Facebookで著者の本田晃一(ほんだ・こういち)さんが新刊が出ると言われていて、タイトルを見てピンときたので予約して買った本になります。
本田さんのことをどこで知ったか忘れましたが、2015年に読んだ「ゆほびかGOLD Vol.26」に、心屋仁之助さんとの対談で登場されてますね。そのころすでに存じ上げていたかどうか定かではありません。
おそらく、ご著書を読ませていただくのは初めてのように思います。竹田和平さんのお弟子さんという位置づけで、Facebookでお名前を聞くようになったのではないかと思います。
この本を読んで、本田さんの交友関係が、私が気に入っている方々なので驚きました。竹田和平さんだけでなく、心屋仁之助さん、神田昌典さん、武田双雲さん、ひすいこたろうさん、犬飼ターボさん、高橋歩さんなど。同じようなエネルギーを感じているのかもしれませんね。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「ゲームをはじめると、主人公は武器も防具も何もない、レベル1状態。
だけど「何も持っていない」と絶望するだろうか?
いや、買ったばかりのゲームを手にしたとき、ものすごくワクワクするはずだ。
これからどんな冒険がはじまるのだろう?
何を手に入れていくのだろう?
どんな経験ができるのだろう?」(p.4-5)
人生はゲームだと私も言っていますが、本田さんもまさにそういうことを言われています。
ゲームと言っても、それはドラクエやFF(ファイナルファンタジー)のようなRPG(ロールプレイングゲーム)ですね。私もよく遊びました。クリスマスくらいに買って、年末年始休暇中に不眠不休でやったこともありました。
ゲームは、ワクワクするんです。そう、経験に期待しているのです。レベル1だからと自己卑下することもないし、不安にもなりません。それと同じように人生を生きたらいいのだと思います。
「でも、人が行動するきっかけって、意外とこんなものだったりする。人真似だったり、しょぼい下心だったり、単なる偶然だったり。
大事なのは、その行動が何につながるか、なんだよね。
とにかくそれ以来、僕は「鳥肌が立ったらGO!」と思うことにしたんだ。」(p.23)
自分に自信が持てなかった本田さんは、自分以上にイケてないと思っていた先輩が変わったオーストラリア旅行を実行することにしたそうです。しかも、自転車でオーストラリア一周という無謀な旅です。
できるかできないかではなく、やりたいかやりたくないか。人に誇れるものを持つために、それをやりたいと思った。だからやることに決めたのです。
「すべては一歩から。
村から一歩出るだけで、世界は変わる。
村から一歩も出ずに、その村で過ごしていれば、安心で安全なのかもしれない。今のままで困っていないかもしれないけど、ゲームとして考えたら退屈じゃない?
浅くても小さくてもいいから、今の環境とは違う世界に飛び出してみよう。違う世界はいつだって刺激的で印象深い。」(p.24)
私は小さなバンジーを飛び続けることを言っていますが、不安に飛び込む勇気が大切なのだと思います。
実際、RPGをやっていて、冒険に出ない勇者はいません。面白くないから。だったらそれを、自分の人生でやってみればいいのです。
私は2年前、今の老人介護の仕事に飛び込みました。村から出たのです。しかし、そこでの仕事も時とともに慣れてきました。すると、また別の世界を覗いてみたくなりました。だから、そろそろ飛び出そうと思っているのです。
「人が自分を認めてくれている、というのがとてもうれしかった。「You are crazy!」と感嘆されるたびに、ちょっとずつ自分を好きになれるような気がした。
今思えば、自分で自分を認められない(だから当然、好きになんてなれない)のを、他人に認めてもらうことで自尊心を補おうとしていたんだと思う。」(p.45)
私もそうでしたから、この気持ちがよくわかります。
「イライラしながらエンジンオイルを継ぎ足すこともしばしばあって。するとグレースが「コウイチ、スマイル!」といって、カメラを僕に向けて写真を撮った。
僕はちょっとカチンときてしまって、「この状況、大変なのわかるよね?」と語気を強めて詰め寄ると、彼女は、「この写真、あとで見たら笑い話になるわよ!」と屈託のない笑顔で答えたんだ。
