2018年05月03日

僕はミドリムシで世界を救うことに決めた。



これもたしか「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」の紹介で知った本です。2012年にダイヤモンド社で出版された単行本を、2017年に小学館で新書として売り出したものです。

これまでに、ミドリムシが将来有望だという情報は、いろいろなところで目にしてきました。しかし、あまり興味を抱かなかったのです。クロレラに次ぐ新しいサプリメントくらいの認識しかなかったのです。

しかし、今回この本を読もうと思ったのは、著者でもある出雲充(いずも・みつる)さんは単なる金儲けとしてミドリムシに注目したのではなく、これで世界を救えると思ってやってこられたことを知ったからです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

でも、さっき僕が書いた、ミドリムシが地球を救うというのは、何一つ偽りがない、本当のことだ。
 植物と動物の間の生き物で、藻の一種でもあるミドリムシは、植物と動物の栄養素の両方を作ることができる。その数は、なんと59種類に及ぶ。
 しかも体内に葉緑素を持つため、二酸化炭素を取り入れ、太陽のエネルギーから光合成を行うことができる。すなわち、CO2 削減という意味でも、救世主となりうる。
 さらにそれだけではなく、ミドリムシが光合成により作り出し、体内に蓄えた油を石油と同じように精製すれば、ロケットやジェット機の燃料として使えるバイオ燃料が得られる。
 食料、栄養、地球温暖化、エネルギー。これら途方もない問題は、ミドリムシが解決するのだ。
」(p.6 - 7)

出雲さんは冒頭で、このようにミドリムシの可能性を語ります。もしこれが本当に実現したら、どんなに素晴らしいことでしょう。食糧問題もエネルギー問題も大きく改善されます。


そんな素晴らしい可能性を秘めたミドリムシですが、実は出雲さんより以前から、国家的なプロジェクトとして研究が続けられていました。サンシャイン計画やニューサンシャイン計画として、長年培養方法が研究されてきたのです。

しかし、ミドリムシは食物連鎖の底辺に位置しており、あまりに「美味しい」ために、他の細菌などに食べられてしまうという運命がありました。大量培養することが非常に困難、というより不可能に近い運命を背負っていたのです。

そのため、ニューサンシャイン計画も頓挫していました。ちょうどそんな時に、出雲さんたちはミドリムシの大量培養に着手したのです。

「ミドリムシが培養できたら、もうほかに培養できないものはないと思います」
 なぜかといえば、ミドリムシの栄養価があらゆる微生物の中でもトップレベルにあるからだ。栄養があればあるほど、他の微生物に狙われやすい。だから培養は極めて難しく、ちょっとの汚染で全滅してしまう。
」(p.72)

出雲さんが天才と言う同志の鈴木さんは、そのように言いながらも大量培養を研究し続けたのですね。


原さんの心からの言葉を噛みしめていたら、途中から涙が出てきた。自分もこのまま居心地のいい銀行で働いていては、いつかミドリムシのことを忘れてしまうだろう。最後に僕はこう言った。
「ありがとうございます。自分は、銀行を辞めます」
」(p.87)

出雲さんは、10年以上先にミドリムシのベンチャー企業を立ち上げることを計画し、最初は大手都市銀行に就職したそうです。心のどこかに逃げ道を用意したいという思いがあったのですね。

それでも1年して、このままでいいのかと悩みます。その時、知り合いの編集者である原氏に悩みを打ち明けたそうです。原氏は、自分も映画を撮りたいと夢があったのに、居心地のいい編集者で収まってしまった悔いを語り、出雲さんの背中を押したのです。


だが、もしもその確実な道を選択することが本当に正しいならば、世の中にはもっとたくさんのイノベーションが生まれているはずだ。現実がそうなっていないということは、イノベーションを起こす人間には、何かしら渡らなければならない川があるのではないか。」(p.91)

ベンチャーの社長に聞いてみても、最初からそのビジネスで成功するという確信があって始めた人はほとんどいなかったそうです。むしろ、何ら確証もないのに退路を断って飛び込む。そうしなければベンチャーは成功しない。出雲さんは、あとからそう思うようになったようです。


すぐに創業しなかったのは、ミドリムシの培養の目処が立たなかったことや、事業資金のあてがないという現実的な理由もあった。でも本当は、自分の精神的な弱さが理由だ。」(p.98)

銀行を辞めた出雲さんでしたが、それでもまだ躊躇するところがあったのですね。会社を起こしたら、お金を回していかなければなりません。そんな目処も立っていないのに飛び込めない。そんな気持ちが無意識の中にあったのでしょう。

それを出雲さんは、自分の精神的な弱さだと言います。そして、そういう弱さがあるとわかっているからこそ、退路を断ったのでしょう。自分で自分を追い込むためです。


「ミドリムシを天敵から守る環境をセッティングする」という発想から、「ミドリムシ以外は生きられない環境をセッティングする」という発想への切り替え。これが鈴木と僕が生み出したミドリムシ培養の切り札となるアイデアだった。」(p.145)

こうして、これまで不可能と思われていたミドリムシの大量培養が成功することになります。


この2006年2月17日の午後3時から、僕には株式会社ユーグレナ以外は何もなくなった。応援してくれていた堀江さんも、間借りしていたライブドアのオフィスと資金はもちろん、机も椅子もなくなった。ともに事業を進めようとしていた協力会社だって、ほぼすべて去っていった。
 しかし自分には、まだミドリムシがいてくれた。5億年の昔から、地球上のすべての生物の暮らしを根底で支え続けてきた、ミドリムシが。
 自分で事業をやることを決意したのは、「僕がここでミドリムシを見捨ててしまっていいのか」という想いだった。
」(p.163 - 164)

