ロシアがウクライナに攻め入り、戦争が始まりました。そういう時期に合わせたわけではありませんが、我が国の防衛を考えるのにふさわしい本と出合いました。
どういう経緯で買ったのかは忘れましたが、自衛隊の行動が法によって厳格に縛られていること、まただからこそ法整備が重要であることを知る上で、大変役立つ本かと思います。
著者は国際法・防衛法制研究者で軍事ライターでもある稲葉義泰(いなば・よしひろ)氏です。専修大学在学中の2017年から軍事ライターとして活動されているとのこと。随分とお若い方なのですね。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「しかし、一九一四年に勃発した第一次世界大戦によってもたらされた未曾有の被害を受けて、国際社会において徐々に戦争を行うことを制限したり、違法化したりするための努力が進められることとなりました。その成果の一つが、一九二九年に発効した「不戦条約」です。」(p.23)
国際社会では永らく、切り取ったもの勝ちの帝国主義的な侵略、植民地化が行われていました。それに歯止めをかけたのが、第一次世界大戦と、その後の国際社会のコンセンサスだったのですね。
しかし、この時点では「戦争」は禁止するものの、「武力の行使」は禁止されていない、という抜け穴的な解釈を生むことになりました。宣戦布告などをすれば「戦争」であり、そうではない武力行使は「戦争」ではないという解釈です。
「その結果、人類は第二次世界大戦というまさしく世界規模の戦争を経験することとなり、国家が武力を行使することに対するさらに強固な規制を設けることにしました。
それが、国際連合(国連)の基本文書であり、国連加盟国の権利や義務、さらに国際社会の諸原則について定めている国連憲章の第二条四項の規定です。」(p.26)
これは、「戦争」だけでなく、「武力による威嚇又は武力の行使」を禁止するという国際条約であり、国際法なのです。日本国憲法の第九条も、この精神が反映されています。
しかし、これにも抜け穴があったことは明らかです。自衛のためと称して、その後も数々の戦争が起こっており、今まさにウクライナ戦争も勃発しているのですから。
しかし、だからと言ってこの人類の取組みをすべて否定する必要もないでしょう。少なからず前進していると捉えるべきです。
そうであれば、このウクライナ戦争においても、機能しない国連の取り決めを見直すきっかけにすべきではないかと思います。
本書ではこの後、自衛隊の行動に関する様々な法を取り上げ、何ができて何ができないのか、身近に起こる事例をたとえ話としながら説明しています。
それが必ずしもわかりやすいとは言えない部分もありましたが、少なくともそういう事例がなければ、面白みのない固い内容の本になっただろうと思われます。
たとえば隣国が尖閣諸島に上陸しようとした場合、どういう法がどう適用され、自衛隊は何ができるのか? どこまでできるのか? というようなことが示されています。
ただ、それでも多くの問題点があるはずなのですが、そういう視点での記述は少ないように思いました。
「たしかに、考えてみれば日本国内で一般の人々が自衛隊の姿を目にするのは災害派遣が圧倒的に多く、被災地における自衛隊の活躍がテレビで報じられるほか、最近ではSNSの普及によって、さまざまな被災地の現場で活躍する自衛官の姿を目にする機会が多くなってきたことは間違いありません。しかし、本書でも触れたとおり、災害派遣は自衛隊の任務の一つとはいえ、あくまでも自衛隊の主たる任務は創設当時から一貫して「我が国の防衛」なのです。」(p.345-346)
アンケート調査で、国民が自衛隊に第一に期待しているのは災害派遣だという結果が出ました。戦争に直結しかねないことには、防衛とは言っても慎重なのでしょう。
稲葉氏は、そこにもやもやしたものを感じて、この本を書いたと言われます。つまり、やみくもに戦争に突入するような組織ではなく、法によって厳格に縛られた組織なのだということを、知らしめたかったのだろうと思います。
まあしかし、多くの人はこういう本は読まないと思います。どれだけわかりやすく解説したとしても、専門的と捉えられるでしょうから。
それに多くの人は、イメージで理解するものです。だからプロパガンダに容易に影響を受けてしまうのです。
なので、稲葉氏が意図したような結果にはならないと思いますが、1つの試みとしては評価できるのではないかと思います。
私自身、自衛隊が法によって縛られていることは認識していましたが、具体的にどう縛られるのかは知りませんでしたから。ある程度わかっている人には、役立つ内容ではないかと思います。
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