これも上野千鶴子さんの「在宅ひとり死のススメ」で紹介されていた本です。非常に多くの興味ある本を紹介されていたので、買ってはみたものの、読むまでに随分と時間がかかってしまいました。
けれども、読んでみると非常に素晴らしい内容でした。単に自分の考えの正当性を押し付けようとするような文章ではなく、アンケート結果に基づいて可能性を丁寧に検討しておられます。
著者は大阪で開業されている辻川覚志(つじかわ・さとし)医師。辻川医師も、このアンケート結果は意外で、目から鱗が落ちるような結論になったようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「そこで、現在同居している人やひとり暮らしの人に、日常生活における満足度を聞いてみました。結果は、ひとり暮らしの人の方が、同居の人と比べて、より満足して暮らしておられることがわかりました。しかも、ひとり暮らしで子供を持つ人と持たない人とで、満足度はまったく変わらないこともわかりました。」(はじめに)
タイトルにもあるように、これが結論ですね。
「たとえどのような状況に置かれていても、その人が満足しておれば、その日々は、その人にとって有意義で、充実していると言っても良いと思います。そのために、人の満足感から高齢期の生活を見直すと、いったいどのように見えるだろうかと考えたのです。」(はじめに)
満足感というのは主観的なものです。客観的に比較することはできません。たとえ同じ状況でも違いが出ることもあるし、違う状況でも同じように満足する人もいます。しかし、状況からその傾向を見ることはできます。
辻川医師は、そこに関心を持たれたようです。子を持つ人なら、独居、同居、ホーム入所の3つ、子を持たない人なら、独居かホーム入所。この生活形態による満足度を比較しようとされたのですね。
「平成25年4月から5月にかけ、筆者の診療所を受信されたすべての60歳以上の方々を加えた、独居・同居者の合計484名の方々に、年齢、性別、満足度、悩みの程度、いろいろな状況などについてアンケート調査を依頼し、460名の方々から許可と回答を頂きました。また、さらに、このアンケート結果について、さまざまな年齢層の方々から頂いた意見も加味しながら、高齢期にどのように暮らせば、いちばん幸せに暮らすことができるのかを考えてみました。
その結果、ひとり暮らしがもっとも現実的で、理想の姿であり、もっとも幸せに近いことがわかりました。」(はじめに)
大阪府門真市の医師会では、60歳以上のひとり暮らしの人を対象に電話による情報交換を行っているそうで、その対象者からの情報に加え、辻川医師のもとに診療に訪れた方々へのアンケート結果から、このような結果を得られたそうです。なお、アンケートの詳細は巻末に載っていました。
「この方は、友達も多く、お互いに連絡されたりしておられるようですが、それほど、頻繁ではありません。それにもかかわらず、寂しくないとおっしゃるのは、やはり、はじめからひとりであることが、前提条件のひとつになっていたからかもしれません。つまり、寂しいという感情は、その人の感じ方であり、あくまでも主観的な感情であることをあらためて認識させられます。」(p.14−15)
ひとり暮らしと言うと、すぐに寂しいと想像する人が大勢います。しかし、まったく寂しくないという人もいるのです。
実は私もその中の1人です。長らくひとり暮らしをしていましたが、まったく寂しいと感じたことはありません。孤独だとも思いませんでした。
「すると、男性と女性で満足度には差がなく、両方ともに、独居の方が高い満足度を示していました。」(p.18)
男女でかなり違う価値観や考え方を強いられてきた高齢者ですが、それでもひとり暮らしの方が共通して満足度が高かったようです。
「子が遠方に住んでいる方は、どちらかというと、身寄りのおられない完全独居の方々と似たように話される場合が多いような気がします。つまり、子からの支援を、あまり期待されていないように感じるのです。」(p.26)
「人間はひとりで生まれ、ひとりで逝くものだといわれているように、この立場の方々の生き方こそ、人間本来の姿であるともいえるかもしれません。」(p.27)
「アンケート結果によりますと、子が近くにおられる場合も、遠方にしかおられない場合も、子がいない場合も、すべて満足度には大きな差は認められませんでした。
子の存在は、親にとって一体どのような意味を持つものか、よくわからなくなるような結果になりました。極端なことを言えば、満足する老後に、子は決定的な働きをしていないことを示していると思われます。」(p.27)
「子を持たぬ人は、悩みは少なく、日常生活における満足度も高い。しかも、年齢とともに、体の具合が悪くなってきても、満足度は低下しにくいようです。」(p.28)
