2017年05月08日

こころの処方箋



野口嘉則さんのオンラインセミナーの課題図書を読みました。河合隼雄(かわい・はやお)さんの本です。

これは元々、1988年から1991年まで「新刊ニュース」に連載されたエッセイに10章ほど新たに加えて、1991年に単行本として出版されたものです。新潮文庫になったのは1998年で、私が買ったのは第44刷の2016年4月発行の文庫本です。ロングセラーですね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

確かに私は臨床心理学の専門家であるし、人の心ということを相手にして生きてきた人間である。しかし、実のところは、一般の予想とは反対に、私は人の心などわかるはずがないと思っているのである。」(p.10)

人の心はわからないものだ。そう河合さんは言われます。これは驚きましたが、考えてみればそうですね。こうだと思っていても、そうじゃないことがあるかもしれない。そういう気持ちを持ち続けることは、科学者としては当然だと思います。

多くの人は、その逆に決めつけしやすいものです。「あの人はそういう人なんだよ」など、レッテル貼りなんかもそうですね。そのことによって、他の可能性が閉じてしまうのです。それは真に相手を理解することにはならないのですね。


その人の言っている悪いことは、何かよいことのバランスのために存在していることを見抜けていないのである。
 それでも、人間はよいことずくめを望んでいるので、何か嫌なことがあると文句のひとつも言いたくなってくるが、そんなときに、「ふたつよいことさてないものよ」とつぶやいて、全体の状況をよく見ると、なるほどうまく出来ている、と微笑するところまでゆかなくとも、苦笑ぐらいして、無用の腹立ちをしなくてすむことが多い。
」(p.15)

良いことばかりも起きなければ、悪いことばかりも続かない。それを「ふたつよいことさてないものよ」と、面白い言い回しで説明されます。これを口癖にしていると、出来事に翻弄されずに冷静になれますね。

悪いと感じることの中に、良いと考えられることがあります。もちろん、その逆もあります。出来事はニュートラル(中立)で、悪い側面と良い側面があるだけなのです。いわばコインの裏表ですね。

河合さんは、子どもがいないことを嘆く人もあれば、子どもがいてもそれによって不幸になる人もいると説明します。だから、「子どもがいないから」と言って嘆く必要もないし、「子どもがこうだから」と言って不幸をかこつ必要もないのです。


イライラは、自分の何か−−多くの場合、何らかの欠点にかかわること−−を見出すのを防ぐために、相手に対する攻撃として出てくることが多いのである。」(p.47)

イライラの原因は他人や出来事にあるのではなく、それは単に縁(きっかけ)なのです。原因である自分の心の中にあるコンプレックスなどが表出しそうになるので、それを嫌がって起こる感情なのですね。


自立ということを依存と反対である、と単純に考え、依存をなくしてゆくことによって自立を達成しようとするのは、間違ったやり方である。自立は十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれでてくるものである。」(p.95)

子どものうちに十分に甘えて安心感を得ることによって、子どもはスムーズに自立していく。最近は、そういうこともだんだんと常識になりつつあるように感じます。昔は甘え癖がつくとか、抱き癖がつくなどと言って、過度に甘えさせないよう厳しくするのが常識だった時期がありました。隔世の感があります。

親が自律的であり、子どもに依存を許すと、子どもはそれを十分に味わった後は、勝手に自立してくれるのである。」(p.96)

したがって重要なのは、親自身が自立していることなのです。親が自立していないと子どもに依存して、子離れできなくなります。こういう親は、子どもが依存してくることを喜び、子どもの親離れを阻害します。

親がしっかりと自立し、子どもが甘えたい時は甘えさせてあげ、放っておいてほしいときは放っておくなら、子どもは親に対して安心感を抱いて、自立するようになるのです。


二人で生きている人は、一人でも生きられる強さを前提として、二人で生きてゆくことが必要である。無意識的よりかかりや、だきこみが強くなりすぎると、お互いの自由をあまりにも奪ってしまい、たまらなくなってくるのである。」(p.157)

親子などの従属関係では、まず主である親が自立することが重要でした。夫婦などの並立関係では、互いに自立していることが大事なのですね。そうやって自立した大人同士が連携することで、より良いパートナーになれるのだと思います。


早すぎる知的理解は、人間が体験を味わう機会を奪ってしまうのである。さりとて、「知る」ことがなさすぎると、災害をどんどん拡大していって収拾がつかなくなってしまう。実際には、ある程度のことは知っていても、事が起こるとあわてふためき、それでも知っていたことがじわっと役立ってきて収まりがつくという形になることが多い。」(p.221)

変に物知りになると、体験する前からわかったような気分になり、体験の機会を逃してしまいます。その弊害を河合さんは指摘しておられます。

それでも、知っていることによって、深みにはまらずに済むメリットがあるとも言います。感情が沸き起こったら、まずはそれをしっかりと感じ、感情に振り回されないようにして、その背景を考えてみる。そんなふうにして、しっかりと体験することが自分に役立つのだろうと思います。


これはエッセイ集のようなものなので、本全体で何かのテーマがあるというわけではありません。どこから読んでもよくて、そういう意味では近くに置いておいて、好きなところを読んでみるという読み方もあるかと思います。

1章が4ページで、全部で55章あります。一気に全部読むより、1回に1章ずつ読んでは考えてみる。そういう読み方をお勧めします。

こころの処方箋
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:21 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月30日

ガラスの地球を救え



手塚治虫さんの本を読みました。手塚さんが亡くなられたのは、平成元年(1989年)2月9日だそうです。これは手塚さんのエッセイで、同年4月に未完だったものに手を加えて、単行本として出版されました。私が買ったのは文庫本で、1996年の発行となっています。

どうしてこの本を買おうと思ったのか忘れましたが、何かを見てピンと来たのだと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「食糧難で餓死する人がたくさんいたり、食物を奪い合って、殺し合いが起こる」「核戦争で人類滅亡だよ」「きっと大地震が起こって壊滅する」「放射能に世界中が汚染されると思う」こんな具合です。
 同様の不安はぼく自身のなかにも確かにあるし、前述したように事実、全地球規模で危機感は増大しているにはちがいありません。さらに、テレビやSF映画、マンガが、子どもたちの不安感に拍車をかけているのかもしれませんが、未来人として二十一世紀の担い手になるべき子どもたちの未来像をおおう、この絶望感はどうでしょう。
 子どもたちの明るく輝く未来は、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。
 こんなさびしいところへ子どもたちを追いつめてしまったのは、ほかならぬぼくら大人なのです。
」(p.33 - 34)

手塚さんは、人類の未来に不安は抱くものの、それ以上に未来を担う子どもたちに希望がないことが心配だと思われているようです。そして、子どもたちがそうであるのは、大人たちに原因があるのだと。


どんな国も、それぞれの”正義”をふりかざして戦争をしてきましたし、いまもしています。”正義”とはじつに便利な言葉で、国家の数だけ、あるいは人間の数だけあるとも言えそうです。」(p.61)

これは私も同感です。さすが手塚さん、よくわかっていらっしゃる。


幼いころから生命の大切さ、生物をいたわる心を持つための教育が徹底すれば、子どもをめぐる現在のような悲惨な事態は解消していくだろうと信じます。
 今、ここから始めればいいのです。ただ、繰り返しますが、そのためには”豊かな自然”が残されていなければならない。
 自然というものは人の心を癒やす不思議な力を宿していて、自然こそ、子どもにとっては最高の教師だとぼくは思います。
」(p.64 - 65)

子どもは時に残酷で、小動物を傷つけたり殺したりして遊びます。私も、そんなことをしたことがありました。手塚さんは、そういう経験もまた、生命の尊さを学ぶために必要なのだと言います。


”ダメな子”とか、”わるい子”なんて子どもは、ひとりだっていないのです。もし、そんなレッテルのついた子どもがいるとしたら、それはもう、その子たちをそんなふうに見ることしかできない大人たちの精神が貧しいのだ、ときっぱり言うことができると思います。」(p.67)

どんな子どもの中にも、素晴らしい本性が宿っている。手塚さんは、そういう見方をされるのですね。


なにが必要な情報か、ということですが、ぼくはとどのつまり、生命の尊厳を伝える情報が最も必要でかつ重要な情報だと思います。
 現在の暴力非行や、親子の断絶や、生命の軽視は、子どもや若者たちがこれまで育って来た期間に得た情報の吸収、蓄積によってもたらされた結果です。大人たち、あるいは子どもの身のまわりや社会に繰り返し行われる暴力や犯罪、享楽的な性描写などの情報が、子どもを倫理的に麻痺させてしまったことは確かです。これが十倍、百倍になって嵐のように襲う時、どうしようもない人間喪失の社会が実現してしまうでしょう。
」(p.113)

