2017年08月07日

5分で涙があふれて止まらないお話



これは月刊誌「PHP」に連載された短編小説をまとめた本です。どこで紹介されていたのか忘れましたが、気になって買ってみました。

著者は作家の志賀内泰弘(しがない・やすひろ)さん。この短編集の面白いところは、舞台が同じ場所で、登場人物がその地域の人たちだという点です。


ではさっそく一部を引用して・・・と言いたいところですが、これは小説なので、あまりネタバレにならないよう紹介したいと思います。

個々の短編では、よく出てくるフレーズがあります。

都心から私鉄で、二つの大きな川を越えて一時間余り。終点手前の駅を降りると、「八起稲荷(やおきいなり)商店街」のアーチが出迎えてくれる。「七転び八起き、九難を払う」ご利益があると伝えられる稲荷神社の門前町だ。」(p.59)

書き方は微妙に違ったりするものの、書かれている内容はだいたい上記の通りです。このフレーズで、この小説の舞台を説明しているのです。

この小さな街で、人々は稲荷神社と関わりながら暮らしています。そこに起こる日常の悲喜こもごも。涙あり、笑いありのドラマなのです。


タイトルにある「5分で」というのは、短編小説を1つ読み終える時間なのでしょうね。プロローグとエピローグを含めて18編の短編小説からなります。それぞれには月の名前がつけれれており、1年4ヶ月の期間を表しているように感じられます。

この中から1つ、気に入ったものを紹介しましょう。文月の「甘えてもいいの?」というタイトルの物語です。

主人公は翔太くん。薬局ハセガワの夫婦、長谷川徳一と朝子に子どもができないため、施設から養子として迎えられた子どもです。とても行儀が良い子どもでしたが、2年たってもどこかよそよそしい。

そんな翔太くんは、近くの喫茶店へ行くのが好きでした。そこには脳性小児麻痺で言葉を話せない正くんがいて、翔太くんは正くんと一緒に過ごすのが好きだったのです。

正くんは、とても手のかかる子です。だって、自分では何もできないのですから。お母さんは喫茶店で働きながら、正くんの面倒を見ています。お母さんが忙しそうにしていても、しょっちゅう「あ〜あ〜」と言ってはお母さんを呼びます。

「正君、わがままだよね、いつもお母さんに甘えてばかりいて」
 「そうよね」
 「甘えてばかりいちゃいけないよね」
 「ううん、いいのよ」
 「え……?」
 「だって、甘えられると嬉しいからよ」
」(p.101)

自分は甘えていてはいけないのだ、自立して迷惑をかけないようにしないと嫌われるのだと、翔太くんは無意識に思い込んでいたのでしょう。実の親から愛されず、施設で過ごしてきた翔太くんは、養父母にも素直に甘えられなかったのです。

喫茶店から帰ってきた翔太くんは、唐突にこう言いました。

「あのね、お父さん……、ぼく、一つお願いをしてもいいかな」
 徳一は、グラスを手に眼を開いた。翔太の様子がいつもと違うように感じられたからだ。それを悟られぬように答える。
 「なんだい、翔太」
 「うん……ぼく、お父さんの膝で一緒に野球を見てもいいかな」
」(p.108)

勇気を出して甘えてみたのです。そして長谷川夫婦は気づきます。壁を作っていたのは翔太くんではなく、自分たちではなかったのかと。


こういう気持ちの行き違いって、よくあることですね。私も経験があります。

子どものころ、父はとても怖い存在でした。甘えていけるような父ではなかったのです。ですから、話をするのはいつも母とだけ。父の逆鱗に触れないよう、逃げていたのです。

ある日、趣味で集めていた切手の、国宝シリーズがどうしても欲しくなりました。でも、小遣いで買えるような値段ではありません。私は母に買ってくれないかとお願いしました。母から父に頼んでほしいと。母には甘えやすかったのです。

しかし母は、「直接お父さんにお願いしてみなさい。きっと買ってくれるよ。」と言うだけです。私には、とても信じられませんでした。あの父が、私に何か買ってくれるなんて、あり得ないと思っていたのです。「甘えるな!」と怒鳴られるのがオチだと。

でも、国宝シリーズが欲しいという気持ちには勝てず、母の言葉を受け入れて、恐る恐る父にお願いしてみました。

父は、「カタログを持って来い。いくらするんだ?」と、無表情な感じで言いました。私も感情を隠したようにしてカタログを渡し、「○○円だって」とよそよそしく答えました。

すると父が言ったのです。「わかった。こうちゃる(買ってやる)。」とても信じられない言葉でした。

でも、その時は父の愛を感じたのではなく、ただ災難を避けられた、欲しいものが手に入った、という喜びだけでした。

今になって思えば、父もまた私を愛したかったのです。甘えてほしかったのでしょう。そのことが重なって、この短編を読むと、自然と涙がこぼれて来るのです。

5分で涙があふれて止まらないお話
 
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2017年08月05日

病気は才能



またちょっと変わったタイトルの本を読みました。著者は自然治癒力学校理事長のおのころ心平(おのころ・しんぺい)さんです。

この本もどこで紹介されたか覚えていないのですが、ピンと来てすぐに注文したように記憶しています。

まずは表紙や帯に書かれている内容を紹介しましょう。「病気のエネルギーをプラスに変える意識革命」というサブタイトルです。「病気やカラダの症状のとらえ方が180度変わる本。」というキャッチコピーがあります。そして、冒頭にずらっと並んだ推薦の言葉の数々。これだけで、これはただならぬ本だと予感しました。

ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

本書では、決定的かつ根幹的な問いを提示したいと思います。

 病気とは、本当にネガティブなものなのか?

 病気には、そうならざるを得なかった理由があります。
」(p.6)

「はじめに」の最初に、このように疑問を提示します。様々な健康法があふれていますが、その多くは食事や運動の習慣に関するものです。病気を忌み嫌い、病気を避けるという点で同じようなものです。しかしこの本は、その考え方を完全にひっくり返すものだと言うのです。


本人にも気づかない才能が、
 本人にも気づかない生活上の制約によって抑圧され、
 本人にも気づかない葛藤をカラダに生み、
 それが、カラダの症状として表現されてしまっている……。
」(p.9)

病気とは、自分の才能を教えてくれるサインだと言うのですね。その葛藤のエネルギーを解放してやることで、気づかなかった才能が花開く。病気は、才能開花の序章だとも言えるわけです。


本当の意味で
 自分は健康になってもよい、
 自分は幸せになってもよい、
 という許可は、その人の潜在的なココロがカギを握っているのです。
」(p.27)

病気になると、「治ってもよい」という許可を、なかなか自分に出せないものだとおのころさんは言います。潜在意識のブロックがあるのですね。その葛藤のエネルギーを解放してやることが、許可を出すということなのです。


病気を克服した先にどんな自分像を描くことができるか?
 自分らしく生きるということはいったいどういうことなのか?
 私はこれが、病気の治癒に許可を出す強力なスイッチになると考えています。
」(p.29)

病気によって、本来の自分の生き方に気づくこと。それが許可を出すスイッチだとおのころさんは言います。


そもそも病気のエネルギーをまったく消してしまうということはできないはずなのです。病気や困難にどう対処するかは、自分を塗り替え、新しい適応力を「創り出す」以外に方法がないからです。」(p.29)

エネルギー保存則というものがあるように、エネルギー量は一定です。ですから病気になるエネルギーは、何か別の形に変わらない限り、消えてなくなることはないのだと言います。

私は、そのクライアントさん自身に「その病気を治せる人になってもらう」ことは可能だと思っています。クライアントさんの適応力が広がれば、病気を病気でなくすることは可能なのです。これは、いわばカラダの能力開発。

 そして、それは、病気を否定することからは生まれないのです。
」(p.31)

病気を忌み嫌い、否定しているうちは病気のエネルギーを他に変えることができません。まずは受け入れることが重要なのですね。


つまり、病気にしろ、人間関係にしろ、経済的なことにしろ、あなたがしっかりとその問題を解こうと直面したとき、その問題には、必ず答えは用意されているということなのです。」(p.41)

