Youtube動画で、「料理研究家リュウジのバズレシピ」をよく観ています。リュウジさんが作る料理はどれも手軽で美味しい。なので私もよく参考にさせてもらっています。
リュウジさんのレシピの特徴の1つは、「味の素」をよく使うことです。動画を観て、そう言えばそんなものもあったなぁと思い、私も買って使っています。ところがそれに対し、料理家が化学調味料を使うのはあり得ないとか、毒物を広めるのかとか、かなり批判非難があるようです。
私も詳しくは知りませんでしたが、「味の素」はかつて健康に悪いとされたことがありましたが、その科学的な根拠がないことが立証されていたようです。
リュウジさんは、「味の素」から報酬をもらって宣伝しているわけではなく、家庭料理においてはこれほど便利な調味料はないということで、積極的に使われているそうです。
本書は、そんなリュウジさんの「味の素」愛が伝わってくる内容になっていますが、「味の素」のことだけでよくこれだけのことが書けるなぁと感心するくらい豊富なウンチクが満載です。特に、魯山人が「味の素」使いの名人だったという情報は、本当にびっくりしました。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「誕生したのは、今から100年以上前の1909年。
主成分は、アミノ酸の一種であるグルタミン酸。これこそが「うま味」成分であることを発見し、うま味の調味料としてグルタミン酸ナトリウムを発明したのは、東京帝国大学教授の池田菊苗(きくなえ)博士。それを商品化して「味の素」として発売したのは、鈴木商店、のちの味の素株式会社です。
この世紀の発明品「味の素」ほど、数奇な運命をたどった調味料を、ぼくは知りません。「高級調味料」「家庭料理の味方」「日本の誇る発明品」ともてはやされる一方で、「原料は蛇」「健康被害や味覚障害を引き起こす」といった、事実無根の悪評にもさらされてきました。」(p.3-4)
100年以上も前から「味の素」があったことに驚きました。
「1960年代末、中華料理を食べると体に不調が生じるという「中華料理店症候群」がアメリカの医学雑誌で紹介され、その原因はグルタミン酸ナトリウムにあるのではないか、と疑われました。これがきっかけとなり、世界的にグルタミン酸ナトリウムの使用を忌避する傾向が生まれました。」(p.31
「こうして、家庭のキッチンから味の素はほぼ消えてしまいましたが、うま味調味料が入った調味料は、どこの家庭でもあるのではないでしょうか。
味の素社のほんだし、コンソメ、丸鶏がらスープ、ヤマキの割烹白だし、キューピーマヨネーズ……これらはすべて、味の素と同様のうま味調味料が入っています。」(p.32)
今では科学的に完全に否定された「味の素」の健康被害ですが、今でも信じている人はいます。そして、そういう人が平気な顔でグルタミン酸ナトリウム(MSG)が入った調味料を使い、それを使った料理を美味しいと言って食べている。この矛盾に気づきもしない滑稽さは、何と言ったら良いのでしょうか。
「むしろぼくは、「うま味調味料の原料は、砂糖の副産物である廃糖蜜です」という事実は、無駄がなくて素晴らしいと思っています。廃棄物を出さないことが企業に求められている今、サステナブルなものとして、国際的に評価されるあり方です。」(p.55)
「味の素」の原料はサトウキビの絞り粕である廃糖蜜だそうです。発酵によってグルタミン酸ナトリウムを取り出す製法が使われているとか。
それを、原料はサトウキビじゃなくその粕だ、とディスる人もいるんですね。リュウジさんは、だったら豆腐を作る時の大豆粕である「おから」はどうなんだ? と言います。おからは産業廃棄物に指定されているそうですが、主に家畜の飼料や肥料として利用される他、一部は食用として人の健康にも寄与しています。
「一方、グルタミン酸の結晶は水に溶けにくく、なめるとちょっと酸っぱいです。グルタミン酸は、その名のとおり酸性ですから。
