これも本の要約をしているYoutube動画を観て、興味を持って買った本だと思います。
著者はゲイリー・ジョン・ビショップ氏。コーチングをされている方のようです。
言霊と言われるように、普段どういう言葉を使っているかで、その人が創られる。そういうことはあると思います。
本書もそういう言葉の使い方に関する内容かと思ったのですが、意外にもそうではありませんでした。ただ、やはり状況を悲観的に捉えるのではなく、ポジティブな考え方によって人生を切り開くことを推奨しています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「この本は
あなたを励ますために書いたものだ。
あなたが内に秘めた
本当の能力に目覚め、
自分を責めるのをやめて、
輝かしい人生に歩みだすのを
手伝うために、私はこの本を書いた。」(p.11)
冒頭にこのように大書されていました。
「そんなふうに、心の中の自滅的な声が止まらない人のためにこの本はある。寄せては返す不安の波は、日々の生活をむしばんでいく。この本はあなたを励ますために書いたものだ。」(p.12)
「自分はなんてダメなんだ」「大変なことだ。どうなってしまうんだろう」というようなネガティブな声が心の中で繰り返される。そんな経験が多くの人にあるかと思います。私もそうでした。
ビショップ氏は、そういう人たちを励まし、本当は大丈夫なんだよということを示したくて、本書を書かれたと言います。
「この本は正しい言葉を使って人生を上向かせる方法を解説したものだが、私は今すぐポジティブな思考を持てとか、自分を愛そうとか言うつもりはない。」(p.16)
ただ単にポジティブ・シンキングを勧めるものではない、ということですね。
「人間の感情の大部分が思考から生み出されているのなら、感情をコントロールするには思考をコントロールすればいい。もっと言うなら、心の中で思い描く文章、つまり自分との会話に使う言葉を変えればいい。そもそも感情はそこから生まれているのだから。
−−アルバート・エリス(アメリカの心理学者)」(p.17)
「エリスは、体験の印象はとらえ方や話し方によって変わるということを発見した。つまり思考と感情は切っても切れない間柄にあるということだ。」(p.17)
思考によって、ある状況をどう捉えるかが決まり、それによって感情が湧いてくる。同じ状況でも「大変なことだ、どうしよう」と思えば不安感に襲われて萎縮し、ネガティブになるでしょう。でも「よし、私の出番だ」と思えばやる気が出てポジティブになる。
つまり、感情を決めているのは状況ではなく、思考だということです。
そして、その思考を変えるには、その思考に基づいて表現される言葉を先に変えてしまうのが容易だということですね。
これは、お勧めしている「神との対話」でも言われていることです。人は「思考」「言葉」「行為」の3段階で創造をしますが、元になる「思考」を変えるには、その順番を逆転させて、こう考えたいと思う「思考」に続く「言葉」や「行為」を、「思考」が変わる前に表現するようにすることなのです。
「「人生は不公平だ」と不平を言いながら生きている人は、その見方に沿った行動を取るようになり、やがては被害妄想を抱く。ある研究によれば、そんな不平をよく言う人は仕事がおざなりになるという。「がんばったって意味がない」と最初から決めつけているからだ。」(p.20)
私たちは、こうやって自分が発する「言葉」によって、思い通りの現実を創造しているのです。
「一番簡単なのは、意識的ではっきりとしたセルフトークを行うこと。自分との力強い会話は、道を切り開き、人生をコントロールする力をもたらす。」(p.24-25)
「最初の一歩は、自分のためにならないしゃべり方はやめて、ためになるしゃべり方を意識することだ。正しい言葉を使い、問題を別の角度からとらえ直すことで、ものの見方、世界との関わり方は劇的に変わる。」(p.25)
無意識にネガティブな言葉を使っていることに気づいて、それを意識的にやめて、ポジティブな言葉を使うよう心がけることが重要ですね。
これは斎藤一人さんが言うところの「地獄言葉」をやめて「天国言葉」を使うことや、小林正観さんが言うところの「五戒」をやめて「祝福神」を使うことと同じだと思います。
第2章は「私には意志がある」ということで、自分に意志があることを再認識し、それを意識することの重要性が語られています。
「愛する人の死や失業といった一見どうしようもない出来事に出くわしたとしても、そのあとどんな人生を送るかは自分でいくらでも決められる。
状況を変えるために行動する気がないなら、別の言い方をすれば、状況を変える意志がないのなら、どんなにイヤでもそれはあなたが選んだ人生だ。」(p.34)
