2023年05月05日

わたし、少しだけ神さまとお話できるんです。



長野県の生活が、もうあと少しとなったことで、縁のある長野県のために何かしたいという思いが出てきました。そんな時、縁あってつながった長野県の出版社の本を買ってみようと思って買ったのが、この本になります。
その出版社は、文屋(ぶんや)という小さな出版社で、こだわりのある本しか出版しない会社です。会社と言うより、社長の木下豊さんの個人事業のような感じかと。

なぜこの出版社と縁があったかと言うと、白駒妃登美さん「ちよにやちよに」を出版されたからです。私は白駒さんの本だから買ったのですが、それが長野県の小さな出版社だったのですね。この後、文屋さんのメルマガから、「楽しむために生まれてきた」という本も読みました。

そんな文屋さんが、スピリチュアルが好きな私の感性にピピッと来る神様に関する本も出版されていたので、興味を持ちました。神様の声が聞けるという井内由佳(いうち・ゆか)さんの本です。
出版は2011年9月ですから、かなり以前です。そう言えばちょうどこのころ、結婚前に妻を実家へ連れて帰りました。結婚はこの年の11月でした。井内さんは、私の妹と同い年のようですね。いろいろと縁があります。
本の表紙のお写真は、かなり若く見えますが、2011年だとすればまだ40歳代ですからね。すでに何冊も出版されておられるようですが、この本が原点だと思われているようです。

私がお勧めしている「神との対話」も、神様の声を書き記したもの。さて、違いがあるのかどうか、興味津々で読みました。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

この本を書いた動機は、あなたのように「幸せになりたい」人に、その考え方を伝えたいという気持ちです。相談に来られる方もそうですが、世間を見回してみると、みなさんあきらめが早すぎるんじゃないかと思うんです。「どうせこういう運命だから」「いまさら、無理だし」と。でも、あきらめることは、いつでもできるんです。この本にあきらめないで済む方法を書きますから、まず、やってみてほしいんです。すると必ず結果が出ます。」(p.40)

井内さんは、鎌倉で神さまのお告げを伝えるおばあさんのところへ通うようになって、ご自身もそういう人として選ばれ、お告げを伝える活動をされるようになったそうです。
神さまは、思い切って飛び込んでくれば救ってあげられるのに、しがみついて飛び込まない人が多いと言われるそうです。

だからどうか、ひとつだけでも実行してみてください。最初は小さい変化が生まれるはずです。そこに気づけば、それをステップに飛躍できるんです。」(p.41)

私も、小さなバンジーを飛ぶと言っていますが、同じようなことだろうと思います。怖れ(不安)を乗り越えて一歩を踏み出す。そうすれば、新しい世界が開けてきます。


神さまがその願いを聞いて、「はい、わかりました」とは言ってくれない、ということをわたしは鎌倉のおばあちゃまから、最初に教えていただきました。」(p.44)

願ったことを神さまが叶えてくれるのではないのですね。

幸せになるも、不幸になるも、どう思い、どう感じるか。

 つまり、神さまから教わった「幸せになれる考え方」を覚えて、身につけること。そして、不幸になる考え方を断ち切ることが大事なんです。
 不幸になる考え方とは、自分の考えに責任を持たないこと。困ったことが起きたら、あのとき、あの人がこう言ったから、こうしたからと、人のせいにする生き方。そして自分の大変さをわかってほしいと思う考え方。これでは、いつまでたっても幸せはつかめません。まず、自分の生き方に責任を持ち、自分が選択することに責任をもつこと、そして人の大変さをわかって助けようとすることが肝要です。
」(p.45-46)

状況や出来事を他者のせいにしていてはダメなのです。自分で責任を負うこと。
その状況や出来事を前にして、自分がどう考えるかが重要なのです。


神さまの好きな考え方をしていれば、上向きの人生になっていきます。神さまの好きな考え方をひとことで言うと、
「可愛げのある考え方」。
 なんです。それは、こういうことです。
「何かにつけ、また誰に対しても、ありがたいと感謝できる考え方」。
」(p.49-50)

感謝の心があれば、いつも他人を喜ばせたくなりますね。他人を喜ばせることが自分の喜びになる。それが、神さまの好きな「可愛げのある考え方」なのです。


よく、商店の店主や中小企業の社長さんが、人を採用する時に「いい人が来ますように」と言って相談しに来られます。厳しい言い方になりますが、自分がいい人じゃなければ、いい人は来ないのです。神さまは、同じような人が集まると言います。いい人に来てほしいなら、自分がいい人になること。そのためには、まず自分を知ること。」(p.54-55)