将来性を買われてライブドアからの出資を受け、起業したユーグレナでしたが、あのライブドア事件によってすべてが吹っ飛んだのです。出雲さんは、ライブドアの支援なしでユーグレナを続けるために、自己資産をはたいてライブドアから株式を買い戻しました。

出雲さんの預金残高は32万円ほど。その時から、出雲さんは1人でもやって行くという決意をされたのでしょう。もし失敗すれば野垂れ死にするだけ。そう覚悟を決めた瞬間なのです。


ミドリムシのよさが理解してもらえていないのは、自分の努力が足りないから、そして伝え方が悪いからだ、と気づいたのもこの頃だった。」(p.178)

それまで出雲さんは、なかなかミドリムシの良さを受け入れてもらえずに、世間に対して腹を立て、自暴自棄になってライブドアのせいにしたこともあったそうです。

しかし、ある購入者から、その効果に感謝し、子どもにも飲ませたいという感想のFAXが届いたことで、出雲さんは勇気をもらったのでした。そして、他人のせいではなく自分に原因があると、考え方を改めたのです。


だがこの頃から、その発想を変えた。堂々とミドリムシということで、世間に正しく理解してもらったほうが、結果的に商品の売れ行きにもつながるし、ミドリムシのためにもなると考えたのだ。」(p.191)

それまで出雲さんは、ミドリムシという名前が青虫や芋虫などをイメージさせると感じていて、どこかうしろめたさを持っていたのですね。だから、「ユーグレナV22」という製品名を付け、「ミドリムシ」であることを目立たないようにしていたのです。

しかし、ミドリムシのイメージそのものを変えるという決意によって、その後のサプリメントの売上も伸びていったようです。


相手に認められず、ふてくされる暇があるなら、四の五の言わずに、別の人を探して、とにかく一人でも多くの人に会う。またダメだったらすぐに次のアポイントをとる。そうして、会って会って会いまくっていれば、そのうち必ず聞いてくれる人が出てくる。」(p.195)

全国のほぼすべての可能性のある会社に出かけてミドリムシのことを説明したという自負を、出雲さんは持っているそうです。アイデアが良いから受け入れられるのではなく、受け入れてもらえるまでドアを叩き続けることが重要なのだということです。


僕はこれからのテクノロジーやビジネスも、ハイブリッドでなければならないと考えている。科学的な思考と、感情的な共感、その両方がハイブリッドされて、初めて人は安心してその技術を受け入れ、使いこなすことができる。」(p.229 - 230)

いくら科学的に正しいからと言って、人々が受け入れてくれるわけではありません。たとえば原発もそうですね。科学的には、現状では原発を使用するのがベストの選択だと言えても、多くの人はそれを受け入れません。科学的な根拠なしに、感情的に反発しているのです。

ミドリムシも同様で、どれだけ科学的に素晴らしいものだと訴えても、青虫や芋虫をイメージされて嫌われていると、受け入れてはもらえないのです。信頼できる大手企業が共同出資しているとか、そういう感情に訴えるものが必要なのでしょう。

それを、世間の連中は頭が悪いと批判したところで、ミドリムシによって世界を救うという夢が実現されるわけではありません。感情的に共感してもらうための方策も実施することが重要なのです。


しかし思い切って銀行を辞めて、夜行バスに乗ってミドリムシの研究者を日本じゅう訪ね歩いているうちに、いつしかある一つの確信がめばえてきた。
 それは、「いま世界で、自分ほど、ミドリムシについて真剣に考えている人間はいないはずだ」という思いだった。技術的にはまだどうなるかわからなかったし、経営者として自分に適性があるかもまったく自信がなかったが、「ミドリムシについては世界で自分が1番だ」という思いは、揺らぐことがなかった。
」(p.232)

初めてのことを成し遂げようとする時、能力とか資質が重視されがちですが、本当は情熱こそが重要なのだと思います。初めて行うのですから、困難なことは当たり前。それでも推し進めていくには、情熱という推進力が必要なのです。

実際、出雲さんも、ライブドア・ショックの後で事業を継続することを決めた時、この確信が後押ししてくれたと感じているようです。できるという根拠はなくても、やりたいという思いが強ければ、人は前に進めるのです。


私はこの本を、自分のことと重ねながら読みました。レイキを広めたいという思いを持ちながら、「どこまで情熱を持っているのか?」、「どこまで本気でやろうとしているのか?」ということを、自分自身に問うたのです。まだ本気度が足りない。まだ環境や他人のせいにしている部分がある。反省することしきりです。

この本は、これから起業したいという人はもちろんですが、ささいなことでも何かを始めたい、挑戦したいと考えている人に、いろいろ気づかせてくれるものがあると思います。

僕はミドリムシで世界を救うことに決めた。
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:48 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月02日

オール1の落ちこぼれ、教師になる



「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」で紹介されていた本を読みました。タイトルからして衝撃的ですが、著者、宮本延春(みやもと・まさはる)さんの生い立ちはもっと衝撃的でした。

小学校からいじめに合い、それは中学校を卒業するまで続きます。勉強をする気力すらなくし、中3で九九は2の段までで、分数の計算などまったくできません。知っている英単語はbookだけ。書ける漢字は自分の名前のみ。16歳で母を亡くし、18歳で父も他界。中卒後に大工の見習いになるも、相変わらずいじめられる過酷な職場で、そこを2年で退職。

