2019年02月08日

BTSのラビットカードにスマホでチャージする方法をやってみました

タイ・バンコクで日本人(タイ人もですが)がよく利用する乗り物として、BTSがあります。

よく「モノレール」と呼ぶ人がいますが、厳密には間違いです。レールが2本ありますからね。正しくは「スカイトレイン」か「高架鉄道」になります。

とは言え、最初は地下鉄で始まったMRTも、今はパープルラインの開通で高架鉄道部分もできたので、MRTを「地下鉄」と総称するのも厳密には間違いになりました。BTSもMRTも運営する鉄道会社の名前です。東京なら「営団地下鉄」とか「小田急」と呼ぶようなものですね。


さて、前置きが長くなりましたが、昨年から盛んに、BTSのラビットカード(suicaのようなもの)にスマホからチャージ(トップアップとも言います)するCMが流されています。

ラビットカードはプリペイド方式なので、残高が少なくなれば、駅の窓口でチャージする必要があります。それがスマホでできるなら、こんな便利なことはないでしょう。ということで、さっそくやってみることにしました。

参考にしたのは、「サクのバンコク生活日記」「phablet.jp (ファブレット.jp)」などのサイトです。

※この記事を投稿した2019年2月8日時点での情報ですのでご注意ください。


●Rabbit LINE Payに登録する

まず、私はまったく意味を理解していませんでした。
BTSのアプリをスマホに入れ、駅の窓口で連携すれば、アプリを使ってチャージができるようになる、と勝手に思っていたのです。

しかし実際は、新たにアプリを導入するのではなく、LINEの中にあるLINE Payの機能を使って、ラビットカードと連携するのです。

ついでに言うと、日本のアカウントだとLINE Payですが、タイのアカウントだとRabbit LINE Payとなり、両者は別物だということです。したがって、日本のアカウントのままだと、ラビットカードとの連携はできません。


なお、日本のアカウントからタイのアカウントへ変更ができる、というような記述が参考サイトにありましたが、やり方がよくわかりません。おそらく、LINEに登録している電話番号をタイの番号に変えればよいのではないかと思いますが・・・。


さて、一応、タイのアカウントの方(つまりRabbit LINE Payが使える方)を対象として、登録のやり方です。

参考サイトにあるように、LINEのメニューにある「ウォレット」から「BTS」を選び、指示に従って操作して、そこでラビットカードに記載されている13桁(3-1-8-1桁)の番号を入力します。また、支払い方法をチャージした残高にするかクレジットカードにするかを選びます。(後で変更できます。)

最初にLINE Payを開いて、パスポート番号などを登録する、というような記載がありますが、私はやっていません。

※後で気づいたのですが、私は2017年3月にRubbit LINE Payを何かで使っているようです。なので、ひょっとしたらその時、登録したのかもしれませんね。クレジットカードもすでに登録してありました。

ラビットカードの番号登録が終わると、駅の窓口に持って行ってアクティベートするように、というメッセージが出るのと、LINE Walletのトークに決済登録内容のお知らせというメッセージが届きます。

LINEPay1.jpg


●駅の窓口でアクティベートする

次は、駅の窓口へ行って、ラビットカードをRubbit LINE Payと連携してもらいます。

この時、パスポートの提示が必要だとされています。タイの運転免許証ではダメなのか疑問があったので、一応両方用意しておきました。

ところが最初にラビットカードだけ出したところ、特に何も要求されずにアクティベートしてくれました。なので、運転免許証ではダメなのかどうかも確認できませんでした。

なおこの時、私は「アクティベート プリーズ」と言ってラビットカードを窓口に出したのですが、最初は理解してもらえませんでした。英語の発音が悪かったということもあるでしょうが。何回か言って、スマホを見せたりして、やっと理解してもらいました。

ところがその後、何か長々と言われたのですが、何を言っているのかさっぱりわかりません。何かいろいろ選択肢があるのかもしれませんが、それもわかりません。それで、わからないという様子を示したら、あきらめてアクティベートしてくれました。

カードの残高がRabbit LINE Payに入ったから、というような説明があり、カードに「LINE Pay」のシールを貼ってから、そのレシートとカードを渡してくれました。

LINEPayb.jpg

その時、同時に、LINE Walletのトークにも、アクティーベーとされたことのお知らせが届きました。

LINEPay2.jpg


●BTSに乗る

アクティベートされたラビットカードを使って、さっそくBTSに乗ってみました。

ラビットカードを読み取り機に当てると、これまでは画面に残高が表示されましたが、もう残高表示がされません。何か英語のメッセージが表示されているだけです。(毎回同じなので、大した意味はないでしょう。)

そしてBTSから降りて改札を通ると、LINE Walletのトークにメッセージが入ります。運賃がいくらだったか、ここでわかるのです。

LINEPay3.jpg

ところが、1回目の乗車は0バーツでした。そこでやっと思い出しました。最初の乗車3回が無料になるプロモーションがあったということに。

その後、無料の乗車が終わった後、決済した運賃のメッセージが届くようになりました。

LINEPay4.jpg LINEPay5.jpg

左(上)が支払い方法(決済方法)を「クレジットカード」に設定した場合で、右(下)がチャージした「残高」にした場合です。

残高に設定すると、決済後の残高もメッセージで届くようですね。それにしても、このわずかな運賃が、その都度、クレジットカードで決済されることに驚きです。

クレジットカードを使えば、残高が少なくなった時にチャージ(トップアップ)する必要がありませんから、便利だと思いました。


●チャージ(トップアップ)する方法

そもそも、プリペイド式のラビットカードにチャージ(トップアップ)するのに、その都度、駅の窓口へ行かなければならないのが面倒で、スマホでチャージできるなら便利だと思って始めたことです。肝心のチャージ方法を調べてみました。

LINEPay6.jpg

LINEのメニューにある「ウォレット」から「BTS」を選ぶと、上の画面が開きます。ここにある「Add Money」をタップすると、「チャージ」の画面が開きます。

LINEPay7.jpg

ここに表示されてる銀行の口座を持っていないと、銀行口座からのチャージはできないようです。

私はクルンタイ銀行の口座を持っているので登録しようとしたら、・・・できませんでした。(泣)
理由は、数字13桁のIDを入力しなければならない設定になっているからです。つまり、タイ人しか使えないのです。この銀行口座の登録をしないと、この画面をスクロールした先にある「オートチャージ」もできません。したがって、タイ人しか、残高が一定額以下になったら自動的にチャージするという方法は使えないのです。

では、ATMやバンクアプリからチャージしようと思って、「ATM / Mobile Banking」をタップすると・・・

LINEPay8.jpg

カシコン銀行、サイアム・コマーシャル銀行、バンコク銀行の3行しか対応していませんでした。orz

したがって私がチャージするには、やはり駅の窓口などへ行かなければなりません。
その際、これまでならラビットカードを出せばよかったのですが、今度からはスマホのQRコードを提示しなければならないようですね。これはちょっと不便かもしれません。


●決済方法の設定

チャージは不便になっても、決済がクレジットカードでできるなら便利です。しかもクレジットカードなら、そのポイントも付きますから。

ということでその設定方法ですが、「ウォレット」の「BTS」にある「Setting」を開きます。

LINEPay9.jpg

真ん中あたりに「Rabbit LINE Pay Balance  Change」とあります。これは、今の設定が「残高」からの決済になっているという表示で、ここをタップして変更します。

LINEPaya.jpg

「お支払い方法」に「残高」と「クレジットカード」とあります。お好みの方をタップして「○」に緑の色を付けて、下の「登録」をタップします。これで、決済方法を変更することができます。決済方法を変更すると、LINE Walletのトークにメッセージが届きます。

なお、この変更は、乗車ごとに切り替えることも可能なようです。私は、残高をほぼ使い切ってから、クレジットカードに変えようかと思っています。

 

以上になりますが、結局、当初のスマホからチャージということはできなかった、ということですね。

そのうちクルンタイ銀行のアプリにも対応するようになったら、試してみたいとは思いますが。

まあでも、クレジットカード決済ができることがわかり、そっちの方が便利だとわかったので、結果的にはやってみて良かったと思いました。

もし、これからやってみようと思われている方がおられましたら、どうぞ参考にしてみてください。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:29 | Comment(0) | └ タイのお役立ち情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月06日

元の会社に再就職しました

2016年6月にリストラされて(こちらの記事「リストラされました!」をご覧ください)以来、2年半もの間、無職(フリーター)で暮らしてきました。

しかし、さすがにそろそろ生活費を何とかしなければと窮地に追い込まれた感じになった昨年末、元の会社からオファーがあり、今年になって正式に採用が決まりました。

この辺の事情は、別のブログに記事「3つ目の奇跡と呼べるのか?」を投稿していますので、そちらをご覧ください。


以前は、役員(どころか代表取締役社長)をしていましたが、今回は単に社員という立場です。肩書は、マネージャーかジェネラル・マネージャーだと思いますが、大した意味はありません。

私に託される仕事のメインは、日本の本社(というより、通いで年に4〜6回タイに通ってこられる社長)とのコミュニケーションの円滑化です。簡単に言えば経営サポートでしょうか。


給与は、思い切り下げに下げたリストラ前の給料の半分。タイの現地採用としても平均かそれ以下くらいかと。日本で普通にアルバイト生活を送った場合と比べると、それと同等かやや少ないくらいです。

とは言え、日本で暮らすことになれば別途家賃が発生しますから、それを考えれば可処分所得的には多くなる感じです。


昨年の後半、私もそろそろ仕事をしなければと思ったので、就活も始めました。しかし、どれもこれも不調に終わったのです。

そんな中で、こちらからアプローチしたわけでもないのに、元の会社からオファーがありました。

結局、私があくせく仕事を探さなくても、仕事は与えられたのですね。

「果報は寝て待て」と言われる通り、ただ安心して待っていれば上手くいくのだろうと思った次第です。


すでに記事「ラオス・ヴィエンチャンでBビザを取ってきました」に書いたように、Bビザを取得してきました。後はワークパミット(労働許可証)を申請すれば、正式に社員になれます。

毎日出勤する必要はないので、これまで通りにのんびりやっていこうと思っています。


ただ、「就職が決まったからこれで安心」と思えるほど安定した立場ではありません。普通に考えれば、3ヶ月くらいでまたクビということも十分に考えられる、というのが私が受ける感じです。

でも、だからこそ私は安心していようと思います。

元々、ダメなら帰国してアルバイト生活でもしようと考えていたのですから、今の仕事を失ったからと言っても、元に戻るだけのこと。

焦ったり、しがみついたりして、自ら不幸を求めるような生き方はやめようと思うのです。

さて、今後どうなりますか。楽しみにしていてください。


こちらのブログでは、時折こういうお知らせ的な記事を書くだけですが、メルマガでは事細かに書いています。

興味のある方は、以下から登録してお読みくださいね。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:21 | Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月05日

幸せテクニック

また津留晃一(つる・こういち)さんの本を読みました。前回紹介した「人間らしくて、いいじゃないですか」が3冊目でしたので、これで4冊目になります。

この本は、アマゾンでは売られていないようです。なので、発行所の「集合人編集局」のリンクを貼っておきます。こちらでご注文ください。

本のサブタイトルに「どうしても幸せになりたい人へ」とあります。月刊誌「アネモネ」に1998年11月から2000年1月まで、毎月連載された「幸せテクニック講座」の第1回から第15回までを集めたもので、幸せになるための実践講座になっています。また、その実践編として公開セッションの様子が載っています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただし、これまでの本で紹介した内容は、なるべく割愛するようにします。

真の幸せを獲得するためには、心の使い方を、今までのものとは完全に取り替える必要があります。私たちの脳は右脳と左脳のふたつで出来上がっています。そのどちらもかけがえのないものです。このふたつの脳をバランスよく使うことによって、真の自己改造が始まります。いつもこのことを意識に置いていて下さい。
 あなたはこれまでの、「創られた者」としての人間から、「創る者」としての自覚を有する人間へと変化します。左脳を使い、まず知る必要があります。理解することが必要です。理解がその実質的変化を助けるからです。
 そして右脳を使って、実際にエネルギーを変えていきます。あなたは「創る者」へ変わろうとしています。ですから、それを誰かにやってもらうことは出来ません。誰かにやってもらう人は「創られた者」だからです。
」(p.3 - 4)

まず左脳を使ってしっかりと理解することが重要だと言います。それから右脳を使うのですから、イメージ(感性)によって実践していきます。

私の「幸せ実践塾」でも理論と実践が重要と言っていますが、まずは「知る」ということから始めるという点で、アプローチが似ていますね。


宇宙をシンプルにとらえます。全宇宙は『小さい私』と『大いなる私』の2極構造であるというとらえかたです。「小さい私=小我」とはあなたが今自覚している私です。そして「大いなる私=大我」とは目に見えない本当の私ということです。小我は部分であり、大我は全体です。小我は創られた者であり、大我は創った者です。」(p.4)

まず、自分(宇宙)というものを、このような2極構造でとらえるのですね。神という別人格が存在するのではなく、それもまた私なのです。


大いなる観点から見た時、自己が自分の願望を実現していくというこの世界のとらえかたと、決まったシナリオの中を歩んでいくだけだから、我々に成す事は何もないという委ねる生き方とが全く矛盾しない、単なる見えかたの違いだとわかります。
 この観点を手に入れた者が「集合人」です。我々はそんな集合人間に変わっていきます。
 ここがこの講座のゴールです。ここからものごとを見るようになると、全ては完璧で美しい世界にしか見えなくなります。このゴールを見据えながら、焦らずにいきましょう。
」(p.5)

「思い」を持ち、それがすべて叶えられるという生き方は小我のとらえ方で、何か特別な意図を持たずに当初のシナリオ通りに動かされているだけという見方は大我のとらえ方なのですね。「神との対話」でも、神には特別な意図はないとありました。


「幸せテクニック講座」の第一歩は、もうこれ以上ストレスの原因を増やさないというところから始まります。そのためにはまず気付くことです。自分が「意識の焦点」を合わせているものに。」(p.8)

何か不都合なものを感じると、私たちはたちまちそこに意識を向け、延々と考え続けます。「どうしてこんなことになったのか?」「なぜ私がこんな目に合わなければならないのか?」こうやって、対象にエネルギーを送り続けます。それがストレスの原因なのです。


私はもう人は救わない。自分自身を救います。」(p.10)

「ちょっと、そうじゃないだろう」と相手に意見を言いたくなった瞬間、このフレーズを思い出して下さい。相手を正そうとしている自分に気づいて下さい。それは他人救済なのです。」(p.10)

「自己救済」がポイントだと言います。「かわいそうに」という思いも他人救済です。私がよくやることですね。「老婆心ながら・・・」と余計なおせっかいをしたがる癖があります。重要なのは他人じゃなく自分。自分を救済することです。


「怒っている人を見ると気分が悪くなる」という病気も、体質改善してあげれば治ります。その原因となっている、内的エネルギーを抜き取ってしまえば、アッという間に治ります。怒っている人を見て、そのまま怒らせてあげることが出来ます。」(p.14)

