2018年09月29日

妻のことを歌に詠みました

私はこう見えても、高校では文芸同好会に入っていました。文学青年だったのです。

と言うのは半分ウソで、人数が足りなくて潰れそうだから救ってくれと1つ年上の姉から頼まれ、しょうがなく文芸同好会に入ったのです。他に陸上部と放送同好会にも所属していましたから。

一応、同好会の活動として会誌(作品集)のようなものを作っていたので、何か作品を作らなければなりません。一番短いのは俳句ですが、これは季語を入れなければならないなど、思ったよりハードルが高い。そこで目をつけたのが短歌でした。

短歌は、五七五七七の三十一文字(みそひともじ)になっていれば、あとは何も問われません。(たぶん)その手軽さから、数首の短歌を詠んで投稿したことがあります。

まあその程度の経歴ですが、三十一文字にするだけで、それなりに歌っぽく聞こえるのが気に入ってます。

最近、三浦綾子さん「道ありき」を読んだのですが、そこには数々の短歌が載せられていました。それに触発されて、私もいくつか詠んで、Facebookに投稿しました。

振り返ってみると、妻のことを詠む歌が多いようです。この妻がいてくれるからこそ、いろいろ経験させてもらえるのだなぁと、改めて思いました。

と言うことで前置きが長くなりましたが、Facebookに投稿した妻に関する短歌を、ここで紹介しておきますね。

本を読む 我の隣に妻おりて
動画に笑う 声や涼しき


ケタケタと 子どものように 笑う妻
汝(な)が幸せを 喜びており


出かけ行く 妻の背中に ありがとう
明日はあらむと 常に思えば


明日なきと 思わば心に湧き上がる
妻への感謝 言葉になりて


帰るたび3万円を小遣いに
与えたい父 遠慮する妻


夜更けて 帰宅するのはかまわぬが
足くすぐるな 我は眠たし

#愛しの妻へ

くすぐるな!
我が手を擦る足を擦る

#妻に言いたいこと
#ゴメンこれもパクリです
※川柳っぽく

あしびきの 山鳥(やまどり)の尾の しだり尾の
長々し屁を 妻こきにけり

#ごめんこれもパクリだ

雷に妻シアンダン(うるさい)だと叫びたる
あなたの声はもっとうるさい

#深夜はお静かに

嗅いでみよ臭くないわと妻が言う
寝ている我の顔に足乗せ

#虐待はやめましょう

※パクリもありますが、パロディですのでご容赦を。


<2018年10月4日追記>

そっちじゃない こっちに寝ろと妻が言う
昨夜はそっちと言ったじゃないか

#朝令暮改
#妻の言いなり

遠慮なくドカンと足を載せてくる
妻と寝る夜は息が苦しい

#安眠妨害
#妻になされるがまま


<2018年11月19日追記>

3〜4日(さんよっか)、いや4〜5日(しごにち)は干してある
うちのベランダこれが普通だ

#えっ普通じゃないの?
#妻に教えてあげてください

雨風に耐えにし松は壮健に
うちの衣服もたぶん壮健

#誰か妻に言ってください
#衣服を丈夫にしてくれてありがとうと

スースーとベッドで寝息をたてる妻
起こさぬようにソファーで午睡

#これでも気を使ってるんですよ
#こんな生活も幸せだなぁ

乾いて濡れ 濡れて乾くを繰り返す
かくて洗濯物は丈夫に

#なるわけないやろ〜!
#さっさと取り込まんかい!

喜ばせようとしたって怒られる
それが当然 にんげんだもの

#まあよくあることです
#いまだに妻の心は読めません

ゴミ箱を蹴って移動させる妻
私の親には見せない姿

#くつろいでいるんだね
#結婚7周年ありがとうね

床に這い 妻の抜け髪拾いおり
苦労をかけてすまぬと思う

#しょうがないね
#これも運命だ


<2018年12月1日追記>

ちびまる子ちゃんの動画を見る妻の
となりで我は踊るポンポコリン

#完全に呆れられた
#酔っぱらいオヤジです

くじいたと足かばいたる妻の横
手を当て座る1時間なり

#レイキは愛だ
#本当は50分間だったけど

KFC買って帰れと妻が言う
入った改札出て買いに行く

#入場料は初乗りの15Bでした
#時々無性に食べたくなるそうです

爪を切る我の隣に妻来たり
親しく寄りて屁をして去りぬ

#わざわざそんなことするか
#風と共に去ってくれ 


 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:28 | Comment(0) | └ 家族のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月24日

「幸せ実践塾」通信【SJ通信】(目次)

「「幸せ実践塾」通信(SJ通信)」というメルマガをまぐまぐで発行しています。(通称「SJ通信」)
過去ログを読めるのですが、順番にしか読めないので、こちらにリンクを貼って目次を作っておきます。

Googleなどの検索では、あまり出てこないんですよね、なぜか。
なので、私が過去ログを使いたい時、すぐにアクセスできるようにするという意味もあります。

※すべてのメルマガへのリンクは張れないので、原則として月の最初の発行日のメルマガと、発行数が多い時は中間点くらいのメルマガのみとします。

※注意:露骨な性描写を含むような時は、メルマガのタイトルに「(18禁)」とつけます。
もしそういう内容は読みたくない方は、それを目印にしてください。


それからこちらで、過去ログ内の検索もできます。
 


どうぞ、ご利用ください。


なお、「「幸せ実践塾」通信(SJ通信)」のメルマガは、最初は独自配信で行っていました。第1回配信は、2012年5月24日になります。
その後、2017年6月24日から、まぐまぐでの配信を始め、 独自配信は2017年12月16日が最後となっています。
(そこまでは両方で配信していました。)

したがって、基本的にまぐまぐ配信になる以前の独自配信分は、このブログの「SJ通信過去ログ」カテゴリの44記事しか過去ログが読めません。

今から全メルマガを読みたいという人もいないとは思いますが、もしご要望があれば、何らかの方法で読めるようにするかもしれません。(笑)

2018年9月24日現在ですが、あと10回くらいでこのメルマガの発行が1000回になる予定です。
気になる方は、ぜひブログの左サイドバーか、こちらからメルマガにご登録くださいね。


●2017年6月
「サンプル誌」
 (2017年6月24日)
「メッセンジャーとして生きる」
 (2017年6月29日)

●2017年7月
「マスターになるために」
 (2017年7月1日)
「終わりを決めておく」
 (2017年7月9日)
「死後の世界はどうなっているのか?」
 (2017年7月22日)

●2017年8月
「グループ意識というもの」
 (2017年8月1日)
「期待に応えなくても良い」
 (2017年8月8日)
「正義は人それぞれにある」
 (2017年8月1日)
「やらなかったことをやってみろ」
 (2017年8月1日)

●2017年9月
「成るようになる、大丈夫だ」
 (2017年9月1日)
「思い通りにならなくても完璧」
 (2017年9月12日)

●2017年10月
「神様の宿題」
 (2017年10月2日)
「「かくあるべし」を減らす」
 (2017年10月13日)

●2017年11月
「ビザ申請で得た気づき」
 (2017年11月4日)

●2017年12月
「心配しない生き方」
 (2017年12月3日)

●2018年1月
「独りの熱狂から始まる」
 (2018年1月2日)
「愛は神である」
 (2018年1月12日)

●2018年2月
「満月は人を狂わす?」
 (2018年2月1日)
「ナチュラル・レイキを始めます」
 (2018年2月12日)

●2018年3月
「引っ越しました」
 (2018年3月3日)
「マスオさんはつらいよ」
 (2018年3月13日)

●2018年4月
「バリ島から帰ってきました」
 (2018年4月1日)
「私は有能でなければならない」
 (2018年4月18日)

●2018年5月
「心配するな、なんとかなる」
 (2018年5月2日)

●2018年6月
「不覚にも泣きそうになりました」
 (2018年6月4日)

●2018年7月
「少しずつ進めばいい」
 (2018年7月7日)

●2018年8月
「フォーカスしたものが見える」
 (2018年8月1日)
「結婚するつもりでいました」
 (2018年8月8日)
 ※ここから始まる「妻との馴れ初め」シリーズは、ブログにまとめてあります。

●2018年9月
「北海道旅行の後で妻に贈る言葉」
 (2018年9月3日)
「心屋仁之助さんのブログについて」
 (2018年9月18日)

●2018年10月
「正直にすべてを開示する」
 (2018年10月3日)
「思い通りにならなくていい」
 (2018年10月15日)

●2018年11月
「「いいバカ」を目指す」
 (2018年11月2日)

●2018年12月
「すべては完璧だということ」
 (2018年12月4日)



まだまだ継続中です。よろしければ、メルマガにご登録ください。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:49 | Comment(0) | メルマガの目次 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月20日

誰も知らない偉人伝



また白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの本を読みました。この本は、前にも読んだ「こころに残る現代史」のリメイク版の文庫本になります。

今年、白駒さん主催のバリ島の兄貴を訪ねるツアーに参加した時、この文庫本ができることを聞きました。文庫化にあたって、かなりの加筆修正を行うとのことでしたので、期待して読みました。

実際読んでみて、登場するエピソードの中にはよく知っているものが多数ありましたが、まるで新しい本を読んでいるかのような感動がありました。読み始めたらグイグイ引き込まれ、あっという間に読み終えてしまいました。しかもその間、ボロボロ涙を流しながら。

かつて、こんな美しい日本人が大勢いたのですね。その美しさに感動します。そして、この「日本人」という伝統を、私も遺していかなければいけないなぁと、決意を新たにしました。ぜひ、多くの人に読んでいただきたい1冊です。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

死刑執行官は、射撃手に「射撃用意」と告げた後、ひと言つけ加えました。

「愛をもって撃て……」
」(p.27)


時代は日露戦争のころ。民間人でありながら「日本のために」とスパイ活動を行った横川省三のエピソードです。
省三は、任務を行う前にロシア兵に捕らえられます。そして軍法会議にかけられました。

