2025年12月06日

ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか

ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか [ 西方 ちひろ ] - 楽天ブックス
ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか [ 西方 ちひろ ] - 楽天ブックス

Facebookで友人が紹介してくれた本になります。著者はミャンマーで仕事をしておられた西方ちひろ(にしかた・ちひろ)さんです。これはペンネームです。軍政を批判する内容が含まれるため、本名を明かすことによって、ミャンマー人の友人たちに危害が及ぶことを恐れるためだそうです。

突然のクーデターにより、民主化が進んでいたミャンマーが、再び軍政の時代に戻ったのが2021年2月でした。そのころ私は、まだタイにいました。本帰国を目前にしていたころです。
タイでは、ミャンマーからの移民が多数いました。タイは経済的に発展していて、労働力不足の状態にありました。タイ人の多くは底辺の仕事をやらなくなったので、建築土木や飲食店などの仕事をやるミャンマー人が増えていました。
ミャンマーのことは、タイ語でパーマーと言いますが、これはビルマ人を指すバーマーから来たもので、口語での国名がバーマー(ビルマ)、文語での国名がミャンマーなのだそうです。民主化前に軍政は、国名を正式にミャンマーとしていましたが、日本に働きに来ていたミャンマー人の人が、「私たちの国はミャンマーではない。ビルマだ。」と言っていました。軍政に抵抗する意識が、民衆の中には根付いていたのです。

そんなミャンマーが、やっと民主化したのに、また軍政に戻ってしまった。この本は、西方さんが経験したクーデター後のミャンマーの様子、そしてミャンマーの人々の考えなどを綴ったものになっています。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

上座部仏教では、僧侶は現世の欲望から隔絶された修行者的な存在であり、結婚も労働も禁じられている。そのため、在家の仏教徒たちが喜捨によって僧侶たちの生活を支えているのだが、面白いのは、この喜捨が決して「僧侶を助けるための寄付」ではなく、あくまで「自分が来世でより良い生を得るための功徳」であることだ。」(p.37)

まずはミャンマーという国の文化や生活様式について書かれている部分です。私はタイに20年くらい住んでいましたが、お隣のミャンマーのことはよく知りませんでした。タイと同じ上座部仏教(小乗仏教とも呼ぶが、これは大乗仏教の側から上座部仏教を蔑んだ言い方なのだそうです。)を信仰する人が非常に多く、このご利益宗教的な部分もタイとよく似ているなぁと思いました。


アウンサンは、イギリスの植民地支配からの独立をめざす若き活動家だった。彼は一九四一年、日本軍の謀略機関の下で軍事訓練を受けた「ビルマ独立義勇軍」が結成されると、同軍のナンバー2に就任。日本とともに英領ビルマ(現ミャンマー)に攻め込み、イギリスを追い出すことに成功する。一九四三年には、日本から「ビルマ国」の独立を認められ、アウンサンは国防大臣に就任した。だが、この独立が名ばかりのものとわかると、アウンサンは日本に反旗を翻す。一九四五年三月にはビルマ国軍を率いて自力蜂起し、日本と戦った。この時の軍こそ、独立後の国軍の原型である。」(p.38)

さて、一九四八年に独立を果たした「ビルマ連邦」の正規軍となったビルマ国軍は、アウンサンの意思を継ぎ、当初は政治には関わらず、国内で勃発するあらゆる紛争に対処し続けた。たとえば、独立や自治を求める少数民族や、共産主義革命を目指すビルマ共産党、中国から逃げ込んできた中国国民党軍の残党などとの戦いだ。」(p.38)

軍事政権のトップに就いたネウィン将軍が、東西冷戦下で新しい国家体制として選んだのは「ビルマ式社会主義」だった。それまでミャンマーは天然資源やコメなどの輸出で栄え、経済的にはタイとあまり変わらないレベルだったが、この社会主義独裁によって経済は著しく停滞した。あらゆる企業が国有化され、それらの国有企業のトップにはもれなく軍人が天下り、軍を潤す経済構造がつくられた。」(p.39)

忘れられた国が再び世界の注目を浴びたのは、一九八八年。軍政の打倒を目指す大規模な抵抗運動が巻き起こったのだ。ネウィンは治安部隊を動員して殺傷を伴う弾圧をしておきながら、自分は健康診断のためとして国費で一ヶ月半もスイスに外遊するなど、一貫して国民を軽んじた。人々はこれまでの不満を爆発させ、八月八日にはミャンマー全土を揺るがす大規模デモ(8888民主化運動)に発展する。このとき指導者の一人として頭角を現したのが、アウンサンスーチー氏だ。」(p.40)

