2017年09月06日

感動の条件



今回も「『心を育てる』感動コミックシリーズ」の本(マンガ)を読みました。これは、この前に紹介した「植松電機T」を買った時、プレゼントとしてつけてもらった本です。


コミックの表紙を見ても、どういう内容なのかよくわかりませんでした。でも読み進めていくうちに、どこかで聞いたことがある話だなと思いました。大分県中津市のちょっと変わったたこ焼き屋。その名も「陽なた家(ひなたや)」。そのオーナーの永松茂久さんの物語です。1章は、陽なた家がどんな店かということを描いています。

なぜかたこ焼き屋に惹かれた永松さんは、たこ焼き屋になることを夢見て、大学進学、就職という人生の一大事を、たこ焼き屋になるために捧げます。

いろいろな出会いがあって念願のたこ焼き屋になれるのですが、必ずしも順風満帆ではありません。そんな中でも苦労しながら店舗を増やし、売上を増加させていきました。しかしある時、松永さんは何かこれは違うんじゃないかと感じます。そして悩んだ末に、ある方向性を定めるのです。

みんあ、
聞いてくれ。

何年で年商何億とか
店をドンドン増やすのは
もうやめにするぞ。

数字の目標はキリがない。
ずっとそればっかり
追っていたら
大切なものを
失くしてしまう。

今、目の前にある幸せに
気づくことが
できなかったら
どんなに成功しても
幸せにはなれない。

お客さまや

周りの人たちに感謝して

今できることを
全力でやれば
俺たちのコップに
ハッピーが増えていくk。

それがあふれ出した時

間違いなく
俺たちは
でっかくなってる。



その後、永松さんは、「読書のすすめ」店長の清水克衛さんの引合せもあって、斎藤一人さんと出会います。そして「陽なた家」は、一人さんからも認められるほどの光となって、田舎に人を引き寄せる観光スポットになるのです。


「陽なた家」の話は、以前どこかで読んだ記憶があります。「みやざき中央新聞」だったかもしれませんが、もう忘れました。昨年の11月に中津市には行ったのですが、その時はまったく気づきませんでした。もし知っていたら、絶対に行ってみたかった。そう思います。

世の中には、光となって輝いている人がたくさんいますね。そして、そういう人がお店や会社をやれば、それがまた輝きます。そういう影響を与える人々のことを、本当にすごいなあと思います。

感動の条件
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:38 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月04日

沖縄教育出版T



また「『心を育てる』感動コミックシリーズ」の本(マンガ)を読みました。これは、この前に紹介した「植松電機T」を買った時、プレゼントとしてつけてもらった本です。

このコミックの主人公は沖縄教育出版という会社です。とは言え、教育とはまったく関係のない健康食品や化粧品の通信販売をしています。もともとは出版社として始めて、そのまま社名を変えずにいるのです。それは、この会社のテーマが商品の販売ではなく、人育てだからと言います。

見学者が後を絶たないという「日本一長い朝礼」が有名で、なんと1時間から2時間もの朝礼を毎朝やっているそうです。

そんな変わった会社を創ったのは社長の川畑保夫さん。前半の第一話は、川畑さんが今のような会社を創るようになるまでの人生を描いています。営業をバリバリこなしていた川畑さんは、腎臓がんにかかってしまいます。やっとそのピンチを克服し、会社に復帰したところ、今度は会社の先行きに不安を持った社員が次々と退社し、60名から一気に半分にまでなってしまったそうです。

そんなピンチを、アウシュビッツから生還したフランクルの言葉によって、川畑さんは救われます。

ならば私がガンになったこと…
手術が成功して生きながらえたこと…!!
その後の度重なる試練もすべて…!!
意味があることなんだ!!!!


経営の神様、松下幸之助氏の言葉にも励まされます。

ならば…!!

この逆境は
私が成長できる
チャンスなんだ…


こうして川畑さんは、逆境を乗り越えて行ったのです。


第二話は、名物の日本一長い朝礼がどういうものかという紹介です。そして第三話は、「めだかの学校」というタイトルです。

童謡にある「めだかの学校」は、誰が生徒で誰が先生かわからないくらい、みんなでお遊戯をしながら楽しんでいます。いっぽう「すずめの学校」は、先生がムチを振り振り指導します。沖縄教育出版は、「めだかの学校」を目指しているのだそうです。

アフターさん(パートスタッフのこと)たちは、お客さまに役立つことを主体的に考える。社員はアフターさんたちが気持ちよく働けるように心を配る。上司や管理職は、社員が生き生き働くことを気遣う。管理して指導するのではなく、サポートし合っているのです。幕末の松下村塾もきっと、こんな感じだったのでしょうね。

私たちは
「通信販売」ではなく
「通心販売」
…を自負しているのです。


ただ物を売ってお金を儲けることが目的なのではなく、お客さまと心を通わせ、社員と心を通わせ、希望を届けて生きる意味を大きくすることが、会社の目的なのだと川畑さんは言います。


この会社で働いているだけで表情が明るくなり、生き生きと生きられるようになる。それが沖縄教育出版という会社なのですね。

私はこの会社の存在を初めて知ったのですが、こういうことも手軽に知ることができるコミックって素晴らしいですね。

沖縄教育出版T
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:43 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

植松電機T



植松努さんの半生を描いた本を読みました。Facebookで、このコミックのクラウドファンディングをしていることを知りました。主催はインフィニティという広島の会社です。

実は私、ここの求人に応募したことがありました。およそ20年前の話です。おそらく面接までもいかず、書類選考で落とされたと思いますけどね。

植松努さんのことは、TEDの講演で知ってから、ずっと注目していました。ご著書の「好奇心を”天職”に変える空想教室」も購入しています。そういうこともあり、縁のある会社がしえんしているからと思って、私も少し支援することにしたのです。

このコミックは、「『心を育てる』感動コミックシリーズ」と言うのですね。インフィニティさんで発売しています。その中に、以前読んだ「テラ・ルネッサンスT,U」も入っていたことを、今回初めて知りました。

こういうマンガは、ぜひ多くの人に読んでほしいと思います。一般の書籍と比べると読みやすいですから。そしてこれに感動したら、ぜひ一般の書籍も読んでみて欲しい。あるいは講演会に足を運んで欲しい。そう思うのです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。とは言え、マンガですから引用はごく一部に留めます。

負けそうな時、
いつも支えて
くれたのは、

本で出会った
たくさんの
仲間でした。

ライト兄弟!

エジソン!

野口英世!

キュリー
夫人!

ツタン
カーメン!

ベーブ
ルース!

だーい
じょうぶ!

俺達、
東大行って
ないから。

伝記には、
あきらめ方が
書いて
なかったんです。


飛行機やロケットの研究をしたいと言う努少年に学校の先生は、「東大へ行かなきゃ無理」と言って否定しました。しかし努少年は、親しんでいた伝記から力を得て、「どうせ無理」を跳ね返したのです。


思うは招く。

思ってたら
そうなる
って事だよ。

母のこの一言が
僕の人生を支え、

この言葉によって、
ここまで
歩んできました。

ある時、
NASAの門に
ある言葉が
刻んであるのを
知りました。

Dream can do,
Reality can do.

「思い描くことが
できれば夢は叶う」

母はこれと同じ事を
教えてくれたのです。


坂村真民さんの詩にもあるように、「念ずれば花ひらく」ということなのです。思考は現実化するのですね。


学校の先生からは否定されても、父親、母親、祖父、祖母から愛され、否定されずに応援されたことによって、植松さんの今があるように思います。

今度は植松さんが、子どもたちの支援者になろうとされています。そして、自らの姿勢を見せることによって、「どうせ無理」を社会からなくそうとされているのです。

植松電機T
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:34 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

父という病



前に「母という病」を読みました。その本を買う時、著者の岡田尊司(おかだ・たかし)氏がこちらの本も書かれているのを知って、一緒に買いました。

子どもに対する親の影響は、母だけではないだろうという思いがあったので、父がどう関係するのかを知りたいと思ったのです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

しかし、父親となると、生まれてくる一年近くも前に、母親となる女性と愛し合い、精子を提供したということ以外に、生物学的な結びつきは乏しく、父親が果たすべき生物学的役割は、これといって存在しない。」(p.10)

考えてみればたしかに、父親の生物的な役割は、種を与えることでしかありません。事実多くの生物が、父親と関係なく生まれて育ちます。そのような中で、人間の父親とは、いったいどういう役割があるのでしょうか?


