2024年05月21日
情報公開が社会を変える
情報公開が社会を変える ――調査報道記者の公文書道 (ちくま新書) - 日野行介
最近、減税など政治がらみのことをX(旧Twitter)で発信していることもあり、こういう情報もおもしろそうだと思って買ってみました。
情報公開というのは、政府や自治体に法的に義務付けられたことですが、実態としては簡単には情報公開してくれません。そのことに疑問があったので、実態はどうなのかを知りたくて、この本を読んでみました。著者はジャーナリストで作家、元毎日新聞の記者の日野行介(ひの・こうすけ)さんです。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「ごみ処理場や工場の建設予定地の選定、子どものいじめなど地域の問題も同様だ。災厄をもたらす歪んだ政策の共通点は、市民にとってのメリットが疑わしく、結論や負担だけを市民に押し付け、意思決定過程が不透明なことだ。」(p.12‐13)
公務員は国民や住民の公僕のはずですが、その公僕が主人である国民(住民)に情報を開示しないという問題点があるのです。
「本来、同じ被災自治体として一致団結して汚染土を他所に持って行くよう国に求めるか、あるいは効果の疑わしい除染自体を止めるよう主張すべきであったにもかかわらず、迷惑施設の押し付け合いに議論をすり替えられてしまった。
こうした議論の「すり替え」を見抜き、住民同士で対立する不毛な事態を避けるためには、役所が出してくる政策に反射的に反対し、支持拡大を目指す「運動」だけでは不十分なのは明らかだ。その政策は本当に必要なのか? 役所が言い募る政策の目的は真実なのか? 本当のところを調べなければならない。」(p.21‐22)
役所がごまかそうとするから、本質的な議論ができない実態があります。本当は、悪人探しをするのではなく、どうすれば国民(住民)のためになる国(自治体)の政策ができるのかを検討し、実施できるようにすべきなのです。
「政策に込められた真の目的を察知し、実現を阻止したいと考える一般市民が(誰でも)できるのは、政策の目的が民意に反し、隠蔽(いんぺい)と嘘で一方的に進められている証拠を示すことだ。この証拠こそが意思決定過程を書きとめた公文書だ。」(p.41)
公文書を公開請求する意味は、役所がどういう意図でその政策を推進しているかを白日のもとにさらすことにあるのですね。
「「経緯も含めた」という文言に強い意志を感じることができる。決して公言しないだろうが、政治家や役人にとって意思決定過程に関する公文書は公開したくないものだ。だが、国民が情報公開を求める「権利」と合わせて、意思決定過程を記録する公文書の作成を役所に義務付ける法律ができたことで、情報公開請求を受けて意思決定過程を記録する公文書を公開しなければ「隠蔽」と指摘され、責任が問われることになった。」(p.56‐57)
公僕が国民に対して情報隠蔽しようとすること自体がナンセンスなのですが、情報公開法がなければ、そういうことすらできなかったのです。
「しかし、過去の冤罪事件では必ずといってよいほど、無実の可能性を示す証拠があったにもかかわらず、検察が隠し持っていた事実が明らかになってきた。警察が強制捜査権と公費を使って集められた証拠は本来、適切な刑事裁判を行うための公共財産であって、検察が独占してよいものではない。
無辜(むこ)の処罰を防ぐには、検察に持っているすべての証拠を開示させ、被告人と弁護人が吟味できるようにしなければならない。」(p.60)
「役所は秘密裏に検討し、政策の目的を偽り、「もう決まったことだから」と聞く耳を持たずに押し進める。この「隠す」「騙す」「押し付ける」の三点セットがもたらすものは民主主義の破壊しかない。これに対抗する材料は、役所がひた隠しにする意思決定過程の中にある。役所が自分たちにとって不利になる材料をわざわざ国民に提供することはない。国民・住民が情報公開請求によって「出せ」と迫る以外に方法はない。」(p.61)
まさにこの実態、つまり政府や自治体は、本来主人である国民や住民を蔑ろにして、自分たちの権力行使を優先していることが問題なのです。
「出席者は非公開だから口にできる本音がある一方で、経緯を含めた意思決定過程の記録は文書に残さなければならないのが公文書管理の基本原則だ。明らかにしたくないが残さなkればならない、という根源的な矛盾を内包しているのが非公開会議の議事録と言える。」(p.126)
政策の決定に関わる意思決定過程で、誰が何を発言しようと自由であり、それによって批判非難されるべきではないと思います。しかし、現段階においては、批判非難されてしまう。なので、奇譚のない意見を聞くためには、議事録を公開しないことが前提となったりします。
つまり、国民(住民)が自らの首を絞めているのです。批判非難しなければ、様々な意見を出し合って決定できるのに。そのメリットを捨てているのは、まさに国民(住民)自身だと言えるでしょう。
「役所はいつもこそこそと検討し、市民を欺き、聞く耳を持たずに押し付ける。それは政策の中に潜む矛盾や誤りを自覚しているからに他ならない。市民がそんな政策にNOを突きつけるためには、何が誤っているのか、どこにウソがあるのか役人たちを論破できるほど知識を積み上げなければならない。そのために必要な情報は公文書の中にしかない。意思決定過程を記録した公文書を市民が自らの手で根こそぎ拾わなければならない。」(p.213)
情報公開請求しても、公開に時間がかかったり、公開しないと言われたり、墨塗りして意味のわからない文書しか公開されなかったりします。こういうことそのものが「おかしい」と思いませんかね? だって、主人は国民(住民)なんですよ。主人が公開しろと言っているのに、公僕が公開しないなんてことが認められること自体が、おかしなことだと思います。けれども、それが現実なんですよね。
私は、すべてを予め公開すべきだと思います。いまや、インターネット上にすぐにでも公開できる時代なのですから。
そして、意思決定や、そこに関わる段階での発言に対しては、罪を問わないという価値観を国民(住民)が共有することが重要だと思います。
それができれば、情報公開請求するまで公開しないんじゃなく、すぐにリアルタイムで公開する時代になっていくと思います。
政治に求められるのは、「シンプル」と「オープン」だと思います。このキーワードを重視した価値観が広がり、その上で政策が検討されるといいなぁと思います。
2024年02月12日
よろこびの書
2024年1月20日(土)、田端にある小さな映画館「CINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)」で映画を観ました。この映画が素晴らしかったとFacebookの友人が投稿していたので、上映しているところを探してみたところ、意外に近くでやっていたので、すぐに予約したのです。
タイトルは「ミッション・ジョイ 〜困難な時に幸せを見出す方法〜」で、ダライ・ラマ法王とデズモンド・ツツ大主教の2人が「喜び」について語るというものです。2人ともノーベル平和賞を受賞しておられるのですね。ダライ・ラマ法王の80歳の誕生日を祝うために、ツツ大主教がインドのダラムサラを訪れ、1週間ほど過ごした時のドキュメンタリーでした。
内容もよくわからず観始めたのですが、すぐに引き込まれました。そして、ずっと泣きっぱなしでした。悲しいからではなく、嬉しかったから、感動したからです。
映画館の受付で、この本が売られてました。上映室から出るとすぐに受付へ行き、この本を買いました。この感動を、もっと深く心に染み渡らせたかったのです。
著者は、対談を行ったダライ・ラマ法王とデズモンド・ツツ大主教、そして作家で編集者のダグラス・エイブラムス氏です。ダグラス氏は、特にツツ大主教と長年の付き合いがあるようです。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「「冷たいことを言うようですが、たとえ多くの喜びを発見したとしても」と降下が始まったとき、大主教が言った。「困難や辛苦から逃れる術はありません。事実、私たちはもっと簡単に泣いたり、笑ったりしてもいいかもしれません。そうすればたぶん、もっと生き生きとするでしょう。けれども、より多くの喜びを発見すれば、苦い思いをするのではなく、成長できるような方法で、苦しみと向き合うことができます。窮地に追い込まれることなく困難と向き合い、胸がはり裂けることなく悲嘆を味わうのです」」(p.22)
ツツ大主教ほどの聖人でも、出来事を完全にコントロールすることはできないのです。苦しみながら、悲しみながら、その中に喜びを持つ。安岡正篤氏が言われた「喜神を含む」という言葉が思い出されます。
また、孔子も進退窮まったことがありました。「君子固窮(「君子困窮」とも)」という話です。小人も君子も困窮することはあるが、うろたえて自分を見失うのが小人、泰然自若としているのが君子、という内容です。
「物質的な価値は心の平和をもたらすことができません。だから、私たちの真の人間性である内的な価値に焦点を当てる必要があるのです。そうすることによってのみ、心の平和が得られますし、世界をもっと平和にできます。戦争や暴力といった私たちが直面している多くの問題は、私たち自身が作り出したものです。自然災害と違い、これらの問題は人間自身によって生み出されているのです。」(p.39)
ダライ・ラマ法王は、人類の問題は内的な問題だと言います。つまり、頭と心の問題だと。
「私が語りたいのも幸福についてではありません。喜びについて語りたいのです。喜びは幸福を含んでいます。幸福よりもずっと偉大なものなのです。出産間際の母親のことを考えてください。ほぼすべての人が痛みから逃れたいと願いますが、母親は出産に強烈な痛みが伴うと知っていても、それを受け入れる。出産の苦しみを味わった後でも、赤ん坊が生まれるや、喜びに包まれます。」(p.41)
お勧めしている「神との対話」シリーズでも「痛みと幸福は両立しないものではない」と語られていますが、痛みが苦しみに直結するわけではないという例ですね。ツツ大主教は、幸福よりも広い概念として「喜び」があると言います。
「ダライ・ラマが指摘しているのは、痛みや苦しみを否定することではなく、他にも苦しんでいる人がいるのを見ることで、自分自身から他者へ、苦悩から思いやりへと視点を転換することの大切さだった。注目すべきなのは、他人の苦しみを認め、苦しんでいるのは私たちだけではないことに気づくと、苦痛が和らぐとしている点だ。
私たちはしばしば他人の悲劇について聞き、自分の状況がそこまでひどくないことにほっと胸を撫でおろす。ダライ・ラマが行なっていたことはそれとはまったく異なる。彼は自らの状況を他人のそれと比較したりしない。自分の状況を他人のそれと融合させ、自分のアイデンティティを広げ、自分とチベットの人々が苦しみにおいて一人ではないことを見つめるのだ。」(p.46-47)
「私たちは自分の国を失い、難民になりましたが、その経験がより多くのものを見る新たな機会をもたらしてくれました。私個人に関して言えば、あなたのようなさまざまな霊的実践者や科学者と会う機会を得たのは、難民になったからです。」(p.47)
ダライ・ラマ法王は、自分の苦しみに浸って自分だけが災難を被っているかのような見方をしません。苦しみを感じた時、他の苦しんでいる人たちに思いを馳せるのです。その時、あの人たちよりマシだと比較して安堵するのではなく、あの人たちも同じように苦しんでいると共感し、助けになってあげたいと思われるのです。
「苦悩や悲しみは多くの点で、制御することができません。それらは自然に生じます。誰かに殴られたとしましょう。痛みはあなたの中に苦悩や怒りを生み出します。あなたは仕返ししたくなるかもしれません。でも、仏教徒であれクリスチャンであれ、またその他の宗教的な伝統に属していようと、霊的な成長を遂げれば、自分の身に起こることはどんなことでも受け入れられるようになります。罪があるから受け入れるのではありません。起こってしまったことだから受け入れるのです。人生はそうやって織りなされていきます。好むと好まざるとにかかわらず、起こることは起きます。人生にはフラストレーションがつきものです。問題は、いかに逃れるかではありません。いかにしてそれを肯定的なものとして活用できるかなのです。」(p.48-49)
ダライ・ラマ法王は、出来事はコントロールできないし、それによって苦悩や悲しみにさいなまれることはどうしようもないと言います。しかし、それを怒りに変えて誰かを傷つけようとするかどうかは、見方次第だと言います。どんな出来事に対しても、肯定的な意味を与えることができるのです。
「いや、二七年は必要だったのだ、と私が言えば、人々は驚くでしょう。しかし、不純物を取り除くためにはそれだけの時間が必要だったのです。刑務所内での苦しみによって、彼は包容力を増して、相手の話を進んで聞くようになりました。彼が敵とみなしていた人々もまた恐れや期待を持っている人間であることを発見するためにも、時間が必要だったのです。彼らは社会によって作られたのです。二七年という歳月がなかったら、慈悲心や雅量の豊かさ、他人の立場に立って考える能力を持ったネルソン・マンデラを見ることはなかったでしょう」(p.52)
アパルトヘイト政策を実施していた政権を打ち倒そうとして投獄されたマンデラ氏は、27年間の獄中生活によって精神が鍛えられ、次代を担う指導者として成長したのでしょう。敵もまた同じ人間だ。その共感力は、理不尽に苦しめられた経験が育てたのです。
そのことを思うと、孟子の教えを思い出します。「天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、・・・」という言葉は、まさにこのことを語っていますね。天はマンデラ氏を必要とし、鍛え、働かせたとも言えるのです。
「病院への道すがら、ずっとこの老人のことを考え、彼の苦しみを感じていました。そのおかげで、自分自身の痛みのことをすっかり忘れていました。自分への注意を他者に切り替えるだけで、自分自身の痛みが薄れたわけです。これが慈悲の性質なのです。身体レベルで慈悲が働く仕組みなのです。」(p.55)
ダライ・ラマ法王が急な腹痛に襲われて車で病院へ移動していた時、苦しみながらも車の窓から地面に横たわっていた老人が見えたそうです。病気のようで、汚い身なりをして、誰も面倒を見ようとはしていませんでした。その老人のことを考えていたら、自分の痛みを忘れていたと言われるのですね。
「簡単に言うと、私たちが自分の痛みを癒せば癒すほど、他者の痛みに目を向けることができるようになる。ところが、驚くべきことに、私たちが自分自身の痛みを癒す方法は、実際に他者の痛みに目を向けることによってであると大主教とダライ・ラマが主張しているのだ。それは「良循環」である。他者に目を向ければ向けるほど、私たちはより多くの喜びを味わえるようになり、喜びを味わえば味わうほど、他人を喜ばすことができるようになる。」(p.68)
このようにお二人は、出来事を変えるのではなく見方を変えることで、苦痛や悲しみを減らし、喜びを取り戻す方法を語られたのでした。
そして、自分が喜ぶことで、他人を喜ばせたくなるし、他人を喜ばせることによって、自分もさらに喜ぶことになる。愛が自然と流れ出すようになり、さらに愛しやすくなるのです。
「親たちの間にも、利己性がはびこっています。 ”私の子供、私の子供” と考えるのです。それは偏った愛です。私たちは人類全体、生きとし生けるもの全てに対する公平な愛を必要としています。あなたの敵も人間の兄弟姉妹なのですから、私たちの愛や尊敬、思いやりを受け取るに値します。それが公平な愛です。あなたは敵の行動に対抗しなければならないかもしれませんが、彼らは兄弟姉妹として愛することはできます。私たち人間だけが、知性を用いてそのようなことができるのです。人間以外の動物にはそれができません」(p.82)
ダライ・ラマ法王は、自分の子どもばかりを愛することを偏愛だと言い、それを乗り越えなければならないし、乗り越えていけると言います。ダグラス氏は、それを理想だと思いながらも、自分たちにできるかどうかと疑問に感じたようです。
