2022年12月24日

筋肉ががんを防ぐ。



これも本の要約をしているYoutube動画を観て、興味を抱いた本になります。
サブタイトルに「専門医式 1日2分の「貯筋習慣」 大腸がん 乳がん 対策」とあります。「専門医式」という言葉はちょっとどうかなという気もしますが、1日2分から始めて貯筋習慣を身につけることで、ガンの予防になり、健康的な身体が得られるという内容になります。

これまでにも、「2度のがんから私を救った いのちのスクワット」「ひざ・股関節の痛みは週1スクワットで治せる」など、健康のための筋トレ本をいくつか読んできました。
健康のためには食事、運動、睡眠が重要だということは、もう言われるまでもないことでしょう。しかし、それでもまだまだ知らないことがあり、より良い食事や運動や睡眠のための方法、知恵があると感じています。
なので、気になったらこうやって本を読んだりして、知識を得るようにしています。今回も、ふと出会った本ですが、読み進めてみると「これはいいなぁ!」と感じることが多々ありました。

著者は医師でヘルスコーチの石黒成治(いしぐろ・せいじ)さん。運動という重要ではあっても継続しづらいものを、どうやって継続させるのかという知恵が、たくさん詰まった本になっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

男性でも女性でも、がんで手術をする人の腹筋は筋肉も筋膜も薄く、簡単に切ることができました。進行がんで栄養状態が悪い人だけではなく、早期がんの人でもおなかの筋肉が薄かったのです。」(p.2-3)

外科医の手術経験から、ガンと筋肉量に相関関係があると感じておられたようです。

がんは高血圧、糖尿病、脂質代謝異常症と同じく生活習慣病の一形態と見なされるようになり、その予防法は体の慢性炎症を抑えることであるという結論がでています。慢性炎症を抑えるためには、環境要因や生活習慣を変えることです。その結果、がんの90%は予防できるという見解になっています。」(p.4)

これはまったく知りませんでしたが、医学界の常識になっているのでしょうか?
石黒さんは、このことからも定期的な運動がガンを予防すると言われています。

40〜50代を中心に、これまで全く運動をやってこなかった人、どちらかというと運動が苦手な人を対象に、1日2分から始められる自宅でできるトレーニングの方法を伝えます。」(p.6)

運動習慣がガンを予防すると知っても、実践できる人は少ないと石黒さんは言われます。だから本書では、そういう人でも実践できて、運動を習慣化できる方法を示しておられるようです。


1960年代の男性喫煙率は80%を超えていますが、2018年は27%に低下しています。喫煙率は減っているのに肺がんは増え続けている。そもそも喫煙率の低い女性の肺がんが増えている。そのような状況にもかかわらず、禁煙を積極的に推し進めても肺がんが減少するとは思えません。本当の意味でがんを予防するための情報が国民に積極的にアナウンスされていないのです。」(p.19)

喫煙習慣がガンの発症率を高めると言われていますが、どうやら喫煙率との相関はないようですね。
こういう事実を知らずに、専門家の言うこと、政府の言うことを信じてしまっている。そういう現実がありますね。

免疫力が低下している状態を10年以上放置しない限り、「目に見える形のがん」になるまではなかなか進行しないわけですから、がんにならないこと(がんと診断されないこと)はそれほど難しいことではありません。」(p.21)

ガン細胞は毎日生まれていますが、それが免疫作用によって排除されています。したがって、医学的に「ガン」と認定される1cmほどの塊に肥大化する約10年間、免疫作用が抑制されなければ、ガンにはならないのですね。

筋トレすることで得られる効果は全身の慢性炎症の改善です。筋肉は動かせば動かすほど筋肉からミオカイン(myokine)と呼ばれるサイトカイン(細胞間の伝達物質)を放出します。このミオカインには炎症を抑える物質が含まれており、筋トレを繰り返すことで全身の炎症が改善していきます。」(p.23)

以前紹介したスロースクワットの本では「マイオカイン」と言っていましたが、本書では「ミオカイン」となっていますね。いろいろ言い方があるのでしょう。

がんは体の中の慢性炎症が持続することによって発生します(Immunity.2019)。全身の炎症が起これば筋肉はどんどん退縮していきます。僕がおなかの手術をした多くのがん患者さんの筋肉が萎縮していたのは、慢性炎症の結果だったのです。がんを予防するためには慢性炎症を改善することです。そのためにはまず、良い食習慣を形成することが重要です。しかしそれだけでは十分ではありません。筋トレをして筋肉自身から出る抗炎症物質を使って全身の炎症を改善することも併せて必要です。」(p.23-24)

慢性炎症には、やはりまずは食事を見直すことですね。その上での筋トレです。

あらゆる原因での死亡に関しては、筋トレでも有酸素運動でも死亡率の低下を認めました。しかしがんによる死亡率だけを検討したところ、筋トレのみの群、筋トレ+有酸素運動の群は、がん死亡率の有意な低下を認めましたが、有酸素運動のみの人はがん死亡リスクの低下は認められませんでした(Am J Epidemiol.2018)。」(p.24)

運動が健康に良いことは確かですが、有酸素運動と筋トレ、つまり遅筋と速筋のどちらを鍛えるかによって、効果に違いがあるようです。

リンパ管はリンパ球、樹状細胞などの免疫細胞や抗体などの免疫因子を運ぶ役割があります(Cell Mol Life Sci.2013)。リンパ管の途中途中にはリンパ節と呼ばれる結節状の組織が存在します。リンパ節は免疫細胞の貯蔵庫として働きます。
 血管とリンパ管の最大の違いは、血管は心臓がポンプとして血液を送り出すのに対して、リンパ管にはポンプにあたるものが存在しないことです。静脈と同じく逆流防止の弁はついていますが、そのリンパ液をリンパ管の中を流すためには外力が必要です。呼吸の動きや皮膚の緊張、動脈の拍動、姿勢の変化などでもリンパ液は移動しますが、最大の外力は筋肉を動かすことです(Physiol Rev.1990)。リンパは平均分速20ml程度で流れていますが、運動時にはこの速度が10倍以上になります。
」(p.25)

免疫を効果的に働かせるためには、リンパ液の循環を良くすることが大事ですが、そのためにも運動が良いようですね。


絶食時間が経過するにつれて成長ホルモンの分泌量は亢進(こうしん)していきますので、空腹であればあるほど成長ホルモンの分泌が刺激されやすい状態と言えます。そのため、いつ筋トレをするのがいいのか?という疑問に対しては、1日の最初に食事をとる直前に行うのが最も効率的だ、と言えます。そのため多くの方にとっては朝行うことが成長ホルモン分泌刺激の効果が一番良い時間帯となります。」(p.32)

運動は習慣化しなくては意味がありませんが、では1日のうちのいつやるのがいいかと言うと、成長ホルモンの分泌の観点からは、朝食前が良いということですね。
それとともに、朝起きてすぐというのは、比較的に予定が立てやすい時間帯とも言えます。私も今、朝起きてから間もない時間帯に運動をやっています。

健康のために行うトレーニングはあくまでも継続することが一番の目的です。そのためには毎日できるようなトレーニングを行う必要があります。自宅での自分の体重のみでのトレーニング(1回11分)を週3回行うだけで身体能力は向上します(Int J Exerc Sci.2021)。逆に毎日行うには、翌日に疲れを残さないように気をつけなくてはいけません。」(p.33)

筋トレは、高荷重の運動ですが、筋肉量を増やすには筋肉を休ませる時間が必要です。ボディービルのような目的だと、トレーニング後2〜3日は休ませないといけません。筋トレをする場合は、こういうことも考えないといけませんね。


ここから、日本人に多い大腸がん、乳がんについて取り上げ、その対処法としての筋トレを解説しています。まずは大腸がんから。

大腸がんの大部分はポリープから発生しますが、大腸ポリープを引き起こす原因は大腸粘膜の慢性炎症です(Int J Mol Sci.2020)。腸の中の炎症を引き起こす原因には、食事、環境要因、運動不足、ストレス、毒素など様々なものがあり、原因を1つに絞ることはできませんが、最もわかりやすい腸の中に炎症を起こす状態といえば便秘です。」(p.40)

大腸がんの予防には、まずは便秘を改善することですね。
便秘の改善には食事なども重要です。本書では、排便に役立つ筋肉を鍛えることも重要だとして、いくつかの筋トレメニューが紹介されています。


次は乳がんです。

看護師の健康調査を扱った研究では、夜勤で夜にライトを浴びている人は進行乳がんのリスクが上昇することが報告されています(Environ Health Perspect.2017)。世界保健機関(WHO)の一機関である国際がん研究機関(IARC)は、「概日リズムの乱れを伴う交代勤務は、ヒトに対しておそらく発がん性がある」としています。」(p.66)

夜勤がある仕事はリズムが乱れやすく、それが乳がんリスクに影響しているようです。私はやっていませんが、老人介護施設でも夜勤はつきものです。ある意味で職業病とも言えるのでしょうかね。

50歳から79歳のアメリカの女性7万4000人のデータからの解析では、1週間あたり40メッツ運動する人は全く運動しない人に比べて22%乳がんのリスクが低下します(JAMA.2003)。これは週あたりの運動量が増加するにつれてリスクは低下していました。メッツ値40は、週5日1時間のジョギングの運動に相当するのでかなりの運動量です。
 実際には週3回30分程度の運動(10メッツ)でも、18%低下します。特にやせ形の人(BMI>24.13)ではその傾向が顕著で、1週間あたり40メッツ運動する人は37%、10メッツでも30%の乳がんリスクの低下を認めています。
」(p.70)

運動が乳がんリスクを下げるという研究もあるのですね。ただ太っている人は、運動だけでは効果が薄く、やはり減量が必要になるようです。

サルコペニアの人はサルコペニアではない人に比べて、5年後、10年後の生存率が明らかに低下し、その死亡リスクは2.9倍でした。サルコペニアの人は、筋肉量が正常な人に比べて年齢が高く、脂肪の量も少ない傾向であったため、この影響を取り除いた解析を行いましたが結果は同じく筋肉量が少ないと死亡リスクは上昇していました(J Cancer Surviv.2012)。特に閉経後乳がんの患者(年齢55歳以上)ではサルコペニアの人ほど死亡リスクが高くなります(BMC Cancer.2020)。」(p.73)

筋肉量が一定量より少ない状態をサルコペニアと呼んで、健康に対する大きなリスクがあるとされています。そういう筋肉量が減少した状態だと、ガンに罹った時の死亡率が上昇するようです。

褐色脂肪を増加させる一番の刺激は寒冷刺激です(Diabetes.2015)。寒くなると熱を産生しなくてはいけないので体は褐色細胞を増やします。そして運動もまた褐色脂肪を増加させると考えられています。」(p.79)

首周りから背中にかけて多くある褐色脂肪は、通常の脂肪細胞と異なり、熱を産生して代謝を高める働きがあります。その部分を筋トレで刺激して褐色脂肪を増やすことで、肥満の解消につながります。また、背中の肩甲骨周りの筋肉を鍛えることは、乳がんのリスクを下げることにもなるそうです。

この後、本書では、乳がん予防のための筋トレメニューも紹介されています。


次はガンから離れて「転倒骨折」を予防するテーマになります。歳を取って恐いのは転倒ですね。すぐに骨折し、動けなくなります。もちろん、運動そのものができなくなりますから、筋肉量が著しく減少しますね。

転倒して背骨や大腿骨頭(大腿骨の骨盤側の根本)が骨折して動けなくなり、入院することによって全身の筋肉が萎縮し、立ち上がれないほどのダメージを受けます。高齢者は10日間の安静入院で全身の筋肉の30%を失ってしまいます(Extrem Physiol Med.2015)。その中でも特に失われるのは足の筋肉です。高齢になるとたかが1回の入院で回復不能なレベルまで弱ってしまう可能性があるのです。」(p.92)

私も老人介護施設で働いているので、この現実を経験しています。

しかしいくら骨の密度を上げる薬を使っても骨折する人は減少していません。それはなぜか? 骨折する一番の理由は骨が弱いからではないのです。転倒するから骨が折れるのです。高齢者全体の約20%に少なくとも年間1回は転倒し、転倒の5%程度に骨折が生じます。」(p.93)

骨粗鬆症の対策として、骨密度を高める薬を飲んだり、カルシウムを補給したりしていますが、あまり効果はないようですね。

骨折の多くは尻餅をついて倒れたときに起こります。臀部の筋肉が少ないためにショックを吸収できず骨が折れるのです。」(p.93)

つまり、転倒しても骨折しないためには、クッション代わりになるお尻の筋肉量を増やすことが重要なのですね。

もちろん、足の筋肉、体幹の筋肉は重要ですが、重点的に鍛えて欲しい筋肉があります。それはお尻の筋肉、中殿筋(103ページ参照)です。
 中殿筋は、骨盤横側の筋肉で、片足で立つとき歩くときによく使う筋肉です。骨盤が安定すればより長い時間片足で立っていることができるので歩幅が広がります。
」(p.94-95)

高齢者ですり足で歩く人が多くいますが、それも転倒のしやすさにつながってます。そしてすり足になる原因は、中殿筋の衰えなのですね。

要介護となる一番の原因は転倒、骨折や膝や腰の関節痛などが原因で、自力で動くことができなくなることです。動けなくなると筋肉量が減少しさらに歩行能力が低下します。すると外出しようとする気力がなくなり、その結果、家に引きこもってしまいます。動けなくなることが精神的・心理的なフレイルを憎悪していきます。」(p.96)

以前、「道路を渡れない老人たち」という本を読みました。歩く速度が遅すぎて、青信号の間に道路が渡れなくなって、外出しなくなるお年寄りの問題を取り上げていました。
筋力の衰えは、生活力や生きる意欲にまで影響してくるのです。


筋肉をつけたいと思っている人で、筋トレの前後でプロテインを熱心に飲んでいる姿を見かけますが、僕自身はプロテインをサプリメントとしてとってはいません。理由は、たんぱく質をたくさんとれば筋肉がたくさんつくわけではないからです。」(p.96)

よってある程度の年齢になると、いくらたくさんたんぱく質を摂取しても分解されにくいため、十分なアミノ酸を吸収することができなくなります。」(p.97)

筋肉を合成するにはタンパク質が必要ですが、それは一旦アミノ酸に消化分解されてから吸収されます。消化のためにはペプシンという酵素が働かなければなりませんが、胃酸が十分に出て強酸性にならないと効果が高まらないのだそうです。けれども加齢によって胃酸の分泌が少なくなる。だから、タンパク質を多く摂っても、アミノ酸に分解されなくなるのです。

まずは筋トレを行いつつ内臓脂肪を落とし慢性炎症を改善することがプロテインを摂取することよりも先決です。」(p.98)

吸収されたアミノ酸から筋肉を合成するには、インスリンが働く必要があるのだそうです。けれども糖質を過剰に摂取していたり、体内に慢性炎症があると、インスリンの効果が減弱してしまうと石黒さんは言います。
したがって、タンパク質を多く摂取することよりも、まずは肥満を解消し慢性炎症を改善することを優先すべきなのですね。

すなわち安静時と異なり、筋力トレーニングを行った場合はそのトレーニング直後には年齢が上がるにつれて多くのたんぱく質摂取をした方が筋肉合成には効果がいいということになります。無理して40gのたんぱく質を摂取する必要はありませんが、少なくとも20g程度はとりたいです。20gのたんぱく質は肉や魚では100g程度ですので、プロテインパウダーなど使用しなくても十分食事から摂取できる量だと思います。」(p.99-100)

消化吸収が十分な状態で筋肉合成を誘導するのに必要なタンパク質の量は、安静時の1食あたりは22歳で0.4g/kg、71歳で0.24g/kgという研究があるそうです。つまり高齢者は1日3食で0.72g/kg(体重50kgの人なら36g)のタンパク質を摂取すれば良いことになります。
筋トレをした場合は、高齢者は少なくとも1食20gのタンパク質摂取が必要だと石黒さんは言います。さらに40g摂取すると、20gの時より32%ほど筋肉合成の反応が向上するという研究もあるそうです。

1食20gのタンパク質を3食まんべんなく摂取するのがよいという話は、他でも聞いたことがあります。タンパク質は肉や魚、卵、大豆などに多く含まれますが、穀物や野菜などにも少なからず含まれています。なので、意識して肉、魚、卵、大豆などを食べていれば、自ずと達成できる量ではないかと思っています。


元々やせ形で筋肉量が少なく、運動経験、筋トレ経験がない人は筋トレを開始してもなかなか目に見える変化が起きません。それは筋たんぱく質の合成反応(同化反応)が減弱している同化抵抗性(アナポリックレジスタンス)の状態にあるからです(Front Nutr.2021)。同じく、同化抵抗性のある人がプロテインを飲んでアミノ酸吸収量を増やしても、筋細胞そのもののたんぱく質合成を起こしにくいため効果はありません。」(p.100)

よって継続的にトレーニングを繰り返すと、同化抵抗性があってもどこかの段階で筋肉合成が促進されてきますので、信じてトレーニングを継続すればいいのです。」(p.101)

筋肉内の毛細血管が少ないと、同化抵抗性というものが出てくるようです。なので、まずは筋トレで刺激を与えて十分な毛細血管が作られるのを待つ必要があるのですね。


ここまでで、筋肉量を増やして筋力を高めることが重要だという話は終わりです。ここからは、そのための筋トレをどうやって行うかという話になります。

ですが知識として理解したとしても、実際に筋トレを開始する人は少ないはずです。そして筋トレを継続できる人はおそらく1%もいないのではないでしょうか? 実際に日常生活に筋トレを導入していくためには作戦が必要です。」(p.112)

では、全く運動習慣のない人がこのような運動習慣を身につけるのにどれくらいの期間が必要だと思いますか?
 僕の個人的な経験では2年から3年かかると思っています。
」(p.112)

自重トレーニングだと1日30分を週6日、ジムなどで高負荷トレーニングを行うなら週3日だそうです。このような習慣を身につけることが重要なのですが、その習慣が身につくのに2〜3年かかるのですね。

私も今は朝のHIITやスロトレをやっていますが、まだ始めて3ヶ月にもなりません。この程度だと、いったん休んでしまうと、そのままなし崩し的にやめてしまう可能性が高いですね。

筋トレ開始の最初の1ヶ月の目標は毎日2分間の筋トレを行うことです。」(p.112)

運動を行う時間はなるべく一定にすることも習慣化には必要です。おすすめなのは朝行うこと。1日のなかで予定が最も狂いにくいのは朝です。」(p.114)

私も毎朝2分間のHIITをやっています。運動を習慣化するには、まずはハードルを思いっきり下げることが重要なのですね。
以前、ジョギングを習慣化するための方法として、着替えて運動靴を履いたらOKにする、というものがありました。続けることが最優先なので、何をするかは二の次なのです。

実際筋トレを始めても最初は見た目の筋肉は全く変わりません。そしておなかやお尻の脂肪も減ることはありません。それは初めは筋肉組織そのものが炎症状態にあるから。筋トレを行って炎症状態からまず脱出しないと筋肉組織は筋繊維の合成を増加できないのです。」(p.115-116)

そのため筋トレ開始時は、筋トレをする楽しみを別のところに見いだした方が継続できます。それは筋トレすることが楽しいと感じる人と一緒に筋トレすることです。」(p.116)

筋トレによる数値の変化や見た目の変化に期待すると、上手く行かないようです。筋トレ仲間は、家族や近所にいなくても、今はオンラインのコミュニティもありますからね。筋トレ仲間を作って、筋トレを楽しんでやることが継続のためのコツのようです。

ノルマが2分間の筋トレの習慣は3〜4か月で習慣化します。もちろんノルマが2分間なのであって、実際は2分以上行うことの方が多いはずです。2分をクリアできたら次の段階は、4分から5分の筋トレです。」(p.117)

4分の筋トレを欠かさず毎日できるようにする意識付けには、6か月から1年かかります。その間は筋肉がついたり、脂肪が減ったりするといった短期的な結果が目に見えなくても、継続していれば筋肉の代謝機能は格段に改善していきます。」(p.117)

