これも本の要約をしている動画で紹介されていた本になります。
著者は大塚宣夫(おおつか・のぶお)医師。1942年生まれですから、現在は82歳くらいでしょうか。そういう老齢期を迎えておられる方が、多くの老齢患者を診る中で、「非まじめ」な生き方を提言されているのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「元来がまじめな我々世代は、「不まじめ」というと、単にまじめでないという印象で道徳的に抵抗がある方が多いのではないでしょうか。ですが、「非まじめ」とは”まじめに非ず”。ちょっとだけ手を抜いてまじめをやめてみる、老後に向けて意思をもってまじめをやめようよ、ということです。」(p.3)
「わがままに好き勝手に、不良老人として生きるには、それなりに覚悟が必要です。といっても、これまで横並びで生きてきた身に、いきなり「不良になれ」と言われても困るでしょうから、せいぜい不まじめ、もう少し抑えて「非まじめ」に。これならどうでしょう?」(p.25-26)
真面目な生き方が染み付いている人に、不良になれとか非行に走れと言っても無理なことです。かえってストレスになります。
ですが、まじめに生き続けることもまたストレスですし、適度に力を抜く生き方をしてはどうかと大塚医師は言うのです。それが「非まじめ」です。
たとえば、風呂に入るのは3日に1度でいい、というのも非まじめな生き方だと言います。私が勤める施設の介護浴は、1週間に2回ですから、十分に非まじめですね。(機械浴は1週間に1回です。)
けれども、昔はそれが普通でした。夏場の汗をかく頃は別として、冬なら風呂は3日に1回でしたよ。なので、毎日風呂に入らなければならない、という価値観を疑ってみる意義はあると思います。
「一方で、歳をとると、億劫なことやできないことが増えてくる。これは私自身もそうですし、実感される方が多いと思います。ですが、これも考え方を変えれば、「今日がいちばん能力が高い日」とも言えるのです。
明日になれば、今日にくらべて体力も気力も落ちていく。ということは、今日が最良の日。」(p.5-6)
「となれば、今すぐ、したいことをやりませんか。3年後にとか、長生きしたらとかではなく、「今」です。我々老人にとっては、今が一番元気なときなのですから。」(p.6)
これも1つの考え方ですね。たしかに、段々と歳をとって老化していくのですから、できることができなくなっていくのです。そうであれば、今が最もあれこれできる時なのです。
「だったらまず「したくないことはやらない。やめてしまう」からやってみる。これ、どうですか? こっちのほうが案外、簡単だと思いませんか?」(p.30)
今やりたいことをやれ、と言われても、何をやったらいいのかわからない、ということもあるでしょう。そういう人は、まずはやりたくないことをやめる、ということから始めてはどうかと大塚医師は言います。
たしかに、自由になるためには、まずはこれからだと思います。義務とか世間体とか、他人から指示されてとか、少なくとも自分が「やりたくないなぁ」と感じていることはやめてみたらいいんですよ。
「不得手なことに貴重な時間とエネルギーを費やすほど馬鹿げたことはありません。やりたいことを優先し、それでも余力があったらやる、程度に考えると気が楽です。」(p.47)
断捨離が良いと言われても、それが苦手だと感じるならやらなくていい。たしかに、そういうように考えれば、ストレスはなくなりますね。
「バランスのいい食事が長生きを保障するのかというと、そうでもない気がします。確かに、若いとき、あるいは60代くらいまでは、食生活に気をつけることは、その先の健康な体を保つために有効です。でも、75歳を過ぎても同じことがいえるかというとかなり疑問です。食べたいものを我慢してコレステロールを下げようとか体重をなんとかしようと気をつけたところで、その効果が出るとしても5年、10年先。私としては、食べたいものを我慢するストレスのほうが健康に悪い気がします。」(p.55)
「歳をとれば、食生活はもっと自由でいい。食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べればいいんです。」(p.56)
老化が止められない以上、遅かれ早かれ全員が死にます。その時期が数年早いか遅いかなんて、どれだけの意味があるのでしょう?