類は友を呼ぶと言いますが、まさにそういうことですね。だから重要なのは他人がどうかじゃないんです。自分なのです。


同じことを経験しても、ある人は「親切にしていただいて」と言いますが、ある人は、「余計な世話を焼かれて」と言います。つまり、ひとつの行為自体が性格を持っているのではなく、受け取り方によって、はじめてその行為が性格づけられるというわけです。人の運命や、人の格は、この受け取り方によって決まります。人の行為や言葉を悪く取ろうと思えば、どんなにでも悪く取れます。が、逆もまた然り。心を磨き、人として誠実に、真っ正直に生きるには、人の行為を悪く取らないことです。」(p.69)

人や出来事に「良い」「悪い」があるのではなく、その見方次第なのです。
この点で、前に紹介した北の菩薩と呼ばれる「いま、目の前にいる人が大切な人」の著者、坪崎美佐緒さんは、本当に素晴らしいと思いました。どんなにひどい仕打ちをされても、それをまったく悪く受け取らないのですから。そういうことが自然にできてしまうのは、魂のレベルが格段に進化しているのだろうと思います。


いま、バスに乗って移動できること、電話で遠く離れた人と話せることをしみじみとありがたいと思える人はそういないでしょう。一〇〇年前の奇跡が、すでに当たり前になっているのですから。あなたが当たり前と思っている、家庭、職場、学校なども、そこは感謝すべきことがたくさん詰まった空間だということに、気づいているでしょうか。」(p.89)

当たり前だと思っていることが、100年前だったらと視点を変えてみたら奇跡に思える。つまり、当たり前ではなく有り難いことなのですね。


たとえば、誰かにひどく理不尽な怒りをぶつけられたとき、「わたしのせいじゃないのに、なぜ?」と、腹立たしく思います。けれど、そこで怒りをグッとこらえて、自分のステージアップのためと信じて頭を下げれば、その問題は二度と起こりません。
 それは、どんな人も、同じステージの人とかかわりをもつようになっているからです。自分がステージアップすれば、前にいたステージのときの問題はもう起こらなくなるのです。
」(p.104-105)

私も、何度も失恋を繰り返しました。同じ問題が起こったのは、私自身が変化しなかった、つまりステージアップしなかったからでした。そのことが、後になればわかります。


人は、お金の入りは自分の意思ではどうにもできません。今月の収入は五十万円にしようと強く心に誓っても、そうはなりません。が、使うお金は自分で決められます。だからいつも、使うお金だけは、お金から嫌われないように気をつけていればいいのです。入るお金の計算など意味がありません。ましてや、懐事情が寂しくなったといって、出すべき人へのお金を惜しんだら、さらにお金が腹を立ててしまいます。
 お金が行きたいところにお金を行かせると、お金は仲間を連れて戻ってくるんです。お金が行きたくないところにお金を行かせると、お金はすきを見て仲間を誘って出ていきます。お金が行きたいところの一番は、ご恩や義理のある人、つまり「お陰」のところ。そして、お金が行きたくないところの一番は、他人に使うお金は少なくて、自分のためにたっぷり使う人のところです。
」(p.136-137)

こういうことは、斎藤一人さんなども言われてましたね。また、「感謝感謝のお金道 第一巻」などでも、そういう話がありました。

神さまは、「人のためにお金を使うときは『最後のお金』を使いなさい」と言います。最後のお金とは「ありがとうございます」「おめでとうございます」「お悔やみ申し上げます」と、せずにはいられなくて包んだお金のことです。これを渡すことによって、見返りも何もない、その先がないお金のことを神さまは、「最後のお金」と教えてくれました。」(p.139)

見返りを期待して使うお金ではなく、行ったきりで帰ってこなくてよいと決めたお金を使うことですね。
私も、他人のためにお金を使う時は、見返りを求めないよう自分の心を見張っています。打算が混じらないよう気をつけているのです。

わたしは、払わなくてもいいものにも払いたい人になりたいんです。人の労力や心遣いに感謝して、お礼をしたい。人をもてなし、喜ばせたいのです。」(p.158)

余分なお金があるから他人のために使うんじゃなく、ただ有り難いと思うからお金を払う。私も、そういう生き方をしたいです。
最近のネットの世界では、投げ銭システムと呼ばれるちょっとしたお金を簡単に支払える仕組みがあります。あれはとってもいいなぁと感じています。


生い立ち、親の育て方、時代、夫、妻、上司、部下…。人は、いろんなところに自分の不甲斐無さの原因を見つけるのが上手です。しかし、自分の中にその原因を見つけることができなければ、道を拓くことはできません。自分が変わることによって、はじめて運命は好転し始めるのです。」(p.172)

他因ではなく自因。すべては自分に原因があり、自分に責任がある。そう決めてかからなければ、自分の運命を切り開くことはできないのですね。


今の私にとっては、すでに知っていることばかりでしたが、本質的に大事なことが書かれていました。
やっぱりそうなんだよなぁ。私はこういう本を読みながら、改めてこれまで培ってきた本質的な考え方の正しさを再認識しています。

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タグ:井内由佳
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:23 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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