2018年04月05日

タイの田舎にある妻の実家に戻りました

3月24日の夕方から始まったバリ島旅行は、4月1日の朝、妻の実家に戻ったことで完結しました。

今回は、最後にバンコクから妻の実家に戻るまでのことを書きますね。
そこまでのことは、これまでのブログ記事に書いてありますので、そちらをご覧ください。

「バンコク・ドンムアン空港でリエントリー・ビザを取得する」
「バリ島へ来ました」
「バリ島2日目はマルガ英雄墓地へ行きました」
「バリ島旅行3日目以降」



では、そのバリ島最終日からの話です。
朝、7時過ぎに入国審査(イミグレーション)を出て、ターンテーブルで周回していたスーツケースを受け取り、すぐにターミナル1を右手に向かいます。

案内には右手にバス乗り場とは書かれていません。
飛行場の外に出て、大通りにある空港前のバス停からバスに乗るのです。
この行き方がわかるのも、バスを使って空港に来たお陰です。

空港内に入るバス(A1やA2など)はあるのですが、来る時にこれを使っていると、帰りはわからなかったんです。
A1やA2などのバスは、7時半が始発のようですから、今回はそれでも良かったのですけどね。(笑)
ただ、空港バスは30バーツしますが、一般のバスは15バーツ前後なので、少しお得です。

29番か510番と思っていたら、わりとすぐに510番が来ました。
それに乗って、BTSのモーチット駅に向かいます。

そこからはBTSでプロンポン駅まで。
バンコク在住時にお世話になっていたサロンに、スーツケースを置かせていただきました。


[トピック:バスの乗り方]
バスの乗り方は、他のサイトにも乗っていると思いますが、簡単に説明します。

バスの経路は、事前に調べておいて、バス停でその番号のバスが来るのを待ちます。
バスが来たら、手を腰の位置まで上げて上下に振り、バスを停めます。
バスは、必ずしも停留所の目の前では停まりません。少し前に停まったり、1車線開けて停まることもあります。

バスが停まったら、さっさと乗り込みます。
ぐずぐずしていると、乗らないと思われて発車してしまいます。
なので地元の人は、急ぎ足で乗車口に向かいます。

乗ったら車掌がやってくるので、行き先を告げ、料金を支払って切符を受け取ります。
目的地近くになったら降車口近くまで行って、停車ボタンを押して運転手に知らせます。
停車したら、ぐずぐずせずにさっさと降ります。

日本のように、「バスが停車してからお立ちください」なんてことはありません。
ぐずぐずしていたら、バスはさっさと発車してしまいますよ。

また、最後に降りる場合、まだ降りきっていない状態でバスが動き出す場合があります。
乗る場合も同様です。
なので乗り降りする時はしっかりと手すりをつかみ、そういうことを予想しておきましょう。

それから、バス停には名前がありません。
近くのランドマーク(目印になる建物や場所)を告げます。

したがって、だいたいの場所を車掌に告げられること、バスが目的地に近づいたことがわかることが、バスを乗るための必須条件となります。

親切な車掌が、目的地に近づいたと教えてくれることもあります。
しかし、車掌の認識と自分のそれとが違っていることもありますので、Googleマップなどを見ながら、現在地と目的地を把握しながら乗っているのが良いと思います。

 

バンコクでの用事は、友だちに会うことと、買い物をすること。
それ以外はフリーなので、ビールでも飲んで過ごそうかと思っていました。

10時過ぎに友だちと連絡が取れなかったので、取り敢えずビールを飲みに近くのロイヤルオークへ。
ここは、バンコク在住時によく行ったスクンビット・ソイ33/1にあるオープンエアのバーです。

飲んでいる間に連絡が取れたため、12時ごろ、近くの友だちのアパートに伺いました。

友だちからのおもてなし

嬉しいことに、和食のアテとビアリオーが用意されていました。
私からはバリのお土産と1時間ほどのレイキ。
こうやって1時間レイキをさせていただけるのは久しぶりだったので、私もとても嬉しかったです。


3時間くらいおしゃべりやレイキをした後、そこをお暇(いとま)して買い物へ。
思ったようなものはなかったのですが、取り敢えず「さつまいも」を仕入れました。(笑)
これをタイの田舎で栽培できたらいいなぁと思っているのですが・・・。

そして、午前中はハッピーアワーじゃなかったということで、16時からロイヤルオークにリベンジです。(笑)
出発予定の17時過ぎまで、ビールを飲んで過ごしました。


そこからバスも考えたのですが、混んでいると嫌だと思い、BTSでモーチット駅に向かいます。
以前、モーチット2(北バスターミナル)にBTSとバスに乗って1人で行ったこともあるので、こちらは慣れたものです。

妻から教えてもらったのは3番のバス。
ところが、待てど暮らせど3番のバスがやってきません。(本数が少ないようです。)
そのうち、19時になってしまいました。

バスの出発は20時です。
いつもは安全のために、1時間前にはモーチット2へ行くのに・・・。

隣にマイクで案内しているようなおばさんがいて、他の人が行き先を尋ねているような感じでした。
それで私も、モーチット2行きのバスを尋ねてみました。

すると、77番など何本かあるとのこと。77番だったら、もう何本も見送ったのにー!
次に来た77番に乗って、何とか20分前にモーチット2に到着しました。(汗)


そこからは、いつもの乗り場へ行って、バスに乗り込むだけです。
後は翌朝、妻の実家の近くの街(バーンムアン)に到着するのを待つばかりです。

バンコクからバーンムアンへ

バスなので、だいたい10時間かかります。
この日は、予約した乗客が来ていなかったからか、20分遅れで出発しました。

バスに乗ると、水とお菓子が用意されています。
そしてバンコク発では、簡単な食事が出発直前に提供されます。(先に売り子が食事などを売りに来ますが、あわてて買う必要はありません。)

車中は、かなりリクライニングで倒せるし、シートの横幅もあるので快適で、ほとんど眠って過ごしました。
明け方6時前になると、そろそろ降りる人が増え始め、車中には軽快な音楽が流れます。
こちらは、動画でご覧ください。




途中で、停留場所でもなさそうな場所でバスが停まりました。
豚肉を売っている店の前のようです。

路端の豚肉屋

なぜ停まるのかと不審に思っていたら、そこにお客さんが現れました。
どうやらバスの乗務員さんのようです。



今日のおかずに買って帰るよう奥さんから頼まれたのでしょうか。
こんなところもタイらしいです。


この日はバスの到着が遅れているようです。
いつもなら6時過ぎには到着するのですが、Googleマップで確認すると、終点まではまだかかりそうです。
なので、途中の景色を動画に撮ってみました。



赤土が時々見えると思います。
乾季中は作物があまり採れないので、荒れた田畑のような景色も見られます。

朝日が昇ってきたので、それも撮影してみました。



あー、またここへ戻ってきたんだなぁ。
そんな感慨に浸ります。

道中は、ところどころ集落の中を通ります。
終点まではまだありますが、比較的に大きな集落の様子を撮ってみました。





わかりづらいかもしれませんが、お坊さんの托鉢姿も映っていますね。
この後、30分くらいして朝7時過ぎに終点に到着しました。

 

