2023年05月25日

「ありがとう」という日本語にありがとう



日本講演新聞山本孝弘(やまもと・たかひろ)さんが、また本を出されると知ったので予約して購入しました。以前に買ったのは「明日を笑顔に」でしたが、今回の本はそれを上回る素晴らしい内容でした。
最初にそう結論を言ってしまいたくなるほど、感動で何度も何度も涙を流しながら読み終えたのです。この本を大量に買って、小中学校に寄付したい。この本をベストセラーにせずにはおれないくらい、何とか世に広めたいなぁと思ったのです。

日本講演新聞(旧、みやざき中央新聞)は、その社説が感動的だと有名でした。すでに紹介しているように、「日本一心を揺るがす新聞の社説」というシリーズ本も発行しています。
しかし、最近は感動する記事が減ってきたばかりか、時には「こういう記事を載せちゃダメでしょ」と言いたくなる記事も出てきて、劣化しているなぁと感じています。(申し訳ないけど、それが実感です。)
そんな中で、中部支局長という肩書の山本さんの記事(社説を含む)は、ほぼ毎回素晴らしいものです。今回の本にも、その一部が転載されていると思われます。以前に読んだなぁ、と思うエッセイがいくつかありましたから。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

多くの患者を診てきた石垣は言う。
「患者に同情するのが医師ではない」
 病気になって心が豊かになった人もたくさん見てきた。
 「人生が感謝に溢れた尊いものになってくれたら……」、そんな思いを込めて今は患者に聴診器を当てる。そして患者をほっとさせる安心感を全身から出そうと常に意識しているそうだ。
 「それが僕にできる世界英和活動です」。彼はそう言って微笑んだ。
」(p.11)

岐阜県で内科医をしている山本さんの友人の話です。彼と出会ってからしばらくは、医師を目指した理由を語ってくれなかったそうです。やって話をしてくれたのは、目の前で亡くなっていった人の姿を見て、医師を目指したということでした。
温かい新聞に温かいことを書いたり、温かい話を講演で伝えることが自分にできる平和活動だと思っていた山本さんは、そういう彼の気持ちに共感したのです。


僕たちは他人同士互いに影響を与えたり、与えられたりしながら生きている。その中に学びがあり、共に成長していく。ある時は部下に教えられ、生徒に学ばされ、子どもに諭される。
 友人の心療内科医はこう言った。
「治す側が医師、治される側が患者だと考えるのは私の思い上がりでした。お互いが心のエネルギーを交換して成長していく空間が診察室なんです」
」(p.20-21)

人間関係というのは、互いに贈り物を与え合っている。そしてその贈り物を、それぞれ自分の成長に役立てるものなんですね。自分が何かをしてやっていると考えると、傲慢になってしまいます。せっかくの贈り物を受け取れなくなるんです。


判断は最高裁に委ねられたが、もし最高裁で却下されたら巌さんの身柄はどうなってしまうのか。そのことに関し、当時放映された東海テレビのドキュメンタリー番組で秀子さんはこう語った。
「今現在、巌はここにいる。だから今現在を大事にしたいと思ってる。最高裁で不当な判断が出た時は出た時の勝負ですよ。その時はその時でまた考えればいいことです。今は明るく生きていればそれでいいと思ってる」
」(p.34)

今年の3月、再審開始が正式に決まった袴田巌さんの姉、秀子さんの話です。弟の無実を信じ、数々の理不尽な扱いも甘んじて受けてこられました。だからこうも強いのでしょうか。前後際断して今を生きる姿に、私は仏様の姿を見るような気がしました。


河野さんには警察に対してもオウムに対しても怒りがない。
 河野さんにとってそれが「自然体」なのだろう。河野さんからは一貫してそんな雰囲気が流れていた。
「怒りはないんですか?」
 と聞いた僕に河野さんは言った。
「怒ってどうするんですか? こっちが疲れるでしょ。それに人は間違えるものです。許すほうが楽なんです。損得勘定で許すほうを選んでいるだけの話です。私は人格者でも何でもありません」
」(p.42)

これが彼の自然体だ。河野さんは最後にこう言った。
「『ああ、楽しかった』、そう言って私は死ぬつもりです」
」(p.43)

松本サリン事件の容疑者にされてしまった河野義行さんの話です。そう言えばこの事件、長野県の松本市で起こったのでしたね。今、私が住んでいる場所からそう遠くない場所です。
本当は被害者なのに、一時は加害者だと勘違いされ、世間からバッシングを受けた河野さん。しかし河野さんは、世間を恨まないだけでなく、加害者であるオウムの関係者をも許す生き方をされてこられたのです。


