前回の「私は、看取り士。」に引き続き、柴田久美子(しばた・くみこ)さんの本を読みました。同時に購入したものですが、日本講演新聞で著者のテーマや内容がだいたいわかっていたので、複数冊を買ったのです。それだけ関心のあるテーマだということですね。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「これまで私は、十数冊の著書(巻末に拙書「参考図書」)を出版してきましたが、「看取り士」に関心を持たれるのはほとんどが女性でした。それはそれでよかったのです。しかしこれからの超高齢化・多死社会の到来を考えると、もっと男性の方たち、とくに団塊世代と団塊ジュニア世代の人たちに、「この国」の現実を直視してほしいと強く思うようになりました。」(p.i)
冒頭の「はしがき」で、柴田さんはこのように語られています。つまり、この本はある意味で、男性向けと言えるでしょう。
「私たちの看取り学というのは、最期を看取ることだけを学ぶのではなく、死生観そのものを確かなものにして生きることです。旅立った人々の魂を重ねて生きることが今を生きる者の務めです。すべての人が誕生の時、天国行きの切符を手にしているのだから……。」(p.7)
看取りをするということは、確固たる死生観を持つ必要があるのですね。すでに天国行きは約束されている。そういう死生観があれば、生き方もまた違ってくることでしょう。
「親の最期に近づいたとき、子供たちは「仕事があるから」と親の看取りよりも仕事を優先することが当然のように、あたかも美談のように語られた時代がありました。しかし、日本にはかつて家族全員で看取る風習がありました。看取りはすべてに優先すべき、最も大きな豊かさだと、先人たちは無意識のうちに感じていたのではないかと思えてなりません。
死は、旅立つ人がこれまで生きてきたエネルギーのすべてを、見送る人たちに渡す荘厳な場です。また、死は第二の誕生のときであり、その誕生に家族が立ち会うのが看取りだと、私は思っています。」(p.28)
私自身、家族親族の看取りの場に立ち会ったのは祖母の時だけですから、偉そうなことを言える立場ではありません。死に目に会えないのであれば、葬式に遅れてもかまわない。そう考えて、母の看取りもせず、火葬された後に帰省して初七日の法要だけで済ませたくらいです。
けれども、看取りを家族の重要なイベントと位置づけられる柴田さんの考えもわかります。
「しっかりと自らの行く先を決めて凛として生きていく。それこそが人間らしい生き方だと思う。死は決して忌み嫌うべきものではない。それは私たちが魂の故郷に帰る日なのです。それを無理やりに引き止めるかのような、行き過ぎた医療行為は決して許されるべきではないでしょう。その意味で私たちは自分がどんな最期を迎えたいのか、しっかりと決めておくことが大切です。そのとき、私たちは医療を介さなくても、自然な死が迎えられることを忘れてはならないと思います。」(p.70-71)
医療を否定するわけではありませんが、むやみに延命するような医療行為は、私も拒否したいと思います。そういうことも死生観として確立しておくことで、「自然な死」を迎えられるのです。
かつては医療が無力だったために、「自然な死」が当然でした。しかし、医療が発達し、力を得ることによって、私たちの死は自然でないものになっていったのですね。
「しかし、命の長さは決まっていたのだから、どれだけ親御さんやご家族がそばで目を光らせていたとしても、きっと救えなかったのではないかと思うのです。逝くときは逝ってしまう。
けれど、どのような形であれ、その人は命の長さの分を生ききったわけなので、「ありがとう」と感謝して、手放してあげてほしいのです。罪悪感や責任感などで相手の魂をつかんで放さないようなことはせず、生き切った魂を解き放すのです。そうすることで、その魂も救われることになるし、遺された人間にとっても救いになると思うのです。」(p.73)
