これも本の要約を紹介するYoutube動画を観て、興味を持って買った本になります。
タイトルからして私の考え方とマッチするのですが、著者は気功や整体をされている世古口裕司(せこぐち・ゆうじ)さんで、野口整体の手法も取り入れ、スピリチュアル的な考え方も持っておられるようです。
必ずしも私の考えていることと同じではないのですが、共感する部分も多いし、とても参考になることも言われていました。
ボリュームもあるので、なかなか読みづらいかもしれませんが、非常に良い本だったと思います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「しかし人間の体は機械とは違う。普段と違う事も必ず意味があるのです。すなわち自然修復現象であるのです。咳や痛みなど、どんなに迷惑と思える体の異常感も、それは体が、治るために必要だから行っているのです。これがまず大前提なのです。」(p.11)
「吐血も下血もたいていの場合は体が良くなるための大掃除であり、自然修正法なのです。
こうして見てくると、普段に体がおこなっている下痢も発熱もくしゃみも咳も、みな良い事ということになります。では「痛み」はどうなのか。「痛み」があるからこそ「やってはいけない事」というのがわかるのです。また、体の使い方がズボラな持ち主に対して「養生」の要求をしているのです。静養して体を休めよ、あるいは頭痛などの場合、頭を休めよ、という体の強権発動なのです。」(p.13)
咳や痛みだけでなく、下痢、嘔吐、発熱、発疹など、あらゆる病気とされる症状が、自然治癒の働きによる現象だと言います。
「だから、痛いといっては病院に行って薬を飲むというのは、まさに体を鈍くして報知器をぶち壊す行為です。薬の乱用は危険この上ない。」(p.13)
薬は症状を緩和しますが、せっかく体が治ろうとしてそういう症状を出しているのに、それを抑え込むことになり、治癒作用を止めることになるのですね。
「現代薬学の考え方は、「毒を薄めて、少量を体に入れると、一時的に痛みや症状が和らぐ場合がある。これを薬効と呼ぶ(ことにする)」というものです。だから昔は薬学というのは無かったのです。何と言ったか。「毒物学」と言ったのです。薬というのは、体の内部で自然発生する自家薬しか存在しない。人工的なものは、すべて体にとって異物である」……。これは薬学部で必ず学ぶことだそうです。」(p.16-17)
薬は人体にとっては毒物。当たり前のことですが、これを認識していない人は多いようです。
「ところで、医師はと言うと、皆さんビックリするでしょうけれども、薬の勉強は全くしないのです。医学部6年間、インターン2年間、計8年間で薬の勉強は一切無い。もちろん、病院に勤めてからも殆ど無い。つまり薬に関しては薬剤師さんに比べれば全く素人なのです。だから平気で山のような毒薬を患者に出せるのだと思うけれども、実は病院には、病名を決めたら、薬も自動的に決まるようなマニュアルがあるのです。ある病名を決めたら、こういう薬を出す、という基本マニュアルが存在する。もちろん、このマニュアルのガイドラインを作っているのは薬(毒物)の製造元でもある製薬会社です。」(p.18-19)
「このようなわけで、薬に対する迷信を改めていただいて、体の感覚をマヒさせたり、体が治ろうとする調律作用(反応)を無理矢理抑え込んで一時的に治ったように見せかける薬に頼らず、体が自然に回復しようとする力を立派に引き出させるようにしていただきたいと思います。薬の常用というのは、問題の先送りのみならず、高利の借金を増やしていく事に他ならないのです。」(p.19)
医学部では薬の勉強をまったくやらないと世古口さんは言います。医師は、製薬会社が用意するマニュアルに沿って処方するだけなのだと。
そんな毒物をありがたがって飲み続けることに違和感を感じない。それが多くの人なのですね。
「先の高熱を出すのも、それが最も有効な手段である事を知っているからであり、また、実際に出すべく力を持っている。つまり子供というのは、病気を経験して体を強くして行くのです。」(p.24-25)
子どもはすぐに熱を出したりしますが、それは病気を治す体の反応がよく働いていることであり、そうやって子どもは、病気になりにくい身体を自ら創っているとも言えるのですね。
「次に、子供が大人より弱い面ですが……。これは第一に精神面と気温(暑さ寒さ)。親の心配、不安を子供はテレパシー的に直接影響を受ける。不安をかかえながらでは、なかなか病気は治らない。」(p.25)
