2026年01月10日

いただきます。

いただきます。人生が変わる「守衛室の師匠」の教え [ 喜多川泰 ] - 楽天ブックス
いただきます。人生が変わる「守衛室の師匠」の教え [ 喜多川泰 ] - 楽天ブックス

私は喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの小説をすべて読んでいるのですが、昨年(2025年)、いつの間にか新しい小説が発行されていたことを知って、あわてて買って読んだ本になります。
これは2025年2月にaudibleというもので発表された小説で、書籍になったのは2025年8月です。最近は、いろいろな発表形態があるのですね。

サブタイトルに、「人生が変わる「守衛室の師匠」の教え」とあります。実は私、今は施設警備、つまり守衛として働いています。小説にある大学の守衛ではありませんが、なんだか運命を感じるなぁと思ったポイントでもあります。


では、例によって一部を引用しながら、本の内容を紹介したいと思います。ただし、これもいつも言うことですが、これは小説ですので、なるべくネタバレにならないよう配慮しながら、引用して紹介したいと思います。

守衛の仕事なんて、決められた時間そこにいて、入ってくる車の履歴をとるくらいだと思っていた。それ以上でもそれ以下でもない。それをやる人が必要だから雇われて、そこに八時間いれば一万二千円がもらえる。それ以外のことを考えたこともなかった。
「素晴らしい仕事? こいつら、いや学生たちが安心して学生生活を送れるようにする? 本気でそんなこと考えてんの、この人」
」(p.42)

主人公の名は翔馬。高卒でバイトをしているが、楽で稼げる仕事がいいと思っていました。それが大学の警備員として働くことになった時、松原という高齢の同僚から、この仕事は素晴らしい仕事だと言われて、びっくりしている場面です。
私も今、施設警備の仕事をしているので、私自身はどう考えているんだろう、と自分のことを振り返りました。松原ほど生き甲斐を感じて仕事をしているわけではありません。しかし、かと言って翔馬ほど、できるだけサボって楽をしようと思っているわけでもありません。その間くらいでしょうか。


目の前の鯛の刺身を凝視した。
 腹が減るから食べる。翔馬にはそれくらいの感情しかなかったが、確かに魚の方から考えてみると、自分と同じように一つしかない命を奪われるわけだ。納得できるはずもない。
 ただ、どうせ食われるなら自分じゃなく、たとえばもっと世の中の役に立つとか、立派なとか、そういう奴の命を維持するために食われたいかもしれない。
」(p.169)

たしかに、そういう視点もあるなぁと思いました。魚でも動物の肉でも食べる時、相手がどう思っているか?
「お前なんかに食われるとはツイてないなぁ」とか、「おい、オレを食え! でもその代わり、オレの分も頑張って生きろ!」とか。どう思うのでしょうね。


自分が「いただきます」というとき、それは確かに作った人の命を一部とはいえ、いただいているのだ。」(p.188)

人の一生を時間で切って考えてみると、誰かが作ったものを食べるとは、その人が人生の一部を使って作ったものを食べることになります。つまりそれは、その作ってくれた人の人生の一部、命の一部をいただくことになりますね。


その人たちも、私の命を受け取っていることに気づいたんです。だから私は、それからできるだけ、自分の時間を誰かの笑顔や学びといった役に立つことに使うようにしてきました。
 そうすることで、受け取った人は気づかなくても、私の命は誰かの中に生き続けることになるからです。
 でも目的は、それじゃありません。
 私の命は、私の妻の命をもらってできているわけです。だから私がそうやって自分の命を誰かのために使うことで、私の妻の命もまた、誰かの中で生き続けることになる。
」(p.193)

誰かが喜ぶような仕事や誰かの役に立つような仕事をすることは、自分の命をその誰かのために捧げることになります。そしてそれだけではなく、自分がいただいた命を、また別の誰かに託すことにもなる。そう考えることもできますね。

まぁ、私がやっている「幸せ実践塾」の活動も、こういうことかなぁと思います。誰かの幸せの役に立ててもらえたらいい。そうすれば、私の命や、私を支えてくれた命を、他の人の命に注ぎ込むことになる。そうやって、命がつながっていくといいなぁと思います。


−−「おう、わかってるよ。あいつが俺の命をやった奴だって、向こうで自慢できる男になってやる。約束だ」
 魚にそう応えていた。
「いただきます」
 というのは感謝ではなく、「そうなるぜ」という覚悟だ。
」(p.196-197)

こういう視点はなかったなぁ。食事を作ってくれた人や、その食材に対する感謝の言葉という視点はありましたが、いただいた命にふさわしい人間になるという覚悟を新たにする言葉だとは考えたことがありませんでした。
でも、いただく命の大きさや尊さを考えすぎてしまうと、卑屈になって、いただくことが申し訳ないことと感じて、食事を楽しめなくなってしまうかもしれません。だからこそ、今はまだダメな人間だとしても、これからもっと大きくなると決意する方がいいと思います。


師匠はね、『自分の努力ではないのに手に入っている恩恵の陰には、必ず誰かの命懸けの努力がある』って教えてくれたの。
 他にもそういう仕事はたくさんあって、結局私たちが気づかないだけで、今の時代、食べるものだけじゃなく、着てるものとか、ちょっとした道具一つとっても、世界中のたくさんの人が関わって、ようやくできているものばかりなんだよね。
 師匠は、働くというのはそのつながりの中に自分も入るといいうことなんだって教えてくれた。たった一つでいいから、自分にできることで誰かの役に立つことがあれば、そのつながりの中に入れてもらえる。
」(p.235)