こうした父権的な社会においては、父親は畏怖すべき絶対の存在であり、逆らうことは許されなかった。父親は一家のリーダーであると同時に、教育者であり、精神的な支柱であった。」(p.14)

家父長制度があった時代に、父親は一定の役割を果たしていたと思われます。しかし現代は、そういう制度そのものが崩壊し、父親の役割も変わりつつあります。

父親の存在感が、かつてとは比べられないほど希薄な時代を迎えたのだ。父親がさほど重要性をもたないとなると女性たちが、元々そうしていたように、自分の力で子育てをしようと考えるのも自然な成り行きだった。」(p.14)

こうして、かつての母系社会への回帰が起こっていると岡田氏は言います。


時代はさらに進んで、母親さえも働き手として、子どもにかかわる時間を切り詰めるようになり、不在の存在となる。母親さえも不在の事態が、稀(まれ)ならず起きるようになっている。子育てよりも、仕事や自分の楽しみを優先する母親も例外的な存在ではなくなった。どうしても母性の部分を犠牲にせざるを得なくなった。母親の不在や母性の欠如した子育ては、さらに深刻な「母という病」をもたらすことになった。」(p.25)

子育てから父性も母性も欠如する時代が、「母という病」を生み出していると言います。


このように、本来、父親とは、情け容赦のない、恐ろしい存在だった。そのことは、母親への欲望を禁じるという性愛的な意味よりも、社会の掟やルールを教える、もっとも厳しい師という意味においてだった。言い換えれば、子どもを家から追い出し、自立させるという役割を担っていたのだ。憎まれ役になってでも、一切妥協せず、「死刑宣告」を下したのだ。」(p.78)

父親の役割は、厳しくとも子どもを社会へ放り出し、自立させることにある、ということです。母親への性愛というのは、エディプス・コンプレックスを念頭に置いた言葉です。

父親の一つの重要な役割は、子どもにストップをかける抑止機能として作用し、やがてそれが、子ども自身の中に、自己コントロールする力として取り込まれていくのを助けることだ。」(p.84)

何でも子どもの思い通りにさせるのではなく、その希望を打ち砕く。そうすることで、子どもの中に自己コントロールする力を培うのだと言います。実際、そういう父親のもとで育った子どもは、成績が良く、よく努力し、非行に走るリスクも少ないという研究結果があるそうです。

一方、別の研究では、父親に対して子どもが親近感をもち、父親から受容されていると感じている子どもの方が、自己肯定感が高く、身体的な不調が少なかった。父親が抑えるだけでなく、子どもを受容することも、子どもの安定には必要なのだろう。」(p.85)

父親が厳しく接するだけでなく、子どもを受け入れていることも、子どもへ良い影響を与えるということです。


精神分析の関心は、エディプス・コンプレックスに偏りがちだが、父親との葛藤を克服するということ以上に、重要なのは、子ども、ことに息子は父親を通して、社会で生きていく技を学ぶということだ。
 その場合、子どもが社会適応を学んでいくうえにおいて、重要な手段の一つが同一化だ。子どもは理想化した相手に自分を同一化し、その一挙手一投足を真似、喋り方や感情的な反応の仕方までコピーし、取り込んでいく。
 実際、この年代の子どもは、父親のしていることを真似ようとする。
」(p.115)

つまり父親が理想的な男性像となって、子どもが真似るに値する存在であることが重要なのです。


息子にしがみつき、手放したがらない母親が、その思いを断ち、息子を自由の身にするためには、父親が防波堤となる必要があるのだが、父親が防波堤として機能するためには、父親と母親との関係が恒常性をもったものとして維持されるとともに、わが子の巣立ちの淋しさを共有し、その自立を共に喜ぶ方向に、気持ちが切り替わっていく必要がある。父親がいることで、そのプロセスは円滑に進みやすくなる。父親が母親のそばにいてくれることで、子どもは安心して母親から離れ、自立していくことができる。」(p.126)

子どもに愛着する母親を上手に子どもから引き離すのが、父親の役割なのです。


父親が不在でも、母親が心の中にしっかりとした父親像をもち、子どもの父親に対して、肯定的な気持ちをもっていれば、子どもは父親の不在を乗り越え、良い父親像を手に入れ、それを自分の中に取り込むことができる。それが、社会の掟や秩序に対する敬意をもち、その中でうまくやっていくことにつながる。」(p.185)

父親の存在は重要ですが、たとえ父親がいなくても、母親がしっかりとした父親像を持っていれば、子どもに対して良い影響があるということです。


母親への執着を諦めるというプロセスは、思い通りにならないものは、すべて敵だ、悪だという二分法的で両極端な受け止め方を克服し、より成熟した関係を獲得する道でもある。思い通りにならないものを受け入れることができず、攻撃するという段階から、思い通りにならないものであっても受け入れ、共感するという新たな段階へと導くのだ。父親という第三の存在がいることで、思い通りにならない状況を子どもに乗り越えさせることによって、そのプロセスは促される。」(p.190)

泣き叫べば何でも言うことを聞いてくれるのが母親。一方の父親は、泣き叫んでもダメなものはダメと言って思い通りにさせてくれない存在。子どもは、その存在を受け入れられていながらも、思い通りにならないことを経験し、社会に適応して行くのです。


この段階を乗り越えられなかった子どもは、フラストレーションに対して脆(もろ)くなりやすい。全面的に自分を受け入れ、守ってくれる存在としかやっていくことができない。少しでも非難されたり攻撃を受けると、立ち直れないほど傷ついてしまう。不快さを押しのけ、自分を主張するということが難しいのだ。
 実際、多くの研究が、父親が、子どもの自立を促すだけでなく、ストレスに対する復元力(レジリアンス)を高めるのにも役立っていることを裏付けている。
」(p.195)

父親の存在と言うか、要は適度な抵抗に遭うことが、フラストレーションに対する耐性を獲得するのに必要だということだと思います。


現実の父親が目の前にいれば、ほどよく満たされ、ほどよく失望を味わいながら、幼い頃、理想化された幻影も、やがて現実サイズのものに修正されていく。
 だが、その不在ゆえに、父親を求める気持ちが強く、「父親飢餓(ファザー・ハンガー)」と呼ぶべき状態を呈することもある。
」(p.216)

理想的な父親が存在すれば、子どもはその父親と同一化しようとします。残念ながら理想的でない場合は、傷ついた父親像を回復するために、父親代わりの存在を求めるようになると言います。

しかし、実在の父親がいない場合は、空想の中に理想的な父親像を求めて、理想に近い男性に出会っても、すぐにその不足部分が目につき、他に理想的な男性がいるのではないかと追い求めることになるのです。


父親と母親という異質な存在の間に、微妙なバランスをとることの方が、自己確立を成し遂げやすい。二つの極の間にあるが、どちらの極からも自由であるという関係が、主体性や個性を育む上で、具合がいいのだ。」(p.275)

子どもは本来、父親と母親の両方を必要としている存在だと言います。ですから、離婚によってどちらか一方に育てられるということは、もう一方を奪われたということになるのです。


パートナー同士のかかわりは、夫婦間、恋人間の愛着を安定化させることもあれば、逆に不安定にすることもある。愛着は、対人関係の土台であり、精神的な安定の土台でもある。愛着が安定しているとき、パートナーが安全基地として機能している。パートナーとの関係がうまくいっているとき、お互いが安全基地となっている。
 安全基地とは、困ったことがあったとき、何でも打ち明け、受け止めてもらえる存在だ。どんなときも、大丈夫だと言ってくれる存在だ。
」(p.294)

パートナーが安全基地としての役割を果たせなくなった時、子どもと同様に「非行」に走ると言います。アルコール依存、浮気、DVといった非行です。

ですから、そういう問題が起こった時は、本人を責めたり突き放したりするのは逆効果です。それではパートナー間の信頼を取り戻せません。

むしろ安全基地としての機能を取り戻すこと、つまり非行を受け入れ、それでも大丈夫だと言うことの方が有効だと言うのです。

しかし、事態が深刻化した場合は、第三者を安全基地として、当人同士は距離を置き、冷静さを取り戻す方が有効だと言います。


逆にケースによっては、離婚が積極的な意味で必要な場合もある。離婚しない限り、その人の主体的人生を取り戻すことが困難だという状況に陥っている場合だ。」(p.298)

