Twitterで紹介されていたことと、今、話題の方のようなので、読んでみることにしました。
著者は成田悠輔(なりた・ゆうすけ)さん。経済学者、データ科学者で、イェール大学助教授だそうです。
私は最初、Facebookで紹介されていたWEB記事で成田さんを知りました。ずいぶんと頭の良さそうな方だなぁとの印象を持ちました。
実はその記事の内容が、そのままにこの本の内容でした。なので、そのことに気づいてから、買わなくても良かったなぁと思った次第です。
まあでも、いろいろと考えさせてもらえる内容の記事だったので、その意味では、本を買うことでお礼をしても良かったかな、とも思っています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「具体的には、若者しか投票・立候補できない選挙区を作り出すとか、若者が反乱を起こして一定以上の年齢の人から(被)選挙権を奪い取るといった革命である。あるいは、この国を諦めた若者が新しい独立国を建設する。そんな出来損ないの小説のような稲妻が炸裂しないと、日本の政治や社会を覆う雲が晴れることはない。」(p.7)
日本の政治は行き詰まっており、若者の投票率が少々上がったくらいでは変わらない、という成田さんの分析です。だから革命的な何かが起こる必要がある、ということですね。
「これは冷笑ではない。もっと大事なことに目を向けようという呼びかけだ。何がもっと大事なのか? 選挙や政治、そして民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることだ。ルールを変えること、つまりちょっとした革命である。」(p.8)
投票するかしないかとか、政治家になるかならないかというレベルでは、ほとんど何も変わらないと成田さんは考えているようです。
だから、民主主義という制度そのものに疑いの目を向けて、そこを変えていく必要があるのだと。
「では、重症の民主主義が再生するために何が必要なのだろうか? 三つの処方箋が考えられる。(1)民主主義との闘争、(2)民主主義からの逃走、そして(3)まだ見ぬ民主主義の構想だ。」(p.13)
闘争というのは、民主主義と愚直に向き合って、調整や改良をすることだそうです。たとえば、政治家のインセンティブを改造することで、国家百年の計を優先する政策に取り組んで実績を上げれば報酬が増えるようにする、というようなもの。
しかし、これは実現可能性がほとんどないと分析します。なぜなら、その決定をするのは現在の政治家だから。現在の政治家が、そういう改革に取り組むのは考えられない。そう成田さんは分析します。
逃走も、たとえば洋上国家のようなものを造って、日本から逃げ出すというもの。闘争と比べれば実現の可能性がありそうですが、果たしてどうか?
成田さんは、仮に逃走するとしても、それは民主主義の問題を解決したとは言えないと言います。そこで民主主義の再発明が必要だということになり、それが構想だとされています。
「そんな構想として考えたいのが「無意識データ民主主義」だ。インターネットや監視カメラが捉える会議や街中・家の中での言葉、表情やリアクション、心拍数や安眠度合い……選挙に限らない無数のデータ源から人々の自然で本音な意見や価値観、民意が染み出している。「あの政策はいい」「うわぁ嫌いだ……」といった声や表情からなる民意データだ。個々の民意データ源は歪みを孕(はら)んでハックにさらされているが、無数の民意データ源を足し合わせることで歪みを打ち消しあえる。民意が立体的に見えてくる。」(p.17-18)
つまり投票による選挙で政治家を選ぶのではなく、また個々の政策を投票で選ぶのでもないのです。日常生活の様子から得られる無数のデータから民意を汲み取り、それを集計して政策を決定するというものです。
どのようなデータをどう解釈し、どう集計するのか? それがアルゴリズムであり、公開されたアルゴリズムにしたがって、自動的に政策が決定されるようになると言うのです。
「政治がなにやら大事だと頭ではわかる。だが、心がどうにも動かされない。政治やそれを縛る選挙や民主主義を、放っておいても考えたり動いたりしたくなるようにできないだろうか? その難題に挑戦することがこの本の隠れた目的である。読者のためというより、正直自分のためである。」(p.24)
つまり、成田さんが今の政治に飽き飽きしていて、民主主義という構造そのものを変えるという思考ゲームをすることで、ワクワク感を得たかった。その思考ゲームの集大成がこの本だというわけですね。
そうであれば、闘争、逃走、構想という言葉遊びも理解できます。本来なら、いくら構想を練ったところで、闘争と同様に現在の政治家が変えようとしなければ変わらないことは明らか。その意味では、構想で民主主義が変わるということはありません。
ただ、民主主義を構造から変えたらどうなるか、という世界を示すことで、何かが動き始めるかもしれません。たとえば、ある民間シンクタンクがその手法で政策を作って見せて、それが多くの人の賛同を得るようなことがあれば・・・。
