2023年04月21日

死を受けとめる練習



これも私が長野県の諏訪地区に移住したことで、諏訪中央病院に縁のある鎌田實(かまた・みのる)さんの本を施設に残そうと思って買った本になります。
週刊ポストに2010年から連載されていた「ジタバタしない」からの抜粋とのことで、2015年に発行された文庫本になります。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

死は謎に満ちている。
 死んでいく人が、その直前に死の世界に入っていく状況を記録したりルポしたりできないからだ。分からないから、なんだか怖いのである。
 死ぬときは、どんな気持ちで、苦しみがあるのかないのか。
 死んだ後はどこへ行くのか、誰も分からない。分からないけれど、必ず人は死ぬ。怖いから死から目をそらしたりしたくなる。
」(p.12)

冒頭で鎌田さんは、「死」についてこう語ります。
私も10歳くらいの子どもの頃、死が怖くて泣きながら眠った夜がありました。夢を見ることなく永遠に眠り続けるようなものなのか。そう考えると、わけもわからず怖かったし、悲しかったのです。

だから同じように、人間が死ぬときも、ほんのわずかでもいいから、体と心と魂を支えてくれる温かな環境があると、死は怖くなくなると思う。
 助産師のようなプロが存在していると、死は怖くなくなる。
」(p.20)

動物は、誰の助けも借りずに子を産みます。しかし人間は、助産師という介助役を当たり前のように受け入れています。それによって母と子を守りやすくなるからです。
そうであるなら、「生」だけでなく「死」においても、同じような役割の人がいればいいのではないか。鎌田さんは、そう考えるようです。

死ぬときは、こんなふうに死にたいと、一回家族と話し合ってみたらどうだろう。話し合うだけでも一歩前進。家族の中で死が身近になり、ウォーミングアップになる。死は必ずやってくるのだから、死から逃げないことが大事。
 自分で死をデザインすればいいのだ。
」(p.21)

死ぬことを考えないようにすれば、その瞬間は死の恐怖を感じずに済むでしょう。しかし、実際に死を目前にした時、その恐怖に押しつぶされかねません。
ですから鎌田さんは、ウォーミングアップが重要だと言います。怖れずに立ち向かうこと。考え、言葉にし、身近な人と語り合うこと。そして、どう死ぬかを自分で決めることです。


旅行は3月11日から2泊3日。松本空港から福岡までは飛行機。原先生の友人に車で迎えに来てもらって由布院に向かう段取りだ。2月に入ると、点滴も酸素ボンベも持っていけるよう、原先生は綿密な計画を立てた。男が言った。
「万が一、旅行中に亡くなることがあったら、病院は非難されるかもしれない。同行する原先生も困るし、院長だって困るはず。それなのにどこからもブレーキがかからない。この病院はすごいなあ。」
 これは諏訪中央病院に脈々と続く文化だ。
 効率や経営よりも大事なものがある。患者さんのために何かしようとしているときに、横槍を入れない文化を僕たちは作ってきた。
」(p.24-25)

鎌田さんが作ってきた諏訪中央病院には、こういう文化があるのだそうです。
残念ながら私は、それほどたくさんの接点がなかったこともあり、諏訪中央病院のこういう文化は感じ取れませんでしたが。ぜひこの文化を、今後も守ってほしいし、それを病院内だけでなく、他の病院や介護施設にも広めていってほしいものです。


いまは延命治療を拒否しても、何かの拍子に、どうしても死にたくないと思うときがあるかもしれない。そのときは、尊厳死カードを破棄し、できるだけ最高の医療を受けたいと書いておけばいいのだ。
 何が正しいかなんて関係ない。自分で自分の命の在り方を決めればいいのだ。
」(p.44)

死について鎌田さんは、自己決定することが何よりも重要であり、過去の自己決定にさえ縛られる必要はないと言われます。
私も同感です。人は自由ですから、いつでも今の自分が決めることが重要だと思います。


「先生、助からない病気だと教えてくれてたら、野良仕事なんかせずに、じいちゃんの布団に一緒に入って昔話をしてあげたのに……。残念だったよ」
 ジーンときた。
 死ぬかもしれないことを隠す必要なんかなかったのだ。
 ばあちゃんを布団に入れてあげたかった。このとき本当の話を伝えることがどんなに大事かを学んだ。
 まだまだがんの告知を行っていなかった時代だ。できるだけ本当のことを伝えようと決めた。
」(p.97)

以前に紹介した鎌田さんの「がんばらない」でも紹介されていたたぬきばあちゃんの逸話です。
私も「神との対話」シリーズを読んで、正直であることが何よりも大切だなぁと感じています。まずは自分に対して正直であること。そして他人に対しても正直であること。嘘をつくのは、何かを隠したいから。隠すことによって、自分が意図する結果を引き寄せたいからです。その結果に執着しているからです。しかし、思い通りの結果になるとは限りません。ウソが意に反して相手を傷つけることもあるのです。


