前に紹介した本「Humankind 希望の歴史 上」と「Humankind 希望の歴史 下」ですが、著者はオランダのジャーナリスト、ルトガー・ブレグマン氏です。この本があまりに素晴らしかったので、この著者の他の本も読んでみたくなって探してみました。すると、ベーシック・インカムに関する本を書いているようだったので、買ったみたのです。
私も以前から、ベーシック・インカムというアイデアに共感し、いろいろな機会においてベーシック・インカムを推奨しています。
「ピケティにつぐ欧州の新しい知性」と言われているらしいブレグマン氏がベーシック・インカムに関して語っているなら、ぜひ読んでみたいと思いました。
読んでみた感想ですが、全体としてはやや散漫な感じがします。ただ、様々な研究論文を基に、ベーシック・インカムの効果を明確に示している点で役立つと思いました。また、最後に書きますが、いくつかの重要なアイデアをいただきました。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
まず第一章は、「過去最大の反映の中、最大の不幸に苦しむのはなぜか?」というタイトルです。
「ようこそ、良い生活へ。誰もが裕福で、安全で、健康な楽園へ。ここでは、足りないものはただ一つ、朝ベッドから起き出す理由だ。なぜなら、楽園では向上のしようがないからだ。」(p.16)
「手に入れた世界以上に良い世界を思い描くことができないので、新たな夢を見ることができずにいる。実際、富裕国の人の大半は、子どもたちは親世代より悪い時代を生きることになると信じている。」(p.16)
「本書は未来を予測するものではない。
むしろ、未来への扉の鍵を開こうとするものであり、わたしたちの心の窓を開くための試みなのだ。」(p.17)
現代は求めるものを求め尽くしてユートピアに至ってしまったがために、新たなユートピアを思い描けなくなっているとブレグマン氏は言います。そういう現代において、考え方の指針を示そうとしています。
「今日、重要とされているのは、「自分らしく」あること、「自分の好きなことをやる」ことだ。自由はおそらく人間が最も重視する理想である。だが、現状のそれは、中身のない自由だ。そうなったのは、わたしたちがいかなる形であれ道徳を恐れ、公の場でそれを語ることをタブーにしてしまったからだ。」(p.21)
「言論の自由をどう呼ぶにせよ、わたしたちの価値観は、企業がゴールデンタイムのコマーシャルで押し売りする価値観に怪しいほどよく似ている。」(p.21)
自由であるように見えて、実は自由ではありません。テレビなどによって洗脳され、他人の価値観を押し付けられているのです。
「だが、コマーシャルの舞台は自由市場なので、わたしたちは黙認しているのだ。
政府に残された唯一の仕事は、当面の生活の応急処置だ。おとなしく従順な市民という計画書からはみ出す人があれば、政治的権力は喜々としてその人を型にはめ込む。手段となるのは、制御、監視、抑圧である。」(p.22)
「世界保健機関(WHO)によると、現在、うつ病は一〇代の若者の最大の健康問題となっており、二〇三〇年には世界の病気の第一位になるという。
まさに悪循環だ。かつてないほど多くの若者が精神科医にかかるようになり、また、かつてないほど多くの若者が、仕事を始めてすぐに燃え尽きてしまう。そしてかつてないほど多くの人が抗うつ剤を飲んでいる。失業、不満、うつ病といった社会全体の問題は、いつも個人の責任にされる。成功を選択できるのなら、失敗も選択の結果だ、と。」(p.25)
日本では特に同調圧力が強く、同じような人がごろごろいます。そして反発する気力をなくし、うつ病に悩む人が増えていますね。
「真の進歩は、知識を基盤とする経済には生み出せないものから始まる。それは、より良く生きるとはどういうことかという叡智である。ジョン・スチャート・ミルやバートランド・ラッセル、ジョン・メイナード・ケインズといった偉大な思想家たちがすでに一〇〇年前に主張していたことを、今、実行しなければならない。それは、手段より目的を重んじ、何かを選択する際には、有用性ではなく良いかどうかで選ぶ、ということだ。心を未来に向けよう。世論調査の結果や、連日の悪いニュースに嘆くのをやめるために。他の道を探し、新たな共同体を形成するために。そして、この閉塞的な時代に別れを告げて、誰もが理想とする世界を理解するために。」(p.25)
ただ漫然と洗脳されたままに生きるのではなく、過去の偉人達の知恵を借りて、新たなユートピアを目指そうというブレグマン氏の訴えです。
第二章は、「福祉はいらない、直接お金を与えればいい」というタイトルです。
「数十年にわたってあちこち移動させられ、罰せられ、訴えられ、守られていた悪名高き浮浪者たちが、路上生活から救い出された。その費用は? ソーシャル・ワーカーの賃金を含め、年間五万ポンドほどだ。つまり、そのプロジェクトは一三人を救っただけでなく、かなりのコストを削減したのだ。『エコノミスト』誌でさえ、「ホームレス対策費の最も効率的な使用法は、彼らにそのお金を与えることだ」と結論づけた。」(p.33)