子どもが大人よりも弱いという一面はあって、それは精神面と気温の変化に対するものだと世古口さんは言います。
特に精神面は、病気に対して大きく影響します。心が主であり、身体は従なのです。
「つまり、○○病と病名をつけられたら、○○病の持ち主であるという自覚をさせられてしまうのです。無意識の中に於いて”病気持ち”という確認になってしまうのです。それでは自然経過などあるはずがない。つまり、病院へ行って、病人になっているのです。無意識が認識すれば、体は必ずその無意識通りになる。これは要するに、催眠術と一緒なのです。」(p.28)
医師から病気だと言われれば、それを信じてしまい、その信じた通りになるのです。
「この喘息のおばあさんにあらゆる治療をしても治らないなら、この人の頭の中に滞った欲求不満があるのです。家の中で邪魔者扱いされているとか、無視されているとか、誰もかまってくれない、自分に注意を向けてくれないなどです。
このような場合、突然体を壊し「私はここにいるぞ」という自己主張で病気になることが多分にあるものです。」(p.38)
人は、自分の強い欲求によって病気を発症することがある。これは、子どもが朝になると腹痛を起こすのと同じですね。
「どんな病気やケガも、「不安」や「恐れ」をかかえながら経過する事は出来ないのです。従って、健康という事を考える上で、まず心が第一、という事になります。心とは、言うまでもなく「意識」の事ですが、体に影響を及ぼす殆どのものは、「潜在意識」です。意志である顕在意識は、肉体とあまりかかわりがありません。」(p.44)
顕在意識で心臓を止めようと思っても止まりませんが、潜在意識が恐れを抱き続けていると心筋梗塞などで止まってしまうこともあるのです。
「だから私は癌など、風邪の親玉ぐらいにしか思っていない。要するに診る所は体に生きる力があるのか無いのか、という事だけです。癌という病状を特定して診ても意味はない。生きる力のある体は癌だって何だって治る。死ぬ体は、どんな病気でも死に至る。」(p.50)
「要は自然治癒力があるかないか、という事で自然治癒力をグングン引き上げるために気功法もあるわけです。これは大変な意味を持つ。はっきり言って自然治癒力が旺盛な体は癌など恐くも何ともない。それよりも、俺の癌はきっと治らないんだ、俺は癌で死ぬんだ、という空想のほうが恐い。空想が始まり潜在意識が働き出すと体は内部までその通りになる。だから私を信じない人の癌は治せない。」(p.50)
ガンと言っても大した病気ではなく、それよりも潜在意識の働きの方が大きいのだと世古口さんは言います。
「だから、「健康になるコツ」は、どんどん好きな事、やりたい事、ワクワクするような事を遠慮なくやって行く、という事です。これが健康の最大のコツです。そうすれば心も前向きになり、自然とプラス思考になって行くのです。」(p.53)
心配するのをやめて、好きなこと、楽しいことをやることですね。
「では、どうすれば良いか。
答えは言葉に出して断定口調で言う事です。つまり自己催眠にかける。潜在意識を変えるテクニックはこの他にもいろいろあります。有名どころでは、中村天風先生もお好きなクンバハカ。ヨーガを源流とした呼吸(気功)法です。それからイメージトレーニング。そして行動実践法などがあります。」(p.55-56)
潜在意識を変えるには、自分で自分に催眠術をかけることです。自己催眠であり、自己洗脳です。そのためには、アファメーションなど、様々な方法がありますね。
ただ世古口さんは、心が弱っている人には、言霊による方法をお勧めしています。
「まず、自分のなりたい自分、例えば、元気で明るい自分になりたいなら、「私は元気で明るく前向きな人間だ」と断定的な表現で紙に書く。」(p.56)
「そして毎月の朔日(ついたち)に声を出してハッキリ言う。まだ信じてなくてもかまわない。そんな自分になれることを信じられなくても全く良い。月に1回、紙に書いて声を出してハッキリと言う。そしたらどこか仏壇とか神棚の中や、本棚の上の目につかないところにしまって忘れてしまう。この、忘れてしまう、というのがミソです。いつも覚えているようでは役に立たない。顕在意識が忘れてしまうと、潜在意識が働き出すのです。」(p.56)
これも、潜在意識を働かせる効果的な方法ですね。
私は、同じような本をたくさん読むことで、読み終えた本の内容は忘れてしまっても、また別の本を読んだ時に、同じようなことを改めて知ることを繰り返し、自己洗脳してきたように思います。