続けてグレースはいった。
「私たちはこの地球に楽しむためにやってきたのよ!」」(p.54-55)
オーストラリア一周旅行の後半は、自転車を諦めて中古の車を買って移動したそうです。その時に同乗させた女性とのエピソード。彼女は天使ですね。
「愛情表現は、必ずしも相手が望む形にはならない。
親の不器用な振る舞いを、ちゃんと「愛情だな」と翻訳できると人生が変わる。
両親と過ごした記憶を掘り返して、「あれ、もしかして愛情表現だったのかな?」と考えてみよう。」(p.73)
私も親とは何度もぶつかった経験がありますが、今は完全に和解しています。私が期待した愛情表現ではなかったけれども、親は親として愛情を注いでくれたのです。
「いいなと思ったアドバイスはマッハで実行する。そしてすぐに報告とお礼をすると、相手はさらにいいアドバイスをしてくれる。いいメンターからいい教えを乞うには、これに尽きると思う。」(p.86)
「役に立つ情報をどんどんシェアする人のところには、もっともっと貴重な情報が集まってくる。役に立つ情報を発信している人には、たくさんの人が注目してくれる。その中には、いつか自分を高いところに引き上げてくれる「雲の上の人」もいるだろう。
どんどんシェアすることが、運をよくするための方法だったんだ。」(p.88)
オーストラリアを旅行中は、多くの人々から貴重な情報をシェアしてもらったと本田さんは言います。その体験から、情報をシェアすること、シェアしてもらった情報を役立ててお礼をすることなど、生き方の極意を学ばれたそうです。
「「与えないと運がよくならないのか。じゃあ」って、ちょっと無理してでも人に与えようとする。
これはやめたほうがいい。大変だし、何より思った見返りがなかったときに不満になっちゃうから。」(p.92)
見返りを求めてのシェアは、けっきょく取り引きになってしまうのです。
「「幸せってなんだろうな」と考えたときに思い浮かんだのは、旅人時代に僕を快く迎え入れて、ごちそうしてくれたり泊めてくれたりしたオーストラリアの家族だった。どの家も、本当に夫婦仲がよくて、子どもも幸せそうだった。
意外と、奥さんを大切にするって、大事なことなのかも。僕はそう思った。」(p.100)
本田さんは、お父様がされていたゴルフ会員権販売の会社を手伝ったことで、たくさんの社長さんと出会ったそうですが、お金をたくさん稼いでいる人が必ずしも幸せそうではなかったと言います。それよりも、夫婦仲が良い人の方が幸せそうだったと。
「僕たちは成長することによって、居場所ができると思ったり、認められると思っている。
だから、果てしなく成長を目指し、ときには自分を大きく見せてしまうこともある。
そう、このころの僕は、ついつい自分を大きく見せては疲れていた。」(p.128)
「人は成長してもしなくても、愛されるんだ。そして、愛されていることを実感しながら成長するのと、愛されたいと思って成長するのは全然違うんだ。」(p.128)
不安が動機で成長しようとしても、それは疲れるばかりで幸せではありません。最初に幸せであれば、つまり愛されていると実感していれば、自ずと成長するし、成長るすることに執着しないのです。
「今の高さを失うのはこわい、と思ってしまうんだよね。でも、「また登らなきゃいけない」と思っている時点で、本当は「次の山に登りたい」と望んでいる自分もいるんだよ。
それを、見ないようにする。次だ! という自分の衝動を無視する。
だから、魂が腐っていくのさ。」(p.134)
次のステージへ進もうとする内なる声は、まさに魂の声でしょう。それを無視したり、押さえつけたりすれば、魂にとっては「なんだかなぁ」とやりきれない思いなのかもしれません。
この「魂が腐る」という感覚は、私にもわかります。だから今、私は次のステージへ進もうと考えているのです。今の職場、生活環境を変えることで。
「まずは、今いる場所から一歩冒険に出てみよう。
冒険といっても、今使っている通勤路を変えてみるとか、新しいサークルや勉強会、セミナーなど、今いる場所と違う場所に出てみるようなレベルからでもいい。」(p.136)