「そもそもお金の使い方がうまければ、貧乏になるはずがない。彼らは新鮮な果物や本ではなく、ファストフードやソーダにお金を使うにちがいない、とわたしたちは推測する。そういうわけで、彼らを「支援」するために、あまたの事務手続きや登録制度や大勢の検査官を必要とする独創的な支援プログラムがいくつも施行されてきた。」(p.33)
2009年のロンドンで、13人のホームレスにフリーマネーとして3000ポンドが給付されたそうです。1年後に調べると、平均で1人800ポンドしか使っておらず、そのお金で身なりをきれいにしたり、住む部屋を借りたり、仕事についたりしたそうです。
それまで、その対策として毎年40万ポンドを使っていたのが、それよりも少ない支出で問題のほとんどが解決した。これがこの実験から得られたことのようです。
「世界各地で行われた研究により、確たる証拠が示されている。フリーマネーは機能するのだ。
すでに研究によって、フリーマネーの支給が犯罪、小児死亡率、栄養失調、一〇代の妊娠、無断欠席の減少につながり、学校の成績の向上、経済成長、男女平等の改善をもたらすことがわかっている。「貧乏人が貧乏である第一の理由は、十分な金を持っていないところにある」と、経済学者チャールズ・ケニーは言う。「ゆえに、彼らにお金を与えると、その状況が大いに改善されることは、驚くにあたいしない」
マンチェスター大学の研究者らの著書、『貧者には金を与えよ(Just Give Money to the Poor)』には、フリーマネーが功を奏した事例が、無数に挙げられている。」(p.36)
「お金に関して重要なのは、自称専門家が貧しい人々にとって必要と考え用意したものではなく、当事者が自分にとって必要なものを買うためにそれを使えるということだ。貧しい人々がフリーマネーで買わなかった一群の商品がある。それは、アルコールとタバコだ。」(p.37-38)
「それでも「貧しい人々は怠惰だ」という主張は、何度も持ち出される。この見方があまりにも根強いため、科学者はそれが本当かどうか調査することになった。ほんの二、三年前、一流の医学雑誌『ランセット』は、その結果を次のようにまとめた。貧しい人々は、フリーマネーを受け取ると、総じて以前より仕事に精を出すようになる、と。」(p.38)
「フリーマネーの支持者は、左派から右派、新自由主義思想を牽引したフリードリヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンにまで及ぶ。そして世界人権宣言(一九四八年)第二五条は、いつかそれが実現することを約束している。」(p.39)
世界人権宣言の第二五条は、日本国憲法の第二五条とほぼ同じで、誰もが健康で文化的な生活を送る権利があると認めるものです。それを実現することは国の使命であり、世界の使命なのです。
しかし、今はまだそれが実現していません。日本の生活保護制度は、貧しい人たちに可愛そうだからお金を恵んでやるという思想に基づいた制度であり、そのお金を自由に使わせようとはしないのです。
「しかし、貧しい人だけを支援するシステムは、彼らと他の人々との間に深い溝をつくる。「貧しい人だけのための政策は、貧しい政策である」と、社会政策を専門とするイギリスの偉大な理論化リチャード・ティトマスは述べている。計画、貸し付け、所得比例給付のすべてをきっちり管理するというのは左派に浸透した考え方だ。問題は、それが逆効果であることだ。
一九九〇年代後期に発表され、今ではよく知られるようになった論文で、二人のスウェーデンの社会学者は、幅広い層を対象とするプログラムを持つ国ほど、貧困の削減に成功していることを示した。基本的に人は、恩恵が自分にも及ぶ場合に協力的になる。その社会保障制度によって、自分や家族や友人が得る利益が大きいほど、それに貢献したいと思うのだ。従って、万人向けの無条件のベーシックインカムは、万人の支持を得るはずだ。結局のところ、皆が恩恵を受けるのだから。」(p.48)
フリーマネーが貧困対策として効果があるのであれば、貧困者だけを特定して給付する制度よりも、全員に給付するユニバーサル・ベーシック・インカムの方が優れているのは明らかですね。
第三章は、「貧困は個人のIQを一三ポイントも低下させる」というタイトルです。
「カジノがオープンして間もなく、すでに大きな変化が起きていることに、コステロは気づいた。貧困から脱することができた子どもの問題行動は四〇パーセントも減少し、貧しくない子どもと同じ割合になったのだ。チェロキー族の子どもの犯罪率は下がり、薬物使用や飲酒も減った。そして学校の成績は著しく向上し、チェロキー族以外の調査対象児童と同じ水準になった。」(p.57)