もう人生の前半だけで「終わってる」と感じられるほどですが、ここから大逆転が始まります。きっかけは、NHKの番組でアインシュタイン博士の偉業を取り上げたものを見たこと。そこで物理を勉強したいという強い衝動を覚え、働きながら定時制高校に通い、名古屋大学に合格します。

こんな波乱万丈な人生ですから、どうしてそれが可能だったのか、どこにつまづいたのか、興味が尽きません。それを知りたくて、すでに文庫化されていたこの本を買って読んだのです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

どんなに勉強ができない子供でも輝かしい可能性があることも知っています。
ちょっとした”キッカケ”があれば誰でも頑張れる!
これは私がこれから伝えたいことです。
」(p.19)

「はじめに」で宮本さんは、このように言っています。宮本さんはこのことを、子どもたち自身に知ってもらいたくて、この本の対象を小学校5年生に定め、それ以上で習う漢字に読みがなを付けたと言っています。


そして、この信頼があってこそ、初めて私の言葉が相手に届くのです。
 言葉は、信頼の上に立ってこそ、言葉の本当の力を発揮できるのです。
」(p.29)

何を話す(伝える)かではなく、誰が話すかが重要なのですね。信頼されていなければ、何も伝わらないのだと。

そして、その信頼関係を築くには、まずは教師の側から生徒を信頼することです。大人が子どもを信頼することです。日常の挨拶など、日々、教師の側から生徒に働きかける姿勢が重要なのだと宮本さんは言います。


人から褒めてもらう、評価してもらう、認めてもらうことで、自分に価値を見出すことができるのです。そしてこれが、自信へとつながるのです。」(p.42)

単純に「褒める」ということには、アドラーを知っている私としては違和感を感じますが、こういう効果があることも事実だと思います。ただしこれだけでは主体的に勉強する気持ちにはならないでしょうけどね。

宮本さんはこれに加えて、わからない生徒にはわかる部分まで遡って指導することと、質問してきた生徒にはわかるまで説明するというスタイルを貫かれているそうです。

ただそうすることで、クラス全体の授業進度の問題も出てくるので、それが課題だと書かれています。わかる生徒にとっては、かったるく感じて興味を失いますからね。


世の中が甘いか甘くないかは、私が生きていく以上、私が決めることであり、他人に決めてもらうことではありません。決定権は自分にあるのです。決定権が自分にあるからこそ、自分の人生の責任は自分にある。他人の物差しではなく、自分の物差しで測らなくては、私にとっては意味のある人生にならないのです。」(p.72)

大工見習いをしていた時、親方や同僚のひどい仕打ちに耐えられず、1週間ほど引きこもったことがあったそうです。その時、納得できる生き方とはどういうものかを考え続け、ノートに記していったのだとか。そうして1週間後、今の仕事は辞めて、好きな音楽に没頭しようと決めたそうです。

もし1年後に死ぬとしたら、10年後に死ぬとしたら・・・。両親を早く亡くしていることが、死は突然やってくるという思いを抱かせたのでしょう。そして、だからこそ今を悔いなく生きようという思いになったのです。


さまざまな考えが頭を駆けめぐりました。
 が、私は自分に言い聞かせました。将来への不安は今に始まったことではなく、これまでの悲惨な生活の中では何度も経験してきたことではないか。ここで尻込みしてどうなる。
」(p.122)

定時制高校に通っていた1年生の終わりに、学校から理科実験助手の仕事をしないかと持ちかけられます。目標が名古屋大学ですから、このまま工務店の仕事をしながらでは、勉強時間が確保できないからです。

しかし、とても良くしてもらっている工務店を辞め、一時的な仕事で給料もこれまでの1/3になる理科実験助手をすることは、リスキーだと感じたのです。

けれども、ここでも挑戦しなかったという後悔だけはしたくないという思いから、宮本さんはこの話を受けることを決断しました。こうして勉強の時間を確保し、現役で名古屋大学に合格することになるのです。


理解できることの嬉しさのほうが大きく、成績のことはあまり気にならず、また、自分自身に妙な自信があり、いつか私が一番になると信じていました。そして、この自信は二年生の二学期に実現するのです。」(p.126)

好きな物理でしたが、2年生になって勉強を初めて半年くらいは、校内で10番に入るかどうかというところだったそうです。進学校ではないので、名古屋大学を目指すなら最低でも校内トップでなければならない。そういう思いがあったようですが、それでも途中の成績は気にならなかったそうです。

結果を追い求めながらも、結果を手放している感じが伝わってきますね。結果を気にせず、その時その時を楽しむ。それによって、望む結果が得られるのです。


「ささやかな目標であっても、自分にとって価値のあるものならば、それを見つけただけでも素晴らしいことであり、その目標に向かって努力することは、この上なく尊いことです。そして、その目標を達成させるための努力こそが、『学ぶ』という行為そのものなのです」
 これが、「学ぶ意味」を見出だせないでいる生徒たちに伝える私からのメッセージです。つまり、目標を持ち努力することに意味があるのであり、その過程に「学ぶ」ことが付随してくるのです。
」(p.186)

宮本さんは、途中、プロのミュージシャンを目指したこともありました。このことからすると、そのために音楽の知識を得、技術を磨いたわけですが、それも「学ぶ」ということになります。