「しかし恥ずかしいと思っている人の顔が赤くなり、その赤くなった顔を、それは皮膚の病気だ、だから瀉血(しゃけつ)して治そうと言っても仕方のない事で、人間の体は、心を含めて、全体をとらまえないと解決しない事が大変に多いのです。」(p.63)
身体の一部の状態だけを見て、いつもと違うからその部分がおかしい、とはならないのですね。
「風邪というのはすなわち、体の強制的な休息の要求なのです。体の使い方がズボラな、不摂生の多い、体をいたわる事の少ない持ち主に対して、体が休む要求をしているのです。だからそれをかなえてあげれば、風邪をひく前よりずっと体が丈夫になります。時に長年の慢性病が治ったりする事もあります。」(p.64)
このことは、「風邪の効用」という本で、野口整体の野口晴哉氏も示されていました。
「ギックリ腰を含めて、腰痛は何らかの内臓の異常や、体の内部の偏り疲労がある、それが結果的に腰椎骨の歪みを生じさせているのです。つまり痛みの直接的原因になっているのは、確かに骨の歪みですが、その更に奥の原因があるのです。だから骨の歪みだけ治しても根本的解決には全くならず、せいぜい一時的に痛みを引かす事が出来るだけです。腰痛の原因は沢山ありますが、まず多いのは胃を慢性的に疲労させている人、次に腎臓負担、肝臓の障害、打撲によるヘルニア性のもの、足首の異常、婦人科(卵巣、子宮)の障害、汗を急速に冷やしたために起こる胸椎10番変異などなどです。」(p.67)
私には骨の歪みなどはわからないし、これらの内蔵疲労が腰痛の遠因かどうかは何とも言えません。しかし、世古口さんはそう考えておられるのですね。
「そう言えば人間も最近あまり噛まない人が多い、殆ど犬と同じで飲み込んでいる人がいます。だからよけいに断食は効果がある。しかし、なんでもかんでもよくかむ事を勧めている人がいますがこれも間違い。いつもいつもよくかんで食べていると、胃はよくこなれた消化によいものしか処理出来なくなってしまいます。胃を弱くしてしまうのです。消化能力を落としてしまうのです。だから時々早食いするのも体の使い方としては正しいのです。」(p.72)
腰痛の原因の1つでもある胃の疲労は、噛まずに飲み込むような食生活によってももたらされます。だからよく噛めとも言われるのですが、噛んでばかりの食べ方もダメとのこと。筋肉を鍛えるように、時に負荷を与え、時に休ませるというバランスが大切なようです。
「人体の最高中枢である脳を守るために、粘り気の出来てしまった血液を押し出すために圧力を強化するのです。これが高血圧というもの。つまり高血圧とは病気ではなく、体の本能による安全現象という事になります。これを降圧剤などの薬で人工的に強引に圧力を下げるとどうなるか、言うまでもなく脳梗塞直行便ですネ。」(p.74)
私もこの説に賛同しますし、これまで読んだ本でも、こういうことを言っている医師もいます。身体の仕組みを考えたなら、こう考えた方が合理的だと思うのですがね。
「普段はこれを、白血球やリンパ球の免疫細胞が対処します。しかし、何らかの事情により外敵が多くなった場合は、攻撃性の強い免疫細胞を限度を超えて動員することは体にとっては危険です。そこで体は発熱による「熱殺し」を発動することにより、一括消毒をしようとします。細胞もウイルスも熱には大変弱いのです(発熱の項を参照)。しかしそれを、現代医療は発熱は悪いものとの価値観により、「解熱剤」を投与します。結果的に体は、最終手段を奪われた形になります。しかし増大した外敵には対処しなければ生命維持にかかわるので、やむを得ず、両刃の剣にもなり得る攻撃性の強い免疫細胞を増殖し急場をしのごうとします。結果的に、これが正常細胞を傷つけることになり、このくり返しがアレルギー症状、というより「アレルギー体質」というものをつくりあげるのです。」(p.80)
アレルギーは免疫の暴走とも言われますが、世古口さんは、薬の常用によって発熱しない体質になっていることが原因だと言います。
「まず下痢、こんなものは今まで読んできていただいてお判りの通り、病気ではなく体の生理現象です。つまり体の掃除。ストレスなどで作った体の毒素を、体が自浄作用で勝手に毒出しの大掃除をしているのです。結構な事です。」(p.109)