怒っている人にさえ反応しなくなるんですね。

怒っている人を見ても、苦しんている人を見ても、見えている状態と、自分の幸、不幸がリンクしなくなります。いっさい外界からの影響を受けない人となります。不動心を得ます。宇宙のマスターとなります。単に自分の内的エネルギーをお掃除するだけで……。
 外界の影響を受けなくなったら、どうなると思いますか。外の世界で起きている事と、自分の感情がリンクしなくなったら、未来の事などどうでもよくなります。ですから不安が消えます。これが幸せな状態です。揺らぐ事のない、絶対的幸せです。
」(p.15)

まったく反応しなくなった時、私たちはただいるだけで幸せでいられるのです。


自分の中にストレスがある場合は、それを解放してあげるしかありません。「あっ、ごめん。今、ストレスを感じているからちょっとひとりにさせてくれないか」と言ってみましょう。
 そう言えたとしたら、あなたは今、自分の中にストレスがあることを自ら認めています。これだけであなたの感情は半分に減っていることでしょう。
」(p.22)

怒りはもちろん、感情を感じ切ることが重要だと言われますが、そのためにはまず自分がその感情を感じていることに気付くことが重要なのですね。


ただ次の瞬間も、またその次の瞬間も、豊かな自分のハートを感じて下さい。そんなあなたにはどんな問題も起きてくることはありません。ちょうどパニック映画を見ているあなたが、幸せを感じられるのと同じです。何を見ようと動じる必要性はありません。」(p.29)

今、この瞬間の自分のハートを感じる。そのハートが開いていれば、何も心配はないと言います。つまり、目の前の出来事がどうかに関係なく、ハートは幸せでいられるのです。

今、あなたの目の前には、愛以外は存在してはいません。ですからどうぞどんなものも、受け入れてみて下さい。受け入れれば細胞は開きますから。どんなものも良きものと思えるようになってきます。」(p.30 - 31)

ですが、肯定しようとしても出来ないものもあるでしょう。そこにあなたのブロックがあるからです。こんな時こそ、ブロックのお掃除のチャンスです。」(p.30)

本質的には「愛」しか存在しないのですから、私たちを害するものは存在しません。それがわかれば、心をオープンにしていられるはずです。しかし、エネルギーのブロックがあると、そこに抵抗を感じる。でも、その時こそがブロックを掃除するチャンスなのですね。

漠然と「何だか今、胸の辺りが重苦しい、どうしてだか落ち込んでいる、辛いなー」と、ストレスを感じている時に、「どうして? どうして? どうして? どうして?」とその言葉だけに集中してください。
 決して答えを求めないで下さい。答えがやってきたら「それはどうして?」と質問を切り替え、すぐにまた集中に入って下さい。これを集中力がなくなるまで続けて下さい。ほんの5分で充分ですから……。誰でもそんなに長く集中できるものではありません。慣れてくれば3分ですむようになり、やがて1分もかからなくなります。
」(p.33)

これがブロックを掃除する浄化のテクニックの1つです。そのストレスをじっと見つめることが重要だそうです。

「どうして?」という想念は、自然にその原因となっているブロックへエネルギーを向かわせます。ですから「どうして?」に意識を集中するとは、その原因に意識の光を送り込むことになります。実際には3分も意識をきっちり合わせることが出来さえすればどんなブロックもたちまち消滅してしまいます。」(p.34)

「神との対話」でも不安を見つめることを勧めています。見つめていれば、それは幻想だから、正体を現さずにはいられないのだと。ここで言われていることも、同じようなことだと思います。

答えを受け取れない人こそ幸せな人です。浄化が終わるまでじっとそこに留まることが出来るからです。
 原因は今、ここにあります。それはエネルギーブロックです。過去に起きたそのエネルギーブロックを作った出来事は、過去のことに過ぎません。ですからそんなことはどうでも良いことなのです。
」(p.35)

答えを出そうとするのは自我の働きです。しかし、自我には問題解決能力はありません。ですから、答えを求めるのではなく、問題そのものを見つめることが大切なのです。


どうしても、どうしても幸せになりたい人は、幸せを諦めることです。あえてこんな否定的言葉を使わせていただきます。「諦める」という言葉にくっついている、否定的感情のエネルギーを中和するために……。こんな表現をしてしまったらこの先を読みたくなくなるかもしれませんね。
 「幸せ、そんなものどうでもいいじゃない」と思えるようになった人には、至福の方が向こうから近寄ってきます。不思議ですね。あなたがすることは、幸せになろうとすることではなく、幸せを諦めてしまうことだとしたら、何と皮肉なことでしょう。これがこの世界がパラドックスであるゆえんです。
」(p.64)

私がよく言うように、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということですね。

「もうこんなのイヤだ」と思ったら、憎しみを声に出して表現し、そんな自分をまるまる抱きしめて下さい。
憎しみを出しつくし、その想念を自分で受け入れて下さい。自分が出した想念をまた自分にもどします。
自分の出したカルマを自分自身で刈り取ります。こうしてカルマの連鎖に終止符が打たれます。
」(p.66)

これが、「M2テクニック」などで示されている浄化(エネルギーブロックの掃除)の本質的なことです。沸き起こる感情を感じ切り、それをじっと見つめ、出てきてくれたこと、体験させてくれたことを喜んで、その体験を受け入れるのです。


感情は外に出さない限り、心の中に残ります。慣性の法則です。ですから出してしまいなさいと言われます。手紙に書いて燃やしてしまう。これはカルマを発生させない、うまいやり方です。燃やして終わらせているからです。」(p.70 - 71)

イライラを他人にぶつければ、そのイライラのカルマは解消しますが、ぶつけたことによるカルマが発生するのですね。つまり、原因である思考が現実という結果を創るのです。

これまでの時代、このカルマの成就には時間がかかり、時には来世でカルマを解消することになったりしていましたが、今は成就までの時間がとても短くなっているそうです。


でも、あなたは人の愚痴を聞きたくありません。それはあなたの中に同質のエネルギーを貯蔵したままでいるからです。愚痴を聞かされていると、あなたの中に閉じこめている古いエネルギーが動き始めてくるからです。
 さあ、これもあなたのチャンスです。あなたが蓄えていることすら忘れてしまっている、古いストレスのエネルギーを解放させる時がやってきたのです。
」(p.73)

愚痴を聞かされてイライラするのも、原因は自分の中のエネルギーブロックなのですね。

まず自分を癒すことが先決です。そうでないと、愚痴をこぼす人が憎くなってしまいます。ブロックの掃除の終わった人だけが、真に同情心の持てる人へと変わります。もっとも難しい同情愛の持てる人になってしまいます。なろうとしていなくても、なってしまいます。」(p.74)

愚痴は、ただ聞いてあげるだけで相手は喜ぶもの。そうわかっていてもそれができないのは、自分がまだ癒やされていないからなのです。


幸せは心で感じますね。ですから、あくまでも幸せというのは、心の内的作用でしかありません。すなわち、外的世界と隔絶された、全く別の世界の話です。外的条件に影響を受ける心はありますが、不幸感は外的条件によって決まるものではありません。どこまで行っても内的作用です。
 外的条件に影響を受ける心は、内的世界にあるエネルギーブロックの働きです。ですからエネルギーブロックさえなければ、心はいっさいの外敵条件に影響を受けなくなります。外側で何が起きようと涼しい顔でいられます。
」(p.77)

「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という心境は、まさにこういうことなのでしょうね。


怒りの感情を嫌う私が、怒りの感情を表現できるはずがありませんでした。ですから私自身の浄化の旅は確かに苦しく険しいものでした。
 しかし私に続いて下さる方々が既に出始めております。一人がそうなると、その次の人はもっと容易にその道を通り抜けることが出来ます。一人一人、だんだん浄化のスピードは早まっていきます。
 ですからあなたがまず変わって下さい。それが何よりの社会への奉仕です。私たちはこのシンプルな原理により、シンプルに浄化を進める準備が整いました。すぐに始めて下さい。あなたから……。
」(p.84)

自分で自分を救うことが、世界の救済につながるのです。


神になるとは、神への道を上がっていくという作業ではなく、自分自身が神であったことを思いだしていく作業そのものです。ですからその作業の工程そのものが、神への道となるわけです。
「あなたが道である」というのはこういうことです。そしてその神である記憶を閉ざしているものが、エネルギーブロックです。
ですからエネルギーブロックを掃除するという作業は、記憶を取り戻すという作業そのものです。すなわち浄化のプロセスこそ、神へと帰っていく道そのものであるわけです。
」(p.111)

ところがこのエネルギーブロックは、さまざまな現実の中に、あなたにとって厄介な問題として顔を出してきます。不快な感覚としてやってきます。
 このときわれわれは、その不快な感覚が、他人や環境からやってきたと錯覚し、環境整備や、他人との人間関係の構築に注意を向けてしまいます。
 でもいくらそれをやっても、問題はちっとも真の解決を見ることはありません。あなたの魂は環境構築のために、今、そこにいるわけではないからです。多くの人が、人生のゲームを取り違えています。
 ここに実在しているゲームは、過去を思い出すというゲームです。今のところは過去を思い出すゲームに熱中して下さい。幸いなことに、忘れている記憶のエネルギーはちゃんと残っていますから、感情によって我々はそれを知ることが出来ます。体験した記憶がとてもつらい場合、誰でもそれを隠してしまいます。これがエネルギーブロックです。
」(p.112)

問題解決手法のホ・オポノポノも、けっきょくはこういうことなのだろうなと思います。過去の記憶のクリーニング(浄化)ですから。


演劇を見に行ったとき、ある室内の場面から、舞台がぐるりと反転して、戦場の場面になったりします。じつは意識の世界で繰り広げられているのも、こんな感じです。ちょうど夢の中での体験のように……。
 でも、我々は今、そうではないと思い込んでいます。時間というものをリアルな実体として経験しているからです。リアリティーというのは真実であるという事ではありません。リアリティーとは、共通認識にすぎません。「そうである」と合意が成立しているものには共通体験をして、これをリアリティーと呼んでいます。共通体験だからといって真実であるわけではありません。
」(p.128)

ここの部分は、ぜひ全文を読んで欲しいところです。意識がそれぞれの物質の空間を創り出しているという話もあり、とても興味深いです。


人に怒るなと言うことは、神と戦おうとしている状態です。怒るなとコントロールするのではなく、貧乏ゆすりをするなと言うのではなく、怒っている人を見て平気になる、貧乏ゆすりをしている人をみて平気になる、誤解されて平気になる、これが浄化なのです。どんどん、どんどん楽になっていきます。」(p.147)

そもそも他人は変えられないと言いますが、もう他人や外界を変えようとしなくなりますね。そんな心境になりたいと思います。


痛みというのはエネルギーが抜けている状態です。貯めているエネルギーが物質化し、それが燃焼するとき痛みを体験するわけです。だから「ああ、よかった」と思えばカルマを貯めないで終わるのです。今のようなワークで、ただ起きてくる事にまかせて「ああ、よかった」とエネルギーを抜いてあげればそれで終わるのです。起きてくる事を、ただちょっと加速してあげただけなのです。ほうっておいても抜けていくのですよ。風邪の症状などがそうです。」(p.148)

風邪の症状だけでなく、痛みさえも浄化だと言うのですね。これは驚きました。しかし、この症状が浄化だという考えは、レイキと同じですね。

痛みが残っていたら、まだ浄化されているわけですから、加速してあげるには、今のように痛いところに意識を向けてあげればいいのです。」(p.149)

そこにエネルギーがあっても、痛みがなければ的がないでしょ。意識の向けようがないでしょ。痛みがあれば意識が向けられるわけです。だから痛みというのは標的なのです。」(p.149)

つまり、「痛み」というのは、ここに意識を向けてくれという身体からの信号なのですね。だから安心してそこに意識を向けていてやれば、浄化が早まるのです。


津留さんの本は、これで終わりです。4冊を読み終えて、こんな日本人がおられたのに、会えなかったことが残念です。いつか講演のDVDを買って、ビデオの中の動く津留さんとお会いしたいと思いました。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:44 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

ラオス・ヴィエンチャンでBビザを取ってきました

日本人の方は通常、日本のタイ大使館で就労ビザ(ビジネスビザ=Bビザ)を取ってタイに赴任されるでしょう。

私も最初はそうでした。東京の目黒にあるタイ大使館で短期(90日間)のBビザを取得してタイに赴任し、その間に1年ビザに更新しました。

今回、新たにBビザを取得する必要があり、日本で取得、タイ国内で取得などいろいろな選択肢があったのですが、ビザが取りやすいと言われているラオスで取得してくることにしました。

実は、今日(2019年2月1日)取得したばかりなのですが、ラオス・ヴィエンチャンでのビザ取得事情を書いてみたいと思います。


なお、業者に頼らずにビザを取得しようとしたので、情報をいろいろと集めました。特に参考になったのは「パタヤ千夜一夜」というサイトです。ホテルも、このサイトで紹介していたタイ大使館近くのホテルを予約しました。


ツーリストビザの場合で書かれているのですが、必要書類は申請書とパスポートのコピーのみ。簡単ですねぇ。

ただ、Bビザがやっかいだと言っても、それを揃えてくれるのは会社ですから、ツーリストビザに必要な書類にプラスして、会社からの書類を持って行けばいいだけ。と、甘く考えての出発です。


●1日目:ヴィエンチャンまで

ちょうど、ドンムアン空港が1月29日から2月1日まで滑走路を1つ閉鎖しての定期メンテナンスとのことで、エアアジアからは遅延や欠航の可能性があるという恐ろしいアナウンスがありました。

30日に到着して、タイ大使館で事前に申請書を受け取り、できれば大使館内にある代書屋で申請を完璧に書いてもらうことが最初の目論見だったので、これが叶わない可能性が出てきたのです。

なお、申請書はラオスのタイ大使館のWEBサイトからダウンロードできるようですが、私が勤める予定の会社のタイ人スタッフは、そんなものはないから現地で書けとの一点張り。

それで、私がダウンロードしたもの(※上記参照サイトにリンクがあります)に適当に書いて、事前に疑問を正して修正しておきました。これが、あとあと役立ちました。


バンナーの自宅から、BTS(高架鉄道)で終点のモーチットまで約30分。そこからA1バス(空港バス)に乗って、1時間弱で空港に到着しました。

出発ロビーに入ると、うじゃーっと人の列。いったいどの列がどのチェックインカウンターにつながっているのかさえわかりません。

しかし、幸いなことに私は、事前チェックインを済ませておりました。しかもエアアジアのアプリを使うと、スマホにバーコードが表示されるので、ボーディングパスの発給の必要もなし。

と言うことで、うじゃーっといる人を避けつつ端から裏に回り、出国審査と手荷物審査を受け、搭乗ゲートをインフォメーションで確認し、家を出てから1時間20分後に搭乗ゲートに到着しました。

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心配をよそに、飛行機は定刻の出発。これなら、まだ大使館が空いている時間に行けそうです。

ヴィエンチャンの空港に到着し、入国審査をさらっと済ませ、ターンテーブルは無視して出ようとしたら、あら、ここは税関ってないのってくらいスルーで、表に出ました。

すぐに、タイ・バーツからラオス・キープへの両替をしました。2ヶ所あってレートが多少違うらしいですが、そんなこと気にするほどの両替でもありませんから。

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2,000バーツを551,000キープにしてもらいました。なお、端数は切り捨てのようです。

しかし、何だか急に金持ちになった気分ですね。だって50万以上の現金を持っているんですから。(笑)