最近知ったSHOGENさんはアフリカのブンジュ村で、縄文時代の日本人の教えに習って生活する人々と出会いました。彼らはほとんど私物を持たず、たとえば包丁も複数家族で共有する生活をしているそうです。そして子どもは、誰が本当の父親か明確ではないそうです。村全体で子どもを育てているような感じなのだそうです。
考えてみれば日本も昔は、そんな村社会がありました。自分の子どもでなくても悪いことをすれば他の大人が叱る。村の子どもという意識があったのでしょうね。
「その週の対話の最中、大主教は、ネガティブな思考や感情を持ったとしても自分自身を責めるべきではないと再三繰り返した。それは自然で、避けられないことであり、自分を責めれば、罪悪感や羞恥心にさいなまれるだけだ、と。人間の感情が自然なものであることにダライ・ラマは同意したが、ネガティブな感情が避けられないかどうかについては、心の免疫力がつけば避けられると主張した。」(p.88)
これは「神との対話」シリーズでも語られていますが、まず沸き起こる感情を抑圧するなと言っています。抑圧されない感情は自然なもので、抑圧しないことによって、感情がいびつになることを防げるのだと。また、罪悪感は百害あって一利なしとも言っています。
そういうことからすると、私は両者の主張は共に正しいものだと思います。私たちが成長していくに従って、ネガティブな感情は起こらなくなっていくでしょう。
「私たちはしょっちゅう自分に腹を立てます。最初からスーパーマンやスーパーウーマンであるべきだと思っているんです。ダライ・ラマの落ち着きは最初からあったわけではありません。優しさや慈悲心が育ったのは、祈りや瞑想の実践を通してです。適度に忍耐強く、受容的なのもそのためです。彼は状況をあるがまま受け入れます。不可能なことをしてむだ骨を折っても、傷つくだけだからです。」(p.94)
ツツ大主教は、このように法王のことを言います。そのように言えるのは、おそらくツツ大主教もそうだからでしょう。
「「勇気とは、恐れがないのではなく、恐れを打ち負かすことだということを私は学びました。私は思い出せないほどたくさん怖い思いをしてきましたが、それを大胆さの仮面の背後に隠していました。勇敢な人間とは、恐れを感じない人間ではなく、恐れを克服する人間なのです」。私が大主教と一緒に、『神は夢を持っている』という本に取り組んでいたとき、大主教は似たようなことを言った。「勇気とは恐怖がないのではなく、あるにもかかわらず行動できる能力を指します」と。」(p.96)
ダライ・ラマ法王とツツ大主教は、「勇気」に関して同じようなことを言われています。恐れを感じないことではなく、恐れを感じていても、感じるがままに突き進むという情熱なのです。
ふと、思い出しました。初めてOSHO氏のことを知って読んだ本のタイトルが、「Joy(喜び)」と「Courage(勇気)」であったことを。そこに、「勇気」について、次のように書いてありましたね。
「勇気ある者は、あらゆる恐怖にもかかわらず、未知の世界へと進んでゆく。」(「Courage」 p.12)
「勇敢とは恐怖でいっぱいであっても、恐怖に支配されないことを意味しているのだ。」(「Courage」 p.116)
そして、恐れを排して突き進むよう励ましていました。
「心の道は勇気の道だ。それは安全ではないところで生きることだ。それは愛の中に生きること、信頼の中に生きることだ。」(「Courage」 p.19)
「簡単な練習から始めなさい。いつも覚えていなさい。選択する必要がある時は、いつも未知のもの、リスクのあるもの、危険のあるもの、不安定なものを選びなさい。そうすればあなたは何も失わないだろう。」(「Courage」 p.189)
恐れがあっても、あえて恐れていることを選択するようにと言います。なぜなら、恐れの対極が愛だからです。
「ダライ・ラマは恐れと怒りの奥にある深い微妙なつながりを指摘し、恐れがどのように怒りの下に潜んでいるかを説明した。普通、いらだちと怒りは傷つけられることから生まれる。頭を車にぶつけたドライバーが良い例である。私たちは肉体的な痛みに加え、精神的な痛みも経験する。後者のほうがありふれていると言えるかもしれない。私たちは尊敬されたり、親切にされたいと望むが、軽蔑や批判など望んでもいなかった扱いを受けることがある。ダライ・ラマが言うには、怒りの根底には、必要なものを手に入れられないのではないか、愛されないのではないか、尊敬されないのではないか、仲間に入れてもらえないのではないかといった恐れがある。
怒りから抜け出す一つの方法は、怒りを生み出している傷はなにかを自問することである。心理学者はえてして怒りを二義的な感情と呼ぶ。脅かされているという感情の防衛として生じるからだ。恐れ−−どのように脅かされているか−−を認め、表現することができれば、怒りを鎮めることができる。
だが、そのためには、自分が傷つきやすいことを進んで受け入れる必要がある。私たちは恐れや心の傷を恥ずかしく思う傾向がある。もし傷つくことがなければ、痛みを味わうこともないだろうと考えるからだ。」(p.105-106)
ここで語られている「怒り」に関する考察は、まさにその通りだと思います。私たちは、思い通りにならない時に怒りを感じるのです。思い通りにしなければならないと思っているから。思い通りにならないと、自分が傷つくと感じているから。その恐れから怒りになる。だから怒りは「第二感情」と呼ばれるのです。
怒りが第二感情であることは、「自分を好きになれない君へ」などで野口嘉則さんも語られています。
そこで怒りを感じないようにするには、まずは自然な第一感情である恥ずかしさなどを受け入れる必要があるのです。その感情を抑圧するから、第二感情の怒りが生じる。そういうメカニズムを知ることで、ダライ・ラマ法王が言われるように、心の免疫を強くしていくことができると思います。
「まず第一に、同じ人間だということを認めなければなりません。他人は私たち人間の兄弟姉妹であり、幸せな人生を送る権利と願望を持っています。これはスピリチュアルなことではありません。単なる常識です。私たちは同じ社会の一員なのです。また同じ人類の一員です。人類が幸せなら、私たちも幸せです。人類が平和なとき、私たち自身の人生は平和です。家族が幸せなら、あなたも幸せだというのと同じです。」(p.137)
仏教で言う「ムディター(共感の喜び)」を養う方法を、法王はこのように説明しました。愛する家族と同じように人類全体を考える。たしかに、それができれば、人類全体を愛せるでしょうね。
「しかし、苦しみの中に、少しでも意味や贖(あがな)いの気持ちを発見できれば、ネルソン・マンデラのように、寛大な人間として生まれ変わることができる。
「私たちが精神の寛大さの中で成長をするには、なんらかの方法で、挫折を経験しなければならないことを、多くの事例で人は学びます」と大主教は続けた。」(p.148)
少々のことで傷つかずに寛大さを示せるようになるには、挫折する経験が必要だと言うのですね。挫折や苦しみを経験することで、共感性が向上することはたしかです。ただしひねくれなければ。
このことを思うと、3度も島流しに遭いながらひねくれず、へこたれなかった西郷隆盛氏の精神力は、本当に素晴らしいなぁと思います。
「だから、大主教とダライ・ラマが、それぞれの伝統の中で、慣習を破るのを見て驚いたのだった。
多くのキリスト教の宗派は、キリスト教徒ではない者や特定の宗派に属していない他のキリスト教徒の聖体拝領を禁じる。言い換えれば、多くの宗教的伝統と同じように、グループの一員とそうでない者をきっちりと分けるのだ。「私たち」とみなす人と「他者」とみなす人との間の障壁を取り払う、それは、人類が直面する最大の課題の一つである。最近の脳科学の研究では、人間は自己と他者を一対として理解することが示されている。他者を自分たちのグループの一員とみなさない限り、共感の回路は働かないのだ。多くの戦争がなされ、多くの不正が行なわれてきたのは、他者を自分のグループから、すなわち自分たちの関心の輪から追放したからにほかならない。」(p.174-175)
映画でも観ましたが、ツツ大主教が法王に対して聖体拝領という宗教行事を行なったのです。これはまず、行う側にも抵抗があるし、受ける側にも抵抗があるでしょう。なにせ宗教が異なるのですから。それでも、それを乗り越えてやってみせたということが、とても意義深いと思いました。
「健全な物の見方は喜びと幸福の真の基盤である。どのように世界を見るかが、どのように世界を経験するかを決めるからだ。私たちが世界の見方を変えれば、私たちの感じ方や行動の仕方が変わり、世界そのものを変えることにつながる。」(p.183)
出来事が同じでも見方が違えば経験が違ってくる。このことは、「神との対話」でも内的な経験を変えるとして語られていました。
「神を信じるか否かにかかわらず、受容は喜びに満ちた状態に入り込むことを可能にする。人生が私たちの望みどおりにならないという事実に反抗するのではなく、独自の条件で生きることを可能にするのだ。受容すればまた、時勢に逆らう必要もなくなる。ストレスや不安は、人生はこうあるべきだという私たちの期待から生じる、とダライ・ラマは語った。私たちが、こうあるべきだという人生ではなく、あるがままの人生を受け入れることができるようになると、人生を楽に過ごせるようになる。そうすれば、苦しみ、ストレス、不安、不満が渦巻く受苦(dukkha)の人生から、安らぎや気楽さ、幸福感に包まれるくつろぎ(sukha)の人生に移行する。」(p.211)
起こったことをそのままに受け入れる。その受容によって、ストレスからも解放されるのです。「神との対話」シリーズでも、期待するなということが何度も語られています。
「私たちはネルソン・マンデラを驚くべき許しの象徴として語りましたが、あなたも、あなたがたも、みな、信じられないほどの思いやりや許しを示せるかもしれません。まったく他人を許せない人がいるとは思えません。法王が指摘しているように、私たちはみな、殺人などによって自分の人間性を傷つけた人々を気の毒に思う能力を潜在的に持っています。」(p.216)
後にアパルトヘイト政策によって虐殺した人々を裁くことになった時、被害者家族の中には犯人を許し、助命嘆願した人が何人もいたそうです。そのことを実際に見てこられたから、ツツ大主教の言葉には説得力があります。
「亡命中でさえ存在する好機に感謝するダライ・ラマの能力は、深遠な視点の転換であり、自分を取り巻く現実を受け入れるだけではなく、あらゆる経験に好機を見ることを可能にした。受容とは、現実と戦わないことを意味する。感謝は現実を受け入れることを意味する。大主教が勧めるように、自分の重荷を数えることから、恵みを数えることに視点を移すのだ。それは妬みの解毒剤であると共に、自分自身の人生を評価するための秘訣でもある。」(p.226)
法王は、毎朝目覚めた時、生きていて幸運だと思って感謝するのだそうです。今ある中に感謝の種(理由)を見つけ出すこと。その見方の転換によって、私たちはいつでも感謝することができます。そして、感謝するから喜んでいられるのです。
「「もし私が怒って、許さないでいたら、彼らは私の残りの人生を奪っていたでしょう」とヒントンは答えた。
許すことを頑なに拒むと、私たちは人生を楽しみ、感謝する能力を奪われる。なぜなら、怒りと恨みに満たされた過去に囚われるからだ。許しは過去を乗り越え、顔に降りかかる雨のしずくはもちろん、現在も楽しむことを可能にする。」(p.228)
自分が犯してもいない罪で死刑囚となったアンソニー・レイ・ヒントンは、30年間の収監された後、釈放されたのだそうです。そしてインタビューにこのように答え、間違って刑務所に送り込んだ人々を許したと言ったのです。
ここで思い出すのは、「ゆるしとは、相手が自分を傷つけたという誤った解釈を正すこと」だと言われたジャンポルスキー博士の言葉です。傷ついたという見方をやめて、お陰で良い結果を得たと解釈すれば、許すことは簡単であり、そのことで幸せになれます。
「たしかに私は、三〇年という長い年月、狭苦しい独房にいました。でも、刑務所で一日も、一時間も、一分も過ごしたことがないのに、幸せでない人たちがいます。”なぜだろう?” と私は自問します。なぜ彼らが幸せでないかの理由は言えませんが、私が幸せなのは、幸せであることを選んだからです」(p.229)
「「感謝しているとき、あなたは恐れていません」とスタインドル=ラスト修道士は説明した。「恐れていなければ、あなたは暴力をふるいません。感謝すると、人は足りないという感覚ではなく、満ち足りているという感覚から行動するので、喜んで持っているものを分かち合います。また特定の人々に感謝することと、誰にでも敬意を払うことの違いを楽しみます。感謝する世界は楽しい人々の世界です。感謝する人々は楽しい人々です。感謝する世界は幸せな世界なのです」」(p.229-230)
出来事が喜びを決めるのではないのです。その出来事に感謝するという意志によって、喜びが沸き起こってくるのです。
「神との対話」でも、在り方を選べと言っています。幸せでありたいなら、幸せを選べばいいのです。
「私たちが自分自身を受け入れ、自分の傷つきやすさや人間性を受け入れれば、他人の人間性を受け入れることも容易になる。自分の欠点を憐れに思うことができれば、他人の欠点も憐れみをもって捉えることができる。つまり、私たちは寛大になり、他人に喜びを与えることができるようになるのだ。」(p.258)
自分の不完全さを受け入れ、許すなら、他人の不完全さも許容できます。自分をありのままに愛することができるなら、他人もありのままに愛せます。自分に寛容であることは、他人に対する寛容さにつながるのです。
つまり、まずは自分を愛するようにということですね。自分を愛することで、ありのままの自分でいいと思えたら、その喜びは自然に流れ出し、他人を愛するようになるのです。
映画を観て感動したのは、お二人が言われるように生きておられることが伝わってきたからです。理不尽な目に合わされ、虐げられ、それでも自分自身の心と向き合ってこられた。そして今、喜びの中に生きておられる。そのお姿が感動的だったのです。
言われている内容は、たびたび書いているように「神との対話」などですでに知っていることです。ですから、特に目新しさはありません。しかし、だからこそ、実践が重要なのだと思います。
私は、「神との対話」を読んで感動し、その通りに生きてみようと決意しました。まだまだ十分にはできていないと思いますが、それでも自分を諦めずに、不安や恐れを捨てて愛に生きようと思っています。
そういう私にとって、このお二人の生き様に触れることができたということが、とてもありがたいことだと感じました。
2024年02月03日
それでもなお、人を愛しなさい
これも何で紹介されたのか忘れましたが、読んでみて、とても良い本でした。
「逆説の10カ条」という詩のようなものがあります。マザー・テレサさんの作として広まっていますが、実はそうではなかったようです。それが、この本を読んでわかりました。
本当の作者は、この本の著者、ケント・M・キース氏だったのです。ケント氏が19歳の時、「リーダーシップのための逆説の10ヵ条」として書いたものですが、この詩を含む小冊子を「静かなる変革−−生徒会におけるダイナミックなリーダーシップ」と題して書き、1968年にハーバード大学学生部によって出版され、3万部は売れたそうです。その後、この詩がひとり歩きしていったようですね。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「「逆説の10ヵ条」は、いわば一つの挑戦として書いてみたものです。その挑戦とは、仮に他の人たちがそれを良いこととして評価してくれなくても、正しいことを、良いことを、真実であることを常に実行してみませんかという挑戦です。この世界をより住みやすい場所にするという仕事は、他人の拍手喝采(かっさい)に依存できるものではありません。何が何でもそのための努力を続けなければなりません。なぜなら、あなたがそれをしなければ、この世界でなされるべきことの多くは永久に達成されないからです。
たくさんの言い訳を聞いたものです。しかし、私はそうした言い訳には納得しませんでした。確かに、人は不合理かもしれない。わからず屋でわがままかもしれない。それがどうだと言うのでしょうか。それでも私たちは人を愛さなければなりません。」(p.14-15)
