2017年05月16日

霊視してもらいました

私が「coconala(ココナラ)」というサイトに出品するようになったきっかけは、昨年末にPASAITさんの霊視を受けたからです。

魂の霊視いたします 評価を観れば一目瞭然!【本当になりたい自分を知りませんか?】

「たましいのことだま」を創っていただき、チャクラクレンジングも教えていただきました。


この方の霊視が本物だなと感じたのは、指摘されたことが実に私にぴったりだったからです。かなりボリュームがあるのですが、引用しましょう。

まず赤木さんの魂の質として「正しさ」があります。
力強く、そして突き進むものです。若いころは年相応の「正しさらしさ」にそって結果を出してきた部分があると思います。
それが年を重ねるにあたり、さまざまな経験を経て「寄り道」や「余裕」が必要だと学び、自分にそれを足してきたのでしょう。とてもよい成長のされ方をしております。

ただ、「頑固」な部分があり、しかもそれが「正しさ」と繋がっているので、自分で頑固だと思っていなくても相手には「頑固」だと受け取られる面が大いにあります。これは困ったことに赤木さん自身が困るような状況にならないと表面化されないことが多いので、あとから「あの時は頑固だからこうなったのか」と思う失敗例が多いのではないでしょうか?

「頑固」

というのがひとつのキーワードです。良くも悪くもこの部分をどうにかするために赤木さんは産まれてきました。

今の時期と言うのがあるていど学びを終えて、新しい自分にあるために脱皮する時期なのですね。
トラブルやもめ事など、そういったもので成長する時期を終えて、今度は「託す」「任せる」時期に入ろうとしています。きっとなにかを始めても想像の範囲内でしか結果を残せないと思うのです。若いころは思っているよりもはるかに成果が出たりしたでしょうけど、もうそれはありません。
これは経験も大いに関与しているのでご自身でも感じてらっしゃるはずです。

その中に「お金」の問題があります。これを使って今から成長するための学びが始まっています。
ぼんやりと収入を上げたい、安定させたいと感じられるのは新しい学びの時期を迎え、今まであったものを捨てた不安から生まれています。そこに新しく良い気や未来の自分になるものが入ってくると思ってください。
なのでそこになるべく不安を入れないようにすることが大事です。きっとそれも気を付けて過ごしてらっしゃいます。そのままで大丈夫だと言うことです。

ただ、赤木さんには複雑な部分があって、お金に対して固執している部分と固執していない部分とが同居しているのです。相反する考えがあって、それを他人の反応で理解しているが自身にうまく落とし込めていない状態です。

これは意識レベルに当てはめると(わかっている前提で話しますw)
「理性から愛へ移る」ことを意味します。

愛と言うのは「委ねる」ことも必要であり、相手の成長を促すことも愛なのです。
ですからそれをすべく収入の不安が頭をよぎるのです。

高次の魂たちが「収入」によって、新しい学びを得られるように仕向けていると思ってください。

わかりやすく言うと、金銭の問題が、赤木さん本人から家族へと譲渡される時期であるということ。
人は結局自分で立てなければいけません。「養う」という意識を手放しために今があるのです。なのでそれは手放してください。

ここが上手く学べると本当の「おだやかさ」が始まっていきます。
ある種、作り上げてきた、作らなければいけなかった今までの「穏やかさ」から、まるっきりベクトルもジャンルも違う「おだやかさ」が始まります。
あなたにとっての「おだやかさ」であり、他人に理解されないものも産まれます。それをしっかりと味わうことが大切です。

キーワードとしては

「頑固」
「理性から愛へ移る」
「本当の自分だけのおだやかさ」

です。

少し難しい学びではありますが、平静さとおだやかさをもって歩んでいかれることを祈ります。



まさに私の課題であるし、安心して不安を手放すことが重要なのだなと、改めて思いました。

ついでに「たましいのことだま」も公開しましょう。

私は 幸せに寄り添って歩みます
私は 幸せを分け与え歩みます

ひとつ 自由を重んじ、また自由の意味を深く理解します
ひとつ 自分を尊重し、他者の自由を尊重します
ひとつ 道を見つめます
ひとつ 心を見つめます
ひとつ 関係を見つめます
ひとつ 魂を見つめます
ひとつ それらを探求し、見つめます
ひとつ それらと調和し、寄り添い生きます

ひとつ 孤独と調和します
ひとつ 愛と調和します
ひとつ 身の内の困難を手放します
ひとつ 愛に委ねます
ひとつ 愛に身を任せます
ひとつ 孤独は愛のはじまりと理解します
ひとつ 世界を見つめます
ひとつ 宇宙を見つめます

私は 宇宙と調和し、世界に自らを置きます
私は 思考を捨て、感覚を取り戻します

考えず、感じながら生きます
その先におだやかさがあることを理解します



これも私のピッタリだなぁと思いました。

霊視と自分だけの「たましいのことだま」を創ってもらえます。気になる方は、どうぞお試しください。
タグ:PASAIT 霊視 言霊
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:18 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月15日

