2023年05月08日

発酵生活で新しい私に生まれ変わる



この本は何で知ったのか忘れました。Youtube動画ではなく、おそらく何かの本の中で紹介されていたのではないかと思うのですが、覚えていません。
最近は腸内細菌に関する本をよく読んでいるので、この本のことを知って、興味を覚えたのだろうと思います。著者は栗生隆子(くりゅう・たかこ)さん。Facebookの「TGG豆乳ヨーグルト同好会」の管理人をされているそう(検索しても出てきませんでした)で、他にも何冊か本を出版されているようです。

栗生さんは、14歳の時の歯の治療でアマルガムを詰めたことが原因で、潰瘍性大腸炎を発症し、約30年間もその症状に苦しまれたそうです。
その闘病の中で悟ることがあり、それによって発酵を知ることとなり、その素晴らしさを広める活動をされているようですね。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

そのとき、とてつもない時空間まで行ってみて気がついたことは、苦しみというのは死んでも意識として残るので、あの世に行ってもそれは変わらないこということでした。
 そのことに気づくと、それまで死ぬことばかり考えていたのに、このボロボロの体でも、体の五感を通してしかわからないものがある、ということをはっきりと思いました。
 そして、「帰ろう。何かわからないけど、あの体の五感で知ることができることがある。だから人は生まれてくるのだろう。とにかく命のつづくかぎりあの体で生きてみよう」と思い直しました。
」(p.36-37)

病気が進行して身体がボロボロになって苦しんでいる時、臨死体験と言うか幽体離脱のような、意識だけの存在になったことがあったそうです。その時、時間設定が自由にできたとのことで、未来に行って苦しみを消そうとしたところ、どれだけ未来へ行っても苦しみから逃れられなかったのだとか。
たしかに、その思いは今にしか存在しないし、時間というものは幻想に過ぎませんからね。私は理屈でそう理解していますが、栗生さんは特異体験によって悟られたようです。

もう一度、この肉体でやっていこう。この体のままで生きられるところまで生きよう。すべてを受け入れ、憂えることもなく、自分に与えられた人生を生ききろう。
 そう思ったときから、出会う人、出合う物が全て変わりました。それは治療法もなく八方ふさがりの状態だった私にとって、一筋の光が差し込んできたかのようでした。
」(p.44)

諦めて、今あるがままを受け入れて、これでよいと認めたところから人生が好転する。私もこういうことを経験しています。


私たちの五感は、喜びとか、悲しみ、痛み、悩み、苦しみといったさまざまな感情を味わうためにある。向こうの世界にはそういうものはない。今の世の中は、「あれがいい」「これが悪い」と決めつけてしまいがちだが、本当は悪いものなど一つもなくて、全て必要があって起きているというのです。
 さらには原発事故も放射能汚染も私の病気でさえも、すべて必要があって起きている。問題は、そういうことに対してどう対処していくか、それが大切であるというのです。
」(p.61)

栗生さんが出会った人の中にはスピリチュアル的な人もいて、そういう出会いからこういうことを学ばれたようです。

そうして、「自分に合うものだけ」を選んで生活していたら、いつしか心地よく過ごせるようになりました。端から見たら、いろいろと制限があり窮屈に見えるかもしれませんが、私にとっては少しも制限ではないのです。自分に合わないものは、もともと必要としないものなのです。
 制限を外したら症状が出ることもあります。
 前は、「それを弱いからだ」と思っていましたが、今は、症状は体が教えてくれるサインなんだと捉えるようになりました。
」(p.63)

人それぞれ違いがありますから、生き方にも違いが出てきます。「生き方」というのは何かを制限することですからね。自分に合った生き方をすればいいのです。
この世で生きている限り、何かを選び、何かを選ばないという選択が必須です。それは何かを制限することなのです。
その時に大事なのは、体の声を聞くことですね。その声に従って不満がない生き方こそ、自分らしい生き方と言えるのではないかと思います。


そして冷えた甘酒をひと口飲んでみると、すぐにわかりました。これは腸にすごくいい。腸が喜んでいる、と。」(p.78)

甘酒には2種類あって、酒粕から作るアルコールを含むものと、麹から作る糀甘酒です。栗生さんはこの時、糀甘酒を初めて飲まれたようです。
糀甘酒にはアミノ酸やビタミンB群が多く含まれ、「飲む点滴」などと言われています。私もときどき料理に使っています。


