「日本講演新聞」(旧「みやざき中央新聞」)の社説で紹介されていた本だと思います。著者は岡根芳樹(おかね・よしき)さん。以前に「オーマイ・ゴッドファーザー」という本を紹介しています。
タイトルにもあるように、これはセールス指南の本です。そうなのですが、セールスを極めると「生き方」になるのではないか。そう感じさせるくらい、素晴らしい内容なのです。そのことが社説を読んで感じられたので、ちょっと高いのですが、買ってみました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
この本はサブタイトルに「演劇の手法による」とあるように、演劇によって伝えるという体裁になっています。つまりこの本は、全体が演劇の台本なのです。この台本を読むことで、まさに目の前でそのドラマが繰り広げられており、それをイメージしながらセールスを学ぶことができます。
さらには、この台本通りに演じてみることによって、より深く学び、かつその手法を身につけることができるのです。
登場人物は7人です。主人公は、セールスの天才、桑森正春52歳、そして22歳の頃の桑森。ブチョーと呼ばれるおっさん60歳くらい。他には、ダメセールスマンの柊(ひいらぎ)、警察官のホンカンなど。
「柊 「運がよかったんすね」
桑森 「運か。まあそうかもしれんな。人生は無限にある選択肢の中から常に一つを選びながら進んでいくようなもんだからな」」(p.56)
セールスを始めたばかりの桑森は、柊と同様にダメなセールスマンでした。そんな桑森がホームレスのブチョーと出会ったとき、請われるがままに缶ビールを買ってあげたのです。なぜそんなことをしたのか? それは「理屈」ではなく「勘」だと言います。
「桑森 「俺はな、一番面白そうな道を選ぶのさ。無難でもない、楽でもない、正しいかどうかでもない。大変かもしれないし、損するかもしれないけど、面白い。ドラマになる。家賃もないし、財布に千円しかない。でも、ホームレスのじじいに缶ビールをおごってやる。面白いだろ」」(p.57)
桑森の選択基準に注目すべきですね。損得ではなく面白いかどうか。直観に従うという生き方です。
このことによって桑森の道が開かれ、ブチョーからセールスを教わることになります。
「ブチョー「感動するストーリーにするにはどんなシーンにする?」
桑森 「ああ、そうだな……失敗しても失敗しても、何度でも挑戦していくシーンだな。」
ブチョー「そういうことじゃ。それがドラマとして面白いのじゃ。しかしおめえは、失敗を恐れて挑戦をしなかった。うまくいきそうな相手をひたすら探し続けておった。はあ、まったく面白くない。そんなドラマを誰が観る?」(p.103)
セールスはドラマだとブチョーは言います。その見方が失敗を恐れないメンタルを作るのです。
「ブチョー「セールスはドラマのワンシーンじゃと思え。初めからうまくやろうと思わずに、むしろ逆じゃ。初めはドラマを盛り上げるためにわざと失敗するようにやってみろ」」(p.103)
わざと失敗するなら、失敗を恥ずかしいとは感じません。「契約数=アタック数×契約率」ですが、テクニックを磨いて契約率が高くなると、アタック数が落ちてしまう傾向があるのです。それは、アタックすることが楽しくないからですね。
「ブチョー「真面目に頑張るたあ、どういうことかわかるか? 嫌なこと、辛いことを我慢して頑張るっちゅうことじゃ」
桑森 「それのどこがダメなんだ?」
ブチョー「我慢しておるから、楽をしたくなるんじゃ。それでも契約が取れるんなら我慢もまだ報われるというもんじゃが、契約が取れなかったらどうなる。我慢に我慢を重ねた結果、心が折れてセールスの世界から去っていくんじゃ。数日前の誰かさんみたいにな」」(p.111)
人生も同じですね。真面目に我慢して頑張っている人ほど、心が折れやすいものです。そして人生から自主退場してしまう。
では、真面目でなければいいのか? 不真面目ならいいのか? それに対してブチョーは次のように言います。
「真面目も不真面目も自然界にゃぁ存在しないんじゃ。真面目なライオンや、不真面目なキリンがおるか? 真面目も不真面目もどっちも不自然なもので同じことじゃ。表裏一体ってことよ。いいか、真面目の反対は自然体、つまり『馬鹿』のことじゃ。」(p.111 - 112)
馬鹿力という言葉があるように、「馬鹿」は頭が悪いという意味ではなく、頭で制御しないという意味です。真面目に固くなるのではなく、制御せずに柔らかくあること。それが馬鹿になることなのです。
「桑森 「プレゼンテーションの極意は、心理学だけではダメなんだ。心理学に基づいた素晴らしい台本ができたとしても、客は台本に金を払うわけじゃないだろ?」
柊 「そっか、役者の演技力が必要なんすね?」
桑森 「そうだ。心理学を応用したトークが縦軸だとすれば、相手の心に響かせる表現力は横軸だ」」(p.269)
知っているだけでは不十分なのです。それに基づいて実際に表現できること、使えることが重要なのですね。
人生も同じで、何度も何度も繰り返しながら実際にできるようになっていきます。でも、こんなふうに演劇としてデモンストレーションすれば、もっと簡単に身につくのかもしれない。そんなことを思いました。
「桑森 「ああ、すごく面白い。まるで長い長い一本の映画のようにな。だから何があろうと大丈夫だ。私の人生はこれまでいい人生だった。そしてこれからもいい人生だ。そのことを知っておいて欲しい」」(p.287)
人生は長く、大変なこともたくさんあるが、「面白い」と桑森は言います。「面白い」と思えれば最強ですね。
「桑森 「君が見ている夢なのか、私が見ている夢なのか、それとも知らない誰かが見ている夢なのかもしれないな。」
桑森(三十年前)「誰かが見ている夢の中を俺は生きているっていうのか? じゃあ、昨日のことはどうなる? ゆうべ俺が夢だと思ってたことが実は夢じゃなかった……という夢? ややこしいな!」
桑森 「でも、それを否定することは誰にもできない。私が存在していることは私にはわかるが、君が存在しているかどうかは、私にはわからない。この世界は、たった一人の誰かが見ている長い長い夢なのかもしれない」
桑森(三十年前)「あるいは人類が同時に見ている夢なのかも」」(p.293)
セールスの達人となった桑森は、時空の歪みから30年前の自分自身と遭遇し、語り合います。その中でのセリフですが、私たちの本質が「ひとつのもの」だけであれば、この世は幻想であり、個々の人もまた幻想だということになります。それはまさに、「ひとつのもの」の夢なのです。
このことについて、これ以上の言及はありませんが、そう考えてみれば、人生を楽しんだらいいじゃないか、楽しめば上手くいく、という考え方が受け入れやすくなるのではないかと思います。
大ぶりで厚みのある本ですが、演劇の台本なのでスラスラと読めました。そして、セールスとは人生そのものだなぁと感じました。何度も読み返して、このように人生を演じたいと思いました。
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