2023年07月30日
女性たちで子を産み育てるということ
何を見て買おうと思ったか忘れましたが、同性婚が話題になっている昨今、興味深いテーマだと思いました。サブタイトルに「精子提供による家族づくり」とあるように、いわゆるレズビアンカップルが子どもを産み育てるということの現状と問題点を探ったものになっています。
著者はいずれも研究者の牟田和恵(むた・かずえ)氏、岡野八代(おかの・やよ)氏、丸山里美(まるやま・さとみ)氏の3人です。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「子どもの家族を見ていると、たいていの場合、あれこれと子の世話を焼くのは母親で、父親は知らん顔ではないまでもちょっと離れて母子を見ている、という構図がよくありますが、母親二人の家族ではそうではありません。二人ともが子を気遣い協力し合ってかいがいしく世話をしているようすからは、子どもへの深く篤い愛情が溢れんばかりに感じられます。」(p.14)
「そして、自分は一人ではなく、妊娠出産と子育てをともに担おうとする信頼できるパートナーがそばにいて、「妊活」をサポートしてくれるし、周囲の仲間たちも励ましてくれる。
これは、シングルで子どもをもとうとする女性にはなかなか得難い環境でしょう。ただし、後で詳しく述べるように、ここで決め手なのは、「レズビアン」であるという性的指向ではなく、信頼しあい生活をともにするコンパニオンシップ、すなわち、ともに子育てをしていこうという意欲のほうのように思えます。」(p.16-17)
母子家庭というのは、母親が仕事と子育ての両方を行わなければならず、大変だなぁというイメージはあります。では、異成婚のカップルだとどうかと言うと、最近でこそイクメンなどと言われて父親が子育てに関与することが増えていますが、やはり主体は母親だと言えるでしょう。
これがもし女性同士のカップルだと、2人して同等に子育てに関与することが多く、異成婚カップルとはまた違った感じになるようです。
「しかし、この治療が受けられるのは「婚姻関係にある夫婦間のみ」です(日本産科婦人科学会のガイドラインによる)。シングルの女性、女性がパートナーである女性は、日本ではこの医療による「恩恵」はうけられません。」(p.18)
AID(非配偶者人工授精)に関してです。つまり夫に問題があって妊娠しない場合、他者の精子をもらって妻が妊娠するように、医療的な行為が行えるのです。
他の国では、異性夫婦以外でもこの医療が受けられる場合もあるとか。こういうところにも、日本はまだ異性カップル以外は認めない、シングルマザーは許されない、という価値観がはびこっていることが見られますね。
「そこで日本では女性カップルたちは、なんとか「自力」調達を行います。
よくとられている方法は、まず、ゲイの友人からの提供。」(p.20)
LGBT仲間という人間関係もあり、ゲイ友だちから精子を提供してもらい、注射器の針のない形のシリンジなどを使って精子を膣内に注入するというやり方で妊娠するそうです。精子の確保方法は他に、インターネットでドナーから精子を提供してもらう方法もあるのだとか。
「母子世帯向けの制度以外にも、保育園や学童保育の利用料などは、世帯所得に応じて異なるため、女性カップルの場合には、同一世帯としては認められないnbmの所得がカウントされず、bmの所得のみが算定されます。その結果、婚姻カップルや事実婚カップルと比べて利用料が安くなることもあります。
こうしたことについて、「ずるい」とか「不正だ」という向きもあるでしょう。しかし女性カップルは、男女の婚姻カップルや、男女の事実婚カップルがあたりまえのように利用できる制度を利用できないために、より多くの不利益も受けています。」(p.31-32)
「現在、パートナーシップ制度を導入している自治体が増えてきています。これを利用すれば、医療機関で家族として対応されたり、市営住宅に家族として入居できる、住民票の続柄をたんに「同居人」ではなく「縁故者」と記載できる、企業によっては賃貸住宅を借りる際や保険に入る際、携帯電話の「家族割」などにそれを考慮するなどの内容を含む注目すべき取り組みで、全国に広がっていってほしいものですが、残念ながら法的効力はなにもありません。パートナーシップ制度は結婚制度とはまったく異なるもので、婚姻カップルや、一部は事実婚カップルに求められている社会保険や税金、遺産相続上の利点はなにもないのです。」(p.32)
