2017年07月05日

初めてのお遣い

今週、妻の田舎まで運び屋をすることになりました。

まあ、それは名目ですが、別居中の妻のところへ行きます。主な荷物は、ビールの空き缶です。お義母さんが空き缶を売っているので、そのために私が飲んだビールの空き缶を持っていくのです。

これまではゴミとして出していた(アパートの清掃担当者が売っていたと思います)のですが、それを少しでも身内のために、ということなのでしょう。


妻の田舎はタイ東北部のイサン地方です。これまでは飛行機でウドンタニーまで行き、そこから車で2時間くらいかけて行くことが多かったです。

しかし、お金の問題もありますし、利便性(空港からの車の手配が大変)も考えて、最近は長距離バス(ロッ(ト)トゥア)で行きます。私もこれまでに1回だけ妻と一緒に行きました。

それを今度は、1人で行かなければなりません。最初の壁は、チケットを買うことです。ネットでも買えそうな感じもするのですが、英語表記でよくわかりません。なので、直接、バスターミナルの窓口へ行くことにしました。まるで「初めてのお遣い」気分です。(笑)


今回は、なるべく安く(その中では便利に)行こうと思い、公共交通機関を乗り継いで行くことにしました。これからモーチット(バンコク北バスターミナル)を利用したいと思われている方には、何か参考になるのではないかと思います。


BTS(高架鉄道)は、いつも利用しているので乗るのは簡単です。スクンビット線の終点のモーチット駅まで行きます。しかし、そこからバスターミナルまで、少し距離があります。歩くと20〜30分くらいかかります。

バンコクの日中は、20分も歩くと汗だくになりますからね。便利なオートバイタクシー(バイタク)も使えますが、今回はあえてバスで行くことを選びました。これも自分への課題です。




バス乗り場は、BTS駅内の地図や標識ですぐにわかります。駅の目の前です。ただ、非常にたくさんの路線のバスが、ここを通過していきます。いつ来るかもわからないバスを待って、しばらく時間を費やしました。

私が待つバスは3番。終点がモーチット・バスターミナルです。(Googleマップだと、他の番号のでも行けるように表示されますが、尋ねてみると3番しか行かないようです。)


15分くらい待って、やっと3番のバスが来ました。バンコクのバスは、3種類に分かれます。オレンジ色のエアコンバス、白色の普通バス、赤色の格安バスです。前回は赤色の格安バスで、しかも無料バージョンだったので、タダで乗れました。今回はエアコンバスが来たので、13バーツ(約45円)かかりました。車掌が来るので、行き先を告げてお金を払います。

バスの乗車券

バンコクのバスは、バス停に名前もないし、どの路線に乗ればいいのか、なかなか難しいです。今回は3番とわかっていたので、ただ待てば良いだけですから楽でした。降りるのは終点ですし。


到着した降車場から市場の中を通過して、長距離バス用のバスターミナルへ向かいます。ここがちょっとわかりづらいのですが、人の流れに着いていけば抜けられます。目的のチケット売り場は、3Fにあります。(3Fはイサン地方方面のようです。おそらく1Fは北部方面かと。)バス会社と行き先別に券売所のブースが違うので、これを知っていないと戸惑うでしょうね。



ただ、案内人みたいな人が大勢いるので、尋ねてみるとすぐにわかると思います。バス会社を特定しているなら、それも告げた方が間違いありません。


窓口で、行く日(複数便あれば時間も)と人数、代表者の氏名、電話番号をつげて、チケットを購入します。今回買ったのは、このチケットです。7月6日出発で、62番の搭乗ゲートから乗ります。座席は3列で、1列は1人、残り2列は並び席となっています。縦に10席くらいで、大きくリクライニングできる快適なシートです。

ロットゥアのチケット

本来なら、次の写真のようなカバーが付くのですが、今回はプリントアウトされたチケットだけです。

ロットゥアのチケットカバー


なぜなら、売り場に売り子(タイ語では売り母)がいなかったのです。案内人みたいな人に尋ねたら、「売れるよ」と言われ、その人がPCを操作して発券してくれました。

いいんだか悪いんだかわかりませんが、こういういい加減さがタイですね。それと、こういう不測の事態もあるので、「尋ねてみる」ということが重要ですね。英語でもなんでも、ともかく自分の意志を伝えようとすること。そうすれば、相手はなんとか理解しようとしてくれますから。


帰りは、来る時と逆に市場を通り抜けてバス乗り場へ行きます。ただ、どのバスに乗ればいいかはわかりません。3番に乗れば、BTSのモーチット駅へ帰れることはわかりますが、それを待つのも面倒ですし・・・。

と言うことで、端から順に尋ねて、MRT(地下鉄)のガンペンペット駅へ行くバスに乗ろうと思いました。地下鉄はスクンビットでBTSと交差しているので、そこで乗り換えれば良いので。それに、BTSのモーチット駅へ行くより、MRTのガンペンペット駅へ行く方が近くて、しかも一本道ですから。

すぐに発車するバスが、乗り場近くにエンジンを掛けて並んでいます。離れたところで待機しているバスは、発車まで時間があるバスです。

乗り場の先頭から順にと思って声を掛けた最初のバスが、そこへ行くと言います。なのでそのバスへ乗ったところ、すぐに出発しました。

私が外国人だからでしょうね。車掌さんが親切に1つ前のバス停で「次だよ」と知らせてくれました。そして目的のバス停に近づくと、「ここで降りるんだよ」と教えてくれました。タイ人は優しいです。

タイのバスは、バス停に着くやいなや乗り降りするので、到着前からかまえていないといけません。少しでも遅れれば、バスは発車してしまいますから。日本みたいに、「到着するまで立たないでください」なんてことはないのです。

バス停からMRTの駅まで少し歩きましたが、バスターミナルから歩くより快適です。MRTに乗れば、もうあとは安心。スクンビット駅でBTS(アソーク駅)に乗り換え、無事に初めてのお遣いを完遂しました。約3時間かかりました。


と言うことで、7月6日の夜に出発して、12日の朝にバンコクに戻るまで、妻の田舎に滞在する予定です。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 02:15 | Comment(0) | └ タイのお役立ち情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月03日

