これも何で紹介されたのか忘れましたが、読んでみて、とても良い本でした。
「逆説の10カ条」という詩のようなものがあります。マザー・テレサさんの作として広まっていますが、実はそうではなかったようです。それが、この本を読んでわかりました。
本当の作者は、この本の著者、ケント・M・キース氏だったのです。ケント氏が19歳の時、「リーダーシップのための逆説の10ヵ条」として書いたものですが、この詩を含む小冊子を「静かなる変革−−生徒会におけるダイナミックなリーダーシップ」と題して書き、1968年にハーバード大学学生部によって出版され、3万部は売れたそうです。その後、この詩がひとり歩きしていったようですね。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「「逆説の10ヵ条」は、いわば一つの挑戦として書いてみたものです。その挑戦とは、仮に他の人たちがそれを良いこととして評価してくれなくても、正しいことを、良いことを、真実であることを常に実行してみませんかという挑戦です。この世界をより住みやすい場所にするという仕事は、他人の拍手喝采(かっさい)に依存できるものではありません。何が何でもそのための努力を続けなければなりません。なぜなら、あなたがそれをしなければ、この世界でなされるべきことの多くは永久に達成されないからです。
たくさんの言い訳を聞いたものです。しかし、私はそうした言い訳には納得しませんでした。確かに、人は不合理かもしれない。わからず屋でわがままかもしれない。それがどうだと言うのでしょうか。それでも私たちは人を愛さなければなりません。」(p.14-15)
「完璧な解放感、そして、完璧なやすらぎを感じました。正しいこと、良いこと、真実であることを実践すれば、その行動自体に価値がある。そのことに意味がある。栄光など必要ではないと悟ったのです。」(p.16)
現実的には評価されないかもしれない。けれども、私たちの内側の声が、これをやれと言うのです。愛せよ、と。ケント氏は、その内なる声に突き動かされたのかもしれませんね。
だから、結果を放り出せと言われるのです。特定の結果が得られるからそうするのではなく、ただそうすることが自分らしいからするのだと。
「世界は意味をなしていません。しかし、あなた自身は意味をなすことが可能なのです。あなた自身は一人の人間としての意味を発見できるのです。それがこの本のポイントです。これは、狂った世界の中にあって人間としての意味を見つけるための本です。」(p.27)
「この10ヵ条を受け入れることができれば、あなたは自由の身になるでしょう。この世界の狂気から自由になるということです。逆説の10ヵ条はあなた個人の独立宣言といってよいかもしれません。」(p.28)
結果を放り出して自分らしく行うことを選択できるなら、それは究極の自由です。そして自由であるということは、自分らしくあれるということなのです。
では、その「逆説の10ヵ条」を引用しておきましょう。
「1 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。
2 何か良いことをすれば、
隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
それでもなお良いことをしなさい。
3 成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
それでもなお、成功しなさい。
4 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。
5 正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。
6 もっとも大きな考えをもったもっとも大きな男女は、
もっとも小さな心をもったもっとも小さな男女によって
撃ち落とされるかもしれない。
それでもなお、大きな考えをもちなさい。
7 人は弱者をひいきにはするが、勝者のあとにしかついていかない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。
8 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。
9 人が本当に助けを必要としていても、
実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい。
10 世界のために最善を尽くしても、
その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。」(p.30-31)
「誰にでも欠点や短所はあります。誰でも怒りたくなったり、弱さをさらけだしたり、誘惑に負けたりするのです。誰だって、しなければよかったと後悔するようなことをした経験があるでしょう。人間は誰からも同意してもらえる行動を常にとるわけではありません。したがって、常に人に愛される価値があるというわけにはいきません。同意してもらったとか、愛する価値があるということが愛情の前提条件であったら、世の中には愛情はほとんどなくなってしまうのではないでしょうか。
最高の愛は無条件の愛です。欠点があっても短所があっても、愛し、際される、それが無条件の愛です。もちろん、成長してもっと良い人間になろうと努力しなければなりません。しかし、成長してもっと良い人間になりたいという願望や勇気の源は、愛すること、そして、愛されることなのです。」(p.36-37)
愛とは無条件の愛です。相手や自分が、立派な素晴らしい存在だから愛するのではありません。そんなことは盗人でもやっているとイエスは言っています。
私たちは、結果として愛するのではなく、原因として愛すべきなのです。なぜなら、それが私たちの本質であり、私たちらしいからです。
「お互いに正直で率直であるとき、強い人間関係を築くことができます。お互いに相手がどこに立っているかがわかります。どうすれば相手のニーズを満たすことができるか、お互いの夢を実現するにはどうすればよいかがわかります。信頼がなければ、何をしたらよいかもわからず右往左往して、自分や他の人を傷つけることになってしまいます。
