2021年11月07日
道路を渡れない老人たち
最近は老人介護、看取り、認知症というキーワードに関連するような本をよく読んでいます。
この本も、何かで紹介してあったものか、それともタイトルでピンときたのか忘れましたが、老人介護に関わる問題を指摘しているものです。
著者は神戸利文(かんべ・としふみ)さんと、上村理絵(かみむら・りえ)さんです。リハビリ専門のデイサービス「リタポンテ」を経営する神戸さんは、お父様がパーキンソン病を患ったことを機に介護の世界に飛び込まれ、自分が理想とする介護施設がないということで、そういう施設を作ってこられたようです。
上村さんは理学療法士ですが、リハビリの専門家と言えばわかりやすいでしょうか。病院や介護施設などでリハビリを担当するのが理学療法士などです。
神戸さんは、リハビリが軽視されていることが介護の問題点だということを指摘されたいようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「東京に住んでいるのに、
買い物難民になっている老人がいる。」(p.3)
「もちろん、スーパーやコンビニはたくさんあります。
お店がないということではないのです。」(p.3)
「答えは「青信号の間に、
横断歩道を渡りきれないから」でした。
青信号の多くは、1mを1秒で歩ける人に合わせているといいます。
これでほとんどの人は道路を渡り切ることができるはずです。
でも、実はこの速度で歩けない人が
300万人以上いるといわれています。」(p.4)
これがタイトルにある「道路を渡れない老人たち」ということですね。
たしかに老人介護施設では、そんなにスタスタ歩けないお年寄りが多数います。
ただこの本は、道路を渡れないから信号の長さを長くせよ、と訴えるものではありません。
むしろ、道路が渡れるくらいにスタスタ歩ける人を増やそうという視点で書かれています。
「身体を動かさなくなるので、
どんどん身体機能が衰えていき、
家族の支援が必要になり、
買い物などを誰かに代行してもらわなくてはならなくなる。
するとさらに、身体を動かさなくなり、
寝たきりになる確率がぐっと上がります。」(p.6)
「また、筋肉の衰えは1ヵ所だけで起きるものではありません。
たとえば、握力が衰えているとき、
同時に脚も衰えていることが多いのです。」(p.10)
「大切なのは、できていたことができにくくなっているということに
なるべく早く気が付き、必要であれば、
適切な介護や医療の制度を使って、
正しい介護や医療を受けることです。残念ながら、
家族や本人に負担をかけないことばかりを考え、適切なときに
歩行などのリハビリを組み入れず、身体が弱るのを年だから仕方ないといってあきらめる。
そんな間違った介護をしてしまっているケースが多く見受けられるのです。」(p.11)
「他人に迷惑をできるだけかけず、
身の回りのことを自分でできて、買い物に行ったり、
友達と外出したり、好きなものを食べたり。
これまで長い間家族で歩んできた当たり前の幸せを、
本人も家族もあきらめることなく「護る」ために、
専門職が「介入」すること。それこそが介護だと私は思います。」(p.12)
このように、正しくリハビリを受ければ身体機能を衰えさせずに済み、横断歩道を渡って買物さえ行けるのに、そうさせていない介護があるという指摘なのですね。
「本書では、今の日本の介護の現状にも触れています。
姥捨山のような、寝たきりを前提にしている日本の介護の現状を知ってください。
人任せではいけない。自分で動かなくてはならないという覚悟が芽生えるはずです。
そして、その現状の中でどうすればいいのか。さまざまな正しいサポートを受けるための情報を集め、知識をつけてください。」(p.28)
現状の問題点を知った上で、自らそれに対処しようという気持ちが重要なのです。他人任せにしていては、この介護の現状を変えることはできない、ということですね。
道路を渡れない老人が増えていることには、2つの大きな問題があると指摘しています。
「1つは、身体能力が弱っていても支援を受けていないということ。
もう1つは、医師や介護の専門職による情報提供不足や介護に関する社会的インフラが整っていないなどの理由から、介護による支援を受けていても、支援のやり方などが間違っていて、結局、身体機能の改善が見られず、外出もできないまま、徐々に歩けなくなっていくということです。」(p.36)
これは、介護保険制度などが申請しなければ受けられないということと、サポートする専門家も縦割りだったりして、的確な支援に結びついていないという指摘のようです。
「だからこそ、介護の支援で、身体機能の維持は第一に考えてほしいのです。
そのためには、2つ重要なことがあります。
1つは過剰介護しないことです。
特に身体を動かす機会が減り、身体が衰えやすい高齢者にとって、箸やスプーンを使って食事をすること、外を歩くこと、トイレをすること、すべての日常動作は、筋力の維持に大切なものなのです。
ですから、家族は「できない」から「手を出す」、「時間がかかる」から「やってしまう」ではなく、できるだけ本人がするという方向で考えてほしいのです。」(p.66)
「そして、もう1つは、リハビリ・積極的な機能訓練を行うことです。」(p.67)
転倒のリスクがあるから歩かせないのではなく、どうしたら転倒のリスクを回避できるかを考えるようにと言います。
たしかにそうなのですが、言うは易く行うは難し、という気もします。家族だけでなく施設もそうですが、決められた時間があります。延々と食事をさせておくことはできないのです。
もちろん、介護士が専任でつきっきりなら可能でしょうけど、そのための費用はどうするのでしょうか。この問題は、私は他の本でも指摘しています。
また、責任の問題もあります。施設で転倒させたら、家族から訴えられる可能性もあります。そのリスクは、いったい誰が負うべきなのでしょうか?
