2023年12月27日

心屋仁之助

心屋仁之助(こころや・じんのすけ)さんのことを知ったのは、友人から勧められたのがきっかけだったかと思います。それなら本を読んでみようと思って読むと、実に素晴らしいことが書かれている。それで気に入って、それ以降はよく買って読むようになりました。

心屋さんは、元々は佐川急便のドライバーをされていたとか。ただ、その生活に満足されず、心理カウンセラーになろうという思いもあってか、いろいろ研鑽を積まれて、独自の手法によるカウンセリングを確立されました。後にTVにも出演されるようになり、心屋さんが何かを指摘したり、尋ねたりすることで、相手の方が感極まったり、泣いたりするというような現象が起こり、話題になったそうです。

そのころ私はタイにいて、日本のTVはほとんど見ていなかったので、そういうことは全然知らなかったのです。
一般的には、心理学を駆使したカウンセリングと受け止められているようですが、私は、多分にスピリチュアル的な要素が加わっているように感じました。まぁ、潜在意識とかを突き詰めていけば、スピリチュアルと混ざってきますから、そういうこともあるのかもしれませんけどね。

その後、武道館でライブをされるというので、一時帰国した時に行ったことがあります。遠くからですが、ぜひ一度お会いしたいと思ったからです。その頃は、すでに音楽活動に目覚めて、音楽でやりたいことをやろうとされていましたね。今はこれまでの「心屋」というブランドを卒業し、Jinまたは佐伯仁志(さえき・ひとし)という本名で、活動されているようです。


◆心屋仁之助さんの本(翻訳、対談を含む)
「望んでいるものが手に入らない本当の理由」
「あなたは「このため」に生まれてきた!」
「ダメなあいつを、なんとかしたい!」
「「非常識」でコミュニケーションはラクになる」
「幸せなお金持ちになる本」
(雑誌「ゆほびか」)
「一生お金に困らない生き方」
「「好きなこと」だけして生きていく。」
「それもすべて、神さまのはからい。」
「ずるい生き方」


 

最近は、X(旧Twitter)で発信されている情報を読んでいます。「Jin 佐伯仁志」というアカウントですね。相変わらず素晴らしい言葉を発しておられるので、私もよくリポストさせていただいています。

もう心屋としての活動はされないとのことですが、これからまたどう気が変わるかはわかりません。方法は違うとしても、これからも人々が幸せなる生き方に関するメッセージを発していかれることでしょう。ご活躍をお祈りしています。


※参考:「損を引き受ける覚悟」「不安は不安のままでいい」「自殺は悪いことですか?」「神は怒らない」「心屋仁之助さんのブログについて」
 
タグ:心屋仁之助
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2023年12月01日

ミルトン・フリードマンの日本経済論

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おそらくX(旧Twitter)で経済理論の大家として名前の上がるフリードマンの理論を知って感動し、じっくり本を読んでみたいと思って、ネットで探して買った本になります。
著者は柿埜真吾(かきの・しんご)氏で、立教大学で講師を勤めておられたこともある研究者で著作家の方のようです。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

ミルトン・フリードマン(Milton Friedman 1912-2006)は、20世紀を代表する経済学者である。フリードマンは自由市場経済の重要性を説いた経済思想家でもあり、英国のサッチャー政権や米国のレーガン政権の経済改革に大きな影響を与えたことで知られている。」(p.3)

経済学者としてはケインズが有名ですが、フリードマンも第2位に選ばれるほど有名なのだそうです。

日本ではしばしばフリードマンの思想を嫌うあまり、その業績を認めない風潮さえある。フリードマンに市場原理主義者、弱者切り捨てといったレッテルを張ったセンセーショナルな書籍は巷に溢れているが、田中秀臣[2006、2008]の優れた研究が指摘するように、その多くは事実誤認が少なくなく、信頼できないものばかりである。フリードマンが実際に何を言っていたのかは日本ではほとんど知られていないのが現状である。日本とは縁遠い米国の過去の経済学者だ、というのが一般的なイメージだろう。」(p.6)

このように、フリードマンは日本ではあまり評価されていないようですね。


当時、多くの人々は、住宅不足は人口に比べ住宅の数が少なすぎるためで、家賃統制とは無関係だと信じていたが、フリードマンたちは、家賃統制がなかった1906年のサンフランシスコ地震の際には、住宅がはるかに少なかったにもかかわらず、貧しい人々も住宅を手に入れることができたことを指摘し、住宅不足の真の原因は家賃統制だと主張した。家賃統制で家賃が低い水準に人為的に抑え込まれると、家主にとって家を貸すのは不利になるので、借家の供給は減少するが、家賃の低下で借家需要はむしろ増加し、住宅不足が深刻になる。
 住宅不足の下では、家主は好みの借家人を選別できるため、マイノリティーの借家人や貧困層は偏見や差別の犠牲になりやすい。家賃統制は家賃を抑え、貧しい人々の生活を助けることを意図しているが、実際は住宅不足をもたらし、貧しい人々の住宅を奪ってしまう。
」(p.27)

1946年にミネソタ大学に赴任したフリードマンは、家賃統制が住宅不足を引き起こしていると主張し、大論争を巻き起こしたそうです。
しかし、言っていることは至極まともですね。需要供給曲線からしても妥当です。そして、これがまさに統制経済のまずいところです。一部エリートの思惑通りには経済は動かないのです。


今話題のベーシックインカム(政府が必要最低限の所得額を国民に給付する制度)も、じつはかつてフリードマンが提唱した画期的な貧困対策、負の所得税を発展させたものである。従来の生活保護制度は、受給者が働くと、その分給付額が減らされてしまうため、受給者の就労を妨げてしまう欠点がある。いったん生活保護受給者になると、その状態から抜け出すのは困難になりがちである(この現象を貧困の罠と呼ぶ)。」(p.41-42)

負の所得税は、通常の所得税制度と一体で運用されるため、生活保護者に対する差別や屈辱感等の問題も起きにくく、受給者の尊厳を守ることができる。」(p.42)

アメリカやイギリスなどでは、給付付き税額控除として運用されているもので、控除しきれない分は給付されるというものです。私も、現行の生活保護制度には大きな問題があると思っていて、ベーシック・インカムによるセーフティネットの構築が必要だと考えています。


ハイパーインフレやデフレを収束させるには一過性の政策ではなく、人々の予想を転換させる政策レジームの転換が必要であることが指摘されてきた。1998年から15年も続いた日本のデフレは現在ほぼ終息したが、これは安達[2014]等が指摘するように、2013年以降の2%インフレ目標採用と大胆な金融緩和という政策レジームの登場でデフレ予想が払拭されたことによる部分が大きいといえるだろう。」(p.60-61)

フリードマンは試行錯誤を続けたが、最も有名なのはk%ルールである。k%ルールとは、貨幣量を毎年一定のスピード(k%)で増やし続けるルールである。フリードマンは、中央銀行がその時々の経済状況に合わせて裁量的政策を実施するよりも貨幣量をつねに一定のスピードで増やすほうが結果的には経済を安定させる、と議論した。」(p.62)

ニュージーランドをはじめ、1990年代以降のインフレ目標採用国の経験は、インフレ目標政策がインフレ予想を安定させ、効果的に機能することを示した以上、晩年のフリードマンがインフレ目標政策に好意的だったのは何ら驚くに値しない。」(p.66)

フリードマンは、貨幣量が一定率で増え続けることで穏やかなインフレと経済成長が達成できると考えていたようで、アベノミクスはまさにそのフリードマンの理論に従ったものになっていたようです。


ステレオタイプな日本像とは対象的に、フリードマンは、早くも1960年代に日本経済の成功を自由市場経済と結びつけていた。フリードマンは、雇用をはじめとする日本の制度の特殊性を認めながらも、「日本人は、これらの制度の枠内で、経済的諸力を活用させる方法を実に器用に見出している」と指摘した。具体的には「終身雇用とは別に臨時雇用を採用」しており、「臨時雇用は解雇や整理の対象となる」ことや「大企業はより柔軟性を得るために大量の下請け企業を抱えている」ことを挙げている。」(p.81)

フリードマンによると、日本は統制経済の有効性を示す実例どころか「自由な社会こそが発揮できるいくつかの素晴らしい利点を、経済の面においても政治の面においても示している非常によい実例」である。フリードマンが証拠として挙げたのは、日本の経済成長が自由市場、自由貿易の時代に加速し、身分社会だった江戸時代や、太平洋戦争時の戦時統制経済の時代には停滞したという事実である。
 明治時代の日本は「自由貿易の効果を証明する顕著な実例」であり、戦後の経済成長も自由市場の成功を物語っている。フリードマンは、日本を文化や制度は違っても、欧米と同じ自由市場経済だと見なしていた。
」(p.82)

日本の経済は特殊であり、その特殊性のゆえに驚異的な発展ができたという見方が一般的でした。だから一時は日本に見習えとさえ言われました。しかし、その後、日本経済が失墜すると、手のひらを返したようにそれが日本経済の特殊性によるものだとされたのです。
フリードマンは、一見すると特殊に見える日本経済も本質的には自由市場経済だと見抜いていたのですね。


不幸にして、フリードマンの懸念は、またしても的中した。やがて明らかになるように、バブル経済の崩壊は長い日本経済停滞の序曲にすぎなかったのである。フリードマンの期待に反し、日銀は、不況の深刻化にもかかわらず、大胆なハイパワード・マネー拡大に踏み切ることはなかった。1991-1999年のハイパワード・マネーの成長率は5.2%にすぎず、1980-1990年の平均7.9%を大きく下回っている。」(p.132)

バブル崩壊後の日銀の金融政策が間違っていると、当時、フリードマンは指摘していたのですね。

日本経済復活のために真っ先に必要な改革の一つはデフレを終わらせることである。
「健全な回復への最も確実な道は、貨幣量の成長率を高めることである。緊縮的金融政策から金融緩和に転換し、貨幣量の成長率を(バブル期のように)再びやり過ぎにならないように気をつけながら1980年代の黄金時代に近づけるのである。そうすれば、喫緊の金融・経済改革も達成しやすくなるだろう」
 その後の日本経済の回復は、フリードマンの診断の正しさを明らかにするものである。2000年代半ばの景気回復で、かつて存続の見込みがないとされた「ゾンビ企業」の多くは復活している。結局、不良債権の多くはデフレによって発生したものだったのである。
」(p.150-151)

失われた20年とも30年とも言われるバブル崩壊後の日本経済ですが、アベノミクスからようやくデフレ脱却に舵を切り、経済が回復してきました。この一連の経済変化に関係する金融政策は、フリードマンの予想通りだったと言えるようです。


1993年時点でフリードマンが貨幣量の減少から戦後最悪の不況を予想したことについては、すでに述べた通りである。また、卸売物価指数やGDPデフレーターで見れば、1995年以前から物価はすでに下落していた。岩田[1995]は「卸売物価については92年から95年前半にかけて持続的に低下しており、日本経済はデフレ状態」と指摘し、デフレスパイラルに陥る危険性を警告していた。岩田[2019]が指摘するように、日銀が彼らの声に耳を傾けていれば、デフレを阻止する強力な金融政策を実施することは十分可能だったはずである。」(p.158)

日銀の金融政策は公定歩合を見る限り一見大胆だが、実際は、貨幣量の成長率で判断すれば「小さすぎ、遅すぎた」のである。」(p.160-161)

失われた20年の日本の金融政策は、歴史に学ぶことなく、大恐慌下のFRBや1970年代のスタグフレーションを引き起こしたオールド・ケインジアンの金融政策と同じ過ちを繰り返したと言わざるをえないだろう。」(p.163)

健全な回復への最も確実な道は、貨幣量の成長率を高めることである。……日銀を擁護する人々はきっとこう言うに違いない。『どうやって貨幣を増やすのですか? 日銀は政策金利を0.5%に既に引き下げています。貨幣を増やすためにこれ以上何ができるのですか?』、と。答えは全く簡単である。日銀は公開市場で国債を買い、現金あるいは日銀当座預金、つまり経済学者がハイパワード・マネーと呼ぶものを支払うことができる。……日銀が望みさえすれば、貨幣供給を増やす能力に限界はない」(p.165)

デフレからの脱却のためには貨幣量を増やすことであり、貨幣量を定率で増やし続けることなのですね。


2000年8月には、速水総裁は政府の反対にもかかわらず、ゼロ金利解除を強行した。中原審議委員はゼロ金利解除に反対したが、孤立無援だった。当時のメディアは、政府の日銀批判は日銀の独立性への侵害であるとする政府批判一色で、日銀の決定自体の妥当性はほとんど問題にされなかった。まだデフレが続いていた当時、日銀の決定の無謀さは明らかだった。実際、その後デフレ不況は深刻化したが、政府に反対してまで強行した政策の失敗の責任を取った者は誰一人いなかった。
 フリードマンは、中央銀行が政策目標を政府から独立に決め、外部の批判を受け付けない体制は非民主的で、経済的にも失敗をもたらしがちだと主張してきた。1990年代から2000年代の日銀の迷走はフリードマンの主張を裏書きしているように思われる。
」(p.176)

政策責任を誰がどう取るのか。もちろん選ばれる人は、それなりの責任感を持って職務を遂行されるのでしょう。しかし、結果責任をどうするのかについては、考えてみる必要がありますね。日本は民主主義国家ですから。


ジャパン・バッシングに反対したフリードマンならば、チャイナ・バッシングにもやはり反対しただろう。中国政府が国営企業の優遇措置や他国の疑念を招くような産業政策を放棄することは世界にとってだけでなく、中国の経済発展にとっても望ましいことだが、それは中国自身の問題である。トランプ大統領が米国を第一に考えるのであれば、消費者の利益を損ない、米国経済の効率を損なう保護主義政策は直ちに中止すべき政策だろう。
 たしかに中国には人権問題や領土問題等の深刻な問題がある。だが、それは関税のような大雑把な手段ではなく、人権侵害やスパイ活動に関わる特定の危険人物への制裁、外交交渉、防衛力強化等の直接的手段で解決すべきである。貿易の利益を損ない、対立を煽るチャイナ・バッシングはかつてのジャパン・バッシング同様、双方に百害あって一利なしである。
」(p.214-215)

たとえば、改正子供・子育て支援法により2019年10月から、0-2歳児は住民税非課税世帯、3-5歳児は原則すべての家庭を対象に保育料が無料になったが、鈴木[2019]の提案するように無償化の際には、フリードマンの提唱した教育バウチャーの仕組みを活用することが望ましいだろう。無償化財源を保育施設に渡せば、経費の膨張や利用者を軽視した経営につながりやすい。利用者に保育施設を利用できる保育バウチャーを配り、施設側には保育バウチャーを通じて公費が渡る仕組みにすれば、認可外保育所と認可保育所の競争を促し、サービスの質向上や効率化が期待できる。」(p.217-218)

私も、自由市場経済こそが最適解だと思っています。保護主義がいかに世界を不幸にするか、第二次大戦で懲りているはずではありませんか。また、政府が事業に関与する補助金政策は、要は社会主義経済であり統制経済なのです。非効率であり、コストが嵩み、利権の温床になる。私も、バウチャーでも現金でもポイントでもいいから利用者(国民)にバラまいて、自由に使わせれば良いと思っています。
保育士不足の問題や待機児童の問題も、要は事業が成り立っていないからです。最初に引用した住居の賃貸価格の統制と同じです。またこれは、保育だけでなく介護も同じです。政府が事業をやれば、ろくなことにはならないのです。


本書を読んで、私の考え方はフリードマンの考え方に近いなぁと思いました。もっと規制を緩和して、自由度を高めればいいのです。
ただそうすると、能力のある人は儲かるけど、ない人は貧乏になり、貧富の格差が大きくなるという問題があります。それに対処することが政府の役割だと思っています。つまり、所得再分配です。
そこには、複雑なことをやる必要はなく、単に所得の多い人から一部を分けてもらい、それを所得の低い人に流していく。それだけでいいのです。
それを簡単にできるのがベーシック・インカム制度です。このセーフティネットによって、働けなくても人としての尊厳と生活が保たれます。最低限の生活が補償されるなら、あとはそれぞれの自由でいいし、自由であるべきだと思うのです。


 
タグ:柿埜真吾
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2023年11月16日

今日、誰のために生きる?