「次に便秘、まずはこれはやはり心理的な問題が多い。下痢になるか便秘になるかは腰椎の2番と4番で決まりますが、これも放っておけば良い。下剤なんか飲むから、大腸の活力を落とすのです。薬という外からの力が加わると大腸が働かんでいい…となまけます。しばらくはお腹が苦しくなりますが、それも最初だけ、数日放っておけば、大腸がその気になって一生懸命働き出します。そして大事な事は、毎日出なければいけないという常識のウソ。これは人間の体を機械のように錯覚している素人の人たちの考え。人間の体は感情があるし、また低潮、高潮という波、つまりリズムもあるのですから変化してあたり前。機械のようにいつも一定ではない。」(p.109)
下痢は毒素の排出作用というのは、私も同感ですね。便秘そのものが身体のどういう作用なのかは書かれていませんが、気にし過ぎなければ良いとのこと。
実際私も、排便が2〜3日ないこともあります。でも、下剤などは飲みません。自然と出るようになるものです。たしかに、最初はちょっと苦しかったりもしますがね。
「これをテレビが言うように時々逆の足を上にしたらどうなるか。疲労を抜くどころか、かえって疲労を起こし歪みを生じます。だから人間の浅知恵を体に強要するよりも、体の本能に従えば良いのです。」(p.124)
座って足を組む人が、同じ方の足ばかりを上にすると体が歪むから、時々組み替えた方が良いとテレビで言っていたのだそうです。
私もそうかなぁと思って、気がつけば逆の足を上に組み替えたりしていました。しかし世古口さんは、体が楽だと感じているやり方に任せておけば良いと言うのです。
「不眠症で悩む人は多いですが、本来、不眠症なんてつまらない話です。人間はたかだか80年くらいしか生きられないのだから、眠れないなら起きていれば良い。それだけ人生やれる事が多くなる。だいたい不眠で死んだり病気になるなんてウソなのです。」(p.125)
眠れないなら眠らなければよい。私もそう思って、眠れない時は起きて読書などしています。
「これまで本書をすべて通して読んでこられた方はお判りの通り、病気というのは不安定な心の問題という要素がなければ、殆どは体の修正現象、掃除現象という事が出来ます。心で作っている病気を除外視すれば、心さえ安定しているならば、体が自身の自然治癒力を活用して自動的に修復をする、その過程でいろいろないつもと違った反応が起こる。これが病気というものです。」(p.128)
様々な症状は浄化作用の現れだとレイキでも言います。だから安心していることが大事なのだと。
「しかし本来は、あまり一生懸命努力するものではない。あまり一生懸命になると、努力すればするほど、潜在意識に於いて「私の病気は重いんだ」という確証になってしまうのです。だから皮肉なもので一生懸命になればなるほど病気は重くなって行く、治りが悪くなっていきます。」(p.129)
健康になるために、病気を治すために、やらなければならないこともありますが、そこに執着しすぎて努力しすぎるのも逆効果なのですね。
「体が痛む時や、だるい時は普段の3分の1も動けませんネ。胃が重い時などでも普段の5分の1も食べられませんネ。つまり強制的に休息をとらされているのです。だから使用制限なのですが、これが結果的に素晴らしい、養生をしている、回復のための静養をしているという事になっているのです。」(p.132)
痛いとかだるいなどの体のサインに従って養生することが、自然治癒力を働かせるのに最適なのです。
「このように体には生命活動を滞りなく行うための要求があるだけなのです。医者が言うような故障のサインなど体には存在しないのです。」(p.132)
「胆石の人も腎石でも尿路結石でも、痛む時は限られている。四六時中なんてことは決してない。週に1回か2回、あるいは月に1日か2日、時おりキューと痛むという程度の人ばかりです。もっと少ない人は半年に1回という程度です。石があるから痛いのなら、石が出ていかないうちはずうっと痛むはずでしょう。これは何故か。つまり石と痛みは直接的つながりはないのです。」(p.135-136)
「要するに、石が出来るような健全ではない状態で、体の使用が過ぎて負担をかけ過ぎた時に、回復に必要な養生要求のために痛む、という事です。」(p.136)
「以上でおおむねお判りだと思いますが、どんな痛みであっても、どんな体の変調であっても、それは立派に意味があっての事なのです。何らかの体の要求であるという事なのです。」(p.137)
体が良くなろうとしている時、治ろうとしている時、養生するようにというサインとして、痛みとかしびれなどが起こると世古口さんは言います。
