将棋界を大きく盛り上げた1人の青年がいます。それが藤井聡太竜王。(2021年に最高峰の竜王タイトルを取られたので、竜王の肩書をつけてお呼びします。)
まだあどけなさも残る20歳にもならない好青年。しかし、いったん将棋盤に向かえば、並み居る強豪の先輩騎士たちに怯むことなく立ち向かい、驚きの指し手で打ち負かす。
「AI超え」。AIが非常に強くなってプロ棋士でさえ負けることが増えたこの時代において、そのAIの読みを超える指し手を繰り出すのが藤井竜王。AIは最初、その指し手を低く評価するものの、読みを深めていくと急に高評価に転じる。AIが追いついていない。AIを超えた。そう驚きを持って「AI超え」と評される藤井竜王の指し手は、将棋をそれほど知らない人をさえ虜にしてきました。
どういう人なんだろう? どんな育ち方をしてきたのだろう? ふだんはどういうことを考え、どういう生活をしているのだろう?
藤井聡太という人間性に魅力を感じると、もっともっと知りたくなる。
そういう思いが高じて、この本を買ってみました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「興味を持ったことは、何でも気が済むまで自由にやらせてみよう。
これが、夫婦の子育てのモットーだった。「意見は言いますが、『こうしなさい』と強要はしません。嫌なことはずっと続かないと思いますから。」(p.18)
藤井竜王のお母さんは、教育熱心な親によって幼いころから習い事を強要されたのでしょうね。そのことへの反発もあり、自分の子どもは自由にのびのびと育てようとされたようです。
聡太少年は、好きなことには時間も忘れて一心不乱に熱中する性格だったようで、両親はそれを止めるようなことをせず、思うがままにやらせたのです。
「この幼稚園は、イタリアの医師マリア・モンテッソーリが確立した「モンテッソーリ教育」を実践している。「子どもは自ら伸びたいという強い願望を持つ」という信念に基づき、一人ひとりの興味を尊重し、個々の感性や自主性を育むことを重視する教育方法だ。大人は、子どもが1人でできるように手伝う姿勢で見守る。
園児の成長にあわせて「教具」が用意され、園児にはそれぞれが遊びたい教具を使わせ、気が済むまで繰り返して遊ばせている。年少から年長まで縦割りでクラスを編成し、異なる年齢の園児たちが一緒に過ごすのも特徴である。
だが、聡太の両親は、入園前からモンテッソーリ教育に関心があったわけではない。母の裕子によれば、モンテッソーリ教育は幼稚園入園後に初めて知ったそうだ。幼稚園が自宅から近く、偶然、事前に見学した際に施設が気に入ったので、入園を決めたという。」(p.19)
自由に育てる特殊な教育方針の幼稚園に通った聡太少年でしたが、それは偶然なのですね。
しかし、両親の教育方針とも符合しており、導かれたと言うべきかもしれません。
ただ、だからと言って、そういう教育を受けたから今の藤井竜王がある、とは言い切れません。そういう教育を受けた少年少女は、他にもたくさんいるのですから。
「当時の園長は、聡太が6歳の誕生日会で将来の希望について聞かれたとき、元気よく「将棋のプロ棋士になりたい」と答えたのを覚えている。誕生日につくったカードには「しょうぎのめいじんになりたい」と書いていた。
この誕生日会の約1年前、聡太は将棋と出合っていた。」(p.20-21)
わずか4〜5歳で将棋を始めた聡太少年が、1年後にはプロ棋士になって名人になりたいと希望を述べています。このことは、私自身のことと重ねてみても驚きです。
私が将棋を初めて指したのは、小学校低学年くらいではなかったかと思います。2年生か3年生か。父が相手でしたが、何度指しても負けてしまう。それが悔しくて、約600円の小遣いで2冊の将棋の本(当時はたしか1冊が280円か320円くらいでした。)を買い、勉強したのを覚えています。それが小学4年生くらいだったか。
それくらい熱中はしましたが、プロ棋士になろうとはまったく思いませんでした。自分には無理だと思ったのではなく、そもそもそういう夢を持たなかったのです。
そのことからしても、いきなりプロ棋士になりたいと夢見た聡太少年は、やはりなるべくしてなったのだろうと思うのです。
「文本は、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関「奨励会」に入会する直前にあいさつに訪れた小学4年の聡太に対し、「名人をめざすのではなく、名人を超えてみせろ」と伝えた。
のちに地元ラジオ番組に出演した聡太がこう宣言するのを聞いた。
「名人を超えたい」」(p.24)
聡太少年が本格的に将棋を習ったのは、5歳のころに通った「ふみもと子供将棋教室」だそうです。日本将棋連盟瀬戸支部長の文本力雄氏が指導する教室に週3回通って、聡太少年はさらに腕に磨きをかけていきます。そして小学4年の時、プロ棋士を目指すべく奨励会に入会しました。
その時、夢は「名人になりたい」から「名人を超えたい」に変わったようです。素直に他人の言葉を受け入れるという性格があるのかもしれませんが、おそらく自分の感覚にぴったりだと感じたのでしょう。
他人との比較による相対的なものではなく、将棋における究極の強さ、絶対的な強さを目指すという方向性は、このころ固まったのかもしれません。
「杉本が、聡太の指導で心がけたことがある。自分の将棋の癖をつけさせない方が良いと考え、直接教えることを控え目にしたのだ。代わりに幅広い人脈を生かし、有力棋士たちとの練習将棋という実践を通じて学ばせた。」(p.44-45)
師匠の杉本氏も、聡太少年を自由にさせたそうです。直接指導すれば、どうしても自分の型にはめてしまうことになる。それでは、自分以上に大きくはなれない。自分よりも卓越した才能を聡太少年に感じていた杉本氏は、学ぶ機会を与えることに徹して、才能が開花するままに任せたのです。