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キープは5万キープが最高額紙幣なんですかね。いっぱい(10枚)いただきました。


次に、タクシーに乗ります。カウンターで「ここでタクシーを呼べるのか?」と尋ねる(実際は「タクシー、ここ?」というタイ語だけですよ)と、そうだと言うので、タイ大使館までと言ってお願いします。

最初、電卓で6万キープ強を示されたのですが、なぜかすぐに85,000キープに変更され、「タクシーじゃなくて、ロットゥーな」と言われました。

いやいや、私はタクシーをお願いしたいんだけど・・・。たまたま順番がそうだったのでしょうかね。ま、大したことでもないので、そのままOKし、バカでかいバンに1人で乗って大使館へ行きました。

この時、運ちゃんから「ビザか?」と尋ねられました。ほとんどの人はそうなので、間違えようがありませんが、タイ大使館とビザ発給の領事部は別の場所ですからね。

乗っている途中で、タイの銀行があったので激写しました。(いみふ)ヴィエンチャンはいい天気です。

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到着してすぐに、タイ大使館へ入ろうとしました。時間は15時くらいでしょうか。

ところが、入門を拒否されます。「申請書(アプリケーション・フォーム)がほしい」と言っても、「明日来い」の一点張り。

参考にしたブログを読んで、事前に取得しておくといいとか、大使館内の代書屋なら安くて間違いなさそうだと思ったのですが、ちょっとつまづいてしまいました。

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まあでも、入れないものはしょうがありません。明日行って申請書をもらって書くことにしましょう。

と言うことで、そこから徒歩1分ほど、斜向かいのホテルへチェックインしました。

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ホテルの周辺の屋台で豚焼きとアヒル焼きを1万キープで買い、雑貨屋でビアラオ大瓶を1本1万キープで買い、ホテルの部屋で晩餐です。

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私は、1万キープを約40バーツと簡易的に換算しています。日本円なら、1万キープが約100円ですかね。こういう簡易的な換算をすると、現地でとっさにいくらかわからなくなるってことがなくなるかと思います。


●2日目:ビザ申請

翌朝、5時45分には起きて準備をし、6時半に大使館前に行くと、すでに10人くらいが並んでいました。なので私も、その後に並びます。

30分すると、列はすでに50人ほどになったでしょうか。続々と業者がバンなどでビザ取り客を連れてきます。日中は暑いですが、朝は涼しくていいですね。しかもこの時期は天気がいいので最高です。

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7時45分に開門しましたが、その前から少しずつ割り込み客が出てきました。さりげなく、堂々と、入口付近に押し寄せるファランたち。

業者と思われる女性がタイ語で、「今朝、こんなになってなかったじゃないの!どうしてこんなにここに人がいるのよ!?」と怒っていました。

でも、業者の中には割り込みを誘導する者もいて、そういう人に対して先ほどの女性は、「あいつは性格が悪い!」と怒っていました。

とまあ、いろいろありましたが、結局、私の順番は50番目くらいになっていたようです。


パスポートを見せて(いや、ほとんどチェックしてないな)大使館内に入るとすぐに、左右2列に分けられます。どういう意味なのかわかりませんが、指示に従うだけです。

その先は椅子が並べてあり、順に椅子に座っていきます。

2列に分かれた意味は、後でわかりました。2列の列ごとに2人の担当者がいて、受付けをしてくれるのです。


席に着いたのですが、私はまだ申請書を書いていません。業者もうろうろしてるし、スタッフが誰なのかもわかりません。とりあえず誰かそれらしい人を見つけて、「アプリケーション(申請書)はどこ?」と尋ねたのですが、意図が伝わったのかどうか。「チェックするから大丈夫だ」と言われ、そのまま席に戻りました。

その後、業者が客にパスポートや申請書を配っているようです。業者を通さない人はどうするのか、周囲を見回してもよくわかりません。

近くに来た業者に再度尋ねても、やはり同じようなことを言われます。本当かなぁ?そう思いつつ、席で待っていました。

しかし、受付けが始まる8時半の15分前になっても、誰も申請書を持ってきてくれません。意を決して再度列から離れ、スタッフらしき人に「申請書はどこか?」と尋ねました。

すると、横の建物を指さします。そこに入ると、受付カウンターらしきところに、無造作に申請書のようなものが数枚ありました。それを1枚取って列に戻り、その場で申請書を書きました。この時、下書きしておいたものが役立ったのです。


時間になると、みんなが一斉に立って、進行方向に少しずつ進みました。よく見ると、列の先頭にテーブルがあり、そこに担当者が2名ずつ座って、順に申請書を受け付けているようです。

ほとんどがツーリストビザですから、申請書とパスポートのコピーだけのチェックなので、あっという間に終わります。(なので、申請が始まってから申請書を書こうとするのは無謀ですね。)


10分ほどで私の順番になり、書類を提出すると、すぐに「申請書に写真を貼れ!」と指示されました。参考にしたブログでは、貼らなくても大丈夫だとあったのですが、そのやり方はダメになったようです。

すぐに近くのテーブルに行って、そこにあるハサミとノリで、適当にカットした写真を貼り付け、列の途中に割り込んで申請しました。

すぐに受領票を出されたので、「えっ、もうOKなの?」って思いましたが、違ってました。Bビザなので中でチェックするから、正面のカウンター前で待てとのこと。やっぱ、そうだよねぇ。

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そこで10分くらい待って、カウンターに呼ばれていくと、目の前で書類をチェックしてくれて、すぐに「明日いらっしゃい」と言われました。受け付けてもらえたようです。「おっ、もうOKなんだー!」と拍子抜けしました。

ここまでくればBビザの発給は間違いありませんから、ホッと一安心です。9時前には終わりましたが、この時点で列は門の入口まで伸びていて、終わりの方は椅子がないので立って待っていました。人数で300人以上はいるのでしょうか。


後で思ったのですが、私のように時間の余裕がある人は、無理に早朝に並ばなくても、逆に終わり(11時半)近くに入れば、それほど待たずに受付してもらえるのではないかと思います。

ただし、次の日の受け取り(13時半〜15時半)も遅くなりますけどね。エアアジアを使って3泊するつもりなら、それもありかなぁと思いました。また、参考にしたブログに情報がありましたが、金曜申請の月曜受取りだと、人数は少ないでしょうね。


ホテルに戻ったのは9時前ですが、朝食のブッフェの終了時間ぎりぎりなので、レストランへは行きませんでした。

その代わり、ホテルの前のテーブルで、ビールを飲んだりして過ごしました。

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この日は、特に出かけるつもりもなく、ホテルで過ごしました。表にいると、陽気なファランから声を掛けられたりして、それなりに会話らしきものもしました。

1人はドイツ人でタイ人の女性と結婚している男性で、やはりBビザを取りに来たとか。もう1人はハンガリー人で、前の彼女が日本人で京都に住んでいたとか。

途中からこの2人の英語での会話が盛り上がったので、私も半分くらいはわかるのですが、会話に参加することができなくて、途中退席しました。なんか、こういうある意味でどうでもいい会話って、飽きちゃうんですよね。


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そして私は、屋台で豚焼きとムーデッディァオ(豚ジャーキー)(4本で2万キープ)を買って部屋に戻って、ビールを飲みました。


●3日目:ビザ受領

時間に余裕があるので、朝はホテルのバイキングで食事をしてみました。最近、肉ばっかりだったせいかお腹の調子がイマイチなので、野菜盛りにしてみました。

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ビザの受領は午後13時半からです。13時40分くらいに行ったら、大使館内はまた多くの人で埋め尽くされてました。

また前日と同じように列に並ばされたので、おかしいなと思ったのです。ブログでは、番号順だと書かれていたので。

それで列を無視して前へ行き、横に出てから、カウンター前へ入ってみました。すると、電光掲示板に、すでに私の番号が表示されてます。

なので、カウンター前に並んでいた2番目の人に私の番号を見せ、無理やり間に入りました。(こんなの、知ってなかったらぜーったいにできねーよー!)


カウンターで受領証を見せると、申請書を見せられ、「2000バーツ」と言われました。最初、何を言われたのかわからずにプチパニクったのですが、すぐに支払いだと気づいて、財布から2000バーツを払って、パスポートと領収証を受け取りました。

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これで、無事にBビザを取得できたので、後は明日の便でタイに戻るだけです。というわけで祝杯です。

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案ずるより産むが易しと言いますが、最初に想定した不確定なことが、それほど的中せず、逆に想定外のことが多々あり、それでもまあ予定通りに行ったという感じでしょうか。まあでも、そういうものかもしれませんね。

なお、ラオスでのビザ取りに関しては、今日(2019年2月1日)から、予約制になるという情報がありました。日本の大使館はすでにそうなっているようです。人数が増えすぎたからですかね。

いずれにせよ、最新情報を大使館のWEBサイトから得ておくことが重要だろうと思います。


<2019年2月2日追記>

今日、ヴィエンチャンから戻ってきました。
ホテルでタクシーを呼んでもらったら8万キープとのこと。景気づけに切りよく10万キープ支払いました。

ベッドメイクのチップを置いてなかったので、最終日に3泊分を合わせて5万キープ、それと、無料でパスポートのコピーをしてくれるなどよく対応してくれた受付の人にも5万キープ、チップとしてあげました。

空港で、すでにチェクインしていてQRコードがあったので、自動搭乗券発券機を探したのですが、どうやらそんなものはなく、みんなカウンターに並ぶみたい。しかも、直前に停電があったようで、カウンターの表示が消えていて、どのカウンターがエアアジアなのかわかりません。

まあ小さな空港ですから、尋ねればいいだけですけどね。そんなこともあることを知っておくと、落ち着いて対処できるでしょう。

1月30日から2月2日まで、足掛け4日間のビザ取り旅行の精算は以下の通りです。

・ビザ代:2,000B
・ドンムアン空港までの交通費:約200B(BTS+空港バスの往復)
・エアアジアのチケット代:3,650B(席予約と預け荷物なし、保険あり)
・agodaで予約したホテル代:約2,300B(3泊)
・キープへの両替:2,000B
 (約55万キープを使い切りました。内訳は以下の通り。
  ・現地インターネットSIM:2万キープ
  ・タクシー往復18.5万キープ
  ・豚焼きなど:3万キープ
  ・チップ:10万キープ
  ・ビール:約21万キープ)

総額は10,150Bですから、日本でビザ取りするよりかなり安くなりますね。もし、ラオスでビザ取りを考えておられる方がおられたら、参考にしてみてください。

ただし、いつ制度など変わるかわかりませんから、あくまでも参考程度に。


<2019年2月7日追記>
やはりオンライン予約しないとビザ申請できないようですね。こちらのサイトが詳しく説明していますので、参考にしてください。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:52 | Comment(0) | └ タイのお役立ち情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月18日

人間らしくて、いいじゃないですか



また津留晃一(つる・こういち)さんの本です。すでに「多くの人が、この本で変わった。」「津留さんが、心から伝えたかったこと。」を紹介していますが、これで3冊目になります。

この本も前回と同様、個人セッションの内容がメインになっています。なので、自分の悩みと重ね合わせて、津留さんの話を聞くような感じで読めると思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

子供にどう言おうかなどは問題ではありません。あなたが自己浄化できていれば、子供がおばあちゃんからその話を聞かされても、困っているようには感じないでしょう。
 子供が困っているように見えるのは、「そんなことを子供の前で言わなくてもいいのに」と、あなたが困っているからです。だから、そう感じてしまうのです。
」(p.10 - 11)

大切なことは、自己浄化することです。あなたが「食事をつくらなければ」という想いを手放すことができるかどうかです。」(p.11)

残業が多く、義母が「早く帰って子どもに夕食を作ってやればいいのに」などと親戚の人に話していることを伝え聞き、ストレスが溜まるという女性の悩みです。それに対して津留さんは、自分の中にある「かくあるべし」という想いが原因で、自分を追い詰めているのだと言います。


現実に起こっている体調不良も、すべては想いのほうが先なのです。あなたが良いことだと思ったら、何でもいい方向に働くものです。
 自分が「いいな」と思っているものがやってきたら、それは喜びになり、「良くない」と思っているものがやってきたときは、悩みや苦しみになります。
 想いが現象を変えていくのです。
」(p.14)

便秘に悩む女性に対して津留さんは、便秘が悪いことだと考えているから苦しむのだと言います。

つまり、「便秘をすごくイヤがっている自分がいる」という事実を見つめる−自分はそう思っているんだなぁと感じてやることが、『光を与える』ことになります。
 光を与えると、物理法則に従い、自分の心の中で強く感じているその想いは、必ず解放される(溶ける)のです。
」(p.16)

「便秘が悪い」と思っている自分を責めるのではなく、ただその事実を見つめれば想いが解放されるのですね。それが浄化するということです。ホ・オポノポノのクリーニングも、まさにそういうことでしょう。


私がお薦めするのは、「社員の意識なんか変えなくても、うまくいく」という考え方です。そのほうが、あなたも気が楽になりますよ。」(p.19)

不況の中で会社をなんとかしなければと焦るものの、だんだんと意欲がなくなってきたという会社経営者の悩みです。私も経営者だったので、この津留さんのアドバイスは身に沁みます。

「指針や方向性を変えないと、会社がダメになる」なんていう考え方は、自分の会社を困らせようとしているのと同じです。
 それは無茶苦茶恐ろしい想念を持っているということです。従業員の意識を変える、つまり絶対に不可能なことが起きないかぎり、あなたの会社は行き詰ってしまうということです。
 「今のままで大丈夫なんだ」とあなたが思うことが大事なのです。そして、先ほどのような考えを捨てれば、もっと良くなります。
」(p.20)

「何とかしよう」という思いは、「何とかしなければ会社がダメになる」という恐れからくるもの。だから、その恐れが現実になります。津留さんは、「今のままで大丈夫なんだ」という考えを持つように勧めます。

神さまっていうのは、進化しなくていいと思っている人のことです。それで、したいことをしている人です。だから一度、神さまのように、「このままでいいんだと思える自分を創ってみるのです。」(p.23)

覚醒というのは、神に帰っていくことです。
 「このままでいい」と思っているのが、神さまです。
 覚醒したいなら、「このままでいい」という想いを内側につくることです。
 いつも内側からそう感じられれば、その人は、もう神さまです。
 実に簡単なことなのです。
」(p.24)

何が起こっても大丈夫だと安心していること。それが覚醒した人の態度なのです。


皆さんの中で、自分の使命がわからないという人が多いと思いますが、それは、今わからないほうがいいから答えがきていないのです。わからないことがベストなのです。
 今、目の前にあなたがするべきことがあるのですから、それを意識的にやってください。
」(p.27)

使命探しなどするのは、使命がわからないと困ると思っているからですね。でも、神である私たちは、ありのままでOKなのです。だから、わからないものは「わからに」状態でOKなのです。


意識を向けるから、顕在化するのです。対処しようとすることが不幸せな状態にエネルギーを注ぐことになり、ちっとも減退していかない−これが、苦しみが続く理由です。どちらかと言うと、対処すればするほど、苦しみは大きくなります。」(p.31)

恵まれているはずなのに幸せを感じないという人の悩みです。「つらい」という思いにただ浸っていればいいのに、何とかしなければと考えることが、逆にその「つらい」状態を長引かせてしまうのだと津留さんは言います。