問題があれば、同時に回答がある。今すぐ回答がわからないとしても、回答はあるし、必ず見つかると信じて臨むこと。それが重要なのです。


がんを、「悪性新生物」という呼び方をすることもありますが、10億個もの新生物を生み出すなんて、相当なエネルギーです。つまり、それだけのエネルギーをカラダの内側に溜めてしまっているということです。

 そのエネルギーの根源はというと、私は、何かを実現したいというその人の欲求だと考えています。
」(p.55)

わずか1cmの癌でも10億個の細胞を生み出したことになるのだとか。そのエネルギーの根源が、「何かを実現したい」という欲求だと、おのころさんは言います。


葛藤は、欲求と障壁のぶつかり合いによって生まれます。そして、障壁とは言い換えるなら、あなたの欲求を抑え込むあなた自身のジャッジです。」(p.57)

自分の中から湧き上がってくる欲求。それを自分のジャッジによって抑えこ込んでいる。その葛藤が限界を超えると、病気となって表出すると言います。


つまり、内臓や血流のはたらきのキャパを広げようとしたときにこそ、風邪をひくようになっているわけです。」(p.130)

私たちの身体は、知らず知らずに毒素を溜め込んでいく。いわば下水に泥が溜まっていくようなものだそうです。ですから時に大掃除をして、毒素を追い出してやる必要がある。それが風邪だと言うのですね。

これは以前に読んだ野口整体の「風邪の効用」という本でも、同じようなことが書かれていました。風邪を上手に経過させてやると、ガンが良くなったりするのだと。


生活習慣病とは、そうせずにはおれない欲求が、形を変えてカラダに現れた結果だということができます。つまりそれは、あなたのその何気ない行為の中に「無意識の欲求」が、絶えずサインを出しているということです。だから、お酒はダメ、タバコはダメ、と頭ごなしに言うよりも、なぜそうした習慣を手放せないのか、背景となる心理を探るほうが、はるかに効果的です。」(p.176)

身体に悪いとわかっていてもやめられないのがタバコや飲酒です。暴飲暴食、夜更かし、運動不足など、わかっていてもできないことがいっぱいありますね。こういう時も、ダメ出しをして否定するのではなく、まずはそれを受け入れることです。そして、そうせざるを得ない心理を自分の内に尋ねてみる。

こうして、自分が無意識にジャッジして欲求を押さえ込んでいることに、気づくことが重要なのです。


臓器は、宿主(つまり私たち)の意識がこちらに向くだけでとても喜びます。こうした簡単な習慣だけでも、心臓も腎臓も肝臓も肺も脾臓も、とてもやる気を出してくれるのです。」(p.254)

私は、シャワーを浴びながら身体の各部位をいたわり、感謝の気持ちを伝えることを習慣にしています。それぞれの臓器のあたりに手を置いて、臓器の声を尋ねてみるのもいいなあと思いました。レイキをすることにもなりますしね。


病気のカラダはいわば、固定化されたバイブレーションパターンにとらわれているのです。
 固定化されたパターンは、それを消し去ることはできません。では、どうすればよいかというと、新たなバイブレーションを「上書き」してやるしかないのです。
 それを起こすのにもっとも強力な方法は、何といっても「感動」です。「感動に打ち震える」と言いますが、感じて動くと書いて「感動」。
 涙や笑いも含めて、「感動」することは、カラダの内側に新たなバイブレーションを起こし、新たな自分を受け入れる役割をしてくれるのです。
」(p.259 - 260)

交感神経と副交感神経の開閉のパターンのことを、ここではバイブレーションパターンと呼んでいます。だいたい交感神経が優位になるとリズムが狂い、病気になると言われます。ですから、そのバイブレーションパターンを正常に戻してやることが必要なのです。

そのための強力な方法が「感動」することなのですね。笑ったり、泣いたりして、自分の感情を解放してやること。それが自分が変わるきっかけになるのです。


考えてみれば、人類史上、病気は一度もなくなったことがありません。
 病気そのものが、私たちのカラダに新たな経験、そして新しい環境への適応力をもたらしてきた……。それはまさしく『才能』を獲得して生きたプロセスである……。
」(p.265)

イスラエルの動物園で飼われていた猿の「ナターシャ」が、原因不明の高熱がおさまった後、突然に二足歩行を始めたという例を挙げています。病気が才能の発現につながるということです。


私たちは病気を、不要なもの、邪魔なもの、撲滅すべきものと考えがちですが、そうではないのではないかと思えてきました。この世に不必要なものは何もないのだとすれば、病気もまた重要な役割があるはずです。

この本は、そういったことを考えさせてくれました。個々の病気について、どういう才能が隠れているのかという記述も多数ありますが、それはここでは引用しません。ぜひ本を読んでみてください。

病気は才能
 
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2017年08月01日

マレーシア大富豪の教え



インドネシアはバリ島に兄貴こと丸尾孝俊さんという大富豪がいることは知っていました。丸尾さんに関する本は、「成功を引き寄せるアニキのオキテ」などいくつか買っています。

それが今度は、近くのマレーシアにも日本人大富豪がいると言うのです。この本はおそらく、ダイヤモンド社の飯沼一洋さんのFacebook投稿で見て、買ったのだと思います。

この本は、とある大企業の会長からマレーシアの大富豪を紹介された編集者が、5日間掛けてインタビューして書いた体裁になっています。しかし著者名はその大富豪の小西史彦(こにし・ふみひこ)さんになっています。

最初はそれほど期待していなかったのですが、読み進めるごとに惹きつけられ、一気に読み切ってしまいました。また、ここはと感じてページにつけた折り目は、非常に多く、ここで引用すると長くなるだろうなと感じたほどです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

だから、私は、自分の夢をかなえるためには、「戦う場所」を選ばなければならないと、はっきりと自覚していました。」(p.32)

小西さんがマレーシアに渡ったのは、最初から事業家になりたかったからです。日本ではすでに高度成長が始まって大資本が支配していた。だから競争が少なくて、しかもインフラが整っているマレーシアを選んだのだそうです。


「持たざる者」であることが、自分にとっての最大の強みであることに気づいたのです。「持たざる者」であるがゆえに、たとえ失敗したとしても失うものが何もない。だからこそ、ハイリスクが取れる。」(p.40)

いくら「戦う場所」を選ぶとは言え、いきなり国外に飛び出すというのはハイリスクです。しかし小西さんは、もともと失うものがないから、思い切ったことができたと言います。逆転の発想ですね。

もちろん無謀なことをしたのではなく、用意周到に準備したとも語っています。


あなたの言うとおり、人生には想定外のことが起きるのです。未来のことは誰にもわからない。どんなに慎重にリスクを量っても、想定外の事態に巻き込まれるのが人生。だからこそ、先ほども言ったように、最悪の事態が生じても生き残る術を確保したうえで、リスクをとらなければなりません。」(p.53)

小西さん自身、様々な想定外を経験されています。そして窮地に陥りながらも、復活してこられたのです。そういう想定外があることも含めて、リスクを取らなければ何も得られないと言います。


そして、人物を見極めるひとつの指標が、窮地に陥ったときに、「目の前」の問題解決にどれだけ誠実に向き合うか、ということです。多少、不器用でも構わない。トラブルから逃げずに、全力を尽くす人間は信用できる。そして、そのような人物には、自然と支援の手が差し伸べられる。人生が切り拓かれていくのです。」(p.56)

人生にピンチは付きものです。でも、そんな時でも逃げようとせず、腹を据えて向き合うこと。そういう誠実さと粘り強さがあれば、必ず道が開かれると言うのですね。そして、それができる人間なら信用できると。周りから信用される人間は、必ず助けられるのです。


要するに、「先輩にかわいがられなければしょうがない」ということです。そのためには「下積み」「下働き」は非常に有効なのです。どんな頼み事でも、イヤな顔ひとつせず笑顔でやる。しかも、頼まれた以上の成果をお返しするつもりでやる。すると、さらに頼まれます。そうやって頼まれたことを全部こなすうちに、信頼されるようになる。」(p.70)