地域で死を支えているから、その死はより自然な形になる。誰も死だからといって、笑ってはいけないなんて思わない。
 おかしければ笑えばいいのだ。笑った後に、大切な人がこの世を去ったことに思いをはせて大泣きする。それでいい。
」(p.102)

これはヤマネのばあのエピソード。心不全で臨終の間際、「カマタ先生にビールをやっておくれ」と言ったのだとか。自分が今にも死にそうな時に、鎌田さんのことを思い出してビールをと言う。え、なんで? それを今、言う? みたいな空気が漂い、みんなが大笑いしたそうです。
以前に紹介した「なんとめでたいご臨終」でも、そんな笑いのある死が描かれていました。かくあらねばという制限が取り払われて自由になった時、死に際しても人は幸せでいられるのかもしれませんね。


20世紀を代表する精神医学者、フロイトは、困難の中で生き抜くためには、二つのことが必要だと言っている。ひとつは、働く場所があること、もうひとつは愛する人がいること。
 今回の東日本大震災では、この両方を失ってしまった人が多い。「がんばれ!」と肩をたたくだけでは、なかなか問題は解決しないのだ。
」(p.116)

愛する者を失った悲しみは、なかなか癒やされるものではないが、職場を失った人には、手を差し伸べることができるはず。」(p.116)

たしかに、そう言えるかもしれませんね。

そうやって呼びかけたら、250人の車椅子の人や末期がんの人、うつ病の人たちが集まってくれた。参加者全員が東北を応援したいのだ。誰かのために、生きたいのだ。
 参加者たちは「今回の旅がいちばん良かった。おれたち、来ただけでこんなに喜んでもらえた。おれたちも役に立つなあ」と口々にうれしそうに話していた。
」(p.119)

何の役にも立たない存在だと思うほど、つらいことはありませんからね。仕事というのは他者貢献でもありますから。


多様な悩みに適応するワンストップ型の電話相談や相談会が大事なんだと思う。
 自殺念慮のある人の悩みは、大概ひとつではなく、複数だという。病気があって、失業し、とても寂しい想いをしている……。
 こんな複雑な問題を抱えている人に、失業手当の受け方を教え、ときには住まいの確保に協力し、精神科の病院を紹介するなどの多様な対応をしなければ、なかなか問題の解決には至らない。
」(p.121-122)

自殺したいと思うほど絶望している人は、複数の課題を乗り越えなければならないと感じると、身動きできなくなってしまうのかもしれませんね。


「患者会にも行ったのですが、明るく楽しくしていればがんが克服できるというムードが嫌でやめました。そんなのキレイごとです。死を受け入れた上で、いまは楽しくという考えでなくてはダメです。死を覚悟したときから、いろんなことが美しく見えるようになりました。平井くんに死ぬ覚悟をしろとお見舞いのときに言ったのは、そういうことなんです」
「死」の哲学のある人は強い。
」(p.141-142)

死を受けとめられるようになると、生きることがとっても楽になる。何が起きてもおもしろく、「ま、いいか」ととらえられるようになるのだ。
 それまでの合理的な選択とは違って、行く手が二股に分かれていたら、むしろ難しい方の道を選んでしまったりするようになるのかもしれない。ちょっと過激でもおもしろい方がいいじゃないか、と。
」(p.142-143)

悪性リンパ腫になった山田さんが、大腸がんの平井さんにお見舞いをした時のエピソードです。60年代安保の世代だそうで、福島の原発事故後、放射能汚染された地域の除染作業を買って出たのだそうです。若者や専門家が活躍できるようにするために、誰でもできるような除染作業は、老い先短い自分たちがやるべきだと思われて。

こういう生き方、私はかっこいいなぁと感じます。それもこれも、死を覚悟し、受け入れているからこそできることですね。


ロバートはどうも認知症のようだ。ロバートを愛するがゆえの優しい嘘が、二重三重にしこまれていることが次第に分かってくる。
 この映画を観ていると、「忘れる」ことは怖くて哀しい。でも忘れたって生きていける。好きとか嫌いとか、うれしいとか悲しいとかは分かるのだ。
 いま日本には認知症の患者が300万人。認知症はこれからますます大きな社会問題になっていくだろう。
 2000年に介護保険ができ、体のサポートはしてくれるようになった。が、病気をしながら長生きしていく心の寂しさを解決してはくれない。
 人間が安心してい生きていくためには、優れたシステムと同時に、人と人の絆が大事だと、この映画は教えてくれる
。」(p.179)