未来の私からのメッセージを聞きました

「coconala(ココナラ)」という販売サイトに遠隔レイキヒーリングなどを出品しています。

それでいろいろ眺めてみたところ、面白い鑑定(占い)がありました。

「未来のあなたからのメッセージを伝えます
将来のあなたへコンタクトし
今のあなたに必要な言葉を聞きます。」


湯汲大悟さんが鑑定してくださるそうです。評価もかなり高かったので、思い切って鑑定を依頼しました。

未来のあなたからのメッセージを伝えます 将来のあなたへコンタクトし今のあなたに必要な言葉を聞きます。

私が知りたかったのは、今住んでいるところから引っ越したほうがいいのか、引っ越すとしたらどこか、ということです。

日本に戻るのか、妻の実家へ行くのか。選択肢がいくつかあるなと思って、鑑定を依頼しました。


鑑定してもらって驚いたのは、そのボリュームです。そして、私についての鑑定内容が、実に的を射ていたのに驚きました。

誰とでも気軽に接する事ができる方ですが、礼儀を忘れず周りに気を使っているんですね。考えて動くよりもまずはやってみようと動かれます。自分にも厳しく頼まれたら嫌って言えないんですね。

自分に厳しく、周りにも厳しくと周りでは引き締め役ですね。目標が決まっていればブレる事なくまっしぐらに進んでいきますね。状況判断が早く何が良くて、何が悪いのかすぐに修正していきます。

今を大事にし、みんなが平等になるにはどうしたらいいのか、周りの意見を尊重します。仲間意識が強く同じような考え方ができ、その輪を大事にしていますね。

負ける勝負は好みません。負けないためにアンテナを張って状況判断をしていきます。リスクマネジメントができていて、傷が大きくならない内に行動を起こします。やれると思った時はどんなことにも立ち向かいます。

その時その時で判断をせず、じっくり物事を考えて決めていきたいんですね。最悪のパターンを押さえておけば困る事はないですもんね。動く事が好きと思われがちですが、のんびりゆっくりできるほうがいいんですけどね。



そして、未来の私からのメッセージをいただきました。

今年の過ごし方として、
今は場所を動かさず、このまま自分の活動を進めていた方が良かったね。そのままでいればいらない苦労をすることもないし、今ある条件が成功の元になっているからどこにも場所を動かさないのが良いよ。特にこの3年間は住居を移さない方が良いとの事だから、場所は気にしない事。だそうです。

将来の動き方は、
場所を安定させたいって思うけど、タイと日本を行ったり来たり、それぞれの場所で活動してるよ。タイでも日本でも呼ばれてしまうんだよね。それからそれぞれ活動が相乗効果を発揮して活動範囲が広がっていくよ。これで良いのかな?思う時があるんだけど、それはうまくいってる証拠だから、そう思った時は何が足りなくなっているのかを見ると次のヒントが見えて来るよ。

未来の篤さんからのメッセージです。
僕を慕って来てくれる人が現れた時はしっかり話を聞いてみると、自分が気づけていなかった部分を見る事ができるよ。「そんな事ないよ」って思ってしまうけど、徐々に実感し始めて来るから。「柔軟に」って言葉が切り開いていく言葉にもなったね。


私は基本的に、占いは信じない人間です。都合の良いことだけ信じるのですから、全体としては信じていないってことですから。

そんな私ですが、湯汲大悟さんが鑑定した未来の私からのメッセージは、何だか感じるものがあります。

「強情」が私の欠点でもあり、長所でもあると思っています。でも、このメッセージにもあるように、変に強情を張ることなく、柔軟に対処していこうと思いました。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:21 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

はだしの聖者



神渡良平さんの本を読みました。上のリンクにあるのは致知出版社のものですが、それより先に出版されたコスモトゥーワン発行、文園社発売の本を中古で買いました。

この本はノンフィクションです。西田天香さんが立ち上げた一燈園に所属していた山崎寿(やまさき・とし)さんの話です。サブタイトルにはこう書かれています。「満州の二宮尊徳といわれた山崎寿の物語」今やほとんどの人が、満州開拓がどうだったかを知らないのでしょうね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

人のため、社会のため、尽くして尽くして尽くしきって生きた「はだしの聖者」。
 その人とは、戦前の満州植民地化の中で、満州の人の中に入り、彼らといっしょに泥まみれ汗まみれになって田畑を耕し、農業指導をし、ついには廟(みょう)さん(神さま)とまで慕われるようになった山崎寿(とし)さんである。
 山崎寿さんは大正、昭和の精神史に偉大な足跡を残した一燈園の創始者、西田天香(てんこう)さんの弟子である。山崎さんは下におりて人の足を洗う天香さんの生き方に感動し、大正十四年、満州に渡って、同じ精神で満州のために尽くそうと取り組んだ。
」(p.3)

冒頭で、山崎さんのことをこう紹介しています。師の西田天香さんは、住む家はおろか何一つ所有せず、托鉢と言って他人の家のトイレを掃除したり、様々な手伝いをする中で「生かされる」という生き方を示された方です。

今、家などを持たない生活をしている坂爪圭吾さんという方がおられますが、まさにそういう生き方を一燈園ではしていたのですね。


トルストイは「死ね」と言う。運命を天に任せて、食えなければ、元に還ればいいではないかと言う。
(無理に他をしのいで生きることは死ぬることである。運命を天に任せて食えなければ本体に還ればよい。死ねとは妄想から離れることで、悟れば全体が自分なのである……)
「そうか、そうなのか! 自分の命にさえ執着しなければ、捨て身で生きられる。よし、きょうかぎり死んでしまおう」
」(p.20)