手塚さんは、このように情報の重要性を指摘します。情報とは、映画やテレビ、マンガもそうです。大人が子どもに与えているもの。それが問題なのです。

しかし、これは手塚さんの主張としては矛盾があると思います。手塚さん自身、「鉄腕アトム」などの作品で、多数の暴力を描いています。アメリカにアニメを輸出しようとした時、その暴力性を指摘されたにも関わらず、手塚さんは修正に応じなかったと書かれています。

また、戦後間もないころ、マンガにキスシーンを描いて批判されたことも書かれています。当時の日本の常識としては、キスシーンはそれこそ「享楽的な性描写」だったと思います。正義(価値観)は人それぞれなのですから、一方的な基準で「享楽的」と決めつけるのは、おかしなことだと思います。

自ら暴力を描き、性描写を描きながら、そういうものが子どもをダメにするのだという主張には、少々説得力がないようにも思うのです。


動きというものに性行為と同じような存在感を感じるわけです。
 形にしても、たとえば雲がある形から別の形に移行する、その変化の過程に色気を感じるのです。形が定まってしまうともうダメ。
 だからこそ、動きの色っぽさを追求するためにアニメを始めたともいえます。それでぼくは一種のオナニーをしているのかもしれません。
」(p.166)

こういう告白は好きですね。セックスをタブー視するのではなく、むしろ尊いものとして感じているからこそ、こう言えるのでしょう。「動き」の中にエロティシズムを感じるなんて、とても共感しますね。

「そこになぜエロティシズムを感じるかといえば、そこに生命力を感じるからなのです。動いているという感触があって、なまなましさというか、なまめかしさを感じるのです。」(p.167)

私も、ダンスなどを見るのは好きです。自分では踊れませんが。きっと手塚さんと似たような感覚があるのでしょう。


しかし、地獄へ真っ逆さまに堕ちる悪の魅力、負のエネルギーのすさまじさを知れば知るほど、生命の輝きの美しさ、すばらしさもより鮮やかに浮き上がってくるともいえそうです。」(p.170)

手塚さんは、悪を否定しません。むしろ魅力さえ感じておられます。なぜなら、その背後には生命を感じておられるからのようです。


最後に未来予想を書かれていますが、いったん沈んだ後、また浮かび上がるという未来です。どんなにダメになっても希望を失わないという、手塚さんらしいものだと思います。

善も悪もあって人間。まるごとの人間を、生命そのものを、尊いものとして畏敬する。それが手塚さんの考え方なのだろうと思います。

人間というのは、そもそも矛盾しているものだと思います。そういう意味では、手塚さんのある意味で矛盾した主張というのも、人間らしさということではないかと思います。
 
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2017年04月28日

あなたのなかのやんちゃな感情とつきあう法



金城幸政(きんじょう・ゆきまさ)さんの本を読みました。どこでこの本を知ったのか忘れましたが、おそらくFacebookで共通の友人である野田智弘さんの紹介ではなかったかと思います。

私は金城さんのことはまったく知らなかったのですが、沖縄在住のカウンセラーだそうです。「5万人の人生を変えた「心」の伝道師」という肩書がすごいですね。時々、東京でもセミナーを開かれているようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「それそれ! 気づいて!」「本当の私はこう思ってるよ」という、あなたのなかの本当のあなたの声、「本音」に導いてくれるサイン。
 それが、感情なんです。
 だから、どんな感情でも、それをひとつ押し殺し、見て見ぬふりをすると、ひとつ自分にウソをつき、自分を見失っていくんです。
」(p.25)

まずは自分の感情をしっかりと受け入れることが重要だと言います。こういう点は、多くの心理学でも語られていることですね。「神との対話」でも、感情は魂の声と言っています。魂の声をよく聞いて、魂の導きに任せることが重要なのです。

感情をひもといて本音にたどりつくことができたら、人間関係に表れているすべての問題は、自分でつくりあげていた幻だった、ということがわかります。」(p.24)

すべての問題は人間関係から生じると、アドラー心理学では言います。そうであるなら、すべての問題は自分で作り上げている幻であり、それに気づくには自分の感情を受け入れ、本音にたどり着くことが重要だということになります。


料理をつくるのも旦那さんに認められるためだし、仕事をがんばるのも上司に認められるため。自分がやってみたいから、自分の成長のために何かをする、という発想がないので、永遠に人の評価ばかり気にして、「承認」を探してさまようようになってしまいます。
 母親に愛されなかったと思っていることが原因で、人は何歳になっても、母親や周囲の人、他人にまで、どう思われるかを気にして生きるようになるんです。
」(p.43 - 44)

親に愛されなかったということを引きずって、他人の評価を気にするということが、すべての問題の元凶とも言えます。そのことを、金城さんも指摘しています。


本当の愛って、とっても自由なものなんですよ。なのに、この地球では、愛する人を自分のものにしたがるって、おかしくないですか?
 恋愛や結婚って、本来、お互いの自由を尊重するためのもの。でも、そのことをすっかり忘れて相手を所有物のように扱うから、さまざまなトラブルが起きるのです。
」(p.51 - 52)

愛は自由だという考え方は、私は「神との対話」で初めて知りました。金城さんも、同じようなことを言われているのでビックリです。

たとえば、自分の恋人が浮気をしたらゆるさない、という男性は、女性を飼い殺しにすると公言しているようなものです。」(p.52)

自由を極論すれば、浮気も自由ということになります。私は極論が大好きなので、常々そういうことを言っては、批判を受けたりもしたのですが、金城さんも同じことを言われているのですね。


本物の罪悪感の正体は、「自分が自分をしないことへの罪の意識」です。
「自分をする」というのは、自分に素直、実直、誠実であること。自分のほんとうの気持ちをちゃんと見てあげて、自分の思いにウソをつかないということです。
 自分を生きていない分、自分にウソをついた分、澱(おり)のようにたまっていくエネルギー。それが罪悪感なのです。
」(p.82 - 83)

罪悪感は、最悪の精神活動だと「神との対話」でも言っています。その罪悪感を金城さんは、自分を正直に出さないことへの罪の意識だと言います。自分に正直でないこと、自分を騙していること、それに耐えられなくなって行くのですね。


そんな神さまの世界は、愛と調和のエネルギーがただあるだけ。私たちの本質は愛です。
 でも、それだと愛とは何かがわからないので、愛でない体験をすることで、再度愛を感じようと、「不安」と「愛情」という段階を、この物理的次元の地球に生み出したのです。
」(p.103)

これは、「神との対話」を読んでいる人にはよくわかっていることですが、これだけ言われても「なんで?」と感じるかもしれませんね。それにしても、こういうことを当たり前のように話す金城さんて何者?という気がします。


感情をひもとくためのもっとも有効な方法は、問いかけのベクトルを外側ではなく、内側に向けることです。
「なんであんたはいつも自分勝手なの?」と外側に向けるのではなく、「どうして自分はこんな感情を持つんだろう?」と内側に問いかけるのです。
」(p.114)

すべての原因は自分にあり、感情を受け入れ、その感情がどうして起こるかを紐解くことが、解決への第一歩になると言っています。そのための方法として、他者を責める方向に問うのではなく、自分がなぜその感情を抱いたのか、その思考を尋ねるようにと言います。これはたしかに、良い方法だと思います。


本来、本音って素晴らしいに決まっています。いわれたほうは、図星なだけに心が痛むかもしれません。でも、それが自分を改めるきっかけになると知れば、人は本音をいってくれた人に感謝するようになるはずです。」(p.127)

これは、そうだなあとも思いますが、やや疑問もあります。と言うのは、金城さん自身が紹介で入社した会社で、社長の奥さんに面と向かってその非を指摘し、辞めさせられています。それで、奥さんが金城さんに感謝したならわかりますが、そうはなっていないのです。

お母さんやお父さんに対しても、金城さんは子どものころから歯に衣着せぬ言い方をしていたようです。それでご両親が生き方を改めて幸せになったのなら別ですが、どうもそうはなっていないようです。