そう考えると、「学ぶ」という行為は、必ずしも学生の特権でも義務でもありません。目標や夢がある限り、人は誰から言われなくても「学ぶ」のです。


しかし宮本さんは、学校の勉強は基礎だという一般論を、この本の中でも持ち出されます。昔の寺子屋の読み書き算盤のようなもので、基礎力がなければ、夢や目標が見つかってもそこから先に進めないからと。

「オール1」からでも、しっかりとした目標が見つかれば学びながら成長していけるのだという実例を示しておきながら、目標がないうちからしっかり勉強をすべきという結論を出されていることには、少し違和感を感じます。

宮本さんは、だから目標は「褒められる」というような小さなものでもいいのだと言われます。しかし、勉強は自分のためにするものであって、誰かから褒められるためにするものではありません。結果的にそれが将来役立てばいいのでしょうか? その将来があるかどうかさえわからないのに。

宮本さんは、もし1年後に死んだとしたら・・・ということを考え、その職場を辞めて、無謀とも思える音楽への挑戦を決めたのです。それなら、今すぐ大きな目標がないとしても、学業よりも今やりたいことを優先するという考え方になっても良いと思います。そうなっていないことが、この本を読んでいて、少し残念だなと感じた部分です。


私は、人生でいろいろな壁にぶち当たりました。いじめや落ちこぼれをはじめ、両親との死別や社会の荒波、それらはとても厳しく辛いものでした。
 そんな苦しい生活をしていても、社会のどん底で生活していても、「夢」や「希望」を捨てなければ幸せになれるチャンスはやってくることを知りました。
 その一番のきっかけは、「人との出会い」でした。
 そんな人との触れ合いや出会いが今の私を作っているのです。
」(p.253 - 254)

この本には、宮本さんの人生に大きな影響を与えた方々との出会いが数多く書かれています。宮本さん自身は、奥様との出会いが大きな意味があったと述懐されています。

しかし、本当はすべての出会いに大きな意味があったのではないかと私は思います。なぜなら、すべての経験が今の宮本さんを創っているからです。いじめた同級生も、無関心だった先生も、辛く当たった大工の親方も同僚も、早く亡くなられた両親も、すべての方が宮本さんに必要な経験をもたらした。


この「あとがき」に書かれているこの文章を読むと、ここまで書かれていたこととは、何だか結論が違うぞという気持ちになります。宮本さんは、奥様との出会いによってアインシュタインとの出会いが導かれ、そこで夢や目標が生まれました。また、定時制高校での素晴らしい先生方との出会いによって名古屋大学に合格し、その出会いが教師という目標を与えてくれました。つまり、夢や目標も、出会いから始まっています。

その出会いは、宮本さんが努力して得た結果ではありません。いわば「偶然」とも言えるものです。たまたまそういう出会いがあり、目標を持つことになり、その目標に向けて頑張っていたらさらによい出会いがあり、人生が好転した。

そう考えると、たとえ今、不遇のどん底だったとしても、人生を見限る必要はないということになるかと思います。どんなどん底からでも逆転できる。だとしたら、勉強ができなくても気にするな、勉強が嫌いなら他の好きなことをやれ、という結論になっても良いように思いますが、どうなのでしょうね?

もちろん、嫌だけど頑張って勉強するという人生も、悪いことではないでしょう。人生は、どうなったとしても上手くいくのですから。そう思っている限り、人生は何をしてもあきらめる必要はないのだと思います。


そして、私がこの本を読んで感じた宮本さんの人生が好転した理由ですが、それは勇気を出して決断したことだと思います。

上記に引用したように、大工見習いを辞めて好きな音楽の道に進むと決断したことがありました。人生は結果ではない。やるか、やらないかだ。やらないで後悔したくはない。やって結果が伴わないなら、それで本望だ。そう思って一歩を踏み出したことが、好転のきっかけだったのではないかと思います。

そして次は、そこまでよくしてもらっていた工務店を辞め、定時制高校の理科実験助手になるという決断です。居心地がよく安定した経済状況を手放し、それでも好きなことをやると決断したのです。

おそらくこれ以外にも、小さな決断が何度もあったことでしょう。そしてその度に、宮本さんは好きなことをやる道を選んだのだと思います。好きなことだから主体的になれるし、努力しても辛くはありません。そのことが、また良い出会いへと導いてくれたのではないか。私はそう感じるのです。

オール1の落ちこぼれ、教師になる
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:53 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月30日

これでいいのだ



赤塚不二夫さんの本を読みました。サブタイトルが「赤塚不二夫自叙伝」とあるように、これは赤塚さんの自伝です。メンターの吉江さんが紹介していたので、読んでみたくなって買いました。

赤塚さんのマンガはよく読みましたが、自伝があることは知りませんでした。赤塚さんのマンガ、特に「天才バカボン」は、非常に示唆に富んだ内容です。子どものころはただ笑うだけでしたが、そこに深い意味があると感じたのは、大人になってからでした。

この自伝のタイトルは、バカボンのパパの名セリフ、「これでいいのだ〜!」から来ています。これは、生き方としてとても重要なことを教えてくれます。ですから、この幸せ実践塾でも、何度も紹介しています。前に書いた記事、「これでいいのだー!」でもこのセリフを紹介しました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

また、かあちゃんやぼくがよくおやじに言われたのは、
「中国人から絶対ものをもらってはいけない!」
 という命令だった。
 当時、日本人の大人も子供も中国人に対して多かれ少なかれ優越感を持ち、こちらが欲しいものは相手の気持と関係なくもらって当然、という風潮があった。他国や他民族を侵略するということは、末端の人間の気持にも無意識にこういう傲(おご)りを持たせるものだと思う。
」(p.16 - 17)