西田天香さんが若いころ、トルストイ「我が宗教」を読んで感化されたというくだりです。自分1人が死んだとしても、全体にとっては何も変わらない。そうであるなら、自分1人が生きようとして他をしのぐくらいなら、運命は天に任せた方が清々しいと言うのです。

信仰とは、確実にこうなるとわかっているからやることではありません。結果がどうであろうと、目の前に現れたものをそのまま受け入れる。死ぬことさえ受け入れる。かつて親鸞が、師の法然に騙されて地獄に落ちたとしてもかまわないと言ったように、すべての結果を受け入れる覚悟なのです。

天香さんもこのように、自分が生きるか死ぬかということさえ手放して、すべて天に任せる生き方をしようとされたのでした。山崎さんは、こういう天香さんの生き方に感銘を受け、一燈園に身を寄せることになるのです。


寿は食事も雨露をしのげる家のことも忘れて、ただただ托鉢に歩き、夜は勝林院の本堂の下に帰った。我が強いわたしはこの方がいいんだ。神様はわたしを徹底して叩いてくださるんだ。ありがたいと思わなきゃ。寿はすき腹を抱えて寝込んだ。すると夜半になって天香の声がした。
 −−托鉢者は行き詰まるだけ行き詰まってみるがよい。日の脚はこちらの行き詰まりを待ち合わしていない。日は暮れ、腹が減ってくるが、泊めてくれる家はない。だれも握り飯ひとつ持ってこない。寂しい気がする。でも、そうしたときこそ、人間、真剣になるものだ。まだまだ行き詰まるがいい。どうするか。しみじみと考え込む。祈りたくなる。そうしたときに知らず知らず、一段一段と自分の我がはげていく。結構な修行だ。托鉢は神と人からの恵みなのである。
」(p.63 - 64)

何軒も断られながら、それでも托鉢をして歩きます。何かをもらう托鉢ではなく、トイレ掃除などをさせていただく行のことです。見も知らぬ他人を家に上がらせて、トイレ掃除をさせてくれる家は多くはありません。

さらに、食事をねだることもしないし、泊めてくれとも言わない。ただただ下座に下り、掃除をして、掃除をさせていただけたことに感謝する。そういう一燈園の托鉢を、山崎さんも繰り返したのです。


一燈園では連れ添いを選ぶのも自分の意志では行わない。自分の結婚だからこそ、我執が入り込みやすい。いかに立派な修行を積んできても、その一点で崩れるのだ。すべてお光の導かれるままに行われなければならない。」(p.123)

昔は、結婚相手は親同士が決めるのが当たり前でした。そういう時代であることを考えれば、当時はそれほど問題にはならなかったのでしょう。現代は、当人の意志を無視することは批判されます。

けれどもこれは、どちらが正しいかという問題ではありません。一燈園の修業をする者としては、結婚もまた修行の一環と言えるのでしょう。


確かにひとつはあります。それは一燈園がやっている金州郊外の燈影荘です。ここはみごとに五族協和の理想を実現しています。燈影荘の主催者の山崎寿氏は現地の満人から、廟さん、廟さんといって慕われているそうです。残念ながら日本人が満人に慕われるということはあまりないことなのですが、この山崎寿氏は別のようです」(p.132)

これは若槻首相が内田満鉄総裁を呼び、満州統治の実情を尋ねた時、内田満鉄総裁が報告したときのセリフです。

五族協和の掛け声もむなしく、特権階級に収まった日本人が多かったのですね。満州人や朝鮮人を奴隷のようにあごで使い、ふんぞり返っていたのでしょう。そんな中で一燈園の人たちは下座に下り、現地の人から慕われるようになっていたのです。


敗戦により、日本は満州を追われます。山崎さんも兵役に就き、シベリアに抑留されることになります。何度も死線を越えながら、やっとの思いで帰国。しかし、その命は長くは続かなかったようです。昭和23年(1948年)12月25日、山崎さんは46歳の若さで亡くなります。

その日、山崎さんは子どもたちを呼び寄せ、「イワンのばか」の話を語って聞かせました。そして子どもたちにこう語るのです。

いいかい、みんな。このイワンはちょっと見れば馬鹿正直で損をしているように見えるよね。でも、それは人間の目から見たらの話であって、神さまから見たらちがうんだ。汗臭いから外に行けと言われたら、素直にハイと言える−−これほど強いことはない。そうすればもう悪魔も勝てない。お父さんが満州でやろうとしたことはこのことなんだ。」(p.229)

賢く得をするように立ち回るのではなく、すべてを運命に任せて、争わない生き方をする。損を損とも感じない。それがもっとも強い生き方だと言うのです。


戦前の日本の教科書に、山崎さんのことが「満州の二宮尊徳」と載ったそうです。そんな有名になった人のことも、戦後はすべて悪いことにされて、記憶から消されてしまいました。