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Youtubeでたまたま動画を観て、そこに著者のSHOGEN(ショーゲン)さんと、ひすいこたろうさんが出演されていました。ショーゲンさんがアフリカのブンジュ村で聞いたり体験した話が興味深く、出版されたら読んでみようと思って予約してこの本を買いました。

非常に話題性があったためか、発売当初は品薄で、プレミアム価格で売る転売業者も多数ありました。私も最初は転売ヤーから買おうとしたのですが、入荷の予定がないままの見込み販売だったようでキャンセルし、沈静化してから通常価格で買いました。

ショーゲンさんの話は、Youtubeの動画を何本か観て、だいたいわかっていました。
100年以上前にブンジュ村のシャーマンが、縄文時代の日本人の魂から生き方を学び、それをブンジュ村に広めて、今はその生き方が村全体に定着していた。そこにショーゲンさんがやってきたが、最初は伝え聞いていた日本人のイメージとまったく異なるため、本当に日本人かと疑われる始末。しかし、本来の日本人らしさを日本人が取り戻すことが世界の希望だとわかっていたので、ショーゲンさんにそのメッセージを広めてもらおうとした。

このメッセージが本書にも書かれていました。
ただ1つ、動画にあったあるメッセージには触れられていませんでした。それは、2025年7月の話です。
動画では、2025年7月に何かが起こるというより、それ以降に世界が変化していくという話でした。津波とか大災厄の話はありません。
そのメッセージを本書でどう語っているのかが気になったのですが、まったく触れられていませんでした。つまり著者のお二人は、読者を不安がらせたり恐れさせるようなことはしない、という考え方なのでしょう。
不安を煽るのは偽物のスピリチュアルだと思いますから、少なくともお二人は、偽物のスピリチュアルとは一線を画しておられるのでしょう。書かれてなくて正解だと思いました。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

効率よく考えるのであれば、生まれてすぐ死ねばいい。
 人はいかに無駄な時間を楽しむのかっていうテーマで生きてるんだよ。
 お前の心のゆとりはどこにあるんだ?
 お前の幸せはいったいどこに行ったんだ?
」(p.7)

ブンジュ村の友だちで3歳のザイちゃんがお父さんに「流れ星をつかまえに行きたい」と言った時、お父さんは当たり前のように一緒に行って、1時間半くらい探して帰ってきたそうです。さらに翌日もまた行くと言うのでやめさせようとすると、お父さんはショーゲンさんに、「お前は流れ星をつかまえに行ったことがあるのか?」と問うたそうです。行ったこともないのに最初からできるはずがないと決めつけ、無駄なことをしようとしない。そういうショーゲンさんの態度を見て、お父さんはゆとりがないと指摘したのです。

たしかに、私たちは何のために生きているのでしょう? タイ語では、人生はしょせん「ギン、キー、ピー、ノーン(食って、糞して、やって、寝るだけ)」だと言います。それにいったい何の意味があるのでしょう?
ただ効率だけを考えるなら、生まれてもさっさと死んだ方が無駄がない。いや、生まれる必要すらない。私たちは、無駄をするために生まれてきたという逆説が考えられるのではないか。そんな気がします。


その絵を見た瞬間に「これだ! これで生きていこう」と僕は思い、また絵からも「あなたも描けるよ、絶対できるよ」って応援されているように感じたんです。
 そんなことは初めての感覚。心揺さぶられるものに出会ってしまった、という感じでした。
 「もうアフリカに行くしかない!」
 これを逃したら、二度とこんな衝撃には出会えないと思ったので、その日の夕方にアフリカ行きの航空券を買い、その翌日には会社に退職届を出し、僕は「この絵を描く」と覚悟を決めました。
」(p.22-23)

こうして6年以上勤めた化粧品会社を辞めて、アフリカに渡ったのだそうです。たしかに衝撃的な出来事だったのかもしれませんが、素直に直感に従う姿勢、そして決断して行動するまでの素早さが、素晴らしいと思いました。
日本では昔から「思い立ったが吉日」と言っています。できるかどうかではなく、やるかどうか。やりたいかどうかだけなのですね。


そして、最後に村長の奥さんが、僕にこう聞いてきました。
 「この世の中からお金というものがなくなったとしたら、あなたは生きていける人間ですか?」
」(p.32)

ショーゲンさんがブンジュ村で生活するにあたり、村長さんからは3つのことを尋ねられたそうです。それはブンジュ村に伝わる「幸せの3か条」で、「食事に感謝できるか」「日常的に挨拶を交わせる家族や仲間がいるか」「人の温もりがわかるか」の3つだそうです。
それに加えて奥さんからは、お金がなくなっても生きていける、つまり、仲間と助け合えるかどうかを尋ねられたのです。

それぞれ別の言い方ではありますが、要は他の人たちを愛せるか、愛し合えるか、ということだと思います。ブンジュ村で暮らすには、そういう人間であろうとする思いが必要なのですね。


「おはよう。今日、誰のために生きる?
 オレは自分のために生きるから。それではまた」
 大人も子どもも、そう言います。
 「今日も、自分の人生を生きられた?」
 「今日は、どんないいことがあった?」
 と聞きます。
」(p.48)

挨拶は「とりあえず言うもの」ではないんです。相手の顔をちゃんと見て、その人の状態を感じて声をかけるんです。
 「ショーゲン、空を見上げている?」
 僕はブンジュ村に来た当初、朝も昼も、こう挨拶されていました。それはカンビリさん家族だけではなく、通りすがりの人からも、です。
 ここでは「空を見上げる心の余裕」を大事にしています。
 「なんでショーゲンは、そんなに心に余裕がないの?」
 と、よく言われました。
」(p.48-49)

挨拶は、とりあえず言うものではなく、相手のことをよく観て、心から慮って言うもの。ブンジュ村では、実際にそうしていたし、だからショーゲンさんは心に余裕がないと見られて、空を見上げているかと尋ねる挨拶をされたのですね。
そのうちショーゲンさんにも余裕が出てくると、村人たちの挨拶が変わってきたそうです。村人同士がするのと同じように、「誰のために生きる?」という挨拶になったのですね。


また、朝、仕事に行く途中、知り合いに会って、ついつい立ち話が長くなってしまったという時。
 「仕事の時間だから、もう行かなくちゃ」
 とは誰も言いません。話をちゃんとし終わってから、仕事に行きます。
 みんな仕事に誇りを持っているけれど、それよりも今、目の前にいる人をとても大事にしているのです。それで仕事に遅刻したとしても、文句を言う人もいないのです。
」(p.53)

バシャールの話を思い出しました。今のワクワクに従うなら、仕事だからという理由だけで自分を制限したりしないはずだと。ブンジュ村の人たちは、そういう考え方が染み付いているのでしょうね。


失敗やヘマをすることは、恥ずかしいことじゃない。人間らしい行為であり、かわいい行為だって言うんです。
 不完全であるからこそ、愛される存在だということ。だから、失敗した時は、この村では「そんな私って、かわいくない?」ってみんな言います。
 そして、そんな様子をそのまま子どもに見せることで、子どもは「完璧じゃなくてもいいんだ」と自分を肯定できるようになるんです。
」(p.62)

失敗やヘマを悪いことだと思わないばかりか、それが魅力的なのだと信じている。素晴らしいなぁと思います。

「自分が、自分の一番のファンでありなさい」ということは、自分に愛を吹き込む行為です。
 ある時、村長が言いました。
 「愛が注がれたものからしか、愛は与えられないんだよ」
 自分自身を愛で満たしていれば、自分の行為のすべてに愛が宿る、というのです。
」(p.75)

まずは自分を全肯定して、素晴らしいと称賛する。それが自分を愛することですね。そして自分が愛で満たされたからこそ、他人を愛することができる。

私も昔、考えたことがありました。自分が満たされないから、他人を愛せないのだと。ただそのころは、その自分を満たす愛を他人に求めていました。だから愛の取引きをしてしまったのです。私があなたを愛するから、あなたは私を愛してくれ。私が愛した1/10でいいから愛してくれ。愛に飢えていたのです。
本当はただ自分で自分を愛すれば良かっただけ。自分が自分を愛さないから、自分を憎み、他人を恨んだのです。


外に干してある洗濯物だって、着たい人が着ていいんです。家族かどうかは関係ありません。お気に入りの服を干していて、誰かがそれを着て行ってしまったとしても、この村では「着てくれたんだ」と思うだけ。「自分の物」という感覚が薄いので、問題にならないのです。」(p.80)

ブンジュ村ではシェアするのが当たり前だったそうです。包丁すら数家族でシェアしていて、どこの家にあるかをみんなが知っていたとか。もしジャガイモを切りたくなったら、ジャガイモを包丁がある家に持って行って、一緒に切ってもらえばいい。そういう考え方なのだそうです。


カンビリさんは、さらに熱く語りました。
 「感謝の気持ちを伝えたいって思う時の心は、どういう状態だと思う?
 心に余裕がある時なんだ。
 心に余裕がないと、誰も感謝を伝えたいなんて、思えないよね。」
」(p.90)

心に余裕があれば、今あるがままの中に感謝の種を見つけることができる。ブンジュ村の人たちはそう考えるので、たとえばリュックの紐が3年切れてないだけで「すごい!」と感動し、そのメーカーに感謝の気持ちを伝えたいと思うのだそうです。
ショーゲンさんも帰国後、ライブイベントで描いた時のペンキの色が素晴らしいと感動し、すぐにペンキメーカーに感謝を伝えに行ったそうです。それが縁で、スポンサーになってもらえたとか。スポンサーになってもらおうという下心からの行動ではなく、真心からの行動だったから、そういう結果が起こったのでしょう。

私も、飛行機に乗ってCAさんの対応が素晴らしかった時、感動と感謝の手紙を航空会社に送ったことがありました。私の場合は、それで何か恩恵を得たわけではありませんが、もしそれが社内で広められて喜んでもらえたなら、それで十分だと思っています。


村長はさらに言いました。
 「虫の音がメロディーとして聞こえる、会話として聞こえる、
 その素晴らしさは、当たり前じゃないからね。
 なんでそういう役割を日本人が与えられたのか、ショーゲンはもう気づいているでしょ?
 幸せとは何か、本当に大切なことは何か、
 それがすでに日本人はわかっているからだよ。
 だからそれを伝えていく役割が日本人にはあるんだ。
 そのことに気づいてほしくて、ずっとずっとショーゲンに語ってきたんだよ」

 そう言われて、何かのスイッチが入ったような感覚になりました。
 「日本人として生きていく」
 言ってみれば、そういう決意のスイッチです。
」(p.112-113)

日本人は、心に余裕があって自然を豊かに感じることができる感性を持っている。だから、日々の暮らしの中で幸せを感じ、自分を愛し、他人を愛し、自然を愛して生きていける。そういう日本人の生き方を、自らがやってみせることによって、世界の人々に知らせていくのが日本人の使命。
その使命を思い出させるために、ブンジュ村の村長さんはショーゲンさんにメッセージを伝え、そしてショーゲンさんは私たちに伝えてくれているのです。

村長がある日、僕に言いました。

 「ショーゲン、なんで日本人は心のゆとりを失ったんだ?
 今の日本人は、みんなそうなのか?
 空も見上げられない人が多いのか?
 誰かに、心のゆとりを持っていかれたのか?
 本当の日本人は、そうじゃなかったんだ。
 世界中で一番、空を見上げる余裕を持っていたのが日本人なんだ。
 取り戻してくれ、今すぐに。
 世界中の人が一番大切にしないといけないのは、日本人だとおれは言い切れる。
 だから、その感性を取り戻してほしい。
 日本人は、心の豊かさと、ゆるがない心の安定を持っている人であってほしい。
 それが日本人の役割なんだよ」
」(p.122-123)

私たちは日本人として、ブンジュ村の村長さんの期待に応えられるでしょうか? 世界の人々の希望でいられるでしょうか?

僕の帰国が決まった時、村長は言いました。

 「虫の音がメロディーとして、会話として聞こえることが、
 どれだけ素晴らしいことか、日本人には改めて考えて、感じてほしい。
 ショーゲン、日本人にその素晴らしさをちゃんと伝えてね。
 おれは地球にはまだ希望があると思っている。
 日本人は1億2千万人もいる。世界は80億人だ。
 世界の80人に1人は日本人なんだ。
 だから、地球にはまだまだ可能性がある。
 地球のために頼むぞ日本人!
 日本人こそが世界を真の幸せに導ける人たちなんだから」
」(p.130-131)

ブンジュ村の村長さんは、この本が出版される前に亡くなられたそうです。村長さんの遺言を、私たちは受け止められるのでしょうか?