1997年、ノースカロライナ州に「ハラーズ・チェロキー」という名のカジノが誕生したそうです。その経済的効果は地元を潤し、貧しかった地元の人々は裕福になり、犯罪が減り、学力も向上したのです。
「しかし、最も目立った改善は、経済的に豊かになることで、親が親としての務めを果たせるようになったことだ。」(p.58)
「しかし、彼らの労働時間が減ったわけではないことにコステロは気づいた。母親も父親も、働く時間の総計は、カジノがオープンする前と変わらなかったのだ。親たちが、子どもと過ごす時間が増えたと言ったのは、経済的に余裕ができて、それまで金銭的な悩みに投じていたエネルギーを、子どもに向けられるようになったからだろう、とチェロキー族のヴィッキー・L・ブラッドリーは言う。そして、そのことが「親がより良い親になることを助けているのだ」とブラッドリーは語った。」(p.58)
親が経済的に安定することによって、子どもに対して親らしく接することができるようになる。そういうことはあるだろうなと思います。
「そうだとしても、「欠乏の心理」がもたらす悪影響は、そのメリットをしのぐ。欠乏はあなたの気持ちを、差し迫った不足に集中させる。五分後に始まる打ち合わせとか、翌日に迫った支払いとか。そうなると、長期的な視野は完全に失われる。「欠乏は人間を消耗させる」とシファーは言う。「他にも等しく重要なことがあるのに、そちらに気持ちを向けられなくなるのだ」」(p.61)
必要なものが足りないという意識は、正常な判断を阻害するということですね。
「カリフォルニア大学ロサンゼルス校の経済学者ランダル・アキーは、チェロキー族の子どもたちに分配されるカジノの金は、最終的に支出を削減する、と予測した。アキーの控えめな見積もりによれば、貧困がなくなると、犯罪、療養施設の利用、学校での留年がすべて減り、カジノから得る収入のトータルを上回る金がもたらされるのだ。」(p.64)
何よりもまず貧困者をなくすこと。それが社会的なコストを下げることにもなるのです。
「しかし、国家的規模で見れば、お金の効力には限界がある。一人当たりのGDPが年間約五〇〇〇ドルになるまでは、平均寿命は延びる一方だ。しかし、食卓に十分な食べ物が並び、屋根から雨漏りがしなくなり、清潔な水道水が飲めるようになると、経済成長率は幸福を保証するものではなくなる。その時点からは、お金より平等が幸福のより正確な予測因子になる。」(p.67)
「うつ病、燃え尽き、薬物乱用、高い中退率、肥満、不幸な子ども時代、低い投票率、社会や成治への不信感、それが何であってもデータは毎回同じ原因を指し示す。不平等だ。」(p.68-69)
社会問題の発生率と1人あたりのGDPを軸にして各国を比較すると、関連性が見えてこないそうです。問題発生率が高いのは、GDPがトップのアメリカと、その半分程度のポルトガル。
しかしこれを1人あたりのGDPではなく不平等さを軸にすると、相関関係が現れます。(図p68とp69)格差が大きいアメリカやポルトガルの問題発生率が高く、格差がもっとも少ない日本の問題発生率が最低なのです。
「あなたが貧しければ、あなたにとって最大の問題はお金がないことだ。あなたがホームレスなら、最大の問題は住む場所がないことだ。因みに、ヨーロッパでは、空き家は、ホームレスの数の二倍ある。アメリカでは、家のない人、一人に対して、だれも住んでいない家が五軒ある。」(p.76)
最大の問題に対して、直接的にアプローチすることですね。そのためのものはあるのですから。
第四章は、「ニクソンの大いなる撤退」というタイトルです。
「一九七四年にウォーターゲート事件を受けて辞職を余儀なくされたニクソンが、一九六九年には、すべての貧困家庭に無条件に収入を保障する法律を成立させようとしていた。その法案が可決されれば、貧困との闘いは大きく前進するはずだった。それは、例えば家族四人の貧困家庭には、年一六〇〇ドル(二〇一六年の貨幣価値に換算すると約一万ドル)の収入を保障するものだった。
だがひとりの人物が、この流れが向かう先には、お金を持つことが基本的権利と見なされる社会が待っていることに気づきはじめた。それは大統領補佐官のマーティン・アンダーソンで、彼はこの計画に猛反対した。アンダーソンが崇拝する作家のアイン・ランドは、自由市場を軸とする世界こそがユートピアだとした。そして、ベーシックインカムという概念は、ランドが描く小さな政府と個人の責任という理想に反するものだった。」(p.85)
ニクソン大統領が、ベーシックインカムにつながる最低限の生活を保障する制度を導入しようとしていた、ということは知りませんでした。
それにしても、ニクソン大統領の政策が反対勢力によって潰されたことは、本当に残念なことでした。経緯については、本書をご覧ください。
私も小さな政府を推奨する考えですが、同時にベーシックインカムも推奨しています。これは相反しない考えだと思っています。