スマホを作るには、アフリカで採れる希少金属が必要であり、そこでは子どもが危険な状況の中で働かされているという話を聞いたことがあります。誰もが持っていて、それがなくては生きていけないと思えるスマホ1つでも、世界中の人が関わっていて、中には危険を顧みずに働いている人もいます。
自動車や飛行機もそうですね。運行中の事故の危険もありますが、今のような安全な機能を備えるまでには、多くの命の危険な取り組みがあったはずです。そういった過去からのたくさんの命や思いを結集した物やサービスの中で、私たちは便利に快適に生きることができているのですね。


「どんなことでもいいから、今やっていることを誰もやらないところまでやるって」
 翔馬は一瞬固まった。
「それは……」
「最初からその人にしかできない何かを要求される仕事なんてどこにもない。ところが、誰でもできる仕事が一番、誰がやるかによって差が生まれる。
 構内を一周回ってきて落ちている空き缶や吸い殻を拾って集める。誰でもできることだ。だけど、誰がやるかによってその程度が違う」
」(p.253-254)

何をやるかではなく、どうやるかが重要だということですね。
私も施設警備をしていて、入場者に記帳してもらったりしていますが、一人ひとりに元気で明るい声で、そして笑顔で挨拶することを心がけています。その時が一期一会だと思って、その瞬間で少しでも相手に喜びと幸せを感じてもらえたらいいなぁと思うからです。


藪島もそうだ。漁師を再開するのは自分のためじゃない。同じように未来の誰かの幸せのために動き出そうとしている。たくさんの悲しみを乗り越えて、誰かの未来の幸せのために自分の残された人生を使おうとしている。
 翔馬は自分との決定的な違いを認識した。
 自分は「未来の誰かの幸せのために働こう」なんて思ったことはなかった。
 ずっと考えていたのは「今の自分のお金のために」だ。そのことに気づいた。
 結果として、自分は幸せだなんて思ったことは一度もなかった。
 いつだって何もかも思うようにいかなかったし、今の状況を恨みこそすれ、感謝するなんて考えもしなかったのだ。
」(p.265)

今、すぐに役に立たなくてもいい、ということですね。今、自分がやることによって、未来の誰かが喜んでくれるなら。そういう思いで働くことで、今の自分が幸せになれる。同じ仕事をしたとしても、どう働くのかという思いが違ってきます。
私も施設警備で、来場者に笑顔で挨拶をしていますが、それにまったく応えてくれない人もいます。挨拶くらいしろよ、とか、だったらこっちも笑顔で挨拶なんてしてやらねぇぞ、とか、多少考えることもあります。(笑)でも、相手がどうかに関係なく、自分が自分らしくあるために、笑顔で挨拶しようと思うのです。いつかは、その思いがその人に通じるかもしれないし、仮に通じないとしても、見ている他の人に良い影響を与えるかもしれない。そんなことを思いながら、今、自分ができることを精一杯にやろうと思うのです。


今生きているということは、今日までそのつながりの恩恵を受け続けてきたということだという事実に気づいたとき、僕たちが人間として幸せに生きるためには、自分自身もそのつながりの中で何かしらの役割を果たす者になれたらいいんだと、シンプルに考えることができます。

 働くというのは、そのつながりの中で社会的に一役を担うということです。
 自分のできることで誰かの役に立つこと。
 そして、できるだけたくさんの人とつながりを持つこと。
 そうすることで人は社会的なつながりの中に入ることができます。そうやって、誰かの役に立つことで社会的なつながりの中に居続ける生き方ができているとき、人は心からの安心と幸せを感じることができます。
」(p.314-315)

どうしたら幸せになれるのか、という問いに対する喜多川さんの答えですね。そしてこの考え方は、アドラー心理学の「共同体感覚」と似ているように思います。(詳細は「「嫌われる勇気」(アドラー心理学)の要点」をご覧ください。)
そしてこの小説は、ただその食材の命をいただくというだけでなく、社会のたくさんの人の命をいただくこと、たくさんの人のつながりの中に入る決意を新たにする言葉として、「いただきます」という言葉を位置づけています。「いただきます」と心を込めて言うことによって、幸せな人生を創っていけるのだと。

昨今の小学校では、給食の時に「いただきます」と言わせないところもあるとか。要は、強制するのはよくない、ということなのでしょう。私も、強制する必要はないと思いますが、この小説を読んでもらったり、先生が読んで、そのエッセンスを伝えることで、自発的に「いただきます」と言う生徒も出てくるのではないかと思います。


主人公の翔馬は、実にダメダメな少年ですが、それが周りの大人たちから影響を受けることで成長していく。これぞまさに喜多川小説だなぁと思いました。
喜多川さんの小説との出会いは、「またかな」こと「また必ず会おうと誰もが言った。」でした。その小説でも、小さなバンジーを飛ぶことで、たくさんの大人たちと出会いながら少年が成長していく様が描かれていました。あの本に感動して、すぐに2冊を別に買って、甥っ子2人に贈ったものです。また、喜多川さんのそれまでの小説をすべて買い揃えて、母校の中学校に寄贈したこともありました。喜多川さんの小説は、特に若者に読んでほしいなぁと思うものばかりです。

けれど、私のようなシニア(今、64歳です。)であっても、感銘を受けることが多く、このように生きようと決意を新たにさせてもらえます。だからこれからも、喜多川さんの小説を読みたいと思うのです。

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タグ:喜多川泰
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:28 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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