日本人が知らない! 世界史の原理 - 茂木 誠, 宇山 卓栄
友人の宇山卓栄(うやま・たくえい)さんがまた本を出版されたということで、さっそく買って読んでみました。宇山さんは、元は有名予備校の社会科の講師をされていましたが、今回の本の共著者は、同じく予備校講師でノンフィクション作家の茂木誠(もぎ・まこと)さんです。お二人共、歴史に造詣が深く、また幅広い知識をお持ちです。そのお二人が対談する形で世界史を紐解きながら、なぜこういうことが起こっているのか、この出来事の本質は何なのかなど、興味深い話を展開しておられます。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「現在、世界を見渡すと中東紛争、ウクライナ紛争、台湾危機、アメリカやヨーロッパの移民問題、迫りくる全体主義の脅威など、危機が連鎖的かつ同時多発的に起こっています。その危機の根源とは何か。いったい、世界はどのような原理で動いているのか。
本書では、その真相に迫ります。
日々のニュースを短期的に追うだけでは、決して真相は見えません。我々には、歴史という巨視的な文脈が必要であり、その文脈の中で「現在」の真相もまた浮かび上がってきます。」(p.3)
まず宇山さんが、このように本書の意義を明示されます。歴史は繰り返すと言いますが、現在起こっていることもまた、長い歴史の結果、起こっていることです。それぞれの時において、人々が考え、行動してきたことの集積が歴史であり、その考えや行動の集積(=歴史)は、現在に大きく影響を与えているのです。
「ユダヤ人を迫害したのはナチス・ドイツだけではありません。ヨーロッパ諸国でユダヤ人迫害をしなかった国を見つけるのは困難でしょう。帝政ロシアは国内の社会的な不満をそらすために、ユダヤ人迫害を頻繁に行いました。「ポグロム」(虐殺・破壊)というロシア語が使われ、ドイツよりも多くのユダヤ人が殺された可能性があります。ナチスによる虐殺を意味する「ホロコースト」の語源は「焼き尽くす捧げ物」で、70年代に同名のTVドラマがヒットしてから一般化しました。」(p.28-29)
ホロコーストは有名でよく知られていますが、それ以上にユダヤ人虐殺をしたのがロシアのポグロムだったのですね。
そもそもホロコーストは捏造だと言う人がいます。私も、その可能性があると考えています。(「戦後最大のタブー!「ホロコースト論争」」に記事を書いています。)ナチスがユダヤ人をガス室で大量虐殺していたと主張したのは、ベルリンにいち早く乗り込んだソ連だったと聞きました。自分たちが大量虐殺をやってきたから、ドイツもやったに違いないと考え、ドイツ叩きを正当化するために利用した。その可能性があるなぁと思いました。
「19世紀のポグロムが一番荒れ狂ったのは実はウクライナです。このときウクライナを脱出したユダヤ難民はアメリカへ移住し、市民権を得ました。その子孫がオバマ、バイデン民主党政権の中枢に入り、ウクライナへの干渉を繰り返す。ブリンケン国務長官も、ヌーランド国務次官もそうです。彼らにとってウクライナは外国ではなく、「父祖の土地」なのです。」(p.30)
ウクライナ戦争の背景には、こういうユダヤ人の怨念のようなものがあるのかもしれませんね。ウクライナとロシアが戦い合って、共に疲弊することは、ユダヤ人の恨みを晴らすことになるのだと。
「かつてローマ帝国も移民受け入れにより、社会が荒廃し、遂には滅亡しました。ローマは初期の頃、移民受け入れで成長しましたが、しかし、結局、移民政策が帝国の圧迫要因となっています。」(p.32)
現代、アフリカ植民地支配の贖罪もあってヨーロッパ諸国が移民を受け入れましたが、ほとんどの国で移民が増えすぎたことによる弊害が現出し、社会問題になっていますね。
そういう現実があるにもかかわらず、日本政府は移民を増やす方向に舵を切ろうとしています。たしかに労働力の確保というメリットはありますが、シンガポールのように厳しく区別して、何かあればすぐに追放するような厳しいやり方ならまだしも、日本は5年も住めば永住でき、何なら家族も呼び寄せられるというような甘々な制度を導入しようとしているようです。亡国の道を進むことにならなければ良いのですがね。
