これもSNSで知った本だと思います。ひょっとしたら広告だったかもしれません。基本的にこういう予言の類は読まないのですが、この本のことを知った後に、ペンキ画家ショーゲンさんの話を知って、そこにも2025年7月5日とあったなぁと気づいて、それで買ってみることにしたのです。
著者は漫画家の竜樹諒(たつき・りょう)さん。本書ではたつき諒と、平仮名になっています。
たつきさんは以前、3.11を予言したとして有名になったのだそうです。ぜんぜん知りませんでした。1999年、世間がノストラダムスの大予言で盛り上がっている最中に「私が見た未来」という漫画本を出版されたのだそうです。表紙には「大災害は2011年3月」と書かれていたとか。その後、たつきさんは漫画家を引退されたそうです。
その出版から12年後、実際に東日本大震災が起こり、その漫画本が注目されることになったのです。
本書は、たつきさんが再び世に警告を発するために出版された漫画本とのことです。それは、「本当の大災害は2025年7月にやってくる」ということだそうです。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
とは言え、これはマンガが主体の本です。たつきさんが予知夢を見るようになった経緯とか、予知夢の意味とか、関係のない過去の作品も収録されています。なので、その辺はすっとばして、予言に関係する部分のみを引用します。
「本当は「1999年の災害は小規模に、そして大災害は2011年3月に」と書くつもりでした。この具体的な日付である「2011年3月」という年号は、『私が見た未来』の単行本の〆切の日に「夢」で見ました。
この日付が漫画に描いた大津波の夢と関係があるのかどうか、そのときにはわかりません。でも、これはとても重要な日付だと思い、急遽、年月だけを付け加えたのです。」(p.54)
前作の「私が見た未来」の表紙に3.11を予言するかのような年月が入れられた理由を、このように言われています。
「1999年の災害」が何を指しているのかわかりません。ノストラダムスの大予言は不発でしたし、記憶に残るような災害はありませんでしたから。
それに、何だか不自然です。夢で年月だけ見たなら、それを本の表紙に入れようとは思わないでしょうし、仮に重要な年月だと感じたとしても、「大災害は2011年3月」とは書かないでしょう。何かまだ正直に語っていない感じがしてしまいます。後で「大災害」という言葉も見たと言われていますが、なぜその本に書こうと思われたかは不明ですね。
「この夢が東日本大震災の津波の予知夢だったのかどうか、私にはわかりません。それはあくまでも皆さんがあとで解釈してくださったことであって、少なくとも私自身には、そういう自覚はありませんでした。
東日本大震災は冬でしたが、夢の中の私は半袖姿の夏服です。そして、夢で見た津波の高さは、東日本大震災のそれよりも、もっと巨大でした。
ですから、この夢は、このあとに見た ”2025年7月” に関わる予知夢だったのではないか、と今になって思います。」(p.74)
「インドに行っているときに、これから起こる大災難の夢を見ました。
たとえるなら、ドロドロのスープが煮えたったとき、ボコンとなるように、日本列島の南に位置する太平洋の水が盛り上がる−−そんなビジョンが見えたのです。海底火山なのか、爆弾なのか、そこまではわかりませんが。そのとき宿で一緒にいた女性にも話していました。
そしてつい最近、また同じ夢を見ました。今度は日付もしっかりと。
その災難が起こるのは、2025年7月です。
私は空からの目線で地球を見ていて、Google Earthと同じといえばわかりやすいかと思います。突然、日本とフィリピンの中間あたりの海底がボコンと破裂(噴火)したのです。
その結果、海面では大きな波が四方八方に広がって、太平洋周辺の国に大津波が押し寄せました。その津波の高さは、東日本大震災の3倍はあろうかというほどの巨大な波です。
その波の衝撃で陸が押されて盛り上がって、香港から台湾、そしてフィリピンまでが地続きになるような感じに見えたのです。」(p.82)
文章には、年月までしか書かれていません。夢のことを書いた日記には、その日時を「2021年7月5日 4:18AM」と書かれています。これまでにも、夢を見た日と現実になった日が同じことから、2025年7月5日に起こるのではないか、と思われているようです。
日記には、竜が出てきたとか、「森林伐採なんかするから防波堤の役目なくなっちゃったじゃんか!」という言葉も書かれています。でも、東日本大震災以上の津波だとすると、森林の防波堤の役目も限定的だと思われますがね。
「大切なのは、準備すること。災難の後の生き方を考えて、今から準備・行動しておくことの重要さを改めて認識してほしいのです。」(p.87)
では、具体的にどう備えるのでしょう? この文の後に、リモートワークとか地下の飲み屋を避けるとか、3.11後の行動傾向が書かれていますが、それがどれほどの役に立つのでしょう? はなはだ疑問に感じます。