「やさしい嘘と贈り物」という映画を観て、鎌田さんはこう思われたそうです。
私も、これからは認知症が大問題になると考えています。死んだ方がどれほどマシか、と言いたくなる現実があるのです。


死を受け入れる前にしなければいけないことがある。
 年をとることを受容することだ。
 死は必ずやってくる。それは生き物の大原則である。
」(p.180)

死ぬときも、自分流にこだわりたい。自分流の選択をしたいのだ。
 最近では、僕と同じように自分の死に方は自分で選択したいと考えている人が多くなってきた。
 しかし、そのために、ある心配が生まれつつある。
 認知症、である。
」(p.181)

だが、僕は認知症になったらなったでいい、と思っている。そのとき、僕は、限りなく純粋な僕になっていくと考えるようにしている。
 いろんなしがらみの中で生きてきた僕が、認知症になったおかげで、すべてのしがらみから解放される。僕は、僕の中に残ったマダラ状のいいところを上手に働かせながら、僕は僕らしく最後まで生き切ればいいのだ。
 なんとかなると思うようにしている。
 家族や周囲の人には、迷惑をかけるだろう。
 たくさんの失敗もしでかす。それでも、僕はまったく知らない他人の誰かになるわけではない。
 そう思うと、認知症だけを特別に恐れる必要はないのだ。
 何がどんなふうになっても、けっしてジタバタしない。
 ささいなことをおもしろがり、小さなことに感動して生きていこうと思っている。
」(p.186)

認知症になることの問題を見据えながら、鎌田さんは不安や恐れを乗り越えようとされているようです。

私自身、まだ答えはありません。ただ、なるようにしかならないという思いはありません。鎌田さんと違って、認知症になったらジタバタしてしまうかもしれないという可能性を見ています。だって、理性的な判断ができなくなるかもしれないのですから。
けれども、どうにもならないことを心配してもしょうがない、という思いは鎌田さんと同じです。


障害と排泄の問題は大きい。
 僕も全身麻酔で手術した直後、ベッド上で安静を命じられた。体位を変えるのもままならなかった。もちろん寝ていても尿意を催す。若い看護師さんにオチンチンを押さえてもらって尿瓶(しびん)で排泄した。
 恥ずかしかった。しかも、尿意を催しているのに、なかなか出ない。長い間、ずっとその状態だった。
 寝たまま排泄するのは、難しいことだと初めて知った。
」(p.222-223)

私も老人介護の仕事をして、排泄が一番の問題だなぁと感じました。正常な判断ができるのに体が思う通りに動かなくて、排泄介助をしてもらわなければならないというのは、本当につらいことです。
排尿だけならまだマシです。最悪、おむつの中にすればいいのですから。これは私も体験してみました。尿とりパッドが、すぐに吸い取ってくれます。生温かい嫌な感じも、すぐに慣れます。けれども、排便はどうでしょう? これはまだ体験していません。どうしてもできないのです。


貼りだされた記念写真を見て、たくさんの人が写真を買い求めた。その様子に「今日は祭りみたいにうれしいです」と写真屋さんが笑う。
 みな一様に、明るい表情で「復興支援、復興支援」と念仏のように口にして、買い物に向かっていた。旅をしている側もうれしいのである。
「自分たちはいままで、障害があるので、人様に迷惑をかけて申し訳ないと思って旅をしてきた。しかし今回は、来るだけで地元の方に喜んでもらい、感謝してもらいました」と笑顔で話す。だから財布の紐もぐんと緩んだのである。
」(p.239)

2012年の秋、観光客が激減した松島へ、鎌田さんたちは旅行されたそうです。旅行をすることが復興支援になる、という思いで。
おそらく、先(p.119)に引用した部分に書かれていたのと同じ旅行の話だと思います。

私も同じ思いでした。2011年4月、福島へ旅行する予定でしたが、妻も一緒ですから、さすがに危険な目には合わせられないし、復興のじゃまになってもいけないと思い、断腸の思いで中止にしました。その時、来年は絶対に行こうと決めたのです。
そして翌年の4月、妻とその友だちを連れて、キャンセルした会津のペンションへ行きました。閑古鳥が鳴いていました。潰れたホテルもありました。風評被害によるものです。悲しかったです。

正直な果樹園だった。当時は果物は、500ベクレル以下は市場に出してもいい、食べてもいいというのがルールだった。1回検査をした証明書が付いていれば、もう検査をしなくていいのだが、それを敢えて2回目の検査を実施していた。
 その結果、1種類だけ40ベクレルのブドウがあったが、他は全部検出限界以下だった。
 見えない放射能に対して、できるだけ”見える化”するためには、100ベクレル以下ならOKとするのではなく、100ベクレル以下の数値がいくつなのかが分かることが大切なのだ。
 40ベクレルと分かって、それなら食べてもいいと思うのか、それならば食べないと思うのか、どちらの人がいてもいいのだ。
」(p.240-241)

