これも上野千鶴子さんの「在宅ひとり死のススメ」で紹介されていた本です。
昔、テレビのコメンテーターとして活躍されてた樋口恵子(ひぐち・けいこ)さんが書かれたもので、サブタイトルにもある「ヨタへロ期」という言葉が紹介されていました。
また、樋口さんは介護保険制度の導入や改定にも深く関わられていて、介護の世界では重要な役割を果たしておられるようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「春日さんのご本には、人間、老いてピンピンコロリなんてめったにない。ピンピンスタスタの時期を経て、ヨロヨロの末にドタリ。さらにいわゆる「寝たきり」の時期もある。ヨロヨロを直視すべき、という問題提起が書かれています。
まさに私、ヨタヨタヘロヘロの「ヨタへロ期」をよろめきながら直進しているのです。」(p.4)
「健康寿命は男性が72.14歳、女性が74.79歳、平均寿命は男性が80.98歳、女性が87.14歳(2016年)。平均寿命も健康寿命も女性が長いのですけれど、その格差は男性が約9年、女性は約12年。要するに「ヨタへロ期」は、女性のほうが男性より3年も長い! これは大問題ですから、今後大いに原因を究明し、男女の差を縮め、両性とも健康寿命を伸ばさなくては、と思います。
その上で思います。どんなに努力しても、自然の理としての老いが心身の衰退だとしたら、なおその期間もその人の人生の延長として、その人らしさが発揮でき、何よりも人間の尊厳が保障されてほしい、と。」(p.5)
「なんと言ってもこの年代の人口が増えるのですから、人生の最終段階の幸福のために何をなすべきか、全ての人の問題として考えてほしいと思います。」(p.6)
上野さんの本にも書かれていましたが、ピンピンコロリは、事故や事件でもなければ現実的ではありません。もしそうなれば、必然的に警察のお世話になるため、穏やかな看取りとはなりません。
病気や老衰で亡くなるには、どうしてもこの「ヨタへロ期」を通過しなければならないのです。それをできるだけ短くしたいと考えるかもしれませんが、おそらくは無理です。なぜなら、生命を維持する技術や環境が整えば整うほど、老化や病期の進行は減速されるので、むしろ期間は長くなるはずですから。
樋口さんは、男女格差を縮めたいとおっしゃいますが、これはそもそも性差によるものではないかという気もします。女性は粘り強いと言うか、しぶといと言うか・・・。逆に男性は根性がないんですよ、きっと。(笑)
ただ、この「ヨタへロ期」を通過することが必然ならば、樋口さんがおっしゃるように、この期間もまた人間としての尊厳をもって生きられる社会にしてほしいし、そのために私もできることをやりたいと思います。
「これから日本で人口が増える年代は65歳以上のみ。今(2018年)28.1%と世界一の割合ですが、2040年には35.3%になる見込みです。平均寿命の長い女性は多数派を占め、65歳以上で人口の56.6%、75歳以上60.7%、85歳以上69%と、高齢になるほどその比率を増します。ことし(2019年)7万人を超えた100歳以上長寿者のうち、女性が88.1%を占めました。
社会的に配慮を必要とする65歳以上の「ひとりぐらし」は今すでに600万人、高齢者世帯の47.2%を占めます。うち女性が男性の約2倍の400万人。
その女性の状況が数の力で日本社会に影響を与えないはずがありません。そして高齢世帯の収入は「年金のみ」が52.2%。年金は高齢家計の命綱です。」(p.43)
樋口さんはBB(びーびー)と言って、「貧乏ばあさん」が高齢女性の総称だと考えているそうです。
日本社会に大きく影響しているのは女性の高齢者で、その貧困化が大きな社会問題だということですね。
「中村丁次先生は「買い物の効用」について、出かけるだけでも運動になる。それも小マメに、食品は買いすぎないで自分でつくることが大切、と述べておられます。そうです。買い物の効用の第一は、外へ出て人に出会う、少しは口をきく、挨拶する、ということだと思います。」(p.57)
