おそらくX(旧Twitter)で経済理論の大家として名前の上がるフリードマンの理論を知って感動し、じっくり本を読んでみたいと思って、ネットで探して買った本になります。
著者は柿埜真吾(かきの・しんご)氏で、立教大学で講師を勤めておられたこともある研究者で著作家の方のようです。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「ミルトン・フリードマン(Milton Friedman 1912-2006)は、20世紀を代表する経済学者である。フリードマンは自由市場経済の重要性を説いた経済思想家でもあり、英国のサッチャー政権や米国のレーガン政権の経済改革に大きな影響を与えたことで知られている。」(p.3)
経済学者としてはケインズが有名ですが、フリードマンも第2位に選ばれるほど有名なのだそうです。
「日本ではしばしばフリードマンの思想を嫌うあまり、その業績を認めない風潮さえある。フリードマンに市場原理主義者、弱者切り捨てといったレッテルを張ったセンセーショナルな書籍は巷に溢れているが、田中秀臣[2006、2008]の優れた研究が指摘するように、その多くは事実誤認が少なくなく、信頼できないものばかりである。フリードマンが実際に何を言っていたのかは日本ではほとんど知られていないのが現状である。日本とは縁遠い米国の過去の経済学者だ、というのが一般的なイメージだろう。」(p.6)
このように、フリードマンは日本ではあまり評価されていないようですね。
「当時、多くの人々は、住宅不足は人口に比べ住宅の数が少なすぎるためで、家賃統制とは無関係だと信じていたが、フリードマンたちは、家賃統制がなかった1906年のサンフランシスコ地震の際には、住宅がはるかに少なかったにもかかわらず、貧しい人々も住宅を手に入れることができたことを指摘し、住宅不足の真の原因は家賃統制だと主張した。家賃統制で家賃が低い水準に人為的に抑え込まれると、家主にとって家を貸すのは不利になるので、借家の供給は減少するが、家賃の低下で借家需要はむしろ増加し、住宅不足が深刻になる。
住宅不足の下では、家主は好みの借家人を選別できるため、マイノリティーの借家人や貧困層は偏見や差別の犠牲になりやすい。家賃統制は家賃を抑え、貧しい人々の生活を助けることを意図しているが、実際は住宅不足をもたらし、貧しい人々の住宅を奪ってしまう。」(p.27)
1946年にミネソタ大学に赴任したフリードマンは、家賃統制が住宅不足を引き起こしていると主張し、大論争を巻き起こしたそうです。
しかし、言っていることは至極まともですね。需要供給曲線からしても妥当です。そして、これがまさに統制経済のまずいところです。一部エリートの思惑通りには経済は動かないのです。
「今話題のベーシックインカム(政府が必要最低限の所得額を国民に給付する制度)も、じつはかつてフリードマンが提唱した画期的な貧困対策、負の所得税を発展させたものである。従来の生活保護制度は、受給者が働くと、その分給付額が減らされてしまうため、受給者の就労を妨げてしまう欠点がある。いったん生活保護受給者になると、その状態から抜け出すのは困難になりがちである(この現象を貧困の罠と呼ぶ)。」(p.41-42)
「負の所得税は、通常の所得税制度と一体で運用されるため、生活保護者に対する差別や屈辱感等の問題も起きにくく、受給者の尊厳を守ることができる。」(p.42)
アメリカやイギリスなどでは、給付付き税額控除として運用されているもので、控除しきれない分は給付されるというものです。私も、現行の生活保護制度には大きな問題があると思っていて、ベーシック・インカムによるセーフティネットの構築が必要だと考えています。
「ハイパーインフレやデフレを収束させるには一過性の政策ではなく、人々の予想を転換させる政策レジームの転換が必要であることが指摘されてきた。1998年から15年も続いた日本のデフレは現在ほぼ終息したが、これは安達[2014]等が指摘するように、2013年以降の2%インフレ目標採用と大胆な金融緩和という政策レジームの登場でデフレ予想が払拭されたことによる部分が大きいといえるだろう。」(p.60-61)
「フリードマンは試行錯誤を続けたが、最も有名なのはk%ルールである。k%ルールとは、貨幣量を毎年一定のスピード(k%)で増やし続けるルールである。フリードマンは、中央銀行がその時々の経済状況に合わせて裁量的政策を実施するよりも貨幣量をつねに一定のスピードで増やすほうが結果的には経済を安定させる、と議論した。」(p.62)
「ニュージーランドをはじめ、1990年代以降のインフレ目標採用国の経験は、インフレ目標政策がインフレ予想を安定させ、効果的に機能することを示した以上、晩年のフリードマンがインフレ目標政策に好意的だったのは何ら驚くに値しない。」(p.66)
