この本は、Facebookで友だちが紹介していたので、興味をいだいて買った本です。
この本を、成分献血をしながら読んでいたら、スタッフの方から「私もこの本を読みましたよ。読みやすくて、とてもためになる内容でした。」と声をかけられました。ベストセラーになっただけに、知っている人も多そうです。
実はそのスタッフの方から、「今度、馬の絵本を読もうと思っているんです。ちょっとページ数があるのですが、大人も楽しめるということなので。タイトルは忘れちゃいました。」と言われて検索してみました。おそらく、「ぼく モグラ キツネ 馬」ではないかと思うのですが、どうでしょうか?
この本の著者は韓国人のハ・ワンさん。売れないイラストレーターをしながら会社勤務もするという二足のわらじを履いておられたようですが、ある時、思い立って会社を辞めてしまったのだそうです。
私と同じわけではありませんが、何か似ている部分もあるなぁと感じて、興味を持って読み進めました。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「でも、もう疲れた。気力も体力も底をついた。チクショウ、もう限界だ。
そう、40歳はターニングポイントだ。そんな理由から、決心した。
今日から必死に生きないようにしよう、と。」(p.9)
「誰しも必死に頑張ろうとする世の中で、一生懸命やらないなんて正気の沙汰ではない。
でも、自分自身にチャンスを与えたかった。違った生き方を送るチャンスを。自らに捧げる40歳のバースデープレゼントでも言おうか。
正直なところ、この選択がどんな結果を生むのかはわからない。「頑張らない人生」なんて初めてだ。だからこれは、人生を賭けた実験だ。」(p.9)
ただこれまでとは違う生き方をしようと思って、どうなるかという結果を考えずに会社を辞めた。そんなハ・ワンさんの生き様が、このエッセイには書かれています。
「だからといって、一生懸命努力する人を否定するつもりも、適当に生きたほうがいいと言うつもりもない。落ち着いて聞いてほしい。
努力は、必ず報われるわけじゃない。
ただ、それだけの話だ。」(p.32)
「自分が ”こんなにも” 努力したのだから、必ず ”これくらい” の見返りがあるべきだという思考こそが苦悩の始まりだ。
見返りとは、いつだって努力の量と比例して得られるものではない。むしろ努力の量よりも少ないか、またはより多いものである。時には見返りがないことすらある。残念ながら真実だ。」(p.33-34)
ハ・ワンさんは日本の小説や漫画もたくさん読まれているようで、随所にそういう話が出てきます。ここでは村上春樹氏のデビュー作「嵐の歌を聴け」という本の内容が紹介されていました。
太平洋のど真ん中で遭難した男女がいて、男はここで救助を待つと言うのに対し、女は島がありそうな方へ泳いでみると言って別れた。女は必死で泳いでなんとか島にたどり着き、救助された。一方の男は、そこで何もせずに待っていたら救助された。この2人が後日再会した時、女は努力しなかった男も、救助されるという同じ見返りを得たことに理不尽さを覚えたという話です。
「みんなと同じように生きないという選択は、あらゆる面で疲れる。ひょっとして、みんなも疲れるから他人に合わせて生きているのだろうか。
もちろん僕も、いつも他人の視線を気にしてきたし、誰に見られても恥ずかしくない人生を送ろうと努力してきた。たとえ、それがうまくいかなくても。正直、「人生マニュアル」に合わせて生きてみたかったけど、簡単ではなかったんだ。
でも、本当に恥ずべきは、この年で何も持ち合わせていないことではなく、自分なりのポリシーや方向性を持たずに生きてきたという事実のほうかもしれない。
これまでほしがってきたものは全部、他人が提示したものだった。
みんなによく見られようとしていた。それが恥ずかしい。」(p.46)
「いい年して、まだ結婚していないの。」なんてセリフ、よく聞かれますね。結婚して、子どもを作って、家を買って、良い親になる。それが当たり前。そう言い聞かされて、そのように生きようとしてきた。たしかに、そういう面がありますね。
「そこでようやく認めることができた。自分にはお金を稼ぐ能力が決定的に不足していることを。
そして気づいた。
「どうすれば金持ちになれるか」だけを考えすぎるあまり、本当に大事なものを見落としてきたことに。
だから、金持ちになることはあきらめることにした。これまで辛酸(しんさん)を舐(な)めてきたが、やみくもに金持ちを目指すのは正しくない。」(p.52)
これ、私も到達した結論なんですよね。私も金持ちになりたかったけど、いろいろやっても上手く行かなかったのです。だから、もう金儲けしようとすることそのものをやめようと思いました。
私に金儲けの才能がないのは、その才能がない(=他の才能がある)人生を歩むことが、私らしく生きる道だと思ったからです。
「あきらめとは「卑屈な失敗」だと教わってきたが、実のところそうではない。
賢明な人生を生きるうえでは、あきらめる技術も必要だ。
僕らは、忍耐や努力する技術については幾度となく体にたたき込まれてきたが、あきらめる技術は教わらなかった。いや、むしろあきらめてはいけないと習った。」(p.65)
「賢明なあきらめには ”勇気” が必要だ。
失敗を認める勇気。
努力と時間が実を結ばなかったら、潔く振っ切る勇気。
失敗しても、新たなことにチャレンジする勇気。」(p.66)
実際、やったことがすべて成功するなんてことはないわけで、株式投資などにおいても損切りが必要なことがあります。もうこれ以上は続けないという見極めこそが、あきらめる技術なのだと思います。
人生において重要なことは、思いついたいろいろなことをともかくやってみて、上手く行かないなら自分には合わないのだと見極めて、それをやめることだと思います。そのために重要なのが、あきらめる技術なのでしょう。
「そう、結果は誰にもわからないものだ。
だから、眉間にシワを寄せて「どれを選べばいいか?」「正解はどれか?」と思い悩み、自分を苦しめる必要なんてまったくない。
人生のすべてをコントロールしようと考えてはいけない。
だって、そもそも不可能なのだから。」(p.73)
上手く行くのか行かないのか、結果はやってみなければわからないもの。そしてその結果でさえ、「悪い」と思っていたことが、見方が変わると「良い」になったりもする。
そうであれば、何を選択しようとどうでもいいってことになりませんかね。
「では一体、どうして答えのない問題に挑み続けるのか?