考えてみれば当たり前のことですが、人は自分に対してだけ責任を持ちます。たしかに直言することで、相手に考えさせるきっかけを与えることができるかもしれません。けれども、それをどう受け取るかは、相手次第なのです。

ですから、自分に正直になることは重要だとしても、それを相手に直接言うことが重要だとは思えないのです。どっちが正しいかではなく、私はそう感じるということですね。


実は、望むことだけオーダーできるようになるには、「自分に疲れ果てる」ことが必要です。人は自分に疲れ果てたとき、初めて「本当に変わりたい」って思えるんです。」(p.175)

金城さんも、引き寄せの法則を上手に働かせる方法について言及しています。いろいろ書かれていますが、ただ「思う」だけでいいという部分の説明は、よくわかりません。けれど、ここに書かれているように、自分に疲れることで変わるというのは、よくわかります。

私も、それを体験しているからです。失恋ばかりしていて、そういう自分にうんざりして、これまでの執着を解き放ったのです。詳しくは、ブログ記事「50歳の私が結婚できた理由」に書いていますので、そちらをご覧ください。

とにかく、悩みに悩んで一度、自分を不安だらけにしてみる。すると、いつまでも不安のループをぐるぐる回っている状態って、ものすごく疲れることがわかります。悩むってすごいパワーが必要だって、理解するんです。
 そして、もうこれ以上ない、ってくらい悩みに悩んで悩みつくすと、人間、さすがに疲れ果てます。
 結局、「あ〜もう悩むの疲れちゃった。やめよう。不安を考えていてもきりがない。同じパワーを使うなら、自分を幸せにするために使いたい」って気持ちが自然に湧きあがってくる。人はそんなふうにできているのです。
」(p.178)

金城さんは、わざと悩み倒してみる方法を勧めておられます。けっきょく、「もうこんなことどうでもいいや。どうにでもなれ。」という気持ちになって結果を手放さないと、変われないのではないかと思います。


たとえば、流れのない水は腐りますよね。それと同じで、停滞したものは腐るので、死ぬと決まっています。エネルギーが止まったことを「死」というように、停滞すると死へ向かってしまう。
 だから、宇宙は変化を拒む人がいると、なんとかその人を動かそうとして、動く必要性をもたらすのです。それが、事故や病気、大きなトラブルなど、いわゆる「不幸」と呼ばれるもの。
」(p.202)

一見、悪い出来事のように見えて、それは自分が変わるチャンスなのですね。その出来事をしっかりと受け入れれば、自然と変わっていく。そして自分が変われば、状況もまた変わっていくのです。


金城さんが、どうやってこういう考え方を身に着けたのか、それはわかりません。ただ、5歳の時に、すでに母親を諭すような感じだったことからして、生まれ持った才能かもしれません。

書かれている内容は、「神との対話」などですでに知っていることなので、特に目新しいことはありません。ただ、その表現方法には違いがあり、なるほどと感じる部分が多かったです。

それにしても、世の中にはこういう方がおられるのですね。これまでまったく存じ上げなかっただけに、びっくりしました。きっと、こういう方が、もっとたくさんおられるのだろうと思います。人類は安泰だなあと思います。

あなたのなかのやんちゃな感情とつきあう法
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:32 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

それもすべて、神さまのはからい。



心屋仁之助さんの本を読みました。前回の「「好きなこと」だけして生きていく。」と同様、武道館ライブに触発されて買った2冊のうちの1冊になります。こちらは三笠書房の王様文庫に入っていますが、最初から文庫本として作られた作品のようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

生きていたら、イヤなこともあるし、うまくいかないこともある。だからこそ、「あーでもない、こーでもない」と悩んでしまうことがあるものです。
 でも、そんなときこそ、
「もしかしたら、これは”神さまのはからい”なのかもしれない」
 と考えてみられたらいいなぁと思います。
」(p.3)

前に紹介した本でも言いましたが、心屋さんはカウンセラーなのですが、どうみてもスピリチュアル系なんですよね。はっきりと「神」ということを言われているのですから、スピリチュアル・カウンセラーでもいいのではないかと思うくらいです。

冒頭で言われていることは、この本の結論でもあります。自分的に「上手くいく」あるいは「上手く行かない」ということがあったとしても、それはすべて「神さまのはからい」なのだから、最終的には「上手くいく」ということなのです。


僕たちは、「できる」「役に立つ」ことが素晴らしいという呪いから、早く抜けださないといけません。
「何の役に立っていなくても、自分は素晴らしい」
 そういう「前提」だけ持っていればいいのです。
」(p.48)

自分の価値は、何かを持っているとか、何かができるとかから生じるものではありません。存在しているだけで価値があるのです。よく、「Doing」「Having」ではなく「Being」だというのと同じですね。


ちなみに、「価値」というのは、自分からは提供しなくてもいいものです。
 なぜなら、”あなたの存在そのもの”に価値があるから。
 あなたがもらえるお金とは、労働の対価ではなく、
「あなたの存在に対する報酬」
 です。これを心屋では「存在給」と名づけました。
」(p.135)

存在そのものが価値を生み出す。それは豊かさ(お金)でもあります。だから、存在しているだけでお金が手に入るということを、心屋さんは「存在給」という言葉で説明しています。


「自分は素晴らしい」という”証拠”を集める必要もありません。
 そんなことをせず、ただ「自分は素晴らしい」と思えばいいのです。
 根拠も証拠も証明書も何もなく、ただ自分で「そう思う」と決めるしかないのです。だって、そう思いたくてがんばっているのですから。
」(p.204)

私たちが頑張ってしまうのは、「自分は素晴らしい」を確認したいからだと言います。他人からそう評価され、「やっぱり自分は素晴らしいんだ」と思いたい。そのために頑張っているのですね。

心屋さんは、だったら最初からそう決めてしまえと言います。証拠集めをせず、そう決めてしまったなら、頑張る必要がなくなるのだと。


心配してもしなくても、結果は同じなのです。「心配をしている時間」を省いていったら、もっとたくさんの「楽しいこと」ができるようになります。
 そして、たくさんの「楽しいこと」をヒラヒラとしているうちに、ちゃんと「結果」が出てくるものなのです。
」(p.211)

心配しようとしまいと、上手く行くものは上手く行くし、上手く行かないものは上手く行かない。だったら心配するだけ無駄じゃないかと、心屋さんは言います。

そして、心配せずに楽しいことだけをやっていれば、自ずと結果がついてくるのだと言います。自分の努力や頑張りでどうにかなるのではなく、自分が自分を「価値ある存在」だと思っていれば、それに見合った現実が現れるということですね。


心屋さんの考え方は、完全にスピリチュアル系だと言っていいと思います。どうしてそういう考え方に至ったのかは明らかにされていませんが、ある時、考え方を変えたことによって、上手く行く現実が現れたという訳です。

それは心屋さんだから上手く行ったのではないか? そういう疑問は残ります。この本でも、そう言われるけれどもそうはじゃないと、心屋さんは言われます。しかし、その証拠は示されていません。

一方では、好きなことだけやれば上手く行くと言いながら、上手く行かないこともあるという言い方もされています。上手く行くことが確率的に高まるというような表現もありました。こういう点は、イマイチわかりずらいと感じました。


書かれている内容は、スピリチュアル系を知っている人にとっては、特に目新しいものはありません。具体的なやり方についても、特に「これなら上手く行きそう」と感じるものもありません。なので、正直に言えば、読んでいて少々飽きてきました。

もう少し正直に、退職した時の気持ちとか、その時の不安だとか、自己開示していただけると読み応えがあったかなと思います。ご自身の事例で言えば、夜中の2時に帰ってこられる奥さんとのやりとりくらいですから。

まあそれでも、普通の人にとっては異常な例とも言えるので、心が動かされるかもしれません。残念ながらうちは、妻が夜中の2時どころか朝帰りすることもたまにあり、それに対して私は文句を言うつもりもないので、心屋さんの事例は驚くようなことでもなかったのです。


また、Facebookなどで展開されている前者後者論の説明もありましたが、何度聞いても納得できません。後者は頭が白くなることだけでわかると言われながら、読んでもわからないなら後者だとも言われます。どっちやねん?と言いたくなります。私自身、後者と言われますが、ぜんぜん理解できません。

それに、そうやってタイプ分けすることの意味がわかりません。前者アプリを搭載した後者とか、さらに細分化したものも示しながら、前者と後者しかないと言い切る根拠も不明です。そして、この分類の意味が、互いを理解するためと言われるのですが、だったら「人はそれぞれ違いがある」だけでいいのではないかと、私などは思ってしまうのです。