村長からは、「聞いてくれた人みんなにわかってもらえなくてもいい。ただ、話し続けることが大事なんだ。話し続けることは、自分も聞き続けていることだから、ショーゲン自身も変わっていくよ」と言われました。」(p.132)

私がやっているのも、そういうことです。メッセージを発信していますが、それは誰かを変えるということよりも、自分自身が変わるためなのです。
だから、変わりたいなら表現することです。自分がメッセージを発信し続けることです。ショーゲンさんも、それによって自分が変わったと言われています。


サティシュさんのお母さんは、さらにこう言ったそうです。
 「お母さんはね、針を動かしてる時ほど、心が休まる時間はないの。
 でも機械に急かされるようになったらおしまい。
 それに、機械があれば仕事が減るなんていうのは、嘘だと思う。
 年に1枚か2枚のショールでよかったのに、ミシンがあったら10枚のショールを作ることになって、結局はあくせく働くことになる。そうなれば、前よりもずっと多くの布が必要になってしまうわね。
 時間を節約したとしても、余った時間で何をすると言うの?
 仕事の喜びは、私の宝物みたいなものよ。」
」(p.176)

ひすいさんのパートですが、インド生まれの思想家サティシュ・クマールさんのエピソードが書かれています。
ここにも、「生きる」とは効率ではないのだということが表れています。いくら何かを成し遂げようと、時間を生み出そうと、大したことではないのです。「生きる」とは、その一瞬一瞬を味わって、その素晴らしさを表現すること、祝福することなのです。

「人間の役割の中でも、ほかの生き物と比べてもっとも特徴的で人間的なのは、
 『愛すること』(ラブ)と『祝福すること』(セレブレーション)なんだよ」

 祝福する役割とは、美しい木を見つけた時に、詩を書くとか絵に描くとか、称えたり歌ったりすることだそうです。
 人間の役割とは、つまりは愛することと、感動を表現することなんです。
」(p.193)

人間だけが、自然を鑑賞することができるのです。その素晴らしさを感じて、称えることができるのです。


本書の冒頭で、縄文時代の火焔型土器が取り上げられていましたが、最後にそれについてもう一度、ひすいさんは語ります。

煮炊きに使う器としては、ベラボーです。非日常の聖なる儀式に使われるものだったとしても、ベラボーです。無駄を楽しみ、生きるのを楽しんでいることが伝わってきます。
 これだけの美しい装飾を施した古代の土器は、世界にも類がない。
」(p.195)

たしかに、複雑な文様を施しただけでなく、縁の部分は複雑な造形で、造るのも大変だったでしょうけど、これを普段の煮炊きに使ったというのですから驚く他ありません。何たる無駄、何たる非効率、何たる遊び。そう、人生とは壮大な無駄をする場なのです。それがわかっていたのが縄文人であり、私たちの祖先なのです。

そう考えてみれば、日本人がいかに稀有な存在であるかがわかりません。争いのない1万4千年もの長く平和な社会を造った日本人。私たちには、その血が流れているのです。


最後は、ショーゲンさんのメッセージです。

また同時に、僕自身、日々の生活に丁寧に愛を注げる存在になりたいと思っています。だって「愛が注がれたものからしか、愛は与えられない」のですから。
 そう考えると、生活そのものが、アートなんだと実感しています。
 愛を持って丁寧に過ごす日々は、愛の物語であり、愛のアートになるんです。
 これは僕だけではありません、誰にとってもそうなんだと思っています。
 丁寧に喜びを感じて生きる。
 そのためにすることはひとつ。
 自分のために生きること。
」(p.207-208)

私たちが、自分のために自分の人生を丁寧に生きるなら、その生き様が世界の人々へのメッセージになるのではないでしょうか。

丁寧に生きる。武田双雲さん「丁寧道」という本にもありましたが、私たちの人生は、無駄なように思えても、無意味なように思えても、丁寧に丁寧に扱って味わい尽くし、それを表現することに尽きるのかもしれませんね。


生まれてきたなら、いずれ死ぬことは間違いありません。それが100年間だろうと50年間だろうと、あるいは1年間だろうと、その差がどれほどのものでしょうか。その間に何を得たかとか、何を成し遂げたかとか、それが何ほどのことがあるでしょうか。内村鑑三氏は、「後世への最大遺物」という講演において、そのことを示しました。私たちが真に遺せるものは、「生き様」なのだと。
そのことを、ショーゲンさんやひすいさんは改めて教えてくれています。そのメッセージをどう受け止めるのか? 問われているのは、私自身です。私は私として、そのメッセージを受け止め、どう受け止めたかを私の「生き様」で示したいと思います。それが、私の生の表現であり、私のアートなのです。


 
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2023年11月01日

料理研究家のくせに「味の素」を使うのですか?

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Youtube動画で、「料理研究家リュウジのバズレシピ」をよく観ています。リュウジさんが作る料理はどれも手軽で美味しい。なので私もよく参考にさせてもらっています。
リュウジさんのレシピの特徴の1つは、「味の素」をよく使うことです。動画を観て、そう言えばそんなものもあったなぁと思い、私も買って使っています。ところがそれに対し、料理家が化学調味料を使うのはあり得ないとか、毒物を広めるのかとか、かなり批判非難があるようです。
私も詳しくは知りませんでしたが、「味の素」はかつて健康に悪いとされたことがありましたが、その科学的な根拠がないことが立証されていたようです。

リュウジさんは、「味の素」から報酬をもらって宣伝しているわけではなく、家庭料理においてはこれほど便利な調味料はないということで、積極的に使われているそうです。
本書は、そんなリュウジさんの「味の素」愛が伝わってくる内容になっていますが、「味の素」のことだけでよくこれだけのことが書けるなぁと感心するくらい豊富なウンチクが満載です。特に、魯山人が「味の素」使いの名人だったという情報は、本当にびっくりしました。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

誕生したのは、今から100年以上前の1909年。
 主成分は、アミノ酸の一種であるグルタミン酸。これこそが「うま味」成分であることを発見し、うま味の調味料としてグルタミン酸ナトリウムを発明したのは、東京帝国大学教授の池田菊苗(きくなえ)博士。それを商品化して「味の素」として発売したのは、鈴木商店、のちの味の素株式会社です。
 この世紀の発明品「味の素」ほど、数奇な運命をたどった調味料を、ぼくは知りません。「高級調味料」「家庭料理の味方」「日本の誇る発明品」ともてはやされる一方で、「原料は蛇」「健康被害や味覚障害を引き起こす」といった、事実無根の悪評にもさらされてきました。
」(p.3-4)

100年以上も前から「味の素」があったことに驚きました。


1960年代末、中華料理を食べると体に不調が生じるという「中華料理店症候群」がアメリカの医学雑誌で紹介され、その原因はグルタミン酸ナトリウムにあるのではないか、と疑われました。これがきっかけとなり、世界的にグルタミン酸ナトリウムの使用を忌避する傾向が生まれました。」(p.31

こうして、家庭のキッチンから味の素はほぼ消えてしまいましたが、うま味調味料が入った調味料は、どこの家庭でもあるのではないでしょうか。
 味の素社のほんだし、コンソメ、丸鶏がらスープ、ヤマキの割烹白だし、キューピーマヨネーズ……これらはすべて、味の素と同様のうま味調味料が入っています。
」(p.32)

今では科学的に完全に否定された「味の素」の健康被害ですが、今でも信じている人はいます。そして、そういう人が平気な顔でグルタミン酸ナトリウム(MSG)が入った調味料を使い、それを使った料理を美味しいと言って食べている。この矛盾に気づきもしない滑稽さは、何と言ったら良いのでしょうか。


むしろぼくは、「うま味調味料の原料は、砂糖の副産物である廃糖蜜です」という事実は、無駄がなくて素晴らしいと思っています。廃棄物を出さないことが企業に求められている今、サステナブルなものとして、国際的に評価されるあり方です。」(p.55)

「味の素」の原料はサトウキビの絞り粕である廃糖蜜だそうです。発酵によってグルタミン酸ナトリウムを取り出す製法が使われているとか。
それを、原料はサトウキビじゃなくその粕だ、とディスる人もいるんですね。リュウジさんは、だったら豆腐を作る時の大豆粕である「おから」はどうなんだ? と言います。おからは産業廃棄物に指定されているそうですが、主に家畜の飼料や肥料として利用される他、一部は食用として人の健康にも寄与しています。


一方、グルタミン酸の結晶は水に溶けにくく、なめるとちょっと酸っぱいです。グルタミン酸は、その名のとおり酸性ですから。
 グルタミン酸はうま味成分である、と何度もいってきましたが、じつは正確には、グルタミン酸の陰イオン状態、グルタミン酸イオンがうま味の正体です。
」(p.56)

たしかに、何で「酸」とつくのかと疑問に思っていましたが、アミノ酸は酸性の物質なのですね。そして、うま味成分は中性化してイオンになったグルタミン酸塩なのですね。


うま味調味料をがんがんに使った加工食品や外食産業の味に舌が慣れてしまって、現代人は繊細なだしのうま味や香りが感じられなくなっている、それは事実だと思います。
 でもぼくは、それでもいいと思っています。いや、それがどうかしたの? くらいに思います。砂糖が貴重品だった時代に比べて、甘味に舌が慣れてしまった現代人は、野菜や米がもっている繊細な甘みには確実に鈍くなっているはずですが、それを問題視する人がどれだけいるでしょうか。
 舌が退化したのではありません。料理が進化したのです。
」(p.75)

たしかに、現代人が縄文時代の料理をそのまま食べても、ほとんど美味しいとは思わないでしょう。人が野生動物の食べ物を食べても、美味しいと思わないのも同様です。だから味覚が退化したというのも1つの見方なら、料理が進化したのだというのも1つの見方としてアリだと思います。


ひとつ注意してほしいのは、これは料亭の料理人に向けて語られた話であって、家庭料理の話ではありません。魯山人自身は、家では味の素を使いこなしていました。」(p.145)

美食家の魯山人が「味の素」を論評していたというのも驚きですが、料亭の料理人に対しては「味の素は不可」と言っているようです。高級料理においては、なるべく使わない方が良いと。一方で、家では積極的に使っていたようです。つまり、使うべき時にはしっかり使い、使うべきでない時は使わないという、使い分けができていたのですね。

本書には他に、文筆家が「味の素」に触れている文章なども引用しています。昔から多くの人に親しまれ、使われてきたことの証拠となる貴重な資料ですね。


発酵法とは、微生物を培養する培地に糖蜜などの原料を入れ、微生物の増殖とともにアミノ酸を生産させる手法です。
 従来の抽出法に対して、発酵法は小規模の設備で(工場の建設費は約10分の1)、かつ低コストでアミノ酸を大量に生産できました。原料費も安く、製造期間も短縮でき、さらに抽出法で悩まされてきた大量の副産物が生まれるという欠点からも解放されました。
」(p.153)

最初の頃は、塩酸を使って生産する方法がとられていたようです。純度が高いものがなかなか作れず、品質の悪いものが高価な値段で売られていた。そんな時代があったのですね。その辺の開発の歴史も、本書に詳しく書かれています。


長年にわたって、多くのグループで臨床検査が行われてきましたが、いずれも中華料理店症候群とMSG摂取とのあいだに明確な関係は認められていません。」(p.166)

健康被害があるとしたオルニー実験が有名なようですが、それは新生児のマウスにMSG(グルタミン酸ナトリウム)を皮下注射した結果、神経に毒性を有するというものでした。しかし、その注射した量は、体重60kgの成人に換算すると実に30〜240gに相当するもので、アジパンダ瓶(70g)の約半分〜3瓶半に相当する量となります。通常、せいぜい1〜2g(アジパンダ瓶で1振りは約0.1g)を経口摂取するものを大量に皮下注射すれば、健康被害が出ないわけがありません。醤油ですら大量に飲めば死にますよ。
このような、実際の摂取とは無関係な実験を根拠に、「味の素」が健康に悪いという印象が広まったのですね。

当時はアメリカでも、MSGはすでに日常の食品のなかに普通に使われていながらも、一般的には「中華人がよく使う、アジアから来た調味料」というイメージでした。そのため、「そんなもの、食べてもろくなことにならないに決まってる」などという偏見から生じた思いこみがあったのではないか、というのです。
 なお、「中華料理店症候群」という名前は人種差別的であり、「MSG症候群」というべきだ、とも現在ではいわれています。
」(p.169-170)

「味の素」が健康に悪いという思い込みは、有色人種に対する差別意識から生まれたものかもしれませんね。


さまざまなデータが蓄積されて、うま味が基本味であると世界の研究者のあいだで合意されるようになったのは、1980年代になってからのことです。うま味の文化が発達しなかった欧米では「うま味」を示す適切な言葉がなかったことから、日本語のまま「umami」という表現が世界中で使われるようになりました。
 そして2000年代になって、ついに舌の味蕾(みらい)にうま味の受容体が存在することが判明し、umami が第5の基本味であることは、誰もが認める事実となりました。
」(p.181)

甘味、塩味、酸味、苦味という4つの基本味に、うま味が追加されたのです。これが日本人の発見発明によるものだと思うと、とても誇らしく感じます。


そもそも、人間が「おいしい」と感じて満足できる食べ物には、油脂、砂糖、だし、これらが何らかの形で入っています。
 じつはこの油脂と砂糖とだしには、脳に快感を感じさせ、「やみつき」にさせる効果があるといわれています。つまり、いったん好きになると、くりかえし食べたくなるのです。これは、脳の報酬系が刺激されて、快感を得ているためです。
」(p.184)

日本ではだしの文化が発達しました。これは偶然ではなく、日本では油脂や砂糖が手に入りにくかったため、おいしい料理を生み出すには、だしに頼るしかなかったのです。
 世界的には、料理のおいしさは油脂が担ってきました。
」(p.185)

たしかに、美味しさは脂肪にあると聞いたことがあります。私の父も、餃子の餡(あん)には油を入れないと美味しくならないと言っていましたね。それに、欧米の料理や中華料理は、油こてこてが多いです。これも美味しさを追求したからでしょうね。


食べ物は、すべてのものが毒になりえます。食べることには、必ずリスクが伴います。ヘルシーといわれている野菜であろうと、猛烈に食いすぎたら、死にます。量の概念を入れてください。」(p.195-196)

本来、すべての毒に量の概念があります。毒物とされるヒ素だって、一定量以下であれば問題ないとされるのです。(含有量が基準値以下であれば、飲用に適すると判断されます。)
量の概念を無視するのは、不安を煽りたいからでしょうね。福島原発の処理水の問題でも、そのことが明らかになっています。

リュウジさんは、量だけではないとも言います。刺身も本来は危険な食べ物です。加熱調理した方が安全に決まっています。しかし、その危険を犯してでも食べるに値する美味しさがある。これがリスク管理というものです。私たちの生活の豊かさは、リスク管理の上に成り立っています。ゼロリスクを追求するなら、自動車だって廃止すべきでしょう。
そういう点で、ユッケや生レバーを法律で禁止するというのは愚の骨頂と言えるでしょうね。リスク管理の観点からするなら、生牡蠣を制限する方がよほど健康被害防止の観点で役立つはずですから。科学を無視して不安を煽れば、無意味なリスク管理となってしまい、私たちの利益(豊かさ)が損なわれるのです。