生きていることを楽しんで



野口嘉則さんの紹介で、ターシャ・テューダーさんの本を読みました。絵本画家・作家である一方、アメリカ・バーモント州の山奥に1人で暮らして、ガーデニングをしながらナチュラル・ライフを過ごしておられます。

そんなターシャさんの絵や写真がふんだんに添えられた本です。そこに書かれた素朴な言葉が、読む人の心を打ちます。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

バーモントの冬は厳しく長いので、忍耐が必要です。
 でも、この忍耐の先には、いっせいに花咲く輝きの季節が待っているの。
 冬の間、わたしはいつもそのことを考えているわ。
 辛い時こそ、想像力を枯らさないで。
」(p.24)

「冬来たりなば春遠からじ」と言いますが、自然の中で暮らすことで、それがまさに人生にも言えると納得されるのでしょうね。


世間を騒がすような嫌な事件は、いつの時代にもありました。
 そのようなケースは、ほんとうは少数なのに、
 メディアが大々的に取り上げるものだから、
 そこまで事件を起こさない人までが、
 それをお手本にして行動してしまうのではないかしら。
 まともな生き方は、ニュースにならないけれど、
 そちらの方が大多数であることを、信じましょうよ。
」(p.40)

「みやざき中央新聞」は、まさにそういう疑念から、良いことだけを伝える新聞として好評を博しています。

出来事はたくさんありますが、そのどこに意識をフォーカスするかが重要なのだと、スピリチュアル系でも言っています。自分が選んだことが現実になるからです。


子どもへの期待は、どこの親にもあると思います。
 でも、子どもがそれにこたえてくれるかどうかは別問題。
 わたしは、期待どおりに行かなかった場合、
 肩をすくめて、「まあ、いいわ。わたしはわたしで、
 その時できるかぎりのことをしてやったのだから」と考えて、
 やり過ごしました。
」(p.83)

子どもの自由を尊重し、思い通りにさせようとはしない。これはおそらくターシャさんが、草木を育てる中でも感じられたことではないかと思います。


生きていれば、落ち込むこともあります。
 状況を好転できると思ったら、ぜひ努力すべきです。
 でも、変えられないなら、
 それを受け入れて歩み続けるしかありません。
 何があっても「生きていることを楽しもう」という気持ちを忘れないで。
」(p.162)

生きていれば、様々な出来事に遭遇します。その中には、好ましくないものも多々あるでしょう。

そういう時、状況を変えようと努力することも重要ですが、諦めることも重要なのです。諦めると言っても、捨て鉢になるのではなく、それでもいいと受け入れることなのです。


ターシャさんの本は、坂爪圭吾さんも気に入っておられるようで、多数「わたり文庫」として紹介されていました。

ターシャさんの絵や写真を見ながら、彼女が暮らす自然の中の家や庭に思いを馳せ、自然の中に溶け込む気分に浸ってみるのも良いことだと思います。

生きていることを楽しんで
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:34 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月29日

自分の花を咲かせよう



神渡良平さんの本を読みました。今回は、詩人の坂村真民(さかむら・しんみん)さんを紹介する本になります。

神渡さんはこれまでにも、多くの人を紹介する本を書かれて、スポットライトを当ててこれらました。私も神渡さんの本を読むことで、その紹介された人のことを詳しく知って、その生き方に感動してきました。今回の本もまた、そういうものでした。

雑誌「致知」でもよくお見かけしたので、「念ずれば花ひらく」という言葉や、坂村真民さんというお名前は存じ上げていました。しかし、どういう生き方をされてこられたのかなど、詳細はまったく存じ上げませんでした。

この本によって、真民さんのことを身近に感じられたのは事実です。そして、その到達された境地が、いかに深いものであったかを知りました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

悟りとは
 自分の花を
 咲かせることだ
 どんな小さい
 花でもいい
 誰のものでもない
 独自の花を
 咲かせることだ
  (「悟り」坂村真民)
」(p.2)

冒頭に、真民さんのこの詩を掲げています。ここから、この本のタイトルがつけられているようです。


「あきらかに知りぬ。心とは山河大地なり。日月星辰(じつげつせいしん)なり」(※星辰=星のこと)
 道元禅師は人間が高度に澄み切ると、山河大地と渾然一体となり、太陽や月や星と溶け合って一つになると言われます。真民さんは暁天お祈りや初光吸引を通して、宇宙と一つになっていきました。
」(p.45)

道元(空海)の悟りは、「声心雲水倶了々」という言葉で語られています。詳しくは前の記事「宇宙と一体になること」をご覧ください。これを真民さんも感じられたのですね。


念ずれば
 花ひらく

 苦しとき
 母がいつも口にしていた
 このことばを
 わたしもいつのころからか
 となえるようになった

 そうして
 そのたび
 わたしの花が
 ふしぎと
 ひとつ
 ひとつ
 ひらいていった
」(p.69)

これが真民さんの代表作でもある「念ずれば花ひらく」という詩です。この詩に触発されて、自殺を思いとどまった経営者がいます。そして、やり方がどうかではなく、まず「決める」ということの重要性を知った経営者がいます。それが松下幸之助さんであり、その話に影響を受けた稲盛和夫さんなのですね。そのエピソードも書かれています。


世の中で起こる出来事はすべて意味があります。あなたのお体が弱いのも、それがあなたに背負わされた運命なのです。それに耐え、それを乗り越え、逆にそれを大きな恵みとされたとき、あなたの業(カルマ)が解消するのです。
 だから背負わされている重荷を不幸だと悲しむのではなく、みんなに成り代わって背負っているのだと受け止めることです。
」(p.167 - 168)

真民さんが師と仰ぐ春苔尼さんが真民さんに贈った言葉です。師の言葉に励まされて、真民さんは思索を深めていかれたのだと思います。


強運の持ち主だといわれて、真民さんはびっくりしました。
「私はそういう強運の星のもとにあるというのに、どうして今日まで、よい運に恵まれずに来たんでしょうね」
 すると、その人は天を仰いで返事を探した末、こう答えました。
「あなたはとてもよい運勢を持っているのに、今日までそれを消し消しやってきました。おれは駄目だ駄目だとばかり思って、運を消してきたのではありませんか?」
」(p.178)