そういうこともあって、今の私には、ちょっと物足りない内容だと感じました。ですが、これまでの一般的な考え方に取りつかれている方にとっては、これだけでも十分に目新しく、心を揺すぶられる内容だと思います。

それもすべて、神さまのはからい。

オマケのワッペン
※本の最後に、ワッペンが綴じてありました。「それで、いいにゃ」という言葉。天才バカボンのパパの「それでいいのだ〜」という言葉を思い出します。起こることはすべて必然で無駄がない。だから上手く行っていても上手く行っていなくても、そのままで完璧なのです。
 
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2017年04月25日

「好きなこと」だけして生きていく。



心屋仁之助さんの本を、久しぶりに読んでみました。最近はFacebookの投稿やブログを読んだりもするので、あまり本を読もうとは思っていませんでした。どんなきっかけか忘れましたが、おそらく心屋さんの武道館ライブへ行ったことが理由かと思います。それで読みたくなって買った2冊のうちの1冊です。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

自分には価値がないと思っている→価値を認めてもらえるように頑張る→でも頑張っても報われない→ますます自分には価値がないと思ってしまう。
 この悪循環をひっくり返すだけです。

(中略)
 自分には価値があると思ってみる→価値があるから頑張らず自然体でいると、成果が上がる→頑張らなくても報われる→ますます自分には価値があると思うようになる。
 このように現実が逆になるのです。スタートは”自分には価値がある”と思えるかどうかにかかわらず、”価値が有ることにする”ところがポイントです。
」(p.29)

心屋さんも昔は、頑張って頑張って生きてきたのだそうです。なぜ頑張るかというと、頑張らないと自分に価値がないと感じていたからだと。

しかし、自分に価値がないと信じているのですから、頑張っても報われないことになります。そこで、自分はダメなんだと意気消沈するか、さらに頑張って価値を得ようとすることになります。さらに頑張る道は、いつか自滅する道なのですね。

そこで心屋さんは、前提を変えようと思われたのだそうです。まず自分には価値があると決める。そうしたところ、流れが変わったのだと言います。


僕たちが電気の粒でできているということは、つまりは僕たちは神様でできている!?
 だから、価値が無いということは絶対ないのです。
 僕たちは神様(の一部)なんですから。
」(p.35)

心屋さんが本気で言われているのかどうかはわかりませんが、心屋さんもついに「神」を語り始めたのですね。斎藤一人さん小林正観さんなども、やはり「神」を語られる方々です。心屋さんのは心理学というよりスピリチュアルだと思っていましたから、こうはっきり言われる方が納得します。


好きなことをしようと思ったら、人に迷惑をかけて、嫌われる覚悟がいります。
 安定を手放すとか、収入をなくすとか、築いてきた地位や立場を捨てるとか、とにかく一番恐ろしくて、絶対それだけはあり得ない、というところに飛び込まないと、好きなことをしては生きていけません。
 つまり好きなことをするには一番嫌なことをしなければいけないのです。

 でもラクなことというのは、人から嫌われないようにすることです。
 人から批判されたり、憎まれたり、無能だと思われたりして、自分の周りに波風がたつのはラクな生き方ではありません。
 だから上手に嫌われないことばかり選んで逃げ回っていくのがラクな生き方です。
」(p.77)

好きなことをするとか、自分らしく生きるということは、自分を最優先にすることです。それによって、他人の意向をないがしろにする覚悟がいります。

他人の意向を優先して自分を犠牲にするのは、ラクな生き方だと言います。ラクをしていれば自分が好きなようには生きられない。どっちを選択するのか、という問題なのですね。


でも、本当に好きなことだけしていたら、生きていけるのでしょうか?
 そんなことをしたら、収入がなくなってしまうのでは?
 生活していけるのか?
 お金がなくなって、ホームレスになったらどうしよう?
 みんなからバカにされて、誰も相手にしてくれなくなったらどうしよう?

 たくさんの「もしそうなったら」が浮かんできます。
 でも、今、あなたはそうなっていませんよね?
 まだそうなっていないのに、なぜ未来のことを心配するんでしょうか?
 もしそうなったら、そうなったときに考えてみませんか(怖いね)。
」(p.82 - 83)

これは今、私が直面していることだけに、心に響きました。好きなことだけしてて、本当に生活ができるのかという疑問は、常にありますから。他人からバカにされるという心配は、もうほとんどありません。でも、収入がなくて生活できないという不安はあります。

しかし、収入などなくても生きていけている、というのも事実です。今は貯金を取り崩しながら、生活できていますから。だから、お金がなくなった時はなくなった時で考えよう、と思っています。

私の考えは、「神との対話」などから得たものですが、心屋さんも同じようなことを言われていますね。だからスピリチュアル系だと感じるのです。


他にもいろいろ書かれていますが、心屋さん自身が書かれているように、特に目新しい理論が書かれているわけではありません。「神との対話」などで書かれているようなことが、別の言葉で書かれているだけです。

けれども、心屋さんが自分の人生で実証してきたことがベースにあるだけに、説得力があります。私も心屋さんの武道館ライブへ行って、初めて生で心屋さんとお会いしました。その人柄に触れて、やっぱり本物だなと感じたのです。

「好きなこと」だけして生きていく。
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2017年04月23日

DREAM ドリーム



犬飼ターボさんの本を読みました。犬飼さんの小説は、成功小説というジャンルで、日本では草分け的な存在です。

この本は、以前に紹介した「CHANCE チャンス」の続編になります。犬飼さんによれば、これは成功者シリーズ3部作の第3部になるのだそうです。

ちなみに「CHANCE チャンス」が第2部です。第1部が最後になるというのも変ですが、第2部、第3部の主人公である泉卓也の、最初の師である弓池を主人公としたものだそうです。タイトルは「トレジャー」で、これもまたいつか、紹介したいと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただ、小説ですので、ネタバレにならないように大まかなあらすじを書きます。

主人公は、整体院を2店持つまでになった泉卓也です。ところが好事魔多しと言いますが、恋人に溺れ、本業がおざなりになって行きます。そして、支店を任せていた清志の横領によって、支店をたたむことになります。

1店舗になって収入が減った卓也は、お世話になっている石田の甘い話に乗ります。その一方で、不労所得について教えを請うために、湯沢に100万円払うのです。その結果、・・・。

波乱万丈の卓也の人生ですが、最後はハッピーエンドになるが成功小説のお決まりです。ただ、その中において、卓也は様々なことを学びます。その学びこそが、犬飼さんが読者に伝えたいことでもあるのです。


誰でも親に対する復讐心を持っているものなんだ。復讐を成し遂げても苦い思いしか残らないものでしょ? でもね、ほとんどの人は一生気づかずにそれを続けているよ。何かをするときに、認めてくれなかったじゃないか、愛してくれなかったじゃないか、という復讐心を動機にしそれを始めてしまうと、手に入れるまでのプロセスもイライラしたり恐怖を感じたりと苦しくなるだろうし、将来せっかく手に入れても嬉しく思わないだろうね」(p.174 - 175)

卓也のメンターである湯沢の教えです。同じ成功を目指すにしても、動機が何かが重要なのです。動機が復習なら、たとえ成功しても幸せにはなれない。そう湯沢は言うのです。


卓也は完成したプランを見て、ここ数年の経験が活かされていることに満足した。今までの出来事は、これを完成させるために起きたのだとさえ思えるようになった。」(p.255)

人生で起こる出来事は必然でムダがない。私もそう常々言っています。どんなひどい出来事も、最悪な事態も、すべては自分を良くするために起こります。卓也も、そう感じたのです。


ビジネスのこと、不労所得のことなど、具体的な指針が盛り込まれています。ですがそれ以上に、本質的なものの考え方が書かれていて、それを読むと感動するのです。

一度は上手く行きかけても、それで終わりにならないのが人生です。挫折があるからこそ学びも大きく、それによってより進化成長できるのです。自分の人生と比較しながら、読んでみてはいかがでしょうか。

DREAM ドリーム
 
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2017年04月22日

母という病



野口嘉則さんのオンラインセミナーで勧められていた本(新書版)を読みました。著者は精神科医の岡田尊司(おかだ・たかし)氏です。

タイトルからは少しわかりづらいかもしれませんが、本の帯にこう書かれています。「母親という十字架に苦しんでいる人へ。」つまり、母親が原因で精神的に苦しんでいる人に、楽になる生き方を提供するものです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

