メンターの吉江勝さんのメルマガで紹介されていたので、読みたくなって買いました。吉江さんのメルマガは次のブログ記事になっていますので、ぜひそちらもお読みください。「【書評】人生の折り返し地点に入った人への応援歌「ショーケン・最終章」」
著者は、ショーケンこと萩原健一さんです。歌手でもあり俳優でもあり、多くのファンがいます。タイトルに「最終章」とありますが、萩原さんは今年の3月に亡くなられています。つまり、これが遺作ということです。
読んでみると、彼がストイックなまでに役作りに没頭していることがわかります。芝居や音楽という芸術に対して、人生をかけて取り組んでおられたのですね。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「幸運にも私は日本を代表する映画監督や演出家、脚本家、カメラマン、そして俳優と一緒に作品をつくる機会に恵まれた。そこで学んだことは、この体に刻み込まれている。
本書に記すのはそのごく一部ではあるけれど、創造の現場に情熱とエネルギーが渦巻いていた時代の証言として、またそれをいまに生かそうとする模索の記録として読んでいただければと思う。
だから、この本はショーケンという俳優・歌手の闘病記ではない。
人生に悔いがないよう納得のいく生き方を追求していった人間のドキュメントだ。」(p.4)
「はじめに」にこう書かれているように、萩原さんが、どう考えてどう生きてきたのかが、実によく描かれています。
「人間は生涯に何度か危機に直面するときがある。そのときにどうするか。
難所は誰でも必ず渡らなければいけない人生の踏切だ。遮断器が下りている間、待つか、それとも遠回りするか。正念場だ、じっくり考えよう、と思った。
どん底だと落ち込んで愚痴ばかり言っても前には進まない。生活をまず整えよう。健康に気をつけて体をいたわろう。なにしろ独り者なんだから。」(p.24)
1983年、32歳の時に大麻の不法所持で逮捕された萩原さん。2004年には人身事故を起こし、2005年には出演料の支払いをめぐるトラブルで恐喝未遂容疑で逮捕され、有罪判決を受ける。2006年には離婚。芸能界から締め出され、生命保険も解約しなければ暮らせないほどお金に困っていたころ、最初の奥さんとその娘さんからお金の無心をされ、それを機に縁を切って一人ぼっちになった。
そんな萩原さんは、酒と睡眠薬をやめ、生活スケジュールを決め、体を使うことで健康を維持しようとしたのですね。自堕落にならずに、いつでも最高の演技ができるように自らを整え、仕事を待ったのです。
「「まあいいか。よくやったよ」と自分を褒めた途端、先細りが始まる。だから自分を褒めないように、マゾヒスティックなまでに自分を縛ってきた。それは自分に飽きた偉大な先輩たちを見ているからでもあった。
いったん自分に飽きてしまうと、表現者としては致命傷になる。」(p.120 - 121)
「太陽にほえろ!」で正義の刑事をやり、「傷だらけの天使」ではエロや暴力にまみれたチンピラのような若者になり、「前略おふくろ様」では純朴で照れ屋の板前というように、様々な役をこなしてきた萩原さん。イメージが固定化して、それを受け入れてしまうことを「自分に飽きる」と言っています。
新しい可能性に挑戦しなくなったら「表現者としては致命傷」と考えていて、挑戦する生き方を貫かれたようです。それだけに、挑戦をやめてしまった先輩に対して、厳しい言葉を投げかけたりもしたのでしょう。
「信仰心を持ったり、信仰に関心を持ったりすることはいいことだといまも思う。けっして否定はしない。
ただ、あえて言えば、自分は”卒業”した。好んでお寺や神社には参らなくなったものの、行けば普通に手を合わせる。」(p.140)
瀬戸内寂聴さんや大阿闍梨の酒井さんなどと親交を結び、マザーテレサに会いに行ったり、四国八十八ヶ所のお遍路も何度も経験された萩原さんは、特定の宗教や宗派の信徒ではないものの、念仏を唱えたり毎日、神棚に向かって拝んだりなど、信心深い生活をしていたのだそうです。
それが2011年に結婚されてから、奥様の影響もあって、徐々に信仰の世界を離れて考えるようになったのだとか。汚れた人も多い芸能界の中で、いつしか宗教に助けを求めていたのだと自己分析します。それが、神に頼るのではなく、自分を頼るように変わったようです。
「私は清潔なものが好きだった。本当に清いものを探していた。」(p.142)
神に助けてもらうのではなく、自分が「清い生き方」を求めて生きる。生きる基準が自分軸になったのだろうと思います。
「一日一日を大切に生きようと思った。「大切に生きる」というのは、必死で勉強することでもなければ、心を入れ替えて暮らすことでもない。
ただ、一日をゆったりと過ごす。怠惰に暮らすわけでもなく、お迎えが来るのであれば、それに逆らわないということだ。
私がずっと考えているのは、「安楽死」だ。」(p.236)
2018年6月、余命1年半との宣告を受けます。病を患ったことは不快であるものの、何が何でも治そうとするのではなく、病のままでもかまわないという生き方を、萩原さんは選びます。その「死」に対する考えが「安楽死」なのです。
「私の言う安楽死とは、自分が逝くとき、逝った後のことを含めて不安に陥らず、心安らかなまま人生の幕を閉じることを指している。」(p.236)
どうせ治らないなら楽に死にたい、ではないのです。安楽な心を保ちつつ、穏やかに死を迎えるということです。
「残された人間が「最後は穏やかだった」「安心しきっていた」と温かな灯りを抱いて見送り、その灯りをともし続けてほしい。そのとき、私は初めて心置きなくこの世に別れを告げることができるだろう。」(p.237)
スキャンダルの標的にされてきた萩原さんは、残される人々、特に奥様のことが気がかりだったのですね。その奥様のために、穏やかに死にたいと思われたのです。
俳優、萩原健一、本名、萩原敬三さんは、2019年3月16日、病院の一室で愛する奥様に見守られながら、とても穏やかで安らかに、ゆっくり眠るように息を引き取られました。最後の言葉は、「ママ、ありがとう」だったそうです。
ガンによって、余命宣告を受けてからも、萩原さんは役作りに没頭されます。命が尽きることよりも、もっと大きな自分を見てみたいという欲求に突き動かされていたかのようです。
私は、ショーケンのファンでもなかったので、あまりよく知りませんでした。しかし、この本を読むことで、こんな役者さんだったんだなあと、改めて思いました。
そしてその生き様には、深く考えさせられました。私も私として、しっかりと生きようと思ったのです。
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