少しずつハードルを上げていって、目標とする筋トレ量へと近づけていくことですね。それにしても、貯筋習慣を身につけることは、なかなか根気がいることです。


たった2分、たった4分の筋トレで効果があるのか? と疑問に思うかも知れません。もちろん残りの23時間56分を全く運動しなければ、効果がないことは明らかです。筋肉を使えるようになるためには筋肉自体にも筋肉を動かすことに慣れてもらうしかありません。そのためにはいつも動かし続けることです。」(p.118)

1回のスキマ筋トレは30秒から1分で十分です。そのとき重要なことは立ったまま気軽にできることです。」(p.118)

ノルマは朝の2分とか4分の筋トレだとしても、それ以外の日常生活の中で、思いついた時に立ったまま、あるいは座ったままでできる筋トレをどんどんやることが重要なのですね。
もちろん本書には、そういう筋トレについても解説してあります。


医学文献を読みながら感じたことは、筋トレの重要性に関する知見の集積の高まりは、この20年あまりで腸内細菌が健康の鍵であると認識されて研究が加速度的に進んでいるのと同じ現象です。これからの健康の鍵は、薬やサプリメントで達成されることはなく、腸内環境と筋肉を維持する生活習慣であることには疑いがありません。」(p.138)

本書では、たくさんの論文から研究結果が引用されています。筆者の思い込みではなく、こういう事実を前提とした論理展開は、私の好むところです。
そして私も、健康のためには食事、運動、睡眠が大切なのは当然ですが、食事で言えば腸内環境を整えること、慢性炎症を抑えること、酸化(活性酸素)や糖化(AGE)を抑えることが重要で、それらはいろいろ関連しあっていると思っています。また、食事とともに重要なのが筋肉量や筋力を増やして維持することだとも感じています。


たしかに筋肉量や筋力を増やして維持するには運動、とりわけ筋トレが大事なのですが、それがわかっていても継続できないという問題があります。本書は、そこに鋭く切り込んでいると思いました。
まずは毎朝2分間の筋トレ習慣からですね。私も継続しようと思います。

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タグ:石黒成治
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 06:22 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月22日

氣を活かしてわたしが変わる 究極の氣 レイキ



望月俊孝(もちづき・としたか)さんのレイキに関する本が出版されるとFacebookで知って、予約しておいた本が届いたので早速読んでみました。
望月さんはヴォルテックスという会社を運営されていて、レイキだけでなく宝地図やエネルギーマスターなどのセミナーを開催されています。
私も2014年6月に、ヴォルテックスのレイキ講座を受講しました。(※参考:「レイキヒーラーになりました」)そのころから望月さんとは、よくお会いしています。

これまでにも「癒しの手 心もからだも元気にするレイキ・ヒーリング」「超カンタン癒しの手」「癒しの手」などのレイキの本を出版されていて、このブログでも紹介しています。また、「靈氣と仁術−富田流手あて療法」というレアな書籍を復刻されるなど、レイキの普及に取り組んでおられます。
他に、「幸せな宝地図であなたの夢がかなう」「幸せブーメランの法則」の紹介もしていますので、ぜひ読んでみてください。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

つまり、私たち人間は無限の存在でもあります。
 そしてそれを意識しているか、しないかによって、「私たち人間は想像した通りに無限の存在にもなるし、想像した通りに限界のある存在にもなる」のです。
 しかも人間は固有のエネルギー≒氣を自由に変えることができます。どんなエネルギーを発信するか? 受け取るか? 自由に選べます。さらには他のものが発するエネルギーを敏感に察知することができ、それに対応することができるのです。
」(p.3)

実はこの「氣」こそ、人を幸せにしたり、癒したり、反対に失意のどん底に陥(おとしい)れたり、悲しませたり……と、人の人生を大きく左右する、すごい力を持つエネルギーなのです。」(p.5)

冒頭で、氣はエネルギーであり、私たちはそれを自在に操ることができる存在で、それによって幸せにもなれるのだと言っています。


早速、2日間、そのセミナーを受講し、遠隔でレイキのエネルギーを送ることができるようになったので、少しでも時間があれば、集中治療室にいる息子に遠隔でエネルギーを送ることにしていました。

 すると驚くべきことが起きたのです。
 息子にミラクルが起こる前に、まず私の身体にミラクルが起きました。

 2年間苦しみ続けた全身アトピーがなんと!たった3日で消えてしまったのです。
」(p.10)

望月さんのレイキ体験は、このようなミラクルから始まっています。
30代なかばで独立後、資金難で廃業。再就職して死にものぐるいで働くもリストラにあい、6千万円もの借金を抱えてどうにもならない状況になっていました。ストレスから全身アトピーとなり、やっと生まれた長男が切迫早産で集中治療室へ。
そんな中で遠隔ヒーリングができるレイキのことを思い出し、オーストラリアから来日していたリン・ペレツさんというヒーラーからレイキを習ったのでした。

レイキは、ちょうど100年前(1922年)に日本で発祥した癒しの手法です。波動を高め、エネルギーを強くするこの手法は、発祥の国・日本ではあまり知られていませんが、いまや米国、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどを中心に推定800万人以上の人々が、ヒーリング・メソッドとして、また美容健康法、能力開発法として実践しています。」(p.12)

このようにレイキは、欧米ではよく知られています。スーパーモデルのミランダ・カーさん、歌手のクリスティーナ・アギレラさん、パリス・ヒルトンさんなど、レイキの実践者、利用者が多数おられるのです。
それに対して日本では、あまり知られていません。それがとても残念なところだと私も感じています。


ここで「波動の7大法則」をお伝えしましょう。

❶この宇宙のすべてのものは特有の波動を出している
❷似た波動を出しているもの同士が引き寄せ合う
❸違う波動は反発・排斥し合い、相殺し合う
❹出した波動がブーメランのように還ってくる
❺強い波動は弱い波動に影響を与える
❻波動には高い・低い、強い・弱いがある
❼意識すればするほど、同調する波動の領域が広がり、近い波動のものを引き寄せ合うことができる
」(p.26)

「波動」とは「氣」であり「エネルギー」とも言えます。望月さんは、波動が低く弱い「発展途上人」タイプから、波動が高く強い「豊かな成功者」タイプへと成長していくのが人というものだと考えておられるようです。
また、いわゆる「引き寄せの法則」も、昔から言われる「類は友を呼ぶ」という言葉にもあるように、波動で説明ができることなのですね。


30年前の借金を抱えていたころの私は、この愛や喜びや宇宙エネルギーに意識や波動を合わせることもできるのに、「不安」や「心配」ばかりに意識を向け、波動を合わせてしまい、それを拡大していたのです。
 それが「レイキ」≒「宇宙エネルギーの最高峰」の波動に出会ってからは、愛や喜びや光といった高い意識に向けることができるようになり、それまでがウソのように人生が変わっていったのです。
」(p.40)

レイキは最高次元の波動(氣・エネルギー)と同調して行うヒーリングや自己成長のテクニックです。
 1922年、臼井甕男(うすいみかお)先生(P140参照)が京都・鞍馬山で21日間の断食瞑想修行の上、最高次元の氣=レイキを感得されました。
」(p.40)

私も「レイキは愛だ!」と言っていますが、レイキは愛にベクトルが向いています。100年前、臼井氏がレイキを創設してくださったことが、本当にありがたいことだと思っています。


「手当て」という言葉があるように、手を当てて癒す、愛情を伝えて元氣を取り戻す能力は、人類が誕生以来4〜500万年にわたって培ってきたもので、私たちのDNAにも深く刻み込まれています。熱がありそうなら額に手を当てますし、歯が痛いとほおに手を当てます。肩がこったりひざが痛ければ、「痛いなあ」と無意識のうちに手を当てたりします。手の癒しの力を身体が知っているということです。」(p.48)

私も「手当て」は人間の本能だと言っています。ヒポクラテスも、医者はマッサージに長けていなければならないと言ったとか。望月さんは、「看る」という漢字が「手」と「目」で構成されているように手を当てて見ることが癒すことになる、とも言われています。


同じ言葉を言っていても、同じことを考えていても、同じことをしていても、それが「愛」から出ているか、「怖れ」から出ているかによって、私たちが出す波動も、相手が受け取る波動もまったく違ってきます。

 私たちの感情は究極的には「愛」と「怖れ」の2つに分けることができます。
」(p.100)

お勧めしている「神との対話」でも、愛の対極が不安(怖れ)だと言っています。最近は、バシャールもそうですが、愛と不安(怖れ)を対極のものとして表現する人が増えましたね。


あなたの本業は「あなた自身」でいること。
「あなた自身」として成長すること!
」(p.113)

他人のようになろうとしなくていいのです。これも「神との対話」で言われていることです。自分であればいい。望月さんもそう思いながら、焦らずにやってきた結果が今だと言われています。


例えば、レイキのヒーラー(癒し手)は「病氣の人を治す」とは思いません。病氣の人を治すには膨大な力がいりますが、もともと病氣ではなく「元の氣」を忘れてしまっている人に、それを思い出すお手伝いをするだけでよいのです。レイキヒーラーがレイキで手伝うだけで、本人の自己治癒力が発揮されていきます。
 つらい状況にある人も、本来の幸せな状態を思い出すことで、理想の状態に戻っていきます。
」(p.134)

病気やケガが治るのは、その人の自然治癒力によるものですね。だからレイキは、その自然治癒力を手助けするだけのもの。
人は本来、健康であり幸せな存在である。そういう見方が大前提としてあるのですね。だから、私たちがそのありたい在り方に意識をフォーカスすれば、自然とそのようになっていくのです。


医療の分野では、「米国病院協会(the American Hospital Association)」の2007年の調査では、15%(800以上)のアメリカの病院が病院サービスの一環としてレイキを提供しているとされています。」(p.153)

他にもブラジルでは健康保険の対象にレイキが加えられたり、イギリスでは補完医療としてレイキが行われていたり、オーストラリアでもレイキが受けられるクリニックがあったりするそうです。このように海外では、レイキは着実に医療の一環として認知されつつあります。


「五戒」とも呼ばれ臼井先生の思想の根幹をなす言葉です。とてもわかりやすい内容で、読めばカンタンに頭では理解できます。ただ実践するにはとても奥深い内容なのです。実践を重ねただけ、一層、健康になり、人間性を高め、極めれば臼井先生が到達した悟りにも近づくことが可能な道と方法が、この短い言葉の中に示されているといってよいでしょう。」(p.183)

本の最後の方に、このようにレイキの「五戒」を紹介されています。
私もnoteやYoutubeで、この「五戒」を詳しく解説しています。それは望月さんと同様に、ここにレイキの真髄があると思っているからです。

※参考:「レイキの本質は「五戒」にあり」「「五戒」を説かないレイキは偽物」「レイキ施術者が「五戒」を唱える意味」「ナチュラルレイキ講座・動画01〜10」、など


想像してみてください。
 世界中の人が笑顔で、幸せに生きているシーンを。
 その過程で、
 「一家に一人、レイキヒーラー」
 「一家に一人、家族の心と身体のケアを行える人」がいたら、どんなに素晴らしいことでしょう!
」(p.209−210)

「一家に一人、レイキヒーラーを!」というのが、望月さんのヴォルテックスが掲げているスローガンです。そのためには、もっともっとレイキを広めていく必要がありますね。


先日、レイキ生誕100年記念のイベントが東京であり、私も施術者として参加しました。その時に、主催された元ヴォルテックのレイキ講師、慎ちゃん先生こと廣野慎一さんともお話させていただきました。小さな違いにこだわるのではなく、ともかくレイキを広めることが重要だということを。

私も、レイキ者として、今後もレイキの普及に助力していければと思っています。そういう意味でも、この本をみなさんにお勧めしたいと思います。

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タグ:望月俊孝
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 08:19 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月13日

いま、目の前にいる人が大切な人



「日本講演新聞」の社説で、編集長の水谷謹人さんが紹介されていた本を読みました。著者は「北の菩薩」と呼ばれる坪崎美佐緒(つぼさき・みさお)さんです。
セミナーや企業研修の業界ではカリスマ的存在である大久保寛司(おおくぼ・かんじ)さんが絶賛されておられたのだとか。本書は、その大久保さんがプロデュースされた形になっています。

それにしても「北の菩薩」とは大げさな。どれほどのものかと半信半疑ながら、興味を持って読み始めました。
しかし、最初からガツンと来ました。泣きました。ボロボロ泣きました。涙を拭くのに、ティッシュでは足りないほど。タオルが必要だと思いました。
それほど感動したのです。何に感動したのか? それは坪崎さんの、相手をありのままに受け入れ、その価値を認め、心底大事にしたいという思いです。
そんなことは頭ではわかっていても、坪崎さんの話を読むと、私にはまったくできていなかったなぁと思うのです。それなのに坪崎さんは、それが自然にできてしまう。
これはもう人間じゃない、菩薩でしょう。そう感じるほどなのです。ぜひこの本を読んで、その感動を味わってほしいと思いました。

年に50〜60冊は本を読む私ですが、この本は今年一番のオススメだと言って過言ではありません。ぜひ読んでみてください。


と、先に結論を書きました。以下、重要だなと感じた部分を引用したいと思います。

幸せになるために大切なことは、実は、人や物や事への観方・考え方・捉え方が鍵であるということです。
幸せになる人は、幸せになる観方・考え方・捉え方を、幸せでない人は、幸せにならない観方・考え方・捉え方をしている。
そして、どの視点から観るかは、すべて自分で決めているのです。
」(p.3)

これは大久保さんの文です。「坪崎さんの本 作成委員会 委員長」という肩書で、「はじめに」を書かれています。
まさにおっしゃる通りですね。幸せは自分が決めているのです。

幸せな人は幸せになる生き方をしている。
美佐緒さんの生き様を見ていて気がついたことです。
私が71歳の時です。
」(p.5)

大久保さんがどれほど坪崎さんに心酔しておられるかがわかりますね。


職場の皆さんには、「パートしながら仕事をしては?」とすすめていただき大変有り難かったのですが、コーチの仕事がなくてもなんとかなると甘えてしまう弱い自分がいることを知っていたので、「退路を断つ」ことに決めました。」(p.9)

コーチングを知って、これが自分の生きる道だと感じた坪崎さんは、学歴も実績もないままに、個人事業主として生きていこうと決めたのでした。それが2011年4月のことだそうです。

しかし現実は、全く仕事がありませんでした。
焦る気持ちはあるけれど、「仕事がない」「仕事がない」と泣いている人にコーチをお願いしたい人はいないと思い、どん底の時ほど笑顔で元気にしていました。
」(p.10)

そんな時に、コーチとして起業する人を支援する会社からメールが届き、坪崎さんは勇気を出して申し込み、面接を受けました。
すると、最初は歓迎してくれていた担当者が、坪崎さんの履歴書を見るなり態度を変え、学歴も実績もないのに申し込んできたことに腹を立てて坪崎さんを責めたのです。
考えてみれば当然かもしれない。学歴も実績もないのに、コーチングを依頼する企業なんてあるわけがない。客観的にはそう思えても、坪崎さんにはやめられない理由がありました。

でも…でも…、私みたいな人っていないのかな?世間にはいっぱいいるんじゃないかな?
もしも私みたいな何にもない人が
夢をもって諦めずに続けて
夢を叶えて誰かの役に立てたなら。

私のように、何にもなくて諦めようと思っている人の力になれるかもしれない!
こんな私でもできるなら、「私も、できるかもしれない」って思ってくれるかもしれない!!
」(p.18-19)

誰かの役に立ちたい。それが坪崎さんを突き動かす思いでした。


子どもも大人も見えていることが全てではないですし、子どもが何かをしてしまう時には、必ず理由があると思っていました。美奈ちゃんにも、ちゃんと理由がありました。
この本当の理由をわかってあげられる人になりたい、当時から、そしていまでも、私が願っていることです。
」(p.46)

小さい頃からの夢は保育士になること。そのためには大卒の資格が必要。しかし家の事情で坪崎さんは、進学を断念しました。その代わり、3日間だけ保育士実習ができる高校を選び、その3日間で保育士補助として充実した体験をされたのです。

寂しいけれども我慢しなくてはならないと自制していた美奈ちゃん。その心の葛藤が、優しい坪崎さんを叩くという行為として現れる。坪崎さんは美奈ちゃんをたしなめるのではなく、心に寄り添うことで素直な心を引き出したのです。それによって、美奈ちゃんが変わり、クラスメイトが変わり、お母さんまで変わりました。感動し、自ら変わったのです。
それを引き起こしたのが、坪崎さんの「必ず理由がある」という大前提だと思いました。


真野さんが他の人と楽しそうに話しているのを見かけると、私も真野さんを笑顔にしたいなと思いました。」(p.64)

真野さんのお客様への接し方や商品の扱い方、お店に来た営業マンの方との接し方を見ていると、仕事熱心な人であること、知識が豊富であること、誠実な仕事をしていることがわかり、心の中で尊敬するようになりました。」(p.64)

高卒後に最初に勤めた薬局では、お局様のような真野さんからなぜか冷たくあしらわれ、いびりのような仕打ちを受けます。それは坪崎さんのことが気に入らないというより、坪崎さんを紹介した人が気に入らなかったからです。だから1週間で辞めさせてやると言って、坪崎さんに嫌がらせをしていたのでした。
そのことを知った坪崎さんは、自分が原因じゃないことがわかって喜びます。そして、真野さんが喜ぶような仕事をしていれば、いつか必ず受け入れてくれると信じて頑張るのです。

そんな理不尽なことをされた時、ふつうはそうは思えませんよね。恨んだり、仕返しをしてやろうとか、鼻を明かしてやろうと思ったりするでしょう。けれども坪崎さんは、心から真野さんを尊敬し、慕っているのです。

厳しく睨(にら)まれるので、最初、真野さんといる時は緊張していましたが、いつの間にか心から真野さんと仲良くなりたいと思っていました。」(p.64-65)

高卒の若者が、どうしてこうも達観できるのでしょうか? これが自然とできてしまう坪崎さんの資質が素晴らしいと思うのです。
こうして数ヶ月後には真野さんから受け入れてもらえ、信頼の絆で結ばれることになりました。


でも、あの日、あなたはずっと私の話を聴いてくれた。一生懸命に聴いてくれた。本当に嬉しかったの。あの日から今日までずっと、あなたは私の話に耳を傾けてくれた。あなたに会えて本当に良かった。」(p.80)

仕事ができる真野さんでも苦手とした客を、坪崎さんは1回の接客で大ファンにしてしまいました。その秘訣は「傾聴」です。相手を否定せず、自分の考えを押し付けず、ただ寄り添って耳を傾ける。ただそれだけで、いや、ただそれだけに徹するからこそ、相手に満足感を与えることができたのです。

ふと思い出したのですが、似たようなことをした女性がいました。こちらは架空の人物ですが、「少女パレアナ」という小説の主人公、パレアナです。
彼女も、自分に冷たく当たる人々を、最終的には味方にしていったのです。否定せずに受け入れ続けることによって。


私がニコニコしてお願いしていると、
「ヘラヘラして、マジきもいんですけど」数人の男女からドッと笑いが起こりました。
「それでは、くじ引きの席に移動お願いしまーす」
あえて何もなかったかのように、私はニコニコしていました。
」(p.118)

最初はほとんどの方が私の言葉に耳を貸してくれませんでした。
それでも私は、この方たちならきっとわかってくれるはず、と、皆で楽しく授業をしている様子が目に浮かんで、その日が来るのを楽しみにしていました。
」(p.118)

坪崎さんがコーチングで起業して得た最初の大きな仕事は、求職者支援訓練の研修だったそうです。その研修での出来事ですが、いきなり受講者から小馬鹿にされています。
それなのに坪崎さんは、相手を責めることや自分の不遇を嘆くことをせずに、相手の本質は素晴らしいものだということを信じ切っています。どうしてそんな信念が持てるのでしょうか? そこが坪崎さんのすごい点だと思います。

私は昔から人の良いところにしか目が行かなくて、その良いところを素直に伝えると、「そんなことない」と謙遜から受け取ってもらえないか、「お世辞言って、何か裏があるの?」と疑われることが多かったので、伝えることをやめてしまっていました。
ところがコーチングなら伝えることが仕事なので、その人にその人の良いところを伝えられる!しかも、私が教えられるものは何もないけれど、一人ひとりには素晴らしい輝きや力があるとずーっと感じていたので、私にとってこんな理想的な仕事はありませんでした。
」(p.129)

相手の良いところが自然と目につく。坪崎さんの天性の才能ですね。そして、それを伝えられるコーチングは天職だと感じている。だから強固な使命感も持てるのでしょう。


普段だったらネガティヴなことを言われても、「どうしてそう思うのかな?」とその気持ちを知りたいと思えるのに、その時の私はそんなふうには思えませんでした。
「どうしたら、その誤解がとけて、私の気持ちをわかってもらえるのだろう?」と自分のことばかり考えていました。
」(p.131)

夫がわかってくれないと思っていましたが、実は、わかっていないのは私でした。
わかってほしいなら、まず私が夫の気持ちを理解しよう。
夫の嫌がることはやめようと心に誓いました。
」(p.132)

ご主人から紹介されて興味を持ったコーチングでしたが、坪崎さんがのめり込む一方で、ご主人は嫌悪するようになっていったそうです。そんな中で坪崎さんがコーチングで起業すると言い出したから、ご主人は大反対。理解してくれないご主人に対して、坪崎さんは不満をいだいたようです。
そして、まさに離婚の危機というところまで行って、やっと気づいたのだそうです。自分がご主人の想いを理解しようとしていなかったのだと。

そして、そういうことはコーチングの勉強を始めた頃にもあったようです。それは幼なじみの相談に対しても、ついコーチングの手法で質問を浴びせた時、会話が弾まず、気まずくなってしまったことでした。

私はいつの頃からか、コーチングはしようとしていたけれど、目の前の人の話には耳を傾けていなかったのです。

なんて質問しよう?
どう質問したら答えが出るだろう?