「人種はDNAなどの遺伝学的、生物学的な特徴によって導き出されたカテゴリーで、それに対し、民族は言語・文化・慣習などの社会的な特徴によって導き出されたカテゴリーです。」(p.74)
「「文化」の力、「教育」の力というのはかくも強力なものであり、混血したくらいでは、変わるものではないことがわかります。逆に、文化や教育が廃れれば、その民族は滅ぶといっても過言ではないでしょう。」(p.75)
民族と人種の違いについて語られていますが、現代の日本人の場合は、人種と民族がほぼ一致していると言えるでしょう。ただ、そうは言っても混血は行われてきたわけです。お二人は、重要なのは民族であって、混血によって人種は変化したとしても、教育や文化を維持すれば民族は廃れないと考えておられるようです。
「そのあと突然変異が起こり、新しいモンゴロイドであるハプログループOが出現して、Dに取って代わっていったことがわかっています。このハプログループOに属するのが、中国人、朝鮮人、ベトナム人、タイ人、ミャンマー人などです。
一方、古モンゴロイドのDが色濃く残るのが、チベット人と日本列島の縄文人なのです。チベットは高原のため、日本列島は海によって大陸から隔てられていました。だから新モンゴロイドのOがなかなか入り込めなかったのでしょう。」(p.76)
人種で言えば日本人はモンゴロイドの一派になりますが、モンゴロイドの中にハプログループDという古モンゴロイドと、Oの新モンゴロイドがあるということですね。どういう突然変異で新モンゴロイドになっていったかはわかりませんが、古モンゴロイドの系統として残っている人が多いのはチベットと日本だけのようです。
「おっしゃるように、稲作は長江流域から日本に入ってきています。この時代に、長江流域に分布していた民族はベトナム人などと同じオーストロ(Austro=南の)アジア語派で、いわゆる漢民族とは異なります。
実は、日本は畑作牧畜の黄河文明からはほとんど影響を受けていません。この時期に、中国の北方から朝鮮半島を経由して渡来人が多くやって来て、日本に文明をもたらしたという教科書や概説書に書かれている従来の説は明らかに間違っています。」(p.78-79)
最近では多少知られてきましたが、稲作の朝鮮半島伝来説は間違っているということです。伝わるためには朝鮮半島に稲作の痕跡がなければなりませんが、日本で発見されている稲作の痕跡よりも古いものが朝鮮半島にはないのです。しかも、黄河文明は稲作ではなく畑作だった。稲作文明の長江文明が朝鮮半島を経由して日本に伝わるというのは無理があるのです。
「2019年、アイヌ人を「先住民族」とはじめて明記したアイヌ新法が成立しました。アイヌ新法で、アイヌ人は日本の「先住民族」と規定されましたが、そう言い切れる証拠はどこにもありません。アイヌ人がいつ、樺太から南下して北海道にやって来たのか、詳しいことはわかっていないのです。文献資料で見られるアイヌ人の記述は今から約800年前の13世紀のことです。」(p.82-83)
アイヌ人が北海道にいたことは間違いありませんが、いつやってきたのかは不明確です。それにも関わらずアイヌ新法で先住民族とされたのは、政治的なものと言う他ありません。科学的な根拠はないのです。
先に紹介したホロコーストの記事にも、アイヌに関することを書いています。どちらも歴史的科学的な研究を無視した、恣意的政治的な決め付きに過ぎないと思います。
「最新の遺伝子的研究で確認されたことをまとめてみましょう。
(1)日本人の原型を作ったのは1万数千年にわたりこの列島で生活を営んできた縄文人であり、日本語もこの時代に形成されたと推定できる。
(2)弥生時代と古墳時代には、大陸の戦乱を避けて大量の渡来人(新モンゴロイド)が日本列島に渡ってきたが、彼らは縄文人と共存して日本語を学び、日本人になっていった。
(3)現代人もなお、1割程度の縄文人(古モンゴロイド)の遺伝子を受け継いでおり、これが近隣アジアの諸民族との決定的な違いである。
縄文時代は1万数千年にわたる平和な時代でした。それは縄文人の人骨に、武器によって傷ついたものがほとんどないことから証明できます。鏃(やじり)の刺さった頭蓋骨が出てくるのは弥生時代からなのです。この縄文の遺伝子が現代人まで受け継がれているという事実は、世界の中で日本人の特性−−気づかいや優しさ、ナイーブさ、自然との共存−−を考える上で無視できないことだと思います。」(p.85)
