2022年07月27日
自分を好きになれない君へ
私の大学(広島大学)の後輩でもある野口嘉則(のぐち・よしのり)さんが、また新しい本を出版されたと言うので、予約して買いました。野口さんの本なら間違いありませんからね。
まあ、野口さんの方がはるかに活躍されているので、私の方が先輩なんだぁというところでしか優越感を満たせないので、そう言ってみただけです。実際は、キャンパスで出会ったこともありません。出会っておけば良かったなぁ〜とは思うんですがね。(笑)
それはさておき、この本は、精神的に苦しんでいる若者向けに、野口さんのメソッドをピンポイントでわかりやすく解説したものになっています。
なぜそうなのかという理屈もわかりやすいし、どうすれば良いのかという実践の手引きもわかりやすく書かれています。9月1日は学生や生徒の自殺が多いということを踏まえて、それまでに1人でも多くの必要とする人に届けばいいなぁと思っています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「お悩みはさまざま多岐にわたりますが、その内容を丁寧に解きほぐしていくと、一つの根本的な原因に突き当たるケースが多いことに気づきます。
その根本的な原因とは、「自分を好きになれない」ということです。
多くの人が抱えている悩みや問題の多くが、自分を好きになれないことから生じているのです。逆に言えば、自分を好きになっていくことによって、多くの人の悩みや問題は解決に向かっていきます。」(p.3)
カウンセラーとして多くの人の悩みを聞く中で、要は「自分を好きになれない」ことから派生している悩みがほとんどだと気づかれたのだそうです。
野口さん自身、対人恐怖症として過ごした高校から大学1年までの4年間があったそうです。その中でもがき苦しんだ中で、書物から哲学や心理学などを学び、実践することで克服してきた。この経験が今の野口さんを支えています。
「私は、頑張っているときの自分も頑張れないときの自分も、結果を出したときの自分も結果を出せないときの自分も、どんな自分をも受け入れて愛せるようになっていきました。そして自分に自信を持てるようになり、人間関係も心から楽しめるようになったのです。」(p.6-7)
そんな野口さんが、若者向けにわかりやすく、かつ実践しやすく解説したのが本書になります。
「なぜ、自分との関係が最も重要なのかというと、主な理由は2つあります。
1つは、最も長い時間を一緒に過ごす相手が自分自身だからです。」(p.15)
「続いて、自分との関係がもっとも重要である理由の2つめは、自分との関係が他のすべての人間関係のひな型になるからです。」(p.16)
このように野口さんは言って、まず自分との関係を良くしましょう、それが大前提ですと言うのです。
自分との関係を良くするとは、すなわち自分を好きになることですよね。
実は私、自己卑下することはあっても、自己嫌悪に陥ったことがありません。内向的で自信もなかったし、目上の人に違う意見を述べようとすればチック症状が出たりもしましたが、なぜか自己嫌悪だけはしなかったのです。
この辺のことは野口さんの本には書かれていませんが、おそらく対人恐怖症になるようなレベルではなかったということなのだろうと思っています。
「自己受容ができると、人は自己肯定感が高まります。
自己肯定感とは、どのような自分にも価値があるという、無条件に自分を受け入れる感覚です。
調子の良いときの自分、周囲に認められている自分だけではありません。落ち込んでいるときの自分、不安を感じているときの自分、結果を出せないときの自分、どんな状態であっても自分には価値があるのだと感じられる。自分が自分であることの確かな感覚です。
自己肯定感は自己受容によって育ちます。自己受容のポイントは、自分が感じていることを自分で受容することです。」(p.32-33)
まず重要なのは、「自己受容」することですね。その結果として「自己肯定感」が生じるのだ、ということです。
この順番も重要だし、この違いも重要なのです。「できる」自分だけを肯定するのではなく、「できない」自分も受け入れる。それが自己受容なのです。
「ちょっと紛らわしいのですが、自己肯定感は、自己肯定ではなく自己受容によって育まれます。
自分の良いところを一生懸命に見つけて「だから自分は素晴らしい」と肯定しようとするのが自己肯定です。
それに対して、自己受容は、自分には良い悪いの判断をくださず、どんなときの自分をも「これが自分なんだ」と受け入れることです。そしてこの自己受容によって自己肯定感が育つのです。」(p.38)
ダメな自分をダメなままに、「それでいいよ」と受け入れる。それが自己受容であり、もっとも重要なことです。
私はこれまで、「根拠のある自信」はもろく崩れやすいが、「根拠のない自信」なら崩れないから、「根拠のない自信」を持つべきだと言ってきました。「根拠のある自信」とは、野口さんの言うところの、自己肯定によって得られる自信ですね。一方の「根拠のない自信」とは、自己受容によって得られる自信だと思います。
「自己受容できるようになると、どんなことが起こるのでしょうか。
まず、他人に対して優しさを持てるようになります。
自分を受け入れることができる人ほど、他人を受け入れることもできるからです。
つまり自己受容と他者受容は正比例するのです。」(p.41)
