2022年02月13日

嫌われた監督



吉江勝さんメルマガで紹介されていた本を読みました。吉江さんがそこまで勧めるなら、読まない手はないでしょう。
しかし、注文した本が届いて、少し後悔しました。だって500ページ近くある分厚い本だったのですから。ただでさえ積ん読状態の本がたくさんあるのに、これを読み終えるのにどれだけ時間がかかることか…。
しかし、その心配は杞憂でした。ぐいぐいと引き込まれるノンフィクション小説のような書き方で、アッと言う間に読み終えてしまいました。(ただし、この紹介記事を書くのに相当に手間取りましたが。(汗))

そして吉江さんと同様、読みながら感動し、時に涙しました。人生というのは、本当にドラマだなぁと思いました。
著者は日刊スポーツ新聞社の記者として落合監督を8年間見てきた鈴木忠平(すずき・ただひら)氏です。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
なおこの本は、全12章になっており、それぞれのその章の中心人物が設定されています。つまり、その人の視点を中心に話が展開する中で、監督・落合博満がどういう人間なのか描き出そうとしているのです。

現役時代の落合には、球団との契約交渉の席で年俸を不服とするなど金銭闘争のイメージがあったからだろうか。それとも七年の在籍後、導入されたばかりのフリーエージェントの権利(FA権)を行使して、よりによってライバルである巨人へ移籍したからなのか。
 厄介者や裏切り者を見るような視線はあっても、なぜか球団からもこの街からも、かつての四番バッターへの郷愁はほとんど感じられなかった。
」(p.23)

低迷していた中日を立て直す監督として、落合博満氏が選ばれた時、街にもチームにも記者団にも歓迎ムードがなかったのだそうです。それはかつて一斉を風靡した星野仙一監督と比較すると、雲泥の差があったのだと。


落合が出た。前置きはなかった。
「二〇〇四年の開幕投手は川崎、お前でいくから−−」
 落合はさも当たり前のことを話すような、平坦な口調で言った。
 川崎は何を言われているのか、すぐには理解できなかった。思考をグルっとめぐらせてようやく「開幕」とは四月二日、広島カープとの一軍のオープニングゲームのことなのだと受け止めた。ただ、言葉の意味としては理解したものの、頭はまだ、疑問符で埋め尽くされていた。
 四十人ほどの投手がチームにいる中で、なぜ一軍で三年間も投げていない自分が開幕投手なのか? なぜ、なぜ……。
 落合の意図は読めなかった。
」(p.27)

就任した年、落合監督は誰も首を切らないと言って、現有勢力だけで1年を戦いました。それは、チームのメンバーを大切にしたかったからと言うより、どういう人材なのかを探ろうした感じでした。その証拠に、シーズンオフになると、二軍も含めて多くのメンバーに戦力外を通告したのでした。

ともかく意図がわからない。他人からすると、落合監督が何を考えているかわからない。そういう得体の知れないものを、落合監督は持っていたのです。

ある時は不良債権と呼ばれていた元沢村賞投手に死に場所を用意し、優しい嘘を口にする。しかし、ある時には、チームスタッフすら信用せず、隠密裡にリトマス紙にかけ、疑いのある者を容赦なく切り捨てる。
 一体、どれが本当の落合さんなんだろう……。
」(p.57)

落合監督は、その真意を説明するということをほとんどしませんでした。あえて隠していたと言えるかもしれません。


落合は私の動揺など気にもしていないかのように言った。
「ここから毎日バッターを見ててみな。同じ場所から、同じ人間を見るんだ。それを毎日続けてはじめて、昨日と今日、そのバッターがどう違うのか、わかるはずだ。そうしたら、俺に話なんか訊かなくても記事が書けるじゃねえか」
 落合はにやりと笑うと、顔を打撃ケージへと向けた。
」(p.74)

落合監督には、選手の本質を見抜く力があったと思います。何ができていて何ができていないのか。どうすればもっと良くなるのか。他の人が見えないことを、しっかりと見抜いていたと思うのです。
そのコツが定点観測にあったようです。実際、落合監督は、ベンチでも同じ場所から動かずにゲームを見ていました。練習でも、毎回毎回同じ位置から見ることで、変化を見つけていたようです。