前に紹介したSHOGENさんの「今日、誰のために生きる?」でも、1万4千年におよぶ平和な時代を築いた縄文人の生き方について書かれています。虫の音を騒音ではなく音楽のように聞ける日本人の特徴は、あのスティービー・ワンダー氏も絶賛しておられるようですね。
「江戸時代に貨幣経済が浸透して貧富の格差が拡大し、明治時代には日本が帝国主義の時代を生き抜くために、アイヌの日本人化が強制されたのは事実です。民族の言葉を禁じられて悲しい思いをした人も多いでしょう。その一方で、日本人として懸命に働き、徴兵にも応じ、日本のために貢献してくれたアイヌの方たちもたくさんいます。彼らは日本人と混血し、いまでは完全に日本人になっているのです。江戸から明治にかけて、北米やオーストラリアで行われたことを見てください。
宇山 オーストラリア先住民アボリジニーは、白人開拓民によって狩猟の対象となりました。アボリジニー狩りというスポーツがあったのです。」(p.164)
日本も民族弾圧をやったと言われますが、レベルがまったく違います。西欧諸国のそれは、人を人とも思わないようなものでした。東南アジアを植民地化した時も、現地人を猿くらいにしか考えておらず、婦人は平気で裸を見せたそうです。猿に見られて恥ずかしがる人はいませんからね。人ではないと思っているからこそ、スペインやポルトガルの中南米侵略やその後の黒人奴隷貿易、アメリカのインディアン狩りなど、ひどいことができたのでしょう。
「北米やオーストラリアの先住民については、この国連声明の通りでしょう。彼らの権利と名誉は回復されなければなりません。しかしすべての先住民がこのような迫害を受けたわけではなく、ケルト人はイギリス人と、エミシは日本人と完全に同化しています。アイヌは鎌倉時代に渡来してきた少数民族であり、先住民という定義が当てはまりません。」(p.165-166)
「国連で決まったことだから日本でもやらなければならない。これだけの理由で、北海道を中心に膨大な公金投入が行われ、さまざまなハコモノが建てられ、様々な利権団体に公金がバラ撒かれました。同じことはLGBT理解推進法(2023)でもいえるでしょう。」(p.166)
国連では、先住民の多くが政策決定プロセスから除外され、ぎりぎりの生活を強いられ、搾取され、社会に強制的に同化させられてきたと言っています。それに抵抗して権利を主張すれば弾圧され、拷問や殺害されてきたと。
しかし、このようなことがアイヌ人に対して行われてきたという証拠はありません。今また、沖縄人も先住民族であり虐げられてきた、と主張する人がいますが、実態を無視した政治的なものであると言えるでしょう。
だいたいこういう弱者や被害者を捏造しておいて、それを救済するという理由で公金を垂れ流す(公金チューチュー)仕組みは、左翼勢力が得意とする戦術です。弱者救済を錦の御旗にしているので、誰も正面を切って反対できない。それをいいことに、私たちの税金を掠め取って私腹を肥やす。彼らにすれば、ぶっ壊す対象の日本や政府を弱体化させることにもなるので、一石二鳥ということなのでしょう。そこに善意の人たちを巻き込むことによって、責められた時の盾にする。実に狡猾なやり方です。
「しかし、一番の疑問は、なぜ、征服されたアステカ人やインカ人は容易にキリスト教化され、スペイン語化されたのかということです。極めて高度な文明と宗教観を持ちながら、いとも簡単に独自の文明を捨て去り、キリスト教に帰依したのはなぜか。彼らはキリスト教に具体的にどのように、優位性を感じたのか、あるいは感じさせられた(洗脳された)のか。
ちなみに、日本人の多くはイエズス会の布教を疑問視し、受け入れることがなかったのは周知の通りです。
その一つの答えとして考えられるのが、茂木先生もご著書『感染症の文明史』で言及しておられるように、免疫力を持っていたスペイン人は病気で死ななかった。「なぜ、彼らは死なないのか」と疑問を持った先住民族に対し、スペイン人は「キリスト教を信じれば救われる」と説いたのです。」(p.170-171)
たしかに不思議なことですね。こういう視点で歴史を見ることはなかっただけに、言われてみると納得できます。