しかし省三は、機密をバラすようなことはせず、スパイ活動をしている者は多数いると、堂々と供述しました。このことによりロシアは、シベリア鉄道を守るため、多数の監視要員を割かなければならなくなったのです。

民間人の死刑は絞首刑でしたが、省三は軍人に対する礼を求めました。その熱意に負け、裁判長は特例で銃殺刑を下します。しかし、省三の堂々たる態度に胸を打たれた裁判長は、自ら減刑嘆願をするのです。その嘆願は叶いませんでしたが、敵国人にそこまでさせるとは、いったいどれほど素晴らしい態度だったのでしょう。

省三は残された娘たちにあてて遺書をしたためます。国のために尽くせと。まさに省三の生き方そのものでした。さらに省三は、使いきれなかった所持金のすべてを、娘たちへではなく、ロシアの赤十字社に寄付します。

そして死刑執行の日を迎えたのです。死刑執行官は、省三を苦しませないように、心臓を狙って即死させよという願いを込めて、上記のように告げたのです。その堂々たる態度で敵国人さえ感動させる。そしてその感動が、愛の行動を起こさせたのですね。


義和団の乱のときの柴五郎にはリーダーとしての矜持(きょうじ)があり、マクドナルド公使は、その五郎の姿に、上に立つ者のノブレス・オブリージュを見ました。
 こうしたことが下敷きとなり、さらに両国の利害関係の一致があって、日英同盟締結という結果に結びついたのではないでしょうか。

 そして、この同盟がなければ、日露戦争の勝利もまたなかったのです。
」(p.46)

日本の近代化において、その最も特筆すべきエピソードとして日露戦争があります。弱小日本が大国ロシアと戦って勝ったのです。これがなければ、日本は植民地支配されていたかもしれません。そして、アジアやアフリカの独立は、さらに遅れたと思われます。白人支配の常識に風穴を空けた出来事だからです。

その日露戦争の勝利には、数々の要因がありました。その中の1つが日英同盟であることは、よく知られています。これまで一度も他国と同盟関係を結んだことのないイギリスが、こともあろうかアジアの弱小国、日本と同盟を結ぶ。こんな摩訶不思議なことが起こったのが、義和団の乱での日本人の活躍だったのです。

清朝は義和団と組んで、日本、ロシア、イギリスなど8ヶ国の人々が駐留していた居住地域を取り囲みました。925名の外国人居住区に、逃げてきた中国人クリスチャン約3000人。その地域を守る兵力は、わずか500人足らず。連合軍2万人が到着するまでの約2ヶ月間、その勢力で義和団の攻撃に耐えたのです。

その中心にいたのが、英語、フランス語、中国語などをたくみに使った柴五郎(しば・ごろう)。冷静沈着に指揮して、パニックが起こるのを防ぎました。イギリス公使のクロード・マクドナルドは、「彼のしもべになってもいい」と手記に記すほど、五郎に惚れ込んだのです。このことからマクドナルドは、本国に日本との同盟を進言します。ロシアの台頭を抑えたかったイギリスは、日本との同盟に踏み切ったのです。


宮古島に戻った後も、「決して口外してはならない」という約束を守り、5人は自分たちのしたことを家族にも口にしなかったといいます。しかし、やがて彼らの努力は多くの人々が知ることとなり、このエピソードは全国の日本人の胸を打ちました。
 彼ら5人は「久松五勇士」と呼ばれ、戦前の教科書に掲載されます。さらに、沖縄県知事からも表彰を受けることとなりました。
」(p.54)

日露戦争では、バルチック艦隊がどこから現れるかが重要なポイントでした。それを真っ先に発見したのは、宮古島の漁師、奥浜牛(おくはまうし)という若者でした。しかし、そこからの連絡が難しかったのです。宮古島には通信施設がないため、石垣島へ行かなくてはならない。約170kmをサバニと呼ばれる手こぎボートで渡る。その任務に選抜されたのが、漁師の垣花善(かきはなよし)、垣花清(かきはなきよし)、与那覇松(よなはまつ)、与那覇蒲(よなはかま,松原村)、与那覇蒲(久貝原)の5人だったのです。

到着した石垣島も、通信施設があるのは30kmの山道を行った先。彼らは疲労した身体に鞭打ち、八重山郵便局に向かい、大本営へ向けて打電しました。

しかし、彼らの苦労は報われませんでした。それより先に、日本郵船の貨客船、信濃丸が「敵艦見ゆ」の打電をしていました。第一通報者にはなれなかったのです。

役には立たなかった。けれども、日本のために死力を尽くした名も知らない人々がいる。白駒さんは、そのことを掘り起こしたいのです。こういう点は、一隅を照らす生き方をした人にスポットライトを当てた神渡良平さんの姿勢と通じるものがあるように思います。


日本が長年統治していたのは台湾と韓国です。では、その2ヶ国、今はどうなっていますか? ともに先進国じゃないですか。欧米が植民地支配をしていた国のどこに先進国があると言うのですか。日本が統治をしていた国や地域だけが、先進国になっているのですよ。」(p.68)

白駒さんの価値観をひっくり返したという、インドネシアの教授たちから白駒さんが聞いた話です。インドネシアの人たちはみな、日本に感謝していると言われたのです。

歴史上の出来事のプラス面、マイナス面を両方知った上で、自分なりの歴史観を持つこと。それが本当の「歴史からの学び」だと思うのです。
 そういう意味で、このインドネシア独立にまつわるエピソードは、現在の日本に生きる私たちが知っておくべき話だと思い、私はみなさんにお伝えし続けているのです。
」(p.71)

先の大東亜戦争(太平洋戦争)には、いろいろな意味があります。日本が欧米列強と同じように植民地を欲した侵略戦争という一面もあれば、ABCD包囲網でジリ貧になる前に石油を確保したかった自衛戦争という一面もあると思います。そして、欧米の支配からアジアを解放する解放戦争という意味も。

一面的な見方に偏るのではなく、事実をもとに自分の歴史観を持つこと。それが重要だと白駒さんは言います。


あなたが示された寛容と博愛と仁慈の精神を私たちは決して忘れません。そして、もし私たちよりさらに不幸な人々に会えば、あなたに示された精神で私たちも臨むことでしょう。『四海の内みな兄弟なり』という言葉を、私たちはあなたとともに思い出すことでしょう」(p.92)

こう語ったのは、第一次世界大戦の時、青島(ちんたお)で日本に攻撃されて捕虜になったドイツ兵です。四国徳島の一番札所がある坂東に収容所を作り、1000人ものドイツ人捕虜を収容しました。地元の人々からは「ドイツさん」と親しまれ、手厚くもてなされた彼らは、音楽やスポーツの活動も活発に行いました。

その中で生まれたのが、1918年6月1日に行われた日本初の「第九の演奏会」だったのです。彼らを手厚くもてなしたのは、会津藩出身の松江豊寿(まつえ・とよひさ)所長。論語にある「四海の内みな兄弟なり」という精神で、捕虜に対しても真心と礼儀を尽くしたのです。


ところで、沖縄戦といえば、「本土決戦までの時間稼ぎのために、多くの県民が捨て石にされた」というイメージが強いと思いますが、当初、日本軍は住民を戦いに巻き込む気はなく、県民の半分以上を九州や台湾に疎開させ、残り半分以下の県民を沖縄本島北部に移す予定でした。仮に沖縄が戦場になった場合、戦場に多くの住民がいれば被害が大きくなるばかりか、軍は住民を守るため、本来の戦闘力を大きく削がれてしまうからです。」(p.103)

これは知りませんでした。でも、考えてみればそうですね。後で出てくるパラオでの決戦のように、日本軍が民間人を盾に使うことは考えられませんから。

残念だったのは、疎開が遅れたこと。これは、多くの人が疎開に躊躇したことも原因であるようです。そして、アメリカ軍が沖縄本島中央部に上陸して南下したため、住民もろとも追いやられてしまったこと。ここには、官選知事の島田叡(しまだ・あきら)氏が任官を拒否しなかったエピソード、最後まで住民を守ろうとしたエピソードなどが書かれています。

実は、沖縄戦における民間の犠牲者の多くは、首里城が陥落し、軍の南部撤退に伴って本島南部全域が戦場となってから、亡くなっています。まさに彼らは、本土決戦準備のために、捨て石にされたのです。」(p.110)

ここまできては、県庁職員には何もすることができません。島田知事は約100人の職員に解散を命じます。島田知事は、住民全員が逃げられない状況下で、自分が逃げるという道は選ばれなかったのです。

本土から派遣され、このような思いで沖縄の人々に尽くそうとした人がいた。それは、島田知事だけではなかったようです。次の大田実(おおた・みのる)中将が海軍次官へと言って打った最後の電文も心を打ちます。その最後を引用しましょう。

これをまとめると、陸海軍が沖縄にやってきて以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約をしいられ、ご奉公するのだという一念を胸に抱きながら、ついに報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまいました。
 沖縄の実情は言葉では形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も6月一杯を支えるだけということです。
 沖縄県民は、このように戦いました。
 県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。
」(p.114)

この1週間後に、大田中将は自決したそうです。この大田中将の思いは、現代に伝わっているのでしょうか? まずは、知ることが重要だと思います。


私たちは、過去に起こった出来事を、変えることはできません。でも、当時の人々の思いを知ることで、受け止め方を変えることはできます。
 それによって、過去に生きた人々の命が輝き、同時に、いま生かされている私たちも少しだけ幸せな気持ちになれる……。そこに、歴史を学ぶことの大きな意味があるように思えるのです。
」(p.126)

昭和天皇の行幸のエピソードの最後に書かれてある白駒さんの言葉です。事実は変えられませんし、それを捻じ曲げてはいけません。しかし、その見方を変えることはできます。

それぞれの人の懸命に生きた背景を知ったなら、同じ出来事も違って見えてきます。もし、自分がその立場なら、どんなことができただろうか? そんなことを考えてみるのも、良いことだと思います。