私は落合という人間がわからなくなっていた。
 ともに戦う男たちにさえ冷たく一線を引いたかと思えば、突然ひとりの選手を捕まえて、血を注ぎ込むかのようなノックを打つ。
 情報を閉ざし、メディアを遠ざけたかと思えば、不意に末席の記者の隣にやってきて、ヒントめいた言葉を残していく。
」(p.81−82)

おそらく誰にも、落合監督の真意などは理解できないのでしょう。けれどもそれは、彼の気まぐれが原因ではなく、目的が理解できていないからのように思います。
森野にノックをしてサードに起用したのは、立浪の衰えを見て取ってのことでした。ただそれは、立浪を切り捨てたのではなく、競わせたのかもしれません。森野にも期待をし、チャンスを与えたのかもしれません。どこまでわかっていて、何を狙っていたのか、それは落合監督にしかわからないのです。

「なぜ、自分の考えを世間に説明しようとしないのですか?」
 落合は少し質問の意味を考えるような表情をして、やがて小さく笑った。
「俺が何か言ったら、叩かれるんだ。まあ言わなくても同じだけどな。どっちにしても叩かれるなら、何も言わない方がいいだろ?」
 落合は理解されることへの諦めを漂わせていた。
」(p.96)

説明しても、必ずしも同じくらいに理解してくれるわけではない。人は誤解するものだし、都合よく解釈するものだから。
落合監督は、そういうこともよくわかっていたのでしょう。

あの立浪さんが泣いている……。
 不思議な気持ちだった。何事にも貪欲になれなかった自分も、すべてを手にしたような立浪も、今、目の前にあるひとつのポジションを巡って激情を露わにしている。涙するほどに心底を滾(たぎ)らせている。
 そうさせたのは、落合が無表情で振るったひとつのタクトだ。
 プロ野球で生きるというのは、こういうことか……。
 森野は少しだけわかったような気がした。
」(p.112)

結果的に立浪からサードのポジションを奪った森野。しかし立浪は諦めたわけではなく、死にものぐるいで代打の切札というポジションを勝ち取った。
それを落合監督が最初から狙って采配したのかどうかはわかりません。しかし、それぞれがそれぞれの思いの中で、プロとしての意地を見せることで、こういう結果に収まって行ったのです。


席上で、落合は二つの要請を受けた。
 ひとつは、この球団が五十年以上も手にしていない日本シリーズの勝利であった。この時点で中日は十二球団のうち、もっとも長く日本一から遠ざかっていた。
」(p.158)

落合監督になってリーグ優勝したり、優勝に絡むようになってきた中日。しかし、日本一にはなれなかった。
球団は、落合監督の契約を更新し、日本一になることを求めたのです。そして、ナゴヤドームのスタンドを満員にすることも。

落合は勝つことで全てを解決しようとしていた。矛盾するような二つの命題を抱えて、新しい二〇〇七年シーズンを迎えようとしていた。
 その裏で、長嶋を含めて五人のコーチがチームを去ることになった。
」(p.159)

2006年にリーグ優勝したのに、そのオフにクビを切られるコーチたち。憤慨した人も多かったようです。
血も涙もないのか? そう思われてしまう落合監督の采配には、この契約内容が影響していたようです。
日本一になるには、もっと強くならなければならない。そのためには、温情をかけていられなかったのでしょう。

「強いチームじゃなく、勝てるチームをつくる」
 落合はこのシーズンを迎える前に、そう言った。
 三年かけて理想のチームができたかに思えたが、日本シリーズで敗れ去った。新たに契約を結び、血を入れ替え、より勝つことに特化したチームをつくろうとしたが、今度は歯車が噛み合わない。一方で周囲からは、勝っても「つまらない」という声が聞こえてくる。プロセスと結果の天秤はいつも釣り合わないのだ。
 落合を取り巻いているのは、勝負における矛盾だった。自らの信じる答えと現実に生まれ出る解との齟齬(そご)である。
 それでも、落合が答案用紙を書き換えることはないはずだ。落合は私に言った。
「もし、それが間違っていたとしても、正解だと思うから書くんだろう?」
」(p.170)

