2022年06月11日

パンツを脱いだあの日から 日本という国で生きる



日本講演新聞の5月9日号(2929号)の社説は、魂の編集長・水谷謹人さんが書かれたもので、そこでマホムッド・ジャケルさんのことが書かれていました。その最後にこの本が紹介されていたので、買ってみたというわけです。

社説では、水谷さんがプラン・インターナショナルで精神的里子の支援をしており、その子がバングラディシュの子であること、そのタイミングでジャケルさんの本の帯メッセージの依頼があったことが書かれていました。

私もかつて、プラン・インターナショナルでフィリピンの子の支援をしたことがありました。その後、タイでは、EDFを通じてタイの子の支援もしました。
世界の貧困問題、そこから派生する様々な問題を、必然的に考えることになりました。しかし、個人の力ではいかんともしがたい。そういう現実があります。

私は、ジャケルさんが運良く日本に留学することになって、日本で生きることを決意したきっかけとなった「パンツを脱ぐ」という体験に興味を持ちました。銭湯で言われたのだろうということは、容易に想像がつきました。でも、それだけではない大きな文化の違いがあると思ったのです。

正直に言って、私はバングラデシュという国の名前は知っていても、正確な場所さえも知りませんでした。この本を読んで、ミャンマーとインドの間にある国だと初めて知ったくらいです。さらに、かつては東パキスタンと呼ばれていたことも。
そう言えばたしかに昔、東パキスタンと西パキスタンとあったなぁと、おぼろげながら思い出しました。飛び地のように分かれた経緯や、その後の独立戦争のことも、この本で初めて知りました。

けれどもバングラデシュの人たちは、以前から日本のことを慕っていたようです。同じアジア人の国で、第二次大戦でボコボコにされながら、わずか20年で先進国の仲間入りをした日本。自分たちの国も、いつか日本のような豊かな国にしたい。多くのアジアの国の人がそう感じるようですが、バングラデシュもまた、そう感じる人が多いそうです。

それにしても、この本を読んで知ったバングラデシュの現実は、ある意味で悲惨としか言いようがありません。私はタイで暮らしていましたが、タイはかなりマシな国なのだと思いました。
でも、ジャケルさんのような人が増えていくことで、少しずつ変わっていくようにも思います。人は意識が変われば変わるのです。そのためにも、日本はお手本であり続けたいし、その日本を支える日本人として、その素晴らしい文化を後世に残さなければと、改めて思いました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

母さんは、私を里子に出そうと考えました。
 運よくお金持ちの家にもらわれたら、食べるものに困らない。なにより生命が保障してもらえる。この子の将来を考えたら、いまここで手放してあげたほうが、この子にとってもいいかもしれない。幸せになるのかもしれない。

 母さんは必死でした。
 そんな母さんの話を聞きつけて、ひとりの男が訪ねてきます。
「この子を、お米3kgで買いますよ」
 私は、お米3kg分でした。それは飢えた家族にとって、喉から手が出るほどほしいものでした。
」(p.13)

日本にもかつて、そういう時代があったと聞いています。頭を下げて近所から食べ物をもらうしか生きる方法がない。そんな現実は、アジアでは普通だったのです。
たったお米3kg分の命でしかない。それでいいのでしょうか? お母さんは申し出を断りました。断腸の思いで。今のジャケルさんがあるのは、こういう生かしてくれた人たちの重荷を背負う決断によるものだったのです。


「大学には合格しなかったかもしれない。でも僕は、僕が本当に学びたかった文学を大学受験を通じて、たっぷりと学ぶことができた。それがなによりの財産なんだ」
 彼は合格するためではなく、文学を学ぶために勉強していたのです。そして彼はその後、バングラデシュの作家として暮らしています。
 自分はこれからどう生きていきたいのだろう。
 バングラデシュという社会にいても「本当の目的」を見失わなければ、それはやがて自分を助ける「経験」となって返ってくる。
 だから人生には、失敗も後悔もない。彼からそのことを教わりました。
」(p.67)