「完璧な解放感、そして、完璧なやすらぎを感じました。正しいこと、良いこと、真実であることを実践すれば、その行動自体に価値がある。そのことに意味がある。栄光など必要ではないと悟ったのです。」(p.16)
現実的には評価されないかもしれない。けれども、私たちの内側の声が、これをやれと言うのです。愛せよ、と。ケント氏は、その内なる声に突き動かされたのかもしれませんね。
だから、結果を放り出せと言われるのです。特定の結果が得られるからそうするのではなく、ただそうすることが自分らしいからするのだと。
「世界は意味をなしていません。しかし、あなた自身は意味をなすことが可能なのです。あなた自身は一人の人間としての意味を発見できるのです。それがこの本のポイントです。これは、狂った世界の中にあって人間としての意味を見つけるための本です。」(p.27)
「この10ヵ条を受け入れることができれば、あなたは自由の身になるでしょう。この世界の狂気から自由になるということです。逆説の10ヵ条はあなた個人の独立宣言といってよいかもしれません。」(p.28)
結果を放り出して自分らしく行うことを選択できるなら、それは究極の自由です。そして自由であるということは、自分らしくあれるということなのです。
では、その「逆説の10ヵ条」を引用しておきましょう。
「1 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。
2 何か良いことをすれば、
隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
それでもなお良いことをしなさい。
3 成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
それでもなお、成功しなさい。
4 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。
5 正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。
6 もっとも大きな考えをもったもっとも大きな男女は、
もっとも小さな心をもったもっとも小さな男女によって
撃ち落とされるかもしれない。
それでもなお、大きな考えをもちなさい。
7 人は弱者をひいきにはするが、勝者のあとにしかついていかない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。
8 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。
9 人が本当に助けを必要としていても、
実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい。
10 世界のために最善を尽くしても、
その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。」(p.30-31)
「誰にでも欠点や短所はあります。誰でも怒りたくなったり、弱さをさらけだしたり、誘惑に負けたりするのです。誰だって、しなければよかったと後悔するようなことをした経験があるでしょう。人間は誰からも同意してもらえる行動を常にとるわけではありません。したがって、常に人に愛される価値があるというわけにはいきません。同意してもらったとか、愛する価値があるということが愛情の前提条件であったら、世の中には愛情はほとんどなくなってしまうのではないでしょうか。
最高の愛は無条件の愛です。欠点があっても短所があっても、愛し、際される、それが無条件の愛です。もちろん、成長してもっと良い人間になろうと努力しなければなりません。しかし、成長してもっと良い人間になりたいという願望や勇気の源は、愛すること、そして、愛されることなのです。」(p.36-37)
愛とは無条件の愛です。相手や自分が、立派な素晴らしい存在だから愛するのではありません。そんなことは盗人でもやっているとイエスは言っています。
私たちは、結果として愛するのではなく、原因として愛すべきなのです。なぜなら、それが私たちの本質であり、私たちらしいからです。
「お互いに正直で率直であるとき、強い人間関係を築くことができます。お互いに相手がどこに立っているかがわかります。どうすれば相手のニーズを満たすことができるか、お互いの夢を実現するにはどうすればよいかがわかります。信頼がなければ、何をしたらよいかもわからず右往左往して、自分や他の人を傷つけることになってしまいます。
家族や組織内の人間関係で一番大切なことの一つは信頼です。感じていること、考えていること、願っていること、恐れていることを隠したままでは信頼を築くことはできません。分かち合いによって、正直で率直であることによって、はじめて信頼は生まれます。」(p.69-70)
「もちろん、正直で率直にふるまえば、あなたは無防備になります。どうすればなたを攻撃し、傷つけることができるか、人に知らせることになるのですから。防御の構えをやめれば、自分をさらけだすことになります。親密な関係においてだけでなく、グループや組織の中でも同じことが言えます。
しかし、無防備さが良い意味をもつこともあります。無防備になると、他の人たちと心がつながりやすくなります。人と深く知り合うことになり、人から容易に学べるようになります。無防備な状態は、新しい人間関係へのドアであり、新しい機会へのドアです。成長するための新しい道にいたるドアであり、共に協力し合って生きる新しい道に通じるドアです。」(p.70-71)
私たちは恐れるから防御しようとします。他人との間に壁を築き、自分を隠そうとします。けれどもそれでは、他の人と真に交わることができません。真に交われないとは、愛し合うことができないということです。
「いたるところに本当に助けを必要としている人たちがいます。あなたが彼らを助ければ、彼らはあなたを攻撃してきます。しかし、その攻撃はあなたに対するものではありません。自分が置かれている状況に怒りを感じているのかもしれません。無力感、あるいは、助けてもらわなければならないという気持ちと戦っているのかもしれません。彼らが攻撃してきたからといって助けの手を引っ込めないでください。あなたのことを何度も何度も助けてくれた人がいるはずです。今度は、あなたが助ける番です。」(p.102)
老人介護の仕事をしていて、利用者様から噛みつかれたり、引っ掻かれたりしたことが何度もあります。「あなたのために助けているのに、なんでそんなことをするの!?」そう、怒りをぶつけたこともあります。けれど、その人たちの苦しみもわかるのです。自分の思いどおりにならない苦しみ、自由にならないつらさ。だから、問われているのは、そうやって攻撃されても助けますか? ということだけなのです。
「最善を尽くすことの代償は高くつく可能性があります。しかし、それよりも高くつく唯一の代償は、最善を尽くさないことです。最善を尽くさなければ、あなたは本来のあなたではないのですから。
あなたはユニークな存在であることを決して忘れてはなりません。遺伝子的にユニークであり、才能と体験の組み合わせにおいてもユニークな存在です。ということは、あなたにしかできない貢献があるということです。世界のために最善を尽くすことによって、その責任を果たすことができます。」(p.106)
不安や恐れから、最善を尽くさないことはできます。つまり、自分らしくない選択をするということです。けれども、それによって得られるのは、自分らしくない人生です。そんな人生に、いったいどんな意味があると言うのでしょうか?
「逆説の10ヵ条を受け入れれば、この狂った世界で人として生きる意味を見出すことができるでしょう。逆説的な人生を送るとき、あなたは解放されるでしょう。
逆説の10ヵ条に従うことによって、本来のあなたになることができます。人生の本質ではないものから解放されます。真の満足をもたらしてくれないものから解放されます。本当に大切で、人生を豊かにしてくれるものに心の焦点をしぼることができます。」(p.111)
「一つひとつの行動がそれ自体で充分でありえるのです。その行動から何かが生まれるか生まれないかとは関係がありません。逆説の10ヵ条を生きるとき、一つひとつの行動がそれだけで完璧になります。なぜなら、一つひとつの行動それ自体に意味があるからです。」(p.112)
つまり、特定の結果を求めないこと、期待しないことです。結果を放り出すことです。ただその行為を、自分らしいからというだけで、情熱的に行うだけで良いのです。
「私たちがやることを誰も知らなくても、誰も評価してくれなくても、それは問題ではありません。そんなことは無関係に、私たちは正しいことをしなければなりません。これは自分の問題であって、他の人がどれだけ気にするかという問題ではありません。
評価されたいという願望をもつのは当然です。しかし、他人の拍手喝采を切望すると、意味を見つけることは難しくなります。拍手喝采を切望する人は、他人が必要としているものに心の焦点を合わせる代わりに、拍手喝采を得ることに心の焦点を合わせてしまいます。それだけではありません。人は時として拍手喝采することを忘れるものです。したがって、拍手喝采を切望する人は、自分の幸せを他人の気まぐれな心の動きにゆだねることになります。」(p.116)
他人の評価を得ることに心を砕くという生き方は、自分の幸せを他人の意向に委ねていることになります。それでは、ただ翻弄されるだけの人生になるでしょうね。
「だから、愛にも功利主義があるのかもしれません。愛することで、その人が変わるはずだと思うわけです。迫害を受けた宗教家が相手を愛そうとするのは、そうすることで「不合理で、わからず屋で、わがままな」相手が変わることを期待するからではないでしょうか。愛の力で変わらない人だったら、愛する意味はあるのでしょうか。」(p.137)
これは、「解説」に書かれていた一文で、元東レの社長の本心だと思います。起業家というのは、どんなに人格者であっても、いや人格者であればこそ、社員を守らなければならないと考えるものです。けれどもそれは、特定の結果を求めることであり、「愛する」ということでさえ、その手段と考えてしまいがちなのです。
本書の解説としてふさわしいかどうかはさておき、こういう本音が表現されていることが、私は素晴らしいと思います。ほとんどの人が、そうではないかと思います。私も、やはりまだそういう部分があります。だからこそ、こういう本によって啓発され、自分の中の真実と向き合うことができるのだと思うのです。
「解説」まで含めてもわずか140ページほどの小冊子です。けれども、非常に深いことを考えさせてくれる本だと思います。
ぜひ手にとって、自分の真実と向き合ってほしいと思います。
2024年01月30日
未来を変えた島の学校
誰の紹介で興味を持ったのかは忘れましたが、私のふるさと島根県のことだったので興味を持ちました。隠岐の島という過疎化の進む島で、もう廃校になりそうなほど生徒が減った島前(どうぜん)高校の改革によって人を増やし、地域社会が活性化していったという話になります。
この話を聞いて、まず、「教育改革で島を活性化するって、どういうこと?」と思ったのです。その理由が知りたくて読んだのですが、実に素晴らしい内容でした。
著者は、この改革に携わった「隠岐島前高等学校の魅力化と永遠(とわ)の発展の会」初代会長の山内道雄(やまうち・みちお)さん、ソニーを退職後に島前の教育に関わることになった推進役の岩本悠(いわもと・ゆう)さん、そして新聞記者の時代から島前を追ってきた島根県立大学准教授の田中輝美(たなか・てるみ)さんです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「「よそもの」と言われようが、誰よりも当事者意識や問題意識をもって、率先して行動で示してくれていた。「この島には宝が眠ってますよ」と、私たちには見えなかった島の宝を探し、見い出し、光らせてくれました。私のような年寄りがすべきことは、「よそもの」「ばかもの」「わかもの」と呼ばれる彼らから学び、彼らを活かし、彼らが挑戦できる舞台づくりをすることだと考え、実践してきました。
この八年間で、廃校寸前だった島前高校は、海外からも入学希望者が来る、選ばれる高校に変わりました。無視だけでなく敵視さえされていたかもかもしれない県の教育委員会の雰囲気も一変し、今では離島中山間地の高校の魅力化事業を県が推進するようになりました。そして、特区を申請しても門前払いであった国も省庁が連携し、超党派による議員立法により、高校の教職員定数に関する法律を改正するまでに至りました。」(p.F)
「ただ、私自身は能力も無いですが、ふるさとを守るために、ずっと大切にしてきたことがあります。それは「気合い」です。気合いの気は、元気、勇気、やる気の気ですが、特に、大事にしているのが「本気」です。本気度の高さが物事の成否を決めます。本気度は、どんな人間でも自分の意志で高めることができるものですし、周囲にも伝播していきます。そして、こうした一人ひとりの「気を合わせる」ことが肝要です。チームとして、それぞれの気を一つにつなぎ、大きな流れが生みだせれば、壁は突破できます。そして、この気を合わせるために必要なのが、やはり「愛」です。地域やふるさとへの愛、自分を育んできた人や自然、文化に対する感謝と敬愛です。愛するもののためだからこそ、人は本気になれますし、一人ひとりの異なる気を合わせていくことができます。」(p.G‐H)
島前(どうぜん)三町村の西ノ島町、海士(あま)町、知夫(ちぶ)村は、平成大合併の頃に合併するかどうかの話がありました。当時、海士町の町長だった山内道雄さんは、人口が減っていく海士町だけでなく、島前地域全体が衰退していくことを危惧していました。その象徴が、島前高校でもあったわけですね。
人口が減るのは、進学校に子どもを入れるには松江など本土に渡る必要があり、それを機に家族全員が移住するという傾向があったからです。もし島前高校が廃校になれば、隠岐の島の別の高校に通うにも船に乗る必要があり、それならいっそのこと本土へという流れが加速することは明らかです。
そこで山内さんは、島前高校を改革して、本土へ行かなくても島の高校で十分だと思ってもらえるようにすることが重要だと考えたようです。その時にスカウトしたのが岩本悠さんなど県外の若者たち。地元意識が強い田舎ではどこも同じですが、よそ者に対して冷たくあたります。若者の言うことなど聞きません。そんな中で改革を推し進めていったことが、この文章から読み取れます。
「フェリーから、遠く離れていく島影をずっと眺めていると、この小さな離島が「日本の箱庭」であり、「社会の縮図」のように思えてきた。この島が直面している人口減少、少子高齢化、雇用縮小、財政難という悪循環は、多くの地方が抱える共通の問題であり、この先、日本全体が直面していく課題である。学校の存続問題一つとっても、今後少子化が進む社会全体の課題になる。そう考えると、この島はサキモリとして、日本に押し迫ってきている難題を相手に戦う「最前線」であり、未来への「最先端」のように見えた。また島が守り継いでいこうとする、人と自然、文化、産業が調和した循環型の暮らしや、食とエネルギー、人の自給自足を目指す持続可能な地域づくりは、世界の重要なテーマでもある。この島の課題に挑戦し、小さくても成功モデルを作ることは、この島だけでなく、他の地域や、日本、世界にもつながっていく。「一燈照隅、万燈照国」。小さくても、まずこの島が一隅を照らす光を燈(とも)す。そして、その一燈が万に広がり、社会全体が明るくなっていく。そんな「妄想」が岩本の頭に広がっていった。」(p.18)
町長の山内さんの指示で動き出したのは、財政課長の吉元操(よしもと・みさお)さん。吉元さんは、まずは東京の日本語教育の学校の縁で外国人に入学してもらおうと考えたものの、断られて挫折します。次に一橋大学との関係で学生に相談したところ、一流講師を呼んで進学のための授業をする案が出てきたので、すぐに30人ほどの学生と社会人を島に呼びました。その中に、ソニーで人材育成に携わっていた岩本さんがいたのです。
岩本さんは、進学だけでなく、社会で活躍できる人材を育てたり、その後、島に戻ってきて地域に貢献する人材を養成することを目指すことが重要ではないかという意見を述べました。吉元さんは気に入って、岩本さんに島に来ないかと軽く誘ったのです。行きがかり上、それはいいと意気投合したのが、それが岩本さんの運命を変えることになったようです。