なぜなら、ベーシックインカムを導入すれば政府が集めるお金(税金)の総額は大きいかもしれませんが、恣意的に扱える金額は小さくなるので、政府そのものは小さくなるからです。最低限の生活を保障したなら、あとは自由にさせられるのです。
「現在の複雑な官僚主義は、人々を貧困に閉じ込めるだけだ。それは実際に依存を生む。働き手は、自らの強さを示すことを期待されるいっぽうで、福祉からは自らの弱さを示すことを期待される。つまり、福祉の恩恵を受けるには、自分が罹っている病気が本当に衰弱をもたらすものであり、不況が本当に破壊的で、雇用のチャンスが本当に無いことを、何度も証明しなければならないのだ。それができなければ、給付金が減らされる。」(p.99)
弱者に限定して支援しようとするあらゆる制度は、自ら弱者になりたがる人を増やすのです。
第五章は、「GDPの大いなる詐術」というタイトルです。
「精神疾患や肥満、汚染、犯罪は、GDPの観点からは、多ければ多いほどよい。そのことは、一人当たりのGDPが世界で最も高いアメリカが、社会問題でも世界のトップに立っている理由でもある。」(p.110)
「とはいえ、豊穣の地を探し求める長く歴史的な航海は終わりに近づいた。ここ三〇年以上にわたって、経済成長が暮らし向きを良くすることはほとんどなく、むしろ逆の場合もあった。生活の質を向上させたいのであれば、他の手段、そしてGDPとは別の測定基準を見つけるための第一歩を、踏み出さなくてはならないだろう。」(p.112)
GDPが高いほど豊かで良い社会、幸せな社会になるというのは、ある程度までは正しくても、それ以上になると、そうは言えなくなるのです。
「健康管理から教育、ジャーナリズムから金融にいたるまで、わたしたちは依然として、その「効率」と「収益」に目を向ける。あたかも社会がひとつの巨大な生産ラインであるかのように。だが、サービスを基盤とする経済では、単純な定量的目標は成り立たない。「国民総生産(GNP)は、あらゆるものを測定する。人生を価値あるものにするものを除けば」とロバート・ケネディは言った。」(p.120)
専業主婦の無償の家事や子育て、あるいは社会貢献のボランティア活動などは、GDPに計上されません。GDPが社会の豊かさを測定しているとは言い切れないのです。
「本来、「価値」や「生産性」を客観的な数字で表すことはできないのだ。いくらわたしたちが、それが可能なふりをしても。」(p.125)
「今、失業、不況、気候変動という危機に直面しているわたしたちもまた、新しい数字を探さなければならない。必要なのは、人生を価値あるものにするものをたどるための数々の指標を備えた計器盤(ダッシュボード)だ。その、人生を価値あるものにするものとは、まず、お金と成長。それに、社会奉仕、仕事、知識、社会的つながり。そして言うまでもなく、最も希少な「時間」だ。
「だが、そのような計器盤は、客観的にはなり得ないだろう」と、あなたは反論するかもしれない。そのとおりだ。だが、中立的な測定基準などというものはない。どの統計の背後にも、いくらかの仮定と偏見は存在するのだ。さらに、そうした数字−−そして仮定−−が、わたしたちの行動を導く。それは、GDPの真実だが、人間開発指数や地球幸福度指数にとっても等しく真実だ。わたしたちは行動を変える必要がある。ゆえに、導き手となる新たな数字が必要なのだ。」(p.125-126)
「今、わたしたちはこれらの古い問いについて再考しなければならない。成長とは何か。進歩とは何か。より基本的には、人生を真に価値あるものにするのは何なのか、と。」(p.127)
GDPという数字は、私たちを経済的に発展させるのに役立ちました。しかし、現代においてそれを追求しても、もう私たちの幸福には役立たないのです。
そういう時代の私たちを導く指標としての数字が必要だとブレグマン氏は言います。けれども、では何がふさわしいのかについて、彼はまったく言及していません。
第六章は、「ケインズが予測した週一五時間労働の時代」というタイトルです。
「−−二〇三〇年までに、人類はかつて経験したことのない最大の難問に直面する。それは膨大な余暇をどう扱うかである。政治家が「(たとえば、経済危機のさなかに緊縮政策をとるというような)破滅的な間違い」を犯さない限り、一〇〇年以内に西側諸国の生活水準は、一九三〇年の生活水準の少なくとも四〇倍になるだろう、とケインズは述べた。
その結果は? 二〇三〇年、人々の労働時間は、週にわずか一五時間になっているはずだ。」(p.132)
「人々はその決断をクレイジーだと非難したが、じきにフォードの後に続くことになった。
フォードは根っからの資本主義者で、製造ラインの生みの親でもあったが、労働時間を短縮すれば、従業員の生産性が高くなることに気づいていた。余暇の必要性は「ビジネスにおける確かな事実だ」と彼は述べている。十分に休息をとった労働者は、生産性が高かった。また、朝から晩まで工場でせっせと働き、車で遠くまで旅をしたり近隣で車を乗り回したりする時間の余裕がない労働者は、フォードの車を買うはずもなかった。」(p.134)
