2022年09月21日

生まれが9割の世界をどう生きるか



以前に紹介した「ただしさに殺されないために」の中で「親ガチャ」についての記述がありました。
若者たちにとっては「努力すれば報われる」という、ひと昔前までであれば多くの人から素朴に信じられ肯定されてきたような美しい物語を、真っ向から否定し叩き壊す「不都合な真実(ネタバレ)」があまりにも数多く提供されすぎてしまったのである。」(p.212-213)
つまり、遺伝によってほぼ決まっているのだから、努力すれば何とかなるというの幻想であると。それが「親ガチャ」という言葉を生み出し、それが共感的に受け入れられる土壌になっているのではないか、というわけですね。

このことに興味を覚えたので、ここで紹介されていた安藤氏の本を読んでみることにしたのです。
ネットで検索して探したのですが、紹介されていた本の後に出版されたこちらの本が面白そうだと感じました。サブタイトルには「遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋」とあり、そういうどうにもならない現実を生きる方法について言及されていると思ったからです。

著者は安藤寿康(あんどう・じゅこう)氏。慶応大学の文学部卒となっています。遺伝学は理系かと思ったのですが、教育心理学や行動遺伝学などの専門分野で、遺伝が与える影響などを研究しておられるようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

世界は親ガチャと環境ガチャでほとんどが説明できてしまう不平等なものですが、世界の誰もがガチャのもとで不平等であるという意味で平等であり、遺伝子が生み出した脳が、ガチャな環境に対して能動的に未来を描いていくことのできる臓器なのだとすれば、その働きがもたらす内的感覚に気づくことによって、その不平等さを生かして、前向きに生きることができるのではないでしょうか。」(p.6)

これが結論的なことですね。詳しく説明されていますが、遺伝によって50%くらいは決まっており、生活環境によって30〜40%が決まるのであれば、自分の努力ではほぼどうにもならないということになります。これが本の帯に書かれている「人生は「運」と「偶然」で決まります」ということなのですね。
けれども、そういう他律的な部分があることを前提として、自分の意思でそれをどう受け止めるかを決めることができます。それによって、幸せにもなれれば、不幸にもなれるのです。


個々のパーツは、確かにお父さん、お母さんに似ているわけですが、出来上がった子どもの顔は、お父さんそのものでもなければ、お母さんそのものでもありません。お父さん、お母さんからいくつかのパーツが伝達された結果、まったく別の顔立ちが作られたのです。どんなパーツが伝達されてどんな顔立ちになるのかは、父と母それぞれの生殖細胞で減数分裂が行われた後、受精卵になった時点で決まります。こうして作られた顔立ちが遺伝だと考えればよいでしょう。」(p.37)

遺伝でほとんどが決まると言っても、その遺伝のされ方は様々です。同じ両親のもとに生まれる兄弟姉妹で違いが多々あることからも明らかでしょう。

どんな役柄を演じる舞台や脚本を与えられるかが、つまりは環境ということです。そういう意味で、人の顔は、親から伝達されたパーツで構成された顔立ちと、どういう表情をすることになるかという環境によってできていると言うことができます。」(p.38)

普段どんな表情をしているかがシワに刻み込まれて、その人の顔を作り上げる。そうであれば、苦悩に満ちた人生環境なのか、それともニコニコ笑顔で過ごせる環境なのかで、作られる顔(表情)はまったく違ってくるのです。

人間のABO血液型も非相加的遺伝ですね。遺伝子型がAAまたはAOならA型、BBまたはBOならB型、OOならO型、ABならAB型になるということはよく知られています。
 もっとも、人間のさまざまな形質の大部分は相加的遺伝で説明でき、知能や学力なども相加的遺伝の傾向が強い形質です。
」(p.44)

私も子どもの頃に読みましたが、メンデルの法則で知られている遺伝の話が、「親に似る子似ない子」という本で紹介されていました。これが非相加的遺伝と呼ばれるものだそうです。
しかし、遺伝の多くは相加的遺伝であり、これは両親のいくつかの遺伝子の組み合わせでONとOFFが決まり、そのONの集積によって、その特性がどの程度現れるかが決まるというものです。したがって、同じ両親の子どもであっても、その効果量が合わせて1のこともあれば10のこともある。どういう子どもとして生まれるかは、遺伝子の組み合わせ次第というわけです。