ただ、それはスペイン人たちが狙ってやったことではなく、たまたまそうなったのでしょう。そして、自らの文明を捨てたのは征服された民族の人々であり、もしこれが理由なら、彼らの中の不安や恐れが原因となって文明を捨てたことになります。
「「主権国家」の原則は、ドイツを舞台にした最大の宗教戦争−−三十年戦争を終わらせたウェストファリア条約(1648)で欧州各国に確認されました。ですから主権国家体制のことを「ウェストファリア体制」ともいうのです。
それではなぜ国王は、主権という最高権力を持つことができるのか? 「それは全能の神から与えられたのである」と説明するのが王権神授説です。キリスト教神学の立場から、「神」を主権の根拠としたのです。言い換えれば、「教皇が神の代理人」と説明してきたカトリック教会に対して、「いやいや、そうではない。国王が神の代理人なのだ」と主張したのです。」(p.184-185)
「革命派の貴族ラファイエット侯爵が起草した最初のフランス憲法の前文は、「人権宣言」と呼ばれます。その第3条に彼は、こう記しました。
「あらゆる主権の原理は、本質的に国民Nationに存する。いずれの団体、いずれの個人も、国民Nationから明示的に発しない権威を行使できない」。これが「国民主権」の原理です。」(p.190)
「「主権」とは地上における最高権力ですから、それを握った国民は−−厳密に言えば国民が選んだ議会の多数決によって−−王政の廃止も決定できるわけです。
実際、このあとフランス革命は暴走して過激派が議会を掌握し、王政の廃止とルイ16世の処刑を採決することになります。」(p.191)
主権もウェストファリア条約も王権神授説も歴史で習った言葉ですが、このようなつながりで考えたことはありませんでした。カトリックとプロテスタントの宗教的対立が背景にあったのですね。
そして「主権」の概念は王権神授説をひっくり返し、主権はそもそも国民にあるという考えに行き着きます。国民に主権があるのだから、その代表である議会が決めたことは絶対的に正しいとなるのです。
ただ、何事も理想通りには行かないもので、国民主権を唱えたラファイエット侯爵は、その国民主権である議会の決議によって爵位も領地も失い、亡命することになったのだとか。国民主権(民主主義)も暴走するのです。
「こうして国民国家として団結し、産業革命によって圧倒的な軍事力を手にした欧米諸国は、アジア・アフリカの国々に侵略の触手を伸ばしました。これが、帝国主義の時代です。アジア・アフリカ諸国の多くは、君主と人民との隔たりが大きく、国民国家になり損ねて植民地へと転落していきました。そんな中で唯一、国民国家に変容できた国があります。それが日本です。」(p.192-193)
「早急に西洋型の国民国家を作らねば侵略される−−。幕府は幕藩体制を維持したままの近代化を、薩長は幕藩体制を破壊して強力な中央集権体制による近代化を求めて戦い、後者の勝利によって明治政府が発足しました。
身分制の撤廃、廃藩置県、徴兵制の実施、憲法の制定というフランス革命級の国家改造を成し遂げた明治維新ですが、戊辰戦争で8000人、西南戦争まで含めても2万1000人の犠牲者で抑えられました。これが数十万人を殺戮(さつりく)したフランス革命との大きな違いで、世界史の奇跡といっても過言ではありません。
なぜ、それが可能だったのか? それは江戸幕府も、明治政府も、権威の源泉は同じ−−「天皇」だったからです。天皇が統治し続けるという点で、日本には革命は起こっていないのです。」(p.193)
国民国家を作ることと近代化することは、同じことを意味するのですね。そのために、フランスは革命によって王権を破壊したのですが、日本は違う方法で成し遂げた。しかも、フランスのような大きな犠牲を払わずに。それは、君臨すれども統治せずという天皇を頂点とする日本の国体がすでにあったことが大きかったのでしょう。
「中国に服属していた朝鮮は中国に毎年、多額の金銭・物品を貢納しなければなりませんでした。朝鮮は土地が痩せて、貧弱な国であったので、中国が求める金銭・物品の貢納が慢性的に不足していました。その不足分を補うために、若い美女たちが送られたのです。