新しい軍政は、社会主義ではなく市場経済を採用した。だが、軍人による経済政策は「稚拙」と評されるレベルで、天然資源の輸出によって得られた貴重な収入は、軍事費に消え、さらに二一世紀に入ると人工都市ネビドーへの遷都費と化すなど、国民は恩恵を受けられぬまま困窮し続けた。」(p.40-41)

二〇〇七年には、人々の生活苦を見かねた僧侶たちが立ち上がる。これは当初、軍政打倒を目指す政治運動ではなく、無慈悲な軍に対し、僧侶たちが仏教の道徳的な教えに則って反省を促す色合いが濃かったようだ。しかし「慈経」の句を唱えながらデモを行う僧侶たちに、民主化を求める市民らが合流して大規模化すると、軍はこれを暴力的に鎮圧。取材中の日本人記者、長井健司氏も銃殺された。この民主化運動は、僧侶の袈裟のオレンジ色から「サフラン革命」と呼ばれている。」(p.41)

翌二〇〇八年には、軍は前述の「ミャンマー連邦共和国憲法」を発布した。この憲法には、合法クーデター条項に限らず、非常に問題が多い。まず、上下二院制の国会の議席の各二五%は自動的に軍人に割り当てられ、しかもそのメンバーは軍総司令官がいつでも自由に入れ替えられる。」(p.41)

しかし民主化を主導したはずの軍政は、二〇一五年の総選挙で大敗する。NLDが改選議席の八割を獲り、圧勝したのだ。半世紀もの間、軍事独裁下で辛苦に耐えた国民は、民政移管が軍の都合による「上からの民主化」だということを見抜いていたのだろう。これ以上、軍による国家統制が続くことを明確に拒絶したのだった。」(p.43)

こうした背景から、二〇二〇年一一月の選挙で、NLDは議席を減らすだろうというのが大方の予想だった。
 だが、その予想は見事に外れた。NLDは改選議席の八三%にあたる三九六議席を獲り、前回を上回る圧勝で二期目を決めたのだ。一方、軍の翼賛政党である連邦団結発展党はわずか三三議席と、前回からさらに八議席を減らす惨敗を喫した。こうした文脈の中で起きたのが、二月一日のクーデターだった。
」(p.44)

軍はなぜクーデターを起こしたのだろうか。選挙での惨敗がどれほど屈辱的だったにせよ、圧倒的な民意と歴史の流れに逆らい、断固として改正させなかった憲法に自ら違反してまでクーデターを決行したのには、何かのっぴきならない理由があったはずだ。だがクーデターから一週間、日本の有識者やミャンマーの友人たちから様々な話を聞いたが、答えは見つからなかった。
 まず、軍が非常事態宣言の根拠とした、総選挙に重大な不正があったという主張は、建前に過ぎない。確かに有権者名簿にはミスがあったし、選挙自体が中止となった選挙区もあった。だが軍の主張する「有権者名簿の重複などの一〇〇〇万件以上の不正」には根拠がなかった。
」(p.44)

それなのになぜ軍は、と考え込む私を、友人たちは笑った。「軍はいつも最も偉大な存在でありたいんだ」「ほんの少しの利益も奪われたくないんだよ」。だが、民主主義の旗手として世界に知られるスーチー氏を拘束し、国際社会を敵に回せば、国全体の利益が失われ、結果的に軍の利益だって減るだろう。そう食い下がる私に、友人たちは同情するような顔を向けた。」(p.46)

ビルマ独立から始まった軍政が民主化され、再び軍政が敷かれるまでの歴史を、ざっと示されている部分です。
軍がなぜクーデターという最終手段に訴えなければならなかったのか? その理由はわかりませんが、それが「利権」というものかもしれません。「利権」を持った者は、その「利権」があることが「当たり前」になる。その「当たり前」の「利権」が失われる「不安」は、とてつもないことなのかもしれません。

