SNSで誰かが紹介していた本ですが、興味深い本を読みました。著者はKan.(かん)さん。クンルン・ネイゴン継承者とあります。2006年5月に世界初のクンルンティーチャーとして認定されたとか。2010年には正式にクンルンネイゴンマスターの称号を受けたそうです。日本人のようですが、道家のその道ではすごい方なのでしょう。
帯には、「タオ入門の名著、待望の復刊!」とあります。2013年6月にヴォイスから刊行された同タイトルの本の新装版になるようです。
序章には、著者が大学の時にラグビーの事故で脊髄損傷し、まったく動かせない体になったことが書かれています。その時、不思議な老人と出会い、不思議な力を得るようになり、探求の道が始まったとありますね。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「無責任に聞こえるかもしれませんが、本当になるようにしかなりません。自分がどこまで困った事態になるのか、やってみればいいんです。
もし自分の範疇外のことが起こったら、怖いと感じるかもしれません。アンハッピーだと嘆くかもしれません。
それでも、起こっていることは悪くない。そうとらえてください。」(p.27)
問題を問題だと考え、解決しようとするからかえって悪くなる。だからそれを問題だと思わずに、何もせずに見ているようにと言うのです。何とかなるからと。
「解決を目指して人に行動を起こさせるのは、不安や恐怖です。
「見る」という行為は消極的に感じられるので、自分で何かをしたくなるのです。
その思いを我慢して、「見る」という行為を入れてあげましょう。すると、自然に行くべき方向へ進んでいきます。」(p.46)
問題を解決したくなるのは、動機が不安だからですね。不安を動機とすれば、不安な現実を引き寄せるだけです。
「何かをやることで、悟ったり、問題解決したり、完璧になったりできると思い込むのは、ただトリックにだまされているだけです。
「なりたい自分になる」というスローガンも、また幻想です。
「なりたい自分」をつくったとたん、「なれない自分」をつくり出して、流れを必死で逆行するような生き方になります。」(p.49)
何かを求めれば、その対極も引き寄せることになります。執着すればするほど、苦しみが増すのです。
「人間という存在そのものがすでに矛盾しているとは、こういうことです。
たとえば聖職者が、私たちに愛を説きます。彼等は、常に真剣に、本気で愛を説いているはずです。しかし、愛を説くその体を支えているのは何でしょう。
免疫機能という「軍事システム」です。
最新型ミサイルのように、免疫はウイルスを迎撃します。」(p.62)
これは目からウロコでした。たしかに愛はすべてを与えると言いながら、私たちの体は常に、ウイルスや細菌の命を奪い続けています。
ただ、この矛盾を解決しようとしてはいけないのです。そういう存在だと知っていればいいのですね。
「今本当に大切なことは、「高次元」を目指すことではありません。
「新しい自分」や他の誰かになろうとすることでもありません。
他の誰でもない、宇宙である自分自身の力で生きていくことです。自然界に対して畏敬の念を持ち、地に足を着け、自分を開いてハートで生きていくことです。
自然の素晴らしさを見て、味わい、自然と交流してください。
自然と出会うたびに、忘れていた感覚を取り戻すことができます。
今まで自分を縛っていた鎖から自由になっていけます。
そうすれば、いつの間にか問題など解決していきます。解決を目指さなくても、問題そのものを堪能できるようなります。」(p.116)
悟るとか、次元上昇するとか、そういうことを目指しても意味がないのですね。それよりも自然に触れ、自然の中に身を置いて、自然を味わってみるようにと言います。そうすれば自由になれるのだと。
その1つの方法として、木と交流することを勧めています。お気に入りの木を見つけ、幹や枝葉に触れてみたり、根本に座ったり、話しかけたりして、ゆっくりと時間を過ごすようにと。
「人間に天気が変えられないように、湧き上がる感情は自分では変えられません。だから、あきらめる。そして、無理にいつもいい天気でいようと思わない。
ポジティブな感情はよくて、ネガティブな感情は悪い。そう、決めつけないことです。」(p.136)
晴れの天気が良くて、雨が悪いわけではありませんからね。感情と天気は似ていますね。天気も過ぎ去っていきますが、感情も湧いては過ぎていくもの。それを留めてしまうのは、思考が同じ感情をコピーし続けるからなのです。