あなたが求めるものは、幸せになろうとすることではなく、自分自身を発見していくことです。『思い込み』という想念を発見し、それを手放しさえすれば、あなたは自由になります。
 自分自身の想念の縛りから自由になることだけが重要なのです。あなたを不幸せと感じさせているものが、『思い込み』という想念だからです。
」(p.33)

幸せを追うと、その対極の世界も広がっていくと津留さんは指摘します。コインの裏表ですからね。幸せになろうとするのは、今が幸せではないと考えているからです。なので、その思い込みを手放すことが重要だと言うのです。

どうしてもどうしても幸せになりたい人は、幸せをあきらめることです。」(p.35)

私がいつも言うように、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということですね。


どんなものからでも、このエネルギーを取り戻すことができます。すべての力を取り戻してしまえば、大好きなボールペンも大事な子供も素敵な彼も、同じレベル、すなわち、『単なる情報』に変わっていきます。
 「それじゃ、つまらない」と感じる人も、たくさんいるかと思います。
 実は、私たちが『ここ』にいるのは、そうなるとつまらないから、なのです。大切なのは、「自分に必要のないものにまで、力を与えない」ということです。
 子供がいてうれしかったら、それはそれでいいのです。
 ただ、子供の言動に振り回され初めたら、子供から力を取り戻すときが来ていると思ってください。
」(p.79)

子どもを大事に思っているが、振り回されて疲れてしまうことがあるという女性の悩みです。津留さんは、「子供の死」という言葉にビクッとなるとしたら、力を与えているからだと説明します。ただの「ボールペン」なら心が動かないのに、「大好きなボールペン」だと心が動くのと同じだと。

力を与えているのは自分なのだから、ただ取り戻せばいいのです。取り戻せば、自分中心でいられます。」(p.80)

振り回されるのは、自分が力を与えているから。だから、その力を取り戻せばいいだけだと津留さんは言います。


対立した意見と、無理に折り合おうとする必要はありません。たいがいの場合、折り合おうとしたり、どちらかの意見に統一しようとしたりして苦しみます。
 調和させようとか、調和が崩れるかも…というのは妄想です。調和することが必ずしも良いことであるとも言えないし、調和が崩れたら悪いともかぎらないのですから、それを恐れないことです。
 どちらの意見も正しくて、どちらも正しくないのです。お互いに私見を述べ合ったその後のことは、自然に秩序に任せればいいのです。
」(p.83)

いじめ問題など、教師同士で話し合っても意見が分かれるので、自分の方から折れた方がいいのだろうかという悩みを持つ方に、津留さんはこのように言っています。つまり、無理をして意見をまとめる必要はないってことですね。

自我には、何が正しいかは、絶対にわかりません。
 あなたが正しいと思ったものが正しく、間違いだと思ったものが間違いなのですから、「何を信じるか」だけです。「どちらを信じたら心地いいか」−これが、判断基準です。
 あなたが、良いと思って信じていることを続けてください。逆らう必要はありません。そのままでもいい、多少のアレンジをしてもいい、したいようにしてもいい。
」(p.84)

「正しさ」は人それぞれですから、何を選択しようと大した問題ではないのです。自分は自分の正しさに従えばいいのです。ただ、相手には相手の「正しさ」があるのですから、相手を無理やり従わせようとはしないこと。それで、放っておけば上手くいくのです。


戦争で感じることは、「自分たちの正義が強ければ強いほど、人なんて簡単に殺せるまでになる」ということです。自分たちの意見(正義感)がどれほど危険かを、人は簡単に忘れてしまうのです。」(p.87)

まさに、こういうことですね。「正義」が絶対だと思うから相手を責めたくなります。そしてその行き着くところは、殺してもかまわないと思うほどになるってことです。


泣くというのは、自己表現です。泣きたいから、泣いているだけ。だから、思いっきり泣かしてあげるのです。これも『与えるもの』です。
 泣いていることを「聞き分けがない」と言って、咎めないことです。
 子供を咎めて、「聞き分けのない子」をつくってはいけません。愛する子供を「私の邪魔をする悪い子」に変えてしまってはいけません。
」(p.89 - 90)

子どもが泣くのは自己表現だから、それを妨げるなと津留さんは言います。あるがままを受け入れるということです。

「時間が足りなくなったら困る」という恐れから、あなたは今、与えることを差し控えているのです。本当は、抱っこできる能力があるのに、「与えたら困ることが起きる」と思って、自分で制限しています。」(p.91)

甘やかすと甘えぐせがつくという恐れですね。その恐れのために、愛する機会を失うのです。

愛に基づいて行動していいのです。時間を気にして、愛を犠牲にすることはないのです。
 そして、あなたが本当に疲れていて体がだるいときは、子供が泣き叫んでいても、ハッキリと「NO」と言えばいいのです。
」(p.92)

断ることに罪悪感は不要です。相手を責めず、出し惜しみをせず、罪悪感も抱かない。こういう感覚が身につくと、容易に愛せるようになるのではないかと思います。


無条件に無制限に、相手に自由と愛を与えたときに、初めて「我、神なり」という実感を持つことができ、本当の自分が実現します。私たちは、そこへ到達するためのゲームをしています。
 相手に対して、無条件に無制限に、自由と愛を与えるために結婚するのです。それ以外の目的だと、うまくいきません。
」(p.101 - 102)

「神との対話」でも、結婚の目的は本来、自分を体験する機会であり、相手から何かを得ることではないと言っています。その目的を間違えるから、上手くいかないのだと。津留さんも同じことを言われていますね。

だから、大事なことは、無条件に無制限に、自由と愛を相手に与えることができて、なおかつ、自分がその人と一緒に居たときに心地いいかどうかなのです。」(p.103)

ところが、多くの人がその違いを克服し、埋め合わせようと頑張っています。それは決して報われない不毛の努力です。相違点をなくせば一致するというのは、誤解です。
 私たちは、一つです。すでに初めから一致しています。わざわざつくった、個々の小さな違いに、意識をフォーカスするのはもうやめましょう。
」(p.106)

パートナーになるのに、性格が一致すること、笑いのツボが同じであること、同じ趣味を持っていることなど、何かと一致点を探そうとしてしまいます。しかし津留さんは、それは無駄な努力だと言います。違いは違いのまま、無条件に無制限に、相手に自由と愛を与える。それだけでいいのです。

私がいつも言うことですが、パートナーが浮気したってかまわないのです。それはパートナーの自由ですから、無条件に無制限に自由にさせることです。そして、それを喜んでいればいいだけです。それができないなら、自分が自由になることです。相手のせいにする必要もなく、自分がその環境にいたくないからという理由で、別れたらいいのです。


その子は、あなたを傷つけるために現れたのではなく、本当は、その言葉に傷つくあなたを癒してあげるために登場してきたのです。あなたに、気づかせるために…。
 自分の周りから、キライな言葉や出来事がなくなると、そこは天国です。だから、ここを天国にするために、キライな言葉やイヤな出来事をなくしていくのです。
」(p.115)

荒れたクラスの教師の悩みです。暴言を吐いてくる子どもに困っているとか。津留さんはまず、その子を敵だと思わないようにと言います。むしろ、重要なことを気づかせてくれるために現れた天使なのだと。

自分の中の観念によって、その子から受ける言葉に傷つきます。もしその観念がなければ、言われても傷つきません。そこに気づいて、浄化することが重要なのですね。

「自己浄化したら、どうなるか?」、「もしやれば、そうなりますか?」と質問しないでください。それは、やってみないとわかりません。私が「新しい世界がそこにはあります」と、今のあなたに言っても想像できないでしょう。
 とりあえずやってみれば、体験が起きてきます。体験してみて、そのほうがよかったら続ける。気に入らなければ、やめればいい。
」(p.117)

私たちは体験するためにこの世に来たのですから、他人の言葉で体験したつもりになるのではなく、自分で体験することが重要なのです。

もし、生まれてきた子が神だとしたら、教育は要らないはずですよね。「教育しないと大変なことになる」というのを信じるか、「神ならば、放っておいても神のままだ、大丈夫!」を採用するか?
 今までの教師体験からは、「放っておいたら大変なことになる」と思っても当然です。でもそれは、今までの体験です。あなたはどちらを選択しますか?
」(p.118)

「このままではダメだ」という信念に基づいて行動するのか、それとも「このままで大丈夫だ」という信念を選ぶのか。まさにそれが問われているのです。


私がこうお話するのは、私自身がスムーズに自分を改造できるようになったのは、『自分を否定しなくなった』のが、きっかけだったからです。
 「自分を変えなきゃいけない」と思っているときは、自分を否定していますから、その否定が必ず自分に返ってきて、うまくいかないことが起こってくるのです。
」(p.128)

自分に対しても同様と言うか、自分のことをどう思っているか、その信念が重要なのですね。


人というのは、『呪縛』から、なかなか逃げられないものです。私たちは、心象世界に住んでいます。心を縛れるのは、言葉だけなのです。」(p.135)

苦しみは、すべて呪縛からきています。「ああしてはいけません」、「こうしてはいけません」と子供を怒ったとき、「何で悪いの?」と言い返されて、初めてあなたの中の「こうであらねばならない」という過去の教えが見えてきます。」(p.135)

自分が自分を縛ってきた信念を、私たちは外部世界にも適用しようとします。他の人がそれを守ってくれないとイライラします。自分も本当は自由でありたいのに、縛られていて自由になれないと思っているからです。だから自由な他人を怨むのです。


きちんと気持ちを伝えたあとは、放っておけば必ず何とかなります。正しいか間違いかなんていうことも、決める必要はないのです。
 苦しみというのは、それを決めようとするところに生まれてきます。決めなくていいんだ、とわかるだけで、すごく楽になります。
 『あと解釈』するよりも、ただそのときの自分を感じるだけで充分なのです。
」(p.156)

自分を受け入れてもらえないとつらいと感じる方の悩みです。受け入れてもらうことに依存して、相手の反応をコントロールしたくなるのですね。

怒りを出し尽くし、その想念を自分で受け入れ、自分の出したカルマを自分自身で刈り取れば、カルマの連鎖に終止符が打たれます。
 あなたは、体験の階段を一歩登り、『真実の私』の目的を一つ遂げるのです。怒りという種子を、体験という果実として結実させ、叡智へと昇華していくのです。
 こうやって、あなたは怒りの感情に振り回されている体験途中の人たちへ、温かいまなざしを向けることができ、同情できる人へと進化していくのです。
」(p.157)

他人が憎い時は憎んでいいと津留さんは言います。なぜなら、体験することが重要であり、その先には必ず辿り着ける「幸せのゴール」があるのだからと。湧いてくる感情を否定せず、味わっていけばいい。もうこんなのは嫌だと感じたら、それを吐き出し、自分を丸ごと抱きしめること。そうやって体験し尽くして行くのです。


私たちは、現実世界に住んでいると思い込んでいます。
 でも、皆さんが生きている空間は、現実世界ではなく、観念で創り上げた世界です。だから、あるものをあるがままに見ていく訓練が必要になってきます。
 あなたの観念で創りあげた世界から、真実の世界を紡(つむ)ぎ出す。『今この瞬間』という宇宙から、真の自分の姿を探すこと。それが、自分を幸せにしていく秘訣です。
 まず、観念的世界と、あるがままの世界の、どちらに自分がいるかを知ることです。そして、その切り分けができるようにならなければいけません。
」(p.180)

現実と感じているものはすべて幻想だと、「神との対話」では言っています。津留さんは観念的世界と呼んでいますが、その中にどっぷりと浸かっていると、真実の世界が見えてこないのですね。

しかし、自我に思考をとめろといっても、とまりませんから、思考の外に飛び出すには、「思考の外に出よう」という想いに、一点集中すること以外にありません。
 この想いを胸に抱き、想いと一緒にいることです。雑念も浮かんでくるでしょうが、じっと我慢して、根気よく続けていく。そう、瞑想と同じですね。
」(p.181)

「神との対話」でも瞑想を勧めています。静かにして自分とともにあること。それが観念的世界から抜け出すコツなのです。


「お金が欲しい」ということですが、本当は、ただ「欲しい」と想っていれば、入ってくるものなのです。
 しかし、皆さんは「欲しい」と想ったあと、「どうすれば入ってくる?」と考えるから、入ってこない。お金を得る『手段』に走って、「こうやれば、お金が入ってくるかもしれない」というのばかり頭に浮かべますよね。
 これはもう『恐れ』です。お金を手に入れることしか考えていないわけです。お金が手に入ったときのことを、考えてないんですね。
」(p.186 - 187)

方法を考えるのは自我(理性)の仕事ではありません。自我は体験したい方向性を示すだけ。方法は与えられるのです。

お金は、私たちの『自由性』です。皆さんは、「お金があれば、自由になる」と思っているから、お金を欲しがります。でも、心が不自由な人に、どうしてお金という『自由の象徴』が入ってきますか?」(p.187)

私たちがお金を欲しがるのは、自由になりたいからなのですね。でも、その手段を考えている限り、恐れ(不安)に支配されてしまいます。まず最初に自由になればいいのです。


家庭の数だけ、親の数だけ価値観があって、それを子供に押しつけたくなる…それが教育、しつけなのです。すべてのしつけは、親が正しいと思っている価値観を子供に押しつけようとしているにすぎないのです。
 だから、あなたが「優しくしなさい」、「順番を守るのよ」という価値観を、子供に押しつけても、それはそれでいいのです。
 ただ、「優しくしなさい」と教えてあげて、子供がそれを受け取るかどうかは、子供の選択の問題なんですね。いつでも、選択があるだけなのです。
 私たち一人ひとりが神さまで、あなたも神さまであれば、その子供もまったく同じ力を持った神さまなのです。
」(p.192)

自分の価値観を持つことはかまいませんが、それを他人に押し付けることは不毛です。受け入れるかどうかは相手次第。そこに気づけば、心が自由になります。


それは、『良い・悪い』ですよね。私は、「良いと悪いはない」といつも言っています。だから、「否定的なことばかり言ってもかまわない」ということです。
 なぜならば、すべてのものは必ず何かの役に立つからです。怒りまくっている人がいても、その人が怒りまくることによって、だれかの何らかの役に立っているのですから。
」(p.202 - 203)

親から否定的なことばかり言われて嫌だという人の悩みです。津留さんは、ものごとはニュートラル(中立)であって、そこに「良い」も「悪い」もないのだと言います。

否定的なことばかり言って、否定的な現象を引き起こしてこなければ、わからないこともあるでしょう。その体験をまだしていなかったから、やり遂げようとしているのかもしれません。是非、やらせてあげてください。」(p.204)

実は、「片方が、もう片方より良い」なんてことは、あり得ないのです。どんな事象も、陰と陽がバランスを取っているだけです。あなたが、その「陰陽のどちらを見るか」という選択があるだけです。」(p.205)

相手には相手の課題がありますから、それを妨げる必要はないのですね。重要なのは、その相手の言動に対して自分がどう感じるかということです。そこには自分の課題があります。ひかかるようなら、浄化されていない観念があるということなのです。


津留さんが言われていることは、まさに「神との対話」で語られていることです。それを、津留さんの表現でわかりやすく説明してくれています。

究極的には、私たちは神だという立場に立つことが、あらゆる問題を解決してくれるように思います。神であれば、変えようとさえしないでしょう。何からも傷つけられないとわかっているから。ただ見て、それを楽しんでいればいいのです。

