SNSを見ていて、私が住んでいる諏訪の青年会議所が西野亮廣(にしの・あきひろ)さんのオンライン講演を企画していることを知りました。
西野さんと言えば、私にとっては「えんとつ町のプペル」という絵本です。お笑い芸人としての活躍はまったく知らないのですが、歯に衣着せぬ言いようでネット上で叩かれていたことは知っていました。
ちょうど講演日時が都合よく、その西野さんの講演が聞けるというので、すぐに申し込みました。そして聞いてみると、さすがに西野さんは着眼点が素晴らしいし、いいことを言うなぁと思いました。
そして、その講演の最後に宣伝されてたご著書を、素晴らしい講演を無料で聞かせていただいたお礼にと、購入することにしたのです。それが本書になります。
なお、西野さんの本としては、ホリエモンさんと共著になる「バカとつき合うな」も読んでいます。こちらも素晴らしい内容でした。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「「えんとつ町」は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる現代社会。
ファンタジーなどではありません。
それら全ては僕らの身の周りで実際に起きていることで、きっと今この瞬間も、どこかで殺されている夢があります。
ご多分に漏れず僕にも、日本中から何年間も攻撃され続けた時代がありました。」(p.13)
「忘れもしません。
フジテレビの『FNS27時間テレビ』での出来事です。
「ひな壇番組」の出演を断ったキングコング西野を、その現場にいないキングコング西野を、番組出演者をはじめ、番組スタッフ全員が、電波に乗せて「なじった」ことがありました。」(p.14)
「それは、「笑い」と呼ぶにはあまりにも陰湿で、少なくとも僕が子供の頃に憧れた芸人の姿ではありませんでした。
僕がどう生きようが、何に挑戦しようが、僕の勝手じゃないか。
しかし、当時のテレビ芸人はそれを許しません。
公共の電波でそんなことをやるもんですから、多くの国民が扇動され、いつからか僕は「皆が殴ってもいい人間」になりました。
自分の意思に従って生きたら、このザマです。」(p.15)
これが、本のタイトルにも関わってくる出来事であり、絵本「えんとつ町のプペル」のテーマでもあったのですね。
しかし西野さんは、恨み節を発散させたいわけではありません。その強烈な出来事によって鍛えられ、いっそうたくましくなった。それこそが、この本のテーマなのです。
西野さんの夢は、単にお笑い芸人として有名になることではありませんでした。エンタメで世界を取る、ディズニーを超える、という明確な夢がありました。だから、ひな壇に座ってはダメなのだと決めたのです。
「大切なのは、「どこで結果を出すか?」と問い続けることで、「一番」を目指すのならば、競争に参加するのではなく、競争を作る側(ハード)にならなければなりません。
そう思い、テレビの世界から足を洗うことに決めました。」(p.20)
ゲームのソフト業界で競争して一番になっても、一番良く売れるのはそれを搭載できるゲーム機(ハード)です。ゲーム機を含めた「TVゲーム」の世界を作った人が、絶対的に一番になる。
だから西野さんは、テレビが作り上げたエンタメの世界で一番を取っても、本当の一番にはなれないと見抜かれたのです。
「昔から僕は、「目的を達成する為に何をするべきか?」を考えるのではなく、「何をしたら確実に目的が達成できないか?」とリストアップするようにしています。」(p.21)
どの努力が報われるかどうかは運によるものがあるものの、報われないとわかっている努力をやめれば、より報われるかもしれない努力に的を絞れるという考えですね。だから、テレビから足を洗う、ということを真っ先に決めたのです。
西野さんが絵本を描くようになったきっかけは、タモリさんから「お前は絵を描け」と言われたからだそうです。タモリさんはそれ以上の説明をされず、西野さんも問わなかったそうです。ただ、タモリさんがそう言うのだから、きっとそういうものが自分の中に見えるのだろう、と信じたのです。