真剣なまなざしでそんなことを言う父親に智内さんは半分呆れたが、続いて父親が放った言葉にはっきりと未来が見えた
「おまえのその選択は美しい」
 美しい生き方というのは、自分の役割を見つけて、置かれた環境に感謝して生きることではないだろうか。それは意外と、何かを失った時に見つかるものなのかもしれない。
」(p.47)

ピアニストの知内武雄さんの話です。ピアニストとして将来を嘱望されていた智内さんは、局所性ジストニアという難病に罹り、右手が不自由になってしまいました。リハビリを重ねるも元には戻らず、智内さんは左手だけで演奏をしようと考えたのです。
まだ無名のピアニストの智内さんに対する周囲の目は冷たいものでした。けれども画家の父親だけは応援してくれたのです。
智内さんは、こういうことから生き方の判断基準として「美しいかどうか」を考えるようになったのだそうです。

後に山本さんは、「ワクワクするかどうか」を基準としていると話しています。私もこういうことを考えていて、「美しいかどうか」「ワクワクするかどうか」「誰かがやらなければならないことかどうか」というのを、自分がやると決める基準として持っています。


そこに「マナー警察」のような人が現れなくて本当によかったと思う。
 迷惑を掛けずに生きていくことは不可能である。生きている以上は誰だって他人に迷惑を掛けている。誰にでもいろんな事情がある。みんなが穏やかな感情を持って他者の共感できるところを探すようになれば、きっとこの世から争いは減っていく。
」(p.69)

病院にいる危篤状態の父親に対して、電車の中から電話で話をするかどうかを迷った夫婦の話です。その会話を聞いた周りの乗客が、電話をかけてあげるように促したのです。
タイでは、電車内で通話をすることは自由です。コロナで、少し変わったかもしれませんが、2Gのころから病院内でふつうに携帯電話を使っていましたからね。
自分の価値観を他人に押し付ける「モラル」とか「マナー」というのは嫌いです。本来それは自分を律するものであり、他人に押し付けるものではありませんから。


吉田さんはチェトリくんを抱き締め、号泣した。「大人になってからあれほど泣いたことはない」と綴っていた。
 吉田さんのその涙に僕はふと思いを馳せた。
 もちろん、「事故ではなく、無事に帰ってきてよかった」と心底安心した涙だったに違いない。と同時に、もしチェトリくんが大きな町へ逃げていたとしたら、「私が彼の人生を狂わせてしまった」と吉田さんは自分を責めていただろう。だからあの涙は「私も少し疑っていた。すまない」という謝罪の意味もあったのではないか。さらに、日本からやってきた自分たちを精一杯喜ばせようとしたチェトリくんの純朴な優しさに感動した涙だったのかもしれない。
」(p.77)

元NHKディレクターの吉田直哉さんがネパールで体験した話です。地元の子どものチェトリくんに、街までビールを買いに行ってもらって、お駄賃をあげていたのですね。もっと多く買ってもらおうと多くのお金を渡したら、帰ってこなかった。事故にあったのではないか? いや、持ち逃げしたのではないか? そんなことが心をよぎったのです。
「走れメロス」を思わせる逸話です。この時は、たまたま近くの街にビールがなくて、遠くの街まで買いに行ったために数日かかったということですが、持ち逃げするケースもあるでしょう。実際、バリ島の兄貴は、そういう経験もされています。

私は、こういう話を聞くことで、「信頼する」ということを何度も考えさせられました。本当に「信頼する」というのはどういうことなのか?
私は、たとえ結果(事実)が騙されるということであったとしても、それでも相手の本性を信じ抜くことが「信頼する」ということではないか、と思うのです。


一太くんは妹に手を合わせながら、「僕の当たり前の毎日はありがとうの毎日なんだ。お父さんとお母さんがいることも、笑うことも食べることも話すことも、そんな当たり前だと思っていたことは全部ありがとうなんだ」と気付く。
 僕が「ありがとう」の反対語は「当たり前」だと知ったのは大人になってからだった。しかも知識として知っただけだった。一太くんはそれを流産で消えた妹の命の儚さ、尊さを心で実感したのだ。
」(p.88)

流産によって妹が死んだ。その経験から、お兄ちゃんになるはずだった一太くんは、「当たり前」と「有り難い」を知ったのです。
だから経験が重要なのです。たとえそれがいわゆる「悲惨」な経験であったとしても、その経験でしか感じられないことがあるのです。