ある意味で、こんな非現実的な考え方はないとも言えます。しかし最近は、ホ・オポノポノ心屋仁之助さんなど、不思議なことが普通に語られるようになってきました。これも、アセンションの結果なのかもしれません。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:58 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月05日

津留さんが、心から伝えたかったこと。



前回紹介した「多くの人が、この本で変わった。」に続いて、津留晃一(つる・こういち)さんの本を読みました。津留さんの言われていることは、まさに「神との対話」で語られていることそのものです。それをまた、別の言い回しでわかりやすく説明してくれます。

この本では、個人セッションでのやり取りが取り上げられており、津留さんに質問して、その答えをもらっているかのような気分になれますね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

それが多くの問題をつくり出しているようです。不真面目に、いい加減に生きている人というのは、私のもとに相談には来ないですね。その人たちには、問題がないからです。」(p.6)

冒頭で津留さんは、「悩みや苦しみの原因が、「きちんとしたい欲求」からきている」と分析しています。同じ現象でも、それを問題に感じる人もいれば、感じない人もいます。ですから問題は、「きちんとしなければ」「正しくあらねば」という思いが強い人が創り出して、自ら苦しんでいると言えるのです。

問題が生じると、それをどう解決しようかと、皆さん解決方法を考えるわけですが、まず申し上げたいのは、問題は解決しようとしないことです。
 もちろん「するな」とは言いませんが、解決しようとするよりも、自分がその問題を問題だと感じなくなりさえすれば、もう悩まなくてよくなります。
」(p.10)

問題に対するアプローチを変えることを、津留さんは提案します。重要なのは問題そのものではなく、その問題を問題視している自分の考え方にある、と考えるからです。

原因は、自分の中にあるマイナスのエネルギーですから、それを取ってしまえばいいのです。
 取り方は簡単です。見たくない現象が起きたら、それをただジーっと見て、その中でいてください。
 もし、イヤな気持ちが出てきたら、それを止めようとしないで、イヤな気持ちとともにいてください。その想いをしばらく味わっていると、自分の中に貯まっていたエネルギーは消えていきます。
」(p.11)

「良い」「悪い」の価値判断をせずに、ただジーっと見つめること。嫌な感情は、そのままに感じ切ること。そうすれば、マイナスのエネルギーが消えていくと言います。これが、津留さんの問題に対する対処法なのです。


ただ、自分のことならそうもできますが、子どものことだと黙っていられない、と感じる人もいますよね。注意した方がいいのか、ただ黙って見守っている方がいいのかと、悩むこともあるでしょう。それについて津留さんはこう言います。

子供に注意したほうがいいのか、しないほうがいいのか。それはどちらでもいいことなんです。どうしてかというと、そこで注意をしたら、注意した人の体験があり、注意された人の体験があるだけなのです。
 その体験に「良い・悪い」はありません。ただその体験をしているだけです。
」(p.15)

私たちが悩むのは、どっちが正しいかわからないから悩みます。でも、どっちが正しいということはない、というのが真実なのです。

「悪い子になったら困る」という恐れから注意すると、それはうまくいきません。恐れの心から出た行動は、何にせようまくいかないのです。あなたの思いとは逆に、わがままな子になってしまいます。
 でも、まったくとがめの思いがなく、「こうしなさい」って言えたのなら、子供はけっこう聞いてくれるものです。
」(p.16)

高等テクニックとして、こういう方法があると津留さんは言います。つまり、動機が恐れ(不安)であれば、その恐れていることを引き寄せるからですね。しかし、このように子どもに伝えたからと言って、必ず子どもが言うことを聞くわけではありません。

そのときに「それはそれでいい」って大人が受け取れるかどうかですね。言いたいことはどんどん言ってもいい。でも、結果を期待しないというのがポイントです。
 言いたいことを言って、結果を期待しない気持ちになれるのは、「結果は、どちらでもいい」という場合だけなのです。
」(p.17)

つまり、結果をコントロールしようとしている限り、特定の結果に執着している限り、不安からは逃れられないのです。津留さんは、そもそも自分には結果を生み出す力はなく、結果は神のみぞ知ると考えてみてはどうかと言います。そうすれば、結果を手放すことができるからです。


この世界は、神が、「神ならざる者を体験する」ことを目的として創られています。
 まず、神が神ならざる部分を体験し、より高き神へと帰っていく。そのプロセスが宇宙のしくみなのです。
」(p.26 - 27)

まさに「神との対話」にある通りです。そして、体験にこそ意味があるのですから、その体験が「良い」か「悪い」かには、何の意味もないのです。すべてを体験したいのですから、どちらも体験したかった体験になりますからね。

すべての人が、ブッダやマザー・テレサになって、「あがり」というわけではなくて、体験し残していることが、自殺だったら自殺を最後に還っていくし、教祖さまをやったことがない人は、やり残している教祖さまを体験してから還るのです。」(p.30)

神に還るのには1つの道ではなく、無数の道があります。そしてすべての道は神に通じているのですね。


人は、「しなくてもいいこと」をするのだけが楽しいのです。
 だから、「何をすればいいか」を発見するのではなく、「何をしなくてはいけないと思っているか」を見つけることが大切です。
 そして、あなたが「仕事をしなくてもいい」と思えるかどうか、がポイントなのです。
」(p.33)

「しなければならないこと」をやっても、そこにやりがいを感じないのですね。ですから、仕事にやりがいが感じられない人は、天職探しをするよりも、「仕事をしなくてもいい」のだと思えるかどうかが鍵になるのです。

現実的には、会社にボランティアで行っている、と考えてみてはどうかと津留さんは言います。働かされているのではなく、自分が好きで働きに行っているだけ。給料なんて、そもそももらう気もない、というつもりになってみることですね。


会社のマネジメントをしていると、思い通りにならなくて苦しむことがあります。まあ、私自身もそうでした。そんな人に、津留さんはこうアドバイスをします。

今の彼に必要なことは、「無責任」になることです。ベストを尽くしてもできないものは、できなくてもいいのです。それなのに責任を取ろうとするところにストレスが生まれるのです。」(p.42)

たしかにそうなのでしょうが、現実的に何か対処しなければ大変なことになる、という状況で、それは難しいものがあるでしょうね。それに対して津留さんは、さらにこう言います。

もし、信用を失ったとしたら、仕事が来なくなり、かえって楽になるのではないですか。」(p.42)

まあそういう見方もできますね。(笑)
津留さんは、力を抜くことで、かえって効率が上がって責任を果たせてしまうかもしれない、と言います。ただし、そういう効果を狙っていてはダメで、心から無責任でいいやと思えるかどうかが重要だと。これは私がいつも言うことですが、要は「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということなのです。

ありとあらゆる体験をするために私たちが、この世界に来ているとしたら、納期に間に合うか否かは、宇宙に委ねていればいいことです。
 委ねるとは「あれこれ考えないで、安心している」ということです。
 重要な仕事ほど、自分(自我)がやるよりも、内側(内なる神)にやってもらいましょう。
」(p.43)

これがまさに、「人事を尽くして天命を待つ」ということでしょう。自分の作業だけでなく、部下の作業についても、結果を心配してあれこれ口出しするのではなく、信頼して任せればいいのです。

信用するとは、部下の仕事ぶりを信用するのではなく、宇宙を信用することなのです。部下が納期を遅らせたら、それが宇宙の望む姿であり、ベストのことなのだと、その結果を受け入れることが、部長さんの最大の仕事なのです。」(p.44)

結果を手放すとは、こういうことなのですね。宇宙への絶対的な信頼です。だって、目的は体験なのですから。宇宙が最適な体験を与えてくれるに決まっています。そう受け止めて、好き嫌いを言わないことが大切なのです。


「私はこれまで何かを『成す』ことを目的としてきたが、これからは『体験』を目的としよう。起きてくることは、自分が体験したかったことなのだから」。
 こう思えるようになって以来、私の世界から「思いどおりでないこと」が消えてしまいました。
」(p.55)

結果を思い通りにするという目的ではなく、起こってくる結果を体験するだけでいいとなれば、そもそも思い通りにする必要がなくなるのです。

宇宙が、陰と陽の二極で「完全」であるように、あなたも善と悪の二極を、同時に持っていて完全なのです。
 そのことを認め、受け入れたとき、どんなに安らぐことでしょうか。
」(p.60)

磁石のS極とN極のように、磁石はどう切っても必ず2極になります。それがこの相対的な世界なのです。その両極の体験をすることで、私たちは全体の立場、つまり無極の立場に戻っていけます。そうであれば、片方を体験することは「悪い」ことではありません。「殺す」ことも「殺される」ことも、両方体験してこそ無極ですから。

もはや、環境を変えようとする欲求が顔を出さなくなります。自分を、人を変えようという気が起きなくなってきます。どんな人を見ても、あるがままでいさせてあげることができます。」(p.61)

すべてが神そのものなのですから、本質的に「良い」も「悪い」もありません。そのことがわかれば、そこが天国になるのです。

五感を通して入ってくるいかなる情報に対しても、「このままで何も問題なし」と感じられたときがゲームの終了のときです。神にはどんな問題もないからです。
 すなわち、どんな瞬間よりも、今この瞬間がベストだと実感しているときです。
」(p.65)

悪い人を何とかしようとしなくていいのです。それは単に配役にすぎません。優劣というものもなければ、優れる必要もないのです。

進化したいという願望のないのが、神だからです。」(p.66)

神は、神でないものになることはできませんし、そんなことは望みません。神は神であるだけです。当然、進化したいという欲求も、進化しなければという願望も、神にはないのです。


夫婦は、意見が食い違ったり、正確が正反対だったりすることがよくありますね。

バランスをとるために単にそうなっているだけなのです。それ以上でも、それ以下でもありません。
 こういう対立関係は、この宇宙が存続するかぎり終わることはないでしょう。ですから、二極の存在(意見の食い違い)を嘆くことは、まったく無意味です。
」(p.67)

この世は相対的な世界ですから、二極がバランスを取り合っているのです。どちらか一方にだけすることは不可能なのです。

あなたが、自分の正しさを主張しているときは、向こうは同じ力で、自分の正しさを主張してくるでしょう。この力は、まさに、作用・反作用の法則で、あなたが押す力と同じ力で相手も押し返してきます。
 ですから、力や感情で相手を抑え込むことはできないのです。
 しかし、あなたが相手を肯定し、波長を合わせてあげれば、瞬時に同じ宇宙空間に戻り、1つに溶け合います。
」(p.69)

相手を責めて、変えさせようとしても無駄なのです。相手は相手のままでいいと肯定し、受け入れることが重要なのです。

私たちは、「どれだけ目の前の現実を肯定できるか」という旅を続けているのです。」(p.69)

これが理解できたら、本当に何も心配はなくなりますね。

あれこれと心配することがなくなり、安心できれば、人は自然にリラックスしてきます。そして、小さなことに喜びを感じるような体質になっていきます。
 豊かな心になると、今までよりも笑顔が多くなっているはずです。常に喜んでいるあなたを見るのが、神さまは一番うれしいのです。
」(p.70)

私たちは喜びそのものだと「神との対話」で言っています。何も心配せず、安心の中にいれば、朝の光にさえ喜びを感じるようになる。毎日が、毎瞬が喜びに包まれる。それが本当の私たちなのだと思います。

津留さんは、人を救うということさえ考える必要がないと言います。それでは救えないのだと。そうではなく、ただ遊んでいればいい、楽しんでいればいいとなって、やっと救えるようになるのだと。


ほとんどの人は、苦しみを空想ででっち上げるのは得意ですが、喜びはなかなか空想しないようです。
 幸せも不幸せも事実に基づいているわけではなくて、空想に基づいているんだ、ということを理解してください。
」(p.116)

過去の後悔(記憶)、未来の不安(予想)が、私たちを苦しめるのです。どうせ空想を使うのであれば、自分が喜ぶことを空想すればいいのです。


問題と思われることが起きたとき、人は事象にしか目を向けようとしません。
 本当は、目の前で起きていることが問題なのではなくて、それまでのその人の人生、問題と思っている人の人生の見直しが、その問題が生じたことによってできるから、「大丈夫」と言っているのです。
」(p.129)

これは、津留さんが日木流奈(ひき・るな)くんからもらってメッセージの一部です。津留さんは、流奈くんとも交流があったのですね。流奈くんの著書は、「月のメッセージ」などをこのブログでも紹介しています。


もともと、神そのものであるあなたに、何かしなければならないことなど、あろうはずもありません。
 神は、「したいからする」のであり、「しなければならないからする」のではないはずです。
」(p.170)

指摘されてみればそうですよね。純粋にそれがしたいからする。それが本来の姿です。

「どちらでもいい状態」。これは、ニュートラル(中立)ということです。
 ニュートラルというのは、我々が目指しているゴールなんですね。すべての価値観が消えること、それがゴールなのです。
 価値観の消滅というのは、何もなくなることではなくて、「プラス・マイナス」の価値が等しくなること、「良い・悪い」が等しくなることなのです。
」(p.182)

「神との対話」では、必要性を好みに変えるようにと言っています。どちらかの価値観を握りしめている時、それは執着となり、必要性として現れます。それが好みであれば、どちらを選んでもかまわないという状態になるのです。

あなたに価値観がなくなったとき、深いところの意識が表面に浮上してくるのです。それが、あなたを行動に駆り立てるようになってまいります。
 これが「純粋動機」というものです。
 純粋動機とは、「ただ、したいからそうする」といったものです。
」(p.183)

こだわりがなくなった時、魂が計画していた思いが湧いてくるのですね。その時、魂と精神と身体はひとつになって、この世に生を表現するのです。

その正義感を手放したところで、なくなるわけではなくて、正義感を持ったまま、「正義感のない人も許せるようになる」のです。「あなたはそのままでいいよ」と思えるのです。この部分が、とても大きいのです。」(p.189)

自分が何を選択するかは自分の自由です。それと同じように、相手には相手の自由があります。それを喜べるかどうかですね。

あなたが、自分で書いたシナリオを生きたかったら、とにかく「じたばたしないこと」です。」(p.196)

起こることに身をまかせ、安心して何も求めず、流れに乗りきったとき、「本来のシナリオ」が動き出すのです。」(p.197)

安心して委ねていれば、魂の想いのままに勝手に運んでくれるのですね。


悟りの瞬間は、あなたが求めることを放棄したときにのみやってまいります。この喜びのときを迎えるには、あなたの自我がギブアップを宣言することがどうしても必要なのです。」(p.199)

雲谷斎さん阿部敏郎さん「降参のススメ」でそう言っていますね。

この三次元世界は、パラドックス(逆説)の世界です。
 変える必要などないのだ、とわかったときに人は変わりはじめ、このままで何も問題ない、成長する必要などないと感じたとき、自ずと成長し、しなければならないことなど何もないと知ったとき、最も行動的となります。
」(p.201)

たしかに、そういうものかもしれません。だから何も心配せず、安心して、ありのままの自分を受け入れればいいのです。

そのままの自分を無条件に、愛おしく抱きしめ愛してください。自分を愛するのにどんな条件も不要です。それがあなたの源の愛、無条件の愛です。
 あなたが、今のまま、そのままの自分を認め、受け入れ、無条件に愛せたとき、そこが「悟り」なのです。
」(p.204)