朝鮮には「貢女(コンニョ)」というものがあり、これは中国の高官に差し出す性奴隷のことです。」(p.201)
「「貢女」を選ぶ中国の使臣は「採紅使」と呼ばれました。採紅使の激しい怒りに恐れをなした太宗は「貢女」集めをやり直し、身寄りがあろうがなかろうが、美女を見つけ次第、強制連行しました。」(p.201)
自国がこういうことをやっていたわけですから、その記憶がDNAに刷り込まれているのでしょう。だから朝鮮戦争の時にもアメリカ軍のために慰安婦を提供したし、ベトナム戦争ではベトナムの女性をレイプした。そして自分たちがこういうことをやっているから、他人も同じに違いないと考える。韓国が日本の慰安婦問題を批判非難するのは、自分たちに後ろめたいところがあるからでしょうね。先ほどのソ連がナチスをユダヤ人虐殺で非難したのと同じです。
こうしてみると、他者をやたらと批判非難する人があったら、実はその人の中に同じようなことをやった過去があったり、民族としての記憶があるのではないか、と疑ってみるのも、真実を見抜く1つの方法かもしれませんね。たとえば韓国が日本を「パクった」とよく批判するのは、自分たちがそうしてきたからでしょう。中国が日本を南京で大虐殺したと批判するのも、自分たちが他で大虐殺をやってきた歴史があるからでしょうね。
「「朝鮮は独立国家で、日本とは対等」と書いてありますね。これが事実です。これを教えないから、「江華島事件で日本による植民地化がはじまった……」と多くの学生が誤解するのです。「日本と清国が対等」、「日本と朝鮮も対等」となれば、当然、「清国と朝鮮も対等」とならざるを得ません。」(p.203)
「日清戦争で、清は自らの不利を悟り、日本に講和を求め、李鴻章が下関にやって来て、伊藤博文と交渉し、1895年、下関条約を締結します。かつて、李鴻章は「朝鮮は清の属国であるから、手を出すな」と威嚇しましたが、その面目は失われました。下関条約により、清が朝鮮の独立を承認します。この瞬間、日本は朝鮮を独立させたのです。」(p.203-204)
「「貢献典礼」とは、清国に対する朝貢の儀式のことです。朝鮮女性たちを長年にわたって苦しめ続けた「貢女」の制度も、この下関条約によって全廃されたのです。」(p.204)
1875年の日朝修好条約では、江華島を占領した日本軍が朝鮮に国書の受取りを迫ったので、それで日本が武力で強制した不平等条約だと思われているのですね。しかし、その条約の内容は、朝鮮を独立させるというものでした。
おそらく、朝鮮政府は独立させてほしくなかったのかもしれません。自国の女性を犠牲にしてでも中国の属国でいたかった。だからありがた迷惑だったのでしょう。その恨みをいまだに忘れず、ことあるごとに日本を批判非難して敵視するのでしょう。今はなき(1万円札の話です)福沢諭吉氏が主張したように、日本は関わらないで放っておいた方が良かったのかもしれませんね。
「中国では、王朝がコロコロ替わり、遂に人々に国というものの意識が根付いかなかったのだと思います。国の意識が無いために、公共の意識もありません。人が道で倒れでいても誰も助けない、そこら中にゴミや公害を撒き散らして平然としている、そんな自分さえ良ければよい人間ばかりが集まる荒廃した社会になってしまうのです。
道徳の荒廃は、ならず者や簒奪(さんだつ)者が覇を競う無秩序な世が長期的に続いたことにより生ずるものです。国の支柱となるべき精神や規範というものが欠落した状態が歴史的に慢性化し、それが今日の共産党政権まで続いているのです。
茂木 これを嘆いたのが孔子を祖とする儒家の集団でした。彼らが「徳」とか「礼」とか、口うるさく説教したのは、それを守る者が誰もいなかったからです。」(p.210-211)
道徳を守らない人が多いから、道徳を守るべきという教えが広まる。まぁそういうことかもしれませんね。先ほどの批判非難することも同様ですが、声高に何かを主張するということは、その逆のことが自らの背景にあるということです。
「レーニンが世界革命の司令部としてモスクワに置いたコミンテルン(共産主義インターナショナル)の支部として各国に共産党が設立され、日本共産党もその一つとして生まれました。日本史がよくわかっていないロシアの革命家たちは、天皇をロマノフ王朝のような専制君主と勘違いし、「天皇制」−−この言葉もコミンテルンが作った用語です−−の打倒を日本革命の方針(テーゼ)としました(32年テーゼ)。」(p.238)