状況や運、他人など外的要因によって人生が翻弄されると考えたいなら、それは自分ではどうにもならない人生を自分で選んだことになるのです。
「「やる意志はあるけど、でも……」と言いたくなる気持ちはわかる。しかし最後に「でも」をつけるたび、自分は被害者という意識が強まっていく。」(p.37)
今、使っている「でも……」という言葉は、「私は被害者だ」という言外の言葉であり、その言葉を使い続ける限り、被害者だという現実を創造し続けることになるのです。
第3章は「私は勝つに決まっている」ということで、自分が決めた(選んだ)ように人生は変わっていくことが語られています。
「ありもしない問題に敏感になったのはあなただ。ほんの小さな問題を取り上げてイライラしたり、感情を爆発させたりしたのはあなただ。そうやってあなたは、恋は悲しい終わりを迎えるのが道理なんだという自分の考えを証明した。「勝ちっぱなし」と言ったのはこういう戦いを指している。」(p.60)
いつも恋が短い期間で終わってしまうのは、自分が恋とはそういうものだと信じているからであり、その思い通りの現実を創っているだけなのですね。
「そんなわけで、この章のアサーティブな言葉はこうだ。「私は勝つに決まっている」
あなたは常に勝っている。頭がそうさせている。問題は、無意識的な本当の望みと表向きの望みとのあいだにずれがある点、ときにはまったく異なっている点にある。」(p.61)
本当は永遠の恋を願っているにも関わらず、信念はその反対だということです。そして現実は、表向きの望みではなく、信じていることによって創られる。そういう意味で、すべては私たちの望みどおりになっているのです。
「愛される価値がない。怠け者だ。いつも太っている。いつも貧乏だ。そうしたことを証明しようとしている自分の心を征服することはできない。
しかし少し見方を変えれば、そうした難攻不落ぶりを活用し、ポジティブな目標や夢に向かって行動できる。
人にはみな勝ち癖が備わっている。必要なのは、それを正しい対象へ向けることだけだ。そうすれば、意識的に選んだなわばりで、あなたは勝利を収められる。」(p.70)
まずは、現実は常に私たちの信じたとおりになっていることを認めることですね。そして次に、自分が信じていることを、意識的に変えていくことです。
第4章の「私にはできる」は飛ばして、第5章の「先がわからないからおもしろい」から引用します。
「本当に大きなことを成し遂げないなら、頭がおかしいとか、バカとか、わがままといった評判を、ある程度は覚悟しないといけない。」(p.109)
他人の評判を気にし、常識に縛られていたら、自分らしく生きることはできません。基準を他人軸から自分軸へと移す勇気が必要です。
もしそうすれば、他人からは批判されるでしょう。バカにされるでしょう。それでもいいと決めることが重要なのです。
「確実なものを求め、すべてをはっきりさせようとするのをやめれば、ストレスの大半は消えて失くなる。わかることなんて一つもない。少し考えれば、自分の一番の不安の種が、思いどおりにならないことを拒否し未来を予測したいという願望だと気づくはずだ。
人生は冒険だ。そこには無数のチャンスが転がっている。その壮大で、恐ろしくて、同時にわくわくするような不確実さをフルに、100パーセント楽しめるかどうかはあなた次第だ。」(p.112)
お勧めしている「神との対話」でも、人生に確実で安心を求めるなら、それは台本通りのリハーサルであって、人生を望んでいないことになるとありました。人生は不確実なものであり、何が起こるかわからないからこそ面白いのです。
「「先がわからないからおもしろい」。このシンプルな言葉を口にすることで、あなたの生き方は一変する。人生は一瞬ごとに変わっていく。唯一確実なのは、この先どうなるかなんてわからないということだけ。わかるのは、わからないということだけだ。」(p.113)
だから、ケ・セラ・セラなのです。「神との対話」でも、変化するということだけが変化しない(確実だ)とあります。そうであるなら、もう確実を求めて石橋を叩くのはやめましょう。
第6章は「自分は思考ではなくて行動だ」とあって、思考よりも行動を重視すべきだと語っています。
ここで、「言葉」よりも「行動」ということを言っていて、タイトルの範囲を超えているかなと思いました。
ただ、前にも書いたように、「神との対話」では思考を変えるために、言葉や行動を変えることが提唱されています。言葉も行動も、思考から切り離して変えられるのです。
「心がやる気になるのを待っていてはいけない。自分を駆り立てる魔法のような感覚をいつまでも探していてはいけない。
ただ動こう。思考は脇に置いて進もう。
心の準備ができていないときもあるだろう。常に正しい行動を取れるわけでもないだろう。それでも動こう。やろう。」(p.129)