ただし、ここで特筆すべきは、メキシコが日本にとって一番初めに平等条約を締結した国であり、オリンピックの東京開催を、世界で最初に支持してくれた国であるということです。これが、「2番目」だったら、両国の友情は存在していたかどうか……。」(p.137 - 138)

1874年の金星大接近の観測場所として日本が最適だとわかった時、不平等条約を振りかざして上から目線でものを言ってくる欧米諸国に比べ、メキシコは最初から対等に臨んできました。その真摯な態度に応え、日本は最高の観測場所をメキシコに提供しました。それに対してメキシコは、初めて平等条約を結んでくれたのです。

このことがきっかけで、欧米の不平等条約を改定して行くことができました。日本はそのメキシコの恩義に応えようと、都内の一等地を大使館用に無償で提供したのです。メキシコの勇気ある行動がなければ、欧米と肩を並べるまでに相当な時間を要したことでしょう。


エルトゥールル号が遭難する4年前(1886年)に、やはり近海でイギリスの貨物船ノルマントン号が遭難したとき、乗り合わせていた二十数名の日本人乗客全員が水死するという、痛ましい事件が起こりました。このとき、イギリス人の船長、船員は、自分たちだけボートで脱出し、日本人乗客を見捨てたのです。
 この悲劇を、当時の日本人なら誰もが知っていました。悲しくて悔しい出来事でしたが、当時は幕末に結んだ不平等条約が続いていて、日本は彼らを裁くことさえできなかったのです。
」(p.154)

そんな状況下で起こったエルトゥールル号遭難事件です。どうせ外人なんだからと、放っておいても良かったはず。でもそれをしなかった。それを白駒さんは「惻隠の情」があるからだと言います。頭で考えた結果ではなく、直感的に助けずにはおれないと感じる心。そういう心を、日本人は強く持っているのかもしれませんね。

官軍と幕府軍が戦った時も、同じようなことがありました。清水の浜に打ち上げられた幕府軍の兵士を、多くの人が官軍を恐れて見て見ないふりをしていました。しかし、1人、そうしない男がいました。清水の次郎長です。死んだらみな同じ仏様だとして、手下に命じて懇ろに弔ったのです。

また、日露戦争の時もありました。日本海海戦では多くのロシア戦が日本海に沈みました。その中に、島根県江津市沖まで辿り着いた船もありました。イルティッシュ号です。住民はそれを助けて介抱し、乗員265人全員を助けたのです。私の故郷でもある島根県のエピソードです。

たとえ敵国の人であったとしても、戦闘時でなければ人として敬意をもって遇する。そういう気概が、日本人には伝統的にあるように思います。本書にも太平洋戦争時に、沈没した敵艦船の乗員を助けたエピソードが載っています。そういうのを読むと、人としての美しさを感じます。

それにしても、海で受けた恩を空で返してくれるなんて、トルコ人も粋ですね。」(p.155)

エルトゥールル号の恩を忘れなかったトルコによって、イラン・イラク戦争の時にイランに取り残された多くの日本人が救われました。自国民は陸路で避難するようにさせ、優先的に日本人を救出機に乗せてくれたのです。

このエピソードは、映画にもなりました。「海難1890」です。もう思い出しただけで涙がこぼれそうになります。


私は、航空会社に勤務していた頃、仕事や旅行で海外のさまざまな町を訪れましたが、そのたびに、”日本ブランド”を感じていました。「日本人だから」という理由だけで、信用してもらえたり、とても親切にしてもらえたんです。
 それは、先人たちの素晴らしい生き方に、世界中の人々が共感してくれていることからきていたと思います。敗戦後、日本がまたたく間に復興できたのも、日本人の努力や能力以上に、日本人ブランドが世界に愛されていたからではないでしょうか。
」(p.172)

本書には、ベルギー、メキシコ、ウズベキスタン、トルコ、ポーランド、スリランカ、パラオ共和国という国の人たちが、日本に対して親しみを持っていてくれることがエピソードとともに書かれています。日本人があまり知らないことがほとんどです。しかし、間違いなく私たちのご先祖様の誰かが、その国の人々の心に残る対応をしてくれています。

「日本は天国のようなところだった」と語ってくれたのは、シベリアから日本経由でポーランドに戻ることができた孤児の1人、アントニーナさん。ヨーロッパの国がどこも助けなかった時、日本だけが救いの手を差し伸べたのです。そして、その孤児たちに対して親身に接した大勢の日本人がいました。

何か特別なことやとてつもなく大きなことをする必要なんて、ないのです。先人たちがしてきたように、大切な人、大好きな人を笑顔にするために、一日一日を、心をこめて丁寧に生きる。勇気と誇りを持って、この世を天国に変える小さな一歩を、踏み出していきましょう。」(p.173)

白駒さんは、このように言います。目の前の人を笑顔にする。喜びを与える。そうする方法は無数にあるし、そう決意すればその方法は見つかる。そして、他人に喜びを与えれば、自分が喜びを得られる。それが本来の私たちの姿なのだ。そう、「神との友情・下」にもありました。


例えば、コップに半分入った水を「もう半分しかない」と受け止めるのが、マイナス思考。「まだ半分ある」が、プラス思考。でも、まったく違う受け止め方もあるのです。水の量に関係なく、「こうして飲めることが有り難いな」とか、「こうして安心して水が飲めるのも、大自然のおかげであり、先人たちのおかげ」といった受け止め方がある。
 私はこれを「感謝思考」と呼びたいと思います。
」(p.188)

これは新しい視点ですね。多い少ないと量に注目するのではなく、ただ存在していることに感謝する。「感謝思考」という言葉は、私の心に響きました。


八田さんが台湾に残した一番の功績は、八田ダムを造ったことではありません。確かに、それも大きな功績です。でも自分は、それと同じかそれ以上の功績があると思っています。それは、八田さんが台湾に日本精神を伝えてくれたことです」(p.228)

李登輝元総統は、日本で講演する時、必ず于山島(うざんとう)ダム(八田ダム)を造った八田與一(はった・よいち)氏のことを話されるそうです。その時、上記のようなことを話されるのだとか。

「公に生きる」「他人の幸せを考える」「他人の痛みを自分の痛みとする」というような自他同一の感覚が「日本精神」なのです。台湾の人たちにとっては、「日本精神がありますね」というのが、最も嬉しい褒め言葉なのだそうです。


巻末には横田南嶺(よこた・なんれい)氏の解説があります。白駒さんは、これだけでも読む価値があると絶賛されていましたね。私のFacebookに、白駒さんが次のようにコメントされていました。

横田管長の解説が素晴らしく、これだけでも皆様にお読みいただけたら本望です(*^^*)

本書に、日露戦争に先立って金子堅太郎ルーズベルト大統領に会いに行き、日本への協力を取り付けたという話が載っています。ハーバード大学で同窓だったよしみがあったからです。その金子がアメリカに渡ることになった時の伊藤博文とのやり取りが、この解説に書かれています。

ちょっとネタバレになるので引用しませんが、さすがは伊藤博文だなぁと思わせるエピソードです。しっかりとした見識と胆識。一流と言われる人は、さすがに違いますね。もし大東亜戦争の時も、伊藤博文が首相だったら・・・と思ってしまいました。気になる方は、ぜひ本書をお読みください。


白駒さんも書かれているように、歴史を学ぶとは、年号や出来事を覚えることではない、と私も思います。さまざまな環境、事情、出来事があり、その中で人々がどう考え、どう行動したのか。そのことを知ることが、歴史を学ぶことだと思います。

それも、ただそれを知ればよいのではありません。知識だけ増えても、評論家になるだけです。それでは意味がありません。その知識を自分の生き方に活かすこと。活用しなければ歴史を学んだことにはならないのです。

そういう意味で、わかりやすくエピソードを伝えてくれる白駒さんの本は、とてもお勧めです。この本も、ぜひ多くの人に読んでいただきたいと思いました。

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2018年09月19日

仙境異聞・勝五郎再生記聞



「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」の2745号(2018年6月11日発行)「取材ノート」で紹介されていた本を読みました。「天狗のしわざ」と題して編集部の野中千尋さんが書かれたもので、「最近私を「夕飯抜き」にした一冊」ということでした。

Twitterで噂が広まって人気が高まり、急遽復刊され、それがあっという間に1万部も売れたのだとか。そんなことを聞いては読まないわけにはいきません。ということで、さっそくネットで注文し、7月に帰省した時に受け取った本になります。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

まず最初に、この本の概要を説明します。「仙境異聞」は文政3年(1820年)に、天狗に連れ去られたという少年寅吉から平田篤胤(ひらた・あつたね)氏らが話を聞いて、それを篤胤氏がまとめたものになります。「勝五郎再生記聞」は、前世の記憶があるという勝五郎の話を、同じく篤胤氏がまとめたものです。

寅吉は、この時15歳だそうです。昔だと数えですから、今の13歳くらいでしょうか。その少年に篤胤氏ら大人が質問攻めにします。それに対して寅吉は、堂々と答えています。

なお、現代語訳ではないので、文章は読みづらく、内容もわかりづらいです。特に最初の「仙境異聞(上)」は、途中で何度も読むのをやめようかと思ったくらいです。次の「仙境異聞(下)」は、質問形式で文章も割と読みやすくなっています。

こういう本がそんなに話題になるとは、ちょっと不思議な気がします。ただでさえ活字離れしているというのに、こんな読みづらい本が売れるとは・・・。まあ、買った人がみんな最後まで読むとは限りませんけどね。


寅吉云はく、宮も家もいかに小なりとも、大勢入りても狭からず、人数に従ひて、広くも狭くも思ふまゝになる物なり。」(p.252)

これは、「十三天狗」と呼ばれる天狗や山人(さんじん:行者のような存在)たちの住まいが、「岩間山の愛宕宮」だと寅吉が答えたことに対し、使者も含めて50人くらいが愛宕宮のような小さなところに入れるのかと質問した時の寅吉の答えになります。