でも、それは当たり前のことだ。子どもは、母親の愛を求めるという本性をもって生まれてくるから。
 子どもの何よりもの願いは、母親に愛されたいということだから。
 それが得られないと、生涯にわたって、それを求め、そこにこだわり続けることになる。それは悲しいまでの定めだ。
」(p.11)

すでに大人になった人であっても、子どものころ母親から愛されたかったという気持ちを持ち続けると言います。それはどんなに表面的に否定してみても、否定しきれないもの。だから「本性」だと言うのです。


母親に愛されたいがゆえに、子どもは母親の期待することに応えようとする。
 しかし、いつまでもその関係を続けることは、子どもが自分自身を確立し、自立していくというプロセスを妨げてしまう。
」(p.12)

子どもの本性として母親から愛されたいと思い、そのために母親の期待に応えようとする。けれども、そうしていると自立ができなくなるのですね。それこそが、まさに「母という病」なのです。


母という病は、単に親子関係の問題ではない。
 それが重要なのは、母親との関係がしっくりいかないということが、決して、母親との関係だけに留まらず、人生全体を左右する問題だからだ。
」(p.18)

母親との関係が、その後の人生での人間関係にも影響する。それによって、人生全体が影響を受けるのです。


これまで母という病のネガティブな側面を中心にみてきた。しかし、幸いなことに、母という病を抱えるということは、決してマイナス面ばかりではない。」(p.60)

母親から愛されなくて育つことは、決してマイナスばかりではないと言います。つらい人生かもしれませんが、それだからこそ開花する才能もあるのです。たとえば、ジョン・レノン氏の音楽の才能も、母親との関係があったからだと言っています。(詳細は本をご覧ください。)


基本的安心感とは、世界や自分といったものを無条件に信じることができることだ。基本的安心感がしっかり備わっている人は、何が起ころうとどうにかなると、未来を信じることができる。誰かが助けてくれると、楽観していられる。」(p.74)

必ず助けが来ると信じること。これが重要だと、本田健さんの小説「ユダヤ人大富豪の教え」の中にも書かれていました。この本では、心理学的な面からそう言っていますが、「脳の分子レベルの研究から」も、裏付けられていると書かれています。ただ詳細な説明はないので、何とも言えませんが。


母という病を抱えた人は、安全基地をもたないがゆえに、手近に得られる慰みに依存してしまいやすい。安らげる港を、手っ取り早い仕方で求めてしまう。過食や買い物、アルコールや薬物といったものは、そのありふれた候補だと言える。対人関係や不安定な恋愛に次々のめり込むことも多い。それによって、激しい刺激や刹那的な満足を得ることで、つかの間でも、不安な気持ちを忘れようとする。」(p.132)

薬物依存などの依存症が問題になりますが、その原因は、実は「母という病」にあるのだと言います。心に安全基地がないため、常に不安にさらされているからですね。


母という病を抱えた人は、大きく二つに分かれる。小さい頃から何かと問題を起こして親を困らせていたか、逆に、手のかからない良い子で、「反抗期がなかった」と言うくらい、見かけ上、母親との関係が良かったか。
 早くから問題が出るケースは、それだけ問題が深刻なことが多いが、必ずしも、結果が悪いわけではない。問題を噴出させることで、否応なしに親がかかわるようになり、状況が改善し、大人になった頃には、だいぶ落ち着いているというケースも少なくない。
 良い子を続けてきたケースの場合は、一見問題はそれほど深刻でないかのように思える。しかし、長年我慢し、問題の噴出を遅らせた分だけ、ダメージが広がり、取り戻すのが容易でない面もある。
」(p.243 - 244)

いわゆる不良少年や非行に走るケースと、逆に良い子になるケースがあるそうです。そして、より深刻なのは、良い子になるケースなのですね。


まだ子どもの場合には、親が変わると、子どもは劇的に変わる。もう大人になっている場合には、もう少し時間がかかり、傷の深さによっても違ってくるが、親が本気で考えや行動を変えた場合には、大きな変化が現れる。
 だが、親が自分の非を顧みず、子どものせいだけにして、変わろうとしない場合には、回復の過程はより難しいものとなる。残念ながら、こうしたケースの方が多いのが実情だろう。
」(p.244 - 245)

「母という病」は、親が変われば治るということです。それも、早ければ早いうちに変われば、より効果的だと言うことですね。


逆らったことのない母親と激論を戦わして、それでも母親が受け入れてくれないと、宮崎は悔しさで、涙さえ流すこともあったという。そのぶつかりあいと涙が、宮崎がずっと我慢していた何かを吹っ切るうえで重要だったように思える。それは親の支配を脱し、自分自身のアイデンティティを確立する大きな一歩ともなったはずだ。」(p.264 - 265)

これは映画監督の宮ア駿氏の話です。彼もまた「母という病」を引きずっていたようです。前のジョン・レノン氏の例もありますが、この病によって才能が開花することがあるのですね。


顔を合わせれば傷つけられるか、振り回されるかという状況が繰り返される場合、親とかかわりあうことは、余計に子どもを不安定にし、問題をこじらせていく。母という病が深刻な場合ほど、こうしたことが起きがちだ。
 その場合、悪循環を防いで安定を取り戻し、自己確立を遂げていくためには、母親から適度な距離をとることが必要になる。
」(p.265 - 266)

前に、親が変われば子どもの状態は改善するという話がありました。しかし実際は、親が変わるのを待っていても、なかなか難しいものがあります。そこで、側にいて振り回されるくらいなら、いっそのこと距離を置いた方がよいと言うのです。

私は、母親に振り回されていたというほどのことはないのですが、やはり親からの影響があって、内向的な性格になっていたと思います。それが改善されたのは、大学に通うために一人暮らしを始めたことが大きいと思っています。強制的にでも離れると、変化が現れるようです。


そもそも自立という関門は、ある意味、母親に見切りをつけるプロセスだと言える。それは、なかなかつらいことだ。後ろ髪をひかれる思いに駆られる。たっぷり甘えて、愛情をもらった人の方が、この関門を容易に通過できるのだが、母親に愛されなかった人ほど、未練が強くなる。」(p.271)

母親に愛されたいのに愛されないという経験は、母親への依存を生じさせます。だからなかなか親離れできないのですね。


自己否定を抱えた人ほど、それから逃れるために、理想的なもの、完璧なものを求めようとする。完璧な自分は、良い自分。不完全な自分は、悪い自分。その二つしかないのだ。」(p.278)

自分に自信がないと、完全主義者になりがちです。完全にできることしかやらないのです。失敗する(=不完全)ことが怖いから。

自分で自分を否定しているので、他者からの評価を必要としています。そういう子どもにとって、他者から(特に母親から)否定されるということは、耐えられないことなのです。だから完璧を求めるのですね。


「良い子」に未練があるのは、親に愛されたいから。だが「良い子」の自分に縛られる限り、親の支配を脱することはできない。自立した大人にはなれない。
「悪い子」の自分も、また大切な自分だということ。「悪い子」の自分を受け入れたとき、人は一人前に一歩近づく。
」(p.279)

親に依存している限り、自立はできません。自立するには、親への依存を断ち切ることです。それは、親の評価に左右されないで、ありのままの自分をすべて受け入れることなのです。


母親から愛情をもらえず、母という病を抱えた人は、しばしば自分が誰かの親代わりの存在になることで、自分に得られなかったものを他人に与え、それによって自分の抱えた傷を乗り越えようとする。本来は母親から優しい愛情と世話を与えられることによって育まれる愛着を、自分が小さな存在に対して母親の役目を行うことによって育み直そうとする。」(p.290)

母親から愛されなくて「母という病」を抱えた場合、後にパートナーやカウンセラーの支援を得たとしても、その病を克服するのは困難だと言います。では、どうするのか?