離婚というのは最終手段で、できればそれまでの早い段階で手を打つ必要があります。ですから、すぐに「被害者」と「加害者」というように分けるのではなく、関係を修復するための措置が大切なのです。子どもがいなければ影響は少ないかもしれませんが、離婚が子どもに与える影響はあまりに大きいのですから。

しかし、だからと言って子どもを理由に離婚せずに我慢し続けるのが良いわけではありません。我慢は当人の心身に悪影響を与えますし、子どもへも同様です。そして、離婚が最善というケースもあるのですね。

その典型は、女性が、父親代わりの存在と悪しき依存関係に陥ってしまっている場合だ。そうした状況において、女性は自分の主体性を放棄し、相手の庇護によってしか行きていけないと思い込んでいて、精神的、経済的に依存する。性的にも精神的にも経済的にも男性に隷属し、男性の所有物としての自分を受け入れることで、心の安定を保とうとする。こうした状況に、配偶者間暴力が伴っている場合も多い。」(p.299)

このように結婚が「鳥かご」になっているなら、離婚することが先決になると言います。自立できない関係なら、その関係を解消することが優先されるのです。


ただ、幸いなことに、父親の不在や拒否は、母親の不在や拒否よりも克服しやすい。母親との不安定な関係は、存在の土台そのものを揺さぶるが、父親との関係は、通常、そこまで強い影響力はない。母親との関係が安定していれば、父親が不在であったり、父親との葛藤が強かったりしても、その影響は存在の根底を揺るがすまでには至らない。」(p.306)

父親の存在が重要であるとは言っても、やはり母親の方が重要なのです。


相手に理想の父親像を求め、それと比べて失望するのではなく、ありのままの相手を見ることだ。裏切られたと思っているのなら、それは間違っている。最初から、勝手な期待をかけただけなのだ。自分の期待に反したからといって、相手を責めるのは、相手からすれば、まったく不当な仕打ちとしか思えないだろう。相手を祀り上げたのは、あなたなのだ。」(p.321)

相手の男性に理想の父親像を求めてしまう女性は、まず自分が、理想の父親像を求めているだけなのだと自覚することが重要だと言います。それがない限り、互いに不幸になるしかないのです。


母親が父親を否定したり、貶す言葉に、あなたの判断は影響されていないだろうか。あなたが、父親から受け継いだもの、授けられたものは、そんなにひどいことばかりだろうか。
 父親のした”悪い”行動が、どういう状況でなされていたのか、どういう意味をもっていたのかを、もう一度考えてみることだ。母親があなたに教え込んだ見方ではなく、できるだけ客観的な視点で、父親に何が起きていたのかに、思いを巡らしてみることだ。
」(p.328)

父親の実像がどうであれ、母親が父親をどう語るかが、子どもへ影響することを岡田氏は言っています。ですから、もし自分が父親に対して悪い印象を持っているとしたら、それは母親のフィルターを通したものかもしれないと言うのです。

実際問題、酔っ払って暴力を振るう父親も、そうせざるを得ない何らかの事情があるのです。それは、父親が育てられた環境(親)に原因があるかもしれないし、母親の言動が、何かを刺激するのかもしれません。

いずれにせよ、そうやって共感的に対等な1人の人間として父親を見ることが、父という病を克服する上で有効な方法だと岡田氏は言うのです。


人間関係は、幸せの源泉であるとともに、不幸の源でもあります。これはアドラーも指摘している通りです。「神との対話」でも、人間関係なしには、私たちは成長できないと言っています。その人間関係の中でも、特に重要なのが親子関係とパートナー関係だと思います。

岡田氏の「母という病」「父という病」を読むと、親子関係がパートナー関係にも影響を与えていることがよくわかります。生まれて初めて結ぶ人間関係が親子関係ですから、さもありなんという気がします。

この本を読む人は、すでに大人になっている人だと思います。もうすでに子どもには戻れない年齢かもしれませんが、知ることが自分で親子関係を修復する力になるように思います。ぜひ、この2冊を一緒に読むことをお勧めします。

父という病
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:50 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月01日

このママにきーめた!



のぶみさんの絵本を買いました。この前、「おこらせるくん」を紹介しましたが、のぶみさんの絵本では親子関係、特に母子関係がメインテーマのようです。


絵本なので、特に引用はしません。その代わり、物語の概要を説明しましょう。

生まれる前の子どもたちが、天の上から神様と共に地上を見ています。そして、どのママの子どもになるかを自分で決めるのです。

他の子どもたちから不評で、神様もやめておいたほうが良いと忠告するくらいの女性がいました。その女性を、ある子どもは選びます。

自分が何かをしてほしいからではなく、あのママを喜ばせるために生まれるのだと言って。


映画「かみさまとのやくそく〜あなたは親を選んで生まれてきた〜」を見たことがあります。その中でも、何人もの子どもが、自分でママを選んだと証言しています。

この映画には登場していない多くの子も、同じように言っていることを、映画に登場する池川明医師は証言しています。

そして、子どもたちが生まれてくる目的は、その多くが「ママを助けるため」とか「ママを喜ばせるため」だと言っているそうです。

以前紹介した絵本「うまれるまえのおはなし」も、同じテーマの内容でした。


こういう話が本当かどうか、それは何とも言えません。多くの証言があることは事実のようですが、だからと言って、それが必ずしも事実とは言えないからです。

今の段階では、それを信じるかどうかだけです。ですから、それぞれが自分で決めるしかないのですね。


「子どもが虐待する親を選んで生まれたりしない。」と言う人もいます。しかし、あえて困難を背負って生まれることを、自分で決めたと証言する子どももいます。

前に紹介した本ですが、「自分をえらんで生まれてきたよ」の中で、いんやくりおくんは、「病気を選んで生まれてきた」と証言しています。そのことによって「ママもいろいろな体験ができる。だからママは喜んでいいよ」と言っているのです。


もし、自分で環境や親を選んで生まれてきたとするなら、すべては自分の責任です。自分が選んだ現実の中で、自分がどうするかだけが問われています。

そういう考え方は、まさに「神との対話」などが示す考え方だと思います。自分が幸せになるためには、他者から翻弄される生き方を捨てることです。自分がすべての責任を引き受けることによって初めて、自分で変えることができるのです。

このママにきーめた!
 
タグ: のぶみ 絵本
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 10:24 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月31日

0波動の癒し[入門編]



気功の関連で誰かが紹介していた本です。著者は整体院を開業する木村仁(きむら・ひとし)氏。元は鍼灸師ですが、その後、カイロプラクティスを学ぶなど、様々な研鑽を経て、今のスタイルになっているようです。

ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。


生命のあるところにはエネルギーがあり、力がある。自然治癒力は生命力の中のひとつの働きだ。根源は生命という”自然”である。生命の誕生から成長も自然の力であるし、病気や怪我を克服し、健康を保つのも自然のメカニズムがおこなうことだ。
 人はだれでもその素晴らしい自然の力を体の中に持っている。それを、”イネイト・インテリジェンス=内なる自然の叡智”という。イネイト・インテリジェンスは身体の内側を流れる大いなる自然であり、生命力そのものだ。自然治癒力すら、その一部でしかない。
」(p.10)

このように、聞きなれない「イネイト」のことを説明します。これはまさに生命そのものであり、生命エネルギーそのものであるように感じます。


イネイトを目覚めさせ、流すためには”0(ゼロ)波動”を使う。0波動はわたしの長い研究と治療との中で発見したものだ。0は無ではなく、すべてを持つ数字である。そこには、足りないものも余分なものもなく、完全無比の姿がある。まさに大いなる自然そのものをあらわすものだ。」(p.11)

この本で重要だと思われる「イネイト」「0波動」という言葉を結びつけて説明しているのは、最初のこの部分だけです。私たちの身体と宇宙とは切っても切れない関係があり、宇宙の真理であり生命という自然そのものが「イネイト」だと言っています。