頼まれごとを断らずにやるというのは、小林正観さんも言われてますね。そうすれば先輩からかわいがられ、信頼され、チャンスが巡ってくるのだと小西さんは言います。


重要なのは「損得」ではなく「好き」という感情です。「好き」だからこそ、どんなにひどい目にあっても、あきらめずにがんばることができる。そして、ひとつの場所で粘り強く努力することによって、本物の実力を身につけるのです。」(p.86)

「戦う場所」を選ぶにしても、そこが「好きな場所」でなければいけないと小西さんは言います。損得よりも好きかどうか。それが重要なのですね。

また、若いうちは自分の「好き」が何かよくわからないことも多いと言います。だから決めつけずに、いろいろ経験してみることだとも。


成功したければ、チャンスが来たら迷わず飛び乗ることです。チャンスの女神に後ろ髪はない、と言われるとおり、訪れたチャンスは瞬時につかまえなければ、すぐに過ぎ去ってしまいます。そして、二度と戻ってはこないのです。」(p.97 - 98)

チャンスは必ず巡ってくると信じて待ち、やってきたら恐れずに飛び乗ること。これが成功する秘訣だと小西さんは言います。


"I trust you, before you trust me." これが、私の信条です。「あなたが私を信頼する前に、私はあなたを信頼する」。この言葉を胸に日々のビジネスに向き合っています。もちろん、この言葉を発する前には、じっくりと人物を見極めます。」(p.103)

人物を見極めた上で、この人だと思えば徹底して信頼する。それが小西さんのやり方です。人物を見極めるには、「動物的な勘」を研ぎ澄ますことが重要だと言います。年の功というものもあると。そうだとしても、「人を信頼する経験をする」ことが重要だと言います。失敗を重ねながら、その能力を身につけるということです。


自分にとってフェアであることが、相手にとってはアンフェアである可能性は捨てきれない。これを認識することこそが、謙虚であることだと私は思います。そして、フェアネスを保つためには、この謙虚さこそが不可欠だと自分に言い聞かせているのです。」(p.121)

何事もフェアであるべきだと主張する小西さんですが、相手には相手のフェア(正義)があることも知っておくことが重要だと言います。だから、まずは「相手を理解し、尊重し、助ける」ことなのだと。異文化の中で暮らす上で、大切な指針だと思います。


何よりも大切なのは、世の中にとって価値があるもの、自分にとって価値があるものに投資して汗をかくこと。価値あるものを生み出すためにお金を使うことに、意味があるのです。これが、私の金銭哲学です。」(p.153)

ただお金を集めれば良いわけではない。自分が贅沢をすれば良いわけではない。それによって世の中に役立つ何かを生み出すためにお金を使うことが重要だ。そう小西さんが考えておられます。


世の中の「悩み」や「問題」をつかみ、それを解決するためにビジネスをオーガナイズする「媒介」となる。重要なのは、相手の気持ちをよく理解して、相手を動かすようなコミュニケーションをとること。これは、セールスマンシップそのものなのです。
 このセールスマンシップは、いわば私の人生の背骨のようなもの。私のビジネスを根本で支えるバックボーンなのです。そして、これは座学だけでは決して学ぶことのできないものです。現場で汗をかいて、ときには痛烈な失敗をしながら身体でつかみ取っていくほかないものなのです。
」(p.159)

セールスに物は要らないと小西さんは言います。物を売ったり買ったりするのがセールスではなく、ここで言うセールスマンシップこそが重要なのです。

こういうバックボーンを持つことが重要だと小西さんは言います。それはセールスマンシップでなくても良くて、経理・会計の技術などでもかまわないのだと。自分の強みを軸にして、自分の背骨を作ることが大切なのです。


覚悟を決めた人間は強い。
 そして、人間はひとりになるから覚悟が決まるのです。
」(p.186)

小西さんは、すべて自分1人でやってきたと言います。たとえそれが大企業が相手でも。相手方はぞろぞろと十人くらい交渉の場に出てきたりしますが、小西さんの気迫は、それを跳ね返すものがあったとか。小西さんに言わせれば、人数を頼むのは自信がないからで、烏合の衆に見えてしまうそうです。


だから、ひどいショックに襲われたときは、そこから一旦立ち退くことです。努めて、そのことを考えないようにする。そして、運動をして身体を疲れさせて、ぐっすりの眠るのです。」(p.217)

ショックを受けた時、慌てて何かをすると必ず墓穴を掘ると言います。まずは落ちついて、冷静な精神状態になってから決断することが重要なのです。


だから、自信をもとうとする必要はないと思うのです。それよりも、世の中に対して「畏(おそ)れ」をもつこと。そして、不安を味方にすることです。不安に打ち勝つために、出来る限りのことをする。その結果、あなたのなかに自信などなくとも、相手にはあたかも自信があるかのように映るのです。」(p.224)

小西さんは、自分は自信を持ったことがないと言い切ります。しかし周りからは自信たっぷりに見られるのだと。

小西さんは、畏れを持ちながらも必死になって生きているから、気迫が生まれるのだと言います。それが相手には自信と映るのですね。そういう、相手から自信と見られる気迫は重要だとも言います。

これは言葉の意味次第のようにも感じます。小西さんが言う自信は、過信に近いもののように思うからです。謙虚さを兼ね備えた自信、たとえ失敗しても自分は大丈夫だという自信、それが本当の自信だと思います。小西さんはそれを「貫禄」という言葉でも表現されています。


重要なのは「楽観主義」です。成功するためには根性が必要ですが、それだけでは足りません。そのうえで、楽観主義者であってほしいのです。事業家として成功している人は、根性があって楽観主義者。絶対にこのふたつを兼ね備えているのです。」(p.262)

楽観主義とは意志です。どんなにひどい状況になっても「いや、まだ手はあるはずだ」「解決策はあるはずだ」と信じて、考え抜くこと。そして、行動を起こすこと。この楽観主義こそが、窮地から私たちを救い出してくれるのです。」(p.262)

先ほど「畏れ」を持てと言った小西さんですが、一方で楽観主義であれと言います。これも一見、矛盾しているように感じますが、そうではありません。細心の注意を怠らず、可能性はあきらめない。そういう姿勢なのです。


そんな私を支えてくれているのが、「心に太陽をもて、唇に歌をもて、そうすりゃなんだって怖くないんだ」という言葉なのです。太陽とは「明るさ、情熱、希望」の象徴。どんなにつらいときでも、心に太陽をもち、どんなに落ち込んでいても、歌をうたってそれを跳ね返すという意味でしょう。そうすれば、どんな恐怖にも打ち勝てる。そう励ましてくれる言葉なのです。」(p.281 - 282)

小西さんは、子どものころ吃音があって、小学校3年生の夏に1ヶ月ほど、矯正するための学校に通ったそうです。その学校で毎朝唱和したというのが、先ほどの詩なのだそうです。その詩が、小西さんを支えてきたのですね。


しかし、こう思うのです。結局のところ、私たちは人生で遭遇する出来事に、そのときそのときの最大の知恵で対処するしかないのだ、と。そこには客観的な正解などないのではないでしょうか? 精いっぱいの知恵で決断をする。そして、その結果として起こる出来事を引き受けていくほかないではありませんか。できるのは、どんな事態を招いたとしても、「心に太陽をもて、唇に歌をもて」という言葉を胸に、ひたすら明るい方へ明るい方へと歩み続けること。それ以外にないと思うのです。」(p.204 - 205)

小西さんでも、後から自分が下した決断に、本当にそれが正解だったのかと迷うことがあると言います。しかし、絶対的な正解というものはないのですね。その時点ではそれが正解だと決めた。それだけなのです。


むしろ、今は自分にこう言い聞かせています。
 自分を苦しめた人物に感謝できるような生き方をしよう、と。
」(p.295 - 296)

今は大富豪として成功していると見られる小西さんですが、たくさんの辛酸を嘗めるような出来事があったそうです。多くの人から苦しめられ、侮辱され、騙されてきたと。しかしその度に、その屈辱をバネにして頑張ってきたそうです。