グルタミン酸はうま味成分である、と何度もいってきましたが、じつは正確には、グルタミン酸の陰イオン状態、グルタミン酸イオンがうま味の正体です。」(p.56)
たしかに、何で「酸」とつくのかと疑問に思っていましたが、アミノ酸は酸性の物質なのですね。そして、うま味成分は中性化してイオンになったグルタミン酸塩なのですね。
「うま味調味料をがんがんに使った加工食品や外食産業の味に舌が慣れてしまって、現代人は繊細なだしのうま味や香りが感じられなくなっている、それは事実だと思います。
でもぼくは、それでもいいと思っています。いや、それがどうかしたの? くらいに思います。砂糖が貴重品だった時代に比べて、甘味に舌が慣れてしまった現代人は、野菜や米がもっている繊細な甘みには確実に鈍くなっているはずですが、それを問題視する人がどれだけいるでしょうか。
舌が退化したのではありません。料理が進化したのです。」(p.75)
たしかに、現代人が縄文時代の料理をそのまま食べても、ほとんど美味しいとは思わないでしょう。人が野生動物の食べ物を食べても、美味しいと思わないのも同様です。だから味覚が退化したというのも1つの見方なら、料理が進化したのだというのも1つの見方としてアリだと思います。
「ひとつ注意してほしいのは、これは料亭の料理人に向けて語られた話であって、家庭料理の話ではありません。魯山人自身は、家では味の素を使いこなしていました。」(p.145)
美食家の魯山人が「味の素」を論評していたというのも驚きですが、料亭の料理人に対しては「味の素は不可」と言っているようです。高級料理においては、なるべく使わない方が良いと。一方で、家では積極的に使っていたようです。つまり、使うべき時にはしっかり使い、使うべきでない時は使わないという、使い分けができていたのですね。
本書には他に、文筆家が「味の素」に触れている文章なども引用しています。昔から多くの人に親しまれ、使われてきたことの証拠となる貴重な資料ですね。
「発酵法とは、微生物を培養する培地に糖蜜などの原料を入れ、微生物の増殖とともにアミノ酸を生産させる手法です。
従来の抽出法に対して、発酵法は小規模の設備で(工場の建設費は約10分の1)、かつ低コストでアミノ酸を大量に生産できました。原料費も安く、製造期間も短縮でき、さらに抽出法で悩まされてきた大量の副産物が生まれるという欠点からも解放されました。」(p.153)
最初の頃は、塩酸を使って生産する方法がとられていたようです。純度が高いものがなかなか作れず、品質の悪いものが高価な値段で売られていた。そんな時代があったのですね。その辺の開発の歴史も、本書に詳しく書かれています。
「長年にわたって、多くのグループで臨床検査が行われてきましたが、いずれも中華料理店症候群とMSG摂取とのあいだに明確な関係は認められていません。」(p.166)
健康被害があるとしたオルニー実験が有名なようですが、それは新生児のマウスにMSG(グルタミン酸ナトリウム)を皮下注射した結果、神経に毒性を有するというものでした。しかし、その注射した量は、体重60kgの成人に換算すると実に30〜240gに相当するもので、アジパンダ瓶(70g)の約半分〜3瓶半に相当する量となります。通常、せいぜい1〜2g(アジパンダ瓶で1振りは約0.1g)を経口摂取するものを大量に皮下注射すれば、健康被害が出ないわけがありません。醤油ですら大量に飲めば死にますよ。
このような、実際の摂取とは無関係な実験を根拠に、「味の素」が健康に悪いという印象が広まったのですね。
「当時はアメリカでも、MSGはすでに日常の食品のなかに普通に使われていながらも、一般的には「中華人がよく使う、アジアから来た調味料」というイメージでした。そのため、「そんなもの、食べてもろくなことにならないに決まってる」などという偏見から生じた思いこみがあったのではないか、というのです。
なお、「中華料理店症候群」という名前は人種差別的であり、「MSG症候群」というべきだ、とも現在ではいわれています。」(p.169-170)