タイも直近のクーデターによって、軍が有利な憲法に改めましたが、ミャンマーはそれ以前にやっていたのですね。おそらく、それを参考にしたのでしょう。タイの軍政も、「国民のため」という建前を全面に押し出してクーデターをした結果なのですが、今現在、国民の反感を買っています。しかし憲法によって、軍政の排除ができない状態です。まぁ、その憲法を承認した国民の責任でもある(国民投票した結果なので)とは思いますがね。


私はその様子をフェイスブックに投稿した。日本人の私にできることは、目の前の光景や友人たちの言葉を日本語で発信し、一人でも多くの日本人に伝えることだった。ミャンマーの人々がどれほど必死に、平和的に抵抗しているかを。なぜなら、この軍事独裁を止めるには、日本をはじめ外国からの圧力や介入が絶対に必要だからだ。」(p.50)

西方さんは、クーデター後の事実と、国民の言葉を情報発信することで、軍事独裁に抵抗しようとしました。独裁政権が成り立つには、諸外国がどう対応するかが重要だからです。


しかしクーデターから半月が経っても、市民は見事に怒りに耐え、非暴力を貫いている。放水されたらレインコートを着る。銃を向けられたらヘルメットを被る。取り押さえられた不審者が街に火をつけようとしていても、暴力は振るわない。その背後にあるものを、よく知っているからだ。何十万、何百万もの人が、暴発せず、なだめあっている。奇跡を見ているようだった。」(p.60)

人々のこの勇敢さを支える要因の一つは、スーチー氏が貫いてきた信念だ。彼女は、一九八八年にNLDを設立した当初から「国民が同意しないすべての命令と権力に、義務として反抗しよう」と、まさに不服従をスローガンに掲げてきた。同時に、彼女は国人一人ひとりに行動を求めた。「民主主義の権利を得たいのなら、勇気を持って行動しなければならない。行動する勇気がないなら、最初から民主主義の権利がほしいなどとは思わないことだ」と、厳しい言葉で説いている。また、真の自由とは「心の中の恐怖からの自由(Freedom from Fear)」だとして、恐怖によって「囚人」にならないように、と一貫して語り続けた。」(p.72)

インドのガンジー氏が説いたように、非暴力不服従による政権転換を希求する。それがスーチー氏の考えであり、その考えがミャンマーの人々の間に浸透していたのかもしれません。

外国に侵攻されているわけじゃない。同じ国に生きる、同じ言葉を話す人たちがやっていることなんだよ。どうしてこんなに残酷なことができるんだろう。そして、こんなひどい目に遭ってもなお、反撃はできない。軍は圧倒的な武力を持っていて、その気になればデモ隊を皆殺しにすることができるのだから。」(p.74)

なぜ同じ同胞なのに、ひどい仕打ちができるのか? これは、これまでにも問われてきたことです。ソ連においても、カンボジアにおいても。左翼の内ゲバもまさにそうです。けれども、人は身内であればあるほどひどいことができる。これが、家族や親族間の犯罪においてなされてきたことなのです。


現在進行中のプロジェクトの中には、軍の関連企業に収益が流れるものが複数ある。たとえばバゴー橋の建設では、鉄骨を製造する軍関連の企業に、ODAから莫大な利益が流れていると報じられた。民間メディアからは「日本は外交的にはクーデターを非難しているが、実際には国軍系企業と協力している。これは軍政支援と同じだ」と手厳しく批判されたが、当の日本政府が事業を中止する気配はない。のちに外務省が説明した事情によれば、中止すると、このプロジェクトに関わる日本の建設会社が違約金を払わなければいけない契約だから、だという。
 なぜODAを使った途上国援助なのに、日本の会社が? と思うかもしれないが、そもそも日本のODAによる開発プロジェクトは、日本企業が契約者になることが多い。つまり「援助」と称しつつ、日本の経済界にも利益をもたらす仕組みになっているのだ。
」(p.104)

ODAに関して、まさにここで指摘されているようなことが世界中であります。ただ、だから一概に悪いとは言えないのです。たとえば橋の建設に関しても、日本企業が関与することで最先端の技術を使うことができたり、その技術を現地国の企業や人に教えられるという側面があります。
中国の場合、中国から作業員を連れてきて事業を行うと言われていますが、それでは現地にはあまり利益がありません。せいぜい、その作業員が生活するのに必要な物資を調達するお金くらいが現地に流れるだけでしょう。それに比べれば、日本のODAの方がはるかにマシという側面もあります。