そういう頑張りがあったからこそ今の自分がある。だから、自分を苦しめてきた人びとにも、「成長させてくれてありがとう」と感謝できる日が来るのではないかと考えているそうです。

いまだに、そんな心境になっているわけではありません。しかし、ネガティブな感情に囚われてしまうよりも、その努力をするほうが清々しい気持ちでいられます。それこそ、「心に太陽をもて、唇に歌をもて」という生き方だと思うのです。」(p.296)

これが、小西さんの生き方なのですね。相手を信頼する。環境を恨まない。目の前のことに全力で取り組む。決して諦めない。そうやって、「自分の人生に不満なし」という境地に至られたのだと思います。


読み終えて、期待以上の内容に感無量です。こういう日本人がおられるということは、とても励みになります。

ただ、小西さんは平凡な人間だと自分のことを言われますが、私にはそうは思えません。やはり非凡です。そして、私には小西さんと同じことはできないなあと思ってしまいます。やはりブレーキ(怖れ)があるからです。

でも、無理に小西さんのようにならなくても良いと思うのです。私には私の特徴があるのですから、その特徴を活かせば良いのだと。

その上で、小西さんの生き方には感銘を受けます。共感します。そして、その生き方を参考にし、自分のために役立てたいと思うのです。

マレーシア大富豪の教え
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:23 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

神は怒らない

昨日、心屋仁之助さんがFacebookに「ダンナ様は霊媒師」というブログの「★神社で写真を撮るときの注意点」という記事をシェアされていました。

簡単に要約すれば、神社は神のお社だから、挨拶もせずに写真を撮りまくると神様が怒るという話です。
他人の家に上がり込むなり許可なく写真を撮れば、住人は怒るでしょう。だから、神も同じなのだと。

霊的なものが見える方のようで、神様が怒っていたり注意している写真をときどき見かけると言います。
祈祷中に写真を撮るのは、神様に対して失礼だとも書かれていますね。


心屋さんは、シェアした投稿にこう書かれています。

神さまも
怒るんだね(・∀・)


これは肯定しているようでもあり、我関せずという感じでもあります。


「神との対話」を読んでいる私としては、神様が怒るなんてことは絶対にあり得ないと思います。

人間が何かをしたら失礼だと感じて神様が怒るという発想は、それこそ神様への冒涜でしょう。
なぜなら、神様はそんなちっぽけな了見の持ち主だと言っているようなものですから。


わたしがあるものを嫌い、あるものを愛する、そう思っているのかな? 言っておくが、わたしは何も嫌いはしない。反感ももたない。すべては生命であり、生命は贈り物だ。言葉にならない宝物、聖なるもののなかの聖なるものなのだよ。
わたしは生命だ。生命はわたしだから。生命のすべての面に、聖なる目的がある。
どんなものにも神が理解し、肯定した理由がある。

(「神との対話」p.86)

このように、何かを否定するということはあり得ません。
神とは「存在のすべて」であり、神が受け入れたものしか存在していないからです。


また、神は「存在のすべて」ですから、何も必要とはしません。
人間から尊敬される必要もないし、丁寧に扱われる必要もありません。

神は自我もなければ何かを必要とすることもない、存在するすべての源であり、すべての知識と愛の座であると考えるならば、あなたの神学はばらばらに崩れる。
(「神との対話A」p.70)

つまり神は、そういう存在だと言っているのです。

まるで人間のような神を想像するから、神が怒ると考えるのでしょう。
何でもできる神を怒らせたら大変なことになります。
だから毎週礼拝を欠かしてはいけないし、豚肉とか牛肉とか食べてはいけないし、大昔には生贄を捧げたりもしました。
すべて神の機嫌を取るためです。


神が何かを必要とする−−それが手に入らなければ、怒って相手を罰すると考えるなら、あなたがたはわたしよりもずっと小さな神を信じることになる。あなたがたは劣った神の子だということになる。わが子たちよ、もう一度、はっきりと言う。わたしには必要なものはない。わたしは何も求めない。
(「神との対話」p.91)

「存在のすべて」である神が、何かを必要とするという考え方がすでに矛盾しています。

これまでの私たちは、本当の神よりもずっと小さな神を信じ、怯えていたわけです。
そして、神に気に入られるように生きようと、努力を重ねてきました。
特に信心深い人ほど、そういう生き方をしてきたのでしょう。


人生の目的は神を喜ばせることではない。人生の目的は、自分とは何者であるかを知ること、自分を再創造することなのだよ。
(「神との対話A」p.70)

人生の目的は、神の機嫌を取ることではありません。
ここが、大きな違いなのです。


もちろん、だからと言って相手に失礼なことをしてもかまわないと言っているのではありません。

重要なのは、相手から怒られるからそれをしないという発想をやめることです。
そうではなく、自分がどう在りたいからそれを「する」、あるいは「しない」という選択をすること。
自分軸で生きることが重要なのです。


不安でなければ正しい者にならず、正しいことをしないのか? おどかされなければ、「善良」にならないのか? 「善良である」とはどういうことか? 誰がそれを決めるのか? 誰が指針を示すのか?誰が規則をつくるのか?
言っておくが、規則をつくるのはあなたがた自身だ。あなたがたが指針を示すのだ。自分がどれだけ善良であったかを決めるのは、自分自身だ。あなたがたがほんとうは何者であるか、そして何者になりたいかを決めるのは、あなただ。そして、どこまで目的を果たせたかを決めるのも、あなただ。

(「神との対話」p.62)

神は、踏みつけにされても怒りません。
問題は、神が怒るかどうかではなく、そういうことをする自分を自分がどう思うかなのです。


そして、その考え方(価値観)は人それぞれです。
神社で写真を撮る例でも、事前に断るのが礼儀だと考える人もいれば、そうではない考え方の人もいます。
そして、それぞれに正しいのです。


ですから、他人を裁く必要性はありません。
他人を批判非難する必要はありません。
ただ自分が正しいと思うことを、他人に関係なく自分がやれば良いのです。


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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:08 | Comment(0) | SJ通信過去ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宇宙を味方につけるリッチマネーの秘密



はせくらみゆきさんの本を読みました。はせくらさんのことは、だいぶ前にひすいこたろうさんとの共著「起こることは全部マル!」で知りました。それから興味を持って、DVDを買ったりセミナーに参加したりもしました。

今回の本は、お金に関して宇宙からのメッセージを受け取られて、書かれたものになります。「お金」というのは永遠のテーマのようで、これまでも多くの方が本を書かれています。はせくらさんがどういう切り口で書かれているのか興味があって、買って読んでみました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

私たちが一番知りたい本音は、どうしたら豊かになれますか? ということ。
 お金に使われる人生ではなく、お金を使う側として、人生を生きたいし、出来れば、お金の心配なんかしなくてもいい人生を生きたいんです。
」(p.33)

まさに、これが庶民の願いですよね。この本は、そういう願いを叶えてくれるものだ、ということなのでしょう。


今、私たちがすることは「お金持ち」に対する無意識の不満、不信感、妬み、あきらめという感覚から、さっさと卒業することなんです。」(p.35)

お金持ちに対する否定的な考え方は、自分がその状態になることを遠ざけてしまいますからね。


この世にお金が存在するということは、お金というものが生まれ、活用されることになった天の意志、宇宙の意志がきっとあるはずだと。
 そうして、お金自身が喜び、嬉しくなる扱われ方をされたら、きっと天(宇宙)も喜んでくれるに違いないと、想うようになりました。
」(p.52)

お金はエネルギーであり、人々の間を巡りながらみんなを豊かにしていくもの。そういう素晴らしいツールなのですね。そのツールを創り出した天の思いに協力するなら、天に喜ばれ、助けられるだろうというわけです。


「お金とは、私の分身である」
 というのが、宇宙が教えてくれたお金の正体だったんです!
 つまり、「お金=私」であるということです。
」(p.54 - 55)

はせくらさんが受けたメッセージは、「お金=私」というメッセージでした。では、私とはどういう存在なのか?