独居老人がより健康的に生活するには、適度な運動と他人とのコミュニケーションが欠かせません。そのために最も有効なのが「小マメに買い物へ行く」ということなのですね。
歳を取ると、あまり大きな荷物は持てません。けれども、それが幸いします。どうせ時間はたっぷりあるのですから、何度でも買い物へ行けばよいのです。それがよい運動になるし、人と出会えば会話をする機会も増えますからね。
「大切なことは、買い物する人が自分の目で見て自分で選ぶ、ということではないでしょうか。今流に言えば自立の証としての自己決定。」(p.58)
自分が自由に選ぶ、自分で決めるということは、脳の働きを活性化させるし、生きる喜びにもつながります。
ですから、他人に何でもかんでもやってもらうようなサービスを安易に受けることは、寝たきりへの道を加速させることにもなりかねないのです。
「私は、老いても一定の判断力がある限り、この買い物という社会参加と決定権を最後まで持たせてほしいと思います。青年よ大志を抱け、老年よサイフを抱け。」(p.60)
そういう意味では、むしろ独居老人の方が健康を保ちやすいのかもしれませんね。一人で何でもやらなければならない環境に置かれているのですから、その環境を受け入れて、前向きに生きればよいだけですから。
「近ごろ高齢者の心身の健康維持のため、お出かけを奨励する世論が増えていて、私も大賛成です。そのためには、駅、公共施設、商店街はじめ街角に、高齢者に使いやすい清潔で安全なトイレの整備を、と願います。」(p.70)
排泄は、生活において非常に重要です。時に緊急を要することもあります。我慢が難しい生理的なものでもあり、そのために外出することをためらうことになりがちです。
利用しやすいトイレがあちこちにあれば、それだけでも老人に優しい街と言えるかもしれませんね。
「きょうだいが少なくなったのですから、男性も介護に参加せざるを得ません。結婚率が下がっていますから、親が倒れたとき介護をまかせる「嫁」がいるとは限りません。いたとしても、その嫁も生家の一人娘や長女だったりして、そちらの面倒に追われます。こうして日本近代に明治民法として根を張り、戦後の民法改正後も習慣として続いてきた、長男優先の家父長的家制度は衰退に向かいます。自分の親はさておき、「夫の親を優先的に介護する」という意味での「嫁」は今や絶滅危惧種です。これは嫁の心がけの問題ではなく、数の変化の問題です。」(p.93-94)
はからずも晩婚化に始まる少子化が、日本の伝統(?)的な家族のあり方であった「家父長的家制度」や「長男の嫁」というものを変化させてしまったのですね。
「介護離職者(全国で年間約10万人)自体は今も女性が8割、しかし男性の比率も数も増え続けています。男性の仕事と介護の両立が可能になれば、女性もまた可能になるでしょう。そもそも、介護離職が増えると、第一に、当事者の老後の生活設計と年金が大幅に失われます。第二に、企業は人材を失います。第三に、国は個人所得税の財源を失います。第四に、医療・介護・年金制度もこの年齢層の働き手の負担が多いのです。どちらを見ても損するばかりでロクなことはありません。」(p.98)
介護離職が増えている社会現象に対し、樋口さんは「君、辞め給うことなかれ」と与謝野晶子氏の言葉をもじって警鐘を鳴らします。
たしかに、家族介護は社会に良い影響を与えそうもありませんね。樋口さんは、職場環境、介護保険サービスの充実、家族や近隣者の助け合いの3つによって、介護離職を減らすことが重要だとしています。
「最近久しぶりに、全国から公募した介護体験記を選者として読む機会がありました。その結果は「介護、老いと向き合って−−大切な人のいのちに寄り添う 26編」(ミネルヴァ書房)にまとめられています。介護保険制度の普及が、どんなに家族介護者を孤立から救い、介護をとおして人と人を結び付けているのかを知って、つくづく「創ってよかった介護保険」と思いました。」(p.101)
家族、特に嫁を介護から解放することにつながった介護保険制度ですが、樋口さんはその設立に関わってこられました。それが役立っているという実感があって、これをさらに有効なものにしていきたいと思われているようです。
