喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの新刊が出ることをFacebookで知って、すぐに予約しました。その本がやっと届いたので、他の本を差し置いて真っ先に読みましたよ。
小説なのでサクサク読めますが、さすがの喜多川節ですね。喜多川テイスト満載の小説になっていました。
本によって想いを伝える。「手紙屋」に始まる喜多川さんのこの考えは、この小説にも生かされていました。
今回のテーマは、父と息子。そして、それぞれの人の生き様です。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。と言っても、これは物語なので、ネタバレしない程度に収めますね。
最初にあらすじですが、前書きに「陽子ちゃん」の話が出てきます。これがあとから種明かしされる前フリになっています。
主人公は石橋嘉人。中学の数学教師です。結婚していて、2人の子ども(姉と弟)がいます。その嘉人の人生にも、いろいろなものがありました。
愛媛の西条の出身ですが、飲んだくれの父の元から逃げて、母子家庭で育ったのです。それ以来、音信不通だった父。その父が亡くなったと、地元警察から連絡が来ます。
遠い過去の故郷に戻った嘉人でしたが、西条祭りの思い出が蘇ります。非日常の祭りがあるからこそ、人は日常を暮らしていけるのかもしれない。
その西条祭りは10月半ば。2020年から2年間は、コロナ禍で中止されていましたが、2022年には3年ぶりに行われるとか。今はまだ9月ですが、小説では、それが行われた様子が描かれています。
「そうなってからは、年に数回程度あるかどうかわからない「自分の父親」というものを思い出すときも、愛するでも憎むでもなく、あくまで他人として感情に揺さぶられることなく振り返ることができるようになっていた。
ところが、自分が知らない哲治の暮らしぶりや、別れてからのことを知ることで、それがいいものであれ、悪いものであれ、嘉人の感情を揺さぶる何かに変わってしまうのではないかという懸念があった。どうせ変わるのであれば、憎い、許せないという方向に変わってくれたほうが楽だろうと思っていたが、思い出したのは哲治の父としての優しい一面だった。」(p.115-115)
記憶というのは、自分に都合の良いものと言うか、思い込んでいることが断片的に残っているだけのことが多いようです。
私自身も父については、「怖い」という印象しかなかったのですが、しかし、よくよく思い出してみれば、楽しかったこと、優しかった父のことも、本当はあったはずなのです。
「あなただって父親がいないのに立派に育ったじゃない。きっといいなくて寂しい思いや辛い思いもたくさんしたんだろうけど、そのぶん強くなったり、優しくなったりもしたでしょ。あなたが、父親に甘えたかったのにそうさせてもらえなかったことを恨む気持ちもわかるの。ただ、一方で、そのおかげで今のあなたのように強く優しくなれたのも事実でしょう。あなたは可哀想ではない」(p.148-149)
物事は多面的です。それによって「悪い」とも言えれば、「良い」と言える面もあります。
「可哀想」というのは、1つの見方に過ぎないのです。そして、他人(や自分)を「可哀想」と見ることは、その人の価値を認めないということでもあるのですね。
「一言で言えば”石橋嘉人”の人生を生きている。人から見れば幸せそうでも、順風満帆でも、そこにはあなたにしかわからない苦しみや悩みがたくさんあったでしょうし、今もあるはずよ。どんなに親しい人でもそれを理解することはできない。たった一人でその苦しみと向き合って生きている。そんなことができるのはあなたしかいない。他の誰も”石橋嘉人”の人生を生きるだけの強さはないわ。それこそが人間の凄みだと私は思うの」(p.195-196)
それぞれの人に、それぞれの人生があります。そしてそれは、その人にしか生きられないもの。他人は、ああだこうだと好き勝手に評価するけど、実際にその人生を生きられるのは、その人だけなのです。
だからこそ、その「違い」こそが素晴らしいものであり、その人のかけがえのなさだと思います。
「いつも明るいって言う人もいれば、いつも暗いと言う人もいる。すべて同じ一人の人間について言ってるとは思えないほど、聞く人によって答えが違うの。つまり人の性格なんて、周りの人の価値観という光をその人に当てて見えた投影図でしかないということよ」
「なるほど。その人に光を当てるというのは、観察者の価値観でその人を見るという意味なんですね」」(p.199)
他の人を見れあれこれ評価するとしても、それはその人の価値観という光によって浮かび上がる投影図であって、その人そのものではないのです。
だから、他人からどう評価されるかなんて気にする必要はないし、自分のことは自分が評価すればいいし、評価するしかないのだって思うのです。
それぞれの人に、それぞれの思いがあります。他の人によって、「良い」だの「悪い」だの決めつけられるようなものではありません。
ですから、それを他人がどう評価しようと、放っておけばよいのです。それより、自分が自分をどう評価するかが重要であり、自分が「良い」と思う自分、そして自分の人生であるように、自分がやっていくことですよ。
もちろんそれで、思いどおりに変えていけることもあれば、そうならないこともあるでしょう。それでも、それを含めて自分であり、自分の人生です。それをまるごと受け入れて、「よくがんばりました。」と言ってあげればいいんじゃないかなぁ。
これも、ぜひ読んでいただきたい本です。読んで、自分で感じて、自分で考えてください。
きっと、もっと自分のことが好きになるでしょう。そして、それによって、他人のことも好きになっていけるでしょう。

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