「味の素」と言えば、会社がタイにも進出していて、大勢の日本人の社員が働いていました。私はバンコクでソフトボールをやっていましたが、年に2回の大会に「味の素バーディーズ」さんも参加されて、毎回のように味の素製品を提供してくださいました。他のチームの人たちも、それを楽しみにしていましたよ。
タイはたくさんの屋台が庶民のお腹を満たしていましたが、その料理にも味の素製品がたくさん使われていました。きっと世界中で同じように、うま味調味料が人々の食の満足を支えているのでしょうね。そんな「味の素」は、日本が誇る食の文化であり、発明品なのです。

改めて「味の素」を見直すことができました。こんなに豊富な情報を1冊の本にまとめてくださったリュウジさんに感謝です。これからも動画を楽しみにしています。


 
タグ:リュウジ
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2023年10月29日

おあとがよろしいようで

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ご存知、喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの新作です。喜多川さんの小説は、どれもこれも秀逸で間違いがありません。人生の本質に通じているテーマを、感動的に表現しているからです。
あまりに感動したので、喜多川泰全集を母校の中学校に作りたいなぁと思い、それまでの小説を全部買って寄贈したくらいです。また、タイでも多くの人に読んでもらいたくて、すでに読んでいた本も買い直して、日本人が集まる施設に寄贈したりしました。
今回も、Facebookで新刊の発売を知ったので、予約して買いました。小説なので、あっという間に読めてしまいますが、やはり感動して涙を流してしまいました。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
と言ってもこれは小説なので、あまりネタバレにならないよう引用はごく一部にとどめます。

物語のあらすじですが、主人公は群馬県から東京の大学に入学したばかりの門田暖平。ネクラで内向的。友だちもできないし、どうせ一人で生きていくしかないんだと自分のことを諦めている。親と一緒に暮らすのが嫌で、どこでもいいから出ていきたいと思い、東京の大学に入った。そこで落研との出会いがあり、誘われるがままに落語をすることになる。
その落研での人間関係の中で、暖平は様々な気づきを得て成長していきます。人と関わることの素晴らしさ、いろいろな経験をすることの素晴らしさを、感じるようになっていくのです。


子どもたちを専門学校や大学に通わせる、それもそれぞれ一人暮らしをさせるというのは簡単なことではない。やりたいとかやりたくないとか関係なく必死で働く必要があったんだろう。
 わかってはいるのだが、素直にありがとうと言えない。そして、そんな自分に対して、人としての薄情さを感じて自己嫌悪に陥る。
」(p.77)

暖平の父親は地方都市の写真館を営んでいました。時代の流れでフィルムというものがなくなり、現像やプリントという仕事が皆無になってきて、写真館の仕事はイベントでの撮影がメインになっていました。同じ「写真」とは言え、業務内容はまったく違います。待ち構えて写真を撮るなんて仕事はほとんどなく、自ら出向いて運動会や修学旅行などの学校行事の撮影を主たる仕事にしていました。
暖平は、そんな父親の苦労をわかっているようでいて、なかなか受け入れられなかったんですね。たしかに、親が写真屋のおっちゃんの顔で自分の学校にやってくるのは、なかなか受け入れがたいものがありますから。


落語の登場人物はみんなどこか抜けてる。いや、どこかどころかかなり抜けてる。欠点だらけなんですね。だけど、一つだけいいところが誰にでもある。その一つだけのいいところで江戸の社会にちゃんと居場所をつくって、お互いにそれでよしとしているんですね。何の文句もない。この部分を直せとか、もっとこうしろ、なんて相手に要求しない。
 お互い人間だから、馬鹿なところとか、自分勝手なところとか、あるよねってのが根底にある。
」(p.106)

でもそれに気づいてから、できるだけニコニコしていようって思ったんだよな。そして、自分もそのままでいいと思ってもらいたいんなら、相手もそのままでいいって思わなきゃいけないって気づいた。そしたらさ、大袈裟かもしれないけど世界が違って見えたんだよ。社会も周りの人も何も変わってないのに、みんなそのままで仲良くなれんじゃんってなって、誰も完璧である必要なんてないって思えるようになったら、自分もそうじゃなくてもいいんだって思えたっていうか……どう、わかる?」(p.108)

落研の先輩の1人、健太のセリフですが、健太は高校の頃、自分ではないものになれというようなプレッシャーを感じていたのだそうです。そんな時に落語に触れて、無理に変わらなくていい世界があることを知り、落語の魅力に取り憑かれたのだとか。
たしかに、そう言われてみるとそうですね。いつもボーっとしている与太郎、喧嘩ばっかりの棟梁、知ったかぶりのご隠居など、欠点だらけの人がぶつかり合いながらも楽しく暮らしています。
本当は、人それぞれ違っていていい。ただそれを受け入れさえすれば、みんなが笑って暮らしていける。落語は、そういう世界を示唆しているのかもしれませんね。


『世界はこんなもんだ』『世の中はこうだ』『俺にはこんなことしかできない』『俺はこういう奴だ』と『世界』や『自分』を認識している。そう判断するに至った情報はどこから得た?
 お前の目と耳、肌、といったたった一つの窓だ。
」(p.175)

そういう状況に自分が置かれたら、いやでももっと別の世界を見て世界を知りたいと思うだろうにと、なんとなく考えていたのだが、実際にそれをしないで、「世の中とはこんなもんだ」「俺はこうだ」と決めつけていたと、直感的に感じたからだ。」(p.175)

俺たちは、何を見るか、何を聞くか、何を感じるか、何を経験するかによって、世界に対する認識が変わる。」(p.176)

暖平は部長の碧(あおい)から、視野が狭いことを指摘されます。ほんのわずかな経験を元に、自分や世間を決めつけている。もしそのことに気づいたなら、もっと広い世界を経験したいと思うのではないか、というわけです。
世界は可能性に満ちています。ただそれを信じないことによって、自らを制限しているだけなのですね。


視野が広まれば、世界や自分に対する認識も変わってきます。他人のことも理解できるようになるでしょう。たとえ同意はできなくても、その人にはその人の人生があるのだと思えるはずです。そうなれば、他人にも自分にも優しくなれるのではないでしょうか。
重要なのは、今の自分の狭い認識に他人や世界を合わせようとすることではなく、自分の認識を広げることです。そうすれば、世界も他人も、今あるがままで受け入れられるようになります。そうやって他人の自由を受けれれば、自分も自由になれます。今あるがままの自分でいいのだと思えるようになるのです。

今、あるがままの他人や自分を、そのままに愛しく思う。それが寄り添うということ。そうすれば、自分の中が平和で幸せなものになるし、そういう人が増えれば、世界もまた平和で幸せなものになっていくのではないでしょうか。


 
タグ:喜多川泰
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2023年10月27日

私が見た未来 完全版

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これもSNSで知った本だと思います。ひょっとしたら広告だったかもしれません。基本的にこういう予言の類は読まないのですが、この本のことを知った後に、ペンキ画家ショーゲンさんの話を知って、そこにも2025年7月5日とあったなぁと気づいて、それで買ってみることにしたのです。
著者は漫画家の竜樹諒(たつき・りょう)さん。本書ではたつき諒と、平仮名になっています。

たつきさんは以前、3.11を予言したとして有名になったのだそうです。ぜんぜん知りませんでした。1999年、世間がノストラダムスの大予言で盛り上がっている最中に「私が見た未来」という漫画本を出版されたのだそうです。表紙には「大災害は2011年3月」と書かれていたとか。その後、たつきさんは漫画家を引退されたそうです。

その出版から12年後、実際に東日本大震災が起こり、その漫画本が注目されることになったのです。
本書は、たつきさんが再び世に警告を発するために出版された漫画本とのことです。それは、「本当の大災害は2025年7月にやってくる」ということだそうです。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
とは言え、これはマンガが主体の本です。たつきさんが予知夢を見るようになった経緯とか、予知夢の意味とか、関係のない過去の作品も収録されています。なので、その辺はすっとばして、予言に関係する部分のみを引用します。

本当は「1999年の災害は小規模に、そして大災害は2011年3月に」と書くつもりでした。この具体的な日付である「2011年3月」という年号は、『私が見た未来』の単行本の〆切の日に「夢」で見ました。
 この日付が漫画に描いた大津波の夢と関係があるのかどうか、そのときにはわかりません。でも、これはとても重要な日付だと思い、急遽、年月だけを付け加えたのです。
」(p.54)

前作の「私が見た未来」の表紙に3.11を予言するかのような年月が入れられた理由を、このように言われています。
「1999年の災害」が何を指しているのかわかりません。ノストラダムスの大予言は不発でしたし、記憶に残るような災害はありませんでしたから。
それに、何だか不自然です。夢で年月だけ見たなら、それを本の表紙に入れようとは思わないでしょうし、仮に重要な年月だと感じたとしても、「大災害は2011年3月」とは書かないでしょう。何かまだ正直に語っていない感じがしてしまいます。後で「大災害」という言葉も見たと言われていますが、なぜその本に書こうと思われたかは不明ですね。


この夢が東日本大震災の津波の予知夢だったのかどうか、私にはわかりません。それはあくまでも皆さんがあとで解釈してくださったことであって、少なくとも私自身には、そういう自覚はありませんでした。
 東日本大震災は冬でしたが、夢の中の私は半袖姿の夏服です。そして、夢で見た津波の高さは、東日本大震災のそれよりも、もっと巨大でした。
 ですから、この夢は、このあとに見た ”2025年7月” に関わる予知夢だったのではないか、と今になって思います。
」(p.74)

インドに行っているときに、これから起こる大災難の夢を見ました。
 たとえるなら、ドロドロのスープが煮えたったとき、ボコンとなるように、日本列島の南に位置する太平洋の水が盛り上がる−−そんなビジョンが見えたのです。海底火山なのか、爆弾なのか、そこまではわかりませんが。そのとき宿で一緒にいた女性にも話していました。
 そしてつい最近、また同じ夢を見ました。今度は日付もしっかりと。
 その災難が起こるのは、2025年7月です。
 私は空からの目線で地球を見ていて、Google Earthと同じといえばわかりやすいかと思います。突然、日本とフィリピンの中間あたりの海底がボコンと破裂(噴火)したのです。
 その結果、海面では大きな波が四方八方に広がって、太平洋周辺の国に大津波が押し寄せました。その津波の高さは、東日本大震災の3倍はあろうかというほどの巨大な波です。
 その波の衝撃で陸が押されて盛り上がって、香港から台湾、そしてフィリピンまでが地続きになるような感じに見えたのです。
」(p.82)

文章には、年月までしか書かれていません。夢のことを書いた日記には、その日時を「2021年7月5日 4:18AM」と書かれています。これまでにも、夢を見た日と現実になった日が同じことから、2025年7月5日に起こるのではないか、と思われているようです。

日記には、竜が出てきたとか、「森林伐採なんかするから防波堤の役目なくなっちゃったじゃんか!」という言葉も書かれています。でも、東日本大震災以上の津波だとすると、森林の防波堤の役目も限定的だと思われますがね。


大切なのは、準備すること。災難の後の生き方を考えて、今から準備・行動しておくことの重要さを改めて認識してほしいのです。」(p.87)

では、具体的にどう備えるのでしょう? この文の後に、リモートワークとか地下の飲み屋を避けるとか、3.11後の行動傾向が書かれていますが、それがどれほどの役に立つのでしょう? はなはだ疑問に感じます。

この本の影響かどうかわかりませんが、スピリチュアリストと思われる人たちがさかんに2025年7月の大災害について語るようになりました。「不安を煽るつもりはありませんが…」と前置きしながら、カセットコンロを買いたくなって買ったとか、備蓄の話をします。いやいや、津波が来て避難しなければならなくなったら、そんなもの役に立たないでしょう。
それに、仮にそういう備蓄品が役立つような状況になったとして、備蓄してない大勢の人がいたらどうするんですか? 分け与えるために備蓄してるんですか? どうもそういう問題ではない、という思いが込み上げてきます。
もちろん、備蓄しておくことはリスク管理の観点から重要でしょう。しかし、それはふつうにやっておくべきことであって、2025年7月に津波があるから、ではないと思うのです。


そうなると気になるのは、2025年7月に起こる大津波の後の世界についてですが、私には、ものすごく輝かしい未来が見えています。
 大地震による災害は、とても悲惨でつらいものです。でも、地球自体がマグマという熱エネルギーを抱えて生きているわけですから、どうしても避けられないものなのでしょう。それを覚悟した上でみんなが協力し合えれば、必ず生きていくことができます。
 しかもそれは、明るくてきれいな未来です。
」(p.88)

これも現実的には違和感があります。では3.11の後、被災地の人たちの未来、つまり今の状況は明るいものになっているでしょうか?

もちろん、たつきさんを責めたいわけではありません。たつきさんにも理由ははっきりしないけど、明るい未来が夢で見えてしまったのでしょうから。
それに、ショーゲンさんがブンジュ村で聞いた話も、明るい未来が予言されてるようです。(まだ本を読んでないので、実際はどうかわかりませんが。)

この明るい未来の夢は、2001年1月1日に見たとありました。そこには、「大災難後の明るい未来」と見えたようです。たつきさんは、「2011年3月」を見た時は「大災害」という言葉が見えたけれど、「2025年7月」は「大災難」と見えたのだそうです。なので、自然災害ではなく人災かもしれない、ということを書かれています。
人災であれば、可能性は事故か事件。事故でそんな規模は難しいので事件だとすれば戦争でしょうね。あるいは津波は象徴で、瞬く間に世界中に広がる人為的なウイルスによる感染症かも。


とまあ、そんなことをいろいろ考えてみるのですが、たつきさんは備えてほしいから本書を出版したと言います。でも、思うのです。何をどう備えるの?
実際、3.11の前だって、それなりに備えていたのです。けれども想定外のことが起こった。だから大変なことになったのです。
今度は確実に想定内でしょうか? そうだとすれば、津波を防波堤で防げない以上、低地から避難する他ありません。どこからどこへ避難すればいいのでしょう? 引越さなければならないのでしょうか? どこへ? そのために何ができるでしょう? お金のない人はどうしたらいい?
結局、人は、何もできないのです。具体的にわからなければ、つまり想定内でなければ、ほとんど対処できません。せいぜい「そういう可能性もある」と意識するくらいのものです。

たつきさんには申し訳ないが、単に不安(恐れ)を煽るための材料として使われるだけではないかと思っています。
2年くらい前でしょうか、備蓄しろと不安(恐れ)を煽った有名人が何人かいらっしゃいましたよね。どうなりました? 備蓄が必要な状況になりましたか? 「そういう状況にならなかったなら良かったじゃないか」と言うかもしれませんが、備蓄した人たちは不安に駆られたのです。不安を煽る人がいて、不安を煽られた人がいた。スピリチュアル的には、不安の集合意識が大きくなっただけではないでしょうか。
お勧めしている「神との対話」では、不安は愛の対極だと言っています。つまり不安は、愛ではないものです。愛を広めるのと、愛ではないものを広めるのと、どっちが良いのでしょうか?

