2020年06月08日

コミンテルンの謀略と日本の敗戦



もうかなり以前に買った本なのですが、ついつい後回しになってしまいました。
これは、歴史を詳しく知るという意味で買ったのですが、けっこう目からウロコの話がありましたね。

「ゾルゲ事件」という有名なスパイ事件があったことは知っていましたが、世界の共産主義を指揮指導するコミンテルンがどう関わっていたのか、それが日本の知識階層や政治にどう影響したのか、詳しいことは知りませんでした。

著者は江崎道朗(えざき・みちお)氏。私より1つ年下の方ですが、読みにくい昔の資料を読み解いて、わかりやすく戦前、戦中の政治の動きに関して解説してくださっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

ここで前提として知っておかなくてはならないのは、当時の日本のエリートたちの多くが、コミンテルンの対日工作以前に、社会主義に大いに魅了され、左傾化した思想にシンパシーを抱いていたことである。
 なぜ日本のエリートたちは社会主義に共鳴していたのか。理由は大きく分けて二つある。
 その一つは、幕末維新の開国以来、一般庶民とエリートたちとのあいだに生じた亀裂である。
」(p.99)

日本は明治維新を成し遂げたのち、近代化と称して西洋の文明を取り入れることに懸命になる。西洋文明を取り入れ、経済的にも軍事的にも発展していくことが日本の独立を守ることだと信じた。西洋のような近代産業国家になれなければ、日本も他のアジア諸民族と同じく、欧米列強の植民地になってしまうという危機感がそこにはあった。
 その結果、親が教える価値観や伝統や文化を受け継がないことがエリートの条件になってしまったのである。
」(p.100)

つまり、日本のおかれた立場による危機感が、エリートたちを進歩的な思想に走らせたというわけです。欧米で流行していた政治思想は、進歩主義と社会主義。だからこの2つの思想潮流を受け入れることが、エリートの使命でもあったわけです。

しかし、エリートたちが社会主義に惹かれていった原因はもうひとつあった。それは、明治以降、特に大正から昭和にかけての経済政策の失敗、社会保障政策の未熟さである。日本が近代産業国家になるとともに格差や貧困や労働問題が生じ、それに対する対応を十分にできなかったのだ。」(p.111)

つまり、当時のエリートたちは、貧困層に対して何ら効果的な対策を講じない既得権益層への反発があり、困っている庶民を何とかしたいという優しさから、社会主義思想を研究していったのです。

政府や上杉慎吉のような「右翼全体主義者」が、社会主義の研究をしている人たちに「お前たちは社会主義のようなけしからんものを勉強しているから非国民だ、国体に反する人間だ」とレッテルを貼って言論弾圧した。その結果、エリートたちを反体制側に追いやったのである。」(p.125)

ここでは東京大学で起こった森戸事件を取り上げています。いやしくも自由の府であるはずの大学で、言論弾圧という自由を否定する統制を行った。そういう「右翼全体主義者」が当時、実権を握っていたのです。その結果、エリートたちは反体制側になってしまったのです。

明治時代は、まだ維新の元勲たちがいて、皇室と政府が共に貧困問題に対応しようとしていた。しかし大正時代になると、キリスト教徒と社会主義者しか、まともに貧困問題などに取り組まなくなった。政府は思想弾圧するばかりで、効果的な経済政策を行わなかったと江崎氏は言います。


政党というのは、議会制民主主義のプレイヤーである。政策を国民に訴え、選挙で支持を集め、議会で多数派を得て政権を獲得する。よって議会制民主主義というルールを尊重している。
 ところが、コミンテルン、共産党だけはまったく違う。彼らは、議会制民主主義そのものを破壊しようと考えているのだ。
 議会制民主主義を「破壊」するために、国会を「政治不信」を煽る宣伝の場として利用しているにすぎないのだ。この基本的な構図が日本ではほとんど理解されていない。
 しかも、共産党の特異性はそれだけではない。
 他の政党とは異なり、共産党は、非合法部門を抱えているのだ。
 非合法、つまり法律に違反している組織として、将来に武力蜂起に備えた軍事部門、いわゆるテロ組織と、スパイ工作組織などを持っているのが、共産党なのである。
」(p.225)