フリードマンは、貨幣量が一定率で増え続けることで穏やかなインフレと経済成長が達成できると考えていたようで、アベノミクスはまさにそのフリードマンの理論に従ったものになっていたようです。
「ステレオタイプな日本像とは対象的に、フリードマンは、早くも1960年代に日本経済の成功を自由市場経済と結びつけていた。フリードマンは、雇用をはじめとする日本の制度の特殊性を認めながらも、「日本人は、これらの制度の枠内で、経済的諸力を活用させる方法を実に器用に見出している」と指摘した。具体的には「終身雇用とは別に臨時雇用を採用」しており、「臨時雇用は解雇や整理の対象となる」ことや「大企業はより柔軟性を得るために大量の下請け企業を抱えている」ことを挙げている。」(p.81)
「フリードマンによると、日本は統制経済の有効性を示す実例どころか「自由な社会こそが発揮できるいくつかの素晴らしい利点を、経済の面においても政治の面においても示している非常によい実例」である。フリードマンが証拠として挙げたのは、日本の経済成長が自由市場、自由貿易の時代に加速し、身分社会だった江戸時代や、太平洋戦争時の戦時統制経済の時代には停滞したという事実である。
明治時代の日本は「自由貿易の効果を証明する顕著な実例」であり、戦後の経済成長も自由市場の成功を物語っている。フリードマンは、日本を文化や制度は違っても、欧米と同じ自由市場経済だと見なしていた。」(p.82)
日本の経済は特殊であり、その特殊性のゆえに驚異的な発展ができたという見方が一般的でした。だから一時は日本に見習えとさえ言われました。しかし、その後、日本経済が失墜すると、手のひらを返したようにそれが日本経済の特殊性によるものだとされたのです。
フリードマンは、一見すると特殊に見える日本経済も本質的には自由市場経済だと見抜いていたのですね。
「不幸にして、フリードマンの懸念は、またしても的中した。やがて明らかになるように、バブル経済の崩壊は長い日本経済停滞の序曲にすぎなかったのである。フリードマンの期待に反し、日銀は、不況の深刻化にもかかわらず、大胆なハイパワード・マネー拡大に踏み切ることはなかった。1991-1999年のハイパワード・マネーの成長率は5.2%にすぎず、1980-1990年の平均7.9%を大きく下回っている。」(p.132)
バブル崩壊後の日銀の金融政策が間違っていると、当時、フリードマンは指摘していたのですね。
「日本経済復活のために真っ先に必要な改革の一つはデフレを終わらせることである。
「健全な回復への最も確実な道は、貨幣量の成長率を高めることである。緊縮的金融政策から金融緩和に転換し、貨幣量の成長率を(バブル期のように)再びやり過ぎにならないように気をつけながら1980年代の黄金時代に近づけるのである。そうすれば、喫緊の金融・経済改革も達成しやすくなるだろう」
その後の日本経済の回復は、フリードマンの診断の正しさを明らかにするものである。2000年代半ばの景気回復で、かつて存続の見込みがないとされた「ゾンビ企業」の多くは復活している。結局、不良債権の多くはデフレによって発生したものだったのである。」(p.150-151)
失われた20年とも30年とも言われるバブル崩壊後の日本経済ですが、アベノミクスからようやくデフレ脱却に舵を切り、経済が回復してきました。この一連の経済変化に関係する金融政策は、フリードマンの予想通りだったと言えるようです。
「1993年時点でフリードマンが貨幣量の減少から戦後最悪の不況を予想したことについては、すでに述べた通りである。また、卸売物価指数やGDPデフレーターで見れば、1995年以前から物価はすでに下落していた。岩田[1995]は「卸売物価については92年から95年前半にかけて持続的に低下しており、日本経済はデフレ状態」と指摘し、デフレスパイラルに陥る危険性を警告していた。岩田[2019]が指摘するように、日銀が彼らの声に耳を傾けていれば、デフレを阻止する強力な金融政策を実施することは十分可能だったはずである。」(p.158)
「日銀の金融政策は公定歩合を見る限り一見大胆だが、実際は、貨幣量の成長率で判断すれば「小さすぎ、遅すぎた」のである。」(p.160-161)
「失われた20年の日本の金融政策は、歴史に学ぶことなく、大恐慌下のFRBや1970年代のスタグフレーションを引き起こしたオールド・ケインジアンの金融政策と同じ過ちを繰り返したと言わざるをえないだろう。」(p.163)