その「イネイト」は、なぜか「0波動」と共鳴するそうです。「0波動」が何なのかという説明はあまりありませんが、ここに書かれたように「無」ではなく「すべて」ということになるのでしょう。それがどういう意味かは、まだよくわかりません。


人間の身体の中には、イネイトという大自然が内包されているのだ。宇宙の生命力と同じく、人間の持つ自然の生命力、それがイネイトだ。イネイトは生命力そのものなのである。自然治癒力すらも、イネイトの一部にすぎない。イネイトは脳(脳幹)で作られ、そこから全身にめぐらされる。イネイトはつねに体内を流れ続け、わたしたちの身体を生かしているのだ。
 イネイトの流れがスムーズであれば、自然治癒力も活発に働き、健康でいられる。イネイトが順調に流れているかどうかが、その人の健康状態を左右するのである。そして、それに影響するのが頚椎だ。
」(p.27)

生命力そのものであるイネイトは、脳幹で作られ、頚椎を通って全身に流れると言います。その流れがスムーズであることが自然治癒力がよく働くことであり、健康でいられることなのです。


化学薬品はすべてイネイトの邪魔だと言っても過言ではない。化学薬品にはすべて副作用があるのも周知の事実だ。身体のためを思って服んでいる薬が、実は身体に悪い結果になっているのである。
 大切なのは、とにかく”邪魔をしないこと”だ。イネイトはだれもが持っている力だし、本来流れたがっているものだ。
」(p.48)

不自然なことをしたり、不自然なものを食べることにより、イネイトが流れることを阻害すると言います。だから不自然なものは健康の邪魔だと言うのです。


しかし、たとえ自然のものでも、あらゆる薬は同時に毒物であり、量が多ければ副作用を起こす。穏やかな植物のエキスでさえも、量をまちがえれば逆効果になってしまうのだ。ハーネマンは副作用を避ける方法として、与える物質を薄める、という方法を考えついた。何万分の一、何億分の一という薄さに薄め、それを服むのである。
 なぜ、そんなものが効くのか、という疑問にはまだ明確な答えはない。おまけにハーネマンは、”薄めた液体を強く何十回も振ること”が大事だというのである。”振動”が薬を活性化させ、効果を生み出させるという。
」(p.70)

これは、ホメオパシーについての記述です。ホメオパシーと言うのは、要は水にその物質を混ぜてどんどん希釈していくと、物質的な効果が出るはずがないのに、同じように効果が出るというものです。つまり、その物質の波動が水にコピーされることで、物質はなくてもその波動の効果が出る、ということなのです。

0波動とは直接の関係はないのですが、人体は波動に影響を受けるということが、このことからもわかるということですね。


人間の身体には磁気が流れている。正確には磁気だけでなく、血液や酸素、気やエネルギー、イネイトなども流れている。それが全身に力を運び、身体を動かしているのだ。そして、ひとつの磁場を作っているのである。磁場は全体がひとつの世界であり、その中ではすべてがつながっている。その全体に流れがゆきわたっているのだ。」(p.89)

血行だけでなく、たくさんのものが身体を流れていて、その流れを阻害することが問題だと言います。化学製品、金属、身体を締め付けるものなどが、その自然な流れを阻害します。磁気ネックレスなども、そういう意味でよくないと言います。


だが、注意したいのは、それをおこなうのはアディオではない、ということだ。病気を治したり元気を回復するのは、あくまでもその人のイネイトがおこなうことで、アディオがすることではない。アディオは、もともとある”内なる自然の叡智”であるイネイトを目覚めさせるにすぎない。偉大なのは、その人の持つ力なのである。」(p.100)

アディオというのは、ネックレスのようになっている脳幹と同じ波動、つまり「0(ゼロ)波動」を出すものです。これが共鳴によって、身体に本来の波動を発生させ、身体の本来の力を発揮させる。そのことによって、病気が治ったりすると言います。

アディオイフとも言われるようですが、検索すると一般的にも売られているものだとわかります。1万円くらいからですが、ガラスやアクリルなどでできているようです。ただし、どうやって波動を映しているのかということは、この本にはまったく書かれていません。


こうした例があるものの、わたしはそれほどトラウマを重要視していない。心の傷というのは本人の思い込みによるものが多く、気持ちの偏りとも言えるものだ。イネイトが流れれば偏りは消え、バランスを取りもどすのだ。」(p.119)

アドラーもトラウマを問題視していませんが、同じようにトラウマそのものが問題なのではなく、今、イネイトが流れていないことが問題なのだ、という考え方のようです。


子供は放っておけば、自分のしたいように振る舞う。遊びたいときに遊び、食べたいときに食べ、眠りたいときに眠る。自然のままで、実にイネイト的な存在である。しかし、それでは大人が困る。大人は仕事や家事に忙しく、時間どおりに動いてくれないと都合が悪いのである。これは社会そのものの在り方でもある。大人イコール社会なのである。
 子供への教育は子供のため、という目的も含まれるだろう。皆と同じようにできなければいけない、同じように感じなければいけない、はみ出した考え方を持ってはいけない。こうした集団主義的な教育は、とくに日本において強い。イネイトの観点から見ると、日本の教育は大いに問題があるのだ。
」(p.120 - 121)

このように、大人の都合に合わせた教育が、子どもを苦しめていると言います。イネイトは、自然に流れるものであり、自由であり、他からの強制を受けないものです。それを型にはめるという考え方は、イネイトの健全な流れに反するというわけです。


ツイアビの島では、財産はすべて共有制で、皆で分かち合う。それは村人だけに限ったことではなく、旅人に対してもそうだ。あらゆるものは”大いなる心”の作ったものであり、個人が所有すべきではない、という考え方だ。”大いなる心”とは自然であり、宇宙であり、神だ。食べものも小屋も、寝るときに使うむしろも、大いなる心の創造物だと、ツイアビは言う。」(p.150)

南太平洋の西サモア諸島、ウボル島に住む酋長(しゅうちょう)ツイアビが、ヨーロッパを旅して文明に触れた後、島の人々に語ったことが、「パパラギ」という本に書かれているそうです。そこから引用しながら、文明が進歩していることが必ずしも、人間にとって良いことではないことを言うのです。


病気というのは自我と真我が一致しないために起こるものだ。真我というのは”ユニバーサル・インテリジェンス”であり、宇宙の叡智、0波動である。母親の欲求に応えようとして、0波動から遠く離れた生き方をした結果が、病気という形であらわれるのだ。」(p.157)

教育熱心な母親の欲求にしたがって、本当は自分がやりたいわけでもない進路を目指す。そのことによって体調不良になる例をあげています。

しかし、このことから病気というものは、本来の道から離れていることを教えてくれるものでもある、と言います。間違っていることに気づき、それを改めれば自然の流れに沿うことになり、病気も治るのです。


本を読み終えて思うのは、「イネイト」が何かがまだよくわからない、ということです。カイロプラクティクの創始者が見つけたというようなことが書かれていますが、説明は不十分です。

木村氏自身が鍼治療を行う中で、仙骨とか、背骨とか、頚椎の重要性を見いだしたことはわかりました。しかし、そのこととイネイトがどう関係するのか、「気」とどう違うのか、よくわかりません。

そして、唐突に出てくるアディオイフという脳幹の波動を出すものにも、なんだかよくわからないという感じです。言っていることに共感を覚えるものもありますが、「うーんどうなんでしょう?」という気もします。

そして、この本にも書かれているのですが、この0波動の考え方による「むつう整体」なるものが、全国に多数あるということも驚きました。これは、特殊な能力を持った木村氏だけができることではなく、そのやり方を伝授できるということに他なりませんから。

では、どうやってそのやり方を伝授できるのか? 根本的に何がどうおかしいということがわかるのか? そういった疑問には、この本は答えていません。

ただし、イネイトを一般的な「気」と考えるなら、半分くらいは理解できます。「気」の流れが滞ることが悪いとするのは、気功でも同じですから。

私はまだ完全に理解したわけではありませんが、こういうこともあるのかもしれない、という気持ちにはなりました。そして、それがすでに日本国内で広がっていることに驚きました。良し悪しはそれぞれで判断していただくとして、これもまた知っておいても悪くないかと思っています。

0波動の癒し
 
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2017年08月27日

気功革命



気功の入門書として絶賛されているようだったので、この本を買ってみました。著者は中国の方で盛鶴延(せい・かくえん)氏。奥様が日本人の方で、今は日本に永住されているようです。

