2021年11月30日

もしあと1年で人生が終わるとしたら?



どういう経緯で買ったのか忘れましたが、思っていたのとは内容が違いました。
私はタイトルから、余命宣告を受けた人の問題を取り上げている本だと思い込んでいました。しかし実際はそうではなく、余命があと1年だとしたらどうするだろう? と考えてみることで、人生をより幸せなものにする考え方についての本でした。

この本は、2016年に同じ出版社から発行された「2800人を看取った医師が教える人生の意味が見つかるノート」を改題し、加筆修正したものだそうです。著者は小澤竹俊(おざわ・たけとし)医師です。
想定していたものとは違いましたが、内容には納得する部分が多々ありました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

人生は誰もが満足して終えられるものではないかもしれませんが、私の経験上、多くの人が「いい人生だった」「自分なりに頑張った」という思いを抱えて最後を迎えられます。
 ただ、中には「そういえば……もっとこうしておけばよかった」「そういえば……こんなふうに生きればよかった」といった後悔の念を抱く方もいらっしゃいます。
 よく現場で耳にするのは、「もう一度家族と旅行に行きたかった」という声や「もっとチャレンジすればよかった」という声です。
 私たちは後悔も充実感も抱えながら、日々を生きています。
 最後を迎えるときも同じことなのかもしれません。
」(p.5)

すべての人に共通して言える「後悔のない人生の条件」「良い人生の条件」など、ないのかもしれません。

 それでも、人生の最後に「より後悔がない人生だった」「より良い人生だった」と思えるために必要な条件を挙げるならば、次の4つになるでしょう。

・自分で自分を否定しないこと
・いくつになっても新しい一歩を踏み出すこと
・家族や大切な人に、心からの愛情を示すこと
・今日一日を大切に過ごすこと
」(p.6)

言葉にすると冗長になってしまいますが、こういうことなのかもしれませんね。満足感と後悔という、相反するものが常に心にある。それが人というものでしょう。
それでも、より満足感が高くなるようにと考えるなら、自分が本当にやりたいことをやることです。自分に正直に生きることですね。

これは、有名な映画「最高の人生の見つけ方」のテーマでもあります。死を前にして、もはや何も恐れるものはないのだから、死ぬまでにやりたいことを全部やろうとする生き方。それをまだ元気なうちから意識してはどうか、と問いかけるのが本書のようです。


ただ、人生の意味を見つけるのは、そう簡単ではありません。
 その理由は、私たちが人生の意味を「自分のしたことが、誰か(あるいは社会)の役に立っているかどうか」と結びつけてしまいやすい点にあります。「自分のしたことが誰かの役に立っている」と思えるのは、もちろん素晴らしいことです。
」(p.21-22)

しかし、誰かの役に立つことだけを「意味のあること」ととらえる考え方には限界があります。
 その理屈でいくと「自分は誰の役にも経っていない」と思った瞬間、自分の人生の意味や自分が存在している意味を見失ってしまうからです。
」(p.22)

「人の役に立つ」という考え方は、他人からの評価によって自分の価値を決める、という考え方につながりやすいです。それは他者への依存ですから、上手くいかないことが多々あるでしょうね。

ただ、たとえどんな状況であっても、「人の役に立つ」ことができている、という見方をすることも可能です。
たとえば赤ちゃんは、自分ではほとんど何もせず、人に頼ってばかりですが、役に立ってますよね。その存在が人を喜ばせているのですから。
では、面倒を見てもらうだけのお年寄りはどうでしょう? 障害者はどうでしょう?
それとて、「他人に奉仕させてあげている存在だ」とも言えるわけです。そういう人がいなければ、誰かを助けて役に立ちたいと思っている人に、機会を提供できないわけですから。


「人生があと1年で終わる」と考えれば、それまでの価値観が崩れ、自分を縛っていた固定観念やしがらみから解き放たれ、見える景色が変わってきます。
 もしかしたら、成長の過程で忘れたり、あきらめたり、我慢させられたりしたものの中に、あなたが本当にやりたいこと、大事にしたいことを発見できるかもしれません。
」(p.32)

