2022年03月27日

なんとめでたいご臨終



これも上野千鶴子さん「在宅ひとり死のススメ」で紹介されていた本です。在宅医療を、それぞれのエピソードを通じて紹介する内容になっています。300ページを超えるボリュームがありますが、とても読みやすい本でした。

著者は小笠原文雄(おがさわら・ぶんゆう)医師。今まさに亡くなられるばかりの患者さんや、身内を亡くされたばかりのご家族と一緒に、笑顔でピースサインの写真を撮られています。「死」というものを、納得して肯定的に捉えておられるのだなぁと感じます。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

病院勤務時代に救命救急もしていた私は、数百人の看取りをする中で、「死ぬ時は苦しいのが当たり前」、ご遺族にかける言葉は「ご愁傷さま」、そう思っていました。当時は、”家で苦しみ始めたら、救急車を呼んで病院へ”という考え方から、病院の使命である延命治療を受け、苦しんで亡くなる人が多かったのです。
 しかし、最期まで趣味の釣りを楽しみ、奥さんと笑顔で暮らした丹羽さんの穏やかな旅立ちは、私の医療に対する考え方を大きく変えました。
「最期まで家にいたい」という願いが叶う時、目には見えないいのちの不思議さがある、在宅医療なら病院ではできないいのちのケアができる、そう思うようになったのです。
」(p.4−5)

在宅ホスピス緩和ケアの「在宅」とは、暮らしている”処(ところ)”。「ホスピス」とは、いのちを見つめ、生き方や死に方、看取りのあり方を考えること。「緩和」とは、痛みや苦しみを和らげること。「ケア」とは、人と人とが関わり、暖かいものが生まれ、生きる希望が湧いて、力が漲(みなぎ)ることです。」(p.5−6)

小笠原さんは、死は敗北だとしてきた医療のあり方に疑問を持たれたのですね。そして、在宅ホスピス緩和ケアを始められた。そのことによって、同じ亡くなるとしても幸せでいられることがわかったのです。


ご家族は、”最期まで家にいたい”という患者さんの願いを叶えてあげたいという想いで支えていますが、ほとんどの方は、家での看取りが初めてです。
 患者さんが元気なうちはいいのですが、死ぬ直前になって少し様子がおかしくなると、どうしたらいいかわからずパニックになり、救急車を呼んでしまうご家族も少なくありません。急いで救急車を呼んで、死ぬ前に救急車が到着してしまった場合、何が起こると思いますか。悲劇です。患者さんは救命処置をされ、死ぬことを許されず、延命措置をされるのです。
 そんな悲劇を起こさないためには、患者さんの身にこれからどんなことが起こるのかを予め想定しておくことが大事です。そのため「お別れパンフ」には、これから患者さんに何が起こるのか、お別れの前にしておくこと、してはいけないことなどを書いています。
」(p.26)

看取る側にも知識と心の準備が必要なのですね。昔なら、近所のお年寄りなどがやってきて、いろいろ教えてくれたり、支えてくれたりしたものです。今はそういうコミュニティーが崩壊しているので、いきなり身内の死に直面し、自分たちだけで何とかしなければならない。
救急車を呼ぶとはどういうことなのか? そういうことも、事前によくよく考えておく必要があると思います。


お孫さんが渡辺さんの告別式で話した言葉を、THP+に載せてくれました。

 この遺影(次ページ参照)は、先生方と一緒に畑に行ったときのものです。嬉しそうにピースサインをする祖父。大好きな畑に行き、お風呂にも入り、ビールも飲むことができました。自宅では本当に幸せそうでした。写真の笑顔を忘れず、祖父を偲んでいきたい。おじいちゃん、ありがとう。
」(p.33)

人はいつか死ぬものです。その最期が、幸せに満ち足りたものだったら、遺された家族もまた、幸せな気持ちでいられるのではないでしょうか。
なお「THP+」というのは、後にも出てきますが患者さんやそのご家族、そして在宅ホスピス緩和ケアに携わるチームの人々が交流し合えるアプリのことです。