日本語で会話するのは達者なようですが、書く方は難しいとのことで、編集者の森田トミオ氏が聞きとって文書にされたようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

気功法が他の健康法を大きく違うところは、効果が早く出ること。そして、最後には知恵に行き着くことです。気功法の効果は健康以上の健康なのです。」(p.3)

気功法と他の健康法との違いを、効果が出るスピードだと言い切ります。しかし、どれだけの健康法と比較されたのかよくわかりませんし、その根拠は書かれていません。おそらく、盛氏の感覚的なことだろうと思います。


この本は、現代に生きるみなさんのための気功の本です。そして現代に生きるみなさんのための気功の本として、これまでになかった三つの「気功法の革命」を取り入れました。その三つというのは「時間」と「方法」と「考え方」です。」(p.12)

「はじめに」の中で、この本のタイトルにつながる考え方を示します。これまでの気功は、効果が出るまでに時間がかかったのだそうです。なので現代に合わせて、短時間で効果が出るものばかりを集めたと言います。
また、初心者レベルでもやりやすくて効果の高い方法を、各流派から集めたと言います。そして、動作やポーズだけを教えるのではなく、考え方を教えることで効果が出やすくなるとしています。

それだけ言われるとなるほどすごいと感じるのですが、疑問がなくもありません。では、時間がかかる各流派の正当な教え方は効果がないのでしょうか? そういう教え方に意味がないのでしょうか? いいとこどりをした結果、逆に何か欠点が生じていないのでしょうか? そういうことには触れていないので、何とも言えません。


気功では上丹田(じょうたんでん)、中丹田(ちゅうたんでん)、下丹田(しもたんでん)という考え方をします。上丹田は頭の脳の中にあります。中丹田は胸の所にあって、下丹田はへその下のお腹の中にあります。日本でもよくへそ下三寸といわれる所です。
 三つの丹田にはそれぞれ役割があります。それは気の三つの力と関係しています。三つの力というのは精(せい)・気(き)・神(しん)です。気は赤字から黒字に変化させて、さらに体内で充実させて百二十パーセント、百五十パーセントと密度を高くしていくと、精・気・神と段階的に、質的に変化させていく事ができるのです。
 精というのは体の力、体力です。精を充実させると活力が戻り、病気なども直っていきます。気というのはその上の段階の物質です。気が充実すると精神力が増してきます。雑念が減り、心の活力が増し、でも穏やかな気持ちになり、集中力も高まります。
 そして何より、自分の意志をコントロールすることができるようになるのです。神というのはさらにその上の段階の物質です。気が充分に充実すると神の段階の物質が生まれてきます。神の段階の物質は大きな知恵です。歴史上の大きな発明や発見、思想や哲学、科学などとても人間が考え出したと思えないような偉大な考えは、気功的に見るとすべて神の段階の力の働きです。
」(p.22 - 23)

長々と引用しましたが、気功法の基本的な考え方を語った部分です。「丹田」という言葉は知っていましたが、それは「下丹田」のことを差していたのですね。


昔からの教えに「煉精化気(れんせいかき)・煉気化神(れんきかしん)・煉神還虚(れんしんかんきょ)」という言葉があります。精を練って気に変え、気を練って神に変え、神を練って虚に帰るという教えです。虚というのは虚しいという意味ではなく、自分よりもっと大きな存在の知恵という意味です。
 三つの力、精、気、神はそれぞれ下丹田、中丹田、上丹田と対応しています。
 気功の修行は必ず、下丹田の精から始めなければなりません。それは、ピラミッドのような安定感を作るためです。
」(p.23)

「気を練る」という言葉も知っていましたが、3段階の1つに過ぎないのですね。なかなか奥深そうです。


磁石の反発感のように、自分の体の外側に感じられる気を「外気(がいき)といい、体の内側に感じられる気を「内気(ないき)」といいます。
 外気というのは、例えば森林浴などという言葉でいわれていますが、自然界にあまねく偏在する生命エネルギーの元になる物質です。それを体内に取り入れ、内気に変えて、さらに密度を高くして質的に変化させていくことに気功法の特別の効果があるのです。
」(p.25)

レイキは外気だと言われるのは、こういうことですね。自分の中のエネルギーではなく、宇宙のエネルギーをそのまま身体を通して流すからです。

気功の練習はこのように、外気を取り入れて内気に変えていくこと、内気を充実させて流れを力強くする(気を練る)ということになります。


気功の目的は気を精・気・神と変化させ、最後には天地、宇宙とひとつになって、そこから知恵を得ることです。体の調子を整え、活力を取り戻し、病気を直していくというのはその過程です。最後に出てくるものは知恵なのです。気功ではそれを「天人合一(てんじんごういち)」といいます。」(p.31)

最終的には宇宙との一体化を通じて、宇宙の叡智を体現する。それが気功の目的だと言います。健康や気力精力を充実させるのは、本来の目的ではないのです。


でも考え方を変えると、一番大きなDNAは背骨といえるのではないでしょうか。本当は、それがパワーの源です。昔からパワーのシンボルとして、中国のいい方では龍、西洋のいい方では蛇があげられてきたものです。私の考えでは、それは背骨を意味しているのです。」(p.69)

背骨には使われていないパワーの源があり、それが大人になるにつれて下がっていく。それで活力が落ちるのだと盛氏は言います。だから、下丹田(仙骨の近く)から上丹田(脳)へと、背骨を通じてパワーの源を上げていく。それが気功法では重要なのだと言います。


気の三つの力、それは精・気・神です。精が強くなると体が丈夫になり、気が強くなると精神力がましてきます。そして神が強くなると知恵が生まれます。そこが普通の健康法と違うところです。気功法で生まれる効果は、健康以上の健康なのです。精・気・神は段階的に変化していく気の力です。」(p.136)

一部繰り返しになりますが、段階的に変化していくという点も、気功の特徴なのでしょう。

虚に帰るというのは、最後には自然や宇宙と一体となった一段高いレベルの知恵が入ってくるようになることです。それは、例えば第六感といわれる感覚の発達です。そうすると、今まで分からなかったものが分かるようになってきます。」(p.136)

「神」のレベルを超えると「虚」のレベルですが、ここでは「帰る(還る)」という言葉が用いられています。特に説明はありませんが、人(魂)が生まれてきた大本という意味ではないかと思います。

その段階では宇宙と一体化し、宇宙の叡智を体現すると、先に書いたとおりです。それを平たく言えば、直感が働くということですね。


また、双修の方法の他にない素晴らしい所は、セックスは考え方を変えると、最高の陰陽交流の方法なのです。間違った方法では単なる精の浪費ですが、正しい方法で行なえばそれは長生きの元になる健康法になるのです。セックスは本当の命の源だからです。」(p.138)

双修というのは、男女2人で同時に行う気功法になります。紛らわしい文章で、双修がセックスをすることのようにとられるかもしれませんが、それは違います。ただ、セックスの準備段階として、役に立つ方法でもあるようです。

セックスが単に浪費に終わる間違った方法というのは、短い時間で終わって射精することです。正しい方法はその反対に、長い時間行ない射精しない方法です。」(p.138)

昔、「接して漏らさず」というセックスの格言を聞いたことがありましたが、ひょっとしたら気功法から来ていたのかもしれませんね。


花とお酒を愛する仙人たちのようになりたかったらどうすればいいか、君に正直に話してあげよう。花が無かったら、お酒が無かったら、道になることはできないよ。」(p.168)

明の時代の有名な道教の達人の詩を訳したものです。「花」とは女性のことだそうです。もう1つの詩でもこう言っています。

女性やお酒などのいろいろな欲望を直して、自分の行いを定める方法があります。それには女性が薬です。そしてお酒が給料です。お酒と女性の中で自由自在になることができたなら、それが長生きの秘密であると分かるでしょう。お酒を飲んで、女性と楽しくすごしているのを神様や鬼たちが見たら、きっと人間が羨ましいといって泣くに違いない。」(p.168)

要は、酒や女性を好みながらも溺れないということなのでしょうね。溺れるのは執着して依存することですから、自由になりません。来ればつかみ、逃げれば放す。それを楽しめる状態が自由なのだと思います。