そこからは、妻のおばさんの家に行って、預けてあるオートバイを受け取り、乗って帰れば旅は終わりです。

ところが、おばさんの家がわかりません。(泣)
もう3回くらいは行っているのですが、私はどうも物覚えが悪いようです。
おそらくこのあたりと思われた場所を何度も行き来しますが、どうも入口が違います。

妻をLINE通話で呼び出しても応答しません。
しばらく呼び出し続けて、やっと応答してくれました。

どうやら、タラート(市場)からの距離が間違っていたようです。
タラートの裏通りを、交差点を超えて行かなければならなかったところを、交差点の手前で探していました。

その交差点から入ってきて、「たしかタラートの先だった・・・」と思って、タラートまでやってきたから見つからなかったのです。
本当は、タラートとは逆方向へ行かないといけなかったのに、その可能性がすっかり頭から落ちていましたよ。


すったもんだの挙げ句、無事におばさんの家へ到着しました。
お土産をお渡しして、預けてあったバイクを引き取り、それに乗って妻の実家まで約20分で到着しました。

3月24日の夕方から始まったバリ島旅行は、4月1日の朝に完結しました。
いろいろなことがありましたが、これもまた素晴らしい経験ですね。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:00 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月03日

バリ島旅行3日目以降

2018年3月24日の夕方から4月1日の朝まで、タイの田舎から離れていました。
夜行バスに乗ってバンコクに着いたのは25日の朝。その日はソフトボールに参加して、あとは買い物をして、友だちの部屋に泊めてもらいました。

翌日(26日)の早朝、ドンムアン空港へ行ってリエントリーパミットを取得し、バリ島へ向かいました。
バリ島に到着したのは、もう夕方の17時ごろ。成田組や関空組とここで合流し、バリ島旅行が始まりました

バリ島の位置
→ バリ島の地図へ[Googleマップ]


翌27日は、マルガ英雄墓地を訪ねて、インドネシア独立戦争に貢献した日本人兵の墓に参りました。

なお、到着したデンパサール空港は、ングラライ空港と呼ばれています。お札に肖像が描かれている独立戦争の英雄、グスティ・ングラライ将軍の名前を付けられています。この空港の近くがクタと呼ばれる中心街になっています。

バリ島南部

クタから北の山手の方へ行くと、そこにウブドと呼ばれる地区があります。今は、高級なホテルがあるリゾート地のようです。私たちが2日間泊まったホテルも、ここにありました。
マルガ英雄墓地は、ウブドから北西西方面に約10km行ったところにあります。

 

●バリ島3日目(28日)
まずはアニキ邸のあるネガラへ向かいます。
ネガラ地区は、バリ島の西部になります。私たちが泊まったLabak River Hotel(ラバック・リバー・ホテル)から約100km離れています。

リゾートホテルの朝

ホテルを10時にチェックアウトすると言うので、ベランダでリゾートホテルを味わってみました。
ビンタン(BINTANG)ビールが美味しかったです。




移動の途中で、アニキがよく食べに行くという食堂のようなレストランへ行き、「丸さんがいつも食べているもの」と注文しました。

アニキのラーメン

これはまさにラーメンでした。汁も日本のラーメンの味だし、インドネシアで有名なミーゴレン(汁なしラーメン)とは違ってスープもたっぷりです。量もけっこうあります。

あとでアニキから聞いたのですが、このラーメンそのものは以前からあったそうです。ただ、普通は量が少ないのですが、アニキが大きな器を用意させたのだと。
そう言われてみると、他の現地の人たちが注文していたのは、もっと小さなどんぶりでした。


その後、アニキ邸に向かいました。アニキがリビングで出迎えてくれました。

アニキ邸の門を入る アニキ邸のリビング

さっそくビンタンビールをいただきましたが、コースターが「Aniki」になっていました。

挨拶を済ませた後、私たちは近くのシーフードBBQのレストランへ。
河口近くにあり、夕日がとても幻想的でした。

シーフードBBQの店の前で 幻想的な夕日

その後、またアニキ邸に戻り、エンドレスでアニキや参加者たちと話をしました。
この旅の主目的であったアニキと会えたので、記念のツーショットを撮らせていただきました。

アニキとツーショット

深夜3時も近づいたころ、恒例のジャグジーへ。ビンタンビールを飲みながら、おしゃべりをしたり、映画を観たり。

アニキ邸のジャグジー ジャグジーでまったり

私は朝4時前にお暇(いとま)しましたが、最後の方(実は白駒さん)は5時くらいまでおられたそうです。

 

●バリ島4日目(29日)
翌日は、11時に出発して、まずはアニキと白駒さんが共同所有している豪邸を見学させていただきました。

白駒さんの豪邸で

そこで、これもまたこの旅の主目的である白駒さんとお会いできたので、記念のツーショットを撮らせていただきました。
場所は、アニキ邸から北へ行ったところにあり、幹線道路よりやや南です。(下の地図の中央の印です。)

その後、さらに北部にあるアニキが開発して販売している物件(土地)を見させていただきました。(すでに完売だそうです。)

アニキ邸、白駒邸、物件の地図

その後、ミンピというリゾートへ行きました。島の西端を回って少し北上したところにあって、ラグーンがきれいな温泉リゾートです。

サインをする白駒さん ビールを飲みながらまったり

食事の後は、各自、マッサージを受けたり、プールで泳いだり、温泉につかったりして楽しみました。
私は、まずは温泉につかりました。露天風呂ですが、水着を着て入ります。熱いプールですね。

ミンピの温泉

その後はプールへ行きましたが、足がつかずに溺れそうになりました。(笑)
その後は時間まで、ビールを飲んでまったりしました。

帰りの集合時間(18時)に合わせて集合場所へ向かったのですが、途中で道に迷ってしまい、少し遅刻してしまいました。
お陰で、1日早く帰られた白駒さんを見送りできませんでした。

その後、またアニキ邸に戻りました。着いたのはもう22時近くです。それからアニキと談笑しました。

アニキ邸で談笑 ロブスターの味噌汁

アニキは、地元で捕れたロブスターの刺身、その頭を使った味噌汁でもてなしてくださいました。
この日は、すでに寝落ちしている人も出てきて、ジャグジーには入らずに記念撮影して終わりです。
それでも、ホテルに戻ったのは3時近かったと思います。

アニキと記念撮影

 