宇宙の意志は、愛。
 この天意(愛)のうちから生まれ、いのちとなり、身体の容れものに宿った存在が、私たち−−ヒトなのです。
」(p.56)

私たちもお金も天意から生まれたもの。だから「愛」そのものなのですね。


あなたの本質である「いのち」はどうしてもやってみたいことがあったのです。
 それは、物質のある地上世界(地球ランド)でも、愛を体現するということ。
」(p.59)

これは「神との対話」でも語られています。私たちは本当の自分を体験するために、この世に生まれたのです。では、「お金=私」なら、お金も同じ使命があるはずですよね?

なので、宇宙は、素晴らしい方法を、人間にインスピレーションさせたんです。
 肉体のあなたがわざわざ行かなくても、あなたと同じ働きができる便利な道具を発明してもらったのです。
 それが、お金でした。
」(p.59)

肉体を持つ私たちは、あちこちを自由で飛び回ることは困難です。そんな私たちに代わって世界中を飛び回り、人々を豊かに、幸せにしてくれる存在。それがお金なのですね。


あなたがあなたのことを、愛して、認めて、大好きになればなるほど、あなたから発せられるエネルギーも増大して、結果として、高い現実(望む現実)を表しやすくなるのですね。」(p.63)

自分で自分を絶対肯定する。自尊心とも呼ばれますが、自己肯定感を高めることが重要です。それが天の望みだと言います。

お金は、みんなが絶対的に信用しているから、その存在価値が生まれます。信用して認めているから、お金として役立ちます。同じように私たちも、自分を(他人も)絶対的に信用することが大切なのです。


これからは、天意にそって動こうと決意し、動き出した人のほうに、お金が集まりやすくなってきます。」(p.88 - 89)

自分勝手ではなく、天意である「愛」という本質的な生き方をする。それが遠回りなようでも、本質的にお金に好かれる生き方なのです。


喜びや幸せは、なるのではなく、あります。
 今ある、すでにある豊かさ、幸せ、喜びに気づくことで、
 私たちはたった今、幸せの中にいるのです。
」(p.104)

幸せはなるものではなく感じるもの。すでに幸せであり、豊かであると気づくことが重要なのです。


さて、自分=お金だとするなら、私であるお金は、どういうふうに使われたら嬉しくて、さらなるめぐりがよくなるでしょうか?
 それは、自分がありたい姿、思われたい姿を思い描き、そのような気持ちでお金と向かい合ってみることです。
」(p.147)

自分が愛でありたいなら、愛をもってお金を使う。感謝されたいなら、感謝の気持ちを添えて使う。お金に対する思いを、自分の理想的なものにしていくことです。


「安物買いの銭失い」という言葉もあるように、安さを一番の基準にしてしまうと、おそらく余計なものまで買い込んでしまいます。それよりも、感情が「好きだから」、「必要だから」、「欲しいものだから」という気持ちが沸き上がったものに対して対価を払うようにすると、買い物の質が上がります。
 また、さらに上質を目指そうとするなら、感情の一段階上にある、感動で買うようにすると、それはとても心に残る買い物ということになります。
」(p.165)

ついつい安さを追い求めてしまいがちですが、そういう買い方は、そのモノ(サービスも)に対する価値を認めていないということです。価値を認めないのですから、豊かな気持ちにはなれませんよね。


どうも私たちは、究極的なところ、愛か不安かの二択で、進むべき道を決めているようです。
 どういうことかというと、愛をベースにして生きている時は、幸福感を覚えやすいのに対し、不安のほうを選んでしまうと、イライラや悲しみ、心配や恐れといった感情にさいなまれ、あまりハッピーには暮らせないということなのです。
」(p.198)

「神との対話」で語られているのと同じですね。究極的には「愛」か「不安」なのです。


お金の本質は愛であり、あなたの本質も愛です。
 お金は私、私はお金、という新しい見方は、あなたの人生を確実に変える鍵になります。
 見える世界が変わり、買うものが変わり、人やモノとのつきあいが変わり、暮らしの質が変わり、あらゆるものが変容していくかもしれません。
」(p.206)

お金の見方を変えることは、「お金=私」ですから、自分自身が変容することなのですね。そうして自分が変われば、現実が変わってくるのです。


あなたの花が咲くと、地球は喜び、歌いだします。
 宇宙も喜び、踊りだします。
」(p.218)

宇宙全体が、私たち一人ひとりの変容(進化成長)を楽しみにしています。それはまるで、赤ちゃんの成長を見守る親のようなものです。

私たちは、そういった宇宙から期待されている存在です。それだけ価値がある存在なのです。


宇宙の始まりにいる天の父は、
 にっこりほくそえみ、つぶやきました。

 すべてよし、これでよし。
 嬉しいなぁ、楽しいなぁ、満ちているなぁ。
 すべては完璧で、完全だ。

 人間の中に宿ってみるのは、
 最高の体験だったなぁ。
」(p.221)

私たちの本質は天の父(神、宇宙)だと言います。そしてその天の父の思い通りに、完璧に、この世で人間として暮らしている。それが私たちなのです。


はせくらさんは、小さいころから不思議な少女だったそうです。目に見えない存在が見え、それらと会話できたとか。それが普通じゃないと気づいてから、そういう能力を封印して来られました。しかし、大病を患われたのを気に、その能力の封印を解き、宇宙のメッセージを伝える活動をされています。

この話を信じるかどうかは、それぞれの判断にお任せします。私は、その内容から、はせくらさんの話は本質的だなと感じています。

宇宙を味方につけるリッチマネーの秘密
 
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2017年07月25日

名言セラピー幕末スペシャル



また、ひすいこたろうさんの本を読みました。名言セラピーシリーズですが、幕末の登場人物に特化した特別編になっています。

日本の歴史が大きく動いたとされるのは、戦国時代と幕末から明治にかけて。それと大東亜戦争の頃だと言われています。その中でも幕末は、優れた人物が次々に出てきて、西洋列強の侵略から日本を救った時代でもあります。

私も、坂本龍馬氏、西郷隆盛氏、吉田松陰氏、勝海舟氏などが好きで、関連する本をよく読みました。それだけに、ひすいさんがどう取り上げるのか、興味津々でこの本を読みました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

僕らは、今、どんな仕事についたっていいし、
どこへ行くことだって自由にできるし、
どんな夢をもったっていい。

それは、彼らが命をかけてくれたからです。

そして、今、再び、
新たな革命の
時代を迎えています。


今度の革命は、
ほんとうの自分と出会うための革命です。
」(p.6)

冒頭でひすいさんは、このように言います。幕末に活躍した多くの人たちが、命がけで日本を守り、変えてくれたのですね。そのお陰で私たちは、現代の豊かさや自由を味わうことができるのです。

そしてひすいさんは、今もまた革命の時代だと言います。「本当の自分と出会うための革命」というのは、自分が進化成長して、本当の自分として生きるということだろうと思います。


いつだって物語は「脱藩」から始まるんです。
では、現代における「脱藩」とはなんだろう。
人によっては、それは家族のもとを離れて自立することかもしれない。
属していた組織から離れることかもしれない。
今付き合っている人と別れることかもしれない。

脱藩とは、握りしめていた価値観を一度手放してみること。
脱藩とは、何が起きるかわからない世界へ、
たったひとりで飛びこんでみること。
ブルブル震えながらでもいい。
飛びこんでしまえ。
」(p.35)

坂本龍馬氏の活動は脱藩から始まりました。そのことを捉えて、本当の自分と出会うには、勇気をもって新たな扉を開けることだと、ひすいさんは言うのです。


誰もがみな安定することを望むけれど、
竜馬の人生を見ると
1秒も安定していないことがわかります。

不安定のなかにこそ、
冒険という道がある。


ゆらぎのなかを行こう。
葛藤のなかを行こう。
答えのないカオスのなかを行こう。
」(p.39)

何が正解かは、誰にもわかりません。やってみなければわからないのです。間違っているかもしれないという不安の中で、他人から否定されるとしても、自分の道を進むことなのです。