赤塚さんの一家は、満州で暮らしていたのですね。そんな中でお父様は、中国人を下に見ない生き方をされていたようです。


砦には時々、さまざまな物資を積んだトラックが到着した。おやじはその物資をよく村人に分けていた。
「敵も味方も同じ人間じゃないか」
 何か見返りを期待したわけではない、こちらに真心さえあればそれは必ず相手に通じるはずだ−−これがおやじの人間感だった。
」(p.18 - 19)

分け隔てなく憐れみの思いを持つ。そういうお父様の生き方が、その後、家族が無事に帰国できる遠因になった、と赤塚さんは思っておられるようです。


天才バカボンのパパがよく口にする”これでいいのだ”は、ぼくのおやじの生き方と共通するものがある。果たして”これでいいのだ”という人生をおやじは生きたかどうかはわからないが、少なくともそういえるような生き方を目指したことはたしかだと思う。」(p.20)

バカボンのパパの名セリフは、赤塚さんのお父様の生き方であったようです。それと共に、赤塚さん自身の生き方でもあったように思います。


このごろよく思うのだが、最近の身体障害者への社会の対応のしかたには疑問を感じる。彼らだってハンデを背負ってるなら背負ってるなりに、頑張ろうという気持を持っているはずだ。なにかっていうとすぐに施設へ入れたり隔離したりするのは問題だと思う。」(p.89)

赤塚さんは、ご自身の子どものころの体験から、こういうことを言われています。私も同感です。隔離して見えないようにするのではなく、一緒に暮らすことが大事だと思うからです。

私たちは健常者だけの存在ではなく、いろいろな人がいて「ひとつの社会」だからです。障害者はいない方がいい(暮らしやすい)という価値観の社会では、本当の意味では健全になれないと思うのです。


赤塚ギャグは、人生の教科書だ。馬鹿が馬鹿と戦う漫画だ。馬鹿くらべ。本当に面白くて、タメになる漫画だ。
 それは、赤塚不二夫が筋金入りの馬鹿だったから描けた作品だと思う。
 くだらない漫画をひたすら描き続ける情熱、これは馬鹿にしかできないこと。赤塚だからできたこと。
」(p.220)

この自伝に寄せた武居俊樹さんの言葉です。赤塚さんの作品を絶賛する声は、井上ひさしさん、三島由紀夫さん、大江健三郎さんなど、多くのモノを書く方々から上がっているそうです。

テレビで大活躍しているタモリさんを見出し、育てたのも赤塚さんでした。多くの人が赤塚さんと出会い、才能を開花させたようです。そういう人間的な魅力が、赤塚さんにはあったのだと思います。


これでいいのだ
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:33 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月27日

妻の実家の裏庭探索

昨日で、裏庭の整地が終わったようです。
本当にあっという間ですね。

以前にお見せしたゴミ焼き場も鶏の餌場も、すべて土の下になってしまいました。
新たなゴミ捨て場を決めていないため、昨日はゴミを捨てられず、ゴミ箱の中に残したままとなりました。
こういう先を考えないところは、いかにもタイ人らしいです。


さて、今朝もまた穏やかな天気でした。
気温は23度まで下がったようですが、風がほとんどないので、涼しい朝になっています。

朝の空

あけぼのの空は、どんよりと曇っていました。
しかし日が昇ると、それほど厚くない雲なのか、強い日差しが降り注ぐようになりました。

9時現在、28度になっていますが、直射日光が痛いです。


そこで、整地が終わった裏庭を探索してみました。

裏庭の様子

整地されたところをさらに奥まで進み、家の方に向かって撮影してみました。
およそ10m×40mくらいの広さが新しい土で埋もれています。

裏の道から見た裏庭

実家の表は集落のメイン通りに面していますが、裏側は裏の道に面しています。
その裏の道から裏庭を見てみました。

さすがにサッカーグランドは入りませんが、テニスコートくらい入りそうな広さですね。


この裏庭の周りには、様々な樹があります。
中庭の側に回るようにして、その様子を撮影してみましたので、ご覧ください。

マンゴーの木

まずは、このあたりには非常に多いマンゴーの樹です。タイ語ではマムアンと言います。
マンゴーの実がなっているので、わかりやすいかと思います。(私はまだ樹だけ見てもよくわかりません。(汗))

このマンゴーの樹に、赤アリがよく巣を作ります。

アカ蟻の巣

わかりやすく赤丸をつけてみました。
私も初めてぶらさがっている巣を見ましたが、こんな感じなのですね。

巣の周りには、それを守るかのように赤アリがうようよいました。


裏庭の木々

何の樹かわかりませんが、けっこう背の高い木ですね。

ヤシの木

実家のすぐ裏辺りには、ヤシの木もありました。

焼け焦げた樹

これも何の樹かわかりませんが、隣の家との境に立っている樹です。
幹の部分がひどく焦げています。おそらくこの樹の前でゴミなど燃やしたのでしょう。

バナナの木など

整地された部分の中ほどに、バナナの木があります。
その向こうに2本立つ樹は、この葉っぱでよく飾り物を作ります。名前は知りませんが。


最後に、実家の裏側を撮影してみました。

実家の裏手

こんな感じで樹に覆われています。

それにしても、広い敷地だなぁ。
おそらくここに一族が住み始めた時は、土地代なんて二束三文だったのでしょうね。

中庭と合わせると、およそ80m×30mくらいはありそうです。
両隣と奥の親戚も含めると、80m×60mくらいの広さです。

日本からすると羨ましい限りでしょうけどね。
この辺り(街は除いて)では、だいたいこのくらいの敷地面積があるようです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:46 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月26日

お店ばかりか畑も作ります

昨日、お昼ぐらいに家の後ろの方で何やら作業する音が聞こえました。
重機を動かしている感じです。

覗いてみると・・・

重機で土を均す

小さなブルドーザーがいました。(笑)

ときおり聞こえた大きな音は、ダンプが土を降ろした時の音でしょう。
その後を、ブルで均(なら)しているのです。

重機で土を均す

それにしてもいつの間に・・・。


実はその日の朝、妻から話があったのです。

ねえ、土を買わない?