そんなことに気を取られ、目の前の人の言葉や、言葉の奥にある想いには心を寄せていませんでした。
」(p.137-138)

その日から、「コーチングする」という考えをやめました。
自分が関わることで相手が変わることを目的にするのをやめました。
それよりも、以前のように相手の想いや考えを知りたいという気持ちで丁寧に話を聴こうと心に決めました。
」(p.138)

その体験からも、テクニックで相手を変えようとすることが間違っていると気づかれたのですね。
変わるかどうかを決めるのは相手自身です。相手は相手にとって最善の方向へ進みます。それを信頼して相手に任せ、相手が相手らしく勇気を出して前進できるよう寄り添ってサポートする。それがコーチングの本質だと思います。

しかし驚くべきは、その本質を坪崎さんは元々持っていたということです。坪崎さんの本来の姿に立ち返るために、その本質をしっかりとつかみ取るために、こういう失敗の経験が必要だったのだろうと思います。


「自分がどうありたいか」に目を向けると、自分がどう関わるかを考えるので、目の前の子どもを変えようとは考えなくなります。つまり、相手を変えようと思っている矢印が、自分自身に向かい、自分ができることに取り組むようになっていくのです。
そうすると「子どもが何も変わらない、子どもが…」という辛い気持ちも楽になっていきます。
」(p.143)

子どもから信頼される存在でありたい。親なら、こう思うものではないでしょうか? 問うべきは、そういう自分のあり方なのですね。
そういう自分であるためには、目の前の子どもに対してどう関わるのがいいのか? 自分の望み通りの子どもに変えさせようという考えとは、ベクトルがまったく違うのです。
そして、そのように考え方を変えることによって、自分の苦しみがなくなります。他人(子ども)を変えようとする無理なことから解放されるからです。


彼の言葉を聞きながら、こんな気持ちなのに、よくここまで来てくれたと思うと胸が熱くなりました。
こんなふうに嫌がる彼をここまで頑張って連れて来たお母さんの気持ちを思うとさらに胸が熱くなります。
だから、もうここにいてくれるだけで十分だと思いました。
」(p.160)

不登校の息子を持つ母親が、その理由がわからなくて苦しんでいました。それで坪崎さんに会ってもらうことにしたのです。
無理矢理、母親に連れてこられた息子は、最初から反抗的な態度です。絶対に心を開かないと決意しており、それを隠しもせずに口にしています。
その時の坪崎さんの本心が、引用したとおりなのだと思います。ふつう、そんなふうに思えますか? 私にはできません。少なくとも今の私には。でも坪崎さんは、自然とこれができているのですね。
ですから、その思いから言葉が出てきます。テクニックではなく、本心なのです。「無理して話さなくてもいいからね」と。
これをテクニックで言っても、彼の心には響かないと思います。本心でそう思い、彼に寄り添うからこそ、彼が変わっていくのです。

ただ、私は颯太君があまりにも自分のことを責めて、これからも人生を楽しんではいけないと思いこんでいることが気になりました。
亡くなったお父さんはそんなことを望んではいません。
でも、その言葉をそのまま颯太君に伝えるとかえって彼を苦しめてしまう。

どうしたら、気づいてくれるんだろう…。

颯太君自身で自分がしあわせになることが、亡くなったお父さんが喜ぶことに気づいてほしいと思いました。
」(p.165)

彼が不登校になったのは、父親が死んだのは、うるさいことばかり言う父親のことを「死んでしまえ!」と呪ったからだと思い、それで自分を責めていたからです。自分が好きな学校へ行って、自分だけ楽しんでいてはいけないのだと。
坪崎さんは、彼がどうしていると父親が喜ぶか、という視点を与えます。天国の父親は、自分がどうしていることを喜んでくれるだろうか? この視点が、彼を救うことになったのです。


なのに、ほんの少しのやり取りで、相手は素直に自分のことを話してくれるようになります。どんな言葉をどんなタイミングで話すかも大切ですが、やはり美佐緒さんのまとっている空気というか雰囲気が本質だということです。」(p.190)

坪崎さんのことを絶賛されている大久保さんの評です。テクニックではなく、本質なのです。ふだん、どう考えているのか、どういう信念で生きているのか。問われるのはそこなのですね。


不快な思いをさせていることを心から申し訳なく思いました。
だからこそ少しでもお客様の気持ちを知りたいと思いました。
そして、本当によくぞ話してくださったという気持ちでお話を聴いていました。
」(p.194)

お客様の電話での耳の痛い言葉は、一見クレームに見えてしまうけれど、むしろお客様は言いにくいことを教えてくれています。本当に有り難い存在だと私は感じていました。クレーム担当と言われた時は驚きましたが、一生懸命にお客様の声を聴けるように頑張ろうと思いました。」(p.195)

パートで勤めていた会社で、クレーム担当に任命されたことがあったそうです。それにしても、こういう思いが自然と湧いてくるのが坪崎さんなのですね。


私が少しでも(早く終わらないかな)とか(嫌だな)と思っていると、父のイライラの時間は長引きます。
でも、(これで少しは楽になるといいな)という気持ちで聴いていると、早くスッキリしてくれました。
表面的には同じように聞いていても、心の中は相手に伝わるんだということを幼い頃から感じていました。
だから毎回、一生懸命に聴きました。
」(p.205)

一家の大黒柱だったお父様はおそらく脳梗塞で倒れられて、半身不随の不甲斐なさからイライラされることが多かったそうです。そこで坪崎さんは、お父様の辛い気持ちを聞いて差し上げるという役を買って出られたのですね。
その経験から、表面的なテクニックでは通用しないことを学ばれたのでしょう。しかし、これが小学校6年生の経験だというから驚きます。天は坪崎さんを菩薩とすべく、鍛えられたのかもしれません。


私はみずきさんの背中をさすりながら、
「みずきちゃんはね、息子ちゃんを守ったのよ。本当によく頑張りましたね。みずきちゃんは息子ちゃんが大きくなった時に、自分がどんな子だって思ってほしい?可哀想な子って思ってほしい?」
「違います!息子には、自分は愛されて必要とされていると思ってほしいです」
「みずきちゃんはどんな時、必要とされてると思うの?」
「誰かの役に立ったときです。
「そうよね。人の役に立った時って嬉しいですよね。じゃあ、息子ちゃんに『ありがとう』って伝えるのはどうかしら?出ていく時は、お留守番してくれてありがとう。帰ったら、お留守番してくれてありがとう。お留守番してくれていたから安心してお仕事できた、○○ちゃんのおかげだよ。ありがとうって。ごめんねをありがとうに変えてみたら?」
」(p.214)

DVが息子にまで及んだことで離婚を決意したみずきさん。しかし、息子を置いて仕事へ出かけなければならないことで、かまってあげられないことに罪悪感を感じていました。
その後ろめたさが息子さんにも伝わって、息子さんはぐずってばかりいたのです。それを見たみずきさんは、なおさら罪悪感を感じ、苦しんでいたのですね。


そんな私も、いまでは、沈黙は怖くありません。それどころか、沈黙が時に大切なものであり、沈黙の中で安心していられるのは、「信頼」があるからだとわかるようになりました。
コーチングに出合い、目の前の人が沈黙の時は、自分自身の奥にある思いに向き合っている大切な時であることを知りました。
」(p.231)

坪崎さんは子どもの頃、沈黙が怖くて、すぐに騒いで沈黙を打ち破ろうとする性格だったそうです。沈黙に潜む争いが耐えられなかったのです。
周りの人からは空気を読まない子どもと思われたでしょう。けれども本当は、空気を読みすぎてしまうからこそ、沈黙を打ち破ろうとしたのです。


相手の心のとびらを開くには、このように相手が語ったらこのように答え、こんな様子の時にはこのようなアプローチをしなさい…という手法を細かくガイドしている書籍はたくさんあります。またそのようなセミナーもあります。
美佐緒さんのしていることは、それらのこととは対極のことのように感じます。
相手を恣意的に変えようとはしていません。そのままなのです。
」(p.242)

大久保さんの坪崎さん評ですが、私も同感です。相手をありのままに受け入れているのです。信頼しているのです。変わるべき時がくれば変わるし、それまでは無理に変えなくてよい。そう強く思っておられるのでしょう。


研修が終わった時、浅田さんが私のところに来ました。
「先生さ、なんであんなこと、俺に聞きにきたの?」
「本当に体調が悪いんじゃないかと心配になって」
「なんでそう思ったの?寝てると思わないの?」
「具合が悪くて寝てるのかもと思ったんですが、もしそうじゃないなら、嫌なのにここまで来てくださって有り難いなと思っていました」
」(p.245)

あの先生は、あんな失礼な態度の私を叱るどころか体調を心配してくれたんですよ。私が大丈夫ですと伝えた時は、本当にホッとしたように良かったと言ってくれたんです。この先生は違う。だから話を聞いてみようと思ったんです。言ってることとやってることが一緒だったんです。こんなふうに自分のことを受け止めてもらったのは初めてで、これが先生が言ってた承認ってやつなんだと思い、自分も部下のことをもっと承認しようと思ったんです」(p.247)

社員研修の講師をした時、反抗的な部長がいたそうです。ぶすっとしていて、ワークにも参加しない。その部長が、長い時間ずっと目を閉じて苦しそうな表情をしているのを見た坪崎さんは、ひょっとしたら具合が悪いのかと思い、体調が悪いのではと声をかけたのです。
いったいどこまでお人好しなのでしょう。どこまで徹底的に他人を信頼しているのでしょう。こんなに信頼されたら、好きになってしまうではありませんか。まさにそれが、坪崎さんが自然とやっていることなのです。信頼するとは愛すること。愛は人を変えるのです。


それは、一人暮らしのお母さんが鬱(うつ)になった時に、離れて暮らしている息子さんとの話。お母さんに元気になってほしくて励ましても全然ダメで…。でも何とか元気になってほしくて、息子さんが思いついたのが空の写真を送り合うことだったらしいの。空の写真を撮る時には顔が上を向く。人は上を向いているときには、ネガティヴな気持ちになれないということを思い出して、『僕と母さんは同じ空を見ているけど、それぞれから見える空は違うから、写真を送り合おう』って言ったら、『それならいいよ』って毎日。時には日に何度も写真を送り合ったそうなんです。そうしたら、お母さんがドンドン元気なって、いまではすっかり回復しているって」(p.252-253)

これは坪崎さんが聞いて、実際にそれを勧めてみて、役立った方法だそうです。こういう方法は知りませんでした。


「正しいことを言ったところで、相手が変わることはない。正論は無意味」
うまくいかないことをたくさん経験して、この思いに至ったのは60代半ば過ぎからです。
」(p.255)

大久保さんは、晩年にしてやっとこの真理に至ったことを白状しておられます。しかし、それを自然と身につけていたのが坪崎さんなのですね。


当たり前のことですが、人は死ぬんだということが私なりにわかりました。

だからこそ、会えているこの時を大切にしたいと強く思うようになりました。
そして私自身がその時を迎えても悔いのないように生きようと思いました。
最期を迎えた時、少しは人の役に立てて良かったと思える人生が私にとっての最良の人生。
そのためにも、悔いなく良い人生だったと思えるように生きたいのです。
」(p.258-259)

坪崎さん、お祖父様、お父様など、家族の死を身近に経験してこられました。その経験から、このように思われるそうです。
けれども、同じ経験をしたからと言っても、同じような思いにはなりません。もちろんその時は、一期一会の精神で生きようと思ったとしても、それが持続しないのです。つい目の前の人の不遜な態度に腹を立てたりします。そこが坪崎さんとの違いですね。


私の勉強会仲間内での美佐緒さんの愛称は”北の菩薩”です。
美佐緒さんと二人で話していると「観方・感じ方・捉え方」が驚くほど同じの方がいます。
関西に在住の清水喜子さん、愛称は”関西の菩薩”。
誰と出合ってもその人の足らないところを見るのでなく、相手の良いところを観て、それを自然に引き出しています。良し悪しで判断せず、相手の全てをそのまま受け入れています。
お二人とも基本において常に相手が幸せになることを願っています。
この思いがとてもとても強いと感じます。
」(p.264)

大久保さんが最後にこう言われています。北の菩薩だけでなく、関西にも菩薩がおられるようですね。驚きです。
こういうレベルまで進化した魂がどんどん出てきている。それを思うと、人類は安泰だなぁと思います。


坪崎さんが言われること、実践されてることは、私も頭ではわかります。しかし、いざそういう場面で、それを思い出して実践できるかと問われると、難しいと答えざるを得ません。ましてや、そういうことが自然とできてしまうというレベルではないことも確かです。
しかし私は、今の私のままでいいと思っています。私には私の使命があり、私のレベルで経験できることがあり、それを経験することが私のために重要だと思うからです。

もちろん、一歩でも坪崎さんのようになりたいなぁとも思います。でも、そうならなくてもいいのです。そこを目指して精進するというだけでも十分だと思うからです。
そして、坪崎さんのような菩薩と呼ばれる方が次々と出てくることで、日本が、そして世界が、より平和で幸せな社会になっていくといいなぁと思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 10:01 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月06日

もっと言ってはいけない



「言ってはいけない」という本の紹介をYoutube動画で見て、興味を持ちました。本を探してみると、すでに続編が出ている様子。なので、その続編となる本書を買ってみました。
著者は橘玲(たちばな・あきら)氏。科学者なのかと思ったら、作家さんなのですね。知りませんでした。

読み始めた時点では、紹介されていた内容をすっかり忘れていました。本の内容と言うか、動画の内容ですね。
何を「言ってはいけない」のかということが、読み始めてやっとわかりました。つまり、努力でどうにかなるのではなく、科学的(統計的)には遺伝で決まっていることが明らかだ、ということを「言ってはいけない」ということのようです。

遺伝で決まるという話は以前、「生まれが9割の世界をどう生きるか」という本を紹介しましたが、そちらでも語られていました。
そこですでに遺伝で多くのことが決まるとわかっていたのですが、あえて本書を買おうと思った理由は何だったのか? 思い出せないままに、読み始めました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

知能は遺伝する、精神疾患は遺伝する、犯罪は遺伝する……と話すと、ほとんどのひとから「ほんとうかもしれないけどそんな本はぜったいに出せない」「そんなことを書いたらたいへんなことになる」と警告された。だが実際には、『言ってはいけない』を読んだ方からは、「救われた」「ほっとした」との多くの感想が寄せられた。
「遺伝決定論」を批判するひとたちは、どのような困難も本人の努力や親の子育て、あるいは周囲の大人たちの善意で乗り越えていけるはずだとの頑強な信念をもっている。そしてこの美しい物語を否定する者を、「差別主義者」のレッテルを貼って葬り去ろうとする。
」(p.3-4)

日本のメディアではいまだにこれは「言ってはいけない」ことにされているが、欧米では一般読者向けの啓蒙書にも「統合失調症は遺伝的な影響を強く受けている」とふつうに書いてあるし、それが差別かどうかの議論にもなっていない。遺伝の影響をいっさい認めない日本の現状が異常だ。」(p.5)

まえがきにこのように書いてありました。つまり、知能レベルも精神疾患も、遺伝でほとんどが決まっているという研究結果は、日本の社会においては不都合な真実だということですね。
日本人の多くは、努力によってどうにでもなるというドラマが好きなのです。しかし、そうなると、子どもが非行に走ったら親の子育てが悪いからだという短絡的な因果論が正当化される。でも、それはどうにもならなかったと感じている本人や親などを責めて、苦しめることにもなるのです。


この結果をわかりやすくいうと、次のようになる。

@日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。
A日本人の3分の1以上が小学校3〜4年生の数的思考力しかない。
Bパソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。
C65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。
」(p.23-24)

しかし、驚きはこれにとどまらない。こんな悲惨な成績なのに、日本はOECDに加盟する先進諸国のなかで、ほぼすべての分野で1位なのだ。だとすれば、他の国はいったいどうなっているのだろうか。」(p.24)

プロローグで、PIAAC(ピアック)というOECDの成人に対する読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力のスキル習熟度の2013年の調査結果を取り上げて、このように橘氏は解説しています。
つまり、事実を述べることと差別することは違うということを言いたいようですね。たとえば「日本人」という1つのグループの中にも、様々な人がいます。日本語が読める人もいれば、読めない人もいる。読めると自分では思っていても、計測してみれば「読めない」という分類になる人もいる。それが事実です。
その割合がどれだけかということと、一人ひとりがどうかということは、また別のことです。1人の人の能力を取り上げて、「やっぱり日本人は・・・」とレッテルを貼ることは偏見であり、差別になるでしょう。しかし、日本人というグループの傾向がこうだという統計的な事実そのものは重視すべきであり、差別とは違うということなのです。

それにしても、この結果には驚きました。しかし、よくよく考えると納得できます。たしかに、「さっきからそう言ってるじゃないの!」と言いたくなることが多々あります。言葉を聞いても、内容を理解してくれないのです。老人介護の職場では申し送り簿でコミュニケーションを図ろうとしますが、伝わらないことが多いですね。
そして、若い人でもPCを使えない人が多い。おそらく今の職場でまともにPCが使えるのは、私を含めて2〜3人しかいないのではないかと。
そう考えてみると、私はけっこう知的なスキルが高いんじゃないかと思えてきました。もちろん、だから「優れている」わけではないことは、本書の最後にも書かれていますけどね。


世界を「俺たち(善)」と「奴ら(悪)」に分割し、善悪二元論で理解しようとするのは、それがいちばんわかりやすいからだ。古代ギリシアの叙情詩からハリウッド映画まで、人類はえんえんと善が悪を征伐する物語を紡いできた。
 世界を複雑なものとして受け入れることや、自分が「悪」で相手が「善」かもしれない可能性を疑うことは、この単純な世界観をはげしく動揺させる。それは、陳腐で平板な世界でしか生きられないひとたちにとってものすごく不安なことなのだろう。
」(p.36-37)