それにしても「一燈照隅」という言葉をご存知なのですね。天台宗の最澄の言葉だと言われています。私も比叡山に行ったときに、入り口にこの碑が立っていたので知りました。安岡正篤氏も同じことを言われていたと思ったのですが、安岡氏は「一燈照隅 萬燈遍照」と言われているようです。
「「高校に魅力があれば、生徒は自然に集まる。存続、存続というのはかえってマイナスだ」と。魅力化とは、生徒にとって「行きたい」、保護者にとって「行かせたい」、地域住民にとって「活かしたい」、教員にとって「赴任したい」と思う、魅力ある学校になることであって、その結果として「存続」がついてくる。目指すべきは、高校の存続ではなく、魅力ある高校づくりなのだ。しかも、その魅力化は、一過性でなく、永遠に発展し続けるものであるべきだ、との想いが込められていた。」(p.24)
島前高校の存続のために、島前高校の後援会に呼びかけて、高校の存続問題に取り組むことが決まったそうです。その際、後援会に新しい名称をつけようということになり、校長の田中さんがつけたのが「隠岐島前高等学校の魅力化と永遠(とわ)の発展の会」という名前だったそうです。
過疎化が問題だからと言って、嫌がる人々を嫌がるままに地域に縛り付けても意味がありません。地域が魅力的なものであれば、自ずとそこで暮らしたい人は増えていきます。そして、そうでなければ意味がないのです。
「否定的な声や、冷淡な態度を思い出しては、「あんたたちの島や学校の問題なんだから、あんたたちがもっとやるべきだろ。なんで、この島やこの学校に縁もゆかりもないヨソモノの自分が、一人でこんなことやってんだよ」と空しくなった。
アイデアがあっても自分で何一つ決められず、何一つ動かせない状況がもどかしかった。成果が出ないところで時間とエネルギーを浪費しているのではないか。同じ時間とエネルギーをかけるなら、もっと人の役に立てる役割があるかもしれないのに。ここから大きく変えていけるのか。この高校に未来なんてあるのか。島に来て、本当によかったのか。疑問が腹の底に沈殿していた。」(p.32-33)
「「今までのシステムを変えようとするとき、新たな道を切り拓こうとするとき、必ず反発やコンフリクトがあるものだ。だからこそやる意味がある」。そして、「リーダーシップは苦難や修羅場の中で磨かれる。今はまさにその試練のときだ。ありがたい」。そんなふうに考えることで、岩本は自分自身を支えていた。」(p.33-34)
笛吹けども踊らず。人はなかなか動かないものです。当たり前と言えばそうですが、岩本さんにも苦悩の時期があったのです。
けれども、そこで諦める人ではなかったようです。逆境をバネにして、むしろ好機と捉え、前進し続けたのですね。
「島前地域に長年続いてきた[若者流出 → 後継者不足 → 既存産業の衰退 → 地域活力低下 → 若者流出]という「悪循環」を断ち切り、[若者定住 → 継承者育成 → 産業雇用創出 → 地域活力向上 → 若者定住」という「好循環」に変えていくためには、地域のつくり手を地域で育てる必要がある。それは「田舎には何もない」「都会が良い」という偏った価値観ではなく、地域への誇りと愛着を育むこと、そして、「田舎には仕事がないから帰れない」という従来の意識ではなく「自分のまちを元気にする新しい仕事をつくりに帰りたい」といった地域起業家精神を醸成することで可能となる。そのことを踏まえると、島前地域唯一の高等学校である島前高校の存在意義は、地域の最高学府として、地域の医療や福祉、教育、文化の担い手とともに、地域でコトを起こし、地域に新たな生業や事業、産業を創り出していける、地域のつくり手の育成にあるといえる。
とはいえ、高校卒業時に島へ残るよう無理に押し留めるようなことや、「遠くへ行って欲しくない」と近場に抑えようとすることは、生徒たちの可能性の開花を阻害するので、すべきではない。島から出る生徒は、「手の届く範囲に」などと小さいことを言わず、海外も含めて最前線へ思い切り送り出す。ブーメランと同じで、思い切り遠くへ飛ばしてあげた方が、力強く元の場所へ還ってくるだろう。」(p.38-39)
田舎あるあるですが、地方には仕事がないから都会に出る、都会に出ればそこが快適だから戻らなくなる。太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」で歌われたように、そういう現象が全国にあります。それもこれも、地方が魅力的ではないからですね。
「三人はそれぞれの仕事を終えて深夜に集まっては、学校や三町村で起こった問題について協議した。「できない言い訳ではなく、できる方法を考えよう」を合言葉に、現場・現実志向の浜坂、歴史・文化を重んじる吉元、理想・未来から発想する岩本、三者が心から納得できる解決策を常に探した。議論の際は、浜坂が持つ教員や生徒、学校の視点、吉元が語る保護者や、行政、地域の視点、岩本の持ち込む島外や社会、グローバルな視点など、三方それぞれにとって良い、「三方よし」を大事にしていた。」(p.43-44)
島前高校の改革プロジェクトには、さらに社会教育主事という制度を利用した浜坂健一(はまさか・けんいち)さんが加わります。浜坂さんは、西ノ島町で小学校教員をしていましたが、島前三町村の融合のため、海士町以外の町村から人材を求めていたのです。粘り強く頑張れて、新しい発想にも柔軟に対応できる人材として選ばれました。
三人寄れば文殊の知恵と言いますが、個性の違う3人が1つの目標に向けて心を1つにすることができれば、たいていのことは叶うと言われます。吉元さん、岩本さん、浜坂さんの3人は、ワーキングメンバーとしてプロジェクトを推進していったのです。
「二人から「今までの実績のアピールや日本の教育を変えたいといった大きな話はせず、島の祭りや奉仕活動に参加した方がいい」と釘をさされたこともあり、地区の清掃や綱引きの練習にも熱心に取り組み、口より手足を動かし、汗をかいた。一年過ぎた頃には、言われたことの意味がわかるようになった。もう一人のスタッフである伊藤も、自分にできることをやろうと、毎日欠かさず、後鳥羽上皇に所縁(ゆかり)のある隠岐神社の境内を掃除した。こうした一つひとつの行動が、地域からの信頼を培っていった。」(p.93-94)
人材育成会社の学校事業部の責任者だった豊田庄吾(とよた・しょうご)さんもワーキンググループに加わることになりました。高校が思い通りに動かないので、塾のような課外学習のための学習センターを立ち上げ、その運営の人材を求めていたのです。
新しく入った人もまた島外の人ですから、地域住民から信頼されることが最優先なのですね。だからいきなり上から目線で新しいことを押し付けようとするのではなく、地域でやっていることに一緒に取り組み、その中で信頼されることが重要なのです。
「「三方よし」の根本は、他者理解にあるからこそ、学校とはできる限りコミュニケーションをとって意思疎通することに努めた。例えば、生徒が豊田に、ある問題集の中の全文訳のコピーがほしいと言ってきた。不思議に思いすぐに学校に問い合わせると、「生徒自身に訳させ、力をつける意図で全文訳は渡していない」ということがわかった。迷わず、生徒にコピーをやめさせた。その教員は「こういう電話は助かります、ありがとうございます」と喜んだ。」(p.98)
学校が動かないから学習センターを創ったとは言え、学校は敵ではないのです。助け合い、協力し合って、同じ目標に向かって突き進む仲間です。その前提があるから、相手を立てるということができるのですね。
「岩本は、島留学で高い期待を持った生徒や保護者が来て、現場でどんどん注文することで、現実を理想に引き上げていこう、という思いがあった。また、全国から多彩な「脱藩生」を募集するのだから、今までのやり方が通用しない、ある程度の軋轢(あつれき)や波乱は「あるもんだ」という前提だった。それを一つずつ克服していく過程を通して、生徒も学校も問題解決力が磨かれ、魅力が増していくと考えていた。一方、教員には、「トラブルがあったら困る」「そもそも問題は起こさないことが大切」という考え方が強くあった。」(p.102)
島前高校の生徒数を手っ取り早く増やすために、全国から留学生を募集したのですね。それが刺激となって、外界を知らない島の子どもたちも活性化していく。そういう目論見があったようですが、温度差というものはどこにでもありますね。さらに応募する側も期待したものとは違うという現実も露呈し、結果的に、最初は上手くいかなかったようです。
「島外からの生徒募集に関しては、離島の高校が持つ構造上の課題を隠さずに、逆にセールスポイントに変えていく広報戦略に変更した。
「島には、コンビニ、ゲームセンター、ショッピングモール、アミューズメントパークなど、早く簡単に楽しませてくれる、便利で快適なものがない。そうした環境だからこそ、忍耐力や粘り強さが育ち、限られた資源の中で ”あるもの” をうまく活かして豊かに生きていく知恵が身につきやすい」「波が高くなれば船は欠航し、移動もままならない。だからこそ、自然への畏敬の念やどうしようもないことを受容する力だつく」。」(p.110)
何ごとも、それ自体に「良い」も「悪い」もありません。欠点だと思われていたことが、見方を変えれば長所になります。だから隠さずに正直にすべてをさらす。それを欠点だと見たい人はそう見ればいい。けれども、「だからこそ長所だ、という見方もある」ことを提示することで、納得して島にやってくる留学生を募集したのです。
ピンチはチャンスでもあります。だからまずそのものをありのままに受け入れる。正直に語る。そういうことが、大切なことだなぁと思います。
「退散しても、またアポもなしに現れる岩本と吉元。県教育委員会のある職員は、「倒しても倒しても、また立ち上がって新たな提案を持って向かってくる。こっちはファイティングポーズで構えているのに、向こうは笑顔で無防備に近づいてくる感じだった。次第に、今度はどんなのを持ってきたんだよ、と少しだけ楽しみにもなった」と言う。」(p.144)
高校そのものもそうでしたが、県教委はさらに動かない壁だったようですね。それに対しても歯向かうのではなく、味方だという前提で、諦めずに立ち向かったのです。
かつてヤコブは天使と組み討ち(相撲のようなもの)をして、負けているにも関わらず諦めずにすがりつき、祝福を勝ち取りました。旧約聖書にある物語ですが、そこから「イスラエル(勝利者)」という名前が始まったのです。ものごとを動かす力は、相手に勝つ才能ではなく、何があっても負けないと粘る根性なのです。
「島がこれだけ大変な中で、町長さんは給料を半分にしていたり、批判されてもいろいろ新しいことに挑戦しているじゃないですか。悠さんみたいなIターンの人たちだって、この島と関係ないのによそから来て、何か本気で頑張ってるじゃないですか。そういう人たちの話を聴いたりその姿を見たりする中で、だんだん思うようになってきたんです。自分もなにかやりたい。この人たちと一緒に、自分もはやく戦いたいって」。
それを聴いて理解できた。凝った教育プログラムや優れた教育ツールが彼らの想いを育てたんじゃない。結局、人が人を育てているんだと。」(p.180)
このプロジェクトによって、高校生たちの目の輝きが変わったのです。それは、魅力的な大人たちの生き様に刺激を受けたことで、自分の内なる欲求が噴出してきたようです。
諦めない。情熱を持って挑戦し続ける。倒されても倒されても立ち上ががる。泣き言を言わない。笑顔で突き進む。そういう生き様が人々の感動を呼び、協力したいという想いを呼び覚まし、人々の心に火を灯したのですね。
こんなことが、ふるさと島根県の過疎化が進む島で起こっていたなんて、本当に知りませんでした。そして、思いました。田舎を活性化させるのは、風光明媚な景観とか人々を引き付ける施設ではなく、人そのものだということ。情熱を持ったたった1人の人から始まり、それが3人となって力を合わせることができるなら、その地域は変わる。
あとは、それを誰がやるかということだけですね。誰?・・・その答えは、常に1つしかありません。「わたし」ですね。要は、常に私がやるかどうか、それだけが問われているのです。
まぁ、私が何をやるかはさておいて、このような感動する本に出会えたことは、私にとって望外の幸せです。このような本を世に送り出してくださった方々、紹介してくださった方、本当にありがとうございました。
2024年01月04日
追跡 税金のゆくえ
最近、X(旧Twitter)で減税関係のポストをリポストしたりしています。その関係で知った本だと思います。
著者は毎日新聞の経済部の記者で、高橋祐貴(たかはし・ゆうき)氏です。いくつか本を執筆されてもおられるようですね。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「また、このことを経産官僚に聞くと「大手頼み」である実態を認めた。
「電通は人や会社を差配する力がある『何でも屋』で、立案力も含めて社員の能力が高い。政策実行を官庁だけで考えるとなると、質、スピードが落ちてしまう。持続化給付金事業もじっくり業者を選定すれば1年かかる」
さらに経産省OBは、「官僚のむちゃな要望、案件も引き受けて及第点を出す企業で、使い勝手が良い」と発注が大手広告代理店に偏る背景を明かした。」(p.32-33)
政府が支援金を給付するなどの事業をしようとした時、政府が直接それをやることはありません。必ずどこか民間企業にとりまとめをさせるのです。
けれども、そうすることで予算の中抜きが行われるなどの問題が起こる。そういう実態について、高橋氏はインタビューなどから構造を明らかにしていきます。
「法務省の推計によると、一般社団法人は2019年12月時点で約6万法人。実際はこの数字以上の法人が存在すると見られている。公益社団法人には予算書や事業計画書などを毎年度、内閣府や自治体に報告する義務がある一方、一般社団法人は定款や社員名簿、貸借対照表を備え、最低限の決算公告を求められる程度だ。一般社団法人の設立数を調査したことがある東京商工リサーチの担当者は「監督官庁がないため、一般社団法人には不透明な実態が多く、正確な情報がつかめない」とこぼす。調査のプロでもお手上げだった。」(p.34-35)
「第1次支払い先と請求の関係は、経産省と一般社団法人なんです。ということは、一般社団法人とか公的なイメージがあるところを介した請求と支払いで済んでしまうんですよ。そこから他の会社に再委託や外注をするんですけど、広告会社の内部規約では、第2次支払い先の原価は開示しないということになっていまして。だから、会計検査院の確定検査が第1次支払い先で止まってしまうんです。仮に経産省からサ推協に800億円払いました。そこからさらに広告代理店に700億円で流した場合、800億円の明細さえクリアになっていればいいんですよ。広告代理店に700億円だけ払いましたって証明だけすればいいんです」(p.47)
「官僚サイドを取材していても、誰もが委託業者の原価がいくらなのか、利益は一体どれくらいなのか、分からないと首をかしげていた。知らないフリをしているのではないか。そう思ったこともあったが、どうやら本当に知らないようだ。もしくは知ろうとすることで関係性が崩れる懸念があったのだろうか。」(p.48)
つまり一般社団法人は会計報告の義務がほとんどなく、一般社団法人を挟むことで、堂々と資金の流れを隠せるということですね。
政府側は、自分たちではできないことを一括して丸投げすることができる。実際に元請けとなる広告代理店は、好き勝手に差配して儲けられる。実際の業務は、その下請けや孫請けが行う。けれども、その実態は政府に報告する必要もない。
政府も、元請けも、それぞれに都合がいいのです。だから手つかずで、税金がじゃぶじゃぶ流れています。
「類似の事業がないと比較もできないので相場って適当なんですよ。この事業って例えば600億円ぐらいだろうっていう相場感で。じゃあ、そこから値引きや交渉があることを考えて580億円にしようって。ある程度の線引ができたら10億円くらい粘ってみようと。つじつまを合わせるための資料、見積もりを作っていると思います。オリンピックはじゃぶじゃぶってことがこの資料からよく分かります」(p.77)
東京オリンピック関連の資料を見た経産省幹部の意見だそうです。