子は、いればいたで悩みのタネにもなる、ということかと思います。しかも、同居のように日常的に接するとなると、日々、じわじわとストレスを感じ続けることになる。だから、むしろ子がいないか、いても日常的に接することがない方が、満足度が高くなるのかもしれません。
私も子はいませんが、したがって子育てのことで頭を悩ますことなく暮らしてきました。もちろん、子に自分の生活を助けてもらうこともできませんが、そもそもそれをアテにしていなければ、失ったとも感じませんからね。
「多忙を極める人が、もし何か他の原因で多忙になった場合は、やらされているという意識が働き、ストレスをためることになりますが、もし自らの思いで積極的に多忙となった場合は、その人は、たとえ苦しくとも、自分の目標に向かって突き進んでいるという気持ちが加わるので、不満どころか、充実感すら感じることができるかもしれません。やはり、気持ちの持ちようなのです。」(p.33)
同じ「多忙」という状況であっても、他者から押し付けられていると感じているのか、それとも自ら望んで飛び込んでいると感じているのかによって、ストレスにもなれば充実感にもなる。すべては見方次第で決まるということですね。
「多くのひとり暮らしの方々から聞いた内容から考えて、これが、満足度を上げるために、もっとも重要なポイントと言っても良いかもしれません。緊急時ではなく、普段の生活において、何でも相談できて、どんなことも話ができる友がいることは心強いものです。」(p.36)
信頼できる友がいるということは、ひとり暮らしに限らず、満足度を高めてくれるでしょうね。
けれども私は、その必要性すら感じません。なぜなら、頼る必要性がないからです。自分を友にすればいいし、何なら神を友にすればいい。そう考えています。
「アンケート結果では、家族数が4人以上いる三世代世帯に属する高齢者は、ひとり暮らしの人と同じくらい満足しておられました。やはり、多くの家族と過ごす高齢者は、普段から、十分満足して生活されていることがわかります。昔ながらの大家族の中で過ごす老後は、今も快適な環境だと言えるかもしれません。
しかし、今、この三世代世帯が減少してきています。そのため、多くの高齢者が三世代世帯で老後を過ごすことができなくなってきているという現実があります。」(p.40)
三世代同居の大家族という形態は、老後の満足度からすると申し分ないのですが、現在の生活形態からすると実現が難しいということですね。
「人に頼らないということは、人に期待していないということです。他人の力を期待していたら、もしやってもらえなかったときに、がっかりしますが、逆に、もしまったく期待していなかったのに、人から思わぬ援助をもらったりすると、自然に感謝する気持ちが芽生え、自分自身にストレスをため込むようなことはないということになります。また、人に頼らず、すべて自分で何でもやろうとすれば、当然、相当な身体能力を使いますので、自らの能力をできるだけ低下させずに済みます。」(p.43)
人に頼らないという覚悟によって、精神的にも身体的にもメリットがあるということですね。
「とりわけ、家族数がふたり、3人と少数の場合、家族数が少ないだけに、うまくいかなくなったとき、満足度は大きく振れます。ひとりの人とうまく関係を持つことができなくなった場合、間に入って、緩衝役を買ってくれる人がいない分、人間関係の悪化が長期化する傾向があるようです。家族数が少ないために、肝心の人間関係を良好に保つことがむずかしいのかもしれません。」(p.50)
「実際、アンケート結果を、家族数別に集計してみますと、独居と4人以上の家族がいる人の満足度が高く、家族数ふたりの満足度が最低で、家族数3人の満足度はその中間でした。このことは、緩衝役の働きが大きな意味を持っていることを示す結果と考えられます。」(p.63−64)
同居家族数が少ないと、特定の人に依存することになりがちなのですね。その特定の人との関係が悪くなると、とりなしてくれる人もおらず、長期に渡って影響を受けがちになる。これが同居の満足度が低い原因だろうと思われます。
「この家族負担は、介護をする家族にとっては耐えがたい苦しみであることが知られていますが、頼む側の被介護者も苦しんでいるということがわかります。家族介護は、介護する側も介護される側も、どちらも幸せにはしないのです。」(p.90)
「つまり、家族数が多ければ、うまくこれらの問題を吸収しながら、高齢者に対しても一定の支援を続けることができているのかもしれませんが、かならずしも、すべての三世代世帯が幸せとは限らないのではないかと思われます。」(p.91)
