反日種族主義 日韓危機の根源 (文春文庫) - 李 栄薫・編著
もう随分と前に発売された本(2019年11月に日本語版が発売された。)ですが、何かの情報から読んでみたいと思い、文庫本ですが買って読むことにしました。
著者は李栄薫(イ・ヨンフン)氏など、韓国の歴史学者の方々です。政治的な意図によらず、歴史学者として歴史の真実を明らかにして、正確に伝えなければならないという義憤から、この本を出されたようです。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介したいと思います。
「李承晩(イ・スンマン)学堂は、大韓民国の初代大統領・李承晩(一八七五〜一九六五)の一生を再評価し、彼の理念と業績を広く知らしめるために設立された機構です。このたびの『反日種族主義』(本来の韓国語版)は、その李承晩学堂が企画し刊行しました。多くの日本人がこの点を不思議に思うことでしょう。李承晩は強硬な反日政策を採った人物ではなかったか、彼を尊崇しようと設立された機構が、いったいどういうわけで彼の政策を批判する趣旨の本を刊行するというのか、と。そのことについてこの序文を借り、簡略に説明しておこうと思います。
李承晩は、近世の西ヨーロッパで発生した自由という理念を体系的に理解した最初の韓国人です。彼は、すでにあまりにも衰弱し、蘇生の可能性があるのかさえ不透明だった我が民族を「自由の道」に導くのに、その生涯をかけました。」(p.11-12)
「彼は当初、日本に対して好意的でした。一九〇四年、監獄で執筆した『独立精神』という本で、彼は日本民族の賢明さと勇敢さについて幾度か言及しています。一九〇五年、韓国が日本の保護国に転落したあと、さらに一九一〇年、韓国が日本に併合されて以後、日本に対する彼の態度は変わりました。彼は日本の侵略性を批判し続けました。」(p.12)
「李承晩は、自分がジェファーソン流の自由主義者であることを誇りに思っていました。彼は、自由な通商を通して世界が繁栄と平和の道を歩むようになる、と信じました。ただ、この点を想起すると、彼が大韓民国の初代大統領として採った強硬な反日政策は、簡単には納得しかねるところです。多くの日本人が、そのために李承晩に対しあまりよくない感情を抱いています。しかしながら一九五〇年代の記録を細密に読んで行くと、彼の強硬な反日政策は建国の草創期にはほとんど不可避な苦肉の策だった、という考えに至ります。」(p.12-13)
「一九四八年の建国当時の韓国人の正体は、曖昧極まりないものでした。人口の半分以上は字が読めず、絶対的多数は伝統小農社会の構成員でした。彼らに「自由」を説き聞かせるのは不可能なことでした。」(p.13)
「李承晩学堂の活動には、彼が残した負の遺産を克服する努力も含まれています。本学堂の『反日種族主義』刊行を、そのような趣旨で納得してくださればありがたい限りです。」(p.14)
反日バリバリの李承晩元大統領の功績を称えるための李承晩学堂が、この本を刊行しようとした理由が語られています。つまり、李承晩元大統領の真の目的は、韓国に自由をもたらすことだったが、そのためには反日という国民共通の敵を作ることで国民を団結させ、国力を高める必要があったということなのでしょう。
それが李承晩元大統領の本当の目的だったなら、李承晩学堂としては、その真意を世に広める必要がある。そしてそのために、方便として使われた反日というツールを、今は見直すべきだということかもしれませんね。
「この国の国民が嘘を嘘とも思わず、この国の政治が嘘を政争の手段とするようになったのには、この国の嘘つきの学問に一番大きな責任があります。私が見るところ、この国の歴史学や社会学は嘘の温床です。この国の大学は嘘の製造工場です。そう言っても大きな間違いではないと確信しています。」(p.24)
「彼らは、原告たちの嘘の可能性の高い主張に対し疑いを持ちませんでした。彼らもまた、幼いときから嘘の教育を受けてきたためです。彼らは、国際人道主義を実現するという溢(あふ)れるばかりの正義感と使命感で判決を下しました。それにより、この国家と国民がどれほど大きな代価を払うことになるか眼中にもありません。「嘘をつく社会や国家は滅び行く」という歴史の法則は、こうやって少しずつ実現されて行くのかもしれません。」(p.28)