日本共産党がソ連政府によって作られ、日本での暴力革命を目指したことは歴史的な事実です。だからいまだに公安から目をつけられているのですよ。どんなに羊の皮を被って庶民を騙したとしても、歴史的な事実を知れば、懐疑的に見ることができるし、その実態が透けて見えるのです。
日本共産党は、いまだに暴力革命を捨てていません。暴力革命路線と平和革命路線の内部対立を経て、平和革命路線を支持する側が実権を握りました。しかし、平和革命路線とは、自分たちが国内で暴力革命を起こすことは諦めて、外国勢力によって日本を暴力革命してもらおうという考えなのです。だから中国の核兵器には反対しないとか、中国が尖閣諸島近辺で安全を脅かしても抗議をしないのです。だって、来てほしいのですから、日本の暴力革命のために。
「このように、イギリスの覇権は奴隷貿易の人身売買業者、アヘン貿易のドラッグ・ディーラーなどによって形成されたものであり、その犯罪的かつ反社会的な手法なくして、持続可能なものでなかったことは明白です。悪辣非道、弱肉強食、厚顔無恥、こうしたことこそが国際社会の現実であることを歴史は証明しています。」(p.259)
「「大国は都合がいいときは国際法に従い、都合が悪いとこれを平然と無視する。日本が独立をまっとうしたかったら、まず軍備を整えなさい」
ビスマルク時代のドイツは、まさに明治日本のモデルとなったのです。」(p.270)
ドイツの鉄血宰相ビスマルクは、明治政府の大久保利通や伊藤博文などに、このようにアドバイスしてくれたそうです。国際社会は法があるようでない無法地帯であり、力が支配する世界なのです。そういう現実を見ずに理想だけ唱えていても、ただ利用されるだけです。
日本が他国のような悪辣非道な国になる必要はありませんが、日本の正義を貫くには力が必要であることは間違いありません。そして、アメリカもまた悪辣非道な国の1つであることも忘れてはなりません。今は従わざるを得なかったり、利用できるかもしれませんが、根本の部分では同じ正義(価値観)を共有してはいないのです。
「イギリスの「三枚舌外交」はパレスチナ紛争の遠因ではあるものの、直接の原因ではないと言えます。イギリスの責任を殊更に強調し、イギリスを黙らせようとするシオニストのプロパガンダについても考慮せねばなりません。自分たちは「三枚舌外交」の犠牲者であるというポジションが盛んに喧伝されたのです。」(p.308)
イギリスは、パレスチナの地でユダヤ人とパレスチナ人が共存できると考えていましたが、ユダヤ人がイギリスが制するのを聞かずに大挙して押し寄せ、一方的に入植者を増やしていったことが対立の原因だと言われています。
ユダヤ人のプロパガンダは、ホロコーストに関しても同じです。本当にホロコーストがあったのかどうかは重要ではなく、自分たちはホロコーストの犠牲者だというポジションを守ることが重要なのでしょう。だから研究することすらタブーにしたのです。
「パレスチナ分割案は非常識極まりない案であり、また戦争を誘発する案でもあり、欧米を除き、多くの国が反対しており、本来、否決されるはずのものでした。しかし、ユダヤ人シオニストは激烈なロビー活動とカネのバラマキにより、特にラテンアメリカ諸国の関係者を賛成側にひっくり返しました。国際連合総会のパレスチナ分割案採決では、前日まで反対を表明していた12の国が賛成に回り、投票は賛成33票、反対13票、棄権10票で、賛成多数で可決されました。当時、国連本部はニューヨーク郊外のレークサクセスに置かれていたため、「レークサクセスの奇跡」と呼ばれます。」(p.310-311)
こうしてユダヤ人国家、イスラエルが建国されたわけです。そして、その時の問題をいまだにひきずっており、今もパレスチナとイスラエルが戦争状態にあるのです。
今現に、戦争で大勢の人が苦しんでいます。彼らを犠牲者とするなら、真の加害者はいったい誰でしょうか? 三枚舌外交のイギリスでしょうか? 国家建設を望んだユダヤ人たちでしょうか? はたまた、国連で国家建設に賛成を投じた国の人々でしょうか? イスラエルに抵抗し続けるパレスチナ政府でしょうか?