そしてそういう経験を情報発信することも重要です。それによって私たちは、自分が経験しなくても、それを追体験できるからです。想像力というものによって、私がたちは疑似体験できるのです。


そんな人望厚いカレッドさんの好きな日本語が「手当て」だと言う。
「手当てには何の技術も要らない。ただ手を当てるだけで、赤ちゃんは泣き止み、病人は安らぎ、悲しい人は慰められる。医療の根本は手当て、寄り添うことです」
」(p.104)

アフガニスタンから留学生としてやってきて、医者となったカレッドさんは、「恩送り」という言葉を教わって深く共感し、自分もそう生きようとされたのだそうです。
そのカレッドさんが、医療の本質は手当てにあると見抜かれたのですね。「手当て」こそが「靈氣」である。私はそう思って、「ナチュラルレイキ」を広めようとしています。

医療の根本は「手当て」だとある医者が言った。手を当てられるだけで赤ちゃんは泣き止み、人は癒やされると。「手当て」の更なる根っこは「寄り添う心」ではないだろうか。「共感力の高い人からは包み込むような柔らかな温かみが、どことなく醸し出されている。そしてその温かな波は、ポカポカした心の持ち主を周りに引き寄せ、その人自身を幸福の次元へと導いていくのだ。
 そんな人たちから出ている温かい波動。僕はこれからもその波動のような温かい文章を書いていこうと思う。
」(p.113)

飛騨千光寺の大下大圓住職は、人に寄り添う活動をされているそうです。ここでも「手当て」が出てきたことに驚きました。
私が「ナチュラルレイキ」で言っているのは、まさにこのことだからです。「手当て」とは「寄り添う」ことなのです。
山本さんは、温かい文章の力で、この「手当て」を実践されておられるのですね。私は、レイキによってこれを実践していこうと思っています。


僕は今、心が揺さぶられる話が載った日本講演新聞を広める活動をしている。心が温かくなる話を書いたり、聴く人が前向きになるような講演をしたり、元気が出る話を取材する。僕にとっての「世界平和活動」である。」(p.127)

山本さんは、この温かい話を届ける活動を生きがいとして、使命として、活動されておられるのでしょうね。


そして南アフリカのバベンバ族という部族のこんな話が載っていた。村の中で悪事を働いたことが発覚すると、捕らえられた犯人は逃げられない手だてを講じられ、広場の真ん中に座らされる。その周りを村人の全員が取り囲む。子どもも含めた全員である。裁判のようなバベンバ族の風習がそこから始まる。取り囲んだ村人の一人ひとりが、犯人に向かい、その犯人が過去にやった親切な行為を語るのだそうだ。作り話は一切なく、子どもから老人まで村人全員が愛を持って誠実に詳しく語り、すべての人が話し終えるまで数日かかることもあるらしい。最後の村人が話し終えると和が崩され、そこには一体感が生まれているそうだ。
 そして再び犯人を仲間に迎え入れるお祝いの儀式が始まる。「許し」がすべてのわだかまりを消し去り、そこにはもう「犯人」はいない。
 村人全員が「過去」はもちろん、「怖れに満ちた未来」を手放した瞬間である。
 幸せになるための秘密道具が、「許し」かもしれない。
」(p.173)

これはジャンポルスキー博士の「ゆるすということ」という本に書かれていた逸話だそうです。本当のことかどうかは知りませんが、あり得ると思うし、素晴らしいなぁと思います。
日本にも村八分という極刑がありましたが、けっして追い出すとか打ち殺すというものではありませんでした。いつかは許すということが前提だったと思うのです。

何か悪いことをするとしても、それにはそれなりの理由があるのです。その人の世界観において間違ったことはしない。つまりその人は常に「正しい」ことをしている。少なくとも、その人の価値観において。そういうことが、お勧めしている「神との対話」にも書かれていました。
だから私も、許すという愛の行為以外に、私たちが一体化して幸せな社会を作ることはできないと思っているのです。


私は、山本さんの話に感動し、何度も何度も泣いて、読ませていただいてありがとうございますという思いに駆られました。
だから、この本を何とかベストセラーにできないかなぁと思っています。クラウドファンディングで、そういう活動ができるかなぁ。
まあ、そこまでいかないとしても、こういう紹介記事を書いたり、SNSや動画で情報発信することで、山本さんの活動に寄り添い、盛り上げたいと思うのです。

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タグ:山本孝弘
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:10 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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