身近な人が自殺した場合の心得です。私も、人は死ぬべき時に死ぬのだから、その死に方がどうであれ、地獄へ行くなどということもないし、その生き様(死に様)を丸ごと受け入れることが大切だと思います。
「人はこの世に生を受けた限り、老いも病も死も決して避けて通ることはできません。私たちは病で寝たきりの生活を強いられることもあれば、ボケてしまうこともある。でも最後は必ず誰もがこの世を去って行く。それを私たちは当然のこととして受け入れていかなければならない。だからこそ、寝たきりになっても、ボケても、安心して暮らせる社会を築いていくべきではないでしょうか−−。」(p.79)
老いも死も避けて通れないし、寝たきりやボケも、そうなる可能性を否定できません。それでも人間の尊厳性を守れる社会を私たちは作っていけるのか? それが問われていると思います。
「この世に生を受けた一人ひとりの人間には、すべて大切な役割がある。今までの人生がどうであれ、たとえ罪を犯し、人々からどんなに罵られようとも、生かされるべき尊い存在なのです。」(p.85)
命に貴賎はありません。軽重もありません。私も同感です。
「人は死に背を向けている限り、あるいは生にのみ執着している限り、決して心に心の安らぎを得ることはできません。死を遠ざけようとすればするほど、苦しみや不安は増していく。しかし、離島で暮らす幸齢者のように、死をあるがままに受け入れて生きようとするとき、私たちの人生は大き変わるのです。」(p.87)
島根県の隠岐の島で看取りの家を始めた柴田さんは、高齢者のことを幸齢者と書かれます。あるがままに死を受け入れて亡くなっていかれるお年寄りの方々の中に、幸せな死に様、幸せな生き様を見つけられたのでしょう。
「臨終にあって送る側が何をするのか。その人をそばでじっと見守りながら、ただひたすら手を握り抱きしめて、感謝の思いを伝えること、それだけです。そして、臨終という尊いときを共有できることに感謝する。この世を旅立つ人は、そばにいる者たちに目には見えない大きな贈り物、生きるエネルギーを手渡そうとしているのだから。このエネルギーを受け取り、また次の世代に手渡す。これこそが、まさに「命のバトンリレー」です。そして人類は命をバトンリレーすることで進化していく……。」(p.101)
何をするかということよりも、見守っていること、感じようとしていることが重要なのでしょうね。
「母は以前に自然死を希望すると言っていましたから延命治療はしませんでした。しかし、あの時、私の気持ちは揺れていました。最期の14日間は母と一緒にいて、少しでも長く生きてほしいと思っていましたから。家族の方が延命治療を希望するという気持ちはよくわかります。ですから、延命治療をしないと決断するには、勇気が必要なのです。」(p.110)
柴田さんもそうであったように、家族にとっては葛藤があるでしょうね。最期を迎えた方への思いもあれば、世間体というのもあるでしょうから。
「怖いというより、つまりは人の命を引き受けられない家族が多いということだと思います。漠然と誰かが何とかしてくれるだろうと期待して、家族の命も誰かにお任せしたい、ということです。お医者さんにお任せしたいし、自分が責任を取りたくないということです。」(p.111-112)
自分の病気の治療のことも自分で決めずに医師に「お任せします」と言ってみたり、最期を迎えた家族を、その希望通りに引き取ろうとせずに病院にお任せする。つまり、重要なことから責任を回避したいという気持ちなのでしょう。
けれども、それでは自分らしい生き様、死に様は、できないではありませんか。だからこそ、死生観を持つことが大切なのです。
「しかし最近は医師のなかにも「患者の尊厳」を重視する方も多くなり、多死社会の到来が迫る中、厚生労働省も「患者の尊厳」についてはようやく指針を変えざるをえませんでした。
「できるだけ長く自宅や介護施設などで療養を続けた上で、最期は本人が希望する場所で亡くなることを推進する」