一概に誰が悪者かなど言えませんが、こういう歴史的な背景があって今があるということを知っておく必要があると思います。それが、これまで生きた人々から未来を託され、今を生きる私たちの責務だと思うからです。
「ルーズヴェルトは3選を果たすと「日本の脅威」を執拗に喧伝し、危機を煽ります。前例のない3選の大統領権力は絶大であり、半ば独裁権を固め、太平洋戦争へと突入していきます。日本を滅ぼすというルーズヴェルトの個人的な野心はようやく実現しはじめます。
ルーズヴェルトは日本人に対する強い人種差別的思想を持っていたことを、イギリスのキャンベル駐アメリカ公使はイギリス本国に以下のように報告しています。「ルーズヴェルトはインド人やアジア人種を白人と交配させることにより、彼らの文明は進歩すると考えている。だが、日本人は白人と交配しても彼らの文明は進歩しないと」。」(p.313)
「他の帝国主義国が私利私欲、経済的利益を優先してアジア・アフリカを侵略したのに対し、アメリカだけは「正義の戦い」をしていたのです。この現代版十字軍には相手との妥協というものがなく、「無条件降伏」か「殲滅(せんめつ)」しかありません。
大日本帝國は、このことを理解できなかったのですね。真珠湾を奇襲攻撃して戦意をくじけば、アメリカは簡単に屈し、取引に応じると思っていた。しかし結果は逆でした。」(p.333)
ルーズヴェルト大統領は、第二次世界大戦に参戦したかった。だからわざと日本に真珠湾を攻撃させ、参戦忌避の世論を変えることで参戦する口実を作ったのです。
そして、日本を徹底的に殲滅しようとした。日本人に対する敬意など持ち合わせていないのです。もちろん日本人だけでなく、有色人種全体に対して。白人が有色人種を支配することは、神が望むことだと信じているのです。
これが、多くの欧米人の考え方の根底にあるのではないかと思っています。先日、長崎の平和式典にイスラエルを呼ばないことにしたら、G7の各国が強調して参加を拒否しましたよ。イスラエルは、口汚く日本の対応を批判しました。三国同盟で味方のドイツの意向を無視してまでユダヤ人を救うためにビザを発給するなど、人道的な見地からユダヤ人を助けてきた日本ですが、その日本に対してあの態度です。
でも、欧米人はそういうものであることを知っておく必要があると思います。根底にはアジア人蔑視があるのです。それはDNAに染み付いたもので、そう簡単には変えられないのでしょう。
「「強権で外国資本を排除しているプーチンこそオープン・ソサエティの敵である」、と本気で考えたソロスは、手始めに旧ソ連圏の共和国で彼の言う「民主化」を進めました。2003年ジョージア(グルジア)のバラ革命、2004年ウクライナのオレンジ革命では親ロシア政権を親欧米政権に交代させました。これら「カラー革命」をソロスが演出し、新政権がロシアと縁を切ってNATO加盟を求めるよう仕向けたわけです。
NATOの東方拡大の首謀者はNATOそのものではなく、ソロス財団だと思います。しかしこういうことをやればやるほど、孤立したロシアは民族主義で武装し、プーチンへの支持が高まっていった。逆効果です。」(p.341-342)
「1999年、NATOが加盟国域外へ、はじめて攻撃を行ったことも、ロシアにとっては大きな脅威として記憶されています。セルビアがコソヴォのアルバニア系住民に対する虐殺行為を行うと、NATOは調停案をセルビアに提示しますが、拒絶されます。
アメリカ軍をはじめとするNATO軍は人道的な理由を強調し、コソヴォ空爆に踏み切ります。空爆は国連安保理の承認なく行われました。集団的自衛権という枠組みを超えて、NATOが軍事攻撃したことは、ロシアのような仮想敵国にも、いつでも攻撃が及ぶということを意味します。」(p.342-343)
ウクライナを侵略しているロシアは当初から自衛のための戦争だと主張しています。たしかに武力侵攻したという点だけ見れば、ロシアによる侵略です。しかし、そこに至った経緯まで見ると、一概にそうとは言えない気がします。
もし、ロシアが悪で非道な国だというような価値観で考えるなら、真珠湾攻撃をした日本も同じだったのでしょうか? 日本は、戦争を回避する方法を散々に模索して努力したにも関わらず、日本に攻撃させたくてたまらなかったルーズヴェルト大統領の策略を突き崩すことができなかった、とも言えるのではないでしょうか。
もちろん、たとえアメリカがそういう悪意を持って日本を罠にかけたとしても、属国になることさえも忍従して戦争を避けることができたかもしれません。けれども、そうまでして戦争をしないことが、本当に正しいのでしょうか?