被害者意識のままでいれば、不安(恐れ)はなくなりません。もし、私たち自身が創造者であり、だから「引き寄せの法則」によって現実を創造するのだとするなら、恐れ(不安)を動機とした恐れの世界を創造したいのでしょうか? それとも愛の思考による愛の世界を創造したいのでしょうか?
私は、問われているのは私たちが主体性を持つかどうかだと考えています。災害が起こる必然性があるなら起こるでしょう。でも、それだけのことです。起こることはすべて最善であり、必然であり、完璧である。なぜなら、存在するのは「存在のすべて」だけだから。それが傷ついたり、消滅する(死ぬ)ことはないから。その認識に至ることだけが、災厄を避ける唯一の方法であり、良寛さんが示された方法だと思っています。


 
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2023年10月23日

敵とのコラボレーション

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Twitter(現在はX)の投稿で紹介されていた本です。
SNS上、特にTwitterでは、投稿やコメントで激しくやり合うことが多いように思います。それはもう議論ではなく、叩き合いの様相を呈しています。そういう中で、この本を参考にしているというツイート(現在はポスト)があり、興味を持ったのです。
著者はアダム・カヘン氏。職業はよくわからないのですが、ファシリテーターということでしょうか。大学で研究もされているようだし、企業で代表もしていたとか。

本書はサブタイトルにもあるように、「賛同できない人、好きではない人、信頼できない人と共同する方法」ということがテーマのようです。私はサラリーマンでしたから、企業内ではこういうことがあるなぁと思いました。つまり職場に気に入らない上司、同僚、部下がいて、彼らと一緒に仕事をしなければならないという状況。そういう時、どうやって仕事を遂行すればいいのかという問題に、本書は答えを与えてくれるものと思ったのです。
ただ、読み終えてから思うのは、ちょっと違うなぁという感想です。言わんとするところは何となくわかるのですが、何だかしっくりきません。
でも、そのいわんとする部分に役立ちそうだと思える点もあったので、ここで紹介することにしました。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

本書は、特に関係者が互いに賛同できない、好きではない、信頼できないような問題において、その問題のあらゆる党派を一つの部屋に招き入れることによって、不可能に思われる未来を創造しうる考え方と行動を指摘する。」(p.4-5)

もう一つ、背景にあるのは、この世界の対象的な二つの潮流だ。一つ目の潮流は、ネットワーク化が進み、より多くの声が共有されるようになったことで、特定の人が自分の望むことを無理やり一方的に進めるのが、難しくなってきたというものだ。これは本書で述べる取り組みへの追い風と言えるだろう。しかし同時に、世界の多くの場所で逆の潮流が高まっている。トップダウン型、いわば独裁的な体制がさまざまな文脈において台頭しているのだ。私は一つ目の潮流を後押しするため、そして、二つ目の潮流と闘う人を支援し励ますためのツールを提供するものとして、本書を執筆した。」(p.14)

つまり、敵対関係の人々が問題を解決するための方法に、対話によってみんなで決めるやり方と、圧倒的なリーダーの支配で独裁的に物事を推し進めるやり方の2つがあり、カヘン氏は、独裁の台頭を押さえ、民主主義的な話し合いによる解決方法を推し進めるために、本書で示すやり方が役立つと言っているのですね。


それぞれ自分が重大だと思うことをどうにかしようとする。どうにかするには、他者と協力する必要がある。この他者には賛同できない人、好きではない人、信頼できない人も含まれる。だから私たちは悩む。この手の人たちとも協力しなければならないと考えると同時に、協力なんてとんでもないと考えるのだ。」(p.24)

しかし、この従来の想定は間違っている。複雑な状況で多様な人々と一緒に仕事をする場合、コラボレーションはコントロールできるものではないし、そうする必要もない。
 非従来型のコラボレーションの方法、ストレッチ・コラボレーションは、コントロールという想定を捨て去るのだ。調和、確実性、従順という非現実的な幻想をあきらめ、不協和音、試行錯誤、協創という混乱した現実を受け入れるのだ。
」(p.24-25)

カヘン氏が示す新しい方法はストレッチ・コラボレーションと名付けられています。ここには従来のコラボレーションの概念を引き伸ばし、根本的に変える3つのストレッチがあると言います。

「第一に、他の協働者(コラボレーター)との関係について、チーム内の共有目標と調和を重視するという狭い範囲に集中することから抜け出し、チーム内外の対立とつながりの両方を受け入れる方向に広げていかなければならない。」(p.25)

共通目標を持たないのであれば、企業のプロジェクトのような場面とはまったく違います。プロジェクトを完遂するという共通目標があるから、好きじゃない人や意見が異なる人がチーム内にいても、何とかしてまとまっていこうとするのです。それを否定するのがストレッチ・コラボレーションということになりますね。

第二に、取り組みの進め方について、問題、解決策、計画に対する明確な合意があるべきと固執することから抜け出し、さまざまな観点や可能性を踏まえて体系的に実験する方向に広げていかなければならない。
 第三に、状況にどう関与するか、すなわち私たち自身が果たす役割について、他者の行動を変えようとすることから抜け出し、自分も問題の一員であるという意識で状況に取り組み、自身を変えることを厭わない方向に広げていかなければならない。自分自身がゲームに足を踏み入れるのだ。
 この三つのストレッチはいずれも、当たり前と思われることの反対の行動を要求するゆえに、ストレッチ・コラボレーションはハードルが高い。複雑さに後ずさりするのではなく、複雑さに飛び込む。人がたいてい違和感や恐怖を覚えることだ。
」(p.25-26)

たしかに当たり前ではないし、複雑でよくわからないというのが私の感想です。あれ? 目的は何? 問題を解決することじゃないの? 解決することばかりか、その問題さえも共有せず、いったい何を目指すのでしょう?


敵化は現実の差異を理解し、処理する方法の一つではある。圧倒されるほど複雑で多彩な現実を単純化して白黒はっきりつけてくれる。現在の状況がはっきりし、それに対処することにエネルギーを総動員できる。しかし、ジャーナリストのH・L・メンケンが言うように、「人間のどの問題にも安易な解決策は常にある−−ただし、それは格好よくて、もっともらしいが、誤っている解決策」なのだ。敵化すれば、気持ちが高ぶり、満足感があるし、正義や英雄気分さえ感じるものだが、たいていは直面している課題の現実を明らかにするのではなく、むしろ曖昧にしてしまう。敵化は対立を増強し、問題解決と創造性の余地を狭めてしまう。そして、決定的な勝利という実現不可能な夢をもたせて、実行すべき現実的な取り組みから気をそらせてしまう。」(p.36)

私たちはすぐに善悪二元論にまとめようとします。ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ(ハマス)など。そして、自分の支持する側を「正義」とか「正しい」と主張し、対立する相手を「悪」とか「間違っている」と決めつけます。こうして、互いの支持者も含めて激論を戦わせますが、解決する方向へは進みません。どんなに力で相手をねじ伏せようとしても、仮にそれが上手くいったように見えても、恨みの炎はくすぶっているのです。
SNS上で日常的に繰り広げられていることですが、こんなやり方では上手くいきません。おそらく、多くの人がわかっていると思います。だからフラストレーションを溜めているのです。しかし、多くの人はまだ、この「敵化」というやり方を捨てられずにいます。そこに固執してしまっているのです。


私がタイで理解するに至ったことは、問題の複合する状況に直面しているときは常に、政治でも仕事でも家庭でも、四通りの反応、すなわちコラボレーション、強制、適応、離脱の選択肢があるということだ(タイのチームは、国内から変化をもたらすことに主眼をおいていたので離脱については検討しなかった)。四つすべての選択肢がとりうる状況にあるとは限らない。たとえば、強制を採用する手段はないこともある。しかし、常にこの四つの選択肢から選ぶ必要はあるのだ。」(p.53)

タイでは、タクシン派と反タクシン派による抗争が長く続きました。その間に2度もクーデターが起こりました。ここでいう強制ですね。私はそのころタイで暮らしていて、この状況を部外者として眺めていました。
そういうこともあり、カヘン氏と同じ空気を吸っていたのだと思うと、何だか親しみを覚えました。なので、ちょっと冗長な感じで結論がなかなか出てこない文章を、何とか最後まで読むことができたという感じです。

他者と−−仲間や友人はもちろん、おそらくは反対者や敵対者とも−−協力して、より効果的な打開策を見つけ、今の状況にできるかぎり大きく、持続的な影響を及ぼすならば、コラボレーションは好機となる。しかし、コラボレーションは特効薬ではない。そのリスクは、実り少なく、遅々として進まないということだ。大幅に妥協する、相手側に取り込まれる、自分たちにとって最も重要なことを裏切るという結果になるリスクがあるのだ。」(p.54)

事態に関与する人々が協力し合うことを望むなら、コラボレーションは役立つでしょう。けれども、そう望まないのであれば、コラボレーションは役立たないばかりか、害悪にさえなるのですね。

コラボレーションは唯一の選択ではないのだから、与えられた状況で、コラボレーションを選ぶのか、それとも強制か、適応か、離脱か、意識的に考える必要がある。」(p.59)

まずは、4つの選択肢のどれを選ぶかという問題があります。その中でコラボレーションを選択肢た場合にのみ、本書のストレッチ・コラボレーションという方法が役立つというわけです。


ストレッチの第一の要素は、協働する相手との関わり方、つまりチームに関してである。従来型コラボレーションでは、チームの調和を達成すること、およびチーム全体としての利益と目的に焦点を定め、それがぶれないように人々をコントロールし、制限していく。しかし、複雑でコントロールされていない状況では、焦点を維持することは不可能だ。なぜなら、チームメンバーの考え方、所属関係、利害が著しく異なり、それに基づいてメンバーが自由に行動するからだ。だから、ストレッチしてチーム内外に存在する対立とつながりに関する先入観を捨て、受け入れ、対処しなければならない。
 第二の要素は、チームでの取り組みの進め方である。従来型コラボレーションでは、解決しようとしている問題、その問題に対する最善の解決策、その解決策を実行するための計画、その計画の取り決めどおりの実行に関して明確な合意に達することを重視する。しかし、複雑でコントロールされていない状況では、そんな確定的な合意や予測どおりの実行を達成することは不可能だ。なぜなら、チームメンバーは互いに賛同できない。信頼できない関係であり、またチームの行動の結果は予測不能だからだ。だから、何がうまくいき、何が自分たちを前に進ませてくれるのか、一歩ずつ発見するためには、ストレッチして多くの考え方や可能性を実験、つまり実際に試してみなければならない。
 第三の要素は、対処しようとしている状況に自分自身がどう関与するか、つまりどんな役割を果たすかである。従来型コラボレーションでは、計画を完全に実行できるように、いかに人に行動を変えさせるかを重視する。それはつまり暗黙のうちに、他者に行動を変えさせ、自分自身は状況の外か上に置いているということだ。しかし、複雑でコントロールされていない状況では、これはまったく不可能だ。誰にも何もさせることなどできはしない。だから、ストレッチして状況にしっかり足を踏み入れ、自分自身が行動を変えることへの抵抗を捨てなければならない。
」(p.92-94)

たくさん引用しましたが、これがストレッチ・コラボレーションをまとめた部分だと思いました。
従来型のコラボレーションは、同じ目的を有している仲間のチームなら効果があっても、敵対する関係においては役立ちません。そもそも協働したいとも思っておらず、相手を叩きのめしてでも自分の目的を遂行しようとしている相手と対峙しているのですから。
そこでストレッチ・コラボレーションは役立つとカヘン氏は考えておられるのですが、私はこれを読んでも「なるほど!」とは思えませんでした。

この3つの要素ですが、1つ目は、相手は協力してくれないものと受け入れ、その上でどうしていくかを考えようということです。2つ目は、こうすれば上手くいくなんて方法はないのだから、先入観を捨てて考え得るあらゆる方法を試してみようとすることです。3つ目は、他人を動かしてどうこうすることは不可能だと理解し、その上で自分がどうするかを考え、その可能性の枠を広げるということです。
つまり、相手は思い通りに動かないことをしっかりと受け止め、効果的な方法もなければ到達点も明らかではないことを受け入れ、そこに飛び込んで可能性の枠を広げてできることをやる、ということになるかと思います。けれども、それで上手くいくのかどうか、これではまったくわかりません。ただ、上手くいく可能性はあるよね、とは言えるかと思いますが。


この調和一辺倒のコラボレーションを採用しようとすると、たいてい失敗し、結局は「適応」か「強制」か「離脱」に戻ることになっていたのだ。
 協働する場合、愛と力を交互に発揮することが必要だ。まず相手と関わる。関係が続き、濃密になると、やがて相手のなかに融合や屈服、すなわち関係を維持するために自分にとって重要なことを二の次にしたり、妥協したりせざるをえないという不快な感情が生まれる。この不快な反応もしくは感情は、相手が主張したり、強く要求したりする行動に切り替える必要があるという合図だ(アレナスやスズキが自分にとって重要なことを主張したように)。ところが、相手の主張が続き、強くなると、やがては当方に阻止、反対、抵抗の衝動が生まれる。この反応もしくは感情は、双方が関わることに戻る必要があるという合図だ
」(p.116)

コラボレーションでの問題解決ができない時は、「適応」「強制」「離脱」のどれかが採用されることになるというのがカヘン氏の分析です。つまり、協働して問題解決できなくなるということです。
そうせずにコラボレーションを続けるには、「関わり」と「主張」という役割を繰り返すことが重要だと言うのですね。つまり、対立した時は無理に推し進めようとせずにただ関わってるだけの状態になり、関わりが確認できる状態であれば相手の主張をむやみに受け入れたりせずに、しっかりと主張していく。この、関係を壊さないように押したり引いたりすることが必要だとカヘン氏は言うのです。