私もよく指摘しますが、勧善懲悪という視点からは、本当の姿が見えてこないのです。正義はそれぞれの人にあるのであって、単純に善悪、正邪で割り切れはしません。
そして橘氏が指摘するように、そうやって相手を悪として糾弾したがるのは、その人に不安(恐れ)があるからなのです。


それは(男に対する)性的魅力をつくる役割を担っているのだ。だからこそ、ゲイ遺伝子をもつ男性は同性愛者になり、同じ遺伝子をもつ女性は周囲の男性にもてることでたくさんの子どもを産む。これを差し引きすれば、平均的な(たいしてもてない)男女よりも効率的に遺伝子を複製できるのだ。」(p.52)

だが現代の遺伝学は、同性愛が「生産性」が低いのではなく、「魅力的な男性と女性」を生み出す合理的な進化のメカニズムであることを着々と証明しつつある。」(p.53)

同性愛者(特にゲイ)の結婚を、「生産性が低い」という理由で認めるべきでないと主張する人がいます。しかし遺伝学的に言うと、性的指向(ゲイなど)の遺伝子というものがあって、それがあるから先天的にゲイであることが決まっていることになるのだそうです。
では、なぜそんな生産性のない遺伝子が駆逐されずに残っているのか? この疑問を、ゲイの男性の姉妹には多産が多いという統計的事実から紐解きます。
つまり、この遺伝子は、男性をゲイにする可能性があるが、一方で女性を多産にしている。これはゲイにする遺伝子というより、「男性からモテる遺伝子」ではないかと推測するのですね。男性からモテる女性なら、多産になることはあるでしょう。そして男性からモテる男性ならゲイです。
したがって、この遺伝子を受け継いだ男女の兄弟は、男性の一部がゲイになって生産性はゼロになるかもしれないけれども、それ以外の兄弟が平均以上に子孫を残すことで、全体としては子孫が増える、つまり生産性が高まるということになるのです。

この話を読んだ時、かっこちゃんこと山元加津子さんの「1/4の奇跡」という本を思い出しました。
この本では、1/4の子どもは障害を持って生まれるけれど、そのお陰で残りの3/4の子どもはマラリアで死なない遺伝子があるという話がされていました。つまり、障害者の子どもは、残りの子どもを救うために、あえて障害を引き受けて生まれてきたのだと。
同じことが言えるのだとすれば、先天的にゲイであることを運命づけられた男性は、他の兄弟姉妹によって人類の子孫を反映させるために、あえてその役割を引き受けたとも言えるのではないでしょうか。

もちろん、これが真実かどうかは何とも言えません。1つの考え方に過ぎません。しかし、その可能性はあるということです。


分子遺伝学者は、他の人類から分かれアフリカにはじめて登場したサピエンスの人数を6000人から1万人ほどと推計しており、もっとも大胆な予測ではわずか700人だ。このきわめて小さな集団が共通祖先なのだから、人種のちがいにかかわらず私たちは遺伝的にとてもよく似ている。」(p.119)

ヒトゲノム計画によって全人類の遺伝子が99.9%は同じで、ヒトには、別の集団にはない遺伝子をもつ特別な集団は存在せず、集団間よりも集団内の方が遺伝的多様性が大きいことが明らかになった。ヒトの種内の遺伝的多様性は、チンパンジーやゴリラ、オランウータンより圧倒的に小さいこともわかっている。生まれた場所や肌の色がちがっても、私たちはお互いにとてもよく似ている。」(p.126)

たしかに人種による見た目の違いはあるし、個人間の違い(個性)もありますが、ゴリラなど他の種族との違いに比べれば大したことではない。特にヒトという種族の中の遺伝的な多様性は小さいということですね。
ここで言う「集団」とは、白人とか黒人、アングロサクソンやモンゴロイドみたいな集団でしょう。その集団内の遺伝的な多様性の方が、他の集団との違いよりも大きいということのようです。


認知心理学では、政治的にリベラルなひとは保守的なひとに比べて知能が高いことが繰り返し確認されている。子どものときの知能で成人後の政治的立場を予測できるとか、政治的立場はある程度生得的に決まっているとの研究もある。これについては別の本で詳述したので繰り返さないが、リベラルと保守を分けるのは言語的知能と新規なものへの好みにある。
 言語的知能が低いと(いわゆる口べただと)、世界を脅威として感じるようになる。なんらかのトラブルに巻き込まれたときに、自分の行動を相手にうまく説明できないからだ。
」(p.173)

これは面白い視点ですね。日本ではよく「全共闘かぶれ」と言ったりしますが、流行りの学生運動にうつつを抜かしてまっとうな就職ができなかった人たちが、当時はまだメジャーではなかったメディア関連に就職したので、今のメディアはリベラル派が多いという分析があります。この説明よりも、そもそも大学に進学するほど知能が高いからリベラルになるという説明の方が、説得力があるように思います。

もちろん今では、大卒だから知能が高いとは言えません。大卒の相対的な知能の優位は、日本ではすでに低下してしまっていますから。
けれども、知能が高ければ知的な好奇心も旺盛で、新奇なものを検討したり、取り入れようという気持ちも大きいと思います。だからリベラルですね。
一方の保守は、新奇なものに対する恐れ(不安)が根底にあります。検討した上での保守ではなく、検討すらしたくないから保守なのです。

なお、保守=右、リベラル=左ではないと私は考えています。私自身はリベラル(自由主義)ですが、左派の考え方には同意できないことが多いですから。


もうおわかりのように、これはドミニカの日本人移民と同じ話だ。東南アジア社会で生き延びなくてはならなかった極貧の中国人の子どもたちは、現地の友だち集団のなかで優位なものをなにももっていなかった−−唯一、東アジア系の高い知能を除いては。
 そんな子どもたちが、生き延びるために、遺伝的なわずかなちがいに自らの可能性のすべてを賭けた。そう考えれば、数世代で巨大財閥をつくりあげたとしても不思議ではないだろう。
」(p.187-188)

本書には各国別のIQ一覧(p.137-139)が載っています。イギリスの認知心理学者リチャード・リン氏の「Race Differences In Intelligence(知能における人種的ちがい)」という著書からの引用だそうです。各国で行われた知能テストのデータを収集したりしてまとめたものだとか。
これを見ると実に興味深いのですが、IQ100以上となっているのは、ほとんどが白人国家です。特にヨーロッパの北部。アメリカは白人国家ですが、有色人種も多いため、平均的に下がっていますが、白人だけのデータだと高くなるようです。
それに比べると、黒人国家のIQは有意に低いことが示されています。環境の要因も考えられますが、遺伝的な側面があることは間違いないという話でした。
そしてなお驚くべきは、東アジアの国は総じて100以上という高レベルなのです。なぜなのか明確な理由はわかりませんが、中国も韓国も日本も、すべて100以上です。

このことから、IQが低い集団の中にいる一部の高いメンバーは、他の面で不利だとしても、いや不利だからこそ、その高い知能を生かした生存戦略を取ると考えられるのです。
それが、戦後、南米への移民で苦労した日本人入植者の子孫が、現地で高い社会的地位に就いていることが多いという現実に現れていると言うのですね。
そしてこのことから、東南アジアの華僑が総じて裕福であったり、社会的に高い地位に就いていたりすることが説明できると言います。そして、なぜそういう華僑が韓国や日本にはいないのかということも説明できるのです。つまり、知能レベルの優位性が生じないからですね。


すべてのメンバーが「大量破壊兵器」を手にした共同体で、自分の身を守りつつヒエラルキーを昇っていこうとすれば、徒党を組むことが不可欠だ。いまの政治と同じで、旧石器時代でもリーダーはもっとも大きな派閥から選ばれたはずだ。利害の異なる相手と手を結び、権力集団を維持・拡大していくためには高度な言語能力と政治的知能が必要になる。これが、人類が大きな脳を必要とし、言葉を獲得した理由ではないだろうか。」(p.209)

身体的な優位よりも知能的な優位の方が勝るようになったのは、当時では「大量破壊兵器」とも言える「石器」を手にしたからだと橘氏は言います。つまり石器があれば、不意をつくことで屈強なリーダーを殺すことが可能になったのです。
猿の集団のリーダーは、体躯が優っていることが必須です。挑戦してくるオスを力ずくでねじ伏せなければなりませんから。しかしもし猿が武器を手にするようになれば、リーダーの資質も違ってくるでしょう。

狩猟採集生活では獲得した獲物はその場で食べるか、仲間と平等に分けるしかなかったが、貯蔵できる穀物は「所有」の概念を生み出し、自分の財産を管理するための数学的能力や、紛争を解決するための言語的能力が重視されるようになった。
 その一方で、狩猟採集社会では有用だった勇敢さや獰猛(どうもう)さといった気質が人口稠密(ちょうみつ)な集住社会(ムラ社会)では嫌われるようになった。
」(p.212)

そういう社会になってくると乱暴者は排除され、協調性が重視されるようになります。したがって、協調性のある知的な遺伝子が生存に優位となり、残ってきたということですね。

これはきわめて危うい論理だが、視点を変えれば、ヨーロッパ系や東アジア系はムラ社会のなかで、それぞれの仕方で自らを「家畜化」してきたのに対し、アフリカ人やアボリジニは「家畜化」されていないということでもある。白人をダックスフント、アジア人をチワワとするならば、彼らはドーベルマンやシェパードなのだ。
 チワワやダックスフントがドーベルマンより優れているとはいえないように、”家畜化という進化”を経た人種を家畜化されていない人種よりも優秀だとする根拠はない。
」(p.213)

「家畜化」というのは、人間が狼を犬に変えたようなもので、わずかな期間(数世代)でその種の遺伝子を人間に従順なものに変えていけるということが証明されているそうです。
そして、人間は自らを家畜化してきた。それが石器の発見であり、続く農耕社会によるものだったと言うのですね。

したがって、自己家畜化した民族(人種)と、いまだ家畜化されていない民族との間に、遺伝的な知能の差があることは当然だと考えられるのです。そして、それがどちらが優れているかという問題ではなく、現代社会に適応しているかどうかという問題なのです。


認知スキルと同様に性格スキルの形成にも幼年期がもっとも重要だが、性格スキルは10代以降でも伸ばせるので、青年時の矯正は性格スキルに集中すべきだというのだ。」(p.216)

心理学では人格の「ビッグ・ファイブ」を開放性、真面目さ、外向性、協調性、精神的安定性としている。これらの性格と仕事の成果(業績)の関係をみると、すべての仕事においてもっとも影響が大きいのは真面目さで、次いで外向性、精神的安定性となっている。「真面目で明るく、落ち着いている」ひとは、どんな職場でも信頼されるのだ(図表8)。」(p.216-217)

協調性については、日米で際立ったちがいが観察されている。日本の場合、男性では年間所得と協調性が正の相関関係なのに対し、アメリカでは男性、女性ともに負の相関関係になっているのだ。
 これをわかりやすく解釈すると、アメリカでは協調性がない=個性的なほうが高い所得を得られるが、日本の会社は個性を押し殺して滅私奉公しなければ出世できず、しかもこの努力が報われるのは男だけで、女性社員がいくら組織に協調(奉公)してもムダ、ということになる。
」(p.217−218)

アメリカで暮らす東アジア系の人が、比較的に高い所得を得ている理由を、遺伝的に解明してみると、知的で真面目で内向的だから、リーダーにはなれなくても専門職として高い賃金を獲得できているということのようです。

図表9を見ればわかるように、とりわけ日本人はLL型保有者が4%と世界でもっとも少なく、SS型の保有者は65.3%と世界でもっとも多い。日本人の96%がS型の保有者であり、3人に2人がSS型でセロトニン発現量が少なく、不安感や抑うつ傾向が強い。これが、うつを日本の「風土病」にしているのかもしれない。−−同様の傾向は中国や韓国も同じで、ここからいずれの国でもうつ病や自殺が大きな社会問題になっていることが説明できるだろう。」(p.222-223)

つまり東アジア系は、遺伝的に不安感が強い傾向があるのですね。それが真面目で内向的で几帳面で責任感が強く、周囲の目を気にして協調性があるというような特質になっているようです。

SS型がストレスによって抑うつ状態になりやすい脆弱性をもっていることは、数々の実験で確かめられている。ところがそのSS型が、もっとも楽観的だった。なぜこのような矛盾した結果が出るのだろうか。」(p.225)

セロトニン運搬遺伝子の発現量が低い「悲観的な脳」の持ち主は、ネガティブな画像と同様にポジティブな画像にも敏感に反応したのだ。」(p.226)

ここから、なぜL型の遺伝子からS型が現れたのかも説明できる。それは農耕社会のなかで、閉鎖的な共同体の親密でストレスフルな人間関係(高コンテクストな文化)にうまく適応するのに役立ったからだ。これが(いち早く農耕文明に移行した)東アジア系にS型の遺伝子が多く、アフリカ系にL型遺伝子が多く残っている理由だろう。ポジティブなことにもネガティブなことにも感じやすくなるよう進化することで、相手の気持ちを素早く忖度できるようになり、狩猟採集生活ではあり得なかった人口稠密な共同体を維持することが可能になったのだ。」(p.228-229)

つまり東アジア系は、労働集約的な稲作文化が発達したので人口が増え、人口過密社会を作ることが生存のために最適だったので、そういう社会に適応した遺伝子を獲得していったのです。
日本は他の先進諸国に比べて人口密度が非常に高くなっています。そういう社会においては、いちいち言葉で相手の考えを確認し合わずに「察する」という能力が重要になってくるのですね。


人類の第一の「革命」は石器の発明で、「誰もが誰もを殺せる社会」で生き延びるために自己家畜化が始まった。第二の「革命」は農耕の開始で、ムラ社会に適応できない遺伝子が淘汰されてさらに自己家畜化が進んだ。第三の「革命」が科学とテクノロジーだが、ヒトの遺伝子は、わずか10世代程度では知識社会化がもたらす巨大な変化にとうてい適応できない。ここに、現代社会が抱える問題が集約されているのだろう。」(p.240-241)

今は遺伝子的に考えても、大きな変革の時代と言えるようです。
人の人生は遺伝子によってほぼ決まっている、ということが本書で言わんとするところですが、どんな遺伝子だから幸せとは言えない、ということもまた言えることです。高い知能によって高い収入や社会的な地位を得たからと言って、必ずしもその人が幸せではありません。
そういうことを知った上で、私たちは与えられた遺伝子を前提に、どう生きていくかを考えていくべきなのでしょうね。


本書では、ユダヤ人が世界の金融を牛耳っているのも、おそらくその中核をなすグループの遺伝子が、知能が高いのだろうと言っています。ユダヤ人と言ってもいろいろ系統があるので、全体で計測すると凡庸なものになってしまうようです。これは、アメリカ人の知能レベルが凡庸なのと同様ですね。

それにしても、東アジアと東南アジアでこれほどの知能レベルの違いがあるということに驚きました。これはある意味で、環境が遺伝を創っているとも言えますね。揚子江流域で始まった稲作が、東アジア人の知能を高くしていったのですから。
それに対して稲作が遅れた東南アジアや南アジアでは、知能レベルが高くなっていない。しかしそれも、時代が進めばまた変化していくのかもしれません。

そして、知能レベルが高いから優れているとか、幸せだということでもないのです。だから、知能レベルが高いのは遺伝による恩恵だと思って、その恩恵を生かす生き方を自分が選択することが重要ではないかと思いました。

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2022年12月01日

医者が教える非まじめ老後のすすめ



これも本の要約をしている動画で紹介されていた本になります。
著者は大塚宣夫(おおつか・のぶお)医師。1942年生まれですから、現在は82歳くらいでしょうか。そういう老齢期を迎えておられる方が、多くの老齢患者を診る中で、「非まじめ」な生き方を提言されているのです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

元来がまじめな我々世代は、「不まじめ」というと、単にまじめでないという印象で道徳的に抵抗がある方が多いのではないでしょうか。ですが、「非まじめ」とは”まじめに非ず”。ちょっとだけ手を抜いてまじめをやめてみる、老後に向けて意思をもってまじめをやめようよ、ということです。」(p.3)

わがままに好き勝手に、不良老人として生きるには、それなりに覚悟が必要です。といっても、これまで横並びで生きてきた身に、いきなり「不良になれ」と言われても困るでしょうから、せいぜい不まじめ、もう少し抑えて「非まじめ」に。これならどうでしょう?」(p.25-26)

真面目な生き方が染み付いている人に、不良になれとか非行に走れと言っても無理なことです。かえってストレスになります。
ですが、まじめに生き続けることもまたストレスですし、適度に力を抜く生き方をしてはどうかと大塚医師は言うのです。それが「非まじめ」です。

たとえば、風呂に入るのは3日に1度でいい、というのも非まじめな生き方だと言います。私が勤める施設の介護浴は、1週間に2回ですから、十分に非まじめですね。(機械浴は1週間に1回です。)
けれども、昔はそれが普通でした。夏場の汗をかく頃は別として、冬なら風呂は3日に1回でしたよ。なので、毎日風呂に入らなければならない、という価値観を疑ってみる意義はあると思います。


一方で、歳をとると、億劫なことやできないことが増えてくる。これは私自身もそうですし、実感される方が多いと思います。ですが、これも考え方を変えれば、「今日がいちばん能力が高い日」とも言えるのです。
 明日になれば、今日にくらべて体力も気力も落ちていく。ということは、今日が最良の日。
」(p.5-6)

となれば、今すぐ、したいことをやりませんか。3年後にとか、長生きしたらとかではなく、「今」です。我々老人にとっては、今が一番元気なときなのですから。」(p.6)

これも1つの考え方ですね。たしかに、段々と歳をとって老化していくのですから、できることができなくなっていくのです。そうであれば、今が最もあれこれできる時なのです。

だったらまず「したくないことはやらない。やめてしまう」からやってみる。これ、どうですか? こっちのほうが案外、簡単だと思いませんか?」(p.30)

今やりたいことをやれ、と言われても、何をやったらいいのかわからない、ということもあるでしょう。そういう人は、まずはやりたくないことをやめる、ということから始めてはどうかと大塚医師は言います。
たしかに、自由になるためには、まずはこれからだと思います。義務とか世間体とか、他人から指示されてとか、少なくとも自分が「やりたくないなぁ」と感じていることはやめてみたらいいんですよ。


不得手なことに貴重な時間とエネルギーを費やすほど馬鹿げたことはありません。やりたいことを優先し、それでも余力があったらやる、程度に考えると気が楽です。」(p.47)

断捨離が良いと言われても、それが苦手だと感じるならやらなくていい。たしかに、そういうように考えれば、ストレスはなくなりますね。


バランスのいい食事が長生きを保障するのかというと、そうでもない気がします。確かに、若いとき、あるいは60代くらいまでは、食生活に気をつけることは、その先の健康な体を保つために有効です。でも、75歳を過ぎても同じことがいえるかというとかなり疑問です。食べたいものを我慢してコレステロールを下げようとか体重をなんとかしようと気をつけたところで、その効果が出るとしても5年、10年先。私としては、食べたいものを我慢するストレスのほうが健康に悪い気がします。」(p.55)

歳をとれば、食生活はもっと自由でいい。食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べればいいんです。」(p.56)

老化が止められない以上、遅かれ早かれ全員が死にます。その時期が数年早いか遅いかなんて、どれだけの意味があるのでしょう?
私はそう考えるので、大塚医師の言うように、75歳を過ぎたなら、食べたいものを食べたいだけ食べていいと思います。もちろん、その時点の体型に不満があって、もっと痩せたいとか思っているなら別ですがね。


そもそも、夫と妻では、考えていることや望んでいることに大きな隔たりがあります。それが表面化せずにすんでいるのは、ひとえに、夫が働いて家を留守にし、夫婦の接触時間が少ないからなのです。」(p.76)

これは私も共感します。妻の実家へ移住し、四六時中、妻と一緒で逃げられない生活をしてやっと、私のイライラの原因は妻と一緒にい続けなければならない状況にあったとわかりましたから。まあ、妻も同じように感じていたかもしれません。お互い様ですね。
だから、適度に離れた方がいいんですよ。夫婦だからいつも一緒で仲良くなんて、それが楽しい人がやればいいだけであって、万人に当てはまることじゃありませんから。