あのときは経済も停滞しがちでしたから、ささやかですが応援のつもりもありました。「こんなときに注文するなんて」とも思いましたが、後でいずれ動きだす状況であるのなら、経済を止めないということも大切なことと感じたのです。」(p.86)

東日本大震災の直後、何かしなければという思いの中で味噌を作ろうと思い立たれ、岩手県の遠野に糀を発注されたそうです。
私もこういう栗生さんの考え方には共感します。経済が停滞することが人を殺すし、不安や恐れから萎縮することが、何よりも良くないことだと思うのです。

以前から味噌は細胞にとって最強だと思っていたのですが、その中でも特に3年味噌は格別です。天然の医薬品といってもいいのではないかと思います。
 さらに、3年熟成をしている間に、味噌の上に染み出してくる「溜まり」といって、醤油のようなものがあります。それは有用微生物の宝庫ではないかと思うのです(西日本のほうでよく使われる「溜まり醤油」とは別のものです)。
 日本の誇れるプロバイオティクス、発酵エキスという感じがします。
」(p.87-88)

味噌によって有用微生物を活用する。日本人らしい生き方ですね。

私も菜食に切り替えてから体が徐々に戻ってきたこともあり、マクロビオティックは確かにいいと思っています。
 ただ、マクロビオティックは穀菜食が主体で、牛、豚、鶏といった動物性食品を禁止しているので、マクロビオティックをやっている人が、お肉を食べる人を攻撃したりとか、健康な人がマクロビオティックをやって、かえって元気が削がれたとか、マクロビオティックで体を壊した人が、今度は極度に肉食になったりとか、その人のやり方しだいでいろいろな問題が起きることもあるようです。
 その他、炭水化物ダイエットとか、徹底的に制限する食事療法があります。治療過程で必要な時期はあると思いますが、まずは外のものを攻撃するのではなく、自分の消化能力、腸内環境を育むことを見直し、そして害のあるものであるならば、発酵によって分解、無害化することを心がけていくことかと思います。
 攻撃する心が何より、心の毒も、敵対する相手も増大させてしまうのです。
」(p.89-90)

私はどちらかというと菜食が主体で、「肉はどうも……」というほうでしたが、元気な肉食の方の気持ちをちょっと知ってみたくなって、あるとき数日間、試してみました。
 そうか、この人たちの理論、わかる実感がありました。まず目覚めがいい。そして、手の先まで血液がめぐりだしエネルギーを感じる。
 しかし、私の気持ちはどうかというと、お肉よりも野菜の精進料理のような食事が好みで、好きなほうを選ぼうと思うようになりました。
 食べ物自体がいい・悪いではなくて、自分の心地いいほうを選ぶのがいいのではないかと思います。
」(p.91)

私もいろいろな食事法を試してきました。肉を抜いたり、1日2食、1日1食など。その結果、主食を抜いて1日2食というゆるやかな炭水化物抜きダイエットで、体重を10kg以上減らすことに成功しています。
今は、腸内細菌のことを考えるようになって、もち麦や押し麦を玄米と混ぜて炊いて食べるなど、マクロビオティックに近い食事をしています。

いずれにせよ、自分のことは自分が考えて決めれば良く、他人のことは他人に任せておけば良いのだと思います。攻撃する必要ありませんよ。

私の場合、体が感度のいいセンサーになっていて、「これはあまり食べないほうがいい」と教えてくれるのです。それで、センサーが反応するときはやめておこうと。」(p.93)

それと、「気(気力)」での影響を受けることも多いのです。
 気なんて、と思う方もいるかもしれませんが、気の効果も無視できないと思います。たとえば、時々、添加物いっぱいの食べ物が出てくることもありますが、なぜかみんなで楽しく食べるとおいしく、体調も崩しません。
」(p.94)

病も気からと言うように、気持ちの持ちようで栄養にもなれば毒にもなる。そういうことはあると思います。


目に見えない、いつもそばにある空気中に、酵母だけではなく酢酸菌、麹菌、乳酸菌と、さまざまな菌が浮遊しています。」(p.116)