以前から言われていたことです。
ここらへんの土は赤土で粘土質ですから、固まると鍬(くわ)がまったく入らないほどカチカチに固まります。
ですから新たに土を買って、畑にしたいようなのです。

私はその提案を断っていました。
理由は、今ある土を土壌改良して、少しずつ畑を広げていきたかったからです。

まずはさつまいもを植えて、痩せた土地を徐々に肥沃な土地にしていく。
そのために、有機物を土にすき込んでいく。
そんな自然農法をやりたかったのです。

しかし、妻は私の思いにはマイソンチャイ(無関心)です。(泣)
自分がやりたいと思うことをやるだけ。
私が買ってきたさつまいも(種芋用)は、そのまま捨て置かれていました。


この日も、私は断ろうかと思いました。
しかし、何を言っても聞かないのが妻ですから、妥協策を提案しました。

・私が出すのは1万バーツまで。
・畑は無農薬無化学肥料でやること。


この提案を、妻はあっさり否定しました。
冗談じゃないわ。ここは他とは違うの。無農薬なんかでできるわけないじゃないの!


というようなことがあって、いったんは妻の提案を断りました。
しかし、また妻がしつこく言ってくるので、妻に1万バーツを貸し、私が1万バーツを出して、合計2万バーツで土を買って整地することにしたのです。


それから2時間も経っていないと思います。
気がついたら、すでに土の運び入れと整地が始まっていたというわけです。

何という行動の早さ!
もはや驚きを超えて呆れるとしか言いようがありません。


その日の午後、隣のおじさんが、バナナを一房くれました。

おじさんからもらったバナナ

かなり熟れていて、甘いバナナでした。
こういうのが、あちこちでなっているんですよね。
タイの自然の豊かさを感じます。

 

明けて今朝、やはりまた重機の音が家の裏から聞こえます。

裏庭に広がる土

行ってみると、昨日よりかなり広い範囲に、高さ30cmくらいの土が広げられていました。
向こうの方には、まだ山になった土があります。
さらに広げるのか、それとも高くするのか・・・。

中庭にも土の山がありました。

中庭の土の山

中庭には、お義母さんが作っている小さな畑がすでにあるのですが、そういうのをもう1つ作るつもりでしょうか。
私には何の相談もないので、まったくわかりません。(泣)


今朝は、昨夜から断続的に降った雨が、まだ残っていました。
気温は24度とやや低めですが、風が吹いて肌寒かったです。

今朝の気温

久しぶりに作務衣の上を羽織りました。

今夜もまた雨が降るような予報ですが、どうなるでしょうか。
明日の夕方はバンコクに行くために出立するので、その時は降ってほしくないなぁ。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:04 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月25日

要塞化作戦、進行中!

昨日(2018年4月24日)までの3日間は、とても暑かったです。
昨夜も、かなり寝苦しかったですから。

しかし今朝は、気温も26度まで下がりました。
涼しいとまではいきませんが、かなり快適です。

今朝の気温

朝の空もきれいに撮れました。

今日の朝の空

明け方の、これから明るくなっていくぞー!という時の朝の空が大好きです。
これを見ると、何だかホッとするんですよね。


このブログを書いている9時過ぎ、まだ30度でした。
昨日までは32〜34度もありましたからね。

天気予報を見ると、どうやら夕方から明日にかけて雨になるようです。
タイの天気予報はあまり当たらないのですが、さてどうなることでしょう。

 

さて、そんな暑い中ですが、昨日、お店(秘密基地)の要塞化作戦が1つ進みました。

店の側面のトタン板

お店の横を、出入りできないようにしてはありましたが、まだ完璧ではありませんでした。
それを、妻がどこからか見つけてきた金網とトタン板で、完全に塞ぎました。

適当に見つけてきたものなので、長さとか合っていません。
足りないところはそのままに、針金ハンガーを解体して柱にくくりつけました。


店の正面から見たところです。

正面から見た側面の壁

前の方は、トタン板がなく、金網だけになっています。
でもこれで、側面の柱の間から子どもが入ってくることがなくなります。


中から見ると、こんな感じです。

鍋蓋もかけられます

トタン板は、風除け雨除けになっています。
本当はもう少し高さを抑えて、明かりをとりたかったところです。
しかし、雨の侵入を防ぐには、とりあえずこうしておくしかないでしょう。

鴨居からつるすための針金ハンガーの先端をフック状にして、鍋蓋がかけられるようにしました。
金網にはチャッカマンを挿しておくこともできます。


あとは、正面側の日除けと、コンロの上の空間に、いざという時の雨除けがほしいところです。

他には、まだ一部ある雨漏り対策、西日除け、仕切り代わりの自転車に造花を飾る、くらいでしょうか。
だんだんと秘密基地が完成していく感じです。(笑)
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:17 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月24日

真夏日を乗り越えろ!