これまでと違う何かをやってみる。思い切って、恐れを振り切って、小さなバンジーを飛ぶ。私もそうしてきたし、これからもそうしていこうと思っています。
「すごい人と出会っても、心酔してしまうのではなくて、その人の不完全さを許しながら、学ぶべきことは学んでいく。
これって、実は親との関係にも応用できることなんじゃないか、と僕は気づいた。」(p.154)
すごい人だと思うと、その人に完ぺきを求める気持ちになりがちです。しかし、どんな人にも短所はあるし、価値観の違いがあります。
だから、他人に完璧(=自分の理想)を求めないことが大切ですね。
「たくさんの人の相談を受けていると気づくことだけれど、自分を受け入れられない人というのは、こういうまじめな優等生タイプが多い。
完璧でなければ親に受け入れられない、と思ってがんばってきた。
今の自分は完璧じゃない。
だから、そういう自分を受け入れられない。
もちろん、親の不完全さも受け入れられない。不完全な親を許せない。ついでに、メンターにも完璧を求めてしまう。これがセットになっている人が、とても多い。
裏を返せば、人の不完全さを許すことは、親との和解にもつながっているということでもある。
そしてそれは、不完全な自分を許して受け入れることでもあるんだよね。」(p.156-157)
私もこういうまじめな優等生タイプだったと思います。ダメな自分が受け入れられなかった。だから、他人から受け入れてもらうことで、自分の価値を確立させたかったのです。
「だから、親を許す前にまず、
「親を許せない自分」を許す。
これをやって欲しいんだよね。
やり方は簡単。
親にこんなことをされた、あんなことがあった、許せない!と思うたびに、そんな自分によりそってあげる。
「そうだよね。許せないよね」
「そんなこといわれたら許せないのが当たり前だよ」
「もっとこうして欲しかったよね」
「ゆるせなくて当然だよ」……
こんなふうに、相づちを打ちながら、自分に寄り添ってあげる。
これが、自分を許してあげるということ。」(p.158-159)
これってまさに私が提唱している「鏡のワーク」だなぁって思いました。
「何度もいうように、僕は基本、無料で情報をバラまいている。
そうすると、その情報が人の役に立つ。
そういう人の中には、ありがたいことに、「晃一さんに恩返ししたい」と考えてくれる人もいる。
その気持ちに応えるための受け皿が、有料のセミナーなんだ。」(p.164)
これは共感します。私も、基本的に無料ですべての情報を公開していますから。それでも時々、お金をくれる人がいる。ありがたいことです。
「するとイワノくん、「本田さん、それは簡単ですよ」という。
「街で声をかけた女の子に、「やらせてください!」って土下座するんです」
「え、マジで? ……お前、よくそんなことできるな」」(p.184)
「でも、イワノくんからは間違いなく学ぶべきところがある。
それは、自分の下心を否定していないところだ。
結局みんなそれが目的なのに、普通は下心を隠す。」(p.184)
これは納得。(笑)下心を隠して何度もデートを重ねて、たくさんご馳走したりプレゼントしたりして、セックスという目的を達成しようとする。まさに、私がやっていたことですね。
これだけのことをしたんだから、少しは見返りを求めてもいいだろう。愛の取引きだし、自分を許していないから、自分を認めていないから、先に何かを提供しなければと思ってしまうのです。
「「じゃあ、その赤ちゃんがそのままハタチになったら?」
「俺はツイてるなあ、って思う大人になるんじゃないですか」
「そう。これほど面白い投資は他にあるがね?」
そういって、和平さんは愉快そうに笑っている。
僕は驚いた。投資って、自分の利益のためにやるものだと思っていたから。他人の幸せな人生に役立つようにお金を出す。それが最高に面白い投資だという考え方にびっくりしたんだ。」(p.189)
竹田和平さんは、自分と同じ誕生日の赤ちゃんに金のメダルを贈ることをされていたそうです。他人の幸せな顔を見たいから、というだけで。
他にも和平さんは、伝統工芸を守るために高額な商品を買うこともされていたとか。自分が贅沢をしたいからではなく、喜ばせたいからです。