私たちは、神であることを思い出し、神に還る旅をしています。神とは愛。無条件の愛です。悟りとは、本当の自分である神を、少しずつ思い出すことなのです。


しかし、私たちがこれから行くべきところは、人を傷つけない人間になる方向ではなく、他人の言動によって自分が傷つかなくなる方向です。
 他人の言葉や環境、外にあるものから傷つかない人になるのです。
」(p.208)

大学の時、先輩から言われた「傷つく方が悪い」という言葉は、ある意味で、私がスピリチュアルな世界に入るきっかけでした。他人を傷つけることなどできません。自分が傷つくことを選べるだけなのです。

他人の行為から傷つかなくなると、どうなると思いますか?。人をあるがままでいさせてあげることができるのです。
 では、どうすれば傷つかない人間になれるかというと「このままでいい」と思うことなんです。この考え方でいると、絶対に傷つかない。
」(p.208)

結局、すべてつながってくるのです。このままでいい、変わらなくていいとなれば、傷つくことさえなくなるのです。


わからないのですから、起きたことが全部いいことだって自分が決めたら、何が起きても「あー良かった」になるわけです。
 私は今、体調が良くありませんが、病を体験するという道と体験しない道、どちらがいいかなんてわからないのです。
 だったら、今、病になっているという事実を「あー良かった、貴重な体験ができるんだ」って思ったほうが気が楽です。
」(p.211)

同じ人が分身の術を使って2つの別の体験を同時にすることはできません。したがって、あっちとこっちとどっちが良いかなど、比較することは不可能なのです。「良い」か「悪い」かなど、どうにでも考えられますから。

ですから、起こることはすべて完璧であり、良いことだと受け止めればよいのです。そう最初から決めてしまえば、何も悩むことはなくなります。


津留さんは、私より15歳年上の方ですが、同じSEの仕事をされていて、会社を経営されたということで、なんだかとても親近感があります。会社が倒産したことで、精神的な覚醒があったとのこと。私の方はまだ倒産はしていませんが、私自身がリストラされました。(笑)

でも、そういう経験が愛おしく感じるようになったのは、「神との対話」との出会いが大きいです。津留さんも、「神との対話」を読んで、とても感銘を受けられたそうです。なんだか、とても身近な存在として感じます。

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タグ:津留晃一
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2019年01月01日

車輪の上



「五体不満足」で有名になられた乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)さんの小説家デビュー作を読みました。乙武さんは、不倫騒動で一時期、公の場から姿を消されました。その後、世界中を回られて、また新たな境地を得られたようです。

私は、不倫を理由にした世間の、乙武さんやベッキーさんなどへのバッシングは、まったくナンセンスだと思っています。正義を振りかざして他人を糾弾する行為は、愛の真逆ですから。ただ、そういうバッシングを受けたことで、乙武さんはさらにレベルアップされたようです。ピンチはチャンスなのですね。

この小説、最初は読もうと思っていませんでした。話題にはなっていましたが、それほど読みたいと思わなかったのです。ところが、話題になっているにも関わらず、増刷がかからないほど売れていないと、乙武さんが正直に告白されました。そのことに逆に興味を持ったので、読んでみることにしたのです。私は天の邪鬼ですからね。(笑)


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。と言ってもこれは小説ですから、あまりネタバレにならない範囲で引用します。また、私はKindle版で読んだので、ページを表示できません。Kindleの位置情報になりますので、ご承知おきください。

まずは、あらすじを紹介しましょう。
大卒後、就職できなかった車椅子の進平は、歌舞伎町でホストのヒデヨシに絡まれます。障害者だからホストになれないので、声を掛けないのだと主張するヒデヨシに、進平はやってもいないものをできないと決めつけるなと反発します。

売り言葉に買い言葉で、ホストクラブ「維新」へ行くことになった進平を、オーナーのリョーマはすぐに採用します。進平はシゲノブという源氏名をもらって、働くことになったのです。すぐにタイスケという新米ホストと仲良くなり、いろいろ助けてもらいながら、シゲノブのホスト生活がスタートします。


「よかっ た ね、 車椅子 で。『 俺 は 車椅子 だ から』 って 言っ とけ ば、 みんな 同情 し て くれる し、 自分 でも 納得 できる もん ね」
「もう、 ええ で」
 ヒートアップ する リナ を、 タイスケ が なだめる。
(言い訳 に 使っ て んじゃ ねえ よ、 バーカ)
  入 店 初日 の 夜 に リョーマ から 言わ れ た 言葉 が、 二 ヵ月 ぶり に 蘇っ た。
」(Kindle の位置No.697-701)

ホストとなって数ヶ月、なかな指名がもらえず悩むシゲノブは、タイスケの上客のリナに、どうすれば指名がもらえるかと悩みを打ち明けます。それに対してリナが放った言葉が、上記のものです。

車椅子姿の自分を、自分が哀れだと思っている。車椅子だからという理由をつけて、何でもできないことにしてしまっている。そのことにシゲノブは気付かされるのです。


大学 時代 に 一度 だけ 彼女 が でき た こと が あっ た。 だが、 すぐ に 別れ た。 原因 は シゲ ノブ に あっ た。 自分 など 好か れる はず が ない、 相手 が 寄せ て くれ て いる のは 愛情 などでは なく、 同情 にも 似 た 想い なのでは ない だろ う かと 疑心暗鬼 に なっ て しまっ た の だ。」 (Kindle の位置No.1071-1073)

リナの友人として1回だけ来店したアヤと、シゲノブは親しくなっていきます。しかし、障害者であることで自信を持てないシゲノブは、アヤの気持ちを素直に受け取れなかったのです。


この小説には、進平の両親の話も出てきます。進平が障害者になったことで、障害者が生きやすい社会を作ろうとして、会社をやめて議員になった父。しかしその父も、進平がホストをすることは受け入れられませんでした。

「障害者」という見方によって、本人はもちろん、両親や友人、恋人も、様々な思いを抱きます。普通の人ではない。その思いによって、自分の中に抱えていた様々な信念があぶり出されていくのです。

そしてこの小説には、障害者だけでなくLGBTも登場します。同じなのです。「普通じゃない」という見方。それによって苦しむ人々。そしてその先に、本質を見出す人もいます。


この小説は、そういう登場人物の様々な思いが描かれています。どれが正解なのか、そんなことは書かれていません。それぞれに、それぞれの思いがあります。そして、それぞれに、それぞれの理由で苦しむのです。

自分ならどう考えるだろうか?
そう考えるきっかけになる小説だと思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:27 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月29日

多くの人が、この本で変わった。



津留晃一(つる・こういち)さんの本を読みました。これは友人からもらった本です。
津留さんの言葉は、Facebookに「津留晃一の世界」というページがあり、ここが毎週土曜日に投稿されていて、それをよく読んでいます。

私は「神との対話」シリーズをお勧めしているのですが、ある時、同じようなことを語っている人がいると言われて、津留さんのことが書かれているWEBサイト「津留晃一の世界」を知りました。そこにある津留さんが語られていることを読んでみると、まさに「神との対話」に書かれていることとそっくりでした。後で知ったのですが、津留さんもまた「神との対話」を推奨されていました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

今、目の前に展開している状況は、すべて皆さん方自身が表現した現象です。皆さん方の意識が、この物理世界に現れたものを<現実>と呼んでいます。
 それがあなたの表面意識によるか、潜在意識によるかは別にして、あなたの見ている、感じている現実はすべて、あなたの意識を原因として現されたものに、ほかなりません。

 この宇宙に存在する唯一の法則は「あなたの与えるものが、あなたの受けとるもの」です。あなたの与えた喜びが、あなたに喜びをもたらすように、心配することは、その心配ごとを現実に引きつけます。
」(p.9)

もう何も解説が不要だと感じるくらい、私にとっては当然のことです。まさに「神との対話」バシャールが言っていることそのものですね。


そして、この無限の力は、だれかには備わっているが、だれかにはないという性質のものではありません。
 すべての人に、平等に初めから備わっている力なのです。そのことに気づく旅、そのことを思い出す旅、それが人生です。
」(p.11)

誰にでも備わっている無限の力とは、信じたものを見るという力です。先ほどの与えたものを受けとると表現したことと同じですね。

そして素晴らしいのは、「そのことを思い出す旅」が人生だとしていることです。「思い出す」とは、「神との対話」でよく言われているように、すでに知っていることだからですね。


今いる場所が、意識の進化のためには、最も良い場所なのです。その場所こそ、ハイヤーセルフ<大いなる自己>がしつらえた<最高の学びのステージ>なのだと思ってください。」(p.12)

今、ここが自分にとって最高の場所と真に思えたとき、次なるステージが、あなたの前に現れてくることになります。」(p.12)

今が最善であり、起こることは完璧なのです。だから安心していれば、勝手に進化成長していくのです。


「幸せになりたい」というのは、「今が幸せでない」という気持ちの現れです。
 すなわち「今に不足があると認識している」ということです。その欠落意識からとった行動で、あなたが満足することはありません。
」(p.14)

今、満たされているか、不足しているか−−それはあなたの選択に過ぎません。
 足りているものに意識の焦点を合わせた人が、満たされた人であり、不足しているものに焦点を合わせている人が、満たされない人です。
」(p.14)

幸せは、自分が選択するものです。どこに意識をフォーカスするかだけの意志の問題であり、その選択によって、次の現実が創造されるのです。


そして、それこそがこの三次元世界の存在理由であると知らされました。
 <無限の快適さの世界>から、そうでない環境を体験したいと考えた意識体が、その<不快さ>なるものを体験してみたくて、この二極対立の世界へわざわざ入ってきた、というのが真相のようです。
」(p.22)

黒が白を際だたせ、悪が善を引き立てます。三次元物質世界とは、そういうところなのです。英雄にはどうしても敵役が必要なように。」(p.22)

この部分も、まさに「神との対話」で語られていることそのままです。


自分を愛するとは、自分の意識を広げるということです。自分を大切にしたい人は、人を拒絶するのではなく、受け入れていくことです。
 嫌いな人を受け入れるたびに、意識は拡大します。都合の悪い出来事を受け入れたとき、あなたの意識が広がります。
」(p.24)

自分を拡大させていくことが自分への愛です。自分を拡大させるとは、自分は「存在のすべて」であることを思い出すことになりますから。


私はあなたに<無限者>、すなわち「創造主の立場を選択しなさい」と言っているのです。
 選択するとは、単に選ぶだけのことです。
」(p.30)

あなたが創造主の立場を選択したとき、すべての他人は、あなたを進化へと導く協力者以外の何者でもなくなります。
 敵がいなくなるということです。すなわち<無敵>となります。
 起きてくる現実のすべてが、<自我>に気づくためのメッセージへと変わります。あなたを取り巻く環境すべてが、愛の化身であったことに気づきます。
 もう、周りのだれも気にすることなく、だれとも競う必要がなくなります。
」(p.32)

まず在り方を選択する、という話が「神との対話」にもあります。ただ選択すればよいのです。そして、私たちのもとに送られてくるのは天使だけだともありましたね。まさに、そのことがここに書かれています。


あなたには、改めるべき点など何もありません。欠点というものは存在しないのです。人には、それぞれ異なった特質が備わっており、その特質を役立てたとき、人々はそれを<長所>と呼び、特質を生かしきれなかったとき、その現れ方を<欠点>と呼んでいます。長所、短所はひとつの特質の表裏です。ですから、あなたに改めるべき点など何もありません。ひとつだけ改めるべき点を指摘するならば、あなたのその『改めなければならない点があるという考え方』だけです」(p.34 - 35)

津留さんは、人類のために貢献したいから何を改めたら良いか、と大いなるものに尋ねた時、このように回答されたと言っています。


<今、ここが完全>であることを確信したとき、そこにはもはや学ぶことがなくなり、次なるステージへとシフトアップします。
 「まだダメだ」と思うなら、まだそこで学べるということですから、あなたはそこに居続けることになります。まだそこを楽しむことができるということです。
 あなたの目的は<今、そこで遊ぶ>ことです。
」(p.36)

進化成長は自然に起こります。その現実に満足し、これで良いと完全に思えたら、次のステージへ行くのです。


そんな本来のあり方に目覚めた人々が、一定の臨界点を超えたそのとき、地球は輝く太陽のように、自ら光を放つ星へと生まれ変わります。物質的でない地球となります。」(p.37)

「神との対話」でも、いずれ進化したあかつきには、非物質的な存在になることが書かれています。まさにバシャールのように、肉体を持たずに生きるのです。その時、地球もまた非物質化するのかもしれませんね。


あなたを不自由にしているのは、この<ねばならない>とする考え方です。あなたに、しなければならないことなど何もありません。
 もともと、神そのものであるあなたに、何かしなければならないことなどあろうはずもありません。
」(p.43)

私たちが神そのものであり、だからやるべきことは何もないということも、「神との対話」に書かれていましたね。


あなたは、創造する者です。何ごとであっても、人を裁いたり、咎めたりする必要などありません。どんなこともただ体験し学んでいるだけです。
 目の前に起きてくるすべての出来事は、あなたが自分の考え方に気づき、意識の変容を遂げられるようにと起こってきます。
」(p.52)

すべてのことは、私たちの進化成長のために起こります。だから批判非難する必要はないし、してはいけないのです。

今こんない不細工で、ノロマで、意地悪で、自己嫌悪症の自分でも、これで完璧なのだと気づけば、ただそれだけで変容が起こってきます。」(p.54)

完璧だと気づくだけ。それだけでいいのです。


この世に<良いこと>と<悪いこと>はないのだ、本当にそんなものはないのだ、右を選べば右の道があり、左を選べば左の道があるだけである、と伝えられました。
 その左右の体験に、良いも悪いもありません。ただそれを体験しているだけで、右の道を体験し尽くした人は、その体験による学びが終わり、次は自ずと左の体験を望むようになってきます。
」(p.57)

私たちの目的はすべてを体験すること。だから、自分が選ばないものを批判非難する必要はないのです。


人から馬鹿にされたように感じたり、否定されたような感じを受けてしまうのは、実はその人自身の中に「自分の欠点を直そう」という想いがあって、それが反映しているからです。」(p.73)

他人から否定されたと感じて傷つくのは、自分が欠点があると感じているからなのですね。自分が今あるままで完全だと思っていたら、否定されても傷つかないのです。


目的を遂げるためには、何かを我慢しなければ達成できないとする固定観念は、そろそろ手放してもいい時期にきているのではないでしょうか。」(p.79)

でもこれからは<今を楽しむゲーム>に変えてみることもできるのです。」(p.79)

私たちはこれまで、今を我慢して未来に何かを達成することで達成感を味わうゲームをやってきたのです。それはそれで魅力的なのですが、単純に今を楽しむゲームに変える時期に来ていると津留さんは言います。

お金とは、その先にある目的のための手段でしかありません。
 手段に大半の時間を割くのではなく、目的を生み出すことにあなたの意志の力を使いませんか。そうすれば、あなたの望む現実が確実にやってきます。
」(p.83)

何かをするために、何かになるために、何かを得るために、今は我慢してお金を稼ぐ、お金を貯める。そういう生き方ではなく、幸せになりたいなら幸せを選択すればいいのです。