●バリ島5日目(30日)
翌日は、実質的な最終日です。
12時に出発して、途中で昼食を食べてから、タナロット寺院へ向かいます。

ここもリゾートのようで、とてもきれいなところでした。

リゾートで昼食

私はここで初めて、インドネシアでよく食べられているミーゴレンを食べました。

ミーゴレン

ナシゴレンが炒飯で、ミーゴレンは焼きそばと言われます。
しかし、食べてみると汁なしインスタントラーメンですね。

お土産にインスタントラーメンを買ったのですが、それがミーゴレンだったようです。
作り方は、ゆでてから麺を取り出し、そこに添付のソースを加えて混ぜるだけ。


タナロット寺院は、もうクタにほど近い場所にあります。

タナロット寺院 タナロット寺院

海岸の奇岩を聖地とみなして、お寺を造ったという感じでしょうか。

タナロット寺院 タナロット寺院

ここから見る夕日が素晴らしいと白駒さんが言われていて期待したのですが、残念ながら曇っていて見られませんでした。

夕食は、このすぐ近くにあるレストランです。
人工の池の中に茅葺屋根の東屋を建てたような、雰囲気のあるレストランでした。

東屋のレストラン

ただ、掘りごたつの床がかなり低く、足がなかなか着きません。
また、底が隙間が大きいすのこ状のため、気を許すと水に足が浸かってしまいます。
まあ、こういうところの詰めが甘いのも、東南アジアらしさでしょうか。

そこから空港までは大渋滞で、2時間近くかかりました。
それでも22時までには到着したので、全員の飛行機に十分に間に合います。

私は、そこでみんなと別れて買い物をしました。
みんなより1時間近く遅い便なので。

最後にチョコレートを買って、出国手続きに向かいます。
デンパサール空港では、まずは荷物すべてのX線検査をします。
それが終わってから、チェックインカウンターに向かいます。

3時間前にそこに到着したのですが、出発便のカウンターが示されているのは2時間くらい前まで。
どこに行けば良いのかわかりません。

掲示板を見て、エアアジアはA2〜8だとわかったので、Aのカウンターに向かいます。
しかし、長蛇の列ができていて、これがそうなのかわかりません。
しょうがないので係官らしい人に尋ねて、そこに並びました。

30分以上並んで、やっとチェックインを済ませんました。これで一安心。
それから出国審査へ。これも長蛇の列です。
1時間以上かかって出国しました。

 

ここらあたりで日付が変わり、旅行最終日の6日目(31日)となりました。

●バリ島6日目(31日)
まずは、最後に残ったルピアを使い切ろうと思い、ビンタンビールを買いに行きました。
手持ちは42,500IDRです。

ところが、最初の店で缶ビールを見ると、45,000IDRでした。
残念、ちょっと足りません。

あきらめていたのですが、それからしばらくして他の店に行った時、ふと見ると36,000IDRくらいだったので買いました。
同じ空港の中で、こんなに値段が違うんですね。

まあ、コンビニで買えば18,500IDRくらいでしたし、ホテルで30,000IDRでしたからね。
それに比べるとかなり高いと言えます。
※10,000IDR≒77.3円

バリ島がリゾート地だから、全体的に高いのかもしれませんけどね。
タイならビールは100円そこそこで買えるので、コンビニ価格でもやや高目です。

でも、最後の最後を、ビンタンビールで締めくくることができました。
これでもう、思い残すことはありません。(笑)


テイクオフの1時間前になったので、搭乗ゲートを探しました。
掲示板を見ると、4番ゲートになっていました。

搭乗ゲートの掲示板

しかし、4番へ行っても、バンコク行きになっていません。
西洋人が、自分の便はここじゃないのかと、担当者に詰め寄っていました。

担当者は、ここは香港行きだと言います。
西洋人が、自分のもそうだと言うと、担当者はもう少し待てば表示が変わると言います。

まあそんな会話を完全に聞き取れたわけではありませんが、おそらくそんなことを言っているのだろうと。(笑)
それで私も待ってみたのですが、いくら待っても表示が変わりません。

テイクオフまで30分くらいとなり、再度掲示板を確かめてみると、何やら但し書きがあります。
「LAPOR TIKET」辞書で調べたところ、チケットに書いてあるというような意味かと。

チケットには、「ゾーン1」と書かれているだけで、ゲートは書かれていません。
ゾーン1がどこなのか、それがわかりません。
空港には1Aと1Bというゲートがあり、そのどちらかということなのでしょうか?

1Aは違っていました。1Bには2つの便がありますが、表示の文字が小さくて読めません。
近寄っていくと係官が来たので、バンコク行きかと尋ねると、そうだとの返事。やっと見つけました。


飛行機に乗れば、あとは安心です。
明け方5時前にバンコク、ドンムアン空港に到着しました。

そこで入国審査が激混みだったので、空港を出たのはもう7時くらいでした。
そこからタイの田舎に戻るまではもう1日ありますが、バリ島旅行はこれにて終わりです。


以下、どこで撮った写真かわからないものもありますが、こんな素敵な景色があったということで、写真を載せておきます。

アニキの物件
アニキの物件から眺めた景色

アニキ邸近くのビラ
アニキ邸近くで泊まったビラ「エイトリゾート」の景色

バリの景色
バリの景色
バリの景色
バリの景色
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:23 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月28日

バリ島2日目はマルガ英雄墓地へ行きました

バリ島の大富豪、アニキこと丸尾孝俊さんと、ツアー主催者の白駒妃登美さんに会うために参加したバリ島ツアーの2日目(2018年3月27日)です。

宿泊したのは、ウブド地区にあるラバック・リバー・ホテル(LABAK RIVER HOTEL)です。
いつもの習慣で、タイ時刻の5時直前、こちらの6時前に自然と目覚めました。
ちょっと早すぎたので、そのままベッドでうとうとしていると、夜が明けました。

ホテルの朝

8時に朝食の予定でしたから、シャワーを浴びたり、メールをチェックしたりと、余裕で過ごしました。


朝食の後、9時集合で「マルガ英雄墓地」へ向かいました。
ここには、インドネシア独立戦争を戦った兵士たちが祀られています。
その中には、わかっているだけで12名の日本人が葬られているのです。

ホテルから1時間くらいで到着しました。
そこは、巨木のある公園墓地でした。

マルガ英湯墓地の外観 マルガ英湯墓地の外観

まずは、その記念碑のあるエリアに入ります。
後から気づいたのですが、この施設は五角形で造られています。
どういう意味かはわかりませんが、あらゆるところに五角形が使われていました。

独立を勝ち取った像

入ってすぐのところに、独立を勝ち取ったことを誇らしげに宣言しているような像がありました。
実際は、戦闘では負けていたようですが、4年数ヶ月も粘っている間に、国際世論の変化などもあり、オランダが手を引くことになったようです。

敷地内にも、縦横それぞれ20m以上はあろうかという巨木がありました。

敷地内の巨木 敷地内の巨木

そして、独立戦争の英雄、グスティン・ングラライ将軍が寝たというベッドが展示されていました。
この将軍の名前が、デンパサールの空港名になっていますし、50,000IDR(インドネシア・ルピア)札の肖像として使われています。

グスティン・ングラライ将軍が寝たというベッド グスティン・ングラライ将軍が寝たというベッド

その後ろには、慰霊塔が立っているエリアがあります。

マルガ英雄墓地の慰霊塔 マルガ英雄墓地の慰霊塔

インドネシアが独立宣言をしたのは、「17/8/05」となっています。
8月17日はわかるのですが、05年というのは、何とも不思議です。

実はこれ、皇紀2605年(1945年)を意味しているのです。
日本人からの影響がない状況で、インドネシアの人たちがあえて皇紀を使ったということが、先の大戦の意味を示しているように思います。