それはきっと、楽しいからに違いない。なぞなぞの本質は楽しさにある。
そうだ。本来、楽しむことが目的のなぞなぞに、僕らはあまりにも死に物狂いで挑んでいるのではないか?
答えを探すことにだけ集中し、問題を解く楽しさを忘れてはいないだろうか?
なぞなぞは、必ずしも正解しなくていい。間違えても楽しいのだ。
しかも、このなぞなぞには、どうせ正解なんでない。」(p.80)
人生はなぞなぞのようなものだと、著者のハ・ワンさんは言います。私は、人生はゲームだと言っていますが、同じようなことだと思います。
上手く行こうと上手く行くまいと、ただそれを楽しめばいいだけのもの。それを上手く行かなければならないという執着心にとらわれるから、苦しんでいるだけのように思います。
「結局、再びお金を稼がざるをえない。お金からは完全に自由にはなれないようだ。
しかし、以前とは大きな違いがある。
以前は、未来のために我慢してお金を稼いでいた。
「お金を稼ぐ」イコール「我慢して耐える」だったが、今は、現在の自由と喜びを維持するためにお金を稼ぐ。我慢するのではなく、喜びを少し味わうための能動的な行動だ。
今の生活が維持できるくらいに稼げればいいので、多くを稼ぐ必要はない。よりつつましい暮らしでもよければ、仕事をもっと軽くすることもできる。」(p.196)
働かなくて、お金を稼がなくて、生活ができるかと言えば、そうではないことは明らかです。ただ、他人が示す理想的な生活のために、あるいは他人と比較して同じくらいの生活のためにと、無理をしてお金を稼がなくても、自分が満足する程度に稼ぐという生き方はあると思います。
以前、「減速して生きる ダウンシフターズ」や「年収90万円で東京ハッピーライフ」という本を紹介しました。こちらでも、それほどお金を使わなくても生きられるという考え方が紹介されていましたね。
ただ、この本もそうですが、老後についてまだ真剣に向き合っていない気がします。多くの人は、自分が働けなくなった老後に対して、もっとも強い不安を感じているのではないでしょうか。今が大丈夫だから将来も大丈夫、とは言い切れない気持ちがあるのです。
これについては、日本では年金があれば助かるという面があるのは事実です。しかし、そもそも年金の受給額が低い人もいます。そういう人も、生活保護があるから大丈夫、というのが日本の建前です。しかし、現実的には様々な条件や規制があり、生活保護を受けられない人もいるし、受けられても自由がなくなる人もいるのです。
本書は、そういう点に言及するものではないので触れられていませんが、やはりそこに踏み込まないと、本当の意味で「安心して働かない」という選択はできないのだろうなぁと思います。
「けれど、ここ数年は幸せを感じる瞬間が増えた。状況が好転したからではない。
ありのままの自分から目をそらして苦労し続けることをやめ、今の自分を好きになろう、認めようと決めたからだ。
自分の人生だって、なかなか悪くはないと認めてからは、不思議とささいなことにも幸せを感じられるようになった。
こんなことにまで幸せを感じられるのかってほどに。」(p.215)
今の自分のままではダメだと否定している限り、幸せを感じることはできません。まずは、今のありのままの自分でOKだと受け入れることですね。
「そう、人生の大半はつまらない。
だから、もしかすると満足できる生き方とは、人生の大部分を占めるこんな普通のつまらない瞬間を幸せに過ごすことにあるのではないか?」(p.232)
何も事件が起こらない。何も達成しない。特別なものを何も得ない。それが人生の大半だと言うのですね。
実際、そうかもしれませんね。そんな何もない日常に幸せを感じられるかどうかが、人生を幸せに生きる鍵のように思います。
「逆に期待しなければ、基準がないから心も寛大になる。
少しでも良ければ満足につながる。
つまり、期待しなければ、良いことが起きる確率が上がるということだ。
ほんのちっぽけなラッキーでも、想定外の出来事なら十分に満足できる。
もし人生を期待せずに生きられたら、毎日がラッキーの連続、すべてがサプライズプレゼントみたいに感じられるのかもしれない。」(p.274)
お勧めしている「神との対話」でも、「期待なしに生きる」ということを言っています。それが神性であり、自由なのだと言っているのです。
これは、悪い結果を恐れて、わざと悪い結果を予想するのとは違います。「どうせ上手く行かないよ」という考え方がそうなのですが、それは期待しないことではなく、実は期待しているからこそ傷つかないためにそうしているのです。
本当の意味での期待せずに生きるというのは、結果がどうでもいい、結果を重要視しない、という生き方だと思います。良い結果なら儲けもの、悪い結果でも良い経験ができたと思える生き方ですね。
それほど期待せずに読み始めたのですが、とても読みやすいし、案外深い内容が書かれていて驚きました。
こういう本がベストセラーになるということは、多くの人が、こういう生き方を求めているということでしょうか。もしそうなら、それは人類にとって良い傾向だなぁと思いました。
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