世界で初めて週休二日制を導入したのは、自動車メーカーのフォードだったのですね。
たしかに昔のように労働者がこき使われる時代は去っていきました。
「まもなく、ケインズが予言した二〇三〇年が訪れる。二〇〇〇年頃にはすでに、フランス、オランダ、アメリカ合衆国などの国々は、一九三〇年の五倍、豊かになった。それでも今日のわたしたちの最大の問題は、余暇でも退屈でもなく、ストレスと不安定さなのだ。」(p.141)
「時は金なり。経済成長はさらなる余暇と消費を生み出す。一八五〇年から一九八〇年まで、わたしたちはその両方を手に入れたが、その後、増えたのは主に消費だった。収入が増えず、格差が広がっても、消費の流行は続いた。しかも借金によってである。
そしてそれこそが、労働時間の短縮は無理だという主張の根拠になってきた。わたしたちに労働時間を減らす余裕はない。余暇が増えるのは結構だが、余暇にはお金がかかる。皆がより働かなくなれば、生活レベルが格段に下がり、福祉国家は崩壊する、とその論は続く。
だが、本当にそうだろうか?」(p.143)
生活水準が高くなったこと、つまり豊かになったことは事実ですが、それで余暇が増えて退屈になったわけではありません。労働時間は減っていないのです。
その理由を、消費が増えたこととしています。もちろん、消費が増えるということは豊かになることでもあるので、悪いこととは言えません。けれども、必要でもない物にお金を消費させられているという部分もあるかと思います。
「まずは仕事を減らすことを、成治の理念として復活させなければならない。そして政策としてお金を時間に換え、教育により投資し、退職制度をより柔軟にし、父親の育児休暇や子育てのためのシステムを整えていけば、徐々に労働時間を減らすことができるだろう。
それはまず、動機(インセンティブ)を逆転させることから始まる。現在、雇用主にとっては、二人のパートタイム職員を雇うより、一人の社員に残業させるほうが安くすむ。なぜなら、健康保険料などの福利厚生費が、時間あたりではなく従業員一人当たりで支払われるからだ。それはまた、わたしたちが労働時間を短縮したくても、できない理由でもある。そんなことをしたら、会社での地位を失い、キャリアを積むチャンスを逃し、ついには、仕事そのものを失うかもしれない。ゆえに従業員は互いに目を光らせる。誰が最も長い時間、デスクに向かっているか。勤務時間が最も長いのは誰か、と。」(p.150-151)
制度的な欠陥が、労働時間を減らすことを阻んでいると言えますね。
これに関して私も、もっと労働市場を柔軟化させるために、「正規雇用」を廃止して、すべてを「非正規雇用」にすべきだと考えています。他にも退職金の禁止や、解雇の自由を高めることも効果的な方法だと思っています。
第七章は、「優秀な人間が、銀行家ではなく研究者を選べば」というタイトルです。
「奇妙なことに、最も高額の給料を得ているのは、富を移転するだけで、有形の価値をほとんど生み出さない職業の人々だ。実に不思議で、逆説的な状況である。社会の繁栄を支えている教師や警察官や看護師が安月給に耐えているのに、社会にとって重要でも必要でもなく、破壊的ですらある富の移転者が富み栄えるというようなことが、なぜ起こり得るのだろう?」(p.160)
冒頭で、ニューヨークで起きたゴミ回収者のストライキのことが取り上げられています。安い給料に甘んじ、多くの人から蔑まれたりもするゴミ回収者がストライキをしたら、途端に市がギブアップしたのです。
しかし、銀行が業務をボイコットしても、人々はいろいろ工夫をして対処するため、何も問題がない。実際、1970年にアイルランドで銀行員のストライキが発生した時、通貨の変わりに小切手を流通させることで、銀行なしで対処できたと書かれています。
「そして結論を言えば、わたしたちはみな貧しくなった。銀行が一ドル儲けるごとに経済の連鎖のどこかで六〇セントが失われている計算になる。しかし、研究者が一ドル儲けると、五ドルから、往々にしてそれをはるかに上回る額が、経済に還元されるのだ。ハーバード大学流に言えば、高額所得者に高い税金を課せば、「才能ある個人を、負の外部性をもつ職業から、正の外部生をもつ職業に再分配する」のに役立つ。
簡単に言えば、税金を高くすれば、有益な仕事をする人が増えるのだ。」(p.172)
これは一概にそうとも言えないと思っています。
まず、どこか1国が所得税率を上げれば、金持ちは逃げ出すでしょう。国内にいなくても、オンラインで仕事は可能なのです。
たしかに、トレーダーが高額の所得を得ているし、私もそういう富の移転だけで儲けを生むシステムは、どこかおかしいと感じています。でも、それを言うなら、どうして一部のプロ野球選手やプロサッカー選手などは高額の報酬を得ているのでしょう?
