもものすごく不安だったんですね。
 でも、「ああ、今、幸せやん」からスタートすると、不思議と「ない」じゃなくて、「ある」が見えるようになりました。
」(p.124)

不安(心配)というのは、まだ実現していない未来に対するものだけです。そして未来は、常に不確定です。
だから、不安視しようとすれば、いくらでも不安になれます。逆に、安心しようとすれば、いくらでも、つまり根拠もなく安心していられるのですね。

ただ、宇宙ではすべてのエネルギーが循環するらしい。
 だから、自分が不安なエネルギーを放つと不安が還ってくるし、強烈な喜びのエネルギーを放つと強烈な喜びが還ってくる。
 宇宙にはどうも、そういうルールがあるみたいなんです。
」(p.126)

投げかけたものが返ってくる。これは、小林正観さんバシャールなども言っていますし、お勧めしている「神との対話」でも言っていることです。


身近な大切な人を笑顔にすると、応援してくれる人が現れる。
 これが、僕が信頼し尊敬するお客様から教えていただいたこと。
 僕が、あなたにお伝えしたい、人生のステージがガラッと変わる法則です!

 人生のステージがかわるとどうなるかというと、幸せがやってくるスピードが速くなります。
」(p.140)

ただ、大切な家族の楽しそうな顔を見ると、僕自身がうれしくて上機嫌になる。
 自分が上機嫌だと、溢れる分の幸せが増えて、家族も幸せにできるし、お客様も笑顔にできる。
」(p.142)

自分の笑顔が先。家族の笑顔が先。そうすれば、お客様も笑顔にできる。
 どうも、この順番が大事みたいなんです。
」(p.142)

宇宙では、すべてのエネルギーが循環している。
 だから、自分が放ったエネルギーがやがて自分の元へと還ってくる。
 だとすれば、自分の大事な人をとことん大事にする人のところには、同じタイプの人たちが自然と集まって、「あなたが大事です」というエネルギーを循環し合うのかもしれない。
 だから、どんどん幸せになるスピードが加速するのかもしれない。
」(p.150)

ちなみに、一番身近な人って、自分です。
 自分を幸せでいっぱいに満たして、はじめて、幸せが溢れ出します。溢れた分の幸せで、人様を笑顔にできます。
 なので、順番としては、まず「幸せのシャワー」で、毎朝、自分を満たす。
」(p.151)

お金を稼がせてくれるのがお客様だからと、お客様を第一にしていてはダメなのですね。
もっと身近な人、パートナーとか家族とかをより優先して大事にする。さらに優先すべきは自分自身。だから、まずは自分が幸せになることを第一に考えなくてはならないのですね。
そのための手法の1つが「幸せのシャワー」。朝、シャワーを浴びる時に、お湯ではなく幸せを浴びているのだとイメージすること。ここで、松坂投手になるとイメージして実現したことが生かされています。


とはいえ、オーナーとして意識していることが、4つあります。

 1つめは、スタッフには自由にしてもらうこと。
 僕が保険で独立したのは、自分の信じるようにやりたかったからです。僕が自由に生きているのに、スタッフを縛ることはできません。だから、もし、「しんちゃんとは、もう仕事をしたくない」となったら、遠慮なく言ってほしいとお願いしてます。
」(p.168)

実家の古民家を、ふぐ料理屋に改装して活かすことになったしんちゃんは、料理や接客などはスタッフに任せて、自分はオーナーに徹することにしました。ただオーナーとして、4つのことを意識していたと言います。

その第1が、スタッフに自由にやってもらうこと。私も妻に、同じようなことを言いました。「あなたは自由だから。もし嫌になって別れたくなったら、いつでも別れてあげるから」と。

2つ目は、お客様に深く喜んでもらうことを考えようという意識を、スタッフにも共有してもらうこと。3つ目は、お客様に喜んでもらうために、コストカットはしないこと。そして4つ目が、逆ピラミッド構造で考えるということだそうです。