「翌朝から、さっそく絵本制作をスタートさせました。
とはいえ、これまで「絵」なんてまともに描いたことがありません。
このとき、僕の中で「信じていたこと」と「決めていたこと」がそれぞれ一つずつありました。
信じていたことは、「タモリさんが始めさせたのだから、僕は絵を描けるようになる」ということ。
決めていたことは、「絵本作家に用意されている競争に参加しない」ということ。
用意された競争に参加した時点で負けが決定してしまいます。」(p.25-26)
ある意味で信仰とも言えますが、直観に従う生き方とも言えますね。何ら根拠もなく、「できる」と信じるのですから。
そして、非常に理性的な戦略です。これまでの絵本作家と同じことをするなら、一日の長がある彼らに勝つのは至難です。そして、それでは絵本の世界で勝者にはなれません。
「「専業家」には時間の自由がなく、「複業家」には時間の自由があります。
場合によっては、複業家は、一つの作品を仕上げるまでに10年かけることだって可能です。
僕は、この場所で花を咲かせることに決めました。」(p.28)
絵本制作だけで生きている人は、次々と絵本を世に送り出さなければ生活できません。しかし西野さんには、まだテレビ番組での仕事もありました。なので、絵本制作に時間をかけることが可能だったのですね。
そこで、0.03ミリという細いボールペンを使って数年かけて絵本を描くという、誰もがなし得ない世界を切り開くことにしたのです。
「「作るだけ作って、売ることは他人に任せています」というスタンスは、一見するとクリエイターのあるべき姿のようですが、実際のところは、「育児放棄」です。
僕は周囲の目を気にして、保身の為に、「ヨゴレ役」から逃げてしまっていました。」(p.43)
クリエイターが創った作品が我が子と同じなら、それをお客さんに届けなければその子どもは無駄死にしてしまう。そういう思いなのですね。
それにしても西野さんは、自分に対して厳しいなぁ。でも、そういう思いがあったからこそ、多くの人に感動を届けることができたのだろうと思います。
そしてこの本のテーマは、「えんとつ町のプペル」の販売戦略についてです。実に綿密に練られた戦略に基づいて、この作品は世に送り出されています。
そのことを、西野さんのどういう思い、または出来事から気づいたものなのかということまで、説明しているのが本書とも言えるのです。ただのエッセイではないのですね。
「「ゴミ人間」は、皆が折り合いをつけて捨てた夢の集合体。
そして「ゴミ人間」は、折り合いをつけて夢を捨てた人達の間違いを証明しようとしている。無自覚に。
これは「脅し」に近い行為です。
実は、先に攻撃を仕掛けているのは、「ゴミ人間」のほうで、これこそが挑戦者が皆から殴られる理由だと結論しました。」(p.79)
被害者が実は加害者だった。無意識に、無邪気に、他人の隠しておきたい過去を暴いて見せている。だから叩かれるのだ、ということですね。
西野さんが自分の夢を護るためにひな壇に登らなかったことは、夢を捨てた人たちを否定すること、攻撃することでもあったのです。たしかに、そういう一面もあるかと思います。
絵本の前に映画のストーリーを考えていたという西野さんですが、映画のストーリーには、夢を護ろうとする人を殴ってしまう人の視点も描かれているのだそうです。人の弱さを切り捨てるのではなく、それをも汲み上げていく。そういう作品なんでしょうね。
「たくさんたくさん考えて、「作品の売り上げで次の作品を作ってしまうと、まもなく商品を作る自分になる」という結論に至りました。」(p.83)
作品が売れないと次の作品が作れないという状況が、お客に媚びを売ることになる、と言うのですね。客のニーズを調べて、売れる作品を作ろうとすれば、それは「作品」ではなく「商品」なのです。
クリエイターであり続けたいと思った西野さんは、世間のニーズがどうかではなく、自分の思いだけで作品を作ることにしました。それを可能にするには、作品の売り上げ以外の収入源を持つこと。西野さんにとっては、それがテレビの仕事でした。