かといって、75歳を過ぎてあわてて筋トレを始めても、残念ながらさほど効果はありません。若いときにはやったらやっただけついた筋肉ですが、年齢とともに男性ホルモンや成長ホルモンの分泌が減るため、鍛えてもその効果はどんどん出にくくなるからです。」(p.105)

いくら年をとっても、筋肉は鍛えられるという話がありますが、大塚医師はまっこうからそれを否定します。まあこれも、程度の問題なのでしょうね。
それでも動かさなければ衰えていくのが筋肉なので、過度な期待はせずに適度に運動をしながら、筋力を保つ努力は必要かと思います。自分自身の快適さのためにね。


予定があるということは、とりあえずその日、その時間はそこへ行かなければいけませんからね。体がなんといおうと、必要とされている責任感のほうが勝ります。歳をとってからは、気力に体力を引っ張らせることが肝心なのです。」(p.113)

ただし、ここでもやっぱり無理は禁物です。当日になって体調がよくなかったり気分がすぐれなかったり、何より、やりたい、行きたいという気持ちがまったくないようであれば無理しなくていい。ドタキャンしてもいいんです。」(p.115)

大塚医師は、誘いは断るなと言います。とりあえず受けると決めて、スケジュールに入れておく。そうすることで、億劫さに抗って、出かけることができるからです。歳をとってから重要なのは、「キョウイク(今日行く(ところ))」と「キョウヨウ(今日(の)用)」があることだと言いますから。
けれども、年をとったらドタキャンは当たり前と心得ておくことが重要だと言います。身体にも精神にも、無理をさせないことが大前提。それこそが「非まじめ」なのです。


多少、判断力が鈍くても足腰が悪くても、自分が動かないと一日の生活が成り立たない−−そんな環境こそ、高齢者にとって一見酷なようでいて、実はもっとも老化防止に役立ち、認知症の進行を防ぐ効果があると私は考えています。
 他人に気兼ねせず、自分のペースで暮らすことができるだけで、自分のもてる力を全部出し切ることができます。ですから、高齢者がギリギリまでひとり暮らし、あるいはふたり暮らしを続けることは、ご本人にとってもいいことづくめだと思っているのです。
」(p.134)

私も同感です。一人暮らしは寂しくはないし、むしろ快適だと言えます。そして、自分でやらなければ行きていけないと思うからこそ、健康が維持しやすいのです。
一人暮らしが快適だということは、以前に紹介した「老後はひとり暮らしが幸せ」「続・老後はひとり暮らしが幸せ」でも書かれていましたね。


年金生活で切り詰めて、それまで貯めた貯金はすべて子どもや孫に残すという発想ではなく、働いてお金を稼ぎ、貯金は自分たちの楽しみのために使う。日本の高齢者がみんなこの発想になったら、もっと日本は活気づくと思います。」(p.151)

これも同感です。生涯現役と言いますが、その覚悟をすることで健康を維持しやすくなります。どんなに年をとっても、「今」を楽しむことが大切ですね。


感謝の気持ちは、言葉(ありがとう)と態度(お金)できっちり示す。やってもらって当たり前と思う気持ちを捨てる。親子、家族、身内であっても同じことです。その心持ちひとつで、人間関係は驚くほど円滑になります。」(p.163)

大塚医師は、ポチ袋に500円とか1000円とか入れて持ち歩き、何かしてもらったらサッとそれを渡し、「ありがとう」と言葉を添えるのがいいと言います。
まあ、そこまで徹底してやるかどうかは別として、何か感動したらおひねりのようなつもりでチップを渡すという習慣は、悪くないなぁと思っています。


最大の敵は、お互いの甘えです。どんなに仲がよい親子でも、親子であるがゆえに難しい。けれども、それが他人だったら受け入れられます。なぜなら、自分の親でなければ、崩れゆく姿も淡々と受け入れられ、割り切りもできる。だからこそ私は、介護には他人を絡ませることをおすすめしています。絶対に、第三者というワンクッションを入れたほうがいいのです。」(p.174)

知識、経験、技術があるプロの手にかかると非常にスムーズです。家族による介護は、する側もされる側もお互い負担が大きいことを知っておいてください。」(p.175)

私も今、老人介護施設で働いているので、このことはよくわかります。介護を嫁の仕事とする時代は過ぎました。老人介護は、社会が担う問題になっているし、そうした方がみんなに恩恵があるのです。


ヨーロッパの施設では、高齢者に口から食べてもらう、飲んでもらうことに重きがおかれていて、噛む力や飲み込む力が低下した人でも食べやすく、食欲をそそるように食事が工夫されていました。さらに、職員が食べ物を口に運び、飲み込むまで時間をかけて介助していました。
 そのようにしても、口に入れた食べ物や飲み物を本人が自分の力で飲み込めなくなったら、それ以上のことはしないという説明でした。つまり、日本で普通に行われている点滴や、経鼻管栄養での延命処置はしないということでした。
」(p.194-195)

自分の力で飲み食いできなくなったら、それが生きる限界だというヨーロッパの考え方に、私も賛同します。胃ろうで生きながらえさせられてるだけのお年寄りを見ていると、虐待しているかのように感じます。もういい加減に死なせてあげたらいいのに・・・。そう思ってしまうのです。


起きないことを心配するより、もっと気楽に「今」を楽しみましょう。「非まじめ老後」とはそういう生き方です。そう考えたら、あれこれ思い煩うことなく、楽しく穏やかな老後を過ごせると思うのです。」(p.206)

もう先は短いのだからと達観できれば、逆に「今」を楽しんで生きられますよね。他人の価値観や義務などに縛られず、今の自分がこうありたいと思う心のあり方で生きる。そういう生き方ができたら、老後こそが幸せなのではないでしょうか。


お気楽で幸せな時間を堂々と過ごせるのが老後というもの。そのような考え方もありだなと思わせてくれる「非まじめ老後」。私もこれを目指したいですね。

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タグ:大塚宣夫
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2022年11月26日

体が若くなる技術



これも本の要約動画を観て、興味を持って買った本です。サブタイトルに「ミトコンドリアを増やして健康になる」とあるように、老化を防いで健康に若々しくあるためには、良質なミトコンドリアを増やすことが重要だという観点から書かれています。

著者は日本医科大学教授の太田成男(おおた・しげお)さん。ミトコンドリア研究の第一人者とのことです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

私たちはいつか老いと闘わなければいけない。そう感じている人も多いのではないでしょうか。
 しかし、それは大きな間違いです。
 なぜなら、私たちは生まれつき「若くなるようにできている」からです。
 正確に言うと、生まれてから死ぬまで、「若くなるための機能」を持って生活しているのです。
」(p.2)

体を休めるとエネルギーを必要としなくなるため、「エネルギーをつくる能力」はどんどん低下してしまい、結果的に体の衰えを後押しすることになるのです。」(p.4)

太りやすくなるのは、代謝が悪くなるからだとよく言われますが、代謝が悪くなるとは、原料をエネルギーにつくり替える能力が低くなるということです。
 しかし、これを逆の視点から見れば、もしエネルギーをつくる能力をアップさせることができれば、体力がアップするうえ、若々しく、太りにくい体になるということです。
」(p.4)

じつはこのエネルギーをつくる能力こそ、「体を若くする機能」の正体なのです。
 そしてこのエネルギーを生み出しているのはいったいどこなのか、それは「ミトコンドリア」なのです。
」(p.5)

冒頭で意表を突く常識の否定をしていますが、よくよく考えると、1つの言い方にすぎないとわかります。
つまり、ミトコンドリアでエネルギーを作る能力を高めることでも老化そのものは止められないのですから、私たちは老化に抗いながら若さをなるべく保つよう、闘わなければならないとも言えるわけです。

いずれにせよ、良質なミトコンドリアを増やし、エネルギー生産を高めていくことで、私たちは若々しく老後を過ごすことが可能になるということですね。


キーワードは「活性酸素」と「ミトコンドリア」のふたつです。」(p.6)

ミトコンドリアは、生きるために必要なエネルギーをつくっていますが、その質が悪ければ活性酸素をつくり出し、よければ活性酸素を少なくして害を抑えてくれるのです。」(p.6)

ここに、ミトコンドリアが良質でなければならない理由があります。質の悪いミトコンドリアは、より多くの活性酸素を作りだしてしまい、そのことによって健康に害を生じたり、老化が促進されてしまうのです。


具体的にどうすればエネルギーをつくる能力をアップさせることができるのかというと、ひと言で言うならば、「体にエネルギーを必要としていることをわからせる」ということです。
 ○「マグロトレーニング」をすること
 ○背すじをのばすこと
 ○寒さを感じること
 ○空腹になること
 大きく分ければこの四つしかありません。
」(p.7-8)

この具体的な方法については、本書をお読みください。要は、適切なストレスを与えて、体がもっとエネルギーが必要だと感じるよう仕向ければよいのです。

太田さんは、だから「老いと闘う」のではなく、「若さを活用する」というように思考を変えるようにと言います。まあこのニュアンスは、私にはどっちでもいいなぁと思うのですがね。


通常の油では「長鎖脂肪酸」と呼ばれる脂肪が含まれています。この長い脂肪酸がミトコンドリア内に入るためには、Lカルニチンという物質が必要です。そのため、脂肪酸を燃焼させるには、同時にLカルニチンを摂取する必要があるのです。
 ところが、中鎖脂肪酸はLカルニチンなしでもミトコンドリア内に入り込むことができるという大きな特徴を持っています。中鎖脂肪酸は、そのままでミトコンドリアに入り込みやすいので、そのまま燃焼されやすく、体内に脂肪として蓄積されないのです。
」(p.27)

前に「アメリカの名医が教える内臓脂肪が落ちる究極の食事」「やせたければ脂肪をたくさんとりなさい」などを読んで、中鎖脂肪酸が燃えやすく蓄積されにくい油だということは知っていました。ミトコンドリアにすぐに消費されるかどうかということだったのですね。
今、中鎖脂肪酸が多いというパーム核油由来のMCTオイルをコーヒーに垂らして飲んでいますが、少しは効果があるのでしょうかね。今のところ、まだあまり実感はありませんが。


体を休めてばかりいると、「なんだ、エネルギーはあまりいらないのか」とばかりに、私たちの体はミトコンドリアの数を減らしてしまいます。
 そのため、体を休めてばかりいると、ミトコンドリアの数がどんどん減り、体はさらに弱くなってしまいます。
 ですから、体力をつけるもっとも賢い方法は、エネルギーを使う量、つまり運動量を少しずつ増やしてくことなのです。
」(p.35-36)

疲れるから、体力がないからと、体を休めてばかりいると、ミトコンドリアが極端に減り、エネルギーのつくれない「老いた体」になってしまいます。」(p.39)

筋肉もそうですね。使わなければ減っていきます。私たちの身体は、使うことによって鍛えられます。つまり、若々しく増強されるのです。


しかし、最近の研究によって、ミトコンドリアが生み出すエネルギーの低下が、原因のひとつであることがわかってきました。普段から脳の血流量を増やし、ミトコンドリアのエネルギーをつくる能力を高く保っておくことが認知症に有効であることは間違いありません。」(p.45)

私たちの身体でエネルギーを使うのは筋肉だけではありません。脳神経も大量に消費します。認知症の人は脳の萎縮が起こると言われますが、それはミトコンドリアの減少を意味することでもあるのです。

「脳トレ(脳のトレーニング)」という言葉がありますが、物事を深く考えたり、新たなことを学ぶなど脳に刺激を与えると脳の血流量が増し、ミトコンドリアのはたらきが活発になります。
 つまり、新しいことに興味をもつことがなにより大切なのです。
」(p.46)

筋肉に刺激を与えれば筋肉が増強しますが、脳にも刺激が必要なのですね。ただし、あまり強い刺激(ショック)は危険なこともあるので、身体を動かすこと、つまり運動をするという程度の刺激でも、脳には良い刺激だと太田さんは言われています。


つまり、アポトーシスという細胞の自滅システムは、私たちの体をさまざまな病気から守ってくれている、とても重要なシステムであり、その命令を下すミトコンドリアが正常にはたらくかどうかが、将来の健康を大きく占っているのです。」(p.55)

活性酸素などで傷ついた細胞は、自らアポトーシスすることによって、身体全体に害が及ばないようになっています。しかし、正常にアポトーシスできるかどうかということも、またミトコンドリアにかかっているのですね。


つまり鳥が、活性酸素そのものをつくらないミトコンドリアによって長寿を実現したのに対し、人間はできてしまった活性酸素をSODの量を多くすることでより多く除去し、さらに、それでも除去しきれなかった活性酸素が遺伝子を傷つけても、高い修復能力で治すという、二段構えで長寿を実現していたのです。
 それは活性酸素が生む「老いる仕組み」を、豊富なエネルギーがもたらす「若返る仕組み」によって解消しているとも言えます。
」(p.68-69)

SODというのは、スーパー・オキシド・ディスムターゼの略で、活性酸素を取り除く酵素のことです。そのSODを作る能力が、他の生物よりも人間は高いということなのですね。
鳥は体の大きさからするとかなりの長寿なのですが、人間もまた長寿の種族なのだそうです。しかし、その長寿を実現する仕組みが違っているのです。


急激な運動は活性酸素を生みますが、消化管でも同じことが起きてしまいます。つまり、最初からたくさん食べてしまうと、それだけ急速にエネルギーを必要とし、活性酸素が発生してしまうということです。
 運動も食事も同じです。
 運動はゆっくりとスタートすることで活性酸素を抑えることができますが、食事もおなかが空いたからといって早食いをするのではなく、ゆっくり食べることで、活性酸素の発生を少なくすることができるのです。
」(p.87)

ミトコンドリアが急激にエネルギーを生み出そうとすると、活性酸素もできやすいのですね。だから、急激に大きなエネルギーを使うようなことは、なるべく避けた方がよいのです。

運動によるストレスはプラス面も大きいのですが、心理的ストレスによる臨戦態勢にはメリットはほとんどありません。さらに悪いことに、心理的ストレスは活性酸素を発生させるだけでなく、免疫機能も低下させてしまうという特徴があります。そのため、多くの病気の引き金になっているのです。」(p.90)

長期的なストレスは避けるべきだし、心理的な重いストレスも避けるべきだと太田さんは言います。


ATPはこれらのどんなエネルギーにも変えることのできる、オールマイティーのエネルギーなのです。ですからまずは、ATPをつくり出して、そのATPのエネルギーを必要な形で使ってもらうという仕組みになっています。」(p.96)

運動にも精神活動にもエネルギーが必要で、その万能なエネルギーがATPであり、ミトコンドリアが生み出すものです。
いわば「エネルギー通貨」であり、お金と同様なのですね。ただし、実際の通貨とは違う一面もあるそうです。

それは、お金は貯めておいて必要なときに使うことができますが、ATPは蓄えておくことができないということです。」(p.96-97)

ATPは通貨と違って、必要な時に必要なだけ作り出す必要があるのです。


極端な言い方をすると、食べ物は「電気の素」です。」(p.101)

それは、電圧のかかる場所を一センチメートルの厚みに拡大して考えると、そこに二〇万ボルトという、とてつもない電圧がかかっているという計算になります。」(p.101)

ミトコンドリアではこの電圧を利用して、この世でもっとも小さいモーターを回転させ、ATPを合成しています。このモーターのエネルギー効率はほぼ一〇〇%で、この世でもっとも優れたモーターをミトコンドリアは使っているのです。」(p.101-102)

ミトコンドリアは食事から得られた栄養素と酸素を使い、それを電気エネルギーに変えてから、ATPを産生しているのだそうです。これは知りませんでした。
詳しいことはわからないのですが、きっとこういうことなのでしょう。それにしても、人体には不思議なこと、未知のことがたくさんあるなぁ、と改めて思いました。


運動すると短命になるという話もあります。一方で、運動しないと身体機能が衰えるとも言われます。どっちが正しいのでしょうか?

この議論の間違いがどこにあるかというと、「エネルギー生成量に比例して活性酸素が生じる」の「比例して」という点と、活性酸素を消すシステムを私たちが持っていることを無視している点にあります。」(p.104)

つまり、一方の働きに注目すればその通りなのですが、人には両方の働きがあり、そのバランスの上に成り立っているということなのですね。


ではこの活性酸素はなぜエネルギーを生み出す際に、一緒に発生してしまうのでしょうか。
 ミトコンドリアでは、「電子」と「食事」を利用してATPという物質を合成します。その際、電子はミトコンドリアを含む膜の上を流れていくのですが、その膜の上は平均台のように細く、ときどき電子がこぼれ落ちてしまうのです。
 加えてミトコンドリアには、とてつもない電圧がかかるので、電圧が一瞬でも高くなったときには、どうしても電子がこぼれ落ちてしまいます。
 電子が同じリズムでゆっくりと歩いていれば、平均台から落ちる頻度は少なくなります。ところが、平均台の上でおとなしく立ち止まっていたときに、急に動けという命令が出されると、慌てて動き出し、平均台から落ちてしまいます。これは、酸欠状態のときに酸素が急に入ってきた状態です。
 このこぼれ落ちた電子が、近くにある酸素と結びついてしまったものが、乱暴者の活性酸素なのです。
」(p.106-107)

ミトコンドリアでエネルギーを生み出す際、必然的に活性酸素が生じてしまうことを、わかりやすく例えてあったので、長い文章ですが引用しました。
呼吸で取り込んだ酸素の1〜2%が活性酸素になるのだそうです。それをなるべく少なくすることが、健康維持や老化防止には重要になってきます。

エネルギーの生産を少し犠牲にしても、電子がこぼれないように電圧を下げている状態、その状態を「マイルド・カップリング」といいます。
 そしてこのマイルド・カップリングの状態をつくり出すためには、ミトコンドリアの「量」が必要なのです。
 ミトコンドリアの量がたくさんあれば、大量のエネルギーが必要になっても、ひとつのミトコンドリアにかかる負荷は小さくなります。
」(p.109)

1つのミトコンドリアを性能の限界まで働かせると、どうしても活性酸素が増えやすくなるのですね。だからミトコンドリアを増やすことが重要になると太田さんは言います。

ミトコンドリアを増やす方法は四つあります。

 @マグロトレーニングをする
 A姿勢を保つ
 B寒さを感じる
 C空腹を感じる

 いずれの方法も、体に「エネルギーが不足しているよ」というシグナルを与えることがポイントです。
」(p.110-111)

つまり、自堕落的でない非日常的な何かをすれば、身体はエネルギーを増やして適応しようとする。そのエネルギーを増やすために、ミトコンドリアが増えるということなのです。
なお、ミトコンドリアを増やす4つの方法については、先に引用した時に書いたように、詳細は本書をお読みくださいね。

ミトコンドリアが増えてはじめて、質の低下したものを壊すことができるようになるのです。」(p.112)

ミトコンドリア全体の質を高めるには、劣化したミトコンドリアを解体することが必要です。しかし、そもそもミトコンドリアが少ない状態であれば、安易に壊すことはできませんよね。
それがもし大量にミトコンドリアがあれば、少量の質の悪いものはすぐに壊すことができます。このように、劣化したミトコンドリアを容易に壊すことによって、全体の質が高まります。そのためにも、ミトコンドリアの量が重要なのです。


「メタボリック/metabolic」の直訳は、肥満ではなく「代謝」です。
 ですから、メタボリックシンドロームとは代謝症候群、つまり代謝異常によって起きるさまざまな病的変化ということになります。そして、代謝とは「エネルギーをつくり出すこと」なので、メタボリックシンドロームも、ミトコンドリアの機能低下が原因で起こる、もっとも重大な病気のもとなのです。
」(p.116-117)

メタボと言えば肥満をイメージしますが、肥満は結果であって原因ではないのですね。

ただし、体に悪いのは「皮下脂肪」の蓄積ではありません。それよりも内臓脂肪のほうがはるかに危険なのです。メタボの正式な日本語訳は「内臓脂肪症候群」です。」(p.118)

