これはTwitterだったかYoutubeだったか忘れましたが、紹介している投稿があり、興味を持って買った本です。
以前にも「減速して生きる ダウンシフターズ」という本を読んだことがありますが、私にはミニマリストとかシンプルな生活とかに、憧れるものがあるようです。
前の本では家族4人で年収300万円でしたが、こちらの本は、年収90万円で東京ぐらしです。著者は大原扁理(おおはら・へんり)さん。30歳で引きこもり歴や海外一人旅など、いろいろ経験されている方のようです。
私は今、長野県で暮らしていますが、年収は300万円弱くらいになるでしょうか。妻に8万円の仕送りをして、毎月5万円の天引き貯金をして、十分に暮らせています。まだまだ余裕があるので、もう少しシフトダウンしてもいいのかなと考えていて、この本はぴったりだなぁと感じました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「高校卒業後、わたしは私生活で他人と会うのを一切やめました。金は空から降ってはこないので、生活費を稼ぐためのアルバイトだけはしてましたが、それ以外の時間はぜーんぶ趣味につぎこみました。くる日もくる日も図書館で借りた本を読んだり、映画を観たり、料理を作ったり、掃除をしたり、寝たり起きたり。携帯ももちろん解約しちゃって、たまに家電にかかってくる遊びの誘いも全部断って。楽しい! ほぼひきこもり生活!
それで、気がついたら3年も経っていたんです。もう毎日毎日楽しくて、ハタチを過ぎたことも気付かなかったくらい。」(p.5-6)
「そんなこんなで、現在は適度に社会と距離を置き、週に2日ほど介護の仕事をして、たまに友達とも会ったりして、のんびり生きています。お金もモノも地位もない質素倹約生活だけれど、これはこれで、まあ楽しいもんです。」(p.10)
のっけからかなり変わった人だなぁという感じがしました。
「大人のみなさんからかわいそうな目で見られることもあります。
だけどみなさんがイメージする貧困層の苦しい生活と違って、渦中から実際どう見えるかっていうと、これはこれで幸せなんだよな〜。
だって、当然といえば当然なんです。何が幸せと思うかは人によって全然違うんですから。わたしみたいに2万円台のアパートに住んでても幸せと思える人もいれば、苦しい人もいるし、豪邸に住んでブイブイいわすのが幸せっていう人もいれば、それがしんどい人もいる。
じゃあ、どんな場合にも当てはまる、いちばん大切なことって何でしょうか? それは、「どうすれば自分が幸せか?」を、他の誰でもなく、自分自身が知っていることじゃないかな。」(p.22)
「これは、みんなもわたしを見習って隠居しよう! という話では全然ないんです。
外野がとやかく言っても、自分が本当に好きなことを優先するために、今置かれた状況でどうすればいいのかを考えるのが大切だと思うんです。」(p.23-24)
何が幸せで何が不幸なのかは人それぞれですね。だから、自分で自分にあった人生を選ぶしかないんだと思います。
「そして、好きなことなんかなくても、今すぐ見つけなくても、もっと言えば死ぬまで見つからなくたって、別にいいじゃないですか。大事なのは、嫌いなことで死なないこと。これぐらい目標を下に置いとけば、とりあえず絶望はしなくてすみます。」(p.30)
自分らしく生きることにプレッシャーを感じるのもおかしな話。今、やりたいことがないならないで、少なくとも嫌いなことで自分自身を追い詰めないことですね。
「行く先々で仲間外れにされるなら、自分に何か問題があると思うけど、そうではなかったという発見。今思うと、あの環境があってとても良かったと思う。学校では窓際族だけど、それはそこがそういうシステムになっているからで、自分がダメ人間なわけではない、と思えるから。」(p.35)
大原さんは学校ではいじめられていたようですが、英語が好きだったので、英会話スクールに通ったりして、別の集団の中で受け入れられる体験もされてこられたようです。
