情報公開が社会を変える ――調査報道記者の公文書道 (ちくま新書) - 日野行介
最近、減税など政治がらみのことをX(旧Twitter)で発信していることもあり、こういう情報もおもしろそうだと思って買ってみました。
情報公開というのは、政府や自治体に法的に義務付けられたことですが、実態としては簡単には情報公開してくれません。そのことに疑問があったので、実態はどうなのかを知りたくて、この本を読んでみました。著者はジャーナリストで作家、元毎日新聞の記者の日野行介(ひの・こうすけ)さんです。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「ごみ処理場や工場の建設予定地の選定、子どものいじめなど地域の問題も同様だ。災厄をもたらす歪んだ政策の共通点は、市民にとってのメリットが疑わしく、結論や負担だけを市民に押し付け、意思決定過程が不透明なことだ。」(p.12‐13)
公務員は国民や住民の公僕のはずですが、その公僕が主人である国民(住民)に情報を開示しないという問題点があるのです。
「本来、同じ被災自治体として一致団結して汚染土を他所に持って行くよう国に求めるか、あるいは効果の疑わしい除染自体を止めるよう主張すべきであったにもかかわらず、迷惑施設の押し付け合いに議論をすり替えられてしまった。
こうした議論の「すり替え」を見抜き、住民同士で対立する不毛な事態を避けるためには、役所が出してくる政策に反射的に反対し、支持拡大を目指す「運動」だけでは不十分なのは明らかだ。その政策は本当に必要なのか? 役所が言い募る政策の目的は真実なのか? 本当のところを調べなければならない。」(p.21‐22)
役所がごまかそうとするから、本質的な議論ができない実態があります。本当は、悪人探しをするのではなく、どうすれば国民(住民)のためになる国(自治体)の政策ができるのかを検討し、実施できるようにすべきなのです。
「政策に込められた真の目的を察知し、実現を阻止したいと考える一般市民が(誰でも)できるのは、政策の目的が民意に反し、隠蔽(いんぺい)と嘘で一方的に進められている証拠を示すことだ。この証拠こそが意思決定過程を書きとめた公文書だ。」(p.41)
公文書を公開請求する意味は、役所がどういう意図でその政策を推進しているかを白日のもとにさらすことにあるのですね。
「「経緯も含めた」という文言に強い意志を感じることができる。決して公言しないだろうが、政治家や役人にとって意思決定過程に関する公文書は公開したくないものだ。だが、国民が情報公開を求める「権利」と合わせて、意思決定過程を記録する公文書の作成を役所に義務付ける法律ができたことで、情報公開請求を受けて意思決定過程を記録する公文書を公開しなければ「隠蔽」と指摘され、責任が問われることになった。」(p.56‐57)
公僕が国民に対して情報隠蔽しようとすること自体がナンセンスなのですが、情報公開法がなければ、そういうことすらできなかったのです。
「しかし、過去の冤罪事件では必ずといってよいほど、無実の可能性を示す証拠があったにもかかわらず、検察が隠し持っていた事実が明らかになってきた。警察が強制捜査権と公費を使って集められた証拠は本来、適切な刑事裁判を行うための公共財産であって、検察が独占してよいものではない。
無辜(むこ)の処罰を防ぐには、検察に持っているすべての証拠を開示させ、被告人と弁護人が吟味できるようにしなければならない。」(p.60)
「役所は秘密裏に検討し、政策の目的を偽り、「もう決まったことだから」と聞く耳を持たずに押し進める。この「隠す」「騙す」「押し付ける」の三点セットがもたらすものは民主主義の破壊しかない。これに対抗する材料は、役所がひた隠しにする意思決定過程の中にある。役所が自分たちにとって不利になる材料をわざわざ国民に提供することはない。国民・住民が情報公開請求によって「出せ」と迫る以外に方法はない。」(p.61)
まさにこの実態、つまり政府や自治体は、本来主人である国民や住民を蔑ろにして、自分たちの権力行使を優先していることが問題なのです。
「出席者は非公開だから口にできる本音がある一方で、経緯を含めた意思決定過程の記録は文書に残さなければならないのが公文書管理の基本原則だ。明らかにしたくないが残さなkればならない、という根源的な矛盾を内包しているのが非公開会議の議事録と言える。」(p.126)
政策の決定に関わる意思決定過程で、誰が何を発言しようと自由であり、それによって批判非難されるべきではないと思います。しかし、現段階においては、批判非難されてしまう。なので、奇譚のない意見を聞くためには、議事録を公開しないことが前提となったりします。
つまり、国民(住民)が自らの首を絞めているのです。批判非難しなければ、様々な意見を出し合って決定できるのに。そのメリットを捨てているのは、まさに国民(住民)自身だと言えるでしょう。
「役所はいつもこそこそと検討し、市民を欺き、聞く耳を持たずに押し付ける。それは政策の中に潜む矛盾や誤りを自覚しているからに他ならない。市民がそんな政策にNOを突きつけるためには、何が誤っているのか、どこにウソがあるのか役人たちを論破できるほど知識を積み上げなければならない。そのために必要な情報は公文書の中にしかない。意思決定過程を記録した公文書を市民が自らの手で根こそぎ拾わなければならない。」(p.213)
情報公開請求しても、公開に時間がかかったり、公開しないと言われたり、墨塗りして意味のわからない文書しか公開されなかったりします。こういうことそのものが「おかしい」と思いませんかね? だって、主人は国民(住民)なんですよ。主人が公開しろと言っているのに、公僕が公開しないなんてことが認められること自体が、おかしなことだと思います。けれども、それが現実なんですよね。
私は、すべてを予め公開すべきだと思います。いまや、インターネット上にすぐにでも公開できる時代なのですから。
そして、意思決定や、そこに関わる段階での発言に対しては、罪を問わないという価値観を国民(住民)が共有することが重要だと思います。
それができれば、情報公開請求するまで公開しないんじゃなく、すぐにリアルタイムで公開する時代になっていくと思います。
政治に求められるのは、「シンプル」と「オープン」だと思います。このキーワードを重視した価値観が広がり、その上で政策が検討されるといいなぁと思います。
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