そもそも家族介護に大きな問題があるのです。嫁が介護して当然というかつての風潮もそうですが、介護されるのが当然でなくなれば、介護される側にも遠慮が生じます。
この問題を解決しようとしたのが介護保険制度であり、老人介護から家族の負担を解放し、ビジネスライクな公的介護にすることで、介護を受ける側の心理的な負担も解放する試みとなっています。
こういう様々な問題と、現代の「個の時代」という時代背景からしても、三世代同居の大家族制を無理して追い求めるより、同じように満足度が得られるひとり暮らしに解決策を求めるのが適切ではないか。辻川医師は、そう考えられるのです。
「頭も使わなければ、どんどん機能を落としていきます。計算をやることも、漢字を使うことも、やらなくなれば、誰しもすぐに忘れて計算ができなくなったり、漢字を思い出すことができなくなったりした経験を持っておられると思います。何も老人ホームに入所しなくても、起こり得ることなのですが、ホームでは何もかもやってくれますので、いよいよ使いません。そうすると、ひとり暮らしに比べて、能力が低下しやすいと考えなければなりません。」(p.98)
老人介護施設では、スタッフがいろいろなことで介助します。しかし、スタッフにも作業割り当てがあるため、1人の入居者様にいつまでも時間を掛けるわけにはいきません。つまり、待っていられないのです。だから、スタッフが過剰に介助することになりがちです。
それだけ、ホームに入所すると自分が持っている機能を使えなくなる、つまり機能が衰えることになりがちなのです。
「とにかく、住み慣れた土地から離れてはいけないのです。
少なくとも、アンケートに回答して頂いた方々の意見では、住み慣れた土地には、自分自身の人生の記憶が染みついているのだとおっしゃいます。この慣れ親しんだ空気、風景、いつもの音、いつもの顔は、その人の人生そのものであると言っても良いかもしれません。」(p.108)
住み慣れた環境にこだわるということは、それだけ影響を受けやすいということなのでしょうね。でもおそらく、私のように引っ越しを繰り返している人間には、あまり関係がないかと思います。
「ひとり暮らしは、レストランサービスなんかなく、大浴場も完備せず、食事も掃除も洗濯も炊事もすべて自分でやらないといけないのに、満足度は高いのです。その理由は、明確です。自分が思っている通りの生活ができることが最大の利点だからです。この自由ということは、たとえば、体が衰えてきて、炊事をすることも、ままならぬことになってきても、ひとり暮らしの満足度を維持させる原動力となっていたのです。人間にとって自由とは、もっとも大切なことなのかもしれません。」(p.110)
これには私も同感です。人にとって最も重要なのは自由です。多くのことを犠牲にしてでも得たいのが自由。だから、老人介護施設は満足度が低くなるのです。
「いつも一定の時間に、何かやろうとするだけで、朝、絶対に起きないといけなくなり、生活にリズムが生まれるわけです。規則正しい生活こそ、体調を整える第一歩です。」(p.128)
一人暮らしをする上で、怠惰にならずに健康を維持するための極意ですね。
「体力が落ちてきても、アンケート調査に協力して頂いたひとり暮らしの方々は、非常に前向きに、病院だけでなく自宅でもリハビリテーションに励んでおられました。」(p.137)
ひとり暮らしは他の人に頼れないだけに、自分の身体機能を維持するための努力が欠かせないのです。それはある意味で、自分の身体を大切にすることではないかと思います。
「ということは、他人を頼らずに何でも自分でやり、自分に残されているいろいろな能力を、日々使い切りながら自らが満足する人生をおくろうとすることと、多くの共通点があることに気づきます。つまり、認知症予防と、満足する老後を過ごすための努力とは、方向性が同じなのです。何も、認知症を予防しようと肩に力をいれてがんばる必要はなく、ごく自然に、人生を楽しもうとすれば、それがとりもなおさず、認知症予防につながるものと考えます。」(p.150)
ひとり暮らしを快適にするために、自分の身体機能を衰えさせないように使い続けることは、そのまま認知症予防にもなるということですね。
もちろん、認知症を完全に予防できるという保証はないのですが、身体を使い、頭を使い続けることは、予防のために大事なことではないかと思います。
「一人暮らしの人がいよいよ衰えてきたら、選ぶ選択肢は、ふたつです。ひとつは、自宅で死ぬことであり、もうひとつは、高齢者用施設(種々の老人ホームや高齢者用賃貸住宅など)に入所することです。
そこで、どこまで低下すると入所を決断するかというアンケートを独居の方々から頂きました。
@独力でトイレに立てなくなったとき
A自分の力で食べ物を口に持っていけなくなったとき