「いま、いじめられている子たちに言えることがあるとしたら、「いじめはずっとは続かない」ということ。小学校は6年、中学と高校は3年で終わるんです。子どもの3年なんて、永遠みたいなもんだけど、それでも3年間できちんと終わります。話のわかる大人がいれば、そんなに待たなくていいけれど、いない場合もありますからね。それまで、出来る範囲で逃げ続けましょう。そりゃもう、誰がなんと言おうと、逃げちゃっていんです。」(p.47)
状況は有限です。いつかは変化します。だから、今が耐えられないなら、逃げることですね。
「だからあわてずあせらず、ゆっくり年をとっていくといいよ。年をとればとるほど、自分が自分でいることが快適になって、イヤでもラクになってきちゃうから。たぶん、瑕疵(かし)と思えることも平気で薄目で見られるようになるんですよね。これってつくづく、テキトーに楽しく生きていく上で必要な技術だなあ、と思う。」(p.50)
自分じゃないものになろう、つまり他人に評価されることで価値のある人であろうとすると、生きるのが苦しくなるんですね。でも、子どもの頃はどうして、そういう生き方になりやすい。だって、大人の庇護がなければ生きられないから。だから、いずれ大人になったら自由になれるからと、大原さんは励ますのです。
「わたしは「ルールだからダメ」「それって常識でしょ」みたいな場に出くわしたら、五感をフル稼働して相手とその周囲をよ〜く観察してみます。その人たちが、もし目先の「社会的にオッケーとされること」しか見ていないと思ったら、適度に無視します。」(p.56)
校則だから、マナーだから、と言ってやたら他人を縛り付けたがる人は多くいますよね。けれども、それが意味がないと思うのであれば、できる範囲で無視してしまえばいい。そうやって無視する人が増えていけば、いつかルール(常識)が変わるのです。
「いい悪いとか、正しい間違ってるみたいな、相対的で対立的な価値観って、疲れると思う。間違ってる何かがないと、自分が正しい側に立てないというのは、しんどくないでしょうか。」(p.63)
自分の正しさを認めさせようとして、他人をやたらと「間違ってる」と決めつけて責める人がいますよね。たしかに、疲れる生き方だなぁと思います。
「個性は外に求めるものではなくて、日々の地道な積み重ねの中から、否応なくにじみ出てくるものだと思います。一朝一夕にではなく、毎日、コツコツ「自分」をやっていくこと。それをすっとばして、本当の意味で個性的になることはできないと思う。本当に個性的な人って、よく見るとわかるけど、人の注目を集めようとしてるっていうよりは、ただひたすら「自分」をやってるだけなんですよね。」(p.65)
個性というのも、他者との比較の中で、他者から評価されることで、あるいは評価されるために、創られるものではないんです。
「でも1日30品目バランス良くとかいうのが本当にストレスで、どうしたらそんな超人的なことができるのかサッパリわからんかった。そんなことしてたらお金がかかりすぎるじゃん。1日30品目なんて、バランスとるのもいい加減にしてください。
それでいろいろ試してみて、金銭的、健康的、精神的に自分が納得できるところとして昔ながらの日本食に行き着きました。それも、平安貴族みたいなのじゃなくて、平民が食べていたような、粗食です。結果、毎日快眠快便、総合的にすんごいラク。」(p.70)
「そんなわけでいろいろやってみて、食生活をゆるい玄米菜食にしてから、どうでもいいことにキレることが確実に減りました。そしたらすんごいラク。キレるってけっこうなエネルギー使うのね〜、なんて思ったことです。
肉を食べなくなって、欲も減った。生きていくために必要な欲求だけが残っていって、必要ないものは勝手に淘汰されていく感じ。今、デフォルトで食欲と睡眠欲。オプションで性欲。物欲や金銭欲は、必要なだけあればそれ以上欲しいって思わなくなっちゃった。」(p.76)
「わたしの食事は、俗にいう玄米菜食ってやつです。だいたい玄米、おみおつけ、漬物。納豆とか、サバの味噌煮とかを食べることもありますが、基本はこれを1日1食。あとは気分でアレンジを加えるというゆるいスタンスです。」(p.78)