現代の社会構造って、ピラミッドの上から下にかけて、上が社長、下がスタッフ・従業員というふうになるんでしょうけど、僕は逆のピラミッドをイメージしてるんです。自分が一番底である、と。
 そう見ることで、スタッフみんなのことを「あ〜、僕が30年間住んだ実家を守ってくれる神様だ」と見れるんです。実際にそうですしね。
 こう見れると、スタッフみんなには、ほんと感謝の気持ちしか湧いてこないんです。
」(p.171)

下座に降りると言いますが、しんちゃんは誰から教わるわけでもなく、こういう発想ができるのですね。これも、しんちゃんの非凡さを示しています。


順風満帆に思えたしんちゃんの人生ですが、ここで奈落の底に突き落とされます。会員制のフグ料理屋で肝を扱っていたことが、大阪府の条例違反ということで逮捕され、厳しい取り調べを受けることになったのです。
その時、妻から差し入れされたのがひすいこたろうさん「ものの見方検定」という本でした。しんちゃんはそれを読んで、過酷な留置場での暮らしの中で、その教えを生かしてみようと考えました。

なるほど、確かに、僕が今いる場所は、人として入ったらアカン最悪の場所や。
 せやけど、見方を変えれば、セレブが万札を高々と積み上げても入れない場所やな。
 ってことは………特別!?
 え……この経験って、めっちゃユニークで、特別なことちゃうのん!?
」(p.188)

起きてしまった現実は変えられない。
 けれど、ものの見方は変えられる。
 ものの見方を変えて、自分が上機嫌でいれば、周りにも上機嫌が広がっていく。そして、現実がいいほうに変わっていく。
」(p.192−193)

これがしんちゃんの留置場の実体験だったそうです。そしてこの体験が、ひすいこたろうさんとの縁につながり、出版にもつながっていくのです。


と、こんなことがあって、僕、改めて、自分のこれまでを振り返ってみたんです。
 そうしたら、短い目で見たら不幸に見えることも、長い目で見たらものすごい幸せに繋がっていることが多かったんですね。
」(p.208)

最大の不幸が、最大の幸せの始まりかもしれない。「人間万事塞翁が馬」の故事で翁が言った、「これが吉兆とならないとも限らないから」という言葉が思い起こされます。

不幸に見えることも、ぜんぶ含めて幸せ。
 そう見れると、何があっても楽しくいられそうですよね。
 大事なことは、自分を幸せで満たすこと。
 あとは力を抜いて、宇宙にお任せしていればいいんじゃないかなぁ。
」(p.211)

だから大丈夫なんですね。そう達観していれば、目の前を一見、不幸そうなことが通り過ぎても、それすら楽しく眺めていられます。


しかも、見返りがない期間が長ければ長いほど、飛び込んでくる契約の額が大きくなるみたいなんです。これって、すごくないですか!?
 これが、僕の気づいた「あさっての法則」です!
」(p.212)

そうすれば、投げかけたエネルギーは、やがて必ず戻ってくる。
 なかなか戻ってこないときは、宇宙のどこかで、利息がいっぱいついています(笑)。
 だから、奇跡の扉を開けたいなら、ワクワクしながらただ自分を幸せで満たして、目の前の人を笑顔にすることだけに専念する。それだけでいいんです。
」(p.213)

お客様を喜ばせても、そのお客様が直接、保険の契約をしてくれるとは限りません。たいていは、その方が他の人を紹介してくれたり、別のお客様が契約してくれたりして、だいたい与えたものが還ってくることが実感できたそうです。
しかし、時にはいつまでたっても見返りがない、ということもあったとか。そんな時でもお客様を喜ばせることを続けていると、突然ドカーンと大きな契約が舞い込んでくる。
しんちゃんはこれを「あさっての法則」と読んで、長い目で見れば与えたものが還ってくると言うのです。