「外部の介護サービスを快く受け入れ、若いころには「怖いくらいの母」だったのに、同居してからの15年間「命令しない」「反対しない」「不足言わない」「小言言わない」「怒らない」と、娘の目から見ても「予想外」の母の姿でした。それでいて自尊心は高く、周りの人たちにも一目置かれています。」(p.102)
「全体に共通しているのは、「ありがとう」と感謝のことばや介護者を認めることばを持っている、ことと、かなりわからんちんでも、どこかにユーモアがあることです。
そして介護保険制度などを利用して、外部サービスの専門職、行政や隣近所、親類縁者を動員して広がる介護の輪。介護があるから孤立したのではなく、介護があったからより多くの人々と親しくなれた−−介護の成功者の共通条件です。ということは、高齢者の側が外部サービス利用をいやがらないこと、それが「ケアされ上手」の基本かと思いました。」(p.103-104)
「最期をどう迎えるかについては、多少考えもし、用意したつもりですが、その前に「ケアされ上手」になる課題があったのか。人間いくつになっても修行ですなァ、と決意を新たにした次第です。」(p.104)
介護体験記から、介護を受ける側の覚悟というのも大事だと樋口さんは言います。
たしかに、私も介護職をしていますが、文句を言わず、要求が少なく、感謝の言葉がある利用者様は、介護職からも好かれます。介護職員も人間ですからね。そして、利用者が喜んで介護を受けてくれると、家族も助かります。
外部の介護を受ける側も、老いてなお辛抱が必要だ(修行だ)、ということかもしれませんね。まあこれまで、嫁を奴隷のように使えたことが異常だったのだと思いますよ。
「でも、根本的には解決になっていないのです。たとえば、先にあげた私の友人が入居している老人ホームで、もし入居者が外出して似たような事故死をしたら−−。施設は、鉄道会社と遺族の両方から責任を問われかねません。そうなると施設は責任を免れるために扉に厳重に鍵をかけたり、入居者の行動の自由への束縛を強めるかもしれません。」(p.117)
さすがは樋口さん、私と同じような懸念を抱かれていますね。これまで読んだ本では、この部分をごまかしています。痴呆症の人の行動する自由を妨げないとか、ずっと見守っているとか、不可能なことが可能であるかのようにごまかしているのです。
これは2016年に起こった事故を受けての記述です。
事故は、認知症の男性が自宅から1人で外出し、踏切内に立ち入って轢死したというもの。死んだ男性は自業自得とも言えますが、列車運行が遅れて損害を被ったJRは、同居していた85歳(要介護1)の妻と長男の管理責任を問うて提訴しました。
一審はJRが勝訴、二審は長男のみ責任を免除、そして最高裁は家族の責任を全面的に免除しました。
施設には、基本的に外から鍵をかけて入居者が出られないようにすることは認められていません。非常口にも鍵をかけられません。
なので、大変姑息な手段ではありますが、認知症でない人なら開け方がわかるという方法で、間接的に鍵をして、認知症の人が勝手に出られないようにしています。
そうせざるを得ないのです。何かあったら、責任を問われるのですから。この管理者責任について、どこまで社会が寛容になれるかという議論とコンセンサスなしには、認知症の人の自由の保障は不可能だと思います。
「対策はただ一つ、家族でなくても気づき助け合う習慣を今からつくっておくことです。認知症をかくさず可視化する、家族でなくても関心を持ち手助けする、重大事故は別として小さな事故には寛容の精神を持つ。可視化、関心、寛容の3Kが解決の鍵ではないかと思います。甘すぎるでしょうか。」(p.118)
理想は、認知症の人が自由に出歩けることです。しかしそうすると、近隣の家のポストから何かを持ち去ったり、庭を踏み荒らしたり、外壁を傷つけたりする可能性があります。