だから、その症状そのものを病気と捉えていてはいけないのです。
「もとより、本来冷たい肉体が、36℃に維持されているのは自家発電のような「内燃力」なのです。しかし、外から温めようとすると自身の体温を上げる力「内燃力」を落とすのです。では、どうすれば良いか。それは「気力」を高める事に他なりません。すなわち、「心」です。
「気力」こそ自然治癒力、免疫力、内燃力の源なのです。」(p.149)
体を温めて体温を高く維持するのが良い。だから湯船に浸かるとか、腹巻きをすることが良いなどと言われますよね。しかし世古口さんは、それに頼ってばかりも良くないと言います。外部からの助けに慣れてしまい、体が熱を出すことをしなくなってしまうからです。
「まず、健康になるために難しい事は要らないのです。その最大のコツは、「体の要求に従う」という事です。つまり、お腹が空いてから食べる、眠くなってから寝る、動きたくなったら動く、休みたくなったら休む、寒くなったら温める、暑くなったら少し冷やす…このように、本能に従うという事ですう。頭で考えても意味がないのです。」(p.151)
つまり、身体の声をよく聞いて、それに従い、無理をさせないということですね。
まあしかし、精神が優位で、あれこれやらなければならないことがあると考えてしまう私たちにとって、それが一番難しいのですがね。
世古口さんは他に、人の体の働きを「食べる」「考える」「動く」の3つに分け、複数を同時にやらないことを勧めています。これもよくやってますね。食べながら考えている、動きながら食べている、など。
他には、食べてすぐには寝ないこととか、最後の一口二口くらいを食べずにおく腹九分を勧めています。できることからやってみることですね。
「癌予防に最も重要な要素、つまり、癌を考える上で大敵となるものは、悪い順から挙げると、
@癌を恐れる心、病気に怯える心
A免疫力の低下
B体の酸化
この3つです。」(p.158-159)
タバコの害よりも、まずは恐れ(不安)だと世古口さんは言います。無意識に恐れていることが、潜在意識の働きからしても最悪のものなのです。
「では、忘れるためのコツですが、これは癌の正体を見切ってしまう事です。知らないものであるから人は怖いのです。得体が知れないから恐怖を感じるのです。忘れようと思っても無意識の領域でフツフツと込み上げてくるのです。だから正体をちゃんと知ってしまう事です。」(p.160)
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という俳句がありますが、正体をハッキリと見極めないから恐いのです。その恐怖があるから、忘れることもできない。
そもそも、癌は常に発生と消滅を繰り返しているもの。免疫力のある体なら、癌の増殖はあり得ないのです。
「だから免疫力をいつも向上させておく事。では、どうするか。これは我田引水と言われるかもしれませんが、気功が一番です。」(p.160)
世古口さんは気功をされるから、気功が一番だと言われます。要は気によって心身を整えるということだと思います。
「しかし東洋医学、特に整体法の世界では、その独特で体を全体から見る特殊な視点から、癌の正体について今から50年も前にある一つの看破をしておりました。それはカビです。カビは生体のどこでも繁殖し、酸化した組織(細胞)を特に好む。」(p.164)
「癌はカビであるが故に、酸化を好み、酸化度が少ない組織に対しては繁殖しにくく、また発生しても消えて無くなったりします。パンの例でも判るように、カビが生えはじめた食パンを、そのまま真空のボールに入れ保存すると、繁殖は急速に抑えられ、あるいは萎縮していきます。」(p.165)
「このようなわけで、人体というものを、病理学的かつ物理的にとらえた場合、癌への特効薬は第一に体の酸化を止め、カビの繁殖を封鎖する抗酸化酵素、SODという事になります。」(p.167)
ガンはカビの一種だと言うのですね。だからカビのように増殖すると。その増殖を抑えるには、SODという抗酸化酵素が役立つと言います。
「ここで余談ですが、多くの癌を治してこられた師が、その経験上、面白い事を言っておられます。「癌はねたみの化けたものだ、そして恐怖で進行する」と。ねたみとは人間の心の貪欲(むさぼり)から発生します。現代のように拝金主義、物質至上主義が、癌という病気を爆発的に増やした原因の一つなのかもしれません。」(p.168)