そういえば小林正観さんも、流行ってなさそうなお店で食事をするということを言われていましたね。よりありがたがられることをする。おそらく自分に不足するものがないと思っているから、他人に与えたいと思われるのでしょう。
「自分のことはよくわからない。他人のほうがよく見える。
それなら他人の目で自分を見てみよう。
目の前に椅子を置いて、そこに座っている自分をイメージしよう。
その向かいに座っているあなたは、いつも自分を励ましてくれる友達や家族、上司や先輩……などなどになりきってみよう。
そして、その人だったら、目の前の「自分」にどんな声をかけるかを考えてみよう。
実際に言葉を口に出してみよう。」(p.200-201)
自信を受け入れるための1つの方法だそうです。まさに、私が提唱している「鏡のワーク」と同じですね。
「本当に、思いついた瞬間にそのへんの紙に書くだけ、なんだよね。
「それで意味あるの?」と思われるかもしれない。でも、これが大事なんだ。
何かをやりたいと思ったり、何かを欲しいと思ったりする。つまり、自分の心が動く。それをすぐに書きとめる。
これって、「やりたい!」という心の声に「なになに? やりたいの?」ってちゃんとリアクションしてあげる、ってことなのさ。」(p.206-207)
やりたいことや欲しいものが心に浮かんだら、すぐに紙に書くこと。それをすぐに捨ててしまってもかまわないそうです。気に留める、意識することが大事なのですね。
「「積み上げた自信は崩れる。
積み上げていない自信は崩れない。
自分の中の底辺だという部分を素晴らしいということにする。
すると、底辺の部分が自信になる。その自信は崩れない」
これが、心屋さんにとっての自信なんだ。」(p.209-210)
心屋仁之助さんの武道館ライブに私も行きましたが、ミュージシャンでもない、数年前までは佐川急便の運転手だった人が、堂々と歌う姿には感銘を受けました。
私も、「根拠のない自信」というものを提唱しています。根拠があれば、必ず崩れるのです。
「でも、次に講演会で「遠くから深夜バスで来ました」という人に会ったとき、「テンションマックスだったでしょ?」と聞いてみると、やっぱりうれしそうに「うん、テンションマックス!」って答えてくれたんだよね。
心の中では「えっと……僕は嵐じゃないです。ただのおじさんです。ホントすみません」って冷や汗たらたらだったんだけどね。
でも、そんな経験の積み重ねが大切だな、と思う。
最初からできてなくてもいいんだ。」(p.215)
「最低な自分は、やっぱり素敵だとは思えないし、自分は嵐と同じくらい愛されているなんて思えない。それが普通だってことは、心屋さんもわかっている(はず)。
だけど、その上で、
「最低の自分が素晴らしい……ってことにする」
「自分は嵐と同じくらい愛されていい……ってことにする」
そう思えるかどうかは関係ない。そういうことにする、これが大事。」(p.218)
自分が自分を受け入れてないと、他人からの愛を受け止められないんです。だから、まずは自分が受け入れているという前提を作るんですね。
それは前提ですから、実際は違っていてもいいし、根拠も要りません。ただそう決めるだけ。そして、内心は本当は受け入れていないことがわかっていても、受け入れているフリをする。その行為によって、少しずつ変わっていくのです。
「じゃあ、なんでヒーローになりたかったのか? というと、
「すごい存在にならないと愛されない」
「特別なことをしないと愛されない」
と思いこんでしまっていたから、なんだよね。そして自分のことが好きではなかったので、すごいことをした自分なら好きになれると思っていたんだ。
赤ちゃんは何もできないけど愛されるし、犬や猫だって、芸ができなくても愛される。
当たり前のことなのに、いつのまにか忘れてしまうんだ。
「自分は愛されて当たり前だ」ということを。」(p.226)
私もそうでした。今の自分のままでは愛されないと感じていて、それで一生懸命に努力したのです。
「一緒にご飯を食べたり、彼の教室に通って書道を教えてもらったりするようになって、すぐに気がついたのは、双雲くんがやたらと「感謝、感謝」ということ。」(p.242)
武田双雲さんの「丁寧道」を読みましたが、その本で双雲さんも何にでも感謝すると言われてますね。
「魔法のランプを擦ったとしたら、
何をかなえたい? 何をしたい?