つまり、寅吉らは現世の人間のような存在ではなく、幽界の存在として、3次元空間に縛られていないのだろうと思われます。他にも、備えられた食事を食べても、そのものはなくならないとか、近くに行っても自分たちの姿は見えない、などの記述があります。


寅吉笑ひて云はく、地獄極楽といふは、愚かなる者を縅(おど)す為に、後人の作言したるなり、と師説なり。殊に極楽は十万億土にあるといへば、地つづきと聞こゆるに、師に伴はれて大空に昇り遠く国々までも行きて見たるに、何と見ても大地は円き物にて、くるりと廻りても十万億土はありそもなし。」(p.305)

これは地獄極楽を見たかという問いに寅吉が答えたものです。地獄極楽は作り事だと言い切っているのが面白いですね。師と共に空を飛び、諸外国ばかりか他の星まで言ったという寅吉が、地球をぐるっと回ったと言っています。本当かどうかは何とも言えませんが、当時の15歳の少年に、こういう知識があるとはなかなか信じられません。


さてまづ光りて見ゆる所は国土の海の如くにて、泥の交じりたる様に見ゆ。俗に兎の餅つきて居ると云ふ所に、二つ三つ穴あきて有り。然れど余程離れて見たる故に、正しく其の体を知らず。」(p.313)

これは寅吉が、星のあるところまで行ったなら月の様子を見たかと問われて答えたものです。しかし、質問者は穴が空いているはずがないと、これを否定します。それに対して寅吉は、次のように言います。

我は書物は知らず、近く見て申す事なり。尤も師も岳なりとは云はれつど、近寄りて見れば正しく穴二つ三つ有りて、其の穴より月の後ろなる星の見えたりしなり。然れば穴ある事疑ひなし。」(p.313)

西洋の書物で月をどう言っているかは知らないが自分はこの目で見た、というわけですね。まあ現代の科学では、寅吉の説は完全に否定されることになりますが。


寅吉云はく、わろきと云ふ事は成るたけ云はぬ物なり。殊にわろき天気などいふ事は宜しからず、よくふる天気など云ふべき事と師の教へなり。」(p.326)

ある人が「わろき鮓(すし)ぞ」と言ったことに対して、寅吉が口を挟んだのです。なぜそう言ってはいけないかについては、特に言及がありません。おそらく、言霊ということではないかと思います。


此の国は仏国に非ず神国にて、我も人も貴き神の末なれば、何でも神に成らむと心掛くべき事なり。」(p.333)

寅吉は、最初から仏教は卑しいもので良くなく、神道が優れたものだという立場です。理由はいろいろ書いてありますが、特に決定的なものではありません。強いて言えば、釈迦も人間として生まれたもので、人間を創ったのが神なのだから、というような理由も書かれていました。

どうも篤胤氏の持論を補強するために、いろいろ編集されているのではないか、という疑いがなくもありません。
ただ、少なくともこういう不思議なことを語る少年がいたことだけは、事実ではないかと思います。


最後にもう一度言うと、こういう本がヒットするとは、ちょっと不思議です。読みづらいし、内容的には特に目を見張るものはありませんから。これで示された痛風の薬とか不妊治療の方法などが、現代で受け入れられているというなら別ですが、そんなこともなさそうですし。

けれども、今から約200年前には普通に天狗がいたのかもしれないなぁと想像してみると、ちょっと楽しくなることはあります。科学的でないからと言って、必ずしも間違っているとは言い切れませんからね。

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タグ:平田篤胤
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 07:59 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月13日

こう見えて料理は得意です

意外に思われるかもしれませんが、私は料理は得意な方です。

ただし、最初に断っておきますが、なんちゃって料理です。

そんなにグルメでもないし、味にうるさくもないので、それなりに食べられる料理ですね。


と言うのも、18歳で一人暮らしを始めてからずっと自炊をしていましたから。

昔は、惣菜を売っていることなどまずなかったし、あっても高かったので、貧乏苦学生は自炊するしかなかったのです。

そんな私のために、母がレシピを書いたノートをくれました。うどんのつゆなんて、出汁のとり方から書いてありましたからね。一度も作りませんでしたけど。(笑)


それから、新聞奨学生のころは、朝食当番をすることがよくあり、10人分くらいの食事を作りました。

1人100円の予算で前日に食材を買っておき、配達する人たちのために食事を用意します。

なにせ人数が多いので、米はどんぶりで何杯だとか、大雑把な作り方でした。朝っぱらからカレー、シチューなど、ハイカロリーな料理が多かったです。


社会人になってからも、弁当を自分で作って持っていったりしてました。これも節約のためです。

と言っても、自分用だと料理はほとんどしません。市販のレトルトハンバーグをご飯の中に埋めただけとか。(笑)

帰ってからの晩ご飯は、具だくさんスープにご飯を入れておじやにするような料理がほとんどでした。

自分用だと、いくらでも手抜きできちゃうんですね。(笑)


そんな私が、クックパッドにデビューしました!

最近作って良かった料理を、教えてみたくなったんですね。

第一弾は、「超簡単!無限キャベツ」です。

Cpicon 超簡単!無限キャベツ by プーさんPAPA


これを料理と呼ぶかどうか微妙でしたが、まあいいかと。(笑)

今日、第二弾を載せました。「レンチンで簡単!常備菜のカレー肉味噌」です。

Cpicon レンチンで簡単!常備菜のカレー肉味噌 by プーさんPAPA


こちらは、それなりに料理っぽいでしょ?(笑)

今はキッチンも狭いし、なるべくIHのコンロは使いたくないし、鍋を使うと洗うのも面倒なので、電子レンジで作ることを考えています。

ちなみにご飯は、タイ米で黒米の玄米を電子レンジで炊いています。特別な容器ではなく、普通の耐熱容器です。それで蒸らしも入れれば約30分で約1合の玄米ご飯が炊けます。

炊き方は、玄米1合と水2合を1時間以上置いて給水させ、最初は800Wで5分チンします。水を沸騰させるのが目的です。

次に300Wくらいに落として、5分ずつ3回チンします。

5分ずつ分けるのは、様子を見るためです。容器が浅いので、水分が少なくなるとすぐに吹きこぼれします。それをなるべく減らしたいので、様子を見ています。それと、水蒸気がすごいので、その都度、庫内の水分を拭き取っています。

水分がほぼなくなれば炊き上がり。後は10分ほど蒸らして出来上がりです。簡単でしょ?

クックパッドのレシピも、ぜひお試しくださいね。試してみて良かったら、ぜひクックパッドの方に「つくれぼ」を送ってください。

よろしくお願いします!
 


<2018年9月15日追記>
第三弾を載せました。「レンチンで簡単!おひとりさま玄米ご飯」です。

Cpicon レンチンで簡単!おひとりさま玄米ご飯 by プーさんPAPA


私の食生活が、だいたいわかりますね。(笑)
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 01:15 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月03日

妻との馴れ初め

妻と結婚して、もうすぐ7年になります。付き合い始めてからだと10年を超えました。

妻との出会いや、その後の関係は、私の人生にとって、とても大きな影響があったと思っています。

私がお勧めしている「神との対話」でも、人間関係がなければ私たちは進化成長できないとあります。

とりわけ妻との関係は、私の成長において重要な役割を果たしていると思うのです。


そこで、妻との出会いや、付き合うことになった経緯などを書いておこうと思い、メルマガ「SJ通信」に書いてきました。

過去ログで読むことができますが、最初または最後から順番にしか読めない仕組みになっているので、ここにリンクを貼って読みやすくしておこうと思います。

 

●メルマガ「SJ通信」:「妻との馴れ初め」シリーズ

01.「結婚するつもりでいました」
 (2018年8月8日)
02.「結婚が破談になった日」
 (2018年8月9日)
03.「それは愛だろうか?」
 (2018年8月11日)
04.「結婚をあきらめたら彼女ができた」
 (2018年8月13日)
05.「自由だから浮気してもいい」
 (2018年8月14日)
06.「自由だから掃除しなくてもいい」
 (2018年8月17日)
07.「根拠のない愛だから永続する」
 (2018年8月20日)
08.「結果的に結婚することに」
 (2018年8月22日)
09.「結果的に結婚することに(続き1)」
 (2018年8月23日)
10.「結果的に結婚することに(続き2)」
 (2018年8月24日)
11.「結果的に結婚することに(続き3)」
 (2018年8月25日)
12.「結果的に結婚することに(続き4)」
 (2018年8月27日)
13.「結果的に結婚することに(続き5)」
 (2018年8月28日)
14.「結果的に結婚することに(終わり)」
 (2018年8月29日)
15.「妻がキレた5バーツ事件」
 (2018年8月30日)
16.「妻がキレた5バーツ事件(続き)」
 (2018年8月31日)
17.「北海道旅行の後で妻に贈る言葉」
 (2018年9月3日)
18.「北海道旅行の後で妻に贈る言葉(続き)」
 (2018年9月4日)
19.「感情を味わうということ」
 (2018年9月5日)
20.「感情を味わうということ(続き)」
 (2018年9月6日)
21.「今はただ安心して生きることにします」
 (2018年9月7日)
※このシリーズはこれで終わりですが、ぜひ引き続き私のメルマガをお読みくださいね。
 ご購読(無料)は、ブログの左サイドバー、または上記過去ログページかこちらのリンク先からどうぞ。



●ブログ記事へのリンク

妻のことや、上記のメルマガで取り上げたことの一部については、これまでにもこのブログで書いてきました。
すべてはフォローできないと思いますが、思いついた記事のリンクをここに載せておきます。