不安(恐れ)に支配された心は、どうしてもブレーキを踏みがちです。ですから、思考が判断するのを待っていてはいけないのです。直観にしたがって、自分がやるべきと感じたことをさっさとやる。やってから考えればいいのです。
第7章は「私はがむしゃらになる」です。第6章では思いついたらすぐ行動を勧めていましたが、それを持続的に行うことが語られています。
「望みをかなえたいなら、とにかく粘り強く前へ進み、自分の権利を主張し、必死でがんばることだ。人生には、無理やりにでもやらなくちゃならないときがある。」(p.143)
すぐに達成できないこともあるでしょう。その目標が大きければ大きいほど、ハードルが高ければ高いほど、挫折することも多々あります。
それでもがむしゃらにやるかどうか。そこは意志の問題になります。
「結局は、できないという見方を認めるか、認めないかだ。意見はあなたがそれを受け入れ、自分の可能性を追求するのをやめて、はじめて真実になる。」(p.145)
たしかに、非常に困難なことはあるでしょう。けれども、諦めない限りは可能性がゼロにはならないのです。
「がむしゃらになるコツは、目の前の問題に集中すること。全神経を注ぐことだ。」(p.148)
登山と同じですね。常に山頂を見て歩いていると気が遠くなり、諦めてしまいがちです。コツは、足元を見て歩き続けること。目標は、時々眺めれば良いのです。
第8章は「私は何も期待せず、すべてを受け入れる」というものです。期待を手放すことの重要性が語られています。
「問題が人生をおかしくするのではない。隠れた期待がおかしくするのだ!
「期待」は百害あって一利なしだ。あなたを苦しめているのは、実は状況そのものではなく、期待のほうだ。何がいけないって、期待が問題を実際よりも大きく見せ、問題に対して効果的に、力強く取り組むパワーを奪い取ることだ。」(p.163-164)
「そこで提案だ。期待を切り捨てよう! 期待を手放すのだ! 今すぐに!
不必要で非生産的な期待にしがみついて泥沼にはまるより、人生は予測がつかないという事実を受け入れ、実際の状況と向き合うほうがずっとパワフルだ。」(p.164)
「神との対話」でも、期待を捨てることが語られています。結果がどうなるかはどうでもいい。すべての結果を受け入れることです。
情熱は、その行為そのものに対して燃やすこと。結果はあとから勝手についてくる。そう思って、目の前のことに取り組むことが重要なのです。
「何も期待しないとき、あなたは今という瞬間を生きられる。未来への不安も、過去の拒絶もなく、シンプルに訪れた状況を歓迎できる。
そしてすべてを受け入れるとは、仕方なく妥協するという意味じゃない。引き受けて責任を取るという意味だ。覚えておいてほしい。自分が権利と責任を持っているものは、いつでも変えられる。問題を解決する唯一最大の効果的な方法になることもある。だから引き受けよう。」(p.168)
責任を引き受けなければ変えられない。これも「神との対話」で言われています。だから他者のせいにしている限り、変えられないのです。
第9章は「次はどこへ?」ということで、まとめ的な章になっています。
「今とは違う人生を送りたいなら、変化を起こさなくちゃならない。そして、どれだけ思索にふけり、瞑想し、計画を立て、抗不安薬を飲んだところで、外へ出て行動を始め、変化を起こす意志がなければ何も始まらない。」(p.178-179)
「はっきり言おう。死の床のあなたが後悔しているのは、何も成し遂げられなかったとか、目的のものが手に入らなかったとかいったことじゃない。挑戦しなかったことだ。がんばらなかったことだ。つらくなったときにあきらめてしまったことだ。」(p.182-183)
失敗したことの後悔よりも、失敗を恐れて挑戦しなかったことの後悔の方が大きいのです。やってみてダメだったら、諦めもつくというものですね。
「必要なのは今すぐ選ぶことだ。今やっていることをやめない限り、人生は変えられない。」(p.189)
まずは、不要なことをやめることです。何かが入る余地を作ることです。そして、やめた時間やそこに注いでいたエネルギーを、他のやるべきことに使うことですね。
物で言うなら、まずは捨てることです。あっても困らないけど、使っていないなら不要なもの。お片付けの極意ですね。そうやって片付ければ、空いた空間を埋める何かが手に入ります。
内容としては、すでによく知っていることです。しかし、非常にシンプルに、かつわかりやすく、書かれていると感じました。
うじうじグズグズして動き出せないでいるなら、この本を読んで、その通りにやってみるのも良いかと思います。また、読むだけでも一歩を踏み出そうとする勇気が湧いてくると思います。
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