私も、あんな大規模なイベントの予算がどうやって決まるのか不思議でした。細部を積み上げれば可能かもしれませんが、それでは非常に大きな労力がかかるし、実際にやってみれば計画どおりにならないことも多々あるでしょう。
私自身、コンピュータシステムの開発に携わっており、小さなシステムの見積作成をしたことがあります。だいたいの規模感と、その規模に単価を掛けて見積もるというやり方が主流でした。けれども、その規模が本当に合ってるのか、単価は適正なものか、なんとも言えないという気持ちはありました。それに、開発段階での仕様変更もよくあることで、どこまでの仕様変更は無償で認めるとか、その辺もさじ加減でした。
こういう経験からしても、大規模イベントに関わる経費の算出は、並大抵のことではないと思うのです。そうであれば、その元請け企業が出す見積もりは、かなり水増しされたものにならざるを得ません。また、実際に動き出してから追加請求があることも十分に考えられます。
もし、これを企業が手掛けたならどうするでしょう? もっと念入りに予算を考え、その経費を上回る売上をどう捻出するかを考え、その見積もりが妥当だと判断できなければGOサインは出されません。赤字になる可能性が限りなく払拭できない限り、あるいは赤字になってもやる意義があるという経営判断がない限り、GOは出ないのです。
しかし、これを行政がやれば別です。原資は税金であり、株主のようにいちいちうるさいことは言いませんから。だから元請けが出す適当な見積もりも受け入れるし、動き出した以上は追加支出にも応じるしかなくなるのです。
だから、行政が事業をしてはいけないのです。行政には事業をやる能力がないし、責任を取らないからです。企業なら、もし事業に失敗すれば株主に対して責任を負うし、最悪、倒産ということになり、市場からの撤退を余儀なくされます。けれども行政は、地方自治体と言えども滅多なことでは破産しませんから。
「ゼロゼロ融資は、利子を各都道府県が、返済不能となった場合の焦げつきリスクを信用保証協会が受け持つ制度だ。お金を借りる企業の利子・担保負担を「ゼロ」にする制度で、仮に事業者が返済不能になったとしても、政府や都道府県、信用保証協会が代わりに受け持つことになる。」(p.118)
「金融機関から見ると、融資先の返済が焦げついても信用保証協会が肩代わりしてくれ、利子は都道府県が支払ってくれる側面があり、リスクを負うことなく、貸せば貸すほどもうかる構図となっている。
さらに疑問視する使途もある。政府融資の使途は運転資金と、新型コロナ対策のための設備投資に限定されているが、神戸市内の50代の中小企業経営者は、株式投資など「マネーゲーム」の原資にしていると明かす。」(p.118-120)
「「補助金や給付金、交付金は企業を受け身にさせ、常識的な経営者でさえ補助金をもらうことが目的となり、その間は自分が何をするべきかという考えを奪われてしまう。コロナ禍の政策はある種の麻薬になってしまっている」
中山社長も、補助金や給付金ありきの政府の支援スキームに思うところがあるようだった。
「雇用調整助成金や事業再構築補助金といった支援制度のおかげで金銭的なバックアップがあるのはありがたいです。でも、社員のスキルが上がっていくわけではないのが悩みどころでね。安くても仕事をすれば、加工の腕も上がるし。例えばコロナをきっかけに社外留学とかさせられないかとも考えたけど、それも申請してみないと分からなくて結局できなかった。」(p.124-125)
政府など行政による事業もさることながら、こういった事業者への補助金制度は、往々にしてこういうことになります。
行政が事業者を救済しようとすれば、無駄にお金が使われたり、コストがかかったり、本来なら市場から撤退すべき役立たない事業を延命させることになるのです。
また、行政が補助金を支給するための選別基準がわかりにくかったり、申請書類の書き方がわかりにくかったりして、本来の目的が生かされない事態が多々あります。本来は、事業者が自由に使えるお金を手にするハードルが低くなって、事業者の自由裁量で使って事業に役立てるべきです。けれどもそこで、何でもかんでもお金をバラまいたのでは、事業に役立てるという目的すらないがしろにされてしまうことが起こるのです。
「企業や地方などを挟むと、国からの本人に交付される公金が届きにくくなったり、本来とは違う趣旨で使われたりしやすくなる。だから、こうした公金の配り方の見直しや直接支給・申請を求める声は根強い。前章で紹介した小学校休業等対応助成金や地方創生臨時交付金はその一例だ。電子申請などのデジタル化を進めれば、国民の意向に合わせて直接支給することはいとも簡単にできるが、一筋縄ではいかない。むしろ、利便性が高まることを拒んでいるように映る。」(p.151)
私は、事業に対して行政が補助金を出すような政策は、なるべく減らした方がいいと思っています。それはこれまでにも書いたように、無駄が多く利権を生じやすいからです。
けれども、どうせ配るのであれば、補助金の趣旨が明確であること、その用途に使うことが明白であり、効果が検証できること、申請が容易であることが重要だと思っています。
少なくとも、どこにいくらどういう目的で支給したかを公開すればいいと思います。そうすれば、それを見た人が自由に検証できますから。
そして、申請の容易さを推進する上でデジタル化(オンライン化)は必須でしょう。いまだにFAXでとか、申請用紙に手書きでとか、無駄な押印が不要になったのは良いとしても、まだまだ進んでいません。
さらに言えば、行政関係の支払いに現金を求められることがほとんどですが、これも何とかしてほしい。せっかくコンビニで利用できるにも関わらず、デジタルマネーが使えないことが多いのです。
「2022年度からは、単年度の事業費が10億円を超える場合は四半期ごとに支出状況や残高を公表することにしている。財務省幹部は「これまで基金のチェックは会計検査院や行政事業レビュー頼みだった」と話し、著しく成果が低い場合は予算の削減も検討する構えを見せる。
ただ、一時的なチェックは事業を所管する省庁任せになるため、どこまで基金の見直しにつながるかは不透明だ。それに加え、基金全体でどれだけの額がつぎ込まれてきたかは財政当局でさえつかめずにいる。」(p.225-226)
政府の予算は、通常は単年度で使い切るものです。それはそれで弊害があることもあり、最近は複数年度を見越した「基金」という制度が使われているようです。
しかし、それによって一層、予算と事業内容の妥当性の評価がしづらくなっているようですね。ただでさえ、行政が行う事業の評価は難しい面があります。企業と違って、儲かるかどうかというわかりやすい指標がないからです。
だからこそ、これまでも書いているように、行政が事業をやってはダメなのです。
「2021年5月、中央省庁の抽出した事業を有識者らがチェックする「行政事業レビュー」では、河野行政改革担当相(当時)がトヨタを念頭に「水素自動車を売っているところが真剣に水素ステーションを作っていないのに、(予算を投じる)意味があるのか」と批判した。政府内にも、「トヨタのための政策ではないかと思うほどだ」と皮肉る声がある。」(p.231)
私は、ここにヒントがあると思っています。政府主導で水素エンジンに切り替えようとしても無理があるのです。それで経済的にペイできるかどうか、より正確に判断しているのは企業の方です。だから、事業は企業に任せるべきなのです。
もし、自動車メーカーが真に水素エンジンの方が利があると思うなら、多少のコストを掛けてでも水素ステーションの普及を推進するでしょう。そうしないのなら、まだ機が熟していないのです。
でもそうすると、いつまでたってもこれまでの技術や制度を使い続けることになり、CO2削減というような政策目標が達成できないと思われるかもしれません。でもそれは、炭素税などでコストが年々高まることがわかれば、企業はその上でどうするかを自由に考えて判断するでしょう。
EV車の購入に補助金を出すような制度も、行政が事業に口出ししているのです。
自動車メーカーが、本当にEV車を普及させたければ、儲けを削ってでも売ろうとするでしょう。そうすることで数年後に儲かるようになるなら、企業はそういう判断をします。
だから政府は、国民に自動車購入のバウチャーを配ればいいだけなのです。あとは何を売りたいと思うかは企業の自由に任せればよく、何を買うかは国民の自由に任せれば良い。ただ、年々炭素税が重くなるから、早い段階でシフトしていかないと企業経営は大変になるよ、という状況を作れば良いだけのことです。
「予算を事業ごとにシート化し、それをもとに官僚や外部有識者が口角泡を飛ばして妥当性を議論する。目的は「無駄撲滅」というより、公開によって「政府への信頼を向上させること」(閣議決定文)にある。政府データを誰もが自由に二次利用し、新しい市場や価値を創出することを期待するオープンガバメントには程遠いが、行政事業レビューの真の狙いを霞が関に官僚に再認識させ、レビューシートを使えるモノにしなければならない。」(p.237)
地方行政にも事務事業評価があり、評価シートを公開している地方自治体も増えてきました。そういう情報がオープンにされ、みんなでチェックして自由にレビューをつけられるようにすればいいと思います。
けれども、これまでにも書いたように、多くの事業に到達目標がありません。やることだけが目標であり、その妥当性をチェックする方法がないのです。
たとえば、男女同権意識の向上を図るための啓発事業などがそうですね。ただこんなことをやりましたというだけ。それによって、どんな効果があったのかを検証する仕組みにはなっていません。
だから、行政に事業をさせてはいけないのです。無意味に、無駄に、税金を使い続けるからです。
本書を読んでみて、これまで漠然と思っていた「行政が事業をやると無駄が多くてコストが嵩み、利権の温床になるだけだ」という考えが、より一層強くなりました。
やっぱり政府や自治体に事業をさせてはいけないし、補助金行政は可能な限り減らしていかなければならないと思います。そうやって小さな政府にして、国民や住民の自由を増大させることが大事だと思います。
ただし、セーフティネットは必要です。必要どころか重要です。なぜなら、セーフティネットがあることによって、人々は安心して自由に活動できるようになるからです。セーフティネットとしては、これまでの自治体が事業をやるような生活保護制度ではなく、ベーシック・インカムのように一律に給付するという形がベストだと思います。
行政を小さくして人々の自由を大きくする。それが私たちの幸せにつながると、改めて思いました。
2023年12月27日
心屋仁之助
心屋仁之助(こころや・じんのすけ)さんのことを知ったのは、友人から勧められたのがきっかけだったかと思います。それなら本を読んでみようと思って読むと、実に素晴らしいことが書かれている。それで気に入って、それ以降はよく買って読むようになりました。
心屋さんは、元々は佐川急便のドライバーをされていたとか。ただ、その生活に満足されず、心理カウンセラーになろうという思いもあってか、いろいろ研鑽を積まれて、独自の手法によるカウンセリングを確立されました。後にTVにも出演されるようになり、心屋さんが何かを指摘したり、尋ねたりすることで、相手の方が感極まったり、泣いたりするというような現象が起こり、話題になったそうです。
そのころ私はタイにいて、日本のTVはほとんど見ていなかったので、そういうことは全然知らなかったのです。
一般的には、心理学を駆使したカウンセリングと受け止められているようですが、私は、多分にスピリチュアル的な要素が加わっているように感じました。まぁ、潜在意識とかを突き詰めていけば、スピリチュアルと混ざってきますから、そういうこともあるのかもしれませんけどね。
その後、武道館でライブをされるというので、一時帰国した時に行ったことがあります。遠くからですが、ぜひ一度お会いしたいと思ったからです。その頃は、すでに音楽活動に目覚めて、音楽でやりたいことをやろうとされていましたね。今はこれまでの「心屋」というブランドを卒業し、Jinまたは佐伯仁志(さえき・ひとし)という本名で、活動されているようです。
◆心屋仁之助さんの本(翻訳、対談を含む)
・「望んでいるものが手に入らない本当の理由」
・「あなたは「このため」に生まれてきた!」
・「ダメなあいつを、なんとかしたい!」
・「「非常識」でコミュニケーションはラクになる」
・「幸せなお金持ちになる本」(雑誌「ゆほびか」)
・「一生お金に困らない生き方」
・「「好きなこと」だけして生きていく。」
・「それもすべて、神さまのはからい。」
・「ずるい生き方」
最近は、X(旧Twitter)で発信されている情報を読んでいます。「Jin 佐伯仁志」というアカウントですね。相変わらず素晴らしい言葉を発しておられるので、私もよくリポストさせていただいています。
もう心屋としての活動はされないとのことですが、これからまたどう気が変わるかはわかりません。方法は違うとしても、これからも人々が幸せなる生き方に関するメッセージを発していかれることでしょう。ご活躍をお祈りしています。
※参考:「損を引き受ける覚悟」、「不安は不安のままでいい」、「自殺は悪いことですか?」、「神は怒らない」、「心屋仁之助さんのブログについて」
心屋さんは、元々は佐川急便のドライバーをされていたとか。ただ、その生活に満足されず、心理カウンセラーになろうという思いもあってか、いろいろ研鑽を積まれて、独自の手法によるカウンセリングを確立されました。後にTVにも出演されるようになり、心屋さんが何かを指摘したり、尋ねたりすることで、相手の方が感極まったり、泣いたりするというような現象が起こり、話題になったそうです。
そのころ私はタイにいて、日本のTVはほとんど見ていなかったので、そういうことは全然知らなかったのです。
一般的には、心理学を駆使したカウンセリングと受け止められているようですが、私は、多分にスピリチュアル的な要素が加わっているように感じました。まぁ、潜在意識とかを突き詰めていけば、スピリチュアルと混ざってきますから、そういうこともあるのかもしれませんけどね。
その後、武道館でライブをされるというので、一時帰国した時に行ったことがあります。遠くからですが、ぜひ一度お会いしたいと思ったからです。その頃は、すでに音楽活動に目覚めて、音楽でやりたいことをやろうとされていましたね。今はこれまでの「心屋」というブランドを卒業し、Jinまたは佐伯仁志(さえき・ひとし)という本名で、活動されているようです。
◆心屋仁之助さんの本(翻訳、対談を含む)
・「望んでいるものが手に入らない本当の理由」
・「あなたは「このため」に生まれてきた!」
・「ダメなあいつを、なんとかしたい!」
・「「非常識」でコミュニケーションはラクになる」
・「幸せなお金持ちになる本」(雑誌「ゆほびか」)
・「一生お金に困らない生き方」
・「「好きなこと」だけして生きていく。」
・「それもすべて、神さまのはからい。」
・「ずるい生き方」
最近は、X(旧Twitter)で発信されている情報を読んでいます。「Jin 佐伯仁志」というアカウントですね。相変わらず素晴らしい言葉を発しておられるので、私もよくリポストさせていただいています。
もう心屋としての活動はされないとのことですが、これからまたどう気が変わるかはわかりません。方法は違うとしても、これからも人々が幸せなる生き方に関するメッセージを発していかれることでしょう。ご活躍をお祈りしています。
※参考:「損を引き受ける覚悟」、「不安は不安のままでいい」、「自殺は悪いことですか?」、「神は怒らない」、「心屋仁之助さんのブログについて」
タグ:心屋仁之助
2023年12月01日
ミルトン・フリードマンの日本経済論
おそらくX(旧Twitter)で経済理論の大家として名前の上がるフリードマンの理論を知って感動し、じっくり本を読んでみたいと思って、ネットで探して買った本になります。
著者は柿埜真吾(かきの・しんご)氏で、立教大学で講師を勤めておられたこともある研究者で著作家の方のようです。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「ミルトン・フリードマン(Milton Friedman 1912-2006)は、20世紀を代表する経済学者である。フリードマンは自由市場経済の重要性を説いた経済思想家でもあり、英国のサッチャー政権や米国のレーガン政権の経済改革に大きな影響を与えたことで知られている。」(p.3)