まず自分を愛せよ! と言うことですね。自分すら愛せないなら、他人を愛することはできないのです。
「doingやhavingを肯定することは、「条件付きの肯定」だからです。
努力しているから、自分は素晴らしい。美人で才能に恵まれているから、素晴らしい。こんなふうに条件付きで自分を肯定している限り、条件を満たさない場面では、自分を受け入れることができなくなってしまいます。その結果、条件を満たすことに駆り立てられる人生になってしまうのです。
それに対してbeingを肯定することは、ありのままを受け入れることです。
持っているものをすべてなくしてしまったとしても、これまで取り組んできたことに挫折してしまったとしても、自分の価値に何ら変わりはありません。」(p.48-49)
よく使われる「Doing(行為)」「Having(所有)」「Being(存在)」という3つのワードでの説明ですが、愛が無条件であるなら、行為や所有に限定されることはありません。だって無条件ですから。ただ存在していると言うだけで、最高の価値があると認めている。それが「愛」なのです。
「子どもは自分がネガティブな感情を感じたり、失敗したり、傷つくことを受け入れられなくなってしまいます。
親を安心させられる自分でなければ価値がない。
失敗や挫折をするような自分では価値がない。
無意識のうちに、そう思い込んでしまって、ありのままの自分を受け入れられない。自己受容することができず、自己肯定感が低くなってしまうのです。」(p.62)
「わが子が失敗する姿、痛い目に遭う姿、傷つく姿も見守ってあげる。受け入れてあげる。そのことによって、子どもの自己肯定感は育ちます。」(p.62)
過保護や過干渉というのは、「失敗してはいけない」というメッセージになるのですね。本当は、失敗や挫折を通じて成長するのですが、それを許さないのですから、成長を阻害することになってしまう。そのことに気づいていない親が多いのです。
落ち込んだなら、「落ち込んでいるんだね」と受容してあげること。今はそれでいいと受け入れること。それが本当の親のあり方だと思います。
「子どもに対して過保護・過干渉になってしまう親は、子ども時代、自分自身が過保護・過干渉な親に育てられていることが多いのです。」(p.63)
ある意味で「遺伝」のような現象ですが、心理学的にはこういうことがあります。DV被害を受けた親は、子にDVをしてしまいがちです。過食や拒食も、子に伝わることがよくあります。心理的な遺伝なのです。
このように、もっとも重要なのは「自己受容」だと野口さんは言います。
では、その「自己受容」をするにはどうすればいいのか? そのアプローチに3つあると言います。それが「マインドフルネス」「禁止令を解く」「安全基地を作る」になります。
ここから、それぞれについて詳細に説明されています。どうすればそれができるのかも、本書で語られています。
まずは「マインドフルネス」からです。
「私たちは、感情や思考などの内面にあるものは、自分の力でコントロールできると考えがちです。でも実際は、意識すればするほど、コントロールできず、余計に混乱してしまうということになりがちです。
自分の中に沸き起こってくる感情や思考に良い悪いの判断をくだして「これは悪い思考だ」「考えてはいけない」と思うほど、その思考に囚われてしまい、そのことばかり考えてしまう。かえって思考や感情の存在感を高めてしまう。」(p.86)
たとえば、「カレーライスのことを考えないでください」と言われると、ついついカレーライスのことを考えてしまう。これが人間の脳の特徴です。
ですから、「これは嫌だ」ということに気持ちを集中してしまうと、それを考えてしまうことになるのです。
ではどうすればいいのか? その答えが「マインドフルネス」だと言います。つまり、心に浮かんだことを浮かんだままに観察することです。
方法はいろいろあります。瞑想の中のヴィパッサナー瞑想というのも1つの方法ですね。本書にも、いくつかの方法があります。
次に「禁止令を解く」ことです。禁止令と言うのは、してはならないという自分への命令です。特に、感情を感じてはならないという命令が、大きな影響があると野口さんは言います。
「相手が自分の思いどおりにならないとき、こちらの期待に反する行動をしたときも同じです。
そんなとき、私たちの心の中に最初に湧いてくる感情は「がっかり」「残念」「不安」といった感情だと思います。
けれども十分に自己受容できていない段階では、そうした感情は自分自身が受け入れることができません。そこで怒りという攻撃的な第二感情にすり替えて表に出すのです。」(p.110)
心理学的には「怒り」は「第二感情」であり、「第一感情」を感じようとせずに抑圧するために生じる感情だと言われています。
そのことがわかれば、怒りっぽい人は「禁止令が強い」人だとわかります。何らかの「第一感情」を抑圧しているために、「怒り」が噴出してしまうのです。
禁止令は他にもあります。「子どもであるな」「重要であるな」「生存するな」などなど。
こういう禁止令は、多くの場合、親から否定されることによって生じます。親が「もうお兄ちゃんなんだから」と言ってありのままを否定すると、ありのままの「子ども」であることが許されないと感じ、「子どもであるな」という禁止令として心の底に植えつけられることがあるのです。