メタボの解消・予防を目指すには、ミトコンドリアによる代謝を上げて、内臓脂肪を減らせばよい−−これが現在わかっている唯一の方法です。」(p.118-119)

ミトコンドリアが生み出すエネルギーと食事の量=「代謝のバランス」といった根本要因を健康な状態に保つことが、「万病のもと」を回避する万全の策なのです。」(p.119)

皮下脂肪より内臓脂肪が問題だということは、よく知られていることですね。そして、その内臓脂肪を増やしている原因が、ミトコンドリアによる代謝が低いことにあるのです。なので、内臓脂肪を削り取っても、あまり意味はないのです。


簡単に言うと、脂肪を溜め込んでいるときは体に悪いホルモンを分泌し、脂肪が少ないときは体によいホルモンを分泌します。」(p.130)

脂肪細胞から分泌されるよいホルモンの代表はアディポネクチンといいますが、動脈硬化も糖尿病も防いでくれる非常に頼もしいホルモンです。そしてミトコンドリアも増やす役割があることがわかってきたのです。」(p.130)

脂肪細胞の数は、遺伝ではなく思春期までに決まってしまうのだそうです。なので、大人になってから数を減らそうとしてももう遅い。
大人にできることは、1つの脂肪細胞が蓄える脂肪の量を減らすことだけ。そしてその量によって身体に「良い」影響を与えたり、「悪い」影響を与えたりするようです。

もし脂肪細胞に脂肪がぎっしり溜まっていると、少しくらい脂肪が溜まっても、脂肪細胞はそのことに気づかず、満腹ホルモンは分泌されません。」(p.132)

食事を始めて満腹になったことを知らせるホルモンも、脂肪細胞から出されるのだそうです。そのトリガーが、脂肪細胞に脂肪が溜まり始めたことを脂肪細胞が感知することにあるのだとか。
だから早食いは太りやすくなるので、太田さんは30分以上かけて食事をするようにと言います。実際、食事をしてしばらくしてから、やっと満腹感を感じることが多いです。こういうことも、自分の身体の声をよく聞いていれば気づきますね。

そして太っている人は、さらに太りやすい、食べ過ぎになりやすいという理由も、これでわかるかと思います。


メタボにより糖尿病になる平均年齢は五〇歳、一方、やせすぎにより死亡率が高くなるのは、男性で七〇歳から、女性で七五歳−−ということなのです。」(p.200)

BMIが18.9以下だと、30以上の肥満の人と同じくらい死亡リスクが高くなることが知られています。しかし、それは年令によると太田さんは言います。
なので65歳までは内臓脂肪を増やさないことを心がけ、それを過ぎたら栄養のある食事を十分に摂って、筋肉が衰えないようにすることが重要だとのことです。


血液中のカロテンの量が多い高齢者は生活の質が高い、つまり介護なしで元気に生活ができていたのです。」(p.201)

つまりカロテンが多く含まれる人参やピーマンなど、赤、黄、緑という色の野菜を食べることが、身体の機能の維持に役立つということです。
カロテンは、よく知られているように抗酸化物質の代表です。身体を酸化させないことが大切なのですね。

しかし、抗酸化物質は「過ぎたるは及ばざるが如し」だということを覚えておいてほしいと思います。」(p.205)

野菜を大量に食べても摂り過ぎにはなりませんが、サプリなどで摂取するのは要注意なのです。


矛盾するようですが、むしろ私はあまり細かく意識しないほうがいいとさえ思っています。というのも、一番大切なことは、体にいい食材を記憶することでも、体にいい料理の仕方を覚えることでもないからです。
 日本の伝統食は、ミトコンドリアにとっても適した食べ物になっているから時代を越えて今に残った、というお話をしましたが、一方で忘れがちになっているものもあるように思います。
 それは「感謝の気持ち」です。
」(p.210-211)

急な変化を生んだとき、また、心に余裕がないときに活性酸素は生じてしまうのです。
 そうではなく、ゆっくりとしたときこそ、豊富なエネルギーをつくるように私たちの体はできています。
「ゆっくり」「ゆったり」とした生活が、活性酸素を少なくし、ミトコンドリアを増やすのです。
」(p.214)

ミトコンドリアを増やすには、「エネルギーが必要だ」と感じさせることです。
 本書ではその方法をお話ししてきましたが、じつはひとつ、まだお伝えしていない方法があります。
 それは、「心のエネルギー枯渇状態」をつくればいい、ということです。
」(p.214)

人生を楽しむことによって、心に「エネルギーが足りない」と感じさせるからこそ、体がエネルギーをつくろうとし、その結果、若くなるのです。
 つまり好奇心をもって、とにかく人生を楽しんでみる。
 その姿勢を忘れないでほしいと思います。
」(p.215)

つまり、ミトコンドリアを増やさなければ・・・ということに執着して、心が逼迫していてはダメなのですね。
心に余裕を持って、細かいことにはこだわらず、今を楽しむこと。そうすれば自ずと食事も味わいながら時間をかけるし、少量で満足するようになります。
そして、今を楽しんでいれば、様々なことに好奇心を覚えて、何か新しいことをやろうとするでしょう。その心の活性化によって、またその好奇心に伴う身体活動によって、今のままではエネルギーが足りないという指令がミトコンドリアに伝わり、ミトコンドリアを増やすことになる。

若々しいお年寄りのほとんどは好奇心旺盛で活動的です。少々のことではイライラせず、大らかでゆとりがあります。
そういう老後の自分を目指していれば、自然とそれがミトコンドリアを増やすことにつながり、健康で老いない身体になっていくということのようです。


ミトコンドリアというのは、独自のDNAを持った細胞内機関であり、細胞内細胞とも言えます。腸内細菌は、厳密に言えば「体外」に他の生物を住まわせて役立てているということになりますが、ミトコンドリアは「体内」に生息する他の生物とも考えられます。
実に興味深い関係であり、生物の体(人体)というものは、かくも不思議で神々しいほど素晴らしいなぁと感じます。

そのミトコンドリアに着目して、健康や老化に関して語っているのが本書ですが、最後の部分が特に良かったと思いました。
けっきょく私たちは、あれこれ不安にならず、恐れを抱かず、今を楽しんで余裕を持って生きればいいんですよね。そういう生き方が、身体にとっても最高の生き方になる。改めて、そう思いました。

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タグ:太田成男
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 09:47 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月22日

DIE WITH ZERO



本の要約動画で絶賛していたので買ってみました。
帯に「ゼロで死ね。」とタイトルの日本語訳が書かれています。また、サブタイトルには「人生が豊かになりすぎる究極のルール」とあります。
このように本書は、死ぬ時点で資産をゼロにする生き方を説いたものになっています。

著者はビル・バーキンス氏。トレーダーとして活躍して巨額の富を築き、ハリウッド映画のプロデューサーやポーカープレイヤーとしても活躍されておられるようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

冒頭で有名な「アリとキリギリス」というイソップ寓話を持ち出します。そしてそこで、アリはいつ遊ぶことができるのか? という疑問を投げかけるのです。

もちろん、誰もが生きるために働かなければならない。だが、ただ生きる以上のことをしたいとも望んでいる。「本当の人生」を生きたいのだ。
 この本のテーマはそれだ。
 ただ生きるだけではなく、十分に生きる。経済的に豊かになるだけではなく、人生を豊かにするための方法を考える。
」(p.4)

バーキンス氏は、このような問題を真剣に考えてこられたそうです。そして、こうすれば絶対に上手くいくという方法は存在しないけれども、確実に人生を豊かにする方法なら答えられるとして、本書に記されたそうです。


喜びをある程度先送りするのは理にかなっている。長期的に見れば、そのほうが報われるからだ。
 だが残念なことに、私たちは喜びを先送りしすぎている。
 手遅れになるまでやりたいことを我慢し、ただただ金を節約する。
 人生が無限に続くかのような気持ちで。
」(p.18)

今しかできないことに金を使う。

 それこそが、この本で伝えたいことの核だ。
 90歳になって水上スキーを始めるのは難しい。今それを我慢すれば、その分の金は貯まるだろう。だが、十分な金を得たときには、すでにそれができない年齢かもしれない。
」(p.19)

たしかに、やりたいことのためにお金を使えば、お金は貯まりません。そうすると将来、やりたいことができなくなったり、生活に困る可能性もあるわけです。
キリギリスのように、その時その時を楽しむより、アリのように将来のために節約して、我慢して、せっせと稼いで貯め込む方がいい。しかし、ではアリは貯め込んだお金をいつ有意義に使えるのでしょうか?

大切なのは、自分が何をすれば幸せになるかを知り、その経験に惜しまず金を使うことだ。」(p.20)

誰にとっても水上スキーをすることが幸せ、ではないのです。だから、自分が何をすることで幸せになるかをよく知って、そのためにお金を使うことが大切です。

つまり、時間と金を最大限に活かすためのカギは”タイミング”にある。
 人生の充実度を高めるのは、”そのときどきに相応(ふさわ)しい経験”なのだ。
」(p.21)

仮に水上スキーが大好きだとしても、それを20歳代で経験するのか、80歳代で経験するのかでは、大きな違いがあるのですね。
ですから、自分にとって何をすることが幸せかということと同時に、いつそれをするのが幸せかということも合わせて考える必要があるのです。

節約ばかりしていると、そのときにしかできない経験をするチャンスを失う。その結果、世界が必要以上に小さな場所になってしまう。人生は経験の合計だからだ。」(p.32)

人生の満足度を最大限に高めるために、ライフエネルギーのどれだけを金を稼ぐために費やし、どれだけを経験に費やすべきか。その問題の答えは簡単には導けない。人はそれぞれ違うし、考えるべき問題はたくさんある。」(p.36)

人それぞれですから、自分で考えて自分で決めるしかありませんね。

人生を存分に楽しむには、無意識な自動運転をやめ、自らの意思で思う方向に操縦していかなければならない。」(p.66)

そう簡単には的確な答えが出せない問題だからこそ、無意識に生きるのではなく、意識的に生きることが大事になってくるのです。


人は皆、遅かれ早かれ死ぬ。最後の数日、数カ月を生き延びるのに必要な医療費を貯めるために、人生の貴重な数年間を犠牲にしてまで働きたいと思うだろうか?
 私は、いさぎよく「墓場で会おう!」と言いたい。
」(p.91)

たしかに、自分の死をありありと想像してみれば、死ぬとわかっていて数時間や数日の、いや数ヶ月の延命のためにどれほどの価値があるだろうかと思います。そのために数年分の我慢を重ねる労働生活が割に合うのかどうか。考えるまでもなく、私もそれは割に合わないと思います。


とはいえ、私は誰もが貯金をはたいて長寿年金を買うべきだと言っているのではない。ここで言いたいのは、死ぬ前に資産が尽きないようにしながら、生きるうちに金を使い切る方法はあるということだ。少なくとも、こうした解決策を検討すらしないことは、あなたの人生にとって大きなデメリットになる。」(p.102-103)

ゼロで死ぬことを決めたとしても、予想通りに死ねるとも限りません。資産を使い切った後も生きていたらどうするのか? この疑問に対してバーキンス氏は、1つの方法として長寿年金(トンチン年金)を提示しています。
長寿年金とは、想定した年齢になっても死なずに生きていた時に支払われる保険です。そういうものがあるとは知りませんでしたが、あっても不思議ではありませんね。
もちろん、それが最も適しているかどうかは何とも言えません。けれども日本には、政府が保障している公的年金制度があります。それで足りなければ生活保護制度もあります。少なくとも無一文で食べることもできないなんてことにはならないと思うのですけどね。


「ゼロで死ぬ」とは、金だけの問題ではない。それは時間の問題でもある。
 限られた時間とエネルギーをどう使うべきか。私たちはそれを、もっと真剣に考えるべきだ。それが、人生を最大限に豊かにすることにつながっていくのである。
」(p.111)

死を現実のものとして考え始めてやっと、私たちは生を貴重なものと認識できます。これまでならただダラダラと過ごしていた日常が、どれほど貴重な時間の浪費だったかとわかるのです。


子どもと過ごす経験の価値を定量化することは、子どものために本当にすべきことは何かを、立ち止まって考える良い機会になる。
 それはときに子どものためにたくさんの金を稼ぐことにもなるだろうし、ときには一緒に多くの時間を過ごすことにもなるだろう。
 経験を数値化することで、稼ぐために費やす時間が、子どもにとって本当にメリットになるかどうかも把握しやすくなる。
」(p.133)

子どもはすぐに成長してしまうから、一緒に遊べる時にその時間を無理をしてでも作るべきだという考え方があります。たしかにそうなのですが、それとて一面的な見方です。もちろん、だからと言って子どものために稼がなければならないと言い訳をして、仕事に没頭すべきということではありませんよ。
つまり、どっちが正しいかではなく、真剣にそのことを考えることが重要なのです。そのために、それぞれの経験の価値を数値化して比べてみるというやり方を勧めています。


若い頃にケチってばかりいるのは大きな過ちだと気づいたまではよかったが、その反動で、今度は闇雲に無駄金を使うという過ちを犯してしまった。以前は節約しすぎ、今度は無駄遣いしすぎた。」(p.153)

バーキンス氏も、いろいろと経験の中で気づきを得て来られたようです。時には無駄と思えるお金を使う必要もありますが、闇雲に散財すれば良いわけではないことも明らかですね。


経験を楽しむ能力が年齢によって変わってくるのなら、能力が高いときにたくさんの金を使うことは理にかなっている。」(p.165-166)

経験から価値を引き出しやすい年代に、貯蓄をおさえて金を多めに使う。この原則に基づいて、支出と貯蓄のバランスを人生全体の視点で調整していくべきである。」(p.167)

体力のある若い頃なら、運動系の経験を積む価値が高いと言えるでしょう。そうであるなら、そういう経験を積むためのお金を若い頃に使うべきなのです。
そして年を取れば段々とその時しかできない経験というものが少なくなってくるので、使うお金も減ってきます。そうであるなら、そこで使えるお金を、前もって若い頃に使うということですね。


どんな経験でも、いつか自分にとって人生最後のタイミングがやってくる。」(p.190)

私たちは皆、人生のある段階から次の段階へと前進し続ける。ある段階が終わることで小さな死を迎え、次の段階に移る。
 二度と同じときを過ごせないのは悲しいことだが、逆に言えば、私たちが長い人生のあいだに、いくつもの生を生き、喜びや楽しみを味わえるということでもある。
」(p.190-191)

「死」というイベントは人生の最大のものと言えますが、そうでなくても人生の中では常に、何かが終わり、何かが始まっているのです。
それを楽しく経験できる期間というものが人生にはあります。だから、その経験の価値が高いのであれば、たとえ未来から借金をしても、その経験を積むべきなのです。

最大の後悔は、「勇気を出して、もっと自分に忠実に生きればよかった」であった。他人が望む人生ではなく、自分の心の赴(おもむ)くままに夢を追い求めればよかった、と。」(p.194)

これは有名な話で、死期を迎えた老人たちが後悔していたのは、若い頃に自分らしい生き方をしなかったことだったのです。
やらなかった後悔は大きいが、やって失敗したことの後悔は小さい、というような話もあります。

この実験から学べるのは、人は終わりを意識すると、その時間を最大限に活用しようとする意欲が高まるということだ。」(p.196)

終わりを意識すれば、その限られた時間の貴重さが実感されます。人生においても同じで、あと少しでこの経験も終わりだと意識していることで、価値ある時間を過ごすことができるのです。
これを「一期一会」という言葉で、日本では伝えられていますね。これが最後の出会いかもしれないと意識すれば、その出会いが貴重なものになるのです。


つまり、ゼロで死ぬことを目指すなら、純資産は人生のある時点から減り始めなければならない。そうしなければ金が無駄になる。つまり、価値ある経験を逃していることになる。
 これが、純資産のピークをつくるべき理由だ。私たちは人生のある段階で、まだ経験から多くの楽しみを引き出せる体力があるうちに、純資産を取り崩していくべきなのだ。
 さらに、ピークのタイミングは偶然に任せるべきではない。人生をできる限り充実させる金の使い方をしたいなら、ピークの日付を意図的に決める必要がある。
」(p.216)

人生を最適化するよう金を使う場合、大半の人は45〜60歳のあいだに資産がピークに達する。この範囲から外れると、人生の充実度を最大限に高めるのは難しくなる。つまり、経験のために金を十分に使いきれなかったということになる。」(p.227-228)

ゼロで死ぬことを意識し、資産残高のピークを作るよう計画的にお金の稼ぎ方、使い方をコントロールすべきだとバーキンス氏は言います。

しかし、私は必ずしもそうは思いません。なぜなら、人生は何が起こるかわからないからです。
働いたら働いただけ資産が増えるわけではありませんから。失業することもあれば、転職して所得が格段に増えることもあるでしょう。

ただ、ゼロで死ぬことを意識するなら、常に将来の計画を見直し、それに合わせて資産の取り崩し額を変えていくべきでしょうね。まあ、資産があれば、ですがね。資産がなく、その時その時で最善の道を歩まなければならない人生もありますから。


非対称リスクに直面したときには、チャンスをつかむために大胆な行動を起こすことが合理的な判断になる。極端に言えば、デメリットが極めて小さく(あるいは、失うものが何もなく)、メリットが極めて大きい場合、大胆な行動を取らないほうがリスクとなるということだ。」(p.243-244)

年を取ると、失うものは増える。成功して得られるものも少なくなる。独身の人や、すでに子どもが自立している人でも、リスクに対する報酬のバランスは良いものではない。」(p.249)

失うものが何もなければ、大胆に挑戦できます。だから、若い頃に挑戦すべきだということですね。
しかし、私のように子どもがいなければ、年を取ってもそれなりに失うものが少ないとも言えます。なので、ここもその時点のその人の考え方でしょうね。私は、会社を辞めて自由になったことで、失うものがなくなったなぁと感じましたから。


今、リスクを取れないなら、いつ取れるのか?」(p.251)

あなたにとって最善の道を選ぶことだ。本当にやりたいことを探したいのなら、リスクを取るときがあってもいい。」(p.251)

だが、少しでもあなたの背中を押すために、最後に大胆に行動するための3つのポイントだけ伝えておこう。
 1つ目は、あなたがどれくらいリスクを取ろうが、どんな大胆な行動に出ようが、一般的にそれは人生の早い段階が良いということだ。繰り返しになるが、若い頃のほうが失敗のダメージは少なく、成功して得られるメリットは大きくなる。
 2つ目は、行動を取らないことへのリスクを過小評価すべきではないということだ。大胆な行動を取らず、同じ場所に留まれば、安全に思えるだろう。だが、それによって何かを失っている可能性にも目を向けるべきだ。
」(p.258)

3つ目は、「リスクの大きさ」と「不安」は区別すべきだということだ。人は不安に襲われていると、実際のリスクを過度に大きく見なしてしまう。」(p.259)

リスクが消えることはありませんからね。私は小さなバンジーを飛ぶと表現していますが、どこかで勇気を出して一歩を踏み出すしかないのです。それが不安(恐れ)を乗り越える唯一の方法だと思います。


だが、私たちが一番恐れるべきは、「80歳になったときに潤沢な資産があるか」ではない。人生と時間を無駄にしてしまうことなのだ。」(p.260)

ゼロで死ぬという目標を持つこと自体が、あなたを正しい方向に導いてくれる。
 あなたは、何も考えずに働き、貯蓄し、できるだけ資産を増やそうとしていたこれまでの人生を変え、できる限り最高の人生を送れるようになる。
」(p.263)

つまり、実際にゼロで死ぬことができるかどうかは、どうでもいいことなのです。そういう結果ではなく、そういう意識を持って生きることによって、人生を最高に輝かせることができる。それが何よりも重要なことなのです。


最初、死期がわからないのに、ゼロで死ぬことなど不可能だろうと思いました。それをどうやって実現すると言っているのか興味がありました。
しかし、ゼロで死ぬことを完全に達成する方法などない、というのが結論ですね。そして、重要なのはそこではなく、意図的に生きることにあるのだということでした。