そしてこの慰霊碑ですが、土台が5段、屋根が8重、高さが17mになっていて、まさに独立宣言の日を表しているのです。

慰霊塔の塀には、いろいろな彫り物があって、いかにもインドネシアというか、バリ島らしい感じです。

慰霊塔の塀


そして、その奥にある英霊墓地に向かいました。

英霊墓地

インドネシア独立のために戦って亡くなられた方々の墓地です。
その中に、わかっているだけで11基12人の日本人のお墓があります。

日本人兵士の墓があるのは、少なくとも1,000名以上の日本兵が、インドネシアの独立戦争に協力したからです。
敗戦後も、大東亜共栄圏の思想にしたがい、欧米の支配からアジアを独立させることに命を捧げたのです。

こういう歴史は、インドネシアだけでなく、ビルマやベトナムにあるようです。
インドも、あの悪名高いインパール作戦を独立戦争の一部としているように、日本の協力によって独立を勝ち取りました。


インドネシアで日本人兵だとなぜわからないかと言うと、1つの理由として、彼らがインドネシア人の名前を名乗っていたからだそうです。
それは、何かあった時にインドネシアに迷惑がかからないようにするためだったのだそうです。

また、なぜ墓の数より人の数が多いかと言うと、負傷した仲間を助けようとした時に撃たれて亡くなった2人が、後になって離そうとしても離れなかったのだとか。
それで、一緒に葬られたのだそうです。


私たちは、日本人の英霊のお墓に付けられていた日の丸鉢巻を外し、新たな日の丸鉢巻を結びました。
実はこれ、元々はアニキが始められたのだそうです。

最初にアニキが結ばれた紐が、今も残されています。
その上に、私たちの日の丸鉢巻を結び直し、線香を手向けて感謝の気持ちを捧げました。

そして最後は、みんなで君が代を斉唱しました。
この英霊たちの思いを、これからも引き継いで行きたいという思いです。


そして、その近くにある資料館へも行きました。

資料館の模型

そこには、この英霊墓地のミニチュア模型もありました。
また、英雄たちの像や写真が飾られていました。

英雄たちの像

また、実に粗末な服装や装備で、独立戦争に臨んだことを示す人形も展示されていました。

兵士の人形

 

英雄墓地を出た後、ホテルに戻る途中で昼食をとりました。
そこの入口は、どう見てもレストランとは思えないものでした。

レストランとは思えない入口

2Fは外国人専用で、1Fが地元の人向けと分けているのではと感じました。
私たちは、2Fで涼しい自然の風を感じながら、おいしい食事をしました。

昼食のビール 昼食

私が選んだのは、チキンのサティです。サティと言うのは、マレー語で串焼きを表すのだそうですね。(友人談)
タイ語でも、ムーサテと呼ばれるカレー風味で甘い味付けの豚肉の串焼きがあります。

他の人は、カレーとか、何かよくわからない(笑)料理をたのんでいました。

カレー 何かよくわからない料理

まあでも、いずれも美味しかったようです。
私も、ビールを大瓶で2本いただき、それだけでも充分に満足です。


移動中に、街の様子を動画に撮りました。



移動中に、白駒さんの講演もありました。




こうして、午後にホテルに戻ってきました。
そして、夜20時の食事まで、部屋でまったりと過ごしました。

夕暮れ時、窓から外を見ると、コウモリがたくさん飛んでいました。



だんだんと、日が暮れていきます。


夕食は20時からで、ホテルのレストランでいただきました。
このホテルができて以来、ここで働いているという日本人シェフのお任せコースで、とっても美味しい料理をいただきました。

料理の全部は写真に撮らなかったのですが、このデザートを見るだけでも、どれだけのコースだったかがわかるかと思います。

夕食のデザート


22時過ぎまで話し込んで、お開きとなりました。
明日は朝10時から、アニキが暮らすネガラに向けて出発します。

そうそう、昨日、白駒さんからいただいた中津のお土産がありました。

中津のお土産

粟おこしのようなお菓子で、とても美味しかったです。
今日は、ビールもたっぷり飲んで、食事もおやつもたっぷり食べて、もう思い残すことがありません。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 00:02 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月27日

バリ島へ来ました

突然ですが、今、バリ島にいます。

なぜ私がバリ島にいるかと言うと、バリ島の大富豪、アニキこと丸尾孝俊さんに会いたかったからです。


アニキのことを知ったのは、ほぼ6年ほど前になります。
箱根合宿に参加した後くらいに、クロイワ・ショウさん「出稼げば大富豪」を読んだのが最初です。

そしてその後、箱根合宿の講師として来られたダイヤモンド出版の飯沼一洋さんも、アニキに会いにバリ島によく行かれていることがわかりました。
その後、飯沼さんもアニキの本「大富豪アニキの教え」を出版されます。


そういう縁で、いつかはアニキと会いたいなぁ、とずっと思っていました。
なかなかその機会がなかったのですが、昨年の暮、突如としてその機会がやってきました。

それは、Facebookでやっと連絡が取れた白駒妃登美さんが、アニキと出会ってとても気に入られて、またアニキに会うツアーを企画されたからです。
白駒さんのご著書も何冊か読ませていただいていて、いつかお会いしたいと思っていたのです。

そんな白駒さんとアニキのお2人に会えるツアーなら、もう申し込まない理由がありません。
さっそく、「タイからですが申込みができますか?」と尋ねて、すぐに大丈夫だと返事をいただいたので、勢いで申し込みをしました。


そのツアーに、今、参加しています。
昨日(2018年3月26日)の夕方にバリに到着し、今日が2日目です。


私は今、タイの田舎、イサン地方にある妻の実家で暮らしています。
ですから、まずはバンコクに出ていく必要があります。

夜行バスで約10時間(700km弱)かかりますが、料金はわずか520バーツです。
それに3月24日の夕方に乗って、翌朝、バンコクに到着しました。

夜行バスに乗りました 夜行バスのサービス

夜行バスでは、飲み水の他、お菓子や軽食のサービスもあります。
深くリクライニングができる3列シートなので、10時間かかるとは言え、日本へ行くときの6時間のエコノミーより快適です。


その日は、所属しているソフトボールの活動に参加しました。

ソフトボールに参加

その後は、インドネシアでもインターネットができるようにと、AISのツアーSIM(SIM 2Fly)を399バーツで買いに行きました。

AISのツアーSIM(SIM 2Fly)

このSIMは、日本でも使えます。
また、日本でもアマゾンなどで売っているようですね。

基本的にインターネットができればOKという人には、この上なく便利なものだと思います。
だって通話も、LINEなどを使えばできるのですから。

後は、スーパーマーケットで、白駒さんとアニキへのお土産を買いました。


翌朝、ドンムアン空港へ向かいました。
早々と着いたので、まずはコンビニのセブン-イレブンでビールを買って腹ごしらえです。

コンビニで買ったビール

通常、ビアシン(シンハービール)より安いリオー(LEO)が、なぜか高かったです。
リオーが54バーツ、ビアシンが51バーツでした。
通常のコンビニだと、リオーが34バーツくらい、ビアシンが41バーツくらいかと思います。