セックスに「八益七損」というものがあるそうです。その中の七損(7つの損)は秀逸ですので、概要を紹介しましょう。

1.「セックスの時に痛いことをする、痛くても無理にすること
2.「セックスの時に汗をびしょびしょにかくこと
3.「セックスの数が多すぎること
4.「自分に無理してやること、体の状態が整っていないのに頭だけでやりたいこと
5.「自分にも相手にも不安がある時、でも、セックスしたい
6.「女性は絶対にしたくない、でも男性は絶対にしたい、そういう場合にすること
7.「ゆっきり話をしたり、リラックスしたりすることもなくてただ急いですること
(p.172 - 173)

こういうセックスは、精を浪費してしまうだけなのですね。無理に急いで挿入することや、激しく動いてすぐに射精してしまうこと、体調不良があったり心配事があるときに無視して行うことなど、考えてみれば「良くない」とわかりそうな感じですね。


この本には、図解入りで様々な気功のやり方が紹介されています。最初に書かれているように、どれも簡単にできそうなものです。

一部、部位ごとに病気を治す気功も紹介されていますが、姉妹編に詳しく書かれているそうです。さらに、形や動きが図解ではわかりにくいという人のために、DVDもあるようです。

この本をまとめられた編集者の森田氏は、実際に習った気功をやっていくうちに活力が出てきて明るくなったと、「編集あとがき」に書かれています。やってみなければわからないという世界はあるのだろうと思います。

気功革命
 
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2017年08月21日

マルクスが日本に生まれていたら



これもどなたからか紹介された本です。「海賊とよばれた男」という映画を見て、出光佐三(いでみつ・さぞう)氏のことを知りました。その原作は百田尚樹氏が書かれたもので、その小説の中でこの本が紹介されているのだそうです。

元々は社内の勉強会の記録をまとめたもので、社長室のメンバーの質問に出光氏が答える形になっています。出光氏とマルクスの理想が同じではないかという気付きから、ではマルクスとどう違っているのかという点を掘り下げながら話が進みます。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

いまの人はあまりに過去の知識、自分の学んだことにとらわれてしまって、平和に仲良く暮らすという、人間の本質を忘れてしまっている。そこに今日の世界の行き詰まりと混乱の源があるように思うが、どうかね。」(p.6)

移動の時間が短縮された現代では、「昔の武蔵の国一国ぐらいのところに百以上の異民族が雑居している形だ」と出光氏は言います。そんなところで対立闘争していては上手くいくはずがない。仲良く平和に暮らすことを中心に考えなければならないと言うのです。


言い換えれば、資本主義における資本家の搾取は否定するが、資本主義の能率的ないいところは、採っていく。社会主義・共産主義の働く大衆のためとか、社会全体のためとかいういいところは採って、社会主義・共産主義から出てくる非能率な国営や、人間平等論は採っていない。資本主義と社会主義・共産主義を咀嚼していたということだね。」(p.22 - 23)

それぞれの主義の良いところだけを採る。それが出光氏の考え方だと説明します。


ぼくは共産主義というものは、それまで研究したことはなかったが、主義を唱える人は真剣に考えて言い出したことだろうから、必ずいいところがあるに違いない、それを採れ。しかし人間中心の国、人間が中心でつくる社会、それが日本の国であるが、この日本の国体を乱すようなものは不倶戴天の仇である。」(p.24)

出光氏は、共産主義(マルキシズム)のことを詳しくは知らなかったようです。ただ、必ず良いところがあるはず、という確信はあったのですね。ただし、中心は日本の国体であり、人間中心の社会であるという信念を持っていたようです。


人間が平和にしあわせに暮らせるような社会を目指している点では、マルクスも出光も同じだと思うね。しかし福祉・しあわせの内容、その目標に達する手段になると、全然正反対だ。マルクスは人間の福祉の根本を物に置き、目標に達する手段を階級の対立闘争に求めているようだが、ぼくは違う。人間のしあわせは心にあって、それにはお互いに譲ったり助け合ったりして、仲良くするという互譲互助・日本の和の精神がなければならないと思う。」(p.32)

理想においてはマルクスと同じであっても、その手段が物を中心に考えるのか、それとも心を中心にするのかで、大きな違いがあると言います。


日本民族は両者をはっきりと区別して、お互いに切磋琢磨しながらお互いに繁栄進歩する自由競争は採るが、対立闘争して相手を滅ぼすという考えはない。こういう区別ができるのは、日本民族のみじゃないかと思うがね。」(p.35)

自由競争と闘争とはまったく別のもので、自由競争は相手を潰すものではなく共に切磋琢磨して成長し合うためのものだと出光氏は言います。


必要に応じて分配するということは、一見、立派に見えて公平かのごとくであるが、実行は不可能だよ。無欲・無私の神仏ならば、必要に応じてということで公平にいくだろうが、私利・私欲の人間には結局、平等に分配する以外になくなって、悪平等になってしまうんだ。」(p.35)

共産主義では「能力に応じて働き、必要に応じて分配する」ことを理想としています。それが、共産主義革命が起きたあかつきには達成されると主張したのです。しかし出光氏は、人間は神仏のような完璧な存在ではないから、そうはならないと言います。


その人間の矛盾性、質を無視しているところに、マルクスは、根本的な誤りをおかしているといえるのではないかと思うんだ。人情を無視したものを人間社会にあてはめても、それは合わない。人間は公平に扱われなければならない。」(p.37)

いいことをする人もいれば、悪いことをする人もいる。我欲の強弱も人それぞれだし、能力も人それぞれです。そういう人間を公平に扱うとは、その良し悪し、能力の多寡に応じて扱うということなのです。


対立の思想と信頼の思想との相違が、われわれ石油業でさえも、そのくらいの影響があるから、この日本人の信頼のあり方を世界に広めることは、世界の平和・福祉に大きな影響があると思う。それが日本人の務めじゃないか、ということをぼくは言っているわけだ。」(p.84)

商売の関係は敵対関係ではなく協力関係だと出光氏は言います。出光の大家族主義、和の経営は、日本人の信頼のあり方をベースにしたもので、それを世界に広めることが日本人の使命だと言うのです。


そういうふうに、日本人がまず平和と福祉の実態をつくって、その実態をもって、対立闘争で行き詰まっている世界に見せてあげるようにしなければならない。
 そうすれば、外国からそれを見て、どうして日本はあのように平和に仲良くいけるのかということで、興味をもって、自ら進んで日本を研究しはじめる。そうしているうちに、日本のあの和の道でなくてはならない、ということを、おのずから悟るようになると思うんだ。
」(p.100)

まずは日本の社会が、闘争のない平和で弱者に優しい社会になること。そうすれば、自ずと日本の和の精神が世界に広がると言います。まずは自ら手本を示すこと。それしか他者へ影響を与える方法はないのですね。


霊魂を否定し肉体とか知識ばかりを主張するようになったところに、今日の世界の行き詰まりがありはしないか。」(p.114)

出光氏は、個人的には霊魂の存在を確信していると言います。したがって、肉体だけと見るのではなく、肉体は人間の一部であり、むしろ霊魂とか心を中心だと考えるべきだと主張します。


なにもぼくはマルクスのように、労働を搾取した分が利潤だ、などとは考えない。理屈ではそうなるのだろうが、それは「物の国」の考え方だと思うね。」(p.144)

出光氏はこのように、マルクスの搾取論を否定します。しかし、では利潤とは何かについての対論を示してはいません。


そのときにぼくははじめて、商人とお客さんとは対立するものではない、専門の知識をもって働き、油のほうは私が全責任を引き受けますから、あなた方は本業に全力を注いでくださいという互助の精神を知った。そして、これが商人の使命であり、事業の社会性というものだということがわかったんだよ。
 この間のスエズ動乱のときも、出光はけっして価格を上げずに、お客さんに油の供給の不安を感ぜしめなかった。
 このように、金儲けに走らずに商人の使命を果たし、それの「報酬」という考えが、日本人の利益の考え方なんだよ。
」(p.146)

何かを売るのは、儲けるためではなく相手を助けるため。相手を助けることによって利益が生まれ、それによって自分が助かる。その互譲互助の精神がベースであって、その作用の中でのお礼の気持ち、感謝の気持ちが、報酬(=利益)なのだと説明します。


マルキシズムでは、価値は労働によってしか生まれないと規定します。それなのに、労働をしていない資本家が利益を得るのは、労働者からの搾取だというわけです。この理論の間違いの根源は、「労働しか価値を生まない」という前提にあることは明らかです。

たとえば、マルキシズムでは物を移動させても価値は生じません。労働ではないからです。では、運送屋は価値を生まないのでしょうか? 魚を獲ってくるだけの漁師は価値を産まないのでしょうか?