つまり、関わることと主張することの間を行ったり来たりするには、アンバランス(退行的な状態に入る境界を超える)を知らせるフィードバックに注意を払い、バランスを取り戻す動きをする必要があるのだ。関わることが屈服をもたらし、相手を操作する恐れがあるなら、主張を促進するときだ。主張することが抵抗をもたらし、相手に強要する恐れがあるなら、関わりを促進するときだ。大切なのは、静的なバランスの位置を保つのではなく、動的なアンバランスに気づき、それを修正することなのだ。」(p.120-121)

相手との位置関係を硬直的に決めつけるのではなく、今の状態を敏感に察して、自分の立ち位置を変化させることが重要だと言うのですね。
こちらが優位に立って、相手が屈服している状態も放置してはいけないのです。相手の中にある主張を引き出してやる。それはこちらにも言えることで、妥協して主張を封じ込めてはダメなのです。


ストレッチ・コラボレーションは他者と協力する方法だが、従来のものとは異なり、次の三つの基本的な変化が必要になる。
 第一のストレッチ、対立とつながりの受容では、力(パワー)と愛(ラブ)という補完し合う衝動を、どちらか一方だけ選ぶのではなく、両方とも使わなければならない。力は、自己実現の衝動であり、断固として主張することで表現される。愛は、再統合の衝動であり、相手と関わることで表現される。この二つの衝動を同時にではなく交互に使う必要がある。
 第二のストレッチ、進むべき道の実験では、現状を強化するダウンローディングやディベートに偏るのではなく、新しい可能性を浮上させる対話(ダイアログ)とプレゼンシングを用いることが求められる。つまり、話すこと、聞くこと、特に聞くことを狭めずにオープンにしておくということだ。
 第三のストレッチ、ゲームに足を踏み入れるでは、傍観したまま、他者を変えようとしかしないのではなく、活動に飛び込み、自分が変わろうとすることが求められる。
 この三つのストレッチは、染みついた行動を変えなければならないものだから、ほとんどの人にとってなじみがなく、違和感のあるものだ。新しい行動を習得するには繰り返し練習あるのみ。
」(p.168-169)

ストレッチ・コラボレーションを行うには、3つのストレッチが必要で、それは「対立とつながりの受容」「進むべき道の実験」「ゲームに足を踏み入れる」という言葉で表現されるものです。そしてそれは、これまでとは全く異なる思考習慣だから、練習する必要があるようです。
たしかにこれまでのように、相手を威圧したり懐柔しようとしたりして、相手を変えようとするとか、自分が妥協するだけのコラボレーションとは、まったく違う思考が必要になりそうですね。


ストレッチを学ぶときに直面する第一の障害は、習慣的な物事のやり方の慣れ親しんだ快適さに打ち克つことだ。「こうあらねば」という平叙文から「こうもできそうだ」という仮定文に移行する必要がある。自分の意見、立場、アイデンティティへの愛着をゆるめる必要があるのだ。より大きく、自由な自己のために、小さく、窮屈な自己を犠牲にするということだ。したがって、こうしたストレッチは恐怖感と解放感の両方を与えるだろう。」(p.180)

最も難しいと感じるような状況、すなわち、こちらの期待するように相手が動かず、いったん休止して新しい前進の道を見つけざるをえないときこそ、学びが最大になる。
 そう、敵は最大の師になりうるのだ。
」(p.181)

これまでやってきた方法ではないので、そこに踏み出すには恐れ(不安)を感じてしまうでしょう。しかし、その恐れ(不安)を乗り越えて一歩を踏み出せば、そこに新たな境地が開けるかもしれません。これまで考えてもみなかった何かが見つかるかもしれない。
もしそうなったら、敵対する相手は邪魔な存在ではなく、その新境地を教えてくれる師であったとも言えるのですね。


言わんとすることはわかるのですが、相手がこのストレッチ・コラボレーションを理解せず、協力しようともしないなら、果たして上手く行くでしょうか?
もちろん、これまでのコラボレーション手法で上手くいかないのなら同じことではないか、とも言えるわけです。試してみない理由にはなりません。

ただ、もうちょっと上手にわかりやすく書いてほしいなぁ、という思いが残ります。外国人の著者に多いのですが、まるで小説のように自分の歩んだ道を書かれています。そういう文を読まされても、それが知りたいことではないし、後で役立つ情報かと思って読み進めても、まったく関係がなかったりします。
どうせ書くのであれば、ストレッチ・コラボレーションによって、当初想定していた解決策とは違う方法がどういう展開で見つかり、結果としてどううまく行ったのかという実例を書いてほしいものです。書かれていたタイの対立も、結果的に何の成果も残していないようです。

本書を読んで、「これで上手くいく!」とは感じませんでした。ただ、少なくとも自分がコラボレーションの必要性を感じているのであれば、その可能性を感情的になって捨てるような愚を犯さないために、役立つかもしれないな、とは思いました。


 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:05 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月15日

女子大生、オナホを売る

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おそらくX(旧Twitter)で何かのポスト(旧ツイート)を見て、面白そうだと思って買った本だと思います。タイトルもよくわからず、「女子大生」が何かをしたのか、そういう設定での話なのか、それすらよくわからずに買ったのです。(以前、女子マネージャーがドラッカーを読んだら・・・みたいな設定の本もありましたよね。)

そんなよくわからない状態で読み始めたのですが、内容はいたって真面目なマーケティング手法に関する本でした。ただ、著者の神山理子(かみやま・りこ)さん(通称:リコピン)が、かなり面白い人だということはよくわかりました。
ちなみに「オナホ」と言うのはオナニーホールの略で、男性用のオナニー補助器具のことを言うのだそうです。そういう方面にはあまり興味がなかったので、まったく知りませんでした。(存在は知ってましたけどね。)
リコピンさんは、そもそも下ネタが苦手。それなのに、自分でオナホを作って売るというD2C(Direct to Consumer:企業が自ら企画・製造した商品を、小売店などを通さず自社ECサイトで直接、顧客に販売する方法)をやって成功させたことが注目されているのです。それだけでなく、いくつかの事業を立ち上げては起動に乗せて売却するということをされているようです。

どうしたらそんなことができたのか、どういう思考回路だとそんなことが可能になるのか。とても興味深く感じました。
リコピンさんは、マグロ漁船に乗ってみたり、ひよこの仕分けをするなど、一般的な人があまりやらないようなことを積極的にされています。また高校生の時は、学校に七輪を持ち込んで魚を焼いたことで火災警報を鳴らし、スプリンクラーを起動させてしまい、停学処分も受けたことがあるようです。
こうしたことからも、一般的な人とは、そもそもの思考回路が違うのではないかと感じました。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

事業を成功させるには、良いコンセプトが必須です。
 これはtoBだろうがtoCだろうが、有形商材だろうが無形商材だろうが、例外はありません。
 良いコンセプトとは、「良いインサイトに突き刺している」ということです。
 そして「良いインサイトの発掘」とは、簡単にいえば「顧客の気持ちを、顧客以上に理解して、彼らすらも気づいていない悩みを代わりに見つけてあげること」です。
 そして、彼らすら気づいていない悩みに対して、「先回りして解決策を提供する」のがコンセプトであり、事業です。
」(p.48)

まぁ、これがビジネスの王道だと言えますね。簡単に言えば、顧客満足度に訴求するということですから。
ただ、リコピンさんも言われるように、顧客が不満を感じていても、何にどう不満なのか理解していないこともあるのです。そういう顧客に対して、「これが不満に感じるポイントですよね。そうでしたらこれによって解決できませんか?」というアプローチをする。単に顧客の声を聞くというレベルではないのです。

この点に関してリコピンさんは、徹底的にインタビューなどをしてリサーチしています。それも様々な観点から。具体的な手法に関しては、ぜひ本書をお読みください。


人が「面白い」と言ったものを、全力で楽しみ、相手の世界観に没入してみましょう。
 なぜなら、「面白い」と思われるものには、必ず理由があるからです。
 その理由を集め続けると、人が面白いと思うものを作るための手札となります。
 私はよく、出会った人に「最近、面白かったものは?」「今、ハマってるものは?」と聞きます。
 映画、アニメ、趣味、様々なことを聞いて、自分も見たりやったりするようにします。
 そのときの心構えとして重要なのは、試してみるという感覚ではなく、「心の底からそれを ”面白いもの” と捉えて全力で楽しむことで、相手の世界観に没入する」こと。
 すると不思議と、それの何が面白いのかがじわじわと理解できるようになり、新たなニーズが見えます。

(p.134-135)

自分の興味の範囲には限界があります。それでは新たなビジネスを生み出すことは難しいでしょう。自分がまったく興味がなくても、他の誰かが興味があると言っているなら、そこに飛び込んで、同じように感じるまで味わってみる。そういう姿勢が重要だとリコピンさんは言います。

でも、それはリコピンさんの才能だなぁと思いました。リコピンさんは、ビジネスを成功させるためにイヤイヤそれをやったとは思えないからです。そもそも、そうやって他人のことを詳しく知ることが好きなのだと思います。

そしてこのことは、人間関係において非常に重要な視点だと思いました。つまり、人はそれぞれ違うのですから、相手のことを理解できないことが前提なのです。そうであれば、同質を求めたり、同質を押し付けたりするより、異質を面白がる視点が重要ではないかと思うのです。


自分が買うもの一つひとつに対して、「なぜこの商品を買ったのか」と自問自答を繰り返します。
 「どこでその商品を知ったのか」「なぜ他の商品を買わなかったのか」「今、持っているものではなぜ満足できないのか」「それを購入することでどうなりたいのか」など、”「どうして?」責め” を繰り返していきます。
 「欲しい理由」をきちんと言語化できるようになると、思わぬインサイトに気づけるようになったり、キャッチコピー力が上がったり、PR戦略を思いつけるようになったりするなど、全般的なマーケティングスキルが上がります。
」(p.138-139)

リコピンさんは、単に興味を持つとか関心を寄せるだけでなく、それを言語化することを勧めています。
これは私も同感です。レイキの練習において、感じたことを言語化することで感性を育むことができると思っていたからです。言語化するとは、無意識を意識するということです。意識してこそ、自分の無意識を変えることも可能です。


ぱっと見た目はセンセーショナルな感じがする本書ですが、内容はいたってまじめなマーケティング手法に関する指南書でした。
そういう意味では、私としては少し残念であり、読んでいる途中で興味を失ったりもしました。けれども最後まで読んでみると、著者のリコピンさんそのものが、実に興味深い対象だなぁという気がしました。

なので、この本の紹介記事は書くまいと思っていたのですが、読み終えた後で急遽、紹介記事を書くことにした次第です。
マーケティングに興味がある人にも役立つと思いますが、私のような感性の人も、リコピンさんに興味を持たれるのではないでしょうか。


 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 08:05 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月09日

人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?

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X(旧Twitter)を見ていて、コロナ対策に関して私と同じような考えをお持ちの医師がおられたので、フォローしました。それが著者の森田洋之(もりた・ひろゆき)医師です。事実と論理に基づいて、堂々とコロナ対策のおかしさを主張されていました。特に、マスクやワクチンの押し付けに反対されたり、医療施設や老人介護施設における面会禁止措置のおかしさを指摘されるなど、素晴らしいご意見をお持ちだなぁと思いました。

その森田医師が夕張市で働いておられたことを知って、俄然興味が湧いたのです。財政破綻によって市立病院が大幅に縮小された夕張市。しかし、それにもかかわらずと言うか、それがあったからこそと言うべきか、夕張市の医療費は削減され、住民の健康状態も特に悪化もしなかったのです。そのことを知っていたので、森田医師の本を読んでみたいと思い、この本を買いました。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

2019年に始まった新型コロナウイルス騒動。
 医療業界をはじめ行政やメディアに先導されたこの騒動は、残念ながら「経済を壊し」「人々の絆を断ち切り」「自殺数を増加」させてしまった。
 私は経済学部出身の医師という立場から、このような過剰な感染対策によるデメリットを憂いていた。だが、この「過剰にコロナを恐れてしまう風潮」は2022年になっても依然として継続している。
」(p.2)

今後もこのような風潮が続くのであれば、それこそ「新しい生活様式」となって社会に定着し文化になってしまうのだろう。
 私はそんな「家畜」のような生活を、感染を恐れて人との絆や接触を断ち切るような社会を、絶対に子どもたちに遺したくない。
」(p.3)

高校のサッカー部で、部員の一部にコロナ感染者が出たと言うだけで、みんなが楽しみにしていた大会に参加できないなんて事態も発生しました。コロナの健康被害は非常に小さいとわかってきたにもかかわらず、人々は恐れから過剰に反応してしまっている。その過剰な反応によって、これまでの正常な社会生活が壊されているのです。
森田医師は、これが本書を書こうとした動機だと言います。愛する子どもたちに、このような社会を遺したくない。その強い思いが、あえて世の流れに抵抗させるのですね。


交通事故で3千人〜5千人、インフルエンザで1万人、自殺で2万〜3万人の日本人が毎年毎年死んでいるのである。ちなみにこれだけ大騒ぎしている新型コロナ肺炎は、この世に登場してから通算でまだ100人しか日本人を殺していない(注:数字は2020年4月現在のもの。ちなみに新型コロナ死は2020年が約3千人、2021年が約1万5千人)。」(p.13)

これは私も早い段階から主張していました。「交通事故を恐れて車をなくせ!と主張するのですか?」と。しかし、多くの人は論理では納得しません。マスコミから不安を煽られ、怖がる大衆に対して政府がこびて、その悪循環で無意味で無駄な対策がどんどんとられていった。私もそう感じています。


こうして高齢者は入院・入所した途端に行動を制限され寝たきりになっていく。
多くの高齢者の願いは、「自宅で好きなものを食べて、自分らしく生活したい」という至極単純なものだ。それなのに、世間や医療のゼロリスク神話はいともたやすく高齢者の生活を奪ってしまう。リスクを恐れるあまり、多くの高齢者は今「かごの鳥」になっているのだ。
」(p.18)

私も高齢者施設で働いていましたから、このことはよくわかります。ただ、恐れているのは医療関係者や家族だけではありません。当のお年寄り自身も恐れているのです。だから、関係者がみんな恐れて、恐れの相互作用によって、ゼロリスクを求める結果になっていると思っています。


自動車の製造を止めれば、交通事故で死ぬ年間100万人の命を救えたはずだ。でも僕らは歴史上決してその選択肢をとらなかった。意識するかしないかにかかわらず、我々はリスクと共存し、それを許容して生きてきたのだ。」(p.20-21)

理屈で言えば、まさにその通りなのです。けれどもほとんどの人は理屈で考えて選択しているわけではありません。恐れによって萎縮してしまっている。だから、論理的な選択ができないのです。