テイクオフ時間の3時間前に、チェックインカウンターに並びました。
ドンムアン空港は、チェックイン時に預け荷物の重さを測るのですが、そこでは受け取ってくれません。
チェックイン後に、その先にあるX線検査場へ持って行って、そこで検査がOKなら受け取ってもらえます。

飛行機に乗って飛び立った後、食事が配られました。
私はすっかり忘れていたのですが、預け荷物などのパッケージの中に、食事も含まれていたのですね。
チキンの料理をいただきました。

エアアジアの機内食 エアアジアの機内食

鶏肉の唐揚げにミートソースをかけたような料理です。ご飯がすっごくゴワゴワだったのが印象的でした。
インドネシアのスタッフだったので、インドネシアの機材なのでしょうね。
インドネシアのご飯は、これが普通なのかなぁと、ふと思ってしまいました。


そして、バリ島に到着。

成田と関西から集まったツアーメンバーと合流し、夕食は中華料理屋へ行きました。
中華料理ですが、シーフードとリバーフードも兼ねているようです。

夕食の中華料理屋

店の前の水槽で泳いでいたエビが、店を出るときにはほとんどいませんでした。
きっとあれは、私たちのエビチリになったようです。


そしてホテルに到着。
ウブドという地区の、繁華街からは少し離れたところにある情緒のあるホテル(Labak River Hotel)です。

ホテルの部屋で

インドネシアでは、BINTANG(ビンタン)というビールが有名なようです。
さっそくいただきましたが、癖のない飲みやすいビールですね。気に入りました。

夕食中、およびホテルまでの移動中、参加者および白駒さんの自己紹介タイムがありました。
それぞれ、いろいろな思いで参加されているのですね。
また、白駒さんの庶民的なざっくばらんとした感じが、とても魅力的でした。

こうして、バリ島での1日目が終わりました。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:22 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バンコク・ドンムアン空港でリエントリー・ビザを取得する

タイのビザ(特に1年以上の長期ビザ)を持っている人にとって、リエントリー・ビザ(リエントリー・パミット)を取得することは、とても重要なことになります。
これを取得せずにタイを出国すると、せっかくのビザ(それによる滞在期間)が消えてなくなりますから。

リエントリー・ビザは、基本的にはイミグレーション(バンコクはチェーンワッタナー)へ行って、シングルかマルチのものをもらう手続きをします。
しかし、そのためだけにチェーンワッタナーへ行くのは、とっても煩わしいです。マルチならまだいいですけどね。

今現在(2018年3月)、手数料はシングルが1,000バーツ、マルチが3,800バーツですから、年に4回以上出国しない人にとっては、面倒でもシングルを取った方がお得です。
でもそうすると、シングルを取るためにわざわざチェーンワッタナーまで行くのか、という問題も出てきます。


そこで便利なのが、空港でリエントリー・ビザを取得することです。

私がよく利用するスワンナプーム空港での取得方法は、以前の記事「バンコク・スワンナプーム空港でリエントリー・ビザを取得する」に詳しく書きました。
今回は、ドンムアン空港でもリエントリー・ビザを取得したので、そのことを書きたいと思います。

なお、誰もがいつも言うことですが、こういう情報は、その時に有効なものであって、今後もずっとそうだと保証するものではありません。
参照してくださるのはありがたいのですが、今後のことまで責任は負えませんので、あらかじめご了承ください。


ドンムアン空港のリエントリー・ビザの申請は、出国審査の後にあります。
申請場所が、まさに出国審査官がいるブースの真後ろにありますから。

ただ、これはいつ変わるかわかりませんので、エアチケットのチェックインを負えた後、パスポートコントロール(出国審査)のブースに入るところでパスポートとボーディングパスのチェックをする人がいますから、その人に尋ねるのが良いと思います。
私は、「リエントリー?」と言って、この先かと指差しで尋ねたら「そうだ」と言うので、安心して入りました。


出国審査では、こちらからは何も言わなかったのですが、リタイヤメントビザの期間があることを見てくれて、「リエントリーはどうするのだ?」と聞かれたので、ここも指差しで「そこ」と、審査官の真後ろにあったリエントリー・ビザのブースを示しました。

すると納得してくれて審査が終わったのですが、後でその意味がわかりました。

通常はそこで「出国カード」が回収されるのですが、後でリエントリー・ビザを取ると言うと、出国カードを挟んだままにしてくれるのです。
おそらくそれが、出入国管理上、重要なのでしょうね。


出国した後、すぐにリエントリー・ビザのブースに入りました。
待っている人が10人近くいたのでびっくりしましたよ。余裕を持って3時間前にチェックインカウンターに並んだので、まだまだ時間はたっぷりあります。

30分近く待って、やっとカウンターに呼ばれました。
その前に、パスポートと、私は申請用の写真を持ってきたので、それを提出しています。


後から総合して考えるに、ドンムアン空港は、申請書を自分で書いて持っていったり、写真だけでも持っていくと、手数料が安くなるようです。
シングルだと通常1,000バーツですが、写真だけ出すと1,100バーツ、写真もなければ1,200バーツのようです。

スワンナプームは、写真だけ持って行っても相手にされず、1,200バーツかかりましたから、少し違うようですね。


なお、リエントリー・ビザの番号は、タイ再入国時の入国カードに記載することになります。
詳細は、「再入国時のビザ番号は?」をご覧ください。

その時、ビザ番号がわかりにくいケースがあるかと思います。
私の今回のも、スタンプを上から押されたので、とてもわかりづらいです。

リエントリー・ビザ

タイのビザ番号は、必ず「○○○/△△」という形式になっています。
前半の「○○○」は、そのイミグレーションの発行連番です。
後半の「△△」は、タイ歴の下2桁です。

見てのように、私のはスタンプが押されたため、後半がわかりづらいです。
でも、これがタイ歴の下2桁だとわかっていれば、見えなくてもわかります。

タイ歴は、西暦+543で出せるからです。
つまり、西暦2018年なら、2018+543=2561年となります。
したがって下2桁は、61となるわけです。


こういうことも、わかっていれば何ていうこともないのですが、わからない人は、「読めないものをどうしたらいいんだ〜!」とパニックになっちゃいますよね。

まあ、大した情報でもないのですが、TIPS(ちょっとした知恵)として、知っておくと役立ちますよ。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:26 | Comment(0) | └ タイのお役立ち情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月24日

2軒目の新築に着手しました

タイの田舎暮らし25日目です。
お店をオープンして22日目になります。

昨日の売上も、約600バーツでした。
午前中は200バーツくらいの売上でしたが、夕方から一気に伸びましたね。
※1バーツ≒3円


さて、昨日の記事「バンコクと田舎(イサン地方)の経済格差」で、お札や財布のことを書いたので、その写真を載せておきましょう。

まずは私の財布です。

ファスナー式の財布

ファスナー式の、まるでセカンドバッグかシステム手帳かというくらい大きなものです。(笑)