「健全な回復への最も確実な道は、貨幣量の成長率を高めることである。……日銀を擁護する人々はきっとこう言うに違いない。『どうやって貨幣を増やすのですか? 日銀は政策金利を0.5%に既に引き下げています。貨幣を増やすためにこれ以上何ができるのですか?』、と。答えは全く簡単である。日銀は公開市場で国債を買い、現金あるいは日銀当座預金、つまり経済学者がハイパワード・マネーと呼ぶものを支払うことができる。……日銀が望みさえすれば、貨幣供給を増やす能力に限界はない」(p.165)
デフレからの脱却のためには貨幣量を増やすことであり、貨幣量を定率で増やし続けることなのですね。
「2000年8月には、速水総裁は政府の反対にもかかわらず、ゼロ金利解除を強行した。中原審議委員はゼロ金利解除に反対したが、孤立無援だった。当時のメディアは、政府の日銀批判は日銀の独立性への侵害であるとする政府批判一色で、日銀の決定自体の妥当性はほとんど問題にされなかった。まだデフレが続いていた当時、日銀の決定の無謀さは明らかだった。実際、その後デフレ不況は深刻化したが、政府に反対してまで強行した政策の失敗の責任を取った者は誰一人いなかった。
フリードマンは、中央銀行が政策目標を政府から独立に決め、外部の批判を受け付けない体制は非民主的で、経済的にも失敗をもたらしがちだと主張してきた。1990年代から2000年代の日銀の迷走はフリードマンの主張を裏書きしているように思われる。」(p.176)
政策責任を誰がどう取るのか。もちろん選ばれる人は、それなりの責任感を持って職務を遂行されるのでしょう。しかし、結果責任をどうするのかについては、考えてみる必要がありますね。日本は民主主義国家ですから。
「ジャパン・バッシングに反対したフリードマンならば、チャイナ・バッシングにもやはり反対しただろう。中国政府が国営企業の優遇措置や他国の疑念を招くような産業政策を放棄することは世界にとってだけでなく、中国の経済発展にとっても望ましいことだが、それは中国自身の問題である。トランプ大統領が米国を第一に考えるのであれば、消費者の利益を損ない、米国経済の効率を損なう保護主義政策は直ちに中止すべき政策だろう。
たしかに中国には人権問題や領土問題等の深刻な問題がある。だが、それは関税のような大雑把な手段ではなく、人権侵害やスパイ活動に関わる特定の危険人物への制裁、外交交渉、防衛力強化等の直接的手段で解決すべきである。貿易の利益を損ない、対立を煽るチャイナ・バッシングはかつてのジャパン・バッシング同様、双方に百害あって一利なしである。」(p.214-215)
「たとえば、改正子供・子育て支援法により2019年10月から、0-2歳児は住民税非課税世帯、3-5歳児は原則すべての家庭を対象に保育料が無料になったが、鈴木[2019]の提案するように無償化の際には、フリードマンの提唱した教育バウチャーの仕組みを活用することが望ましいだろう。無償化財源を保育施設に渡せば、経費の膨張や利用者を軽視した経営につながりやすい。利用者に保育施設を利用できる保育バウチャーを配り、施設側には保育バウチャーを通じて公費が渡る仕組みにすれば、認可外保育所と認可保育所の競争を促し、サービスの質向上や効率化が期待できる。」(p.217-218)
私も、自由市場経済こそが最適解だと思っています。保護主義がいかに世界を不幸にするか、第二次大戦で懲りているはずではありませんか。また、政府が事業に関与する補助金政策は、要は社会主義経済であり統制経済なのです。非効率であり、コストが嵩み、利権の温床になる。私も、バウチャーでも現金でもポイントでもいいから利用者(国民)にバラまいて、自由に使わせれば良いと思っています。
保育士不足の問題や待機児童の問題も、要は事業が成り立っていないからです。最初に引用した住居の賃貸価格の統制と同じです。またこれは、保育だけでなく介護も同じです。政府が事業をやれば、ろくなことにはならないのです。
本書を読んで、私の考え方はフリードマンの考え方に近いなぁと思いました。もっと規制を緩和して、自由度を高めればいいのです。
ただそうすると、能力のある人は儲かるけど、ない人は貧乏になり、貧富の格差が大きくなるという問題があります。それに対処することが政府の役割だと思っています。つまり、所得再分配です。
そこには、複雑なことをやる必要はなく、単に所得の多い人から一部を分けてもらい、それを所得の低い人に流していく。それだけでいいのです。
それを簡単にできるのがベーシック・インカム制度です。このセーフティネットによって、働けなくても人としての尊厳と生活が保たれます。最低限の生活が補償されるなら、あとはそれぞれの自由でいいし、自由であるべきだと思うのです。
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