ある時点で同じ景色や出来事を経験しても、次の瞬間にはそれぞれ別の景色や出来事に出会い、違う経験の連鎖となってゆく。その異なる経験の連鎖から何を切り取り、何を知識として積み重ねてゆくかに、環境の偶然と遺伝の必然が相互作用していきます。」(p.51-52)

また、親としてはどの子も同じように褒めたり叱ったりしているつもりでも、その受け取り方は子どもによって違います。叱られたことをものすごく気にする子もいれば、まったく気にしない子もいます。どういう影響を受けるかは、子どもの遺伝的素質によって変わってきます。それどころか遺伝的素質が同じはずの一卵性双生児の間でも変わってくるのです。」(p.53)

つまり一言で「環境」と言っても、まったく同じ環境を経験できるわけではなく、その違いによって受け止め方(経験)が違ってくるということが1つあるのです。さらに、仮にまったく同じ環境であったとしても、それをどう受け止めるか(経験するか)は、それぞれの遺伝に影響された素質によっても違うということですね。

ですから言うまでもないことですが、子育ての影響が少ないというのは、親が子どもの世話をしなくてもいい、関わりを持たなくていいということではありません。子育て(共有環境)の影響が少ないといいますが、これは「こう育てればこうなる」という一般的な子育ての法則があるわけではないと言っているのです。」(p.54-55)

同じように育てたからと言って、同じように育つわけではありません。どう育つかは、何とも言えないのです。


ただ世の中、ごく稀にへそ曲がりがいて、遺伝的素質のセットポイントが2の人がたまたま出会ったセットポイント2の指導者の持つ何かに強烈にインスパイアされて、いきなり4の能力を発揮してしまうということがないとは限りません。これを遺伝と環境の相互作用と言います。こんな稀な出来事が生ずるメカニズムは複雑すぎて解明不能です。」(p.58)

立派な親や指導者だから、立派な子どもや選手が育つわけでもないのですね。

以上をまとめると、環境というのは膨大な要因で構成されており、一つ一つの要因の効果量は極めて微小、なおかつしばしば遺伝的素質と複雑な交互作用をしているということです。誰にとっても同様に作用する、単純な環境というものは存在しません。あらゆる形質は、遺伝と環境が複雑に作用して形成されているのです。」(p.60)

結局、遺伝とか環境によってほとんどが決まってしまうのですが、それらは本人がどうすればどうなるかという予測が不可能なものだ、ということになるのです。


音楽的な才能だとか大上段に構えなくても、何かを好むということ自体がすでに「その人らしさ」の表れであり、能力の萌芽なのです。
 自分の中にある「これが好き」、「これは得意」、「これならできそう」、そういったポジティヴな内的な感覚は、自分の能力に関する重要な手がかりです。
」(p.77)

才能というのも、両親の才能とか指導者などの環境だけで決まるわけではありません。その子にどんな才能があるか、周りからは知る由もなく、本人が何を好むか、どんなことに直感を感じるのかによってのみ、知ることができる可能性がある、ということですね。

遺伝的素質という観点からすれば、きょうだいも他人と同じくらいに違うと言っても過言ではありません。ある形質について、他人と比べて一喜一憂しても仕方ないのと同じくらいに、きょうだいと比べても仕方ないのです。」(p.94)

遺伝によってほとんどが決まるという意味は、同じ両親からは同じ才能の子どもが生まれるわけではないのです。


その結果は、教育年数の差は賃金に一定の差を生みますが、どの大学に行くかは将来の賃金に影響しない。特に一卵性双生児のきょうだいが、一方は偏差値の高い高校、他方がそうでない高校に行き、大学も偏差値の違う大学に行ったとしても、その差はその後の賃金には影響していないことがわかりました。」(p.105)

つまり、受験の成功や失敗で人生が決まるわけではないのですね。それが統計が示していることなのです。


では、資産の多寡に関係なく、誰もが学校で読み書きを習うようになったら現代の読解力のグラフはどうなるでしょうか。その場合は、グラフはきれいな正規分布を描くでしょう。
 つまり、環境側の圧力が低下すればするほど、遺伝的な能力の差がストレートに出てくるようになるということです。
」(p.134-135)

かつてのように、貴族とか武士など上流階級の人にしか学ぶ機会が与えられないような社会的な制約があるなら、当然、その恩恵が得られる階級に属しているかどうかで人生が決まると言えるでしょう。
しかし現代の日本のように、そういう差別が許されない社会においては、基本的に遺伝的な能力差が顕著に現れるのです。


