白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの動画を観ていたら、白駒さんが一番お勧めしたい本ということで本書が取り上げられていました。それで興味を覚えて買ってみました。
著者は境野勝悟(さかいの・かつのり)さんです。境野さんの本は、かつて雑誌「致知」を購読していたころ、何冊か読んだように記憶しています。ここ10年以上はまったく読んでいませんでした。
本書はその致知出版社から刊行されたものですが、花巻東高校で全校生徒700人に対して行った講演の講演録となっています。また、その生徒たちから寄せられた感想文の抜萃も、終わりに付けられています。
講演録ですから読みやすく、2時間もあれば読めてしまいます。しかしその内容は深く、多くの生徒たちが感動したように、私も感動しながら本書を読みました。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「「日本」という字を見ればわかります。わたくしたちの命の元が太陽だと知って、太陽さんのめぐみに感謝をして、太陽さんのように丸く、明るく、元気に、豊かに生きる。これが日本人だったのです。」(p.34)
日本人とは何か? そう問われた時に答えに窮してしまう。ほとんどの人はそうでしょう。それに対して境野さんは、太陽のように生きるのが日本人だと明快に答えられます。
「主義が違っていてもいい。思想が違ってもいい。それぞれが持っている才能が違ってもいい。記憶力の優れている人、創造力の豊かな人、ものごとに積極性のある人、社会性のある人。一人でコツコツやるのが得意な人。運動能力のある人。手作業のうまい人。話し方のうまい人。料理が達者な人……。それぞれの個人の才能を尊びあって生きる。ピンセットでつまんで、この才能だけがいいとか、この個性だけがいいとかというようなことはしなかった。みんなが、それぞれの特質や個性を活かして生きる。みんなで、明るく、楽しく、おたがいの才能を認めあって、おたがいの主義や主張をよく理解しあって、この共通の太陽の生命を喜びあって仲よく生きていこう……これが、わたくしたち日本人の生き方の原型だったのですね。」(p.35-36)
競争で優劣を定め、劣った人を排除するような社会は、本来の日本人の生き方ではないのだと境野さんは言います。
「いくら太陽があっても、日本の大地・自然というものがないと、わたくしたちは生きてはいけないんです。空気も、山も水も田んぼも含め、日本の大自然がないと、いくら太陽があってもわたくしたちは生きていけない。それで、命の原因の二番目にわたくしたちの先祖は日本の自然を大事にしたんです。日本の大地・自然というものがあるから、わたくしたちは日本人としてここに生きていられるんですね。」(p.46)
日本人として生きることができる原因として、1番は太陽ということでしたが、2番は日本の自然、つまり国土だと境野さんは言います。
このことから、これが日本の国土ですよという印として国旗というものがあり、日本の国旗が日の丸に定められた経緯などが語られます。
それから話題は国歌「君が代」の話になります。
「君が代」といううたは、1228年に書き写された「和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)」という歌集に出ています。初代本は1013年で、藤原公任(きんとう)によって選ばれた歌だとか。
けれどもそれには元歌があって、905年に編纂された「古今和歌集」に載っているそうです。つまり、約1100年前には詠み人知らずの歌として存在していて、それが今のような歌に変わったのが800年くらい前だったということです。
「古今和歌集」の原歌(もとうた)では、「君が代」が「わがきみ」となっていることに、注目してください。「わがきみ」とは、昔は、女性が尊敬したり、愛したりした男性に対して用いたことばです。すると、このうたは「読み人知らず」でだれが詠んだかは、まったくわかりません。が、平安時代(八百年ごろつくられたと考えられています)のある女性が、敬愛する自分の男性に送った「恋のうた」であったことがわかります。」(p.82)
「わたくしたちの国歌「君が代」の原歌(もとうた)は、平安時代の女性の、愛する男性への恋のうただった。素敵なことだと、思いませんか。軍国主義のうただなんて、どこで、どう間違えてしまったのでしょうか。とても悲しくなります。」(p.83)
このことは、白駒さんの「ちよにやちよに」にも同様の解説がされていましたね。
「世界のいろいろな分野での世界一の記録集、イギリスの「ギネス・ブック」を知っていますね。そこに、日本の「君が代」が、世界でもっとも古い国歌である、(The oldest national anthem)と書いてあります。」(p.85)
ギネスに認定されているとは知りませんでした。
「かつて来日したブルーノ・タウトさんが、こんなことをいっています。
「日本人は礼儀正しく勤労意欲が盛んで勉強もよくする。しかし、あまりにも自分の国について知らなすぎる」
と。」(p.88-89)