何かを選択するということは、他の選択肢を選ばないということ。どれが正解かなど誰にもわかりません。わかるのはただ、選んだことで望む結果が出るか、それとも出ないか、ということだけ。
2007年は2位となってリーグ優勝を逃しました。しかし、その年から始まったプレーオフによって日本シリーズに進出したのでした。


この決断に味方はいない……。
 それだけは、はっきりとわかった。もし、このイニングに失点するようなことがあれば、もし、この試合に敗れるようなことがあれば、想像を絶するような批判に晒(さら)されるだろう。あるいは永遠に汚名を背負っていくことになるかもしれない。
 落合はそれを覚悟した上で答えを出した。そして、森も運命をともにすると決めたのだ。
 森は球審から受け取った真新しいボールを握ったまま、マウンドで岩瀬を待っていた。
」(p.207)

落合監督のことを語る上で、この2007年の日本シリーズでの試合のことを忘れるわけにはいきません。
3勝1敗で迎えた第5戦。相手投手はエースのダルビッシュ。中日は伏兵の山井。しかし、2回に運良く犠牲フライであげた1点を守って、中日リードが続いていました。しかも、山井は日本ハム打線をパーフェクトに抑えていたのです。
中日には、抑えの守護神、岩瀬がいました。これが最終戦であれば、岩瀬を抑えにという判断も十分に考えられたでしょう。しかし、これまで誰も成し遂げたことのない日本シリーズでのパーフェクトがかかっていて、しかも3勝1敗とリードしているのです。

森繁和コーチは、投手コーチとして落合監督から全面的に任されていました。その森コーチが交代を決断し、落合監督も同意しました。

不安げにストッパーとなった岩瀬は森の想像を遥かに超えていった。セーブを積み重ね、やがて日本記録を塗り替えるような投手になっていくなかで、森が抱いていた危惧は、ある種の畏怖に変わった。
 酒を飲まず、いつも不安を抱えて、一体どうやって精神を保っているのか。常に明日のこと、次のマウンドを考えながら蒼白になっている。そんな日々になぜ耐えられるのか。岩瀬の心は俺には計り知れない……。
 共に闘い、グラウンドの上のすべてを共有しているはずなのに、心の奥に他者と隔絶した領域がある。そういう部分で、岩瀬と落合は通じていた。
」(p.213-214)

休みの日でも野球のことを考え続け、野球から抜け出そうとしない落合監督。それと岩瀬投手の考え方は、似たものがあったようです。

山井を代えたのは落合だった。確信的にそうしたのだ。
 それと同時に、私の前にいる落合は限りなく人間だった。最初から冷徹なマシンのように決断したわけではなかった。血が通っている限り、どうしようもなく引きずってしまうものを断ち切れず、もがいた末にそれを捨て去り、ようやく非情という答えに辿り着いた。
「監督っていうのはな、選手もスタッフもその家族も、全員が乗っている船を目指す港に到着させなきゃならないんだ。誰か一人のために、その船を沈めるわけにはいかないんだ。そう言えば、わかるだろ?」
 落合はそこまで言うと、また力のない笑みに戻った。
」(p.238-239)

これまで日本シリーズで勝てなかったのは、監督である自分の甘さに責任があった。落合監督は、そう考えていたのです。
2004年のシリーズでは、その年に頑張ってきた岡本投手を代えようとしたものの、温情にほだされて代えられず、結果的に負けてしまいました。そのことが、落合監督には悔いとして残っていたのです。


「稲尾さんのいないロッテにいる必要はない……」
 それから落合は球団を渡り歩いた。球界最高年俸を条件にバット一本でさすらう優勝請負人。それが世間のイメージになった。その裏で落合は理解者たる指揮官を求めているようでもあった。星野仙一に請われて中日へ、長嶋茂雄のラブコールで巨人へ。稲尾の幻影を追っているかのようでもあった。
」(p.240)

変わり者とされていた落合監督。その選手時代に、自分を認めて受け入れてくれたのが稲尾監督でした。落合監督は、人情にほだされて、その指揮官のためなら死をも顧みない武士のような人だったのかもしれません。