「味の素」が健康に悪いという思い込みは、有色人種に対する差別意識から生まれたものかもしれませんね。
「さまざまなデータが蓄積されて、うま味が基本味であると世界の研究者のあいだで合意されるようになったのは、1980年代になってからのことです。うま味の文化が発達しなかった欧米では「うま味」を示す適切な言葉がなかったことから、日本語のまま「umami」という表現が世界中で使われるようになりました。
そして2000年代になって、ついに舌の味蕾(みらい)にうま味の受容体が存在することが判明し、umami が第5の基本味であることは、誰もが認める事実となりました。」(p.181)
甘味、塩味、酸味、苦味という4つの基本味に、うま味が追加されたのです。これが日本人の発見発明によるものだと思うと、とても誇らしく感じます。
「そもそも、人間が「おいしい」と感じて満足できる食べ物には、油脂、砂糖、だし、これらが何らかの形で入っています。
じつはこの油脂と砂糖とだしには、脳に快感を感じさせ、「やみつき」にさせる効果があるといわれています。つまり、いったん好きになると、くりかえし食べたくなるのです。これは、脳の報酬系が刺激されて、快感を得ているためです。」(p.184)
「日本ではだしの文化が発達しました。これは偶然ではなく、日本では油脂や砂糖が手に入りにくかったため、おいしい料理を生み出すには、だしに頼るしかなかったのです。
世界的には、料理のおいしさは油脂が担ってきました。」(p.185)
たしかに、美味しさは脂肪にあると聞いたことがあります。私の父も、餃子の餡(あん)には油を入れないと美味しくならないと言っていましたね。それに、欧米の料理や中華料理は、油こてこてが多いです。これも美味しさを追求したからでしょうね。
「食べ物は、すべてのものが毒になりえます。食べることには、必ずリスクが伴います。ヘルシーといわれている野菜であろうと、猛烈に食いすぎたら、死にます。量の概念を入れてください。」(p.195-196)
本来、すべての毒に量の概念があります。毒物とされるヒ素だって、一定量以下であれば問題ないとされるのです。(含有量が基準値以下であれば、飲用に適すると判断されます。)
量の概念を無視するのは、不安を煽りたいからでしょうね。福島原発の処理水の問題でも、そのことが明らかになっています。
リュウジさんは、量だけではないとも言います。刺身も本来は危険な食べ物です。加熱調理した方が安全に決まっています。しかし、その危険を犯してでも食べるに値する美味しさがある。これがリスク管理というものです。私たちの生活の豊かさは、リスク管理の上に成り立っています。ゼロリスクを追求するなら、自動車だって廃止すべきでしょう。
そういう点で、ユッケや生レバーを法律で禁止するというのは愚の骨頂と言えるでしょうね。リスク管理の観点からするなら、生牡蠣を制限する方がよほど健康被害防止の観点で役立つはずですから。科学を無視して不安を煽れば、無意味なリスク管理となってしまい、私たちの利益(豊かさ)が損なわれるのです。
「味の素」と言えば、会社がタイにも進出していて、大勢の日本人の社員が働いていました。私はバンコクでソフトボールをやっていましたが、年に2回の大会に「味の素バーディーズ」さんも参加されて、毎回のように味の素製品を提供してくださいました。他のチームの人たちも、それを楽しみにしていましたよ。
タイはたくさんの屋台が庶民のお腹を満たしていましたが、その料理にも味の素製品がたくさん使われていました。きっと世界中で同じように、うま味調味料が人々の食の満足を支えているのでしょうね。そんな「味の素」は、日本が誇る食の文化であり、発明品なのです。
改めて「味の素」を見直すことができました。こんなに豊富な情報を1冊の本にまとめてくださったリュウジさんに感謝です。これからも動画を楽しみにしています。
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