この本の影響かどうかわかりませんが、スピリチュアリストと思われる人たちがさかんに2025年7月の大災害について語るようになりました。「不安を煽るつもりはありませんが…」と前置きしながら、カセットコンロを買いたくなって買ったとか、備蓄の話をします。いやいや、津波が来て避難しなければならなくなったら、そんなもの役に立たないでしょう。
それに、仮にそういう備蓄品が役立つような状況になったとして、備蓄してない大勢の人がいたらどうするんですか? 分け与えるために備蓄してるんですか? どうもそういう問題ではない、という思いが込み上げてきます。
もちろん、備蓄しておくことはリスク管理の観点から重要でしょう。しかし、それはふつうにやっておくべきことであって、2025年7月に津波があるから、ではないと思うのです。
「そうなると気になるのは、2025年7月に起こる大津波の後の世界についてですが、私には、ものすごく輝かしい未来が見えています。
大地震による災害は、とても悲惨でつらいものです。でも、地球自体がマグマという熱エネルギーを抱えて生きているわけですから、どうしても避けられないものなのでしょう。それを覚悟した上でみんなが協力し合えれば、必ず生きていくことができます。
しかもそれは、明るくてきれいな未来です。」(p.88)
これも現実的には違和感があります。では3.11の後、被災地の人たちの未来、つまり今の状況は明るいものになっているでしょうか?
もちろん、たつきさんを責めたいわけではありません。たつきさんにも理由ははっきりしないけど、明るい未来が夢で見えてしまったのでしょうから。
それに、ショーゲンさんがブンジュ村で聞いた話も、明るい未来が予言されてるようです。(まだ本を読んでないので、実際はどうかわかりませんが。)
この明るい未来の夢は、2001年1月1日に見たとありました。そこには、「大災難後の明るい未来」と見えたようです。たつきさんは、「2011年3月」を見た時は「大災害」という言葉が見えたけれど、「2025年7月」は「大災難」と見えたのだそうです。なので、自然災害ではなく人災かもしれない、ということを書かれています。
人災であれば、可能性は事故か事件。事故でそんな規模は難しいので事件だとすれば戦争でしょうね。あるいは津波は象徴で、瞬く間に世界中に広がる人為的なウイルスによる感染症かも。
とまあ、そんなことをいろいろ考えてみるのですが、たつきさんは備えてほしいから本書を出版したと言います。でも、思うのです。何をどう備えるの?
実際、3.11の前だって、それなりに備えていたのです。けれども想定外のことが起こった。だから大変なことになったのです。
今度は確実に想定内でしょうか? そうだとすれば、津波を防波堤で防げない以上、低地から避難する他ありません。どこからどこへ避難すればいいのでしょう? 引越さなければならないのでしょうか? どこへ? そのために何ができるでしょう? お金のない人はどうしたらいい?
結局、人は、何もできないのです。具体的にわからなければ、つまり想定内でなければ、ほとんど対処できません。せいぜい「そういう可能性もある」と意識するくらいのものです。
たつきさんには申し訳ないが、単に不安(恐れ)を煽るための材料として使われるだけではないかと思っています。
2年くらい前でしょうか、備蓄しろと不安(恐れ)を煽った有名人が何人かいらっしゃいましたよね。どうなりました? 備蓄が必要な状況になりましたか? 「そういう状況にならなかったなら良かったじゃないか」と言うかもしれませんが、備蓄した人たちは不安に駆られたのです。不安を煽る人がいて、不安を煽られた人がいた。スピリチュアル的には、不安の集合意識が大きくなっただけではないでしょうか。
お勧めしている「神との対話」では、不安は愛の対極だと言っています。つまり不安は、愛ではないものです。愛を広めるのと、愛ではないものを広めるのと、どっちが良いのでしょうか?
被害者意識のままでいれば、不安(恐れ)はなくなりません。もし、私たち自身が創造者であり、だから「引き寄せの法則」によって現実を創造するのだとするなら、恐れ(不安)を動機とした恐れの世界を創造したいのでしょうか? それとも愛の思考による愛の世界を創造したいのでしょうか?
私は、問われているのは私たちが主体性を持つかどうかだと考えています。災害が起こる必然性があるなら起こるでしょう。でも、それだけのことです。起こることはすべて最善であり、必然であり、完璧である。なぜなら、存在するのは「存在のすべて」だけだから。それが傷ついたり、消滅する(死ぬ)ことはないから。その認識に至ることだけが、災厄を避ける唯一の方法であり、良寛さんが示された方法だと思っています。
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