「お金なんかなくても生きていけるんだ」−−だれかがそんな生き方の手本を示すことによって、これまでどおりの生活に嫌気を感じていた人たちが、新しい生き方に同調してきます。
 だれかが勇気を奮って、これまでどおりの因習的な生き方にサヨナラをして、新しい生き方をしてみせる必要があります。きっと、あなたもそんな人たちの中のひとりではないでしょうか。
」(p.96)

ドキリとしますね。(笑)家も仕事ももたない人生を送っておられる坂爪圭吾さんなどは、まさにこういう人でしょうね。まあ私も、この2年半は仕事をせずに生きていますが。


どうして社会が変化するのか。あなたの抱く信念を変えることによって社会が変わります。革命や活動によって社会が変わるわけではありません。」(p.99)

まず初めに、皆さんに選択してほしいのは「幸せになるために必要なものなど何もない」という考え方です。」(p.99)

そして、次に手放してほしいのが「働かないと生きていけない」という固定観念です。現代社会の根底になる固い価値観です。」(p.100)

「豊かになるにはお金が必要」という考え方を手放し、「私には、無限の豊かさがもともと内在している。無限に豊かな私には、もはやどんなものも必要がない」というシンプルな考え方を選んでみてください。」(p.101)

わかった、そうするよ、とばかりに選ぶだけでいいのだと言います。それで自分が変わるし、自分が変われば社会も変わります。なぜなら、私たち自身が自分の人生の創造者だからです。


今、決心すればそうなります。自分が変わったら受け入れるのではなくて、受け入れたらあなたが変わるのです。
 あなたが主人公で、創造主なのですから。逆はあり得ないのです。
」(p.120)

自分が原因なのです。自分の選択から始まるのです。


エネルギーの次元から見れば<絶望的だ!>という状態とは、覚醒へのポテンシャル(可能性)が最も高くなるということです。
 バネでいえば、その弾性限界ギリギリまで引き伸ばされた、最も反発力を蓄えた理想的状態です。
」(p.133)

だから、絶望のドン底だということは、祝福すべきことなのだと言います。陰極まれば陽に転ずると言われる通りですね。


もし、創造主に戻りたければ、計画を立てるという行為を即刻やめることです。
 計画とは<今>使える、未来を創造するパワーをドブに捨てる行為です。
」(p.137)

「神との対話」でも理性を働かせるな、というようなことを言っています。計画するというのは、自分を限定する行為なのです。


自分のために、わがままに生きれば生きるほど、あなたの肉体の中を流れるエネルギー量が、徐々に増えていきます。
 「よく分からない」などという想いは不必要です。うまく感じられないというのなら、是非もっとわがままになってみてください。あなたにはその勇気が必要です。
」(p.162)

わがままになれば、他の人から文句を言われるでしょう。その葛藤を恐れるなと言います。心屋仁之助さんが「ゲスくなれ」と言われているのと同じことですね。


精神世界のコーナーを見つけ、私の目は書棚をゆっくりとスキャンニングし始めます。
 ハッと1冊の本が目に留まりました。さっとその本を手に取り、パッと開いたページの1行を読んだところで「何だ、この本を買いに来たのか」と分かりました。
 こうして私は『神との対話』という本と出合いました。
」(p.169)

津留さんは、このように「神との対話」を読んだ時のことを語っています。こういう出合いって、偶然ではなく必然なのですよね。


本来、豊かなのですから、豊かさを追求する必要はありません。
 「豊かになりたい」という欲求は邪魔にさえなります。それは「自分は豊かでない」という想いの裏返しであるからです。
」(p.174)

少なくとも、お金を手に入れる方法論を考えている暇があるのなら、<方法を考える>などという無駄なことをやめて、豊かであった瞬間、瞬間にたっぷりと浸っていてください。今という瞬間が未来を創り続けるのだということを感じていてください。」(p.174 - 175)

豊かになりたいから、どうやってお金を稼ごうかという発想をやめることだと言います。それよりも今、この瞬間に豊かだということに意識をフォーカスすること。その豊かさに浸ることが重要なのですね。


こうであるべきことも、しなければならないことも、してはいけないことも、何もありません。
 何かのほうが何かより優れていることも、だれかのほうが、だれかより偉いはずも決してありません。
」(p.192)

「神との対話」でも、何かが他より優れているなどということはない、と言っていますね。
何かに反応するなら、そこに古くなった価値観があるのだと津留さんは言います。

違和感は、そのことをあなたに教えてくれるメッセージです。自分の感じる違和感を大切にしてください。そんな違和感を愛してください。そんなメッセージを投げかけてくれているその対象には感謝を送りましょう。」(p.192)

自分の想念と感情を見張ってください。いいえ、感情が起こる以前の、些細な反応に気づいてください。これは覚醒の最終段階です。」(p.192)

ちょっとした違和感を感じた時、そこに古くなった価値観があるのです。それを書き換えることで、より進化していきます。そうやって自分の思考や感情を見張って生きることは、「神との対話」でも勧めいています。


「思いどおりにしよう」と考えているときというのは、今はその思いどおりにいっていないのです。ですから、その想いのとおりにあるわけです。
 「体の具合が悪いから治療しよう」と考えます。ですから、具合が悪いという想いが、具合の悪い明日をまた創ります。
」(p.194)

思い通りにしたいと思うのは、今が思い通りになっていない、という認識があるからですね。だからその認識によって、未来が創造されるのです。

自分の会社をあまり良い会社だとは思っていなかったはずです。すなわち、あなたは自分の会社を「良い会社ではない」という想いによって赤字化させているわけです。」(p.196)

これもズキーンと来る言葉ですね。たしかにそうです。もっといい会社にしなければと考えていました。すなわち、今は良い会社ではない、と考えていたのです。


本当に、どの言葉も心に突き刺さります。「神との対話」を読んでいるような感じがします。
この本もまた、繰り返し読みたいと思いました。

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タグ:津留晃一
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2018年12月22日

凡人のための地域再生入門



Facebookのダイヤモンド社の投稿で紹介されていて、面白そうだと感じたのでKindle版を買って読みました。著者は木下斉(きのした・ひとし)さん。高校1年の時から早稲田の商店街活性化プロジェクトに参加するなどして、それ以来「まちづくり」の世界で活躍されて来られたそうです。

最近は特に、若者が過去のしがらみを排して、事業などを起こして活躍する例があるように思います。なので、木下さんはどんな視点でまちづくりに取り組まれたのか、そこに興味がありました。

この本は、読みやすく小説になっています。さびれた地元を再生する主人公たちが、様々な問題にぶつかりながら、助け合って地域を盛り上げていく内容です。この小説の中で起こっている問題は、木下さんが実際に体験されたものだとか。まちづくりだけでなく、通常の会社運営にも役立つ内容だと思いました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。なお、Kindle版ですのでページの表記がありません。電子書籍の位置情報はありますが、コピペの限界を過ぎると目安になりますので、ご了承ください。

どの 地域 にも、 人 と 人 とが 向き合う 仕事 だ から こそ の 失敗 や 挫折 が あり、 その 浮き沈み の 中 でも 折れ ず に 前 を やってき た 人 たち だけが、 いま も 事業 を 続け られ て いる に すぎ ませ ん。 それ が、 まち づくり の リアル です。

 では、 どう やっ たら、 そんな 中 で 成功 する こと が できる のか。 逆説的 に 聞こえる かも しれ ませ ん が、 私 は いつも、 人 と 人 の 仕事 だ から こそ「 ロジック」 が 大切 だ、 と 発信 し て き まし た。
」(Kindle の位置No.15-19)

地元愛のような思いだけでは成功に導けないと木下さんは言われます。どう対処するかというロジック(論理)があり、情に流されずに論理的に判断して実行することが大切なのだと。

もちろん、エモーション(情)も重要な要素です。その両方が重要ということで、それが伝わるようにということもあり、小説形式にされたそうです。


なん でも できる スーパーマン が 一人 で 成果 を 挙げ て まち を 変え て くれる なんて こと は、 あなた の まち でも、 そして 他 の まち でも 起こり え ませ ん。」(Kindle の位置No.38-40)

まちおこしを成功させるのは、有能なスーパーマンが現れてやってくれる、というようなことではないのですね。だからこそ本のタイトルにも「凡人のための」という言葉が入っているのです。


だからこそ 大切 なのは、「 失敗 せ ず に 成功 できる か」 という 発想 そのもの を 捨てる こと。 まずは 一歩 を 踏み出し て みる こと です。」(Kindle の位置No.54-55)

重要なのは、まず始めることだと木下さんは言います。最初から100%上手く行くという計画がなければ動かないというやり方では、絶対に成功はしないのだと。動き始めて、不都合なことにぶつかっては対処し、修正しながら、段々と成功する計画になっていくのです。


完全 な 車 社会 に なっ て みな 車 で 移動 し て いる のに、 鉄道 なんて 高校生 が 朝 と 夕方 に 使う くらいが せいぜい だ。 本数 が これ 以上 減ら ない よう に 沿線 の 市長 や 町長 は 運動 し て いる そう だ が、 そんな 運動 を し て いる 本人 たち が もう 10 年 以上 は 使っ て い ない という の だ から、 説得 力 なんて あっ た もん じゃ ない。」(Kindle の位置No.434-438)

こういうこととってありますね。私の実家も、三江線が廃止されるかどうかが議論された時、母は廃止に反対していました。まさに、自分で乗りもしないのに、ってことです。


車 社会 の 地方 では、 店前 の 人通り 頼り で 商売 し て い た 店 は ほとんど 潰れ て しまっ た。 逆 に 人通り が ない 路地裏 で あろ う と 山 の 上 だろ う と、 しっかり と 顧客 を 絞っ て、 いい サービス を 提供 する 店 は 経営 が 成り立っ て いる。 もの が ない 時代 の よう に、 店 の 前 を 歩く 人 が たまたま もの を 買っ て くれる こと を 当て に し た 商売 を する のでは なく、 自分 の 店 を 目指し て 来 て くれる 人 が いる よう な 商売 を し なく ては なら ない。」(Kindle の位置No.489-493)

立地が良ければ上手くいく、という発想そのものが古いのですね。郊外型店舗の時代が終わり、今やネットで注文して配送してもらう時代です。情報や行動の自由度が大きくなるにつれ、場所という要因よりも消費者にダイレクトに訴求する力の方が大きくなったのです。


ちゃんと 儲け が 出る なら 民間 で やっ とる ゆう 話 や。 役所 が 予算 なんか 出し て やっ ても あか ん。 誰 も 身銭 切っ て ない から 本気 に なら へん ねん。 儲かり も せ ん こと に みんな で 時間 使っ てりゃ、 そりゃ 活性化 どころか 衰退 する わ。」(Kindle の位置No.525-527)

この物語では、役所主導の補助金事業をこき下ろしています。実際、そうなのだろうと思います。と言うことは、最初に多額の資金があれば上手く行くわけではない、ということなのです。重要なのは、本気になる人なのです。

意味 不明 な 予算 消化 イベント より、 補助金 で 立派 に 改装 し た 店 を つくる より、 まず は 儲け させる 機会 を つくる ほう が 確実 や」(Kindle の位置No.570-571)

そもそも通常で黒字化できない事業は、補助金がなくなればすぐに潰れます。けっきょく、いつまでも補助金に頼る金食い虫になってしまうのです。

一方 で、 P/ L 面 でも 収支 が 合わ ない 事業 を 続け て しまっ て い ます。 地域 を ひとつ の 会社 として 見 た とき「 外」 から 来る 稼ぎ は 何 か。 地方 によって は 年金 が 一番 の 稼ぎ 頭 で ある 地域 も あり ます し、 国 からの 交付金・補助金 が 稼ぎ の 大半 を 占める 地域 も あり ます。 怖い のは、 この よう に 毎年 配ら れる 予算 で、 地方 に「 稼ぐ 事業」 では なく「 金 食い 虫 の 事業」 が たくさん 生まれる こと です。 結果 として、「 儲から ない 事業」 だ から こそ 国 からの 支援 が つく という 歪ん だ 構造 が 生まれ、 赤字 を 拡大 し て 支援 をより 多く もらう という、 まさに「 貧乏 父さん」 を 地 で 行く よう な 構造 に なっ て い ます。」(Kindle の位置No.631-636)

事業が金食い虫である以上、赤字の垂れ流しです。いつか良い時代がやってくる、などということはないのです。


結局、 地域 活性化 の 成否 は、 明るく 楽しく、 覚悟 を 決め て 事業 に 取り組む メンバー が 集まる かに かかっ て いる。」(Kindle の位置No.761-762)

覚悟 を 決め て、 失敗 も 重ね ながら も、 学ぶ こと を 諦め ず、 常に 工夫 を し ながら 前 に 進ん で いく と、 気づけ ば すごい レベル に 達し て い た という ケース は 多く あり ます。」(Kindle の位置No.1021-1023)

もう 一つ 重要 なのは、 目立つ リーダー の 背後 には 必ず それ を 支える チーム メンバー が いる という こと です。」(Kindle の位置No.1025-1026)

覚悟を決めて事業に取り組む人は、自ずとポジティブになります。類は友を呼ぶと言うように、そういう人の店には、同じように明るく楽しいお客さんが集まります。けっきょく、覚悟を決めて前向きに取り組む人がいるかどうかが、もっとも重要な要因になるのです。

本気 で やっ て みたい なら いい ん じゃ ない?   どうせ、 死 には し ない わよ。 私 だって、 そもそも 商売 も よく わから ない 状態 で お父さん の ところ に 嫁い で、 先 に 死な れ ても どうにか やってこ られ た ん だ から。 その かわり、 やる なら 本気 で やり なさい」(Kindle の位置No.1902-1904)

主人公を励ますお母さんのセリフです。重要なのは、誰かを頼るのではなく、自分自身が覚悟を決めてやることなのです。

落ち込ん で いる とき に 落ち込ん だ 顔 を し て い たら、 誰 も あなた と 仕事 なんて し たく なくなる わよ。 おじいちゃん が『 落ち込ん だ とき ほど、 意味 が なく ても いい から とりあえず 笑っ てろ』 って よく 言っ て た わ」(Kindle の位置No.2678-2681)

これもお母さんのセリフです。落ち込んでいても、誰も助けてはくれません。上手くいかない時こそ、意図的に笑うことですね。

人間 って の はな、 失敗 し た とき では なく、 失敗 し た あと に どう 行動 する かで 価値 が 決まる もん じゃ。 そして、 本当 の 挑戦 って のは、 初めて 何 かを やる とき では なく、 失敗 し て、 その 次に 再び 立ち上がっ て する とき の こと を 言う の じゃ よ。 お前 は まだ、 その 入り口 に 立っ た ばかり じゃ」(Kindle の位置No.2742-2745)

行動すれば必ず失敗します。その時、どうするかが最も重要なのです。


やる こと を 明確 に し、 事業 の 内容 が 固まっ て いけ ば いく ほど、 必然的 に 賛否 両論 と なる。 逆 に、 万人 が 賛成 する よう な もの は 平凡 すぎ て 今 の 地域 に 特別 必要 でも ない( みんな の 意見 を まとめ た 公共 施設 に 人 が 集まら ない のは その 典型)。 多少 の 批判 は、 事業 が シャープ に なっ て いる 証拠 だ と 前向き に 捉える 心持ち が 必要 だ。」(Kindle の位置No.2937-2939)