本書では、子のある女性カップルの子を産んだ側をbm、産んでいない側をnbmと略して区別しています。
同じ子のある家族でありながら、異性カップルと同性カップルでは扱いが違うという問題があります。この差別状態を緩和するために、自治体によってはパートナーシップ制度を設けているところもありますが、十分ではないようです。
私は、いっそのこと法律で結婚と同等の権利と義務を認めるパートナーシップ制度を作れば良いと考えています。そうすれば、現行の結婚制度や戸籍制度を変更することなく、もちろん憲法も改正せずに、実質的に同性婚を認めることができるからです。ついでに、夫婦別姓制度の実現にもなりますね。
「そうではなく、実際の理由の第一は、ご近所づきあい自体がそもそもほとんど皆無なこと。
日本で話をきかせていただいた女性たちの多くは、住宅密集地域のマンションに住んでいたのですが、マンションのお隣をはじめ、近所との付き合いはほとんどなし。」(p.37)
レズビアンカップルということで白い目で見られたりすることは、日本ではあまりないようです。それは日本人が精神的に優れていて、差別意識がないからと言うより、単にご近所さんに関心を持たない生活スタイルが定着しているからでした。田舎だと、また事情が違ってきそうですね。
「自分たちでもそうなのですから、日本社会では、女性が二人、手をつないだり、寒い時であれば相手のポケットに手を入れたり、とても親しげにしていても、公然とキスでもしない限り、「女性カップル」、「レズビアン」とみられることはそれほどありません。ただの「友達」か姉妹、カップルの年齢差によっては「母娘」。
これは、一面では、欧米社会のように「カップル」が社会の単位とはみなされておらず、女性同士の関係がいちいち性的に見れることないという点で「自由」ではあるのですが、同時に、女性たちの関係、レズビアン関係が社会的に無きものとされていることの裏返しでもあるでしょう。」(p.39)
日本ではまだレズビアン関係が社会的に認知されておらず、仮にそういう人たちが目の前にいても、まずは親しい友人、姉妹、母娘のような、自分がそう見たい関係として見られてしまうのですね。
「「父」と考えるならばその人物はどのような人かと「出自」を知りたくもなるでしょうが、あくまで「タネ」「精子提供者」として子どもの頃から理解していれば、「その人物」は誰だろうとまで考えるでしょうか。「子どもは出自を知る権利がある」というのは、「子どもは実の父と母から生まれる」という考え方があまりに自明なところからの発想かもしれません。」(p.80)
「養子の場合「実の親」を捜そうとする傾向があるのは、産みの親が自分を「捨てた」理由が気になるためか、何かが欠落しているという気持ちが起こりやすいのに対し、レズビアンの子の場合は、望まれて家族のもとに産まれてきているので、自分の何かが欠落しているという気持ちにならないのでは、とリルは語っていました。」(p.96)
AIDに関する問題の1つとして、子どもが自分の遺伝的な父親を知りたいという権利をどう扱うかという問題があります。しかしこれは、自分が愛されて生まれたのかどうかを知りたいというだけで、必ずしも精子提供者を特定したいわけではないと言えるかもしれませんね。
「ドッティたちが言うには、両家の家族は今は自分たちのことを完全に受け入れ、尊重してくれている。でも敬虔なカトリック信者なのでメンタリティとしては受け入れるのが難しいのだ、と。そんな風に完全に理解受容してくれないことをどう思うか、とキャシーに質問すると、それは彼らの考え方だから尊重する。彼らは私たちの考えを尊重してくれているのだからそれでいい、という答え。愛し合いながらも互いの価値観を尊重するということなのでしょう。」(p.82)
「ラファエラとラディカは、子ども二人に洗礼していませんし、教会にも行っていません。ラファエラは子ども時代に両親に連れられて毎週教会に行っていましたが、一〇代後半で行くのをやめました。彼女たちは、教会のことはまったく気にしていないから教会に変わってほしいとも思わない、とはっきりと言っていたのは印象的でした。保守的なカトリックの規範の裏で、社会は変化しているのだ、と。」(p.92)
同性の性的な関係に否定的なカトリック信者の場合、信仰とぶつかるだけに大変なところがあるようです。
しかしこのことによって、自分の信念や価値観を疑ってみることができるし、信念や価値観は人それぞれだと受け入れられるようになるとするなら、悪いことではないとも言えますね。