ジャケルさんが大学受験に合格した時、一緒に受験した友だちは落ちたそうです。しかし、その友だちの言葉を通じて、ジャケルさんは大切なことを学んだのですね。


おじいちゃんたちはだれに言われたわけでもないのに、毎朝、マンションのまわりや道路のごみ拾いをしたり、お花に水をあげたりしています。
 その光景は、私たちの心を幸せにしてくれます。
 バングラデシュ人に必要なのは、そういう「行動」です。
 挨拶をすれば、返してくれて、ときには会話にも花が咲きます。
 お金のため、自分のためだけではなく、人のため、社会のために「行動する」という考えが、残念ながらバングラデシュではまだ根づいていないように思います。

 また日本は、ルールやマナーを守ります。
 日本人からすれば「当たり前じゃないか」と思われるかもしれませんが、この「当たり前」を守ることこそ、「経済成長」するうえで欠かせないものなのです。
」(p.226-227)

もしかしたら生きているうちに結果が出ないかもしれない。それでも未来の子どもたち、未来の地球のことを考えて努力していました。
 日本人は、あきらめないのです。
 いつ報われるかわからないことでも、努力をつづけます。そしてそれはやがて大きな実を結び、いま日本は世界に名だたる先進国となっています。
」(p.228)

ジャケルさんは、バングラデシュにない日本の優れた文化を、このように言います。自分のことだけでなく他人のこと、社会のこと、未来の子孫のことを考えて行動する。そして信頼されることに重きを置く。たしかに、日本人の良さかもしれませんね。


最後に吹田市長の後藤氏の寄稿文がありました。その中で後藤氏はこう言っています。

結局、彼ジャケルはこの著書で、人が生きる上でいかに「愛」が」必要か、様々な形の愛の中でしか人は生きられないのだ、という事を極限の人生経験から伝えたかったに違いない。

 愛に包まれ”豊かな”社会で暮らすことを当たり前に感じる、日本の若者に対して。
」(p.236)

ジャケルさんの悲惨な体験、苦労の体験は、たしかに日本人の想像を超えたものだと感じます。その数々のピンチを、ジャケルさんを支える多くの人の愛によって乗り越えてきた。ジャケルさんの今は、まさに奇跡の連続の後にあるものなのです。
この本を読めば、いかに私たちが恵まれた環境にあるのかがわかります。そして、そういう社会を作ってくれた先祖の方々の苦労をしのばずにはおれないでしょう。


ジャケルさんは、日本語の会話は何とかなっても、本を書くレベルの読み書きはできなかったようです。では、どうしてこの本が生まれたのか?
ジャケルさんをサポートしてくれる盲目の友人、西亀さんの提案があったからだそうです。ジャケルさんの話を電話で聞いて、西亀さんがパソコンにタイプする。そうやって原稿を作っていったのだとか。

取材の話を聞くうちに、目は見えなくても、言葉が通じて助けてもらえること、ビザの心配がないこと、仕事を自由に選べること、そして日本に生まれ、日本で当たり前に生活出来ていることなど、これまで当たり前と思っていたことが、全部「有難いこと」と思えるようになりました。」(p.238)

目が見えないというハンディを抱えて、健常者よりはるかに多くの苦労があったでしょう。それでもジャケルさんの経験を知ると、今の自分がいかに恵まれているかと再認識するのです。


どんな経験をジャケルさんがしてきたのか、ここでは引用しませんでした。あまりに多いからです。ぜひ、本を読んでみてください。その方が、より感動が伝わることでしょう。

私は、今の日本があるのは、2千年以上も昔から、日本人らしく生きることをずっと続けてきたご先祖の方々のお陰だと思っています。そのDNAによって、私たちは自然と日本人らしい価値観を持ち、考え方をするようになっているのだと。
だから、ジャケルさんが褒める日本人の特性は、私が優れているのではなく、多くのご先祖様たちによって培われ、受け継がれたものだと思うのです。
その結果が今の社会であり、私たちという現代に生きる日本人なのです。そうであるなら、今の私たちがやるべきことは、ご先祖様たちがされたのと同じように、今度は未来の日本人のために、優れた日本人らしく生き、そのDNAを伝えていくことだろうと思います。
そうすることによって、日本人は世界の人々のお手本となり、世界を豊かにし、平和にすることに貢献できる。私はこの本を読みながら、そんなことを思いました。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 08:24 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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