家族や組織内の人間関係で一番大切なことの一つは信頼です。感じていること、考えていること、願っていること、恐れていることを隠したままでは信頼を築くことはできません。分かち合いによって、正直で率直であることによって、はじめて信頼は生まれます。」(p.69-70)
「もちろん、正直で率直にふるまえば、あなたは無防備になります。どうすればなたを攻撃し、傷つけることができるか、人に知らせることになるのですから。防御の構えをやめれば、自分をさらけだすことになります。親密な関係においてだけでなく、グループや組織の中でも同じことが言えます。
しかし、無防備さが良い意味をもつこともあります。無防備になると、他の人たちと心がつながりやすくなります。人と深く知り合うことになり、人から容易に学べるようになります。無防備な状態は、新しい人間関係へのドアであり、新しい機会へのドアです。成長するための新しい道にいたるドアであり、共に協力し合って生きる新しい道に通じるドアです。」(p.70-71)
私たちは恐れるから防御しようとします。他人との間に壁を築き、自分を隠そうとします。けれどもそれでは、他の人と真に交わることができません。真に交われないとは、愛し合うことができないということです。
「いたるところに本当に助けを必要としている人たちがいます。あなたが彼らを助ければ、彼らはあなたを攻撃してきます。しかし、その攻撃はあなたに対するものではありません。自分が置かれている状況に怒りを感じているのかもしれません。無力感、あるいは、助けてもらわなければならないという気持ちと戦っているのかもしれません。彼らが攻撃してきたからといって助けの手を引っ込めないでください。あなたのことを何度も何度も助けてくれた人がいるはずです。今度は、あなたが助ける番です。」(p.102)
老人介護の仕事をしていて、利用者様から噛みつかれたり、引っ掻かれたりしたことが何度もあります。「あなたのために助けているのに、なんでそんなことをするの!?」そう、怒りをぶつけたこともあります。けれど、その人たちの苦しみもわかるのです。自分の思いどおりにならない苦しみ、自由にならないつらさ。だから、問われているのは、そうやって攻撃されても助けますか? ということだけなのです。
「最善を尽くすことの代償は高くつく可能性があります。しかし、それよりも高くつく唯一の代償は、最善を尽くさないことです。最善を尽くさなければ、あなたは本来のあなたではないのですから。
あなたはユニークな存在であることを決して忘れてはなりません。遺伝子的にユニークであり、才能と体験の組み合わせにおいてもユニークな存在です。ということは、あなたにしかできない貢献があるということです。世界のために最善を尽くすことによって、その責任を果たすことができます。」(p.106)
不安や恐れから、最善を尽くさないことはできます。つまり、自分らしくない選択をするということです。けれども、それによって得られるのは、自分らしくない人生です。そんな人生に、いったいどんな意味があると言うのでしょうか?
「逆説の10ヵ条を受け入れれば、この狂った世界で人として生きる意味を見出すことができるでしょう。逆説的な人生を送るとき、あなたは解放されるでしょう。
逆説の10ヵ条に従うことによって、本来のあなたになることができます。人生の本質ではないものから解放されます。真の満足をもたらしてくれないものから解放されます。本当に大切で、人生を豊かにしてくれるものに心の焦点をしぼることができます。」(p.111)
「一つひとつの行動がそれ自体で充分でありえるのです。その行動から何かが生まれるか生まれないかとは関係がありません。逆説の10ヵ条を生きるとき、一つひとつの行動がそれだけで完璧になります。なぜなら、一つひとつの行動それ自体に意味があるからです。」(p.112)
つまり、特定の結果を求めないこと、期待しないことです。結果を放り出すことです。ただその行為を、自分らしいからというだけで、情熱的に行うだけで良いのです。
「私たちがやることを誰も知らなくても、誰も評価してくれなくても、それは問題ではありません。そんなことは無関係に、私たちは正しいことをしなければなりません。これは自分の問題であって、他の人がどれだけ気にするかという問題ではありません。
評価されたいという願望をもつのは当然です。しかし、他人の拍手喝采を切望すると、意味を見つけることは難しくなります。拍手喝采を切望する人は、他人が必要としているものに心の焦点を合わせる代わりに、拍手喝采を得ることに心の焦点を合わせてしまいます。それだけではありません。人は時として拍手喝采することを忘れるものです。したがって、拍手喝采を切望する人は、自分の幸せを他人の気まぐれな心の動きにゆだねることになります。」(p.116)
他人の評価を得ることに心を砕くという生き方は、自分の幸せを他人の意向に委ねていることになります。それでは、ただ翻弄されるだけの人生になるでしょうね。
「だから、愛にも功利主義があるのかもしれません。愛することで、その人が変わるはずだと思うわけです。迫害を受けた宗教家が相手を愛そうとするのは、そうすることで「不合理で、わからず屋で、わがままな」相手が変わることを期待するからではないでしょうか。愛の力で変わらない人だったら、愛する意味はあるのでしょうか。」(p.137)
これは、「解説」に書かれていた一文で、元東レの社長の本心だと思います。起業家というのは、どんなに人格者であっても、いや人格者であればこそ、社員を守らなければならないと考えるものです。けれどもそれは、特定の結果を求めることであり、「愛する」ということでさえ、その手段と考えてしまいがちなのです。
本書の解説としてふさわしいかどうかはさておき、こういう本音が表現されていることが、私は素晴らしいと思います。ほとんどの人が、そうではないかと思います。私も、やはりまだそういう部分があります。だからこそ、こういう本によって啓発され、自分の中の真実と向き合うことができるのだと思うのです。
「解説」まで含めてもわずか140ページほどの小冊子です。けれども、非常に深いことを考えさせてくれる本だと思います。
ぜひ手にとって、自分の真実と向き合ってほしいと思います。
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