そういうことに対しては、認知症の人が住んでいるんだという認識(可視化)を持っておくことと、出会ったらみんなが見守ろうとするコミュニティを作る(関心)ことと、少々のことなら「仕方ないね、住民仲間なんだから」という受容する心(寛容)をことが大事なのだろうと思います。
けれどもさらに、JRの事故のような重大事故にはどうすればいいのか、という問題も残ります。そして、3Kの地域コミュニティ作りも簡単なことではありません。これは、今後も考えていかなければならないテーマですね。
「認知症であることを公表し、適切な支援を求める人が増えれば増えるほど、その対策は進むはずですから。家族が認知症をかくす「かくれ介護者」が増えては、世の中暗くなるばかりです。認知症の人を世の光に。その光として、親の認知症を世の中に見える化することをためらうな、と言ってあります。」(p.123)
樋口さんは娘さんに、仮に自分が認知症になったら隠さずに公表するよう伝えてあるそうです。
「認知症の人を世の光に」という言葉は、重症心身障害児のための施設を創った糸賀一雄氏の「この子らを世の光に」と言われたことをパクったと書かれています。「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」という表現に、樋口さんは驚かれたのです。
「でもすぐに理解できました。「この子ら」の存在が光となって、私たちの目指すことやなすべき行動を教えてくれることを。認知症も同じだと思います。」(p.124)
問題に蓋をして隠すのではなく、むしろ逆にオープンにすることで、社会をより良いものに変えていくことができます。
ですから認知症の問題も、介護の問題も、隠していてはいけないのです。こういう問題がある、こういうことで困っている、というようなことを、どんどん情報発信すべきですね。
「約1年近くあと、天皇皇后両陛下(現上皇、上皇后陛下)が被災地を訪問。避難所で年老いた人たちを前に皇后様の言われたおことばです。
「生きていてくださって、ありがとうございました」
高齢者であろうと子どもであろうと、今目の前にある命への全き肯定、その命への祝福と感謝。これしかないと深く感じ入りました。
だから、思います。この災害の時代に、自分も含めて最大多数の幸せに備えて、生き残る準備をしよう。最低限度、高齢者もできる範囲で自立度を高め、わが身を守る準備、周りの人の心配や負担を多少とも軽くする努力をしようではないか……と。」(p.136-137)
2011年の東日本大震災では、津波によって多くの命が奪われました。
置いて逃げろと言う年寄りの言に従って逃げ、年寄りを死なせてしまった若者の苦悩もありました。また、逃げろと言う年寄りを見捨てることができず、家族全員が亡くなるという悲劇もありました。
何が正解なのか、どうすることがいいのか。簡単に答えは出せません。そういう中での皇后陛下のお言葉です。
私も、読みながらこみ上げてくるものがありました。いろいろあったけど、みなさんは生き残ってくれた。ただただそれを喜ばしく思う。その気持ちが感じられて、泣けてくるのです。
だからこそ、自分もそういう社会の一員として、できるだけのことをしたい。その1つが、なるべく自立するということです。
「完全に」ではなく「なるべく」です。今よりも少しでも、という思いです。そういう一人ひとりの努力によって、全体が良くなるのですから。
そういう考えに立てば、他人の不完全さも許容できます。もちろんそれも、「完全に」ではなく「なるべく」から始めるのが良いと思います。
人はそもそも違うものだし、不完全なものです。だからこそ、他人にも自分にも寛容であることが大事です。そして、そういう寛容さを持ちつつ、より高みを目指す仲間でありたいと思うのです。
知らない間に、樋口さんもお年を召されてたのですね。まあ当たり前のことですけどね。
私がテレビでよく拝見させていただいていた頃は、まだ50歳か60歳くらいだったでしょうか。論理的に明快で、弱者に対する優しい視点を持たれた方で、とても好感が持てました。
あれからもう30年以上になるのですね。私も年を取るわけです。(笑)
【本の紹介の最新記事】