ここで「師」と言われているのは、整体法の創始者、野口晴哉氏のことです。
「癌は、知らなければ体が自然に対処して、多くの場合、問題が起こらないように消滅させている。しかし、知ってしまったら消えなくなります。恐怖やストレスが免疫力を一番落とすからです。また、マイナスに働いた潜在意識の問題も非常に大きい。本人が知ってしまったら癌はやっかいです。」(p.171)
世古口さんは、ガンの告知には否定的なようです。
「では、これら「気」というものはどういうものなのでしょうか。ずばり申しますと、この「気」は、心の波動、というように認識されております。心の波、弱気になったり強気になったり、嬉しかったり悲しかったりという感情、心が常に刻々と変化して行く、だから波動。ですから皆さんも生きている限り、今この場でも「気」を出しているという事になります。」(p.226)
「だから、「気」はどんどん良いほうに作用させねばならない。この辺においては少し潜在意識に似ていますが、潜在意識を作用させる、つまり操るのが「気」だとお考えいただけば良いでしょう。そしてこの心の波動「気」が実に大きなエネルギーを持っているのです。」(p.226)
「つまり特殊な、ガラスやフィルムを通してなら、人間の出しているオーラが見えるようになったという事です。このオーラこそが「気」というものなのです。」(p.228)
気功をされる世古口さんは、「気」をこのように説明されます。
科学者がオーラを可視化した実験を取り上げて、気はオーラであり、すべての人が発しているものだと言います。それは魂の働きであり、そこに身体がなくなったとしても、そのエネルギーは残るから、気を感じることができるのだという話も書かれていました。
「つまり、心の状態(魂の状態)の共鳴なんだな、という事だったわけです。自分が黒であれば、相手も次第に黒になる。自分が真白だったら相手も次第に白くなってくる。だから共鳴。エネルギーを分け与えるのでも、移入するのでもなかったのです。」(p.231)
自分がイライラしながら治療をしていると、患者にもそれが影響することがあったと言います。そこで世古口さんは、気は流れていくものではなく、伝わるもの、共鳴するものだと言うのですね。
たしかに、レイキでも便宜的に「流れる」と表現しますが、実際は「流れる」と考えるとどこをどう流れるのかという問題にぶちあたります。「共鳴する」というのは波動が伝わることであり、これは面白い説明だなぁと思いました。
「強い思想を持つという事は、潜在意識の変革の上では、最も強力に役立つものなのです。もちろん、それはとても難しい事である事は本文でご説明しました。従って、言葉による誘導法をご紹介しました。しかし出来得るならば、これに勝るものはないのです。」(p.240)
「また、宗教や宗旨、宗派の違いを問うものでもありません。それは、歴史上の偉人である「釈迦の本当の思想」です。つまりこの章では、宗教の色を排除し、学問的、哲学として、釈迦の思想、すなわち仏教をご紹介させていただきたいのです。」(p.240-241)
世古口さんはこのように言われて、最後の章を特別なものとし、本文の各章とは別に、心を強くするための思想を持つために釈迦の思想を紹介されています。
ここでは、釈迦が語ったであろうことが確かだと言われる法句経(ダンマパダ)と阿含経(ニカーヤ・スッタニパータ)を参考にしています。興味がある方は、本書をお読みください。
私も、キリスト教から始まって、中国の古典や仏教についても、いろいろと本を読んできました。そういう中で「神との対話」と出会い、これがもっとも合理的だなぁと感じました。そのお陰で、心が強くなったように思います。
本書を読んで、薬は毒だということは私も知っていましたが、その薬の効果について大した知識もなく処方しているのが医者だという話には驚かされました。そんな医師の言うことを盲信し、言うなりになっている医療の現実には、私も疑問を感じずにはいられません。
特にレイキをするようになって、発熱や下痢などの病気と言われる症状は「浄化」なのだと知ってから、その症状を抑えるために薬を飲むということに違和感を感じるようになったのです。そういう意味で、私はこの本に書かれていることに共感します。
しかし、整体によって病気が治るということについては、まだよくわかっていません。
本書では、そのことについてはあまり触れられていません。それよりも大事なのは、心の持ちようということなのだろうと思います。