真民さんが占いをしてもらった時のエピソードです。真民さんは、有名になる前は自分に自信が持てず、自分は駄目だと否定し続けていたのですね。


信仰とは神仏に預け切って何事でも甘受し、感謝して過ごすことです。信仰とは判断の基軸を人間世界ではなく、神仏へと移すことです。真民さんは「何でも感謝して受けるようになって、実に軽やかになった」と言われます。」(p.180)

自分で何とかしなければとあくせくしていた時は、不安しかありませんでした。何もできない自分を悲観し、自己否定するだけでした。しかし、信仰はそういう自分を受け入れ、神仏に委ねることです。真民さんは、そういう境地を切り開いて行かれたのです。


万物の霊長たる人間が四苦八苦するために、この世に遣わされているはずはありません。それぞれに与えられている持ち味を十分発揮し、世に貢献するためです。行き詰まったように見える出来事も、状況を再考し、よりよきものを産みだすために起きているのであって、決して潰してしまおうという悪意が働いているわけではありません。
「何事も感謝して受けよう。道は必ず開ける!」
 と思ったら、どっしり構えて対処できます。
「そうだ、大宇宙はもっともっと喜びなさいと言っているんだ!」と、真民さんは深く納得できました。
」(p.239 - 240)

真民さんは晩年、「大宇宙の本質は大和楽だ!」と悟られたようです。宇宙(神)は、人を苦しませようとしているのではなく、喜び楽しませようとしているのだと。このことがわかれば、安心していられるのです。

そして平成八年(一九九六)十月に出版した『念唱 大宇宙大和楽』(エモーチオ21)に「二十一世紀の扉開きと新しい人間」と題して、「私は『念ずれば花ひらく』と『大宇宙大和楽』という二つの真言を残すためにこの世に生まれてきたと思います。しかし今日では『大宇宙大和楽』をずっしりと心にとどめる心境になります」と書きました。」(p.243)

宇宙(大自然)と一体化し、「すべては一つのもの」を体感する。そうすれば、対立というものはなくなり、苦悩も消え去ります。残るのは、ただ喜び楽しむことだけ。それが真民さんが到達された境地なのだと思います。


「ひどい病気だ。悪魔のようにしつこい奴だ」と病気を憎みました。
 ところがそのうちに心境の変化が起きてきて、病気を憎まなくなりました。
「そんなにくっついて離れないのなら、いっしょに生きていこう」
 と、むしと憐れむようになったのです。するとあれほどしつこかった皮膚病が次第に消えていきました。
」(p.245)

しつこい皮膚病に悩まされた真民さんのエピソードです。そしてこの出来事から、こんな詩が生まれました。

光だ
 光だ
 という人には
 いつか光が射してくるし
 闇だ
 闇だ
 という人には
 いつまでも闇が続く
」(p.246)


仏教にとどまらず、キリスト教やその他の宗教も含めて、真理につながる境地を詩に表現された真民さん。その花が開くまでには、たくさんの苦労がありました。しかし同時に、奇跡的な導きもありました。

覚悟を決め、やるべきことをやろうとして日々を過ごせば、自ずと導かれる。そんなことが、真民さんの人生から見えてきます。

神渡さんには、本にサインをしていただきました。そこには「一道を貫く」と書かれていました。これはまさに、私に対する言葉だと受け取りました。私が目指す一道。それは、真理を世に伝えていくことです。「神との対話」を読んで、そのことを誓ったのですから。初心に戻ってそのことをやっていこうと、この本を読んで思いました。

自分の花を咲かせよう

神渡良平さんのサイン
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 01:24 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月26日

晴耕雨談 第1弾

今日は本ではなくCDの紹介です。アマゾンなどでは取り扱っていないようですので、お求めは喜多川泰さんのオフィシャルサイトからどうぞ。

先日、「読書のすすめ」さんの企画で、喜多川泰さんの講演会に参加しました。

そこでは、喜多川さんの講演、読すめ店長の清水克衛さんの講演、そしてお二人の対談が行なわれました。

その後、書店の方へ移動して、喜多川さんのサイン会も行なわれました。そこでこのCDを購入して、サインをしていただいたのです。

喜多川泰
【喜多川泰さんと一緒に】

清水克衛
【清水克衛さんと一緒に】


CDは、喜多川さんが尊敬してやまない各分野で活躍する一流の人を招いて対談するというもの。その第1弾は、通称ウエジョビ(上田情報ビジネス専門学校)副校長の比田井和孝さんです。

比田井さんと言えば、「私が一番受けたいココロの授業」がベストセラーになった教育者で、喜多川さんとは相通じるものがあるようです。


CDなので、引用することができないのですが、心に残った話をご紹介します。

お二人とも教育者という立場なのですが、そこにはどうやって生徒を成長させるかという課題があります。ウエジョビでは、「挨拶、掃除、素直」というスローガンを掲げて、そういう生徒を育てたいと思っているのだそうです。

では、どうやって生徒に挨拶させるのか? 比田井さんは、けっきょく先生たちが変わらなければならないのではと気づき、先生たちの間で意識を共有するところから始めたと言います。

喜多川さんもそれに同意され、けっきょく他人を動かすことはできないのだと言われます。他人を裁いたり押し付けたりするのではなく、自分がそうであろうと努力し続けること。その姿を見せるしか方法はないのだと。

これを、「人を相手にせず、天を相手にする」と言われています。西郷隆盛「敬天愛人」につながる考え方ですね。他人を批判したい気持ちをぐっと抑え、黙って自分がやるべきことをやる。それしか方法はないのだと。


喜多川さんと比田井さんの熱い思いがぶつかりあう対談は、何度も繰り返して聞きたくなります。

晴耕雨談 第1弾
 


posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:20 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月23日

TREASURE トレジャー



犬飼ターボさんの本を読みました。成功小説というジャンルでは、日本で草分け的存在の犬飼さん。その犬飼さんの成功者シリーズ3部作の第1部になります。

出版されたのは第2部の「チャンス」、第3部の「ドリーム」が先です。第1部が最後になっています。この第1部は、「チャンス」でメンター役として登場する弓池を主人公とした物語だと、「ドリーム」で語られていたのですが・・・。読んでみると違っていましたね。(笑)

