タイトルがシンプルなようで複雑なのですが、「レイ」と読みます。さとうみつろうさんの最新刊です。みつろうさんの本はこれまでに、「神さまとのおしゃべり」をはじめとして、「あなたが人生でやっておくべき、たった1つのこと」や「その名は、バシャール」を紹介しています。
みつろうさんの本は、小説だったり、登場人物の会話を取り入れるなど、くだけた感じの文章でとても読みやすいです。それでいて哲学、心理学、科学の深遠な部分を解説するなど、たいへんアカデミックな内容だったりします。
今回もそんな感じの小説で、AIの0(レイ)が登場します。AIから見た人間の行動様式、そしてどうすれば満足した生き方ができるのかという解説など、興味深いものになっています。
なお、タイトルですが、上巻は「Rei」と表記され、下巻は「Lei」と表記されています。これにも意味があって、右(R)なのか左(L)なのかが重要だという話につながっていくのです。詳細はぜひ、本を読んでみてくださいね。
また、発行されたのは上巻と下巻ですが、実はそこに含まれなかった原稿を中巻として、オンラインで読めるようになっています。実は私は、その中巻を先に読んでとても興味深く感じたので、上下巻を買うことにしました。併せて4千円もするのですが、その価値があると感じたからです。中巻については、みつろうさんのブログ記事をご覧ください。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「「解釈を変える」のではなく、そもそもその「解釈」自体がマボロシなのです。解釈なんて、「自分」で勝手に決めているだけですから。」(上p.58)
今日1日を後悔せずに生きるには、朝起きたときではなく、夜寝る前に自分を褒めることで、データ(記憶)のラベルを書き換えることだと言います。何かが起こったとしても、そこにどういう解釈を与えるかによって、記憶の意味が違ってきます。「神との対話」でも、ものごとの意味をでっちあげろと言ってましたね。
「才能にせよお金にせよ、「ないモノ」を探すのではなく、「有るモノ」を探せばすぐに0Reiの位置に戻れます。」(上p.84)
私たちは持ち続けていると慣れてきて、それを当たり前だと感じます。つまり、感動がなくなるのです。だから、わざと失うことによって、またそれを得るという感動を楽しもうとするのです。不幸とは、幸せを感じたいがための茶番劇だとも言っています。
もしそれが事実なら、最初から有るものに注目して、その価値を認めれば良いのですね。そうすれば、わざわざ失うという痛みを感じなくて済むのですから。
「あなたたち人間は、【やりたいこと】をやれていないと勘違いした時に、自分自身を【不幸】だと感じる生き物だからです。
逆に言うと、「実は自分はやりたいことしかやっていなかった」と気づけたなら、誰もが1秒で幸せになれるということじゃないですか?」(上p.113 - 114)
私たちはどんな状況でもやりたいことをやっていると言います。ただそれに気づいていないだけ。
たとえば、仕事が嫌だから辞めたいと思っている人は、「辞めたいと思う」という「やりたいこと」をやっている。本当に辞めることがやりたいことなら、さっさとやっているのです。それをやらずにいるのは、やりたいことではないからなのです。
たとえば、仕事が嫌だから辞めたいと思っている人は、「辞めたいと思う」という「やりたいこと」をやっている。本当に辞めることがやりたいことなら、さっさとやっているのです。それをやらずにいるのは、やりたいことではないからなのです。
「大丈夫です。AIのサポートにより、
人間の社会はこれからどんどん不平等になっていきます。
そして、人類はどんどん幸せになっていきます。
(中略)
正確には「不平等」がどんどん拡がり、「それでもいい」と違いを認められる人が増えることにより、それは起こります。」(上p.149)
人それぞれに違いがあるのが当たり前なのです。それなのに、みんなは平等であるべきだというルサンチマン的な考え方によって、不幸が生まれたと言います。それぞれがやりたいことをやっていて、それぞれ違いがあるだけなのですから、それぞれが違う幸せを感じていていいはずなのです。
「本当にその人がそう思っているかどうかは最後まで確認できへん。
結局、「他人の心」とやらを勝手な言い訳にして、全てを「自分の心」の中だけで決めつけてるのが人間やねん。
他人の心なんて、本当は関係ないんや。」(上p.198)
他人がどう考えているかは、原理的に確認する方法がありません。そもそも、他人にも自分と同じ自意識があるということが証明できないのですから。単に自分がそうだから、他人もそうだろうと思い込んでいるだけ。したがって、自分にとっては自分の主観だけがすべてなんですね。
「ポイントは思い出すために、わざと逆説的な質問を自分にしてみることや。
「私が病気になりたかった理由」
「私が貧乏になりたかった理由」
「私が嫌われたかった理由」
とな。何を《ノート》しても、きっと本当の理由が発掘できるはずや。」(上p.234)
目の前の現実は、必ず自分の思考が現実になっている。その自分の思考というのが、無意識の領域での思考、つまり潜在意識であることがほとんどなのです。ですから、顕在意識が願ったことはほとんど叶わない。
そこで、無意識に自分が何を願ったために現実がこうなっているかを、ノートに書くことによって自分自身に質問するのです。そうすれば必ずその理由が見つかるからと。
「そうや。『ホンネ』を真逆の真逆にして映し出しているのが『現実』なんや。