思い切っていってみよう。
それが意図するということなんだ。
そして、「意図したことがかなうコツ」というのがあって。
もうそこにいきたくてウズウズするくらい、ありありとイメージすることなんだ。」(p.267)
願いを叶える方法は気にしなくていいのです。ただターゲットに意識を向けてワクワクする。動き出す。それが大事ですね。
「人間は、暇に耐えられない。
だから「問題」という名前のゲームをプレイしているんじゃないだろうか。
ゲームは、だんだんと難易度が上がっていく。はじめたばかりのところで、最終ボスレベルの敵が出てきたら、強すぎて面白くなくて、ゲームをやめてしまう。かといって、終盤になっても、雑魚キャラしか出てこなかったら、退屈でやめてしまう。
段階的にだんだんと強敵が現れるのが、最高の退屈しのぎになる。
「もしかしたら、人生も同じで、だんだんと難易度が上がっていくように、問題を自ら課しているんじゃないだろうか?」と、ふと思うようになった。」(p.279)
本来なら全知全能でボーリングをやったら常にパーフェクトの神が、退屈しのぎに不自由で能力のない人間という存在になって、この人生というゲームを楽しんでいる。私は、お勧めしている「神との対話」から、そのように考えています。
「そのあたりを歩いていても、「このタンポポ、きれい!」と感動するし、暇さえあれば……というか暇を感じないくらい感謝と感動しているんだ。
その彼の姿を見ていて、雷に打たれたように答えを発見したんだよね。
そっか! 人類は退屈しのぎに「問題」というゲームをするんじゃなくて、「感謝」というゲームをすればいいんだ! これ、もしかしたら戦争がなくなるレベルかも! って。」(p.280-281)
「人間って意外と、今に意識がなくて、未来か過去にいってしまう。未来に意識がいくと不安になったり、過去に意識がいくと不満になったり。
だからまずは、今に意識を注いで、今ある物に気づいていくんだ。すると、あの海ってあんなにキレイなんだ、あの看板を作った人は優しいなって、だんだんと感謝レベルまで感じられるようになる。」(p.281)
お勧めしている「神との対話」でも、願いを叶えたいなら感謝することだと言っています。ここでは武田双雲さんの感謝する方法について、前後際断して今を見ることが書かれていますが、「丁寧道」に詳しく書かれていました。
そして、いきなり感謝することは難しいとしても、まずは気づくことが大事だと本田さんは言います。気づくようになれば、だんだんと感謝できるようになっていくから。
「人は、不安と感謝を同時に感じることはできない。
不安でビビって先に進めなくなるのは、いつだって感謝を忘れたときだ。」(p.290)
人の脳は2つのことを同時に考えられません。だから感謝していれば、不満も不安も感じないのです。
「新しいことにチャレンジしている人たちは、僕らが思うよりもずっと長生きしているのかもしれない。
実際に若々しい人を思い浮かべると、間違いなく新しいことにチャレンジをしている人だ。
寿命が長くなるなんて、それは神様からのボーナスポイントと呼べるような気がしない?
だからこれからも、僕はどんどん新しいゲームをやるだろう。」(p.302)
今までやってきたことに満足して、新しい挑戦をしないことはもったいないことです。たいていは、それまで築いてきたことが崩れるのではないかという不安から、新たな挑戦をやめてしまいます。元凶は心の不安にあるのです。
だから、何があろうと大丈夫だという安心のもと、挑戦することを楽しむことが大事なのだと思います。
だから、人生はゲームなのだと思います。ゲームをやるかのように生きる。それって、楽しいことだと思いませんか?
かつては不安の塊のようだった私も、今はこう思えるようになりました。ゲームのように人生を楽しんで生きよう。常に新しいことに挑戦しよう。
この本を読んで、改めてその意を強くしました。たとえすごいことができなくても、今あるがままですごい。そういう前提で、生きていこうと思っています。
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