何を見て買おうと思ったのかすっかり忘れてしまいました。届くまで気が付かなかったのですが、これは絵本だったのですね。
「第15回MOE絵本やさん大賞第10位」と帯にあり、話題になった絵本のようです。
著者は、文が由美村嬉々(ゆみむら・きき)さん、絵が松本春野(まつもと・はるの)さんです。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を・・・と思ったのですが、これは実話を元にした物語であり、また絵本という特性から文が少ないのです。なので引用はやめて、ストーリを紹介しながら、感じたことを書いてみようと思います。
主人公は、市役所に勤める男性。目の病気になり、10年後にはまったく見えなくなったのですが、それでも仕事を続けようと思い、通勤する訓練を重ねてきました。そして不安ながらもやっと、何とか1人で通勤できるまでになったのです。
そんな時、1人の少女からバス停で声をかけられます。「バスが来ましたよ」と。
その時から、通勤時の少女との交流が始まります。
私はふと、実家で一人暮らしの父のことを思いました。
父は数年前、加齢性黄斑変性症によって、ほぼ失明という状態になりました。明暗はわかるし、視点の下側に何かがあることはわかる程度の視力はあります。しかし、読むことはおろか、何があるのか視覚ではっきりと捉えることができません。
そんな父のことを心配し、妹などは一時パニック状態になっていましたが、父は「何とかなる」という思いでいたようです。
さすがに1人で外出することはできませんが、介護保険を使いつつ、近所の人の助けも借りて、日常生活ができるようになっています。
食材は買ってきてもらい、一部はお弁当という形で届けてもらっています。火を扱うのは危ないので、父が自分でする調理はレンチンだけですが、私もそうなので、それで十分だろうと思っています。
通院時には、ヘルパーさんが付き添ってくれるようです。掃除もしてもらえるし、家の中の移動は手探りで何とかなるので、入浴も排泄も1人でこなせているようです。
とは言え、見えないということは、心細くなることもあるんじゃないかと思っています。
この絵本の主人公も、1人で通勤はできるものの、バスが来たことを教えてもらったり、乗口の場所まで案内してもらうだけで、随分と助かっているようでした。
この初老の男性と少女の縁は、さらに広がっていきます。そして、いつしか男性も定年を迎え、この関係は終わるのです。
関係は終わっても、心に残るものはあります。その温かさ、豊かさが、この男性だけでなく、助けた方の少女の方にもある。そういう気がしました。
誰かを助けるという行為は、一方通行的なものではなく、双方行的なものだと思います。
与えているようで、実は与えられている。そんな風に思うのです。
こういう絵本を子どもに読んであげることで、いろいろと考えるきっかけになるといいですね。
ほっこりする物語を、ありがたく思いました。

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