もちろん、ポケットなんかには入りません。
カバンかウエストポーチに入れて持ち運びます。

これにお札をぎっしり詰めると、こんな感じです。

財布の中身

ほとんどが緑色の20バーツ札。
赤色が100バーツ札です。

間のわずかに青く見えるのが50バーツ札になります。
500バーツ札は少しで、あと奥に分けて入れてあるのが1000バーツ札です。


こちらでお札をもらうとどんな感じかというのを、ちょうどよい50バーツ札があったので写してみました。

クシャクシャの50バーツ札

わかるでしょうか?
4つ折りよりも細かく、しかも不規則になってます。
丸めてそのままポケットに入れた感じです。

こんなクシャクシャなお札が、普通に使われています。
相手に渡す時も、このまま渡します。
つまり、マイソンチャイ(ไม่สนใจ:無関心)なのです。

これではお札がかわいそうなので、上の写真のように札種を揃え、折り目を伸ばし、財布にぎっしり詰めて圧力をかけ、シワを伸ばしているのです。
そうすれば、クシャクシャのお札も、少しはピンとしますからね。


話は変わりますが、昨日、お義母さんがタラート(ตลาด:市場)で買ったという揚げ物を食べさせてくれました。

タラートで買った揚げ物

これがけっこう美味しかったです。
何の野菜かわかりませんが、シソの味がしまし。

子どものころ、よくシソの実を揚げたものを食べたんですよね。
母が作ってくれたその味に似ていて、懐かしかったです。


それから、かき氷(น้ำแข็งใส:ナムケンサイ)を自分で作って食べました。

かき氷

これは、上手に作るための練習の一環です。
もちろん自腹(5バーツ払いました)ですよ。(泣)

この前に2人の子どもがかき氷を買いに来てくれたのですが、2つ作ったところ、盛り方に差ができちゃったんですよね。
きっと気づいているだろうなぁ。申し訳ない。

ということで、自分でお金を払ってまで、練習しているというわけです。
もちろん作った後は、自分で食べますよ。


午後になって、妻が太い木を荷車に乗せて引っ張ってきました。
何をするのかと尋ねると、洋服を売るための店を造るのだとか。

そして、地面に4ヶ所印をつけ、そこを掘り出しました。
距離を測るわけでもなく、目分量で適当な広さに決めるのです。

赤土ですから、乾くと固まってなかなか掘れません。
ですから、ある程度掘ったそこに水を流し溜め、浸透するのを待ちます。

柔らかくなったら、そこをさらに掘って、柱を立てていきます。
その時、柱の高さを揃えるのも、目測で行います。

こうして柱を立てて、前の高い方の柱同士を、竹でつなぎます。

柱同士を竹でつなぐ

後ろの低い方の柱同士も、同様に竹でつなぎます。
つなぐのは、上から釘を打ち付けておしまいです。
簡単ですね。

前後の柱同士を竹でつないだところ

見てわかるように、つないだ竹が平行になっていません。
でも、いいんです。適当ですから。(笑)

柱も廃材を使っているので、釘が刺さったままの角材だったり、丸木だったり、太い竹だったりと、まちまちです。
いいんです。立って重さに耐えさえすれば。


前後の柱の高さが違うのは、屋根に傾斜をつけて、雨水が流れるようにするためです。

でも、これは前にも指摘したのですが、角度が少なすぎるんですよね。
だから茅葺きだけでは雨漏りがします。

でもいいんです。あとでビニールシートで覆うのですから。(笑)


そうこうしているうちに、日が大きく傾きました。
きれいな夕日が、もうすぐ沈むようです。

沈む夕日

今日も一日終わるなぁという感慨に浸っています。

一方、妻とお義母さんは、新しい店の骨組みをほぼ完成させていました。

新しい家の骨組み完成

新しい家の骨組み完成

屋根の骨組みは全部竹です。
どこから取ってくるのか知りませんが、おそらく自生しているのでしょう。

そう言えばずっと前に、妻に田んぼへ連れて行ってもらったことがありました。
その途中に竹が生えていたように記憶しています。

そこまで荷車を引っ張っていって、切り取って持ってきたのでしょうか。
タイ人の女性は、本当によく働きますね。

 

さて、明けて今朝は、また肌寒い朝でした。

妻がなかなか洗濯をしてくれないので、履くズボンがありません。
しょうがないので、作務衣のズボンを履きました。

もちろん、上も作務衣を羽織っています。
上下、別の組の作務衣ですが、まあ気にする人もいないでしょうからね。


今日の夕方には、バンコクに向けて出発します。
明日はバンコクで過ごし、明後日、バリ島に向かいます。
白駒妃登美さんと、アニキこと丸尾孝俊さんに会うためです。

ということで、引越しから毎日書いてきた「タイの田舎・イサン地方暮らし」カテゴリーのシリーズですが、これからはペースを落として書いていくことにします。
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 08:55 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月23日

バンコクと田舎(イサン地方)の経済格差

タイの田舎暮らし24日目です。
お店をオープンして21日目になります。

昨日の売上も、約600バーツでした。
この日も、閉店間際に買いに来てくれたお客さんがいて、100バーツ積み上がりました。
※1バーツ≒3円


昨日、隣に住んでいるおじさん(親戚)に、照明を取り付けてもらうという話をしました。
私はコネクタの形状からして、無理だと言ったのですが・・・。

おじさんが来られて、やはり「できない」とのことでした。(笑)
だって、この形なんですもの。

照明のコネクタ

私の友人が言うには、取り付け器具とコネクタが、セットで箱の中に入っているはずだと。
しかし、これを買った時、箱がなかったんですよね。

これをこのまま渡してくれました。
そして、接続用に電線とコンセントに挿すプラグ、そして絶縁テープを売ってくれました。

「お〜い、いい加減過ぎるやろ〜!」

まあ、これがタイです。(笑)


代わりに、この前、お祭りに出張した時、お義母さんに買ってきてもらった裸電球を取り付けました。

裸電球の照明

まあ、これはこれで情緒があっていいか、とも思いますけどね。

ちなみに、他の屋台は、みんな白いランプでした。
蛍光灯かLEDでしょうね。(ほとんどは蛍光灯かと。)

中に、虫が寄ってこないランプと思えるものを使っている屋台もありました。
あれはさすがに高いんだろうなぁ。


ところで、私には重要な役割があります。
それは、両替屋の仕事です。

もちろん、商売ではありませんよ。
お釣りがないときや、近所の親戚の人が崩したい時、私のところへやってきます。

崩すのは、1000バーツ札や500バーツ札が多いですが、時には100バーツ札を20バーツ札5枚に崩します。
それだけ、小額紙幣の受容が高い(=お釣りをもらえるところが少ない)ということです。

なので、私の財布の中には、100バーツ札や20バーツ札がいっぱい入っています。


でも、そうやって両替ばかりやってたら、小額紙幣がなくなってしまいそうですよね?
でも実際は、なかなかなくならないばかりか、どんどん増えています。

20バーツ札と100バーツ札

実は、お店に支払われるお金の種類は、コインか小額紙幣がほとんどだからです。
だって売り物が、5バーツのルークチントートやBBQ、あとは10〜20バーツのおかずですから。