それが、自分が他の誰かを愛することなのですね。対象は、子どもであったり、ペットであったりします。自分が与えられなかった愛情を、他者にたっぷりと与えることで、自分の傷が癒えるのです。


母という病に苦しんできた人は、大抵否定されたり、傷つけられたりした人なので、何気ない素振りや意味のない表情にも、敵意や怒りを感じてしまう。いつも自分が恐れてきたものが、見えてしまうのだ。
 余計なことに傷つかないためには、どうしたらいいだろう。
 その一つは、自分に言い聞かせる言葉を使うことだ。たとえば、「他のことに気を取られていたんだ。別に意味はない」と言い聞かせる。
」(p.299)

私にも経験があります。ある時、数人で座っていたのですが、エアコンの風が当たって寒かったので、そう言いながら席を移ったのです。すると後から隣りにいた人が、「私のことが嫌いだから逃げた」と言って泣き出しました。その人からすると、何気ない私の行為の中に敵意を感じたのでしょう。

私にそういう意図がなかったのは明らかです。出来事は同じでも、解釈は複数あります。だから、自分はそう感じるかもしれないけど、他の見方もあるということを知っておくことが重要ですね。そして、そのことを自分で自分に言い聞かせるのです。


そこまで何もかも知り、事実と向き合うことで、彼女は母親を許すことができたのだ。その事実は、決して彼女にとって都合の良いことばかりではなかった。それでも、母親という人間を客観的に理解することによって、自分が受けた傷の意味を知り、それを乗り越えることができたのだ。
 だが、何よりも、彼女が母親を許すことができたのは、彼女がそうすることを望んでいたからだろう。
 子どもは、親を怨みたくなどないのだ。本当は、母親を許したいのだ。その手がかりが欲しいのだ。
」(p.312)

ジェーン・フォンダさんの例です。彼女は、母親の診療記録まで取り寄せて調べ上げ、母親がどういう人生を過ごしたのかを客観的に理解しようとしたのです。そのことによって、母親もまた弱い1人の人間だと認めることができて、母親への怨みを手放せたのでしょう。

後半にあるように、どんなに恨んでいても、子どもは母親を愛したいものなのですね。憎み続けたくはないのです。許したいのです。それだけに、なんだか切なくなります。

子どもは親を許したい。親のことを恨んで暮らしたくなんかない。恨み続けることは、否定を抱えながら生きるようなものだからだ。自分の一番大切だった人を否定するということほど、悲しいことはない。」(p.315)


親に対する否定的な思いが薄らいでいくにつれて、他の人に対しても、思いやりをもち、優しくなれるようになる。
 また、自分に対する否定的な思いも薄らいでいき、肯定的な思いが高まっていく。
 親に対する否定的なとらわれが、自分に対しても、他者に対しても、否定的な気持ちを生み出していたのだということに気づくだろう。
」(p.317)

「母という病」は、母親との関係だけでなく、他者との人間関係にも影響を及ぼします。それは、その病が自分への評価(自信)に影響しているからで、その自分への評価が他者との間に反映されるのです。


そして、ある日、まるで自分を蝕んでいた害毒が、透明な結晶となって固まり、取り出されるように、心から剥がれ落ちる。
 そのときには、自分を苦しめてきたものさえも、特別に大切な宝物になっているだろう。その苦しみさえも、今の自分となるために不可欠なものだと、受け入れられる時がくる。
」(p.317)

愛されない苦しみ、自分を信じられない苦しみがあったからこそ、本当の愛を知ることになるかもしれません。そうなった時、その苦しみこそが自分を育ててくれたと知るのですね。そして、愛してくれなかった母親にも、心から感謝したくなるのです。


社会の近代化は、母親と子どもを孤立させ、子どもが母親から支配されやすい状況を生んだ。母親は忙しすぎて、子どもにかかわる暇も十分になかったり、不在がちな父親に代わって、子どもを厳しく指導しなければならない。だが、そんなスーパーマンのような母親を子どもは求めているだろうか。子どもは、明るく優しく、困ったときに、そっと寄り添ってくれるお母さんでいてほしいだけではないのか。
 豊かで快適になったはずの社会は、子どもから、本来の母親を奪ってしまってきたように思える。それが、母という病の増加をもたらしている大きな原因ではないだろうか。
」(p.321)

経済的に発展して豊かになった一方で、母親が忙しくなったことが、「母という病」の増加の原因だと主張します。たしかに、そういう一面もあるかもしれませんね。


母親から愛されないことが、様々なことに影響してくる。このことは、私も感じていました。この本では、多くの実例、特に有名人の例をあげながら、「母という病」の影響を解説しています。

本の帯に「読むカウンセリングとして大反響!」と書かれています。たしかにこの本を読むと、自分の心の内が理解されたような気がして、満たされた気持ちになるかもしれませんね。

母という病
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2017年04月10日

「怒り」が消える本



野口嘉則さんのオンラインセミナーで課題図書に指定された本を読みました。著者は水島広子さん。聞き覚えのあるお名前だと思ったら、やはりそうでした。ブログ記事「愛とは、怖れを手ばなすこと」で紹介したもう1冊の本「怖れを手放す」の著者でした。

最近はアンガーマネジメントという言葉をよく聞きます。怒りやイライラから解放されたいという方が多いのだと思います。かく言う私も、実は気が短い方だと思っています。以前ほどはイライラしなくなりましたが、それでもまだ、そういう傾向があります。ですから、期待をもって読んでみました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

怒りは「結果」です。「ひどい」と思う何か(原因)があったとき、結果として出てくるのが「怒り」という感情です。「結果」に過ぎない「怒り」を押さえ込もうとすると、かえってひどくなったり、爆発したりすることもあります。
 しかし原因を取り除けば、もちろん結果である怒りもスーッと「消える」のです。
 本書では、その、「原因の取り除き方」をご紹介していきます。
」(p.3)

本の冒頭、「はじめに」の中で、水島さんはこう言います。「怒り」は結果なのだから、原因にアプローチすることが重要なのですね。「怒り」そのものを我慢したり、コントロールしようとしてもダメなのです。


痛みを感じることは悪いことではなく(不快なことではありますが)、その「原因」に気づくチャンスを与えてくれるものです。
 怒りも全く同じで、怒りを感じることが悪いことなのではなく(不快なことですが)、その「原因」に気づくチャンスを与えてくれるもの、と考えると、「怒り」の感情と前向きに取り組んでいくことができると思います。
 怒りのこうした役割を知ることが、怒りをコントロールする第一歩となります。
」(p.28)

怒りと痛みを比べて、同じようなものだと言います。怒りは、精神的に問題が起こったと感じることで出てくる感情ですから、その原因に気づくチャンスなのですね。だから「怒り」という感情を抑え込もうとするのではなく、チャンスと考えて感謝して、その原因を探る方が得策なのです。


怒りにふりまわされず、怒りを本来の役割通り「対処すべき問題のサイン」として活用するためには、まず「怒りの感情」をそのまま受け入れる必要があります。」(p.35)

ですから、怒りに任せて相手を攻撃したり、怒りが湧いた自分を責めたりしてはいけないのです。「怒りが湧いてきたんだなあ」と受け入れることが重要なのです。感情は感じる(=受け入れる)ことが大事で、対処はその後のことですから。


とにかく、自分がとっさの怒りにとらわれたときには、「単に自分の予定が狂ったから困っているのだ」と思ってみましょう。
 これは、おもしろいくらいに、あらゆる状況に当てはまるはずです。
 そういう視点を持つだけでも、「とっさの怒り」は手放しやすくなります。
」(p.43)

「自分の予定が狂った」というのは、言葉を変えれば「思い通りにならない」ということです。釈迦は「思い通りにならない」ことが世の中の苦しみの原因だと言っています。ですからまずは、怒りに振り回される前に、「自分は何かが思い通りにならなかったから怒ったのだ」と考えてみることなのですね。


電車で化粧をしている人を同じように見ても、ほとんど気にしない人もいるでしょうし、怒りを感じずに、ただ興味深く見つめる人もいると思います。
 これはそれぞれがどれだけ我慢しているか、つまり「我慢度」の問題と言えるでしょう。自分も好きなようにやっているという人の場合、他人の異常な行動に寛容になりやすいのです。
」(p.50)

電車内の化粧とか携帯電話の通話など、それを迷惑と感じるかどうかは人それぞれです。それを「我慢度」の違いだと説明されています。こういうことを理解することも、怒りをコントロールできるようになるには大切なのです。


つまり「怒り」は「困ってしまった自分の心の悲鳴」ととらえることができるのです。この視点の転換はコントロールを取り戻すために大きく役立ちます。」(p.53)

怒っている人は、その問題を自分には対処できないと感じ、「助けてくれー!」と叫んでいるのと同じなのですね。したがって、何かを問題と感じ、それが非常に大きな問題だと思い、自分にどうしようもないと感じた時、怒りはピークになるのです。