これは、共産主義と言うか、マルキシズムの本質ですね。歴史的必然として労働者による革命が起こるという暴力革命論。だから、その歴史を推し進めることが進歩であり、正義だという思想です。その思想に基づいて活動したのがコミンテルンであり、そのコミンテルンが指揮指導したのが共産党ですから。


「戦前の日本は右翼に牛耳られていた」という言い方がよくあるが、この「右翼」は正確にいえば「右翼全体主義」を指しているのである。しかもその中に、コミンテルンにシンパシーを感じる「左翼全体主義者=共産主義者」や、一皮むけば真っ赤な偽装右翼も多数紛れ込んでいたから、なお状況が複雑となる。
 つまり、「右翼全体主義者」と「左翼全体主義者」が結びついて(というより、「右翼全体主義者」の動きに「左翼全体主義者」がつけこんで)、大政翼賛会などをつくり、大日本帝国憲法体制を破壊した。昭和初期は、議会制民主主義と資本主義を敵視する社会主義に共感を覚えた「右と左の全体主義的エリート」たちによって、「保守自由主義」たるべき大日本帝国憲法体制が損なわれていった時代と見るべきだろう。
」(p.274 - 275)

大日本帝国憲法は、天皇を君主とした全体主義を目指したものではなく、議会制民主主義を目指したものです。その意義がないがしろにされて、右翼全体主義者によって破壊された。その右翼全体主義者を影で操っていたのが左翼全体主義者だったという分析です。


人間は不完全だ。不完全なもの同士だから、お互いに支えあい、話しあってより良き知恵を生み出すことが必要である−−この聖徳太子の発想は、まちがいなく明治日本の理想にも引き継がれている。
 五箇条の御誓文の冒頭に掲げられている「万機公論に決すべし」である。
」(p.348 - 349)

突出したリーダーが引っ張っていく全体主義ではなく、凡夫たちが集まって合議の上で方針を定める。それが、聖徳太子が示されたものであり、日本の伝統だと江崎氏は言います。十七条憲法の第十条に「共に是れ凡夫のみ」とあるのは、だからこそ話し合って、知恵を出し合おうということなのです。

明治天皇も、自ら君主として引っ張っていこうとされたのではなく、五箇条の御誓文を発布されて、議会制民主主義を推奨された。そのことによって、大日本帝国憲法体制が確立されたのです。

しかし、それを骨抜きにしたのが大政翼賛会であり、全体主義者たちの画策だったということなのです。


ソ連は、日本を米英と戦わせるために工作を続けました。どちらが勝っても、双方が疲弊する。それこそ、世界を共産化させるための方策でした。その結果、日本は泥沼の戦争に踏み込むこととなり、最終的には敗戦となったのです。

日本は、共産主義を警戒しており、徹底的に取り締まりました。しかし、軍や官僚、マスコミなど中枢部に、コミンテルンの内部浸透工作を許してしまう結果となっています。その原因を解明する研究が重要だと江崎氏は言います。

第一に、経済政策の失敗、経済理論への無理解がコミンテルンの跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)を許してしまったことへの理解が不足している。」(p.400)

第二に、戦前の政府が、上杉慎吉の天皇主権説をただしいとみなして、美濃部達吉や吉野作造のような自由主義者たちへの弾圧を正当化するような愚行に走ったことだ。」(p.400 - 401)

そして第三に、貧民救済を願う人たちを社会主義者や共産主義者だとレッテル貼りして、反体制に追いやってしまったことだ。」(p.401)

何よりも「自由」を守らなければならなかったのだと思います。言論の自由、議論の自由、それが大事なのです。

その上で、貧困問題に効果的に取り組むこと。これは自由に反することではなく、自由だからこそ、人として優しい思いが自由に発揮されるべきなのです。


日本は、なぜ泥沼の戦争に踏み込んでしまったのか。このことは、歴史をきちんと精査する必要があります。その時、日本を牽引していたエリートたちが何を考え、どう行動したのかということを、よくよく知る必要があると思うのです。

簡単にサラサラと読めるような本ではありませんが、日本の将来を真剣に考える人には、ぜひ読んでいただきたい本だと思いました。

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タグ: 江崎道朗
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:20 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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