言われてみて、たしかにそうだなぁと気づきました。菌はなにかに付着しているだけでなく、空気中に漂ってもいるのですね。


それまで、すべてのことにおいて、問題の答えを外に求めてきましたが、「そうか!他に探しにいかなくても、自分自身でいつでも生み出せる、内から作り出せる」ということに気づかされたのです。そんな確かで揺るぎない安心感が、自分の健康も自分自身で守ることができるという自信に繋がっていきました。」(p.123)

菌が空気中に漂っているなら、わざわざ菌を買ってきて酵母を作る必要もない。そのことがわかって、栗生さんは「すでにすべてある」という悟りを得られたようです。


過剰な除菌は私たちの持っている免疫力や抵抗力を逆に弱めてしまいます。
 私は薬で体の中の良い菌も悪い菌も殺してしまったことから病気になり、それが慢性化して長い間苦しんできたこともあって、「菌のないところでは、自然も人間も生存できない」と実感しました。
 菌は私たちがコントロールしなくても、ちゃんと絶妙なバランスをとっているのだと思います。
 現代人は、除菌や殺菌をして菌を排除しているけれど、むやみにやっつけてはいけないのですね。菌をやっつけることで、逆に私たちの体を壊したり、環境を汚しているのかもしれません。
」(p.130-131)

過剰な菌の排除によって、アトピーなどアレルギーが発症するという話もあります。私も今は、なるべく菌を排除しない考えでいて、石鹸や洗剤なども、なるべく使用しないようにしています。


番組では、移植してから次の日には結果が出たといっていましたが、すぐ結果が出たのは、その菌が腸内にいてくれたからです。
 大切なのは、移植した菌によってその人の腸内細菌が自ら活性し増えるかどうかなのです。
 すべては、その人の生活習慣にかかっています。今までと同じことをしていては、また体を害してしまうでしょう。
」(p.140)

糞便移植に関してですが、たしかにこれで病状が改善するという効果が報告されています。しかし、プロバイオティクスよりもプレバイオティクスと言われるように、腸内細菌叢を良い状態に保つには、腸内細菌を育てる食べ物をどう食べるかといった食生活など、生活習慣が重要になるのだと思います。


私は、「体は一つの地球。自然のしくみとよく似ている」と思っています。
 臓器は一つ一つが単体で動いているわけではなく、全てが川のように繋がっているので、全体で考えない限りは完治は難しいと思われます。
 体を修復するのは血液が鍵だと実感するんですね。
 その血液はどこでつくられるかというと、千島学説の「小腸からつくられる」という考え方を支持します。それは、腸を患い、そこから立ち直った者の実感です。
」(p.150)

たしかに、全体で考えなければいけないと、私も思います。部分最善ではなく、全体最善です。
千島学説の真偽はさておき、これさえ食べればみたいな特効薬を求める考え方は、部分最善に陥りやすいと思います。まずは血液を最良な状態にして、身体の隅々まで行き渡らせること。そのためにどう考えるのが良いかという視点で、私も考えています。


菌は柔軟性があり、常に変容していきます。そして物質さえも通りぬける存在でもあります。例えば、密閉してある瓶の液体があるとして、隣に味の違うものをしばらく置いておくと隣に置いていたものが変化していたりしますし、家の中で悲しいできごと、争いなどあった場合にも発酵が未熟だったり、時には腐敗したりすることがあります。また、人が楽しくしていたりすると菌もいきいきとして、発酵食づくりに適した環境になったりします。周りの影響を受けるというのは、菌が関与していることが多々あるのです。」(p.162)

菌が物質を通り抜けるというのは言いすぎだと思いますが、影響を受けたり与えたりすることはあると思います。
すべてはエネルギーであり、エネルギーとは波動ですからね。そうであれば、影響を受けたり与えたりするでしょう。でもそれは菌に限らず、すべてのものがそうなのだと私は思います。


ここからは、栗生さんと小出遥子(こいで・はるこ)さんとの対談になっています。小出さんは「TANDENメソッド」の考案者で、文筆家でもあり、「本来的ないのち」のあり方を探究しておられるそうです。

まずは、自分を受け入れたんですよね。あるがままの自分を愛すること。今自分に与えられた状況に感謝すること。それが病であっても、健康であっても、何一つ変わらないということ。病気だから、不健康だから悪いなんて、そんなことはぜったいにない。ただ病気だというだけ。「良い」「悪い」の判断は自分がしているだけであって、事実は、ただ、自分は病気だということ。それだけ。そこを認め切ってしまうこと。」(p.177)