もちろん新型コロナにかからないことで健康を保つことも大事だが、過度の自粛や行動規制で親しい人たちとの交流が減ってしまって本当の健康が得られるのか?という視点はもっともっと大事だ。健康とは体の話だけでなく、心の健康も、社会的な健康(絆を紡ぐことで生まれる良好な人間関係・コミュニティーとしての健康)も含まれるのだから。」(p.23-24)

人も社会も総合的なものです。比べ得ないものを比べて、選択しなければならないのです。それなのに、感染しない、重症化しない、ということだけに特化した選択がなされてきた。この思考のいびつさには、本当に腹立たしく感じました。

マスクがよい、ワクチンが効く、人との接触を減らせば感染リスクが下がる、手洗い・消毒は基本だ。そんな話はすべて、事実の半分に過ぎない。マスクをしてもしなくても、人と接触してもしなくても、変異株ごとに効果が薄れてゆくワクチンを打とうが打つまいが、新型コロナにはかかるかもしれないし、かからないかもしれない。統計的に差があったとしても、自分で実感できるほどの差ではない。それよりも長年にわたってマスクをし、人との接触を避け、ワクチンを打ち続けるほうが負担の方がはるかに大きい。にもかかわらず、都合のよい面だけを取り上げれば、あたかも世のため人のために役立つ知識のように見えてしまう。」(p.26)

テレビを中心とするマスコミは、連日朝から晩まで同じことを繰り返し、国民を「恐れ」で洗脳してきました。一部の事実だけを切り取ることで、それだけが事実の全てであるかのように錯覚させる手法で洗脳したのです。もちろん、簡単に洗脳されてしまう国民がそのレベルだというだけのことですがね。


なぜ日本の医療業界は縦の機動性も、横の機動性も乏しいのか。それは、日本の病院の8割が民間で、基本的にお互いがライバルであること、そして国の指揮命令系統が及びにくいということが大きく影響しているのだ。ちなみに、先進国の病院は多くが公立もしくは公的病院で、純粋な民間病院は僅かである。」(p.39)

日本はコロナ病床が十分あったにもかかわらず、病院同士の連携が取れないなどで、一部で医療逼迫が生じた。つまり、病床数の問題ではなく、機動性の問題なのだと森田医師は分析します。そして、その元凶は市場経済による競争にある、と指摘されています。
この点に関しては異論があります。私はそうは思いません。このことは、また後で書きます。


合計特殊出生率日本一の鹿児島県・徳之島の伊仙町で子育てをするママさんは言う、
「地域のどこに行っても子どもたちが名前を呼ばれて可愛がられる。安心して地域の人間関係に子どもを任せられる徳之島での子育ては、都会での子育てとは雲泥の差」と。
 私の前任地・北海道の夕張市では、頻回に徘徊する100歳で重度認知症のおばあちゃんもアパートで一人暮らしをされていた。近所の人たちの何気ない見守りなどの「地域住民の絆」は、通常病院や施設でしか対処できないだろうと思われる高齢者の医療・介護需要を、いとも簡単に吸収してしまっていた。それはまるで、豊かな土壌が降り注ぐ雨を吸い込むようだった。
」(p.41-42)

私が住んでいたタイでも、暮らしている多くの日本人、特に女性から、子育てがしやすいという声が聞かれました。どこに連れて行っても、タイ人が子どもを歓迎し、大事にしてくれるからです。親が子どもを見ていなくても、お店の従業員が見ていてくれる。親が責められることがない。だから楽なのです。
お勧めしている
「神との対話」でも、進んだ文明では小さなコミュニティで暮らすと言っています。大都会では隣人の顔も知らなければ、どんな人が住んでいるかもわからないことが多々あります。そんな状態では、健全なコミュニティを作ることは難しいのです。

ただ、タイ人の妻を日本に連れてきた時、言われたことがありました。「人がいない」と。家はあるのに、車は走っているのに、人の姿を目にしないのです。田舎であってもそうです。人はそれぞれの家にこもり、または街に出かけていて、集落に人影がありません。タイでは、どこへ行っても人の姿があるのに。
昔のような縁側で夕涼みなんて文化も廃れました。人がいるのかどうかすらわからない家の中で、エアコンを効かせて、それぞれが孤立して存在している。それが今の日本のような気がします。そんな日本で、かつてのようなコミュニティは復活するのでしょうか?


薬を飲んでも無駄と言っているのではない。119人に1人でも、かけがえのない命を救えるのならそれは非常に大きな効果である。しかし、その1人に入れるのかどうかが「確率論」であるということに変わりはない。「それならは、副作用も考えて私は飲まない」という選択肢だって、間違いではないのである。」(p.51)

日本は画一的であり、同質を求められます。いや、同質を強要される文化があります。だから、個人の自由が往々にして侵害され、その侵害を当然とみなすのです。
タバコやアルコールの健康被害も同様です。たしかに統計数値には表れていますが、個人に現れるかどうかは確率的なもの。だからこそ、そのリスクを知った上で個人の自由に任せるというスタンスが重要だと思います。
自由に自分らしく生きること。それこそが、何よりも尊ばれるべきものだと思うからです。


つまり、少なくとも我々が頑張った「ソーシャルディスタンス・マスク・手洗い・消毒」などの感染対策は、客観的事実としてRSウイルスやその他ウイルスの感染拡大の防止にはあまり効果がなかった、ということだ。」(p.54)

コロナ対策として国民全体がマスクなどの対策を強要されたにもかかわらず、RSウイルスなどの感染症が多発したという事実があります。そういう事実を無視して、自称専門家がマスクを強要する。そしてそれをメディアが拡散し、政府が後押しする。まったく科学的ではない対策が、さも正当であるかのように堂々と行われ、押し付けられる。本当に愚かなことです。

アメリカの北部に隣接するこの2つの州は、全く違う感染対策を実施しているのだ。ノースダコタはマスクを義務化し、経済規制も強固に実施した。一方サウスダコタはマスク義務なし、経済規制もほぼ無し、いわゆるノーガードに近い非常にゆるい感染対策だった。その両者の感染者数を比較してみると、ほとんど一緒、きれいに同じ曲線を描いていることがわかる。」(p.57)

こういう事実の指摘は、SNS上でも多数見られました。しかし、メディアも政府も、そしてほとんどの国民も、恐れを捨てることはありませんでした。

ただ、日本の医療崩壊について言えば、世界一の病床数を誇っていながら、2年経ってもまだ全病床の2.5%しかコロナ対策に回せなかった。つまり医師会含め医療業界全体は新型コロナに対して一丸となって対処できなかったのだ。これではいくらピークを後にずらしても、いつまで経っても医療の受け入れ体制は微増しかないだろう。」(p.58-59)

今回のコロナ禍では、日本医師会がガンだということもよくわかりました。硬直した全体主義的な組織だからだと思います。まったく自由がなく、それぞれの医師が日本医師会に反して対策に立ち上がるということもなかった。
森田医師は、病院のほとんどが国公立なら、政府の鶴の一声で連携できたと思われているのでしょう。たしかに、そういうことが可能かもしれません。実際に諸外国がそうしているのですから。しかし、国公立ばかりの状態による弊害もあります。計画経済と同じですから、非効率で上手くいきません。保育園の経営を見れば明らかではありませんか。

私はこういう問題は、むしろ個々が自由に考えて行動できるようにすることによって、その時にふさわしいリーダーが現れ、やり方が出てくると思っています。問題なのは硬直した全体主義的組織であり、その解決策としては自由の推進しかないと思っています。


実は、私がいままで

「大事なのは重々わかるんだけど、今ちょっと忙しいから…」

と後回しにしていたコミュニケーション術のキーワードがそこにあったのだ。

 つまり、

「へ〜」=傾聴
「そうだよね〜」=共感
「わかる〜!」=承認

 今までコミュニケーションスキルの講演などで散々聞いてきた「傾聴」・「共感」・「承認」って、これなのか!と。
」(p.108-109)

ファミレスで若い女性が、延々とこういう会話をしていたのだそうです。話題は日常の些細なこと。それに対して必ず「へ〜」「そうたよね〜」「わかる〜!」と繰り返し相槌を打つ。そこにコミュニケーション術の極意を見出されたのだそうです。
これはたしかにそうですね。特に男性は解決策を示そうとしたり、どうでもいい話題だと面倒くさがって無視しがちです。私もそうなので耳が痛いです。(笑)

けれども女性のこの共感的な会話は、相手を否定せずにありのままに受け入れています。何も解決策を示さないから無意味なように見えて、実は問題解決になっているのです。
それは、問題というのは、その人が問題だと思うから問題なだけだからです。受け入れてもらうことで心が軽くなるということは、問題視しなくなっているということ。つまり、問題が解消しているのです。


徘徊するから鍵をかける。おむつの中の便をいじるからツナギを着せる、夜中に暴れるから睡眠薬を飲ませる…。こんなことさせられたら心のやさしい介護職ほど真っ先に辞めていきます。ウチでは介護のゴールは『信頼関係の構築』とスタッフに言っています。そのためには何をしてもいいと。施設に鍵をかける、というのは、爺ちゃん婆ちゃんを信用していないということ。だからウチでは鍵はかけない。外から鍵をかけられた、監獄のような場所にいて気持ちのいい人がいますか?そんなところで信頼関係が生まれますか?徘徊するなら、とことん付き合う。信頼関係ができれば、ここが居場所として落ち着ける場所になったら、徘徊という周辺症状は消えていきます。居たくない場所だから徘徊するんです。」(p.123-124)

この拘束の問題は、老人介護だけでなく障害者介護においても同様ですね。私は老人介護施設で働いていたので、拘束されるお年寄りを見てきました。だから、私自身は老人介護施設に入りたくないし、家族を入れたくもないと思っています。
けれども、本当にここにあるように拘束せずに上手くいくのか? という疑問はあります。この引用した文は、神奈川県の郊外で介護施設を経営する加藤忠相氏の言葉だそうです。信頼関係を作れば拘束は要らなくなるとのこと。
でも、意思の疎通さえできないお年寄りに対して、どうすればいいのでしょう? 徘徊すればずっと付き添うって、いったい誰が付き添うのでしょう? その介護士にも生活があるし、仕事の割当もあるのではありませんか?

この方以外にも、拘束は不要だと主張される方はいらっしゃいます。しかし、現場を経験した私には、それが可能だとはなかなか思えないのです。機会があれば、その拘束しない介護を体験させていただきたいものだなぁとは思いますが。
実際に繰り返し便いじりをするお年寄りの布団や衣服を洗い、ベッドや床をきれいに拭き、手を洗って爪に入った便を取り除いてあげるということを、毎日のようにやってみてください。それも暇な時間にするのではなく、食事前の忙しい時間にすると考えてみてください。どんなに心優しい介護士だって嫌になるでしょう。便いじりできないようにツナギを着せたり、ミトンをはめたくなってしまうのです。そういう介護士のつらい思いも、わかってほしいなぁと思います。


でも、よく考えてみれば「何かあるに決まっているのが人生」。特に高齢の方々にとって人生はそんなに長い時間が残されておらず、その短い余生の最後に「何か」があって人生が終わるわけである。
 その「何か」が何になるのか、何にするのか…。その人生の選択は本人の課題であって我々医療者の課題ではないのではないだろうか。

 そう、実は「何かあったら困る」のは患者にもまして医者のほうなのである。
」(p.128)

これは医療者だけでなく、介護者にも言えますね。家族もそう。つまり、周囲の人にとって、その人に何かあることが受け入れられないのです。自分たちの責任にされてしまうから。
では、その責任を押し付けているのは誰か? それは本人と言うよりも世間であることが多いように思います。何かあったら、まったく関係のない人たちから責任を問われる。日本にはそういう同調圧力があるのです。

そういう同調圧力があるから、医者が対処しなければ世間も家族もその医者を叩きます。だから医者はリスクを負えない。
では誰がリスクを負うのか? 本人しかいません。しかし、それが認知症になっているお年寄りとなると、どうでしょうか? 本人が責任を負うことにできますか?

わかっているのです。本当は本人の自由にさせてあげたい。でも、それを許さない空気がある。その空気に抵抗するのは難しいのです。
けれども、この風潮を変えていかない限り、私たちはみんなが誰かに押し付けられて自由を奪われる運命にあるのです。


しかし、問題はどちらの立場に立つかではない。後述するように、どちらの立場に立っても本質は同じ、「他者の多様性を受け入れてあげられること」と「それでも味方でいてあげられること」だと私は思っている。」(p.131)

森田医師はコロナのワクチンを受けない考えですが、奥様は受けられたそうです。それを公開された時、批判するコメントも多々あったようです。奥様を説得すべきではないかとか、放置しておいてそれで愛と言えるのか、などなど。
私は、森田医師の考えに賛同します。なぜなら、愛は無条件だからです。無条件とは、相手がどうするかは相手に任せる、相手の自由にさせるということです。相手がどうであれ、それを受け入れるのが無条件の愛ではありませんか。


もしかしたら、彼も孤独に一人で悩んでいたのかもしれません。患者さんの行動変容も、若手医師の行動変容も一緒なんですね。人の心を動かすのって「味方になる」ことからしか始まらないのかも…。」(p.144)

タバコをやめようとせず、糖尿と血圧の薬を出せという患者に、どう向き合えば良いかと悩む若い医師に対して、森田医師は「味方になること」をアドバイスしたのだそうです。つまり、まずは信頼関係を築くってことですね。信頼関係がない状態で上から目線で命令されても、誰も従おうとはしませんから。
そして、この若手医師に対するアドバイスも同様で、上から目線で正論を吐くのではなく、まずは受け入れて、味方になることが重要だと森田医師は思われたようです。

ただ、それがテクニックであっては意味がないと思います。目的が患者を変えることであるなら、味方になることがテクニック(方法)になってしまいがちです。
先ほどのワクチンの話でもあるように、目的が「味方になること」でなければならないと思います。つまり、愛することです。相手を完全に受け入れて、相手を信頼して、完全に味方になることです。ただ、自分がどう考えるかは正直に伝える。たとえ嫌われたり、反発されたりしようと。自分に正直であることです。
その結果、相手が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。でも、その結果はどうでもいいのです。目的は、味方でいることですから。


もちろん、国全体で集団免疫を得るためには若者のワクチン接種も必要、という議論はあるだろう。
 ただ、リスクが限りなくゼロに近い若者に対して、

「国全体の利益のためなのだから、妊娠・出産などへの長期的な副作用のリスクには目を瞑れ」

という全体主義的な論調には大いなる違和感を感じる。強く反対の意を表しておきたい。
」(p.154-155)