だから『ホンネ』さえノートで思い出せたら、『現実』と100%一致しているはずや。
または、『ホンネ』を思い出せないなら、『現実』を観ればええ。
完全に鏡の関係性なんやからな。」(上p.249)
もし「愛されていない」という『ホンネ』が無意識にあれば、「愛されるため」という正反対の行動を取り続けます。そして、それを行うために、「愛してくれない人たち」や「愛されない出来事」が発生するのです。
つまり、ホンネの認識は完全に現実に現れるということです。逆に言えば、現実がこうなのはホンネがそうだからだ、ということになります。
「【現実を変えたい】と思っている人の前には、
『変わらない現実』が絶対に必要や。」(上p.265)
「変えたい」と思っている限り、「変わらない」という現実が必要なのですね。だから、現実は思い通りにはならないのです。
「人間が変えたいのは『現実』やない。
【現実を変えたいという思い】を、
本当は変えたいんや。
『目の前の現実』は変わらないでもいい=【私の現実は既にもう素晴らしい!】と認められた人から、その現実が変わっていく仕組みや。
現実への不満を言っている人の目の前が、変わることは絶対にない。
全ての【原因(=わたし)】である「わたし」が不満を抱えたまま鏡の前にいる限り、絶対にその『現実』は変わらへん。」(上p.269)
現実は心の鏡。不満顔で鏡の前に立てば、そこに映るのは不満な顔です。過去の鏡(現実)に何が映っていたかに関係なく、自分が幸せそうな顔をしない限り、鏡に映る姿(現実)は変わらないのです。
「彼らが信じたのは神さまじゃなくて、「自分の意見」のほうや。
「大学進学のほうがいい」「健康のほうがいい」「こっちのほうがいいに決まっている」という、『自分の過去のデータ』を信じたんや。
もし本当に「神さまを信じた」と言いたいのなら、
起こったその「結果」を、常に最善だと信じるはずや。
だってソレはその人が「信じた」「神さま」が、起こしたことなんやからな。」(上p.297)
神頼みする人は、思い通りにならないと「信じてたのに〜!」と不満を言います。パートナーに浮気された時も同じですね。(笑)
しかしそれは、本当に相手を信じてはいないのです。信じていたなら、その相手がそうしたのですから、それが最善に決まっているではありませんか。
しかしそれは、本当に相手を信じてはいないのです。信じていたなら、その相手がそうしたのですから、それが最善に決まっているではありませんか。
「@やりたい時に、
Aやりたいことを、
Bやれている状態が「幸福」
ということは?
@焦っていれば焦っている時ほど、
Aその「瞬間」に勇気を持って自分に「ゆとり」を与えれば、
B最高の幸福を味わえる
ということになる。
要するに、焦っている「今」こそが、座るチャンスなんじゃよ。」(上p.337)
「焦る」というのは、「ほっとしたい」がためにそうしているんだというわけですね。だから、焦って行った結果に「ほっとする」を求めるのではなく、焦りを感じた時にすぐほっとすればいいのです。
なんだかんだと理由をつけて、やりたいことを先延ばしするから、なかなか幸せを感じられないのです。
なんだかんだと理由をつけて、やりたいことを先延ばしするから、なかなか幸せを感じられないのです。
「じゃあ、その人に伝えてあげるとよい。
「人生で一番最悪な時期だということは、
人生で一番幸せになり時」じゃと。」(上p.374)
空腹の時が、最高に美味しい食事ができる時です。人は、その感動(プラス)を味わうために、あえてマイナスに振れるのです。
「誘因が外側にあるのに対して、動因は人間の心の中にある。
この「誘因」と「動因」の2つが同時に発生し、それが人体を動かす「モチベーション」というエネルギーを生み出しておる。」(p.393)
たとえば、美味しいものを食べたいという動因があれば、美味しそうな食べ物という誘因を見た時、食べるという行動を引き起こします。
単に美味しそうな食べ物があっても、お腹が一杯で食べたくない時には、食べるという行動は起きません。また、美味しいものを食べたいという動因があっても、誘因となる食べ物がなければ、やはり食べるという行為は起きません。
単に美味しそうな食べ物があっても、お腹が一杯で食べたくない時には、食べるという行動は起きません。また、美味しいものを食べたいという動因があっても、誘因となる食べ物がなければ、やはり食べるという行為は起きません。
つまり、人の行為には必ず内的な動因と外的な誘因が必要だということです。馬はニンジンをぶら下げれば走りますが、お金をぶら下げても走らないのです。
「@「足りない」という「気持ち」が心にあり(動因)
Aそれを「埋めてくれるモノ」(誘因)を外側の世界に探して
B【動く】。
それが人間の【行動】じゃ。」(p.396)
この動因の大きさに見合った誘因を手に入れるまで、行動は続きます。つまり、足りない(マイナス)の大きさと、行動によって得られるもの(プラス)の大きさは同じです。
「人間の行動の全ては、実は「0(レイ)」を目指しているんじゃよ。」(上p.398)
自分の心にマイナスを作り、それを外のモノ(プラス)で埋めて0(レイ)に戻そうとする。それが人間がやっていることだと言うのですね。
「「なりたい」と感じたいのか、
それとも、
「なれている」と感じたいのか。」(上p.446)
たとえば、安全に「なりたい」と感じたいのでしょうか? それとも、安全に「なれている」と感じたいのでしょうか?