「そのままの自分で否定されるくらいなら、自分で禁止してしまえば、人から傷つけられなくて済みます。受容されなかったために、自分自身がつくり出したルールが禁止令なのです。」(p.118)
「禁止令を解くには、許可証を出すのがいいとされています。
心理学では、禁止令のことをストッパー、許可証のことをアロワーといいます。禁止令に縛られていた自分に対して、許可を与えるメッセージをたくさん出してあげるといいのです。」(p.119)
無意識に「○○するな」という禁止令を出していたのですから、今度は意識的に「○○してもいいよ」という許可証を出すのですね。
アファメーションとも言えますが、自己洗脳とも言えるかと思います。無意識の自己をコントロールすることは難しいのですが、意識的なアプローチが、少しずつ無意識の自己に浸透していくことはあると思います。
最後、3つ目は「安全基地を作る」ということです。これは、自分を侵害してくる他者との境界をしっかりと作り、それ以上は侵害させないように抵抗することで、ここから内側は安全なのだという確固たる認識に至るということです。
「人生、思いどおりにならないこともあるけれども、基本的に何とかなるものだ。世界は基本的に安全なところだから、何があっても大丈夫。そんな感覚を基本的安心感といいます。」(p.133)
「では、基本的安心感というのは何によってできているのでしょうか。
それは自分の心の中の安全基地がどのくらいしっかりと丈夫にできているかどうかによって決まります。」(p.134)
「心の中にしっかりした安全基地が確立されていると、基本的な安心感を持って行きていくことができます。そして、基本的な安心感が育つほど、私たちは、失敗を怖れすぎることなく、何かに果敢にチャレンジしたり、好奇心を持ってさまざまなことにトライしてみたり、他人の目を気にしすぎることなく、自分の気持ちや考えを表現したりすることができるようになります。」(p.134-135)
強固な安全基地があれば、失敗を怖れないし、他人の目を気にせず、自分らしく生きられるのですね。
「心の安全基地を強化するためには、まず他者との間にしっかりした境界線を持つことです。」(p.136)
「自分がいやだと思うことに対して率直に「ノー」と言うことで、自分にとって受け入れられるもの、受け入れられないものの間に境界線を引くことができます。それは自分と他者との間に境界線を引くことでもあります。」(p.137)
自我というのは、他者との区別によって明確になります。そもそも人はそれぞれ違うし、違っていていいのです。それを受け入れて、違いを認めること。それが境界線になるのですね。
「成長するにつれて、自分と自分を取り囲む世界の間に境界線を引くことによって、世界を客観的に見られるようになります。親との間にも境界線を引いて、親は親、自分は自分という健全な距離を持つようになります。
けれども、たとえば幼いころに親の機嫌をとらなければならなかったり、親の期待に応えるために頑張ってきた人は、自分と親との間に明確な境界線を引くことがうまくできていません。」(p.138)
これは多かれ少なかれ、ほとんどの人に当てはまるでしょう。私もそうでした。
親離れ、子離れという言葉があるように、それはしっかりとした境界線を引くことなのです。
「境界線が弱い人は、自分の外に正解を求めてしまいがちです。けれども世の中には、絶対的な正解があるわけではありません。人の数だけ正解があるのです。
自分にとって何が正解か、それは自分で決めればいい。
みんな違うのがあたり前なのです。」(p.151)
絶対的な正しさがあると信じて、自分の正しさで他人を裁く人は大勢いますね。そういう人もまた、境界線が弱いのでしょう。
「実際、日本には「ノー」を言いづらい文化があると思います。日本文化は察する文化、ともいわれます。多くの人が相手の気持を察するべきであるという思い込みを共有しているのです。「忖度」「空気を読む」という言葉が使われるのも、この表れでしょう。はっきりと言わなくても、相手に察してもらって、自分の望むとおりに動いてほしいと考える人が多い。
これは、まさに境界線の弱い人に特有の、甘えの心理です。」(p.154-155)
悪く言えば「甘え」であり、精神的に「幼い」のです。
「あなたは存在しているだけで、周囲の人にたくさんの幸せを与えてきたのです。
そして、あなたがいま生きているということがこの世界への最大の贈り物です。あなたの存在そのものがかけがえのない贈り物です。そのことを思い出していただきたいと思います。」(p.187)
今、悩んでいる若者に対する野口さんのメッセージです。
私も、別のアプローチではありますが、野口さんと同じようなことを言い続けてきました。
人はそれぞれ違うのだから、それを受け入れよう。そうすれば、自分らしく生きることができる。何かをやらなくても、何かを持たなくても、ただいるだけで最高の価値がある。なぜなら、人はそれぞれ違うのだから。自分でなければ経験できない人生がある。その経験のために生まれてきたのであり、だから生まれてきたというだけで価値があるのだと。
野口さんのメッセージが、一人でも多くの悩める若者に届いて、幸せになってもらえるといいなぁと思います。
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