「嘘が作られ拡散し、やがて文化となり、政治と司法を支配するに至った過ぎし六〇年間の精神史を、何と説明したらよいのでしょうか。人が嘘をつくのは、知的弁別力が低く、それに対する羞恥心がない社会では、嘘による利益が大きいためです。嘘をついても社会がそれに対し寛大であれば、嘘をつくことは集団の文化として広がって行きます。」(p.29)
このように、韓国社会には「嘘の文化」が定着しており、歴史学者や社会学者といった学問領域だけでなく、政治や司法においても嘘がはびこっていると糾弾します。
けれども、その嘘をつくことがメリットになる社会文化ができてしまうと、誰にもそれを止められなくなる。そしてその社会は、没落していくしかないのだと嘆いているのです。
「小説『アリラン』はその実在した歴史を、幻想の歴史、つまり虐殺と強奪の狂気にすり替えました。そうして商業的に、さらには文化的に大きな成功を収めました。韓国社会に伏在した種族主義文化、そのシャーマニズムとトーテミズムの世界を巧みに形象化したからです。」(p.41-42)
日本軍がいかに韓国人に対して酷いことをしてきたかを、小説によってイメージ化したのが「アリラン」です。この大衆小説は韓国社会に受け入れられ、さもそれが事実であったかのように国民を洗脳したのです。
こういう物語を通じた人々への訴求は、世界中で行われてきた非常に効果的なプロパガンダです。中国でもさかんに反日映画が作られました。事実を淡々と述べるより、物語(小説、映画、ドラマ、演劇など)によって示す方が、人々の心に浸透するのです。そしてフィクションとノンフィクションの垣根が低くなり、人々はフィクションを事実と錯誤します。もちろん、それが狙いです。
「我が国の国史学会を代表する学会の会長まで務めたある研究者は、この時期に朝鮮から「流出」した、あるいは「収奪」された資金の規模は、国内総生産(GDP)の八〇パーセントを超えた、というとてつもない主張まで展開しています。もしそのようなことになっていたら、朝鮮の経済は見る影もなく萎縮し、朝鮮人の生存自体が不可能だったことでしょう。このような主張には、この時期、朝鮮人の死亡率が大きく下落し、平均寿命も延び、人口も大幅に増えたという事実を想起すると、深刻な疑問を提起せざるを得ません。」(p.66-67)
「日本は旧韓国政府の主権を強制的に奪い、植民地として支配しました。一国の主権を文字通り「強奪」したと言えるでしょう。日帝はまさにこの点において批判され、責任を免れることはできないと思います。しかし、教科書は、個人の財産権まで蹂躙(じゅうりん)し、朝鮮人が持っていた土地や食料を手当たり次第に「収奪」したかのように記述していますが、それは事実ではありません。当時の実生活では、日本人が朝鮮人を差別することは数えきれないほどたくさんあったでしょうが、民族間の差別を制度として公式化してはいませんでした。当時の朝鮮経済は基本的に自由な取引の市場体制であり、民法などが施行され、朝鮮人、日本人の区別なく個人の財産権が保護されていました。」(p.75-76)
「先に見た通り、日本が朝鮮に施行した各種制度と、朝鮮で実際に起こった経済的変化を照らし合わせてみると、教科書の記述は初歩的な常識にも合わないだけでなく、当時の実情を大きく歪曲しているのが分かります。」(p.76)
「嘘とでたらめな論理で日帝を批判して来て、また、大多数の韓国人がそのことにあまりに慣れてしまったため、それが虚構であることが明らかにされると、日帝をどのように批判したらよいのか分からず、当惑させられるのです。
虚構を作り上げ日帝を批判することは、国内では通用して来たかもしれませんが、それで世界の人々を説得できるでしょうか? 日本人を含んだ世界の人々が納得できる常識と歴史的事実に基づいて日帝を批判できる能力も育てられない教育、これが我が国の民族主義の歴史教育がおちいっている陥穽(かんせい)であり、逆説だと言えます。」(p.76-77)
朝鮮併合の後、土地調査事業によって朝鮮人の土地を収奪されたと言われているのですね。南京大虐殺もそうですが、そんな酷いことがありながら、その前と後とで人口などを比較すると、衰退しているのではなく興隆しているという統計数値が、その吹聴される事実に対する大いなる懸念を示しています。