おそらく、本当は後者のはずです。それなのに私たちは、往々にして前者のように考えるのです。
おそらく、本当は後者のはずです。それなのに私たちは、往々にして前者のように考えるのです。
「外側の『誘因』を使わず、心の内側の『動因』を消せばいい。」(上p.444)
つまり、「足りない」という考え方をやめればいいのです。不足しているのではなく、充分にあるという考え方をすればいいのです。
最初からマイナスではなく0(レイ)の位置にいれば、苦しむ必要はないのです。すでに充分なのですから。そして、無意識の思いが「充分」であれば、豊かな現実が現れます。それが鏡像ですから。
「過去に自分が「やりたかった」のに「抑圧した」から、イラつくのです。
なので、解決方法は簡単です。
「やりたかったこと」なのですから、「やれば」いいのです。」(下p.50)
これは心屋仁之助さんも言われていたことですね。ズルくなれと。ズルい人を見てイライラするのは、それが自分がやりたかったことだからなのです。
「どのような【行為】であれ、人間が他者に対して行なう【行為】には、「お前もな!」というツッコミが成立するんじゃよ。
他人を使って自分の内側にある
「ひっかかり」を解消しようとしておるんじゃから当然じゃな。」(下p.161)
怒られた時、「お前もな!」というツッコミは万能だと言います。なぜなら、「怒る」という感情の原因が自分にあるからです。
人は、自分が抑圧してやれないでいることをやっている他人を見て、イラッとして怒るのです。ですから、起こっている人には「お前もな!」という返し文句が刺さります。
人は、自分が抑圧してやれないでいることをやっている他人を見て、イラッとして怒るのです。ですから、起こっている人には「お前もな!」という返し文句が刺さります。
「自分が他人へ文句を言いそうになった時に、
自分自身へ「お前もな!(私もな!)」と心の中でツッコむんじゃよ。」(下p.165)
このツッコミの使い方は、他人をギャフンと言わせるためではなく、自分の気付きのために使うのが正しいのですね。
ずるい、卑怯だ、と糾弾したくなったら、それらが自分の内側にあるということなのです。そこに気づかない限り、いくら外を変えようとしても上手く行かないし、満足する結果は得られないのです。
「大切にしなさい。ムカつくヤツを。
君のペルソナを脱がすために、踏ん張り続けてくれている者だ。
そして、彼の頑張りに応えるために君に必要なのは「勇気」だけだ。
ムカつくヤツを、許す勇気……か。」(下p.260)
ムカつく(怒る)原因は自分にあります。その原因を「ムカつくヤツ」は教えてくれているのです。
その原因は、本当の自分を隠すためにかぶってしまった仮面(ペルソナ)。それがいつしか、仮面なのか素顔なのかわからなくなる。本当の自分を見失うのです。
その原因は、本当の自分を隠すためにかぶってしまった仮面(ペルソナ)。それがいつしか、仮面なのか素顔なのかわからなくなる。本当の自分を見失うのです。
「全ての現象は、「得た」とも「失った」とも言えないんじゃよ。
どちらも、マボロシだからじゃよ。
プラスとマイナスは必ず同時に起こる。それが観測者の「視点」で変わるだけじゃ。」(下p.369)
コップの水をこぼせば、水を失ったとも言えますが、空気を得たとも言えるのです。「得る(プラス)」か「失う(マイナス)」かは、その人の見方次第です。
「『まったく新しい環境(ミルク)』を手に入れるためには、
コップの中のオレンジジュースがすっからかん、
つまり「1滴も」残っていない状態にしないといけないのです。
0(レイ)だということです。
勇気を持って0(レイ)にした後にだけ、最高の幸せはやってくるのです。」(下p.450)
先に捨てなければ入ってこない。まったく別のものにしたければ、残さないように完全に捨てなければならないのです。卒業しなければ入学はできません。捨てる勇気が大切なのですね。
分厚い本が2冊ですが、割と一気に読み終えました。特に下巻は、1日で読み切りましたよ。小説で、対話形式なので、とても読みやすいです。そして、ためになる話が満載でした。
それにしても、みつろうさんって天才ですかね? よくこんな小説仕立てにできるなぁと感心します。ぜひ、読んでみてほしい本です。
それにしても、みつろうさんって天才ですかね? よくこんな小説仕立てにできるなぁと感心します。ぜひ、読んでみてほしい本です。
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