「チャンス」と同様に、飲食業界での成功を夢見る中田功志が主人公で、弓池をメンターとして様々なことを教わるという内容でした。「チャンス」ほどは教わる頻度が少ない感じですね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「困った出来事が起きたら、『私は何を学ぶためにこの出来事を体験しているのだろうか?』と自分に問いかけるんだ」
 コウジはノートに書いた文章を味わった。
「なんだか不思議な質問ですね。”何を学ぶために”ですか。そんなふうに考えたことはありませんでした」
「不幸が起こったのではない。自分が常に成長するために最適な出来事を引き寄せているんだ。この質問を続けていくと、全ての体験を選んでいるのは自分だという認識が育っていく」
」(p.105 - 106)

出来事はすべて自分のために起こる。その認識を深めていくことが重要だと弓池はコウジに説明しているのです。


弓池は3つの意識について説明してくれた。
 意識……思考であり、知覚し考えている自分のこと。
 潜在意識……過去のデータが蓄えれれている。主に危険や苦痛から守るために働いている。
 神性意識……全ては1つであることを知っている意識。それを体験するために出来事を起こす。
」(p.110)

自分の思考が出来事を引き寄せるのですが、その思考を生み出す意識に、この3つがあると説明します。そして、ほとんどの場合は潜在意識や神性意識で出来事を創造すると言います。

「神との対話」などで言われているのも、まさにこの通りです。神性意識というのは、魂と言ってもよいでしょう。ですから、自分の意識(顕在意識)で考えたことではないようなことが起こるのです。

しかし、たとえ自分の意識が自覚してないとしても、この3つの意識は「自分」そのものです。ですから、自分がその出来事を選んだことには違いなく、またその目的は、自分のためになることだと言えるのです。


でも君は、本当は自分で成功すると認めたいんだよ。ところが、その認めたいという想いを自分で認めていないから、他人に認められたいと思った。これは、自分で想いを認めないと、代わりに誰か他人に認めてほしくなるという心の作用なんだ。『自分を認めたい』という想いを認めないと、『認められたい』になる。『役立ちたい』という思いを認めないと、『感謝されたい』になる。『自分を愛したい』という想いを認めないと、『愛されたい』になる」(p.131)

他人の評価を得たくなる(執着する)のは、自分が自分を評価していないからです。本当は自分で自分を評価したいのだと気づかないと、自分を評価できません。まずは自分の本当の欲求に気づくことが重要なのですね。


(そうだ、あのときも大好きだと言ってくれた。今も……僕は愛されているんだ)
 それに気づくと、自分でも驚くような答えがふと浮かんできた。
 愛を学ぶため。
 今、この出来事は愛を学ぶために体験している。
」(p.300)

すべての出来事は、究極的には「すべては1つのもの」であることを学ぶために、思い出すために起こります。そしてそれは、「愛」だということです。この世はすべて愛だったことに気づく。そしてそれを体験する。それが、起こる出来事の目的なのですね。まるで「神との対話」で語られているような内容です。


本の帯には、「実話をもとにした、心が軽くなるビジネス小説」とあります。この小説に出てくるエピソードのほとんどは、犬飼さんがインタビューした実話だそうです。事実は小説より奇なりと言いますが、そういうことがあるのでしょうね。

物語形式なので読みやすく、また主人公に感情移入して、自分がその場で生きているかのように感じます。そして主人公とともに苦悶しながら学び、成長していくのです。犬飼ターボさんの成功小説は、わかりやすく真理を伝えてくれます。

TREASURE トレジャー
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:40 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月21日

お金のいらない国2〜4

  

以前に読んだ第1作の「お金のいらない国」が素晴らしかったので、その続編を買ってみました。作者は長島龍人(ながしま・りゅうじん)さんです。

物語のシチュエーションはすべて一緒です。主人公が未来の社会に紛れ込み、その社会にお金がないことに驚き、自分が住んでいた社会のいびつさに気づいていくというものです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。なお、ページの前に数字を入れましたが、これが何作目かを表しています。

「じゃあ、その国の真似をすればいいじゃないですか。いっそのこと税率を百%にしてしまえば……」
「ええ!……ああ、でもそうか。そうすれば確かに、お金のいらない国になりますね」
」(2 P.9)

言われてみると、たしかにそうですね。税率100%なら、お金が要らないことになります。稼いだお金はすべて税金として吸い上げられ、あとは使いたいだけ使えるのです。それで上手くいくなら、何の心配も要らないように思います。どう思いますか?


紳士はしばらく黙っていたが、ぽつりと言った。
「お金はね、貯めてはいけないものなんです。貯める人がいなければ、貧しい人も生まれません」
 紳士は言った。
「そしてもうひとつ、あなた方は重大な過ちを犯しています」
「な、なんでしょう?」
「その進歩とお金を得るために、たくさんのものを作り、捨てたことによって、資源が大量に失われ、環境が破壊されたのです」
」(2 P.11 - 12)

お金を貯めるということは、将来への不安であったり、今持っていないくらいのお金がかかるものを買うためです。しかし、そうやってお金が滞留しているということは、それだけで無駄になっているのですね。

たとえば、お金がなくても欲しいものが得られるなら、家が欲しい時は「家が欲しい」と言えば、家を建てたい人(大工さんなど)が家を建ててくれます。お金が貯まるのを待つ必要はないのです。将来、病気などでお金が必要になっても、その時に必要なケアをしてもらえるなら、前もって貯め込む必要はありません。

そして、お金を貯めるためにお金を稼ごうとすると、不要なものを大量に買わせるための努力をすることになります。それが資源の無駄遣いになっているのです。


お金が存在しなければ、子供の養育費や教育費もいらないから、他人が保護者を特定する必要はないかもしれないし。結婚しても、誰かを扶養する必要もなければ離婚の時に慰謝料を払うこともないから、これも本人たちの気持ちの問題だし。遺産相続も無いから、親族が誰かなどは当事者だけがわかっていればいいことでしょうしね。そうなると戸籍も必要ないか」(2 P.24)

たしかにそうですね。今の結婚制度は、お金があるからこそ必要な制度かもしれません。お金がないのであれば、親子関係も周りや社会が把握しておく必要がないとも言えません。