端的にファンが多いからです。つまり人気があるからです。支持され、多くの人からお金を集められるからです。
では、なぜ優秀なトレーダーが儲けられるのか? 同じことです。ファンが多いからです。儲けたいと思う多くの人が彼を支持し、お金を出すからです。
そう、教師や研究者や看護師やゴミ回収者を見捨てて安い給料に甘んじさせているのは、私たちが支持しないからです。私たちの価値観が問われている。私は、そう思っています。
第八章は、「AIとの競争には勝てない」というタイトルです。
「経済学者はこの現象を「勝者が独り勝ちする社会」と呼ぶ。小さな会計事務所は税金計算ソフトによって駆逐され、地方の書店はオンラインのメガストアを相手に苦戦を強いられている。世界が小さくなっているにもかかわらず、どの業界でも、巨人がますます巨大化してきた。
そして現在では、ほとんどすべての先進国で不平等が拡大している。アメリカでは、貧富の差はすでに、奴隷労働の上に成り立っていた古代ローマ時代より大きくなっている。」(p.189)
単純な誰でもできる労働は、コンピュータや機械に取って代わられつつあります。金持ちはさらに富み、貧困者はさらに貧困になる。そう言えば、そういうことが聖書(マタイによる福音書13章12節)に書かれていましたね。そういう時代になったのかもしれません。
「アメリカで具現化しつつある極端な不平等は、わたしたちが選べる唯一の選択肢ではない。もう一つの選択肢は、今世紀のどこかの時点で、生きていくには働かなければならないというドグマを捨てることだ。社会が経済的に豊かになればなるほど、労働市場における富の分配はうまくいかなくなる。テクノロジーの恩恵を手放したくないのであれば、残る選択肢はただ一つ、再分配である。それも、大規模な再分配だ。
金銭(ベーシックインカム)、時間(労働時間の短縮)、課税(労働に対してではなく、資本に対して)を再分配し、もちろん、ロボットも再分配する。」(p.202-203)
社会に富を生み出すのは、必ずしも労働ではありません。単純労働が機械によって奪われるなら、機械が社会の富を生み出してくれているのです。そうであれば、人間はその恩恵を受けるだけでいいではありませんか。
そのための単純な考え方が「再配分」なのです。どこで誰が(何が)富を生み出そうと関係なく、私たち人間が平等にそれを受け取る。それが「再配分」という考え方なのです。
第九章は、「国境を開くことで富は増大する」というタイトルです。
「しかし、こうした障壁を撤廃したとしても、世界経済は数パーセントしか伸びないだろう。IMFによると、資本に対する既存の制限を解除することで自由になるのは、せいぜい六五〇億ドル程度だ。ハーバード大学の経済学者、ラント・プリチェットに言わせれば、ほんの小銭である。しかし労働の国境を開けば、富は一〇〇〇倍にも増えるはずだ。
数字で表すと六五、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇ドル。言葉で表すと六五兆ドルだ。」(p.222)
貿易障壁を取り除いて、貿易の自由化を図ることは、現在でもかなり進められています。自由貿易によって世界中の国々が恩恵を受けられることがわかってきたからです。けれども、それすら大した額ではないと言うのですね。
それよりも大きな富をもたらすのは、労働市場の自由化。国境をなくし、人の移動や居住を自由にさせることだとブレグマン氏は言います。
「数十億の人が、豊穣の地で得られるはずの賃金に比べるとほんのわずかの金で、自分の労働力を売るよう強いられているが、それはすべて国境のせいなのだ。国境は世界の歴史の全てに置いて、差別をもたらす唯一最大の原因である。同じ国に暮らす人々の格差は、別々の国に暮らす人々の格差に比べると、無いに等しい。今日、最も豊かな八パーセントの人が、世界の総所得の半分を得ており、最も豊かな一パーセントの人が、世界の富の半分以上を所有している。消費に占める割合は、最も貧しい一〇億の人々はほんの一パーセント、最も豊かな一〇億人は七二パーセントだ。」(p.223-224)
日本では格差が拡大したと騒いでいる人がいますが、世界的な格差に比べれば五十歩百歩の世界です。日本は世界的に見て最も格差が少ない社会なのです。
しかし、世界的な貧富の格差は、どう見ても差別的でしょう。これを正当化しているのは「国」という単位で人々を縛り付けているからであり、まさに「国境」こそが諸悪の根源とも言えますね。
「では、現代社会が一体性に欠けるのが多様性のせいでないとしたら、原因はどこにあるのだろう。答えは簡単だ。貧困、失業、そして差別である。」(p.230)
