ご存知、喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの新作です。喜多川さんの小説は、どれもこれも秀逸で間違いがありません。人生の本質に通じているテーマを、感動的に表現しているからです。
あまりに感動したので、喜多川泰全集を母校の中学校に作りたいなぁと思い、それまでの小説を全部買って寄贈したくらいです。また、タイでも多くの人に読んでもらいたくて、すでに読んでいた本も買い直して、日本人が集まる施設に寄贈したりしました。
今回も、Facebookで新刊の発売を知ったので、予約して買いました。小説なので、あっという間に読めてしまいますが、やはり感動して涙を流してしまいました。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
と言ってもこれは小説なので、あまりネタバレにならないよう引用はごく一部にとどめます。
物語のあらすじですが、主人公は群馬県から東京の大学に入学したばかりの門田暖平。ネクラで内向的。友だちもできないし、どうせ一人で生きていくしかないんだと自分のことを諦めている。親と一緒に暮らすのが嫌で、どこでもいいから出ていきたいと思い、東京の大学に入った。そこで落研との出会いがあり、誘われるがままに落語をすることになる。
その落研での人間関係の中で、暖平は様々な気づきを得て成長していきます。人と関わることの素晴らしさ、いろいろな経験をすることの素晴らしさを、感じるようになっていくのです。
「子どもたちを専門学校や大学に通わせる、それもそれぞれ一人暮らしをさせるというのは簡単なことではない。やりたいとかやりたくないとか関係なく必死で働く必要があったんだろう。
わかってはいるのだが、素直にありがとうと言えない。そして、そんな自分に対して、人としての薄情さを感じて自己嫌悪に陥る。」(p.77)
暖平の父親は地方都市の写真館を営んでいました。時代の流れでフィルムというものがなくなり、現像やプリントという仕事が皆無になってきて、写真館の仕事はイベントでの撮影がメインになっていました。同じ「写真」とは言え、業務内容はまったく違います。待ち構えて写真を撮るなんて仕事はほとんどなく、自ら出向いて運動会や修学旅行などの学校行事の撮影を主たる仕事にしていました。
暖平は、そんな父親の苦労をわかっているようでいて、なかなか受け入れられなかったんですね。たしかに、親が写真屋のおっちゃんの顔で自分の学校にやってくるのは、なかなか受け入れがたいものがありますから。
「落語の登場人物はみんなどこか抜けてる。いや、どこかどころかかなり抜けてる。欠点だらけなんですね。だけど、一つだけいいところが誰にでもある。その一つだけのいいところで江戸の社会にちゃんと居場所をつくって、お互いにそれでよしとしているんですね。何の文句もない。この部分を直せとか、もっとこうしろ、なんて相手に要求しない。
お互い人間だから、馬鹿なところとか、自分勝手なところとか、あるよねってのが根底にある。」(p.106)
「でもそれに気づいてから、できるだけニコニコしていようって思ったんだよな。そして、自分もそのままでいいと思ってもらいたいんなら、相手もそのままでいいって思わなきゃいけないって気づいた。そしたらさ、大袈裟かもしれないけど世界が違って見えたんだよ。社会も周りの人も何も変わってないのに、みんなそのままで仲良くなれんじゃんってなって、誰も完璧である必要なんてないって思えるようになったら、自分もそうじゃなくてもいいんだって思えたっていうか……どう、わかる?」(p.108)
落研の先輩の1人、健太のセリフですが、健太は高校の頃、自分ではないものになれというようなプレッシャーを感じていたのだそうです。そんな時に落語に触れて、無理に変わらなくていい世界があることを知り、落語の魅力に取り憑かれたのだとか。
たしかに、そう言われてみるとそうですね。いつもボーっとしている与太郎、喧嘩ばっかりの棟梁、知ったかぶりのご隠居など、欠点だらけの人がぶつかり合いながらも楽しく暮らしています。
本当は、人それぞれ違っていていい。ただそれを受け入れさえすれば、みんなが笑って暮らしていける。落語は、そういう世界を示唆しているのかもしれませんね。
「『世界はこんなもんだ』『世の中はこうだ』『俺にはこんなことしかできない』『俺はこういう奴だ』と『世界』や『自分』を認識している。そう判断するに至った情報はどこから得た?
お前の目と耳、肌、といったたった一つの窓だ。」(p.175)
「そういう状況に自分が置かれたら、いやでももっと別の世界を見て世界を知りたいと思うだろうにと、なんとなく考えていたのだが、実際にそれをしないで、「世の中とはこんなもんだ」「俺はこうだ」と決めつけていたと、直感的に感じたからだ。」(p.175)
「俺たちは、何を見るか、何を聞くか、何を感じるか、何を経験するかによって、世界に対する認識が変わる。」(p.176)
暖平は部長の碧(あおい)から、視野が狭いことを指摘されます。ほんのわずかな経験を元に、自分や世間を決めつけている。もしそのことに気づいたなら、もっと広い世界を経験したいと思うのではないか、というわけです。
世界は可能性に満ちています。ただそれを信じないことによって、自らを制限しているだけなのですね。
視野が広まれば、世界や自分に対する認識も変わってきます。他人のことも理解できるようになるでしょう。たとえ同意はできなくても、その人にはその人の人生があるのだと思えるはずです。そうなれば、他人にも自分にも優しくなれるのではないでしょうか。
重要なのは、今の自分の狭い認識に他人や世界を合わせようとすることではなく、自分の認識を広げることです。そうすれば、世界も他人も、今あるがままで受け入れられるようになります。そうやって他人の自由を受けれれば、自分も自由になれます。今あるがままの自分でいいのだと思えるようになるのです。
今、あるがままの他人や自分を、そのままに愛しく思う。それが寄り添うということ。そうすれば、自分の中が平和で幸せなものになるし、そういう人が増えれば、世界もまた平和で幸せなものになっていくのではないでしょうか。
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