もちろん、子どもの養育を親が放棄をした場合のケアは必要ですが、親の養育義務が、要はお金の問題に行き着くのであれば、他の人が養育したっていいわけです。養育放棄する人は、どうせそうするのでしょうから、同じことですからね。


病気は、精神を含めた体の異常を訴えるサインですから、治療は表れた症状を抑えようとするだけではだめなんです。また、体は自然の力で治ろうとしますから、そのために出ている症状をむやみに抑えてしまうと、かえって治らなくなります。病気の原因は、その人の生き方、考え方、経験、環境など、あらゆることが考えられます。医者は患者のそういったことまですべて引き出して、親身になって治療に当たれる人がならないといけませんね」(3 P.38)

お金がない進んだ社会では、病気に対する考え方も違いがあるようですね。(笑)
しかし、本来はそういうものだろうと思います。保険診療の問題もあって、医療関係者はやはり、どうやってお金を儲けるかということも考えざるを得ないのが、今の医療だと思います。

本来なら、未然に病気を防ぐ予防とか、なるべく身体に負担がかからないように薬を使わないなどの治療法が、優先されるべきだと思います。それをしないのは、それでは儲からないからです。


そうか! やはり、根本原因は所有じゃないか! 自分だけのものという概念。自分のものと人のものを分ける発想。そして比較する、競争する。そういう社会では、自分にとって都合のいいことは、相手にとっては都合が悪い。自分が勝てば相手は負ける。自分の幸せは相手の不幸せ。この、所有に伴う、比較、競争、勝ち負けの世界。これを基本にしているから、お互いが納得できる道などないと思い込んでしまうのではないか。」(3 P.47)

なぜ対立が起こるのか?
それは競争しなければ必要なものが得られないと信じているからです。競争してまで何かを手に入れなければ、それが不足していると信じているからです。

これは、まさに「神との対話」が示している幻想です。幻想によって不安が生まれ、その不安に突き動かされて、所有しなければと思い込んでいるのです。


「そうか。同じにしなきゃいけないと思うから苦しいのね」
「相手に自分の意見を受け入れさせようと思うからけんかになるのよ。お互いが受けとめられれば問題は起きないでしょう?」
」(4 P.16)

相手の意見を受け入れる(=同意する)必要はなく、ただ受け止める(=相手は相手の意見のままでいいと思う)だけでいいのです。違いがあって当然だと思えば、何も問題は起こりません。

それを、自分の意見以外は間違っている(=あってはならない)と思うから、問題になります。そして、そう思ってしまうのは、不安があるからです。そうでなければ生きていけないという不安が、自分の意見に固執させるのです。


正解を覚えればよいという教育は自分で考える力をつけない。答えは決まっているのだから覚えるだけで考える必要はない。誰もが同じことを覚えさせられ、そこに疑問の入り込める余地はない。また、わからないことは質問すればいいから、依存が起きる。自立ができない。結果、自分が何をしたいのかわからない、することが決められないという人間が作られる。」(4 P.41)

現代の教育の問題は、自分で考えさせるのではなく、誰かが考えた「正解」を覚えさせ、当てさせるだけの教育になっていることだと思います。だから個性など、生まれようがありません。他人と違うことを否定されるのですから。


肉体がなくなれば、お金や財産はいくらあっても触れることもできず、使いようがない。地位や名誉のようなこの世限りのものにも価値はない。死んだ後に意識が残ると思うのと思わないのでは、ものの価値観が大きく変わりそうだ。」(4 P.54)

人は誰も死にます。死亡率100%ですから。その死ぬ時に、何か必要なものがあるでしょうか?
それを考えれば、本来、何も必要でないことがわかります。この世に生きている間だけの幻想だとわかるのです。そんなものにしがみつくことで、もっと大切なことを忘れてしまっている。それが私たちなのでしょう。


このシリーズは、単にお金がない社会の空想だけでなく、人としての本来の生き方に対するヒントを与えてくれているように思います。

もちろん、そんな理想的なことがすぐにできるはずはない、という考えもわかります。でも、誰かが一歩でも踏み出さなければ、いつまでたってもそこへ到達することはできないでしょう。ですから、今の自分ができる一歩を踏み出せば、それだけでも進歩だと思うのです。

たとえば、ここで紹介した本を読むのも小さな一歩です。また、「ベーシック・インカム」などの本を読み、最低限の生活に関してお金が要らない社会のことを勉強するのも、小さな一歩だと思います。

1冊あたりわずか60ページほどなので、すぐに読めてしまいます。ですが、その内容はとても深いものがあります。ぜひ、じっくり読んでみてください。

お金のいらない国2〜4
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 22:01 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月19日

ブレイクスルー



先日、喜多川泰さんの講演会へ行き、書店「読書のすすめ」で行われたサイン会へも参加しました。その時、喜多川さんが松尾健史(まつお・たけし)さんの本を紹介されていました。

松尾さんのことは全く知らなかったですが、喜多川さんがそこまで勧められるならと思い、買ってみることにしました。

本の帯には、作家・喜多川泰さんの推薦文(?)として、こう書かれていました。「「突き抜けろ!に心震える、圧倒的爽快感!」

この小説の特異な点は、主人公が複数いることです。同じ時期の登場人物を、それぞれを主人公にした物語と言えばよいのでしょうか。表現方法はわかりませんが、短編のようなそれぞれの登場人物を主人公にしたような物語が、他の短編の物語と関連しています。

ですから、誰が本当の主人公なのかということはよくわからないのですが、それぞれにそれぞれの人生があり、その中でそれぞれが「突き抜ける!」ということをテーマにして、自分の人生を戦っているように感じました。


それではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただ、これは小説ということもあるし、まとまった文でメッセージを伝えられそうなところも少なかったので、引用はごく一部にします。

知っていると見えるけど、知らないと見えないことっていうの、世の中にはあるじゃん。ウミガメ一つをとってもそうだよね。これから俺がウミガメを見たときにはさ、今までよりもたくさんのことを読み取ることができると思うんだ。一つの情報から、より多くより深く読み取れることを、俺は『知性』って言うと思ってるんだ。」(p.112)

ハワイの海でサーフボードに乗って波を待っていた時、ウミガメに出会って乗ってみたくなったのだそうです。でも、人間がウミガメに触れたら人間の匂いが残るので、そのウミガメは群れからはじき出されるのだとか。