そしてその作品を、求めてもいなかった客にどうやって知らせて、買ってもらえるようにするかを考えたのです。それが、映画「えんとつ町のプペル」を作って売るために、絵本「えんとつ町のプペル」を作って売る、ということにつながるのです。
「もともとは西野亮廣を応援していた人達が、気がつけば西野亮廣をハンドリングし始め、ついには「ハンドリングに従わない西野亮廣」を非難。
これは、あらゆる表現者や、あらゆるサービス提供者が直面する問題ではないでしょうか?」(p.101)
絵本「えんとつ町のプペル」を作る過程で、クラウドファンディングによって資金を集め、クラウドソーシングで多くの作業者を集めて分業するという前代未聞の方法を採用した西野さんに対して、これまでのファンからの批判非難が集まったそうです。
かつてのファンは、自分たちが勝手に思い描いた「西野亮廣」という姿を、西野さんに押し付けようとしたのですね。
「僕らはお客さんを、「顧客」と「ファン」と「ファンだった人」と明確に区別する必要があります。
「顧客」というのはサービスを買ってくれる人で、
「ファン」というのはサービス提供者を応援してくれる人で、
「ファンだった人」というのはサービス提供者を私物化する人です。」(p.102-103)
「ファンだった人」というのは本当の「ファン」ではないので、痛くても切り捨てなければならないのです。期待に応えていたらクリエイター生命が死んでしまいます。
「クラウドファンディングの最大の魅力は、商品・サービスを世間にリリースする前から「結果的にお客さんになる作り手(共犯者)」が作れる点にあります。」(p.111)
こういう気付きが西野さんの素晴らしいところですね。これだけでは何のことだかさっぱりですが、西野さんがされた手法をたどれば明らかです。
「どうやらお客さんは発信したがっている。しかも「お金を払ってまで」。
理由は、まず間違いなくSNSでしょう。皆、「いいね」が欲しいし、「フォロワー数」を増やしたい。
こうなってくると、「〇〇のイベントに行ってきました」というツイートよりも、「〇〇のイベントは私が作りました」というツイートが欲しくなってきます。」(p.113)
お客さんは、エンターテイメントの単なる受信者では満足できなくなり、発信者になりたがっていると言うのですね。
「時代は、プロが作ったものをお客さんにお出しする「レストラン型」から、お客さんが食べたいものをお客さんが作る「BBQ型」へとジワジワと移動し始めていました。」(p.113)
お客さんと一緒にイベントを作る。その権利を販売する。そうすればお客さんは、わざわざお金を払ってイベント制作を手伝ってくれ、さらに友人知人などを集めてきてくれるという集客までもやってくれます。
「子供を「自分よりも能力が低い生き物」として見積もり、その結果、「この絵本は子供向けですか?」という言葉を使ってしまう。
翻訳すると「私よりも能力が低いこの子でも理解できますか?」です。」(p.130)
絵本作りに携わったことで気づいたことのようですが、こういう感性は本当に素晴らしいなぁと思います。
しかし、西野さんはこのことでさらに気づきを得ます。つまり、その作品の使用者は子どもだとしても、購入者は親(大人)だということです。
そういう理不尽な考え方をする大人に受け入れてもらえなければ、最終的な作品の提供先である子どもたちに届かないのです。
「「子供向け」という言葉を捨て、自分達が作りたい絵本をフルスイングで作り、どうにか大人の壁を突破し、今現在、無視されてしまっている「あの頃の僕らのような子供達」に届ける……それが絵本制作を走らせた僕らの課題でした。」(p.132)
ただ作りたいという思いだけでは、その思いを届けることができない。届けることを重視すれば、そこに作りたいという思いが欠落してしまう。
西野さんは、届けることを考えて工夫することで、作りたいという思いを大事に守ろうとされたのです。なぜなら、その届けたい子どもたちとは、かつての夢を否定されてきた自分そのものだから。
「まだ誰もやったことがない挑戦には痛みは付きもので、くわえて指針となるようなものがありません。