ですから、そういう思考が生み出す「感情もどき」に騙されないよう、本当の感情をしっかりと味わって、手放していけばよいのです。
「そんなありふれた時間を大切にするということです。
何の変哲もない、いつも通りの時間。代わり映えのしない時間も、自分にギフトされた貴重な時間です。
どのシチュエーションにも、味わい深さがあります。そこで起こる喜怒哀楽、あなたへ贈られた宝物を味わいつくすことが大切なのです。
そして、ピンチに見えることが起こった時、無理難題が持ち上がった時が、チャレンジの時。自分を成長させる教材がやってきた時です。
そこで、「こうかな、ああかな?」と、取り組まないことに取り組んで、ほったらかしで生きる。すると、ある時、ストンと自分が納得できる時期が必ず来ます。」(p.157)
何気ない日常を宝物だと思って、一瞬一瞬を味わいながら生きること。それが大切なのですね。
そしてピンチはチャンス。成長のチャンスだということを知って、取り組まないことに取り組む。この表現は面白いですね。安心してほったらかしにしておくのです。
「大切なのは、自分の腑に落ちているかどうか。
自分のものにできているかどうか。
たとえ、自分の腑に落ちたものがスタンダードな考え方と違っていても大丈夫。
そう思えるようになることが大事です。
一人ひとりに、それぞれ多様な生き方があります。
自分は自分でいい、そして、人は人でいい。そこに安心感を持ってください。」(p.162)
真実は自分だけのものですね。自分の真実ですから、他人と比べて正す必要はないのです。ただ自分の真実に正直になることですね。
「人生はせつないのだから、そのせつなさをしみじみ味わう。
もし誰かがせつなさを味わっていたら、そっとそばに行って一緒にいる。
せつない時には誰が何を言ってもせつないのだから、黙ってお茶でも飲んでいる。本当に「お互い様」なのだから、足を引っ張り合ったり非難し合ったりせずに、ナチュラルにいる。
そこにしみじみとした味わい深さが出てきます。
とってつけたような「修行」や「鍛錬」をしなくても、普段の暮らしの中でそうやって生きて、地球の上の人生を味わっていく。それで、十分です。」(p.175)
無理に成長しなくていいのですね。何気ない日常を味わいながら生きること。その体験こそが宝です。
そして、せつない感情には、ただ寄り添っているだけでいいと言います。まさに、それが愛ですね。
「上司は「機嫌が悪い」それ以上でもそれ以下でもない。機嫌が悪いという事実があるだけです。ただ見守ると、そこに自然に対応できるようになります。
職場ではいろいろあるでしょう。仕事すべき時は仕事をし、休息する時は休息する。そして、ひとりでいられる時に、あらゆるものを起こるがままにする時間を持つのです。取り組まない。すると、先入観なしに、巻き込まれずに存在することができる。それが生き方のすべてに共通します。」(p.192)
上司が不機嫌だと、自分のせいかと思ってドキドキしたり、理不尽に怒る上司に腹を立てたりしがちです。それを単に上司は機嫌が悪いという事実としてとらえ、眺めていればいいのだと言います。
自分が当事者になると、なかなか難しいかもしれませんが、「ただ自分に起こってくることを受け入れればいい」ということを知っているだけでもいいのだと言います。いつも頭の片隅に、そのことを置いておくことです。
時には受け入れられず、反応してしまうこともあるでしょう。その時は、その反応してしまう自分を見ていればいい。そのことを受け入れればいいのです。
最初から最後まで、一貫して問題を解決せず、見ているようにと言っています。しかしだからと言って、やるべきとわかってることをやるな、ということではありませんからね。働くべき時は働くのです。ただ、状況を良くしようとして、つまり何かを目指して、追い立てられるように行動することは意味がないのです。
私は最近、やっぱりこうだよなぁと感じていました。以前から言ってることでもあるのですが、ホ・オポノポノやバシャールの考えもそうです。鏡の中に手を突っ込んで変えようとするのではなく、自分の考えを変えるのです。
そしてその自分の考えの根底には、「愛」か「不安」のどちらかがあると「神との対話」シリーズでは言っています。だから、目の前の状況がどうであっても、それは幻想なのだと見抜き、安心していることが大切なのですね。改めて、そのことを感じさせてくれる本でした。
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