そういうことを知ることが、実は人生や社会にとって、重要な判断をする上でのポイントになる。だから、どんな出来事が自分に役立つかは、何とも言えないのです。だから、何でもないがしろにすることなく、今の人生を受け入れて、そこから学ぶことが重要なのでしょうね。


「突き抜ける!(ブレイクスルー)」というのは自分の限界を超えるということです。ちょっとしたことでもかまわないけど、自分が「ここが限界だ」と勝手に決めたことを、「そうじゃないんじゃないの?」と思って超えてみる。そうやって突き抜ける経験を増やすことで、自分の変化が加速するのだろうと思います。

この小説は、それぞれの立場で課題を抱えながら、それを突き抜けようとする人々の物語と言えるでしょう。どこにでもいる普通の若者が、それぞれの人生の中で、自分の限界に挑戦する。こういう話を読むと、自分ももっと突き抜けなくちゃなぁと思うのです。

ブレイクスルー
 
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2017年06月18日

タッチハンガー



何で知ったのかわかりませんが、三砂ちづる(みさご・ちづる)さんの本を読みました。読み始めて気づいたのですが、これはエッセイ集なのですね。「ウフ.」という雑誌に連載された「タッチハンガー〜ふれられなかったあなたへ〜」に、加筆・訂正して制作された単行本です。

サブタイトルに、「がんばり続けてなお、満たされないあなたへ」とあります。本の帯には、「Touch(タッチ)=ふれあい Hunger(ハンガー)=飢え 欲しいのは包み込む優しさ、無償の愛。」と書かれています。触れられるだけで、すべてを受け入れてもらえるような愛を感じる。そんなことがテーマかと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

恋人が欲しい、誰かにそばにいてほしい、という思いは、しかし、ひょっとしたら、そっと誰かに抱きとめられ、受けとめられ、背中をなでてもらいたいということではないでしょうか。今の日本では、恋愛を通じてしか抱きしめらられ、やさしくなでてもらうことができなくなってしまっています。セクシャルなニーズのもっともっと前に、そっとふれられたい、しっかり抱きしめられたいという人としてのニーズがあるということに、なかなか気づけずにいます。」(p.6)

たしかに日本では、「触れる」ということが、すごく特別なことになっていますからね。恋人同士とか、まだ子どもが小さい頃の親子しか手をつながない。それが当たり前という空気があります。

でも、三砂さんが長く滞在されたブラジルでは、普通にハグし合ったりするのだとか。そういう経験によって、人として人肌に触れたいという欲求があり、触れてもらいという欲求があるという気付きになったのだと思います。

ブラジルでは家族は必ず抱擁しあうし、親しい友達同士もいつもハグしています。同性の友人だけではありません。異性の、恋人でもない友人と会ったときもしっかり抱きしめます。そのときの気分や会わなかった時間の長さや思いによって抱き方は微妙に変わります。別に恋人にならなくてもいいけどちょっと素敵だな、と魅力を感じる人は、周囲に一人二人はいるものです。特別な関係にならなくてもいいけどちょっと抱きしめてみたい、という人もいるでしょう。日本ではそういう気持ちは行き場がありません。手を取ってしまったり抱きしめてしまったりしたら、それはもう特別な関係になるしかありません。絶対に手を出さないか、あるいは「最終的な関係」までいってしまうか、どちらかしか魅力的に感じている人に接するすべはありません。」(p.10)

このように、日本の杓子定規な関係のあり方について、疑問を呈しておられます。もちろんこれは、日本が間違っているという意味ではなく、ちょっと不便じゃないかなぁというくらいの感じだと思います。


「タッチハンガー」はふれられなかったわたしたち、みんなが持つ心の渇望です。だからと言って、今、すぐには人にはふれられない。今の日本を生きるわたしたちの世代は、そうやってふれてもよいと思えずに生きてきたのでしょうから。ならばせめて時折、「もの」の所有に対するルーズさ、いい加減さを取り戻しながら暮らすことから始められるのかもしれません。」(p.111)

スペインの人とルームシェアをしたとき、冷蔵庫の中の物は、どっちが買ったかに関係なく自由に使うのが当然という感じだったのだそうです。また沖縄でも、「この鉛筆借りましょうねー」という言い方で、貸して欲しいという意味になるのだとか。

誰の持ち物という厳格な区別をせず、所有に対するルーズさがある。そういうルーズさがあると、生きることが楽になると三砂さんは考えるのです。


最近の母親と子どもはあんまり肌と肌でふれあってないんじゃないかなあ。昔は、日本は、みんなすぐ裸になってたからね。だからおっぱいなんてずいぶん大きくなるまで吸っていたなあ。ほら、昔の女の人って、みんな日本髪結っていたじゃない。あれ、上半身裸で結うんだよね。ぼくの母もよく鏡の前で、きものを半身脱いで髪を結っていた。ぼくはさ、高校生になっても、学校から帰って母が半身脱いで髪結っていると、母のおっぱいさわったり吸ったりしてたもんだよ。」(p.130)

三砂さんの知り合いの70代のドクターが、このように話されたそうです。さすがに私は経験ありませんが、私の祖母などは、暑い夏は上半身裸で過ごしてましたし、郵便配達の方が来られても、そのままのかっこうで受取りに出たりしていました。

銭湯が普通にあったので、少なくとも同性間なら、裸を見せ合うことに抵抗はありませんでした。けっきょくこういうのは、慣れの問題なのかなって思います。


「子育てはストレス」という言い方をやめたいなと思います。言葉には力があります。言い続けるとそのような気がしてきます。かわりに「子育てが一番楽しい」と言ってみたらどうでしょう。あれ、でもそうすると、女に子育てを押しつけるな、男も協力せよと鋭意努力してきたわたしたちの今までの主張はどうなるのか。たくさん子どもを産まされて(ということになっている)、苦しんできた昔の女性たちの苦しみはどうなのか。そう思いはします。でも、「楽しいから、一緒にやりましょうよ」と言えるようになるほうがいいのではないかなあ。「これがストレス」と親に思いながら育てられることを、あなたが子どもなら望むでしょうか?」p.167)