お店の出資金を、売上から少しずつ返してもらっているので、20バーツや100バーツ紙幣が、私のところへ集まってきます。
そのお札を見ていると、バンコクと田舎の経済格差がわかります。

それは、ほとんどのお札がクシャクシャだということです。

上の写真は、クシャクシャのお札を手で伸ばした後で撮ったものです。
それでこの状態ですから、元がどうだったか想像できるのではないでしょうか。
折り曲げているのではなく、丸めてポケットに突っ込んだという感じのお札ばかりでした。

こちらでは、ピン札など見たことがありません。
私が持っていたピン札を両替してあげたら、親戚のおばさんが目を丸くしてましたからね。

きれいなお札をもらうと嬉しい。
そういう気持ちがあるにも関わらず、お札をクシャクシャにしてポケットに突っ込む。
クシャクシャのお札を受け取っても、そのまましまいこむ。

そうやってお金を大事に扱わないから、お金から縁遠くなるのではないかと。
それが、バンコクと田舎の経済格差につながっているように思います。


もちろん、その因果関係は何とも言えませんけどね。
でも、バンコクでもそうでしたが、低所得の人ほどクシャクシャのお札を出すように思います。

なので私は、もらったクシャクシャのお札の折り目を1枚1枚伸ばして財布にしまい、圧力をかけてシワを伸ばすようにしています。
そうすれば、次に両替で渡す時は、少しは伸びてシャンとしたお札を渡せますから。

些細なことですが、お札をきれいに扱うということを通じて、田舎の経済に貢献したいと思っています。

 

さて、明けて今朝も、20度を下回る気温で、風が吹いて肌寒かったです。
作務衣の上着を着るという定番のスタイルです。

今朝は、お義母さんは畑で作った野菜(何だかよくわかりません)と、妻が作ったカオパット(ข้าวผัด:焼き飯)、そして鶏レバー焼き(ตับไก่ย่าง:タップガイヤーン)があります。

今朝のおかず

1袋(1本)が10バーツです。
10バーツのカオパットって、バンコクじゃ考えられませんよね。

増築して備え付けの台を自作したお店に並べました。

新しくなったお店の前面

この後、売れ残った鶏レバー焼き2本(20バーツ)は、私が買い取って、私たちの朝食のおかずになりました。(笑)
まあでも、食べ物に困らないのが、この商売の良いところですね。


明日は、いよいよバンコクに出発します。
おそらく17時半には、バイクで近くの街に向かいます。

19時発の深夜バスですが、18時過ぎには乗り込んで、余裕を持って行こうと思います。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:02 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月22日

手作りするのが基本です

タイの田舎暮らし23日目です。
お店をオープンして20日目になります。

昨日の売上も、約500バーツでした。
近所の人だけが対象となると、まあこれが普通なのかもしれませんね。
※1バーツ≒3円


さて、昨日は妻から命じられて店番をしていましたが、妻は屋根を覆うビニールシートを買って戻ってきました。
さっそくそのビニールシートを屋根の上に張りましたよ。

また、病院から戻ってきたお義母さんは、店を拡張した部分の屋根に、屋根材を載せていきました。
この屋根材は、隣の親戚のおばさんが中心になって作ったもののようです。

屋根材を載せていく

すでに屋根の骨組みはできているので、そこに1m×2mくらいの屋根材を一部を重ねるように載せながら、ビニール紐で結わえていきます。

それほど時間もかからずに完成しました。

完成した屋根

内側から見てみると、こんな感じです。

屋根を内から見たところ

三角屋根の部分に収まるように、最後の1枚は湾曲させて載せてあります。
上手くやるもんだねと感心します。


続いて妻が、また何かやり始めました。
かき氷を売る台が小さくて低いので、適当な台を備え付けで作ると言うのです。

家を造るのと同じ要領で、柱材を4本用意し、備え付ける場所に穴を掘って立てます。
しかし、赤土は粘土ですから、乾くと固くてなかなか掘れません。
そこで、ある程度掘ると、そこに水を溜め、柔らかくしてからさらに深く掘ります。

こうして立てた4本の柱を竹でつなぎ、その竹材の上に板を張ってできあがりです。
完全にDIYですね。

かき氷用の手作り台

この店の建築、店の拡張、ビニールシート張り、台作り、すべて妻とお義母さんが中心になってやっています。
私が手伝おうとしても、金づちを貸してくれませんから。(笑)

お店の拡張が終わりました

こうやって少しずつ手を加えながら、より使いやすい形にしていくのでしょうね。

 

さて、今朝はまた気温が20度を下回り、少し風もあって肌寒い朝となりました。

朝食が終わると、さっそく妻が動き始めました。
これまで地面を這わせていた延長コードの1本を、上から通すと言います。

コンセント(タイ語ではプラグファイ:ปลั๊กไฟ)を下の方に置いておくと、雨水が入ってショートしかねません。
また、子どもが来て触る恐れがあります。
タイの電圧は220V前後ありますから、かなり危険です。

柱にプラグを取り付けたところ

店の柱に、ビニール紐でコンセントを取り付け、その延長コードを屋根に這わせ、柱を立てて高い位置に上げ、そこから家の1階の天井を這わせて、家の中にあるコンセントにつなぎます。

後は店に照明を付けたいのですが、こちらはまだ準備ができていません。
蛍光灯型のLEDランプ(?)は買ってきたのですが・・・。

蛍光灯型のLEDランプ

こちらは、隣の何でもできるおじさんが、コンセントに挿せるように線をつないでくれるそうです。
しかしこれ、・・・専用のプラグがないと、ランプの方につながらないと思うんですけどね。

まあ、口出しせずに、妻に任せることにします。
「おじさんにはできる」と妻が言うので。


ここのところ、おかず(กับข้าว:ガップカーオ)として鶏のレバーを串焼きにして売っています。

鶏レバーを串焼き

鶏レバーはタップガイ(ตับไก่)と言います。タップがレバーですね。
ただ、この串焼きをピンガイと呼ぶようです。

調べてみると、タイでガイヤーン(ไก่ย่าง)と呼ばれる焼き鳥のことを、ラオスでピンガイと呼ぶと書かれたサイトがありました。
イサン語はラオス語と近いので、同じように呼ぶのでしょうか?