あまりにも自分と合わない環境だと感じたら、別の居場所を持つようにする。それは空想の世界でも、思索の世界でもかまいません。その先に何か豊かな世界が予感できるのであればいいのです。」(p.142)

ほとんどのことが遺伝的に決まっているなら、特定の環境に合わせて能力を伸ばそうなどと無理な努力を重ねるより、自分が居心地が良いと感じる環境、つまり自分に合った環境を選んでいくことが賢い生き方だと言えるのではないでしょうか。


確かに、子どもの能力が「特定の領域に対してフィットしている」という稀な幸運はありえますが、そのためにいくつもの習いごとをさせて適性を見るというのは分のよい方法だとは思えません。なぜならいわゆる才能を発揮している人が、子どもの頃にたくさんの習いごとをする中で、その才能の素質に出会ったというエビデンスはないからです。むしろ遺伝的な能力は、どんな状況でも自らそれを育てる環境を選び取っていくようです。」(p.157)

では、児童期の学力や知能に影響がある共有環境の具体的な中身、どんな子育てをすると、子どもの知能を高めることができるのかについては、正確なところはわかりません。これは研究されていないのではなく、数ある要因一つ一つの効果量が小さいため、「○○をしたら、決定的に知能を高める効果がある」と答えるほどのものがないということです。」(p.177)

しかしこれまでの研究で、子どもの知能や学力に効果がありそうな要因を2つ挙げることができます。それは「静かで落ち着いた雰囲気の中で、きちんとした生活をさせること」と「本の読み聞かせをすること」です。」(p.177)

何が子どもの教育に役立つかははっきりしないものの、自堕落的ではなく、落ち着いて何かに没頭できるような静かな環境と、知的好奇心をくすぐるような読書の習慣を身に着けさせる読み聞かせが良いと安藤氏は言います。


また、素質がない人が何かに挑戦することが無駄とも私は思いません。この世のあらゆる知識は何らかの形でつながっていますから、自分の中にある別の能力に気づくきっかけになるかもしれません。素質がなかったからこそ、素質がある人がどれほどすごいのかを深く理解できるようになり、その世界のよきサポーターになることも大いにありえます。」(p.184)

自分が大成しないとしても、挑戦することのメリットはありますからね。


タークハイマーらの研究結果から言えるのは、SES(社会経済状況)が高くなるとさまざまな能力についての遺伝率が上がる傾向があるということ。つまり、お金の制約など環境側の圧力が低くなることにより、その人が持っていた遺伝的素質が出やすくなると言えます。」(p.206-207)

遺伝的素質の高い子どもにとって、SESの高低はそれほど問題にはならないと言えそうです。もちろんSESが高い方が素質を発揮する文化資本にアクセスしやすく有利ですが、それに恵まれていないSESの低い環境にいても、遺伝的素質があれば、それが自ずと発現し、自らがその才能に気づき、周りの人もそれを支えようとして、引き上げてくれる可能性があるでしょう。」(p.207)

つまり、才能がある子どもは、たとえ環境が整っていなくても、どうにかしてその才能が発揮されるようになっていく、ということですね。
逆に言えば、環境が整わないから才能が発揮できなかったと考えるのは間違いで、そもそもそういう才能がなかったのだと考えるべきだということです。


優生学は否定されましたが、同時に心理的形質の遺伝がタブーになったことで、逆に「優生的現実」、すなわち遺伝的に優秀な人が有利に生きられる社会はそのまま残ってしまったのです。人々は「優れた人」をあがめ、自分もそうなろうとし、そうでない人の価値を貶めます。そういう優生思想は生き延びてしまいました。そのことに、私たちはもっと自覚的であるべきでしょう。
 遺伝的素質の差異があるにもかかわらず、特に知能や学力という基準で人を序列化する。そうした暗黙的な序列に基づいて、社会的地位や収入が決まっていく。これこそ、「優生社会」ではないでしょうか?
」(p.227)

ナチスが、アーリア人こそが遺伝的に優れているという優生思想を掲げ、遺伝的に劣っている人種を見下したことは有名です。そのことへの反省(忌避)から、優生的遺伝を否定し、教育次第で才能を伸ばせるとするのは、科学的とは言えません。
能力は遺伝的に決まるものですが、能力は多岐にわたっています。学力とか知力だけが能力ではないし、それだけで人の優劣が決まるものではありません。