大勢の人間が唱え、当たり前のように跋扈(ばっこ)する正義とは本当に正しいのだろうか? そもそも、万人のための正義などあるのだろうか?
 ここのところそんなことを考えるようになっていた。そして、それは落合と接しているためではないだろうか、と感じていた。
 なぜなら落合はいつも、正義と決められていることと、悪と見なされていることの狭間に石を投げ込み、波紋を広げるからだ。おそらく意識してのことではないのだろうが、その賛否の渦に日々触れていると、正しいとか正しくないとか、そんなことはどうでもいいような気がしてくるのだ。
」(p.246)

悪人には悪人の正義がある。落合監督は、世間の「正しさ」を鵜呑みにせず、それを疑った上で、自分の「正しさ」を模索していたのでしょう。

「俺はいつも人がいる場所で、下を向いて歩くだろう? なんでだかわかるか?」
 唐突なその問いに私は返答できなかった。ただ、思い浮かべてみれば確かにそうだった。落合は球場であれホテルのロビーであれ、世の中の目に晒されるときは、あえて視線を落として歩いているようだった。多くの人々を見渡して、手を振ったりすることはほとんどなかった。プロ野球のスターとして生きてきた人間としては随分と不思議な行動だった。
「俺が歩いてるとな、大勢の人が俺に声をかけたり、挨拶したりしてくるんだ。中にはどこかの社長とか、偉い人もいる。でも俺はその人を知らない。それなのに後で『落合は挨拶もしなかった。無礼な奴だ』と言われるんだ。最初から下を向いていれば、そう言われることもないだろうと思ってな」
 落合はさも可笑しそうに言った。
」(p.262−263)

落合には、自分が他人の望むように振る舞ったとき、その先に自分の望むものはないということがわかっているようだった。それは、あらゆる集団の中のマイノリティーとして生きてきた男の性(さが)のようでもあった。」(p.263−264)

他人の期待に応えるということは、自分の期待に応えることに反する。自分に正直に生きようとするなら、他人の期待を裏切る必要がある。落合監督は、そういうことがわかっていたのかもしれません。


雇用の保障されたサラリーマンならいざ知らず、球団と契約したプロ選手を縛るものは契約書のみであるはずだ。契約を全うするためにどんな手段を選ぶかは個人の責任であるはずだと、落合は言った。
 それなのになぜ、当たり前のことを言った自分がこうも非難されるのか。
 落合はグラスを手にそう語った。目に涙が浮かんでいた。
」(p.371−372)

星野監督に見初められて中日に入った落合選手でしたが、星野監督との考え方の違いからぶつかるようになったのです。
公然と監督批判をした。そうマスコミに書かれて、最後は罰金と謝罪に追い込まれた。けれども、それによって星野監督から離れた環境で調整してシーズンを迎える自由を得たとも言えるのです。

こういう出来事も、監督になってからの言動に影響していると言えそうですね。


落合は遠くを見たまま、ふっと笑った。
「別に明日死ぬと言われても騒ぐことないじゃないか。交通事故で死ぬにしても、病気で死ぬにしても、それが寿命なんだ」
 何かを暗示しているような言葉だった。
」(p.382)

球団のオーナーが代わって、監督を続けられないかもしれない。そう思われていたころ、落合監督はすでにそれを覚悟していたかのようでした。


荒木にも他のどの選手に対しても、落合は「頑張れ」とも「期待している」とも言わなかった。怒鳴ることも手を上げることもなかった。怪我をした選手に「大丈夫か?」とも言わなかった。技術的に認めた者をグランドに送り出し、認めていない者のユニフォームを脱がせる。それだけだった。」(p.426)

おそらく人一倍人情家だった落合監督は、その人情を自分の弱点と考えて封印し、非情に徹したのだろうと思います。ただ「勝つ」ために。それが契約であり、自分に課せられたことだったから。


おそらく、嫌われたのだ−−。
 結果がすべてのプロの世界で、結果を出し続けている指揮官が追われる理由はそれしかないように思えた。
 落合は自らの言動の裏にある真意を説明しなかった。そもそも理解されることを求めていなかった。だから落合の内面に迫ろうとしない者にとっては、落合の価値観も決断も常識外れで不気味なものに映る。人は自分が理解できない物事を怖れ、遠ざけるものだ。
 落合は勝ち過ぎたのだ。勝者と敗者、プロフェッショナルとそうでないもの、真実と欺瞞、あらゆるものの輪郭を鮮明にし過ぎたのだ。
」(p.427)