上松さんはその後も大好きな焼酎を飲んで笑顔で生き、最期は穏やかに旅立たれました。多くの患者さんの最期を見てきた医師が、在宅ホスピス緩和ケアを選択したという事実を、抗がん剤で苦しむ多くのがん患者さんに知ってもらいたいと思い、この事例を取り上げました。それは、今も抗がん剤治療で苦しんでいる患者さんへ、上松医師が遺してくれた希望なのだと思っています。」(p.39)

最期まで抗がん剤治療を行ってきた医師が、自分が癌になったら治療をせず、緩和ケアをすることは卑怯ではないか? そういう葛藤を乗り越えて、自ら緩和ケアという選択肢があることを広めようとされたのですね。


ここにいたいと願うところにいられれば、心が定まり、極楽にいるような心境になれる。それが「ところ定まれば、こころ定まる」なのです。そして、そのような想いになれた瞬間から、我がいのちは、仏様と同じ清らかなところ、極楽が報土(ほうど)と化したところに存在し、今がいちばん幸せと思いながら穏やかに生きて、死ねるのではないでしょうか。
 希望死・満足死・納得死は、暮らしの中にあるのだと思っています。
」(p.48)

在宅で死ぬということは、自分がここにいたいという思いを満たすことなのですね。それは必ずしも自宅という意味ではなく、その人がそこにいたいという思いを満たせる場所、ということなのです。


最初にお伝えしたとおり、木下さんの希望は「自宅で最期まで過ごすこと」でした。だからこそ木下さんは限界が来るまで自宅療養していたのです。でも自宅療養にも限界が来た、近くに24時間診てくれる診療所もない、山で暮らすことはもう不可能だろうと、希望の光が消えました。希望がなくなると、免疫力が下がるとともに、ADL(日常生活動作)も下がり、悪循環となるのです。
 ところが「家で死ねる、山で死ねる」という1本の電話によって、自宅で最期まで過ごすことができるとわかり、希望の光が見えました。光には灯りと力があります。それが元気の源になったのだと思います。
」(p.60−61)

電話で自宅にいたいという望みを叶えてあげますよと伝えただけで、奇跡的に元気を取り戻したという事例です。病は気からと言いますが、病状にも大きな影響があるのですね。


自宅で看取るご家族は、患者さんが急変した時や亡くなった時、医師を呼ぶのが当たり前だと思っている人が多いと思います。でもそうではありません。「旅立ちの日が近づいたサイン」(196ページ参照)に記載してあるように、旅立ちの過程を知っていて、患者さんが穏やかであれば、最期の時はご家族だけで過ごしていいのです。ただし、苦しんでいる場合は救急車ではなく、訪問看護師を呼んでくださいね。」(p.73)

亡くなることを受け入れていれば、穏やかな旅立ちが可能なのです。


モルヒネとは、量を増やすことで痛みを緩和できる不思議な薬です。医師がモルヒネを使いこなすスキルを身につけるのと同時に、そのことを患者側も知っておくことが大切なので、次のことを頭の片隅にとめておいてください。
・痛みは薬で取れる
・薬は安全に使用できるように工夫されている
・医療用麻薬は、痛みの治療をしている限り、中毒にならず安心である
・突然の痛みは我慢せず、レスキューですぐ取る
・副作用による便秘や吐き気などは、予防できる
 さらにモルヒネは、エンドルフィンという嬉しい時や幸せを感じた時に出る物質の化学構造式にいちばん似ています。つまり、モルヒネを摂取すれば、エンドルフィンが出ている時と似た状態になって、痛みや苦しみ、呼吸苦を取り除くだけではなく、朗らかになれるのです。
」(p.79−80)

終末期の医療に関わらず、長期的な痛みの緩和において、もっとモルヒネの使用についてのハードルが下がるといいのに、と思います。
他にも、「ソル・メドロール」という薬の話がよく出てきます。私は老人介護の現場で働いていますが、看取りの段階のお年寄りに対して使っていないように思いました。こういうことも、医師によって知識や経験の違いいがあり、使用するしないという差が生まれるのかもしれませんね。