「彼女を泣かせました」
 (2012年5月25日)
「辛い失恋もありました」
 (2012年5月26日)
「フラれてばかりの人生」
 (2012年5月30日)
「50歳の私が結婚できた理由」
 (2012年5月30日)
「がんばろう、福島!がんばろう、ニッポン!」
 (2012年6月30日)
「「もう別れるしかない」と何度も考えました」
 (2012年7月12日)
「帰ってきました」
 (2012年10月19日)
「旅行中の出来事に思うこと」
 (2012年10月22日)
「バレンタインデーの贈り物」
 (2013年2月14日)
「寒くて暖かかった札幌旅行」
 (2013年2月19日)
「7月7日の思い出」
 (2013年7月8日)
「今回の帰省旅行は寺社めぐりをしました」
 (2013年10月25日)
「戻ってきました」
 (2014年4月22日)
「夏の思い出はヤマメ釣りと花火」
 (2016年8月18日)
「パタヤ旅行」
 (2016年9月7日)
「丸2週間の国内旅行」
 (2017年1月7日)


●メルマガ「SJ通信」:その他のリンク

妻とのことを書いたまぐまぐのメルマガの過去ログも、ここにリンクを貼っておきます。
特に、2018年2月末から始まった妻の実家でのことですけどね。わずか4ヶ月でしたが、とても濃い内容でした。(笑)
ここにリンクを貼っていない回でも、妻やお義母さんとのことなど書いてます。
よろしければ上記シリーズ以外の過去ログもご覧ください。

「妻に鍛えられています」
(2018年3月日)
「マスオさんはつらいよ」
(2018年3月13日)
「キレてしまいました」
(2018年3月19日)
「離婚の危機です」
(2018年3月21日)
「まるで禅寺の修行です」
(2018年3月23日)
「私がストレスを感じる時」
(2018年4月7日)
「私は有能でなければならない」
(2018年4月18日)
「あっけなく白旗です」
(2018年4月19日)
「私はお財布ですか?」
(2018年4月26日)
「不覚にも泣きそうになりました」
(2018年6月4日)
「幸せそうに見えません」
(2018年7月28日)
「幸せってなんだろう?」
(2018年7月30日)
「気付かせてもらったこと」
(2018年7月日)
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:34 | Comment(0) | └ 家族のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月29日

癒しの手



望月俊孝(もちづき・としたか)さんの本を読みました。望月さんの本はこれまでに、「幸せブーメランの法則」「幸せな宝地図であなたの夢がかなう」など多数紹介しています。

望月さんは、宝地図エネルギーマスターなどを教えておられますが、その原点はレイキです。私も、望月さんのところで最初にレイキを習いました。その時、受講するかどうかを検討するために読んだのが、「癒しの手 心もからだも元気にするレイキ・ヒーリング」でした。2014年4月に紹介していますが、これを読んで受講を決めて申し込み、2014年6月に受講したのでした。そのことは、「レイキヒーラーになりました」に詳しく書いています。

その後、この「癒しの手」の漫画版として、「超カンタン癒しの手」が出されています。これが2017年2月の紹介でしたね。そして今年、最初の「癒しの手」のリニューアル版として、今回の本が出版されたのです。まったく新たに書き起こされたことで、前の本とはまったく違う内容になっています。しかし、レイキの素晴らしさを伝えるという本質においては、同じものだと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「人には誰でも無限の可能性がある」
 僕は、この1つの言葉とともに生きてきました。
」(p.32)

第1章は「レイキと出会うということ」で、望月さんがレイキと出会い、人生を切り開いていかれる様子が描かれています。6000万円の借金、全身アトピーという困難な状況があったが故に、レイキと出会い、レイキと共に生きる決心をされたのではないかと思います。


その過程で臼井先生は1つの悟りを開かれました。
 「人生の究極は、安心立命(あんじんりゅうめい)を得ることだ」と。
」(p.71 - 72)

レイキの創設者、臼井甕男氏は、自らの人生に悩み、「安心立命」を求めたと言われています。この言葉の意味をググってみると、「天命を知って心を安らかにし、物事に動じないこと。」とありました。この人生はこのためにあるのだと悟り、安心してお任せして生きることですね。

しかし、臼井氏はどれだけ修行を積んでも、なかなかこの境地に至りません。それで禅の師から「一度死んでごらん」と言われ、京都の鞍馬山に登って断食修行をされたのです。この辺の歴史は、別のブログに「臼井甕男氏が創設」として紹介していますので、そちらをご覧ください。


その時、臼井先生は悟られました。

 宇宙の霊氣と、体内の霊氣が相互に交流し、大宇宙と人体はまったく同一のものという「宇宙即我」「我即宇宙」という境地を。
」(p.75)

この部分に関しては、臼井氏自らの言葉を残した資料はないと思います。したがって、お弟子さんの口伝によるであろうと思われるものを、現代レイキの土居氏が本の中で伝えたものが、唯一の資料ではないかと。土井氏は「癒しの現代霊気法」の中で、「すなわち自らが体得された悟りの境地である「宇宙即我、我即宇宙」の教えです。」(p.151)と書かれています。


レイキは目に見えるものではありません。
 形のあるものではありません。

 だから「言葉」でしっかりと伝えることがまだできていないから、この素晴らしいレイキが日本では広がっていないのだ。
」(p.139)

レイキを広めようと思っても、ただ「いいものだから」と言っても、誰も耳を貸しません。そこで望月さんは、ブログもSNSもなかった1990年代に、以前勤めていた会社の会員様向け会報誌の一部に載せてもらうよう働きかけたのです。毎回2ページの記事は反響を呼び、そこからレイキの受講者が広がっていきます。

この言葉にするという作業が、後の小冊子、そして1冊目の「癒しの手」へとつながっていきます。この1冊目の本は爆発的に売れ、日本にレイキを広める上で大きな役割を果たしたと言われています。もし、望月さんがレイキを広めていなかったら、今ほどもレイキは広まっていなかったでしょう。


その中で、僕はある大きなことに氣がつきました。
 それは、「セミナーの学びは、会場のエネルギーによって変わる」ということです。
」(p.163)

大人数で盛り上がることで、学びの実感度が違うというのですね。ですから望月さんのところ(ヴォルテックス)の講座は、毎回30名くらいの人が参加しています。地方会場では人数が少ないこともありますが、東京会場では毎回このくらいです。


そのためにアチューンメントを受けた後のその効果を実感するワーク・実習の工夫に情熱を注いでいます。
 なぜならば、人は圧倒的な変化をその場で体感すると、「自分ごと」として深い興味を覚え、工夫を始め、日常に帰っても試し続けてくれるからです。
」(p.225)

これは、現在、ヴォルテックスのレイキ講座を一手に引き受けている慎ちゃん先生こと廣野慎一さんのパートに書かれている言葉です。私も慎ちゃん先生の講座を受講していますが、ともかく氣や、シンボル・マントラの効果を実感するワークが多いです。本当かなぁと思いながら半信半疑でやってみると、実際にその効果が目に見えます。これは驚くばかりです。

もちろん、中には「これはレイキとは関係ないだろう」と思うようなものもありますが、慎ちゃん先生は気功の先生でもありますからね。気功の要素も取り入れながら、同じ氣を体感することを重視しておられるようです。


自分と相手との境目がなくなります。
 そして相手のことを「我がこと」のように感じる体験ができます。
」(p.252)

これはレイキをずっとやっていると、おそらく誰でも体感する瞬間があるのではないかと思います。もちろん、私にもあります。だから私は、「レイキは愛だ」として、レイキを広めようとしているのですから。


今回の本には、特典として未発表原稿や「レイキ読本」、レイキ体験エピソードのPDFがついてきます。特に他の方のレイキ体験は、レイキはこんな効果があるんだ、こんなことができるんだ、ということを知る上で、貴重なものかと思います。


また、ここでついでに紹介しておきますが、似たようなタイトルで「癒しの力」という本があります。



この中で望月さんは、こういうことを言われています。Kindle版なのでページがありませんが、第3章2節になります。

「癒し」の力とは、新しく付加する能力ではありません。もう既にあなたの中に存在しているが、まだ引き出されていない能力です。
 つまり、「癒し」の力を身につけるとは、「癒し」の力を「思い出す」ことなのです。


つまり、レイキもそうですが、もともと人間に備わっている能力なのです。ただそれを思い出し、使えば良いだけのこと。望月さんが他にされている宝地図(引き寄せ)もエネルギーマスターも、同じことなのですね。


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2018年08月21日

前祝いの法則



ひすいこたろうさんの最新刊を読みました。今回は、居酒屋甲子園などで有名な大嶋啓介(おおしま・けいすけ)さんとの共著になります。

大嶋さんの本は、以前に「てっぺん!の朝礼」「僕たちの“夢のつかみ方”をすべて語ろう!」を紹介しています。それに関連して、「自分で考え、自分で決める」「人生には失敗も成功もありません」という記事を書いていますので、ぜひそちらもご覧ください。ひすいさんの本は、著者別まとめの「ひすいこたろう」にあります。

今回の本は、「日本古来 最強の引き寄せ 予祝のススメ」とサブタイトルにあるように、「予祝」による「引き寄せ」を紹介するものです。「予祝」というのは「前祝い」のこと。日本では伝統的に、前祝いが行われてきました。花見や盆踊りも、秋の豊作に対する予祝だとか。まだその結果が起こる前に祝うことで、その現実を引き寄せるのです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

予祝のポイントはなにを言うかではなく、未来に待っている喜びを想像し、先に味わうことにあります。」(p.39)

言葉(理性)よりも感情を重視するということですね。
ここでは「予祝インタビュー」という未来にそれが実現した状況にあると仮定して、気持ちや成功のポイントなどをインタビューして答えるという方法を紹介しています。そこでは、「聞かれたら、即座に出まかせで答えなければいけない」というルールがあります。ノリで適当に答えて盛り上がる。その感情が重要なのです。


行動は大事です。でも、その前に、どんな心の状態で行動するのかが、もっと大事だったんです。」(p.66)