「聡太はデビュー11連勝の時、「望外の結果」と感想を語った。通算50勝の時は「節目(せつもく)の数字となった」。同じ意味でも「ふしめ」とは読まないところに、非凡さを感じさせた。
「漢字が好きでしたね。小学校低学年の頃、電子辞書の中に入っていた漢字検定の問題を私と一緒に解いていました。気づいたら、大人が読むような本も読んでいました」
母方の祖母の清水育子は、そう振り返る。幼い頃の聡太は、隣に住む祖父母の家が遊び場だった。」(p.71)
聡太少年が好んで読んだのは、司馬遼太郎などの歴史小説。沢木耕太郎のノンフィクションや、新田次郎の山岳小説など。小学4年生では新聞も読むのが日課になったとか。
私も本はよく読みましたが、小学校のころは小学生向けのSF小説とか推理小説がメインでした。怪盗ルパンやシャーロック・ホームズなどを読みましたが、子ども向けに書かれた本で、難しい漢字や表現は少なかったと思います。そもそも漢字の書き取りは大の苦手でしたからね。(笑)
そんな私でさえ、読書から多くの表現や漢字の読み方などを知識として得たのですから、聡太少年のように大人向けの本を読んでいたとすれば、その知識量は半端ではないでしょうね。
「対局後のインタビューでは、多くの報道陣が藤井と広瀬を取り囲んだ。タイトル挑戦の当時の最年少記録は、現九段の屋敷伸之が1989年に作った17歳10ヶ月。記録更新ができなかったことを問われた藤井は、それには触れず、こう答えた。「最後に間違えてしまったのは残念だが、それが実力かなと思う」。記録にこだわらず、目の前の勝負に全力を尽くす姿勢はいつもと変わらなかった。」(p.190-191)
プロになった直後からの公式戦29連勝は、将棋界で話題になっただけでなく、世間に将棋フィーバーを引き起こし、将棋界全体に活況をもたらすことになりました。その一方で藤井竜王は、なかなかタイトル戦に絡むことができずにいました。
世間の注目は、藤井竜王がいつタイトルを取るか、どんな最年少記録を更新するのかに向けられていました。そういうこともあり、藤井竜王も多少は気にしたのではないかと思うのですが、インタビューではそういう素振りさえ見せませんでした。
藤井竜王の関心は、つねに目の前の勝負にあったのですね。いや、勝負というより、その指し手の完璧さを目指したのかもしれません。
勝負に勝つには、様々な要素が必要です。子どものころから詰将棋で鍛えただけに、終盤力には秀逸なものがありました。しかし、それだけでは勝てません。序盤や中盤で有利になる指し方、的確に形勢判断する力、形勢不利なら相手を惑わしたり、混乱させて間違いを誘うような勝負手の指し方、持ち時間の配分など、様々な要因があります。
そういうものを駆使して一局の勝負が決まっていきます。藤井竜王は、それらを最高の形で展開してどんな勝負にも勝とうとしているのではないかと思いました。
かつてホームラン王と呼ばれた王貞治選手は、投手がどんなボールを投げてこようと関係なく、狙ったすべてのボールをホームランにしようと考えていたそうです。その次元からすれば、4打席連続ホームランを打った時も、まだ自分の実力に満足していなかったのだとか。藤井竜王も、そういう世界を見ているのかもしれません。
藤井聡太竜王がいつも謙虚なのは、相対的な強さを目指しているからではなく、絶対的な強さを目指しているからではないかと思いました。
上には上があるものです。驕れば足元を救われます。それを自然体でできてしまうのは、やはり常に「自分はまだまだだ」という本心からの思いがあると感じるのです。
しかし、だからと言って自己卑下しているわけではありません。自己肯定した上で、より上を目指しているのです。自分はもっともっと上に行けるという自信と、挑戦できる喜びを感じているように思います。
こういうものが、藤井竜王が生まれながら持った資質にあることは間違いないでしょう。それとともに、聡太少年の自由を抑圧せず、型にはめようとせずに育てられた環境も大きいと思います。
それは両親が立派だったということもあるかもしれませんが、私は大いなる導きを感じるのです。たまたま選んだ幼稚園がそうだったり、たまたま選んだ師匠が自由にやらせる方針だったりと、そう導かれたとしか思えないのです。
聡太少年は、竜王になるべくして生まれ、育ってきた。一言で言えば、そうなるのかもしれません。
もちろん、だからと言って私たちの参考にならないと言いたいわけではありませんよ。むしろ逆で、私たちは藤井竜王の考え方とか育った環境について、学ぶべきものがあるように思います。
子育てをしているなら、まずは子どもの自由を阻害しないことです。興味を覚えたものを追求させること。やはりそれが、子ども自身の才能を開花させることにつながると思います。才能に程度の差があったとしても、です。
それから、環境を整えてあげることも大事ですね。聡太少年が読書好きになったのも、周りの重要な大人(家族などの身近な大人)に読書好きの人がいて、その人が読むような本をいつでも読めたからです。大人が子どもに指図してやらせるのではなく、自分が手本になればいいのです。
また、自分がどういう考え方を持つべきかという点では、相対的な優劣という価値基準を持たない、ということも大事だろうと思います。
ある意味では自分との勝負であり、自分との戦いです。自分への挑戦と言ってもよいでしょう。どこまで素晴らしい自分になれるのかという挑戦ですから。
そんなことを考えさせられた本です。これですべてとは言いませんが、「藤井聡太という生き方」が、少し見えてきたように思います。
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