ここのところ暑い日が続いていますが、それも今日でいったん終わりのようです。
明日からは雨とともに気温が少し下がるという予報ですので。

今日を乗り切れば・・・と思うと、少しホッとします。

朝の空

今朝も妻が4時半過ぎに起きて、さっさと開店準備を始めたため、5時に起きた私はのんびりできました。
少し黒い雲が浮かんでいますが、清々しい朝の天気です。


隣の家の前に、荷車をつけたトラクターが置いてありました。

トラクター

そう珍しいものでもありませんが、都会にいるとほとんど見ないでしょうねぇ。

この家も親戚です。
この家と妻の実家の間が中庭のようになっていて、そこに東屋が建っています。

東屋とマンゴーの木

以前はここにみんな集まって、食事をしていたのですけどね。
最近は店の中に置いた縁台に集まるようになっちゃいました。

この東屋はけっこう古いものらしく、ソンクラーン前くらいに屋根の葺き替えをしていました。
後ろにある大きなマンゴーの樹が、ここのシンボルになっています。


昨日の記事に書いた私の定位置の変更ですが、わかるように写真を撮ってみました。

店の中の定位置

店の裏口にあたる場所から撮ってみました。

これまでは、縁台に腰掛けて店の正面方向に向かっていました。
そうすると腰が痛くなるので、今は椅子に座って、横向きになっています。

昨日はこれで過ごしましたが、腰の負担がぜんぜん違いますね。
だんだん快適になって行きます。


この定位置からぐるっと、朝の様子を動画に撮ってみました。



おそらく集落全体に何かを伝えるためのスピーカーからでしょうけど、モーラムの曲が流れています。
のどかな田舎の朝です。


朝、6時半ですが、気温はまだ27度です。
今日は38度まで上がる予報ですね。

今朝の気温

明日からしばらくは、雨が降って気温が少し下がる予報ですが、まさかもう雨季ではないですよね?
通常、雨季の始まりは5月下旬から6月です。

まあ天候不順が例年のことになっているので、4月末から雨季なんてことがあっても・・・なんてことはないですよね。
きっとお天気も、一時の気の迷いでしょう。

お店の縁台には、すでに扇風機がスタンバっています。
この記事を書いている9時前には、もうフルで回っています。だってもう気温は32度ですからね。


今朝は、こんな食事でした。

今朝の食事

これはわりと豪華な方です。
今朝、おかずを買いに行ったばかりですから。

手前右が豚肉の料理、右奥がガイヤーン(焼き鳥)でしょうか。
骨が多くて身はほとんどありませんが。

左側の2皿は、辛味噌のようなもの。
カオニァオ(もち米のご飯)をこれと一緒に食べると、それだけで充分という感じです。

和食で言うなら、梅干しなど漬物や、海苔の佃煮、ふりかけみたいな感じです。


これはもちろん、朝食だけのおかずではありませんよ。
昼食もこれを食べます。それが普通なのです。

それに、ここは食べ物屋ですから、売っているものも食べます。(笑)
長く置いて傷みそうなものは、自分で買って食べるんです。捨てるのはもったいないですから。

まあ、その売上が収入にもなるわけですから、他で買うより安いですけどね。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:30 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月23日

何がなくても夏は来る

昨日は、とても暑い一日でした。

最高気温は36度と、ものすごく高いわけではないのですが、風があまりなくムッとした空気でした。
15時くらいから17時くらいまでが最高気温の時間帯です。

15時の気温

日本だと普通、14時から15時くらいが一番暑いと思います。
しかしタイでは、17時という日が傾きかけるまでずっと暑いのです。


今朝も5時に起きて、開店準備をしました。
ところがなぜか妻は4時半に起き、さっさと開店準備を始めました。

何があったのかまったくわかりません。
でも、私は私ですから、いつも通りに5時に起きて行ったら、ほとんど終わってました。

妻にいったい何があったのか?
触らぬ神に祟りなしですから、触れないでおきましょう。


と言うことで、ゆっくりと空の写真を撮れました。

今朝の空

これが、5:23くらいの東の空ですね。
昨日のようなはっきりとした曇ではなく、やや霞がかかったような空です。


その後、開店準備が終わったので、定位置でスタンバイしましたよ。

店の中の定位置で

PCを開いて立ち上げたところで、5:43でした。
ちょうどいい並びですね。


その後、定位置を移動しました。
ここだと縁台に座る形になるため、腰が痛くなるのです。

それで横向きにして、椅子に座るようにしました。
お客さん用の椅子だったのですが、とりあえず使わせていただきます。


朝10時くらいには、気温はすでに34度に達していました。

10時の気温

今日も暑くなりそうな予感がたっぷりです。

予想通り、15時辺りから最高気温に達しました。
そして17時くらいまで、最高気温の時間帯です。

16時の気温

この日の最高気温は、瞬間的には38度に達したようです。


明日の予想も、最高が38度になっていますね。
明後日からはぐっと下がって、また過ごしやすくなりそうです。

3月くらいから5月か6月の雨季が始まるまで、タイでは乾季の中でも暑季と呼んで、分ける場合があります。
今はまさにタイの夏、真夏なのです。
 

タグ: 最高気温
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:43 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月22日