ここでも、どんな感情を感じているかが重要だというわけです。もし不安から駆り立てられるように行動してしまったなら、それは逆効果になるのです。


問題が起きたことが問題ではなく、
 問題をどう考えるかがほんとうの問題なのです。

 問題の先に、チャンスを見いだす。それこそ喜びの先取り、予祝です。
 道を阻むすべての「壁」は、ワクワクした瞬間に、
 あなたを新しい時空へ導く「扉」となるのです。
」(p.120)

トヨタからカーラジオの20%コストダウンという要求を突きつけられた松下通信工業(現パナソニック)は、会社存続にも影響しかねない危機的な状況に陥りました。その時、松下幸之助氏は、トヨタの立場で考えてみさせることで、会議の雰囲気を一変させます。トヨタの要求はたしかに無茶だが、それはトヨタが日本の産業の発展、ひいては日本の発展のために世界と戦っているためだから、その戦いに自分たちも協力しようと呼びかけたのです。

このことによって松下通工はコストダウンに成功し、カーラジオのトップメーカーになっていきます。ピンチをチャンスに変えたのです。


そのなかで、りお君は難病で生まれてきた理由をこう言っているのです。
 「病気で生まれてきたから、ぼくはいろいろな体験ができる。ママもいろいろな体験ができる。だからママは喜んでいいよ」
 喘息になったときにはこう言ったそうです。
 「ママ、僕が喘息になったのは、喘息を治すのが面白いからだよ。」
」(p.133)

「自分をえらんで生まれてきたよ」にあるいんやくりお君の言葉を紹介しています。ひすいさんは、「思いどおりにならないからこそ、面白いのです。」と言います。まさにその通りですね。高杉晋作氏が辞世の句で言ったように、どう面白くするかは、自分の考え方、見方次第なのです。


手紙を書くことで、意識をしっかり向けると、感謝があふれます。それをしっかり感じることで変容が起こります。
 さらに、その思いをシェアするなかで、人は自然にその感謝の恩にむくいたくなるんです。誰かを心から喜ばせたいと思うのです。
 そのとき、感謝のエネルギーが誰かを喜ばせたいという「決意」に変わるのです。
」(p.195)

感謝の手紙を書くことを勧めています。特に親への感謝ですね。書いて言葉にすることが、より効果を高めます。内観(ないかん)という手法がありますが、小さいころから順に、してもらったことを思い出していくことで、自然と感謝の気持ちが湧いてくる方法です。同様の効果があるように思います。

そして、感謝の気持ちが湧いてきたら、それが他の人を喜ばせたいという情熱になり、行動につながっていくのです。この感謝のエネルギーは、創造のための大きなエネルギーになる。そのことは、「神との対話」でも語られていました。

 

しかしここまで、どうやって現実を変えるか、思い通りのことを引き寄せるか、ということばかりが書かれていて、少し物足りなく感じていました。所詮は引き寄せ本の1つに過ぎないのではないかと。

しかし、さすがにひすいさんです。ここからさらに深い境地に導いてくれました。


起きてほしいことがベストではないんです。
 起きたことがベストなのです。

 自分は、ベストを尽くし、その結果は天の采配にお任せすればいい。
 そうすれば、プロセスを思い切り楽しめます。
 そのとき、あなたの心は晴れ上がり、予祝は次々に開花していくことでしょう。

 苦しいとき、心から喜べないことは、当然あります。それはそれでいいんです。
 でも、いつの日か、この苦しみがベストな体験に変わると、人生を信頼することはできます。

 それが、人生を面白がるってことなんです。
 喜びが人を大きくし、哀しみが人を強くするのです。
」(p.246)

ここまで予祝によって、大会に優勝したなどの事例がたくさん紹介されています。では、相手も予祝をしてたらどうなるのでしょう?
どんなに予祝をしたって、思い通りにならないことはあるはずなのです。

「思い通り」がベストだと考えているから、思い通りにすることにこだわってしまうでしょう。しかし、本当にベストなのは何か、自分にはわからないのです。人生は、もっと素晴らしいことを用意してくれているかもしれないのですから。

だから、人生を信頼することが重要なのですね。人生を信頼すれば、起こったことがベストだと思うことができます。そう考えていれば、結果に執着することなく、プロセスを楽しめるのです。


結果がすべてなのではなく、そこを目指すことで、どんな人になれたのか、そこが一番大事なのです。

 ほんとうの結果とは勝ち負けではないんです。
 あなたの愛が深まることがほんとうの結果です。

 ほんとうの奇跡とは、外側で起きるものではなく、
 あなたの内側(心のなか)で起きるものなのです。

 進化とは、目に見える、すごい結果を出すことではなく、すごい誰かになることでもなく、愛が深まり、君が君らしくなることなんです。
」(p.249)

結果は単に結果です。それよりも、その結果を目指す過程(プロセス)を通じて、自分が進化すること、より自分らしい自分になること、愛が深まることが、もっと素晴らしいことなのですね。


このとき、すねてしまったアマテラスは、なにをやっても出て来てくれない。
 そこで、困った神様たちがやったことはなにか?

 なんと、岩戸の前で楽しく踊り、お祭りをしたのです。

 すると、その楽しそうな、笑い声につられて、絶対に出て来なかったアマテラスが岩戸から顔を出したのです。
 その瞬間、皆の顔(面)がいっせいに光で白くなりました。それが「面白い」という言葉の語源になり、そのとき、神々は手(た)を伸ばして(のし)、喜びを表現しました。
 それが「たのしい」の語源になったのだとか。

 光が閉ざされ世界が闇夜になったときに、日本人は、踊り、楽しみ、喜びのなかで、この世界に光を取り戻したのです。

 日本の夜明けは、闇に包まれた世界を、
 面白がり、盛り上がり、喜ぶことから始まったのです。
」(p.267 - 268)

古事記にある岩戸神話です。宴会の真ん中で踊り狂ったのは天鈿女命(あまのうずめのみこと)。あまりに踊り狂ったために服ははだけ、半裸状態になったとか。その姿を見て、神々はさらに盛り上がり、やんややんやの喝采を贈ったそうです。

私の田舎では石見神楽(いわみかぐら)というのがあって、その演目の1つに岩戸(いわと)があります。こちらの記事で、そのストーリーと神楽のダイジェスト版動画を紹介していますので、ご覧になってください。

「面白い」と「たのしい」という言葉の語源がこの通りなのかどうかはわかりませんが、日本の神話はとても重要なことを教えてくれます。ピンチの時には深刻になるのではなく、楽しんで、面白がって、切り抜けたらいいのだと。


この本を読み終えたいま、あなたがいますぐやるべきことは、
 いま、一番したいことをすることです。
 わかる範囲でOK。
 できないことはしなくていいし、
 無理なくできることのなかで、いま、一番したいことをすればいいんです。
」(p.290 - 291)

おまけの実話だそうです。ひすいさんの知人のカウンセラー、ケルマディックさんが、いつか本当にやりたいことをやりたいと願いつつも何もできていないというクライアントに、「4つのルール」を伝えて、その通りにやってもらったという話です。

その「4つのルール」とは、「いま、一番したいことをしてください」「わからないことは、しなくて良いです」「できないことは、しなくて良いです」「無理はしなくて良いです!」の4つです。思いついたやりたいことが、ルール2〜4で否定されるならやらずに、その次に「一番したいこと」を探していきます。

このクライアントさんは、15番目に「美味しいコーヒーが飲みたい」という欲求にたどり着きました。そしてすぐにそれをやり、「いま、一番したいことをしている」という感慨に浸ったのです。そんなことを続けているうちに、いろいろな縁があって、最初に言った「一番やりたいこと」をやっている自分になれたのだとか。

重要なのは、否定する気持ちが湧いてくるものはとりあえず脇に置いて、できることの中で「一番やりたいこと」をさっさとやることなのです。その時、「一番やりたいことをやっている」という思いに浸ることなのです。これなら簡単で、誰でもできますよね?

バシャールもそう言っています。今、ワクワクすることをやりなさいと。重要度とか関係ないのです。ともかく、「今」、「やりたい」と感じたことをやる。それだけでいいのです。

 

この他に、「まなゆい」「未来レター」「予祝マンダラ」など、様々な手法が紹介してあります。それらは、今の状態が必ずしも「悪い」ことではなく、ピンチはチャンスに転換されるのだということを、実践的に試してみることができる手法だと思います。詳細はぜひ、本を読んでみてくださいね。

私は、上記に書いたように、単に「思い通りにする」ということではなく、「思い通り」以上の素晴らしいことが、この人生ではすでに起こりつつあるのだという視点に共感します。だから、安心していていいんです。どんなピンチであっても。

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2018年08月15日

なでしこ歴史物語



博多の歴女、白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの本を読みました。今年、白駒さんが主催する兄貴を訪ねるバリ島ツアーでお会いさせていただいたので、とても親しみを感じる著者の1人です。今回は、女性の視点から日本の歴史上の女性にフォーカスした内容です。

面白いのは、歴史(History)は彼の(His)物語(Story)だから、基本的には男性中心なのだと言われているところ。指摘されてみると、たしかにそうですね。そんな中でも、女性が表舞台に登場することはままあります。しかし白駒さんは、表舞台に登場する女性というより、女性らしい活躍をした女性に魅力を感じ、それを「なでしこ」と呼んで取り上げています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

この時、私は気づきました。人間には二種類の悩みがあることに。一つは”過去”に対する後悔。もう一つは”未来”への不安です。この二つに縛られている限り悩みは尽きず、”今”は輝きません。子規や先人たちがそうであったように。過去も未来も手放して、いつでも”今”を懸命に生きる。そうすれば、たとえ後悔するような過去でも、その過去のおかげで今があると感謝できます。未来だって、天がベストなものを用意してくれていると、安心できるはずです。”今”に生きること、そして人と自分を比べたり、人からどう思われているかを気にしたりせずに、”ここ”に集中すること。それが、命を輝かせることにつながるのです。」(p.6)