そして、そうやって事実に基づかずに批判非難することによって、真実を見る目が失われ、本来、歴史から学んで正すべきことを正す力が失われていることを著者は嘆きます。私も同感です。科学的であるなら、まずは真実を明らかにすることが重要です。
さらに言うなら、日本がまるで侵略的に朝鮮を併合したかのようなことを言われてますが、それはちょっと違うと思います。もちろん、そういう勢力もあったかもしれませんが、日本の目的は南下するロシアに対する防衛戦や緩衝地帯として朝鮮半島を位置づけていたというのがメインでしょう。だから併合に反対する人も多くいた。そして朝鮮は日本とロシアのどっちの傘下に入るのが有利かという考えで国論が二分されており、最終的に日本の配下になることを望んだ国内勢力が勝ったのです。
もちろん、それでも他国の主権を奪うようなことはしてはならなかったと現代の価値観で言うことは可能でしょう。しかし、当時の価値観、植民地を作ることが罪とされなかった当時の価値観において、いったい誰が裁くことができるでしょうか。
「このような低劣な精神世界にとどまっていたのでは、独島問題の解決は不可能だと考えます。金大中政権まで続いた歴代政権の冷静な姿勢に戻って行く必要があります。一九五一年、米国務省が明らかにしたように、独島は一つの大きな岩の塊に過ぎません。土地があり、水があり、人が暮らす島ではありません。国際社会が領海を分ける指標として認定する島ではありません。それを民族の血脈が湧き出るものとして神聖視する種族主義の煽動は、止めなければなりません。冷静に于山島と石島の実態について考えてみなければなりません。」(p.180-181)
他のところで明確に書かれているし、日本側も主張していますが、独島(竹島)が韓国の領土だったという歴史的な根拠はまったくありません。日本が領土と定めた事実があるだけです。それを戦後のドサクサに紛れて実効支配しただけ。この事実に目覚めない限り、韓国の人が真実に向き合うことはないのだろうと思います。
「成員は、家父長戸主に対して無権利です。例えば、成員が取得した所得は、別規定がない限り、戸主の所得に帰属します。妻の社会活動も、戸主の承認があってこそ法的効力を有します。戸主制家族は、徹底的に男性優位の家父長制文化です。このような文化、このような権力であったため、女性の性を国家が管理する公娼制が成立できたのです。」(p.280)
家父長制によって、戸主、つまり父親の一存に従うしか他の家族の生き方はなかった。日本もそうですが、そういう時代があったのです。
「要するに、大衆文化作品でも一九八〇年代初めまでは、慰安婦は不幸で可哀想な、自分または他人に恥ずかしい、面目がない女性たちでした。日本の植民支配の被害者ではありませんでした。米軍慰安婦を被害者と見なさいのと同様です。その理由から日本軍慰安婦は、国史教科書でも戦時強制動員の一つとしては言及されなかったのです。」(p.338)
韓国には元々、女性が性を提供することで世渡りをする文化がありました。それを政府が公認することで公娼制が始まったのです。その文化は、日本が持ち込んだものと言うより、韓国にも日本にもあったものでした。だから、戦後、韓国は、朝鮮戦争の中で米軍に対して慰安婦を提供したのです。
「今では、交戦中に一方の軍隊が占領地の女性を強姦することは犯罪です。しかし、第二次世界大戦でドイツが敗れたとき、ドイツに攻め入ったソ連軍だけで最少五〇万人から最大一〇〇万人のドイツ人女性が強姦されました。ベルリンだけで一一万人の女性が強姦されたそうです。それでもこの集団強姦は、当時は何の問題にもならず、その後も冷戦などの複雑な理由のため、そのまま歴史の中に埋もれました。世界大戦を引き起こしユダヤ人を虐殺した国だから仕方がない、と言ってはいけません。ドイツが戦争を起こしたとしても、ドイツ人女性が強姦されてよい理由などないのです。」(p.363)
「本当に元慰安婦たちが経験した苦痛と悲しみに共感し、彼女たちを慰めたいなら、日本を攻撃するより、まず一九九〇年までの我々の四五年間を、それ以降も含めた解放七〇余年を反省すべきです。娘を売ったのも、貧しい家の女性を騙して慰安婦にしたのも、また、その女性たちが故国に帰って来れないようにしたのも、帰って来たとしても社会的賤視(せんし)で息を殺して生きて行くしかないようにしたのも、我々韓国人ではありませんか? 五〇年近く、あまりにも無関心だったのではないでしょうか? 五〇年過ぎて新たな記憶を作り出し、日本を攻撃し続けて、結局韓日関係を破綻寸前にまで持って行ったこと、まさにこれが一九九〇年以降の挺対協の慰安婦運動史でした。我々は、この慰安婦問題の展開の中に最も極端な反日種族主義を見ます。」(p.365-366)