知らないことは不安を煽るのです。不安は免疫力を下げ、生きる気力を奪い、その結果、余命はさらに短くなると考えられます。気づいた時には死が迫り、やり残したことを悔やみ、その無念さと後悔の中で旅立つのは、真実を知るよりも辛いと思いませんか。「終わりよければすべてよし」と言います。真実を伝えず、最後の最後に地獄の苦しみを与えてしまった後悔は、取り返しがつかないのです。
 真実の告知によって、一時的に絶望感に襲われ、不安になるのは当然です。だから告知をする前提として、告知後に医師や看護師による心のケアを行うことが必要であり、重要なのです。
」(p.118−119)

最近は告知をする方が主流になってきたのではないでしょうか。人々の意識が変われば、告知のハードルも下がるでしょうね。


お金がなくて治療を諦めたり、絶望している人も少なくありません。そういう苦痛を社会的疼痛(とうつう)と言います。でも、お金があってもなくても受けられる医療、社会的疼痛を解決するスキルと知恵を備えた在宅医療、それが在宅ホスピス緩和ケアです。
 この事例は、隣のおばさんのようなボランティア的な方がいれば、ひとり暮らしでも安心してその地域で暮らし、生きたい”処(ところ)”で生き、旅立つことができるという地域包括ケアのモデルケースかもしれません。
」(p.139−140)

毎月の年金が72,466円、家賃が3万円という末期がんの高齢者の事例です。明るく朗らかに元気に生きられ、寝たきりになったら3日で亡くなる。だからそれほどお金がかからないと小笠原医師は言われます。
そのポイントは、訪問看護を介護保険ではなく医療保険から出すということです。70歳以上で低所得だと、医療費の自己負担は8千円が上限。それ以上は無料なのです。
痛みを取るためにモルヒネワインを飲む。夜眠れなければ「夜間セデーション」と呼ばれる睡眠薬を使った療法で、夜もぐっすり眠れるようになる。訪問看護の人だけでなく、近所のおばさんが尋ねてきてくれるので、適度に人と触れ合うこともできて、心も安定するのでしょうね。


タッチパネル式テレビ電話のおかげで、河合さんの安心感はさらに増したようでした。ひとり暮らしの患者さんが自宅で最期まで穏やかに過ごすためには、痛みを取ることと、痛みへの不安を取ること、安心できること、これがいちばん大切なのです。
 そして、もう一つ重要なのは、患者を支える体制です。在宅医療では多職種で支えます。そこで小笠原内科では、「THP+(ティーエイチピープラス)」というアプリを使い、情報共有をスムーズに行うとともに、連携ミスが起きないようにしています。
」(p.146)

現代は、テレビ電話が無料でできる時代です。スマホやPCを高齢者が初めて使うにはハードルが高いのですが、タブレットを専用機のように使えるようにしてあると、使いやすいかもしれませんね。
THP+は、支える側の情報共有手段であると同時に、患者やその家族とも情報共有できる仕組みだそうです。


「最期まで家にいたい」、そう願っても、ひとり暮らしだからという理由で反対する家族がほとんどです。
 そのいちばんの理由は「夜中にひとりで死んだらどうするんだ」というものです。ひとりで死んだら孤独死だと心配する方が多いのです。
 でも考えてみてください。病院で夜中に死んだら孤独死ではないのでしょうか。苦しさのあまり、うめき声などを発すれば、夜間巡回の看護師が早く気づいてくれるかもしれません。もしも、うめき声などに気づき、医師の到着が死亡前だったら延命措置を行うでしょう。しかしそれは生きるための「治療」ではなく、家族が到着するまで息をさせておくための「措置」であり、最期まで苦しい思いをさせる拷問のようなものになってしまうかもしれませんね。
 それなら本人が望む自宅にいて、仮に誰も見ていないところで亡くなったとしても、それは孤独死ではなく、希望死・満足死・納得死だとは思いませんか。
」(p.158)