たしかに、これまで意図的に生きてこなかった人には、自分の人生を振り返り、将来設計を見直すきっかけになる本だと思います。
そしてその中で、無用な不安(恐れ)を棄ててリスクを取ることが重要だという気づきがあれば、人生は豊かなものになると思いました。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:53 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月16日

真・かんながら



久しぶりに阿部敏郎(あべ・としろう)さんの本が出版されると聞いて、予約して買いました。
今回の本は小説ですが、あとがきを読むと、1999年に書いたとあります。Wikipediaによれば、阿部さんは1953年生まれで、特異体験をした後の1989年に芸能界を引退し、奈良県にある天河大弁財天社に奉公したようです。

実はこの小説は私小説で、阿部さん自身をAとして描いています。事実に基づいて書いたとあとがきにもあるので、おそらくこういうことがあったのでしょう。
小説は、天河神社に導かれ、そこでバグワンの弟子たちと出会い、導かれるようにインドへ行くことが描かれています。バグワンとはOsho(おしょう)のことです。
私がOshoのことを知ったのはタイに行ってからですが、まさにお勧めしている「神との対話」のようなことを言われる方だなぁと思いました。

阿部さんについては、なるほどと思うこともあれば、これはちょっと違うんじゃないのと感じることもあり、最近はあまり注目していませんでした。しかし、この小説を読むと、阿部さんもまた「神との対話」に書かれているようなことに気づかれ、そのように生きておられるのだなぁと感じました。

ちなみに、これまで紹介した阿部さんの本は、対談や講演録も含めて「一瞬で幸せになる方法」「降参のススメ」「招き猫カワヒラくんが教えてくれた幸運の流れに乗る生き方」「不死のしくみ」「99%の人が知らない死の秘密」などがあります。
また、Oshoの関連本としては、「Joy」「Courage」の2冊を紹介しています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
ただしこれは小説なので、あまりネタバレにならないよう引用したいと思います。あらすじは、冒頭にも書いたように、阿部さんことAが、天河神社に導かれ、インドに導かれ、悟りを得ていくという展開になっています。

しかし恐れから生じた制度が万民を幸福にすることはない。
 恐れの氣がお金に宿るからだ。
」(p.39)

このような世界を一変し、誰もが幸せに暮らせる道が一つだけある。
 それは人類規模で存在の真実に目覚めることだ。
 国や人種といった表面的な違いを見るのではなく、その奥に共有している同じ一つの命に目覚めるのだ。
 それがわかれば地上のあらゆる問題は解決する。
」(p.40)

これは私も賛同します。「神との対話」でも言うように、すべては「愛」か「不安(恐れ)」のどちらの動機によるものかで違ってくるのです。そして、真の地上の平和をもたらすには、みんなが覚醒するしかないと思います。


あなた方は全員、時間と空間という幻想の中で夢を見ている。
 実際には全体から分離した個別の命は存在せず、いつも全体としての命がいまここで新しい何かを表現しているだけだ。
 この全体への目覚めだけが人類を苦しみから解放し、恐怖が作った世界支配を終わらせるのだ。
 まずは日ノ本が目覚めなければならない。
」(p.58-59)

世界はユダヤによって支配されていると言われますが、それは恐れ(不安)を動機としたものです。その世界を変えるには、ユダヤと同じ根を持つ日本人が、愛を動機としてユダヤの支配を打ち破らなければならない。
たしかに、こういうことがあるのかもしれないなぁということは、これまで読んだ他の本にもあったので、私も薄々感じているところです。

我々の命を左右する核の問題も、環境問題も、それらを作り出した人たちには解決できないだろう。それを解決するのはいままでの価値観を超越した新しい人類だよ。まさにいま地球意識が発動して新しい人類を誕生させようとしている。」(p.84)

最近の若い人の中には、生まれながらに覚醒しているのではと思われる人が多くいます。意識レベルが格段に高く、選択の判断基準がぜんぜん違うのです。そういう人たちを見ると、地球全体で覚醒しようとしていると感じます。

いまや世界は覚醒した多くの人々を必要としている。
 幻想から真実に、怖れから愛に目覚めた人々だ。
 そこに最も近いのが日本のあなたたちだという自覚を持ちなさい。
 しかし同時にあなたたち日本人は、世界で最も常識や社会通念に縛られやすい性格を持っている。
 必要以上に他者の目を気にし、新しい生き方に踏み出す勇気を持てずにいるのだ。
 いまこそその殻を破って前に踏み出すときだ。
」(p.102)

たしかに、日本人の同調圧力には辟易するものがありますね。


時の政権を担っていた徳川幕府には優秀な人材がいなかったのか。彼ら以上に地方の下級武士のほうが優れていたのか。少し考えればナンセンスな話でも、繰り返し教えられればそうかと思ってしまう。
 歴史は勝った側が創作することを忘れてはいけない。薩摩や長州に幕府を転覆させるだけの資金と武力を提供したのは誰なのか。何のために。答えは簡単だ。明治維新とは日本を国際金融システムに組み入れるために仕組んだドラマだったのだから。
」(p.122)

言われてみればたしかにそううで、幕末にはなぜ、こんなに優秀な人々が雨後の筍とのように次々と出現したのだろう? と驚いた記憶があります。しかし、その背後に、ユダヤによる国際金融資本の陰謀があったとまでは考えませんでした。
これが本当かどうかは何とも言えません。もちろん、そういう策謀をした人もいたでしょうけど、人というのは、そう簡単に操られるものでもないからです。幕末の志士たちには彼らなりの思いがあったであろうし、実際に優秀な人も多かった。そして、語られないだけで、幕府側にも優秀な多くの人がいたのではないかと思っています。彼らの思いが実現しなかったとしても。


その世界は一人ずつの創作であり、同じものは二つとしてない。なのに人々は、みんなが同じ世界に住んでいると思っている。だから毎日のように関係に軋轢が生じるのだ。」(p.211)

この視点は、私もつい忘れそうになります。同じ世界に生きているようで、実はそれぞれにそれぞれの世界に生きている。そして自分の世界においては、自分が創造主なのです。

目覚めた時に人が知るのは、それまでの人生に起きたあらゆることは、何一つ無駄もなく偶然もないということだ。
 ありとあらゆることは、人類の目覚めのために起きている。
」(p.214)

これも私が常々自分に言い聞かせていることですね。すべてのことは必然であり、最善であり、完璧なのだ。このことを私は「神との対話」で学び、それを自分の中に落とし込もうとしています。


お前に求められていたのは自らの目覚めであり、宝刀の使い方などではない。世の中の目覚めを先導するために必要なものは、自らの目覚め以外にはないのだ。」(p.216)

世界の人々を覚醒させるために日本人という民族があると言われると、優越感を感じてしまいます。自分が意識レベルが高いと思うと、人々を先導する立場として選ばれたのだと感じて、誇らしく思うでしょう。しかしそれは選民思想につながる考え方であり、傲慢であり、道を誤るもとなのです。
他人のことは他人に任せておく。ただただ自分のことだけを考える。そして、自分が覚醒すれば、それが人類の覚醒につながるし、寄与することになるとわかっていればいいのだと思います。

誰かが全人類を支配しているなどというのは夢の中だからこそ描けることだ。なぜなら世界は一人一人の心の中にあるからだ。
 さらにはその一人一人が自分の利益のために生き、その念が複雑に絡み合って全体のバランスを作っている。一部の人間が秘密裏に世界を意のままにできるだと言うのは、被害者意識が作り出した妄想だ。
 自分が周囲をコントロールしようとしているから、世界全体をコントロールしている誰かがいると想像するのだ。世界は自分のマインドの投影にすぎない。
」(p.218)

外界は自分の心の投影であり、鏡です。そう言われているのに、ついつい忘れてしまうんですよね。
自分がコントロールしようとしているから、誰かからコントロールされると恐れるのです。そんな私たちの恐れ(不安)が投影されているのが、今の世界なのです。


確かに物語はその当人にとっては真実だが、それを他者にも共有させようとする。そして他者がその物語を共有した時、他者の中でそれが真実になるのさ。そうやっていつの時代もどんな国でも、宗教が共同幻想として存在してきたんだ」(p.238)

マインドというものは、足りないものやうまくいっていないことを見つける名人であり、それを解決するのも自分の役目だと信じているんだ。そうやってマインドは、自分がよりよい未来に進んでいる、進まなければという夢を見る。でも実際には何処(どこ)にも進んでいない。どこに進むというのか、ここしかないと言うのに。いまここで夢見るマインドが、いまここ以外の何かを目指して生きている姿は大昔から同じだ。」(p.239)

真実は「いま、ここ」しかない。現実に見えるものはすべて、マインドが描いた夢であり、幻想なのです。その幻想世界の中で私たちは、被害者になったり加害者になったり、あるいは愛し合ったりして、物語を生きているのです。


しかし人生にはあるべき姿も、行き着くゴールもありはしない。ということは何だっていいということだ。たとえ野垂れ死んだとしても、有終の美を飾ったとしても、同じ場所にいるのさ。そのことを見抜けば、人生に対する深刻さは消えるはずだよ。
 だって深刻さとは、あるべき姿を握りしめている態度だから。あるべき姿が消えれば気楽なもんだ
」(p.241)

何が起ころうと、どうなろうと、大したことではありません。だって、それは夢なのであり、幻想なのですから。そう喝破すれば、「大丈夫だ」と思えるようになる。右を選べば右の、左を選べば左の経験が待っているだけ。だから、間違った選択(決断)というものもないのです。


誰がバチを与えるんだい? 人の世界は一人一人の思考が作り出したものだから、もし誰かが自分の世界の中にバチを与える神を作れば、何か悪いことが起きた時、きっとその人はバチが当たったと思って神を恐れるだろう。
 すべては一人一人の創作であり、何かの価値観を共有すればそれが共同幻想になって宗教にまでなる。それだけのことだ。
」(p.244)

私も、神がバチを与えるという考え方には賛同しません。神しか存在しないというのに、いったい誰が誰にバチを与えると言うのでしょう? そして、何のために与えるのでしょう? 「神との対話」にもそういうことが書かれていますが、よくよく考えればナンセンスだとわかるでしょう。


それは、かんながらの道だ。我々にできるのは、その道を邪魔しないで、思し召すまま流れのままにお任せすることだ。だから今後の予定は、あると言えばあるし、ないと言えばない。」(p.250)

「かんながら」とは、「神の思し召しのまま」という意味なのでしょうね。無為自然という老荘思想にも通じます。あるがままを信頼し、受け入れ、起こるがままに起こらせる。だから不足もなければ不満もない。ただ起こりゆくことを見て、微笑んでいられるのです。


なるべくストーリーには触れないように、阿部さんの気付きに関する部分を引用してみました。
今回の本は、私も非常に共感します。お勧めしている「神との対話」シリーズに通じる部分が多々あり、阿部さんの気付きの深さが見て取れるからです。

もちろん、そんな偉そうなことが言えるほど、私が気づいているわけではありません。私はまだまだ頭で知っているというレベルです。
けれども、その頭で知っているように生きたいと思い、生きようとしています。だから、その思考が習慣化するように、何度も何度も繰り返しているのです。これもまた、「神との対話」で示されていた方法ですけどね。

ということで、覚醒することを願っている人にはお勧めの本だと思います。わかりやすいし、小説なのでサクサク読めますよ。

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2022年11月12日

図解 眠れなくなるほど面白い たんぱく質の話



これもYoutube動画でお勧めされていて、面白そうなので買ってみた本です。
著者は立命館大学スポーツ健康科学部教授の藤田聡(ふじた・さとし)氏です。130ページ足らずの薄い本で、サクサクと読めてしまいました。

内容はタイトルから想像できるように、たんぱく質の摂取を勧めるものになっています。
この前、脂質の摂取を勧める本を読んだばかりですが、それと比較すると、全体的にはカロリー栄養学に立脚していて、脂質の摂取に関する深い洞察がないように思いました。
しかし、たんぱく質の摂取そのものに関しては、いろいろと気づきも得られたので、読んで良かったなと思っています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

たんぱく質の主な働きは、私たちの体の組織をつくる材料になること。筋肉をはじめ、血管や内臓、皮膚や髪、爪など、体の大部分がたんぱく質でできており、その総重量は体重の約30〜40%にものぼります。特に筋肉においては、水分以外の約80%がたんぱく質によってつくられています。」(p.10)

このように、人体を構成する主要な要素がタンパク質であり、タンパク質はそれだけ重要な栄養分であることを示しています。

食事から取り込まれたたんぱく質は、体内で一旦アミノ酸へと分解されます。そして、全身の各部位で機能するたんぱく質として再合成されます。そのようにしてつくられるたんぱく質の数はなんと10万種類! さらに驚くことに、それらをつくっているのが、わずか20種類のアミノ酸です。」(p.10)

アミノ酸に分解されて消化吸収され、タンパク質に再合成されることは知っていましたが、その種類がいくつあるかは知りませんでした。
わずか20種類のアミノ酸を合成して、身体に必要な10万種類ものタンパク質を合成している。人体って、本当に素晴らしいなぁと思います。


きれいに痩せるためには「単に食べる量を減らせばいい」というわけではありません。なぜなら、これまで説明してきたとおり極端な食事制限では、筋肉が大幅に減ることで基礎代謝も減少し、リバウンドの危険性が高まるためです。理想はできるだけ筋肉量を落とさずに体脂肪を減らすこと。そのためには、朝・昼・夜に毎食十分なたんぱく質を摂ることが絶対条件です。」(p.18)

脂質や糖質は体内で消化吸収された後、余剰分は脂肪として溜められ、飢餓や病気、けがなど、いざというときのためのエネルギー源として蓄えられます。たんぱく質は一部脂肪にも変換されるものの、ほとんどがエネルギー消費されるか、余った分は尿中に排出されます。」(p.20)

吸収されたアミノ酸は、タンパク質の合成に使われます。身体の中では常に、筋肉の分解と合成が行われており、分解が優位になると筋肉量が減少するのです。
そこでタンパク質を食べることが必要なのですが、合成に使われない余分なアミノ酸の多くは排泄されるそうです。だから、血中アミノ酸濃度を保つためには、1食だけタンパク質量を増やすのではなく、均等に食べるのが良いと言われています。

しかし疑問なのですが、筋肉合成と分解の釣り合いが取れているとすれば、タンパク質を摂取しなくても、血中アミノ酸濃度は変化しないのではないでしょうか?
必要なものを尿として棄てるとも思えません。他でエネルギーが足りているなら、わざわざタンパク質(アミノ酸)をエネルギーに変える必要もありません。
もちろん実際には、空腹になればタンパク質(アミノ酸)から糖新生などでエネルギーになるでしょうし、バランスを取るために状態は刻々変化し、身体はそれに対応しているものと思います。でもそうであれば、3食同じくらいのタンパク質を摂取しなければならないという結論は、身体の恒常性能力を過小評価しているようにも思います。


たんぱく質は食欲を抑えるホルモンの分泌に関わっており、食後の満腹感を高めてくれるのです。」(p.20)

つまり「腹持ちがいい」ということですね。ダイエットには空腹感を抑えることが重要なのだということは、前に紹介した本にも書かれていました。


25ページには20種類のアミノ酸をすべて紹介した表があります。なかなか知る機会がなかったので、その一覧を抜粋したいと思います。

・必須アミノ酸:イソロイシン、ロイシン、リジン、メチオニン、フェニルアラニン、スレオニン、トリプトファン、バリン、ヒスチジン
・非必須アミノ酸:チロシン、システイン、アスパラギン酸、アスパラギン、セリン、グルタミン酸、グルタミン、プロリン、グリシン、アラニン、アルギニン


それぞれのアミノ酸には、それぞれの機能があります。前の本にも、グルタミン酸やグルタミンを摂取するのが良いとありましたが、グルタミン酸は脳や神経の働きを助け、疲労回復効果があるそうです。またグルタミン酸の1つだとされるグルタミンは、腸管のエネルギーとして利用されたり、アルコールの代謝を高めるとありますね。
アスパラギンやアスパラギン酸は、新陳代謝を高めたり疲労回復に効果があるそうです。アルギニンは血管を広げて血液の流れを良くするとか。
必須アミノ酸のロイシンやイソロイシンは、筋肉を強化して肝臓の働きを高める効果があるそうです。フェニルアラニンはドーパミンの、トリプトファンはセロトニンの、それぞれ材料になるとか。
いずれにせよ、アミノ酸単体で摂取するものではないので、タンパク質を食べるようにすれば、アミノ酸に分解されて、このように身体に役立っているということですね。

つまりスコアが100に近いほど、必須アミノ酸をバランスよく含む、質のよいたんぱく質であることを意味しています。
 肉や魚(貝類・甲殻類は除く)、卵など動物性たんぱく質の多くはスコア100を満たしています。
」(p.26)

良質なタンパク質かどうかを知る目安として、「アミノ酸スコア」と呼ばれるものがあります。これは、必須アミノ酸がどれくらい含まれているかを数値化したもの。体内で合成できないアミノ酸を必須アミノ酸と呼んで、これは食べ物から得るしかないのです。
肉や卵がスコア100なのは、ある意味で当然とも言えますね。植物性では、大豆もスコア100です。畑の肉と呼ばれる所以ですね。
驚くことに、白米もスコア93とかなりいい線をいっています。トマトが85、チンゲン菜が77というのも驚きです。そう考えると、ベジタリアンだから栄養が不足する、とも言い切れないのだとわかります。


DITにより消費されるエネルギー量は、1食の摂取エネルギーの約10%といわれます。その割合は栄養素ごとに異なりたんぱく質は摂取したエネルギーの約30%ものエネルギーがDITによって消費されます。糖質は約6%、脂質は約4%ですから、たんぱく質摂取後の消費エネルギーがずば抜けて大きいことがわかります。つまり、たんぱく質を摂った分だけ脂肪も燃焼しやすく、痩せやすいというわけです。
 またDITは筋肉が多いほど高くなることがわかっています。筋肉の量は基礎代謝量にも比例しますから、筋肉をつけるほど、ますますエネルギー代謝のよい体になれるのです。
」(p.32)

DITというのは、「食事誘発性熱産生」という言葉の英語の略です。つまり、食事を摂ったことで発熱することで、たんぱく質を食べるとすぐに熱として消費されやすいということですね。


平均睡眠時間が6時間の人は、7時間の人に比べて肥満になる確率が23%高く、さらに5時間の人は50%、4時間以下の人は73%も増加します。その理由は、睡眠不足はインスリン抵抗性を引き起こし、食後の血糖値コントロールがうまくいかなくなってしまうためです。
 また、睡眠不足や睡眠の質の低下によって運動量が減少し、エネルギー消費量が下がることも考えられます。
」(p.50)

睡眠時間と肥満にも、深い関係があるようです。ここには書かれていませんが、私は、起きている時間が長ければ、食べる機会が増えて摂取量が多くなることも関係するのではないかと思います。睡眠時間が長ければ、12時間断食や16時間断食も容易にできますからね。


1日のなかで最も食事の間隔があく夕食後から朝食前までの間は、新たなたんぱく質の供給が滞ってしまう分、筋肉の分解が進んでいくことになります。そのため、朝食では十分な量のたんぱく質を意識的に摂取し、分解から合成へとスイッチを切り替える必要があるわけです。」(p.72)

概算で1日約60gのタンパク質を摂取すべきだと言われますが、それは毎食20gずつ食べるべきだと言っています。多くの人の朝食は、私のように欠食する人もいるので、全般的に摂取量が少ないそうです。
なので藤田氏は、プロテインを使ってでも摂取量を上げるようにと言います。この辺は、考え方はいろいろあるなぁと思いました。