しかし、人間の能力の生かされ方は、突出した個人技ではなく、複数のローカルな人間関係の中で現れてくるものです。いや仮に突出した人だけが輝いていたとしても、その人の周りには、その人を輝かせているたくさんの人たちの協力によるネットワークが成り立っています。そのネットワークの中で、他の人にはできない働きをする時、その能力にはやはりその人の遺伝的素質が発揮されているのです。」(p.230)

たとえば野球の才能がある人でも、誰もが野球を知らない国へ行けば、その才能を発揮できません。野球のことを知って、その才能を高く評価してくれる大勢の人がいるからこそ、その才能が社会の役に立つのです。

能力の個人差について研究してきた行動遺伝学者がこんなことを言うのは意外かもしれませんが、そもそも論で言うなら、人より抜きん出た能力を伸ばして輝くという考え方そのものに無理があるのではないでしょうか。」(p.233-234)

小さな集落の中で、自分の持っている能力を自然に発揮してリアルに生きる。そうした生き方は、これからのロールモデルになりうると感じました。ハーバード大学が1938年から行っている成人の発達研究でも、家族、友人、コミュニティとつながりのある人は幸福で健康、長生きすることが示されています。
 高度知識社会の幻想にとらわれていると、世界には高い知能を備えた少数のエリートとその他大勢の凡人しかいないように見えるかもしれませんが、リアルな社会はたくさんのローカルをその中に包含しています。
」(p.236)

たくさんの仕事が生まれるということは、たくさんの「隙間」ができるということ。その隙間を埋めれば埋めるほどさらに多くの隙間ができます。お金になる仕事に限らず、同好の士が集まるコミュニティも生まれます。生まれた場所とは違うところに居心地のよい時間を見つけてそこで仲間になった人たちと過ごすもよし、自分自身で隙間を作ってそこに人を呼び込んでもよいのです。起業というほど大層なものでなくても、居心地のよいコミュニティはそれだけで価値があります。」(p.239-240)

見えない他人と比較して、自分の才能の無さをなげいていても意味がありません。それより、現実的に身近なコミュニティにおいて、自分の居心地のよい居場所を見つけることですね。その中で自分らしく生きれば、それが自分の才能を発揮する最高の場所になるのですから。


いますぐ解決することは難しいですが、私はこれらは移行期ゆえの問題だと見ています。まともに食っていけるだけの報酬を得られる人がグローバルな序列の上の方だけということになれば、結局はその上の方の人たちがせっかく作ったモノやサービスを買う人間はいなくなってしまうのですから。」(p.241)

経済格差の問題に関して、最近は格差が拡大したというニュースもあります。それに対して、一時的なものと見ておられるようです。

言うまでもなく、私たちの社会はとても不平等です。その不平等をもたらす大きな原因の一つが、偶然親から配られた遺伝子の組み合わせが生む遺伝的な素質の格差だということが行動遺伝学によって明らかになりました。それからもう一つの原因は偶然の環境です。遺伝も環境もガチャであり、それで9割が説明されてしまいます。」(p.245)

興味を持ったことを学んでいく中で、社会における自分の役割を見出す。同時に、他者の持つ素質を見出し、学んだことを伝えていく−−。
 それこそが、はるか未来でもAIにはできない、人間の役割ではないでしょうか。
」(p.246)

不平等ということは、「違い」があるということです。人それぞれ違うのです。つまり、多様であるということ。
だからこそ、自分や子どもの才能を見つけようと努力することは良いとしても、他人の才能を見つけ出したり、それを称えたりすることによって、共に生きていくことが、全体で素晴らしい社会にしていくことにつながるのではないでしょうか。
このことが、タイトルの「生まれが9割の世界をどう生きるか」という問いへの答えになるかと思います。


遺伝や環境で9割が決まるということは、最初に想像していたのとは違う意味でした。いわば宿命というものだと思います。自分が意識してどうこうできるものではありません。
また、生まれた後のことであれば、運命とも言えます。運命は自分の努力でどうにかなるとも言えますが、それでも思い通りにはならないものです。

したがって、ただ起こったことを必然であり、最善であり、完璧なのだと受け止める。その上で、どう生きるかが問われている。
どんな才能が与えられているかはわからないけれど、何らかの才能が与えられているのだと信じて、今の自分を受けれ入れて、自分に正直に生きること。
そんなことを考えさせてくれる本でした。

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タグ:安藤寿康
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 09:07 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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