たしかにそうですね。子育ては大変だという一面があることも事実ですが、そう言われたら子どもとしては立場がありません。


幼い人ほど丁寧に接していたい。ゆったりとした気持ちでやさしい手でそっとふれていたい。おだやかな声で語りかけていたい。しっかり抱きしめて、あなたのことをわかっているよと言ってあげたい。大丈夫、少しずつ楽になるからと語りかけてあげたい。言葉で説明できないってつらいよね、言葉で説明できないから泣きたくなるんだよねと泣いている子には寄り添っていたい。言葉が話せるようになった子の話はないがしろにしないで、丁寧に聞いてあげよう。たくさんたくさんの思いが一言に込められているはずだから。小学生には、こんなに大変なのに、生きているだけでえらいと言ってあげよう。中学生には、まだまだしんどいよね、でも大丈夫だよと言ってあげたい。」(p.211)

辛くて自殺する人が大勢います。大人には大人の辛さがありますが、子どもには子どもの辛さがあります。それが大人からすれば「たいしたことないじゃない」と思えたとしても、子どもにとってはどうにもできない大変さだったりもするのです。

そういう三砂さんの経験を重ね合わせながら、三砂さんは大人の方がまだ自由だなと言います。子どもには選択の余地がないことが多いけれど、大人には自分で選べることが増えるからです。だからこそ、子どもに寄り添いたいと言われるのですね。


エッセイなので、「かくあるべし」というよな話はないし、体系立てて何かを説明するものでもありません。一つひとつのエッセイを読みながら、「なるほど。うん、そうだな。」とか「いや、ここは私ならこうだよ。」みたいな、自分の思いを確認するような読み方になりました。

タッチハンガーという言葉は初めて聞いたのですが、たしかに「人肌が恋しい」という思いは、普遍的にあるのかもしれないと思います。チンパンジーの赤ちゃんも、母親に抱かれないとうつ病になるそうですからね。

寄り添うこと、抱くこと、触れること。そんなことを、この本を読みながら考えてみるのも、いいのではないかと思いました。私がやっているレイキは、ただ触れているだけなのですが、私はこれは愛だと思っています。ただ触れているだけ。それだけで癒されるものがあるのです。

タッチハンガー
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 23:13 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月15日

セックスは、神さまからの贈りもの



友人からもらった本を読みました。著者はチャック・スペザーノ博士。対話形式になっていて、質問者はVOICEの喜多見龍一(きたみ・りゅういち)氏、通訳は大空夢湧子(おおそら・ゆうこ)氏、監修は栗原弘美(くりはら・ひろみ)氏となっています。

帯にもあるように、コミカルな一コマ漫画がたくさんあり、また対話形式にすることで、インタビューを聞いているかのような内容になっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

つまりセックスは、人生のなかで大きな比重を占めているにもかかわらず、私たちは、その翌日の会社で「きのうはさあ、二回もセックスしちゃってね」と語ったりは、決してしない……。社会的には口にはしない。しかし頭の中にはしっかり定位置の居場所があって、時折、救急車の赤色灯のようにピーフォンピーフォンと光ったりもするのだ。」(p.4)

つまり、セックスについて大っぴらに語ることは滅多に(まずほとんど)ないにもかかわらず、頭の中に占める割合が大きく、重要なポジションを得ている、ということなのです。このことには、おそらく誰もが納得されると思います。

この本は、そのセックスの重要性を心理学的アプローチで、途中からはスピリチュアル的アプローチで、つまびらかにしていくものと言えるでしょう。


さげまんの意識の下に隠れているのは、素晴らしいギフト(才能)です。さげまんの人も、実はあげまんなのです。ただ、あげまんの部分が隠されているだけです。問題の下には、必ずギフトが隠されています。そのギフトはクリエイティビティであり、ミラクルであり、また、トゥルー・ラブ(真実の愛・真実のパートナー)です。」(p.34)

カップルは、お互いが対等な関係になるよう、パワーを与えたり吸い取ったりするのだそうです。そして対等になると、さらにコミットし続けて、全体でパワーがアップする。その時、「パートナーのひとりは世界に対して大きな貢献をしていくようになり、もうひとりは相手に対して徹底的に与え続けていくようになる」のだとか。これが「あげまん」の構造だと言います。

「あげまん」とは、「ナチュラルな形で流れに乗っている人のこと」で、その人からは常にエネルギーが流れ出ています。その逆が「さげまん」で、「被害者、加害者のパターン」を持っているなど、流れからそれている人だと言います。

そんな「さげまん」でも、「セクシャリティを持ってリーダーシップを発揮できる存在なのかもしれない」と言います。隠されたギフトを発見することで、大きく変わることができるのですね。


さげまんは、怖れという言葉に置き換えることができます。自分がどんどん縮こまっていくことであり、罪悪感や恥という間違った自己概念を信じている。つまり、自然な流れに乗っていかない道にいるわけです。
もし、あなたが流れに乗っていったなら、あなたはあなた自身になっていきます。すごく魅力的になるばかりか、自分はいいことをたくさん受け取って当然だし、自分には受け取るだけの価値があると信じられるようになります。しかしさげまんは、自分には悪運がついているという間違った自己概念を信じている。その上、自分は物事を台無しにする存在なんだと考え、それを楽しんでいる向きがあるのです。
」(p.44)

自尊心がない、自信がない。だから高い評価を受け取れないし、罪悪感を感じる。それが「さげまん」の傾向です。そして、あえてそういう自分であろうとしている。アドラー心理学で言うなら、そうすることが都合が良いからなのでしょう。


あなたのパートナーは、愛なる神、大いなる宇宙の力に至るためのゲートウェイ(入り口)なのです。エンライトメント(悟り)の最初の段階は、マインドの悟りです。ここで、私たちはワンネスを経験します。」(p.170)

パートナーを通じて悟りに至る。悟りとはワンネスを経験すること。ここまで来ると、完全にスピリチュアルですね。

ワンネスは、時間も空間も超越していますから、それ自体は変わることがあり得ません。私たちは、本来はワンネスの中にいます。つまり、私たちは「ワンネスから離れている」という夢を見ているに過ぎないのです。だから、私たちはパートナーとの関係を通して学び、夢から覚めようとしているのです。それは、とりもなおさず、自らがマスターになること。ブッダやキリストになり、そして、神とひとつになるということにほかなりません。」(p.178)