自分が期待した通りの役割を相手が果たしてくれていれば、また相手が自分に期待している役割が自分も引き受けたい役割であれば、ストレスはありません。しかし、相手が自分の期待通りに動いてくれなかったり、相手が期待してくることが、「やりたくないこと」や「できないこと」だったりすると、ストレスになります。
 相手との関係の中で「怒り」が起こるとき、そこには必ずこうした「役割期待のずれ」があると言ってよいでしょう。
」(p.56)

相手に何かを期待して応えてくれない(=思い通りにならない)とか、相手が自分が許容できる以上の期待を自分に対してかけてくる(=思い通りにならない)ことが、イライラや怒りの原因となるのです。


多くの怒りが、「相手を変えようとする不毛な努力」の中で起こってきます。
「不毛な」と書いたのは、人は変えることができないからです。
 相手を変えることができると思っていると、怒りから解放された人生を送ることはできません。
」(p.71)

これもよく言われることですね。相手は変えられません。なぜなら、相手は相手の論理(価値観)にしたがっているからです。ですから、相手を変えようとして文句を言ったり、アドバイスすることは意味がないのです。


それでは成長がないではないか、と思うかもしれませんが、もちろんそんなことはありません。
 人は基本的には前進する生き物なので、環境さえ整えば変わっていきます。人を変えることはできませんが、人が変わりやすい環境を作ることはできるのです。
 ですから、叱って相手を変えようとするのではなく、何が相手の変化を妨げているのかをよく調べて、その障害を取り除いてあげた方が効果的です。
」(p.74)

相手を変えようとするのではなく、相手自身が変わろうとするよう仕向けることですね。


「評価」というのは、自分なりに現実を解釈しようとする試みなのですが、往々にして相手にとっての現実とはずれているものです。それを「あたかも真実のように」相手に押しつけるのは、とても暴力的なことです。」(p.91)

たとえば「仕事人間」とか「だらしない」というのは、相手への評価なのです。それをあたかも真実であるかのように相手に押しつけるから問題が起こります。

相手に伝えるべきは「どうしてほしいか」であり、「自分がどういう評価を下しているか」ではないのです。」(p.91)

相手にレッテルを貼る(=評価する)のではなく、その状況で自分がどうしてほしいかを伝えればいいのです。


主語を「あなた」にして相手の話をすると、必ず相手に評価を下すことになってしまいます。前述しましたが、評価を下されると人は自分を守ろうとしますので、相手に対して協力的になりにくくなります。自分の事情だけを話して、協力を依頼するのが、最も効果的なやり方なのです。」(p.93)

いわゆる、You(ユー)メッセージではなくI(アイ)メッセージで伝えるということですね。相手に強制するのではなく、自発性に任せて協力してもらうのです。


なぜ私たちがあいまいなことを言ったり、間接的なコミュニケーションをしたりするのかと言うと、それは、「直接言うと角が立つ」からです。
 でも本当にそうなのか、ということを見ていくと、そこで「角が立つ」と思われるコミュニケーションは、「君は案外だらしないんだね」というように、「あなたは」式のものであることがほとんどなのです。
」(p.94)

たしかに、直接言うと角が立つと思って、言えないということがありますよね。それを水島さんは、「あなたは○○すべき」のように言うから角が立つのだと言います。これを「私は○○してほしい」と伝えれば、角が立つことは少ないのだと。


自分の事情を話して協力を依頼するのはよいのですが、要求してしまうと、相手を追い詰めることになり、得られる協力も得られなくなってしまいます。
「○○してくれるとありがたいんだけど」という距離感が「依頼」です。相手には断る自由もありますし、協力の形を変えるという選択肢もあります。
 一方、「要求」は息苦しく迫ってくるもので、「○○しなさい」という命令にも近いものです。断る自由も、内容を修正する自由も感じられないことが多く、それを自分に対する脅威と感じて防御したり反撃したりしてしまう人もいます。
」(p.96)

私がどうしてほしいかという気持ちを伝えるにしても、「要求」ではなく「依頼」でなければいけないと水島さんは言います。「要求」だと、相手への評価と同じ意味になるのです。


評価という銃弾に当たらないように、ただ受け流すのが最も安全です。そのためには、「相手の評価に対して、何の評価も下さない」という姿勢がよいのです。
 お勧めは、「ふうん、ダサイと思うんだ」「ああ、そう思う?」などと、発言を受け止めずにただそのまま返す、というやり方です。
」(p.102)

他人から評価を下されて、それを真に受けると、それが怒りになります。ですから、それは他人の勝手な評価だから、好きに言わせておけばいいのです。その言葉の意味を受け止めるのではなく、相手がそう言ったという事実だけを受け止めるのです。

ちなみに、これは単なる切り返し方の話ではありません。評価というのはあくまでも相手が相手の領域内で下しているもの。「ふうん、そう思うんだ」という以上の何ものでもありません。それを「自分への攻撃」と解釈してしまうから、「被害」が生じて、怒りが湧いてくるのです。」(p.103)

評価は相手が勝手にやることなのです。勝海舟は、福沢諭吉の評価に対して、このように返してます。「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。我に与らず、我に関せずと存候。」毀誉(きよ)とは評価のこと。まさに、「好きに思えばいいよ」という対応でした。


つまり、「被害者でない人は怒りを感じない」と言ってよいと思います。
 ですから、起こってしまった怒りをどうするか、という以前に、そもそも自分は本当に被害者なのか、ということを検証してみるとムダに怒らずにすみます。
」(p.112)

自分が被害にあったことを知らせてくれるのが「怒り」という感情でした。そこで、本当に自分は被害者かと問い直してみることがよいと、水島さんは言われます。

反射的な怒りを感じたとしても、どういう受け取り方をするかは自分で選ぶことができるのです。」(p.113)

反射的に怒ることを防ぐのは難しくても、怒りを相手にぶつけたり、イライラし続けたりしないようにすることはできるのです。その方法が、「本当に被害者か?」と考えてみることなのです。


こうして見てくると、私たちは出来事そのもの(相手の長電話)によって傷つくわけではなく、自分がそこに乗せるストーリー(自分が粗末にされた)によって傷つく、ということがわかります。相手が長電話をしたとしても、そこに「自分が粗末にされた」というストーリーを乗せなければ自分は傷つかないのですから、自分が傷つくかどうかを最終的に決めるのは自分、ということになります。」(p.116)

自分が被害者になるのは、出来事が原因ではありません。その出来事に対して自分がどう解釈したか、どういう意味付けをしたかにかかってきます。つまり、自分で選べるのです。


自分が「被害」に遭った、と思う度に、「そう断言できるほどの証拠がそろっているだろうか?」と考える習慣を身につけるとよいでしょう。
 「ほぼ確実」と感情が言っている場合でも、「本当にそうなのか」「違う可能性もあるのではないか」と考えてみます。
」(p.118)

相手がどう考えているかは、相手に尋ねてみなければわかりませんし、相手が本当のことを答えるかどうかもわかりません。それに、相手の答を誤解することもあります。つまり、どうしたところで真実はわからないのです。

ですから、出来事の解釈には必ず自分の思い込みが入っていると言えるでしょう。それがわかっていれば、自分が勝手に作った解釈だと思えて、怒りを手放すことができるのです。


現実に乗せてしまう自分の「ストーリー」とは、現実に対して自分が下している評価にほかなりません。
 評価は暴力だということを90ページで述べましたが、実は、評価はそれが向けられる相手に対して暴力的であるだけでなく、評価を下している本人にとっても毒になります。
」(p.120)

出来事の解釈そのものが「評価」だと水島さんは言います。そしてそれは、評価した相手に対する暴力だけでなく、評価した自分への毒でもあるのだと。

これは、他人を評価する人というのは、自分がどう見られているかを気にする人だからです。つまり、他人の評価に怯えている人ということです。そういうビクビクした状態でいるわけですから、それが毒だと水島さんは言います。


「自分なりの正義」を主張し続けると、それは必ず他人の正義とぶつかることになります。一人ひとりの事情が違う以上、それは当然のこと。「自分が正しい」と言うと、相手は「こちらこそ正しい」と言います。これは綱引きのようなもので、「自分が正しい」と綱を引っ張った分の力で、相手は引っ張り返すのです。どちらかがやめない限り、綱引きは延々と続き、怒りからは解放されることがありません。」(p.124)

まさに、戦争は互いの正義のぶつかり合いですからね。互いが正義を主張し合う限り、最終的には戦争になってしまいます。


怒りを手放すためには、「正しさの綱引き」から手を放さなくてはなりません。
 それは、「あなたが正しくて私が間違っている」と認めることではありません。「どちらが正しいか」という「評価の次元」から脱するということです。
 もちろん自分の考えを曲げる必要はないですし、大切にしている価値観は大切にしたままでよいのですが、「相手には相手の事情がある」ということを認め、どちらの正義が正しいかを決めない、という姿勢をとるのです。
」(p.125)

正義の比較をしないことは、相手の正義を受け入れるということではないのです。違いがあること受け入れるということです。自分の正義(価値観)を相手に押し付けようとしないということです。


実に読みやすい本で、あっと言う間に読めてしまいました。それなのに、これほど引用したくなるほど、重要なことが書かれています。

怒りをコントロールしたい人はもちろん、よく生きたいと思われている方にもお勧めの本だと思います。

「怒り」が消える本
 
タグ:水島広子
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2017年04月09日

本当に好きなことをして暮らしたい!