よく孤独死を不安視する人がいますが、なぜそんなに心配するのか、私にはよくわかりません。どうせ独りで死んでいくのですから、その瞬間にそばに誰がいようといまいと、同じではないかと思います。
それよりも重要なことは、本人が満足しているかどうか、幸せかどうかだと思います。幸せに生きて、その状態で亡くなっていくなら、それでよいと思うのです。


「亡くなった後は、神妙な面持ちで涙を流すもの。笑顔なんて不謹慎」、合言葉は「ご愁傷さま」、まだまだそんな時代です。でも旅立つ人はそれを願っているでしょうか。交通事故などの不慮の事故や突然の旅立ちなど、無念の最後だった場合は、本人も遺族も悔しさや悲しみ、後悔の涙が溢れるでしょう。
 しかし、旅立つ人が希望死・満足死・納得死ができたなら、離別の悲しみはあっても、遺族が笑顔で見送ることができるのです。「なんとめでたいご臨終」と言わずにはいられません。
」(p.174)

私も、死は卒業だと思っています。卒業であれば、離別の悲しみはあっても、前途を祝福して旅立つもの。だから、悼むのではなくお祝いすべきものだと思うのです。


そして水曜日、ひ孫が到着すると、高木さんは穏やかに旅立たれたのです。
 到着した私たちも一緒に高木さんを囲み、笑顔でピースの写真を撮りました。
 これまで”その時”を見計らったような旅立ちをたくさん紹介してきました。この偶然のような奇跡が、これまで私が幾度となく立ち会ってきた「めでたいご臨終」なのです。
 延命治療で強制的に生かされているいのちではなく、目に見えないいのちがあるとしたら、それは「旅立つ時を選んでいる」、いのちの不思議さなのだと思わずにはいられません。
」(p.212)

逆に、いない時を見計らったような亡くなり方もあります。私の母がそうでした。老老介護の父が部屋から出て行った時を見計らったように、静かに亡くなったのです。
私は、魂は自らの意志で亡くなると思っています。だからどんな死であっても、「めでたいご臨終」だと思います。


安楽死と誤解されるほどの「持続的深い鎮静」を行う前に、苦しみの原因である大量の点滴を減らしたり、モルヒネを増やしたり、「夜間セデーション」を行うなど、何かやれることはないのか、命がけで考える必要があるはずです。
 そうすれば、「持続的深い鎮静」を行う必要がなくなり、QOD(死に方の質)が高い旅立ち、つまり最期に「あ・り・が・と」というやり取りができて、旅立つ人も見送る人も心が暖かくなるでしょう。
」(p.307)

苦痛をなくして死なせるために、「持続的深い鎮静」と呼ばれる長期間の麻酔(?)による睡眠を与える医療があるのですね。知りませんでした。
これはたしかに安楽死と同じか、それ以上にたちが悪いと感じます。生き殺しのようなものですから。


やがて旅立ちが近づくと、ヨチヨチ歩きになり、赤ちゃんと同じように這いずり、ついには寝たきりになります。この自然の摂理に沿って生きて、死ねることができた時、苦しみは少ないようです。
 しかし、今の日本はこの摂理に逆らった”長命”国にすぎないと私は思っています。自然の摂理の中で、在宅ホスピス緩和ケアが広がった時に日本は本当の”長寿”国になるのだと確信しています。
」(p.314)

まったく寝たきりの赤ちゃんが成長し、ハイハイし、つかまり立ちし、歩くようになる。死に向かう高齢者は、ちょうどその逆を進んでいくのですね。


死は、敗北でもなければ悲しいことでもない。むしろ喜ばしいこと。だから祝うべきこと。私もそう思いますが、死に向かっているご本人や、看取られた後のご家族と、笑顔でピースをされる小笠原医師の存在は励みになります。
もっとこういう考え方が広まって、死を身近なものとして、喜ばしいこととして受け入れられるようになるといいなぁと思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 08:59 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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