たしかに、何を選ぶかはそれぞれの自由。そういう意味では「見える化」が重要だと私も思います。
しかし、そうであるからこそ、科学的な事実を伝えることが専門家の務めるのであり、やたら不安や恐れを煽るべきではないと思うのです。

基本的には、たとえ1ベクレルであっても体にいいわけはない。特に子どもは注意した方がいいに決まっている。」(p.241)

こういうことを言うから、不安になるんですよ。だったらラドン温泉には入らないんですか? 子どもを入れないんですか? 飛行機には乗せないのですか? レントゲンは受けないのですか? そんなわけないでしょう。
毒物も少量なら毒にならないばかりか、むしろ身体のためになることがあります。だから基準値というのものがあって、それ以上でなければOKになっているんですよ。
それなのに、医師という肩書でこういうことを言う人が後を絶たないから、知識のない人が不安を煽られるのです。もちろん、鎌田さんにその意図がないことは、十分にわかっているつもりですがね。


僕自身が66歳になり、店じまいのための準備をいろいろ始めるようになったこととも関係しているかもしれない。
 店じまいと言えば、現在、わが国には独居老人は約600万人いると言われている。一人で生き、一人で死んでいく。そんなに難儀なことではない。ほんの少し、物事を、やわらかく考えられるようになれば、孤独死なんて怖くないのだ。
 この本が、発想を転換するキッカケになってくれたらうれしい。
」(p.270)

この本を書かれた時の鎌田さんは、今の私より5歳年上ですね。私も私なりに、自分の老後のこと、死のことを考えています。この本も、その考えを深める一助になりました。


スイス・チューリッヒでは、自殺ほう助団体「エグジット」(EXIT=出口という意味)を訪ねた。ここは、終末期の苦痛を持つ人々の自殺をアシストする非営利団体である。医師とのインフォームドコンセントを経たうえで、自らの最期における思いを事前指示書に記した人々が会員となる。会員たちは、耐えがたい苦痛を伴う最期を迎えた場合、あるいは尊厳を失うような事態に陥った時、自らいのちを絶つための手助けをしてほしいという強い意志を持っている。」(p.278−279)

施設内には家族に見守られながら致死薬を自ら飲み、わずか数分で静かに眠るように死線を越えることができる部屋があった。もし最期に強烈な痛みが襲ってきた時、この選択ができることはかなり魅力的だ。」(p.279)

世界には、安楽死を認める国がいくつかありますね。
私は、人には自殺する自由もあると思っています。賛同しない人は多いと思いますけどね。けれども、現に自殺したい多くの人が、毎年のように自殺しているのです。そうであるなら、むしろ自殺を合法化して、本当に自殺したいのか、他に方法がないのか、みんなで話し合い、考え合う機会を作った方が、よほど有益ではないかと思うのです。どうせ自殺されてしまうのであれば。


多くの死を視ることにより死への訓練を重ねたはずのぼくらでさえも、自分の死がどのように訪れるかは皆目わからない。そしてどう対処したらいいのかもわからない。ぼくはオロオロし「死にたくない」と絶叫しながら死んでいくかもしれない。あるいはスイスに移住して、エグジットのお世話になるかもしれない。鎌田さんは死に際に「Thank You, Good Bye」という一言を予定しているらしいが、そううまくいくはずはない。
 じつは練習などしなくても人間は確実に死んでいく。だが、死を受けとめようという意欲があるかないかで、死へのプロセスは格段に違ってくる。いままで、できるだけ遠ざけていた死が、かかわりたくなかった死が、確実に自分の前に現れる。死線を越えねばならない日が訪れる。しかもそれは苦の中にある、ということをこの書は認識させてくれる。
」(p.283-284)

鎌田さんと仲のいい神宮寺住職の高橋卓志(たかはし・たくし)さんの解説から引用しました。
死を見ないようにするのではなく、しっかりと見つめることが重要だと、私も思います。


死は、必ずやってきます。ですから、そのことを考えておいた方が良いと思います。なぜなら、死を考えることで、よく生きることができるからです。
私は、妻への最後の言葉は「ありがとう」にしたいと考えています。だから日々、死を考えます。それは私の死かもしれないし、妻の死かもしれません。いつが最後になるかわからないから、いつでも最後は「ありがとう」で締めくくろう。そう思って、そうしてきました。
なので、本書に書かれていることは、いちいち腑に落ちます。改めて、これからも死を見つめて生きようと思いました。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 06:34 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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