「わたくしたちは向こうからいいものをたくさんもらった。しかし向こうの人も、日本について勉強したいことがたくさんあるんです。日本について聞きたいことがたくさんある。なのに、日本人自身が日本の文化や伝統を知らない。これじゃあ、日本人って自分の国のことを知らない。教養がないなあって、他国の人に軽蔑されるのも当然ですね。「日本人って何ですか」。こんな基本的な問いにも答えられないんですから……。教養人とは、自国の文化や芸術や伝統をよく理解し、その一つか二つをしっかりと身に付けている人のことをいうのですよ。」(p.90)
これはよく指摘されることですね。諸外国の人と対等に話し合うには、まずは自分のアイデンティティを確立することであり、祖国のことをよく知って、愛する想いがなければならないのです。
「今日になって国民みんなががんばって、やっと朝昼晩三食、栄養のあるおいしい食事がとれるようになった。やっと着るものも自由に着られるようになった。やっと個人の家が建てられるようになった。こんなにも、恵みの多い国、こんなにも平和で美しい国土・自然に対して、もし、きみたちが感謝できないとしたら、不幸なのは諸君ですよ。
感謝するのは、他人の問題じゃないんだね。ああ、ありがたかった、ああ、自分でよかったと、自分が自分自身でそう思ったときに初めて、それじゃ自分は何をしたらいいか、どういう夢を持ったらいいかがわかるんだよ。自分自身の在り方に感動し、感謝するということは、何のことはない、きみたち自身の人生にとってすばらしいことなんだ。」(p.92-93)
頑張って来られた祖先の方々がおられたから、今の日本がある。そう考えれば、感謝の想いしか湧いてきません。
つまり感謝するとは、そう考えるかどうかということなのです。そして感謝することによって、それが自分の原動力となり、自分を輝かせることになるのですね。
「幸福とは何ですか。何のことはない、感謝して生きることができる人間が幸福だったんです。いくら金があったって、いくら物があったって、いくら地位があったって、ちっとも感謝できない人は、幸福になることはできない。逆に物質的にいくら不自由をしても、ありがとうという感謝の気持ちがあれば、けっこう幸福になるものなんですよ、楽しくなるものなんですよ。そういう気持ちもすごく大事だと思うんだな。感謝したところで、太陽さんは別に喜びやしませんよ。感謝して得するのは、実は君ひとりであるということを、どうか忘れないでほしいんです。」(p.94-95)
太陽の恩恵を感謝しても、太陽から見返りがあるわけじゃありません。感謝することによって、感謝した人自身が幸せになれるんです。
「自分の人生を充実させていくのは、親でもないし、先生でもないし、環境でもないように思います。きみたち自身が感謝する心を持てるかどうかだと思うのです。感謝する大自然を持つためには、自分で考えて発見しなきゃだめ。それは、人が教えてくれるものではない。自分でありがたいと思うものを、大自然の中に発見していくことなんです。
このみんなの共通の生命、みんなの共通の恵みに対して、感謝の心を育てることが、実はわたくしたちの民族の「心の教育」だったんです。」(p.96-97)
太陽だけでなく、国土の自然の様々なものに対して感謝を捧げた。それが日本人です。その思いが、八百万の神々を生み出しました。「疫病神」や「貧乏神」など、一見すると悪いと思えることにも神を見いだした。その神様を大切にしたのが日本人なのですね。
「いくら太陽があっても、いくら自然があっても、わたくしたちは生きられないのです。わたくしたちの生命の原因の三番目は、父母なんです。この「父母」とは、お父さん、お母さんだけを意味するのではありません。そのお父さんのお母さん、そのまた先のお父さんのお母さん、ずーっと……。つまり民族ですね。わたくしたち日本の民族、長い間の父母です。そういう人たちがいたから、わたくしたちはいま生きている。それで三番目に、「父母の恩」と言って父母の恵みを大切にしたんです。」(p.98-99)
この後、なぜ母を「おかあさん」と呼び、父を「おとうさん」と呼ぶかという語源の話があります。
よく知られていることとは思いますが、「か」や「かっ」「かあ」は太陽を表すから、「お・かあ・さん」とは「太陽さん」ということですね。うちの「かみさん」とも言いますが、「かみ」とは「日身」であり、太陽の化身、つまり「神」なのです。
ついでに「おとうさん」も「お・とう・さん」であり、「とう」とは「尊い」ということです。つまり、「尊い方」という意味で「おとうさん」なのです。
また、小林多喜二氏のお母さんのエピソードも載っていましたが、これには泣けて仕方ありませんでした。
「蟹工船」を書いたことで逮捕留置された多喜二氏は、獄中で身体が弱っていきます。面会など許されない時代でしたが、北海道の小樽で暮らすお母さんの元に、5分でよければ3日後に面会させるから来い、という通知が届きます。お母さんはお金を借りて集め、列車に乗りますが、雪で立ち往生することがありました。それで1つ先の駅に列車が停まっているなら、それに乗り換えようと歩いて行く。必死で約束の日時に間に合わせようとしたのです。