「生産力のある女性や高齢者や移民は、男性や若者や勤勉な市民の職を奪ったりはしない。むしろ、労働力が増えると、雇用の機会は増える。それは、消費が増え、需要が増え、ひいては仕事の数が増えるからだ。求人市場をどうしても椅子取りゲームに例えたいのであれば、それは、パーティ好きの人が多くの椅子を抱えて次々にやってきて参加するゲームと言えるだろう。」(p.230)
「実際には、収入と仕事の状況を是正すれば、移民が受ける公的支援は減るはずだ。総じて移民は、国にとって得になる。オーストリア、アイルランド、スペイン、イギリスのような国では、一人当たりで言うと、移民は自国民より多くの税金を国にもたらしているのだ。
それでもまだ心配なのか? であれば、国は移民に対して、政府による金銭的な支援を得る権利を認めない、少なくとも入国してから最低限の年数が経つまで、あるいは税金を五万ドル払ってからでなければ認めないと、決めればよいのだ。移民が政治的脅威になることや、社会に溶け込まないことを懸念するなら、同様の制限要因を設ければよい。言語と文化のテストを課すとか、投票権を与えないとか。そして、移民が仕事に就こうとしない場合は、母国に送還するだけのことだ。」(p.231)
ブレグマン氏は、移民を積極的に受け入れることで豊かになると主張します。たしかに多くの懸念があり、急激に移民を増やしたヨーロッパでは様々な問題が起こっています。けれどもブレグマン氏は、そういう懸念があっても、適切に対処できる問題だと言うのです。
「国境を開くことは、もちろん一晩でできることではなく、またそうすべきでもない。無秩序に移民を受け入れると、豊穣の地の社会の一体性は、確実に蝕まれるだろう。だが、あることを思い出す必要がある。この異常なまでに不平等な世界では、移住は、貧困と闘うための最も強力なツールなのだ。」(p.233)
実際、アメリカは移民によって建国され、最も発展した国になっています。ですから、移民を受け入れることは経済発展につながるのだろうと思います。
しかし、ブレグマン氏も言うように、急激な変化は社会に混乱をもたらします。ですから壮大な構想をもとに、改革は漸次行う必要があるのです。
第一〇章は、「真実を見抜く一人の声が、集団の幻想を覚ます」というタイトルです。
「賢い人々は、正しい答えを得るために自分の知性を使うのではない。答えであってほしいものを得るために用いるのだと、アメリカのジャーナリスト、エズラ・クレインは結論づけている。」(p.243)
私たちは見たいものを見る、ということが、お勧めしている「神との対話」にもありました。
「ユニバーサル・ベーシックインカムは時宜を得たアイデアだと、わたしは確信している。これまで広範囲にわたってその問題を調査してきたし、さまざまな証拠がその方向を指し示しているのだ。だが、正直なところ、証拠が違う方向を指していたとして、わたしはそれに気づくだろうかと、不安になることがある。わたしは、自分の意見を変えるほどの観察力を持っているだろうか? そうする勇気があるだろうか?」(p.244)
実は思っていることが間違っているかもしれない。そういう思いを常に頭の片隅に置いて忘れないようにする。それは、私も心がけていることです。
「わたしたちはもう二度と、座り込んで、時計が深夜〇時を打つのを聞きながら、来るはずのない地球外からの救いを虚しく待ち続けるようなことにはならないだろう。
アイデアは、どれほど途方のないものであっても、世界を変えてきたし、再び変えるだろう。「実際」、とケインズは記した。「アイデアの他に世界を支配するものはほとんどない」」(p.255)
どこからか救世主がやってきて私たちを救ってくれる。そういう幻想を持っていても意味がありません。私たち自身が意図することによって、世界を変えていく他ないのです。
そのためにも、精度の高い卓越したアイデアが必要なのです。そしてそれが最善かどうかを、常に疑いながらブラッシュアップし続けること。それが、私たちみんなが幸せで豊かな社会へと変化させる方法なのだと思います。
終章は、「「負け犬の社会主義」が忘れていること」というタイトルです。
「例えばテレビは基本的に、異なる意見を報道する時間やスペースを持ち合わせていない。その代わり、同じ人々が同じ意見を言う、メリーゴーランドのような場面を延々と流し続ける。
だが、そうであっても、社会は二〇〜三〇年の間に完全に変わることができる。オヴァートンの窓は、ずらすことができるのだ。そのための古典的な戦略は、非常にショッキングで破壊的なアイデアを公表して、それ以外のアイデアを、比較的穏当で、まともに見えるようにすることだ。つまり、急進的なものを穏当に見せるには、急進性の枠を広げれば良いのである。」(p.261)