神渡さんは、ライフワークとしてそういう目立たない人の生き様を掘り起こしておられます。一隅を照らす人々を紹介し、読者に勇気と希望を与えてくれるのです。

はだしの聖者
 

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2017年05月12日

「引き寄せの法則」を上手に使うコツ

先日紹介した動画「「引き寄せの法則」で重要な2つのポイント」に続いて、使うコツについて語ってみました。



特定の結果に執着すると、かえって引き寄せられなくなる。それは、動機が「不安」だったからでしたね。

では、どうすればいいのか? 続きは動画をご覧ください。


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2017年05月11日

幸せの公式について

今日も動画を撮りました。

「幸せの公式」についてです。



覚えてましたか? ぜひ動画をご覧ください。


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2017年05月10日

「引き寄せの法則」で重要な2つのポイント

久しぶりに動画を撮ってみました。

「引き寄せの法則」はよく知られるようになりましたが、ここで述べている2つのポイントが軽視されがちなように感じます。



その2つのポイントとは・・・。ぜひ動画をご覧ください。


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2017年05月08日

こころの処方箋



野口嘉則さんのオンラインセミナーの課題図書を読みました。河合隼雄(かわい・はやお)さんの本です。

これは元々、1988年から1991年まで「新刊ニュース」に連載されたエッセイに10章ほど新たに加えて、1991年に単行本として出版されたものです。新潮文庫になったのは1998年で、私が買ったのは第44刷の2016年4月発行の文庫本です。ロングセラーですね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

確かに私は臨床心理学の専門家であるし、人の心ということを相手にして生きてきた人間である。しかし、実のところは、一般の予想とは反対に、私は人の心などわかるはずがないと思っているのである。」(p.10)

人の心はわからないものだ。そう河合さんは言われます。これは驚きましたが、考えてみればそうですね。こうだと思っていても、そうじゃないことがあるかもしれない。そういう気持ちを持ち続けることは、科学者としては当然だと思います。

多くの人は、その逆に決めつけしやすいものです。「あの人はそういう人なんだよ」など、レッテル貼りなんかもそうですね。そのことによって、他の可能性が閉じてしまうのです。それは真に相手を理解することにはならないのですね。


その人の言っている悪いことは、何かよいことのバランスのために存在していることを見抜けていないのである。
 それでも、人間はよいことずくめを望んでいるので、何か嫌なことがあると文句のひとつも言いたくなってくるが、そんなときに、「ふたつよいことさてないものよ」とつぶやいて、全体の状況をよく見ると、なるほどうまく出来ている、と微笑するところまでゆかなくとも、苦笑ぐらいして、無用の腹立ちをしなくてすむことが多い。
」(p.15)

良いことばかりも起きなければ、悪いことばかりも続かない。それを「ふたつよいことさてないものよ」と、面白い言い回しで説明されます。これを口癖にしていると、出来事に翻弄されずに冷静になれますね。

悪いと感じることの中に、良いと考えられることがあります。もちろん、その逆もあります。出来事はニュートラル(中立)で、悪い側面と良い側面があるだけなのです。いわばコインの裏表ですね。

河合さんは、子どもがいないことを嘆く人もあれば、子どもがいてもそれによって不幸になる人もいると説明します。だから、「子どもがいないから」と言って嘆く必要もないし、「子どもがこうだから」と言って不幸をかこつ必要もないのです。


イライラは、自分の何か−−多くの場合、何らかの欠点にかかわること−−を見出すのを防ぐために、相手に対する攻撃として出てくることが多いのである。」(p.47)

イライラの原因は他人や出来事にあるのではなく、それは単に縁(きっかけ)なのです。原因である自分の心の中にあるコンプレックスなどが表出しそうになるので、それを嫌がって起こる感情なのですね。


自立ということを依存と反対である、と単純に考え、依存をなくしてゆくことによって自立を達成しようとするのは、間違ったやり方である。自立は十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれでてくるものである。」(p.95)

子どものうちに十分に甘えて安心感を得ることによって、子どもはスムーズに自立していく。最近は、そういうこともだんだんと常識になりつつあるように感じます。昔は甘え癖がつくとか、抱き癖がつくなどと言って、過度に甘えさせないよう厳しくするのが常識だった時期がありました。隔世の感があります。

親が自律的であり、子どもに依存を許すと、子どもはそれを十分に味わった後は、勝手に自立してくれるのである。」(p.96)

したがって重要なのは、親自身が自立していることなのです。親が自立していないと子どもに依存して、子離れできなくなります。こういう親は、子どもが依存してくることを喜び、子どもの親離れを阻害します。

親がしっかりと自立し、子どもが甘えたい時は甘えさせてあげ、放っておいてほしいときは放っておくなら、子どもは親に対して安心感を抱いて、自立するようになるのです。


二人で生きている人は、一人でも生きられる強さを前提として、二人で生きてゆくことが必要である。無意識的よりかかりや、だきこみが強くなりすぎると、お互いの自由をあまりにも奪ってしまい、たまらなくなってくるのである。」(p.157)

親子などの従属関係では、まず主である親が自立することが重要でした。夫婦などの並立関係では、互いに自立していることが大事なのですね。そうやって自立した大人同士が連携することで、より良いパートナーになれるのだと思います。


早すぎる知的理解は、人間が体験を味わう機会を奪ってしまうのである。さりとて、「知る」ことがなさすぎると、災害をどんどん拡大していって収拾がつかなくなってしまう。実際には、ある程度のことは知っていても、事が起こるとあわてふためき、それでも知っていたことがじわっと役立ってきて収まりがつくという形になることが多い。」(p.221)

変に物知りになると、体験する前からわかったような気分になり、体験の機会を逃してしまいます。その弊害を河合さんは指摘しておられます。

それでも、知っていることによって、深みにはまらずに済むメリットがあるとも言います。感情が沸き起こったら、まずはそれをしっかりと感じ、感情に振り回されないようにして、その背景を考えてみる。そんなふうにして、しっかりと体験することが自分に役立つのだろうと思います。