重症化しやすいお年寄りの命を守るために、ほとんど重症化しない若者もワクチンを打つべきだ、という主張も多々ありましたね。「(高齢者の)命と経済とどっちが重要なんだ!?」と迫る人もいました。
私も森田医師の考えに賛同します。リスクというのは、全体を見る必要があるのです。もちろん、考え方は人それぞれでしょう。だからこそ、一方的に押し付けてはならないと思います。


病院は「治療の場」です。そこでは安全・安心が基本です。
 「ノドにご飯を詰まらせたら大変!」と絶飲食、「転んで骨折したら大変!」とベッドの上で安静に。

 病院でなにかあったら大変ですからこれは当然です。
 でも古川さんは安全・安心を得た代わりに「生活」を奪われて寝たきりになってしまった。
 「生活の場」に戻っただけで元気になって、昔の教え子にも会えるようになった。
」(p.187)

末期の肺がんと認知症で入院していた古川さんは、寝たきりで話すことも食べることもできなくなっていたそうです。それが宮崎県の「かあさんの家」に入居したら、1ヶ月で自分でご飯をモリモリ食べるようになり、昔の教え子が訪ねてくれば昔話をして楽しむようにもなったのだとか。

これは、刺激のないただじっとしているだけの病院から、生活の場に戻ったことによる変化でもあるのでしょう。あるいは、ここには書かれていませんが、薬の影響もあるのではないかと思います。末期のお年寄りに対しても、たくさんの薬を飲ませる医者はいます。
本当に守るべきは命なのでしょうか? それとも、人間らしく生きることなのでしょうか? まさに、この本のタイトルで問われていることですね。


今、夕張市では病院がなくなった代わりに、24時間対応の在宅診療、24時間対応の訪問看護がすべて揃っているんです。

 夜中でも馴染みの医師・看護師が見に来てくれて、診察してくれて、家で点滴までしてくれる。
」(p.192-193)

財政破綻した夕張市は、市民病院を1/10に縮小したそうです。ただし、在宅医療にシフトすることで、その穴を埋めようとした。それが功を奏したということのようですね。
豊かになった日本では、何が何でも大病院で最先端の医療を受けたい、と考える人が多いようです。けれども、そうすることが必ずしも生活の質に寄与するわけではないということが、この夕張市の実例からわかる気がします。


これは少なくとも、経済学的な最適な状態=「限りある医療資源が全国民に適切な量だけ分配されている状態」とは言えないだろう。各都道府県によって医療の提供量がこれだけ違うのだから言い訳のしようがない。まさしく「市場の失敗」と言っていい。」(p.210)

県別に人口あたりの病床数と1人あたりの入院医療費を見てみると、相関関係があることがわかったそうです。つまり、病床数が多い県ほど、1人あたりの入院医療費が高くなっている。
その理由はいくつか考えられますが、病床があるのだから埋めてしまおうという考えが広まっている、ということだろうと思います。医療者は、入院した方が安全だし、その分、病院も儲かると考えるし、患者も入院した方が安全だと考える。そしてそれを容易にしているのが国民皆保険制度です。懐があまり傷まないのですから、安易に入院を選択するでしょう。

こんな状況で、我々日本国民は「医療を自由競争・市場原理に任せてきてよかった」と言えるのだろうか。

 もう一度言う。医療はビジネスには馴染まない。
」(p.215)

森田医師は、医療がビジネスとして行われているからこういう問題が起こるのだと考えておられるようです。
しかし、私はそれは違うと思っています。医療界に自由競争なんてありませんよ。自由競争というのは、他の誰かの指示に従うのではなく、事業者が自分で考えて価格やサービスを決められるから成り立つのです。国民皆保険制度によって医療のサービスや単価を政府に決められている状態で、どうやって自由競争が行えるのでしょう?

これは保育もそうです。介護もそうです。政府が事業に関与し、売値を決めてしまっている。だから事業者は、その売上の中でコストを考えなければならない。だから保育士や介護士の報酬を上げることもできず、人手不足になっているのではありませんか。

医療もそうです。コロナで病床の増減に機動性を欠いたり、病床や医療スタッフの貸し借りもスムーズにできなかったのは、自由競争が邪魔したわけではありません。逆に、自由競争じゃないからできなかったのだと思います。
もし、サービスと単価を事業者が自由に決められたらどうですか? 病床が足りない県があれば、隣県の病院が「うちで引き受けるけど10%増しでどう?」というような取引もできたはずです。患者に対しても、「10%増しならすぐに入院できるけど、そうでないならしばらく待たないといけない。どっちを選びますか?」と、それこそ患者の自由意思を尊重できたはずです。
また、政府や自治体が運営するから、無用に病院を作って病床を増やし、医療費を増加させていたと言えるのではありませんか? 儲からなければ削減するという市場原理が働けば、病床数も適正に維持される。そのことを夕張市は示したのではありませんか?


日本では、何でも同一サービス同一料金が当然だ、という考え方が広がっていますが、世界ではそんなことはありません。タイでは、同じ路線のバスであっても、乗車賃が違います。サービス内容に違いがあるからです。乗客は、どのバスに乗るかを自分で選ぶことができます。日本には、そういう自由がないのです。
だから、タクシー業界を守るためにライドシェアが解禁されません。海外で利用した人なら、その便利さがわかります。けれども、利用したことがない人が、恐れ(不安)から反対しています。
自分が怖いなら、自分が利用しなければいいだけのことです。これまで通りにタクシーを利用すればいいではありませんか。それなのに、他人がライドシェアを望んでいるのに反対し、他人の自由を奪おうとする。

こういう自由がないのが日本の社会なのです。だから選択的夫婦別姓制度や同性婚制度の導入にも、関係のない人が反対する。ただ怖いから、不安だから反対して、それを願う人々の自由を制限しようとする。ぜんぶ同じ構図じゃありませんか。
そして、医療界も同様です。自由がない。規制ばかり。不安や恐れを背景に、政府がコントロールしようとする。どこにも自由競争なんかありませんよ。森田医師は、そこを正しく理解していないと感じました。


私は、この本で述べられている森田医師の基本的な考えには賛同します。ゼロリスクはないし、比較が困難なものを比較して何かを選択しなければならないなら、それは本人が決めるべきなのです。
だから私も、自由を奪われてまで長生きしたいとは思いません。ただ生きながらえるだけの人生はお断りします。

けれども、そういう自由が多くの場面で奪われているのが、今の日本社会なのです。ぜひ、そういうことを考えてみてもらえたらいいなぁと思います。
そして本書は、そういうことを考えるきっかけを与えてくれるものだと思います。


 
タグ:森田洋之
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:30 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月21日

死を力に。

book20230921.jpg

何を見て興味を持ったか忘れましたが、おそらく最近、SNSで発売を知って買った本ではないかと思います。
著者は、亡くなられた竹田和平さんの一番弟子と自称しておられる山本時嗣(やまもと・ときおみ)さんです。和平さんには他にもお弟子さんがおられて、Facebookでフォローしてたりするので、そういうところで縁があったのではないかと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

この本は、
「死の恐怖」から解放されて
「死を力に」変えることで
「絶対幸福」を手に入れる本です。
」(p.2)

まず冒頭にこう書かれていました。
私も、「愛の対極が不安や恐れだが、その最たるものは「死の恐怖」だ」と考えています。なので、どうやって死の不安や恐れを乗り越えるかについて、あれこれ考えてきました。そういう意味でも、この本に興味が湧きました。


そんな中で、自分なりに20年以上、死についての研究を進め、理解と実体験を深めていった結果、ある結論に至ったのです。

 それは、人は死んでも意識は残るということ。

 また、大切な人の死は、強く生きる力に変えることができるということ。

 そして、亡くなった人は、残される側の人たちにたった一つの「願い」を遺しているということ。

 その願いとは、あなたが幸せであることです。
」(p.5-6)

私もいろいろ考えてきて、今はこの考え方に納得できますね。


あるとき、「お姉ちゃんたちは素晴らしい子だったから、仏さんのそばに行ったんだよ」とお坊さんに言われたことで、新たな疑問が湧いてきます。
「素晴らしい人はさらわれるの? 私はお姉ちゃんたちと違ってやんちゃな子だから取り残されたの?」
 自分が生きていることへの罪悪感が芽生えた瞬間です。
 ただ一人、高齢の住職さんだけは死への疑問に対し、「それはな〜ワシもわからんわ」と答えてくれました。このときが一番癒やされたのを覚えています。
」(p.30-31)

どちらの気持ちもわかります。お坊さんは、慰めたくてそう言ったんですよね。死を悲惨なものではなく、もっと肯定的に捉えてくれれば、心が安らぐと思ったからです。けれどもそれを聞いた側は、その裏側を見てしまう。そのために落ち込む。
ただ、何を言われたとしても、捉え方(見方)はいろいろあるなぁと思いますがね。どう言うのが正解、ではないのですよ。


和平さんは数多くの著作や講演でメッセージを残していますが、それらすべてに共通する「人生成功の奥義は何か?」と尋ねたとしたら、
「まろアップすればいいんだがね」
と答えてくれると思います。
 では、具体的に「まろアップ」するにはどうしたらいいのでしょうか。
 僕が和平さんに出逢った当時は、人生のドン底で苦しんでいるときでした。
 そんな僕の困窮話から、親父の死、うまくいかないパートナーシップの話まで苦しい心境を正直に吐き出すと、和平さんはこう教えてくれました。
「君は『ありがとう100万遍』をしたほうがいいがね」
 どういうことかというと、人生がうまくいかない人は「ありがとう」が圧倒的に足りていない。だから、「ありがとう」を1年間に100万回言うと、人生が自然にどんどん良くなるというのです。
」(p.80-81)

小林正観さんも同じようなことを言われてますね。ちなみに1日3千回ほど「ありがとう」を言うと、1年で100万回以上になるそうです。1日10時間ほど意識して言えるとすれば、1時間に300回、1分に5回ですね。正観さんは期限を区切らず5万回だったと思います。いずれにせよ、最初は気持ちを込めなくていいから「ありがとう」といい続けるという行(ぎょう)ですね。


では、僕たちが天へ意識を向けるには、具体的にどうすればいいのでしょうか?
 それは、大切な故人の幸せを想いながら「祈り」と「感謝」をするだけで充分。
 祈りと感謝で、僕たちの意識が瞬時に天とつながることによって、不安や苦しみ、絶望などさまざまなネガティブな感情を愛の意識で受け入れ、人生を肯定できるようになります。
」(p.138)

逆に言えば、何があろうとも人生を肯定し、愛を選択すればいいってことですよね。
山本さんもそうですが、出来事は悲惨なことだったり理不尽なことだったり、ネガティブに思えることが起こるのです。しかし、そこでどういう見方を選択するかは、その人の自由です。ですから自分で、自分にとって都合の良い見方、感謝したくなる見方、愛を感じる見方を選択すればいいのです。


もうそろそろ、神様と人間は同じ志を成し遂げるためのパートナーとして「フラットな関係性」で付き合ったほうがいいと思っています。
 なぜなら、神様意識で生きる人は、お互い相思相愛になって、神様の志や願いを肉体がある人間が代わりに叶えるという、持ちつ持たれつの間柄になれるからです。
」(p.177-178)

ここで言う神様とは、日本の神様で、いわゆる八百万の神々です。和平さんはえびす様をメンターとし、あるいは生まれ変わりと思って生きておられたのだとか。山本さんも、それを受け継いでいると言われています。
日本の神様は、だらしないところがあったり、失敗したりと、どこか憎めない親しみやすいものがありますからね。そういう意味では友だちになるのも容易だし、近づきやすい存在かもしれません。

私がおすすめする「神との対話」でも、そのシリーズに「神との友情」という本があるように、神と友情を結べるとあります。対等な関係なのです。ただこっちは一神教ですから、よりハードルが高いかもしれませんがね。
でも私は、そもそも神と我とは一体だという観点に立つなら、この世のことはすべて神との共同作業とも言えるわけで、そもそも神とは友だち関係であるという見方もあると思っています。


彼らは最期、家族と日本を守ることに少しでも役立ちたいという思いをもって、未来の日本の幸せを願い、自ら志願して逝ったことがわかりました。
 だからこそ、彼らが遺した最後の写真(遺影)は、みんな爽やかな笑顔なのです。あの笑顔は、僕たちの幸せな未来を願っての笑顔だと僕は信じます。
 英霊の想いを知って、僕は強く気づかされました。
「僕たちは幸せに生きなければいけないんだ。彼らが本当は生きたかったように、幸せに豊かに生きることが、僕たちの ”義務” なんだ」と。
」(p.198-199)

私も知覧へ行ったことがありますが、山本さんはこのように思われたそうです。
ただ私は、幸せに生きる義務があるとまでは思いません。「義務」という言葉は、何だか重くのしかかるんですよね。私たちは本来「自由」ですから、その自由な意思で、幸せや豊かさを選べばいいと思います。私は、もっと軽やかに生きることが大事だと思うのです。


これだけ読むと、「何を言っているんだ! 不謹慎な!」と思われるかもしれませんが、ここでお伝えしたい重要なことは、
「亡くなった肉親が、実は ”家系のカルマ” を、死をもってすべて解消してくれた」という可能性があり、そうとらえることができるということです。
」(p.200)

山本さんは、自殺や非業の死も、家系のカルマを解消することだから感謝できると言われます。
う〜ん、こう言っちゃうと重くなるし、矛盾が生じるんだよなぁ、というのが私の正直な感想です。だって、自殺でカルマを作るとも言ってるじゃありませんか。どっちなの? もし、正しく生きた人が理不尽に追い込まれて自殺すればカルマを解消できると言うなら、カルマの解消は自殺じゃなく、理不尽な目に遭っても正しく生きるってことじゃありませんかね? では、「正しく生きる」とはどういうことでしょう? 世間の言う「正しさ」に従うことですか? それとも、それに反しても自分の生き方を追求することですか?

まあ、考え方はいろいろあるので、家系のカルマを解消したんだと信じられて、それで気持ちが軽くなって感謝できるのなら、それでもいいのだろうと思います。でも、そうであれば重要なのは、自分の気持が軽くなる見方を選ぶことであり、何があろうとも感謝して生きるってことになりませんかね?


スピリチュアル的なことがまだよくわかっていない人にとっては、こういう山本さんのような言い方の方がわかりやすく腑に落ちやすいのかもしれませんね。そういう意味では、私も同感です。
ただ、今の私からすると、ちょっと物足りない。もっと本質に切り込んでほしいなぁと思ってしまいます。より本質的なメッセージを発する人が増えれば増えるほど、全体の意識が変わっていきやすくなるからです。

なので、まだ死が怖いと本気で怯えているような人、自殺したくなるようなうつ症状がたまにあるような人は、こういう本を読んだらいいんじゃないかと思います。


 
タグ:山本時嗣
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:01 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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