私はそう考えるので、大塚医師の言うように、75歳を過ぎたなら、食べたいものを食べたいだけ食べていいと思います。もちろん、その時点の体型に不満があって、もっと痩せたいとか思っているなら別ですがね。
「そもそも、夫と妻では、考えていることや望んでいることに大きな隔たりがあります。それが表面化せずにすんでいるのは、ひとえに、夫が働いて家を留守にし、夫婦の接触時間が少ないからなのです。」(p.76)
これは私も共感します。妻の実家へ移住し、四六時中、妻と一緒で逃げられない生活をしてやっと、私のイライラの原因は妻と一緒にい続けなければならない状況にあったとわかりましたから。まあ、妻も同じように感じていたかもしれません。お互い様ですね。
だから、適度に離れた方がいいんですよ。夫婦だからいつも一緒で仲良くなんて、それが楽しい人がやればいいだけであって、万人に当てはまることじゃありませんから。
「かといって、75歳を過ぎてあわてて筋トレを始めても、残念ながらさほど効果はありません。若いときにはやったらやっただけついた筋肉ですが、年齢とともに男性ホルモンや成長ホルモンの分泌が減るため、鍛えてもその効果はどんどん出にくくなるからです。」(p.105)
いくら年をとっても、筋肉は鍛えられるという話がありますが、大塚医師はまっこうからそれを否定します。まあこれも、程度の問題なのでしょうね。
それでも動かさなければ衰えていくのが筋肉なので、過度な期待はせずに適度に運動をしながら、筋力を保つ努力は必要かと思います。自分自身の快適さのためにね。
「予定があるということは、とりあえずその日、その時間はそこへ行かなければいけませんからね。体がなんといおうと、必要とされている責任感のほうが勝ります。歳をとってからは、気力に体力を引っ張らせることが肝心なのです。」(p.113)
「ただし、ここでもやっぱり無理は禁物です。当日になって体調がよくなかったり気分がすぐれなかったり、何より、やりたい、行きたいという気持ちがまったくないようであれば無理しなくていい。ドタキャンしてもいいんです。」(p.115)
大塚医師は、誘いは断るなと言います。とりあえず受けると決めて、スケジュールに入れておく。そうすることで、億劫さに抗って、出かけることができるからです。歳をとってから重要なのは、「キョウイク(今日行く(ところ))」と「キョウヨウ(今日(の)用)」があることだと言いますから。
けれども、年をとったらドタキャンは当たり前と心得ておくことが重要だと言います。身体にも精神にも、無理をさせないことが大前提。それこそが「非まじめ」なのです。
「多少、判断力が鈍くても足腰が悪くても、自分が動かないと一日の生活が成り立たない−−そんな環境こそ、高齢者にとって一見酷なようでいて、実はもっとも老化防止に役立ち、認知症の進行を防ぐ効果があると私は考えています。
他人に気兼ねせず、自分のペースで暮らすことができるだけで、自分のもてる力を全部出し切ることができます。ですから、高齢者がギリギリまでひとり暮らし、あるいはふたり暮らしを続けることは、ご本人にとってもいいことづくめだと思っているのです。」(p.134)
私も同感です。一人暮らしは寂しくはないし、むしろ快適だと言えます。そして、自分でやらなければ行きていけないと思うからこそ、健康が維持しやすいのです。
一人暮らしが快適だということは、以前に紹介した「老後はひとり暮らしが幸せ」や「続・老後はひとり暮らしが幸せ」でも書かれていましたね。
「年金生活で切り詰めて、それまで貯めた貯金はすべて子どもや孫に残すという発想ではなく、働いてお金を稼ぎ、貯金は自分たちの楽しみのために使う。日本の高齢者がみんなこの発想になったら、もっと日本は活気づくと思います。」(p.151)
これも同感です。生涯現役と言いますが、その覚悟をすることで健康を維持しやすくなります。どんなに年をとっても、「今」を楽しむことが大切ですね。
「感謝の気持ちは、言葉(ありがとう)と態度(お金)できっちり示す。やってもらって当たり前と思う気持ちを捨てる。親子、家族、身内であっても同じことです。その心持ちひとつで、人間関係は驚くほど円滑になります。」(p.163)
大塚医師は、ポチ袋に500円とか1000円とか入れて持ち歩き、何かしてもらったらサッとそれを渡し、「ありがとう」と言葉を添えるのがいいと言います。
まあ、そこまで徹底してやるかどうかは別として、何か感動したらおひねりのようなつもりでチップを渡すという習慣は、悪くないなぁと思っています。
「最大の敵は、お互いの甘えです。どんなに仲がよい親子でも、親子であるがゆえに難しい。けれども、それが他人だったら受け入れられます。なぜなら、自分の親でなければ、崩れゆく姿も淡々と受け入れられ、割り切りもできる。だからこそ私は、介護には他人を絡ませることをおすすめしています。絶対に、第三者というワンクッションを入れたほうがいいのです。」(p.174)
「知識、経験、技術があるプロの手にかかると非常にスムーズです。家族による介護は、する側もされる側もお互い負担が大きいことを知っておいてください。」(p.175)
私も今、老人介護施設で働いているので、このことはよくわかります。介護を嫁の仕事とする時代は過ぎました。老人介護は、社会が担う問題になっているし、そうした方がみんなに恩恵があるのです。
「ヨーロッパの施設では、高齢者に口から食べてもらう、飲んでもらうことに重きがおかれていて、噛む力や飲み込む力が低下した人でも食べやすく、食欲をそそるように食事が工夫されていました。さらに、職員が食べ物を口に運び、飲み込むまで時間をかけて介助していました。
そのようにしても、口に入れた食べ物や飲み物を本人が自分の力で飲み込めなくなったら、それ以上のことはしないという説明でした。つまり、日本で普通に行われている点滴や、経鼻管栄養での延命処置はしないということでした。」(p.194-195)
自分の力で飲み食いできなくなったら、それが生きる限界だというヨーロッパの考え方に、私も賛同します。胃ろうで生きながらえさせられてるだけのお年寄りを見ていると、虐待しているかのように感じます。もういい加減に死なせてあげたらいいのに・・・。そう思ってしまうのです。
「起きないことを心配するより、もっと気楽に「今」を楽しみましょう。「非まじめ老後」とはそういう生き方です。そう考えたら、あれこれ思い煩うことなく、楽しく穏やかな老後を過ごせると思うのです。」(p.206)
もう先は短いのだからと達観できれば、逆に「今」を楽しんで生きられますよね。他人の価値観や義務などに縛られず、今の自分がこうありたいと思う心のあり方で生きる。そういう生き方ができたら、老後こそが幸せなのではないでしょうか。
お気楽で幸せな時間を堂々と過ごせるのが老後というもの。そのような考え方もありだなと思わせてくれる「非まじめ老後」。私もこれを目指したいですね。

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