でも、ここが大事なところで、自然の法則は「ギブ アンド テイク」になっていないんです。ただギブするだけ。「ギブ アンド ギブ」なんです。だからもしプレゼントが来るとしたら、自分が「ギブ」をしたところではない、あさっての方向から来るんです。」(p.216)

こういうことがわかっていないと、つい、与えた相手から見返りを求めたくなってしまうのですね。

不安な気持ちでいると、宇宙に不安のエネルギーを放つことになるので、やがて不安なエネルギーが自分のところに戻ってきます。
 だから、心配はホントにしなくていいんです。
」(p.217)

与えただけで戻ってこないんじゃないかという不安も、また1つのエネルギーですからね。与えたエネルギーは、循環するのです。


夢・目標を持って進むのは、目的地として「認識できる星」に向かうということだと思いますが、あなたの最高の幸せは、今は「認識できていない星」にあるかもしれないんです。
 そう考えると、夢・目標を持つのは、あなたの幸せの幅を狭めることになるのかもしれない。自分で、自分の幸せの上限を決めることになるのかもしれない。
」(p.230)

夢や目標を持つことの問題点は、1つにはそれを得られるまで幸せになれないということがありました。そしてもう1つは、他にもっと幸せになれる道があるのに、それを見逃してしまうという問題ですね。
宇宙(魂、神)は自分を最大限に生かしてくれると信頼していれば、すべてをお任せすることができます。そして、そうした方がものごとがスムーズに行くとしんちゃんは言うのです。


幸せで始めたから、トップの地位に運んでもらえたんです。
 ものごとって、きっと、自分が幸せになるとうまくいく。
 成功したから幸せになるわけじゃなくて、幸せだから成功するんです。
」(p.234)

「神との対話」でも、所有が存在(在り方)を決めるのではなく、在り方によって所有が生まれるということが書かれています。幸せという在り方からスタートすれば、成功が所有できるのです。

しかし、だからと言って、無理にポジティブになろうとしてはいけません。それは、今の自分を否定することですから。「神との対話」でも自分に優しくと言っていますが、しんちゃんも同じことを言います。

自分に優しくしてください。めちゃくちゃ優しくしてください。
 スタートは「自分は幸せだ」と決めることなんですが、幸せだと決めても、しんどいときはあるし、「それはいやだな、やりたくないな」ということにも、きっとたくさん出会います。
 そんなときは、素直に心の声を聴いて、自分に寄り添ってあげればいいんです。
 みんな、人との関係が、人間関係がとっても大事っていうけど、まずは一番近くの人である自分自身との関係を優しいものにしてあげてください。
」(p.235)

しんどいならしんどいと認めること。無理をするということは、今の自分を否定することですからね。今はそれでよいと受け入れることですよ。


10年以上、毎日「幸せだなぁ〜」と思い続けてたら、もうどうやっても、幸せにしかなれないです(笑)。」(p.237)

これはいわば洗脳でもあります。自分で自分を洗脳するのです。自分は幸せなのだと。
この考え方の習慣が身につけば、何があろうとなかろうと幸せでいられますからね。


こういう生き方が最初からできてしまうのは、やはりしんちゃんの非凡なところだろうと思います。
けれども、だからしんちゃんが特別で、他の人には不可能だ、などとは思いません。もちろん、イメージトレーニングで松坂選手のようになるなんてことは、できないかもしれませんけどね。(笑)

けれども、考え方の習慣というのは、日々のちょっとしたことに意識することで変えていけると思っています。
最初から諦めない限り、ちょっとでいいから前に進もうと思い続ける限り、誰にでもできると思うのです。

そういうメッセージを、自らの半生によって示してくれたしんちゃんは、私たちにとって重要なメッセンジャーだと思います。
だからそのメッセージを受け取って、次は自分が実践し、次の人たちへのメッセンジャーとなる生き方をする。そういう気持ちになるだけで、この本を読んだ意味があると思うのです。
あなたも、ぜひ、これを実践してみませんか?

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 09:12 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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