あまり厳格でないゆるい玄米菜食によって、欲望も薄まり、肉を食べないからかキレることもなくなったそうです。
あとで数日間の実際のメニューが載っていますが、朝はトーストとりんごジュース、昼は蕎麦やラーメン、夜は玄米ご飯、というような感じですね。
私も以前は、玄米ご飯を炊いて冷凍保存しておいて、おじやにして食べることがよくありました。最近は、仕事の日は朝食抜き、昼はカップ麺かレトルトカレー、夜はまかないご飯、ということが多かったです。
「そもそもわたしが粗食になったのは、めんどくさがり屋だからだと思います。
料理はまあ気分転換みたいなもんだけど、毎日3回もやってたらめんどくさくなる。どうせ毎日やるんだから、手間ひまかからないほうがいいじゃん。でも健康も欲しい。そんなわたしにピッタリなのが粗食だったのです。」(p.80)
私もめんどうくさがりなので、その気持はよくわかります。そして、どうせ食べるなら健康的なものをって思いますから。
「最後に、これだけは忘れずに心がけてほしいのが、必ず「自分で実感する」というステップを踏むこと。人やテレビが言ってるからって鵜呑みにしないでください。こういう食事にしたら、どうなったのか。よく眠れるようになったか、毎日便は出るか、持病の調子は、お肌の調子はどうか、精神的・経済的に無理がないか。こういうことを照らし合わせて、自分自身で判断することを、すっとばさないでください。そして定期的に微調整していくことを、ぜひ続けてください。」(p.93)
まったく同感です。鵜呑みにしないこと、自分で判断すること、自分の身体の声をよく聞くこと、微調整し続けること。いずれも重要なことだと思います。
「心と体のバランスは、いつもいつでも自省と微調整が必要なもので、社会と距離を置いたからって、上達したり、熟練したりすることはないというのは発見でした。
自分とのズレを修正するには、とにかくボーっとするのがいちばんです。何もしないこと、何も考えないこと、何も知らなくていいし、何にも応えようとしなくていい時間を、30分でもいいから持つと、すごくいい。」(p.141)
「公園で何も考えずに日向ぼっこしたり、雨の日はアパートの床に大の字になって、雨音を聞くのもオツです。日によって違うけど、1時間でスッキリすることもあれば、3日ぐらい寝て何もしないこともある。この時間はネットもつなぎません。本も読みません。わたしは持ってないけど、テレビも見ないほうがいいでしょう。
それで、ひたすらボーッとする。何にもしないと、人間、自分と向き合うしかなくなるんですよね。」(p.142)
一人でただ静かにしていることは、「神との対話」でも勧めています。私も、基本的に一人で過ごすことが多いのですが、最近はついネットをやりながら過ごすことが多いので、なにもしないこともやってみようと思います。
「というのは、ここ数年、わたしの年収は数字だけ見たらうなぎ下がりで底打ちデフレ状態でこんな年収でやっていけるわけなくて生活が苦しいはずなんですけど、毎年、年末になってその年を振り返ると、「今年は今までの人生でいちばん良かったなあ」ってなぜか思うんです。
なんでかと考えるに、これは想像の域を出ないのですが……。上京してきたばかりの頃、働きまくって、稼いだお金の大半が生活費と税金に消えていたとき、お金は今よりずっと稼いでたけど余裕はなく、どうひいき目に見ても幸せとは思えなかった。」(p.144)
お金を大切に扱い、やってきたお金に対して愛しさを感じるほどの大原さんですが、だからと言って収入が増えるわけではないと言います。むしろ減っていると。しかし、収入は減っていても、満足度はUPしているのですね。
つまり、今の自分が幸せであるために、満足しているために、最適な生活スタイルを作れば良いということなのです。世間が週休2日がふつうだと言おうとどうしようと関係なく、自分に合った生活スタイル、仕事スタイルを見つけることです。