「実直な資本主義的市場競争は、能力や運や資源の格差をさらなる格差に変換する。そんな世界は、つらい。そこに富める者がますます富む福利の魔力が組み合わされば、格差は時間とともに深まる一方で、ますますつらい。このつらさを忘れるために人が引っ張り出してきた鎮痛剤が、凡人に開かれた民主主義なのだろう。」(p.42-43)
資本主義は、優れた者に利益を与えるシステム。しかし民主主義は、愚かな大衆が社会をコントロールする仕組み。相矛盾すると成田さんは言います。
したがって民主主義を採用するということは、経済が低迷するなど、社会全体の発展を阻害することにもなりかねません。
「経済低迷のリーダーはもちろん我が国だが、日本だけではない。欧米や南米の民主国家のほとんども実は目くそ鼻くそで、地球全体から見ると経済が停滞している。逆に、非民主陣営の急成長は驚異的である。爆伸びのリーダーは隣国だが、これも中国だけではない。中国に限らず、東南アジア・中東・アフリカなどの非民主国家の躍進も目覚ましい。」(p.48)
これについては、すでに伸び切って豊かになった民主国家と、これから豊かになろうとする非民主国家の比較ではないかという視点もあります。成田さんもそこを見越して、そうではないという実例を示します。
しかし、それだけで民主主義が原因とは言い切れません。成田さんも、相関と因果は別だと言われます。しかし、他の分析からも、これは因果関係だと見るのです。
しかし、どうも都合の良いデータだけを並べているような気もしますね。なぜなら、民主国家の我が国が爆伸びした時期もあったからです。成田さんもそのことを取り上げ、まだ十分に正しい理論とは言えないかもしれない、ということは認めておられます。
「だが、ほとんどの政治家は知名度も権力も資産も中途半端なただの人で、人から気に入られつづけなければ立場を保てない。その残念な現実がシルバー民主主義を生んでいる。一人ひとりの政治家のビビリこそが、シルバー民主主義の実態なのだろう。」(p.94)
つまり、選挙で勝つためには大多数を占めるお年寄りの顔色をうかがわなくてはならなくなる、ということですね。
でも、大多数のお年寄りの意向を汲んで今の政治があるとするなら、大多数の人の民意をデータとして集めて自動的に政策を作り出しても、同じことになるんじゃありませんかね? このことへの的確な答えは、本書からは見つけられませんでした。
「だが、今は環境が違う。政策ごとに有権者が意思表明することもできるし、その人にとって「重要じゃない」「よくわからない」と思われる政策に無駄な影響力を発揮しないように辞退したり、信頼できる人に票を委ねたりする仕組みも可能だろう。「ある政治家・政党に、すべてを任せる」という昭和な固定観念を考え直す必要がある。」(p.117)
現在の民主主義は、個々の政策への賛否とは関係なしに政治家や政党を選ばなければならない仕組みで、民意が正しく反映されているとは言えないと成田さんは言います。
特にマイノリティの民意は無視されがちだと。当人にとっては重要な課題でも、他の大多数の人にとってはどうでもいい課題。そのどうでもいいと思っている人が、マイノリティの課題を決めてしまっているのです。
「意思決定アルゴリズムは不眠不休で働け、多数の論点・イシューを同時並行的に処理できる。人間が個々の論点について意識的に考えたり決めたりする必要が薄れる。「無意識」民主主義たるゆえんだ。人間の主な役割は、もはや選択したり責任を負ったりすることではない。機械・アルゴリズムによる価値判断や推薦・選択にだいたい身を委ねつつ、何かおかしい場合にそれに異議を唱え拒否する門番が人間の役割になる。政治家はソフトウェアとネコに取って代わられる。」(p.162-163)
意識的に何かを選択するということは、限られた一部のことなら可能ですが、無数にある選択肢に対して適用することは無理だというわけですね。だから、その部分はコンピュータが担当するのだと。
コンピュータがはじき出した政策が、何かおかしいとするなら、それはアルゴリズムがおかしいということです。だから、アルゴリズムを見直すということになります。
そういう社会になれば、もはや政治家は不要であり、イメージキャラとしてのネコがいればいいだけです。
まあかなり極論だと思いますけどね。その門番を誰がやるのかと考えると、やはり選挙で政治家を選ばなくてはならなくなるのではないか、とも思えるので。
「民主主義とはデータの変換である。そんなひどく乱暴な断言からはじめたい。民主主義とはつまるところ、みんなの民意を表す何らかのデータを入力し、何らかの社会的意思決定を出力する何らかのルール・装置であるという視点だ。民主主義のデザインとは、したがって、(1)入力される民意データ、(2)出力される社会的意思決定、(3)データから意思決定を計算するルール・アルゴリズム(計算手続き)をデザインすることに行き着く(図13(A))。」(p.164)