白駒さんは、子宮頸ガンが肺に転移し、医者からもさじを投げられた状態になったことがありました。その時、脊椎カリエスで苦しんだ正岡子規の姿が目に浮かび、子規のように死の瞬間まで平然と生きようと腹をくくったそうです。それによって心が落ち着き、不安なく夜も眠れるようになったとか。

仏教ではこれを「前後際断」と言います。過去がどうであれ未来がどうであれ、それは完璧なのだと信じて受け入れ、今ここに意識を集中する。そういう生き方をすれば、過去に感謝できるようになると白駒さんは言います。その過去は歴史もそうで、そういう目で歴史を見るなら、歴史が輝き出すのだと。ここで紹介する内容は、白駒さんがそういう目で見て、輝いて見えたエピソードなのですね。


幸せになりたいと願う女性の多くは「こんな相手なら」という枠を作り、条件に適った人を探し続ける傾向があります。
 でも残念ですが、それでは相手に依存しながら幸せをつかむようなもの。どんなに大恋愛の末に結ばれたカップルでも、互いの依存心が強ければ、どうしても相手のあら探しになっていくものです。
 きっとお市の方には分かっていたんですね。幸せは、自分自身が生み出すもの、もらうことより与えることのほうが尊いと。
」(p.27)

織田信長の妹、お市の方は、時代に翻弄された薄幸な女性というイメージもありますが、白駒さんは別の見方をされます。起きる出来事を受け入れ、その中で自分らしく積極的に生きようとした。そういう強さがあり、傍目とは別に幸せな人生ではなかったかと。


いったい、慶はどんな思いで彼らを庇護(ひご)したのでしょうか。彼女の心意気を示す、こんな言葉が残っています。
 「田地田畑を買いこんでも、うちの場合は人任せにしてただ寝かせておくだけでしょ。それではお金に申しわけなかと思うとよ。そんなお金があれば、うちはこれと見込んだ人たちに使うてみたか。その人たちがうちのお金で、何かうちにできん仕事ばしてくれる。それを思うと楽しかとよ。だいいち世間さまへの恩返しにもなるでっしょ」
」(p.42)

嬉野茶(うれしのちゃ)の輸出で莫大な富を手に入れた大浦慶は、その私財で幕末の志士たちを支援したそうです。しかし明治になると、詐欺にひかかって財産を失います。けれども慶は、出世したかつての志士たちに何一つ要求せず、恩に着せることもなかったとか。

不遇な最後とも言えますが、白駒さんは、慶はきっと晴れやかな気持ちではなかったかと想像します。支援した志士たちの活躍によって、明治維新が成し遂げられたのですから。


でも、成長するに伴い、この祖母の言葉には、もう一つの意味があることに気づきました。「どんな時でも、お天道様が見守ってくれている。だから安心して自分の道を歩んでいきなさい」という励ましの意味です。そのことに気づいてから、私は人知を超えた大いなる存在に、なんとなく信頼を寄せるようになりました。それからというもの、たとえ思いどおりにいかなくても、「天が導いてくれるから大丈夫」と、いつも前向きで、安心していられるようになったんですね。」(p.99)

NHK連続テレビ小説「あさが来た」のモデル、広岡浅子は七転び八起きを超える「九転十起生」を座右の銘として生き、襲いかかるピンチを乗り越えてきた人です。彼女の人生を紹介しながら白駒さんは、ご自身のお祖母様の「どんな時もお天道様が見ているからね」という言葉にまつわるエピソードを紹介されます。

白駒さんは、「大丈夫、思い通りにはいっていないけど、きっとうまくはいっているはず」と思うことの重要性を説きます。人が思う「思い通り」は、必ずしも最善ではありません。それよりも大いなるものにお任せして、最善のことが行われているのだと信じる。浅子の生き方は、そういうものだったのだろうと白駒さんは言うのです。


篤姫は大奥の女性を率いて城内を掃き清め、磨き上げた状態で新政府軍に引き渡しました。「敵に明け渡すのだから、汚れた状態でもいいじゃないか」とは考えないのです。私はそこに、日本の一時代を牽引した徳川家の人間としての矜持(きょうじ)を、感じずにはいられません。
 私が歴史物語に触れるたびに思うのは、”美しい生き方”を遺した日本人がいかに多いかということ。美しい生き方を遺すことは、莫大な資産や強大な組織を遺すよりも、価値が高いと思います。
」(p.113)

私もNHK大河ドラマ「篤姫」を観て感動しました。私の名前と同じ漢字ということや、主演の宮崎あおいさんが魅力的だということもあって、このドラマは毎回欠かさず観ました。

白駒さんも紹介しているように、このドラマでは架空の養育係の老女の心に残るセリフがあります。「女の道は一本道にございます。定めに背き、引き返すは恥にございます−−」今、ここに、こういう状態でいるということは、定め(運命)なのです。それに抗うのではなく、受け入れて、その中で自分の最善を尽くす。美しく生きる。そういう生き方を遺すことは、内村鑑三氏も言うように、「後世への最大遺物」なのだと思います。


「人には、命よりも大事なものがある」というトメさんの真意を、私は「命に代えても守りたいものを持ちなさい」というメッセージと受け止めています。命に代えてでも守りたいものがあれば、人はそのために命を使うのですから、どうでもいいことには無駄死(むだじに)できなくなります。そして他の人たちに対しても、「大切なもののために命を使わせてあげたい」という思いが、自然とわき起こってくるはずです。
 つまり、命に代えてでも守りたいと思えるぐらい大切なものを持つことが、自分の命も、ひいては他者の命も慈しむことにつながるのです。
」(p.121)

特攻隊で知られる知覧で、陸軍の指定食堂「富屋食堂」を営んでいた鳥濱(とりはま)トメは、こんな言葉を遺していたそうです。「人には命よりも大事なものがある。それは徳を貫くこと−−」白駒さんはこのメッセージを、上記のように読み解かれたのです。

私も知覧へ行ったのですが、知らなくて、特攻平和会館しか見ませんでした。近くにホタル館富屋食堂があって、そちらにはトメさんに託された遺書などが展示してあるのだそうです。白駒さんは、ぜひ両方へ行くように勧めておられます。


男性は、家族や国を守る。そして女性は、子どもを生み、男性をも育む。そうした役割分担を、年齢は違えども晋作と望東尼が行い、そして互いがその役割を見事に演じきったという歴史物語に、私は感動します。」(p.181)

男女平等だからと言って、女性が男性のようにふるまうことが良いのではなく、性差があるのだと白駒さんは言います。それぞれの性にあった生き方があり、それを全うすることで補完し合えるのだと。高杉晋作を育んだ野村望東尼、望東尼を慕いその危機を救った晋作。その生き方は、理想の男女のあり方ではないかと白駒さんは感じたのです。

私も、男性と女性は違いがあると思っています。男女平等だから、同じ仕事をすべきとは思いません。ただそこに、男性はかくあるべし、女性はかくあるべしという、価値観の一方的な押しつけがあってはならないと思います。その人の生き方は、その人が自由に決める。そうする中で、ハーモニーが生まれると思うのです。


都育ちで貴族社会しか知らなかった源氏が、田舎に来て、初めて農業や漁業を営む人々に出会ったのです。源氏は親友に告げます。「貴族は天皇に仕え、彼らは自然に仕えている。仕える相手が違うだけで、職業や役割に上下貴賤はないのだ」と。」(p.211)

源氏物語の光源氏が都落ちした「須磨」の巻を紹介しながら、作者の紫式部も田舎で暮らしたのだろうと白駒さんは想像します。紫式部も、田舎で不遇な時を過ごした。そうであれば、未来に希望が持てると言います。

だって、自分にとっては不本意であったり、不遇に思えたりする境遇は、きっと未来の自分に必要だから、わざわざ来てくれたのです。後は受けて立てばいい。」(p.211)

起こる出来事はすべて完璧で最善です。たとえそれが「思い通り」でなかったとしても。ガンが肺に転移して、もう人生も終わりと感じたご自身の体験を重ねながら、白駒さんはこのように言われるのです。


これまでの歴史では、女性の方が男性に比べて自由が少なかったと思います。それでけに、理不尽なことを押し付けられたり、思い通りにならないことが、女性の方が多かったでしょう。そんな女性にスポットを当てることで、このような素敵な物語がたくさん発掘されました。そこには、ただ不遇に耐えただけでなく、希望を見出し、どうにもならないことは受け入れた上で自分を輝かせた女性がいました。

今は、それに比べたら自由度が高まりました。男性ができることで女性ができないことは、もうわずかしかない時代です。しかし、自由が広まることによって、かえって輝きを失ってしまうこともあるかもしれませんね。そんな時代だからこそ、こういう本が役立つのではないかと思います。

思い通りにならないとしても、上手く行っている。そう見定めて安心して生きる。無意味な抵抗をするのではなく、自分を輝かせる美しい生き方をする。そういう生き方の素晴らしさが、この本から伝わるのではないかと思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:40 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月14日

道ありき

 

久しぶりに三浦綾子さんの小説を読みました。もう30年ぶりくらいになるでしょうか。たしか「氷点」「塩狩峠」を以前は読んだのだと思います。「塩狩峠」は映画かドラマで観ただけかもしれません。記憶があいまいです。

この小説を読もうと思ったのは、友人がFacebookで三浦さんの言葉を紹介されていて、その言葉に真理を感じたので興味を持ったのです。三浦さんはクリスチャンですが、一般的な教会の教えを超えた真理に気づいておられるのかもしれない、そう思いました。それでその友人に、お勧めの本を紹介してもらったのです。

「道ありき」で検索すると、数冊出てきました。同じタイトルで単行本と文庫本があり、一方には「青春編」とありました。それで私は、同じタイトルで「青春編」とオリジナルの2冊があるのだと勘違いし、両方を買ってしまいました。届いてから見ると、どちらにも「青春編」と書かれていて、実は同じ小説だったようです。