でも、鶏肉ではなく、内臓なんですけどね?
豚の串焼きをムーピンと呼びますが、そのピンとは抑揚が違うようです。

なかなかタイ語も奥が深いですね。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:29 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月21日

テキ屋稼業も楽じゃない

タイの田舎暮らし22日目です。
お店をオープンして19日目になります。

昨日の売上は、約500バーツでした。
タラート(ตลาด:市場)へ出張したのですが、思ったほど売れませんでした。
※1バーツ≒3円


昨日、タラートから帰った後で、妻がまたタラートへ行くと言いました。
私はそれを、屋根を覆うビニールシートを買いに行くことだと勘違いしてしまいました。

実際は、タラートに行ってルークチントート(ลูกชิ้นทอด:練り物の揚げ物)を売ることだったのです。
場所は、ウドンタニー県のバンドゥンの近くです。


到着したのはだいたい午後3時半。やや出遅れました。
すでにほとんどの店が開店していました。

タラートのマネージャーに店開きする場所を教えてもらい、すぐに営業準備に取り掛かります。

タラートで開店しました

今回の場所は広々としており、しかも、道路に近いところへ車を駐めて、その前に店を出せたのが良かったです。
ほとんどのお店が、こんな感じで、店の後ろに車を駐めています。
これなら準備も後片付けも簡単です。


お祭りではないので、野菜や生肉を売っている店がけっこうあります。
食べ物屋では、ルークチン、クレープ、アイスクリーム、かき氷など、いろいろありました。

タラートの様子

写真の奥の方に、「寿司」と書かれた提灯が見えますか?
※写真をクリックすると大きくして見られます。

いわゆる5バーツ寿司で、フランチャイズのようです。
他にもフランチャイズの屋台がいくつかありました。

子どもが遊ぶところでは、滑り台がありました。
銃の的当てやトランポリンはありませんでした。


それにしても、日が高いうちはほとんど客がいませんね。
場所代は20バーツですが、20バーツ売り上げるのに2時間かかりましたよ。

日が落ち始めた頃、隣と、そのまた隣の店の人が、腹ごしらえに買いに来てくれました。


19時には、店じまいを始めるところが出てきました。
始まるのは遅く、終わるのは早いんですね。
我々も19時半には店じまいしました。

お祭りのときのように、この場所を楽しむ人より、料理の食材を買う人が多いようで、ルークチンはあまり売れませんでした
ここでの売上は、200バーツ程度ではなかったかと思います。
出張すれば簡単に売れるというものではなさそうです。


夕方、辺りが暗くなり始めると、何やら騒がしくなってきました。



近くの樹が鳥の住処になっているのですね。
日本でもよく見られますが、ムクドリでしょうか?

ギャーギャー言いながら、まるで「ここはオレの場所だ!」と場所取りしているみたいです。
何だか哀愁を感じる夕方です。

 

明けて今朝は、いつもどおりに5時に起きて開店準備をしました。
6時には店を開け、お客さんを待ちます。

今朝の気温は22度で、少し風が吹いて肌寒いです。
天気予報では、明日からまた最低気温が20度を下回って寒くなりそうです。


朝食を7時過ぎには済ませ、今日は早いなぁと思っていたら、妻がまたタラートへ行くと言います。
今度は屋根を覆うビニールシートを買うのでしょうね。

すぐ行くと言うので、車を出そうとしたら、私はお留守番とのことでした。(笑)
お義母さんは病院へ行くので、店番を私がしなくてはならないのだと。

留守番中

と言うことで、ただいま店番をしています。
この時間帯は、ほとんどお客さんがないから、いいんですけどね。

なお、店の中でパラソルが開いているのは、雨漏り対策です。(笑)
妻が、雨が降りそうだから準備しておけと言うもので。

こんな感じで、また1日が穏やかに過ぎていきます。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 10:45 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月20日

蟻の卵はごちそうなのです

タイの田舎暮らし21日目です。
お店をオープンして18日目になります。

昨日の売上は、約500バーツでした。
お客さんも少なく、閉店間際に2組50バーツずつの売上があって良かったです。
※1バーツ≒3円


昨日は、寝不足ということもあって、早々と閉店準備に取り掛かりました。
BBQとかき氷は16時ころに、もう片付けてしましました。

あとはルークチン・トート(ลูกชิ้นทอด:練り物揚げ)だけで、18時を過ぎてまだ明るいうちに閉店しようとしたところ、いつも来る女の子が買いに来てくれて、この日は50バーツ(10本)買ってくれました。

薄暗くなったので、鍋など片付け始め、ほぼ片付け終わろうとしたところに、もう1人男性が買いに来てくれました。
鍋はすでに台所に片付けたので、台所で揚げて渡しましたよ。

その男性も50バーツ買ってくれたので、閉店間際に100バーツの売上が加算されました。
これが大きかったですね。


わざわざ買いに来てくれたのですから、何とかして提供しようとします。
「もう閉店しましたので。また明日お越しください。」なんてことは、滅多に言いません。

以前には、すでに片付けた網焼き機を再び出して、BBQを提供したこともありました。
閉店時間は暗くなったらというアバウトなものなので、お客さんが「まだ明るい」と思うと、買いに来られるんですね。

 

さて、昨日は19時半には床に入ってたっぷり寝たので、今朝はいつもどおりに5時に起きました。
6時には身支度も準備も終えて、開店しました。

早朝の慌ただしい時間が過ぎると、私たちの朝食です。

今日の朝食

今朝は、ムーヨー(หมูยอ:豚肉の練り物)を揚げたものと、パラー(ปลาร้า:辛味噌)と、カイモッデーン(ไข่มดแดง:赤アリの卵の料理)です。
写真の右側のがカイモッデーンです。
これは、イサン地方ではけっこうなご馳走なのです。

赤アリというのは、体長15mmくらいの大きな蟻で、「マンゴー・アリ」とも呼ばれるようです。
マムアン(มะม่วง:マンゴー)の樹の上に、葉っぱを閉じあわせるようにして巣を作ります。

これに食いつかれると痛いのです。
しかも腫れます。

しかし、この蟻の卵(長さ3〜5mm)が美味しいので、噛まれながらもこれを取るんですね。
日本人が、蜂の巣を探して蜂の子と蜂蜜を獲ったのと同じですかね。


食事の後、また街へ出かけました。
飲料水と仕入れが目的です。

タラート(ตลาด:市場)へ行って、ルークチンなどを買いました。
付け合せの野菜は、唐辛子(พริก:プリック)、トマト(มะเขือเทศ:マクアテート)、きゅうり(แตงกวา:テンクワー)です。

トマト

トマトはこんな感じで売られていて、好きなものを選んで袋に入れれば、計って売ってくれます。
それにしても、まったく無選別で置かれているのが、日本との違いですね。

キュウリは、大きな袋に入っていました。
1袋5kgくらいあるでしょうか。

ザルにあけたキュウリ

買ってきて大きなザルにあけたところです。
20〜25cmくらいの不揃いのキュウリたちが、いったい何本あるのでしょうね。
これでたったの50バーツです。

タイは、総じて野菜は安いです。
これで農家の儲けがあるのだろうかと思うくらいです。

その代りに玉石混交と言いますが、品質や形状は一定していません。
日本は、そういう選別があるから高いとも言えますけどね。


街へ行ったついでに、飲水も買いました。
タイ人も飲水は買って飲むんですよね。

私たちが買ったのは、1.5リットルのペットボトルが6本パックになったものを10バックです。
1パック55バーツだったかと思います。
1本あたりだと10バーツしないという安さです。

でも、妻は1日に1本以上飲むので、1パックはせいぜい3日です。
テキ屋で出張した時は、1日3本くらい使います。
飲むだけでなく、ちょっとした洗い物にも使うので。


今日は、これからまた屋根を覆うシートを買いに行くと言っています。
穏やかながら、またいろいろありそうな1日です。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:14 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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