経済学者としてはケインズが有名ですが、フリードマンも第2位に選ばれるほど有名なのだそうです。
「日本ではしばしばフリードマンの思想を嫌うあまり、その業績を認めない風潮さえある。フリードマンに市場原理主義者、弱者切り捨てといったレッテルを張ったセンセーショナルな書籍は巷に溢れているが、田中秀臣[2006、2008]の優れた研究が指摘するように、その多くは事実誤認が少なくなく、信頼できないものばかりである。フリードマンが実際に何を言っていたのかは日本ではほとんど知られていないのが現状である。日本とは縁遠い米国の過去の経済学者だ、というのが一般的なイメージだろう。」(p.6)
このように、フリードマンは日本ではあまり評価されていないようですね。
「当時、多くの人々は、住宅不足は人口に比べ住宅の数が少なすぎるためで、家賃統制とは無関係だと信じていたが、フリードマンたちは、家賃統制がなかった1906年のサンフランシスコ地震の際には、住宅がはるかに少なかったにもかかわらず、貧しい人々も住宅を手に入れることができたことを指摘し、住宅不足の真の原因は家賃統制だと主張した。家賃統制で家賃が低い水準に人為的に抑え込まれると、家主にとって家を貸すのは不利になるので、借家の供給は減少するが、家賃の低下で借家需要はむしろ増加し、住宅不足が深刻になる。
住宅不足の下では、家主は好みの借家人を選別できるため、マイノリティーの借家人や貧困層は偏見や差別の犠牲になりやすい。家賃統制は家賃を抑え、貧しい人々の生活を助けることを意図しているが、実際は住宅不足をもたらし、貧しい人々の住宅を奪ってしまう。」(p.27)
1946年にミネソタ大学に赴任したフリードマンは、家賃統制が住宅不足を引き起こしていると主張し、大論争を巻き起こしたそうです。
しかし、言っていることは至極まともですね。需要供給曲線からしても妥当です。そして、これがまさに統制経済のまずいところです。一部エリートの思惑通りには経済は動かないのです。
「今話題のベーシックインカム(政府が必要最低限の所得額を国民に給付する制度)も、じつはかつてフリードマンが提唱した画期的な貧困対策、負の所得税を発展させたものである。従来の生活保護制度は、受給者が働くと、その分給付額が減らされてしまうため、受給者の就労を妨げてしまう欠点がある。いったん生活保護受給者になると、その状態から抜け出すのは困難になりがちである(この現象を貧困の罠と呼ぶ)。」(p.41-42)
「負の所得税は、通常の所得税制度と一体で運用されるため、生活保護者に対する差別や屈辱感等の問題も起きにくく、受給者の尊厳を守ることができる。」(p.42)
アメリカやイギリスなどでは、給付付き税額控除として運用されているもので、控除しきれない分は給付されるというものです。私も、現行の生活保護制度には大きな問題があると思っていて、ベーシック・インカムによるセーフティネットの構築が必要だと考えています。
「ハイパーインフレやデフレを収束させるには一過性の政策ではなく、人々の予想を転換させる政策レジームの転換が必要であることが指摘されてきた。1998年から15年も続いた日本のデフレは現在ほぼ終息したが、これは安達[2014]等が指摘するように、2013年以降の2%インフレ目標採用と大胆な金融緩和という政策レジームの登場でデフレ予想が払拭されたことによる部分が大きいといえるだろう。」(p.60-61)
「フリードマンは試行錯誤を続けたが、最も有名なのはk%ルールである。k%ルールとは、貨幣量を毎年一定のスピード(k%)で増やし続けるルールである。フリードマンは、中央銀行がその時々の経済状況に合わせて裁量的政策を実施するよりも貨幣量をつねに一定のスピードで増やすほうが結果的には経済を安定させる、と議論した。」(p.62)
「ニュージーランドをはじめ、1990年代以降のインフレ目標採用国の経験は、インフレ目標政策がインフレ予想を安定させ、効果的に機能することを示した以上、晩年のフリードマンがインフレ目標政策に好意的だったのは何ら驚くに値しない。」(p.66)
フリードマンは、貨幣量が一定率で増え続けることで穏やかなインフレと経済成長が達成できると考えていたようで、アベノミクスはまさにそのフリードマンの理論に従ったものになっていたようです。
「ステレオタイプな日本像とは対象的に、フリードマンは、早くも1960年代に日本経済の成功を自由市場経済と結びつけていた。フリードマンは、雇用をはじめとする日本の制度の特殊性を認めながらも、「日本人は、これらの制度の枠内で、経済的諸力を活用させる方法を実に器用に見出している」と指摘した。具体的には「終身雇用とは別に臨時雇用を採用」しており、「臨時雇用は解雇や整理の対象となる」ことや「大企業はより柔軟性を得るために大量の下請け企業を抱えている」ことを挙げている。」(p.81)
「フリードマンによると、日本は統制経済の有効性を示す実例どころか「自由な社会こそが発揮できるいくつかの素晴らしい利点を、経済の面においても政治の面においても示している非常によい実例」である。フリードマンが証拠として挙げたのは、日本の経済成長が自由市場、自由貿易の時代に加速し、身分社会だった江戸時代や、太平洋戦争時の戦時統制経済の時代には停滞したという事実である。
明治時代の日本は「自由貿易の効果を証明する顕著な実例」であり、戦後の経済成長も自由市場の成功を物語っている。フリードマンは、日本を文化や制度は違っても、欧米と同じ自由市場経済だと見なしていた。」(p.82)
日本の経済は特殊であり、その特殊性のゆえに驚異的な発展ができたという見方が一般的でした。だから一時は日本に見習えとさえ言われました。しかし、その後、日本経済が失墜すると、手のひらを返したようにそれが日本経済の特殊性によるものだとされたのです。
フリードマンは、一見すると特殊に見える日本経済も本質的には自由市場経済だと見抜いていたのですね。
「不幸にして、フリードマンの懸念は、またしても的中した。やがて明らかになるように、バブル経済の崩壊は長い日本経済停滞の序曲にすぎなかったのである。フリードマンの期待に反し、日銀は、不況の深刻化にもかかわらず、大胆なハイパワード・マネー拡大に踏み切ることはなかった。1991-1999年のハイパワード・マネーの成長率は5.2%にすぎず、1980-1990年の平均7.9%を大きく下回っている。」(p.132)
バブル崩壊後の日銀の金融政策が間違っていると、当時、フリードマンは指摘していたのですね。
「日本経済復活のために真っ先に必要な改革の一つはデフレを終わらせることである。
「健全な回復への最も確実な道は、貨幣量の成長率を高めることである。緊縮的金融政策から金融緩和に転換し、貨幣量の成長率を(バブル期のように)再びやり過ぎにならないように気をつけながら1980年代の黄金時代に近づけるのである。そうすれば、喫緊の金融・経済改革も達成しやすくなるだろう」
その後の日本経済の回復は、フリードマンの診断の正しさを明らかにするものである。2000年代半ばの景気回復で、かつて存続の見込みがないとされた「ゾンビ企業」の多くは復活している。結局、不良債権の多くはデフレによって発生したものだったのである。」(p.150-151)
失われた20年とも30年とも言われるバブル崩壊後の日本経済ですが、アベノミクスからようやくデフレ脱却に舵を切り、経済が回復してきました。この一連の経済変化に関係する金融政策は、フリードマンの予想通りだったと言えるようです。
「1993年時点でフリードマンが貨幣量の減少から戦後最悪の不況を予想したことについては、すでに述べた通りである。また、卸売物価指数やGDPデフレーターで見れば、1995年以前から物価はすでに下落していた。岩田[1995]は「卸売物価については92年から95年前半にかけて持続的に低下しており、日本経済はデフレ状態」と指摘し、デフレスパイラルに陥る危険性を警告していた。岩田[2019]が指摘するように、日銀が彼らの声に耳を傾けていれば、デフレを阻止する強力な金融政策を実施することは十分可能だったはずである。」(p.158)
「日銀の金融政策は公定歩合を見る限り一見大胆だが、実際は、貨幣量の成長率で判断すれば「小さすぎ、遅すぎた」のである。」(p.160-161)
「失われた20年の日本の金融政策は、歴史に学ぶことなく、大恐慌下のFRBや1970年代のスタグフレーションを引き起こしたオールド・ケインジアンの金融政策と同じ過ちを繰り返したと言わざるをえないだろう。」(p.163)
「健全な回復への最も確実な道は、貨幣量の成長率を高めることである。……日銀を擁護する人々はきっとこう言うに違いない。『どうやって貨幣を増やすのですか? 日銀は政策金利を0.5%に既に引き下げています。貨幣を増やすためにこれ以上何ができるのですか?』、と。答えは全く簡単である。日銀は公開市場で国債を買い、現金あるいは日銀当座預金、つまり経済学者がハイパワード・マネーと呼ぶものを支払うことができる。……日銀が望みさえすれば、貨幣供給を増やす能力に限界はない」(p.165)
デフレからの脱却のためには貨幣量を増やすことであり、貨幣量を定率で増やし続けることなのですね。
「2000年8月には、速水総裁は政府の反対にもかかわらず、ゼロ金利解除を強行した。中原審議委員はゼロ金利解除に反対したが、孤立無援だった。当時のメディアは、政府の日銀批判は日銀の独立性への侵害であるとする政府批判一色で、日銀の決定自体の妥当性はほとんど問題にされなかった。まだデフレが続いていた当時、日銀の決定の無謀さは明らかだった。実際、その後デフレ不況は深刻化したが、政府に反対してまで強行した政策の失敗の責任を取った者は誰一人いなかった。
フリードマンは、中央銀行が政策目標を政府から独立に決め、外部の批判を受け付けない体制は非民主的で、経済的にも失敗をもたらしがちだと主張してきた。1990年代から2000年代の日銀の迷走はフリードマンの主張を裏書きしているように思われる。」(p.176)
政策責任を誰がどう取るのか。もちろん選ばれる人は、それなりの責任感を持って職務を遂行されるのでしょう。しかし、結果責任をどうするのかについては、考えてみる必要がありますね。日本は民主主義国家ですから。
「ジャパン・バッシングに反対したフリードマンならば、チャイナ・バッシングにもやはり反対しただろう。中国政府が国営企業の優遇措置や他国の疑念を招くような産業政策を放棄することは世界にとってだけでなく、中国の経済発展にとっても望ましいことだが、それは中国自身の問題である。トランプ大統領が米国を第一に考えるのであれば、消費者の利益を損ない、米国経済の効率を損なう保護主義政策は直ちに中止すべき政策だろう。
たしかに中国には人権問題や領土問題等の深刻な問題がある。だが、それは関税のような大雑把な手段ではなく、人権侵害やスパイ活動に関わる特定の危険人物への制裁、外交交渉、防衛力強化等の直接的手段で解決すべきである。貿易の利益を損ない、対立を煽るチャイナ・バッシングはかつてのジャパン・バッシング同様、双方に百害あって一利なしである。」(p.214-215)
「たとえば、改正子供・子育て支援法により2019年10月から、0-2歳児は住民税非課税世帯、3-5歳児は原則すべての家庭を対象に保育料が無料になったが、鈴木[2019]の提案するように無償化の際には、フリードマンの提唱した教育バウチャーの仕組みを活用することが望ましいだろう。無償化財源を保育施設に渡せば、経費の膨張や利用者を軽視した経営につながりやすい。利用者に保育施設を利用できる保育バウチャーを配り、施設側には保育バウチャーを通じて公費が渡る仕組みにすれば、認可外保育所と認可保育所の競争を促し、サービスの質向上や効率化が期待できる。」(p.217-218)
私も、自由市場経済こそが最適解だと思っています。保護主義がいかに世界を不幸にするか、第二次大戦で懲りているはずではありませんか。また、政府が事業に関与する補助金政策は、要は社会主義経済であり統制経済なのです。非効率であり、コストが嵩み、利権の温床になる。私も、バウチャーでも現金でもポイントでもいいから利用者(国民)にバラまいて、自由に使わせれば良いと思っています。
保育士不足の問題や待機児童の問題も、要は事業が成り立っていないからです。最初に引用した住居の賃貸価格の統制と同じです。またこれは、保育だけでなく介護も同じです。政府が事業をやれば、ろくなことにはならないのです。
本書を読んで、私の考え方はフリードマンの考え方に近いなぁと思いました。もっと規制を緩和して、自由度を高めればいいのです。
ただそうすると、能力のある人は儲かるけど、ない人は貧乏になり、貧富の格差が大きくなるという問題があります。それに対処することが政府の役割だと思っています。つまり、所得再分配です。
そこには、複雑なことをやる必要はなく、単に所得の多い人から一部を分けてもらい、それを所得の低い人に流していく。それだけでいいのです。
それを簡単にできるのがベーシック・インカム制度です。このセーフティネットによって、働けなくても人としての尊厳と生活が保たれます。最低限の生活が補償されるなら、あとはそれぞれの自由でいいし、自由であるべきだと思うのです。
2023年11月16日
今日、誰のために生きる?
Youtubeでたまたま動画を観て、そこに著者のSHOGEN(ショーゲン)さんと、ひすいこたろうさんが出演されていました。ショーゲンさんがアフリカのブンジュ村で聞いたり体験した話が興味深く、出版されたら読んでみようと思って予約してこの本を買いました。
非常に話題性があったためか、発売当初は品薄で、プレミアム価格で売る転売業者も多数ありました。私も最初は転売ヤーから買おうとしたのですが、入荷の予定がないままの見込み販売だったようでキャンセルし、沈静化してから通常価格で買いました。
ショーゲンさんの話は、Youtubeの動画を何本か観て、だいたいわかっていました。
100年以上前にブンジュ村のシャーマンが、縄文時代の日本人の魂から生き方を学び、それをブンジュ村に広めて、今はその生き方が村全体に定着していた。そこにショーゲンさんがやってきたが、最初は伝え聞いていた日本人のイメージとまったく異なるため、本当に日本人かと疑われる始末。しかし、本来の日本人らしさを日本人が取り戻すことが世界の希望だとわかっていたので、ショーゲンさんにそのメッセージを広めてもらおうとした。
このメッセージが本書にも書かれていました。
ただ1つ、動画にあったあるメッセージには触れられていませんでした。それは、2025年7月の話です。
動画では、2025年7月に何かが起こるというより、それ以降に世界が変化していくという話でした。津波とか大災厄の話はありません。
そのメッセージを本書でどう語っているのかが気になったのですが、まったく触れられていませんでした。つまり著者のお二人は、読者を不安がらせたり恐れさせるようなことはしない、という考え方なのでしょう。
不安を煽るのは偽物のスピリチュアルだと思いますから、少なくともお二人は、偽物のスピリチュアルとは一線を画しておられるのでしょう。書かれてなくて正解だと思いました。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「効率よく考えるのであれば、生まれてすぐ死ねばいい。
人はいかに無駄な時間を楽しむのかっていうテーマで生きてるんだよ。
お前の心のゆとりはどこにあるんだ?
お前の幸せはいったいどこに行ったんだ?」(p.7)
ブンジュ村の友だちで3歳のザイちゃんがお父さんに「流れ星をつかまえに行きたい」と言った時、お父さんは当たり前のように一緒に行って、1時間半くらい探して帰ってきたそうです。さらに翌日もまた行くと言うのでやめさせようとすると、お父さんはショーゲンさんに、「お前は流れ星をつかまえに行ったことがあるのか?」と問うたそうです。行ったこともないのに最初からできるはずがないと決めつけ、無駄なことをしようとしない。そういうショーゲンさんの態度を見て、お父さんはゆとりがないと指摘したのです。
たしかに、私たちは何のために生きているのでしょう? タイ語では、人生はしょせん「ギン、キー、ピー、ノーン(食って、糞して、やって、寝るだけ)」だと言います。それにいったい何の意味があるのでしょう?