ただ、単行本には、文庫本にない「太陽は再び没せず」という短編が収められていました。これは、三浦さんがデビューするきっかけになった小説だそうです。私が生まれた年でもある1961年に雑誌「主婦の友」が募集した「婦人の書いた実話」に林田律子のペンネームで応募し、当選した作品で、「道ありき」の原型になっています。

文庫本には、単行本にない解説が収められていて、どちらを読んでもそれぞれに楽しめるかと思います。また、この「道ありき」には続編が2冊あるようで、それらも文庫本で購入しました。これから読むのを楽しみにしています。


ではさっそく一部を引用して、内容を紹介します。
その前に、これは小説ですから、あらすじを簡単に紹介しましょう。

ここに書かれているのは、三浦さんの青春時代の実話のようです。
小学校教師として勤めていた三浦さんは、終戦後に退職します。価値観の大きな転換に接して、教えるということができなくなったのです。

その後、結核に罹ります。さらにそれは脊椎カリエスとなり、寝たきりの状態にまでなります。そんな中で、素敵な男性(前川正)と巡り会い、その人がクリスチャンだったこともあって聖書を読むようになり、様々な経験を経て、洗礼を受けることになります。

出会った男性も結核で、先に亡くなってしまいます。そんな傷心の時に、その男性とそっくりの別の男性(三浦光世)と出会います。その男性もまた素晴らしく魅力的な人で、三浦さんは惹かれていくのです。そして長年の闘病生活の後、三浦さんの病気は治り、その男性と結婚します。

小説には、ここまでの様々な出来事や三浦さんの思いが、交わした手紙や、その時に詠んだ短歌などとともに書かれています。

三浦さんはご自身を「美しくない」と言われていますが、多くの男性を惹き付ける魅力があったことは間違いないようです。病気で寝たきりでありながら、愛を語る男性が他にも何人かおられたとのことですから。

このようにあらすじを書くと、女性からすると嫌味な感じに受け取られるかもしれません。ただ、この小説が語る本質的な部分は、そういうところにあるのではなく、三浦さんの様々な気付きにあると感じています。真理を感じ取る三浦さんの感性は、本当に素晴らしいものがあると思うのです。


生きる気力もなく、タバコを吸おうとする三浦さんを、前川正は止めようとします。しかし、三浦さんを責めるのではなく、自分の足に石を打ちつけることで、自分の不甲斐なさ、信仰の薄さを責めたのです。自分の命を捧げてもいいから三浦さんの病気が治るようにと祈る。そんな男性が、三浦さんの側にいたのですね。

いつの間にかわたしは泣いていた。久しぶりに流す、人間らしい涙であった。」(p.90)

そう述懐されているように、それまでの三浦さんは荒んだ心でいたのです。

自分を責めて、自分の身に石打つ姿の背後に、わたしはかつて知らなかった光を見たような気がした。彼の背後にある不思議な光は何だろうと、わたしは思った。それは、あるいはキリスト教ではないかと思いながら、わたしを女としてではなく、人間として、人格として愛してくれたこの人の信じるキリストを、わたしはわたしなりに尋ね求めたいと思った。」(p.90 - 91)

しかし、信じて子どもたちに教えていたことが、一夜にして引っくり返されたことを経験している三浦さんです。それなのにまた何かを信じるということは、愚かなことだとも感じられました。けれども、自らを石打つ彼の姿に、三浦さんは、その愛を信じてみようという気持ちになるのです。


虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、そこまで追いつめられた時に、何かが開けるということを、伝道の書にわたしは感じた。」(p.106)

釈迦も同じように人生に虚しさを感じて、出家を選んだと三浦さんは言います。ご自身も、敗戦によって信じていたものが打ち砕かれ、虚しさの中に生きていました。そういう虚しさの極限まで行った時、通じるものがある。三浦さんはそのことを感じて、まじめに求めるようになっていったのです。


わたしは、男性の、わたしへの愛の言葉を、幼子がおとぎ話を聞くような、熱心さと、まじめさと、興味とあこがれをもって聞いたのです。なぜなら、男が女を愛すること、女が男を愛することは、わたしにとって大切な問題であったからです。」(p.116)

女に「魂」の生活があるってことを知らない男性たちが、何と多いことでしょう。」(p.117)

三浦さんには多くの取り巻き男性がいたことで、他の女性からは「妖婦(ヴァンプ)」と噂されていたそうです。三浦さんは、心から興味を持って男性の話を聞いたのでしょうね。その聞き上手な態度が、男性を惹きつけたのでしょう。わかる気がします。

しかし、三浦さんは男性の軽薄な愛の言葉に惹かれることはなかったようです。そういったものへの興味はまったくなく、心から魂の救いを求めていたように感じます。


いま生きたいと思っていることも、確かにそれはわたしの願いであり意志であるはずなのに、何とわたしたち人間の意志は、簡単にふみにじられることだろう。
 そう考えてくると、わたしはこの世に、自分の意志よりも更に強固な、大きな意志のあることを感ぜずにはいられなかった。
」(p.123)

自殺しようとしても死ねなかった。生きたいと思っても死んでしまう。そういう重大なことだけでなく、日常生活においてさえ、私たちの計画(意志)は、その思い通りにはなりません。三浦さんはそこに、絶対者である神の存在を感じられたそうです。


人間は、見たところしあわせそうに見えたとしても、必ずしもしあわせとは言えませんからね。」(p.147)

ひょっとしたらあの看護婦さんは、昨日縁談がこわれたかもしれない、と恋人の前川正は言います。たしかに、その人にどんな事情があるかは、その人しかわかりません。そしてその事情を、その人がどう捉えているのかも。

だからね、断定的にあの人たちは幸福だなどと、羨ましがってはいけませんよ。言えることは、いまぼくは、綾ちゃんと二人でこの芝生を歩いているだけで、じゅうぶんしあわせだということですよ」(p.147)

こんなことを語ってくれる素敵な男性が、三浦さんの恋人だったのですね。


ほんとうに人を愛するということは、その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげることだと思った。」(p.179)

親が子を愛することも、男が女を愛することも、相手を精神的に自立せしめるということが、ほんとうの愛なのかもしれない。「あなたなしでは生きることができない」などと言ううちは、まだ真の愛のきびしさを知らないということになるのだろうか。」(p.179)

親子の間だけでなく男女においても、依存させることではなく自立させることが本当の愛。そういう真理に、三浦さんは気づかれたのですね。


人の見舞物も、この太陽の光と同じように、わたしに降りそそぐ人間の愛ではないだろうかと思った。人の愛を受けるのに必要なのは、素直に感謝して受けるということではないだろうか。」(p.182)

西村という人が見舞物を持って来た時、三浦さんは断ったそうです。すると西村は、太陽の光を受けるのに、どっちから受けるかなどとしゃちほこばって受けるか?と言うのです。

そう言われてみると、太陽の光は礼を言うこともなく平気で受け取っています。天の愛を、そのように何の気兼ねもせずに受け取るのなら、人の愛も同じではないか。そう三浦さんは思われたのです。


だが、翌日訪ねて来た彼の顔を見ると、わたしは、別段何の悪いこともしていないのだと思ってしまうのであった。彼は彼で妻を愛し、わたしはわたしで前川正を愛している。その二人が、こうしてつきあっているからと言って、なぜ悪いのかと開きなおる気持ちがわたしの中にあった。」(p.192)

入院中、同室の女性がご主人のことを話したそうです。ご主人は、会社の女の子とよくコーヒーを飲みに行っているのだとか。何もないと言うらしいのですが、そう言われても仲良くしている姿を想像すると嫌でたまらないのだと。それを聞いた三浦さんは、同情して相槌を打ったそうです。

もし自分が彼女と同じだったら、と考えたのです。三浦さんの恋人が他の女の子と親しくしていたら・・・と。ところがその時、三浦さんはかつての婚約者の見舞いを受けていました。その婚約者はすでに結婚しています。これは同じことではなかろうかと思われたのですね。

それでも、自分の立場からすると悪いことをしているとは思えない。もし恋人がそのことを悩むなら、くだらないと笑い飛ばしたくなる。まさに相談してきた女性の夫と同じなのです。

人は、それぞれの立場で感じ方や考え方が違います。どっちが正しいわけではなく、それぞれに正しさがあるのですね。


神の御計画が、人間のわたしにわかるわけがなかった。しかし神が愛の方である以上、前川正の死は、それなりに神の定めた時であり、最もよしとした終わりであったにちがいない。わたしはそう思うようになって行った。」(p.251)

早すぎる恋人の死を嘆き、神に不満を言っていた三浦さんですが、ある時、自分の態度が間違っていたと気づかれたのです。神が愛であり、正しい方であるなら、間違ったことをされるはずがない。そうであるなら、今の自分には理解できないとしても、恋人の死は、最も良い時に、最も良いこととしてなされたことに違いないのだと。

「神との対話」でも、このことは示されています。だからマスターは、起こったことをすべて「好ましい」として受け入れるのです。


どんなにわたしが彼を愛していたところで、神がわたしに彼を与えてくださらないのなら、それもまた仕方のないことだと思った。この頃からわたしは「必要なものは必ず神が与え給う。与えられないのは、不必要だという証拠である」と信ずるようになって行った。わたしは以前ほどあくせくしなくなった。」(p.285)

旧約聖書のヨナ書の話を聞いて、三浦さんは信仰を深められたそうです。後に結婚された男性との関係で悩んでおられたのですが、このことから執着せずにいられるようになったのだとか。

これも「神との対話」に示されていることでもあります。起こることが良いことなら、何が起こるか、起こらないのかと、いちいち気にする必要はないのです。


この小説は、三浦さんの人生に実際に起こったことです。事実は小説より奇なりと言いますが、まさにそうですね。
三浦さんがどういう出来事を通して信仰を深めて行かれたのか、そのことがよくわかります。小説と言うより、三浦さんの信仰の歴史であり、告白であるように思いました。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:35 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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