栗生さんの悟りです。すべてをありのままに受け入れる。善悪などの判断は、その人の価値観(考え方)によるものであって、絶対的なものではないのです。

栗生:発酵食って、ぜんぶ、いのちのリレー、いのちのバトンタッチの結果として完成するものなんですよ。たとえば味噌を作るとき、大豆と麹と塩を入れた甕(かめ)の中でどんなことが起きているのかというと、まず、乳酸菌がうわ〜っと増えて優勢になるんですね。でも、ずっとそのままの状態が続くのかというとそうではない。ある段階まで来たら、乳酸菌はみずから失活します。
小出:失活。活動を停止するんですね。
栗生:そうです。その後、酵母が乳酸菌に代わってどんどん増えていくんですね。酵母は失活した乳酸菌を餌にして、いのちを繋いでいきます。そのとき、乳酸菌はなにも抵抗をしないんです。負けまい! 食べられまい! と力んで争うことなく、むしろ酵母と手を繋ぐようにして、運命を共にしていく。乳酸菌は乳酸菌としての役割を、ただただまっとうするんです。
 こうしたいのちのリレーの結果として、味噌という物質があらわれるんです。
」(p.188)

自然界には食物連鎖というものがありますが、これも見方によっては弱肉強食と言えますが、互いが互いのために命を差し出して支え合っているとも言えるかと思います。

この循環が見えてくると、不思議なことに、自分自身も、そこに共鳴していく。人と争おうという気持ちがなくなってくるんです。
小出:それはすごいですね!
栗生:自分も、ただ、自分の役割を果たしていくだけだなあ、って。理屈じゃなく、そう思います。やっぱり、最終的においしいものができあがって、それを食べたときに、ことばを超えた気づきがあるんですよ。ただただ、「おいしい」。それから「ありがとう」っていう感謝の気持ちが湧き起こってきて……。
」(p.190)

そういうことを知っていくと、やっぱり、私たちって、決してひとりきりで生きているわけじゃないんだなって、ごく自然にさとります。そして「共存」とか「共栄」とかっていうことばの意味が、おなかの深いところから理解できるようになるんです。すると、誰かと自分とを比べなくなるし、争わなくなる。
小出:それは、きっと、大きな「安心」とともに生きていけるようになるからなのでしょうね。すべてと繋がり合って、大きな循環の中に生かされているんだっていうことがわかると、不安感や恐怖感が消えてしまうから。
 人間が誰かやなにかと争い続けてしまうのはどうしてなのかというと、やっぱり、存在の根底に恐れがあるからだと思うんですね。自分ひとりが世界と切り離されているような感覚があると、自分のひとりの力でどうにかサバイブしていかなきゃならないという風に考えてしまって、結果、過剰防衛に走って、自他を傷つけるような言動を続けてしまう。
」(p.191-192)

この世では役割がある。私もそう思います。個々バラバラのように見えて、実は全体で「ひとつのもの」として存在している。そこに気づけば絶対的な安心感の中にいられて、他を攻撃することもなく、自分を責めることもなくなりますね。

小出:あんまり「効果」とか「効能」ばかりに注目してしまうと、大事なところを見失ってしまいますよね。それこそ、発酵の醍醐味って、きっと、大きな「めぐり」の中に生かされているという安心感を、理屈を超えたところから知ることにあるのに、西洋系の医薬品の代用品としか見られないのは、やっぱり、すごくざんねんなことだと思います。」(p.194)

発酵食品が体に良いと聞けば、それをまるで薬かのように思って、1日にどれだけ食べるのが良いのかと尋ねてくる人がいるそうです。たしかに、これさえ食べていればという発想は、薬のように考えているのでしょうね。
しかし、本当に重要なのは、それを食べた時の体の喜びを感じること。喜びを感じれば、感謝の思いが湧いてきます。そういう幸せの中で生きることこそが、何よりも大事なことなのですね。


私も、腸内細菌叢を整えることを意識するようになって、より一層、発酵食品を食べようと思っているところです。
私も、単に体に良いからという視点で見ていた部分がありましたが、改めて、全体がつながっているのだという考え、全体を生かすという考えの重要性を思い出させてもらいました。

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タグ:栗生隆子
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 08:18 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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