地方は特に、大企業がやるようなことを真似してやってもダメなのですね。なるべくとんがらせること。そこにしかないから、人が集まるのです。

そう なの だ。 みんな 個人 では 違和感 を 覚え て いる のに、 それ を 口 に 出さ ない のが この 国 の 病 なの だ。 口 に 出さ ず に、 ぐっと こらえ て、 みんな が やる こと を 同じ よう に やる のが「 大人 の 作法」 だ とさ れ て いる から こそ、 間違い は 繰り返さ れ て いく。」(Kindle の位置No.3323-3325)

保身に走る人には変革していく力がありません。覚悟を決め、リスクを負って動かなければ、事業を成功させることはできないのです。


だけど、 人 の ため って 思わ ない ほう が いい わよ。 何事 も 自分 の ため だ と 思え ば、 割り切れる こと も ある わ。 私 も、 お父さん が 死ん でからは 何度 も そう 思っ て 仕事 を し て き た。 批判 を 受ける こと も あっ た けど、 そういう とき でも 褒め て くれる 人 が いる って こと を 忘れ ちゃ いけ ない わよ」(Kindle の位置No.3624-3628)

何かする時、私たちはつい誰か他の人のためにと考えてしまいます。それが愛だと思うし、誰かを愛している自分を素晴らしいと感じるからです。しかし、他の人の評価を期待していると、裏切られることになります。

他人からの評価を期待しないことです。自分の評価は、自分がすればいいのです。ただ自分がしたいからそうするという、利己主義であるべきだと思います。


お客 さん から お金 を 貰う こと より、 役所 に 行っ て お金 を 貰う こと を 優先 し て 発展 する 地域 や 国 なんて ない。 それ が 僕ら の 出し た ひとつ の 結論 だっ た。」(Kindle の位置No.4021-4023)

お客さんからお金をもらうということは、お客さんを満足させているということです。それができないから補助金をもらっていては、いつまでたってもお客さんを満足させられません。


新しい こと は、 今 ある 組織 では なく、 新しい 組織 で 立ち 上げ、 新しい 人 を 入れ て やる のが 近道 です。 なぜ か 日本 は、 今 ある 組織 を どうにか 立て直す という こと に 変 な 使命感 を 抱く 人 が い ます が、 所詮 は 会社 も 組織 も 人間 が つくっ た 概念 上 の 仕組み に 過ぎ ず、 機能 し なく なっ たら 別 の もの で 代替 する ほう が 効率的 です。組織 は 単なる 目的 達成 の ため の 器 で あり、目的や機能を終えた組織を闇雲に存続させてもいいことはありません。」(Kindle の位置No.4329-4332)

既存の青年会とか商工会など、そういう組織を利用してやろうとしても、上手くいかないのですね。なぜなら、組織は人そのものであり、その組織にいる人たちがそうだったから、上手く行かなかったのです。「新しいぶどう酒は新しい革袋に」という聖句がありますが、そういうことなのでしょう。


私自身、企業の経営者となり、上手く行った経験もあれば、上手く行かなかった経験もあります。だからこそ、身に沁みて感じることがありました。

重要なのは、自分がやると覚悟を決めて動き始めること、同じ匂いがする仲間を作ることですね。そして、上手く行かなかった時ほど明るく、次の一歩を踏み出すことなのだろうと思いました。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:12 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月19日

ひざ・股関節の痛みは週1スクワットで治せる



「人生を変える幸せの腰痛学校」伊藤かよこさんのFacebook投稿で知った本を読みました。伊藤さんは、腰痛のほとんどは認知の問題だとして、適度な運動が重要と言われていました。そんな中でこの本は、週1回のスクワットで腰痛はもちろん、膝痛、股関節痛も改善すると言っているのです。

著者は、自称「筋肉ドクター」小島央(こじま・ひさし)医師。医療の縦割りによって、整形外科医がリハビリに口出しできず、理学療法士も医師の介入を嫌うという現状で、自らクリニックを開業して効果的な筋トレを指導するようになられたのだとか。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。私が読んだのはKindle版ですので、またページの表記がありません。電子書籍の位置情報はありますが、コピペの限界を過ぎると目安になりますので、ご了承ください。

初期 に 激烈 な 痛み が あっ たり、 患部 が 炎症 を 起こし たり し て いる 場合 には、 炎症 や 痛み が ある程度 治まる まで、 安静 を 保つ 必要 が ある でしょ う。   しかし 初期 症状 が 治まっ たら、 まだ 痛み が 多少 残っ て い ても、 なるべく 早く 体 を 動かし た ほう が いい。 これ が、 医学 的 には 正しい 対処 法 で ある こと が 判明 し て い ます。」(Kindle の位置No.165-168)

たとえばぎっくり腰など、急性期には安静にした方がいいのだそうです。しかし、その後はなるべく早く、動ける範囲で動く方がいいのだとか。


そこで、「 運動 不足 は 世界的 伝染病 で ある」 とさ れ、 運動 不足 が、 肥満、 ガン、 糖尿病、 脂質異常症、 うつ、 認知症 などを 引き起こす もの として 指弾 さ れ て い ます。」(Kindle の位置No.173-175)

これは、世界的権威のイギリスの医学誌「ランセット」の論文から、安静を支持するものは1つもないと言います。逆に安静を続けることのデメリットが大きいのです。

これは目からウロコでした。何かあればすぐに安静にするようにと言われましたから。私は小学生の時、腎盂炎で1ヶ月ほど入院したのですが、最初はトイレすら歩いて行かせてもらえませんでした。最近は少し違うのでしょうかね。


前 に ふれ た とおり、 実際 に 損傷 が ある 場合 は、 安静 の 必要 な ケース が ある こと は 事実 です。 しかし、 初期 症状 が 軽快 し た 後、「 できるだけ 早く 体 を 動かし た ほう が( 患部 にも) いい です よ」 と 親切 に くぎ を 刺し て くれる 医師 や 医療 関係者 は、 そう 多く は あり ませ ん。」(Kindle の位置No.191-193)

医者がそういうことを知っていない、ということも1つの原因なのでしょうね。


つまり、 通常 なら 1 年 かけ て 起こる はず の 筋肉 の 加齢 的 変化 が、 横 に なっ て 安静 に する と、 たった 2 日 で 起こっ て しまう こと になり ます。」(Kindle の位置No.208-209)

安静を続けているとどうなるかと言うと、筋肉量が減っていくのです。20歳を過ぎると、日常の行動しかしてない場合、年に1%の筋肉低下が起こるそうです。それが、1日重ベッドで安静しているような生活だと、1日で0.5%の筋肉低下が起こるとか。つまり、2日で1年年を取るようなものです。


そもそも 炎症( と それ に 伴う 痛み) とは、 体 が 自然治癒 し て いく 過程 で 通る、 欠か せ ない ステップ です。 その 炎症 を 痛み 止め によって おさえ て しまう の です から、 自然治癒 の 進行 は、 必然的 に 遅れる こと に なる の です。」(Kindle の位置No.343-345)

これは、痛み止めの薬は対処療法で、根治療法ではないと主張されている部分に書かれていました。熱や下痢、嘔吐、咳などの症状は、自然治癒力の働きです。対処療法の薬は、その自然治癒力の働きを妨げます。ここで小島医師は、炎症も自然治癒力の働きだと言っていますね。


しかし、 結論 から いえ ば、 歩い ても、 筋力 アップ は 望め ませ ん。」(Kindle の位置No.427)

何か運動をすべきだと言われると、私たちはすぐにジョギングとかウォーキングを思い浮かべます。お年寄りにはウォーキングや散歩などが良いと思いがちです。しかし小島医師は、それでは筋力アップにならないと言い切られます。なぜならそれは日常行動であり、それだけしていても老化による変化(筋力低下)を止められないことが明らかになっているからです。

無酸素運動 は 高 強度 で、 筋肉 に 大きな 負荷 を かける 運動( = ストレス) です。   こうした ストレス が かかる と、 体 が、 筋肉 を 強く 大きく し なけれ ば 対応 でき ない 状況 に 置か れる ため、 それに「 適応」 し、 筋肉 が 強く なる という 現象 が 起こり ます。」(Kindle の位置No.480-482)

運動には、日常生活動作(低強度)、有酸素運動(中強度)、無酸素運動(高強度)の3種類があると小島医師は言います。日常生活動作は、これまで示した通り、筋力アップには役立ちません。有酸素運動は心配に負担がかかるため、高齢者には負担が大きい場合もあります。その点、無酸素運動は短時間でできるため、負担が少ないと言うのですね。

自分の限界に近い力を出すことによって、身体の細胞が筋肉を大きくして対応しようとする。これが動的平衡に基づく適応だと言います。私たちの身体の全細胞は、3ヶ月で生まれ変わるので、私たちは日々、状況に適応しているのです。


心理 社会的 因子 とは、 ストレス や 不安、 疲れ といった 心理的 な 要素 です。 それら の ほう が、 腰 への 負担、 姿勢 よりも、 高い 相関 が 認め られ、 腰痛 の 原因 で ある 可能性 が 高い と 考え られる よう に なっ て い ます。」(Kindle の位置No.746-747)

同じ重い物を運ぶ作業をさせても、片方には常に罵声を浴びる状態にしておくと、そちらの人々は腰痛を起こしやすいのだそうです。小島医師自身もぎっくり腰を経験されていますが、きっかけは重い物を持ったことであったとしても、本当の原因は仕事のストレスだったと分析されています。

私 の ケース で いう と、「 巨大 な ヘルニア が 腰椎 から 飛び出 て いる」 と、 画像診断 で 指摘 さ れ た 事実 を 何度 も 思い返し たり、「 筋 トレ が 悪かっ た ん だ。 あんな 重たい 物 を 持た なけれ ば よかっ た」 と、 腰痛 の 原因 について アレコレ 思い悩ん だり し ては いけ ませ ん。そう する と、 それ が 本当 の 呪い の よう に 働い て、いつ まで たっ ても 腰痛 が 治ら ないということになるのです。」(Kindle の位置No.763)

ヘルニアでさえ腰痛の原因ではないし、ヘルニアは筋トレしていれば勝手に治ることがあることも、小島医師は実証されたのです。

痛くても、「安静のほうが腰に悪い」と思いつつ、体を動かすことが大事です。
「こんな筋トレをやったら腰に悪いだろうな」「ひょっとしたら、痛くなるかもしれないな」などと思いながら運動するのは、よくありません。
」(Kindle の位置No.772)

筋トレで腰や足が悪くなることはない、という絶対的な安心感の中で、筋トレすることが重要だと言います。ストレス、不安というものが、悪い影響を与えるのですから。


小島医師が唱える筋トレとは、次のようなものだと言います。

「高強度」な運動「習慣」で、筋肉に「適応」を起こさせること。」(Kindle の位置No.872)

それが無酸素運動であり、限界的なスクワットなどなのです。

このスクワットに使う時間は、せいぜい30秒。長くても、1分です。」(Kindle の位置No.901)

しかも、原則として、この筋トレの頻度は、1週間に1回。それ以上、間隔を詰めて行っては、きつい運動なだけに、かえって故障の原因になります。」(Kindle の位置No.903)

つまりどういうことかと言うと、せいぜい10回くらいしかできないような負荷をかけて1セットのスクワットをする、ということです。これを1週間に1回行うだけなのですね。

しかも、小島医師の筋トレでは、個別の筋肉を鍛えるというやり方をしません。大きな筋肉を中心に、その周りの筋肉も同時に鍛えられる運動をするのです。

全体を鍛える筋トレとして、私がクリニックで皆さんにお勧めしているものに、「スクワット」「ローイング」「ベンチプレス」があります。
 これらの筋トレは、体の中でも大きな筋肉が使われています。と同時に、多くの補助筋肉群が使われています。これにより、全身的にハイパワーのエクササイズができます。
」(Kindle の位置No.970)

スクワットは大臀筋や大腿四頭筋など、ローイングは広背筋や僧帽筋、ベンチプレスは大胸筋などの大きな筋肉が鍛えられる運動ですね。これらの他に補助筋肉群が同時に鍛えられるのです。


私の筋トレの基本的な考え方は、発揮できる最大限のパワーの運動習慣に、「適応」を促すことです。
 筋トレのポイントは、「パワーを出すときは全力を出す。できるだけ速く動かす」「運動を始めたら、止まらない。動き続ける」です。
」(Kindle の位置No.1068)

最初のポイントは全力を出すよう負荷をかけることですね。せいぜい10回くらい繰り返せるくらい負荷をかけます。

そして、たとえばスクワットで立ち上がる時は、できるだけ素早く立ち上がります。これが、速く動かすというポイントになります。

複数回の動きをするのですが、その間に筋肉が休む時間を作らないというのがポイントの1つです。たとえばスクワットなら、足が伸び切らないようにする、ということですね。それから、しゃがむ時はゆっくりしゃがむことで負荷をかけ続けます。こうすることで、止まらず動き続けることになります。


重たい物を持って不安に思ったときは、「筋トレをするのは、体にいいんだな」と自分にささやきましょう。それが事実ですし、よい自己暗示にもなります。
 筋トレという運動は、自分でできる範囲内でしか行えません。だから適切に行えば、なんらリスクはありません。「筋トレで体が壊れるわけはない」と自信を持って体を動かすことが肝心です。
」(Kindle の位置No.1207)

痛みがある時は、どうしても不安になりがちです。そんな時は自己暗示を使ってでも実行すること。そうすれば、その実践が自信となって、筋力がアップして腰痛など起こりにくくなる、という好循環につながるのだと言います。


骨の強さは、筋力に比例するとされています。有効な筋トレを継続して行って、筋力強化が進めば、それに従って骨も強くなります。」(Kindle の位置No.1287)

特に女性の場合は、骨粗鬆症という骨が弱くなっている状態の人が多く、重いものを持つことに恐怖感があるかもしれません。しかし小島医師は、そういう人だからこそ短時間でできるこの筋トレが良いのだと言います。これによって筋力がアップすれば転びにくくなるし、骨折もしにくくなるのだからと。


筋肉量がへると、インスリンを分泌する、すい臓のβ細胞の機能低下が起こるという相関関係のあることがわかっています。」(Kindle の位置No.1327)

これは糖尿病に対する効果について語っている部分です。糖尿病に対しても、筋肉量を増やすことが効果があると言われるのですね。


動物には筋トレができません。だから、加齢的変化に抗うことができず、年々、体が衰えていきます。私の提案している筋トレは、唯一、加齢に抵抗できる手段です。私は、高齢者にこそ、筋トレをお勧めしたいと考えています。」(Kindle の位置No.1528)

動物は自ら筋トレをしないので、自然と加齢によって衰えていきます。しかし人間は、自ら筋トレをすることができ、それによって加齢による変化に抗うことができるのですね。


週に1回、わずか数分の筋トレで筋肉量や筋力をアップさせることができる。そんなことができるのだとしたら、やらない手はないでしょう。

今、膝や腰が痛くない人も、予防のために行っても良さそうです。80歳のお年寄りが80kgのバーベルをかついでスクワットをしているなんて、何だか超人的にも思えますが、訓練すれば誰でもそうなるのでしょう。そしてそれは、それだけの筋力がついているということ。元気に老後を過ごすために、とても役立つことだと思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:27 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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