ただ効率だけを考えるなら、生まれてもさっさと死んだ方が無駄がない。いや、生まれる必要すらない。私たちは、無駄をするために生まれてきたという逆説が考えられるのではないか。そんな気がします。
「その絵を見た瞬間に「これだ! これで生きていこう」と僕は思い、また絵からも「あなたも描けるよ、絶対できるよ」って応援されているように感じたんです。
そんなことは初めての感覚。心揺さぶられるものに出会ってしまった、という感じでした。
「もうアフリカに行くしかない!」
これを逃したら、二度とこんな衝撃には出会えないと思ったので、その日の夕方にアフリカ行きの航空券を買い、その翌日には会社に退職届を出し、僕は「この絵を描く」と覚悟を決めました。」(p.22-23)
こうして6年以上勤めた化粧品会社を辞めて、アフリカに渡ったのだそうです。たしかに衝撃的な出来事だったのかもしれませんが、素直に直感に従う姿勢、そして決断して行動するまでの素早さが、素晴らしいと思いました。
日本では昔から「思い立ったが吉日」と言っています。できるかどうかではなく、やるかどうか。やりたいかどうかだけなのですね。
「そして、最後に村長の奥さんが、僕にこう聞いてきました。
「この世の中からお金というものがなくなったとしたら、あなたは生きていける人間ですか?」」(p.32)
ショーゲンさんがブンジュ村で生活するにあたり、村長さんからは3つのことを尋ねられたそうです。それはブンジュ村に伝わる「幸せの3か条」で、「食事に感謝できるか」「日常的に挨拶を交わせる家族や仲間がいるか」「人の温もりがわかるか」の3つだそうです。
それに加えて奥さんからは、お金がなくなっても生きていける、つまり、仲間と助け合えるかどうかを尋ねられたのです。
それぞれ別の言い方ではありますが、要は他の人たちを愛せるか、愛し合えるか、ということだと思います。ブンジュ村で暮らすには、そういう人間であろうとする思いが必要なのですね。
「「おはよう。今日、誰のために生きる?
オレは自分のために生きるから。それではまた」
大人も子どもも、そう言います。
「今日も、自分の人生を生きられた?」
「今日は、どんないいことがあった?」
と聞きます。」(p.48)
「挨拶は「とりあえず言うもの」ではないんです。相手の顔をちゃんと見て、その人の状態を感じて声をかけるんです。
「ショーゲン、空を見上げている?」
僕はブンジュ村に来た当初、朝も昼も、こう挨拶されていました。それはカンビリさん家族だけではなく、通りすがりの人からも、です。
ここでは「空を見上げる心の余裕」を大事にしています。
「なんでショーゲンは、そんなに心に余裕がないの?」
と、よく言われました。」(p.48-49)
挨拶は、とりあえず言うものではなく、相手のことをよく観て、心から慮って言うもの。ブンジュ村では、実際にそうしていたし、だからショーゲンさんは心に余裕がないと見られて、空を見上げているかと尋ねる挨拶をされたのですね。
そのうちショーゲンさんにも余裕が出てくると、村人たちの挨拶が変わってきたそうです。村人同士がするのと同じように、「誰のために生きる?」という挨拶になったのですね。
「また、朝、仕事に行く途中、知り合いに会って、ついつい立ち話が長くなってしまったという時。
「仕事の時間だから、もう行かなくちゃ」
とは誰も言いません。話をちゃんとし終わってから、仕事に行きます。
みんな仕事に誇りを持っているけれど、それよりも今、目の前にいる人をとても大事にしているのです。それで仕事に遅刻したとしても、文句を言う人もいないのです。」(p.53)
バシャールの話を思い出しました。今のワクワクに従うなら、仕事だからという理由だけで自分を制限したりしないはずだと。ブンジュ村の人たちは、そういう考え方が染み付いているのでしょうね。
「失敗やヘマをすることは、恥ずかしいことじゃない。人間らしい行為であり、かわいい行為だって言うんです。
不完全であるからこそ、愛される存在だということ。だから、失敗した時は、この村では「そんな私って、かわいくない?」ってみんな言います。
そして、そんな様子をそのまま子どもに見せることで、子どもは「完璧じゃなくてもいいんだ」と自分を肯定できるようになるんです。」(p.62)
失敗やヘマを悪いことだと思わないばかりか、それが魅力的なのだと信じている。素晴らしいなぁと思います。
「「自分が、自分の一番のファンでありなさい」ということは、自分に愛を吹き込む行為です。
ある時、村長が言いました。
「愛が注がれたものからしか、愛は与えられないんだよ」
自分自身を愛で満たしていれば、自分の行為のすべてに愛が宿る、というのです。」(p.75)
まずは自分を全肯定して、素晴らしいと称賛する。それが自分を愛することですね。そして自分が愛で満たされたからこそ、他人を愛することができる。
私も昔、考えたことがありました。自分が満たされないから、他人を愛せないのだと。ただそのころは、その自分を満たす愛を他人に求めていました。だから愛の取引きをしてしまったのです。私があなたを愛するから、あなたは私を愛してくれ。私が愛した1/10でいいから愛してくれ。愛に飢えていたのです。
本当はただ自分で自分を愛すれば良かっただけ。自分が自分を愛さないから、自分を憎み、他人を恨んだのです。
「外に干してある洗濯物だって、着たい人が着ていいんです。家族かどうかは関係ありません。お気に入りの服を干していて、誰かがそれを着て行ってしまったとしても、この村では「着てくれたんだ」と思うだけ。「自分の物」という感覚が薄いので、問題にならないのです。」(p.80)
ブンジュ村ではシェアするのが当たり前だったそうです。包丁すら数家族でシェアしていて、どこの家にあるかをみんなが知っていたとか。もしジャガイモを切りたくなったら、ジャガイモを包丁がある家に持って行って、一緒に切ってもらえばいい。そういう考え方なのだそうです。
「カンビリさんは、さらに熱く語りました。
「感謝の気持ちを伝えたいって思う時の心は、どういう状態だと思う?
心に余裕がある時なんだ。
心に余裕がないと、誰も感謝を伝えたいなんて、思えないよね。」」(p.90)
心に余裕があれば、今あるがままの中に感謝の種を見つけることができる。ブンジュ村の人たちはそう考えるので、たとえばリュックの紐が3年切れてないだけで「すごい!」と感動し、そのメーカーに感謝の気持ちを伝えたいと思うのだそうです。
ショーゲンさんも帰国後、ライブイベントで描いた時のペンキの色が素晴らしいと感動し、すぐにペンキメーカーに感謝を伝えに行ったそうです。それが縁で、スポンサーになってもらえたとか。スポンサーになってもらおうという下心からの行動ではなく、真心からの行動だったから、そういう結果が起こったのでしょう。
私も、飛行機に乗ってCAさんの対応が素晴らしかった時、感動と感謝の手紙を航空会社に送ったことがありました。私の場合は、それで何か恩恵を得たわけではありませんが、もしそれが社内で広められて喜んでもらえたなら、それで十分だと思っています。
「村長はさらに言いました。
「虫の音がメロディーとして聞こえる、会話として聞こえる、
その素晴らしさは、当たり前じゃないからね。
なんでそういう役割を日本人が与えられたのか、ショーゲンはもう気づいているでしょ?
幸せとは何か、本当に大切なことは何か、
それがすでに日本人はわかっているからだよ。
だからそれを伝えていく役割が日本人にはあるんだ。
そのことに気づいてほしくて、ずっとずっとショーゲンに語ってきたんだよ」
そう言われて、何かのスイッチが入ったような感覚になりました。
「日本人として生きていく」
言ってみれば、そういう決意のスイッチです。」(p.112-113)
日本人は、心に余裕があって自然を豊かに感じることができる感性を持っている。だから、日々の暮らしの中で幸せを感じ、自分を愛し、他人を愛し、自然を愛して生きていける。そういう日本人の生き方を、自らがやってみせることによって、世界の人々に知らせていくのが日本人の使命。
その使命を思い出させるために、ブンジュ村の村長さんはショーゲンさんにメッセージを伝え、そしてショーゲンさんは私たちに伝えてくれているのです。
「村長がある日、僕に言いました。
「ショーゲン、なんで日本人は心のゆとりを失ったんだ?
今の日本人は、みんなそうなのか?
空も見上げられない人が多いのか?
誰かに、心のゆとりを持っていかれたのか?
本当の日本人は、そうじゃなかったんだ。
世界中で一番、空を見上げる余裕を持っていたのが日本人なんだ。
取り戻してくれ、今すぐに。
世界中の人が一番大切にしないといけないのは、日本人だとおれは言い切れる。
だから、その感性を取り戻してほしい。
日本人は、心の豊かさと、ゆるがない心の安定を持っている人であってほしい。
それが日本人の役割なんだよ」」(p.122-123)
私たちは日本人として、ブンジュ村の村長さんの期待に応えられるでしょうか? 世界の人々の希望でいられるでしょうか?
「僕の帰国が決まった時、村長は言いました。
「虫の音がメロディーとして、会話として聞こえることが、
どれだけ素晴らしいことか、日本人には改めて考えて、感じてほしい。
ショーゲン、日本人にその素晴らしさをちゃんと伝えてね。
おれは地球にはまだ希望があると思っている。
日本人は1億2千万人もいる。世界は80億人だ。
世界の80人に1人は日本人なんだ。
だから、地球にはまだまだ可能性がある。
地球のために頼むぞ日本人!
日本人こそが世界を真の幸せに導ける人たちなんだから」」(p.130-131)
ブンジュ村の村長さんは、この本が出版される前に亡くなられたそうです。村長さんの遺言を、私たちは受け止められるのでしょうか?
「村長からは、「聞いてくれた人みんなにわかってもらえなくてもいい。ただ、話し続けることが大事なんだ。話し続けることは、自分も聞き続けていることだから、ショーゲン自身も変わっていくよ」と言われました。」(p.132)
私がやっているのも、そういうことです。メッセージを発信していますが、それは誰かを変えるということよりも、自分自身が変わるためなのです。
だから、変わりたいなら表現することです。自分がメッセージを発信し続けることです。ショーゲンさんも、それによって自分が変わったと言われています。
「サティシュさんのお母さんは、さらにこう言ったそうです。
「お母さんはね、針を動かしてる時ほど、心が休まる時間はないの。
でも機械に急かされるようになったらおしまい。
それに、機械があれば仕事が減るなんていうのは、嘘だと思う。
年に1枚か2枚のショールでよかったのに、ミシンがあったら10枚のショールを作ることになって、結局はあくせく働くことになる。そうなれば、前よりもずっと多くの布が必要になってしまうわね。
時間を節約したとしても、余った時間で何をすると言うの?
仕事の喜びは、私の宝物みたいなものよ。」」(p.176)
ひすいさんのパートですが、インド生まれの思想家サティシュ・クマールさんのエピソードが書かれています。
ここにも、「生きる」とは効率ではないのだということが表れています。いくら何かを成し遂げようと、時間を生み出そうと、大したことではないのです。「生きる」とは、その一瞬一瞬を味わって、その素晴らしさを表現すること、祝福することなのです。
「「人間の役割の中でも、ほかの生き物と比べてもっとも特徴的で人間的なのは、
『愛すること』(ラブ)と『祝福すること』(セレブレーション)なんだよ」
祝福する役割とは、美しい木を見つけた時に、詩を書くとか絵に描くとか、称えたり歌ったりすることだそうです。
人間の役割とは、つまりは愛することと、感動を表現することなんです。」(p.193)
人間だけが、自然を鑑賞することができるのです。その素晴らしさを感じて、称えることができるのです。
本書の冒頭で、縄文時代の火焔型土器が取り上げられていましたが、最後にそれについてもう一度、ひすいさんは語ります。
「煮炊きに使う器としては、ベラボーです。非日常の聖なる儀式に使われるものだったとしても、ベラボーです。無駄を楽しみ、生きるのを楽しんでいることが伝わってきます。
これだけの美しい装飾を施した古代の土器は、世界にも類がない。」(p.195)
たしかに、複雑な文様を施しただけでなく、縁の部分は複雑な造形で、造るのも大変だったでしょうけど、これを普段の煮炊きに使ったというのですから驚く他ありません。何たる無駄、何たる非効率、何たる遊び。そう、人生とは壮大な無駄をする場なのです。それがわかっていたのが縄文人であり、私たちの祖先なのです。
そう考えてみれば、日本人がいかに稀有な存在であるかがわかりません。争いのない1万4千年もの長く平和な社会を造った日本人。私たちには、その血が流れているのです。
最後は、ショーゲンさんのメッセージです。
「また同時に、僕自身、日々の生活に丁寧に愛を注げる存在になりたいと思っています。だって「愛が注がれたものからしか、愛は与えられない」のですから。
そう考えると、生活そのものが、アートなんだと実感しています。
愛を持って丁寧に過ごす日々は、愛の物語であり、愛のアートになるんです。
これは僕だけではありません、誰にとってもそうなんだと思っています。
丁寧に喜びを感じて生きる。
そのためにすることはひとつ。
自分のために生きること。」(p.207-208)
私たちが、自分のために自分の人生を丁寧に生きるなら、その生き様が世界の人々へのメッセージになるのではないでしょうか。
丁寧に生きる。武田双雲さんの「丁寧道」という本にもありましたが、私たちの人生は、無駄なように思えても、無意味なように思えても、丁寧に丁寧に扱って味わい尽くし、それを表現することに尽きるのかもしれませんね。
生まれてきたなら、いずれ死ぬことは間違いありません。それが100年間だろうと50年間だろうと、あるいは1年間だろうと、その差がどれほどのものでしょうか。その間に何を得たかとか、何を成し遂げたかとか、それが何ほどのことがあるでしょうか。内村鑑三氏は、「後世への最大遺物」という講演において、そのことを示しました。私たちが真に遺せるものは、「生き様」なのだと。
そのことを、ショーゲンさんやひすいさんは改めて教えてくれています。そのメッセージをどう受け止めるのか? 問われているのは、私自身です。私は私として、そのメッセージを受け止め、どう受け止めたかを私の「生き様」で示したいと思います。それが、私の生の表現であり、私のアートなのです。
2023年11月01日
料理研究家のくせに「味の素」を使うのですか?