松陰は後に、兄、梅太郎に
この日の気持ちを手紙でこう告げています。

「海外渡航の禁は徳川一世の事にすぎない。
今回のことは、三千年の日本の運命に関係する以上、
この禁に、思い患うことなんてできなかった」
」(p.48)

国禁を犯して黒船に乗り込んだ吉田松陰氏は、3000年先の日本のことを考えて行動しました。まさに佐藤一斎氏の言志四録にあるように生きたのです。

「当今の毀誉は懼(おそ)るるに足らず。後世の毀誉は懼る可し。一身の得喪は慮るに足らず。子孫の得喪は慮る可し。」


明治維新の決定打は、坂本龍馬氏ではなかったと、ひすいさんは言います。では誰か? それは一般民衆が起こしたものだったと。

1967年、7月18日東海地方の三河国(愛知県)で
「ええじゃないか」というパレードが
民衆のなかで湧き上がりました。
」(p.76)

踊る人たちは、周りの人を強引に巻き込んで行きました。恥ずかしさ、バカバカしさを乗り越えさせ、踊る中で自分自身が解放されるのです。

全国に広がったこの運動は、様々にバリエーションがあったそうです。しかし共通点が3つあったのだとか。それは、男は女装し女は男装すること。金持ちの家があれば上がり込んで踊ること。武士の刀を取り上げて、無理やり踊らせること。

この三つの共通点から見出されるものは何か?

ぶっ壊すということです。
常識を!
」(p.79)

多くの人がこれまでの常識を変えようと意識を変えたことで、時代が動いたのですね。


人は、あふれたときに
眼がキラキラ光り出します。


夢中で1時間語れるものをもつって、
要は、あふれたってことです。
」(p.108)

吉田松陰氏は、日本のことになると夢中で語ったそうです。牢に入れられても、それでも語り続けた。他の人から受け入れられるかどうかなどと他人の評価を気にせず、ただ語ることに熱中しました。

情熱を感じて何かに没頭する。そうすることで、突き抜けることができるのです。


木村は咸臨丸の乗組員たちが
アメリカの軍人に対して見劣りがしないように、
乗組員にお金を出すことを幕府にお願いしていましたが、
受け入れられなかったため、
自らの家財を売ってまで
お金を捻出。

気骨のある木村摂津守を、諭吉は心から慕っていました。

そんな木村摂津守ですから、
維新後も新政府から声がかかります。
しかし、「私は幕府に仕えた身ですから……」と断り、
一生表舞台に出ることはありませんでした。
」(p.115)

この話を読んで、福沢諭吉氏が勝海舟氏のことを二君に仕える者だと批判した理由がわかりました。木村摂津守を尊敬していたから、その思いを否定されたように感じたのでしょうね。

勝海舟氏は、「 行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す。 毀誉(きよ)は人の主張、我に与(あずか)らず我に関せずと存じ候(そうろう)」と言って、福沢諭吉氏の批判を相手にしませんでした。

生き方、考え方は人それぞれです。どちらが正しいかではなく、どちらも正しいのです。その自分の思いに従って、堂々と生きる。木村摂津守も、福沢諭吉氏も、勝海舟氏も、自分の損得ではなく、自分らしい生き方を選択したのだと思います。


松陰が葉山左内と交流をもったのは、わずか50日ほど。
また、松陰が萩の松下村塾で弟子たちに講義したのも、
2年半ほど。

なぜ、葉山左内に触れた人が短期間で成長したのか?
なぜ、吉田松陰に触れた人が、
短期間で歴史に残る人物にまで成長したのか?

師匠の視線に愛があふれていたから。
僕はそう思うんです。
」(p.146)

吉田松陰氏は葉山左内氏に学びたくて、毎日のように通ったそうです。その時、葉山左内氏は、吉田松陰氏の姿が見えなくなるまで、帰る姿を見送ったのだとか。

経営の神様と呼ばれる松下幸之助氏も、インタビューに訪れた若い記者を、社長室の入り口まで見送り、深々とおじぎをされたそうです。影響を与える人というのは、このように一人ひとりに敬意を持って接したのですね。


このまま5年や10年、
牢獄につながれていたとしても、
それでもまだ
僕はたったの40歳だ。
逆襲はそこから
いくらでもできる!


松陰はそんな思いでした。さらに語っています。

「憤慨することは止むべし(中略)
自然と決めた。死を求めもせず、死を辞しもせず、
極に在っては獄で出来る事をする。
獄を出ては出て出来ることをする」
」(p.153)

できないことに意識を向けるのではなく、今の状況でできることをすれば良い。そういう考え方が人生を右肩上がりにするのだと、ひすいさんは言います。


これを知ると、今日を境にあなたも、
困ったことが、一切起こらなくなることでしょう。
その秘密をお伝えしましょう。

「僕は金輪際、
『困った』という言葉を
決して吐かない」
by 高杉晋作
」(p.202)

「困った」と言わなければ、「困ったこと」は起こりません。「問題だ」と言わなければ、「問題」はなくなります。「ピンチ」も「チャンスだ!」と言えばいいのです。


幕末に活躍した人たちの人生を見てみれば、ツイてないことやピンチの連続とも言えるでしょう。それでも、人生を変え、日本を変え、名前を遺して憧れる存在になりました。だから私たちは彼らを尊敬し、慕っているのです。

そうであるなら、私たちもまた彼らのように生きれば良いのだと思います。そのヒントを、この本は示してくれています。

名言セラピー幕末スペシャル
 
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2017年07月24日

長原さん、わたしも生まれ変わります



「みやざき中央新聞」の魂の編集長・水谷もりひとさんがFacebookで紹介されていて、それで買った本を読みました。著者は高木書房代表取締役の斎藤信二(さいとう・しんじ)さん。監修が長原和宣(ながはら・かずのり)さんです。

この監修の長原さんのことを、斎藤さんが書かれたのですね。長原さんは現在、長原グループの代表取締役をされておられますが、乞われて講演活動もされています。そこから、この本が生まれました。

どうして長原さんが講演活動をされているかと言うと、覚醒剤中毒から立ち直ったという経験があるからです。また、17歳でヤクザの組員になるなど、非行を繰り返した経験もあります。なので、少年院や学校から呼ばれて、講演をされているのです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

誰でも間違いを起こすことはあります。
 だからといって、過去に犯した罪や失敗は、帳消しにはなりません。
 しかしそれは、済んでしまったこと。
 責任逃れで言っているのではありません。
 済んでしまったことに囚われて、悩み苦しんでどうなります?
 それでは問題の解決にはならないのです。
 大事なことは、反省すべきことは反省し、改善すべきことは改善する。
 その上で、更生するために、自分の生き方を決める。
 そして、それを実行に移すことです。
」(p.9 - 10)

序章で、長原さんが少年院で話したことを紹介しています。

過去を悔やんでも、なかったことにはできません。それを肥やしにするしかないのですね。そして、そうすると決めて、実行することが重要なのだと言います。


捕まった時に、取り調べの刑事さんに全部本当のことを話してきました。十代の頃も覚せい剤をやっていましたと、全部棚卸をしました。自分の悪いところを全部話しました。
 これがよかったと思っています。釈放されてから、今まであったもやもやしていたものがなくなり、気持ちがすっきりしていました。正直に話をするというのは、気持ちをすっきりさせてくれます。
 この時の体験から、正直に生きようと決めました。正直ってすごいです。嘘がないので堂々と生きられます。
」(p.41)

隠し立てをすると、どうしてもウソをつくことになります。そのウソがバレないようにするために、またウソを重ねなくてはならなくなります。

だから、正直になった方がいいのです。「神との対話」でも言うように、ダメなところもすべて受け入れて、自分に正直になることが重要なのです。


人間の成長過程には順序というものがあります。
 子供は最初に寝がえりを覚え、座り、這うことを学び、立って歩き、走ったりできるようになっていきます。
 どの段階も、それぞれとても大切であり、一つ一つ時間がかかり、どの段階も飛ばすこともできないことです。
 人生においても、あらゆることに共通しており、段階をふんでいく順序は大切です。
」(p.82)