来る日も来る日も手探りです。
そんな中、身体を前に進めてくれるのは、胸の中の一番奥の部屋から響いてくる「それでも、やりたい」という声で、あとはその声に従うか否か。」(p.158)
西野さんにとってのその声は、「エンタメで世界を獲りたい」であり、「ディズニーを超えたい」だったのだそうです。
話せば一笑に付されてしまうような夢。誰もが最初から不可能だと決めつけてしまうような夢。それを西野さんは、大事に護ろうとしたのです。
「そんな中、僕がリーダーであるために心がけていることは次の2つ。
・全員の意見には耳を傾けて、最後は独裁する。
・正解を選ぶのではなく、選んだ道を正解にする。」(p.181)
映画の制作やイベントにおいて、多くの人のリーダーという立場になった西野さんですが、リーダーは多数決をやってはいけないと言います。決めたのはみんなだと言って、責任を負わなくなるからです。
たとえ他の誰が反対しようと、みんなを護ると決めて独裁し、最終責任を負う覚悟をすること。その覚悟が重要なのです。
そもそも迷うことには正解がないのですから、正解を求めずに、選んだ道を正解だと信じて、正解だったと思える結果を残そうとすることです。
「8年前にスタートして、日本中からたくさん殴られて、それでも負けずに筆を走らせ続けて、ようやく仲間ができて、ようやく回ってきた勝負のタイミングで、100年に一度のウイルスに襲われるなんて、あんまりじゃないですか。
ただ、ここまで見事に運が悪いと、かえって悲観的にはならないようで、運が悪すぎたのが良かったのか、「この試練には何か意味があるんだろうな」と考える自分がいました。」(p.222)
ピンチの後には感動がある。そう言ったのは福島正伸さんでしたね。
主人公が苦労しながら成長して、それでもまたどん底に突き落とされ、それでも諦めずにいたら助け舟が現れて成功に至る。こういう感動のストーリーの雛形があるそうですが、西野さんはまさにそれを地で行くような方でした。
「負けるもんか。
コロナ禍の制作を強いられた『映画 えんとつ町のプペル』のリーダーとして決めたことが二つあります。
一つ目は、世界の誰よりも努力をすること。
二つ目は、この先どんな問題が襲ってきても、1ミリも言い訳をせず、即座に対応すること。」(p.225-226)
「コロナだから仕方がない」という言葉も封印したそうです。そういう言い訳をしてしまうと、最初から諦めたのと同じですから。
同じ時期に封切られるはずだったディズニー映画も、公開延期となった中、「えんとつ町のプペル」は予定通りに2020年12月25日公開となったのです。
どうすれば上手くいくのか。絶対的な正解があるわけではありません。また、それを解決する能力があると自信を持っていたわけでもありません。
ただ「やる」と決めて、その決意を揺るぎないものとして保持し続けること。問題の解決策は必ず見つかると信じて歩き続けること。もうダメだと思えても、最後の最後まで諦めないこと。そうやって完成したのが、映画「えんとつ町のプペル」だったのですね。
「決意する」「信じる」「諦めない」という、誰でもやろうとすればできること。それを忠実にやった結果なのです。
そういうことをまったく知りませんでした。たしかに映画化されるという話は、どこかで聞いたようにも思いますが、記憶にすら残っていません。
そういう私がまったく知らない間に、西野さんは努力を積み重ねて映画を成功されました。観客動員170万人、興行収入24億円を超える大ヒットを記録したそうです。
けれども西野さんの中では、挑戦はまだ終わっていないようです。今年もハロウィンに合わせて公開されたとか。知りませんでした。(汗)
これを、毎年恒例の公開にしていきたいという話も、ネットに載っていましたね。
実はこのエッセイも、映画の宣伝の一環なのだそうです。そう書かれていました。
そう考えると、忙しい中で諏訪青年会議所の講演を引き受けられたのも、そういう意味があったのかもしれませんね。
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