また、労働が価値を生むと言いますが、不具合のある時計を生産しても価値があるのでしょうか? 素人が描いた絵とプロが描いた絵と同じ価値なのでしょうか? このように、マルキシズムが矛盾のある理論であることは明らかです。

しかし、出光氏は厳密な理論はなしに、自分も資本家の搾取に反対したと言われます。配当が2割以上もあるのは搾取で、1割以下なら搾取でないというような、あいまいな指針を示すだけです。

マルクスは、階級闘争から共産主義革命に至る唯物史観を必然的なものとするために、理論を組み立てています。ですから、資本家は価値を産まないこと、資本家が手にする利益は搾取であると、決めつける必要があったのです。

しかし出光氏は、心の観点から、情け容赦ない収奪を搾取と呼んで非難したのです。相手も同じ人間だという思い。もっと言えば、大きな家族の一員ではないかという思いです。


そのもとは愛だよ。人類愛。愛ということは、これは簡単に言えば、相手の立場をいつも考えるということ、とくに強い人が弱い人の立場をいつも考えるということだ。相手の立場をいつも考える、ということは互譲互助だ。逆に対立闘争の国では、自分のことを主張する一方なんだ。自由を主張し権利を主張する。」(p.179)

お互いが仲良くすることをまっ先に考える。そういう出光氏の思想の原点は「愛」なのだと言います。

日本は古来より、無防備の皇室を中心に栄えてきた国だと出光氏は言います。武力闘争をして勝ち取ったのではなく、無防備でありながら、国の親として国民のことを祈り続けてこられた皇室。その国体があるからこそ、日本人は相手を思いやって平和に暮らすことを当然のように思っているのだと。


雇った社員は一人も解雇しない。解雇しないから定年もない。それが出光の考え方です。その大家族主義は社内だけでなく、商売の関係者、地域社会全体へ押し広げられます。だから、自分たちが儲かるかどうかよりも、社会のためにどうあるべきかを優先することになります。

いざとなれば、イギリスとケンカする覚悟でイランの石油を輸入する。そんなことは、こういう信念を持っていなければ、けっしてできなかったでしょう。

必ずしもすべてに共感するわけではありませんが、このような企業が日本にあることを、私は誇らしく思います。

マルクスが日本に生まれていたら
 
タグ:出光佐三
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2017年08月14日

「リストラブログ」が佳境に入りました


私が書いている通称「リストラブログ」が、いよいよ佳境に入ってきました!(笑)


これは、「人生に革命を起こすスーパービジネスマン養成ブログ」と題して、メンターの吉江勝さんが運営されているブログに寄稿しているものです。

私も執筆陣の1人として、ときどき投稿していました。


こちらのブログでも、昨年にリストラにあってからのことを書いていますが、あちらでは主にリストラに関係している記事を投稿しています。

思い起こせば1年前の5月、1本のメールで解雇宣告を受けたのが始まりでした。

そして6月に失職し、私は無職になりました。元経営者がただの無職。これはショックでしたね。


しかし、奇跡が起きて大金を手に入れることになりました。

そのお金を元に、「よし、1年間好きなことをして暮らそう!」と、臆病な私らしからぬことを考えたのです。


そして今年の7月末で、予定していた期限となりました。

好きなことをやってきた1年間に、まったく悔いはありません。

しかし、それで暮らしていけるようになったかと言うと・・・。


さて、これからどうなっていくのでしょう? 私のリストラ後の人生は、まだまだ続きます。

どうぞ、佳境に入ってきた「リストラブログ」もお楽しみください。(笑)


※私の投稿記事を連続で読みたい場合は、ブログ右サイドバーのカテゴリから私の名前を選んでください。私の記事の一覧が表示されますので。
 あるいは、プロフィールの下にも記事一覧へのリンクがあります。

 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:45 | Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

プロは逆境でこそ笑う



これはどこで買った本か覚えていないのですが、ひょっとしたら「読書のすすめ」さんへ行った時、購入したのかもしれません。Facebookで、喜多川さんの本で小説でないのがあると聞いて、それでネットで注文したのかもしれません。

著者は著名な5人の方々。「読書のすすめ」の清水克衛(しみず・かつよし)さん、西田塾の西田文郎(にしだ・ふみお)さん、学習塾「聡明舎」を運営し作家でもある喜多川泰(きたがわ・やすし)さん、「ちょっとアホ!理論」の著者の出路雅明(でみち・まさあき)さん、北海道で宇宙開発に取り組んでおられる植松努(うえまつ・つとむ)さんです。

それぞれの方が、ほんのテーマである逆境をどう乗り越えるのか、どう乗り越えてきたのか、そもそも逆境とは何か、というような内容を語っています。

この本は、「本調子U」とタイトルの前に付けられていて、「本調子」シリーズの2冊目になります。1冊目は「強運の持ち主になる読書道」というタイトルで、清水さんを始め、これまた著名な方々が執筆されています。私はこのシリーズを知らなかったので、すぐにこの1冊目も買い求めました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

彼らは皆、ユニークで変な人ばっかりです(笑)。
 しかし,彼らの共通した考えは、「壁にぶち当たるのが当たり前なんだ」と早く気づいてほしいということなのです。
 そうすれば「安心」という心の位置を早くつかむことができてしまうからです。
」(p.2)

「まえがき」の中で清水さんは、このように言って各執筆者を紹介します。どんな話になるのか、楽しみです。


自分に起きたピンチを他人はけっして解決してくれません。
 それどころか、自分自身の中に答えは元々あったりするものです。そう信じてみてください。
」(清水p.22)

自分のピンチは、自分が解決するもの。そしてその答えは自分の中にある。まずそう信じてかかることが大切なのですね。


ですから、不安って当たり前のことだったんですね。肝心なのは、不安な気持ちを嫌わないことだと思います。
 むしろ不安な気持ちは良きことなんだと思ったほうが成長が早いような気すらいたします。
」(清水p.27)

釈迦が「無常」という言葉を遺したように、世の中は安定していないのが当たり前なのだと言います。問題は、その不安定な状態を嫌うかどうかなのです。


成功者と言われる皆様は、逆境や苦しい環境に置かれても、その苦しみを苦しみと感じず、むしろそれをワクワク楽しんでしまいエネルギーに変える能力をお持ちなのです。」(西田p.66)

ここで西田さんは、エジソン氏の言葉を紹介しています。有名な「天才とは1%の・・・」ではない別の言葉です。

ほとんどすべての人は、もうこれ以上アイディアを考えるのは不可能だという所まで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。いよいよこれからだというのに−−」(西田p.66 - 67)

エジソン氏がいかに逆境を楽しんでいたかがわかりますよね。


重要なのは子供も大人も脳に成功を信じる力をつけることです。」(西田p.72)

成功を信じる力をつけるために、座禅や滝行よりも近道があると言います。

それはズバリ「脳を肯定的に錯覚させる」問いかけを行うことです。
 人間の脳はすべての問いかけに応えてくるのです。嫌だなと脳に問いかければ嫌だという応えを出し、楽しいなと問いかければ楽しいと応えてくるのです。
」(西田p.72)

西田さんは、遅く帰宅した時に奥様が怒っていても、「ありがたい」というキーワードを使って、「ありがたい、私のことを心から心配してくれて」と心の中で言うのだそうです。これが否定的な状況を肯定的な錯覚に切り替える問いかけだと言います。

つらいことも苦しいことも、肯定的なキーワードで脳を錯覚させる。こうすることで、苦しいことを苦しいと気づかない「精神力=成信力」の持ち主になれると言います。


もし、今あなたがとてつもなく苦しい環境にいたとしたら、それは本気になるチャンスであるということです。
 なぜなら、甘えが許されない状態というのは「あきらめた状態」でもあるからです。
 一度どん底に落ちた人間ほど強い人はいません。
 どん底を経験すると、後がなく他人をあてにせず、がむしゃらに生きるしかないからです。
」(西田p.79)