「リハビリの本来の意味・目的は、「全人間的復権」、言い換えれば「人間らしく生きる権利の回復」です。
つまり、身体の機能に限らず、その人の生活や心の有り様などまで回復し、それらをさらに維持していくことが、リハビリの目的といえます。」(p.81)
その人の人生に直結するほどリハビリが重要だということです。それくらいの効果があり、もっと重視されるべきだという思いもあるのでしょうね。
「急性期・「回復期で集中的にリハビリを受けてきたが、住んでいる場所に戻ってしまえば、多くの場合、その状態を維持し続けられないという現状があります。
そこで必要となるのが、3番目の段階の「生活期のリハビリ」です。」(p.85)
急性期や回復期では、充分なリハビリが病院で受けられると言います。これについては私はよく知らないので、そうなのかなぁと思うだけです。
一方で、退院後は充分にリハビリを受けられず、機能が衰えていくままになってしまう。そこが問題だという指摘です。
「これらの3つのリハビリテーション専門職は、法律上は診療補助と位置づけられています。
言い換えれば、あくまでも、医師の指導の下で、サービスを提供しなければならないということです。
実は、ここに大きな問題があります。
なぜなら、リハビリテーション専門職が求められているのは、医療の現場ばかりではないからです。」(p.96)
「医師よりもリハビリに詳しい、国家資格を持つリハビリテーション専門職が常駐していても、医師が常駐していなければ、そこで行われることはリハビリではなく、介護保険上「機能訓練」とみなされます。」(p.98)
3つのリハビリテーション専門職とは、理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)のことです。PTは病気や怪我で失った運動機能を、OTは不自由になった生活に関わる作業を、STは主に言語障害や嚥下障害を担当します。
それらの専門職が、リハビリのことをあまり知らない医師の指導下でしか活動できない規則に問題があるという指摘です。
「患者・利用者や介護保険事業者の側からすれば、医療と介護の現場が連携するのはごく自然であり、メリットが大きいと感じられるのに、医療の側では特にその必要性を認めていない、前時代的な医師がいるということです。
地域包括ケアシステムへの医師の関与の低さも、それを示しています。」(p.108)
難関を突破して得られる医師の資格を得た人の中には、他の専門職を見下したりする人もいるでしょうし、そのために効果的な連携ができていないという現実もあるのでしょう。
「医師でさえ、
「次、転倒したら、終わりだよ」
などと、患者さんに平気で言うことがあるのです。」(p.115)
「介護・医療する側にとって都合のよい「寝かせきり」。転倒リスクの回避と過剰介護(看護)こそが、寝たきりが減らない最大の原因なのです。」(p.117)
たしかに、こういうことがありますね。このことは、北欧などの取り組みと異なるとして、他でも指摘されています。実際、動かなければ動けなくなる。当たり前のことです。
そして、この問題の根底にはゼロリスクを求める日本人の気質が関係してくるのではないでしょうか。誰も責任を取りたくない。医師だけではなく、本人もがそうなのです。
本書では、あまり本人の責任には言及していません。しかし、どう考えても一番の問題は、本人が自分の人生に責任を取ろうとしていない点にあると思います。
そういう責任を取る人が増えてくれば、医療や介護の現場も変わってくるのではないかと思います。
「日中であろうと、夜間であろうと、人手が足りなければ、看護職員・介護職員が入所者をベッドから起こしたり、部屋から連れ出したりする余裕はありません。
余裕がないからこそ、徹底的にリスクを避け、結果的に入所(院)者を「寝かせきり」にしておくという選択をせざるをえないのだともいえるでしょう。」(p.120)
私が働く施設でも、なるべく動かせてあげるように、とは言います。しかし、なかなかできません。時間がかかるし、それに見合う充分な人員が配置されていないからです。
本書では、だからこそリハビリをしっかりするという意識をそれぞれが持つことが大切だと言うのですが、「それぞれ」とは誰でしょうか?