いよいよ落合監督が辞めることが明らかになった時、その理由はみんなから嫌われたから、と言うのがもっとも核心をついていると思われたのです。
契約では勝つことを求められ、それを十分に達成したけれども嫌われる。もちろん、嫌われたからと言って契約を破棄する理由にはなりませんが、継続しない理由にはなるのです。


中日は、落合が去ると決まった九月二十二日から勝ち続けていた。優勝を決定づけたこの夜まで十五勝三敗二分−−ドラフトという共通の入口によって戦力が振り分けられるようになった現代プロ野球では、ほとんど目にすることのない数字だった。
 その間、淡々と戦うことを矜持(きょうじ)としていたはずのチームは異様な熱を発し続け、最大で十ゲーム差をつけられていたヤクルトに追いつき、抜き去り、突き放してしまった。
」(p.444)

チームが敗れたにもかかわらず球団社長がガッツポーズをした−−もし、それが本当ならば、そこから透けて見えるのは、優勝が絶望的になったことを理由に落合との契約を打ち切るという反落合派のシナリオである。
 落合はその行為に対する反骨心が、現実離れした戦いの動力源になったというのだ。
「あんた、嫌われたんだろうねえ」
 室内の沈黙を破るように、隣にいた夫人が笑った。
」(p.447)

そして私を震えさせたのは、これまで落合のものだけだったその性が集団に伝播していることだった。
 いつしか選手たちも孤立することや嫌われることを動力に変えるようになっていた。あの退任発表から突如、彼らの内側に芽生えたものは、おそらくそれだ。
」(p.447-448)

「俺がここの監督になったとき、あいつらに何て言ったか知ってるか?」
 私は無言で次の言葉を待った。
「球団のため、監督のため、そんなことのために野球をやるな。自分のために野球をやれって、そう言ったんだ。勝敗の責任は俺が取る。お前らは自分の仕事の責任を取れってな」
 それは落合がこの球団にきてから、少しずつ浸透させていったものだった。かつて血の結束と闘争心と全体主義を打ち出して戦っていた地方球団が、次第に個を確立した者たちの集まりに変わっていった。
」(p.449)

いつしか選手たちは、落合監督の影響を受けていたのですね。そしてプロの選手として立派に育っていた。
こうして、優勝チームの監督が退任するという解任劇が行われたのです。

しかし、落合監督が蒔いた種は、着実に芽を出して育っていました。ですから、もうこれ以上そこに留まる必要性がなかったのかもしれません。


「ひとつ覚えておけよ」
 そう言って、落合は私を見た。
「お前がこの先行く場所で、俺の話はしない方がいい。するな」
 私はなぜ落合がそんな話をするのか、飲み込めなかった。
 落合はそれを察したように続けた。
「俺の話をすれば、快く思わない人間はたくさんいるだろう。それにな、俺のやり方が正しいとは限らないってことだ。お前はこれから行く場所で見たものを、お前の目で判断すればいい。俺は関係ない。この人間がいなければ記事を書けないというような、そういう記者にはなるなよ」
 言い終わると、落合は再び窓の外に視線を戻し、空を見ていた。
 私は黙って頷いた。
 落合なりの別れの言葉なのだろうと受け止めていた。
」(p.470-471)

他の人に頼って生きるのではなく、自分を頼って生きる。それが落合監督が示してきたことであり、そうやって選手たちを育ててきたのでしょう。


誰からも理解されなかったし、多くの人から嫌われた監督。それでありながら選手たちを育てて独り立ちさせていった監督。チームとしても勝ちを重ね、何度も優勝に導いた監督。それが落合監督でした。
しかし、だからと言って栄光の最後が用意されているわけでもありません。これだけのことをやったのに、解任されるという結果になったのですから。

けれども落合監督は、自分の生き方に誇りを持っていたのでしょう。自分らしく生きたという満足感もあったでしょう。
そして、自分はこういう生き方をしたけれど、それだけが正しいわけではなく、人には人の正しさがあることもわかっていた。だから他人に共感されることも求めなかった。

寂しい人生に見えるかもしれませんが、私は「美しい」と感じます。私も、こういう生き方をしたいなぁと思うのです。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:45 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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