何ごとも一面的な見方をしていては、本質が見えてこないと思います。たしかに橋ができることで軍の利益に資することになるかもしれませんが、一方で、橋ができたことによる利便性が住民にもたらされるのです。軍政だから悪、悪だから一切の関係を断ち切る。そういう短絡的な考え方では、世界全体はうまくいきません。

個人的には、軍との対話そのものを否定する気はない。だが、それは軍に「名誉ある撤退」について説得するパイプでなければならないと思う。そしてその説得に軍が耳を貸さないのなら、日本は軍との対話を見直し、軍関係者への標的制裁などに舵を切るべきだろう。」(p.107)

たしかにそういう考えもわかります。ただ、どうすることが正解かは何とも言えないという面があることも、理解すべきかと思います。
人それぞれに「正しさ」があるのです。ミャンマー軍にはミャンマー軍の、日本政府には日本政府の正しさがあります。ミャンマーの人々にも、もちろんそれぞれの「正しさ」があるでしょう。
だから、他人を「正しくない」と自分の価値観で切って捨て、他人を思い通りに動かそうとする限り、苦しみは残ります。これがお釈迦様の教えなのですが、仏教の本質は、なかなか理解されてないのかもしれません。


かつての軍政を知らない私は、クーデター以降、周囲のミャンマー人たちに「軍政のとき、何が一番いやだった?」と質問してきた。答えは三つくらいに絞られるが、中でも多いのは「情報統制」だ。」(p.111)

制限されることで一番ダメージがあるのは、ある意味で生活必需品ではない「情報」だったのですね。情報というのは、状況や出来事を把握して、自分の安全を守ったり、自分が自分らしく行動するために必要なもの。それが得られなければ、安全も自分で確保できず、自分らしい生き方もできなくなる。主体的に動けないことが、辛いことなのでしょう。


医療に頼れない人々は、コロナ禍を生き延びようと必死だ。解熱剤や抗生物質を買うために何時間も薬局に並ぶ。卵や生姜が体に良いと聞けば、藁にもすがる思いで買いに走る。家族に感染者が出れば、酸素ボンベを抱えて街中を走り回る。」(p.160)

仕方ないことなのかもしれませんが、正しい知識を持たず、噂レベルの知識に翻弄されてしまうのが、衆生の性なのかもしれません。
少なくともコロナ感染において解熱剤や抗生物質は意味がありません。そんなことはこのインターネット社会において、きちんとアンテナを張っていれば入ってくるレベルの知識です。
けれど、日本においてもそうですが、その程度の知識すら持たない人がほとんどであり、パニックになったことで政府に無駄なことをさせてきました。

こんなところにも、お釈迦様の知恵は、ほとんど浸透していないのだなぁと感じられます。コロナに罹る時は、コロナに罹るのがよろしく、なのですよ。それで死ぬとしたら、それが寿命なのです。治る人は、まだ寿命じゃないのですから治ります。パニックにならずに冷静でいれば、無駄なことをせずに済むし、それによって他人を傷つけることもなくなるのです。

さて、一方の政府は最近どんなコロナ対策に力を入れているかというと、なんと、火葬場を増設している。完成すれば、一日三〇〇〇人を火葬できるようになるという。想像の斜め上をいく解決策に、唖然とする。確かに死者が多すぎて火葬が追いついていないのは事実だが、必要な薬も行き渡っていない状況で、逮捕した医療者を解放することもないまま火葬場を増やすというのは、凄まじい違和感だ。どれだけ死んでも大丈夫、と言われている気分になる。」(p.163)

これも気持ちはわかります。しかし、死体を火葬せずに放置することによる二次被害を解消するためには、火葬場を増やすことは間違った政策ではないと思います。それを軍がどういう思いでやったかを聞こうともせず、一方的に思い込んでいるだけですよね。他人(軍)には他人の「正しさ」があるんですよ。
もちろん、自分には自分の「正しさ」があっていいと思います。なので、それを主張することも重要でしょう。けれど、自分とは違うというだけで他人を否定する考えは、もし自分が権力を握ったら、軍と同じことをしてしまうのではありませんかね? 良かれと思ってやってます、と言いながら。


ちなみに、ミャンマーがこの災厄に見舞われている同じ瞬間、日本では東京オリンピックが開幕し、新競技やメダルの色で盛り上がっている。それを批判する気はまったくないが、自分のSNSのフィードに、悲惨なミャンマーの状況と、華やかな日本のニュースがランダムに並ぶのを見ると、世界は無情だなぁと天を仰ぎたくなる。」(p.165)