本書を読む限り、そのメインが医師であったり、ケアマネであったりと、医療・介護の責任ある立場を考えているようです。しかし、本当に重要なのは、本人がその意識を持つことでしょう。
仮に寝たままであっても、足を上げる、腹筋運動をするなど、動かすことは可能です。なぜやらないのですか? 自分の人生がかかっていると言うのに。
それをやらないでおいて、寝かせきりにする施設が悪いと責任転嫁をするなら、何も解決しないと思います。その点が、この本を読んでいてチグハグさを感じる部分です。
理学療法士よりも安い給料の介護士が不足しているのです。なり手が少ないという問題もありますが、人を増やしても施設の経営が成り立たないのです。それだけ、全体の売上が少ない。介護保険から得られるお金が少ないのです。
介護士でさえ充分に配置できるお金がないのに、理学療法士を増やしてリハビリを充実させるなんてことが可能でしょうか。
理想は、充分なリハビリを理学療法士のもとで行うことかもしれませんが、そう簡単にはできない現実があります。それを一部の誰かのせいだと考えていては、なかなか解決できないのではないかと思うのです。
「みなさん、歩きはじめが痛いから、動かすのをやめようとするのですが、動かなくなると太ももの筋力がなくなり、より関節を痛めやすくなります。そこで、痛くならないような、太ももの筋肉のトレーニングが必要になるのです。
まずは、リハビリの専門職の意見を聞いて、痛みと付き合いながら身体を動かしていくことが必要なのです。」(p.146)
本書では、様々な規制でリハビリをあまり受けられないことを問題としていますが、そもそもそんなに時間が必要とは思いません。ここで言われているように、どういう運動をすればいいかという指導を受けるだけでもいいはずです。
あとは、本人がそれをやることです。1時間指導を受け、毎日3時間、1ヶ月継続したらどうですか。リハビリを受けたのは1時間ですが、実際にリハビリを行うのはその100倍にもなるではありませんか。
急性期は安静にしても、慢性期は積極的に動かすべきだ。このことは、「人生を変える幸せの腰痛学校」でも言われていました。動かさなければ、動けなくなるのです。
「日常の中で身体をきちんと使えるようにするのが、リハビリの最大の役割です。
たとえば、「人の手を借りずに、自分でトイレに行きたい」という目的を叶えるためには、必ずしも完全な形で歩けるようになる必要はありません。
その人が自宅のトイレを利用するためにはどんな動きが求められるのかを考え、その動きを再現して何度も繰り返すようにします。」(p.159)
スタスタと歩ければ良いでしょうけど、買い物をすることが目的なら、必ずしもそうでなくてもよい、ということですね。残存機能を最大限に活用して、目的が達成できればいいのです。
そういう意味で言えば、必ずしも歩けなくてもいいはずです。車椅子でも、必要な移乗ができるなら、行動範囲はぐんと広がりますから。
「確かに、介護を受ける人がそれさえなければ動けるような障がい物は、家の中から取り除くべきです。
しかし、いくらか努力することで使える家具や住宅内の構造に関しては、身体の機能を衰えさせないためにも、「バリアフリー」ではなく、「バリア有りー」。それをあえて残しておくという選択もあります。」(p.194-195)
便利になれば、身体の機能は低下します。布団なら毎日床から立ち上がる機能を鍛えることになりますが、ベッドだとその機能は衰えるのです。
けれども、じゃあ今から和式トイレに戻しますか? 一時期、洋式トイレが広まったころ、和式で用を足せなくなった子どもの問題を指摘する声がありました。
正解がどれかは何とも言えません。それぞれの判断基準があるでしょう。だからこそ、無意識に選択するとか、他人のせいにするのではなく、自分が意識的に考えて選択することが重要だと思います。
本書で指摘しているように、リハビリが重視されていないという問題はあるでしょう。また他にも、医療の問題、介護の問題もあるでしょう。
そういう指摘は指摘として、私たちは考えていかなければならないと思います。
しかし、その問題を一部の人や機関のせいだと責任を押し付けて責めるだけでは、何も変わらないと思います。
それよりも、まずは現実がどうなのかを知ることです。そして、当人が自分にとって重要なのことは何なのかということを考えることです。
制度的に、すぐに解決できないことは多々あるでしょう。しかし、そういう現実の中でも、自分がやれることもまた多々あると思います。
そういうようなことを、この本を読むことで考えさせていただきました。必ずしも主張のすべてに賛同ではありませんが、私とは異なる視点を示していただけたことは、ありがたいと思っています。
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