夢を実現するというテーマの本を読んでみました。著者はバーバラ・シェール氏、翻訳は永田浩子氏です。

ハードカバーではない新書版のペーパーバックだからということもあるのでしょう。300ページ以上もあるボリュームで1000円は非常に安いと思いました。

シェール氏は、キャリア・カウンセラーとしてクライアントの人生設計を助けてきました。その中で、自分の天職を見つけて、その仕事をするようになることが、自己実現にもつながるし、幸せにもなれる方法だと確信されたようです。この本には、どうやって転職を見つけるのかという具体的な方法が書かれています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

好きなものというのは、指紋と同じくらいユニークだということを知ってください。なぜなら、「自分が好きなことをする」以外に、本当にあなたを幸せにするものはないからです。」(p.7)

ここでのポイントは、まず、好きなものはユニークだということです。同じ「犬が好き」でも、犬種に好みがあったり、接し方に違いがあります。それはどれが正しいとかスタンダードかではなく、それぞれの個性なのです。

次に、好きなことをすることが幸せにする方法だということです。バシャールなどはワクワクすることをやるよう勧めていますが、ここで言う好きなことと近い感じがします。


ですから、自分自身をほめる代わりに、サポーターにほめてもらいましょう。自分自身に言い聞かせる代わりに、サポーターに助言を求めるのです。これはもっとドラマチックで楽しいので、あなたは孤児ではなく、彼らの秘蔵っ子のように感じるでしょう。」(p.70)

何か新しいことをしようとすれば、どうしても不安がつきまといます。その時、必要なのが勇気と安心感だとシェール氏は言います。それらを得るために、空想のサポーターを使う方法を説明しています。

このやり方は、私が勧めている「鏡のワーク」と似ていると思いました。自分だけの問題として捉えるのではなく、そこに第三者を作り出して、第三者の視点で問題を見るということですね。


このようなやり方で、ただ単純に自分の感情を記録することは、あなたが自分を受け入れ尊敬できるようにしてくれます。それは、「私の感情はすべて正しい」とか、「私は素晴らしい人間だ」などの言葉を一〇〇回唱えるよりも効果があります。何かを記録するという行動は、あなたがそのことを受け入れている、ということだからです。」(p.106)

何らかの感情が沸き起こった記憶をたどり、それを記録するというワークについての一文です。アンガーマネジメントでも、怒ったことを記録するという方法を勧めています。自分の感情を受け入れるのに、感情が起こった出来事やその時の感情、そして何をどう考えたかを記録することが効果的なのですね。


計画はまったくの作りごとなのです。書かれた通りに起こったものなど一つもありません。
 けれども同時に、計画を立てるのは賢いことです。なぜなら、あなたが行動を起こすようにしてくれるからです。そしてその行動は、たくさんのうれしい偶然を引き起こしてくれるでしょう。
」(p.251)

つまり、ものごとは私たちの思い通りにはならないけれど、行動することで導かれるということなのですね。その行動のために、何らかの計画をし、実行する必要があるのです。

人生は予測不可能であり、何がどうなるかはわかりません。それは悪い方向への変化もあれば、良い方向への変化もあります。いずれにしても、その変化によって、不可能だと思われるようなことが可能になるのです。


この本は、好きなことを見つけて、それを実際にやるためのステップが書かれています。このワークを一つひとつやっていくことで、自然と天職が見つかって、その仕事ができるようになるということです。

ただ、1つ残念なのは、とても読みづらいということです。おそらく原本がこうなのでしょう。段落はあるものの、段落と段落の間のスペースがあまりありません。そして文章の書き方も、結論を言わずに説明を延々と続けるような感じで、途中で飽きてしまいます。何の話をしたいのか、よくわからないからです。

そういうこともあり、読み出してもすぐに飽きてしまうため、1日に数ページずつ読むのがやっとで、読み終えるのに1ヶ月近くかかってしまいました。その間に他の本を何冊も読んだほどです。

そういうことはありますが、シェール氏が勧めている方法がダメということではありません。ワクワクする人生に至るための1つの方法として、有効なものではないかと思っています。

本当に好きなことをして暮らしたい!
 
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2017年04月06日

お金のいらない国



ブログ「いばや通信」で坂爪圭吾さんが紹介されていた本を読みました。坂爪さんは「わたり文庫」と名付けて、自分がお金を払ってでも読ませたい本の循環を提唱されています。この本も、その一環として紹介されたものです。

こちらの本は、数日前に東京の恵比寿でお会いした麗しき女性M様から「これって、愛だと思うんです」という言葉と共に託された稀有なる一冊になります。わたしも読みました。愛だ…愛た…非常に素晴らしい全人類必読の一冊だと思いました。

坂爪さんがそこまで絶賛されるなら、読まないわけにはいきません。それで、一時帰国に合わせて購入してみたというわけです。作者は長島龍人(ながしま・りゅうじん)さん。私の友人にも龍人(ちゅうじん)という名前の人がいるので、何だか親近感をいだきました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

この本は物語になっています。主人公の普通の日本人男性が、ある日、まったく別の世界に入り込んでしまいます。そこでは、人々はとても親切で日本語が通じるのですが、1つだけでまったく違うことがありました。それは、「お金がない」ということです。


要するに、このお金というものは、ものの価値をみんなが共通して認識するためのモノサシでしかないわけです。ですから、皆がそのまま仕事を続けていけば社会は回っていくはずなんですよ。」(p.35)

その国の住人は、主人公の男性にこう言います。つまり、私たちの社会からお金がなくなったとしても、みんなが仕事を続けるだけで社会は回っていくはずだと言うのです。

考えてみれば、その通りだろうと思います。お金に価値があるのではなく、物やサービスに価値があるのですから。それを生み出す仕事を続ける限り、お金を介さなくても困らないはずです。


それに、今の私たちの社会では、そのお金を管理するための仕事があります。銀行とか保険とか。そういう仕事は、お金がなくなれば不要になります。つまりその仕事は、社会を豊かにすることには、何も貢献していないということになります。

今のあなたの国でも、お金に関わる仕事をしている人が全員、その仕事をやめてしまったとしても、みんな十分に暮らして行けるはずなんです。そんな、言ってみればムダなことに時間や労力を使っていたにもかかわらず、あなた方は今までやってこられたわけですから。」(p.35)

まさにそういうことになりますね。お金を管理する仕事がなくなり、そのための労力を他に使えるのだとしたら、もっと豊かになれると思います。


仕事の目的は世の中の役に立つことです。報酬ではありません。報酬を目的にしていると、必ずどこかにゆがみが生じてきます。自分の行った仕事以上の報酬を得ようとしたり、必要のない仕事を無理に作って、自分の利益だけは確保しようとする動きが出てくるでしょう。そうなると、完全な競争社会になります。」(p.37)

まさにそれが、私たちの社会だと言えます。仕事の目的に「報酬を得ること」がある限り、ゆがみが生じるのですね。


わずか60ページほどの短い小説です。ですから、その気になれば10分やそこらで読めてしまうでしょう。けれども、この物語の中には深い気付きがあるように思います。

今すぐ実現しないとしても、いずれ社会はこうなっていくのではないか。そんな未来を予感させる物語だと思います。続編もあるので、また読んで紹介したいと思います。

お金のいらない国
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:41 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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