このように、2018年に指針の改定がなされました。その背景には、医療費高騰に歯止めをかけたいという国の思惑もありますが、とにかく患者の尊厳を尊重する方向に国が舵を取る時代になったことは私たちにおいては大きな喜びです。」(p.120)
どこで最期を迎えるかについての自己決定権を尊重する。国がそれを推進する時代になったのですね。
「死は再び胎内に戻ることだと私は思っています。女性が胎内から命を産むなら、男性がその命を胎内に戻すことをしてほしいのです。女性は出産によって魂の覚醒をしますが、男性にはそのチャンスがありません。男性に魂の覚醒をしてほしいというのが私の切なる願いです。女性と同じように体で受け止めることで魂は覚醒するでしょう……。」(p.123)
確かに女性の妊娠出産は、神秘的で魂的と考えることができますね。一方の男性には、そういう命のつながりに生理的に関与している実感が湧くものがありません。柴田さんは、看取りに参画することで、そういう経験をしてほしいと願っています。
「そしてこの体験で、私は、初めて看取りの意味がはっきりとわかりました。人は息を引き取ってから何時間もかけて「魂のエネルギーを放出していく」ということです。今では私達看取り士が当たり前のように行っていることですが、それまでの看取りは、お亡くなりになって30分から長くて1時間。何時間も抱き続けているわけではありませんでした。」(p.130)
亡くなられた男性の背中がずっと熱くて、7時間以上も抱き続けられたそうです。そういう経験から、抱き続けるという看取りのスタイルが生まれたのですね。
「2人の距離が縮まったのには、ちょっとしたきっかけがありました。肝臓がんは皮膚にかゆみが出ます。そのため、軟膏を全身に塗るのですが、毎日、夏海さんが塗ってあげていました。来る日も来る日も祐子さんの肌に触れているうちに、夏海さんの中にあったわだかまりのようなものが溶けていったようなのです。」(p.133)
仲違いしていた母と娘が、「触れる」ことを通じて心を通わせるようになった。私がレイキを始めてから、「レイキは愛だ」と確信するに至ったのも、まさにこういうことです。
「車内で何度も何度も繰り返し、「大丈夫だよ。ありがとう」と心の中で呟いていました。のちに看取り士になってから、この短い言葉こそ、死にゆく人を抱きしめる言葉であり、自分自身を励ます祈りの言葉であることに気づいたのでした。」(p.144)
私もこの「大丈夫」と「ありがとう」には、とても大切なメッセージを感じます。
「死の孤独を癒せるのは、抱きしめることしかありません。私たちは母の命がけの出産により体をもち、この世に生み出されます。その瞬間に希望と孤独を手にするのです。自分では癒すことのできない背中があること、自分の身体の中に、自分の手の届かない場所があることを理解したとき、他者の存在が認められるのではないでしょうか?
そして、ひとりでは生きることも、死ぬこともできないと受け入れた時、人はやさしく生きていけるのではないでしょうか?」(p.145)
何ごとも1人でできることはない。その当たり前の事実に気づくことで、私たちはつながって生きているのであり、孤独は幻想だとわかるのですね。
「旅立つ方は、自分が旅立つことを理解しています。ちゃんとそのお迎えが来て、自分も逝く準備ができたとき、その方は、私たちのような健康な人に比べて肉体こそ自由に動かせませんが、私たちにさまざまな気づきを与えてくれます。
この域に到達すると、彼らの魂は完成度が高くなっています。私たちが偏見や先入観を捨てて心をオープンにしていくと、彼らの愛が私たちの中に流れ込んでくるようになります。」(p.164-165)
実にスピリチュアルな話で、信じられないと感じる人も多いでしょう。けれども私は、こういうことはあると思うのです。
「遺族の方が思い残すことなく看取りをしておくと、ひどい喪失感に陥ることはなく、旅立たれた方の魂が自分の中に生きているような感覚になるのです。