私は、基本的にはサプリなど、自然な食事以外から栄養を摂るということは最小限にすべきだと考えています。日常的に摂取するものではなく、緊急避難的であるべきだと。
そして、人類の長い歴史から考えると、朝食を食べないという時代が長かったと思うのです。狩りをして得た獲物は、その日のうちに食べてしまうでしょうから。
そうであれば、筋肉こそがタンパク質の貯蔵庫だと思います。糖質や脂質が脂肪として蓄えられるように、タンパク質は筋肉として蓄えられているのです。そうであれば、朝食を食べないことくらいは、大した問題ではない。それよりも、筋肉の合成を促すような運動をすることの方が重要ではないかと思っています。
現実に野生動物は、何日間も獲物にありつけないなんてこともザラにあります。それなのに、すぐに筋肉量が落ちて大変なことになるなんてことはありません。

筋トレ前にプロテインを摂取した場合と、筋トレ後に摂取した場合、それぞれの筋肉への効果を比較した実験では、明らかな違いは見られませんでした。」(p.86)

大事なのは「運動とたんぱく質摂取はセットで行う」。これを習慣づけることです。」(p.86)

食後30分ほどで血中アミノ酸濃度は上昇すると言われます。しかし、筋肉の合成においては、目立った差がない。ということは、やはり血中アミノ酸濃度を保つために3食十分なタンパク質を食べることは、それほど重要ではない、と言えるのではないでしょうかね。


つまり、アルコールを摂ったことでプロテインの効果が抑えられ、筋肉の合成率が30〜40%低下してしまったのです。筋肉にとってアルコールは「百害あって一利なし」とまではいいませんが、筋合成の妨げになるのは明白です。」(p.96)

タンパク質とアルコールを同時に摂取した場合と、タンパク質のみを摂取した場合とで、筋肉の合成率に大きな差があるとの研究結果があるそうです。酒飲みの私にとっては耳が痛い。


加齢によって筋肉量が減少するのは、歳をとるほど筋肉を合成する力が衰えてくるから。若者と同じ量のたんぱく質を摂っても、高齢者は同じように筋肉をつくることができなくなります。これをたんぱく質の「同化抵抗性」といいます。」(p.100)

これはインスリンの働きとも関係しているそうです。インスリンの量が減ったり、効果が十分に出なくなると、血管の拡張機能も働かなくなってきて筋肉にアミノ酸が届きにくくなるのだとか。
このことから、年寄ほどタンパク質を多く摂取すべきだと山田氏は言います。たしか中国では昔から、老人になったら肉を食べよと言われていました。このことにも意味があるのかもしれません。


腎機能の低下した人にはたんぱく質の摂取制限が行われますが、健康な人がたんぱく質を摂ることで腎臓が悪くなるというエビデンスもありません。」(p.106)

他で、タンパク質の摂り過ぎも健康によくないと聞いたことがありましたが、専門家の山田氏は、そんなことはないと否定します。
ただし、余分なアミノ酸が尿から排泄されるので、腎機能が低下していると、余計な負担をかけることになるとは言えるでしょうね。
もちろん、何ごとも摂り過ぎが良くないのは当然ですから、あまりに偏った食事というのは危険が伴います。決めつけて行うのではなく、自分の身体の声を聞きながら、少しずつ変えていくことが重要かと思います。


この本を読むと、やはりそれなりにタンパク質も摂らなければなぁと思います。しかし、1日に60gのタンパク質を摂ろうと思うと、肉だけだと約300g必要です。これはかなりな量です。でも、他の食材にも少しずつタンパク質は含まれているので、肉だけというような偏った食べ方をしなくてもいいのかなと思います。

私は、納豆と卵を毎日食べるようにしているので、それだけで約15gのタンパク質が摂れています。他に肉も多ければ150gくらい食べます。ご飯や野菜、ナッツ類も食べているので、60g近く行っているかと思っています。
今後は、もう少し炭水化物を減らして、肉や魚を増やそうかと考えています。脂質の多い肉や魚を選ぶつもりです。そうすることで、より脂質が多くて、タンパク質も十分な食生活をやってみようと思っているのです。
もちろん、自分の身体の声を聞きながら、いろいろ試してみようと思っています。

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タグ:藤田聡
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2022年11月11日

アメリカの名医が教える内臓脂肪が落ちる究極の食事



これもYoutube動画で紹介されていたのを観て、面白いと思ったので買った本です。
著者はマーク・ハイマン氏。医学博士です。翻訳は金森重樹(かなもり・しげき)氏。金森氏は、不動産関係の本を出されていたと思いますが、以前に読んだことがあります。また、「ハイパワー・マーケティング」という本の翻訳もされてましたね。幅広く活躍されておられるようです。

この本を読んで知ったのですが、金森氏自身が高脂質食ダイエットを行うことで、90kgの体重が2ヶ月で58kgにまで落ちたのだとか。それもあって、本書を翻訳されているようです。


Amazonのレビューを見ると、難しいという感想がけっこうありました。
たしかに本文の詳細部分はややこしいので、それほど必要でもないように思います。それに、本書の結論にあたる内容を、冒頭に金森氏が「まえがき」としてまとめています。この部分を読むだけで、本書の要点がよくわかるように思いました。

なので、引用のほとんどは、金森氏が書いた「まえがき」からのものになります。それでもけっこうな量になりますが。
これまでの常識をくつがえすものですが、何事も理論と実践が重要だと思います。自分でやってみて、確かめてみることですね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

高脂質食を摂ることでおなか周りに余計に脂肪がつくのではないかと考えられている方もいると思いますが、全くの誤解です。
 おなか周りの脂肪は、脂肪の合成促進・分解抑制の働きを持つホルモンの一種、インスリンによって摂取されたエネルギーが体内に脂肪として蓄積されるのが原因です。
」(p.1)

血糖値依存性のインスリン反応は全体の23%にすぎません。
 インスリンが出るのは、糖質摂取時だけではなく、タンパク質を摂ってもインスリンは出ます。
」(p.2)

インスリンによって脂肪が溜め込まれるのですが、インスリンの分泌は、血糖値の上昇によってのみ引き起こされるわけではないのですね。
最も出やすいのは、糖質とタンパク質の組み合わせだそうですが、脂肪だけ食べてもインスリンは出るようです。要は、エネルギーが過剰になると、身体はそれを脂肪として溜め込もうとするのです。


慢性炎症はインスリン抵抗性を通じて肥満に直結しますので、炎症対策はダイエットの最も重要なポイントのひとつです。」(p.3)

肉、卵、チーズを中心に摂取する「MEC」という食事法があるそうですが、チーズに含まれる乳化剤が肥満と炎症性腸疾患に影響を与えるため、痩せない人が出てくるのだとか。タンパク質も摂りすぎると太ると金森氏は言います。


インスリン分泌の組み合わせの中で最もインスリンが出にくいのは純粋な脂質を摂取した場合で、これが高脂質食でおなか周りの脂肪が溜まりにくい理由のひとつです。」(p.3)

インスリンを出しにくい食事は高脂質食。身体が脂肪を溜め込みにくい食事なのですね。


本書では「あなたが太るのは、食べる量が増えて運動不足になるからではなく、太っているために食べる量が増えて運動不足になるから」つまり、脂肪細胞が「空腹感をもたらし」、過食することになる因果の流れについて説明されています。」(p.5-6)

食べるから太ると言うより、太っているから食べたくなる。これについては、前に紹介した本でも、そのようなことが書かれていました。


人類が農業をはじめる前、つまり旧石器時代の人間は、米や小麦などの穀物を食べていなかった。つまり糖をとらない肉中心の食生活でした。そのため、当時の人類は虫歯や歯周病に一切かかることなく、親知らずも死ぬまで残っていたそうです。また男女共にBMIも適正なレベルに収まっていました。
 この傾向はイヌイットにも見てとれます。アザラシやカリブー(トナカイの一種)の肉や、アザラシの脂で漬けた鮭、落花生しか食べてない先住民族イヌイットも、歯医者要らずで知られています。
」(p.11)

糖質を摂取しなければ、虫歯や歯周病とは無縁なのです。万病の元とも言われる歯周病にならないのであれば、健康でいられる確率が高まりますね。

糖によって「奇形」が全世界にもたらされ、この食生活の変化によって人類の身体が退化した。
 これは「糖の恐怖」といっても過言ではないはずです。
 糖質をとることによって、肥満だけでなく数々の身体の疾患に繋がってくるのは先に述べたとおりです。
」(p.13)

金森氏は、歯科医院で論文を見て、旧石器時代の食事(狩猟採集民のような糖質制限)を体験することになったと言われています。

現在、オンラインサロンでは多くの方が断糖高脂質食を実践しており、一番減量された方で、男性は1年4ヵ月でマイナス74.4kg、女性は1年2ヵ月でマイナス50kgです。さらに、肌荒れが治りハリがでてきた、爪が強くなった、過食嘔吐しなくなった、疲れにくくなった、イライラしなくなった等の効果に加えて身体や心の改善も毎日、続々と報告があります。」(p.15)

金森氏のオンラインサロンでは、断糖高脂質食を実践する仲間の情報交換をやっているようです。

オンラインサロンをはじめたことで、当初は知識がなかった「質的栄養失調」の状態を知ることになりました。
 これは、「栄養不足で脂質をエネルギーに上手に換えられない」という状態です。
」(p.16)

ビタミンやミネラルの不足から質的栄養失調が生じているようです。品種改良や化学肥料などによる野菜の栄養不足が深刻なのだそうで、通常の食事ではビタミンやミネラルを十分に摂れないのだとか。

問題はいままでカロリー制限ダイエットをしてしまっていたり、断食をしてしまっていたりしたことで体内で必要な補酵素、補因子が枯渇してしまって、脂肪を取り込んでエネルギーに換える、ヒトの細胞内のミトコンドリアが活性化できていないことだったのです。」(p.16-17)

これが質的栄養失調状態で起こっていることだそうです。金森氏は、ビタミンB群、鉄、Mg、ビタミンCなどのサプリを摂ることで、この状態を脱することができると言われます。

タンパク質が充実してはじめて、サプリメントなどの効果が発揮されて質的栄養失調も解消に向かうからです。」(p.19)

体質改善のために、最初は断糖高タンパク質にする方法があるようです。いきなり断糖高脂質食にして上手くいかない時、サプリを摂取しても上手くいかない時、その期間を経て断糖高脂質食へ移行するという方法です。

野菜を食べる胃袋のスペースがあるなら、肉をおなかに詰め込んだほうがよほどビタミンやミネラルは摂取できます。ですから、僕は野菜の摂取は推奨していませんし、僕自身、野菜は基本的には摂取しません」(p.16)

ある意味で非常に偏った食事ですが、金森氏はこれで問題がないと考えておられるようです。


オメガバランスを整えるためには、ふたつのやり方があると思います。
 穀物牛に多いオメガ6に拮抗するだけのオメガ3の魚油をサプリメントで摂取する方法。
 もうひとつは、たとえば鯖缶中心生活のようにそもそもオメガ3を中心に含む食事に切り替えて肉類を食べないようにする方法です。
」(p.20)

オメガバランスというのは、前に紹介した本でもあったように、オメガ3に比べてオメガ6の摂取が多過ぎるので、バランスを取ろうということですね。

このように、旧石器時代食を実践しておられる金森氏は、自身やオンライサロンに集まる人々の体験からも、本書の内容が素晴らしいと推薦しておられるのです。


では、ここからは本文からの引用となります。

太り過ぎると、ホルモンと脳内化学物質によって空腹感と疲労感が生じるのだ。
 これは、体重増加の原因についての考え方を根底から覆し、減量のために推奨されていることを何もかも否定している。ルートヴィヒ博士は、カロリーと量のことばかり考えず、体が本来の能力を発揮して空腹感・活動・代謝・体重を調節できるように、食事の質と構成(タンパク質、脂質、炭水化物の量と種類)を重視することをすすめている。意志の力に頼るのではなく、科学を用いて空腹感をなくし、エネルギーを高め、代謝をスピードアップさせよう!
」(p.64-65)

食べ過ぎるから太るのではなく、太るから空腹を感じて食べすぎてしまう。その空腹を意志力で克服しようとするのではなく、つまり単純なカロリー制限をするのではなく、食事の質、構成を変えることが重要だと言うのですね。

炭水化物を多く摂ると血糖値が急上昇し、インスリンが大量に分泌され、それによって急激に血糖値が下がります。これが「血糖値スパイク」と呼ばれるもの。こういう乱高下が身体に悪影響を与えるとともに、急低下した血糖値によって、今度は空腹感が増すのです。だから、炭水化物の摂り過ぎや、炭水化物ばかり多く摂取することが問題になるのです。


科学者も含めて多くの人が混同しているのは、私たちが食べる飽和脂肪酸が血中の飽和脂肪酸になると考えていることだが、直感とは正反対の衝撃的な事実がある。それは、食事で摂る飽和脂肪酸は血中飽和脂肪酸値を上げないということだ。肝臓が血中飽和脂肪酸を生成する原因となるのは、炭水化物と糖質(と過剰なタンパク質)である。」(p.92)

血中の飽和脂肪酸値が高くなると、心臓病のリスクが高くなると言われているようです。しかし、コレステロールの摂取制限が撤廃されたように、食べたものがそのまま血中に流れるわけではないのですね。


結論から言うと、一価不飽和脂肪酸は健康に良い。ギリシャ人やイタリア人のように、オリーブオイルやナッツをたくさん摂る人々の心疾患率は、世界で最も低い。」(p.95)

地中海食と呼ばれるそうですが、オリーブオイルを使い、魚介類と野菜を中心にした料理を食べている人たちは、健康で長生きをするのだそうです。
そのオリーブオイルやアボカド、ラードや牛脂やナッツ類には、一価不飽和脂肪酸が多く含まれているそうです。


この研究により、飽和脂肪酸−−その大部分はココナッツオイルのMCT、つまり中鎖脂肪酸トリグリセリド−−は、アルコール摂取を続けていても、肝臓のダメージ回復に効果があることが判明した。」(p.129)

炭水化物が多過ぎるとか食物繊維が少な過ぎる場合は、飽和脂肪酸が炎症を進行させることがあるようです。逆に飽和脂肪酸を摂取することで、肝臓のダメージ回復に役立つという研究結果もあるのですね。

本項の要点は、飽和脂肪酸を炭水化物が少なく食物繊維が多い、オメガ3脂肪酸の豊富な食べ物と一緒に摂ると、炎症を抑制する。そして炎症を抑えることが、減量と健康増進のカギであるということだ。」(p.129)

他の書籍ですが、オリーブオイルも身体に良いものではないと書かれているそうです。しかし、オメガ3脂肪酸は良いものだとされていました。
オメガ3脂肪酸に対する評価は、これまで悪いものを聞いたことがありません。オメガ6とのバランス上、多く摂取することが健康に寄与すると言えそうです。

なお、本書では、MCTオイルで推奨できるのはココナッツオイルだけで、パーム核油はダメだと言っていました。私が買ったのはパーム核油のMCTです。そこは残念でしたが、買ったものは仕方がないので、使い切りたいと思います。


北米ロッキー山脈東部の大平原で遊牧を行っていたネイティブアメリカンは、バッファローを主食にしていて、100歳以上の人の割合が最も高かったが、セブンスデー・アドベンチストの信者はベジタリアンでありながら、世界で最も寿命が長い人々だ。どうなっているのだろう? 肉と野菜、どちらがいいのだろうか? もしかすると、質問の仕方が間違っているのかもしれない。

 考えられる答えは、私たちが気にかけるべきは肉食か菜食かではなく、肉食の人の典型的な食事や炎症を起こしやすい加工食品に含まれる、糖と精製炭水化物だということである。
」(p.170-171)

研究者たちは、健康意識の高い肉食の人とベジタリアンの双方とも、欧米風の加工食品を食べる平均的な人に比べると総死亡率が半減することを発見した。」(p.175)

肉食にも菜食にも健康長寿の人が多くいるなら、重要なのは別の視点だということですね。本書では、健康を害する原因は糖と精製炭水化物にあると指摘します。
一見するとベジタリアンの方が健康そうに見えますが、それは健康意識が高い人が多いからだと言います。だからベジタリアンでなくても、肉食でも、健康意識が高い人であれば、逆の低い人と比べれば健康で長寿なのです。


ココナッツオイルの飽和脂肪酸である、中鎖脂肪酸トリグリセリド(MCT)は、実際に総コレステロールとHDLコレステロールの比率を下げ、体重を減らし、さらには肥満による脂肪肝を治すこともできる。MCTはユニークな飽和脂肪酸で、抗酸化作用と抗菌性があり、免疫系強化の役に立つ。MCTは体内で容易にエネルギーに変換される。したがって、MCTオイルはエネルギーとして使われてしまい、脂肪として蓄えられるMCTオイルはほとんど存在しない。このようにしてMCTは内臓脂肪を燃焼させ、体重を減少させるのである。」(p.201)

MCTがエネルギーに変換されやすく溜まりにくいことはわかるのですが、内臓脂肪を燃焼させることとどう関係するのか、この説明ではまったくわかりませんね。
ただこの後にある研究の結果が書かれていますが、それによれば、MCTを摂取した人の方が体脂肪が多く減ったとあります。

MCTオイルがエネルギー消費と脂質の酸化、つまり燃焼を上昇させた−−言い換えると、代謝が速くなったのである。またMCT食の人は、オリーブオイル食を食べた人に比べて、それほど空腹を感じなかった。」(p.202)

というわけで、MCTオイルには、代謝を加速し、カロリー消費を増やして内臓脂肪蓄積を減らし、さらに食欲を抑える効果がある。」(p.203)

研究の結果からは、MCTオイルを摂取すると空腹を抑えられ、脂肪の代謝が高まるということです。男性では1日あたり460kcalを余分に消費させる効果があるという研究結果も紹介されていました。

でも、今のところ私は、そこまでの実感はありません。ココナッツオイル由来のMCTではなく、パーム核油だからでしょうか。パーム核油について本書では、わずかに飽和脂肪酸が多いとだけ説明されていて、精製パームオイルと同様に粗悪で加工品に多く使用されていて避けるべきだとありました。


あなたの脳の60%は脂質で、その大半はオメガ3脂肪酸とコレステロールでできている。あなたが低脂質の食事をとると、脳を飢えさせていることになる。
 脂質は脳に不可欠だ。食事の脂質不足は、神経変性疾患、うつ病や自殺や攻撃行動などの精神障害、注意欠陥障害(ADD)や自閉症、脳卒中、さらにトラウマと関係があるとされている。
 その一方で、食事をオメガ3などの良質の脂質で補うと、これらすべての条件の改善に結びつく。
」(p.226)

要するに脂質は脳に良いとのことです。特にオメガ3などですね。


最高の医師はあなた自身の体だ。その声に耳を澄まそう。よく注意しよう。何で体調が良くなるのか、あるいは悪くなるのか? 効き目のある薬を見つけよう。何度もお話ししたように、食べ物は薬であって、ただのカロリーではない。それにはあなたの遺伝子・代謝作用・免疫システム・腸内細菌を調節する情報や命令が含まれているのだ。」(p.248)

結論として、私もこれに同意します。どんなに良いことが書かれているとしても、それを実践し、自分の身体に合うかどうかを確認する必要があると思います。鵜呑みは危険ですから。


以前に読んだ「やせたければ脂肪をたくさんとりなさい」と同様に、本書は脂質を多く摂ることを勧めるものです。私も原始食という考え方に賛同するので、高糖質・炭水化物食は避けようと思い、そうしてきました。
そこでタンパク質を多くということをまず考えたのですが、タンパク質は糖質に転換されるし、またインスリンの分泌を促すことがわかってきました。筋トレで筋肉量を増やそうとしているならタンパク質が大事ですが、そこまでの筋トレもしていません。そうであれば、タンパク質の摂り過ぎによる弊害もあるのかなと思っています。

ということで、私も高脂質食に転換していこうと考えています。備蓄している炭水化物(カップ麺など)がなくなったら、ですが。そして、私の場合はやはり、無理に炭水化物をゼロにしようとは思いません。基本的には食べませんが、出されたものは食べる。ゆるやかな高脂質食にして、自分の身体の声を聞こうと思います。

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