順境によって成功するのではなく、「本気」になるかどうかが重要なのだと言います。松下幸之助氏も、健康、学歴、お金の3つがなかったことが成功の要因だと言われたそうですが、それはそのことによって本気になれたからだと西田さんは言います。逆境は本気にさせてくれるのですね。


あなたも今日から逆境を楽しみ、逆境こそ自分の生きる道と思い、人生のハードルをクリアして下さい。
 それには「この世はディズニーランドだ!」と思うことです。遊園地は、オバケ屋敷やジェットコースターという恐怖を楽しむ所です。
 人生も同じです。あなたも今日からすべての不安を楽しんで、人生最大のチャンスの「逆境」を生かしましょう。
」(西田p.115)

ピンチこそがチャンス。だから、ピンチを楽しめと西田さんは言います。この世は遊ぶところ。遊園地を楽しむように、人生を楽しむことが大切なのですね。


このとき初めて、「当時の自分にとって都合が悪かった結果」が「失敗」ではなく、「成幸のためにどうしても必要な材料」だったということが分かります。
 おまけに、自分で考える能力や、あきらめない姿勢、学ぶ姿勢、謙虚な態度、素直さ、仲間との協力、そして感動・感謝を学ぶ機会だって手に入るのです。
 もし、初めから「成功した」と喜べる結果だったとしたら、これらすべてに関して手に入れる機会を失っていたということになります。
」(喜多川p.124)

成功の反対が失敗ではないのです。成功の反対は挑戦しないこと。挑戦する限り、その結果が不都合なものであっても、自分にとって良いものが得られます。むしろ、不都合な結果が出た方が、より良いものが得られると言います。


思うようにいかない出来事は、自分の人生をより楽しく感動的にする、退屈しのぎのための道具でしかない」(喜多川p.126)

これは喜多川さんのお父様の言葉だそうです。喜多川さんは、この言葉に、次のようなご自分の言葉を加えるようになったと言います。

今の逆境は、将来の自分にとってどうしても必要な幸せの種だ。それは僕の人生を自分が思っている以上にドラマティックにする新たな展開のスタートの合図だ」(喜多川p.126 - 127)

逆境によって人生は感動的で幸せなものになる。逆境はそのドラマの開始を知らせてくれる合図なのです。


ある学校のひとりの先生が生徒に言ってしまった失言に、日本全国が過剰反応する世の中は、すべての学校の先生の挑戦する勇気を奪い取ってしまいます。」(喜多川p.145)

子どもたちの成長のためには、失敗を恐れずに挑戦する勇気を持たせることが重要です。その子どもたちを指導する先生たちが、世間からのバッシングによって挑戦できなくなっている。おかしな話ですよね。


大人は、子供たちにとって皆「先生」です。
 その大人たちが、ひとりの人間の持つ可能性に目覚めたとき、それを見ている子供たちは自分にも世界を動かす力があることに気づきます。
」(喜多川p.157)

子どもたちの可能性を広げるには、まずは大人であるわたしたちが、夢を持って挑戦する生き方をしなければなりません。大人たちが手本を示すのです。


夢を持って生きる人は、必ず逆境に出会います。
 そういうときこそ笑って、自分の辞書を見直してみましょう。
 そしてもう一歩前に出るのです。
」(喜多川p.157 - 158)

常識とは自分が決めるものだと喜多川さんは言います。「失敗」をどう定義するのか。これも自分が決めることです。世間の考え方を押し付けられる必要はないのです。その言葉に自分がどう意味づけをしているのか、本当にそれでいいのか、見直すようにと言うのです。


たくさんの人から「ありがとう」と言ってもらえることが夢を実現するということなのです。
 あなたが夢をあきらめてしまうと、この人たちは手に入れられたはずの感動や経験を手にすることができなくなります。
 つまり、あなたは自分のためではなく、あなたが夢を実現することによって幸せになるたくさんの人たちのために成幸しなければならないのです。
」(喜多川p.160)

私が夢を諦めれば、夢を実現したあかつきに感動し、喜んでくれるはずの人々から、その機会を奪うことになる。なんという発想なのでしょう。でも、たしかにそういうことですよね。


はっきり言って私は「つらくて逆境から逃げ出した」としか思えてなりません。
 それなのに多くの気づきや学びを得たし、大きく成長でき心から感謝しています。
 そう考えると逆境とは乗り越えることができなくても、そのつらさを味わうことができるだけでも充分なのかもしれませんね。
」(出路p.175)

部下との軋轢から退職を選んだ出路さん。ただ、すぐには辞められなくて、半年間は誠実に仕事をされたそうです。その経験から、逆境に耐えられなくて逃げてもいいと言います。ただし、そのつらさに不平不満を言い続けるのか、それとも気づきを得られたことに感謝して前向きに生きるのか、それによって違いが出てくるのだと。


私がこのプチ逆境をいかに乗り越えたかということを一言で言うなら、自分の気持ちを「正直」に伝えた! ということになるでしょう。」(出路p.178)

自分の気持ちに対して正直であること。それが逆境を乗り越えるポイントだと言います。正直に伝えることは、時として恥ずかしかったり惨めだったりします。それでも、相手に対して誠実であろうとするとき、それを乗り越えて自分の気持ちを伝えなければならないのですね。


ある意味、これが究極の答えになるかもしれませんが逆境の真っ只中だからって暗くなっていても何のプラスもないと思うのです。
 そんなときこそ明るい笑顔でいるから逆境を乗り越えられるのではないかと思います。
」(出路p.193)

開き直ることを勧めています。これも見方によれば逃げているようにも見えますが、開き直ってスッキリすれば、逆境に立ち向かう強さが得られると出路さんは言います。


だから私はつらいときには「時間が解決してくれる」と自分に言い聞かせています。
 まさにこれが「長い目で見ると!」っていう逆境を忘れちゃう作戦なんです。
」(出路p.210)

逆境を乗り越えられなくても、時間が解決すると思えば気が軽くなります。今の逆境を見つめるのではなく、中長期的に考えれば、仕事の失敗も、パートナーからフラれることも、いずれ忘れてしまうようなことです。そんなに気にすることでもないなという気持ちで、今を生きることですね。


不景気とは、価値観の変化です。市場のニーズの大幅な変化です。そこでは、変化を追い越したものだけが生き残ります。
 今僕らがすべきは、維持や延命ではありません。「変化」です。
」(植松p.223 - 224)

この世は常に変化しているのですから、景気も変化し続けます。不況は、価値観が変化したからだと植松さんは言います。それなのに、古い価値観を維持しようとすることが無理なのです。

しかし私たちは、不安になると、つい守りに入ってしまいます。今までの安定を手放したくなくて、しがみついてしまうのです。でもそれを変えていかなくてはなりません。


すべての人が、自分の心の中に閉じこめられている、幼児の記憶を呼び覚まし、「どーせ無理」という言葉を使うのをやめ、「だったらこうしてみたら」と提案し続ければ、必ず社会は変わります。」(植松p.285)

私たちは失敗を怖れて挑戦することをやめてしまいます。ですから変化していくことができません。赤ちゃんにはそういう不安はなかったのに、大人たちからダメ出しされることによって、挑戦しない生き方を身に着けてしまうのです。

いま、世界は逆境です。つらいことや悲しいことがいっぱいです。
 でもそのつらさや悲しさを知り、怒ることができれば、解決すべき問題を見出せるんです。それは、新しい仕事の種なんです。だから、種だらけです。
」(植松p.285 - 286)

植松さんの言う「怒り」は、この状況を何とかしなければおかないと発奮することだと思います。誰もやらないなら自分がやる。そういう決意です。


それぞれの執筆者ごとに、捉え方や表現に違いがありますが、共通していることがあります。それは、逆境は悪いことではなく、むしろ自分のためになることだという視点です。

ですから、不安になって逆境を避けようとする必要はないのです。逆境になってしまったらなってしまったで、それを淡々と受け入れ、そこからどうするかと考える。そこを出発点として生きる決意をすることなのだと思います。すべては、自分から始まるのですね。

プロは逆境でこそ笑う
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:43 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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