B買物が自力でできなくなったとき
という3つの回答が多かったと思います。」(p.190)
やはりひとり暮らしの方でも、自力で生活ができなくなると、他に頼りたくなるのでしょうね。
けれども、病院はいつまでも入院させてくれません。ですから、ホーム入所を考えるのだと思います。
私は、Bは論外です。なぜなら、介護保険でカバーできるからです。Aは、食べなければよいだけですから、心配していません。
問題は@です。尿意を感じないだけならおむつなどで対処できますが、着替えもできなければ自分の尻も拭けなくなったら・・・。
私は、もう食べることも飲むこともやめて、即身仏になるという方法もあるな、などと考えています。実際にどうするかは、わかりませんけどね。
「また、自宅や病院で、身寄りもなく、最期を迎えたときは、どうなるのでしょうか。
大阪府四条畷市の場合は、市が資産を調べ、3親等以内の身寄りを徹底的に探します。その上で、身寄りがおられないことがわかれば、市の方で、対応することになります。
まず、病院や自宅から、直接、火葬場へ移送され、荼毘(だび)にふされます。その後、共同墓地ですが、しっかりと祀ってもらえます。」(p.197−198)
本人の資産があるなら処分され、必要経費を差し引かれて、国庫に返還されるそうです。このように、日本国内であれば、死後の処分は最悪、行政がやってくれます。だから、独居でも何も心配しなくていいのです。
「独居者全体の満足度は、同居者全体の満足度に比べて、有意に高い値を示していました。そこで、同居者を条件別に検討しましたところ、三世代世帯ならびに家族数4人以上の世帯に属する60歳以上の人の満足度だけは、独居者の満足度を上回っていましたが、悩みの程度は逆に多いという結果でありました。しかも、両者とも統計学的には、有意な差であるとまでは言えません。ということは、同居の中でも、もっとも高い満足度を示した高齢者群でさえ、決して独居者を超えるほど満足して生活されていないのではないかと考察します。」(p.202)
「つまり、独居者では、悩みが少ないために、同居者に比べて、たとえ健康意識が低下してきても、満足度が高いことがわかったのです。
その結果を補完するために、悩みと満足度の関係を調べましたところ、悩みが増えると満足度が低下するという明らかな相関を認めました。
これらの結果を総合すると、60歳以上の人の日常生活における満足度を左右する主たる要因は、悩みの程度であるということがわかりました。つまり、この悩みをうまく低く抑えることができれば、年齢を重ねても快適な生活が待っていることを意味します。」(p.203)
「以上、すべての結果をあわせて考えますと、いろいろな対外的な活動を活発にし、もし子がおられても、決して同居はせずにひとり暮らしを維持し、できるだけ悩まないようにさまざまな取り組みをしながら、最後まで何でも自分でやり、自分の思いのままに暮らすことが最も理想的な老後の姿であるということがわかります。」(p.204)
これが、アンケート調査の結果から読み取れる結論だそうです。
なお、「健康意識」というのは、自分が健康であると意識しているかどうかという度合いのことですね。
「残されたお金は、決して高齢者向け施設に入所するために使ってはなりません。人間誰しも、いずれ彼の地に向かいます。そのときの体の苦しみは、同居でも独居でもホームでも、同様ではないでしょうか。ならば、最期のときまで自分の意思で暮らすことができる可能性の高い独居が、一番、幸せに近い形なのではないでしょうか。
他人に頼るからだめなのです。人を頼れば、充分な支援がもらえなかったとき、ストレスがたまるのです。もともと何も期待していなければ、もし少しでも援助をもらえたら、とても感謝する気持ちが出てきます。気分良く、満足した日々をおくる確率を高めることができるはずです。」(p.209)
高齢者施設に入所して高いお金を払うのはもったいない。そういう施設で働いている私には耳が痛いことですが、現実には同意せざるを得ません。私自身、いくらお金があっても、そういう施設に入りたいとは思いませんから。
年老いても、老いる前でも、やはり重要なのは「自由」なのだと思います。無用に制限されたくはないのです。
家族であっても、離れて暮らしていればどうでもよいことを、同居していたら気になってしまって口出しをすることがあります。それがストレスになるのですね。
もちろん、同居していても互いの「自由」を認め合える関係であれば、独居より快適な生活ができると思いますよ。ただ、今の多くの人の他者依存の姿勢を見ると、まだ現実的ではないのかなぁと思います。
したがって、次善の策として、独居を貫くことは、有望な選択肢ではないかと思いました。
【本の紹介の最新記事】