やっと面会が叶っても、顔を見ては伏せて泣き崩れる。会話になりません。看守に促されてやっと言ったのは、「おまえの書いたものは一つも間違っておらんぞーッ。」(p.117)という絞り出したような言葉でした。
面会はそれで終わり。お母さんはまた雪の小樽に戻っていくのです。
多喜二氏は、一度は釈放されるものの、すぐにまた逮捕され、死刑を待たずに獄中で死んだそうです。その最後の言葉を、境野さんは語っています。
「遺憾ながら私は地獄へは落ちません。なぜならば、母が、おまえの書いた小説は一つも間違っていないと、私を信じてくれた。むかしから母親に信じてもらった人間は必ず天国へ行くという言い伝えがあります。母は私の太陽です。その母が、この私を信じてくれました。だから、私は、必ず、天国へ行きます」
ときどき息を絶えながら、最後の力をふりしぼり、そう言い切って、彼は、にっこり笑って、この世を去ったというのです。
多喜二のお母さんは、漢字が一つも読めないんですよ。片仮名がほんの少ししか書けなかった。だから、息子の書いた難しい小説は一行も読んでいないのです。にもかかわらず、「おまえの書いたものは間違っていない。お母さんはおまえを信じておる」と声を張り上げて言ったそうです。」(p.118-119)
野口嘉則(のぐち・よしのり)さんの本に、「僕を支えた母の言葉」というのがあります。これにも、息子のことを信頼する母の姿が描かれていました。
母親は、子どものことをただ「それでいい」「あなたでいい」と受け止める、信頼する。それが何よりも大切なことなんだなぁと思います。
そしてそれは母親だけの役割ではなく、私たち人としての生き方、在り方につながるのではないでしょうか。私はそう思うのです。
そして、私たちが日常的に使って挨拶言葉についてです。「こんにちは」「さようなら」と言いますが、その意味は何でしょう?
多くの人が、その意味を知らずに使っています。ある意味で「どうも」も同じですね。関西の「おおきに」もそうです。それだけでは意味をなさない言葉ですが、それに続く言葉が隠されており、それを含んだ意味を持っているのです。
「昔は、どの地方でも太陽のことを「今日様」と呼んだのですから、
「今日は」
という挨拶は、
「やあ、太陽さん」
という呼びかけであったのです。
「元気ですか」の元気とは、元(もと)の気(エネルギー)という意味ですから、太陽の気(エネルギー)をさすことになります。つまり、「今日は、元気ですか」とは、あなたは太陽のエネルギーが原因で生きている身体だということをよく知って、太陽さんと一緒にあかるく生きていますか、という確認の挨拶だったのです。」(p.122)
「「さようなら(ば)、ご機嫌よう」
となります。
「機嫌」とは、「気分」とか、「気持ち」という意味です。したがって、
「さようなら、ごきげんよう」の意味は、
「太陽さんと一緒に生活しているならば、ご気分がよろしいでしょう」
となります。」(p.123)
日本語の挨拶にも、太陽の存在が表れています。日本人は、常に太陽とともに生きてきたのですね。
この講演を聞いた700人の生徒から、感想文が届いたそうです。境野さんはそれをすべて読んで感動し、本書の刊行が持ち上がった時、その感想文を含めたいと思われたそうです。
以下は、その感想文からの引用になります。
「外国の人が自分の国を自慢しているのをよくテレビで見かけますが、日本人は日本の国をけなしてばかりで、日本の国に自信を持っている人を見たことがありません。境野勝悟さんが言った日本の心の話で、日本人として自分に自信が持てるようになりました。」(p.139)
「日本といえば、すぐ、ここが悪い、ここがいけない、などの悪い意見しか今まで耳にしなかったが、なぜ大人たちは、この美しい思想を持った日本人の良い面を提示しないのだろうかと感じた。」(p.142)
自虐史観という言葉がありますが、戦後の日本はGHQの日本精神骨抜き戦略によって、精神的にズタボロにされた感があります。今の私たちにできることは、そういう自虐的な見方を排して、日本の素晴らしさを再発見し、その情報を共有していくことではないかと思います。
「極端に否定的な目で日本をみながら教育していると、日本の子どもたちの将来に、光が射してこない。」(p.171)
境野さんもこのように言っています。
私もそうですが、私たちは日本のこと、日本人のことを、もっともっと学ばなければいけないなぁと思います。
もちろんその中では、悪かったと感じることはあるでしょう。しかし、だからと言って罪悪感を感じて前に進めなくなってはダメなのだと思います。
反省すべきことは反省して、前を向くことが大事です。そのためにも、虚心坦懐に多くの人の考えを聞いて、日本についての知見を深めていくことが大切だと思います。
そのための第一歩として、この本は役立つのではないでしょうか。高校生へ向けた講演であり、難しい話はひとつもありません。この本の内容に触発されて、日本人としての自信を深めるなら、何よりだと思うのです。
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