難しい問題ですし、一概にどれが正しいなどとは決めつけられない気がします。ただ、ものごとを決断する背景には様々な要因があるということを、私たちは知っておかなければならないと思うのです。力が正義の国際社会において、道徳的に正しいから思い通りになるわけではありません。自分たちの道徳的な正しさを押し通すためにも、力を持つことが有効だという一面があるのです。
また、それは武力としての力だけでなく、諜報活動など謀略的な力も含まれます。ありとあらゆる力を結集して、この国際社会で自国の正しさを押し通していく。そういうことを各国がやっているのです。
「ソ連崩壊後、公開された機密文書の中に、関東軍が参謀本部へ送った報告書があります。そこには「在留日本人および日本兵は帰国させず、ソ連の庇護下におく」と書いてあります。つまりシベリア抑留者60万人はソ連が一方的に拉致したのではなく、大本営の承認のもと、ソ連側に「引き渡された」ことになります。大本営はソ連の対日参戦を知りながら、むしろ積極的にこれを受け入れたのです(詳細は茂木誠『増補版・「戦争と平和」の世界史』第11章を参照)。」(p.362)
これは知りませんでした。もしこれが本当なら、多くの日本人は日本政府(日本軍)の犠牲者ではありませんか。
もちろん、誰がどこまで知っていたのか、組織的にやったのか、それとも個人的にやったのか、知っていて謀略としてやったのか、どういう結果になるのか知らずにやったのかなど、いろいろ考えられます。ですから、事実は事実として積み上げながらも、そこにある真実については、常に可能性の扉を開いておくことが大事だと思います。
「いまの日本には確かに解決すべき問題が多々あり、悲劇から学ぶべきことも多いと思います。同時に、諸外国で同じようなことが起こったらどうなるのかを知ることで、日本人というものを客観的に理解することができるでしょう。
歴史も同じです。根拠のない「自虐」や、根拠のない「誇大」から離れて日本人の歴史を客観的に理解するためには、世界の歴史を知らなければなりません。日本史は世界史の一部ですから、日本は同じような経験を諸外国と共有しているのです。」(p.366)
歴史というものは、特定の誰かが意図して動かしてできたものではありません。そこに関わる大勢の人が、それぞれの思いを持ちながら考え、行動した結果の集大成です。もちろん為政者は、そこに大きな影響を与えますが、庶民の一人ひとりも言論や行動を通じて世論形成の一翼を担うなど影響を与えています。そして、それは日本国内に限定された影響ではない、ということですね。世界の動向は日本に影響があるし、その逆もまた然りです。
お二人の対談という形式ではありますが、1人がずっと語っているような感じもします。それは、お二人の考えがそもそも一致していることもあるかもしれませんが、本を作るにあたってすり合わせた結果でもあるかと思います。それによって、流れがわかりやすく読みやすい本になっています。367ページという大作でもありますが、比較的にすいすいと読めました。
歴史に関する本を読むと、その当時の人がどんなことを考えて行動したのかということが見えてきて、その当時の人々を身近に感じることができます。そして、その人の感じ方、考え方などを自分に当てはめて考えることで、自分がどういう考え方を選択すべきかを考える上で参考になります。
この本に限らず、歴史をわかりやすく解説した本は有用だと思いますので、ぜひ読んでほしいですね。
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