私も元SEなので、こういうコンピュータ的な考え方は好きです。IPO(I:インプット、P:プロセス、O:アウトプット)に分割して物事を考えます。
「どこかに本当にまっさらで透明な「民意」や「一般意思」があるという幻想を捨てる必要がある。私たちにできるのは、単一の完全無欠で歪みのない民意抽出チャンネル・センサーを見つけることではない。ましてや、選挙はそのようなチャンネルではない。私たちにできるのは、むしろ選挙やTwitterや監視カメラのような個々のチャンネル・センサーへの過度の依存を避け、無数のチャンネルにちょっとずつ依存することで、特定の方向に歪みすぎるのを避けることだけだ。」(p.178-179)
ある政策に対して賛否を問うようなやり方は、真に民意を反映するものではない、ということですね。自分にとって有力な人、あるいは無関係な大多数の人の意向に影響を受けたりする。また、質問そのものに影響を受けることもある。
だから、世論調査のようなものだけを民意とすると、歪んだ民意になってしまうのです。現に、マスコミによる民意誘導(洗脳)には辟易するものがあります。
「無意識民主主義アルゴリズムの学習・推定と自動実行のプロセスは公開されている必要がある。選挙のルールが公開されているのと同様だ。」(p.186)
政策を選択する過程が透明化されるべきだということです。ここを隠されてしまえば、アルゴリズムをつくる人の専制になってしまいますから、これは当然のことです。
「アルゴリズムと偶然による自動化された民主主義も、無謬主義と責任追及で閉塞した社会に逃げ道をもたらしてくれるかもしれない。そして時にランダムな選択は、どんな選択がより良い成果をもたらすのかを教えてくれる社会実験となり、未来の無意識民主主義に貢献するデータを作り出してくれる。」(p.199)
たしかに、どんなに偉い人が考えても、すべて思い通りの結果を得ることになるとは限りません。そして、それで失敗したら責任追及されるという今の政治体制では、冒険(失敗)することができず、けっきょく無難な選択(何もしないという選択)しかしなくなるのです。
そうであれば、ともかく適当にでも何かをやってみて、上手く行ったかどうかの判断をして、ダメなら変えるという試行錯誤を繰り返すのも、悪いことではないという指摘ですね。
「そんな現状と対比した無意識データ民主主義は、民意を読みながら政策パッケージをまとめ上げる前の段階をもっとはっきり可視化し、明示化し、ルール化する試みだとも言える。そして、ソフトウェアやアルゴリズムに体を委ねることで、パッケージ化しすぎずに無数の争点にそのまま対峙する試みとも言える。その副産物として、政党や政治家といった20世紀臭い中間団体を削減できる。」(p.202)
それぞれの政党が多くの政策をマニフェストとして掲げていますが、どこも似たりよったりで、ますます選択しづらくなっている。そういう現実と対比すると、こういうメリットがあると成田さんは言います。
「確かに、ウェブ直接民主主義が技術的・物理的に可能か不可能かと言われれば、可能になりつつある。だが、たとえ実現可能でも、ウェブ直接民主主義には二つの大きな壁がある。
第一に、選挙民主主義が抱えるのと同じ同調やハック、分断といった弱さを持つ。第二に、一定以上の数のイシュー・論点を扱うことが無理である。」(p.203)
これは先ほど取り上げたように、1つの政策に対する賛否を直接問うやり方で、真に民意を表さないし、現実的にすべての政策について実行することが不可能だ、ということですね。
新しい民主主義の構想としては、面白いものがありました。
つまり、多くの人々が幸せを感じ、満足するという結果を追求するアルゴリズムを造って、それが政策を決定するということだろうと思いました。
ある政策に賛成か反対かという直接的な民意を集めるのではないのですね。
たとえば平和を求めるという民意があった時、だから軍拡しないのか、それともだからこそ軍拡するのか、政策はまったく違います。その政策への賛否だけを集計しても意味がないのです。重要なのは平和という結果であり、そのためにどうするかは、直接的な民意ではわからないからです。
そこで失敗してもいいからランダムにでも何かを決める。その結果、大衆がどういう反応をするのかというデータを集める。平和に近づいたと考えて満足感を得ているのか、それとも不満足で不幸になっているのか。そのデータを集めて、また政策を決定する。
そういうやり方で、真に民意を反映する制作を行っていく仕組みです。
実際問題、そんなことができるのかという疑問はあります。
また、すぐに成果が現れる課題もあれば、何十年経たないと現れないものもあります。それを、現在の人々の満足感だけで決めていいのか、という思いもありますからね。
なので、成田さんの構想に、諸手を挙げて賛成という気持ちにはなれませんでした。しかし、民主主義の構造そのものを問いただすという試みは、面白いものがありました。
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