この気持ちもわかります。わかりますが、ではどこかが悲惨な状況にあるために、他所が自粛したらどうなりますか? 東日本大震災の時がそうでした。まったく関係のない西日本でも自粛の波が広がったために、日本全体の経済力が下がったではありませんか。また会津などでは、放射線の心配はまったくないにも関わらず、風評被害によって観光業だけでなく農業などでも経済的な被害を受けました。
私の家族が亡くなった時、日本の中のいったい誰が一緒に悲しんで自粛してくれましたか? 誰もいませんよ。そういうことは、ちょっと考えればわかることだと思うのですが、実際はほとんどの人がわからないということを、私も東日本大震災の時に実感しました。


傷痍軍人の祖父をもつ私は、戦争はどんなことがあっても絶対にダメだと信じ、疑わなかった。でも、ここにきて気がついた。戦争反対、というのは確固たる信念ではなく、ただの思考停止だった。戦争は絶対にしてはいけないことだから、それについては深く考える必要もない、と。だけど今は、戸惑いながらも、思う。正しい戦争は、あるのかもしれない。
 混乱の中、答えを求めて正戦論に関する本を読んでみると、ある戦争が「正しい」とされるために満たされる必要のあるいくつかの原則が挙げられていた。そしてその全てが、ミャンマーの現状に当てはまっていた。私は少なからずホッとした。この極限の状況で、もし武力の反撃が「悪」ならば、非暴力で殺されるか、軍に隷従するかしかないからだ。この国で希望を持って生きるために、人権や自由を取り戻すために、武力に希望を託した人たちを、私はどうしても悪だとは思えなかった。
」(p.193)

「戦争=悪」という短絡的な思考からは、一歩を踏み出せたようです。そもそも武力行使が「悪」であるなら、強盗犯に対して武力で対峙する警察も悪だということになってしまいますからね。
では、本当に「正義の戦争」というものがあるのでしょうか? すべての戦争は防衛戦争だとも言われています。人(国)は、不安や恐れから身を守るために武力を使うのです。このことがわかれば、軍がなぜクーデターという武力を使ったかもわかります。動機は不安や恐れですよ。そしてミャンマーの人々が武力蜂起し始めたのも、同じ理由だとわかるでしょう。
したがって、「正しさ」は人それぞれなのです。そのことが、著者の西方さんにはまだ理解できていないように、この時点では感じました。どこかに絶対的な「正しさ」があって、その「正しさ」に従うべきだという価値観があるのでしょう。


来週から始まるダディンジュ(雨季明けの満月)の連休、ビーチに向かう飛行機や観光地のホテルは、すでに予約でいっぱいだと聞く。それでいい、と頭ではわかっている。経済を回さなくてはならない。この日常を生きていかねばならない。それでも、もう一つの現実、つまり地方でPDFが命がけで軍の兵士と戦っていることを思うと、ヤンゴンで気楽に生活を送ることに罪悪感が湧き上がる。だから、あまり深く考えず、負傷したPDFに治療費を送ってお茶を濁す。レストランでおいしい料理をお腹いっぱい食べたあと「やれる支援はやっている」とこっそり自分を正当化していることに、自分だけは気がついている。」(p.198−199)

二〇一一年、東日本大震災後の日本でも、そうした感情が渦巻いていたことを思い出す。圧倒的多数の、被災しなかった人々は、普段通りの生活を続けることに言いようのない罪悪感を抱えた。ましてミャンマーの場合は、自然災害からの復興ではない。普通の若者たちが、民主化を望む市民の祈りを背負って、命がけで国軍に挑んでいるのだ。PDFの戦果に期待しながら、ヤンゴンで満ち足りた生活を続けることに、後ろめたさを感じるのは当然だろう。」(p.228−229)

この気持ちもわかります。ですが、すでにわかっておられるように、他人の課題と自分の課題は切り分けて考えるべきなのだと思います。アドラー心理学て言う「課題の分離」ですね。罪悪感は、何の役にも立ちませんから。
けっきょく、自分の中にある罪悪感との戦いに過ぎないのです。そして罪悪感が生じるのは、他人からどう思われるかという恐れがあるからですよ。あるいは、自分が傷つけられるとか殺されるという恐れがあるからですよ。もし、そういう恐れがなかったらどうするでしょうか? 言い訳をする必要がなくなりますよね。