戦時中、女性の性を国のために思うがままにした事例は、世界各国にあります。もちろん、戦時中に限らず、平和な状態でもありました。その中で、今の価値観からすれば最も酷いと思えるのが、ソ連などによる現地調達、つまり敵国の女性をレイプするというやり方です。
日本軍は、そういう行為を禁止しており、だからこそ慰安所を設立して自国民(当時の韓国人は日本人です)の女性を慰安婦として採用したのです。
そして、慰安婦(売春婦)の文化は、それ以前から韓国の中にありました。かつては中国に、女性を貢物として献上していましたからね。だからこそ韓国は、第二次大戦後も米軍慰安婦を進んで提供したのです。
もし本当に、そういう女性に対する性の搾取が悪いことだと言うのなら、まずは自国の文化を改めるところから始めるべきでしょう。今のやり方は、日本を攻撃することで溜飲を下げるために、自国の女性を利用しているだけだと私も思います。
「何年か前に歴史学界は、この国の政治体制は「自由民主主義」である、という通説を否定し、「自由」の二文字を削除しなければいけない、と主張しました。二〇一七年、ロウソク革命で政権を取った文在寅大統領と彼の支持勢力は、憲法から「自由」を削除する改憲案を準備しました。世論の反発が激しく、撤回するにはしましたが、条件が整えばまた推進する意思を隠さずにいます。彼らは「自由」に対し敵対的です。自由を個人の軽薄な利己心だと考えています。」(p.370)
「このような自由が花開いた所が、宗教改革以後の西洋でした。西洋人は地球が丸いということを知り、五大洋・六大州を駆け巡り、通商しました。これが今日、西洋が全ての面で東洋を圧倒した原因です。将来世界は通商を通して一つになるでしょう。多様な人種が自由な世界家族として統合されるでしょう。戦争がなくなり、永久の平和が訪れるでしょう。これは、どの国も逆らうことのできない神の摂理です。私のものが一番だと言って門戸を閉ざし、自らの国民を奴隷として使役し、外の世界との交渉を拒否する国と人種は、消滅するでしょう。
以上が、李承晩が『独立精神』で披瀝(ひれき)した自由論です。要約すると、自由とは通商であり、学問であり、競争であり、文明開化であり、永久平和です。」(p.374)
李承晩元大統領は、こういう信念があって、韓国をより自由な国にすべく、政策を行ったのでしょうね。その過程として、反日的なことをせざるを得なかったのかもしれませんが、それは裏目に出ました。だからこそ、著者たちは、その李承晩元大統領の信念のためにも、この本を上梓(じょうし)せざるを得なかったのでしょう。
私も、世界平和を実現する方法を考えたことがあります。アメリカ合衆国のように、EUのように、国の垣根を超えて連結する。その輪を広げることで、世界国家を作るのが一番だと考えました。それには国境を低くすることが重要なのですが、そのためには経済交流を増やすことが有効だと思いました。まさに通商の自由化です。
またスピリチュアル的にも、自由を推進することが重要だと考えています。人はそれぞれ違うということを受け入れることで、他人に自分の価値観を押し付けることがなくなり、お互いに自由になれます。そうやって自由を推進していくことが、平和な世界を実現することにつながると思っています。
日本人の中には、韓国の反日思想に辟易して、韓国とかかわらないようにしようと考える人が増えました。私も、そう思います。ただ、私は見捨てるという意味ではなく、寄り添ってはいても無理に変えようとしない、という意味で、思い通りにさせようとすることを諦めることが大切だと思っています。そこには、いつかはわかってもらえるという信頼があるのです。
私たちは仲間です。ひとつのものです。その前提に立てば、これまで理解し合えない歴史があったとしても、それでも信頼し、じっとその時を待つことができるのではないかと思います。そういう中で、韓国の方の中にも、こういう考え方の人がそれなりにおられることがわかる本を読めて、心強く感じた次第です。
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