特にまだ若くて健康な時は、誰しも今が永遠に続くかのように思っているものです。そこで「人生があと1年で終わる」と想像してみることで、自分の思考を点検することができるようになるのですね。


後悔する気持ちを認め、誰かと分かち合うことができたら、その後悔から何を学べるかを考えてみましょう。

 どんなにネガティブに見える出来事にも、プラスの面、そこから学べること、今後の人生のヒントになることが必ずあります。
 それを見つけ出すのです。
」(p.38)

もうあとは死ぬだけとなっての後悔は、やり直しができないだけに辛いものがあるかもしれません。
けれども、まずはその感情を素直に受け入れて、そこから考え直すことが大事なのです。そうすれば、たとえそこで得た気づきが自分の人生に役立たないとしても、それをシェアすることで、他の誰かが助かるかもしれないのですから。


元気だったころ、その患者さんは、家族のことも顧みず仕事に打ち込み、「仕事ができない人間は、会社にとっていらない存在だ」と考えていたそうです。
 けれども、

「人生において本当に大切なのは、家族からの愛情や同僚との友情、仕事相手との信頼など、目に見えないものなのだ」
「自分は今まで、家族や友人に支えられていたのだ」

 と気づいてからは、周囲の人への感謝の言葉を頻繁に口にするようになりました。
」(p.99-100)

病気になったり、身体が弱って死の影がちらつくようになることは、決して悪いことではありませんね。このように「気づき」を得られるからです。
そして「気づき」を得られれば、その瞬間に幸せになれるのです。ただ感謝しかない心の状態になれます。


世の中は理不尽です。
 努力が必ず報われるとは限りませんし、「努力すれば報われる」と思っていると、現実とのギャップに苦しむこともあるでしょう。

 でも、たとえ良い結果につながらなくても、「努力をした」という事実は残ります。
 そして、努力をする過程で、人は必ず何かを学んでいます。
 学んだことをほかの人に伝えることができれば、その学びが、誰かの幸せや喜びにつながるのかもしれません。
」(p.112)

結果が伴うことに執着していると、努力したけど無駄だったと考えるようになるでしょう。
しかし、これも考え方しだい、見方しだいなのです。結果を手放すことができれば、努力したという行為そのものに意義があるとも言えるのですね。


私が出会う患者さんやそのご家族は、最初のうちは、自分や家族が重い病気になったこと、残された時間がそう長くないことに、非常に苦しんでおられます。

 しかし、多くの方は、苦しみの中で、周りの人の大切さや優しさ、ありがたさ、「日常」というものの素晴らしさ、自然の美しさ、自分が生きてきた意味や、自分という存在の価値など、苦しみに直面する前には知りえなかったこと、当たり前すぎて見逃していたことに気づきます。
 そして、それができたときに初めて、自分が病気という苦しみを抱えることになった意味を理解するのです。
」(p.145-146)

病気になり、身体の自由がきかなくなったり、人生最後のときが近くなったりすることは、このうえなく大きな苦しみです。
 しかし多くの人は、悩み、苦しみ、もがく中で、少しずつ自分の人生を振り返り、そこに意味を見出すようになります。
 そうしたプロセスを経て、自分の人生を肯定できるようになったとき、人はようやく本当の強さ、心の穏やかさを手に入れることができるのです。
」(p.169−170)

苦しみは避けたいものでもありますが、役立つものでもあります。そう考えれば、すべての出来事は良いことだと言えるのではないでしょうか。
私は常々、起こる出来事は必然であり最善であり完璧だ、と言っています。そういう視点を保持しつつ、そういう意味を見出せば良いだけなのですから。
そうすれば、何が起ころうと強く穏やかでいられるし、幸せでいられると思うのです。


本書は、まだ若くて健康な方に対して、もし1年で死ぬとなったらどうする? という視点を与えることで、後悔しない生き方を模索する手助けをする内容になっています。17の項目に分かれてはいますが、重複するようなことも含まれています。

もちろん、すでに終わりが見えかけている人であっても、実際にそうやって亡くなっていかれた方々を看取られてきた小澤医師の話は役立つだろうと思います。

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タグ:小澤竹俊
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 08:23 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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