これはエッセイ集のようなものなので、本全体で何かのテーマがあるというわけではありません。どこから読んでもよくて、そういう意味では近くに置いておいて、好きなところを読んでみるという読み方もあるかと思います。

1章が4ページで、全部で55章あります。一気に全部読むより、1回に1章ずつ読んでは考えてみる。そういう読み方をお勧めします。

こころの処方箋
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:21 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月30日

ガラスの地球を救え



手塚治虫さんの本を読みました。手塚さんが亡くなられたのは、平成元年(1989年)2月9日だそうです。これは手塚さんのエッセイで、同年4月に未完だったものに手を加えて、単行本として出版されました。私が買ったのは文庫本で、1996年の発行となっています。

どうしてこの本を買おうと思ったのか忘れましたが、何かを見てピンと来たのだと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「食糧難で餓死する人がたくさんいたり、食物を奪い合って、殺し合いが起こる」「核戦争で人類滅亡だよ」「きっと大地震が起こって壊滅する」「放射能に世界中が汚染されると思う」こんな具合です。
 同様の不安はぼく自身のなかにも確かにあるし、前述したように事実、全地球規模で危機感は増大しているにはちがいありません。さらに、テレビやSF映画、マンガが、子どもたちの不安感に拍車をかけているのかもしれませんが、未来人として二十一世紀の担い手になるべき子どもたちの未来像をおおう、この絶望感はどうでしょう。
 子どもたちの明るく輝く未来は、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。
 こんなさびしいところへ子どもたちを追いつめてしまったのは、ほかならぬぼくら大人なのです。
」(p.33 - 34)

手塚さんは、人類の未来に不安は抱くものの、それ以上に未来を担う子どもたちに希望がないことが心配だと思われているようです。そして、子どもたちがそうであるのは、大人たちに原因があるのだと。


どんな国も、それぞれの”正義”をふりかざして戦争をしてきましたし、いまもしています。”正義”とはじつに便利な言葉で、国家の数だけ、あるいは人間の数だけあるとも言えそうです。」(p.61)

これは私も同感です。さすが手塚さん、よくわかっていらっしゃる。


幼いころから生命の大切さ、生物をいたわる心を持つための教育が徹底すれば、子どもをめぐる現在のような悲惨な事態は解消していくだろうと信じます。
 今、ここから始めればいいのです。ただ、繰り返しますが、そのためには”豊かな自然”が残されていなければならない。
 自然というものは人の心を癒やす不思議な力を宿していて、自然こそ、子どもにとっては最高の教師だとぼくは思います。
」(p.64 - 65)

子どもは時に残酷で、小動物を傷つけたり殺したりして遊びます。私も、そんなことをしたことがありました。手塚さんは、そういう経験もまた、生命の尊さを学ぶために必要なのだと言います。


”ダメな子”とか、”わるい子”なんて子どもは、ひとりだっていないのです。もし、そんなレッテルのついた子どもがいるとしたら、それはもう、その子たちをそんなふうに見ることしかできない大人たちの精神が貧しいのだ、ときっぱり言うことができると思います。」(p.67)

どんな子どもの中にも、素晴らしい本性が宿っている。手塚さんは、そういう見方をされるのですね。


なにが必要な情報か、ということですが、ぼくはとどのつまり、生命の尊厳を伝える情報が最も必要でかつ重要な情報だと思います。
 現在の暴力非行や、親子の断絶や、生命の軽視は、子どもや若者たちがこれまで育って来た期間に得た情報の吸収、蓄積によってもたらされた結果です。大人たち、あるいは子どもの身のまわりや社会に繰り返し行われる暴力や犯罪、享楽的な性描写などの情報が、子どもを倫理的に麻痺させてしまったことは確かです。これが十倍、百倍になって嵐のように襲う時、どうしようもない人間喪失の社会が実現してしまうでしょう。
」(p.113)

手塚さんは、このように情報の重要性を指摘します。情報とは、映画やテレビ、マンガもそうです。大人が子どもに与えているもの。それが問題なのです。

しかし、これは手塚さんの主張としては矛盾があると思います。手塚さん自身、「鉄腕アトム」などの作品で、多数の暴力を描いています。アメリカにアニメを輸出しようとした時、その暴力性を指摘されたにも関わらず、手塚さんは修正に応じなかったと書かれています。

また、戦後間もないころ、マンガにキスシーンを描いて批判されたことも書かれています。当時の日本の常識としては、キスシーンはそれこそ「享楽的な性描写」だったと思います。正義(価値観)は人それぞれなのですから、一方的な基準で「享楽的」と決めつけるのは、おかしなことだと思います。

自ら暴力を描き、性描写を描きながら、そういうものが子どもをダメにするのだという主張には、少々説得力がないようにも思うのです。


動きというものに性行為と同じような存在感を感じるわけです。
 形にしても、たとえば雲がある形から別の形に移行する、その変化の過程に色気を感じるのです。形が定まってしまうともうダメ。
 だからこそ、動きの色っぽさを追求するためにアニメを始めたともいえます。それでぼくは一種のオナニーをしているのかもしれません。
」(p.166)