人は、一足飛びに成長することはできません。それぞれの段階を、それぞれに適した時間をかけて成長します。大人が完全で赤ちゃんが不完全なのではなく、それぞれの段階はそれぞれとして完全なのです。

時に道に迷うことも、失敗したように見えることも、それもまた1つの段階なのだと思います。ですから、その段階を恥じたり悔やんだりすることなく、受け入れて(楽しんで)通過すれば良いのだと思います。


なぜ私が覚せい剤に嵌(はま)って、体も心も狂ってしまったのか。しかも入院し、治ったと思ったらまたすぐにおかしくなる。最後は事故を起こして逮捕される。何でだろうと、いろいろと考えてみました。
(中略)
 不良は克服した。
 暴力団も克服した。
 高校も卒業できた。
 しかし覚せい剤は、なかなか克服できなかった。
 それはきっと、私が体験で学ぶべきことがあったからではないかと。
 あれだけの中毒になったにもかかわらず、完璧に覚せい剤から断ち切る体験、その地獄のような体験を経て、それを世に伝えることが自分に任された役割ではないかと思うのです。
」(p.222 - 223)

真実がどうかは知りません。いえ、客観的な真実などというものはないのかもしれません。ですから、長原さんがそう感じられるということは、長原さんにとっての真実なのでしょう。

覚醒剤の幻覚の中で、お祖父さんなどの声が聞こえ、「覚せい剤をやめろ」と繰り返し言われたそうです。それをただの偶然と片付けるのか、それとも必然と考えるのか。それもまた、その人が決めることだと思います。


この本の中で、長原さんが奥様に対して暴力を振るう話が出てきます。前歯を折り、肋骨を折るような大怪我をさせます。それでも奥様は、長原さんを見捨てなかったのですね。

長原さんは、その後、実業家としても成功されました。それで、次は事業についての本をという話もあるのだそうです。私は、今回の話に奥様からの視点なども加えて、もっと深みのある本にしてほしいなあと感じます。出版社がどう考えるかはわかりませんけどね。

実際にあったことというのは、何にしても説得力があります。一時的に道を踏み外したと思っている人にとって、長原さんの人生は救いになるだろうと思います。

長原さん、わたしも生まれ変わります
 
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2017年07月23日

督促OL 修行日記



これもどこで紹介されていたのか忘れたのですが、興味深い本を読みました。著者は榎本まみさん4コマ漫画のブログを書かれていて、そこから本の出版につながったようです。

なお、アマゾンのリンクは文庫本ですが、私が買ったのは単行本です。2012年の発売ですから、随分と前の本でしたね。


タイトルにある「督促」というのは、借金の返済などを督促する仕事のことです。榎本さんは、金融機関に就職してすぐに支払い延滞顧客への督促を行うコールセンターに配属されます。性格的にも合わない仕事で苦しみますが、その中で自分なりの方法を見つけ、それを公表してこられたのです。

それが今では年間2000億円の債権を回収するなど、指導的な立場になられたとか。自分に合っているから上達したのではなく、その逆で合っていないからこそ上達できたという、興味深い内容です。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

そうか、人間先に謝られてしまうと、その上さらに怒りにくいのかもしれない。
 お客さまは、督促の電話をかけてくる私たちに、怒られたり嫌なことを言われたりするんじゃないかと警戒心を抱いている、だから怒られる前に怒鳴る。私たちを怒ることで、自分の身を守ろうとしているんだ。
」(p.99)

怒られれば惨めになったり、腹立たしくなったりするものですが、榎本さんは相手の立場に立ってこういう気づきを得ておられる。そこが素晴らしいと思います。

「攻撃は最大の防御なり」という言葉もありますが、攻撃するのは恐れているからです。だから自分を守ろうとして相手を攻撃する。そういうものです。


榎本さんは、お客様を大きく4つのタイプに分類します。感情のプラスとマイナス、論理のプラスとマイナス、この組み合わせです。それによって、対応を分ければいいのだと気づいたそうです。

感情タイプはまずガス抜き。怒っているお客さまはひたすら怒ってもらうし、泣いてしまうお客さまは相手が泣きやむのを待つ。」(p.107)

感情的になるときは、それをしっかり吐き出させてあげることが重要なのですね。そうせずに否定したりすると、かえって火に油を注ぐことになるのだとか。

論理的なタイプは、自分のプライドを守ろうとして理論武装しているのだと言います。ですから上から目線は禁物で、プライトを満たしてやることが重要なのだとか。


でもなんで相手から怒鳴られたり、罵倒されたりすると傷つくんだろうか。そんなの当たり前かな? でも世の中にはののしられて喜んじゃう趣味の人たちだっているわけだし(!?)、きっとお客さまの言葉に傷つかなくても平気になる方法があるはずだ、と私は考えた。
(中略)
 それは、人間には自尊心があるからだ。
 人間は誰でも自尊心を持っている。ぞんざいに扱われたり軽んじらられたりすると、それが傷ついてしまう。お客さまにひどいことを言われると自尊心が傷つく。お礼を言われないと自尊心が満たされない。だからこの仕事は辛いんだ。私の痛みの源になっているのは自尊心、つまりプライドだ。
」(p.139)

当たり前のことのように思えることを、「なぜ?」と考えてみるところは素晴らしいと思います。人は、そうやって成長して行くのですから。

ただ、ここで言うところの「自尊心」は、心理学で言うものは違います。本物の自尊心ではありません。

本当の自尊心がないから、他人の評価を得ようとするのです。他人から評価されないと、自分に価値があると思えないのですね。プライドが高い人というのは、他人から高く評価されたくてたまらない(=心理学的には「自尊心がない」)人なのです。


こんなふうに心や体を病む要素がいっぱいのコールセンターでは、働いているだけでサバイバルだ。自分で自分を守るしかない。

 そこで私が考え出したのが、「私は謝罪するプロだ」作戦だった。
」(p.144)

つまり、追い立てられて受け身で仕事をするのではなく、プロとしての自覚を持って、積極的に仕事に取り組むということです。謝ることでお金を稼ぐプロ。自分をそう定義することで、積極的に謝罪することができるのです。


お客さまに1回怒鳴られると1ポイントとしてカウントし、10ポイント溜まるとお菓子を買ったりジュースを買ったり、小さなご褒美を自分に与える。」(p.148)

ポイント制にすることで、お客さんからの否定的な投げかけを、逆の肯定的なものに変えるのですね。他に「悪口コレクション」というものも、榎本さんは紹介されています。お客さんから投げかけられる様々な悪口を集めて楽しむのです。こういう発想も面白いです。


私たちが相手に嫌われても、怒鳴られても、包丁を突きつけられても、督促しなければならないのは、お客さまの信用を守ることができるから。お客さまの信用を守るのはもしかしたら命を守ることにもなるかもしれないしね」(p.204 - 205)

榎本さんの先輩の言葉です。お客さんが倒れて意識を失った時、救急車を呼んでも来てくれなかったことがあったそうです。それはそのお客さんが、医療費などを踏み倒す常習者だったから。信用をなくせば、命さえも救えなくなる可能性があるのです。


お金返さなかったらどうなるのかな、という不安。ホントはお金を返さなきゃいけないんだけど返してない、という罪悪感。それを守るために、お客さまは私たちを怒鳴る。

 悪口系だめんずの彼も自分に自信がない人だったのだ。自分の自信のなさを補うために相手に悪口を言う。ああそうか、ダメなのは自分じゃないんだ、と気付いた時、パリン、と洗脳が解けた気がした。それがわかってから、私は数年ひっかかり続けたそのタイプにやっと別れを告げることができた。
」(p.216)

自分にやましいところがあって自信がないから、相手を攻撃するのです。怒るのも批判非難するのも、すべてそうです。

それを見抜けば、怒られたり悪口を言われたりしても、平気でいられます。惨めになる必要がありませんから。ダメなのは相手であって自分じゃない。そういう気付きが重要なのですね。そうやって自分が変われば、状況(出来事)も変わってきます。