大原さんは、欲求というものがほとんどないため、お金を使う必要がないと言います。そのための指針として、「ひま耐性」「楽観的かどうか」「世間体」という指針を示しています。
「ひま耐性」というのは、どれくらいひまに耐えられるかということ。逆に言えば、他からの刺激が与えられない状況でどれだけ楽しんで生活できるかということですね。たしかに、大原さんのように週休5日もあれば、暇で暇で仕方ないと感じる人は多いかもしれません。
「どれくらい楽観的でいられるか、も重要なポイントです。
老後の不安とか、年金とか、病気になったときとか、考えると不安な方もいるかもしれません。不安は、育てようと思えばどこまでも大きくなるものです。
わたしは今までこんなに年収が低いのにやってきた、なんとかなるもんだという自負があるし、心配し始めるとキリがない。なるべく病気にならないように適度な運動と食事には気をつけて、今の自分のおかれた状況でできるベストは尽くしたんだからそのときはそのとき、と割り切るようにしています。わざわざ不安にエサを与えるようなことはしません。」(p.157-158)
これは私も同感です。不安になろうとすれば、いくらでも不安になれるのです。逆もまた真なり、ですね。
「どれくらい世間の目を気にしないでいられるかも、忘れてはいけません。
いつの時代も、人と違うことをすると、多かれ少なかれヘンな目で見られるみたいです。」(p.158)
「人と違うと思ったら、それはとても健康的なことですから、隠さなくても良し! むしろ、小出しにアピールしといて、自分も周囲もそれに慣らしといたほうがいいです。「あー、あの人ちょっとヘンだもんね」と言われるようになれば、何したって許されるからこっちのもんです。」(p.158)
良寛さんの例をあげておられますが、たしかに良寛さんも変人です。そもそも人は違うものですし、ヘンで当然なんですね。
「わたしには、お金がなくても時間はたくさんあるし、数は少ないけど大切な友人たちもいるし、実家に帰れば家族もいます。家がなくなってもみんなで少しずつ助け合って生きていけると思うので、そんなに慌てなくてもいい感じです。この上さらに畑でもやってたら、向かうところ敵なしだと思う。人と比べたら貯金はないけど、備えはあると言えるかもしれません。」(p.160)
いざという時の備えはお金だけじゃありませんからね。
「なぜこんなことが言えるかというと、根拠はありません。なんとかなると思ってます。だって今までも、根拠もないくせに、なんとかなってるし、してきたから。あなたも、これを読んでるってことは、今までなんとか死なずにやってこられてるわけですよ。
わたしは、できないかもしれないことにはあんまり興味がなくて、今までやってきたことにフォーカスしたほうが健康的だと思うんです。だから、いつもこれからがすごく楽しみ。」(p.164)
なぜ大丈夫と言えるか? そんなの根拠がないし、根拠もなくそう思えるから強いんですよ。
「正確に言うと、短期的な夢(たとえば、今月中に温泉に行きたいなーとか)ならある。でも、5年後や10年後にどうなっていたいか、というビジョンがまったくありません。そこは未知数にしといたほうが楽しいから。」(p.170)
「ところで不思議なんですけど、上京するときとか、ちょっと世界一周してくるわ、って親や周りに言うと、「なんのために行くの?」「行ってどうするの?」「将来何がしたいの?」とかめちゃめちゃ聞かれます。心配してもらっといて本当にすみませんけど、正直、それよけいなお世話です。その心配、自分のために使ってくださいよ、って本当に思う。」(p.171)
本当に、私もそう思います。遠い将来のことを不安に感じて今を生きるなんて、アホらしいなぁって、今の私は感じますから。
「想像力の可能性って、差別、少子高齢化、外国人労働問題、移民問題とか、いろんなことに対応できることだと思う。敵とか味方とか、背負っているものをとりあえず置いとく。そしてひとりの人間というところにみんなが立ち戻ることができたら、何をすべきで何をしないべきか、自ずと見えてくるように思います。