こういう告白は好きですね。セックスをタブー視するのではなく、むしろ尊いものとして感じているからこそ、こう言えるのでしょう。「動き」の中にエロティシズムを感じるなんて、とても共感しますね。

「そこになぜエロティシズムを感じるかといえば、そこに生命力を感じるからなのです。動いているという感触があって、なまなましさというか、なまめかしさを感じるのです。」(p.167)

私も、ダンスなどを見るのは好きです。自分では踊れませんが。きっと手塚さんと似たような感覚があるのでしょう。


しかし、地獄へ真っ逆さまに堕ちる悪の魅力、負のエネルギーのすさまじさを知れば知るほど、生命の輝きの美しさ、すばらしさもより鮮やかに浮き上がってくるともいえそうです。」(p.170)

手塚さんは、悪を否定しません。むしろ魅力さえ感じておられます。なぜなら、その背後には生命を感じておられるからのようです。


最後に未来予想を書かれていますが、いったん沈んだ後、また浮かび上がるという未来です。どんなにダメになっても希望を失わないという、手塚さんらしいものだと思います。

善も悪もあって人間。まるごとの人間を、生命そのものを、尊いものとして畏敬する。それが手塚さんの考え方なのだろうと思います。

人間というのは、そもそも矛盾しているものだと思います。そういう意味では、手塚さんのある意味で矛盾した主張というのも、人間らしさということではないかと思います。
 
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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:08 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

あなたのなかのやんちゃな感情とつきあう法



金城幸政(きんじょう・ゆきまさ)さんの本を読みました。どこでこの本を知ったのか忘れましたが、おそらくFacebookで共通の友人である野田智弘さんの紹介ではなかったかと思います。

私は金城さんのことはまったく知らなかったのですが、沖縄在住のカウンセラーだそうです。「5万人の人生を変えた「心」の伝道師」という肩書がすごいですね。時々、東京でもセミナーを開かれているようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「それそれ! 気づいて!」「本当の私はこう思ってるよ」という、あなたのなかの本当のあなたの声、「本音」に導いてくれるサイン。
 それが、感情なんです。
 だから、どんな感情でも、それをひとつ押し殺し、見て見ぬふりをすると、ひとつ自分にウソをつき、自分を見失っていくんです。
」(p.25)

まずは自分の感情をしっかりと受け入れることが重要だと言います。こういう点は、多くの心理学でも語られていることですね。「神との対話」でも、感情は魂の声と言っています。魂の声をよく聞いて、魂の導きに任せることが重要なのです。

感情をひもといて本音にたどりつくことができたら、人間関係に表れているすべての問題は、自分でつくりあげていた幻だった、ということがわかります。」(p.24)

すべての問題は人間関係から生じると、アドラー心理学では言います。そうであるなら、すべての問題は自分で作り上げている幻であり、それに気づくには自分の感情を受け入れ、本音にたどり着くことが重要だということになります。


料理をつくるのも旦那さんに認められるためだし、仕事をがんばるのも上司に認められるため。自分がやってみたいから、自分の成長のために何かをする、という発想がないので、永遠に人の評価ばかり気にして、「承認」を探してさまようようになってしまいます。
 母親に愛されなかったと思っていることが原因で、人は何歳になっても、母親や周囲の人、他人にまで、どう思われるかを気にして生きるようになるんです。
」(p.43 - 44)

親に愛されなかったということを引きずって、他人の評価を気にするということが、すべての問題の元凶とも言えます。そのことを、金城さんも指摘しています。


本当の愛って、とっても自由なものなんですよ。なのに、この地球では、愛する人を自分のものにしたがるって、おかしくないですか?
 恋愛や結婚って、本来、お互いの自由を尊重するためのもの。でも、そのことをすっかり忘れて相手を所有物のように扱うから、さまざまなトラブルが起きるのです。
」(p.51 - 52)

愛は自由だという考え方は、私は「神との対話」で初めて知りました。金城さんも、同じようなことを言われているのでビックリです。

たとえば、自分の恋人が浮気をしたらゆるさない、という男性は、女性を飼い殺しにすると公言しているようなものです。」(p.52)

自由を極論すれば、浮気も自由ということになります。私は極論が大好きなので、常々そういうことを言っては、批判を受けたりもしたのですが、金城さんも同じことを言われているのですね。


本物の罪悪感の正体は、「自分が自分をしないことへの罪の意識」です。
「自分をする」というのは、自分に素直、実直、誠実であること。自分のほんとうの気持ちをちゃんと見てあげて、自分の思いにウソをつかないということです。
 自分を生きていない分、自分にウソをついた分、澱(おり)のようにたまっていくエネルギー。それが罪悪感なのです。
」(p.82 - 83)

罪悪感は、最悪の精神活動だと「神との対話」でも言っています。その罪悪感を金城さんは、自分を正直に出さないことへの罪の意識だと言います。自分に正直でないこと、自分を騙していること、それに耐えられなくなって行くのですね。


そんな神さまの世界は、愛と調和のエネルギーがただあるだけ。私たちの本質は愛です。
 でも、それだと愛とは何かがわからないので、愛でない体験をすることで、再度愛を感じようと、「不安」と「愛情」という段階を、この物理的次元の地球に生み出したのです。
」(p.103)

これは、「神との対話」を読んでいる人にはよくわかっていることですが、これだけ言われても「なんで?」と感じるかもしれませんね。それにしても、こういうことを当たり前のように話す金城さんて何者?という気がします。