古戦場のようなコールセンターで働くうちに、いつの間にか自分の体にはたくさんの言葉の刃が突き刺さっていた。でも、その一本を引き抜くと、それは自分を傷つける凶器ではなく剣になった。その剣を振り回すと、また私を突き刺そうと飛んでくるお客さまの言葉の矢を今度は跳ね返すことができた。それから、仲間を狙って振り下ろされる刃からも仲間を守ることができるようになった。そうか、武器は私の身の中に刺さっていたのだ。」(p.233)

たくさん傷ついてきたからこそ、その経験から武器を手にしたのです。その武器によって、自分を守るばかりでなく、仲間を守ることができるようになったのです。

自分に合わないから、苦手だから・・・。それはやらないことの理由にはならないのですね。やってみれば、真剣に取り組んでみれば、そこに生きる道があるのかもしれない。そんなふうに思いました。


私には、統合失調症で今も部屋から出られない状態の、ひとつ年下の弟がいます。もし、あなたが外に出られるようになって、仕事をする時に、心と体を守るために少しでもこの本が役立てばと思いました。」(p.236)

榎本さんは、この本を3人の人に贈りたいと書かれています。1人は、かつてぜんぜん督促ができなかった自分自身へ。もう1人は、今一緒に働いているオペレーターさんや同僚たち。そして3人目が弟さんなのだそうです。

自分が苦しんできたことは、無駄にはなりません。その苦しみは、他人を助け、癒す力になるのです。私もこの本が、今、苦しんでいる多くの人の力になればと思いました。

督促OL 修行日記
 
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2017年07月22日

本日、サービスデー



朱川湊人(しゅかわ・みなと)さんの本を読みました。これは小説ですが、本と同名タイトルの中編と、「蒼い岸辺にて」など短編を4つ合わせたものになっています。

「蒼い岸辺にて」は、2017年5月6日のNHKラジオ第1の「ラジオ文芸館」で朗読放送されたようです。帯に書かれていました。


これを購入したきっかけは、また「みやざき中央新聞」で紹介されていたからです。2017年6月26日発行の記念すべき2700号の社説「生きなきゃ生かせない資源がある」の中です。社説を書かれたのは、魂の編集長・水谷謹人さん

社説の中では、まず日本の自殺の現状を紹介します。かつて年間3万人を越え、1日あたり90人もの人が自ら命を絶っていましたが、最近は50人くらいにまで減ったのだとか。それでもまだまだ自殺者が多い現状を嘆きます。

そして、ようやく豊かさと自由が手に入る時代になったのだから、見方を変えることで、もう少しがんばってみようよと語りかけるのです。その一例として、「蒼い岸辺にて」という短編小説を紹介しています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「それもありますけど……本当は違うんです。あれだけ事件や犯罪に関係したものを見て、先生も感じませんでしたか? 殺す方なり殺される方なり、誰でも簡単に、どちらかの立場になってしまうんだなぁって」
 なるほど、確かにそうだ。
 明日、自分は誰かを殺してしまうかもしれない。あるいは誰かに殺されてしまうかもしれない。その可能性がゼロだと言える人間は、きっとこの世にはいない。
」(「東京しあわせクラブ」p.173)

主人公は作家先生。編集者の紹介で出会った飛鳥ちゃんから、秘密クラブに出品するために作家先生の持ち物を貸してくれと言います。それは、過去の事件や犯罪にまつわる何か。それを見せ合うクラブだったのです。その時の飛鳥ちゃんのセリフと作家先生の心の中が、上記のように書かれています。

事件を丹念に見ていけば、もし自分が犯人の立場だったら同じことをしたかもしれない、と私も思います。私自身が誰かを殺めていないのは、紙一重だと感じるからです。そして、被害者になる可能性はもっと高いでしょう。

そういう想像ができるかどうかで、他者への共感や現状への感謝などができるのではないか? そう思うのです。


「私に彼氏? そんなのできるわけないでしょ……私なんてブスだしデブだし」
「ブスでデブ? それって悪いことなのかね……長い間、ここで亡者ばっかり相手にしてきた俺に言わせれば、おまえなんか、けっこう健康的でいいと思うけどね。まぁ、本人が言うんだから、きっとブスでデブなんだろうなぁ。本人が決めちまったら、誰にもそれは引っくり返せねぇから」
」(「蒼い岸辺にて」p.289)

自分の将来を悲観して自殺した早織。その早織と三途の川の渡し守の男の会話です。

考え方は人それぞれです。自分がこうだと決めたものが、自分の真実になります。もし、「今はそう思っているけど、そうではないかもしれない・・・」という考えを頭の片隅に置いておけば、もっと柔軟に他人の考えを受け入れられるし、自分が変わるのも容易になるでしょうね。


小説の中では、寿命が尽きる前に自殺した人には未来ゴミがある、と言います。生きていれば体験できたであろう未来です。男は早織の未来ゴミを捨てながら、それを早織に語ります。1年後に彼氏ができる予定だったのだと。

しかし、その彼氏は二股をかけて早織を捨てると言います。早織は、やっぱり自分はそんな運命なのだと思います。

でも、別の角度で見れば、こいつもおまえの人生には必要だったらしいな。おまえはこいつに振られたのをバネにして、きっついダイエットに挑戦したり、化粧の勉強に精を出すことになる。それで生まれ変わったみたいにキレイになって、このバカがよりを戻そうと言ってきたのを、今度はこっちから振るってことになってたらしい」(「蒼い岸辺にて」p.289 - 290)

「禍福は糾える縄の如し」とか「人間万事塞翁が馬」などと言いますが、何が幸いするかはわかりません。そして何が幸いしたかがわかるのは、寿命が尽きるまで生きた人なのですね。


いや、違う。才能の差は、努力じゃ越えられない。才能は神さまに愛された人だけが持っているもので、自分みたいなダメなヤツには与えられないのだ。
「おまえがそう思うなら、それでいいんじゃねぇ? 才能のないヤツは、みーんな負け犬。それで納得できるなら、楽なもんだ。どうにか人間に生まれて、せっかくもらった何十年かの命を、そう思い続けて過ごしたって悪いこたぁねぇさ。人間、何でも自由だよ」
」(「蒼い岸辺にて」p.292 - 293)

どう考えるかは、それぞれの自由です。どっちが絶対的に正しいというものではありません。

重要なのは、どう考えれば自分らしいか、ということではないかと思います。幸せでいたいのであれば、どう考えれば幸せか、ということです。


本のタイトルでもある「本日、サービスデー」も、とても読み応えがありました。解説にもありましたが、朱川さんの小説は、「もし・・・だったら?」という内容の話なのですね。

「もし・・・だったら?」と考えてみると想像力が鍛えられて、いろいろな見方ができるようになると思います。見方を変えることが、自分らしく生きることにつながるのです。

本日、サービスデー
 
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2017年07月19日

おこらせるくん



絵本作家、のぶみさんの最新作を読みました。以前、「ママがおばけになっちゃった!」を購入しましたが、それがとても良かったので、今回も買ってみました。

のぶみさんは、ひすいこたろうさんの友人ということで、ひすいさんの本の中で何度か紹介されています。最近読んだ「キミを救う言葉」の中にも、のぶみさんの話が出てきます。


今回の本は、つい怒ってしまうお母さんがテーマです。

「怒りたくて怒っているんじゃないー!」おそらくすべてのお母さんは、そういう気持ちではないかと思います。

早く幼稚園に行かなければいけないのに、なかなか準備をしてくれない。忘れ物をしないように注意したのに忘れてしまう。子どものそんなところに、つい怒ってしまうのです。

でもそれは、子どものことを愛しているからですね。他人の子どもなら、そんなこと気にもしません。自分の子どもだから、愛しているから、良くなってほしいから、怒ってしまうのです。


そんなお母さんと子どものことを、ユーモラスに描いた作品になっています。

お子さんと一緒に絵本を読めば、お子さんも、お母さんの気持ちに気づいてくれるかも。この作品も、子どもとの距離を縮める内容だと思いました。

おこらせるくん
 
タグ:のぶみ 絵本
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 07:33 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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