人が旅立ってゆくとき、首の後ろからエネルギーが抜けていきます。看取る人は首筋から背中の方に手を差し込んで、この部分にふれたり、ひざ枕でその方からのエネルギーを受け取ることになります。すでに息を引き取られていても、肉体がある限りは時間をかけてエネルギーを放出していますので、同様の姿勢で看取り続けてください。最初は冷たく感じても、ふれているうちに肌のぬくもりが戻ってくることがわかります。
この作法は、肉体がある限りはできるので、ぜひ実践していただきたいと思います。
肉体があるうちに何時間もお体にふれて、エネルギーをいただくことは、グリーフケアの観点からも大切なことなのです。」(p.170)
少し長くなりましたが、看取りのやり方が端的に述べられていたので引用しました。
「でも大丈夫です。悲しみはいつでも癒すことができます。旅立った人の肉体があるか否かで異なる部分はあるものの、いつでも”看取る”ことができ、それによってあなたの悲嘆を癒すことができるのです。旅立った方は遺された人のことをとても愛していて、彼らの幸せを願い見守っています。決して恨んだり怒ったりなどはしていません。」(p.173)
愛する対象を失った喪失感、死に目に会えなかったという臨終コンプレックスなど、私たちは大切な人の死によって悲しみを抱くことがよくあります。その悲しみを緩和することがグリーフケアですが、看取りや看取り直しによって、グリーフケアができると柴田さんは言います。
「死者と話ができるというと、不可思議なことかと思われる方もいるかもしれませんが、自分自身との対話でもあるのです。」(p.179)
これまたスピリチュアルな内容ですが、私もこのように思います。魂が永遠なら、死んでも生きています。生命は永遠であり、ひとつのものであるなら、誰かとの対話は自分自身との対話でもあるのです。
「私は「『ご縁をいただいてありがとうございます』と声をかけてください」と伝えました。私達の人生において偶然はありません。その自衛隊の方も、職務上のこととはいえ、何らかの理由があってその犠牲者と出会ったのです。その出会いに感謝し、「ご縁をありがとうございます」と伝えることで、相手の方は喜ばれます。」(p.180)
東日本大震災の後、被災地に入った自衛官で、赤ちゃんを抱いた若いお母さんの遺体を収容した時、何も声をかけてあげられなかったことが悔やまれるという話に対して、柴田さんはこのように言われています。
私たちの出会いは、すべてがご縁なのだと私も思います。どんな素敵な人でも、どんな嫌な人でも、出会いはご縁であり、必然だということです。それに感謝できるかどうかは、見方次第だと思うのです。
「私が島に暮らしていた当時、抱きしめて看取った幸齢者さまのお通夜が7日間通して行われ、その間、ご遺体はずっと自宅にありました。」(p.182)
隠岐の島にはこういう風習があったのですね。「もがり」と呼ぶ死者の魂が戻るかもしれないという期間があり、それが死後の7日間なのだそうです。
実はタイでも、似たような風習があります。葬儀は3〜7日くらいかけて行われるのが普通で、その間、ご遺体は安置されたままです。葬儀の最期の日に火葬の儀が行われます。高貴な方になるともっと長くて、前国王のご遺体は1年間安置された後に火葬されました。
「看取りとは何かと一言で言うなら、「愛を伝えること」だということです。これさえ心の底から納得できたなら誰でも看取り士になることができるのです。
前にも書きましたが、愛を伝えるには、まず自分自身を愛さなくてはいけません。誰しも人間は完璧な人にはなれませんから、ときには自己嫌悪に陥ったり、人を羨んだりすることもあるかもしれませんが、看取りの場面では全ての人が「許し」と「愛」を心の底から体験します。」(p.192)
私は、「レイキは愛だ」と言っていますが、柴田さんに言わせたら、「看取りは愛だ」ということなのでしょうね。
すべての経験は愛に通じているし、私たちは愛を経験するために生き、そして死んでいくのかもしれません。
実に、いろいろなことを考えさせられる内容でした。
特に私が男性であるだけに、男性にこそ看取りをやってほしいと言われる柴田さんの言葉が響きました。
【本の紹介の最新記事】