感情をひもとくためのもっとも有効な方法は、問いかけのベクトルを外側ではなく、内側に向けることです。
「なんであんたはいつも自分勝手なの?」と外側に向けるのではなく、「どうして自分はこんな感情を持つんだろう?」と内側に問いかけるのです。
」(p.114)

すべての原因は自分にあり、感情を受け入れ、その感情がどうして起こるかを紐解くことが、解決への第一歩になると言っています。そのための方法として、他者を責める方向に問うのではなく、自分がなぜその感情を抱いたのか、その思考を尋ねるようにと言います。これはたしかに、良い方法だと思います。


本来、本音って素晴らしいに決まっています。いわれたほうは、図星なだけに心が痛むかもしれません。でも、それが自分を改めるきっかけになると知れば、人は本音をいってくれた人に感謝するようになるはずです。」(p.127)

これは、そうだなあとも思いますが、やや疑問もあります。と言うのは、金城さん自身が紹介で入社した会社で、社長の奥さんに面と向かってその非を指摘し、辞めさせられています。それで、奥さんが金城さんに感謝したならわかりますが、そうはなっていないのです。

お母さんやお父さんに対しても、金城さんは子どものころから歯に衣着せぬ言い方をしていたようです。それでご両親が生き方を改めて幸せになったのなら別ですが、どうもそうはなっていないようです。

考えてみれば当たり前のことですが、人は自分に対してだけ責任を持ちます。たしかに直言することで、相手に考えさせるきっかけを与えることができるかもしれません。けれども、それをどう受け取るかは、相手次第なのです。

ですから、自分に正直になることは重要だとしても、それを相手に直接言うことが重要だとは思えないのです。どっちが正しいかではなく、私はそう感じるということですね。


実は、望むことだけオーダーできるようになるには、「自分に疲れ果てる」ことが必要です。人は自分に疲れ果てたとき、初めて「本当に変わりたい」って思えるんです。」(p.175)

金城さんも、引き寄せの法則を上手に働かせる方法について言及しています。いろいろ書かれていますが、ただ「思う」だけでいいという部分の説明は、よくわかりません。けれど、ここに書かれているように、自分に疲れることで変わるというのは、よくわかります。

私も、それを体験しているからです。失恋ばかりしていて、そういう自分にうんざりして、これまでの執着を解き放ったのです。詳しくは、ブログ記事「50歳の私が結婚できた理由」に書いていますので、そちらをご覧ください。

とにかく、悩みに悩んで一度、自分を不安だらけにしてみる。すると、いつまでも不安のループをぐるぐる回っている状態って、ものすごく疲れることがわかります。悩むってすごいパワーが必要だって、理解するんです。
 そして、もうこれ以上ない、ってくらい悩みに悩んで悩みつくすと、人間、さすがに疲れ果てます。
 結局、「あ〜もう悩むの疲れちゃった。やめよう。不安を考えていてもきりがない。同じパワーを使うなら、自分を幸せにするために使いたい」って気持ちが自然に湧きあがってくる。人はそんなふうにできているのです。
」(p.178)

金城さんは、わざと悩み倒してみる方法を勧めておられます。けっきょく、「もうこんなことどうでもいいや。どうにでもなれ。」という気持ちになって結果を手放さないと、変われないのではないかと思います。


たとえば、流れのない水は腐りますよね。それと同じで、停滞したものは腐るので、死ぬと決まっています。エネルギーが止まったことを「死」というように、停滞すると死へ向かってしまう。
 だから、宇宙は変化を拒む人がいると、なんとかその人を動かそうとして、動く必要性をもたらすのです。それが、事故や病気、大きなトラブルなど、いわゆる「不幸」と呼ばれるもの。
」(p.202)

一見、悪い出来事のように見えて、それは自分が変わるチャンスなのですね。その出来事をしっかりと受け入れれば、自然と変わっていく。そして自分が変われば、状況もまた変わっていくのです。


金城さんが、どうやってこういう考え方を身に着けたのか、それはわかりません。ただ、5歳の時に、すでに母親を諭すような感じだったことからして、生まれ持った才能かもしれません。

書かれている内容は、「神との対話」などですでに知っていることなので、特に目新しいことはありません。ただ、その表現方法には違いがあり、なるほどと感じる部分が多かったです。

それにしても、世の中にはこういう方がおられるのですね。これまでまったく存じ上げなかっただけに、びっくりしました。きっと、こういう方が、もっとたくさんおられるのだろうと思います。人類は安泰だなあと思います。

あなたのなかのやんちゃな感情とつきあう法
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:32 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

それもすべて、神さまのはからい。



心屋仁之助さんの本を読みました。前回の「「好きなこと」だけして生きていく。」と同様、武道館ライブに触発されて買った2冊のうちの1冊になります。こちらは三笠書房の王様文庫に入っていますが、最初から文庫本として作られた作品のようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

生きていたら、イヤなこともあるし、うまくいかないこともある。だからこそ、「あーでもない、こーでもない」と悩んでしまうことがあるものです。
 でも、そんなときこそ、
「もしかしたら、これは”神さまのはからい”なのかもしれない」
 と考えてみられたらいいなぁと思います。
」(p.3)