テレビは国民を洗脳する装置だと、旧N国党の立花孝志さんは言われています。まさにその通りですね。
そんな中で国民を振り向かせるためには、超過激なアイデアを披露することで、過激なアイデアを穏当なものに見せることだとブレグマン氏は言います。
「今こそ、「仕事」という概念を再定義すべき時だ。わたしは一週間の労働時間を短縮しようと呼びかけているが、長く退屈な週末を過ごせと言っているわけではない。自分にとって本当に重要なことにもっと多くの時間を費やそうと、呼びかけているのだ。」(p.266)
「最大の後悔は、「他人がわたしに期待する人生ではなく、自分のための人生を生きればよかった」というもの。二番目は、「あんなに働かなければよかった」である。」(p.267)
「死ぬ瞬間の五つの後悔」という本があるそうですが、その中で上記のように言っているそうです。こういう話はよく聞きますね。
私たちは、生活のために生きるのではなく、もっと自分のために生きるべきなのだと思います。それは「神との対話」でも推奨していたことです。
「この三年間、ユニバーサル・ベーシックインカム、労働時間の短縮、貧困の撲滅について訴えてきたが、幾度となく、非現実的だ、負担が大きすぎると批判され、あるいは露骨に無視された。
少々時間がかかったが、その「非現実的だ」という批判が、わたしの理論の欠陥とはほぼ無関係であることに気づいた。「非現実的」というのはつまり、「現状を変えるつもりはない」という気持ちを手短に表現しただけなのだ。」(p.268)
「最後になったが、本書が提案したアイデアを行動に移す用意ができている全ての人に、二つのアドバイスをしたい。まず、世の中にはあなたのような人がたくさんいることを知ろう。それも大勢いるのだ。本書のアイデアを信じるようになってから、この世界が堕落した欲深い場所に見えるようになったと、無数の読者がわたしに語った。彼らに対するわたしの答えはこうだ。テレビを消して、自分の周りをよく見て、人々と連携しよう。ほとんどの人は、優しい心をもっているはずなのだ。
そして二つめのアドバイスは、図太くなることだ。人が語る常識に流されてはいけない。世界を変えたいのであれば、わたしたちは非現実的で、無分別で、とんでもない存在になる必要がある。思い出そう。かつて、奴隷制度の廃止、女性の選挙権、同性婚の容認を求めた人々が狂人と見なされたことを。だがそれは、彼らが正しかったことを歴史が証明するまでの話だった。」(p.269-270)
真実がいつまでも覆い隠されていることはありません。必ず表に出てきます。
真実とは、私は「愛」だと思っています。存在するのは「愛」だけ。「愛」の対極である「不安(恐れ)」がどんなに強大に見えても、所詮は幻想に過ぎないのです。
存在するのが「愛」だけであれば、私たちもまた「愛」だということです。だから、他人を信頼すれば良いと思っています。その人の本質もまた「愛」なのですから。
いつかは、「愛」が完全に現れる時がやってくる。そのことを信じて、今、どんなにバカにされようと、無視されようと、自分らしく生きて、自分が思うところを主張していく。ドン・キホーテのように、私も、そういう生き方をしようと思っています。
ベーシック・インカムは、私も完璧な制度だと思って推奨しています。なかなか受け入れてもらえませんが、けれども、そのアイデアがおかしいことを証明できる人も、これまで1人もいませんでした。
本書を読んで、他にも労働時間を短縮するというアイデアをいただきました。ベーシック・インカムによって、働き方の自由度が広がることは思っていましたが、みんなが労働時間を短縮するということは考えていなかったのです。
また、国境を取っ払って移民を増やすことで、世界の富がもっと増えるというアイデアも斬新でした。私にもまだ、移民による問題の方が大きいという気持ちがあったのです。
もちろん、私の基本的な考えは、国境をなくすことです。経済の自由化が政治の自由化を促進すると思っています。貿易の自由化は、国境の壁を低くしていく。そう考えていました。
けれども、移民による文化の衝突の問題に関しては、本書を読んでもまだ解決できるとは思えません。先日も、イスラム教徒の人が神社で狼藉を働いたという事件がありました。土葬を特例として認めよと迫る人々もいました。こういう問題は、すぐには解決できないなぁと思っています。
しかし、ここで得たアイデアは、これからより平和で豊かな時代を築いていくために、とても役立つものだと感じました。
そういう気持ちを持っている人には、ぜひ読んでいただきたい本だと思っています。
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