メンターのお一人、吉江勝さんがメルマガで絶賛して紹介されていたので買いました。
小説なので読みやすく、自然と真実について理解できるようになっていますね。著者は利根健(とね・たけし)さん。プロフィールを読むと、ステージ4の癌から生還され、その際に神秘体験をされたのだそうです。
神秘体験によって悟りを得た方は多くいらっしゃいます。そういうのを羨ましいと思ったころもありましたが、最近は、私は私らしい生き方でいいと思っています。なので、羨ましいと感じることはなくなり、そういう体験をする方が増えることで、世の中全体が気づきと成長へ加速しているんだなぁと喜ばしく感じています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
と言っても、これは小説ですから、あまりネタバレにならないよう注意しながら、ごく一部を引用したいと思います。
まずストーリーの概要ですが、人に飼われている猟犬のジョンが、狼のダルシャとの出会いによって「自由」に目覚め、勧められた「ハイランド」を目指して旅立ち、様々な出会いと経験を繰り返しながら「悟り」を得ていく、というものです。
「ハイランド…そこはわしらやおぬしのように、ほんとうの自分に目覚めた者たちが目指す場所。ほんとうの自分を探す旅…ほんとうの自由を見つける旅…それがハイランドへの旅なのじゃ。ハイランドを目指して旅をしても、全ての者がたどり着けるわけではない。ほんとうの自分、ほんとうの自由を理解できた者のみがたどり着く場所、それが『ハイランド』なんじゃ」(p.57)
ダルシャの友人でイノシシのコウザは、このようにハイランドを説明しています。
「”危険”は『いま、ここ』で対処すればいいものだ。その”危険”を恐れ、未来を憂い、未来を不安視して心の中に創り出す影、それが”恐怖”だ。したがって、”恐怖”というものは実在しない。幻想だ。目の前には危険しかない。恐怖などないのだ」(p.107)
「恐怖の中で生きるということは、幻想の中で生きることと同じ意味なのだ。この幻想に気づくこと、幻想を見抜くこと、それがほんとうの自分への、ほんとうの自由への第一歩なのだ」(p.107)
赤い魔獣と呼ばれた大熊のゾバックは、ジョンが感じた「恐怖」について、こう説明しています。
「よいか、物事には偶然はない。全てが必然じゃ。起こるべくして物事は起こる。ダルシャとの出会い、ゾバックとの出会い、おんしたちの出会い、そしてわしとの出会い…。これを魂の計画と呼ぶ」(p.168)
予言者様と呼ばれるネズミのクーヨは、この他にも様々なことをジョンに話して聞かせています。
「シーザー、君の考えが間違っているとは言わないよ。でも、僕はどの種族が優れていて、どの種族が劣っているとは思わない。それは”優劣”じゃなくて”違い”なんじゃないかな」(p.187)
猟犬仲間のシーザーに対して、ジョンはこう語っています。
「全ての攻撃は、愛してほしいという心の声なのです。私には、あなたが助けを呼ぶ子犬にしか見えません。あなたは、自分でそれがわからないのですか?」(p.229)
白帝の妹という白馬のシャーレーンは、自分を襲おうとしているシーザーに対してこう言いました。
「こ、この世界に、優れているも、劣っているもない。みんな同じだ。お、俺がここで死ぬのは、俺自身が、それを選択したからだ…。俺は、俺の意志によって死ぬのだ。俺は俺の魂の声に従って、死ぬのだ」(p.240-241)
「ほ…ほんとうに大事なことは”どう生きたか?”なのだ…。死ぬとき、それはその者の”存在”が、まさに、問われるときなのだ。何を持っていようと、どんな地位にいようと、どんな実績や勲章や証があろうと、そんなものはいっさい関係ない。あっちの世界には、そんなガラクタは持ってはいけないのだ。死ぬときに問われるのは、『どう生きたのか? どういう存在であったのか?』そ…それだけだ」(p.241)
シャーレーンを守るために戦い、傷ついた赤目の狼のゲトリクスは、死ぬ間際にシーザーに対してこう語ります。
「全ては必然。お前の住んでいる世界の出来事は、全てお互いの魂の計画なのだ。全ては体験による学びと遊びだ。私たちはお互いの芝居の演目を演じる役者同士なのだよ。だから、そちらの世界にいるときは、その芝居を楽しむことだ。私は十分に楽しんだから、なんの悔いもない」(p.277)
臨死体験をしたジョンは、かつてジョンによってとどめを刺された白帝と呼ばれる白馬と出会います。そこで白帝はジョンに、こう語ったのです。
「感情とは、さかのぼると二つに集約される。それは愛と恐れだ」(p.284)
臨死体験から生還したジョンに、大熊のゾバックはこう言います。
「永遠の時間が流れる中で、あるとき、そのたった一つの大いなる存在は、自分という存在を、自分を知りたいと思いました」(p.290)
「自分の顔を外から見るために、大いなる存在は自分を分離しました。つまり、見る者と見られる者に分かれたのです。大いなる存在は自らを分離することによって、自分を外側から見ることができるようになり、自分をより詳しく知ることができるようになりました。こうして大いなる存在の、分離の物語が始まったのです」(p.290-291)
「ほんとうの世界、真理の世界では、優劣はありません。”敵”も”味方”もありません。それはただ単なる個性や役割の”違い”であって、あなたが考えているような優劣や”勝ち負け”は存在しません。なぜなら、元をたどれば、全ては一つの存在(Being)だからです。私たちひとりひとりの存在は、大いなる存在の別の側面を、それぞれが表現しているだけなのです」(p.292)
自分を襲おうとしたシーザーが傷ついた時、シャーレーンはシーザーを癒そうとします。その時、シャーレーンはこう語りました。
「ほんとうの自由とは、外側の何かから自由になることではありませんでした。身体やエゴの声といった”自分”からの自由…これがほんとうの自由です」(p.351)
年老いた狼のレドルクと出会い、瞑想を続けたジョンは、その気づきをこう語ります。
「”私”は分裂した個ではなく、宇宙、全体、大いなる存在、そう、”それ”そのものだということが、三つの存在を通して、腹の底からわかる。それが、”さとり”じゃ」(p.353)
レドルクは、ジョンが十分に体感したことを察して、「悟り」についてこうまとめるのです。
登場者のセリフを集めてみましたが、内容についてはいちいち論評しません。なぜなら、これはすべて私がお勧めする「神との対話」シリーズで言われていることだからです。
なので、私にとってはよく知っていること。けれども、この物語を読みながら、感極まって泣いたことも白状しておきます。
けれども、それを言葉にして説明しても意味がありません。ぜひ読んで、自分で感じてみてください。「神との対話」シリーズはお勧めですが、そのエッセンスを物語として読むのも良いことだと思います。