Youtube動画で、「料理研究家リュウジのバズレシピ」をよく観ています。リュウジさんが作る料理はどれも手軽で美味しい。なので私もよく参考にさせてもらっています。
リュウジさんのレシピの特徴の1つは、「味の素」をよく使うことです。動画を観て、そう言えばそんなものもあったなぁと思い、私も買って使っています。ところがそれに対し、料理家が化学調味料を使うのはあり得ないとか、毒物を広めるのかとか、かなり批判非難があるようです。
私も詳しくは知りませんでしたが、「味の素」はかつて健康に悪いとされたことがありましたが、その科学的な根拠がないことが立証されていたようです。
リュウジさんは、「味の素」から報酬をもらって宣伝しているわけではなく、家庭料理においてはこれほど便利な調味料はないということで、積極的に使われているそうです。
本書は、そんなリュウジさんの「味の素」愛が伝わってくる内容になっていますが、「味の素」のことだけでよくこれだけのことが書けるなぁと感心するくらい豊富なウンチクが満載です。特に、魯山人が「味の素」使いの名人だったという情報は、本当にびっくりしました。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「誕生したのは、今から100年以上前の1909年。
主成分は、アミノ酸の一種であるグルタミン酸。これこそが「うま味」成分であることを発見し、うま味の調味料としてグルタミン酸ナトリウムを発明したのは、東京帝国大学教授の池田菊苗(きくなえ)博士。それを商品化して「味の素」として発売したのは、鈴木商店、のちの味の素株式会社です。
この世紀の発明品「味の素」ほど、数奇な運命をたどった調味料を、ぼくは知りません。「高級調味料」「家庭料理の味方」「日本の誇る発明品」ともてはやされる一方で、「原料は蛇」「健康被害や味覚障害を引き起こす」といった、事実無根の悪評にもさらされてきました。」(p.3-4)
100年以上も前から「味の素」があったことに驚きました。
「1960年代末、中華料理を食べると体に不調が生じるという「中華料理店症候群」がアメリカの医学雑誌で紹介され、その原因はグルタミン酸ナトリウムにあるのではないか、と疑われました。これがきっかけとなり、世界的にグルタミン酸ナトリウムの使用を忌避する傾向が生まれました。」(p.31
「こうして、家庭のキッチンから味の素はほぼ消えてしまいましたが、うま味調味料が入った調味料は、どこの家庭でもあるのではないでしょうか。
味の素社のほんだし、コンソメ、丸鶏がらスープ、ヤマキの割烹白だし、キューピーマヨネーズ……これらはすべて、味の素と同様のうま味調味料が入っています。」(p.32)
今では科学的に完全に否定された「味の素」の健康被害ですが、今でも信じている人はいます。そして、そういう人が平気な顔でグルタミン酸ナトリウム(MSG)が入った調味料を使い、それを使った料理を美味しいと言って食べている。この矛盾に気づきもしない滑稽さは、何と言ったら良いのでしょうか。
「むしろぼくは、「うま味調味料の原料は、砂糖の副産物である廃糖蜜です」という事実は、無駄がなくて素晴らしいと思っています。廃棄物を出さないことが企業に求められている今、サステナブルなものとして、国際的に評価されるあり方です。」(p.55)
「味の素」の原料はサトウキビの絞り粕である廃糖蜜だそうです。発酵によってグルタミン酸ナトリウムを取り出す製法が使われているとか。
それを、原料はサトウキビじゃなくその粕だ、とディスる人もいるんですね。リュウジさんは、だったら豆腐を作る時の大豆粕である「おから」はどうなんだ? と言います。おからは産業廃棄物に指定されているそうですが、主に家畜の飼料や肥料として利用される他、一部は食用として人の健康にも寄与しています。
「一方、グルタミン酸の結晶は水に溶けにくく、なめるとちょっと酸っぱいです。グルタミン酸は、その名のとおり酸性ですから。
グルタミン酸はうま味成分である、と何度もいってきましたが、じつは正確には、グルタミン酸の陰イオン状態、グルタミン酸イオンがうま味の正体です。」(p.56)
たしかに、何で「酸」とつくのかと疑問に思っていましたが、アミノ酸は酸性の物質なのですね。そして、うま味成分は中性化してイオンになったグルタミン酸塩なのですね。
「うま味調味料をがんがんに使った加工食品や外食産業の味に舌が慣れてしまって、現代人は繊細なだしのうま味や香りが感じられなくなっている、それは事実だと思います。
でもぼくは、それでもいいと思っています。いや、それがどうかしたの? くらいに思います。砂糖が貴重品だった時代に比べて、甘味に舌が慣れてしまった現代人は、野菜や米がもっている繊細な甘みには確実に鈍くなっているはずですが、それを問題視する人がどれだけいるでしょうか。
舌が退化したのではありません。料理が進化したのです。」(p.75)
たしかに、現代人が縄文時代の料理をそのまま食べても、ほとんど美味しいとは思わないでしょう。人が野生動物の食べ物を食べても、美味しいと思わないのも同様です。だから味覚が退化したというのも1つの見方なら、料理が進化したのだというのも1つの見方としてアリだと思います。
「ひとつ注意してほしいのは、これは料亭の料理人に向けて語られた話であって、家庭料理の話ではありません。魯山人自身は、家では味の素を使いこなしていました。」(p.145)
美食家の魯山人が「味の素」を論評していたというのも驚きですが、料亭の料理人に対しては「味の素は不可」と言っているようです。高級料理においては、なるべく使わない方が良いと。一方で、家では積極的に使っていたようです。つまり、使うべき時にはしっかり使い、使うべきでない時は使わないという、使い分けができていたのですね。
本書には他に、文筆家が「味の素」に触れている文章なども引用しています。昔から多くの人に親しまれ、使われてきたことの証拠となる貴重な資料ですね。
「発酵法とは、微生物を培養する培地に糖蜜などの原料を入れ、微生物の増殖とともにアミノ酸を生産させる手法です。
従来の抽出法に対して、発酵法は小規模の設備で(工場の建設費は約10分の1)、かつ低コストでアミノ酸を大量に生産できました。原料費も安く、製造期間も短縮でき、さらに抽出法で悩まされてきた大量の副産物が生まれるという欠点からも解放されました。」(p.153)
最初の頃は、塩酸を使って生産する方法がとられていたようです。純度が高いものがなかなか作れず、品質の悪いものが高価な値段で売られていた。そんな時代があったのですね。その辺の開発の歴史も、本書に詳しく書かれています。
「長年にわたって、多くのグループで臨床検査が行われてきましたが、いずれも中華料理店症候群とMSG摂取とのあいだに明確な関係は認められていません。」(p.166)
健康被害があるとしたオルニー実験が有名なようですが、それは新生児のマウスにMSG(グルタミン酸ナトリウム)を皮下注射した結果、神経に毒性を有するというものでした。しかし、その注射した量は、体重60kgの成人に換算すると実に30〜240gに相当するもので、アジパンダ瓶(70g)の約半分〜3瓶半に相当する量となります。通常、せいぜい1〜2g(アジパンダ瓶で1振りは約0.1g)を経口摂取するものを大量に皮下注射すれば、健康被害が出ないわけがありません。醤油ですら大量に飲めば死にますよ。
このような、実際の摂取とは無関係な実験を根拠に、「味の素」が健康に悪いという印象が広まったのですね。
「当時はアメリカでも、MSGはすでに日常の食品のなかに普通に使われていながらも、一般的には「中華人がよく使う、アジアから来た調味料」というイメージでした。そのため、「そんなもの、食べてもろくなことにならないに決まってる」などという偏見から生じた思いこみがあったのではないか、というのです。
なお、「中華料理店症候群」という名前は人種差別的であり、「MSG症候群」というべきだ、とも現在ではいわれています。」(p.169-170)
「味の素」が健康に悪いという思い込みは、有色人種に対する差別意識から生まれたものかもしれませんね。
「さまざまなデータが蓄積されて、うま味が基本味であると世界の研究者のあいだで合意されるようになったのは、1980年代になってからのことです。うま味の文化が発達しなかった欧米では「うま味」を示す適切な言葉がなかったことから、日本語のまま「umami」という表現が世界中で使われるようになりました。
そして2000年代になって、ついに舌の味蕾(みらい)にうま味の受容体が存在することが判明し、umami が第5の基本味であることは、誰もが認める事実となりました。」(p.181)
甘味、塩味、酸味、苦味という4つの基本味に、うま味が追加されたのです。これが日本人の発見発明によるものだと思うと、とても誇らしく感じます。
「そもそも、人間が「おいしい」と感じて満足できる食べ物には、油脂、砂糖、だし、これらが何らかの形で入っています。
じつはこの油脂と砂糖とだしには、脳に快感を感じさせ、「やみつき」にさせる効果があるといわれています。つまり、いったん好きになると、くりかえし食べたくなるのです。これは、脳の報酬系が刺激されて、快感を得ているためです。」(p.184)
「日本ではだしの文化が発達しました。これは偶然ではなく、日本では油脂や砂糖が手に入りにくかったため、おいしい料理を生み出すには、だしに頼るしかなかったのです。
世界的には、料理のおいしさは油脂が担ってきました。」(p.185)
たしかに、美味しさは脂肪にあると聞いたことがあります。私の父も、餃子の餡(あん)には油を入れないと美味しくならないと言っていましたね。それに、欧米の料理や中華料理は、油こてこてが多いです。これも美味しさを追求したからでしょうね。
「食べ物は、すべてのものが毒になりえます。食べることには、必ずリスクが伴います。ヘルシーといわれている野菜であろうと、猛烈に食いすぎたら、死にます。量の概念を入れてください。」(p.195-196)
本来、すべての毒に量の概念があります。毒物とされるヒ素だって、一定量以下であれば問題ないとされるのです。(含有量が基準値以下であれば、飲用に適すると判断されます。)
量の概念を無視するのは、不安を煽りたいからでしょうね。福島原発の処理水の問題でも、そのことが明らかになっています。
リュウジさんは、量だけではないとも言います。刺身も本来は危険な食べ物です。加熱調理した方が安全に決まっています。しかし、その危険を犯してでも食べるに値する美味しさがある。これがリスク管理というものです。私たちの生活の豊かさは、リスク管理の上に成り立っています。ゼロリスクを追求するなら、自動車だって廃止すべきでしょう。
そういう点で、ユッケや生レバーを法律で禁止するというのは愚の骨頂と言えるでしょうね。リスク管理の観点からするなら、生牡蠣を制限する方がよほど健康被害防止の観点で役立つはずですから。科学を無視して不安を煽れば、無意味なリスク管理となってしまい、私たちの利益(豊かさ)が損なわれるのです。
「味の素」と言えば、会社がタイにも進出していて、大勢の日本人の社員が働いていました。私はバンコクでソフトボールをやっていましたが、年に2回の大会に「味の素バーディーズ」さんも参加されて、毎回のように味の素製品を提供してくださいました。他のチームの人たちも、それを楽しみにしていましたよ。
タイはたくさんの屋台が庶民のお腹を満たしていましたが、その料理にも味の素製品がたくさん使われていました。きっと世界中で同じように、うま味調味料が人々の食の満足を支えているのでしょうね。そんな「味の素」は、日本が誇る食の文化であり、発明品なのです。
改めて「味の素」を見直すことができました。こんなに豊富な情報を1冊の本にまとめてくださったリュウジさんに感謝です。これからも動画を楽しみにしています。
2023年10月29日
おあとがよろしいようで
ご存知、喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの新作です。喜多川さんの小説は、どれもこれも秀逸で間違いがありません。人生の本質に通じているテーマを、感動的に表現しているからです。
あまりに感動したので、喜多川泰全集を母校の中学校に作りたいなぁと思い、それまでの小説を全部買って寄贈したくらいです。また、タイでも多くの人に読んでもらいたくて、すでに読んでいた本も買い直して、日本人が集まる施設に寄贈したりしました。
今回も、Facebookで新刊の発売を知ったので、予約して買いました。小説なので、あっという間に読めてしまいますが、やはり感動して涙を流してしまいました。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
と言ってもこれは小説なので、あまりネタバレにならないよう引用はごく一部にとどめます。
物語のあらすじですが、主人公は群馬県から東京の大学に入学したばかりの門田暖平。ネクラで内向的。友だちもできないし、どうせ一人で生きていくしかないんだと自分のことを諦めている。親と一緒に暮らすのが嫌で、どこでもいいから出ていきたいと思い、東京の大学に入った。そこで落研との出会いがあり、誘われるがままに落語をすることになる。
その落研での人間関係の中で、暖平は様々な気づきを得て成長していきます。人と関わることの素晴らしさ、いろいろな経験をすることの素晴らしさを、感じるようになっていくのです。
「子どもたちを専門学校や大学に通わせる、それもそれぞれ一人暮らしをさせるというのは簡単なことではない。やりたいとかやりたくないとか関係なく必死で働く必要があったんだろう。
わかってはいるのだが、素直にありがとうと言えない。そして、そんな自分に対して、人としての薄情さを感じて自己嫌悪に陥る。」(p.77)
暖平の父親は地方都市の写真館を営んでいました。時代の流れでフィルムというものがなくなり、現像やプリントという仕事が皆無になってきて、写真館の仕事はイベントでの撮影がメインになっていました。同じ「写真」とは言え、業務内容はまったく違います。待ち構えて写真を撮るなんて仕事はほとんどなく、自ら出向いて運動会や修学旅行などの学校行事の撮影を主たる仕事にしていました。
暖平は、そんな父親の苦労をわかっているようでいて、なかなか受け入れられなかったんですね。たしかに、親が写真屋のおっちゃんの顔で自分の学校にやってくるのは、なかなか受け入れがたいものがありますから。
「落語の登場人物はみんなどこか抜けてる。いや、どこかどころかかなり抜けてる。欠点だらけなんですね。だけど、一つだけいいところが誰にでもある。その一つだけのいいところで江戸の社会にちゃんと居場所をつくって、お互いにそれでよしとしているんですね。何の文句もない。この部分を直せとか、もっとこうしろ、なんて相手に要求しない。
お互い人間だから、馬鹿なところとか、自分勝手なところとか、あるよねってのが根底にある。」(p.106)
「でもそれに気づいてから、できるだけニコニコしていようって思ったんだよな。そして、自分もそのままでいいと思ってもらいたいんなら、相手もそのままでいいって思わなきゃいけないって気づいた。そしたらさ、大袈裟かもしれないけど世界が違って見えたんだよ。社会も周りの人も何も変わってないのに、みんなそのままで仲良くなれんじゃんってなって、誰も完璧である必要なんてないって思えるようになったら、自分もそうじゃなくてもいいんだって思えたっていうか……どう、わかる?」(p.108)
落研の先輩の1人、健太のセリフですが、健太は高校の頃、自分ではないものになれというようなプレッシャーを感じていたのだそうです。そんな時に落語に触れて、無理に変わらなくていい世界があることを知り、落語の魅力に取り憑かれたのだとか。
たしかに、そう言われてみるとそうですね。いつもボーっとしている与太郎、喧嘩ばっかりの棟梁、知ったかぶりのご隠居など、欠点だらけの人がぶつかり合いながらも楽しく暮らしています。
本当は、人それぞれ違っていていい。ただそれを受け入れさえすれば、みんなが笑って暮らしていける。落語は、そういう世界を示唆しているのかもしれませんね。
「『世界はこんなもんだ』『世の中はこうだ』『俺にはこんなことしかできない』『俺はこういう奴だ』と『世界』や『自分』を認識している。そう判断するに至った情報はどこから得た?
お前の目と耳、肌、といったたった一つの窓だ。」(p.175)
「そういう状況に自分が置かれたら、いやでももっと別の世界を見て世界を知りたいと思うだろうにと、なんとなく考えていたのだが、実際にそれをしないで、「世の中とはこんなもんだ」「俺はこうだ」と決めつけていたと、直感的に感じたからだ。」(p.175)
「俺たちは、何を見るか、何を聞くか、何を感じるか、何を経験するかによって、世界に対する認識が変わる。」(p.176)
暖平は部長の碧(あおい)から、視野が狭いことを指摘されます。ほんのわずかな経験を元に、自分や世間を決めつけている。もしそのことに気づいたなら、もっと広い世界を経験したいと思うのではないか、というわけです。
世界は可能性に満ちています。ただそれを信じないことによって、自らを制限しているだけなのですね。
視野が広まれば、世界や自分に対する認識も変わってきます。他人のことも理解できるようになるでしょう。たとえ同意はできなくても、その人にはその人の人生があるのだと思えるはずです。そうなれば、他人にも自分にも優しくなれるのではないでしょうか。
重要なのは、今の自分の狭い認識に他人や世界を合わせようとすることではなく、自分の認識を広げることです。そうすれば、世界も他人も、今あるがままで受け入れられるようになります。そうやって他人の自由を受けれれば、自分も自由になれます。今あるがままの自分でいいのだと思えるようになるのです。
今、あるがままの他人や自分を、そのままに愛しく思う。それが寄り添うということ。そうすれば、自分の中が平和で幸せなものになるし、そういう人が増えれば、世界もまた平和で幸せなものになっていくのではないでしょうか。
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