「ネガティブな反応を怖れてサビネはシモンに対して、友達に言わなくてもいいよ、と言っていたそうなのですが、アメリカのTVドラマ Modern Family(養子をとって子どもを育てているゲイカップルなど、多様な家族が登場する)の人気などもあり、子どもが友人たちから家族のことでいじめられることはないようです。」(p.93)
親がLGBTということでは、子どもはいじめに合うことより、むしろクールだと思われることが多いのだとか。TVの影響は絶大ですね。
「さらに補足しておけば、札幌地裁判決でも触れられているように、当時は異性婚のみが想定されていて、同性婚は想定されておらず、したがって、想定すらされていないものを禁止していると考えることはできない。
以上のように二一世紀に入っても、憲法を誤読・曲解してまで強固に異性婚にこだわり、選択的夫婦別姓すら認められず、強かんでさえ婚姻間では犯罪と認められてはこなかった現状は、日本社会の根幹にあるジェンダー問題を象徴しているといえよう。」(p.161-162)
憲法にある両性による合意で結婚できるという規定は、当時の親が無理やり結婚させるという風習を改めさせるものであり、同性婚の禁止規定ではないことは明らかです。ただ、現在の価値観とは食い違いが生じてきているのも事実で、憲法改正をさっさとやったらいいのにと思います。
「合衆国−−そして、日本も−−の現状は、依存関係に必要な財や労力を配分するどころか、家族はこうあるべきだと命じる家族イデオロギーと、それに付随する、ときに懲罰的な制度と優遇政策を巧みに利用している。そこでは、ひとが物質的・感情的ニーズを満たそうとするさいには、家族へと退却し、妻・夫や子・親といった関係にあるひとだけで育み・支え・成長の基盤を与え合うべきだと強調され、それに従う者たちは、税制や社会福祉政策を通じて特権を与えられている。こうした制度が問題なのは、非規範的家族を逸脱家族として社会的に貶めるからだけではない。依存を必要とする者は家族内で支えられるべきだという規範に忠実な人びとは、じっさいには家族内で支えきれない者たちがいかに社会に溢れていようとも、その現実から目を逸らすことも許されてしまうからだ。」(p.174)
政府が考える規範的な家族観を国民に押し付けているのです。違う価値観を持つことを許さず、そういう人を社会から抹殺してしまうことを容認する仕組みなのですね。
こういう家族観の押しつけによる弊害は、老人介護の問題でもありました。嫁に全責任が押し付けられてきたのです。しかし、それではどうにもならなくなって、介護保険制度を作り、老人介護を家族の問題から社会の問題へと切り離したのです。
子育ても同様ではありませんかね。異次元の少子化対策と言うのであれば、家族の問題から切り離し、社会の問題とするよう制度改正をすべきだと思います。
「夫婦間のAIDによる生殖補助医療は何十年も前から行われていますが、これはあくまで、「不妊の男性」から「不妊の負い目」を取り除き後継ぎを得るための、男性への補助医療。施術は女性に行われ女性が妊娠出産しますから、見過ごされやすいのですが、男性の生殖の補助であり、それに大学病院も産科婦人科医たちも挙げて協力してきたのです。
それに対して、シングルマザー、とくに未婚シングルマザーへの差別的視線も一例ですが、女性が、自分たちのために、子をほしいという気持ちに、社会も医師たちもなんと冷淡なことか。これはやはり、女性に生殖の決定権や選択権を渡すわけにはいかない、という意思の表れなのではないでしょうか。」(p.191-192)
たしかに、結婚はしたくないけど子どもはほしいという女性はいますよね。異次元の少子化対策を言うのであれば、少なくともAIDを希望する女性に対して認めてはどうでしょうね。
本書は、子を持つレズビアンカップルに的を絞って聞き取り調査した内容から考察したものとなっていますが、現在の社会や制度のいろいろなことが見えてくるように思いました。子を産むとはどういうことなのか、結婚とは何か、親子とはどういうことなのか、などなど。
ぜひ、こういう本を読んで、これまでの価値観が本当に良いと思うのかどうか、考えてみるのもいいのではないかと思います。様々な価値観を持つ私たちが、そして私たちの子孫が幸せに暮らすには、社会がどうあるのがよいのか。ぜひ、考えてみてください。
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