「神との対話」を読まれているなら、ここに書かれていることにうなずかれることでしょう。人間関係においてのみ、私たちは進化成長します。したがって、その人間関係の中でも特に重要なパートナーとの関係が、私たちの進化成長、その行き着く先の悟り(覚醒)のために、重要な役割を果すのです。


この本では、セクシャリティな内容が、面白おかしく、そして真面目に書かれています。そしてその行き着く先が、私たちの魂の目的であり、悟りにあることも示されています。

ただ、正直なところわかりづらいです。説明が端折られているように感じます。それは、質問者にある程度の知識があるために、細部を突っ込んで尋ねていない、ということがあるのではないかと思いました。

また、途中に博士のセッションの様子が書かれているのですが、対象者がスムーズにイメージし、博士の質問にスラスラと答えていることに違和感を覚えます。まあそういうすぐにイメージできる人もいるので、これが偽りとは思いませんが、私にはできないなと感じたので。

そういったことはありますが、パートナーとの関係、セックスについて、一歩踏み込んだ内容であることはたしかです。

セックスは、神さまからの贈りもの
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:10 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

ダラダラ気分を一瞬で変える小さな習慣



もう6年前になるでしょうか。箱根ブランディング合宿で同室になった大平信孝さんの4冊目の本を読みました。今回は奥様の大平朝子さんも共著になっています。

以前に紹介したのは、「本気で変わりたい人の 行動イノベーション」「今すぐ変わりたい人の行動イノベーション」「「続けられない自分」を変える本」です。

友人と呼べるほど親しい関係ではありませんが、それでも同じ部屋に泊まり、将来を語り合った仲。そういう人がベストセラー作家になっているというのは、何となく誇らしい気持ちになります。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

ダラダラしてしまうのは、何もあなたが悪いわけではありません。
 あなたがダラダラしてしまうのには、ちゃんとした理由があります。
 じつは、あなたが「コントロールできないものをコントロールしようとする」から、気疲れしたり、心が折れたりしてしまって、仕事がはかどらないのです。
」(P.5)

冒頭でこのように説明しています。ついダラダラして行動できないのは、本来コントロールできるものに意識を向けず、他のことを考えているからですね。

ですから、対策は簡単です。コントロールできることに意識を向けるよう、工夫すれば良いのです。


では、「適度な緊張」を保つために、具体的にどうしたらいいのか?
 適度な緊張を保つ手段は3つあります。私は、これを「緊張スイッチ」と呼んでいます。次にあげる「3つの緊張スイッチ」のうちのどれか1つをオンにするだけで、適度な緊張を作ることができます。

@緊張を緩める(ユルメル)
A緊張を高める(タカメル)
B気持ちを切り替える(キリカエ)
」(P.33)

緊張が高すぎるプレッシャーも、緩すぎるダラダラも、仕事に集中するのにふさわしくありません。また、適度な緊張感があっても長過ぎてマンネリ化すれば、こても効率が下がります。ですから、適度な緊張の持続を目指す必要があるのです。

そのための方法を大きく分けると、上記の3つになるのですね。ここで紹介する全部で50個のルーティン(小さくて簡単にできる行動習慣)は、上記の3つに分類して紹介してある、というわけです。


ポイントは、会社のためでも、お客さんのためでもない、あなた自身の自己投資のために時間を使うこと、個人的に興味があって、あなたの理想の未来につながることに、1分間集中して取り組むことです。
 1分間経過したところで気分がよければそのまま続け、気分が乗らなければスパッとやめればいいのです。
」(P.60)

これは6番目の「タカメル」のルーティンにある「通勤電車で時間を持て余すときは「1分間勉強」する」に書かれています。

このように、ルーティンは簡単で、ハードルが低いものになっています。1分間の勉強で何ができるのかと否定的に考える人は、結局何もしません。しかし、とりあえずやってみるという人は、1分のつもりが10分になったりして、日々の時間を合わせると、かなりの勉強時間を確保したりもするのです。

ですから、簡単だから、ハードルが低いから、無意味とは言えないのです。まず第一歩を踏み出してみる。そこから始めることですね。


以上をふまえて、出勤時にたった5秒で、仕事のパフォーマンスを上げられるルーティンをご紹介します。「オフィスの入口で、(オフィスという場に)お辞儀をする」です。
 オフィス(という場)に対して挨拶することで、アウェイ感が減り、オフィスがホームに近づきます。
」(P.70)

これは9番目の「ユルメル」のルーティンです。オフィスがホームになれば、緊張せずにマイペースで仕事ができますからね。

実はこれに似たことを、私はやっていました。それは、一番最初に出勤してオフィスの鍵を開けるというものです。これでオフィスが完全に私の居場所になりました。ついでに机の上を拭いたり、こっそり社長の椅子に座ってみたりもしましたけどね。(笑)

野球などでは、グランドに入る時に帽子を取ってグランドに挨拶します。それは礼儀でもありましたが、そこに愛着を感じる一因になっているようにも思います。


このようなルーティンが50個紹介されています。そして最後に、ルーティンに関してこう言っています。

ルーティンは、自分で決めた行動の積み重ね。ルーティンを活用することで、あなたがコントロールできるものにフォーカスできるようになります。その結果、あなたの人生に主体的な流れが生まれるのです。」(p.218)

ルーティンそのものは簡単で、実行するのにハードルが低いものばかりです。しかし、その目的は大きなことを行うことにあるのではなく、コントロールできないものから自分でコントロールできるものへと、意識を向け変えることあります。


この本にも書かれていますが、この50個をすべて行う必要はありません。それに、この通りに実行する必要もないと思います。自分に合うもの、必要なものを選んで、あるいは自分で工夫して、ルーティンとしてやればよいと思います。

そうすることで、日々の単調な生活にもマンネリせず、また進歩がないことに将来を悲観せず、やるべきことを淡々とやれるようになる。それがルーティンの力だと感じました。

なかなか思った通りにやれないと感じている方には、ぜひお勧めしたい本だと思います。

ダラダラ気分を一瞬で変える小さな習慣
 



posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:37 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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