前線から定期的に送られてくる写真には、直視できないほど酷いものも多い。火傷で広範囲に失われた皮膚、顎を吹き飛ばされた頭部。原形をとどめない手足。武力での抵抗というのはこういうことなのだ、と嫌でも思い知らされる。それでも、その先にあるはずの民主主義を、自由な未来を胸に、人々は戦う。無数の痛々しい写真の中で、身体の一部を失った青年が微笑んでいる。後悔はしていない、と言う。何が正解かわからない。ただ、尊厳なき生に絶望したとき、武力闘争が唯一の希望になることがあるのだと、私はミャンマーで初めて知った。」(p.265)

お勧めしている「神との対話」でも、自分の中の愛を証明するために敢えて武器を手にすることがある、と言っています。愛する人や地域を守るために、そして相手に愛のない行動をさせないために、武力を使って相手の暴力を阻止する。それがその人にとっての「正しさ」であることはあるのだと思います。

ただ、忘れてはならないのは、軍側の人もまた人間だということだ。
 忘れられない光景がある。ある日ヤンゴンで、警察の駐屯地を通りかかった時のこと。入り口のゲートに向かって歩く女性と小さな男の子がいた。何気なく見ていると、ゲートの内側から若い警官が現れた。たたた、と駆け寄った子を、彼は笑顔で抱きしめる。銃に手を伸ばす子を、危ないよ、と優しくなだめて抱き上げる。それは警察の制服を着た、若い父親だった。
 あぁ、見てしまった、と思った。およそ人間とは思えないような行為をする人たちの、人間らしい姿など、見たくなかった。完全なる「悪」のまま、迷いなく憎ませてほしかった。反射的にそう思い、そう思ったことにひどく動揺した。私は、ミンアウンフラインから末端の兵士や警官まで、同じ「軍」という単語で一括りにし、軍VS市民、という単純な善悪二元論に落とし込むことで、市民の正しさを主張してきた。だが、私が「悪」と断じた人々もまた、誰にも否定できない尊厳を持ち、家族を愛する一人の人間なのだ。そんな当たり前のことが、いつしか憎しみに囚われ、とても認め難いことになっていた。
」(p.266)

この気づきが素晴らしいなぁと思います。この世は善悪二元論では割り切れないのに、多くの人は単純化し、レッテルを貼って相手を悪と断じることで自分を正当化する。それでも割り切れないものがあると感じている自分を否定する。本当の自分の声を抹殺してしまうのです。


ミャンマーの未来は、まだ見えない。でも人々はきっと、ゴールに続く道を見つけるだろう。彼らは、未来を切り開くのは自分たち自身だと覚悟している。非暴力が戦略として有効でないと判断した時に、速やかに武力での反撃に切り替えたように、彼らは柔軟に手段をかえながら、この「春の革命」を成就させるだろう。その道のりはまだ長いかもしれないけれど、一人でも多くの日本人に、彼らの姿を見つめ続けてほしいと願う。私も、時にやるせなさを抱えながら、自問を繰り返しながら、彼らとともにありたいと思う。」(p.267-268)

自分たちのことは自分たちでやるしかない。周りの人は、その人たちが必要とすることで、自分ができることをして助けるだけのことです。その人たちにはなれないのですから。


ミャンマーの人たちには、実に過酷な運命にさらされているという同情心はあります。けれども、けっきょく自分たちで何とかするしかないんですよね。
それは日本も同じことです。同じ課題ではありませんが、日本には日本の課題があります。もちろん、民主主義はありますが、無関心で無知な大衆がクレクレタコラ精神で政治家を選び、そういう社会になっています。自分で自分の首を締めているのに、そのことにすら気づかず、他人が悪いと責任をなすりつけ、犠牲者になろうとする人のなんと多いことか。

それでも、ミャンマーの人たちが戦っている姿を知ることで、日本も負けてはいられないなと思うのです。質の異なる戦いであっても、自分たちの居場所をより素晴らしいものにするための戦いです。それは、永遠に続くものかもしれませんが、昨日より今日、今日より明日と、日々良くなっていくための戦いなのだと思います。

book20251206.jpg
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:34 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。

ランキングに登録しています。面白かったらボタンをポチッと押してね。
↓↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