だから、まずは想像力。これからの時代、どんな資格よりもゲットしといて損はないものです。
では、それはどうしたら身につくか。
相手を慮る想像力は、自分が病気を経験したり、子どもを育てたりすることで培われる人もいると思うけど、そんな大きな経験しなくても、一番手っ取り早いのは本を読むこと。自分が体験しえなかった人生を疑似体験するのが目的なので、ビジネス書とかじゃなくて小説が良いです。」(p.174-175)
想像力とは、要は「思いやる力」だと思います。バリ島の兄貴に言わせるなら、「他人事を自分事として考える」ということですね。
たしかに苦労した経験は、そのために役立つでしょう。しかし、もっと簡単にその力を身につける方法が読書だと大原さんは言います。他人の体験談を知ることは、自分の想像力を養うのに役立つのです。
そう言えば、論理的で合理的な思考が得意な私に対して、母は人間としての冷たさを感じていたようで、「もっと小説を読め」とよく言っていました。読書量が多いのは良いことだが、小説を読まないから人間的に冷たくなるのだと。
私としては、そういうことはないと思っていたのですが、母にとっては心配だったのでしょう。私も、適度に小説は読んでいますよ。歴史小説もよく読んだし、三浦綾子さんや喜多川泰さんなどの小説も読んでいます。天国の母には、ぜひ安心してもらいたいですね。
「最後にもうひとつだけ、退屈な時代を平和に生き抜くために、大事なポイントがあります。全体主義屋さんにつけこまれてしまう根本的な原因は、人間が何かに頼らなきゃいられないという弱さを持っていることです。
釈迦は、「人間は、自分以外のものを本当の拠り所としては生きていけないのだ」と言ったそうです。それは親兄弟であり、恋人であり、子どもであり、街であり国であり民族であり、もっと言えば釈迦本人でさえ拠り所にはなならない。」(p.179)
たしかに釈迦は、一人で歩め、と言われてますね。群れてちゃダメなのです。自分の人生に自分で責任を持つ覚悟をする。その上で助け合うのです。
「こういう生活をしていると、「将来どうするの?」という質問をものすごくされるんです。が、わたしは世間で言われている意味での将来(老後)については、あんまり思うことはありません。
というか、将来を考えたときに、個人として出来ることっって、結局毎日をただシンプルに、きちんと生きていくしかないんじゃないかなあ。きちんと生きていくっていうのは、なるべく機嫌良くして、美味しいお水を飲んで、出来るだけ体にいいものを食べて、疲れたらしっかり寝て、たまにセックスして、あとは今日もごはんが食べられることに感謝するとか、損得勘定やおかしいと思うことに流されてしまうことなく、いつも自分でいることとか、もうダメだーと思ったら「もうダメなんでちょっと休みます」って周りに宣言するとか、そんなこと。」(p.180-181)
「わたしがもし、急病で自室で亡くなることがあったら、遺言としてここに書いておきますけど、どうぞ悲しまないでくださいね。わたしはやむにやまれずではなく、自分の意志でひとりで暮らすことを選んだんですから。死んだときはひとりだったかもしんないけど、孤独かどうかはまた別の話です。好きなように生きて、勝手に死ねたら、もうそれは大往生。むしろ喜んでほしい。」(p.185)
私も共感します。遠い将来のことを心配したって、どうにもなりません。なるようにしかならないし、それは、なるようになるってことです。
だったら、そんな未来の心配を今するより、今を大切にして生きた方が幸せじゃありませんか。そして、いつかは死ぬ時がやってきます。それは孤独死かもしれませんが、孤独かどうかとは別次元のことだと思います。
読み始めた時は、ちょっと私とは別の世界の人かと思ったのですが、読み進めていくと、私の感性に近いものを感じるようになりました。
私も、やみくもに稼ぐ生活ではなく、必要なだけ稼いで、あとは今を大切に、人生を楽しんで生きたいと、改めて思いました。