オケラだってありまっせ

今、世界中で虫食が注目されてます!
というようなニュースがありましたね。

日本ではあまり一般的ではない虫食ですが、世界ではけっこう食べているところがあるようです。

かくいうタイも、虫は豊富です。
有名なのはタカテーン(ตั๊กแตน:バッタ)ですが、塩コショウの効いた素揚げがビールのつまみに合います。

それと同じようなのが、チンリート(จิ้งหรีด:コオロギ)です。
他にはサナギやタガメのようなのもありました。


今回、初めて食べたのがグラチョーン(กระชอน:オケラ)です。

オケラの素揚げ

最初は何だかよくわからず、またチンリートかなと思ってつまんでみたら、違ってました。
このいかつい格好は、間違いなく田んぼでよく見たオケラですね。

オケラでした

食べた感じは、タカテーンやチンリートと大して変わりません。
要は揚げた油と味付けの塩コショウなどの味ですから。

3つ4つ食べてみました。
食べられないことはありませんが、好んでたくさん食べたいとも思えず、そのくらいにしておきました。

以前、妻がたくさん虫を食べた後、まぶたが腫れたことが2度3度あったので。
妻は、揚げ油が悪いのだと言いますが、どうなんでしょうね。


話変わって、妻の実家の前には、お義母さんが作られた花壇があります。
これがなかなか素晴らしいので紹介しておきましょう。

家の前の花壇

家の前に、門に相当する大きな木の柱があります。
その周りを花(ดอกไม้:ドックマーイ)で飾っているのです。

黄色い花をメインに、赤色の花もありますね。
私が名前を知っているのはヒマワリだけですが。(汗)
写真でご覧ください。

花壇の花

花壇の花

花壇の花

花壇の花

花壇の花

こういう花が近くにあると、それだけで癒されます。
自然というのは、本当に美しいものですね。

 

明けて今朝、空の写真を撮ってみました。

どんよりと曇った空

全体がどんよりと曇っていて、ひょっとしたら降るかもと思わせる空でした。

しかしその後、おひさまが顔を出したようで、気温が上がってきました。
上空に薄い雲がかかっていて、すっきりとした青空ではありませんけどね。

予報では、今日から3日間は38度を超える猛暑になるとのこと。
9時現在、すでに31度となっています。


昨日は、また1,000バーツを越える売上でした。
30バーツのソムタム系が10以上売れるなど、客単価が上がってきたように思います。

当初は、1人ルークチン1〜3本という20バーツ以下が主流だったのですけどね。
なーんだ、みんなお金持ってるじゃん。もっと使ってね。(笑)
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:18 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月21日

秘密基地を作っています

子どものころ、秘密基地を作って遊んだことがありませんか?
最近の子どもは、そういう遊びをしないのかな。

廃墟の一部だったり、洞穴や大きな樹の根本だったり、ともかくちょっと囲われた雰囲気があればそれでいいんです。
あとは想像力をたくましくして、ここが司令室だとか、出入り口だとか・・・。

でも、実際は完全な要塞にはなっていないので、どこからでも出入りできちゃうんですよね。
そうすると、「お前、ちゃんと出入り口を通って出ろよ!」とヒンシュクを買ったりします。(笑)


そんな子どものころのような秘密基地を、今、作っています。
と言っても、本当はただのお店ですけどね。

揚げたり焼いたりするお店なのですが、最近子どもたちが慣れてきて、店の中に平気で侵入します。
危険だし、お金など貴重品も置いてあるし、1人で店番の時は気が気じゃありません。

それで、お店に侵入できないようにしたのです。


お店の中から見て、まずは左側の壁を作りました。

左側の壁

と言っても、前方のルークチンを陳列するケースから始まって、調理用のコンロなどがずらっと並んだその後ろに、アイスBOXを2つ並べて置いて、店に入れないようにしました。

アイスBOX1つは、氷屋さんから借りたものです。
毎日のように買っていると、借りることもできるんですね。


次に、右側の客席と調理場の間に仕切りを作りました。

右側の壁

はい、ただの自転車です。
壊れた自転車を、柱と柱の間に針金で縛り付けて、仕切りにしました。

もちろんこれで完全にシャットアウトできるわけではありませんが、近道で侵入するのを防いでいるので、心理的に侵入しづらくなっています。

できれば左側のコンロの前をトタン板でふさぎ、上からビニールシートを垂らして雨除けにしたいと思っています。
そうすれば風除け、雨除け、子ども除け(笑)が完璧です。


店の前から見ると、それほど変化はありませんが、看板の位置も変えています。

店の正面から

ホワイトボードの看板を向かって左側に付け、それまで付けてあった印刷したものを右側に移動しました。
ホワイトボードの表記も変わりました。

ホワイトボードの表記

「ส้มตำ(ソムタム:パパイヤサラダ)」
「ตำซ่ัว(タムスア:素麺入りのソムタムのようなサラダ)」
「ตำป่า(タムパー:タケノコなど様々な具材が入ったソムタムのようなサラダ)」


なお、ソムタム以外の訳は、妻から聞いたものを書いただけで、本当かどうかは知りません。
「ソムタムのような」と書いたのは、味付けは同じですが、材料が必ずしもパパイヤ(มะละกอ:マラコー)ではないからです。

日本人からすると、みんなソムタムでもいいような感じですけどね。
タイ人にはそれなりのこだわりがあるのでしょう。


さて、前の日にアップできなかった朝の空を載せておきます。

朝の空

今日は忙しくて、ちょうどよい時間帯にカメラを構えられませんでした。

今日は気温が36度まで上がるそうですが、明日から3日間はまた38度を超える予報です。
少し風が吹いてくれるといいんですけどね。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:53 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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