前に紹介した本でも言いましたが、心屋さんはカウンセラーなのですが、どうみてもスピリチュアル系なんですよね。はっきりと「神」ということを言われているのですから、スピリチュアル・カウンセラーでもいいのではないかと思うくらいです。

冒頭で言われていることは、この本の結論でもあります。自分的に「上手くいく」あるいは「上手く行かない」ということがあったとしても、それはすべて「神さまのはからい」なのだから、最終的には「上手くいく」ということなのです。


僕たちは、「できる」「役に立つ」ことが素晴らしいという呪いから、早く抜けださないといけません。
「何の役に立っていなくても、自分は素晴らしい」
 そういう「前提」だけ持っていればいいのです。
」(p.48)

自分の価値は、何かを持っているとか、何かができるとかから生じるものではありません。存在しているだけで価値があるのです。よく、「Doing」「Having」ではなく「Being」だというのと同じですね。


ちなみに、「価値」というのは、自分からは提供しなくてもいいものです。
 なぜなら、”あなたの存在そのもの”に価値があるから。
 あなたがもらえるお金とは、労働の対価ではなく、
「あなたの存在に対する報酬」
 です。これを心屋では「存在給」と名づけました。
」(p.135)

存在そのものが価値を生み出す。それは豊かさ(お金)でもあります。だから、存在しているだけでお金が手に入るということを、心屋さんは「存在給」という言葉で説明しています。


「自分は素晴らしい」という”証拠”を集める必要もありません。
 そんなことをせず、ただ「自分は素晴らしい」と思えばいいのです。
 根拠も証拠も証明書も何もなく、ただ自分で「そう思う」と決めるしかないのです。だって、そう思いたくてがんばっているのですから。
」(p.204)

私たちが頑張ってしまうのは、「自分は素晴らしい」を確認したいからだと言います。他人からそう評価され、「やっぱり自分は素晴らしいんだ」と思いたい。そのために頑張っているのですね。

心屋さんは、だったら最初からそう決めてしまえと言います。証拠集めをせず、そう決めてしまったなら、頑張る必要がなくなるのだと。


心配してもしなくても、結果は同じなのです。「心配をしている時間」を省いていったら、もっとたくさんの「楽しいこと」ができるようになります。
 そして、たくさんの「楽しいこと」をヒラヒラとしているうちに、ちゃんと「結果」が出てくるものなのです。
」(p.211)

心配しようとしまいと、上手く行くものは上手く行くし、上手く行かないものは上手く行かない。だったら心配するだけ無駄じゃないかと、心屋さんは言います。

そして、心配せずに楽しいことだけをやっていれば、自ずと結果がついてくるのだと言います。自分の努力や頑張りでどうにかなるのではなく、自分が自分を「価値ある存在」だと思っていれば、それに見合った現実が現れるということですね。


心屋さんの考え方は、完全にスピリチュアル系だと言っていいと思います。どうしてそういう考え方に至ったのかは明らかにされていませんが、ある時、考え方を変えたことによって、上手く行く現実が現れたという訳です。

それは心屋さんだから上手く行ったのではないか? そういう疑問は残ります。この本でも、そう言われるけれどもそうはじゃないと、心屋さんは言われます。しかし、その証拠は示されていません。

一方では、好きなことだけやれば上手く行くと言いながら、上手く行かないこともあるという言い方もされています。上手く行くことが確率的に高まるというような表現もありました。こういう点は、イマイチわかりずらいと感じました。


書かれている内容は、スピリチュアル系を知っている人にとっては、特に目新しいものはありません。具体的なやり方についても、特に「これなら上手く行きそう」と感じるものもありません。なので、正直に言えば、読んでいて少々飽きてきました。

もう少し正直に、退職した時の気持ちとか、その時の不安だとか、自己開示していただけると読み応えがあったかなと思います。ご自身の事例で言えば、夜中の2時に帰ってこられる奥さんとのやりとりくらいですから。

まあそれでも、普通の人にとっては異常な例とも言えるので、心が動かされるかもしれません。残念ながらうちは、妻が夜中の2時どころか朝帰りすることもたまにあり、それに対して私は文句を言うつもりもないので、心屋さんの事例は驚くようなことでもなかったのです。


また、Facebookなどで展開されている前者後者論の説明もありましたが、何度聞いても納得できません。後者は頭が白くなることだけでわかると言われながら、読んでもわからないなら後者だとも言われます。どっちやねん?と言いたくなります。私自身、後者と言われますが、ぜんぜん理解できません。

それに、そうやってタイプ分けすることの意味がわかりません。前者アプリを搭載した後者とか、さらに細分化したものも示しながら、前者と後者しかないと言い切る根拠も不明です。そして、この分類の意味が、互いを理解するためと言われるのですが、だったら「人はそれぞれ違いがある」だけでいいのではないかと、私などは思ってしまうのです。


そういうこともあって、今の私には、ちょっと物足りない内容だと感じました。ですが、これまでの一般的な考え方に取りつかれている方にとっては、これだけでも十分に目新しく、心を揺すぶられる内容だと思います。

それもすべて、神さまのはからい。

オマケのワッペン
※本の最後に、ワッペンが綴じてありました。「それで、いいにゃ」という言葉。天才バカボンのパパの「それでいいのだ〜」という言葉を思い出します。起こることはすべて必然で無駄がない。だから上手く行っていても上手く行っていなくても、そのままで完璧なのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 22:29 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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